2009年12月30日水曜日

槻坂の南西の尾根

姫路市とたつの市の境界にある槻坂は、姫新線、県道5号線、山陽自動車道のトンネルが抜けており、県道5号線には旧道のトンネルもあり、峠の上には切り通しもあるというややこしい場所です([1])。槻坂から南に尾根を伝うと、東西に延びる尾根があり、そのさらに南には松尾の笹山があります。槻坂を歩いてみたいのと、東西に延びた尾根の様子を見たかったので、ショートコースを歩いてみました。

尾根の西の端を送電線が南北に横切っており、保守路があることが予想されました。そこでまずその辺に行ってみました。県道5号線の中井交差点から南に突き当たりまで行くと、「東部汚水中継ポンプ場」があります。この先には姫新線の線路がありますが、「危険 線路内立入禁止」という札が立っていて、道があります。「銃猟禁止区域」の札もあるので、山歩きは安全そうです。線路を渡るときは気をつけなければなりませんが、線路を渡ると赤い「火の用心」の半分に割れた標識が立っていて、これが巡視路だということがわかります。

ここから尾根まで登りましたが、途中で倒木などがあって巡視路は見失いました。シダがまばらに生えている程度なので、登るのにたいして苦労はしません。尾根に出ると左手に鉄塔、右手は竹藪でした。とりあえず120mピークに行こうと西に行きました。道はありませんが、適当に木と竹の間を抜けると背の高い笹の生えたピークに出ました。付近には「中井」と書いた石標があったくらいで、他には何もありません。尾根を東に引き返して鉄塔に行きました。龍野揖保線10です。

ここから東に尾根を歩きましたが、意外なことに道がありました。場所によっては見失いそうになりましたが、切り開き程度の道が続いています。尾根のてっぺんは笹が茂っていることが多く、南側は細い灌木が密集して生えています。これに対して北側は木がまばらで、道も北側に寄って付けられています。北側の工場の会社が立てた「立入禁止」の札がいくつかありました。

地形図を見ると南側には岩場があるようですが、尾根にはたいしたアップダウンもなく、退屈とも言えるくらいでした。一面の落ち葉で気持ちの良い場所もあります。167mピークでは木に赤いテープがたくさん巻いてありました。その東の180m+ピークはたつの市と太子町の市境です。この周囲にはシダ藪もあり、南側も藪っぽい感じでした。しかし市境を東に辿ると、意外と歩きやすく、まばらな笹を抜けて進みました。

その先の169mピーク付近は姫路市、たつの市、太子町の三辻ですが、大きな岩があります。三角点と見間違うような石標が埋められていました。ここから槻坂までは斜面に大きな岩がいくつもあります。下りになりますが、斜面は落ち葉で覆われています。100m付近まで降りると尾根が広がって方向が分かりにくくなります。下に落ち葉で覆われた道のようなものが見えてきたと思ったら、切り通しに出ました。幅は軽トラックが通れるくらいのものですが、これだけ岩を削るのは大変だったろうと思います(写真)。真ん中辺に姫路市の「水道」と書いたマンホールがありましたが、峠の水道の水はどこから来るのでしょうか?

最初の計画では、ここから北に尾根を登って、西に尾根を進んで中井に帰るはずだったのですが、雨が降ってきたので県道に降りることにしました。切り通しから龍野側に道を歩きました。少し笹が生えている程度で、最後はコンクリートになって旧道に出ました。この付近は平成18年の[1]の時とはかなり様子が変わっています。旧道の「槻坂隧道」はコンクリートでしっかりと塞がれてしまいました。切り通しに上がる道も最近できたようで、おかげで旧道はトンネルの手前でかなり細くなっています。なんのために切り通しに登る道を整備したのか、よくわかりません。その手前には緑色のしっかりとした扉が作られ、「ご用の方は自治会長まで」と書いてあります。ただし鹿避けのゲートではないので、ガードレールを越えれば出られました。

このゲートの所から姫新線の線路に降りられますが、不法投棄が目立ちます。その中に鹿の骨が転々とあり、線路の近くには頭蓋骨が落ちていました。鹿の死体を投棄した人がいるようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「龍野」です。

2009年12月26日土曜日

上郡の愛宕山

上郡町の愛宕山は、苔縄の西にあります。その東の369mピークは、苔縄城跡として知られているようです。この城に関する情報は混乱していて、赤松円心館に苔縄城の碑が建っています。しかしここは城跡としても居城でしかなく、山城は369mピークにあったと思われます。しかも369mピークは実は愛宕山と呼ばれていて、地形図にある愛宕山は実際は轟山だそうです。とにかくここでは地形図どおりにしておきます。

常識的には登り口は尾根の先端の観音寺だと思うのですが、登り口は赤松小学校の校舎裏にあります([1][2])。とにかく道があるに越したことはありません。この付近はシダが元気なので、藪を突破するのは大変です。この、良く整備された登山道でさえシダで覆い隠されつつあります。赤いマーキングに従って登っていくと、古い鳥居があります。かなり傾いているので、放っておくと倒れるのは時間の問題のようです。さらに急斜面を登ると、アンテナ群と愛宕神社(?)があります。

ここからは西に一度斜面を降りて、また登ります。この辺はマーキングは減りますが、木がまばらでどこでも登れそうです。ピークに出て、その次のピークが411.1mの愛宕山で、轟山三等三角点(411.12m)があります。展望はありません。この日の目的は愛宕山だけでなく峰尾池を見ることだったので、さらに尾根を進みました。尾根の東側に道があり、木々の間から千種川方面が見えます。そのまま歩いていくと、南東に方向が変わって306.9mの観音寺三角点を経由して下山できますが。峰尾池には適当な場所で西に行かねばなりません。はっきりした尾根がないので分かりにくいのですが、松茸山らしく木に紐が張られていて、それを辿って西の方に行ってみました。

なんとなく平べったい尾根ですが、紐を頼りに歩いていくと、目の前が谷になりました。峰尾池のある谷の東端です。ここからは池の北を進むか南を進むかの選択になります。まず北に行ってみました。紐が張られていますが、それが無くなると特徴のない雑木林になりました。真っ直ぐ行くと北の谷に降りてしまいそうです。[2]のように峰尾池に下りることもできましたが、南の尾根を見に行くことにしました。こちらははっきりとした尾根があって道もありました。少し歩くと南に展望が開ける場所があり、岩木川沿いが見えました。ここは良い眺めです。

