2015年1月24日土曜日

黒田庄門柳の大樅峠から高山

「播磨の峠ものがたり」という本を読んでいて、大樅峠に行ってみたくなりました。黒田庄駅の北の踏切を渡ると兵主神社の鳥居があり、そこから門柳を抜けて県道559号線を東に走ります。道は狭くなりますが、急坂はなく、雰囲気の良い植林地帯となります。地形図で実線道が終わる付近に車を停めて歩き始めましたが、この先も峠まで簡易舗装の道路が続いています。ただし地形図よりは北側を曲がりながら登っていきます。峠では左右に林道が分かれますが、説明書きを見ると平成16年の台風災害の後で植林を整備したようです。峠へは階段を上がります。左右の伐採地は金網で囲まれています。その間は藪で、イバラも多く、注意して抜けるとその東側は植林となります。峠のお地蔵さんはありませんが、境界の標石が打ち捨てられています。消えかかった登山道の標識があり、南には大呂峠、高山などの地名が書かれています。ここから南に斜面を登りました。

急斜面ですが登山道なので歩きやすく、ひとしきり登ると大呂峠へ道標があります。ここは鉄尾頂上と書いた札がありますが、鉄尾を消して松尾山と書いてあります(他の道標には金掘という名前もありましたが、どこのことでしょうか?)。登山道整備を平成24年から25年に行ったようで、どうりで歩きやすいはずです。ここから西脇市と丹波市の境界を東に歩くのですが、その前に南の600m+ピークに行ってみました。ここは2014/03/19に西から歩いて来ました。テープのマーキングはたくさんありますが、山名の札はありません。北に戻って市境を東に歩きました。赤い板の案内板がたくさん木に付けられていますし、道も整備されています。513mピークは大杉山というのかも知れません。大呂峠というのは460m+の鞍部で、南向きに石に掘られたお地蔵さんが立っています。南向地蔵というようです。ここは南北に降りる道があるようです。その東の480m+の小ピークからは北に降りられるようですが、まっすぐ歩くと奥多々良木本線74鉄塔に出てきました。北に展望があります(写真)。そのまま尾根を歩くと510m+ピークを過ぎて513mピーク(大杉山?)に行ってしまいますが、市境は510m+ピークから東に降ります。

高山に近づくと急勾配になりますが、トラロープが張ってあります。途中に「地蔵の森公園」という初出の道標がありました。山頂は展望はありませんが、高山四等三角点(659.59m)があります。標石はかなり角が欠けています。さらに東に歩くと伐採地があり東側に展望が開けます。白髪岳が見えます。この東の591mピークは猿藪山という魅力的な名前ですが、ここから北に下山しました。「地蔵の森公園」からの登山道です。420m+の鞍部まで降りると「けやき峠」と書いてありました。ここから「地蔵の森公園」への道は植林の作業道で狭くて見失いがちでした。しかし林道高山線に降りるとあとは楽に「地蔵の森公園」に着きました。

公園からは遊歩道で首切地蔵尊まで歩きました。たいへん賑わっているのには驚きました。ここから西に林道(奥山林道?)に入り、大樅峠を目指しました。地形図の破線道付近に赤い道標があり「大樅峠 栢野越」と書かれていたので、そこから植林に入りました。枝打ちした枝が多が積もっている斜面で、最初は道がありませんでした。谷が細くなると道がありましたが、ひょっとすると登り口を間違えたのかも知れません。とにかく歩きにくい植林を登って大樅峠に戻りました。3時間半ほどで一周してきました。

大樅峠の門柳側は台風の後で山林の整備が進み、東側は首切地蔵尊を中心に行楽地となりつつありますが、その間の峠は今や道も消えかかっています。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。

2015年1月14日水曜日

久崎から行く大釜

上月町の大釜には、2014/02/11と2014/03/08に行っています。その時に林道が久崎方面から来ているようだったので、久崎から大釜を目指して林道を歩きました。久崎から佐用川を渡ると、墓地がたくさんあります。人家も多少ありますが、一番奥にあるのは佐用衛生公苑つまりし尿処理施設です。ここから林道が始まります。谷沿いの整備された林道で、谷の分岐にはお堂がありました。しめ縄が張ってあったので、神社だと思いますが、中には小さな祠がありました。道は地形図どうりにいったん西の谷に進み、引き返して斜面を登っていきます。法面は石で補強されていますが、崩落している場所があり、車では通れません。がけ崩れで道が埋まっている場所もあります。なお、お堂の先で折り返さずに谷を西に行く道もあります。昭和44年発行の地形図にはこちらの道が破線道として描かれており、折り返す林道はそれよりも新しいようです。

「松茸山に付き関係者以外の入山を厳重に禁止致します」という久崎部落の注意書きが立っている付近から先は簡易舗装ですが、薄いコンクリートがめくれたり割れたりしています。倒木も増えてきます。しかし道は続いており、2010/5/8に通った鞍部に出てきました。落ち葉で埋まった十字路です。さらに西に行くと三叉路があります。北に行く道は、昭和44年の破線道に一致します。ここは2014/03/08に来た地点です。今回は林道を歩くことにして、地籍図根三角点を右手に、西播東岡山線34鉄塔も右手に見ながら植林の中を歩きました。この鉄塔のあるピークは、昭和44年の地形図では417mピークと記されています。東に延びる尾根への分岐点には、赤い「火の用心」が二つ立っています。そしてそれをさらに直進すると、右手(西向き)に分岐がありました。谷に降りていく道です。竹林の中を降りて行くと右手に溜池と建物がありました(写真)。この建物は作業場のようで、ドッグフードの袋や動物の骨が散乱しており、ハンターが獲物の解体を行ったようです。他にも酒瓶やタイヤ、ポリバケツなどいろいろな物が置いてありました。さらに降りて行くと石積みで平地が作られており、集落の跡のようでした。この付近が抜位かも知れません。さらに南側の高みにはお堂があり、「本尊 千手観音」と書いてありました。平成8年に立てられたようで、赤穂郡八十八ヶ所霊場第八十一番札所となっています。コンクリートの頑丈なものですが、付近には瓦が積まれており、建て直したのでしょう。この付近は2回も来ているのに、これらの建物を見たのは初めてです。

