2021年12月29日水曜日

備前三ツ石の野谷峠

 


山陽本線の三石から吉永の間の北側では山並みが南北に走っていて、峠が3つあります。いちばん東の野谷峠(タワと地形図では振り仮名が振ってあります)に行ってみました。ただ谷を歩いて峠に行くのでは面白くないので、西側の山を歩くことにして、山陽本線に近い本村の墓地に行ってみました。江戸時代からの墓石がありますが、その上の方からネットを跨いで藪に入りました。この斜面は最初は登りやすいのですが、急斜面になるとシダが茂っていて登りにくくなりました。楽そうなところを探して、西寄りに移動して登りました。170m+まで登ってもシダは膝くらいまでありますが、平らなのでだいぶ楽になりました。とは言え踏み跡はかすかで、方角もよく分からず迷いつつ北に歩くと、小振りな西日本万富~三石64鉄塔に着きました。ここからちょっと巡視路がありますがすぐにシダ藪となり、坂を登って207mピークには石仏が2体ありました。新しそうですが、台座の文字は読めませんでした。


シダ藪はまだまだ続きます。150m+鞍部の手前は大きなシダの塊があって東を巻きました。鞍部は切通しになっていて道が横切っています。その先もシダ藪ですが、標高200m付近の急斜面は岩が多くシダは少なめです。しかし少し登るとまたシダ藪でした。それでも標高353m付近は平らでシダも少ないので少し楽になりました。とは言え所々にシダ藪がありました。新田四等三角点(369.83m)は薄めの藪の中です。


三角点を過ぎるとわりと道らしい切り開きがありましたが、野谷峠へは東に曲がらねばなりません。こちらもシダ藪が多いのですが、道らしきものがあるのでそれに従いました。するとシダ藪の間を抜けて東の尾根に出ることができました。296m地点を過ぎると落ち葉の斜面になり、やっと楽しめる山歩きになりました。しかし相変わらず時々シダが茂っています。270m+から北に折れて下っていくと、鞍部に道が通っていました。ちょっと場所は違いますが、地形図の破線道のようです。鞍部の反対側には文化八年の石仏がありました(写真)。峠からは南に谷を降りましたが、道は西側斜面につけられていました。削られ気味ですが、西の谷と合流する付近まで続き、あとは谷側沿いに歩きました。溜池が近づくと徐々に道らしくなりました。この溜池の土手はコンクリートではなく土の土手です。土手の下の東側の谷は岩の急斜面で面白そうだったのですが、登ると降りられなくなりそうだったのでやめておきました。そのまま南に下って林道新田線に出ました。


所要時間4時間弱ですが、シダ藪は疲れました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「備前三石」「和気」です。



2021年12月25日土曜日

南から登る生野の渕三角点

 


生野の南西にある渕三角点には、2013/04/13に北から行っています。今回は南の渕から行ってみました。渕の東に下垣内踏切があります。踏切手前の山側は墓地で、その奥にネットから山に出る扉がありました。これを抜けて斜面を登っていくと、水路がありました。地形図にもありますが、1mほどの幅で両側に1m以上の壁があるU字の水路です。水は流れていなかったのですが、越えるのは難しそうでした。しかし少し西に歩くと水を下に落とす取水口があって、ここから水路に入りました。そして壁を越えて水路の上側に出て、急斜面を登りました。この斜面には地籍調査のピンクテープがあります。藪はひどくなく、落ち葉は薄くて滑りません。少し登ると平坦な場所が現れる尾根なので、あまり疲れずに登れました。徐々に切り開きも現れて、特に標高450m付近で渕の大歳神社付近からの尾根と合流すると道がありました。こちらから登るのが正解なのでしょう。大河内街GPS2級基準点があり、CATVのポールがありましたがアンテナはありません。そのまま岩の多い斜面を登ると、大河内線一二鉄塔がありました。ここは各方向に展望があり、北側は段ヶ峰付近の雪がよく見えました(写真)。


鉄塔から東に向かう尾根は巡視路なので楽に歩けます。651mピーク付近には共同アンテナがありました。植林の中に黒いプラ階段があり、それを登ると大河内線一三鉄塔に着きました。周囲は藪化しているため、少し南側を巻いて東のピークに上がると、渕四等三角点(698.64m)がありました。展望はイマイチです。


下山は2013/04/13と同じく南東の尾根を歩きました。植林ですが最初はかなり藪っぽくなっていました。途中はネットが張られていました。標高640m付近まで降りて、前回は東の尾根に向かったのですが、今回はより出発点に近い南向きの尾根を降りました。この選択は明らかな間違いでした。この尾根は最初は割と歩きやすいのですが、標高が下がって550m付近まで来ると急になってきました。それでも尾根を降りようとしたのですが、はっきりした尾根はなくて斜面を下っているような感じになってきました。さらに大きな岩があって、それを巻かないと降りられなくなりました。大岩は何度か巻く必要がありましたが、そのたびごとに急斜面を降りなければなりません。結局斜面を歩いているのと同じような感じでした。とても危険な下山でした。


そして最後は水路ですが、その山側には電柱があって電線が平行に張られていました。ここでも水路をどう渡るかが大問題で、流れてはいませんが水があり、しかも水路を越えても谷側は急斜面です。結局越えられる所まで水路沿いに歩くことにしました。東向きに歩けばいずれは水路が道路の谷側に出ることはわかっていたので、東向きに歩きました。しかし水路の山側は急斜面で、最近切った木も転がっていました。危険な斜面を登らざるを得ない場所もありました。谷側に階段がある所もあったのですが、水路を渡るのが困難で諦めました。結局苦労して北向きに歩き、植林に入りました。ここからは歩きやすいのですが、この植林は石積みが何段もあって驚きました。かつては段々畑だったようです。その植林の端に「篤行の少女 岸田まさえの碑」がありました。「昭和5年卯月15日危急に迫れる老婆を救わんとして鉄路上の露と消ゆ 行年18歳 乙女の純情を讃え 生野鉱山有志建之」だそうです。線路からも道路からも見える位置ですが、見ている人はいるでしょうか?隣には岸田家の墓があり、線路に降りられます。線路沿いに少し歩いて道に出られました。


あとは道路を歩いて帰りましたが、生野浄化センターを過ぎて道路から水路を見上げると立派なものだということがわかりました。途中にはお地蔵様(?)も祀られていますし、真名谷踏切の所には昭和34年にここで殉職した蒸気機関車の機関士の弔魂碑があります。真名谷踏切と下垣内踏切の間では水路から土管で水が落とされており、下には生野株式会社の長谷発電所があります[1]。明治34年運転開始だそうなので、水路もそのくらい古いものなのでしょう。栃原川からも取水していたようで、この水路が市川と栃原川を結ぶ形になっているのもそのせいなのかも知れません。現在でも水路の手入れが行われていました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★ 水路には要注意です

地形図は「生野」です。



2021年12月11日土曜日

吉永町都留岐の城山

 


岡山国際サーキットの南にある城山を、東の大股から尾根伝いに行ってみました。大股から城ケ畑池に向かう道には、レジャー目的の車は侵入しないようにとの吉永町からのお願いが立てられています。この道を少し歩いて、東に突き出した尾根の先から登り始めました。木のまばらな急斜面を登ると岩が聳えていましたが、ちょっと回り込んで登れる場所を見つけました。岩の上は灌木のまばらな藪で、少し登って220m+から北に歩きましたが、ちょっと展望があって八塔寺山が見えました。しかし枝が邪魔で歩きにくく、260m+から西に曲がって標高300m付近に来るとシダも生えていました。この先最後まで山の雰囲気は変わりません。灌木の疎な藪でシダが膝くらいまで生えていることがある、という山です。ピークや鞍部では多少の切り開きがありました。アップダウンがあるのですが、方位をちゃんと確認しないと景色だけからではどちらに歩いたらよいのか検討がつきません。320m+ピークから北に降りた280m+の鞍部は西の端を歩くのが楽でした。その北の310m+も、北に降りる所を探すのに苦労しました。シダ藪に踏み跡があるところが多いのですが、見失ってしまうことも多く、適当に歩きました。そして大藤下四等三角点(329.23m)に着きました。標石はシダに隠れていました。


三角点から先も灌木とシダの藪が続きました。この付近には道があって、それを使うのが正解と思います。二つのピークを越えて西に曲がって250m+の鞍部に着きました。地形図には破線道が描かれていますが、ここは浅い切通しで、古そうな道が通っていました。ここから西に登るところは急斜面がシダで覆われていました。足元が見えないのが問題で、木に掴まって登りました。350m+まで登っても最初はシダ藪でしたが、徐々に開けた感じになってきて、道もありました。390m+ピーク付近はシダ藪でしたが、真ん中に石積みがありました(写真)。これは近くの山でも見ましたが、この上にお地蔵様が載せられていたのではないかと勝手に想像しています。しかしその割には付近に道はなく、西に藪の斜面を降りました。降りてもすぐに道はないのですが、ピンクのマーキングが現れました。サーキット場の音も大きくなりました。そして徐々に道らしくなり、西に植林を直登し、今度は黄色いマーキングに従って南に歩きました。この道は少し西に行ってから南に曲がり、350m+ピークを横切って西に行きますが、城山の手前の鞍部で北に向かってしまいました。ここから城山へはマーキングがなく、急斜面の藪を登りました。城山の山頂には都留岐三等三角点(407.05m)がありますが、他には何もなく、展望もありません。名前は城山ですが特にそれらしい地形は見られませんでした。