さらに尾根に沿って歩きましたが、峰尾池は見えてきません。しかし正面の370m+ピークの手前に空き缶が沢山あり、右に道がありました。どうやら松茸刈りの宴会の跡のようです。はっきりした道を辿っていくと、峰尾池の堰堤に出ました。石積みの堰堤です。写真のように水は少なく、尾根からはほとんど見えなかったようです。

この先は峯尾三角点に行くも良し、[2]に従って廃坑を探すも良しですが、松茸刈りの人達が登ってくる道があるはずだと確信して、それを降りることにしました。堰堤から宴会跡に戻り、そこから南に降りました。石の多い道が斜面をつづらに降りていました。時々見失いそうになりましたが、見失っても降りられるような斜面でした。ただ、石が多いので捻挫注意です。途中に炭焼き窯の跡もあり、里山の雰囲気で道も良くなると、堰堤があって才坂に出てきました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「上郡」です。

2009年12月20日日曜日

北から登る赤穂の百間岳

2008/02/23に黒鉄山から百間岳に登ったときに、西から登山道が来ていることに気がつきました。そこで今回は北から登ってみようと考えました。

国道2号線を西有年で南に折れて長谷川を遡ると、横山という集落があります。この南に百間岳から延びた尾根が達しているので、そこから登ることにしました。ところが、尾根の手前の道路に、左向きに「山頂」、右向きに「あこう河鹿の森」と書いた標識が立っています。山頂と言われても、どの山だか分からないので、とりあえず無視することにしました。尾根の北の先には1/25000の地形図には載っていませんが大避神社という小さな祠があり、その南側から登り始めました。

枯枝を折りながらなら登れる尾根でした。ちょっと登ると下りになりますが、ここは膝くらいまでのシダが生えています。鞍部に降りて213mピークを目指して登り始めると、急斜面に高さ2mもあろうかというシダが茂っています。とても登れないので、最初は西へ行きましたがこちらも無理で、結局東側斜面から登りました。ここには明らかに踏み跡があり、シダの生えていない道があるのですが、両脇から大きなシダが覆っていて、それをかき分けないと登れません。そのうちにかき分けるのも難しくなりましたが、地面にはシダが生えていないので、トンネル状態になっています。急斜面のシダのトンネルを抜けて尾根に出ました。シダのトンネルは笹のトンネルに比べると柔らかいのでましですが、体中に枯れたシダの葉を浴びる羽目になりました。

213mピークまでの尾根も枯枝を折りながら歩けました。この先250m+付近まで尾根はシダで覆われていました。膝から腰くらいの高さで、道はあるのですがシダに隠れて上からはよく見えません。北側に少し降りるとシダを避けて歩ける部分もありました。しかし、一度少し下って、有年大池が見えるあたりから次の275mピークを目指して登る250m付近は、また大きなシダが茂っており、再びシダのトンネルを抜けました。

この先しばらくはなだらかで、低いシダの間を歩きましたが、尾根の突き当たりで道に出ました。明らかに登山道で、ピンクのマーキングがあります。西の尾根の方から登ってきていました。ここからは、ずっとこの道を歩きました。かなりよく整備されており、登りやすい道でした。ただ難を言えば、この道は尾根を通っておらず、ほとんどのピークを巻いていってしまいます。斜面を歩くので展望もありますし、岩場の上を歩くこともありますが、尾根歩きをしたという実感がありません。ただ、尾根を見上げるとシダで覆われており、道から外れて尾根を歩こうという気にはなりませんでした。この付近には植林はほとんどなく、海に近くて温暖なせいかシダが育ちたい放題です。

八合目、九合目と書いた板があり、海が見えるようになってきました。道は相変わらずピークを巻いて進みますが、なんとなく道が悪くなってきたと思ったら、百間岳を通り過ぎて、その南の410m+ピークの間の鞍部に出てきました。道を間違えたことに気がついて北に登り返して、百間岳(435m)に着きました。「黒鉄山~百間岳 第4回登山道整備」と書いた板が下がっており、藪っぽかった尾根に道が作られつつあるようです。相変わらず「仮称百間嶽」と書いたプレートも下がっていますが、正式名称は決まったのでしょうか?

下山は頂上から一気に北の尾根を下ろうと考えていたのですが、またシダ藪に突入しそうな気がしたので、道路で見た「頂上」の標識のルートを探すことにしました。まず頂上から西に道を降りると、先ほど海を見ていた付近に出てきました。よく見ると赤いテープで山頂へのルートが示されていたのですが、見落としたようです。

北への下山路は、山頂への分岐のすぐ西で見つかりました。北の谷にピンク色のマーキングが着いています。これを降りて行きましたが、木が切られていて分かり易いルートでした。百間山から北に延びる尾根のすぐ西側の谷へ降りていきます。最初は東側の尾根の斜面を降りていき、はっきりした沢が現れるとそこに降りました。この時しばらくマーキングを見失ったのですが、沢の西側に道があるのを見つけました。ここまでもこの先も、この谷は石だらけなので、歩きにくい道でした。一つ間違えば捻挫します。

しかし、このルートには発見がありました。洞窟があるのです(写真)。奥行きは数メートルしかありませんが、自然のものには見えません。付近には石垣もあり、洞窟の奥には何も置かれていませんでしたが、何やら宗教的なもののようでした。ここは250mくらいの地点ではないかと思います。この先も石が多くて歩きにくいと思っていたら、いきなり広い道に出ました。林道かと思ったら、今度はいきなり陥没して水のない岩だらけの沢を歩くことになりました。そういえば上流では沢には水が流れていたのですが、降りていくと水の流れている沢は無くなってしまいました。不思議な谷です。

かなり長く歩いて、ようやく湯ノ内谷沿いに出ました。川の南に道があって、それを川沿いに歩くと「山頂」の標識に出てきました。やっぱり百間岳の山頂という意味だったようです。