大釜の跡地は見に行かず、さらに林道を歩きました。以前に通った黒石方面への道に出られるかと思ったのですが、道は南の谷へ向かってジグザグに降りていきます。明確な道ですが、草も生えており、道幅も徐々に狭くなり、道の真中に松の木が生えていたりします。最後は両側の木が迫っていて通り抜けるのがやっとになりますが、それでも道には間違いありません。そのまま谷に降りるのかと思うと、斜面を東へ進んでいきます。この道は昭和44年の地形図にもあります。しかし斜面の道なので崩落箇所が多く、歩きにくくなりました。それでも谷側に石が積まれている場所もあり、かつては道だったのでしょう。そして遂には道を見失いました。無理してしばらくは斜面を歩いていたのですが、急斜面で歩きにくかったので、結局は急斜面を谷へ降りました。降りた地点は狭い谷で、岩の上を歩きましたが、徐々に幅が広まり、植林の裾を歩きました。この谷の水は清流とは言えず、かなり濁っています。上流に畑の跡があるからでしょうか?

しばらく谷沿いに歩きましたが、ここも歩きにくいので小さな尾根が谷に突き出ている所で登り返して道を探しました。これは容易に見つかりましたが、東に歩いて行くとまた消えてしまいました。斜面を適当に歩いて行くとまた道がありました。碍子が落ちていたのが不思議だったのですが、この道は千種川の方向へジグザグに降りて行っており、途中で関西電力の「大釜分岐 九 昭二九建 九Mヒ型」と書かれたプレートを見つけました。どうやら大釜へはここから電気が送られていたようです。さらに降りると谷が千種川に出る所には、現在の地形図にある建物がありましたが、半壊しています。明治34年の地形図ではこの地点で千種川に橋が描かれていますが、今はありませんから、ここからは千種川沿いに北の小赤松へ行かなければなりません。昭和44年の地形図では川沿いに破線道があるのですが、現在ははっきりした道はありません。しかしここは崖ではなく、岸には岩場もありますし草の生えた斜面もあるので、なんとか小赤松に辿りつけました。途中にはかつて何かが川を横切っていた時の橋脚の残骸がありました。

昭和44年の地形図では北の401mピーク(現在は390mとなっている)の南の谷から登ってきた道は西播東岡山線34鉄塔のある417mピークの西側を通り、まっすぐに南へ抜けています。この道は現在は残っていません。地形図の地形そのものが古いものと新しいものとでは細部が違っているので、うまく比較ができませんが、2014/03/08の地図と今回の地図を見比べると、大釜と抜位の概要が掴めるような気がします。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。

2015年1月4日日曜日

上所から登った牧山

2011年もそうしたように、新年初めての登山は新宮町の奥小屋にしました。理由はありませんが、比較的姫路から近くて手頃な山だと思ったからです。今回は上所から牧山に登る計画でしたが、2011年と同じく積雪がありました。上所から牧山の方へ延びる尾根はうまく取り付ける場所が無く、谷に行こうにも川に渡した丸太の上を歩く度胸はなく、結局畑を横切って急斜面の藪を登り始めました。森の中にも積雪があって、滑りがちでした。木に掴まってしばらく登ると、少し楽になりました。352mピークで小休止し、あとは緩やかな登りです。444mピークを通り、少しアップ・ダウンしながら積雪を歩きました。主尾根に出て、南東に歩いたのですが、イノシシの足跡を辿っていたら違う尾根に行ってしまいました。ピンクや水色のテープでマーキングがあるので、それを辿れば問題はありません。この先の470m+鞍部は倒木地帯ですが、この付近からは山崎方面が望めました。獣道を辿って北側を巻いて進むと、牧山山頂の少し手前には道標があって、一つは牧山と国見山を指しており、もう一つは北向きで「国見の森駐車場」となっていましたが、「危険です(ベテランコース)」と書き込んでありました。

牧山山頂にも「牧山(505.7m)」と書いた板が立っていました。上比治三等三角点(505.49m)が雪に埋もれていました(写真)。周囲は以前よりアシビが増えたような気がします。下山は少し尾根を戻り、下所の方に延びる尾根にしました。雪でよく分からなかったのですが、この尾根には道があるようです。しかし倒木も多くて、道を歩ける訳ではありません。道は450m付近の尾根の外れから南の谷に向かうようでしたが、谷の様子もよく分からないので、真っ直ぐ急斜面を降りました。この斜面にもジグザクの道があったようです。この後も自然林の尾根で、特に急勾配はありません。431mピーク付近から下も広く気持ちのよい尾根です。問題はその先で、下所へ降りるつもりで最初はそちらに急斜面を降りたのですが、犬の吠える声が聞こえました。銃声らしき音も聞いていたので、下所の谷で狩猟中という可能性を考えて、苦労して登り返して、角ヶ鼻に降りることにしました。適当に斜面を降りて行くと、最後は植林になり、作業道を歩くと民家の裏手に出てきました。南斜面で雪も少なかったので、正解と言えるかも知れません。

さまざまな動物の足跡を楽しめました。また、雪が青く染まっている所があり、何が青いのかと調べると、どうやらヒサカキの実が落ちて雪を青く染めているようでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「三日月」[安志」です。