2022年3月30日水曜日

上郡アルプス縦走路で行った板場峠

 


上郡アルプス縦走路は2022/03/16と2022/03/20に歩いています。全長が40km近くある縦走路なので、この3回目でだいたいカバーするというのが目的です。2022/03/20には上郡から岩木山まで歩いたので、今回はその西側を歩きましたが、歩きはじめは岩木山よりもずっと東の鳳張峠にしました。登山口は北の船谷ですが、水道施設が山の中腹にあり、そちらに道がヘアピンカーブする地点に、「西播磨の山城へGO」の幟が立っていました。ここからは整備された登山道でちょっと登れば鳳張峠です。お地蔵様が2体あります。ここから2022/03/20と同様に西に歩き、鳳凰山から航空機ビューポイントを通って岩木山に着きました。岩木山三等三角点(344.08m)と眺望を過ぎて、今回はここから更に西に歩きましたが、標識では岩戸まで10kmとなっています。ここまでと同様の整備された道が続き、ツヅジも咲いていました(写真)。アップダウンの少ない単調な山道で、標識はたくさんあるので迷うことはありません。途中に岩木の大山桜があったはずなのですが、見落としました。鞍部に大きな水たまりがあって、少し登って道案内に従って平倉四等三角点(348.94m)に着きました。


この付近からは少し道は荒れ気味になりますが、道標やマーキングがあるので迷うことはありませんでした。似たような林が続くのでだんだん飽きてきましたが、気を抜くとマーキングを見失います。374m地点付近からは2011/01/15と同じコースとなります。そして、整備された道に飽きてきたので縦走路からは外れて、そ2011/01/15と同じように小屋尾三角点に向かいました。こちらは倒木処理ができていないだけで、道はあります。小屋尾四等三角点(404.53m)は前と変わらず藪っぽい所でした。この先も道はあったかも知れませんが、大きな障害物のない山なので適当に藪を抜けて北に降りました。谷筋を降りて、降りた所が地形図の破線道の谷かと思うとそうではなく、実は2014/01/18に迷った谷で、西にさらに谷を降りて、南の皆坂(北にも皆坂がある)から延びる破線道の谷に出ました。道こそありませんが広い谷で、北に遡っていくとさらに広い場所に出ました。谷は西に向かいますが東に斜面を登ると、350m+の鞍部に出て、上郡アルプス縦走路に戻りました。かつての「あせびの丘」の道標は倒れて読めません。この鞍部は2014/01/18のように北に降りれば岩戸に降りられるのですが、縦走路は北に向かっています。歩いて行くとどんどん西に向かうので心配になりましたが、縦走路の表示がときどきあります。そして県境の板場峠に着きました。ここは2014/01/18には何も説明がなかったのですが、備前・佐用・上郡の三郡の界と書いてあります(GPSでは界はもう少し南では?)。明治15年のお地蔵様があり、その後ろの石積みはこの付近ではよく見ますが、お地蔵様はこの上に立てられていたのではないでしょうか?今は大きな木が石積みの真ん中に生えています。


板場峠からは2014/01/18の逆コースです。その時には尾根を歩いていましたが、今回は整備された縦走路を歩きました。途中で尾根に上がって滝の上三等三角点(445.47m)を見ました。佐用ハイキングコース選定の会の空山という立派な杭が建てられていました。そのまま県境を歩くのかと思うとそうではなく、東に尾根を降りていく道があり、眺望の良い岩場を降りると近畿自然歩道に出ました。ここは2014/01/18には竹が倒れて藪になっていた所で、ここからは自然歩道を降りて、ちょっと楽しげな感じのする皆坂を通って岩戸に降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上郡」です。



2022年3月27日日曜日

神河町の南小田から登った成ト三角点

 


2021/9/25と2021/10/16に長谷や犬見川から高峰や太田ダムに登った時に、山頂付近に南に向かう林道があり、南側から来ているのかと思っていました。しかし2011/06/04にこの付近を歩いたときは、南に降りていく林道を確認していません。ということで南側小田原川沿いの南小田から登ってみました。集落の北に林道の入り口があります。扉を開けて広い林道を登るとミツマタの花が咲いていました。周辺は植林ですが、この道は堰堤を過ぎると細くなり、その先は道の真ん中にミツマタが咲いている有様でした。結局南から登る林道は無いのだろうと結論して、植林の作業道を探して登りました。地形図の破線道を予想していたのですが、歩きやすそうな作業道を探しながら歩くと、ひとつ西側の谷に入り込みました。かなり急な谷で、両側も急斜面なのですが道は流れを何度か渡りながら続いていました。私が歩いた道が正解かどうかはわかりませんが、意外と踏み跡は消えずにずっと続きました。最後に谷の突き当りまで来ると流石に岩が増えてきて作業道は不明瞭になりましたが、頑張って急斜面を登り、尾根に上がりました。ここは標高890m付近です。


