2023年3月31日金曜日

山崎町上ノの都多三角点

 


何度か歩いている山並ですが、都多三角点には行ったことがないので、上ノ下の付近から登ってみました。山裾に墓地を見つけたので、そこから植林を上がっていきました。黄色と黒の二重のネットで囲まれた場所があるのですが、黄色い方は地面に固定されていないので、黄色を持ち上げて黒を跨いで通り抜けました。南側に林道の終点があり、部分的に伐採作業が行われたようです。急斜面ですが踏み跡もあり、大きな障害物はなく登れます。周囲はすぐに自然林になりますが、「上ノ上生森」の杭が目立ちます。1時間もかからず550m+に着くと、尾根に黒いネットが張られています。この付近は2010/12/29や2014/12/28にも通っています。ネット沿いにちょっと下ってまた登りです。登り続けて670m+ピークに達しますが、この付近は斜面に踏み跡があったのでそれを歩いていたら北の鞍部に上がりました。この稜線は植林も自然林も木の間隔が広くて気持ちの良い場所です。729mピークを過ぎてあとはアップダウンの繰り返しですが、次の710m+ピークからネットが張られています。ネットの西側を歩くのが正解のようでした。この先の自然林もアップダウンしながら気持ちよく歩けて、728mピークを過ぎ、またアップダウンしながら東に曲がり、植林と自然林の境界を降りて行くと、林道細野白口線に出ました。舗装された良い道ですが、ちょっと幅が狭いのであちこちに待機場所が作られています。


林道の法面は登れないので、少し林道を北に歩いてから尾根に上がりました。この付近は植林で、南側にはダートの林道がたくさん作られています。まず720m+まで登り、南東に歩くと自然林から植林になりますが、広々した場所です(写真)。植林を抜けてジグザグに曲がった尾根を歩くと都多三等三角点(748.11m)に着きました。さらに東に尾根を歩くと間伐材の転がった歩きにくい斜面になり、降りると地形図では破線道が横切っている鞍部です。道はありませんが、南側の植林は幅が広いので降りられそうな感じでした。しかし降りずにまた間伐材だらけの斜面を東に登り、少し歩きやすくなった尾根を南向きに歩きました。途中に東向きの尾根があって歩きやすそうだったのですが、林道に出ようと南に降りていきました。倒木もあり、少し藪っぽくもなりました。そして597m地点まで降りると共同アンテナの残骸がありました。この先も更に南に下りましたが、地形図で急斜面になっている付近は岩場で降りられないので、西側の斜面を降りました。ここも間伐材が多く、急斜面なので降りるのは大変でした。徐々に谷の中央部に移動していき、結局広い谷の真ん中を降りていって、林道細野白口線に出て下山しました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「千草」です。



2023年3月28日火曜日

美作市大原の東の東町三角点

 


2023/3/22に大原から大坪三角点まで歩いた時に、もっと北の山も歩きやすそうだったので、行ってみました。まず大坪三角点に、北の川東から地形図の破線道で登ってみました。国道429号線から、内側からはとても閂を掛けにくい扉を通り、谷沿いの道を登りました。周囲は植林で、花粉の季節なので黄色い粉末が漂っていました。この川は奥の谷川という名前です。堰堤があり、道は徐々に怪しくなり、倒木もありますが、斜面を横切って谷沿いに登っていきました。すると谷の奥に平地がありました。平地と言っても斜面なのですが、木は少なくまっすぐに登っていけます。少し登ると傾斜が急になり、北側の尾根に登りました。こちらは藪っぽいのですが、大きな障害はなく、ひたすら登り続けて稜線に上がりました。2023/3/22に来た、大坪四等三角点(487.26m)のあるピークです。共同アンテナがあり、ハシゴが落ちています。


今回はここから北に稜線を歩きました。まず北に斜面を降りなければなりませんが、ここは非常に急です。植林なのでなんとか木に掴まって降りられましたが、滑りやすくて危険でした。しかし降りてしまえば気楽な尾根歩きで、自然林の陽のあたる尾根でした。ちょっとアップダウンして地形図で破線道が横切っている鞍部に降りると切通しで、西側には道があり、東側にも流され気味ですが斜面に道があるようでした。峠には、かなり風化して削られた石仏が横たわっていました(写真)。峠から北に登り、良い感じに歩いて、次の破線道のある鞍部に来ると、ここも北側には道があるようでした。そして、ここには「大日如来 牛馬安全」と掘られた明治11年に川東村の方が作られた碑が横たわっていました。


