2012年12月29日土曜日

奧須加院から登る棚原山


この前(2012/12/24)に置塩城趾に登った時に、東側の谷を歩いたことがないのに気が付きました。そこで、その谷から棚原山に登ってみることにしました。

田川神社に車をとめて、北に歩きました。谷間に畑が広がりますが、この付近は川幅が広いので、下手に西側の山から降りてくると川が渡れず困るかも知れません。東の山にある毘沙門への登り口を過ぎ、オカルト的興味の的である相坂トンネルへの分岐を北に曲がり、谷山に着きました。地形図にある記念碑は明治32年の植林記念です。さらに北に歩くと舗装が切れたあたりで犬が激しく吠えながら走り回っていました。この先には西の堰堤への分岐がありますが、そこも真っ直ぐに北に歩くと、堰堤がありハンターさんに会いました。さっきの犬が猪や鹿を追い込んできたのを撃つようです。危なそうなので鈴を鳴らしながら歩くことにしました。さらに北に歩くと道は終わりますが、その先には踏み跡がありました。何も考えずにピンクのマーキングに従って谷沿いの踏み跡を辿ると、足もとはガレ石が多くなって歩きにくくなります。勾配もどんどん急になり、尾根の手前では木に掴まって登るのがやっとでした。出てきた地点は谷の真北ではなく、386mピークでした。

386mピークから棚原山まで往復しました。棚原山は枯れススキで覆われています。八葉寺への道標と「棚原明神鎮座跡」という標石があります。市川方面の展望が広がります。意外と海が見えたりもします(写真)。ここからは南に縦走です。落ち葉を踏みながら木の間を歩けるので極楽ですが、実はここから下山するまでに4ヶ所も間違った尾根に進みました。南条山の南北に切堀かと思うほど深い鞍部がありますが、人工的なものかどうか見分ける方法はありません。石積みも時々ありますが、迷い込んだ町村の方に降りる尾根にたくさんあったので、城とは関係なさそうです。南条山から南の尾根は前に歩いたのですが、逆方向に歩くと印象も違います。

下山は南条山の南の380m+ピーク(広くて間違って西の方に降りかけました)から東に延びる尾根で330m+ピークを経由し、南に延びる長い尾根を降りました。この尾根はマーキングが一切無く、見通しの効かない藪っぽい尾根なので、方位の確認には苦労しました。330m+ピークでもその南の280m+ピークでも、行くべき尾根を探し出すのに歩き回りました。気持ちの良い林もあればシダ藪もありますが、木の枝がうっとうしい以外は普通の里山歩きです。踏み跡はほとんどなく、268mピークから南は尾根が曲がっているので、尾根をしっかりと辿る必要があります。最後は奧須加院の墓地の裏に出てきました。ネットはありません。

低山ですが長い道のりで5時間近くかかりました。展望はイマイチですが、姫路の近くの山としては、こんなに歩き易い山は少ないのではないでしょうか。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「前之庄」「姫路北部」です。


2012年12月24日月曜日

南条山から置塩城趾


地形図を見ていて、置塩城を東から攻めたらどうなるだろうと思いました。そこで東の南条山から攻略しようと思い立ちました。しかし、車を取りに帰ってくる必要があるので、出発点は東ではなく西になります。車を置塩城趾の下の櫃倉神社にとめて、南に歩きました。

しばらく行くとお寺があり、山裾に墓地があります。それとは離れて北側に3基だけ墓石のある小さな墓地があり、その裏山が登れそうだったので行ってみました。この地域では山裾に害獣避けネットがないので、山に入るのは簡単です。墓地の脇から急な作業道を登ると、北側の谷に出ました。登りやすそうな植林に入って作業道を適当に登ると、尾根に出ました。姫路付近の里山としては典型的な尾根で、伐採された木や倒木が邪魔なほかは、楽に歩けました。踏み跡があり、シダも所々しか生えていません。枯れた灌木の枝を折りながら落ち葉の上を登りました。238mピークを過ぎても様子は変わりません。たまに植林らしい場所があっても、木がとても細くて発育不全の感じです。

尾根を真っ直ぐに登ると、290m+で左右に尾根が分かれます。これが主尾根です。少し南に行って350m+のピークに行ってみましたが、木が邪魔であまり良い展望は得られません。ここは棚原山から暮坂峠に通じる長い尾根で、かつては夢前町と香寺町の町界でした。置塩城趾を目指して北に歩くと、353mピークの手前付近で南に良い展望が得られました(写真)。この付近の尾根には岩が多く、東の市川沿いから北条方面や、西の山々も見えました。353mピークの北側の道はしっかりと整備されています。その先で390m+ピークに登る付近には少しですが石積みがありました。

390m+ピークと400m+ピークを越すと、ようやく南条山となります。しばらく植林の平地を西に歩くと、谷山二等三角点(439.81m)がありました。ここから西は、割と良い道があります。共同アンテナの残骸を過ぎると、地形図で見ると置塩城趾方面は急斜面を降りなければなりません。このルートは伐採してあるのでなんとなく分かりました。マーキングもありますが、それでも余りに急斜面で地面も荒れているので、これがルートとは思えませんでした。鞍部には少しましな道がありますが、置塩城趾までの登りも道があるわけではなく、斜面を適当に登りました。最後は本丸へ急斜面(人工の斜面かも知れませんが)を登りました。本丸からは北方面がよく見えます。

置塩城趾からの下山は、登山道を降りるのはつまらないので大手門から降りてみました。大手門へ行く道は案内板の地図の前から延びていますが、これもかなり荒れています。西曲輪群は一見すると段々畑のようです。道は曲輪群の南端に付けられていますが、ひどく急な道で、曲輪の中を降りた方が楽そうでした。そして大手門跡に着きましたが、どこに門があったのか分かりません。山の上にあった案内図では、大手門跡から東に水平に道があって、大手道に降りることになっています(消されていますが)。大手門跡の下に東に向かう道はあるのですが、すぐにシダ藪に突っ込んでしまいます。どう進んでも背丈以上のシダが密集して生えています。地面を歩ければ古い道でもだいたい分かるのですが、シダの上からしか歩けないとどこが道なのか全く分かりません。結局しばらく探索してから諦めて、大手門跡から真っ直ぐに尾根を降りることにしました。ピンクテープのマーキングがところどころにあって、何となく道が付けられているような気もしましたが、簡単には歩けません。木に掴まってなんとか降りて行きましたが、尾根から外れるとシダやササの藪がひどくて身動きが取れなくなります。尾根の下部では植林を抜け、最後は少し笹藪を突破すると、道路に出られました。出てきた場所は「史跡置塩城跡」という看板のすぐ北側でした。

3時間半の里山歩きでした。さすがに山城だけあって周囲の斜面は簡単に上り下りできるものではないことがよく分かりました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆ 最後の下山は完全な蛇足
地形図は「前之庄」です。

2012年12月16日日曜日

餅耕地から須留ヶ峰


須留ヶ峰は谷沿いのルートにはヒルが多いという話で、秋に登ろうと思いつつ機会を逃してきました。12月になったので雪が多くて無理だろうと思ったのですが、調べてみると旅行社が12月21日に登山ツアーを企画しており、しかも「無雪期の標準装備」で登れると書いてあるので、まだ雪は少ないのだと判断して登ってみました。

登り口は普通に餅耕地の林道終点にしました。車を置いて良く整備された登山道を登りました。しかし前日が雨だったので谷川は水量が多く、岩は濡れて滑りやすく、木の幹を並べて作られた橋も滑りがちでした。残雪は多くはありませんが、落ち葉の上の残雪は意外と滑ります。木の橋を渡らずに水量の多い川を渡ったり、けっこう苦労しましたが、マーキングはしっかりしていて迷うこともなく、気持ち良く登って林道に出ました。このコースは、登山道が整備されていなかったら登る気にはならないコースでした。林道から先も登山コースなので、迷うことなく登れました。この付近は落葉樹が多く、冬は見通しの良い林になっています。そして養父市と朝来市の市境の尾根に出ました。ここも落葉した林ですが、ところどころアシビが生えています。西に須留ヶ峰が見えていました。気持ちの良い尾根を歩いて、大杉山(1048m)に着きました。北から東に展望が広がり、地図があって山々を確認できます。とは言ってもこの日は見通しが悪く、遠くの山は霞んでいました。なお、ここまでの登山標識はこのピークを須留ヶ峰と定義しているような感じがします。

大杉山から須留ヶ峰まではピストンしました。ここも気持ちの良い落葉樹の尾根ですが、北風を妨げるものが無いので汗が冷えました。須留ヶ峰山頂はあまり展望もなく、大屋山遊会の立てた面白い木のモニュメント以外には、須留ケ峰二等三角点(1053.48m)しかありません。三角点の周囲の雪が早く溶けるのはなぜでしょうか(写真)?

登ってきた滑りやすい道をそのまま降りる気はしなかったので、下山は別のルートを考えました。まず大杉山から宮本コース(倉谷登山口)で東に降りました。こちら側の斜面は意外と雪が多く、無雪期の装備ですから、靴に雪が入って困りました。雪の上には小動物の足跡がありましたが、生き物の気配のしない山でした。宮本方面に降りないように気を付けていたのですが、じっさいそちらへの標識は見かけず、ネット沿いに急斜面を降りました。急斜面と言っても雪がなければ問題はありません。少し降りると雪も無くなって、濡れた落ち葉の上を歩けるようになりました。地形図ではこのあたりで尾根の南東側に林道が現れることになっていますが、最初に現れた林道は北側だったのでびっくりしました。この北側の林道は尾根を横切ってUターンして、南東側の林道に繋がっていました。宮本に降りる林道に接続しているかどうかは、確認してありません。

この後は長い林道歩きとなりました。餅耕地まで歩くには問題ありませんが、途中に土石流で道が完全に遮断されている所がありました。ここより上にライトバン(ナンバープレート付き)が放置されていました。さらに下には道が数10センチの大きさの石で埋まっている所がありました。土砂は無く石だけなので人工的に見えましたが、これも山が崩れたとしか思えません。この林道歩きは、深い谷や滝もあって楽しめましたが、正直長くて飽きました。さらに餅耕地に降りてから車まで林道を登らねばならず、疲れました。なお、山神社の鳥居の所には「日釜岩群の下までは車(四駆)で30分でいけます」と書いてありますが、以上のような事情で行けません。それに、途中に「一般車両の通行を禁止します」という看板が立っていました。

登りは2時間、下りも鳥居までは2時間でした。ずいぶんたくさん歩いたような気がするのは、林道が退屈だったからかも知れません。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2012年12月1日土曜日

屋形の飯盛山


これは、国道312号線の屋形南交差点の南東の山です。市川に張り出した孤立した山で、播但道は飯盛山の東側を通っています。頂上の216mピークには地形図では城跡のマークが付いていますが、これが飯盛山城(屋形城)です([1])。この山を一周する道があり、地形図では南側から山に登る道が描いてあります。ここへ行くと道の脇に「飯盛山登山口」という道標があり、登って行くと道の終点には配水所らしき建物があります。そこから登山道を上るとすぐに山頂でした。低山ですが市川の上流から下流まで見渡せるロケーションは素晴らしく、向かいに谷城趾や鶴居城趾も見えて、ここに城を築かない手はないと思いますが、岩はあっても石垣などがあるわけではありません。写真は北方面です。

下山は東に少し降りた鞍部から北に道があったのでそちらに降りると、お稲荷さんがありました。紅葉が綺麗です。さらにジグザグに降りると道が東西に分かれており、西に水平に歩くと屋形知行所跡に出てきました。池田氏懐徳碑が立っており、妙見ふれあい公園だそうです。あとは312号線を歩いて車に戻りました。

どうにも歩き足りないので、飯盛山から見えた南側の山も歩くことにしました。西側からのアプローチは播但道が邪魔なので、播但道をくぐる所まで南に下り、播但道の東側の道を上がるとゲートボール場がありました。周囲は金網で囲われており、とりあえず一番奥まで行って扉を開けて谷に出ました。椎茸の栽培所があり、その先には道が続いていましたが、谷の奧で終わっていました。道がないので、西側の急斜面を登りました。酷い藪ではなかったのですが、尾根に出ると道があってがっくりきました。この道がどこから来ているかを確認するために、一度山を下りましたが、この道はゲートボール場奧の左側の扉に繋がっていました。途中にNHKの共同アンテナがあって、その保守用の道になっています。また登りなおして、浅野三等三角点(284.32m)に到達しました。

