2010年4月30日金曜日

生野の白口山

生野の白口は、かつては鉱山として賑わったということですが、今は家が数件あるだけで、静まり返っています。越知川沿いの作畑へ抜ける白口峠は、冬季は積雪で通行が困難かも知れませんが、普段は通れます。むしろ生野から白口に行く途中の道のほうが、すれ違いにスリルがあります。今回は白口峠から南に連なる尾根を歩いてみました。このコースは、[1]から桧和田山を除いたようなものです。

生野から白口に行って、手前にある墓地近くに車をとめました。「クマ注意」と書いてあります。ここから谷を登って、南から尾根を歩こうと考えたのです。ガレ石が多くて歩きにくい道でしたが、車が通れるように作られています。これは、地形図で破線道が550mくらいの急勾配の山に入っていくあたりで終わりますが、それでも歩ける道はあり、製紙会社の看板があり、しばらくは谷沿いの登山道です。しかしそれもそのうちに無くなってしまいました。水が多く、瀧がいくつもあって景観はよかったのですが、最後は谷を登れなくなりました。かつてこの谷を降りたことがあるのですが(2009/05/23)、どこを通ったのか全く想像が付きません。どうやら671m地点で谷を間違えて、右側の谷を登ったようです。調べてみると、前回降りたときはカラーの看板とは谷の反対側(東側)を歩いていました。谷を歩くのは無理になったので、右手の尾根を登ることにしました。結局たどり着いた尾根は、981mピークから降りてきた鞍部近くでした。地形図には破線道があり、それに相当する道もありますが、歩くのは斜面のほうが楽でした。900m+のピークに登り、東の886mピークを目指しました。ここには2009/10/03にも来たことがあります。平らなのですが、灌木が多くて、歩きにくい場所です。藪を抜けて886mピークに達すると、越知の方向の展望が開けました。

ここからは縦走です。最初はちょっと北に降りて、それからは北東に向かいました。結構きつい斜面を登ると、最初のピークに出ました。957mで、これがこの縦走での最高地点となります。周囲は木が刈られており、ほぼ360度の展望が得られます。写真は、千ヶ峰方面を見たものです。さらに尾根を歩くと、次のピークに出ました(大畑山?)。地形図にはありませんが、金属プレートの越知坂四等三角点(936.59 m)がありました。ここも頂上は木が刈られていますが、ちょっと刈り方が足りなくて展望はありません。

この先は岩場が増えますが、むしろ歩きやすくなります。大きな岩を眺めながら歩きました。870m+ピークがこの付近の尾根の最後のピークで、ここからは下りです。周囲は植林になってきて、歩きやすくなります。尾根をしばらく歩くと、314.4mピークに出ました。白口山です。白口三等三角点(814.35m)があります。大柿さんのプラスチック板が、三角点の標石に立てかけてありました。2002年のものです。

白口山からは良い道が降りているのですが、これは北東に向かう尾根で、おそらく作畑に降りてしまいます。峠に向かう正解の道は非常に急で、方向に確信を持てないと降りるには勇気がいります。ピンクのマーキングが目印です。地面に日が届かないので下草が生えず、暗くて陰気な植林の中を北に歩くと、高い鉄塔がありました。測候のためのものでしょうか?この塔は白口から白口峠に向かう道路からも見えます。ここから植林の中を登って、頂上で左に曲がり、まだまだ植林の中を歩きました。732mピークでは、東に尾根を降りてしまい、慌てて戻りました。最後は道のある谷を渡って、白口峠の南に出てきました。峠の大師堂にお参りしてから、舗装道路を歩いて白口に戻りました。

縦走中は時々木の間から越知川方面の展望があります。飯盛山から千ヶ峰に繋がる山々がよく見えました。登りは谷を遡るよりも、いっそ高畑山を経由した方が、道のりは長くなりますが、楽かもしれません。なお、一直線の尾根ですが、それは地形図上の話で、ピークでは常に方向を確認しないと間違った尾根に行ってしまいます(行ってしまいました!)。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「生野」です。

