2014年12月30日火曜日

尾根伝いに行った本郷峠

本郷峠は三日月と山崎を繋ぐ峠で、兵庫県道433号塩田三日月線が通っています。2008/10/18に県道を通って本郷峠まで行ってみましたが、倒木だらけで悲惨な道でした。今でも「通行不能」の看板は出たままなのですが、多少は改善されたことを期待していました。とは言っても同じ目に二度会うのは嫌なので、尾根伝いに本郷峠に行ってみることにしました。

登り口は「右やまさき」という古い道標のある上本郷の分岐です。植林への南急斜面を無理やり登りましたが、尾根に出てしばらく歩くと北側から作業道が上がってきていたので、無理せずに添谷の方から登るのが正解でした。段々になった植林を登ると共同アンテナの残骸がありました。この先も荒れた植林が続きますが、そのうちに荒れた自然林となりました。荒れたと言っても倒木が多いだけで藪はあまりなく、歩くには差し支えありません。尾根が北に向いても様子はあまり変化しません。320m+の鞍部は、作業道が横切っていました。そして焼尾四等三角点(434.55m)へ出てきました。白い杭はあるのですが、杭の周囲に三角点が見当たりません。結局杭の後ろの灌木に隠れていた金属製の三角点を見つけました。

三角点の北は平らですが、かなりひどい藪でした。それを抜けるとまた荒れ気味の尾根歩きですが、自然林なので落ち葉を踏んで歩けます。これだけ長く落ち葉の上を歩ける尾根も少ないでしょう。とにかくひたすら北に歩きました。457mピークもちょっと藪っぽい程度でした。この北は尾根に窪んだ道があります。そして坂を登ると、佐用町と宍粟市の境界の尾根に出ました。これを東に歩くと植林の倒木があって、避けて歩きました。これは序の口で、次の460m+ピークから北側に降りた鞍部は大倒木地帯でした(写真)。毛の薄くなった頭によく見られる髪型のようですが、その中に一本だけ真っ直ぐに立っている木があるのは波平の頭のようです。ここは北側がなだらかな斜面なので、そちらを巻いてなんとか突破しました。しかしその先を降りた鞍部も倒木が多く、乗り越えて進んで、やっと青木四等三角点(396.95m)に着きました。このピークは伐採されていますが、そのために背の高いアシビが茂っており、三角点もアシビをかき分けて探さないと見つかりません。

青木三角点からは南に気持よく尾根を歩きました。途中で作業道になりますが、そのまま行くと東に降りて行きそうだったので、真っ直ぐ南に急斜面を降りて、本郷峠に降り立ちました。山崎側のお地蔵さんは以前のままですが、小屋の屋根がかなり傾いており、倒壊寸前でした。三日月側に戻って県道を下ってみましたが、すぐに植林がたくさん倒れており、道路も崩壊気味で、事態は改善されていないことが分かりました。諦めて2008/10/18と同じように南に尾根を歩くことにしました。ネットがあり、山崎川の展望があり、それから松茸山の荷造りテープが張られているのは以前と同じでした。今年も9月20日から11月30日までは入山禁止と書かれていました。しかし全体に歩きやすい尾根でした。前回は483mピークから雨ヶ岳三角点へ行く道が分からずここから南西の尾根で下山しましたが、今回は適当に斜面を降りて問題なく進めました。ちょっと岩の多い所を過ぎて、なだらかな広い尾根を登って行くと、「菅山振興会所有地」という平成19年の立派な標石に出会いました。山崎にある一般社団法人のようです。そのすぐ先に、杭は倒れていますが雨ケ岳三等三角点(490.06m)がありました。