この先には道はありませんが、ここも藪はきつくありません。いかにも里山というか、ごく普通の藪山です。シダもあまり生えていません。278mピークのあたりは、山頂付近に段があって人の手が加わっているかも知れません。その先の、320m+ピーク手前の鞍部に降りると切通しになっており、2体の首のない石仏の脇の杭に「慈悲地蔵菩提 伝承標」「有為の身を地蔵看そなわす大原坂」と書いてありました。石仏(嘉永と大正)には「先祖代々」と書いてあります。地形図では破線道がこの北を通っていますが、以前(2010/04/24)にこの付近を歩いた時にはこの破線道を確認できなかったので、この鞍部から東に降りることにしました。しっかりとした道で、気持ち良く下山できました。

低山なので藪を覚悟していたのですが、意外と楽に歩けました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。

2012年11月25日日曜日

夢前町馬頭の坂根三角点


姫路の近くでショートコースを歩こうと思って、雪彦山の南の尾根に行きました。この尾根は大天井岳から南に延びている低く細い尾根で、西隣にあるウリュドに延びる尾根と比べると低くて短いものです。夢前町山之内の北の寺河内で終わっているので、そこから歩き始めました。人家が多くて山に入りにくいのですが、馬頭の方に行く道が川を渡る所でちょっと無理をして山林に入ると、作業道がありました。ジグザグに急斜面を登って尾根に出ました。

この尾根は植林が主体で気持ち良く歩けました。350m+ピークの付近には共同アンテナの残骸がありました。次のピークへの登りはやや藪気味で、ワイヤーロープやネットがありました。ピークには坂根四等三角点(414.50m)がありますが、枝や落ち葉に埋もれて可哀想な感じでした。その先を降りる所は方向が分かりにくいのですが、降りてしまうと植林です。地形図には鞍部には破線道が描かれていますが、はっきりしません。その北は岩の多い急登で、437mピークに着きました。ここまでほとんど展望は無く、この先も無いのですが、ここでやっと木の間から大天井岳が見えました(写真)。

ここからは灌木が多かったり倒木があったりして、歩きにくくなります。真っ直ぐ歩けば雪彦山の登山道に出られそうでしたが、そうすると帰りが大変なので、適当な所で植林の中を西側の谷に降りました。作業道を探して辿りながら降りましたが、かなりの急斜面でした。岩だらけの谷に出ましたが、倒木で埋まっていないのでほっとしました。あるよなないよな道を歩いて川沿いに下り、川を西岸に渡ると、幅の広い道の終点でした。朽ち果てた「保安林」の標識が立っていました。これが地形図の実線道でしょう。終点の少し手前で橋が流されていますが、あとは馬頭まで問題無く歩けました。車でも通れますが、馬頭にゲートがあって鍵が掛かっていました。途中には巨大な堰堤があり、道路脇には坑道と思われる洞窟もあり、馬頭にも見るべきもの([1]これはリンク切れ)があって、飽きずに車まで帰れました。

藪もがありますが、尾根にはほぼずっと踏み跡があります。巨木も多く、エネルギーを感じました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「寺前」です。

2012年11月10日土曜日

八塔寺山


岡山県備前市吉永町の八塔寺は、長い歴史を持っており、一度行ってみたいと思っていました。行ったついでに山も歩いてきました。

八塔寺の村は建物が分散して建っています。ぶらぶらと歩いてから、八塔寺で紅葉を見て、その脇から八塔寺山に登りました。登山道はとてもよく整備されており、しかも八十八石仏巡りのコースになっています。88というのは多すぎていちいち探して写真を撮る気にはなりません。途中の東屋ではサーキットが見えますが、他は木が伸びすぎて今ひとつです。さらに登った先にある藁葺き屋根の建物が行者堂らしく、ここからは南側が一望できます。瀬戸内海や四国の山と思われる遠くの山まで見えました。ここは東への下山道との分岐となっており、頂上を目指すと八塔寺山二等三角点(538.64m)のある山頂に出ました。展望はありません。この山頂をぐるっと取り囲んで道があり、石仏が置いてあります。道の北側は伐採されていて、北の眺望があります。

山頂からは縦走を考えていたのですが、この付近の地形は複雑で尾根がはっきりしません。まずは北の尾根に降りようとしたのですが、藪で見通しが効きません。とにかく山頂付近から北に降りていくと、林道に出ました。その北にはプラスチックの貯水タンクのようなものと、池と、大量の瓦が置いてありましたが、何の施設か謎です。林道は西の谷に降りて行っており、八塔寺山の周囲を巡って西側の谷に行っているようですが、そちらには行かずに尾根を歩きました。踏み跡があって貯水タンクから延びるホースが這っていましたが、目的は分かりません。尾根の道は獣道に近いもので、そのうちになくなってしまいましたが、藪を抜けて西へ延びる尾根の先まで行けました。しかしその先は谷に降りるしかないことに気が付いて、尾根をとって返して北に向かう尾根に進むと、こちらには割とはっきりした道がありました。この道は西に向かって谷の北斜面に付けられています。無理に尾根には上がらずそのまま歩いて行くと、真新しい林道の終点に出てきました。

この砂利を敷いた林道は、まさしくこれから歩こうと思っていた410m+の鞍部を通って西に向かっています。鞍部を過ぎたあたりで正面の山の伐採地の北側の端を登り、450m+ピークに出ました。伐採地なので展望があり、八塔寺山がよく見えました。紅葉が綺麗です(写真)。このピークから北への尾根には防火帯のような広い道があります。400m+鞍部に降りるとまた林道と出会いましたが、そのまま尾根を登って行くと、430m+ピークの北は伐採地で、広く北側が見渡せました。そして西に向かって伐採地の縁を歩いて降りると、次の390m+の鞍部は林道の四叉路でした。北東、北西、南東、南西に砂利道の林道が延びています。ここでも林道は無視してそのまま西に尾根を登り、南に尾根を歩くと西畑四等三角点(446.44m)に出ました。三角点までは踏み跡がありましたが、ここから西の尾根は木々の間を抜けて歩きました。ただ、木の間隔は広いので、歩きにくくはありません。410m+の広いピークに出て、方向がよく分からずに南西に降りて行くと、林道に出てきました。

ここまで林道に頼らずに歩いてきましたが、ここからは林道を歩いて戻ることにしました。砂利道は意外と歩きにくく、上り下りもあります。不安だったのは、この林道の起点は西側らしいので、東側はすべて行き止まりで終わっている可能性があることでした。しかしそれは杞憂で、最初に見た行き止まりに行く分岐で谷の方に行くと、どんどん山を下って行き、砂利道は地形図の破線道と出会った所で終わっていました。この後は破線道が谷を降りて行き、中国自然歩道に出られるはずです。しかしこのルートだと舗装道路を歩くことになります。谷まで降りてくると、谷の向こうにマーキングがあり、地形図で八塔寺山から西に延びている破線道の登り口のようでした。そこで、ここから再び登り始めました。最初は荒れた急勾配の尾根ですが、すぐに整備された尾根道になりました。調子よく登っていたのですが、標高450m付近で再び勾配が急になると道が無くなり、藪の急斜面を登ることになりました。結局出てきたのは先ほど北側を眺めていた所の近く、31番石仏の前でした。道から見ると道は全く無く、ここを降りようとは思わないでしょう。

再び八塔寺山の山頂に立ち、行者堂まで降りて東へ降りる道を歩きました。途中で西側に林道の分岐があり、これが最初に山頂から北に降りて出てきた道と思われます。この先もずっと石仏を見ながら歩きましたが、ところどころに石の道標があります。最後は八十八石仏のある東の破線道を歩いたのですが、溜池の北には明治25年の石仏がありました。石仏69は台から落ちていたので戻そうとしたのですが、重くて無理でした。

藪山をかなり無理矢理歩いたという感じでした。後から考えると、ほとんどは踏み跡があるのですが、藪が印象に残りました。ただし突破できないような藪はないので、どうにでも歩ける山です。八塔寺山は登山ルート以外にも小径が沢山あるようでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「林野」「上月」です。

2012年11月7日水曜日

朝来山


朝来山は当然朝来市にあるわけですが、そもそも朝来市の中心はどこかと市庁舎の場所を調べると和田山駅の近くのようです。朝来山は和田山駅から播但線で一駅南の竹田駅の南東にあり、朝来市随一の観光名所竹田城跡の正面に位置します。絶好の写真スポットが朝来山北斜面にある桜の名所立雲峡にあります。ということで、登山もアクセスの良い立雲峡からということになります。立雲峡の駐車場に車を駐めて案内板を見ると、桜の木の間を縫って朝来山に登れそうです。とりあえず愛宕神社を目指して登って行くと、遊歩道に水が流れ込んで泥沼化しています。まず第3展望台というのがあって、竹田城跡が見えました。平日でもカメラと三脚を担いだ人達で一杯です。もっと登ると愛宕神社の鳥居があり、その先は植林になりました。愛宕の森の方へ歩いて行くと、とても質素な愛宕神社がありました。さらに植林を抜けると林道に出ました。

林道をちょっと下ると「おおなる池」(龍野の方にもあったような名前です)があって、紅葉が綺麗でした(写真)が、登りなおしてもっと西に林道を歩きました。この付近は伐採中らしく、登り直さなくても「おおなる池」の先から植林の中を登れたかも知れません。とにかく林道の西端まで行って、そこから尾根を登りました。最初は伐採地の端に緑のネットが張られていますが、すぐに広い尾根歩きになりました。勾配は結構急です。木につかまって登る所もありましたが、紅葉もなかなか綺麗で、疲れた記憶はありません。頂上に近づくと緩やかになり、気持ちの良い尾根を歩いて「この先行き止まり」の標識の反対側から朝来山山頂に出ました。朝来山二等三角点(756.50m)がありますが、展望はありません。ここからよく整備された美しい尾根を歩いて、朝来山展望台(719.8m)に着きました。南側の展望は良いのですが、北側は木が伸びて竹田城跡は見えません。

下山は「むささびコース」にしました。落ち葉が綺麗でしたが、やや退屈なコースでした。道が整備されていると退屈だと思うのは、いつも変な所ばかり歩いているからでしょう。途中の竹田城跡展望台も、木が伸び過ぎているようです。再び林道に出て、西に歩いて登ってきた道を降りました。途中で立雲峡を散策し、第1展望台にも行きましたが、ここは標高が高いので竹田城跡を少し見下ろす角度になります。いずれにしても私のカメラの倍率ではたいした写真は撮れません。

道のない尾根を登ったのですが、その割りには疲れずに登れました。春の立雲峡は桜が綺麗だろうと思いますが、他の季節に歩くにも良い山です。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。

2012年10月27日土曜日

銀山湖から登る法道寺山


生野の銀山湖の北にある法道寺山は、北側の岩屋観音からも登れますが、今回は南の銀山湖から登ってみました。法道谷からというルートもありますが([1])、法道谷の奧は荒れていそうなので、安全策として尾根伝いに登ることにしました。登り口は法道谷ではなく、そのもう一つ西の谷です。橋から降りた所に駐車場があるのでそこに車をとめて、谷の奧へ歩きました。すぐに谷は狭くなって、地形図で実線道が破線道になるあたりで杣道という感じになりました。送電線の下を通ると赤い「火の用心」が谷の西側にありました。しかしNo.31とNo.32の両方の数字が書いてあり、よく見ると谷の東側にも赤い「火の用心」が立っていたので、谷を渡って行って見に行くとNo.32への巡視路がありました。急斜面に作られた道なので崩落しかかっており、すぐに見失いましたが、どうやら浅い谷に通じているようで、水のない谷間を登ることになりました。かなりの急勾配ですが、真っ直ぐ登って行くと、鉄塔の下に出てきました。619mピークの山頂ではなく少し西側の斜面に立っている大河内線32鉄塔です。展望は良く、銀山湖は少ししか見えませんが、生野の町が見えました。遠くの山は、もちろんたくさん見えます。