下山に使った谷から登って、下山は西の尾根を歩いて西の谷に降りるのが一番楽しめそうです。実はこの付近はYahooの航空写真が非常に鮮明で、木の一本ずつが見えるくらいです。その写真で見える岩を見つけに行きたかったのですが、道から外れると藪は相当きつそうです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。

2009年12月6日日曜日

坂の辻峠から中坪峠

坂の辻峠は切通です。2009/10/31に南から尾根伝いに坂の辻峠まで歩きましたが、その先も北に尾根は繋がっています。今回はこれを中坪峠まで歩きました。

坂の辻峠から北側の尾根に乗るのは容易ではありません。切通のコンクリ-トの壁の上に登らなければならないからです。しかしこれはなんとか可能でした。あとは尾根まで登れば、植林の中を歩くだけです。全部で300m近くを登るので、かなりの急登です。840m+ピーク付近で一度下って、また登ります。共同アンテナの残骸がありました。880m付近で左手から来る尾根と合流します。この尾根はネットで仕切られており、ネットの向こう側はススキの草原です。手前は植林で、倒木があるとはいえこちらの方が歩きやすいので、しばらくは植林側を歩きました。そのうちに右手からも別のネットが現れ、尾根には2つのネットが平行して張られるようになりました。後から考えると、ここで右手のネットの内側に入って伐採地を歩くのが正解だったと思われるのですが、とりあえずは尾根を歩くという趣旨に添って、二つのネットの間を登りました。

この山奥まで来て、二つのネットの幅50cmほどの隙間を歩かねばならないのは、全く不合理でした。しかもその隙間にも背の高いススキが生えていることがあり、かき分けて歩かねばなりません。そのうちに左手のネットが離れていって、右手のネットだけになります。山頂近くまで来ると、ネットは右(北)に曲がっています。980m+の尾根です。この尾根も二つのネットが平行して張られています。その間を歩いていたら、西側のネットに寄っかかって鹿が死んでいました。角がないのでネットに引っかかったわけでもなく、血も出ていないのでハンターに撃たれたわけでもないようで、自然死なのでしょうか。

東側のネットは新しいらしく、かなりしっかりしています。二つのネットは場所によってはくっつけられており、間を歩けなくなったので西側のネットの壊れたところを通ってネットの西に出ました。北へ歩きましたが、笹藪がひどくなってきました。東側には道があるので、最後は東側のネットの下を潜って道を歩きました。この付近では西側は笹藪と雑木林ですが、東側は植林が伐採されています。1002mのピーク付近は木がまばらで、展望は良好です。写真はこの付近から見る太田ダムの上部調整池です。坂の辻峠から1時間くらいしかかかっていません。

このピークには平野三角点があるはずですが、探していると近くで銃声がして、鹿がネットの西側を走って逃げていきました。危険なので三角点探しは中止して、北へ急ぎました。ずっとネットが張られていますが、適当に出入り口があるので歩けます。二匹の猟犬と出会いました。一度斜面を降りて登ると951mピークです。この付近も伐採が進んでいます。展望は良好で、暁晴山がよく見えます。

この後は相変わらずネット沿いに北に尾根を降りました。中坪峠には未舗装幅員2m程度の道が渡っています。もう一本簡易舗装の2m道路が南西に向かっていましたが、どこに行くかは未確認です。地形図にはこれ以外に951mピークへの途中から西に分岐する破線道があります。これはかなり荒れた道だったと思います。これらの道を使ってこの付近の山を歩く計画だったのですが、ハンターさんがいるようなのでやめにして、破線道で西の峰山林道まで降りました。降りてきた地点には「宍粟50名山 暁晴山登山口」と書いてありました。当然尾根を伝って暁晴山にも行けます([1])。あとは林道で坂の辻峠に戻りました。

ネットもハンターさんもやっかいですし、伐採が進んでいるので風も強く、夏は日差しも強いでしょう。展望は素晴らしいのですが、あまり気持ち良く歩けるルートではありません。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。

2009年11月29日日曜日

山之内から賀野神社へ

山之内小学校の裏に、鍋倉山という山があります。ここから尾根に乗って北上すると、雪彦山の東の賀野神社まで尾根伝いに行くことができます。この尾根を歩いてみました。

山之内小学校の西側の道路を北に歩くと、角に「鍋倉山城跡」の標識が立っています。もう少し雪彦山方面に歩くと、やや壊れかけた「なべくらの森」と書かれたゲートが立っており、ここから鍋倉山に登ることができます。小学校の課外授業に使われているのでしょう。山頂にはネットやロープがあって、遊べそうです。山之内の地図もあります。山頂は二の丸だったそうで、北に降りた鞍部にはお地蔵さんが祭ってあり、ここが本丸跡だそうです。尾根を北に歩くには、ここから尾根を登ります。

最初は長い急峻な尾根ですが、下草がないので助かりました。300m付近からは草木が増えてきます。320m+のピークは薮です。このピークでは尾根が東に曲がっており、注意深く北の尾根に降りました。迷いやすい地点です。一度270m+まで降りて、再び340mピークまで登りましたが、あまり急峻ではなかったと思います。この後はやや高度を上げながらアップダウンが続きます。400mを越えるピークが出てきたあたりから、雪彦山の大天井岳が見えるようになります。雄大な眺めです。他にも西側の山並みはよく見えます。そして446mピークへは急坂です。

446mピークでもうっかりして東の尾根に行きそうになりました。方向を確認して、さらに尾根を北に歩きました。藪もありますが、あまり長くは続きません。場所によっては道があります。そして林道が近付くと、お堂の跡があります。現在は林道沿いに移されているお堂のようです。この手前に東へ降りる道のようなものがありましたが、はっきりしません。

林道には降りずに、ずっと尾根を歩きました。地形図からもわかるようになだらかですが、ちょっと藪っぽい感じです。502mピークも薮です。その北を降りて鞍部に出ると、標石らしき石が転がっていました。裏返すと字が書いてありました。「かんべ」と読めますが(写真)、どこのことしょうか?この鞍部から西側に降りると、賀野神社までは道跡がありました。あとは、「散歩道」という標識の立っている旧参道を降りましたが、かなり荒れていました。淡路ヶ丸にあるような井戸がここにもあり、地滑り対策だそうです。