尾根を西に歩くと、林道の終点に出ました。この林道は836mピークの東側を通って北に行きます。途中に西に向かう分岐がありました。そのまま歩くと林道は終わってしまいましたが、植林の中なのでそのまま北に行って伐採地を抜けて、金属プレートの成ト四等三角点(821.42m)に着きました。伐採地なのですが、意外と良い雰囲気です。三角点からはいつものように南東に尾根を降りましたが、そのまま降りていくといつも通りなので、途中から植林の広い谷を横切りました。細い水流をいくつか渡ると林道に出ました。最初の林道からの分岐のようです。これは良く整備された林道でした。2011/06/04に歩いた南東に延びる尾根の北側に作られており、長く続いています。途中で北に分岐がありました。そのまま尾根沿いに南東に歩いて行くと、最後は東に向かった所で終わっていました。尾根に上がって南に歩き、南小田1三等三角点(776.44m)に着きました。南向きの展望は素晴らしく、天気が良かったので瀬戸内海まで見えました(写真)。


三角点からは南東の峠を目指して斜面を降りました。地形図で見るとかなり急な斜面なので、苦戦を覚悟していたのですが、ここには尾根からずっと続いているネットが張られていました。どんなに急でも、少なくともネットを掴んで降りることができます。場所によってはネットしか掴むものがないこともありましたが、木の生えている所もありました。一番急斜面は標高650mから700mの間ですが、ここは岩の多いところでした。それを過ぎると自然林になり、最後に植林になるとネットも終わりました。そのまま降りると峠でした。はっきりした道が通っているわけではなく、「水源かん養保安林」の杭が立っているだけでした。峠からは西側に谷を降りました。少し降りてから北側を探すと地形図の破線道に相当する道がありました。かなり流されており、特に谷では消えてしまうこともありましたが、ほぼ辿ることができました。地形図の破線道よりは北寄りの斜面を通っていました。最後は谷側に石が積まれ、足元も石が敷かれた立派な道になりました。かつて神社があったのかも知れません。降りてきたのは堰堤で「クズリ谷川砂防堰堤」でした。大きな扉を開けて外に出て南小田の集落にもどりました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」です。



2022年3月20日日曜日

上郡の山野里から岩木山

 


上郡の岩木山には2011/01/23に南の名村から尾根伝いに登り、岩木山から東に縦走して鍛冶三角点から下山しました。上郡アルプス縦走路も整備されたことですし、もう一度行ってみることにしました。今回は縦走路を使うことにして、上郡駅近くの山野里から登りました。マーキングは十分にありますが、最初は山裾を強引に登る道で、ロープもありますが登山道らしくありません。しかし尾根に上がれば快適な縦走路となりました。この付近、尾根に階段状に石積みがあるのですが、耕作地だったのでしょうか?しばらく登ると山野里四等三角点(192.47m)に着きました。山頂の板では羽山三角点となっていました。上郡駅の方向は木が伸びて見えにくくなっていました。


ここからは2009/12/29に生駒山に登った時の逆コースです。展望の良さは変わっていませんが、アンテナが撤去され(ケーブルは残っている)、急斜面にはロープがあり、ピークごとに山名が表示されていました。小美女平(200m)、鉄塔跡があって大観峰(280m)、そして大鳥山(281.7m)で生駒山からの登山道と合流します。ここに苔縄25Kmとありますが、これは先日歩いた市原から愛宕山のコースでしょう。そんなに歩くつもりはありませんが、北から西に曲がって智頭急行の釜ヶ谷トンネルの上を歩いて鍛冶四等三角点(276.77m)(標識には鍛冶山三角点と書かれています)に着きました。ここは方向を間違えやすい場所ですが、紐が張ってあって間違いようがありません。ここからも軽快に歩ける尾根で、シダ藪だった以前とは大違いです。展望もあります。岩場も少しあり、船谷山(217.8m)から鳳張峠(199.2m)に着くと、以前は倒れていたお地蔵様2体が修復されていました(写真)。離れていた頭部も載せられています。北には岩木下山道となっており、西へは大聖寺山城跡となっていて、「西播磨の山城へGO」の幟が立っていました。