雨ケ岳三角点から南に歩き、斜面を降りると地形図では破線道が横切っています。2006/12/29には東側の林道から登ってきたのですが、その林道にも気が付かず、西側にあったかも知れない破線道相当の道にも気が付かず、鞍部を過ぎて南の尾根に進みました。鞍部の近くは藪っぽいのですが、登ると歩きやすくなりました。相変わらず落ち葉を踏んで歩けるのが素敵です。広い尾根を町界に沿って歩き、西に少し降りてからまた南のピークに登りました。アップダウンで392mピークに着いてからちょっと戻り、これも幅広い西向きの尾根を降りました。この尾根は地形図で見ると広くてなだらかですが、実際には木が生えていますから広々という訳ではありません。それでも気持よく降りられました。作業道も多少は残っており、最後は小さな祠がありました。中には昭和8年の御札が入っていました。さらに降りて行くと墓地になり、問題なく大内谷の集落に出られました。

以前は軽トラなら通れたという塩田三日月線ですが、開通はまだまだ先のようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2014年12月28日日曜日

宍粟市山崎町塩田の上乃三角点

塩田と上ノの間の山にある三角点なのですが、塩田側から登ったのでこうしておきます。山崎から西に中国自動車道沿いに走り、菅野川と一緒に青木から北に入ると、県道433号線です(これは塩田三日月と呼ばれるくらいで、三日月から通行不能の本郷峠を越えてくる道です)。前回(2010/12/29)と同様にこれを北へ行くと林道丸山線となります。前回無かったものとして、途中に「スリバチ岩」という標識がありました。ちょっと東側に登ると、岩盤をナメて水が流れている場所があり、これがスリバチ岩のようでした。

林道をさらに歩くと、突き当りで道が二つに分かれます。前回はここで真っ直ぐに正面の山に登ったのですが、今回は右の道に入りました。いきなり橋が壊れていますが、歩くには問題ありません。ところどころ舗装されている荒れた林道です。地形図どうり、約1.5km延びていますが、舗装は壊れ気味です。また、途中で左右からイバラの枝が延びており、かき分けるのに困りました。林道の突き当りまで行くと、その先は植林で、すぐに鞍部に出られました。こうして全く問題なしに尾根歩きに移行できました。

まずは歩きやすい尾根で、下草はあまりありません。倒木のある場所では荒れた感じがします。上乃四等三角点(597.30m)を過ぎ、巨木を楽しんだり岩の多い場所を歩いたり、退屈はしません。600mピークを過ぎて、2つ先の570m+ピークからは東側に伊沢川沿いが見えました。水剣山や黒尾山が見えるのもここだけです。512mピークから急斜面を降りると寺西と中野を結ぶ破線道の鞍部に出ますが、ここには小さな石仏があり(写真)、その下の石には天保と刻まれていました。破線道相当の道が植林の中に残っているようです。この南は急斜面で、これを登ると開けた場所に出て、霧ケ坂三等三角点(537.23m)を見つけました。ただし三角点から東方向はひどい倒木地帯です。雨も降ってきたので、南西の尾根で下山しました。こちらも少し倒木がありますが、降りやすい所を降りて行くと、最後はやや急斜面となりましたが、下に林道が見えました。この付近には林道が多く作られており、霧ケ坂三角点のすぐ南にも林道が見えていました。林道で問題なく塩田に降りました。

塩谷は「塩田城跡」という道標があり、実際に城跡のようなものがあります。関所の交番のようなものかも知れませんが、小寺氏由来の城だったそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「土万」」です。

