2022年1月30日日曜日

兵庫・岡山県境の鳳宮北三角点

 


この三角点は上郡から県道90号線で吉永町に抜ける県境の山伏峠の北にあります。山伏峠は切通しですが南側を登るとお地蔵様があり、「従是西備前」という境界を示す石標があります。北側には藪を登るマーキングがあり、切り開きを登っていきますが、途中で不明瞭になり、とにかく藪を抜けると平坦な所に出て、また切り開きがあります。これを歩いて行けば、ひどい藪に出会うことはありませんが、踏み跡は時々消えることも多く、なだらかな見通しの効かない藪なので方向を間違えやすくなっています。すぐに東側に道が現れて、尾根と平行に走っているようではありましたが、藪の尾根を歩きました。すると道を歩いていては見られない石積みがありました(写真)。この付近ではこのような石積みを時々みます。昔は上に石仏が載せられていたのだと勝手に想像しています。


尾根上を歩くと藪で疲れるので、時々林道を歩きました。林道が大回りする所はショートカットしましたが、薄い灌木の藪とは言え倒木を避け枝を払いながら歩かねばなりません。林道からは時々展望がありますが、ごくごくなだらかな山々です。地形図では破線道が尾根からゴルフ場(今はソーラーパネル)に降りていますが、その東にも道があります。これらは複雑そうな道なので、ほとんどは尾根を歩きました。細い黄緑色の糸が県境に沿って張ってあり、かなり長く続いていました。鹿が足をひっかけただけで切れそうなものですが、意外と長持ちするようでした。再び道に戻って北向きに歩き、鳳宮北四等三角点(385.13m)に着きました。周囲は薄い藪ですが、三角点より大きな標石が近くにあり、それは「山サキ」と掘られていました。ここから東に向かいますが、この付近は北側に林道が見えました。それは無視して尾根を歩くと植林になって、地形図で破線道が東西に県境を横切っている所に着きました。東側に道はありませんが西側には道があるので、これで下山しました。荒れ気味の未舗装道でした。


少し降りて奥畑から破線道がある所には、明治27年の大日如来と掘られた石がありました。この付近は地形図では荒地ですが石積みがあって耕作地だったことがわかります。こんな山奥まで隠し田でしょうか?川は岩をなめて流れるところもあって楽しめました。そのまま川沿いに歩いて行くと水平に摂理の入った大岩がせり出ていて道が崩れかけていますが、ここで現在地を確認してこのまま歩くと出発点に戻るには大回りになることに気づきました。引き返して近道の谷に向かいました。ここは川に丸太が3本渡してありますが歩く気にはならず川を飛び越えて渡りました。しばらく谷沿いに道がありましたが、途中の峠付近では消えていました。しかし峠を越えるとまた道がありました。途中に立派な炭焼窯があり、不法投棄が増えて来ると県道90号線に出ました。


この付近の林道の様子は航空写真で確認できます。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上郡」です。



2022年1月15日土曜日

赤穂木生谷の北の山

 


赤穂の山は概して藪山が多く、それも登山には向かないシダ藪が多いのですが、それを承知で海に近い山に挑戦しました。木生谷は赤穂市街の西、大津川の西岸の谷にある集落です。この北の山並みは山陽自動車道の南にあってあちこちからよく見えるので登ってみました。地形図には187mピークまで破線道がありますが、あてにはならないので墓地に向かいました。墓地の脇にフェンスがありますが扉があって抜けられました。この上は石積みがあってかつては耕作地だったようです。小屋がありますが登っていく道はなさそうなので、この尾根を登ることにしました。よく見ると踏み跡がありましたが、徐々にシダと灌木の藪がひどくなり、踏み跡も探すのが難しくなりました。それでもなるべく踏み跡をたどって登りました。岩場があり、赤穂市街と海がよく見えました(写真)。しかし藪は厳しく、迂闊に突っ込むと嵌ってしまいそうだったので踏み跡を探し続けました。結局30分かかって180m+ピークにたどり着きました。この付近はシダは少ないのですが、東の187mピークに行こうと思って間の鞍部に向かって歩くとシダ藪になりました。さいわいこの付近は北側に踏み跡があり、上手に歩くとシダを避けられました。187mピークは細い灌木が密集して生えていました。