城山からの下山は南に藪を降りました。最初はやや手強い藪でしたが、すぐにこれまで同様の灌木の藪になりました。見通しも効かず方向が定まらずに彷徨いながら降りていきましたが、突然共同アンテナが現れ、そこからは電柱があったのでそれに沿って降りました。これも少し怪しくなる場所がありましたが、2つ目のアンテナを過ぎた付近からはわかりやすくなり、最後は墓地に出てきて道路(県道90)に出られました。


灌木とシダの藪ですが、この付近の山の自然な姿だったと思います。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「日笠」です。



2021年12月3日金曜日

古屋から登る和田山

 


大屋町和田の谷奥にある廃村古屋は2014/09/20と2015/05/05に来ています。今回はまず古屋を探索しました。地形図の太い道の終わりまで車で入れますが、そこから西に歩くと「小倉家屋敷跡」の杭を見損ないます。地形図の実線道を歩くと、立派な石垣の上にこの杭が立っています。杭は剥げていて読めない部分が多いのですが、延べ188平米の2階建てだったようです。別棟に浴場と便所があり、養魚池もありと、たしかに屋敷です。ここの先で道は二手に分かれ、北側の道が本道らしいのですが、その先の北側の谷を通る所で崩落してるようで、倒木もあり、進めません。いつもどおりに真ん中の石垣の上に上がると、家があったらしい平らな土地になります。それが終わるとさらに石垣が続いて、「小倉屋敷石垣」の説明板があります。宝暦元年の完成とのこと。この石垣の上が小倉製糸工場敷地跡となっています。建物の基礎らしきものが残っています(写真)。ずいぶん奥に工場を作ったものだと思います。その奥には小倉作治さんの家の跡?があり、その先にも石垣が続きます。この付近には金属製の高い柱が2本立てられています。谷の南側には墓地があり、入口の小倉家供養塔は平成10年と新しいのですが、その左には亨保の墓石があり、宝暦以前から人が住んでいたようです。


さて古屋を探索した後は和田山に登りました。古屋の北に林道があり、これを登るつもりだったのですが、谷沿いの道が崩落している付近にこの林道への橋があったらしく、それも無くなっているので林道に出るには深い谷を渡るしかありません。幸いに水量は少ないのですが、北側斜面は石垣のある急斜面で、これを這いつくばって登って林道に出ました。この林道は到達不可能なので当然荒れ気味ですが、歩くには問題ありません。すぐに周囲は美しい植林になりました。一度西の尾根で折り返し、東に向かって斜面を少しずつ登って行きますが、崩落箇所も増えてきます。そして地形図通りに尾根で終わっているので、ここから尾根登りになりました。最初は非常に急ですが、すぐに植林になり、歩くには問題なく、標高差200m近くを真っ直ぐに登りました。740m+まで登ると2021/08/07にも見たネットがあって、ネット沿いに和田山三等三角点(809.1m)に着きました。雪が少しありました。


ここからは2021/08/07の逆コースで、気持ちの良い尾根を南西に降りていきました。750mピークを過ぎて、古屋めがけて南向きの尾根を降りました。これも問題なく、西側は植林、東側は自然林の所が多かったようです。ちょっと急な斜面を降りて、536m地点に着きました。ここから東に降りる尾根は先が林道に登り始めた付近に達していて、また谷を渡る必要があるのかと思って、南向きの尾根を降りました。しかしこれは勘違いで、実際には東に降りても谷を渡らずに古屋に着けたはずです。わざわざ選んだ尾根は非常に急で、木に掴まれればよいのですが、木の数が少なく、地面には落ち葉があって滑りやすく、場所によってはお尻で滑って降りました。服が泥々になりました。とにかく谷間まで降りると、2015/05/05に登った谷で、この付近にも石垣があります。墓石の三基ある墓所があり、段々畑の跡の植林を降りました。破線道に相当する道は谷の北にありましたが、橋があったと思われる付近で南に渡り、ミツマタの藪を抜けて道に出てきました。再び古屋の石垣を見ながら谷を降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「大屋市場」です。



2021年11月28日日曜日

多可町の金蔵寺から高坂峠



多可町加美区的場の西の山上にある金蔵寺へは南から舗装道路が通っていますが、参道と思われる道を的場から歩いてみました。参道の入り口にあるのは蓮華寺です。ここから害獣避けの扉を開けて歩きはじめました。植林の中の舗装道路を上っていくと、「かなくら」という道標がありました。ここからは山道ですがよく整備されています。かなり急峻な登りですが、ゴミひとつ落ちていないという感じの道で、楽に登れました。金蔵寺までの距離を示す石仏も点々とあります。途中に東屋があって弘法大師像がありました。この前に送電線の巡視路の入り口がありました。この先はちょっと谷を渡り(ここにある女性の像は何?理源大師の像は役行者の関係?)、林道の分岐を経て金蔵寺に着きました。紅葉には少し遅かったのですが、落葉もきれいでした。山を登る方向には八角堂の上に熊野権現堂がありますが、まず本堂付近の紅葉を楽しんで、その奥の四国八十八ヵ所霊場巡りに向かいました。ターンして登ると多可町のデジタル防災行政無線施設という通信塔がありました。近くには閻魔様との像と女性らしい像があって、その上の第58番仙遊寺から先は山道となりました。ここからは登山ですが、道は北に降りて行くので尾根を登りました。特に問題はありませんが、尾根を歩くと舗装道路(広域基幹林道笠形線)があり、これに降りるのに苦労しました。道に降りて少し歩き、右手に林道のある所から藪に入って的場山四等三角点(525,16m)に登りました。途中からは藪もなくなりましたが、三角点も周囲は藪のようなものです(写真)。枯れ木の間から妙見山方面が見えました。


斜面を降りて戻り、少し歩いてまた林道との分岐から尾根を登りました。ここは非常に急で這いつくばって木の根に掴まって登りましたが、少し登るとピンクのマーキングがたくさんあり、じっさいここからはほぼ道を登りました。急な所もありますが紅葉もありました。662mピークの手前には地籍図根三角点があります。662mピークを真っ直ぐ北に歩き、その北の斜面は広くて方向がわからず困りました。ここは登山道ではないらしく(登山道は西側の谷を登って入相山に行く)道は整備されていません。急斜面の植林を降りて、高坂峠に降り立ちました。子安地蔵と為無縁仏供養(?)があります。


戻り道は662mピークの東下側にある林道を歩きました。古い林道で、すすきが茂っているくらいは良いのですが、山側が崩落している場所が何箇所かあり、長く続く場所もあってバイクで通るのも難しそうでした。ただし展望はあります。最後は行きに662mピークに向かって登った地点に出てきて、林道を戻りました。ただ金蔵寺には行かず、林道を少し歩いてから一つ北側の尾根に向かいました。送電線の巡視路で戻るつもりだったのですが、赤い火の用心の札は見当たりません。しかしこの尾根には道がありました。倒木があったり、時々岩場で不明瞭になりましたが、マーキングは無いものの道であることは間違いありません。素直に道をたどって降りていくと、地形図にはない林道が尾根先を回っている所に出てきました。ここを突っ切ってさらに尾根を降りると北側に鉄塔があって赤い「火の用心」がありました。やっと巡視路に出たわけです。そのまま降りて、参道の東屋の所に出てきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「丹波和田」「粟賀町」「生野」です。



2021年11月23日火曜日

三林から登る岩谷山

 


2010/09/26に岩谷山に八幡神社から登った時に、三林からの登山道があることに気が付きました。今回はその登山道を登りました。登り口は三林ですが、Street Viewで2013年に岩谷山登山口の杭があった小道は今は舗装されて杭は無くなっていました。後で調べるとこの登山道は荒れていて登山道から外されたのかも知れません。


それはともかく登っていくと、綺麗な銀杏の大木があり、その下には祠があります。そこからちょっと登ると小振りな安積上野線六鉄塔がありました。その先はおそらく巡視路で、江戸時代の墓石のある墓所を通り、金網のフェンスの周りをまわって七鉄塔に着きました。ここに害獣避けの扉があり、ここからが本格的登山となります。岩谷山への道標がありますが、その先は植林で特に標識はありません。たまにピンクのマーキングがあります。植林にはいろいろなマーキングがあるので信じてよいのか分からないのですが、このマーキングは岩谷山まで続いており、信用して大丈夫のようです。植林の上に出ると道標がありますが、その上は荒れた谷です。ここでマーキングに従って北に向かう道を歩き始めると、あとは倒木はありますが一本道でした。1mほどの幅の作業道で、この付近では自然林もあって黄葉が見られました。倒木が時々邪魔ですし、斜面に作られた道なので流され気味の所もありますが、マーキングがあり大きく曲がる所も無いので迷う恐れはなさそうです。北に斜めに斜面を上っていき、尾根近くでは植林になります。主尾根には510m+の鞍部に出てきて、ここに三林登山口への道標があります。


主尾根に出たら尾根上を歩くのが普通ですが、今回はさらに作業道を歩きました。やや不明瞭になりますが、尾根の西側に作られており、少し行ってからは尾根の東側になり、また西に行っては東に行き、岩谷山は東で巻いていますが、山頂への道標がありました。このことからも、正しい登山道は尾根の中央ではなくこの作業道のようでした。山頂へは大きな岩を抜けて登ります。安積三等三角点(732.51m)がありました。木が切られて展望があり、暁晴山のアンテナ群が見えました。