急斜面を北に登り、自然林の尾根を東向きに歩くと、東町(あずまち)方面が見えます。そして、東町四等三角点(460.35m)が落ち葉に埋まりかけていました。この先は広々としており、大きなヌタ場がありました。ちょっと倒木があり、その先の急斜面は木がまばらです。まだ葉が付いていないので、美しい枯れ木の山でした。とは言え急斜面なので頑張って登り、最初の570m+ピークからは東に行けばまだまだ北の尾根に行けるのですが、下山しようと北の578mピークに行きました。この登りも木の少ない急斜面です。578mピークでは北西に尾根を降りることもできましたが、林道に出ようと思って北東の尾根に進みました。こちらは植林ですが意外な急斜面でした。地形図では破線道が横切っているのですが形跡もなく、結局最後は植林の急斜面を降りてミツマタの咲いている谷に降りました。ここにも道はなく、とりあえず北側に渡り、西に歩いていってもう一つの流れを渡ると斜面はミツマタで埋め尽くされており、その下の道にもミツマタが生えていました。しかし道には違いなさそうなので、ミツマタをかき分けて降りていきました。ミツマタの花はきれいなのですが藪と言えるほどぎっしり生えているので、花をいたわっている余裕はなく、枝をかき分け踏みつけて歩きました。たまに棘のある木もあるので要注意でした。そして堰堤のある付近まで降りてくると道のミツマタはなくなりました。平成24年に作られた堰堤が、この付近だけで5つありました。ここからは舗装道路でしたが、両側にミツマタの花が咲いており、華やかな道でした。最後は扉を抜けて、国道429号線に出ました。


下山は578mピークから尾根を下るのが正解だったようです。最後は植林の急斜面でフェンスに突き当たりますが、フェンス沿いに扉まで歩けそうでした。ただ、そうするとミツマタの花を見損ねてしまいます。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「古町」です。



2023年3月25日土曜日

獣道で行った鳥取市河原町の高頭領三角点

 


鳥取市の河原町は鳥取自動車道から山の上にお城が見えるのでお馴染みの場所です。ここの西側の山を歩いてみました。登り口は長瀬で、墓地に上がる道があります。いきなり害獣捕獲用の檻に猪がいてびっくりしました。一番奥の墓所まで行き、その東側の尾根を登りました。やや藪っぽく、竹も多いのでこの季節には注意が必要かも知れません。踏み跡が尾根の東側にあります。ちょっと笹や枝が邪魔なくらいで斜面も急ではありません。243m地点を過ぎ、標高260m付近でいったん植林になりますが、その先は自然林、そして笹原になりましたが、踏み跡は続いています。なんとか踏み跡を辿って背の高い笹を抜けて340m+ピークに上がりました。


さて、ピークに出ても方向もわからないくらいの笹薮です。西へ稜線を縦走しようとして踏み跡を探しましたが見つかりません。笹の隙間を狙って歩くと、あちこちに動物のねぐらのような場所がありました。白い毛が落ちていたので鹿でしょうか。笹をかき分けてなんとか北西の斜面を降りると、踏み跡がありました。黒い土に動物の足跡が残っています。かなり動物の往来が多いようで土は柔らかく、前日の雨のせいもあって泥の上を歩くような感じになり、踏み跡上を歩けない所がほとんどでした。踏み跡は最初は人間が作ったのかも知れませんが、いまや獣道のようで、分岐して尾根上の笹薮のねぐらに繋がっています。笹薮は強力で、踏み跡があってもかき分けるのは大変ですし、踏み跡が消える所もありました。また、踏み跡は北側の斜面上なので歩きづらい場所もありました。次の340m+ピークの北側付近で笹薮を抜けている時にはこのへんで下山しようかと考えたのですが、もう少し頑張ってみることにして、背丈より高い笹をかき分けて歩きました。この状況は327mピーク付近も同様で、必要なのはもう根気だけです。しかし362mピークに近づいてくるとようやく笹も減って、里山らしい雰囲気になってきました。その先で370m+まで登ると笹薮は減り、植林もあって楽な稜線歩きとなりました。最後はちょっと急斜面を登り、高頭領三等三角点(416.87m)に着きました。周囲は笹薮です。金属のコーヒーカップが落ちていました(写真)。展望も少しですがあります。