2010年4月25日日曜日

山崎から行った神保

山崎の山奥にあった神保という集落のことは、[1]で知りました。昭和47年に廃村になった平家村だそうです。地元の人に聞くと、ここの子どもたちが菅野小学校まで歩いて通っていたという話は結構有名なようでした。雨ヵ岳に行ったとき(2006/12/29)に寄ろうとしたのですが、倒木がひどくて行けなかったという経験があります。今はどうなっているか、見に行ってみました。

神保は、山崎から中国自動車道沿いに西へ行き、高下の集落から南に行ったところにあります。そのまま南に行くと栗栖池を通って西栗栖に出られますので、かつては交通の要所でもあったと思われます。今は高下から南に林道があるので、それを利用します。この林道は、軽トラックや4WDなら問題なく通れます。中国自動車道の下の通路に鹿よけのゲートがありますが、いつもは開いているようです。私は車を林道の入口に止めて、歩きました。

よく整備された林道ですが、峠までは登りです。周囲は美しい植林もありますが、倒木がひどい場所もあり、倒木を処理した場所もあります。宍粟杉の産地ですが、まだ2004年の台風の後始末に追われている感じです。峠をすぎると緩い下りになります。植林に囲まれた谷です。そして、林道は東に曲がっていますが、ここを直進して南に向かうと神保です。

前回はこの先は倒木がひどくて通れなかったのですが、今回は倒木が切ってあり、楽に歩けました。湿っぽいのが難点ですが、植林の谷ですのでしかたがありません。もともとここには道があったわけですが、倒木の都合で必ずしもその道を歩けるわけではありません。また、何度か川を渡る必要があります。橋はないので、幅の狭いところを選んで石や倒木の上を渡りました。水量が多いと大変だと思います。両側の植林は倒木だらけで、道を切り開いた以外には何も手当がされていないようです。ピンクのマーキングが要所に付けられており、迷う恐れはありません。

歩き始めて1時間ほどで、神保に着きました。倒木に埋まっている感じですが、瓦などがたくさん落ちています。地形図に一つだけ描いてある建物は、土蔵でした(写真)。周囲は石垣がたくさんあって、良く整備された畑や田圃だったことが分かります。関西電力のマークの入った金属板が張られた電柱(?)が倒れており、ここまで電気が来ていたようです。少し南に行くと川にはコンクリートの橋が架かっており、ピンクのマーキングもあるので、南の栗栖池まで行けるかどうか、見に行ってみました。

相変わらず倒木の間の切り開きを進んでいきました。川の両側は石積みやコンクリートで補強されており、かなり人の手の入った谷ですが、今は倒木で埋まっています。神保の南に、東から来た支流が合流する地点があります。椿の木があります。ここを南(正確には西南西)に進めば栗栖池なのですが、ピンクのマーキングは東に向かっていました。栗栖池に向かう谷は倒木で埋まっており、全く通行不能です。東へ向かう道の倒木は切ってあり、歩きやすいので東の谷に入りました。最初は石積みがあって耕作地のような所もありますが、そのうちに倒木だらけの谷になりました。何度も川を渡り、1キロ近く進みました。川は細くなりましたが周囲は相変わらず倒木だらけで、足下も切った倒木がそのままで、歩きやすい谷とは言えません。無理に先に進んでも行き止まりであることは明らかなので、引き返しました。

栗栖池方面には、まだ倒木処理がほとんど行われていません。この事情は地形図で境界線を見るとなんとなく分かります。宍粟市とたつの市新宮町の境界線は、この付近では複雑に谷を通っており、神保付近だけが新宮町になっています。境界線はたいていは尾根を通っているもので、谷を通っているのは奇妙です。おそらく土地の所有権に関して複雑な問題があるのだろうと想像します。ピンクのマーキングが東の尾根に向かっていたのも、栗栖池に向かう谷の倒木処理がなされていないのも、そんな理由ではないでしょうか。