岩谷山からは2010/09/26同様に北に歩きました。倒木が多く下草も生えて荒れた感じですがマーキングがあるので迷うことはありません。しばらく歩くと林道の終点に出ました。地形図にもここから少しだけが描かれています。林道を歩くと700m+鞍部では北は五蔵山、東は深河谷となっていますが、西向きは道標がなく、見たところ道もなさそうなので更に北に林道を歩きました。そのまま歩くと谷川の上流に行きそうだったので、751mピークの北の尾根で下山しました。この尾根は倒木が多いのが難点ですが、下草は無く藪はありません。時々展望もありますし、紅葉もありました(写真)。標高500mを切ったあたりからはかなりの急斜面で、木に掴まって植林を降りました。その下は植林が多く、最後はフェンスにぶつかりましたが、水のない水路がフェンスを横切っている所に扉があって出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2021年11月20日土曜日

福知渓谷の白口から登る藤ケ峰

 


福知渓谷の紅葉は有名ですが、この季節は混雑しているかと思ったら閑散としていました。渓谷の紅葉もきれいですが人が植えたものなので、自然の紅葉を見に北の山に登りました。白口から2015/07/20と同じように林道に入りましたが、巨大な堰堤ができていました。川を渡る手前で植林を登り、尾根登りを開始しました。北側には林道もあります。この尾根は最初は植林ですが徐々に自然林になって、南側には黄葉・紅葉が楽しめました。かなり急で標高700m付近は細尾根で岩場もありますが、危険というほどでもありません。775mピークから先は植林を登るようになってきて、少しややこしい植林の890m+ピークから東に歩いて宍粟市と神河町の境界の尾根に出ました。ここから北に植林を歩くと、白口三等三角点(941.87m)のある藤ケ峰に着きました。ここには2011/05/07、2015/07/20、2015/08/14に来ていますが、前にはなかった宍粟別選5名山のプレートが立っていました。東側は自然林で枝の間から砥峰高原が見えました。


藤ケ峰から北に歩き、藤ケ峰への道標のある落ち葉の美しい分岐を西に曲がりました。この付近は2011/05/07と2015/08/14に歩いていますが、植林の広い斜面で、降りる方向に悩みました。谷を降りていくと尾根に乗るというような地形です。ネットのある尾根で道は少し南側に作られています。北側は自然林です。660m+から南に降りる付近で、南下に新しげな林道が水平に走っていました。尾根はいったん620m+に降りて紅葉を見てから(写真)登って植林の田ノ小屋四等三角点(671.44m)に着きました。さらに南西に歩いて、南に向かう尾根を降りて、林道に出ました。林道の法面を降りるのは意外と難しくて苦労しました。あとは林道を歩いて出発点に戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」「神子畑」です。



2021年11月17日水曜日

大屋町和田から大路三角点

 


養父市大屋町と宍粟市一宮町の境界(日本分水界でもある)にある大路越は、明治時代に北の古屋から南の大路(共に廃村)に絹を運んだシルクロードが通った峠と言われています。今回は和田から延びる長い尾根で登ってみました。登り口は和田ですが、尾根の先にはよく見ると古い道があります。登ってみると水平道で登って行かないので、植林の急斜面を登りました。310m+ピークに出ると付近は紅葉していました。良い感じで南にちょっと降りて、尾根歩きを開始しました。植林は少なく、時々美しい紅葉が見られる尾根でした(写真)。標高差で600m近くを登るのですが、距離が長いので急登はほとんどありません。標高420m付近で北側から青いネットが上がってきて尾根の中央を塞ぎますが、450m付近で北に降りていったので問題ありません。492mピークの手前はこのコースには珍しく植林の急斜面でした。標高550mの手前付近は北側が伐採されており、北の山の紅葉がきれいでした。


古屋四等三角点(674.03m)に着くと、ここからは2014/07/26に明延から登ってきた時のルートと同じです。夏よりは秋に歩くべき尾根で、標高が上がると流石に落葉が進んでいましたが、それでも黄葉が楽しめました。そして800m+で市境の尾根に出て、尾根を歩いて大路四等三角点(822.47m)着きました。展望はありません。「しそう天空回廊」の札が木に下がっています。三角点からは折り返して尾根を下り、植林を歩いて大路峠(おそらく大路越)まで降りました。南は大路谷となっています。


大路峠の西は木々が美しいそうでしたが急斜面なので、旧道があるかと思って北に降りてみました。たいへんな急斜面で、植林なので降りられますが、荷物を持って登れる坂ではありません。道の形跡はありません。谷近くまで降りましたが、谷底は狭くて歩けそうもないので西側の尾根に上がりました。尾根は歩きやすいのですが、下っていけば谷に降りることになります。荒れた小さな谷を降りて、その先は尾根先の斜面をしばらく谷沿いに歩いたのですが、もう限界という感じでした。幸いにその先は植林となり、歩きやすくなりました。それでも倒木だらけの谷を何回か渡らねばならず、軽油のドラム缶を見た時にはほっとしました。この付近から草の生えた道があり、無事に林道古屋支線を通って下山できました。この谷を馬に荷積みして越えるのは無理だろうと思いましたが、案内板を読むと「シルクロードの確かな解明には至っていない」とあって、なるほどと思いました。しかし尾根を越える地点は大路峠としか思えないので、その付近に道が残っていないのは不思議です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「大屋市場」です。



2021年11月13日土曜日

道谷から六郎谷と横行三角点

 


波賀町道谷の付近は紅葉・黄葉がきれいなので毎年秋に歩いています。今回は昨年のルート(2020/11/08)の逆周りのようなものです。起点は新戸倉スキー場で、ここから林道を登りました。かなり荒れた林道で、真ん中がぐっさりと削られていたりしますが、歩くには問題のない林道でした。だいたい地形図の通りに走っている感じでしたが、途中で密生したミツマタを抜ける必要がありました。最後は目指す尾根に林道は到達しておらず、ゆるやかな植林の斜面を登って尾根に上がると、大森神社から来ている幅の広い林道に出ました。この林道では主尾根に登れないので、急斜面の植林を登りました。標高差100mも登らずに2020/11/08に尾根を降りた付近に出てきました。その北が宍粟市と大屋市の市境(播磨と但馬の国境)の尾根です。


市境の尾根は北側が急斜面の自然林、南が植林となっている所が多いようでした。美しい尾根で快適に歩けました(写真)。しかも今回は下り方向なので楽でした。とは言え三角点はピークにあるので、その手前は急登でした。六郎谷四等三角点(950.5m)からは氷ノ山が見えました。この南東は2012/08/27にも歩いています。両側が自然林の所もあり、葉が落ちて黄葉はあまり残っていませんでしたが、コナラなどの林はきれいでした。何度か通っている謎の石積みを通り(歩くには邪魔です)、926mピークを過ぎて2020/11/08に登ってきた付近を過ぎ、原横行線五二鉄塔を過ぎました。この付近は最近植林したらしく黄色いプラスチックの筒の中で苗木が育っていました。そのまま尾根を歩き、次は横行三等三角点(940.12m)に着きました。標石は切り開きの北の端にあり、展望があります。ここから更に東に降りると鞍部に南に向かう林道がありました。尾根を南に歩いても良かったのですが、ほとんどは植林のように見えたので、林道を歩いて下山しました。ヒカゲノカズラがたくさん生えている林道でした。最後は谷に出て、上流に行かないと橋は無いようでしたが、水量が少なかったので対岸に渡って林道を下りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「戸倉峠」です。



2021年11月10日水曜日

ヤマメ茶屋から国境の尾根

 


これは氷ノ山の東の尾根です。起点は国道29号線の氷ノ山登山口入口の所で、ヤマメ茶屋という閉まっている店がありますが、その手前から東に入って川を渡り、林道宮ノ後線に入りました。少し歩くと十年三角点への登山口がありましたが、そのまま谷沿いに宮ノ後線を歩きました。倒木もありますがしっかりした林道です。山側は植林です。谷が2つに分かれるところでは北向きに林道がありましたが、この谷は簡単に渡れたので少し西に歩き、炭焼き窯の所から急斜面の自然林を登りました。木に掴まらなくてもなんとか登れる斜面で、標高差100mほどは大変でしたが、登りきれば気持ちの良い尾根でした。最初は自然林ですが、北に歩くと綺麗な植林になりました。さほど急な上りではなく、気持ちよく歩いて主尾根に出ました。ここは今では宍粟市と養父市の市境ですが、かつては播磨と但馬の境の尾根だったそうなので、国境の尾根となります。


ここは2012/09/03に坂ノ谷三角点から歩いてきた逆コースで、多少の倒木がありますが文句のつけようのない尾根です。植林が多く、軽快に歩けました。1080mピークを過ぎ、起伏もあまりありません。徐々にネマガリタケが増えてきたのが気になってきた付近が坂ノ谷三角点から登ってきた尾根で、この付近には北側に林道の折返しがあり、さらにその西に行くと林道が尾根に上がってきました。というわけで、この先は林道歩きとなりました。南側の葉の落ちた自然林と北側の緑の針葉樹の植林のコントラストが見事です。戸倉殿下コース28の札が木に掛かっていました。葉が無いとはいえ美しい林を抜けて林道を登っていくと、広域林道(坂ノ谷林道)に出ました。ここに「国境の駅」の説明板があります。近くには殿下コースの氷ノ山登山口があります。氷ノ山に登る元気は無かったので、黄葉を探しながら時々自動車の通る林道を降りました。下りに2時間かかってしまい、登りとあまり違いません。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「戸倉峠」です。



2021年11月6日土曜日

生野の倉谷川から平石山

 