ここからは尾根を北に縦走です。しばらくは古びた金網に沿って歩くことになりますが、周囲は自然林が多く、踏み跡もあるので快適でした。ほぼ平坦な尾根を歩いて行くと、岩のある急斜面に出ましたが、ここを登ると主尾根に出ました。周囲は植林です。少し北に歩くと、法道寺山です。上生野二等三角点(806.46m)があります。周囲は伐採してありますが、展望はありません。この先も北に縦走ですが、法道寺山のすぐ北は急斜面を降ります。ここは間違えやすい場所でした。この尾根には大昭和製紙の境界見出標や標石がたくさんあります。地主さんでしょうか?他にも地籍調査のピンクテープがたくさんあります。769mピークには地籍図根三角点がありますが、こんなにピンクテープを使わなくても、と思うのですが(写真)。このあと坂を降りて、ちょっと植林が増えたと思うと行者山から連なる尾根に出ました。ここで東に曲がりました。

曲がってすぐに、再び地籍図根三角点があります。ここでもピンクテープがふんだんに使われていました。この先の尾根は、ここまでとは打って変わってマーキングが無く、寂しくなりました。しかも徐々に藪っぽくなります。北の多々良木ダムは木々の間からずっと見えていますが、一番よく見えたのは769mピーク付近でした。竹田城もかろうじて見えました。769mピークは平らなので南に行きたくなりますが、北東に降りなければなりません。降りた所で東に曲がるのですが、マーキングが無く、広がった尾根なので目標が掴めません。要はどこを降りても良いのですが、降りてきた尾根は藪でした。この先は踏み跡が復活し、歩き易くなりました。相変わらず大昭和製紙の境界見出標があります。そして辛い急登の後で、もっつい山山頂に出ました。赤星四等三角点(775.74m)があります。

もっつい山からは南に尾根を歩いて下山しました。この尾根は関電の巡視路となっているため歩き易く、ススキや紅葉を愛でながら歩きました。大河内線36鉄塔は、東側の眺めの良い場所です。多可町の三国岳などが見えていました。ここから尾根は植林になります。続く35鉄塔も眺望の良い所で、法道谷が見下ろせます。巡視路はここから更に南の尾根に延びていて、646mピークを通りますが、その南の登りかけの所で西に分岐しています。この分岐は34鉄塔に行くものですが、斜面をトラバースする形に道が付けられており、崩落しかかっていたので、とりあえず南の690m+ピークに登り、そこから真っ直ぐに鉄塔のある尾根を降りることにしました。690m+ピークは植林です。ここから鉄塔のある尾根に降りようとしたのですが、まず倒木に妨げられました。倒木を過ぎても幅の広い急斜面の藪で、途中で嫌になって歩き易そうな南側の尾根にトラバースしました。こちらの尾根はほどほどに降りやすかったのですが、尾根の先には鉄塔は無く、尾根の先に見えていたのは法道谷の西側の鉄塔でした。地形図ではこの付近は銀山湖沿いの道路の北側は崖に描いてあるので心配だったのですが、とりあえず降りて行くと道路が見えて、急な植林を抜けて降りて道路に出ることができました。

5時間弱の山歩きでした。色づいた木もあり、秋を楽しむことができました。法道仙人と言えばインドから雲に乗ってやって来たという人で、法華山一乗寺や御嶽山清水寺の開祖でもあります。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬新井」です。

2012年10月14日日曜日

神河町の飛ヶ丸


2010/04/03に、粟賀町の大嶽山から北に縦走して、大河四等三角点まで歩きました。最近[1]を見て、この597.8mピークが飛ヶ丸(または飛山)という名前だと知り、もう一度登ってみることにしました。

播但自動車道を「神崎32」でくぐって、普通林道長尾谷線を登って行きました。途中に「坂の地蔵さん」への分岐があり「医者どん道」の標柱も立っています。前回は「坂の地蔵さん」から飛ヶ丸に登りましたが、登りにくかったので今回はそちらには行かず、前回下山に使った尾根に向かいました。これらの標識については[1]をご覧下さい。前回に降りてきた付近を探しましたが、あまり登りやすそうな場所はありません。そこで林道をさらに先に行って、尾根の北側の谷から登り始めました。最初は間違えて北西の谷に行きそうになりましたが、気が付いて西に入る谷に戻りました。この付近は地形図の粟賀町と生野の境界にあって、読み間違えそうでした。

この谷の北側には作業道があり、これを歩きました。南側の尾根に早く移りたかったのですが、谷の南斜面は地形図で見るよりもずっと急で、登る気にはなりませんでした。しかし谷の奧は段々狭くなり、作業道も怪しくなってきたので、結局谷に石組みの堰堤(?)があるところで谷を渡り、南斜面を登りました。幸いに作業道があり、水平に斜面をまわって尾根に出ました。この尾根は前回は下山に使いました。この付近から下は良い感じなのですが、ちょうど尾根に出た所から上は急斜面で藪っぽく、木の枝の間を抜けて登り、飛ヶ丸山頂に出ました。大河四等三角点(597.79 m)付近は伐採してありますが、前に来た時よりも藪っぽい雰囲気でした

山頂からは北に尾根を歩きました。植林ですが、枝打ちされていないようで下の方から枝が出ています。しかも585mピークを過ぎると藪っぽくなりました。だいたいは南側が植林、北側が自然林で、680m+ピークへ登る斜面もその境界を通りました。ピークは植林ですが、その北は藪です。それを過ぎて600m付近まで来ると美しい植林となります。ここは2009/09/26に来たの八幡山から来た所です。今日は北には行かず、下山するつもりで東に行きました。625mピークも植林です。南に尾根を降りて行きましたが、やや分かりにくい尾根でした。494mピークは伐採されており、ネットで囲まれていてびっくりしました(写真)。背の高い松の木が残されているため展望は抜群とは言えませんが、猪篠川を上流から下流まで見渡せます。笠形山や粟賀町の様子もよく見えます。494mピークがネットで囲まれているため、下山もネットの中を降りることにしました。このネットは最近のもので、出入り口がなければ通れないからです。結局伐採の終わった南斜面を降りました。急斜面に伐採した木が積み上げられており、隣の植林とどちらが降りやすかったか分かりません。慎重に降りていくと、伐採地の一番下に出入り口があり、10mほど下に林道がありました。

3時間ちょっとのショートコースでした。尾根はずっと植林だと思っていたので、予想よりは藪が多かったのですが、さほど苦労せずに歩けました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」「生野」です。

2012年10月7日日曜日

黒尾山の南の870mピーク


山には常に名前があるとは限りません。この山も、あまり目立つ山でもなく、名前が無いのもしかたないかも知れません。しかもこの山は通り道で、必ずしもこの山に登ることが目的だったわけでもありません。

山崎から伊沢川を遡って、上の下(地名です)で左に曲がり、河原山川沿いに細い道を走りました。橋を渡り、別荘を何軒か過ぎたところで右に別れる未舗装の道があり、ここに車をとめました。そして川沿いに歩き、東谷大橋を渡って堰堤を過ぎ、河原山川から東谷川が別れる所で東谷川を北に渡って、尾根の端に取り付きました。少し北に行って河原山川に近い尾根を登り始めると、作業道がありました。尾根を真っ直ぐに登っているので大変な急勾配ですが、道には違いありません。しばらく登って踊り場を過ぎると倒木などが増えて藪っぽくなりますが、道は続いています。そのまま尾根を登り続けましたが、意外と植林は少なく、ところどころ岩のある尾根でした。820m+ピークも、851mピークも藪でした。その先しばらくは平らですが、登りになります。この付近でも踏み跡はあります。地形図ではこの付近のすぐ南の谷に破線道がありますが、確認していません。尾根を登って行くと岩場があり、付近にはワイヤーロープが転がっています。この付近は伐採されており、材木を下ろしたのだと思いますが、伐採後には灌木が茂っており、イバラも多くて藪になっています。ところどころ最近植林を切ったところは空き地になっていましたが、他は藪で、抜けるのに苦労しました。最後は870mピーク近くに行きましたが、藪がきつかったのでピークには行っていません。おそらく高い松の木が生えていたあたりだと思います。

870mピークからは東に尾根を歩きました。ここも木が少なくて藪ですが、道がありました。ワイヤーロープが尾根沿いに走っていましたが、何のためのものか見当もつきません。そのまま尾根を北に歩いて、山崎智頭線16鉄塔に着きました。写真はここから見た黒尾山です。ここまで、北の尾根に隠れて黒尾山を見ることはできなかったのです。鉄塔からは南に歩きましたが、来た方の尾根に行かずに植林の中を東側の尾根に降りました。しばらく行くと道標があり、15鉄塔経由で与位への分岐となっていますが、水剣山方面に歩きました。植林の790m+鞍部を過ぎると真っ直ぐの登りで、840m+ピークに出ました。ここにも道標があり、水剣山方面に進みました。この先の尾根は以前に峰旗から歩きましたが、倒木で荒れた部分が多く、なかなか進めません。植林が終わると急な下りになり、木に掴まって降りました。方向をきちんと確認しなかったのですが、今回は西に戻るので必ずしも峠に降りる必要はなかったので、適当に降りて行きました。そして出てきたのは荒れた林道でした。この道は谷の北側斜面に作られており、降りてきた地点より東側は倒木で埋まっていました。幸いに西側は地形図の実線道どうりで、一旦曲がってから川を渡り、くねくねと曲がりながら降りていきます。紅葉の季節には美しいと思います。

名もない山ばかりですが、コースとしては870mピークの手前と林道に降りる所以外は大きな問題はありません。展望は870mピーク付近からと鉄塔から楽しめました。ところでこの付近は河原山国有林のようですが、河原山とは具体的にどの山のことでしょうか?河原山三角点は、一宮の方にあります。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。

2012年10月6日土曜日

中音水渓谷


音水川と赤西川の間にある中音水川付近の山は、登りたいとは思っていましたが、周遊ルートがうまく組めません。渓谷が長く延びていて、ぐるっと尾根をまわって帰って来られないのです。しかし[1]を読むと中音水渓谷には森林鉄道の跡があるそうなので、周回ルートにこだわらず行ってみました。

波賀町音水の「インクラ橋」を渡って林道に入りました。名前からして森林鉄道の跡です。しばらく歩いて、尾根が突き出ている所にカーブミラーと赤い「火の用心」がありました。ここから尾根に登ると原横行線4鉄塔がありました。引原川対岸の日ノ原集落がよく見えます。この後は尾根を歩きました。ちょっと岩がありますが、ごく普通の藪山で、音水四等三角点(727.37m)に着きました。ここからちょっと地籍調査のピンクテープがありますが、植林の鞍部を過ぎるとマーキングの無い藪に戻りました。823mピークも藪ですが、そこからいったん鞍部に降りて、また登ってピークに出て、渓谷を目指して南西に尾根を下りました。岩場に鋼鉄のロープが落ちており、岩の周囲にロープを巻いて何かを引き上げた跡がありました。尾根の最後は岩場が多く、急勾配で木につかまらないと降りられません。斜面は落ち葉と柔らかい土とガレ石で埋まっており、下手をすると長距離を滑落します。最大限の注意を払って降りると、道に出ました。地形図の破線道です。

この付近には人の活動の跡があり、道もしっかり整備されています。少し中音水川を遡ると、「引原川支流 中音水川源流」の標識が立っており、川を渡る鉄の橋がありました。これが破線道が川を渡っている所ですが、川沿いにも歩けそうだったので、中音水川を遡ってみることにしました。中音水川渓谷は音水渓谷に劣らない美しい渓谷です。特にこの付近は川の両側が広く、気持ちの良い場所です。最初は川の東側を歩いていましたが、岩が迫って歩けなくなったので西側に渡ると直径4mほどもある炭焼き窯の跡がありました。この後も川を何回か渡って川を遡りましたが、少し歩きにくくなってきたので川の西側を見上げると、きれいな石積みがありました。これが地形図の破線道に違いなく、ガレ石の急斜面を登って道に出ました。しばらく北に歩いて橋の流された谷を渡ると、小屋が二軒ありました。どちらも壊れかけており、隣には既に壊れた家の残骸がありました。よく見ると電気を使っていた形跡があります。