ここまでは比較的平坦な長い尾根歩きでしたが、登りになって次のピークは鳳凰山(310.5m)でした。相変わらず整備された道で、2009/12/29のシダ藪漕ぎとは大違いです。岩木山の手前には「航空機ビューポイント315m」があって、飛行機の時刻表が貼ってありました。岡山行きの飛行機が見えるようです。もちろん北向きの展望もありますし、南に海まで見えていました。そして岩木山の山頂も以前とは大違いで切り開かれており、南に展望がありますし、岩木山三等三角点(344.08m)もシダに埋まっていません。前回は岩木山から鍛冶三角点まで2時間かかっていますが、今回は1時間もかかっていません。


下山は東に戻り、大聖寺山城へ向かいました。こちらも道が整備されています。北の250mピークにはブルーシートが張られていましたが、何でしょうか?258mピークの大聖寺山城の手前には深い切堀があります。降りて登るのが大変なくらいです。岩を削ったとしか思えず、大変な努力です。山頂は広く平坦です。ちょうど見学会が行われていたので、山頂を南に通り抜けるのはやめにして切堀から急斜面を東に下りました。いちおうマーキングがあり、地形図の破線道と思われる道まで降りて、それを南に歩いて下山しました。斜面の道なのでかなり削られていますが、消えることはなく、地形図通りに南東に向かう尾根に出ました。地形図の破線道は途中で西に曲がっていますが、尾根に道があるのでそのままシダの間を降りていくと、ここにも送電線の鉄塔の跡がありました。が、道は鉄塔の南側を通ってさらにシダの中を抜けて行きます。その後は灌木の間に黄テープのマーキングがあったのでそれに従って降りると岩場があり、山陽本線を見るには絶好のポイントでした。さらに降りると建物があり、中には何もありませんが、かつては十一面観音が祀られていたのかも知れません。そのまま降りると細い川ですが、赤い鉄の橋があります。これは西方寺石造宝塔を見に行くためのものです。この宝塔は1298年造立と古いものですが、彫られていたらしい文字はほぼ消えていてよく読めたものだと思いました。橋を渡ると墓地で、県道90号線に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上郡」です。



2022年3月16日水曜日

上郡の河野原三角点から愛宕山まで一周

 


2010/05/04に智頭急行線の河野原円心駅の西側の山を歩きましたが、その時は出会った道が船岩方面から来ていることを確認しただけで、実際にそちらには行っていません。今回は船岩方面へ歩き、南の峰尾池付近を通って愛宕山から下山する長いコースを歩きました。


登り口は2010/05/04と同じく「赤松橋ふれあい公園」ですが、公園の入り口にはネットがあり、公園も荒れていました。登り口の階段への扉は以前は簡単に開いたようですが、今回は4つも針金を外す必要がありました。しかし登り始めれば以前と同じで快適な尾根です。ベンチがあり祠があり、さらに歩いていくと横山四等三角点(119.25m)があります。この細尾根は木々の間から両側に千種川が見えます。登りですが急斜面ではなく、木の間隔も広くて歩きやすい尾根です。354mピークの手前では少しシダが生えていますが、大きな問題ではありません。しかし354mピークを過ぎると西側に金網が現れ、標高360mでは金網のフェンスに行く手を阻まれました。前回にはこんなことはなかったと思います。幸いに金網の固定が悪い所があって中に入れました。入ってみると砂地に広い道があり、低い松が生えています。感じとしては、一度更地になった後に松などが生えてきたのではないかと思います。かつては広い道だったと思うのですが、松が茂っていて、それをかき分けて歩いた場所がたくさんありました。河野原四等三角点(410.21m)の周囲は以前と同じで道が取り巻いていますが、その中は灌木の強烈な藪です。高い木はなく、松などの低い木ですが、かき分けるのが大変で、しかもイバラが混ざって生えています。悪戦苦闘して藪を抜け標石を見つけました。白い杭が立っており、前回見つからなかったのが不思議です。しかし切り開きも何もなく、藪に埋もれていました(写真)。