平石山には2011/04/10に西側の川上から、2014/05/03には東の谷から登っています。今回は北側から登ってみました。まずは倉谷川沿いに歩きました。整備された舗装道路です。人家がなくなってからも電線と光ファイバーが続いているので何かと思ったら栃原統合簡易水道浄水場がありました。付近はきれいな植林ですが、石積みがあるので以前は耕作地だったのでしょう。森林管理道倉谷線起点からさらに奥に入りました。南側の川沿いに歩くと、この付近は最近大規模な伐採が行われたようでした。この付近まで歩き始めてから1時間かかりました。


平石山に登るには、この川を渡らねばなりません。幸いに細い川なので靴を濡らさずに渡ることができて、植林を登って支尾根に上がりました。急勾配の自然林ですが木に掴まらなくても登れました。この後はこの尾根を登り続けましたが、植林と自然林が交互に現れ、自然林では時々アシビが生えていて邪魔だった他には障害はありませんでした。しかしとにかく急斜面が続きます。時々少し平らになりますが、長くは続きません。結局標高930m付近まで、標高差400m以上登ってやっと平らになりました。この先は楽な登りと思ったら、ここからはアシビの藪漕ぎとなりました。アシビ以外の灌木もあり、斜面に沿って枝が曲がっているため、ネマガリタケの藪を抜けるのと同じ苦労になりました。北側に降りると楽な所もありましたが、強行突破せざるを得ない場所もありました。標高差50m以上これが続き、標高980mを超えてやっとシダの草原になりました。広範囲に枯れている場所もありました。北に展望があり、達磨ヶ峰、フトウガ峰、段ヶ峰、千町峠を見渡せました(写真)。シダとアシビを抜けて、登山開始から2時間近くかかって平石山の山頂に着きました。プレートが2枚木にかかっています。朽原三等三角点(1061.20m)はちょっと南に離れています。アシビが邪魔で見つけるのに時間がかかりました。


下山は2014/05/03に登ってきた尾根を下山しました。その時もアシビの藪を抜けるのに苦労していますが、今回はアシビが成長したのかもっと苦労しました。また、登りではあまり問題にならないのでしょうが、下りだと正しい尾根を見つけるのが難しく、GPSとコンパスで方向はわかってもアシビの藪が邪魔をしてそちらに歩けなかったりと、かなり苦戦しました。正しい方向に行こうとして、場所によっては登ってきた尾根とあまり違わないような藪漕ぎを強いられました。894mピークも藪ですが、この付近を過ぎるとだいぶ藪が減りました。地形図で見るとわかりにくそうな尾根ですが意外と迷うことはなく、素直に降りられました。途中から道もあって、それに従って降りると、標高650m付近には北側にネットがありました。そして609mピークには2014/05/03には南の尾根から登ってきましたが、それだと大回りになるので今回は北東に急坂を降りました。その後は道があって、それに従って降りていくと東の尾根に向かい、さらに南向きに植林を降りました。結局植林の谷に降りましたが、谷に北側上の方に作業道があり、それを歩きました。谷は岩盤を舐めて流れています。作業道は徐々に谷底から離れて上がっていくので、結局急斜面を谷に降りました。滑りやすい斜面で危険だったので、もっと早めに降りればよかったと思います。降りてきた所は堰堤で、堰堤の西側のネットに沿って降りて墓地に出ましたが、これも危険でした。あとは道を降りて八幡神社に参拝しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「但馬新井」「神子畑」「長谷」「生野」です。



2021年10月30日土曜日

木地山から登る美作の木地山

 


美作の木地山には2016/08/16と2017/07/22に東の西粟倉村側から登りましたが、今回は山の西側の木地山から登ってみました。2021/10/09に袴ヶ仙に登ったときのように県道7号線から東に入り、今回は木地山川沿いに東に歩き、村の手前の分岐を北に入りました。この先も小脇屋谷川沿いに良い道が続いていますが、山裾に赤い「火の用心」の札が立てられています。ここから川沿いに歩くと「七右衛問谷」と書かれた木の杭の脇にも「火の用心」があります。このような木の地名表示はこのあと木地山川沿いでもいくつか見ました。巡視路はここから植林の急斜面を登ります。普通なら木に掴まってやっと登れるような斜面ですが、黒のプラ階段のおかげで楽に登れました。少し北寄りに行くと北方向の展望がありました。そして緩やかな坂を登ると、山崎智頭線七五鉄塔がありました。


鉄塔からは尾根歩きですが、美しい植林が続きます(写真)。標高700m付近で尾根が緩やかに南に曲がるあたりからは自然林が増えてきますが、歩きやすい尾根でした。多少の急勾配はありますが木に掴まるような所はありません。少し細い所や岩も少しあります。再び植林になって、気持く歩いて南北の西粟倉村との境の尾根に出ました。北に行くと大倉山ですが南に曲がりました。植林ですが尾根上には岩場もあります。そして杉谷三等三角点(907.64m)のある木地山に着きました。三角点がないと見落としてしまいそうな平らな尾根です。山名のプレートもありました。


木地山からさらに南に歩きましたが、楽な方向に行くと東の尾根に行ってしまうので、南に急斜面を降りました。降りた付近は広くて気持ちが良く、さらに尾根は西側が植林になっています。どこを降りていっても下山できそうでしたが、楽に歩けるので南に866mピークまで歩き、そこから西の尾根で下山しました。これも何の障害もない尾根で、ちょっと急斜面になると下に舗装道路が見えました。道路の山側はコンクリート斜面ですが、降りられる場所があって、無事に道路に降り立ちました。あとは木地山川沿いの道を歩いて木地山(地名の方)に戻りましたが、昔から利用されていた谷のようで、奥の方から石積みがあって棚状の耕作地が作られていました。木材の積み出し基地もありました。木地山川も岩肌をなめて流れる場所が多く、見ていて楽しめる川でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「坂根」です。



2021年10月27日水曜日

丹波篠山の佐倉から西ヶ嶽

 


長い尾根を歩いてみようと思って選んだのがこのコースです。長いと言っても距離は4kmほどです。登り口は篠山城からまっすぐ北に行った所にある佐倉です。特に道はなさそうなので、道路際から藪に入りました。藪を抜けると荒れた里山ですが、茶の木の群生した谷を渡って尾根の先の急斜面を登りました。登り切るといかにも里山で、倒木があってちょっと歩きにくい感じでした。329mピークを過ぎるとフェンスがありましたが、扉があって通れました。この先は長い尾根ですが起伏も少なく、特に歩きにくい所もありません。植林は無く、自然林で倒木がときどきありました。南斜面ではシダが茂っていましたが、膝くらいまでで踏み跡もあって問題ありません。共同アンテナがあり、その付近から北は道がありました。倒木があって尾根の方が歩きやすい場所もありましたが、だいたい尾根の東側に作られていました。ネットもところどころありましたが古いもので困ることはなかったと思います。展望はあまりありませんが、たまに畑や藤岡ダムが見えました。523mピーク付近は長細い尾根で、尾根が細い場所では道がはっきりしました。これを過ぎて標高520m付近から550mまで急斜面を登り、その後も道があるようで楽に歩けました。標高600m付近は木の間隔が広くて気持ちの良い場所でした。問題はその北で、地形図でわかるように急斜面です。思い切って登ってみましたが、意外と登りやすく、ときどき木に掴まりましたが休みながら登れば思ったよりも楽に登れました。途中からは少し勾配が緩くなりました。登りきった尾根は北側が見える所で、ちょっと東に歩くと西ヶ嶽の山頂でした。北にも南にも展望があります。ここには2019/06/26と2019/08/12に来ています。(写真)


下山は登ってきた斜面を降りました。赤い杭があって、何らかの境界になっているのかも知れません。標高580m付近まで降りて東の尾根に向かいました。こちらにも道があってマーキングもありましたが、ときどき見失いました。地形図では破線道が南北に横切っていますが、道らしいものは見当たりませんでした。この付近はややこしい尾根で、道があって助かりました。特に560m+ピークから南に向かうと道がはっきりして、その南の570m+ピークは西側で巻いて行きました。ここでも倒木があって道は途切れ気味になることもありますが、もともとはずっと繋がっているようでした。ただし幅の細い道で林道は全くありません。道をたどって559mピーク、そして550mピークに着きました。知足に降りる計画だったのでここで尾根を西に曲がりましたが、こちらには道はなく、倒木だらけで歩きにくくなりましたが、藪はありません。一旦下ってから530m+ピークに登り、よく方向を見てから南西の尾根に向かいました。下の尾根が見えないので不安でしたが正しい尾根に乗れて、さらに西に向かいました。340m+付近からは南西に降りなければならなかったのですが、急斜面で方向がわかりにくかったので少し迷いました。この付近の尾根はかなり藪っぽい感じになりました。最後に350m+まで来るとフェンスがありましたが、扉があって、それを抜けて降りていくと、知足の厳島神社に降りられました。ここから県道544丸山南新町線を歩いて佐倉に戻りました。


どことは書きませんが、途中に紐で囲った場所が何箇所かあり、近づくと音を光を発して警告する装置が木につけられていました。道の脇にもあって、何回か鳴らしました。松茸山なのだろうと思います(知足にそのような注意書きの札が立っていました)。動物避けなら意味があるかも知れませんが、これではどこに松茸があるか教えているようなものです。囲いの中を覗いた限りでは松茸は見当たりませんでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「宮田」です。



2021年10月23日土曜日

丹波篠山の曽地の山

 