山側の小屋の前からさらに道を北に歩くと、地形図で堰堤の描いてある所に川を渡るコンクリート製の橋の残骸がありました(写真)。[2]を読んでいなかったので、ちょっと感動しました。この橋は途中で切れて、部品のコンクリートブロックが川沿いに落ちていましたが、橋の落ちた先には木で同じ様な橋を作った跡が残っていました。橋が流されてから木で作り直したのでしょうか。地形図では破線道はこの先も川の西側に描かれていますが、実際にはここで東側に渡っています。この橋の残骸は道から直角に延びており、道そのものは少し行ってから川に突き当たって終わっています。道の終端はしっかりとした石組みになっており、川から橋と同じくらいの高さがあり、おそらくこの道の先にも橋があったものと思われます。対岸に渡ってさらに中音水渓谷を遡ると、地形図で破線道が終わっている付近で道も終わっていました。ただしここからは西の尾根をジグザグに登る踏み跡があり、1032mピークの方へ行けるのかも知れません。

中音水渓谷はもっと遡れそうで、源流もこの先にあるのだと思いますが、疲れてきたのでこの辺で帰ることにしました。帰りは破線道をずっと南に歩きましたが、土石流や倒木で通れなくなっている場所が何ヵ所があり、そのような所では山側か谷側に巻いて進まねばならず、疲れました。そして岩の切通を通ると、いきなり橋に出ました。これは高い所に掛かっており、間の開いた二本のコンクリート棒なので、危なくて渡れません。しかたなしに谷に降りて登りなおしました。この先の道を歩くと車輪が落ちていました([1])。さらに先にはまたコンクリートの二本橋が二つも掛かっており、谷が深いので進むのを諦めました。先ほどの高所の橋の下の谷を地形図の破線道どうりに降りて、中音水川に出ました。この付近のことは、[1][2]に詳しく書いてあります。破線道はこの場所で急斜面を登っていますが、森林鉄道はこのような坂は登れなかったと思われます。他の部分はほぼ山の斜面に等高線に沿って引かれており、ここだけ急斜面を登るなら、何らかの仕掛け(インクライン?)が必要だったと思います。それを考えると、川の南でいちど東に大きく水平に戻って徐々に登るのは理解できるのですが、そもそもどんな車両が走っていたのでしょうか?

帰りは谷沿いの破線道を歩きました。最初は倒木が邪魔な程度で、良く整備された道です。しかし、[1][2]にもありますがコンクリートの二本橋と鉄製の二本橋が続いてあります。この二つも歩かずに谷に降りて巻いたのですが、谷側に降りる斜面は急斜面で、意を決して橋を渡った方が安全だったかも知れません。しかも道に戻ろうとすると石積みが邪魔で登れなかったりします。この先の道はどんどん荒れてきて、倒木や土石流で見えなくなっている所もありました。そしてほとんど道とは言えないようになり、疲れ果てて上を見ると、林道が走っていました。林道に出てから林道の終点(「中音水川源流」の標識あり)まで行ってみたのですが、林道がまっすぐに破線道に繋がっているわけではないのです。ですから何も知らずに破線道を東に歩くと、林道の下を平行に歩いてしまうわけです。この林道は歩くには十分でした。特に尾根の先で南に突き出た岩場を廻る時には、岩の迫力に圧倒されました。最近に岩の一部が崩れたらしく、明るい茶色の岩が露出していました。原横行線2鉄塔の上を通り、始めに尾根を登り始めたカーブを通って、音水に戻りました。

ここで歩いた道はほとんどが森林鉄道の跡のようです。ただ、破線道と林道がまっすぐ繋がっていないことから考えると、今の林道がそのまま森林鉄道の跡なのかどうかは疑問があります。中音水渓谷は美しいのですが、辿り着くにはかなりの努力を要することが分かりました。木につかまって登ったり降りたりする場面が多く、腕が痛くなりました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「音水湖」「西河内」です。

2012年9月23日日曜日

佐用町の桑野三角点


中国自動車道沿いに山崎から西に走ると、千種川から西は中国自動車道は金近トンネルがありますが、一般道では寺坂峠を通って桑野、庵、平福を経由して佐用に行くことになります。寺坂峠の南側には地形図で見ると複雑な地形があって、どんな所か見に行ってみました。

千種川を中国自動車道をくぐって北に遡ると、上三河と中三河の間付近に、鍛冶屋橋という人が渡れるだけの幅の橋がかかっています。地形図にもありますが、平成23年に架け替えられた立派なものです。橋を渡ると小さな墓地があり、そこから南に道があります。荒れていますが、いかにも杣道という感じの道で、ほぼ地形図どうりに山裾を通って谷を西に遡っていきます。途中で谷から上がってくる道と合流すると少し歩きやすくなります。谷の南側は伐採されており、谷の奥にはネットがありました。峠には大日如来を祭った祠があり、そこから北に登りました。ピンクのマーキングがあります。徐々に急になリ、木に掴まって岩場を登ると、山頂に出ました。桑野三角点がありました。三角点の少し手前からは、東側の展望がありました。ここは烏帽子山と言うようです([1])。

山頂からは意外と急な北側の斜面を降りて、そのまま尾根を降りて行きました。ここはかつての佐用町と南光町の町境です。薄めの藪を抜けると、地形図で南西に崖が描いてある330m+ピークに出ました。この崩落面は赤い砂地です。ピーク上には低い松が生えていますが、この付近は踏み跡があります。350m+ピークを過ぎると倒木の急斜面になるので、少し北側に降りて、地形図にある破線道に出て、鞍部に戻りました。この道も荒れて崩落が激しいです。鞍部からは西に尾根に上がりましたが、この尾根はかつては踏み跡があったようですが、今は倒木が多く、ひどい藪でした。しばらく我慢して登ると、少し平坦で歩きやすくなりました。さらにやや急な斜面を登って450m+ピークに出ました。付近は植林です。ここからは尾根を南に歩きました。きつい藪もありますが、長くは続きません。植林の鞍部を過ぎて急斜面を登ると、ネットのある尾根に出ました。この尾根はかすかに踏み跡があるくらいで、それもネットのどちらにあるか分からず、歩くのに時間がかかりました。431mピーク付近からは北の展望があって、庵の行者山(写真)や桑野の集落が見えました。ピークを過ぎると下りになりますが、藪は相変わらずきつく、岩場もあって注意を要しました。ネットが無くなる(はぐれた?)と少し歩きやすくなり、最後は急な植林を降りて桑野につながる破線道に降りました。

降りた地点はかなり桑野寄りだったので、峠までまず登りました。破線道は林道ですが、崩落で通れないところもあります。谷は幅が広く、かつては棚田になっていたようです。地形図にあるようにつづらに斜面を登って峠に出ました。祠がありましたが、中には何もありません。東側も同じような道で、つづらに斜面を降りていきます。谷に出るとここも棚田か畑があったようです。地形図ではこの先で破線道が分かれており、来た峠に戻るには谷の東側を歩くようになっていますが、はっきりした道がみつからなかったので、西側の道を歩きました。この道は斜面のやや上につけられており、ススキが茂っていました。しかし歩くには問題はありません。谷の東側を見ると倒木で埋まっており、歩くのは大変そうでした。しばらく歩くと草が減ってきて、歩きやすくなりました。道が谷の東側に移ると、川にはしっかりと護岸が作られており、そのまわりにかつては畑であったと思われる平坦地が作られていました。

このまま西に歩けば長谷の方へ行きますが、千種川に戻るには、その前に分岐で東に曲がる必要があります。この道も最初は良く整備されていますが、だんだんと荒れてきます。南の送電線の鉄塔へ行く金属の橋をいくつか過ぎて、谷が分岐するところで道の両側に赤い「火の用心」が立っていました。いかにも不思議だったのですが、深く考えずに谷の道を歩き続けると、道はどんどん荒れて、最後は谷の奥で終わってしまいました。GPSで調べるとここは奥長谷三角点(羽城([1]))の北東の谷でした。分岐まで戻って別の谷に行こうとしたのですが、道もありませんし東の谷は倒木だらけです。よく見ると、「火の用心」の付近から関電の黒いプラ階段が斜面に真っ直ぐ付いており、これを登って、さらに力づくで上に登ると、斜面に平行に走る作業道がありました。砂利が多くて歩きにくい道ですが、これを東に歩いて行くと、峠に出ることができました。首のないお地蔵さんが置かれている祠がありました。この付近は植林ですが、南からの尾根は自然林で気持ちよさそうです。ここから中三河への下山は、2011/02/27の逆ルートですが、斜面に付けられた道はかなり削られており、砂や砂利のところは滑落の恐れがあります。

最初に歩いた尾根のルートはとても分かりにくく見えますが、実際には谷の周囲を歩いているだけです。典型的な藪山と典型的に荒れた杣道を歩き続けた4時間半でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「土万」です。

2012年9月22日土曜日

明延山と明神山


明延山は、宍粟市の北東の端の方、富土野トンネルの東にある山です([1])。一宮から国道429を走って揖保川を遡り、倉床川沿いに北上して桑垣を過ぎた所で青菜林道に入りました。ここは2011/09/24に来たことがあります。比較的良く整備されている林道を走り、「青菜川源流」の標識で道が二つに分かれている付近に車をとめて、源流の方向に歩きました。「うるしがさこ」(?)の標識の先の、地形図では右に行く破線道しか無い所で、再び林道が二つに分かれています。この真ん中の尾根を登りました。勾配は急ですが植林なので登りやすい尾根です。しかし標高差で50mも登ると再び林道に出会いました。先ほど左に分かれた林道の続きらしく、西から来てこの尾根でUターンしてまた西に登っていました。どこへ行っているのか興味がありましたが、主尾根に達するとは考えにくかったので、そのまま尾根を登り続けました。

勾配の緩やかな広々した植林を過ぎると狭い尾根に出て、西側が植林で東側が自然林となります。ちょっと藪っぽいのですが、すぐに宍粟市と養父市の境界の主尾根に出ました。ネットのある植林で、北側の山が見えます。ネット沿いに北に歩くと、ネットはすぐに無くなりましたが、やや藪っぽい感じです。途中で東側下方に林道が見えましたが、青菜川源流へ行く林道の続きかも知れません。明延山に近づくと広く木のない場所があって(写真)、南側の展望が広がりました。目立って高い山がないので、地形図と見比べても今ひとつ楽しみがありません。明延山三等三角点(786.35m)の周囲も広く、栗の木が生えていました。このピークは明延山というくらいで、明延からまっすぐ尾根を南に登ると出てくる地点です。そちらの方向の尾根も歩きやすそうでした。

ここからは東に縦走です。長い馬の背のような尾根を降りました。鞍部には破線道があるはずですが、形跡はありません。ネットがあって歩きにくい植林を登り、798mピークの手前に再び展望のある地点がありました。北の遠く方に妙見山、東には須留ヶ峰が見えます。798mピークを過ぎて鞍部から次のピークに登る斜面はネットと倒木とシダで埋まっており、非常に歩きにくい場所でした。しかしここを過ぎると尾根はミズナラ主体の自然林になって雰囲気が良くなります。なだらかで気持ち良く歩けましたが、770m+の尾根に登ると藪でした。この先は西側に展望があり、明神山四等三角点(791.24m)のある明神山([2])に着きました。周囲は伐採されていますが、三角点からの展望はありません。明神というのは、明延と神子畑の頭文字を取ったものでしょうか?明神電車というのもありましたね。この山は神子畑からはかなり離れていますが。

明神山からは下山で、南西向きの尾根を降りました。勾配はたいしたことありませんが、伐採した木が転がっていて歩きにくく、自然林になってほっとしました。そして、地形図どうりに林道に出ました。この林道はしっかりしており、自動車でも通れますが、谷は荒れています。林道沿いには「あしだに」「かまごや」「やなヶ段」などの標識があります。途中に江戸時代の墓が二基だけ立っていたのが印象的でした。そして、「青菜川源流」の分岐に出て来ました。

3時間半しか歩いておらず、ちょっと歩き足りない感じです。富土野トンネルから北の尾根はブナの自然林が素晴らしいのですが、こちら側は植林が多く、その点は期待はずれでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」「神子畑」です。