この付近は前回は見晴らしが良かったのですが、松が邪魔になってきました。道は赤っぽく真砂土のような感じです。どちらに歩くか悩みましたが、正解は三角点から東側を北上する道でした。ここからは長い林道(?)歩きです。途中にはナンバープレートの無い自動車が何台か捨てられていました。船岩の養鶏場には近づかないようにしましたが、匂いは十分伝わってきました。道はたくさんありましたが、船岩の南になるべくダイレクトに行けるようにGoogleの航空写真で位置を確認しながら歩きました。最後は養鶏場の南に出てきて、ここは航空写真では広い空き地のように見えたのですが、実は伐採地で枯れ草が茂っていました。しかも地形は削られたのか凸凹で歩きづらく、植林の端を歩きました、植林を西に登って降りると道に出てきました。北にはソーラーパネルがあります。工事の後らしく、ユンボなどが残っていました。


この道を南に歩くと西に曲がり、大きな扉(開いていた)があって、地形図の道に出てきました。そのまま降りれば市原ですが、途中で東に入って(すぐに養蜂箱があった)南に向かって歩きました。これは古い道のようでした。450m+の小ピークを東に巻いて447mピークとの鞍部に出ると、「上郡アルプス縦走路」と書かれていました。歩いている方向は峰尾山だそうで、これはラッキーでした。整備された道です。周囲も木がまばらなのでどこでも歩けそうでしたが、迷う可能性もなくピクニック気分で歩けました。峰尾山への登りはちょっと急でしたが、登れば峯尾四等三角点(423.91m)がありました。展望はありません。ここで縦走路とは別れて、南東に広い尾根を降りました。木の間隔は広いのですが、方向が定まらずフラフラと降りて行くと、なんとなく踏み跡があるようでした。そのまま峰尾池の北側を歩きました。整備された道ではありませんが、途切れることはありません。途中に「境界」の標石がありました。峰尾池は全く見えません。そのまま南東にやや藪っぽくなった斜面を少しずつ登っていき、尾根に出ると「この山の茸を取ることを禁ず」と書かれた板があり、「上郡アルプス縦走路」もありました。縦走路は峰尾池の南側を通っているようです。苔縄の方向に歩くと、愛宕山に着きました。轟山三等三角点(410.72m)があり、展望も良好で千種川の下流方向が見えます。尾根を東に歩いて369mには神社(愛宕社?)があります。ここは苔縄城の跡という説もあるようです。ここからは急斜面をジグザグに降りましたが、トラロープもあって助かりました。階段はちょっと邪魔でした。途中からも千種川が見えます。2009/12/26に来た時よりも良く整備されていました。最後は赤松小学校の駐車場に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★ 河野原三角点には行くべきではない

地形図は「上郡」「上月」です。



2022年3月12日土曜日

美作市の大聖寺三角点

 


美作市の大聖寺は、佐用町との境のすぐ西にありますが、その西側の山を歩きました。登り始めは美作市の吉野川・県道5号線沿いの小ノ谷です。ちょっと見上げると小高い所に宝篋印塔があるので見に行きました。近寄りにくくて詳しくは調べられなかったのですが、近くの石碑には文久二年とありました。そこから山の方に行くと扉があり、抜けると墓石が点々とありました。江戸時代のものもありますし、五輪塔もありました。この付近から斜面を登りました。急斜面ですが下草はなく木に掴まるほどでもないので楽に登れました。登ると標高300mほどで、このあと今日のコースはほぼ平坦でした。


下草はなく、枝も張り出していないので歩きやすい尾根でした。ちょっと岩があることもありますが、雑木林か若い植林です。350m+から降りた所の北側に地形図では破線道がありますが、ここは植林で道はありません。さらに北東に歩き、370m+は倒木だらけでしたが、その北東には六角形の花壇が5個あり、枯れた背の高い草が生えていました(写真)。Googleマップの航空写真でも見えます。昭和52年に作られたもののようですが、目的は不明です。ここからは南には降りる道がありますが、まず北の藪を降りて作東吉野テレビ中継放送所のアンテナを見に行きました。ここには地形図通りに南から道がありました。北へ降りる方向には電柱がありますが道は不明瞭でした。