最初の予定ではここから東に降りるつもりだったのですが、もう笹薮は堪能したので早く林道に出ようと思って西に行きました。最初は植林ですが、南向きに降りていくとまた笹薮に踏み跡という状況になりました。ただ、ここの笹は前ほどの密度はありません。斜面を降りていくと下に林道が見えましたが、踏み跡はそちらには向かっていません。しばらく踏み跡をたどり、結局は踏み跡のない笹薮を降りて林道に出ました。あとは長い林道歩きで下山しましたが、この林道も最初は道に笹が生えており、途中も倒木があって長く放置されているようじでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「用瀬」です。



2023年3月22日水曜日

大原の大坪三角点

 


これは美作市大原の中町の東にある山です。中町の東の山裾に展望の良い産土荒神社があります。この神社の裏の急斜面を登りました。植林なので急斜面ですが楽に登れます。登ってしまえば、あとは極楽のような尾根歩きとなります(写真)。少し登り、伐採木の転がっている362mピークからまた下っていきますが、南側に林道があり、尾根近くで終わっていました。この後も尾根沿いで、踏み跡が南斜面に付けられています。380m+で南東に曲がってちょっと下った鞍部には地形図通りに谷の林道が上がってきて終わっていました。ここからは登りで、登りきった490m+ピークは南に行くと共同アンテナの残骸がありました。北に植林の斜面を降りて尾根を少しアップダウンしながら歩くと、ピークに共同アンテナがありました。東粟倉町の白い杭があり、なぜかハシゴが地面にありましたが、大坪四等三角点(487.26m)は落ち葉に隠れていて危うく見落とすところでした。木々の枝の間から広く展望があります。地形図にはここから北に破線道がありましたが、確かに降りられそうな感じでした。


ここから尾根は南に向きを変え、自然林が増えますが、尾根歩きは相変わらず快適でした。意外と急な斜面を登って470m+に上がり、だらだら下っていき、西寄りの尾根を降り続けました。落ち葉で滑りやすい以外は快適でした。再び共同アンテナの残骸があり、最後に道路に降りる付近は植林ですが、かなりの急斜面でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「古町」です。



2023年3月17日金曜日

神河町杉の東の814mピーク

 


国道312号線沿いの杉の南に道の駅があります。かつてはもっと高いところにいた布袋様が、今は地面に降りて、それでも俵に乗ってお出迎えです。ここを起点に林道を使って東の814mピークへ往復してみました。まずは杉から東に林道を歩きました。大山城へはこの林道に向かうようになっています。コンクリートの林道で、扉から入ってしばらく行くと駐車場があり、その先に大山城跡登山口への分岐があります。北の丈山三角点が大山城跡ですが、登山道があるなら一度登ってみたいものです。この谷には石積みがあって耕作地だったようですが、今は植林です。大山城跡には行かずまっすぐ歩くとコンクリートの道が続きますが、これは令和2年度に作られた堰堤の工事用のようでした。堰堤を過ぎて、地形図で南向きに道のある、ミツマタの咲いているところから林道に入りました。古い道(昭和59年らしい)ですが、道の真ん中にミツマタが生えていたりする以外は問題なく歩けました。林道は地形図よりも少し先まで延びていますが、谷の下で終わっていました。この付近は斜面が岩で埋まっているような所ですが、地籍調査のピンクテープが谷に沿って付けられているので、まっすぐ谷を登りました。谷の中央は岩が多いので、少し避けて谷の脇を登って行きました。ひらすら真っ直ぐ登り続け、尾根に上がったと思ったら目の前に金網がありました。ここからは金網沿いに歩きましたが、例によって金網のどちら側を歩くかが問題でした。最初は北側を歩きましたが、灌木が多くなって来たので木で金網が倒れている所で反対側に移りました。しかし、しばらく歩いて尾根の分岐を過ぎると、このままでは814mピークの方向へは行けません。金網を抜けられる所を探すと、少し先に金網がネットになっている所があり、ここを抜けて東の尾根に進みました。植林で道もあります。ちょっと登って標高600mを超すと切り開きがあり地籍図根三角点がありました。この先は植林の斜面をひたすら登るだけです。踏み跡があり、さほど急斜面ではありませんが標高差200mを登って、標高800mまで上がりました。ススキやアシビが生えていますが太い道?があります。814mピークには特に何もありません。この東は再び植林となりますが、この付近は2010/09/19に865mピークからの下山の途中で通っています。