栗栖池に行く道は通れませんが、山崎から姫新線の西栗栖駅まで歩くことは可能だと思います。私が行き着いた谷の奥は標高が高く、南の奥小屋の尾根に登るのは容易そうに見えました。尾根に上がってしまえば、尾根伝いに麦子口まで歩くか、上所のあたりに降りることができます(2008/10/13)。その後西栗栖駅までは道路を5キロほど歩かねばなりませんが、山崎町広岡橋のバス停から西栗栖駅まで、4~5時間ではないでしょうか。現在は切り開きができたために通れますが、大雨が降ると切った木が流されて、また谷を埋める可能性もありそうです。行くなら今のうちです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「土万」です。

2010年4月24日土曜日

二度登った初鹿野山

市川と猪篠川+越知川の合流点東側にある初鹿野(はしかの)山は、寺前の方から見るとひときわ目立つ山です。しかし、どう登って良いのか分かりません。今回は南の尾根から山頂を目指しました。

登り口は屋形の東、大きな工場の北にある墓地にしました。ここに車を置いて、播但自動車道の下を潜る市川27トンネルを抜けました。墓地から播但自動車道までは畑で、カラス避けにカラスの死骸がぶら下がっていたりして、あまり良い感じではありません。市川27には扉があり、「特定者外の入山を禁ず」と書いてあります。それにこの扉には錠が3つあり、山側(つまり播但自動車道の東側)からは一番上にしか手が届きません。つまり、山からここに降りて来ると出られないわけです。ここを通るのは不正解だと思いましたが、今回は来てしまったので、扉を開けて山側に入り、一番上の錠だけを閉めました。後で帰り際に見に来たら、3つとも閉められていました。

ここからの登りは地形図の破線道に近いのですが、植林の水の流れていない谷間です。かなりの急勾配であることを除けば、登りやすい谷でした。地形図の破線道は途中で南に折れていますが、そんな道はないので、まっすぐ登りました。尾根に出ると、左手に三角点がありました。屋形四等三角点(354.90m)です。共同アンテナの残骸がありました。尾根を辿るには東に進みます。

尾根は歩きやすいのですが、地形図で破線道が尾根に達しているところでも、道と呼べるものはありません。しかし360m+のピークを過ぎて破線道の無い尾根になると、はっきりとした道が現れました。快適に歩いて388mピークに登ると、コバノミツバツツジの花に囲まれました。この先も歩きやすい尾根でした。西から破線道が上がってきていますが、これは未確認です。尾根に破線道が描かれているところは、部分的にシダが茂っていましたが、概して歩きやすかったと思います。ただ、松茸山らしく、「入山禁止」の表示がいくつかありましたし、荷造り紐が張られているところもありました。コバノミツバツツジが相変わらず咲いています。

初鹿野山に近づくと、谷の上に出るので、南西の展望が開けます。この付近では尾根にネットが張られています。そして初鹿野山に突き当たると、地形図では破線道は東に曲がっていますが、実際には西に向かう道があります。無理矢理山頂を目指すことも可能でしたが、藪がきつそうなので道を辿ることにしました。この道はほとんど登らず、同じくらいの標高を西へ進んで行きます。途中で西側の展望が得られます。そして、山頂から南西に延びる尾根に達しました。この尾根には道があり、楽に登れます。