2014年12月21日日曜日

三日月の北の山

佐用町三日月の大乗山から北の山には、林道三日月本郷線が開通しており、上本郷まで林道歩きで行けます(2007/10/28)。林道歩きではつまらないので、林道の西側の山を歩きました。本郷川沿いに湯浅という地名があり、ここで尾根が本郷川にせり出しています。湯浅のあたりでは山はトタン板で囲われており、入りにくくなっていますが、尾根が川に突き出した場所からは山に入れます。とは言えここは急斜面なので、木につかまって登りました。地形図では標高210m+に平地が描かれていますが、ここは西の端は植林になっています。コンクリート製の小さな祠が置かれていました。東に歩くと倒木もあり、やや歩きにくい場所もありますが、すぐに歩きやすい尾根になりました。しばらく行くと石が積み上がっている場所がありました。わりと平らな場所で、石が転がって落ちてきたとも思えません。積まれたと思われる石積みもあるので、切通だったのかも知れませんが、どちら側にも道は確認できませんでした。ここからも自然林の尾根が続き、落ち葉を踏んで歩けました。幅の広い尾根で、341mピークから尾根は少し北に曲がります。尾根が細くなると、登りになり、370m+ピーク付近に出てきます。ピークを見てから(見るものは特にありませんが)、植林を北東に歩きました。再び少し登って372mピークに着きました。ここを少し東に行くと、林道が尾根を横切っていました(写真)。この尾根は東のたつの市と佐用町の境界の尾根から延びてきており、林道はどこかでこれを横切らねばならないのですが、もっと低い鞍部が東の方にあるのに、なぜここまで来て横切るのか、よく分かりません。ただしここでは尾根が細いのは確かです。林道で下山するのはつまらないので引き返して、真西へ歩きました。これも歩きやすい尾根で、徐々に標高が下がると道がありました。最後は江戸時代の墓があって、本郷川沿いに降りてきました。

3時間ほどの山歩きで、標高も低いのであまり山登りをしたという印象はありませんが、下草がほとんどなく、抜けるのが難しいような藪もないので楽しんで歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「三日月」です。

2014年12月14日日曜日

朝来の物部山

朝来には物部という地名があります。古代の有力部族とどのような関係があるのかは分かりませんが、とにかくその村の西の山が物部山です。まず、入域禁止の竹田城址への道から大路ダムへ向う道に入り、古い道しるべ(ほとんど読めませんが『右 たきのや おう屋 道  左 者り満(はりま) 道』と書いてあるのだそうです([1]))のある交差点から大路ダムの方へ少し登り、山側がコンクリートの壁になっている所の手前で道からそれて、山に入りました。急斜面の植林を登って行きました。作業道の名残りがあり、登りやすくて助かりました。尾根に出るとやせ細った植林が密集しており、少し登ると自然林になりました。海抜200mくらいの所で振り返ると竹田城趾が見えました。距離から言えば川向うの立雲峡よりも近いくらいですが、南側から見ているので全容が見えないのが残念です。この付近からは切り開きがあって、楽に歩けました。地形図で見ると平坦な尾根が延びていますが、実際にはアップダウンがあります。

金属プレートの大路日後四等三角点(436.47m)はネットの向こうにありました。ちょっと南に展望があります。切り開きはしっかりしており、快調に歩けました。海抜530m付近からも竹田城趾がよく見えました。かなりの遠距離ですが、少し見下ろす格好になるので城全体がよく見えます。写真は少し上の560m付近から撮ったものです。614mピークには森林開発公団の赤い境界見出標がかかっていました。そして落ち葉を踏んで気持よく尾根を登ると、図根三角点のある630m+ピークに出ました。周囲は伐採してあるので南北に眺めが良く、残念ながら竹田城趾は見えませんが、気持ちの良い場所でした。さらに尾根を登って行くと竹田城趾の見えるスポットがあり、その上で700m+ピークに出ました。ここには2013/11/09に八代峠から来ています。北に少し主尾根を歩くと、物部山三等三角点(707.51m)がありました。物部山が旧養父町、和田山町、朝来町の三町境界の700m+ピーク([1])なのか三角点山かは分かりませんが、気持ちの良い尾根です。

下山は700m+ピークに戻り、614mピークまで降りて、そこから南東の物部に向かいました。この尾根も落ち葉の上を歩ける気持ちの良い場所ですが、降りて行くとなんとなく狭苦しくなりました。最大の原因は尾根を二分するネットで、かなり壊れているとは言え、心理的にはとても邪魔です。いちおう道が付けられており、途中には竹田城趾の見える所もあります。標高が下がると自然林の倒木が増えてきます。最後は地形図の破線道を目指したのですが見つからず、適当に尾根を降りて行くと荒れた道がありました。点々と石仏が置かれており、西国三十三所めぐりができるようです。最後は高峰寺に降りてきましたが、降り口には「物部遊歩道入口」と書かれた札が立っていました。破線道を探すよりも、南の尾根に行って物部城趾を見るか、いっそ途中から北に行って273m地点経由でカクシ谷林道に降りるというルートもありと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。