814mピークからは、まず登ってきた尾根を下りました。そして尾根の分岐で金網を再び反対側に抜け、そのまま南に金網沿いに下りました。途中で金網は分岐していましたが、ここは通れて、そのまま南東に進んで、590m+ピークへと上がりました。途中で金網の倒れている場所で北側に移ったのですが、その先で北側に別の青いネットが現れて、金網とネットの隙間を歩く羽目になりました。幸い金網はすぐに終わったので、あとはネット沿いに尾根を降りましたが、ふと見るとまた金網がネットの向こう側にあったりして、ネットと金網が交差しながら作られているようでした。この付近は藪っぽいのですが踏み跡があり、尾根の先から西に植林を降りました。これは正解で、尾根の先には踏み跡があって林道に降りられました。この林道は地形図ではこの付近で終わっていますが、もっと北に延びていました。この後は長い林道を降りて、茶畑の広がる野上川の谷を降りて、国道312号線に戻りました。


この山を歩くには金網との付き合い方が大事です。出入口はとても少ないようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。



2023年3月15日水曜日

徳久城跡

 


2023/03/12(ほんの3日前ですが)に、御殿山経由で平松まで歩きましたが、その時に徳久城を見落としてしまいました。今回は、徳久城跡を見てから北に尾根を歩きました。登り始めは千種川沿いの殿崎で、浄水場のところから東に入ると開けにくい扉があり、細い谷があります。この谷は非常に狭いのですが、そちらには行かず、すぐに林道を登り始めました。いったん尾根の先を北に行って、そこからジグザグに登っていきます。途中からススキの藪になってしまい、分岐もあるので最後まで正しく登れたかどうかわかりませんが、最後は踏み跡になりました。砂地の滑りやすい急斜面でしたが、とにかく尾根に上がれました。東に登って行く道がありますが、徐々に城跡らしくなり、地形図ではピークになっていませんが、まず砂地で滑りやすい斜面で囲まれた小さなピークがありました。ここからいくつかの堀切のような凸凹を通って、また滑りやすい急斜面を登ると山頂に出ました。「柏原城(徳久城)」という作用ハイキングコース選定の会の杭が立っています。山としては風通しの良い自然林です。


山頂には南谷山への道標があります。それに従って東に急斜面を降りました。こちら側にも何段かの平坦地と溝があり、外れには地籍図根三角点がありました。それを過ぎると気持ちの良い山歩きになりました。ほぼ平坦なので楽に歩けました。そして南谷山へ登り始める手前には尾根を横切る道がありました。ここから登りですが、滑らない程度の斜面なのでここも楽でした。そして南谷山に着きました。間村四等三角点(356.86m)があります。ここに徳久城跡への道標がほしいところです。ここからは播磨西線四七鉄塔を過ぎ、2023/03/12と同じコースで北に向かいました。播磨西線四八鉄塔を過ぎ、2023/03/12に下山した峠(金山峠)を通り、さらに北に向かいました。この先は急斜面ですが、道がジグザグに登ってくれました。尾根に上がると道は東側斜面に作られていましたが、尾根に上がって歩きました。藪はありません。この付近は2010/07/17に歩いています。400m+ピークを過ぎ、いったん下ってからその次の斜面も道があったのでそれで430m+ピークの東を巻いて登り、450m+ピークから平坦になって、平松三等三角点(453.84m)のある芦谷山に着きました。ここには金山峠(南)と渋坂峠(北)への道標があります。


さらに北に歩きましたが、道があるのでここも楽でした。尾根の分岐がありますが赤いマーキングがありました。ただしマーキング通りには歩かなかったので、道標を見落としたかも知れません。徐々に下っていき、標高300m付近では真っ直ぐにも降りられそうでしたが(じっさい2010/07/17には間違えてそちらに降りた)、マーキングのある東の尾根に行きました。地形図で破線道が尾根を横切っているところから西に斜面を降りました。すぐ下に太い道があって、西に歩いていくと、また開けにくい扉があり、それを抜けると畑が広がり、段の集落でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「土万」です。



2023年3月12日日曜日

徳久から三日月の御殿山

 