2012年9月16日日曜日

戸倉スキー場から赤谷山往復


戸倉スキー場から赤谷山に登るルートは2つあります。それを往復してみました。登りはスキー場の入口の振子沢ロッジから真っ直ぐ西に行った所の尾根です。地形図で道と川が分かれている地点がありますが、ここは実際には両側に川も道もあります。舗装道路から植林を通って北側の川を渡り、ぐるっとまわって尾根の先端に出ました。この付近は「大阪西ライオンズクラブの森」だそうです。最初はひどく急で手を使ってへばりつく感じで登りましたが、すぐに緩やかになり、あとは赤谷山までほとんど急斜面はありません。ずっと踏み跡はありますが、標高750m付近で北側から作業道が上がって来て、ますます歩きやすくなりました。この道がどこに降りているかを調べれば、立派な登山ルートとして使えます。やや急なところもありますが、植林の倒木が邪魔だったりはしません。作業道は標高900m付近で水平に北に行ってしまいますが、この後も踏み跡があって歩きやすく、宮向四等三角点(997.66m)に着きました。周囲は伐採してあり、南に若干の展望があります。

三角点の先には地形図で見ると標高1000mの標高線が細長くうねっており、細い岩場かと恐れたのですが、ごく普通の細尾根でした。この付近からややチシマザサが増えてきますが、数も少なく背も低いので問題になりません。巨木もあって楽しめます(写真)。やや急勾配になって、チシマザサがうっとうしくなってくると、稜線に出ました。兵庫県と島根県の県境です。赤谷山と北の1143mピークの間にある1190m+ピークの南に出てきました。ちょっと南に歩くと赤谷山山頂です。この日はガスが多く、氷ノ山や後山は雲に隠れていましたが、展望は十分ありました。落折二等三角点(1216.44m)と、宍粟50名山の標識があります。

下山は前にも使ったスキー場の上に出るコースをとりました。登ってきたコースに比べるとチシマザサが多いのですが、しっかり刈られていますし、木の間が広い開放感あふれる林を通るので、コースとしてはこちらの方がお勧めです。今回は登り口近くに降りようと思って、最後はスキー場上部の建設省戸倉基地局には行かず、尾根を北に831mピークへと歩きました。ここは岩の多い細尾根を通ります。831mピークからは下山路に悩みましたが、なるべく川の下流に出ようと北東向きの尾根を降りました。ここは非常に急でしたが、作業道の名残がありました。最後は谷が合流する地点に出て、ここから下流側は谷沿いの道がありました。しかし上流には延びていなかったので、下流に向かって降りたのは正解のようです。この地点には、「奥山保全トラスト」による「入山禁止」の紙が下がっていました。

標高差は600mありますが、全行程3時間強しかかかっておらず、姫路から1時間半かかることを考えるとちょっと物足りない感じでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。

2012年9月15日土曜日

朝来市田路の西山三角点


朝来市田路の絵本三角点に登った時(2012/08/30)に気になった山です。田路川の北沿いの山としては、一番手前にある低い山ですが、川の上流側の山から見るとひと続きの山並みの先に形よく見えていました。

一番の問題はどこから尾根に登るかですが、あまり先端から登ると戻ってくるのが大変そうですし、途中からだと尾根までが遠くなります。結局、口田路の橋のところに山に入る道を見つけて、そこから登りました。しかし実はこの道は墓に登るためのもので、その先は急斜面の植林となってしまいます。この斜面は足場が悪く、何度も滑りかけました。上を見上げるとネットがあり、真っ直ぐ登るのはやめて東に斜面を斜めに歩き、東にあった尾根にたどり着きました。これも急勾配の尾根で、時々木に掴まりながら真っ直ぐに登り、やっと400m+の主尾根に出ました。

ここからは尾根歩きなので快適でした。この尾根はシダよりもササが多いのですが、背は高くありません。ときどき展望があり、北には竹田城跡が見えました。そのうちに北の婆々山(馬場山?)が見えるようになると登りになりました。この付近は尾根にネットがあります。ここを登り切ると平坦な植林に出ます。いかにも城跡らしい平坦地もありますが、田路城というのはここではなさそうです([1])。植林を気持ちよく登って行くと、お花畑(?)の中に西山三等三角点(666.98m)がありました(写真)。

三角点からはやや急な下りですが、途中で田路川上流側が見えて、これから歩く笠杉山までひと続きの山並みが見て取れました。標高750m付近には倒木地帯があり、その先の690m+鞍部には共同アンテナの残骸がありました。この先は登りですが、720m+の小ピークの先は細い岩場の尾根となっており、ちょっとスリルを味わいました。さらに575mピークへは急勾配の登りとなりますが、岩が多くて足場が良いので意外と楽に登れました。575mピークからは、やや荒れた尾根を西に進みました。3つ目のピーク付近でどう下山するかを検討したのですが、南に伐採されて展望の良い場所がありました。ここからは、トンガリ山まで連なるひと続きの尾根が見えました。しかし南への下山は難しく、結局植林と伐採地の境界を西に歩いて、地形図の破線道の鞍部に出ました。破線道は見当たりません。北側は植林ですが、南は植林と自然林の混ざった急勾配の斜面です。あちこち降りてみて、結局西側に植林の尾根を見つけました(地形図でははっきりしません)。これを降りましたが、結局どこを降りても結果は同じで、植林の谷に出て来ました。湿っぽく、ガレ石の上に倒木と枝が積もった最悪の谷です。悪戦苦闘してしばらく降りると作業道に出て来ました。これを下って行くと、破線道の谷に建設された堰堤に出て来ました。作業道で道に出ることができました。ここは奥田路なので、口田路まで田路川沿いを歩いて帰りました。

登りと下りは大幅に改善の余地がありますが、意外と展望があって尾根そのものは楽しめました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬新井」です。

2012年9月14日金曜日

多可町の大井戸山と竜ヶ岳


多可町加美区の大井戸山と竜ヶ岳は、その間にある清水坂から登るのが一般的のようですが、真ん中に登って右と左の山に行くなんて、無駄が多すぎです。そこで、大井戸山に杉原川からダイレクトに登ってみることにしました。その理由は、この山の裾野が地形図でとても美しいからです。頂上から裾野に向かって等高線が徐々に広がっていく様子は、まさに富士山のようです。つまり、播磨のほとんどの山は裾から登ると最初が急斜面で辛く、だんだん楽になるの対して、これらの山は最初は楽でだんだん急斜面になるのです。このことは田中眞悟著「兵庫の地理」にも書かれており、麓屑(ろくせつ)面として説明されています。

車を国道427沿いの轟に停めて、杉原川を渡ってやけにきれいに舗装された道を登って行くと、大井戸山の山麓に道が作られていました。しかも「ラベンダーパーク多可」というものまで建設されています。それが綺麗な山裾を見事に円周状に切り取っています。この様子はGoogle Mapでも見ることができたのですが、知りませんでした。しかたなくラベンダーパークの北側の駐車場から植林に入りました。この辺りは、まだなだらかな山裾ですが、ラベンダーパークの北側の植林には石積みがあり、かつては段々畑だったようです。しばらく登ると送電線鉄塔に出ました。奥多々良木線30です。ここからは送電線の巡視路で登ろうと思っていたのですが、登っていく巡視路が見つかりません。結局植林の中を適当に登りました。送電線の下は谷で藪っぽいため、だんだん進路は北にずれて行きました。この付近は植林の間に大きさ1m前後の岩が転がっています。特に谷には岩が集まっています(写真)。尾根に出て登って行くと、だんだんと勾配が急になり、それにつれて岩が大きくなっていきました。溝の刻まれた尾根を登って行くと、岩盤に突き当たって、そこからは木に掴まって登る急斜面になりました。標高にして500m付近です。あとは標高差200m以上を、大きな岩の間を縫って木に掴まって登りました。とは言っても時々は平坦地もあって、休みながら登れました。踏み跡や地籍調査のピンクテープ、それに多可町の地籍調査の杭が目印となります。藪というほど木の間隔が狭いところはありません。そして、いきなり目の前が開けたと思ったら、山頂でした。南に展望があり、目標にしていた尾根上の鉄塔が下の方に見え、杉原川沿いが見渡せます。この日は小雨で見通しが悪かったのですが、それでも大展望でした。実はここは大井戸山の山頂ではなく、ちょっと東に行くと大井戸山四等三角点(794.19m)がありました。

ここからは登山コースで尾根伝いに竜ヶ岳へ縦走しました。大井戸山の東の尾根は岩が多く、尾根を歩いていると大きな岩の端に出て歩けなくなることがあり、その時は巻いて歩きました。丁寧すぎる道標は無いので、楽しんで歩けました。木々の間から篠ヶ峰が見えます。750m+の竜ヶ岳から篠ヶ峰へ延びる主尾根のピークには、多可町の地籍図根三角点がありました。篠ヶ峰方向には何の道標も無いのが気になりましたが、竜ヶ岳へは北上です。岩もありますが、植林が増えてきます。706mピークには、氷上町三原に降りる道標がありました。そして清水坂に降りると、弘化3年のお地蔵さんと、炭焼き窯にしては立派すぎる石積みがありました。ここからまた登りで、竜ヶ岳まではほとんど植林です。時々氷川町も千ヶ峰も見えます。竜ヶ岳山頂は標識がいくつもあり、竜ケ岳三等三角点(816.74m)もあって賑やかでした。展望も素晴らしく、多可の天空に杉原川、ラベンダーパークもよく見えました。

下山は清水坂に戻る気はさらさらなく、竜ヶ岳から西に延びる尾根で降りるつもりでした。じっさいこの尾根には踏み跡があり、多可町の地籍調査の杭などのマーキングがあって、登山道と呼んでも良いくらいでした。ただ、道なりに降りていくと予定していた南寄りに西に延びる尾根ではなく、北寄りの尾根を降りていることに気付きました。踏み跡があって歩き易いのでそのまま降りると周囲は植林となり、湯風呂谷四等三角点(458.77m)に出て来ました。この先の植林では多可町の地籍調査の杭が2本ずつ道を挟んでペアになって埋められていました。ずっと歩き易い尾根なのですが、最後は非常に急斜面となり、南の林に逃げ込んで降りました。降りると林道がヘアピンに曲がっている地点に出ましたが、これは地形図には無い林道で、北側の谷を伐採しているようでした。林道沿いでは伐採作業が行われていたので林道は降りずにさらに植林を降りて下の林道に出ました。あとは林道と国道を歩いて轟まで帰りましたが、国道427は歩道がないので、できれば南向きの尾根で降りたほうが楽だったでしょう。

目標の送電線沿いではなかったのですが、迷うことなく登れたので正解と思います。なお、「ラベンダーパーク多可」で案内図を読むと、「大井戸山までの登山道も整備されています」とありました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」「大名草」です。

2012年9月11日火曜日

多可町の三国岳


三国岳はその名のとおり、播磨、但馬、丹波に跨る山です。今では多可町加美区と、丹波市青垣町と朝来市生野町の接点となっています。多可町から登りましたので、多可町の三国岳としておきます。

登り口は、国道427の道の駅「かみ」の北側、山寄上の林道大玉線です。「三国岳登山口 山寄上コース」という案内板が立っています。害獣避けの扉の向こうは沢沿いの林道で、良い道です。2つ目の堰堤のところで北に大きくカーブしており、この先の北側の尾根をまっすぐ標高差400m登れば三国岳ですが、この日は雨上がりだったので登山道を歩くことにして先に進みました。林道(地形図の実線道)が最後に北に曲がる手前に南に行く分岐があり、「くらしを支える森づくり事業」の看板が立っていました。ここに南に行く道標があるかと思うと、ありません。そこで林道を更に歩くと、地形図通りに北に曲がって終点でした。その先は昔は道があったようですが、今は谷沿いは藪化しています。まったく登山道の案内板が無いのですが、林道の終点の手前に西の山に登る作業道があったので、これを登りました。これはしっかりと作られた道で、最初は蜘蛛の巣を払って歩きましたが、少し登ると植林になって、尾根上か南側斜面を通っていました。やや登り疲れた頃に、南からくる尾根と合流し、ここに「山寄上部落へ下山コース 大玉林道迄 約400m」という道標がありました。つまりこの道は正解だったわけです。距離は確かに400mですが、登りではもっと長くに感じられました。ここからは正規の登山道ですが、「三国岳登山コース 5合目 あと 1,200m」という道標があってがっくり来ました。5合目まであと1200m!?と思ったのですが、これは山頂まで1200mという意味のようです。