花壇まで戻って南に降りると、ここにも六角形の花壇が2つあり、植えられているのは枯れていましたが雑草ではなさそうでした。この先も南向きには道がありましたが、斜面を登って大聖寺四等三角点(384.87m)に行きました。周囲は若い植林です。そのまま南に歩きましたが、しばらくは広い尾根でどちらに歩いてよいのか悩みました。GPSを見ながら適当に歩きましたが、障害物がないのでどうにでも歩けてしまいます。南に行く尾根にたどり着くと、道らしきものがありました。ちょっと倒木がある程度の尾根ですが、どちらにでも歩ける分だけ迷いやすく、何度か方向を修正して保木谷の北の尾根を南西に歩きました。ちょっと北に曲がると、頭が少しだけ出ている大内谷四等三角点(337.11m)に着きました。周囲は雑木林です。


西に斜面を降りて岩のある少し急な斜面を登るとまた広い尾根で、注意して西方向の尾根に向かいました。この尾根には踏み跡があり、藪っぽくなったと思ったら峠に着きました。ここには小ノ谷配水池というコンクリートの塊と、嘉永2年の大きなお地蔵様がありました。だいぶ傷んでいますが、岩辺村と小ノ谷村が建てたようで、よく読めませんが「為牛馬往来安全」と彫られているようです。確かに吉野川が大きく蛇行しているのでこの峠は重要な道だったのでしょう。ここからは昔の道で小ノ谷に戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「佐用」です。



2022年3月5日土曜日

上郡町黒石の尻木三角点

 


正確に言うとこの三角点は佐用郡佐用町にありますが、一番近いのは黒石です。とにかく北の秋里川から登りました。円光寺から狭い県道368号線吉永下徳久線を南下し、北のゴルフ場方面への道の入口に車をとめて南に歩き、林道に入りました。整備された林道ですが、最初は両側とも急斜面の植林です。道が川を渡ってしばらく歩くと右手の小さな谷の下に赤い「火の用心」が立っています。ここから急な細い谷を登りましたが、巡視路なので黒プラスチックの階段があり、楽に登れました。登り終わると林道に出ますが、右手を見ると林道の終点にまた赤い「火の用心」がありました。これも急斜面ですがプラ階段で登れます。その先の斜面の道は流されかけていますが、問題なく登れて西播東岡山線三九鉄塔に着きました。ちょっと展望があります。少し南に登ると、新設らしい金属プレートの中坪四等三角点(295.06m)がありました。


ここから南に尾根を歩きましたが、林道がたくさんあります。南に向かう尾根の両側に林道があって、鞍部に来ると交差していました。ただし地形図の破線道とはほとんど一致しません。林道を歩いた所もありましたが、ほとんどは尾根を歩きました。下草がなく、少し枝と倒木が邪魔なくらいで、楽に歩けました。そして林道がヘアピンターンをしている谷に出ましたが、ここは2014/03/08の下山時に出てきたところです。ここからは植林の道を登って2014/03/08のルートを逆に歩きました。414m地点を過ぎて、前にも見た囲われた植林を過ぎ、そのまま北に行きました。ここは北斜面が伐採されていて広く北に展望が広がっています(写真)。この北に少し斜面を降りた所に新設の尻木四等三角点(393.48m)があるはずなので探しました。作業道の名残のような道の脇にありましたが斜面なので見つけにくい場所でした。


三角点から南に戻って、再び東に歩きました。これは車の轍があり、黒石方面に向かうようでしたが、すぐに佐用町の地積図根三角点があり、北に分岐がありました。こちらに向かうとすぐに右側(東側)にお地蔵様があり、下に「左くろいし 右しんじく」と書いてありました。天保15年のものです。この道標の位置はおかしく、おそらく轍のあった道に北向きに置かれているべきだと思います。この道はしばらく続きますがさらに東に曲がっていき、2014/02/11 に登ってきて墓地を見つけた方向に行っていました。今回はそのままその時に登ってきた北の方向に向かいましたが、谷の伐採された西斜面の作業道を見つけてそれを歩きましたが、途中で谷に降りる道があったので降りました。これは間違いで、この谷は荒れていました。踏み跡はあるのですが、ススキが茂り倒木があり、ジャケツイバラがたくさん生えています。結局まともな道になったのは2014/02/11 に鉄塔から降りてきた付近でした。溜池付近には岩手富士産業のCT-20H型バックホートラクタが放置されていました。その北には赤い「火の用心」があって36 37は登りとなっており「車まココまで あるけ30分ぐらい」と書いてありました。36と37は2014/02/11に通っていますがジャケツイバラが多かった谷の両側にあります。ここから尾根に上がれという意味ではなく、林道を歩いて登れという意味でしょうか。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「上月」です。