2007/11/10に三日月から北の御殿山に登りましたが、今回は西の千種川沿いから登ってみました。尾根の先は最近崩落対策で巨大なコンクリート壁や金網が設置されていますが、道があって善尊庵を通り山王七神社まで登って行けます。その東にも整備した道があり「展望広場まで670m、若鮎ランド方面390m」となっています。展望広場の方へ行くと、途中に「ゼフィルスの森~名倉谷300m」の分岐があり、さらに歩くと展望台があって案内板があります。「南からひまわりの丘」だそうで、ゼフィルスとは蝶の仲間だそうです。ここからは若鮎ランド(野球場)へも名倉谷にも降りられますが、南東に尾根を登りました。道があるのでピクニック気分です。細い尾根がくねくねと曲がっていきますが、気をつけないと尾根を間違えてしまいそうでした。300m+ピークにはアシビの藪に地籍図根三角点がありました。落ち葉で滑りやすい急斜面を東に降りて、また登っていきます。この付近は植林なので作業道が沢山あります。再び300m+まで登ると、この東は広い植林の尾根です。南側に尾根沿いに林道が走っています。前回はこの平らな尾根の東端の破線道探して登ってきたのですが、その道は見当たりません。尾根を東に登り、313mピークを過ぎ、少し下ってまた平らな尾根を歩いていると植林が終わって自然林で藪っぽくなりましたが、再び植林もあって、藪と言うほどではありません。時々広い空き地があり、紅白の播磨西線四四鉄塔に出ました。そして、藪の中の切り開きになっている御殿山に着きました。御殿山三等三角点(350.52m)があります。作用ハイキングコース選定の会の杭もあります。(写真)


山頂には「大谷池 矢能」「乃井野」「徳久城」に道標があり、しっかりハイキングコースが整備されたようです。「徳久城」の北へ向かいました。巡視路でもありますし、木の間隔の広い気持ちの良い尾根です。播磨西線四五鉄塔を過ぎ、地籍図根三角点のある350m+ピークを過ぎて、アップダウンしながら北に向かいました。次の350m+ピークからは西に下山できそうでしたが、北に向かいました。マーキングがありますが、時々見失ったような気がします。次の330m+小ピークは、巻き道があるのにわざわざピークに登ってみましたが、藪っぽいだけです。この先の鞍部では西側に下山道があるので、地形図の谷の破線道に出られるのかも知れません。巡視路でもある古い道を登って行き、360m+ピークの先にはアシビの藪の中に地籍図根三角点がありました。これを抜けるとまた巻いていたらしい巡視路と合流し、播磨西線四七鉄塔に出ました。西に少し歩くと間村四等三角点(356.86m)がありました。ここは南谷山だそうです。このまま西にもマーキングがあり、降りられそうだったのですが、平松への道標があったので更に北に向かいました。徳久城はこの尾根を西に行った所にあったことに後で気付きました。北に行くと播磨西線四八鉄塔があり、その先の鞍部には字が読めないお地蔵様と、「平松へ」「芦谷山」「金山へ」の3つの道標がありました。これは前回と同じ下山ルートですが、西に谷を降りました。マーキングがありますが、植林の谷は崩れかけていて足元が悪く、さらに下るとかつて棚田が作られていたらしく、段を降りるのに苦労しました。それでも最後は道に出てきて、害獣避けの戸を通って平松に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「三日月」「土万」です。



2023年3月9日木曜日

新宮町の滝谷・大谷三角点

 