これを登れば山頂だったのですが、途中450m付近でアクシデントが起きました。この尾根にはネットが張られているのですが、これに鹿が頭を突っ込んで身動きが取れなくなっていました(写真)。最初は鹿もこちらの姿を見ると逃げようと暴れていたのですが、徐々に近づいてネットを外そうとすると、おとなしくなりました。しかしネットは首の周りに食い込んでおり、どうやっても抜けません。結局ネットを切るしかないのですが、残念ながら刃物を何も持っていませんでした。ハサミを買ってくるしかないと判断して、山を降りることにしました。この尾根の道は良く整備されています。道のりは長いのですが、斜面をジグザグに降りるので傾斜も大きくなく、30分ほどで播但自動車道の側道まで降りられました。自動車を置いてあった墓地まで戻り、近くのホームセンターでハサミを買い、側道まで車で戻ってきて、また登りました。40分ほど登ると、鹿はネットにひっかかったままでした。ネットを切って自由になると、鹿はしばらく呆然と立っていましたが、そのうちに跳ねていきました。

持ち主がいるネットを切るの良くないのですが、この付近のネットは倒れている部分が多く、ネットとしては機能していません。動物愛護ということで許して頂きたいと思います。

この後は尾根を登って、山頂の初鹿野三等三角点(507.76m)に行きました。山頂近くには共同アンテナの残骸があります。山頂にもネットが張られています。ネットは山頂から西に延びる尾根にもあって、そちらにも道があるようでしたが、前と同じようにジグザグ道を車まで降りました。

この尾根沿いの道は、登山路として探して見つけるのは困難と思います。一応説明すると、312号線沿いのケーキ屋の南から東に入り、播但自動車道を潜って墓地の下に出ます。車は墓地にとめるのが正解かも知れません。ここから北に未舗装の側道を歩くと、しばらくは東側にコンクリートの壁が続き、それが切れたところに頑丈な金網があります。その南側を入っていくと、右側に登れるところがあり、ここが入り口です。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「粟賀町」です。

2010年4月18日日曜日

作畑から登る千ヶ峰

林道が尾根を横切るようになって、ハイヒールでも登れる(無理です)千ヶ峰ですが、北西の越知川から登るルートは意外と知られていないようです。これを試してみました。

作畑の旧越知谷第二小学校付近に車を止めて、南東の谷を登り始めました。すぐに鹿避けの柵があり、その後はダートですが歩きやすい道です。さほど急峻でもなく、植林の中を気持ちよく歩きました。太い林道の終点には神崎町と神崎町観光協会が出している「千ヶ峰登山道」という赤い矢印があり、右に曲がります。幅がやや狭く斜面の崩落が激しく、荒れてはいますがこれも林道です。歩き始めてからずっと、林道はミツマタの花で溢れていました。谷や林道の両側に群生しています(写真)。なお、この登山コースは「石風呂コース」と呼ばれますが、石風呂はありません。林道の名前は「石風呂作業路」で、近くには石風呂三角点もあります。昔どこかに岩風呂があったのでしょうか。

しばらく歩くと、「沢の橋まで約5分」と書いた札が道の左側に立っていました。ここが登山口となります(林道をそのまま歩いて行くと登るのが難しそうな谷の下で行き止まりになります)。この先は植林の作業道のような感じです。谷沿いの道ですが、まっすぐに谷を登っていくと谷が細くなって登れなくなりました。登山道は実は途中で谷を渡るのですが、橋があるわけではなくかなり見つけにくくなっています。尾根の裾をぐるっと回ると赤い矢印があり、これが登山道だということが分かりました。このルートは地形図に描いてある破線道とは異なるような気がしますが、植林の中でGPSがほとんど役立たないので、詳細は不明です。

ここからは植林の中をジグザグに登りました。急な上りが終わると、尾根に出ました。ここを右に曲がって千ヶ峰に向かいました。この後はずっと植林の中を登ります。道はだいたい分かりやすいと思いますが、植林の中には登山道以外の道もありますので、変な方向に行かないようにしなければなりません。時々案内板があるので助かりました。小学生が1997年に作った案内板も少し残っていました。