丹波篠山の南の国道372号線を東に走り日置から南に曲がると曽地です。南に行くと山に突き当たって、東側の分岐が城東トンネルへ行き、西は曽地川沿いに曽地の集落となります。この突き当りの山の裾に曽地山左近稲荷があります。丹波篠山五十三次だそうです。赤い鳥居の前の道を登っていくと山に入れそうな所があるので適当に登りました。墓所に出てきたので、道もあるようです。墓所の後ろを適当に登って、290m+地点まで来ると古そうな手水鉢がありました。ということは、かつてはここに神社があったのでしょうか?この先すぐに西側から金網が上がっきて尾根に沿っており、さらには東に降りていきます。幸いに西から上がってきた所に扉があったので、これで西側に出て、尾根を歩き続けることができました。


倒木はありますが特に問題はなく、ほぼ自然林で藪はなく楽に歩ける尾根です。展望はあまりありません。ときどき東西の山が見える程度です。473mピークが曽根山でしょううか?特筆することのない里山で、ときどき古い作業道が尾根沿いにありました。倒木もあるので作業道も必ずしも歩きやすくはないのですが、歩ける所は作業道を歩きました。尾根は真っ直ぐではなく、520m+では曲がりながら歩き、557mピークからは西寄りになりました。間違えずになんとか歩いて521mピークに出て、南に曲がりました。だいたい踏み跡はこの尾根沿いについているので、あまり迷うことはありませんが、次の500m+ピークで間違えそうになりました。


赤い「火の用心」があって、南の鉄塔から巡視路が来ているのがわかりました。巡視路の割には特に整備されていせんが、494mピークを過ぎて、尾根が南に曲がる所は切通しがありました。南に行けば鉄塔があるのでしょうが、そうすると下山は道路を使うことになるので、この付近から西に尾根を下ろうとしましたが、地形が複雑で悩みました。結局切通しの所を西に降りていけば、目的の尾根に降りられるようでした。この尾根には作業道の名残があり、それを辿ると曲がりくねってはいますが尾根沿いに降りていけました。最後は西向きに降りていくと、弘法大師が祀ってありました(写真)。手水鉢以来、作業道を除けば初めての人工物でした。あとは参道で降りられました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「福住」です。



2021年10月16日土曜日

林道カクレ畑線から太田ダム

 


2021/09/26に長谷の高峰に登った時に下山で林道カクレ畑線を使いましたが、今回はこの林道をフル活用してみることにしました。カクレ畑線を登っていき、2021/09/26に降りてきた分岐点を直進しました。こちらが地形図にある道なのですが、すぐに崩落があり、道も終わってしまいました。しかたなしに林道の先の植林に入りました。作業道の名残があって歩けますが、ミツマタなどの木の枝が邪魔でした。北の方にある尾根に向かって植林を横切り、徐々に登りながら尾根に乗りました。この尾根は植林で急斜面ですが、登るには問題ありません。最初からこの尾根を登ってきても良かったのですが、下の方は笹とシダの藪が多いので、この付近から登るのは正解だったでしょう。とにかく真っ直ぐに登っていき、標高630m+付近で一息つくと、ここからは藪っぽくなりました。尾根の南側は植林なので、そちらに寄って歩くと作業道の名残がありました。標高差150mほどを登って760m+付近は急斜面でした。そして巨大な播磨北線三三鉄塔に着きました。尾根上ではなく南寄りに建てられています。鉄塔から少し登ると長谷の方角の展望が得られました。さらに登ると赤い火の用心の札が立っており、駐車場への矢印が北西向きに書いてありました。どんな駐車場なのか見に行きました。北西に尾根を歩くと火の用心の札があってここが駐車場への分岐なのですが、これを見落として真っ直ぐに尾根を歩くと、遊歩道のような階段が作られていました。西側は美しい林で、それを抜けると太田ダムのある上部調整池に出てきました。舗装道路がありますが、ここは車では入って来られないようです。調整池に降りられるようになっていて、水遊びができそうです(写真)。


少し道路を歩くと太田第二ダムの入り口には「協生」「礎」と掘られた2つの石があり、その東側に火の用心の赤札がありました。ここが駐車場のようです。ここから道を歩くと、さっきの尾根の火の用心に戻ってきました。ここから少し戻って駐車場への矢印のあった火の用心から南に尾根を歩きました。最初は立派な植林です。871mピーク付近は木の少ない明るい尾根です。その先、東に鉄塔が見えますが、そちらには行かずにさらに南に歩くと林道がありました。この林道は方角としては東で、行こうとしている方向ですが、林道はどちらに行くかわからないので尾根を東に歩きました。歩きやすいのですがかなり迷いやすい尾根でした。結局林道は一度北に尾根を横切ってから再び南に横切りました。これは2011/06/04に歩いた林道で、最終的には小田原川の方向から来ているのではないかと思います。ここから少し登って、成ト四等三角点(821.42m)に着きました。


下山は林道を使う予定で、2021/09/26の逆コースで尾根を下りました。ネットがあり、それに沿って降りていきました。鞍部まで降りると立入禁止の札のかかった林道の方へ行きました。この北側の林道は東西に延びており、どちらに行くかちょっと迷いましたが、カクレ畑線に繋がっているのは西の方だろうと確信して、そちらに降りていきました。両側にネットがあって、作業の跡が見て取れました。長い林道ですが、よく整備されており、2021/09/26に降りてきた岩だらけの谷でUターンして、カクレ畑線に繋がっていました。計画通りの下山でした。


三角点からネット沿いに降りていく頃に、銃声を聞きました。10発近く響いたのでちょっと焦ったのですが、林道を下山していると軽トラックが降りてきて、猿を駆除しようとしていたのだと説明してくれました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」です。



2021年10月14日木曜日

上板井から登る丹波の夏栗山

 


丹波篠山の北西に位置する夏栗山には2018/09/28に黒頭峰から登りましたが、今回は南の尾根を歩いてみました。登り口は上板井ですが、地形図を見ると高速道路(舞鶴若狭自動車道)の西にお寺の印があり、ここから破線道が尾根に上がっています。行ってみると立入禁止の古いお堂があります。近くには池に囲まれた祠もあって、かつては立派な寺院だった可能性があります。破線道に相当すると思われる草の茂った道があり、登りましたがすぐに消えてしまいました。しかし斜面は藪とはいえ登れるので、そのまま登りました。そして尾根の上に出て北に歩くと高速道路のフェンスがあり扉がありました。これは地形図の破線道と一致しています。扉を抜けてさらにフェンス沿いに歩いてから破線道に沿って尾根を歩きました。すぐに植林になり、自然林に戻ってからもたまに倒木がある程度で、特に道はないものの楽な尾根歩きでした。しばらく歩いて、池尻四等三角点(408.49m)に着きました。ここには「丹波森の径」の札が立っていて、この場所は大ヶ谷、北は夏栗山、南は上板井となっていました。南の尾根は歩いてきた尾根と同じような様子で特に道はありません。


ここからは登山道ですが、あまり整備されているわけではなく、藪もあります。しかし場所によっては明瞭な道もあり、過去に整備されたようです。アップダウンはあまりありませんが、なるべく尾根を歩きました。尾根が少し西に曲がっている400m+ピークの西で、南から道が上がってきてそのまま尾根の南側に続いていました。これを歩かず次の410m+ピークに登ると、「松?が谷」「小坂」への札が落ちていましたが、地面にあって方向がわかりません。北の尾根を降りると小坂ですから、南を降りると谷ということでしょうか。さらにその西の、地形図で南に破線道がある付近では「丹波森の径」は大ヶ谷と上板井が反対方向を差しており、上板井から大ヶ谷を通って歩いてきたので不思議でしたが、札は倒れているので方向はわかりません。ここには「中ン谷」と「流れ尾」への札もありましたが、これらも地面に落ちていて方向がわかりません。この付近からは先程の続きらしい道が尾根にあるので倒木を避けつつそれを歩きました。しっかり作られた道です。途中から2021/06/05に黒頭峰から下山してきたルートの逆コースとなりました。そして夏栗山の南に出てきました。ここで道は西方向にやや下る感じでしたが、北向きの斜面にもたくさんマーキングがあったので、登れるのかと思ってそちらに行ってみました。最初はマーキングがありましたが減ってゆき、どこかで水平道に出ることを期待したのですが何もなく、そのまま登り続けることになりました。急斜面ですが登っていくと切り開きがあって、頭の赤い黒いプラスチックの杭が点々とあり、境界を示しているようでした。ときどき木に掴まって登り続けて、夏栗山の山頂に着きました。展望台からは、今回は南の方向が見えました。山頂には土が盛ってあり、その東に夏栗山観音菩薩があります(写真)。


2018/09/28に来た時には山頂から東にはマーキングが見つからなかったのですが、今回はいくつかマーキングがあり、北に降りる破線道も見つけられました。これを降りると佐仲ダムの北に出て大回りになるので、さらに東の破線道を探しに降りましたが、こちらは見当たりませんでした。しかし感じの良い尾根なので、そのまま南東に下ることにしました。この尾根は自然林で、下草はなく、斜面を適当に降りていくだけです。最初は勾配も緩かったのですが、地形図でもわかるように徐々に勾配がきつくなり、最後はちょっとした岩場に出て、ここからは南の植林を降りました。これは正解で、林道に出ることができました。道はありませんが、意外と降りられるものだと思いました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「宮田」です。



2021年10月9日土曜日

右手から登る袴ヶ仙

 