新宮町の北・揖保川の西側の山並みを歩きました。まず香島橋から篠首へ向かう道が篠首川を渡る付近で川の北側の道を歩き、扉を開けて舗装道路を上がりました。この先には巨大な水のタンクがあります。道はここで終わりですが、その東側に急斜面ながら踏み跡があって、それを登りました。木の間隔の広い斜面を登ることになりますが、砂地に落ち葉なので滑りがちでした。マーキングがあって、登山道のようでした。実際に少し登ると岩場になってトラロープもありました。ここは木の間からですが揖保川方面が見えます。ただ、この上のトラロープの無い岩場の方が滑りやすくて危険でした。そして300m+まで登ればあとは平らになります。この付近は2009/8/14に坊垣内から登ってきています。ちょっと歩くと青いプラスチック製の板があって、「香山城跡」と書いてあります。香山城跡はここの東の揖保川沿いの大歳神社の付近だと思うのですが、ここにも何かあったのでしょうか?山頂には人工物は何もないと書いてあるホームページもあるのですが。とにかく平らで山城があったとしても不思議ではありません。この付近は道があって歩きやすく、滝谷四等三角点(375.79m)に着きました。ここからは北に急斜面を降りました。東側にはネットがありますが、木が育って2009年にあった展望は僅かです。鞍部まで降りて登り返すと大きな岩があります。尾根は歩きやすく、348mピークにも行ってみましたが何もなく、播磨線四六鉄塔に着きました。この先は巡視路で、東にちょっと降りると播磨線四七鉄塔です。戻って北に急斜面を降りましたが、ここも東の方の鉄塔に行く巡視路です。下ってから頑張って登ると、たつの市と宍粟市の境界に出ました。木の間に山崎方面が見えるようになりました。


ここからは2008/05/18に歩いている市境歩きですが、この390m+ピークから西は急斜面です。降りると幅の広い道がありますが、これも砂地に落ち葉なので障害物は無くても登りにくい道でした。歩きやすい尾根ですが、420m+から北に折れるところは倒木だらけでした。この先は一度鞍部に降りてから登ると、大谷四等三角点(429.6m)がありました(写真)。ここからも多少荒れてはいるものの程々に歩きやすい尾根が続き、435mピークで南に曲がりました。広い道のある尾根なのですが、ここも滑りやすい急斜面で、掴まれる木がない分だけ疲れました。尾根の終わりは急斜面ですが道があって、降りるとフェンスに突き当たりました。フェンス沿いに歩くと扉があって墓所に出られました。拾翠池完成記念碑の所です。あとは大谷の集落を通って帰りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」です。



2023年3月6日月曜日

円山林道から登るフドノ三角点

 


2022/12/15に生野町円山から尾根に上がってフドノ三角点に登りましたが、今回は谷の作業道を歩いて行ってみました。円山から西に延びる谷を歩いていき、扉を通って「造林作業道 円山線」に入りました。よく整備された道です。「水源かん養保安林」の看板によると、この付近は円山字西山だそうです。道が北向きになると、西側に二段の滝が見えました。木が邪魔ですが、立派な滝です。そのまま歩くと北の谷に行ってしまうのですが、そちらに行くと堤西三角点付近から登ることになり、かなりの急勾配ということは2013/05/25に経験しています。そこで南の谷に行く分岐を探したのですが、見つかりません。結局、道が北に向かって橋のある所に西向きの数段の階段があり、そこからまさしく作業道という感じの細い道を見つけました。斜面の道ですが意外と流されてもおらず、ずっと続いていました。この道は深い谷の北側に作られており、左下は急斜面で滑落が怖い道でした。滝がいくつかあり、そのうちに水が岩の上に細い溝を作って流れていました。まさに秘境という感じです。そして、いわば突き当たるような感じで落差のある滝がありました(写真)。これをどうやって突破するかですが、滝の右手に登れそうな斜面があったので木に掴まってよじ登りました。しかし上がってみると道があったので、巻き道があるものと思われます。この先も道はあって、流れを南に渡り、また北に渡りましたが、谷の奥は行き止まりが予想されたので、そろそろ南に登らなければなりません。登れそうもない斜面が続いていましたが、谷の幅が広くなってきて、登れそうな斜面がありました。植林なのでまずは問題なく登れて、小さな尾根に上がれました(この尾根の先は崖で谷から登っては来られません)。ここからは植林ですが、地形図で見ても非常に急な斜面で、ここも木に掴まって登りました。少しなだらかになって見返すと、東寄りの尾根に行ってから登れば良かったようです。この尾根は林道の扉の付近まで延びており、川をなんとか渡ってこの尾根で登ってくるのが正解だったでしょう。


ここからは普通の山歩きです。徐々に勾配は緩くなりますが、624m地点を過ぎて一旦下ってからまた急な登りになりました。これは標高差100m以上の登りで、特に最後は滑りやすい落ち葉の斜面でした。しかしそこを切り抜けると稜線に出ました。ここは2022/12/15にも歩いています。少し休憩してから西に登っていき、900m+ピークから曲がってフドノ四等三角点(889.31m)に行きました。前回は少し雪が積もっていましたが、今回は少し残雪がありました。