主尾根に出ると、「多可の天空を歩く」と書いた立て札があり、いきなり東側の展望が広がります。杉原川の流域です。尾根伝いに北東に歩くと、千ヶ峰の山頂(1005.22m)に出ました。人が大勢食事をしていました。さすがに展望は抜群です。この先は林道が尾根をよぎっている所(駐車場)まで、市原高原遊歩道を1.8キロの尾根歩きでした。その先は、林道で越知川に降りることもできたでしょうが、それではあまりにつまらないので、尾根をさらに歩くことにしました。しばらくは尾根の西側に砂利道の新しい林道(千ヶ峰・三国岳線)があったのでそれを歩きました。しばらくすると林道が尾根を東側へ横断していたので、切通の北側の階段を登って尾根歩きを続行しました。

ここからは千ヶ峰からの尾根とは打って変わって誰も歩いていませんが、道はしっかりしています。マタニ山にある深谷山三等三角点(928.04m)の周囲は馬酔木がたくさん茂っていました。千ヶ峰からの尾根にも馬酔木はありましたが、ここほどたくさん生えている場所は無いと思います。半分くらいの木は花をつけていました。この先も歩きやすい尾根が続きました。尾根は曲がっていますが、標識が時々あって、迷うことはありません。しかし、下山を考えなければなりません。下山ルートはいろいろ考えられますが、尾根伝いに新田の方へ降りることにしました。

深谷山三角点からさらに北に歩き、西に折れると、道しるべがありました。加美アルプス西岳50分とあります。ちょっと北に行くと、多可町の地籍図根三角点があり、さらに北に進んだところで、北の尾根には行かず西の尾根に進みました。主尾根には道があって道標もあり、マーキングも多かったのですが、こちらには何もありません。まずピークを上り下りして、854mピークを過ぎ、少し下ると木にウィンチが取り付けられており、斜面の下に向けてワイヤーが何本か張られていました。これにぶら下がって降りられれば早いのですがそうはいかず、少し登って尾根の先に行くと、ネットが張られていました。ネット沿いに北西へ降りました。倒木があってやや歩きにくい場所もありますが、古い作業道の跡を降りて行くと、歩きやすそうな長い尾根に出てきました。ネットは西の方の尾根に行っていますが、歩きやすそうなのでこの尾根をひたすら下りました。出てきたのは、新田ふるさと村の「お山のテントサイト」つまりキャンプ場の上の貯水槽でした。この下山は大正解でした。あとは小学校まで30分ほど歩いて戻りました。

歩いていたのは4時間ほどです。あまり藪のない山ですが、急勾配の斜面が多いので尾根を歩くのが賢明です。登りも、最初から尾根に上がってずっと尾根伝いに歩く方が楽かも知れませんが、そうするとミツマタの花を見落とすことになります。姫路から千ヶ峰に登るなら、杉原川に出るのは遠いので、越知川の方がアクセスは楽です。ただ、尾根まで林道を車で上がるつもりなら、杉原川に行く方が頂上に着くのは早いだろうと思います。なお「石風呂コース」はヒルがいるという情報がありますのでその季節にはご注意下さい。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆

地形図は「生野」「丹波和田」です。

2010年4月3日土曜日

粟賀町の大嶽三角点から大河三角点

寺前と粟賀の間、市川と猪篠川に挟まれた山並みの最南端にあるアンテナ山が大嶽山です。ここから尾根を北に歩きました。起点は粟賀町側の桜華園の少し北にある薬王子神社にしました。ここに「かんざき薬神の森」への登山口があります。急勾配ですが整備された道を上ると、あずまやがあり、福崎方面の展望があります。ここからさらに大嶽山方面に歩くと、道に出てきます。この良い道は共同アンテナの所で終わってしまい、あとは細い道になります。途中で小嶽山への分岐(と思われる)があり、さらに登り続けると大嶽山頂上に出ます。NHK神崎テレビ中継放送所と、大嶽三等三角点(453.09 m)があります。展望は最高で、眼下を播但線の電車がのどかに走っていました。