2014年12月7日日曜日

南から登った当田山

地形図で「のの字」に描かれているトンネルのある道([1])から、当田山に登ってみました。出発点は安富町三坂です。護持峠から西に下り、細い旧道に入ります。新しい峠道が余りにも立派なので、旧道の細さに驚きます。人家の所から北に谷を登って行きました。コンクリート舗装の道を登ると水道施設のようなものがあり、行者様(?)を拝むと、トンネルに出てきました(写真)。しっかりと作られたトンネルで、確かに上を道が越えています。当然考えるのが、なぜこのような構造にしたかです。このトンネルの奥は岩盤です。ぐるっとトンネルの上を廻った道は岩盤の中腹を登って行きます。もともとの岩盤がどうなっていたのか、今となってはよく分かりませんが、まっすぐに岩盤を登って行くと急勾配になり過ぎたのでしょう。この谷には当然水流もあり、こちらはトンネルの西側で道の下を潜っています。

トンネルを過ぎて落石の多い道を更に登ると、堰堤がありました。銘板はすり減って読めないのですが、ひらがななら「そま谷堰堤」だろうと思います。昭和31年に建設されており、トンネルはこの堰堤建設のために作られたのかも知れません。この先で道は終わっています。予定ではここから西側の尾根に登るつもりでしたが、伐採して草の生えた急斜面で、登る気になりません。結局倒木の間を抜けて正面の尾根を登りました。急斜面ですが登り易く、少し登ると平らになってきて、主尾根に出ました。ここは以前に来たことがあります(2007/09/09)が、相変わらず倒木が多い場所です。

西に少し歩いてから、南の452mピークに行ってみることにしました。急斜面を降りて南に向かう尾根に乗りました。ちょっと岩場もある尾根で、林田川方面が見えました。452mピークには三角点もありませんが、気持ちの良い場所でした。主尾根に戻ってさらに西に歩きました。この附近は木の間隔が広く、気持ちよく歩けました。黒谷三等三角点(493.63m)のある当田山のピークも広く、南に展望があります。この附近からは北の安志も見えます。更に少し西にピークを歩いてから、東に取って返しました。

まず来た尾根を戻り、そのまま東に進みました。こちらの方向は、2007/10/13に歩いています。488mピークの北側は植林の倒木がありますが、避けて歩けました。北から東に向きを変えると再び倒木があり、ここは北側を巻いて進み、三坂四等三角点(477.74m)に出ました。この付近は倒木も少なく、楽に歩けました。ただしアップダウンは多いので、けっこう疲れました。広くて迷いそうな尾根を通って439mピークに来ると、東側に木々の間から砂利採掘場が見えます。この後もアップダウンの繰り返しですが、歩きにくい場所はありませんし、迷いやすい場所もありません。無事に414mピークに来て、さらに護持峠を目指しましたが、どんどん急斜面の岩場になっていきます。足もとは砂状で滑りやすく、気を付けて降りました。最後は護持峠の切通の上に出ました。南側の旧道は法面に吸い込まれて消えています。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安志」です。

2014年12月3日水曜日

篠ヶ峰南西の尾根

多可町と氷上町の間に位置する篠ヶ峰からは、いくつか尾根が延びていますが、そのうちの一つは南西から南に伸びて、これら2つの町界となっています(正式には多可郡多可町と丹波市氷上町の境です。さらに南に行くと、丹波市山南町となります)。この長い尾根を歩いてみようと思いました。登り口は、2014/11/22に降りてきた山南町西谷にしました。