下山は900m+に戻り、長い尾根を南東に歩きました。栃原沿いの稜線です。長い尾根歩きで、606m地点を過ぎ、植林を降りて2010/07/18に生野から来て曲がった尾根に曲がりましたが、ここは600m+の小ピークに登らなくても北側に巻き道がありました。これで北東への尾根に乗り、まっすぐ降りていくと林道が尾根を横切っていました。これは2010/07/18には無かったもので、ここまでも稜線上から北下方にも林道が見えていました。やや荒っぽく作られた林道ですが、なんとなく降りていくと植林をジグザグに通って無事に播但道を通って道路に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「但馬新井」です。



2023年3月4日土曜日

振古川上流を歩く

 


振古川は市川の支流で、播但線甘地の付近から西に別れており、七種山の北東に達しています。ストリートビューの終わりまで行くと、ストリートビューには無い扉があるのでここに車を置いて歩き始めました。地形図からわかるようにこの付近の振古川は、ほとんど水がありませんが護岸はしっかりしています。しばらく歩くと植林になり、道が分かれています。西に歩き、さらに次の分岐も西に歩くと、「治水工事施工地」という説明板があります。ここを南に折れました。地形図ではこの先に尾根に上る破線道があります。しかし道は堰堤で終わっていました。付近は棘のある木が密集して生えていますが、それをくぐり抜けてまっすぐに登ることにしました。ガレ石の急な谷を木に掴まって登ると、岩とシダが行く手を阻みます。岩を避けるとシダが密集して足元が見えなくなりました。しかも植林とは言え斜面はますます急になりました。しかたなしに急斜面をシダに掴まって登りました。幸いにシダの塊はなかったので、シダをかきわけつつ登ることができました。たいへん疲れましたが、標高差150mを登って標高350m付近の少し平らな所に出た時はほっとしました。とは言えここでシダが消えたわけではなく、この先も膝から腰くらいの高さのシダの間を歩きましたが、だいたいは踏み跡がありました。尾根に達すると地籍図根三角点があり、登山ポイントNo14の札がありました。地形図の430mピークです。


430mピークからは西に急な登山道を降りました。右手にネットを見ながら歩くと小滝林道への分岐があり、その後はどんどん急な登りになりました。ロープのある所もあります。552mピークに着くと、北向きは「市川町⇒」となっています。市川町への下山道を期待して、また急な登山道を降りました。480m-の鞍部は東側を見ると植林の間の急斜面を降りられそうな感じでした。この付近では標高差150mを降りると地形図の破線道に出られそうですが、下山方向には道標もマーキングもありません。尾根には道が続いており、地形図で見るよりも急な斜面を上がって、河原谷四等三角点(559.58m)に着きました。この北は、地形図で見るよりずっと急な斜面を降りると岩が増えてきました。地形図ではこの付近で破線道が尾根を東西に横切っていますが、2008/12/23に確認してた通り、道はありません。ここを通って少し登ると、展望の良い場所がありました(写真)。七種山から市川町方面が見えます。


頑張って520mピーク(木に山名らしきものが掛かっていたが消えて読めず)に登り、南東にぐるっと尾根を歩くと、MontBellのタオルが木にひっかかっていて、南東の尾根に青いマーキングがありました。道標はありませんが、これが下山道と信じて降りました。最初は岩のある急斜面ですが、そのうちにシダが増えてきました。踏み跡はあるのですが、シダに覆われがちでした。987m地点もシダで覆われていますが踏み跡は巻いていました。そして、320m+の小ピーク付近で東側からネットが現れました。このあとずっと尾根沿いに張られていますが、すぐに西側に降りて行っていました。ここの西側は急斜面だったので、木でネットが倒れていたのを利用してネットを越えて尾根を降りました。周囲はずっとシダ藪ですが、腰以上の高さではありません。しかし急斜面なので足元が見えないと危険でした。忍耐を要する下山でした。すぐにまた尾根にネットが現れ、その南側のシダ藪を降り続けると、最後にネットに出入口がありました。とてもラッキーで、これを通って東側に出ると道があって、朝に歩いた林道のの最初の分岐のすぐ横に出ました。


予想していたというものの、登りも下りもかなり強烈なシダ藪でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「寺前」です。



2023年3月2日木曜日

山崎の篠ノ丸城跡から戸倉山

 