美作市東部の袴ヶ仙には2017/08/19に東から登りましたが、今回は北西から登ってみました。登り口は県道7号線沿いの木地山付近で、尾根が道路に張り出しているところから登りました。急斜面を木に掴まってちょっと登ると簡単に登れて、尾根歩きになりました。最初少しは藪ですが、すぐに植林になって歩きやすくなりました。ごく普通の里山ですが、下草がないのは助かります。尾根を歩くにつれて少しずつ高度が上がっていきます。そして、地形図の林道に出ました。ここまで木地山川沿いに歩いて林道で登って来るのも正解と思います。林道を横切り、さらに尾根を登りましたが、この尾根には作業道があります。幅は狭いのですが障害物はなく、楽に歩けます。しかしピークは巻いていくので、作業道を歩いていると古ケ仙四等三角点(695.83m)を見落とします。この作業道は標高700m付近で逸れて行ってしまうので、そのまま真っ直ぐに植林を登りました。問題なく793mピークから南西に延びる尾根に出ました。この尾根には植林の間に広い道があります。ここからいきなりこの尾根を西に降りなければなりません。ここはかなり急ですが、道があります。降りたところの750m+の鞍部には石仏がありました(写真)。文化7年とのことで、下半分が失われているとしても、200年も前からここにあるとしたら驚くほどの保存状態です。この鞍部にさっき別れた作業道が延びてきている可能性があります。


再び西に植林を登り、南に向かうと急斜面になります。ここも植林されており、幅広い道はそのまま真っ直ぐに急斜面を登っていきます。胸突き八丁という感じで歩くのも大変なくらいで、車で登るのは無理だと思いますが、そのまま標高900m+まで登り、袴ヶ仙までシダが生えていますが繋がっています。つまり山頂まで車が通れそうな道があるということです。山頂には池ノ尻三等三角点(930.41m)があり、展望は良好です。日名倉山から那岐山まで見渡せます。


下りは西寄りの尾根にしました。山頂付近は伐採されて倒木とシダで埋まっているので、いきなり北に降りずに登ってきた方向に少し戻ってからシダを避けながら降りました。少し降りれば植林の尾根で歩きやすくなりました。この先は自然林も植林も歩きやすく、たまに北に展望もあって、気持ちの良い尾根でした。分岐がいろいろあって降りられそうな尾根も多く迷いますが、なるべく長い尾根を降りました。847mピークを過ぎ、次のピークでは南に向かえば山元に降りられそうでしたが北に向かいました。しかしこの先の斜面はシダが倒木を覆い隠している状態で、背の高い草まで生えていて、歩き辛い状態となりました。標高差にして50m程度ですが、避けたいルートでした。それを抜けると楽になり、植林に入りました。ここも幅広い道が作られており(道と言うよりは単に木が植えられていないだけですが)楽に歩けました。この道に従うと南向きの尾根に行くことになりました。この尾根は徐々に急勾配で細くなり、道も消えてしまいました。しかも岩があって巻いて降りる羽目になりました。しかしその下は比較的なだらかな谷で、斜面を降りていくと「トム・ソーヤー冒険村」のコテージ村に出てきました。ここはフェンスが無いのでラッキーでした。


登りは2時間ほどで登れる藪のないコースでした。下りは別ルートを探すほうが良いと思います。降りてから案内図を見ると山元の北付近に袴ヶ仙登山口があったので、下山のルートの一部は登山コースなのかも知れません。


展望 ★☆☆


藪山度 ★★☆

地形図は「大背」「坂根」です。


2021年10月2日土曜日

根安川から登る若桜の高山

 


若桜の高山には以前に北の舂米(つくよね)川から登りました。今回は南の根安川の方から登ってみました。国道29号線を鳥取方面に向かい、根安の集落から林道根安舂米線に入りました。集落を抜けると橋のところでネットで道が塞がれていますが、簡単に開けて通れました。舗装された林道を走っていくと、巨大な堰堤があって林道はそこから川の南の山裾を走ります。そして川を北に渡るところで車をとめました。ここまではGoogleストリートビューもあります。ここからさらに川を遡りました。少し歩くと目の前の高いところに橋があります。これは大炊発電所へ向かう水路です。登ってみると水路には蓋がされています。その上を西に歩きました。水路にはときどき中が見えるところがあって、覗くと水流が見えました。大規模な工事です。地形図通りに水路は水平に尾根を回って南に向かっていますが、その尾根の先から登り始めました。


急斜面ですが水路の上には金属ネットが張られていおり、それを固定するためのワイヤーが張ってあります。作業道の名残もあって、木に掴まって登れました。そのあとも急斜面で、木に掴まって登りますが、なかなか楽になりません。まず標高差100m近くを登って一息つきましたが、今度は岩場があります。これを登るとまた少し楽になり、もう木に掴まる必要はありません。しかし勾配は相変わらずきつく、休みながら登り続けました。標高差500m近くを登り、主尾根の916mピークに着きました。


主尾根は楽かと思うと、北にいきなり急斜面があって860m+の鞍部に降ります。そこから登り返す途中に板状の節理のある岩場がありました(写真)。この先は緩い登りが続きますが、植林も自然林も快適です。下草もネマガリダケもありません。ちょこちょこと遠くの山が見えますが展望地はありません。1106m地点は広い平坦地です。ここから西の尾根に向かいました。ここも歩きやすく、快適でした。北の山も見えます。尾根は曲がっているので注意しないと間違えます。1010m+の尾根の先から北に延びる尾根は、前回下山に使いました。この西で南に向かう尾根から西に降りる所は前回も悩んだのですが、少し南に行ってから戻り気味に西に降りるのが正解でした。そして気持ちの良い自然林を抜けると高山の山頂です。林を抜けたシダの手前に田口三等三角点(1032.32m)があります。「若桜高山」の札が置いてあります。


下山は南西の尾根にしました。最初はちょっと急ですが歩きやすい尾根です。植林も自然林も問題なく降りられましたが、登りに使うと急な所もあると思います。下山では尾根を間違えないように気をつける必要があり、950m+ピークもそうですが、特に724mピークに降りる所は北の尾根に行きそうになりました。このあと680m+では南へ行く尾根が倒木でふさがっていましたが、こちらに行かなければなりません。ここは真っ直ぐに降りていけばよいのですが、最後は林道に降りなければならないので一苦労あります。結局尾根の一番先まで降りて、上から林道越しに三角点を見てから西寄りに法面の上を歩き、降りやすそうなところを降りました。この付近には降りられそうな場所はここしかありません。官田口四等三角点(516.17m)は尾根先が切り通しで、その切り取られた先にあります。この林道(林道根安舂米線)は舗装してあり、倒木や土砂も除けてあるので自動車でここまで登ってこられそうでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「岩屋堂」です。



2021年9月26日日曜日

神河町長谷の高峰再び

 


長谷の西側にある高峰(現在Google Mapでは入炭山となっていますが、入炭山は長谷の東の山です)には2011/06/04に登りましたが、今回は違う方向から登りました。登り口は神河町立町民体育館の南付近の林道です。作業道高峰線だそうです。地形図通りに登っていき、地形図通りに「保安林改良事業(漁場)」という看板で終わっていました。谷間なので西側と東側とどちらに登るか考えましたが、西側の植林を登ると高峰ピークまで標高差300m以上の急斜面を一気に登らなければなりません。東側は尾根沿いに登るので楽そうに見えました。そこで東に向かったのですが、尾根に出るまでが大変で、まず植林の斜面を横切って登らねばなりません。木に掴まって登り、支尾根のようなところに出ましたが、そこからも岩のある急勾配の尾根を登り、大岩のある所で主尾根に出ました。これは2011/06/04に登ってきた尾根です。ゆるやかな尾根なのですが、伐採されています。2011年には伐採直後だったのでしょうが、今は背の高い草の茂った藪になっています。眺めは良いのですが、倒木もあって歩きにくく、棘の生えた灌木もあります。577mピークは藪になっていませんが、北西に降りる斜面も藪なので、林の中を降りました。植林された木はほとんど育っていませんが、倒れて水平に育ったものもあり、垂直に育ったものは網の筒に囲まれて窮屈そうでした。植林と藪を抜けて北西に登っていくと、林道がありました。2011/06/04には記述がないのですが、10年以内のものにしては荒れ気味でした。林道を西に歩くと、東に戻る分岐があり、そちらに行くと終わってしまいましたが、ちょうど登りやすそうな支尾根だったのでそのまま登って山頂に着きました。背の高い草に囲まれて本村四等三角点(825.51m)があります。ここが高峰でしょう。


高峰からは2011/06/04と同様に西に降りて、伐採されて藪になっている尾根を歩きましたが、先程の林道が尾根の南側に走っています。林道の方が草が茂っている所もありました。そのうちに林道は南に行ってしまい、尾根は植林となりました。岩や倒木もありますが、良い感じです。この付近の地形は地形図ではわかりにくいのですが歩いているとそんなことはなく、西に降りていき710m+の鞍部に近づくと北側に林道があり、さらに南にも林道があって、鞍部で繋がっていました。連結部には北向きに「一般車侵入禁止 中はりま森林組合」の看板があり、「北向きに通行禁止のチェインがかかっていました。南の林道は2011年にもあったもので、その後北から林道ができたようで、ここが境界点なのでしょう。正面西には新しげなネットが張られており、これも2011年にはなかったものです。ネットの南側を西に登りましたが、シダやススキが生い茂った藪でした。ネットがなくなると気持ちの良い尾根になって、登っていくと2011年にはなかった成ト四等三角点(821.42m)に着きました。周囲は風通しの良い場所です(写真)。南側の美しい植林も10年前より育っていました。