長い尾根歩きですが、ピークで尾根を間違えなければ楽なコースです。帰りはバスに乗るのが楽だと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆

地形図は「寺前」です。

2009年11月21日土曜日

西カニワ渓谷から皆河三角点

雪彦山の登山ルートとして、安富町関から北に行ってカニワ口(かにわぐち)渓谷を遡るルートがあります。この時にカニワ口渓谷に行かず、そのまま北に行ったらどうなるのか疑問に思っていたので、行ってみることにしました。関から林田川を遡ると、左手に岩山が聳えており、さらに進むと「千寿の水」があります。ここがカニワ口渓谷の入口ですが、ここで川を渡ると「通行不能 路線 東河内安積線 理由 巾員減少1.0m 箇所 これより300m先」という看板が立っています。道は立入禁止となっていますが、これを北に進みました。

この道は県道430号線です。起点は一宮町東河内で、終点は安富町(安志?)ですが、通行不能区間が「宍粟市一宮町東河内 - 宍粟市一宮町東市場間」と「宍粟市一宮町東市場 - 姫路市安富町関間」となっています。Yahooの地図を見ると、この北の山を越した岡城川沿いの林道が430号線となっています。つまり、これから歩くのは「宍粟市一宮町東市場 - 姫路市安富町関間」の通行不能区間となります。自動車が通れないのと人が通れないのは大違いですが、従来の経験から言って、このような場合は人も通れないケースが多いようです。「宍粟市一宮町東河内 - 宍粟市一宮町東市場間」の方は、破線道すらありません。

立入禁止の先には鮎釣りの施設がありますが、こちらも立入禁止です。その先には分岐があって、右の山に入る道に赤い「火の用心」が立っています。この山には送電線があるので、尾根伝いにそれに登る道だろうと判断しました。県道の確認が目的なので、沢沿いに進みました。次は地形図にもある堰堤で、「通常砂防工事 西カニワ堰堤」とあります。この沢の名前は西カニワ渓谷としておきます。

この辺りから道は消えてしまって、沢沿いに歩くことになりました。水の多い沢です。太い管が走っており、水を採取しているようです。岩だらけで水の多い沢は歩きにくく、疲れてきたので先ほどの送電線の巡視路に戻ろうかと思っていると、橋が現れました。しっかりとした石積みがあります。ここは地形図で破線道が沢を渡っている所ですが、東からはしっかりとした道が来ており、これが巡視路だと分かりました。沢歩きが嫌いなら、素直に「火の用心」に従えばよいようです。この橋は丸太や板でできていますが、かなり腐っていて危なそうなので、岩を伝って橋の下を渡りました。橋の反対側には「火の用心」があって、さらに上流を指しています。ここからは歩きやすい道になりました。地形図どうりに沢の西側の少し高いところを通っています。「カニワ公団造林地」と書いてあります。

頭上に送電線が見えてくると、8番と9番の鉄塔への分岐があります。その先は倒木が増えてきますが、だいたいは切ってあります。しかし道は沢を横切ってまた戻ってと、地形図とは必ずしも一致しません。そして炭焼き窯の残骸があったり、倒木がかなり増えて歩きにくくなると、小屋がありました。トタンの波板で作られた大きめの小屋ですが、完全に倒壊していました。ここは地形図で川の最上流にあたる場所です。ここより北の沢は倒木だらけでした。東側の山は登れそうでしたが、目的である県道を探すために一度少し戻りました。地形図の破線道は途中で西に折れているのです。破線道に相当する付近には植林の作業道があり、破線道どうりに北西、そして北に進みましたが、その先の沢はまた倒木だらけで道は見あたりません。そこで右手の尾根に登りました。これは地形図では沢と破線道に挟まれた尾根になります。急峻で長い尾根登りでしたが、障害物はなく、目指す姫路市と宍粟市の境界の尾根に着くことができました。関から歩き始めて2時間近くです。

尾根には鉄塔がありました。播磨北線14です。金属プレートの三角点もあります。岡城四等三角点(794.27 m)です。北側の眺めが良く、暁晴山や岡城川が見えます。ここからは東に尾根を歩きました。歩きやすい尾根でしたが、アップダウンがけっこうありました。周囲は植林が多いのですが、894mピークに出ると木や草が茂っています。展望は素晴らしく、姫路市最高峰の977mピークや高場山が見えます。ここでちょっと藪っぽい道を通って北に降りて、播磨北線17鉄塔に行きましたが、ここからの眺望も素晴らしく、染河内川流域も見えます。北に降りる巡視路があり、北を走る岡城林道から登ってこれるようです。地形図では岡城川沿いから破線道が延びていますが、これは見つかりませんでした。

ここからはネットの張ってある尾根を南に歩いて、皆河三等三角点(915.75 m)に出てきました。写真は三角点ですが、背景の鉄塔は姫路市最高峰です。展望は抜群で、海が見えました。ここには安富反射板(4x6m、標高910m、平成19年3月完成、中播磨県民局所属)が西を向いて立っています。周囲の樹木の伐採状況から見て、南北に電波を反射して伝えているようです。

さらにネットの張ってある尾根伝いに歩きましたが、ネットの北側はススキの原っぱです。伐採が進んでいます。しばらく東に進むと北東に延びている尾根があってそちらに行きそうになりましたが、注意して南東に進みました。この付近は道はありますが木の枝などが落ちていて、歩きにくくなっています。そして雪彦山ではおなじみの道案内板が現れると、播磨中央線13鉄塔です。ここからの眺望も素晴らしく、北東南と見渡せます。この付近はカニワ口渓谷から登ると出てくる地点です。

あとは雪彦山のメインストリートを、942mピークの分岐、雪彦山遭難対策協議会によるとauの携帯OKとなっているが圏外だった通称鉾立山、案内板だらけの雪彦山四等三角点(915.15 m)と進み、標識どうりに谷を降りて千畳平、鹿ヶ壺を見て関に帰ってきました。約5時間の道のりでした。

思ったよりも倒木が少なく、ひどい藪漕ぎもなく市境の尾根に出られたのは発見でした。安富反射板は姫路市最高峰から見つけて行ってみたかった地点でした。距離は長めですが眺望の良いルートなので、健脚派にお勧めです。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆

地形図は「寺前」です。

2009年11月7日土曜日

神河町の宮野三角点

寺前から県道8号線を西に走ると、宮野の付近で鉄塔の立っている山が聳えています。県道は小田原川沿いに東にこの山を迂回しますが、立派な山なので登ってみることにしました。登り口は宮野の北、立岩神社の先の付近で、「石の懸樋」の説明がある付近ですが、この石の懸樋の本体がどこにあるかはよく分かりませんでした。とにかく近くに扉の付いた舗装道路があり、扉を開けて登り始めました。

この道は地形図どうりに北中谷川の砂防ダムで終わっています。そもそも高圧線の鉄塔を目指すのであれば、砂防ダムまで来ないで途中で尾根に取り付くべきですし、砂防ダムからでも東に向かって尾根に出るべきです。しかし、砂防ダムの東側斜面を登ると道があり、谷沿いに延びていたので、それを辿ることにしました。この谷には炭焼き窯の残骸がいくつも残っています。そして最後は岩と倒木だらけの谷だけになってしまいます。その付近で見上げると頭上には送電線が走っており、だいたいの位置を把握することができました。右手の尾根を目指して登ると、鉄塔よりも上の500m付近に出てきました。この尾根の勾配はきつく、鉄塔まで降りる元気はなかったので、さらに尾根を登りました。

少し登ると共同アンテナがありました。そしてさらに急勾配の植林を登り続けると、日和四等三角点(606.64 m)に着きました。三角点の東側に炭焼き窯の跡がありました。三角点付近は木が切ってありますが、展望はありません。ここまで1時間弱でした。400m近く登っていますが、もう300m登らねばなりません。再び急勾配の植林を登り続けると、800mを越した付近から伐採した倒木が増えてきました。830m+ピークは倒木で埋まっています。特に三角点も無いので南側斜面に降りて歩きました。尾根に戻ると太田ダムが見えました。「災害に強い森づくり」と書いた杭が立っていましたが、周囲は伐採した木がそのままになっていました。これで災害に強い森が作れるのでしょうか?840mピークは正確にどこだったか分かりませんが、この付近は尾根に道があります。暁晴山が見えてきます。足元には栗がたくさん落ちていましたが、全部食べられていました。この840mの尾根の西端からは、少し南側の展望がありました。そして後は下りとなり、尾根にネットが現れます。尾根の北側の少しの幅だけをネットで囲っているようです。そして舗装された林道に出てきました。雪彦峰山林道です。

林道を越して尾根を続けて歩きましたが、林道は切り通しになっているので少し左手から登りました。尾根は笹藪が続きます。南に展望のある地点(写真)を過ぎると、宮野三等三角点(911.38 m)に達しました。北側にはネットがあります。更に尾根を西に進みましたが、倒木が増えて歩きにくくなりました。ここで左手を見ると尾根があり、ここが神河町と姫路市の境界の尾根であることが分かりました。ここからは南に進み、また林道に出てきました。この後は林道を歩いてもよかったのですが、820mピークに行ってみました。付近は伐採後植林されており、ネットでしっかりと囲われているので、扉を開けて入ってピークに登りました。その後南側にあった扉から出て、再び林道に出てきました。

この後は林道をヘアピンカーブの先まで歩いて、関電の赤い「火の用心」のところから植林に降りました。左手はススキの原っぱです。この先は関電の巡視路です。付近は西も東も大規模な伐採が進んでいますが、この尾根は平和そのものです。鞍部に降りて登り返すと鉄塔がありました。播磨中央線17です。ピークに登ると柳谷四等三角点(797.56 m)がありました。ここは高場山で、2009/03/21に登っています。

眺望を楽しんだ後、下山路を検討しましたが、どうせなら尾根を歩こうと決めました。2009/03/21と同じように尾根を東に進みました。やや倒木が多いものの歩きやすい尾根を歩いて、僧屋敷四等三角点に着きました。今日4つめの三角点ですが、これは改測となっています。ここからは2009/03/25のルートを逆に辿って高朝田に降りました。この尾根は登るときは楽しめましたが、降りようとすると少々勇気が必要な岩場があって、あまり楽とは言えません。1時間以上掛かって下山しました。

最初の所は、尾根から登って鉄塔に行った方が楽しめて時間も節約できたかも知れません。全部で5時間半かかっています。調べてみると、宮野から西に掛ヶ谷へ向かう道は県道67号線となっています。これは姫路神河線で、国道2号から始まってモールの前を通り、書写山の下から夢前川に沿って北上し、熊部付近で消滅している道です。将来的には高場山の東の尾根を越えて神河町と繋がるのでしょうか?実態はその逆で、昔尾根を超えていた道が消滅しかかっているようです。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」「寺前」です。

2009年10月31日土曜日

播磨北線19:姫路市最高峰

日本のすべての登山愛好家が日本最高峰の富士山登頂を目指すなら、姫路市の登山愛好家は姫路市の最高峰を目指すのが当然でしょう。問題はそれがどこかなのですが、雪彦山の北の送電線の鉄塔が立っているピーク、というのが定説のようです。三角点も無く、地味なピークですが、地形図では雪彦山から北東に尾根を辿っていった先にある977mピークです。通称鉾立山の案内板に「無名」と書いてあるピークです。雪彦山からでも行けますが、ピストンになりそうです。近くに林道が通っていますが、これを利用するのは山歩き愛好家としては避けたいところです。というわけでルートを検討すると、北側から登れそうな気がしてきました。

車で県道8号線を走って寺前側から坂の辻峠に行き、西側に降りました。「坂ノ辻峠トンネルの早期実現」と書いた看板が出ているヘアピンを降りると、右手に地形図には描いてない山小屋があります。もっと西にある水道施設とは別のものです。この付近から登ろうと思っていたのですが、問題は道路の南側に川があることです。無理すればどこでも渡れるのですが、この地点に「ここまで東河内株山共有林」という標識があり、そこに赤い橋が架かっていました。橋を渡ると植林の中に道があります。すぐに行き止まりになり、右手の沢に丸太が一本架かっています。渡れる代物ではありませんし、渡ると目的とは別の山に行ってしまうので、少し戻って東側の尾根を目指して登り始めました。最初は非常に急勾配ですが、植林で意外と足元がしっかりしているので登れました。