大嶽山から尾根を北に縦走です。が、最初は登ってきた道を戻りました。そして共同アンテナの所から尾根に乗りました。良い道ではありませんが、はっきりした切り開きがあります。かつてNTTの施設があったような形跡がありましたが、これが地形図にあるアンテナかも知れません。そのあたりを過ぎると道はだんだんわかりにくくなりますが、尾根ですので方角を間違えなければ辿っていけます。東側下方に林道が見えてきますが、尾根の上はますます荒れてきます。425mピーク付近はほとんど道がありません。倒木処理後の木の枝がたくさん落ちているのも困ります。425mピークの北の400m+ピークからは尾根にネットが張られています。この付近からは東側だけでなく、西側にも展望があります。しばらくはネット沿いに歩きやすかったのですが、だんだんシダが増えてきました。シダと言っても海岸近くの山に生えている背を越すような高さのものとは異なり、せいぜい膝までの高さですので、道が見えないことを除けば問題はありません。

地形図上では途中で破線道が尾根を横切っていますが、気がつきませんでした。414mピーク付近もシダが茂っています。しかしその北になるとはっきりした尾根道が現れて、楽に歩けます。そして最後は西側の355mピークの方向から来る林道が尾根の西側を走るようになります。林道を北に歩くと、尾根に林道の三叉路がありました。東から登ってきた林道が、西の林道と尾根で出会って、さらに北にも伸びています。Yahooの航空写真を見ると、これらの林道の延び方がわかります。現在はもっと延びているのでしょう。今回の目標は大河三角点のある597.8mのピークだったので、林道を北に向かいました。

この林道は標高はあまり上がらず、西側斜面を進んでいきます。見上げるとあずまやのようなものが見えたので、林道の途中からそちらに登ると、「坂の地蔵尊」でした。斜面の岩を使って穴を作り、そこに石仏を安置してあります(写真)。立派な屋根が付けられているので、遠くから見るとあずまやに見えるのです。南を見ると、大嶽山からここまで歩いてきたピークが全部並んで見えました。

お地蔵様に少し元気をもらって、ピークを目指して登り始めました。坂の地蔵尊の裏手は尾根で、ネットが尾根に沿って張られています。これに沿ってまっすぐに登りました。ネットの東側は植林ですが、木がまだ育っていません。足下はあまり良くないのですが、急斜面にしては楽に登れたと思います。地形図ではこの付近に破線道があるのですが、見た記憶はありません。ネットの西側が自然林になってきたので西側に出て登りましたが、結局ネットは520m付近で終わってしまいます。あとは急勾配の自然林を木に捕まりながら登りました。尾根に出て、少し歩くと頂上でした。大河四等三角点(597.79 m)がありました。頂上付近は伐採してありますが、展望はありません。

この先北方面は植林で歩きやすそうでした。595mピークを過ぎて625mピークの方に行けば、2009/09/26の下山道が使えますが、降りる地点が北過ぎです。今回は南に戻ることにしました。とりあえず尾根から降りずに、ずっと尾根沿いに歩いてみました。すると意外と歩きやすい尾根でした。植林と自然林の境界付近を歩きましたが、藪に出会うことはなく歩けました。この尾根は頂上からほとんど真東に延びています。途中でマーキングも何もなくなってしまいますが、それでもしつこく尾根を下っていくと、林道に出ました。

あとは長い林道歩きになりました。普通林道長尾谷線です。途中で「坂の地蔵さん」への道しるべがありました。お地蔵さんというのは峠や分岐点にあることが多いのですが、このお地蔵さんはなぜか坂の真ん中にあります。

最後は粟賀ゴルフ倶楽部の南に出てきますが、ここで近道をしようとして南に延びる破線道に入りました。これは荒れた山道ですが、途中で大きな沼地に入り込んでしまい、山に登ってトラバースする羽目になりました。出てきたのはゴルフの練習場で、石垣の代わりに瓦が積んであるのが不思議でした。距離は延びますが、素直にゴルフ場の方から播但道をくぐるのが正解だと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆

地形図は「粟賀町」です。