下山は北の関電PR館に向かう林道と決めていたのですが、地形図でそれに繋がっている破線道が見つかりません。北東に延びる尾根で降りることも可能でしたが、破線道が気になって破線道の通っている谷を降りました。しかし道は気配もなく、谷は苔の生えた岩で埋まっていました。岩塊流でしょう。さいわいに谷に水はなく、岩を伝って降りましたが、標高差200mも降りなければならなかったので疲れました。これは危険過ぎです。比較的幅の広い谷なので、降りられないほどの急斜面はないのですが、岩を避けて脇の斜面を降りようとすると急勾配過ぎて降りられません。なんとか降り切ると林道がありました。ターンしていて、登りは東に行っていました。下っていくと地形図とは違った方向に行きましたが、道はしっかりしていて問題ありません。結局地形図の破線道(林道カクレ畑線)に合流して下山できました。


標高差600m。林道が多くて謎の山です。再調査が必要でしょう。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」です。



2021年9月23日木曜日

和田山の黒田城から室尾山

 


和田山の室尾山には2017/09/02に和田山町野村の心諒尼公園から登っていますが、今回はもう一つ東の尾根から登りました。東和田の集落の中の道を歩くと、道路沿い北側の山に墓石が見えます。登っていくと山裾に江戸時代から新しいものまで墓石が点々とありますが、それを抜けて植林を登っていくと何段にも東西に溝があって、城らしい感じです。これが東和田城でしょう[1]。そのまま北に降りるとベンチがいくつかあります。野外学習用でしょうか?さらに北に歩くと害獣避けの金網がありますが、扉があり、それを抜けると植林です。ちょっと急斜面ですが木に掴まるほどでもなく、すぐに自然林になって、広い300m+に着きました。ここが黒田城のようです[1]。南東に少し降りて小川四等三角点(291.55m)を探しました。小さな伐採された平坦地に小さい松が生えており、だいぶ苦労して木の下に標石を見つけました。


300m+からいったん北に降りて急斜面を登り返して、平坦に379m地点に着きました。ここも城跡なのかもしれません。北に歩くと標高400mを過ぎてからは地形図通りの急斜面で、これをなんとか登りきると標高500m+で一息つけます。しかしもう少し登りがあって、やっと藪に隠れた地籍図根三角点がある580m+ピークに着きました。ここからはアップダウンの少ない主尾根歩きで、楽に歩けました。共同アンテナの残骸があり、藪に隠れた中四等三角点(610.18m)を見つけました(写真)。三角点の西は主尾根から外れないように気をつけて降りて、再び登って地籍図根三角点がある563mピークを過ぎ、さらに徐々に登っていくと北に和田から豊岡方面までがちょっと見えて、620m+地点からほぼ水平に歩いて室尾山に着きました。岡田山三等三角点(629.50m)の白いポールに山名の書かれた木が添えられています。


下山は620m+地点に戻り、2017/09/02に登ってきた尾根を降りました。登りでは気付きませんでしたが、この付近には尾根の分岐が3つあり、しかも非常に急でした。GPSで位置を確認して希望の尾根に降りて、ちょっと登ると地籍図根三角点のある473mピークでした。ここで真南の尾根に降りることにしましたが、標高350mあたりは急斜面でした。植林の縁のあたりを降りていき、南に曲がって平坦な長い尾根にでました。植林ですが真ん中に有刺鉄線が張られているので要注意です。その南の220m+ピークも城跡らしく[1]、そこからは南西に植林を降りましたが、最後に金網がありました。金網沿いに降りると山の下に草の生えた道があり、その出口の扉が開きません。結局金網沿いに東に戻り、金網に沿って歩いていき、最後に人家の近くに出口を見つけました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「直見」です。



2021年9月19日日曜日

北から登る西粟倉村の知社三角点

 


2021/07/25にも登っている西粟倉村の知社三角点ですが、今回は北から登ってみました。起点は塩谷にある、あわくら温泉の元湯です。この裏から山に林道が延びています。これは谷に作られており、東側の尾根は伐採されています。林道がなければ歩けない谷で、林道はジグザグに登って意外と長く続いていました。最後は谷の奥で終わってしまいましたが、急斜面の植林に作業道が残っていて、すぐに尾根に上がれました。この付近には突き出した大岩があり上に乗ることもできます。この尾根は歩きやすく、楽に登れて650m+ピークに着きました。ここからは主尾根歩きですが、尾根の両側少し下に林道があります。そのまま歩くと尾根上で林道が交差しますが、その後も尾根の両側に林道が並走します。尾根は西に向きを変えて、北側の林道は下っていくようでした。700m+ピークではいったん南に曲がってまた西に歩き、ずっと植林を歩きました。伐採された木が転がっており、膝くらいまでのシダが生えていて躓きそうなところもありました。南側の林道はずっと続いているようでした。732mピークは小高いピークで周囲は植林と自然林で良い感じでした。732mピークから南に歩くと地形図で破線道が尾根を横切っていますが、ここは実際には四差路になっています。そのまま鞍部を横切って正面を登ると灌木が少しありますが、また植林歩きとなります。この付近は2016/09/10に南から登ってきたところです。植林の少しだけアップダウンのある尾根を歩き、見上げると見慣れた通信塔が立っていました。線が切れていて使われている様子はありませんが、立派なものです(写真)。近くには知社三等三角点(768.47m)があります。


下山は林道を使うことにしました。尾根を西に行けば立派な林道が尾根を横切っているのですが、通信塔を立てた時に使ったらしい林道があるので、それを降りました。シダや低い松が生えていて最初は見失いそうになりましたが、ターンして北に降りていっていました。やや荒れていますがだんだん歩きやすくなったところでT字路になりました。左右どちらに行くか迷いましたが、あまり荒れていない西側に行ってみました。少しずつアップダウンして長く続きましたが、最後は尾根で終わっていました。この尾根をまっすぐに降りるのが早道だったと思いますが、林道にこだわってT字の分岐まで戻り、反対側に行ってみました。こちらは荒れ気味で、倒木だらけの谷に出てきました。いちおう谷沿いに道があり、降りることができました。途中に堰堤がありましたが、倒木が何本か乗っかっていました。途中で道が川になっている所もありましたが、最終的には舗装された林道まで降りることができました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「坂根」です。



2021年9月12日日曜日

夜久野の宝山から虫ケ壷三角点

 


夜久野の宝山は京都府唯一の火山だそうです。面白そうなので見に行ってみました。東の宝山公園から登ればよいのですが、下山の都合で西の大森神社を起点にしました。神社の裏には金網がありますが、境内の右手隅に扉があって藪に出られるので、少し川沿いに歩いてから水路をまたぎ、草や木に掴まって急斜面を登りました。すぐに植林になり、歩きやすくなりました。気持ちよく植林を歩いて、山頂の遊歩道に出ました。とてもよく整備されています。これは八十八ヶ所のお遍路です。石仏を拝みながら山頂に向かうと、小屋の手前に倒鞍山三等三角点(349.66m)がありました。これが宝山(田倉山)の山頂です。幅広い遊歩道はさらに東に続いており、坂を降りていくと、林道に出ました。ここは眺めの良いところで、東に夜久野の平坦地が望めます。案内図があって、火口の場所が描いてあるので見に行きました。林道を下ると「宝山噴火口跡地(推定位置)」という案内板がありました。ここから階段をまっすぐ登った付近が火口の推定位置らしいのですが、特に何も標識がないので「このへん」としかわかりません。この階段はそのまま登るとお遍路に戻ってしまいました。


宝山を見たあとは、京都府と兵庫県の境の尾根を北に縦走しました。展望地にあった案内図ではここも散策路があるはずなのですが、笹薮を抜けて植林を降りていきました。260m+の鞍部では東側は林道がターンしていましたが、西側の道は怪しげでした。ここから少し登って、割と平坦な尾根をしばらく歩きました。良い感じです。330m+付近は伐採してありましたが展望はありません。そして標高350m付近から植林の急坂になり、440m+の尾根に上がりました。西は植林、東は自然林です。ふたたび割と平坦な尾根を歩いて、今度は標高450m付近から岩の多い急坂を登って、505mピークに上がりました。ピークに出てから大町四等三角点(499.27m)を見に戻りました。急斜面の上にありました。ちょっと急坂を降りて、少し展望のある細尾根を通ってから再び植林の斜面を登りました。ここは長丁場で標高差150mほどを登り、さらに平らな尾根を歩くと、虫ケ壷三等三角点(679.06m)に出ました。植林の尾根の真ん中で、展望はほとんどありません(写真)。


下山はまず尾根を戻り、そのまま道なりに西寄りの尾根を降りました。この付近は尾根にネットが張られていたようですが、今はほとんど残っていませんが、針金やネットが地面に落ちています。それがこの方向に続いていました。最初は植林ですが、徐々に藪っぽくなりました。北側はなだらかな斜面ですが南側の尾根を歩き、火山弾っぽい岩を過ぎて、558mピークは切り開きで地籍図根三角点がありました。ちょっと展望もあります。さらに藪っぽい尾根を下って登っていくと、藪の中に金属プレートの東谷南四等三角点(575.06m)がありました。ポールが立っていました。


