2023年3月2日木曜日

山崎の篠ノ丸城跡から戸倉山

 


篠ノ丸城跡から西の尾根は、2007/04/28に歩きました。この時には上牧谷三角点まで歩いて下山しましたが、15年経ってどうなっているか見に行きました。とは言え最初の登山ルートは北からにしました。地形図では北の横須から破線道があります。行ってみると人家が並んでおり、破線道の道はどう見ても私道で人家に入っていく感じだったので、その一本東寄りの道から山に向かいました。この道は谷に通じており、害獣避けの扉があります。ここを入ると上には堰堤がありますが、破線道を探して西寄りに登りました。結局この付近ではこの道は深い溝で歩けません。土砂崩れを防ぐためか緑色の低いネットが何箇所か地面に張られていました。登っていくと徐々に道らしくなりましたが、谷に入っていくと倒木(間伐)が増えて歩きにくくなりました。さらに東に折れて急斜面を登る付近は道はなく倒木だらけでした。なんとか通り抜けると水平道があってトラロープが張られていました。しかしはっきりした道はなく、さらに急斜面を登るとまた道があって、畝状堅堀だそうで、下山道への道標がありました。つまり、こちら側にも登山道があるようでした。ここからは何段も堀があり、トラロープもあり、斜面を登って篠ノ丸城跡に着きました。いろいろな碑や東屋があり、展望もあります。地形図では神社のマークがありますが、これは今はなき妙見堂のことでしょう。

ここが長い尾根歩きの出発点ですが、案内板に従って歩き始めると、「篠ノ丸(山)はこの城山(通称一本松)のことです。「宍粟50名山」には戸倉山を篠ノ丸としていますが誤りです。なお戸倉山までは片道約1時間半から2時間かかりますので、ご注意ください。」という注意書きが木に掛かっていました。上牧谷三角点のある山が戸倉山という名前だと知りました。とにかく西に歩くと、すぐに北向きの展望のある山崎三等三角点(337.71m)に着きました。この先は文句のない道で、しばらくは落ち葉を踏んで歩きました。展望が木に妨げられているので単調な山歩きです。時々一本松(篠ノ丸城跡)への道標がありますが、戸倉山方面にはありません。多少のアップダウンがありますが、おしゃべりしながら歩くのに向いている道です。次の三角点は高下四等三角点(355.61m)で、足元にあるのに探してしまいました。そして植林が増えてきて、やや急な登りになり、472mピークには大きな岩がありました。そしてここを過ぎると倒木が増えてきました。2007/04/28には大苦戦しましたが、今回は道が整備されていました。急斜面を登るときれいな植林で、「一本松」「山頂」「菅野小学校」への道標がありました。倒木の間の道を歩いて(写真)、上牧谷三等三角点(511.98m)に着きました。かなり整備されたようですが、確かにここにある宍粟50名山の杭には篠の丸と書いてあります。この長い山塊を一つの山と考えればここが山頂ではありますが、篠ノ丸城跡からは確かに90分かかりました。

下山は西に少し行って地形図の破線道と思って、山頂から西に降りようとしましたが、ここは全く整備されておらず、15年前と変わらず倒木だらけのひどい藪でした。大きな木が倒れているので斜面に降りて歩くこともできず、倒木を越えたりくぐったりの連続でした。440m-の鞍部まで降りれば楽になるかと期待したのですが、あまり変わりません。460m+ピークに登ると、この付近は2008/09/06に来ています。アシビが増えてきて倒木はやや減りました。問題は破線道で、420m-の鞍部で周囲を見渡しても藪しかありません。やむなく北側の斜面を少し降りると、道がありました。鞍部方面は藪に埋まっていますが、下り方面は倒木があるものの車が通れるくらいの幅があります。これは明らかに地形図の破線道で、これで楽に下山できると思って降りて行くと、だんだん細くなり、谷の上で折り返す付近で消失しました。斜面なので流されたと思われますが、倒木が雪崩れていて斜面を横切ることもできません。結局やむを得ず谷に降りました。かなり危険でしたが、お尻で斜面を滑って谷に降りて、倒木だらけの谷を下りました。幸いにあまり長い距離ではなく、少し降りると下に堰堤が見えてきました。降りていくと通ってきた谷の堰堤の他に東の谷には3つも平成29年の堰堤がありました。さらに下ると湯塚池という立派な池があり、ここからは良い道でした(現在Googleの航空写真は建設中の写真になっています)。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「山崎」です。



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