植林を登ると、三国峠に出ました。案内板が何枚も立っています。「生野町へ下山コース」という道標の先を見ると、峠のすぐ下に林道が通っていました。三国峠からは植林の中の登山道を登りました。この日は雨上がりで、林に立ちこめた霧が幻想的でした(写真)。2合目を過ぎると、突然尾根に西から林道が登ってきていました。砂利を敷いた新しい林道です。林道は尾根の西側に作られており、林道を歩くほうが楽ですが、そうすると「御手洗池跡」や「播磨おどり場」を見落としてしまいます。尾根道を登って行くと、今度は林道が尾根を西から東に横切っていました。ここから少し尾根を登ると三国岳山頂です。三国岳三等三角点(855.16m)もあります。南向きに展望があります。しかし南側2m下には林道が走っており、雰囲気がありません。標高差400mを真っ直ぐに登ってきてこの林道を見たら、がっくりして自殺したくなるでしょう。

山頂の林道はさらに東に伸びており、伐採地の上からは大展望が広がります。この日は雨の後で霧や雲が多かったのですが、氷上町の方も見えましたし、天気が良ければ海まで見えるかも知れません。しかし林道は標高800m付近の伐採地で終わります。林道の北側尾根沿いには頑丈なネットがあり、林道の終点に尾根に出る出入口があったので、北側に出ました。この先しばらく尾根沿いにネットが続きますが、じきにネットは南に尾根を降りていきます。この付近は藪っぽく、ネットの南側の伐採地を歩くほうが楽かもしれませんが、ネットには出口があまり無いので、尾根を歩いたほうが楽だと思います。ネットから別れると尾根は東に急な下りですが、ピンクのマーキングがあるので迷わず降りられました。この先もずっと下りなので不安になりましたが、地形図でも標高200m以上下っています。周囲は植林がほとんどですが、手入れはよくありません。途中で北側の青垣町大名草の方が見えました。金色の稲が綺麗でした。この先は荒れた植林が多く、650m+の小ピークも荒れていました。さらにその次の630m+ピークを過ぎるとマーキングも無くなります。シダが生い茂っているところもありますが、少し巻いて歩くと踏み跡がありました。下島山四等三角点(558.38m)の手前はイバラの藪だったので、北側の植林から登りました。この先は550m+の小ピークから南に延びる尾根で別荘地帯の北に出るつもりだったのですが、何を血迷ったか三角点のすぐ東の尾根を降りてしまいました。そんなに急な尾根ではなかったのですが、植林の谷に出てしまいました。幸い荒れた作業道を見つけて破線道に出られました(が、ヒルにくっつかれました。だから尾根で降りたかったのですが)。この破線道も荒れていて橋が流されていますが、無事に別荘地帯に出ることができました。

山頂まで80分、全部で3時間と、意外とショートコースでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2012年9月3日月曜日

波賀町の十年三角点


2012/08/27に歩いたばかりの宍粟市波賀町と養父市大屋町の境界の尾根ですが、自然林が美しいのでもう少し北を歩くことにしました。周回コースにするために、起点は国道29号線から氷ノ山広域基幹林道に入ってすぐの所にあるヤマメ茶屋にしました。

ヤマメ茶屋のすぐ裏の尾根から登ったのですが、川を渡らねばなりません。広域基幹林道を少し行ったところから川に降りて、なるべく楽に渡れる所を探して北側に渡りました。帰りに見たところでは、むしろ茶屋の東の宮ノ後林道から渡るほうが楽かも知れません。というのは、今回渡った所があまりに急斜面で登れないからです。川に沿って古い道があったので東に行ってみましたが、尾根の終端の手前で終わっていました。しかたなしに急斜面をよじ登りました。意外と土はしっかりしていましたが、危険なことに違いはありません。尾根に出ると急勾配ですがなんとかまっすぐに登れました。この尾根は最初は植林ですが、ほとんどは自然林で、巨木こそありませんが緑が綺麗です。少し登ると平坦地があり、この先はだいぶ楽な登りになりました。

ちょっと岩もあり、緑も美しい尾根を登って行くと(写真)、坂ノ谷四等三角点(938.50m)がありました。周囲は伐採してありますが、展望はありません。ここからはさらに楽な尾根で、右手は植林、左手は自然林またはその逆という組み合わせが続きました。植林も手入れが行き届いていて綺麗です。標高1050m付近からは幅の広い植林の尾根になります。どこを歩いても良いのですが、地面は枝打ちされた枝で埋まっており、間伐された木も転がっているので、意外と歩きにく所でした。平坦地の北まで来るとチシマザサが増えてきます。最後はチシマザサに突っ込んで北の細い尾根に抜けました。そしていきなり鉄塔?!と思ったら、反射板でした。戸倉反射板(1996年12月 建設省近畿地方建設局)とのことです。国道の積雪情報でも送っているのでしょうか?

チシマザサをかき分けて、町界の尾根に出ました。「94」の標石と「戸倉殿下コース30神姫バス」の金属板が健在です([1])。とは言え、後者は「殿下」の部分がほとんど読めなくなっていました。ヤマメ茶屋の近くの案内板を見ると、殿下コースはもっと西の方に描いてあります。ここからは東に町界の尾根を歩きました。最初はチシマザサが少し邪魔ですが、1080mピーク付近になるとなくなって、あとはひたすら植林でした。手入れされた植林なので歩きやすく、枝に足を取られそうになる他は、気持よく歩けました。この尾根は分岐も多く、なんとなく歩いていると間違った方向に行ってしまいます。数字の入った標石やテープのマーキングなど、目印は多いのですが、それほど頻繁にあるわけでもないので、探しながら歩くのも大変です。結局は適当に歩いて、時々現在地を確認しましたが、何度か間違えました。995mピークに行ってしまったのも間違いです。

ほとんどは緩やかな尾根ですが、何箇所か短い急登もありました。その一つを登ると、十年三等三角点(1039.09m)という面白い名前の三角点がありました。ここも伐採されていますが、展望はありません。ここを過ぎると周囲はコナラ(ミズナラ?)などの自然林に戻り、大きな木もありました。一つピークを急登して降りると、下りの分岐点996mピークです。ここには178という数字の入った標石があるのですが、一つ手前のピークは671でした。続き番号ではないようです。996mピークから南に降りましたが、広い斜面で行き先に悩みました。結局一番道らしい所を降りていけばよかったようです。その先は植林の尾根になり、自然林を通って宮ノ後四等三角点(871.31m)に出て来ました。このあたりも雰囲気の良い森です。西にちょっとだけ展望がありました。この先は地形図で見ると西に刀のような形に延びている長い尾根を歩きました。北側は自然林、南側は植林で、緑の美しさに目を奪われました。尾根の先端は少し北に曲がっていて、植林の急斜面を降りました。降りたところに小屋があったのですが、中は水槽のようでした。ヤマメ茶屋の水源かも知れません。降りてきた尾根の北側の谷には荒れ果てた林道がありました。すぐに宮ノ後林道に出て、出発点に戻りました。

手入れの行き届いた植林も美しいものですが、植林の暗さに比べると自然林の明るさは心地良いものです。紅葉の季節にも歩いてみたい尾根でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。

2012年9月2日日曜日

一ヶ乢から女乢


宍粟市山崎町小茅野(こがいの)の北に、一ヶ乢という峠があります。ここから千種町鷹巣の女乢まで、名前につられて山の上を歩いてみました。小茅野から一ヶ乢までは農地の間に道があります。峠には関電の赤い「火の用心」以外は何もありませんが、昔何かがあった雰囲気はあります。道は峠を越して北側に行っているので、戻ってくるのは簡単だと思って、安心して東の尾根を登り始めました。

雑木林ですが木の間隔が広く、勾配も小さいので歩きやすい尾根でした。途中で関電の巡視路と合流し、770m+ピークに出ました。ここで南の尾根にちょっと足を延ばして、高圧線の鉄塔を見に行きました。山崎智頭線27です。東に降りる巡視路もありました。周囲は伐採されており、南の展望があります。黒尾山や日名倉山も見えました。再び770m+ピークに戻って尾根を東に歩きました。地籍調査のテープが目印で、その先北に曲がる所も間違えずにすみました。この付近はいかにも鉄穴流しで削られた地形になっていますが、全体に平坦で、歩くのは楽です。植林になっているところが多く、やや暗い尾根でした(写真)。772mピークには伐採された木が転がっていて雑然とした感じでした。

歩きやすくて陽も当たらず風もあるので、真夏の山歩きとしては悪くないのですが、退屈な感じです。772mピークの北の760m+ピークではいきなり右折ですが、これも地籍調査のテープで確認できました。この北も植林が続きますが、突然尾根に真新しい砂利の林道が出現しました。東から上がってきて、尾根で終点になっています。興味があるので少し歩いてみましたが、北東に斜面を降りて行っていました。おそらく地形図で千草カントリークラブの東から南に伸びている破線道の枝道ではないかと思います。そちらに行く気はないので尾根に戻りましたが、林道に比べると藪が鬱陶しく感じられました。じっさいここまでと比べるとこの先は藪っぽくなります。800m+ピークは藪です。ここまで歩いてきた尾根は山崎町と千種町の町界ですが、この先女乢までは町界ではなく、そのせいか(?)藪です。とりあえず植林を選んで降りていくと、女乢の上に出られました。ここは北側の山々が見える展望地です。この斜面は崖崩れ対策がされており、歩きにくくなりました。結局井戸(?)を見に行ったついでに東の方の空き地を歩いて道路に出ました。これは正解で、斜面の下は崖崩れ対策のおかげでとても降りにくそうでした。

地形図に書いてある女乢の記念碑は見つからず、何の説明書きも無いようでした。しばらくは鷹巣の方へ舗装道路を降りて行きましたたが、639mの山の東側を通る道を歩くと、地形図では南に山の中を歩いて下鷹巣に出る破線道があります。普通は破線道はあまりあてにしないのですが、この付近では歩ける破線道が多かったので、試してみることにしました。早田から建物の間を南に行く道は見つからなかったのですが、墓地に行く道があり、その上に害獣避けの金網があって、入り口がありました。ここから山に入って西に行くともう一つ入り口があり、そこからいかにも杣道という感じの道が山に向かって延びていました。これが破線道に違いなさそうなので、谷沿いにこの道を歩きましたが、すぐに終わってしまいました。後は倒木だらけの植林の暗い谷でした。なるべく破線道に忠実に歩いたつもりですが、踏跡すらありません。谷はあまりにも歩きにくいので、植林の中に作業道の跡を探して尾根まで登りました。尾根の向こう側も植林で、道はあるのですが水平道らしく降りていくかどうかは定かでありません。結局はまた尾根沿いに植林を降りると、コンクリート舗装の林道に出てきました。この林道はもっと東に伸びており、Googleマップなどで見られる道路のようです。これを下鷹巣の方へ降りていくと、「林道押ヶ谷線 延長L=1097m 幅員W=3.0m 昭和38年竣工」と書かれた杭がありました。この先も谷沿いに降りていくと、下鷹巣に出ました。

下鷹巣から一ヶ乢に行く破線道は、林道を降りて行くと舗装道路のすぐ手前にあり、これは無事に見つけられました。しばらくこの道で谷に入って行くと、段々畑の跡地に出て、行き止まりでした。しかたなしに北斜面の植林を登って行くと、杣道があって、これは真っ直ぐに谷を登っていました。この道で一ヶ乢に出られると思っていたら、最後は伐採した木の転がっている、湿地のような谷に出てきました。当然道も消えてしまったので、湿地を抜けだして適当に登って行くと、林道に出ました。確かに地形図で見ても、一ヶ乢はこの谷の突き当りにはありません。出てきた林道を西に歩くと、ほぼ水平に一ヶ乢に出てきました。最初に確認したのはこの林道だったのです。この林道の北の端がどこに行くのかは分かりませんが、ここまで歩いた範囲で西からこの山並みに入っていたのは押ヶ谷林道だけだったので、そこに繋がっているのかも知れません。

後半は藪山探検に相応しくなってしまいましたが、前半の尾根は鉄穴流しの跡を探しながら歩くと楽しいかも知れません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「千草」です。