花の苗を作っているビニールハウスの前にある「台風12号による災害のため通行不能」と書かれた害獣避け扉を開けると、いきなり道がふた手に分かれています。左は大海山の南の牛坂峠を越して牧野方面に行く道です。山南町小畑に近い道路沿いに「牧山の牛若さん」という説明文が立てられており、牧山(山南町側)と牧野とは交流があったようですが、牛坂峠から西側の道は消えてしまったようです(2013/01/26)。今回は北側の道を選びました。しばらく舗装道路を歩いて行くと、「右をみさか 左かはさか」と書かれた石の道標があります。「をみさか」は大海坂、「かはさか」は樺坂でしょうか?「かはさか」の方向には人家がありますが、ここは「をみさか」に向かいました。この道は兵庫県道293号門村山南線ですが、「コバトコ」と書かれた青い標識(地名らしい)のある、かつて祠があったらしい場所から先は、道が怪しくなりました。土砂崩れなどで埋まっている所があり、気を付けないと迷ってしまいます。それでもかつての道の跡は確かにあり、それを辿って登って行くと、峠の手前にお地蔵様がありました(写真)。ちゃんと屋根も架かっていますが、石に刻まれた文字はほとんど読めません。

さらにちょっと登ると、赤い「火の用心」の立っている峠に出ました。ここから北に歩きましたが、この主尾根は関電の保守路となっていますから、よく整備されています。まず播磨中央線66鉄塔がありました。多可町や、多可アルプスが見渡せます。ここには小野山四等三角点(482.58m)もありました。近くには共同アンテナの残骸もあります。この先も落ち葉を踏みながら歩ける気持ちの良い尾根で、十分な幅の切り開きがあります。播磨中央線67からも多可町が見渡せます。そのうちに播磨中央線は東に行ってしまいますが、歩き易さは変わりません。552mピークを過ぎ、530m+ピークの次の鞍部には、多可町側から道が上がってきているようです。この付近の木には、「キ」のような赤い字がペンキで書かれています。キの横棒の本数が木によって違っています。この先は長い尾根歩きで、594mピークを過ぎ、切り開きは狭くなりますが、藪にはなりません。小屋ケ谷四等三角点(655.51m)は、なぜか西寄りの斜面にありました。そして691mピークを過ぎ、篠ヶ峰の通信塔が見えてきて多可町地籍調査の地籍図根三角点を過ぎ、鞍部に降りると西側から林道が登っていました。斜面を登ると奥多々良木線36鉄塔が立っていました。尾根上にあるので送電線が低く、手が届きそうでした(届きませんが)。

この鉄塔の前の鞍部では、東の谷に降りて地形図の破線道で帰ることを考えましたが、破線道が存在するか確信がなかったので、谷の奥を回ることにしました。関電の37鉄塔への巡視路も尾根を回っています。道は落ち葉が気持よく、文句ありません。急坂を登ると「火の用心」が3枚も立っている地点に出ました。2013/04/08に来た道を逆に南に向かいました。黒いプラ階段が続く巡視路で、奥多々良木線37鉄塔に出ました。この先も岩屋山方面に向かいましたが、徐々に車を置いてきた西谷からは外れていくので、途中で意を決して南西の尾根を降りました。地形図では距離も短く勾配も大したことはないのですが、まっすぐは降りられず、作業道を探して南の谷に出てから破線道のある谷に降りました。この付近の谷は倒木で埋まっているわけではないのですが、それでも谷は歩けません。幸いにして谷の西側に小道がありました。斜面に付けられているのでいかにも崩落しそうですが、意外としっかりと続いており、谷に岩が突き出ている場所では上の方を越えています。地形図で見ても谷ではなく斜面に描かれていて変だと思ったのですが、実際に谷よりはかなり上の斜面に付けられていました。とはいえ荒れた道であることに違いはありません。最後は地形図に水色の川が描かれている付近で一旦急斜面を谷に向かって降りなければならなくなりましたが、谷に降りる前に再び斜面に道があり、川沿いに歩けるようになりました。この付近でも崩落はありますが、道があるだけありがたいと思わねばなりません。地形図の実線道に出ると、そこからは林道となりました。

多々良木線36鉄塔の手前から谷に降りても、おそらく小道があったものと思います。それが正解かどうかは、分かりませんが。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。