下山は少し戻って、530m+の付近から南に降りました。道はありませんが少し降りると尾根らしくなって方向ははっきりしてきました。歩きやすい尾根を降りていくと、標高450m付近で東から道が来ていました。かなり荒っぽい感じの作りで、そのまましばらく尾根を下っていき、西側に降りていったようでした。なんだか人工物が多いなと思っていると、標高370m+の細長い尾根の西側は地形図にもあるように削られており、鉱山だったのでしょう。もう少し下ると展望地があり地籍図根三角点がありました。その後は林の中を緩やかな下りでしたが、あちこち地面に大きな穴があいており、木が抜けた跡というよりは陸堀りを試みた跡でしょうか。そういえば全ルートで似たような穴をたくさん見ました。最後は東寄りに急斜面を降りていくと、工事現場の近くに出てきました。林道を歩いて白井の集落に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「直美」です。



2021年9月5日日曜日

千種川から登る植松山の北西の山

 


ちょっと説明しにくい山ですが、カンカケ越から植松山に登る時に通る山に西側から登ってみようという試みです。千草から北に向かうと、ちくさ高原の方に分かれる手前の千種川沿いに河内地区処理施設という排水処理施設があります。「高羅鉄山遺跡」という看板の付近です。施設の右手に扉があり、そこから橋を渡って植林に入りました。よく手入れされている道です。地形図ではこれよりも山側に破線道が描かれていますが、荒れてしまっているようです。植林の中を千種川沿いに歩いていくと、482mピークの東の鞍部に登るようになります。ここからは尾根の急斜面を登りました。植林から自然林になりますが足元はしっかりしています。612mに登り切ると目の前に美しい自然林が広がりました。せっかく登ったのですが、鞍部に降りると北から地形図の林道が来ていました。それを渡ってまた斜面を登りました。これもかなりの急斜面ですが、木に掴まらずに登れました。それでも標高差100m以上を登って、やっと尾根に出ました。これを登りましたが、勾配はさほどではなくても岩の多い尾根でした。なんども大岩を巻いて登りましたが、特に946mピークの手前には大きな岩が聳えており(写真)、南側を巻いて登りましたが、その先では今度は岩の上に出てしまいました。つまり946mピークは両端を崖に挟まれているのです。降りられないので少し戻って急斜面を木に掴まって斜めに横切って鞍部に降りました。ここは踏み跡らしきものがあって助かりました。このあとも大岩はどれも巻いて登りました。標高1000mを越えると岩は減ってきて、灌木が多少増えました。そして1150m+ピークに着きました。北の端まで行くと少しだけ自然林を伐採して植林してありますが、植えた苗は枯れているものが大半でした。ここから北の1178mピークまでは2020/12/10に歩いています。途中で音水湖が見えました。。


地籍図根三角点のある1178mピークもちょっと伐採して植林してあります。ここからカンカケ越まで降りて林道で下山するのが普通だと思いますが、ショートカットを試みました。1178mピークからは西に尾根が延びています。これを下りました。最初は楽に降りられましたが、そのうちネットが張られて北側は高さ5mほどの木がびっしり生えていました。正面にちくさ高原が見えます。この尾根には大岩はあまりありませんが、かわりにネットと藪があります。標高940m付近から下は藪が増えました。急斜面もあり、標高800m付近は激坂でした。最後に林道に降りるところは法面が降りられず、カーブのところの茂みを抜けて降りましたが、服が土まみれになりました。あとはカンカケ三室林道を降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「西河内」です。



2021年8月31日火曜日

日ノ原山から阿舎利山

 


夏は標高の高い山に登りたくなります。音水湖付近の山はなんども登っていますが、少しルート違いで阿舎利山に登ってみました。登り口は音水湖の南の端です。「この道路(町道引原カラウコ線)は行き止まりです」と親切に書いてある道を東に入っていき、コンクリートの壁の終わりのところの赤い「火の用心」から関電の巡視路を登りました。最初は非常に急ですがさすがに巡視路で楽に登れて、西に行くと原横行線八鉄塔がありました。現時点では国土地理院の地形図は間違っていて、この鉄塔は無視されています。


鉄塔からは登り方向に巡視路があります。よく整備されており、黒いプラ階段がたくさん設置されているので、問題なく登れます。まず急斜面を登っていきますが、巡視路は次の七鉄塔のある西の尾根を目指して西に行ってしまいます。素直に巡視路で西の尾根に行くのが正解とは思いましたが、近道をと思って巡視路がまた少し斜面を登った付近から植林の斜面を横切って登りました。すぐに登りやすい尾根に出ました。少し登ると結局西の尾根と合流しました。この尾根は2012/06/17の最後に歩いていますが、このあと阿舎利山まではほぼその時のコースの逆コースです。巡視路のプラ階段の他に木の階段もあって急斜面も楽に登れました。登り切ると兵庫県のダム送受信所があります。これにはパラボラアンテナが付いており、さらに南に建設省の日ノ原無線中継所があってアンテナがあり、その南には日ノ原四等三角点(788.92m)と宍粟50名山の杭があります。


阿舎利山に行くには、最初のダム送受信所のところから東に急斜面を降ります。ここから南西に続く尾根は植林で気持ちよく歩けました。多少の下草や倒木はありますが、歩きにくくはありません。波賀町有林の標識があって南側を林道が折り返している鞍部まで降りてから登り返しました。ここは南の林道を歩くこともできますが、林道は谷の奥で終わっていました。この付近は自然林でした。800m+のピークに上がり、縦走する付近は南側に林道があります。少し急な斜面を登って850m地点に出て、さらに尾根を登りました。この付近は北にも南にも林道があります。南からの林道の終点があり、さらに登って2021/05/14に音水湖から林道で登ってきた尾根に出ました。さらに登って、阿舎利山の山頂に着きました。引原山三等三角点(1087.36m) があります。


下山は2021/05/14と同じ尾根にしました。歩きやすくて気持ちの良い尾根です。今回は標高800m付近の植林の林道を降りることにしました。ジグザグに走っている林道なので、なかなか下山できません。植林は美しく、林道も最初はトラックが通れそうでした(写真)。なんども曲がっていくと道が徐々に狭くなり、倒木も増えてきました。分岐が多いのですが、とりあえず下向きの分岐を選びました。下に林道が見えているのでショートカットは可能なのですが、枝や間伐された木が多く、シダも生えているので、素直に林道をたどりました。気がつくと谷を回り込んでいて、倒木で通りにく所、斜面が崩れている所、雨水で溝ができている所もありました。ミツマタが密集して生えている植林を通って、林道三久安線に降りてきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2021年8月29日日曜日

安富町の末広・小谷三角点

 


これらの三角点には2008/06/01と2009/06/27に行きましたが、だいぶ前のことなので伐採地がどうなっているか見に行ってみました。ルートは以前とは変えて中ノ谷川の最初の分岐の間の尾根を登りました。太陽光パネルが設置されていますが、西の川寄りの草むらを抜けると果樹園があり、尾根の先を登れました。急斜面ですが作業道が残っていてジグザグに登れます。斜面に深い溝も走っています。しかし標高330m付近から尾根の中央は伐採されており、灌木やシダが茂り倒木もあって歩けなくなりました。東寄りの植林の端を歩きましたが、倒木とシダで地面は埋まっています。ときどき尾根に出ると展望がありますが、続けて歩くことはできません。しばらくこんな状態が続きますが、最後は植林の急斜面を登って520m+の平坦地に出ました。ここからはゆっくりした登りですが、すぐに藪が復活しました。また倒木と藪とシダに悩まされながら少しずつ登っていき、倒木とシダの急斜面を上がると末広三等三角点(601.78m)がありました。東には明神山が見えます。


以前はここまで車で上がれるような林道があったのですが、今はよく見ないと林道だと分からないくらいに草が生えています。三角点から北には林道にジャケツイバラの藪があって、かなりひどい目にあいました。これを過ぎてももと林道は草で埋まっており、倒木もあります。三角点のひとつ北の560m+ピークは西側に細い木がたくさん生えた道があり、これで巻きました。尾根は藪です。展望はほとんどありません。その北の尾根は伐採されていて少し歩きやすくなりましたが、周囲や藪です。尾根が東に曲がる520m+まで来ましたが、以前は「まるでリゾート開発の途中のような雰囲気」だったその西側の伐採地は大きな木こそありませんが、藪です(写真)。今回はここを東に曲がりましたが、この付近はたしかに伐採地です。そのまま東に行くとススキの野原になって歩けないので、少し北に進路を変えましたが藪でした。


なかなか藪から逃げられませんが、500m+の鞍部まで来るとその東は倒木とシダはあるものの植林で、少し歩きやすくなりました。586mピーク付近は2009/06/27に歩いています。徐々に植林の下草は減ってきます。570m+ピークから南東に曲がりましたが、ここは広い尾根で目標が決めにくいうえ、急斜面です。木に掴まりながら植林を降りて、なんとか500m+の尾根に乗りました。少し登り返すと金属プレートの小谷四等三角点(548.32m)です。この尾根は2009/06/27に歩いていますが、あまり障害物はありません。しかし分岐に気をつけないと尾根を外れてしまいます。490mピークを通り、快調に尾根を下りました。この下には明らかに道と思われる切り開きがありましたが、最後は非常に急な植林の斜面になりました。しかし作業道もありますし、植林で木に掴まれるので無事に降りて、普通林道中ノ谷線に出ました(この林道名を表示している杭は新しそうでしたが「昭和11年度普通林道中ノ谷線」と書いてありました)。あとは川沿いの気持ちの良い林道を歩いて戻りました。途中の分岐に「かや」と掘ってある石がありましたが、雪彦山の賀野神社でしょうか。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」「寺前」です。