尾根に出ると、意外と歩きやすくなります。手入れされている植林なので、尾根には下草がありません。かなりきつい登りですが、楽に歩けました。しかしそのうちに下草や灌木が増えてきました。伐採した木がそのままになっていて、枝が邪魔で歩きにくい場所もありました。とにかく我慢して障害物を避けながら歩きました。急勾配の斜面を登り続けると、尾根に出ました。これは北から774mピークにつながる尾根です。周囲はずっと植林で、急勾配であることを除けば問題なく歩けます。774mピークも、特に何もありません。

さらに尾根を登り、広葉樹が増えたと思ったら、林道に出ました。未舗装で山側はやや崩れています。崩れているところは避けて、登りやすそうな所から再び尾根に登って尾根歩きを続行しました。この先は伐採された木が邪魔で歩きにくくなっています。比較的細い木が多いので、枝を避けて乗り越えれば登れました。その上は笹が増えてきます。最後は笹藪ですが、頂上近くに来ると笹藪を切り開いた道がありました。左手から来ていたので、地形図にある破線道かも知れません。笹藪を切り開いた道が頂上に向かっていました。切り開いても笹の太い茎が残っているので、歩くのは楽ではありません。しかしこの道がなかったら歩けないくらいの笹藪です。北側に展望が開け、暁晴山や太田ダムが見えます。

977mピーク周辺は笹藪です。西側の巨大な送電線鉄塔(播磨北線19)の周囲にはしっかりした網が張り巡らされています。入口を探して網に沿って歩くと、977mピークとおぼしき付近に入口がありました。鉄塔付近からは西と南に展望があります。付近はススキが生い茂っています。肝心のピークには三角点のような標識がなく、笹藪がひどいのでどこなのか分かりません。姫路市最高峰は1000mには届きませんが、送電線のてっぺんを最高峰とすれば1000mを優に越えているはずです。

ここからは東に送電線の巡視路を伝って縦走です。関電が両側が笹藪の壁になっている道を作ってくれました。この付近の赤い「火の用心」の札にはNo.99とかNo.100とか書いてあり、送電線を建て直したようです。少し降りて、次の20番鉄塔の手前に、広葉樹が固まって生えている場所がありました(写真)。黄色く色づいて、地面は落葉で埋め尽くされており、不思議な場所でした。岩と一体になったような木も生えていたり、歩きながら楽しめます。次の21番鉄塔は三辻山から南に少し下がったところにあります。南の眺望は最高です。三辻山は姫路市夢前町、神埼郡神河町、宍粟市一宮町の交点ですが、宍粟50名山のプレートが立っていました。小原四等三角点(961.52m)があります。北側の展望もあります。

三辻山からは北西の尾根を下りました。植林の中を楽に歩けました。私は少し北に行きすぎましたが、赤い「火の用心」がある辺りから西に降りるのが正解のようです。舗装された林道に出てきました。普通林道雪彦・峰山線です。少し南に歩くと、三辻山の登山道の入口があり、その前に自転車が置いてありました。これは地形図の破線道のようです。ここで再び西側の尾根に乗り、西へ、さらに北に縦走しました。神埼郡と宍粟市の境界です。ここも歩きやすい植林です。ときどき木に赤い布が巻いてありました。

再び林道に出て、次も北に斜面を登りました。ここは地形図では破線道がありますが、道はありません。非常に急勾配ですが植林なので好きなところを登れます。尾根に出れば歩きやすく、坂の辻峠まで尾根を歩きました。この付近の東側には大規模な伐採地があります。最後は美しい植林を抜けて、「これより東河内株山共有林」という標識のある坂の辻峠に出ました。ここが「広域基幹林道 雪彦・峰山線(終点)」です。全長19.083mを走ると賀野神社に行けるはずです。自動車は自由に入れますが、朝はパトカーが止まっていました。あとは車のとめてある地点まで、県道8号線を西に降りましたが、少し降りた所には「広域基幹林道 峰山線」の入口があり、こちらも自動車が入れます。

登りは標高差500mを約1500mの距離で1時間半かからずに登っていますので、登山路としては正解という気がします。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。

2009年10月18日日曜日

山ノ内1三角点

山之内という三角点は二つあって、区別するために南にある方の三角点は「山ノ内1」となっています(北の方にあるのは「山の内」です)。かなり急峻な山の上にあり、なんとなく急斜面を登ってみたくなった日に行きました。

登り口は河原口にしました。ここは前之庄から夢前川を遡った所で、東から河原川が合流している地点です。河原川上流には有名な亀ヶ壺があり、標識も出ています。山ノ内1三角点へはここから斜面を登ればよいはずなのですが、地形図で見るとこの付近の山は非常に急峻です。しかし登れると信じで神社の裏を探すと、作業道らしきものがありました。鹿除けネットはありません。まっすぐに山に登っていっています。急勾配で岩だらけですが、木に掴まりながら登ることができました。道はそのうちになくなり、水のない谷を登りました。

見あげると、なんとなく明るいものが見えてきました。これは岩盤でした。かなり大きく、登れるようなものではないので、シダが少なそうな右手を巻いて登りました。大きな岩盤ですが、標高300m以下の地点にあり、地形図には書いてありません。この岩盤の上に出ると尾根がはっきりしてきましたが、尾根に岩がたくさんあります。とてもよじ登れない大きなものがどかんと尾根の真ん中にありましたが、幸いに左手から巻いて登れました。きれいに割れている大きな岩が多いようです。しかし周囲は非常に急峻で、足を滑らせたらかなり長距離を落ちることは間違いありません。木や岩に掴まって登りましたが、木は枯れていることがありますし、岩は割れていることがあって、どちらも頼りになりません。

岩場の多い尾根を登っていくと、上に大きな垂直の岩盤が見えてきました。地形図にある350mの岩場です。これが尾根の真ん中にあったら登れっこないので引き返そうと思ったのですが、地形図にもあるように尾根の右手にあり、左手を巻いて登ることができました。この岩の上からの眺望は素晴らしく、七種山や明神山、前之庄の市街が見えますが、高所恐怖症としては上だけ見ていたい気分でした。写真はこの岩と七種山(右端のピーク)です。