187mピークからは西に縦走しました。180m+ピークに戻り、方向を見極めて北西の斜面を降りましたが、大きなシダの塊が多く、それを避けて踏み跡を探しました。この付近は北側に寄って歩き、鞍部にはちょっとだけシダの生えていない場所がありました。徐々に登って190m+に着きました。相変わらずの藪ですが、斜面ではないので多少は楽です。しかし踏み跡があっても灌木が固まって生えていたりするとなかなか進めません。棘のある木も多く、それを押しのけたり棘から服を引き剥がすだけでも大変でした。マーキングは皆無です。シダの生えていない砂地もあり展望はときどきあって、北の新幹線も見えました。次の200m+ピークに向かっては、尾根の南側に踏み跡がありました。地面を見るとしっかり土が見えるので、道と言えると思うのですが、シダが茂って両側からはみ出したり、灌木の枝が邪魔をして、なかなか歩けません。場所によっては灌木が左右から道を覆い隠してトンネルになっていて、地面を這って通りました。そんなことをして200m+ピークには着きましたが、その先の尾根はシダの塊で埋まっており、踏み跡は北側にあるようでした。しかしこれも藪で覆われており、そのまま楽な方に行くと北に下山しそうでした。170m+の鞍部北側付近に来たところでそのまま尾根の北側を進むのは無理に見えたので、鞍部に向かって急斜面の藪を登りました。この場所も足元を見るとシダは生えていません。シダをかき分け、邪魔な枝を折り、棘のある枝を避けつつ急斜面を登って鞍部の中央に出ました。


この先も尾根上には大きなシダの塊がありました。ここまで187mピークから2時間かかっており、藪こぎにも飽きたので、ここから下山することにしました。ちょうど南向きの広い谷は傾斜も緩そうでした。降り始めるとシダはなく、灌木の間を抜けられました。ほどなく踏み跡が現れて、徐々に道らしくなりました。この下山は大正解でした。藪はなく、石積みのある耕作地に出てきました。あとは道を歩いて奥池を通り、木生谷に戻りました。


体力と気力を要する藪漕ぎでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「三石」です。



2022年1月10日月曜日

赤磐市の善応寺山と大錫杖山

 


これらの山は本宮高倉山の東にあります。山陽自動車道山陽ICの北西です。まず善応寺山に登りました。地形図には北東はずれの鴨前の付近から破線道があります。まずそちらに登っていくと五輪塔?が祀られており、さらに登ると東屋があって日蓮宗の碑があります。地形図ではここから破線道で登れるはずですが、道はありません。しかし電柱があって電線が山頂に向かって張られているので、その下を歩くことにしました。このルートは航空写真でははっきりした切り開きです。しかし、道の跡がありますが、はっきりしません。少し歩くとなぜか明治28年の墓石が一基ありました。ここからは笹薮でした。地形図では途中で他の登山道と合流しますが、この付近からは笹が背丈を超すようになりました。なんとか踏み跡を探して笹をかき分けて登りましたが、岩の多い所もあり、右に左に笹を避けて登りました。笹が密になって限界かと思ったら、電線の下に切り開きが現れました。これは助かりました。山頂まで登ると、山陽デジタルテレビ中継放送所とKDDI岡山山陽無線局がありました。テレビ中継所の方は2本の塔にアンテナがたくさん付いています。


ここからはアンテナの保守道路を南に歩きました。善応寺山(262m)へは道路を逸れて登りました。山名のプレートがありました。さらに保守道路で下山し、舗装道路に出てきました。ここを右に曲がると溜池に出ました。道が3つに別れましたが、真ん中の作業道に入りました。1つ目の溜池を過ぎ、2つ目になると道が狭くなり、徐々に怪しげな道になりました。そして2つ目と3つ目の溜池の間は草の生えた細い道です。この道は3つ目の溜池の堰堤にぶつかり、正面に本宮高倉山が見えます(写真)。しかし、その先に道がありません。池の南側斜面を横切って歩くと、地形図の道がありましたが、笹が生えています。この道も怪しげですが消えることはありません。結局地形図通りに大錫杖山の西の鞍部に出ました。