2012年8月30日木曜日

朝来市田路の絵本三角点


田路の絵本三角点がある山は、奥田路からはもちろん、笠杉トンネルを神子畑方面に抜けた後にも見えてくる山です。登山記録は[1]がありますが、もうすこし田路川の下流側から登れないものかと考えていました。地形図で唯一尾根に上がっているのは、奥田路の手前から583mピークの東に出る破線道ですが、この谷には堰堤が作られています。となると堰堤の上流は荒れていそうです。これ以外にも、奥田路の田路川北側にはいくつかの堰堤が既に作らていたり工事中だったりします。人の手の入った山ほど歩きにくいものなので、いっそ植林から登ることにしました。

2012/08/20に来た奥田路の内水面漁業センターの手前で車をとめて、急斜面の植林を登り始めました。非常に急斜面ですが、作業道が残っており、間伐材が斜面と垂直に置いてあるので意外と登りやすく、斜めに登って西側にあった枝尾根に出ました。ここも急斜面ですが、真っ直ぐ登るには差し支えなく、疲れますが標高は稼げました。ところどころ平坦になって休める所もあります。植林が終わったのは標高620m(登り始めは320mくらい)で、東に展望がありました。ここから少し登ると、非常に登りにくいガレ石の急斜面があり、その上からは東はもちろん、トンガリ山から段ヶ峰まで広く見渡せました。この展望地に一本残っていた枯れ木は絵になりました(写真)。ただしこの日は朝に雨が降った後で、山の斜面から湧き上がる湯気で景色の半分は覆い隠されていました。この展望地のすぐ上で稜線に到達し、あとは一本道の尾根歩きになりました。自然林で、時として狭い尾根に木が生えて歩きにくいこともありますが、一応道はつけられています。何箇所か急登がありますが、概して歩きやすく、絵本三等三角点(923.88m)に出ました。周囲は伐採してありますが、その外の木の背が高いので、遠景は望めません。登山開始から約2時間、標高差600m、藪はなく途中で展望もあったので、まずは登山ルートとしては正解だったと思います。

下山は尾根を南西に辿りました。地形図で見るといかにも分かりにくそうですが、地形図をよく見ながら歩けば、間違うことなく歩けました。幅の広い尾根で、木の間隔もの広いので、どこでも歩ける感じです。アップダウンはかなりあり、858mの手前は雰囲気の良い森なのですが、858mピークへは急登でした。その後は三菱マークの杭のある植林の細尾根を歩き、尾根が西に曲がる所で東に降りて下山したのですが、ここは分かりにくい場所でした。その後は広い尾根になり、ここもどちらにでも行けるので迷いました。結局は東に伸びている尾根に乗り、植林を降り続け、急斜面の植林を降りて内水面漁業センターに出て来ました。この下山は[2]と同じです。

雨の後で、下山中にはまた雨に遭うという悪条件でしたが、藪がなかったので助かりました。ルートハンティングとして面白いコースだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2012年8月27日月曜日

大屋の六郎谷と横行三角点


宍粟市の北端では、藤無山から氷ノ山に至る市境の尾根に標高1000m前後のピークが連なっています。その中でも比較的低い部分にある二つの三角点を歩いてみました。

国道29号線から兵坂トンネルの北で右折して大屋に向かい、波賀町道谷の新戸倉スキー場のゲート付近に車をとめました。北に歩いて行くと、目の前に植林の山があります。地形図で見るとかなり険しそうでしたが、真正面の尾根で登ることにしました。尾根の東側から植林に入りました。作業道はありますが、急斜面なので体のバランスを取らないと歩けません。尾根にまわって一直線に登ってみると、意外と楽に登れました。大変な急勾配ですが、足元はしっかりしています。標高700m付近でいったん植林は終わって自然林になりました。急勾配はさらに続きますが、辛抱強く登るだけです。ややなだらかになると850m付近で植林に戻り、柳四等三角点(894.87m)がありました。

ここからもコナラを中心とした自然林の尾根が主で、ときどき片側が植林になります。852mピークを過ぎたあたりから美しい植林となり、宍粟市と養父市の市境の主尾根に着いてからは北に自然林を登ると、六郎谷四等三角点(950.28m)がありました。他にも標石があります。周囲は伐採されており、座りやすい倒木がありました。2011.10.29登頂記念のカードが木に下がっていました。六郎谷というのは、やはり轆轤師と関係あるのでしょうか?しばらく休んで南に市境を縦走ですが、北尾根に降りないように気をつけなければなりません。ぐっと東に進路を取って、なだらかな尾根を南東に進んで行きました。多少の急登もありますが、すぐに終わります。926mピークに向かって登って行くと突然石組みがあり、山城かと一瞬思いましたが新しいもののようでした。登ってみると碍子のかけらが散らばっており、昔はここを送電線が通っていたのかも知れません。926mピークはコナラの森で、すこぶる気持ち良い所です(写真)。カエデもあるので、紅葉も美しいことでしょう。送電線鉄塔(原横行線52)では北側の展望があり、大屋川方面や氷ノ山が望めます。コナラやブナの気持ち良い林を抜けると、横行三等三角点(939.93m)がありました。南側は共同アンテナを片付けた跡らしく広場になっており([1])、正面に大屋スキー場と藤無山が見えました。銅山など、倉床川上流の山並みも見えています。

下山は横行三角点から広場を横切って南に降りました。尾根の分岐が多いので、地形図を見ながら降りて行かないと目的の方向には行けません。とは言えどちらに行っても下山は可能だと思います。周囲は自然林が多く、植林に入ると共同アンテナの残骸がありました。その先は手入れされた植林となり、尾根を下って行くと、最後は小屋がありました。これはスキー場入り口の阿於意神社の奥の院(?)の藤奈志神社だと思われます(その割には置かれていたのは仏教的なものでしたが)。

標高が高いので風が涼しく、適当に雲もあって日差しも強くなく、最高の山歩きでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。

2012年8月22日水曜日

西脇の西光寺山と机坂三角点


西脇市の最高峰西光寺山です。このルートは[1]と同じです。8年経ってもあまり変化は無いようです。

登山口は中畑林間ファミリー園で、ドリンクの自動販売機があるのが嬉しいところです。西光寺山の登山道は近畿自然歩道として整備されているので、標高差が500m以上ある割には楽な登りで、時間も1時間ほどでした。近畿自然歩道の道標は、最初は100mおきくらいにあるのですが、そのうちに無くなって、あとは山頂100m前にありました。しかし迷う恐れは全く無い一本道です。はじめのうちは階段が多く、歩幅が合わずに膝が痛くなりましたが、ほとんどはよく整備された登山道でした。標高400m付近にはこぐり岩だとか金の鶏の話だとか、554m地点にはウバメガシだとか、適当に興味を繋いでくれるので退屈しません。山頂寸前でまず三角点が見えるのは良い趣向です(意図的ではないでしょうが)。山頂には祠と東屋、そして西光寺三等三角点(712.91m)があります。周囲に高い山がないので展望は素晴らしく、明石海峡大橋から千が峰まで見えます。気温は31度でしたが、風があって快適でした。

西光寺山からは北に尾根を歩きました。まず急勾配の道を降りて、「住吉行者山経由下山口約2K」という道標から藪を抜けて、北に行く尾根に出ました。この先は自然林の中に道があります。黒い板に数字を書いたものが木に下がっていますが、これはこの後もずっとありました。610m+の鞍部に「左側↑下山口」と書いた青い板が落ちていました。落ちていたので方向が分かりませんが、ここで左側に行く理由はないと思います。そして618mピーク手前の鞍部から、尾根の南側に広い道が現れます(写真)。これは自動車が通れる幅がありますが、荒れていて草や灌木が茂っているところもあります。しかし尾根にそって延々と続き、机坂峠までこの道を歩けます。尾根はかなりの藪ですから、まさに僥倖です。想像ですが、これは防火帯ではないでしょうか?南側にあるゴルフ場を囲うように作られているのではないかと思います。途中に「西脇東中トライヤル測量記念2004.6.7 イネノ尾」という札が立っていました。

尾根の突き当りで防火帯は市境どうりに降りていきますが、ここに「西光寺下山歩道 左へとってつき当たりを左へおりてネ」という青い看板がありました。これが行者山経由の下山道と思われます([1])。この付近までずっと下りで、こんなに下って良いのだろうかと思ってしまいますが、700m超の西光寺山から430m+の机坂峠まで下るのですから、たくさん下るのは当然です。やっと少し登りがあると、そこは送電線の鉄塔です。奥多々良木線80鉄塔です。南北に巡視路が伸びているので、ここから下山も可能です。ここの「火の用心」は横長のもので、赤い塗料が落ちると黄色になってしまいます。鉄塔付近は藪っぽいので防火帯はここで終わりかと思うとそうではありません。次にあるのは共同アンテナで、北側から電柱でケーブルが上がってきています。電柱にはNHKと書いてありました。この先も防火帯は続き、急坂となって机坂に出ました。防火帯(?)は南に下山していきます。東に進むと自然な山道が続き、机坂四等三角点(480.13m)がありました。大柿さんの、白いプラスチック板が木に付けられていました。結構古いレア物ではないでしょうか。ここが「ササバ」です([1][2])。

下山は机坂峠から北に藪を抜けました。足元がぬかるんでいますが、すぐに古い林道に出ました。これも荒れていて、背の高い草が茂っていたり(イバラも混ざっています)、岩で埋まっていたり、崩落していたりします。木が邪魔で展望はあまりありません。関電の巡視路と合流すると、急斜面をまっすぐ下る山道になります。林道がここで終わっているのが不思議で、普通は山道の上に林道があることはありません。ひょっとするとこの林道は南から峠を越えて作られたのかも知れません。巡視路も場所によっては砂地だったり岩が多かったり、要注意の場所があります。奥多々良木線79と78鉄塔を過ぎると歩きやすくなり、畑谷川沿いに出て来ました。頌徳碑と忠魂碑があります。ここから中畑林間ファミリー園までは猛暑の街道歩きでしたが、風があったので救われました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。

2012年8月21日火曜日

イタリ山と石金山


黒田庄の北の端、加古川が篠山川と分岐する地点に立つイタリ山は、どう考えても山城として最適の要所にありますが、不思議と城跡を確認した例は無いようです([1])。イタリ山から西に尾根を伝えば石金山まで気持ちよさそうな縦走コースに見えます。展望も良さそうなので、歩いてみました。このコースは[2]と同じですが季節が違うので印象も異なります。

国道175号線を黒田庄から北上し、道の駅・山南仁王駅の先、橋の前で左折して出会い公園を過ぎて駐車場に車をとめました。山南仁王駅は道の駅としては認定されていないようで、「簡易パーキング」と表示されています。なお、登山道の道標にも「山南仁王駅」の方向が表示されていることが多く、最初は播但線の駅かと思いました。車を停めた駐車場には意外と車が多いのですが、クーラーを付けたまま運転手が乗っている車が多く、休憩所として使われているようです。駐車場の端に「至山登山口 この上 300m」という札が立っています。そちらに歩いて行くと確かに幅の広い道から山の上の方に分岐があるのですが、この場所には何も指示がないので、気付かずに水平な広い道を歩いて行きそうでした。登り始めると地形図どうりにジグザグな急登です。途中に「至山稲荷大社跡」という札があるのですが、どこが跡なのか分かりません。少し石組みが残っていますが、この急斜面に神社が立っていたのでしょうか?そして、「田高坂⇒石金山」という標識を過ぎて登ると、ツーカーのアンテナが立っています。山頂にはNHK山南テレビ中継放送所があります。パラボラもありますが、アンテナはすっかり地デジです。山頂は藪で囲まれており、登山道以外を歩こうという気は全く起きません。至山三等三角点(273.84m)がありました。山頂は展望はありますが、暑いのですぐに登山道に戻りました。

素直に登山道の分岐から石金山(3.1km)を目指しました。この分岐のところはいきなり藪に入るので驚きます。マーキングが1mおきに付けられているので、迷う可能性はありませんが、マーキングがなければ突入するのは憚られます。しかし周囲は藪でも道はしっかりしており、すぐに次の通信塔に着きました。これはドコモでしょう。308m地点で、休憩所となっていますが、暑いので先に進みました。この先の尾根には電柱が立ち電線と光ファイバーが引かれています。次の休憩所はドコモの黒田庄無線中継所で、大規模な施設です。この通信塔とさっき通り過ぎた通信塔の関係はどうなっているのでしょうか?この先の尾根にはドコモが設置した金属製の長い階段が続いており、楽なのですが、ステップの幅が歩幅と微妙に合わず意外と疲れました。次の280m+ピークは展望台となっていて、南側の展望があります。