大きな岩場の上に出ると、岩は減ってきて、歩きやすい尾根になりました。499mピークは藪です。しかしこの付近には道らしきものがあります。その後やや長い尾根歩きの後に、山ノ内1三等三角点(570.04 m)に着きました。ここまで1時間半かかりました。この付近の尾根は両側が急斜面なので、尾根歩きの気分が味わえます。

目的の三角点を過ぎてからも尾根を歩きました。平らな頂上の北端は木が刈られており、共同アンテナの残骸がありました。ここから北東に延びる尾根も切り開きがあって歩きやすいものでした。その後は徐々に倒木や大きな草が増えてきます。北側が植林になり、さらには南側も植林になりました。登って520m+ピークに乗ると、倒木だらけの藪になりました。「境」と書いた標石がいくつか倒木の間に埋まっていました。そのうちに「川口」と書いた標石もありました。この付近は持主の名前を書いた標石が多いのを思い出しました。

590mピークの周囲は灌木が茂っていますが、道があります。これを南に歩きました。道はそのうち不明瞭になりました。570mピークがありますが、この手前は倒木が多く、藪になっていました。北側の谷は倒木処理の跡がありました。その南は道が不明瞭ですが、とにかく一番歩きやすい尾根を歩くと、ほぼ地形図の尾根沿いに南に行くことになりました。そのうちに、下の方が明るくなり、伐採地に近づいたことが分りました。この伐採地は、432mピークとの間の鞍部で、斜面にジグザグに道が残っていました。これは七種山からも見えていました。石だらけで歩きにくい道でしたが、鞍部まで降りました。この北側は大規模な伐採の跡です。倒木処理はあちこちで行われていますが、これだけ大規模なものは少ないでしょう。重機が通れるような道が作られていますが、岩や石が多くて歩きにくく、路肩が崩れて道になっていないところもありました。ここの伐採地は木も草も残っておらず、道は砂漠のような感じになっています。432mピークの東側も伐採されていましたが、こちらは緑が見えたので草が生えているようです。

降りてゆく途中で見上げると伐採地の真ん中に岩場があり、そこに木が一本だけ芸術的に残っていました。降りて来たのは、河原川が北向きに流れを変えた先、別荘地帯の北でした。以前にこの付近で東に道を探して七種山に登りました(2008/12/23)。あとは河原川を下って河原口に戻りました。この川は名前の通り場所によって流れが地下に潜って河原だけになってしまう面白い川です。川の南側でも、何箇所か伐採作業が行われていました。

岩場を登り、歩きやすい尾根と藪の尾根を通って、広大な伐採地を通って降りるという楽しめるコースでしたが、岩場は危ないので山登りにはお勧めできません。これらの岩場は下から見上げると見えますので、よく眺めてルートを選んだほうが良いでしょう。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆

地形図は「寺前」です。

2009年10月12日月曜日

相生市矢野町の荒神山

相生市矢野町の真広交差点(県道5号姫路上郡線と44号相生宍粟線の交差点)の北東に荒神山という山があります。標高はたったの147mですが、国土地理院地形図に名前が載っており、見た目にも目立つ山なので登ってみました。147mの山だけを登るのは簡単過ぎると思ったので、周回コースを設定しました。二木の村の北にある212mのピークに登り、そのまま尾根を北東に辿って主尾根に出て、西から南に尾根を歩いて反時計回りに荒神山にたどり着こうというものです。

まず二木の集落から北の溜池に向かって歩きました。溜池が二つあり、地形図ではその脇に破線道があって、瓜生の方に峠を越しています。この破線道を少し行って、すぐに東側の山に登ろうとしました。ところが少し登ると鉄製の柵がありました。それに沿って歩いて入口を探したのですが、結局南の人家の裏手に出入り口を見つけました。他の場所ではとても入れそうもないしっかりした柵でした。ここから森に入って急斜面を登りました。地形図で言うと212mピークから南西方向の谷を登ったことになります。谷に沿って斜面を登りました。地面には木の実がたくさん落ちていました。古い炭焼き窯がありました。下草はあまり無いので、登りやすい斜面です。15分ほど急斜面を登ると、212mピークに出ました。

ここからは尾根を東に向かいました。すぐにテレビのアンテナがあります。8本も並べてあります。NHKと書いてあるところを見ると、単なる共同アンテナではないのかも知れません。この付近はなるべく東に進路を取ります。尾根には道はありませんが、下草が少なくて歩きやすい尾根でした。

尾根の東に190m+のピークがあり、この先は間違えずに北に進まねばなりませんが、この付近はシダ藪です。道はあるのですが、シダが育ちすぎで足元は見えません。この先は倒木もありシダも生えている雑然とした尾根になります。ときどきシダが胸の高さになりますが、進めないほどではありません。尾根にシダが多いところは、少し西側斜面に降りて歩きました。193mピークには切り開きはなく、藪です。この北は一旦降りますが、この鞍部は道らしきものが横切っていました。そこから先は主尾根まで登りですが、シダは減って木の間隔も広くなってきて、歩きやすくなりました。急斜面もありますが、割と楽に250m+の尾根に到達しました。

この先は西向きに歩きました。この尾根も低木の枝が少し邪魔な程度で、枝を折りつつ進みました。小さな250m+ピークを越し、その先のピークにはアンテナの残骸がありました。ここで気楽に尾根を歩いていたら、北西に向かう尾根に行ってしまいました。よく方角を見極めて、西に延びる尾根に降りました。この付近も道はありませんが歩きやすい尾根です。この先も、尾根を辿ると南に行ってしまうので、曲がらず西に降りて進みました。さらに、尾根が200mを切る付近でも真っ直ぐ歩くと北の尾根に行ってしまうので、西に進路を取り直しました。なんとも迷いやすい尾根です。この付近からは、北の矢野川が木の間から見えます。