篠ノ丸城跡から西の尾根は、2007/04/28に歩きました。この時には上牧谷三角点まで歩いて下山しましたが、15年経ってどうなっているか見に行きました。とは言え最初の登山ルートは北からにしました。地形図では北の横須から破線道があります。行ってみると人家が並んでおり、破線道の道はどう見ても私道で人家に入っていく感じだったので、その一本東寄りの道から山に向かいました。この道は谷に通じており、害獣避けの扉があります。ここを入ると上には堰堤がありますが、破線道を探して西寄りに登りました。結局この付近ではこの道は深い溝で歩けません。土砂崩れを防ぐためか緑色の低いネットが何箇所か地面に張られていました。登っていくと徐々に道らしくなりましたが、谷に入っていくと倒木(間伐)が増えて歩きにくくなりました。さらに東に折れて急斜面を登る付近は道はなく倒木だらけでした。なんとか通り抜けると水平道があってトラロープが張られていました。しかしはっきりした道はなく、さらに急斜面を登るとまた道があって、畝状堅堀だそうで、下山道への道標がありました。つまり、こちら側にも登山道があるようでした。ここからは何段も堀があり、トラロープもあり、斜面を登って篠ノ丸城跡に着きました。いろいろな碑や東屋があり、展望もあります。地形図では神社のマークがありますが、これは今はなき妙見堂のことでしょう。

ここが長い尾根歩きの出発点ですが、案内板に従って歩き始めると、「篠ノ丸(山)はこの城山(通称一本松)のことです。「宍粟50名山」には戸倉山を篠ノ丸としていますが誤りです。なお戸倉山までは片道約1時間半から2時間かかりますので、ご注意ください。」という注意書きが木に掛かっていました。上牧谷三角点のある山が戸倉山という名前だと知りました。とにかく西に歩くと、すぐに北向きの展望のある山崎三等三角点(337.71m)に着きました。この先は文句のない道で、しばらくは落ち葉を踏んで歩きました。展望が木に妨げられているので単調な山歩きです。時々一本松(篠ノ丸城跡)への道標がありますが、戸倉山方面にはありません。多少のアップダウンがありますが、おしゃべりしながら歩くのに向いている道です。次の三角点は高下四等三角点(355.61m)で、足元にあるのに探してしまいました。そして植林が増えてきて、やや急な登りになり、472mピークには大きな岩がありました。そしてここを過ぎると倒木が増えてきました。2007/04/28には大苦戦しましたが、今回は道が整備されていました。急斜面を登るときれいな植林で、「一本松」「山頂」「菅野小学校」への道標がありました。倒木の間の道を歩いて(写真)、上牧谷三等三角点(511.98m)に着きました。かなり整備されたようですが、確かにここにある宍粟50名山の杭には篠の丸と書いてあります。この長い山塊を一つの山と考えればここが山頂ではありますが、篠ノ丸城跡からは確かに90分かかりました。

下山は西に少し行って地形図の破線道と思って、山頂から西に降りようとしましたが、ここは全く整備されておらず、15年前と変わらず倒木だらけのひどい藪でした。大きな木が倒れているので斜面に降りて歩くこともできず、倒木を越えたりくぐったりの連続でした。440m-の鞍部まで降りれば楽になるかと期待したのですが、あまり変わりません。460m+ピークに登ると、この付近は2008/09/06に来ています。アシビが増えてきて倒木はやや減りました。問題は破線道で、420m-の鞍部で周囲を見渡しても藪しかありません。やむなく北側の斜面を少し降りると、道がありました。鞍部方面は藪に埋まっていますが、下り方面は倒木があるものの車が通れるくらいの幅があります。これは明らかに地形図の破線道で、これで楽に下山できると思って降りて行くと、だんだん細くなり、谷の上で折り返す付近で消失しました。斜面なので流されたと思われますが、倒木が雪崩れていて斜面を横切ることもできません。結局やむを得ず谷に降りました。かなり危険でしたが、お尻で斜面を滑って谷に降りて、倒木だらけの谷を下りました。幸いにあまり長い距離ではなく、少し降りると下に堰堤が見えてきました。降りていくと通ってきた谷の堰堤の他に東の谷には3つも平成29年の堰堤がありました。さらに下ると湯塚池という立派な池があり、ここからは良い道でした(現在Googleの航空写真は建設中の写真になっています)。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「山崎」です。