階段を降りると田高坂峠です。寛政8年のお地蔵様があります。破線道もしっかりと横切っていますが、西向きには関電の赤い「火の用心」が二つ立っています。坂を登ると、撤去された鉄塔の跡に出ました。この系統(黒田庄支線?)は使われておらず、山の上の鉄塔はほとんど撤去されています。平地に立っているものは残っていますが、もちろん電線は張られていません。鉄塔跡地からは笹薮を抜けて松の木が生えているだけの306mピークに出ました。次の鉄塔は北摂長田野線57で、小振りです。この先も巡視路が続き、58鉄塔への北向の分岐がありますが、心細い道でした。この付近でタヌキとニアミスしました。西に進むと分岐があり、56鉄塔へは左、石金山は右になります([2])。右は急斜面で岩場があり、鎖と木のはしごが装備されています。これが天狗岩で、これを登り切ると440m+ピークに出ます。ここも展望があります。特に東の丹波地方がよく見えていました。ピーク近くには「滝ノ方展望台」もあり、北東側が見えます。そして坂を降りると小新屋観音への下山道への分岐に出ます。この先登山道は二つのピークを巻いて進み、ロープを伝って岩場を上がると、石金山山頂です。石金山三等三角点(508.42m)があります。「360°展望」と書いた札が立っているくらいで、ちょっと木で邪魔される方向を除いて300度以上の展望があります。天気が良かったので、明石海峡大橋から千が峰、篠ヶ峰のアンテナ、北すぐに蛇山など、このへんのたいがいの山が見えています。

さて下山ですが、最初は天狗岩のあるピークから北に延びる尾根を降りようと思っていました。しかし付近の様子を見ると、切り込んでいける場所がありません。そもそもイタリ山以来、登山道がなければ歩きたくない尾根が続いていましたから、道のない尾根を降りるのは無謀です。というわけで、素直に小新屋観音へ下山することにしました。植林の中を抜ける道で歩きやすいのですが、最後は伐採地の南側の谷に出てきます。この谷は倒木や石で埋まっており、道も消えかかっています。ここを過ぎると谷沿いの林の中をちょっと抜け、扉を抜けて小新屋観音に出ました。

ここからは降りられなかった尾根の先をぐるっとまわって、最後は川沿いに駐車場に戻りましたが、夏の強烈な日差しの中を1時間かかりました。尾根の先にある、山からは学校に見える建物は「大地農園アースマターズギャラリー」だそうです。川の土手脇には道標を見つけましたが、うまく読めません。田高坂峠へ至る道への分岐には「右ハやま」とありました。左は「たきのゑ」としか読めません(写真)。なお、田高坂峠の方へ行かずに川沿いに歩くと、通行止めになっています。道の最後は山と川に挟まれており、山沿いは植林の影で気分が良いのですが、川に近づくと大きな草が茂っていて藪っぽくなります。ここが最後の藪漕ぎで、すぐに駐車場に出ました。

けっこう藪がきついな、というのが感想です。山麓からは山に入る道がいくつもありましたが、里山へ入るのが目的の道だとすると、尾根に登る道はほとんど無いでしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「中村町」「谷川」「丹波和田」です。

2012年8月20日月曜日

田路から登る山上庭園


山上庭園というのは、笠杉山から段ヶ峰に縦走する途中に通る、宍粟市と朝来市の県境にある標高1080m程度の広い平地です。県境に沿って700mほど伸びており、下草が無く適度に木が生えており、気分の良い場所です。ここへは宍粟市側から登るのが普通ですが、朝来市の田路から登ってみました。

出発点は奥田路の内水面漁業センターです。目の前に365mピークがあり、神社があります。木尊毘沙門天という名前のようですが、18世紀初めの墓があり、この地域の歴史の古さに驚かされます。ここから長い尾根歩きとなります。直線距離で2.5キロですが、標高差は700mあります。ほとんどは植林で、作業道があって歩きやすい尾根です。最初こそ急勾配ですが、すぐに平坦地と斜面が交代するようになりました。717mピークは比較的広い平坦地でした。標高800mの手前付近に、すこし藪っぽい所がありますが、すぐに植林に戻ります。一番傾斜がきついのは、850mの手前でした。この急坂を登ると藪ですが、この付近は尾根の北側に作業道があることが多く、ここを通れば薮漕ぎは避けられます。植林が終わって植生が変わるのは標高850mを過ぎたあたりで、高山っぽい雰囲気になります。970m付近では北側の展望があり、笠杉山から田路川北の尾根や須留ヶ峰がよく見えました。1050mの手前には北側の展望があり、氷ノ山までよく見えていました。

2時間かかって山上庭園に到着しました。中央付近の岩の多い場所の木に「山上庭園」という札が下がっています。南端まで歩いて段ヶ峰から東に延びる尾根や千町ヶ峰など、東・南・西の展望を楽しみました。ここから下山するルートはいくつかあり、トンガリ山(981.4mピーク)を経由することも考えましたが、段ヶ峰から北に延びる尾根は木が少なく、日照りが強そうだったので笠杉山方向に下山しました。植林を降りていくと西側に美しく舗装された基幹林道が見えてきます。そして笠杉峠に出ました。ここには天保年間のお地蔵様があります。問題はその脇に立っている「東へ奥田路60分」という道標です。東に下る道はあるのですが、すぐに背の高い草に覆われて見えなくなってしまいます。昔は道があったかも知れませんが、斜面に付けられているようで、探すのは難しそうです([1])。そこで峠の北の902mピークに登って東側を見ると、地形図に描かれている林道の終点が見えました。草で覆われていて、西側に見える基幹林道と好対照です。ここは基幹林道が一番尾根に接近する場所でもあります。

急斜面を降りて林道に降り立ちました。この林道は幅が広く、かつては自動車が通れたと思いますが、荒れ果てていて、古い林道に生じるあらゆる問題が生じていました。シダが茂るとか、背の高い草で通れないとか、低い木が生えているというのは大きな問題ではありません。斜面の崩落はひどく、山側から石や土砂が崩れてきて林道を覆っている場所が多々ありました。谷側の崩落で道幅がやっと歩ける程度まで減っている部分もありましたし、山側と谷側と両方で崩落が起きた(というよりも、山側の崩落が林道を押し流した)場所では林道が残っていませんから、山側に登って斜面をトラバースしなければなりませんが、小石や砂地が多いので滑落の危険が大です。谷側をコンクリート板で補強してある部分も多いのですが、林道がコンクリート板もろとも崩落して、コンクリート板が眼下に落ちている場所もありました。この林道は意外とコンクリートの部分が多いのですが、川に削られて路面のコンクリートがばらばらに割れたり流れたりしている部分も何箇所かありました(写真)。そして一番強烈なのはコンクリートの橋が流されている場所で、土石流の向こう側の林道の続きまでどうやって渡るかが大問題でした。高い位置を渡ると滑落の危険があり、かといって下に降りると砂の斜面で登れません。すさまじい力で橋が流されたらしく、橋のかけらも見えない所もありました。橋の両側の林道も削られているので、橋のあった位置を推定することも不可能です。そんな場所が10箇所近くあったと思います。谷に掛けられていた橋で無事なものは一つもありません。途中に林道が谷の下で大きく曲がっているところがあり、ここが笠杉峠に繋がる谷ですが、ここの橋も跡形もありません。谷の上流側には倒木は少ないようでしたが、谷は岩が多く両側は背の高い草で覆われており、ここを歩くのは容易ではないでしょう。

林道がやっとまともになったのは地形図で田路川が描かれている付近からで、木材の切り出しをしていました。笠杉山からの下山に田路川の北の尾根を使うなら、ここへ降りてくると早く下山できます。結局林道を歩いていたのは2時間程度で、登りと同じくらいかかってしまいました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★ 登りは問題ありません
地形図は「神子畑」です。

2012年8月19日日曜日

一宮の百千家満三角点


一宮から安積で揖保川沿いに東に曲がり、三方町まで行くと、揖保川と公文川が分岐する地点に家原遺跡があり、その北には御形神社があります。縄文時代から人が住み、播磨風土記にも名前が出てくる歴史ある地域です。その川に挟まれた尾根にあるのが百千家満(おちやま)三角点です。ここから更に北の嘉門橋三角点まで行ってみました。

尾根への登り方が分からなかったのですが、家原遺跡公園の学習の森の地図には頂上まで640mとあり、道があるようでした。しかし道標は全くありません。最初は山に上がっていく道を登りましたが、墓地で終わっていました。そこで北に続く森林学習歩道を歩いたのですが、日時計で終わっていて登山道はありません。公園の方に戻って調べた所、公園からすぐの釜の先に、地図どうりに道を戻る方向に登山道がありました。草ぼうぼうですが、少し登ると道らしくなり、金網のフェンスも扉が壊れていて難なく通れました。ジグザグに登りますが、最後は低い松が茂っていて通れず、適当に登ると頂上には東屋がありました。野鳥観察用だそうです。

頂上といっても東屋があるのは390m+なので、北に尾根を歩きました。いきなり藪ですが、踏み跡があります。すぐに深い切通があります。408mピーク付近は木の間隔がやや広い藪です。地形図で御形神社の方から破線道が登っているところでは、実際にあったのは深い溝でした。ただしこれが天然のものではないことは、溝が尾根上では一度盛り上がった道の中の溝になることから明らかです。付近は植林で、溝に沿って歩くと、登りになり、その先にピンクテープの鉢巻をした百千家満四等三角点(484.31m)がありました。このピークは南東に延びていますが、そちらには行かずに北に尾根を降りなければなりません。この尾根は広いのですが、西側の植林が歩きやすかったと思います。この先は植林になり、東側下方に林道が走っていました。そして、藪の急な斜面に突き当たりました。手で枝と蜘蛛の巣を払い、木に掴まって登りました。登り切った460m+ピークには感動するようなものはありません。この先494mピークまでは藪っぽい尾根ですが、歩きにくいとは思いませんでした。

494mピークから先は、藪と植林が交互に現れます。450m+の長く伸びた尾根からは東側の展望がありました。この付近でも、植林は風が心地よく、気分の良い山歩きでした。植林を歩いてもう一度490m+のピークを過ぎると、その先は急勾配の植林です。植林は伐採した木が倒れているので登りにくく、大半は植林と雑木林の境界付近を登りました。やっと尾根に出ても少し登りが続きました。ここは550m+のピークです。北に歩いて一度少し下ってからまた登って、嘉門橋四等三角点(554.88m)を見つけました(写真)。この尾根はずっと藪ですが、三角点の南には少し平坦地があります。

三角点から一つ南のピークに戻り、すぐに南東に尾根を降りて下山を始めました。こちらも植林は気持ちが良いのですが、藪も多かったと思います。しかも下山と言っても登りも結構あります。次の480m+ピークは藪で見通しが効かないので、コンパスで方位を定めて南に降りました。次の545mピークも藪でわかりにくく、あやうく西の尾根に行くところでした。545mピークから少し南に下ると、二つの尾根の間に出ますが、この谷はきれいに伐採されていました。ただし伐採されている幅は広くありません。南斜面で暑そうなのでこちらには行かず、西に尾根を歩きました。南に尾根がありますがそちらにも行かず、480m+ピークを過ぎて、南に曲がりました。この付近は林道で見通しも効きますし、尾根道も南に向かっていました。綺麗な植林の鞍部を過ぎると藪の登りで、その上が476mピークです。この付近は藪で、共同アンテナの残骸がありました。我慢して南に尾根を歩き続けると、植林に入りました。この付近も良い感じです。尾根上にはここでも深い溝が刻まれています。このまま真っ直ぐ降りるのかと思うと、溝は東に曲がって斜面を降りており、これに付いて東に急斜面の植林を降りました。降りてきた所には、金網のフェンスに出入口がありました。出てきたところは民家の裏で、庭を通って道路に出ました。あとは国道を歩いて家原遺跡公園に戻りましたが、暑いし車はとばすしで、疲れました。

山を歩いていたのは4時間弱でした。地味なコースですが、場所によっては心地よい風の吹く綺麗な植林もあったので、良いコースだと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。