大錫杖山へは、舗装道路を登り、左右に分岐した付近から藪の斜面を登りました。ひどい藪ではありません。斜面を登っていくと深い穴があって坑道でもあるのかと思いましたが、底は落ち葉で埋まっていました。さらに登ると平らになってきて、歩きやすくなりました。大錫杖山(380m)の山頂を探したのですが、プレートもなく、おそらく植林に入る付近ではないかと思います。さらに東に歩くと有刺鉄線が張ってあり、それに沿って北に歩くと伐採地に出ました。ここは牧場らしいので入るのはやめて、有刺鉄線に沿って南に戻って、そのまま山を降りて舗装道路に出ました。この舗装道路は牧場の間を降りていきます。ホルスタインがいました。


牧場の外れで道が別れており、ここを右の未舗装道路に進みました。少し登ると道の中央に赤ペンキを塗った枯れ木が立っており、ここからちょっと藪に入ると西中四等三角点(309.6m)がありました。この先もこの道を歩きましたが、道は最後は西寄りに降りて行ったので、まっすぐの尾根に進みました。最初は赤ペンキのマーキングがあってそれに従いました。そのうちにマーキングはなくなりましたが道は続いていました。この道は細くて頼りないのですが、途切れることはありません。笹薮に入ることもなく、ちょっと急な斜面が落ち葉で滑りやすかった他はなんの問題もなく、谷の合流点に降りてきました。この谷は最初に歩いた3つの溜池の下流にあたり、大谷渓谷と呼ばれているそうで、ベンチなどが置かれていました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「万富」「金川」です。



2022年1月8日土曜日

多可町大和の中村・桑坂三角点

 


これは大和川と野間川に挟まれた山並みです。登り口は大和で、船坂トンネルに繋がる県道34号線ですが、大和川を遡ると、実は県道34号線は船坂トンネルには向かわず、上流は毘沙門堂の前から北東の谷に入っています。これに沿って歩いていくと、谷が分岐するところに扉があり、それを開けて北向きの谷に入りました。林道があり、地形図のように東の尾根に登っていきますが、すぐに南に向かい、さらに北に折れて、尾根に上がっていくことはありません。しかたなしに林道から急斜面を登って尾根にあがりました。登ってしまえば尾根の中央には切り開きがあり、あとは楽に歩けました。たいした急斜面もなく360m+の主尾根に上がり、中村四等三角点(363.48m)に着きました。


この先は尾根を南東に歩きました。ちょっと藪っぽい所があり、その南には古い電気柵が張られていましたが、385mピークを過ぎるとまた歩きやすくなりました。ところどころで展望もあり、ネットが張られていますが、歩きやすい尾根でした。350m+付近を歩き、植林を東に曲がり、雑木林を南に曲がって地形図の破線道を探しました。それらしき道はあったのですが、峠を越える旧道の切通しの上で終わっていました。この付近の法面は高くて降りられないので北にシダの生えた斜面を横切って旧道がターンする付近で旧道に降り立ちました。切通しに戻ると小さな石仏が置いてありました(写真)。近くにあった道標には、「左中村大屋 右よこや下村」と彫ってあり、いずれも野間川沿いの地名なので、大和から登ってきて右は地形図の破線道、左は北に山越えでしょうか?


旧道の切通しからは急斜面を登り、ピークの北端にある桑坂四等三角点(268.74m)を通り、桑坂トンネルの上を歩いて南に向かいました。道があり勾配も緩やかで、ネットが張られていますが邪魔ではありません。343mピークからは笠形山がきれいに見えました。ここからは南に長い尾根を降りましたが、これも勾配は緩く、問題なく降りられました。最後の方になると流石に少し急斜面になり灌木の間隔も狭くなりましたが、藪ではありません。そして最後は害獣避けの金網がありましたが、さいわい尾根の先の所に扉があって出られました。ちょうど「なごみの里山都」の付近でした。


下草も藪もない、じつに歩きやすい尾根でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「粟賀町」です。