194mピークはやや開けていますが、周囲は広葉樹の雑木林です。ちょっと北に尾根を降りて、瓜生四等三角点(158.94 m)を見てきました。なぜかピークではなく少し下がった鞍部にあります。次は南に荒神山を目指しました。ここも尾根を歩くと南東に行ってしまうので、真っ直ぐに尾根を降りてから南東に曲がりました。またシダが増えてきました。破線道が横切る鞍部には、確かに道らしきものが通っていましたが、本当に両側が地形図どうりに下まで降りているかどうかは確認していません。

この先は150m+ピークに登り、少し降りてまた150m+ピークに出て西へ曲がります。雑然とした雑木林が続きます。切り開きがあるような気もしますが、手で枝を折りながら進んだ場所も多かったと思います。その南の鞍部には、切り通しらしいものがありました。北側の溜池の堤防付近から道が登ってきているような木がします。この先は狭い尾根です。ここまでもそうでしたが、狭い尾根は道を間違えないので良いのですが、シダが生えていると巻いて進めないので困ります。

そろそろ荒神山に向かって登りとなる神社付近で、尾根を鉄柵が横断していました。ちょうど南の溜池の堤防付近で、荒神山を取り囲む鉄柵のようです。出入り口とは書いてなかったのですが、よく見ると針金を二つほどくだけで中に入れる場所があったので、そこを通って荒神山を目指しました。ピークの手前はシダが元気ですが、膝くらいの高さです。

荒神山四等三角点(147.06 m)は、写真のように新しい石標でした。その上にはパラボラ型のアンテナが立っています。ちょっと箱を空けて中を見ると地デジ用の装置のようでした。ということは新しいもののようです。アンテナの方向は宝台山ではなく、南を向いていました。

これだけのものを作るには道が必要だろうと思って三角点付近を探すと、南に降りる道がありました。ただし直滑降で降りる道で、歩くには不適です。道の脇の林の中を木に掴まりながら降りました。最後はまた鉄柵とネットがありましたが、少し東に行くとネットだけになり、くぐることができました。竹藪に出てきて、さらにネットをもう一つくぐると人家の裏手に出ました。西に歩いて44号線脇のお地蔵さんのところに出てきました。

地形図をぱっと見て尾根がどこにあるのか分からないようなルートですが、ルートハンティングだと思えば面白い山歩きです。全行程3時間程度でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆

地形図は「二木」です。

2009年10月4日日曜日

弥勒寺の周りの山を一周

夢前町の弥勒寺は由緒あるお寺です。その周囲はゆめさきの森公園として整備されています。弥勒寺は南北に走る二つの尾根に挟まれた谷に位置しており、この周囲の山を一周しようという企画です。

登り口は小坪の弥勒寺観光道路の入口にしました。開通記念碑が建っていますが、その後ろから笹藪に入りました。斜面を横切る道があり、かなり先まで進めます。しかし結局道は途中で消えてしまったので、尾根を目指して斜面を一気に登りました。背の高い笹が多少生えている程度で、問題なく登れます。この一帯は雑木林です。尾根は歩きやすく、振り返ると南に展望があったりして、楽しみながら登ることができました。しかし徐々に足元にシダが増えてきます。ところどころ松が生えて下草のない場所もあるのですが、地面がシダで覆われて踏み跡が見つけにくい場所がほとんどでした。250mを越すと尾根はシダが胸の高さまで茂っている場所があり、西側に少し降りて進みました。290m+のピークを過ぎると良い道が現れ、西から登って来られるようです。しかしすぐにまたシダが復活しました。写真は307mピークで、ピーク付近はシダが少ないのですが、この北の鞍部に下るあたりもシダが元気でした。331mピークに向かって登るようになると、ややシダも少なめになり、最後は「通宝寺池800m」の標識の所に出てきました。

この後はゆめさきの森公園ですので、尾根道は良く整備されています。アップダウンのある長丁場ですが、331mピークの南を通って339mピーク、糸田三角点、289mピーク、寺村三角点までは、2006/6/10に歩いています。ここを歩いていて思ったのですが、西の尾根でも東の尾根でも植生は同じですから、西の尾根の雰囲気は東の尾根で整備された遊歩道が無くなった状態を想像していただければよいと思います。今回はこの先を西に「古墳の道」に進みました。この道は小坪の南の尾根まで延びています。道の外れには小坪山古墳があります。この手前に下山できる道があったのですが、古墳の先の尾根をそのまま降りてみました。かなりの急斜面ですが、降りると竹林で、電気の通っている鹿避けの柵に出入り口があって、難なく出られました。

6kmほど歩きましたが、ゆめさきの森公園は道がよいので3時間ほどで歩けました。藪が苦手な方は通宝寺池から登るのが正解です。

展望 ★☆☆
藪山度 ☆☆☆

地形図は「前之庄」です。

2009年10月3日土曜日

猪篠から登る白岩山

2009/05/23に白岩山に登った時に、眼下に猪篠の集落が見え、正面には林道や送電線が通っている山波が見えて、そちらから登ってみたくなりました。

出発点は猪篠の八幡神社にしました。神社の前から道が東に延びています。少し登った所に古い道標があり、右は越知坂道となっています。これは地形図で谷沿いに東に延びて720m+付近で尾根を越している道と思われますので、まずはこれを目指しました。すぐ南に越知ケ峰線という林道が通っており、これは越知につながっています。果樹園の中を歩いて、小ぶりな送電線の鉄塔に寄り道しました。生野支線38です。建設は昭和8年11月となっていますが、そのままなのでしょうか?高圧電線が3本しか掛けられておらず、確かに古そうではあります。

林道があるので古道は消えているのではないかと心配していましたが、鹿避けの扉があって、それを抜けると案の定倒木だらけの荒れた道になりました。しかし少し歩くとまた良い道が現れました。この道は地形図で川が終わる付近で終点になっており、その先は道が見つかりません。とりあえず地形図の破線道と同じような方向に進みました。沢沿いに道があるような気がしたのですが、結局道はなくなりました。見上げると林道のガードレールが見えたので、林道に登り、ここからは林道を歩きました。最初から林道を歩けば早かったのですが、古道が消えてしまったことを確認したかったのです。

林道は舗装されていますから、何の問題もなく歩けます。幅員4mなので自動車のすれ違いはちょっと難しいかもしれませんし、道の脇の灌木や草がせり出してきている部分もあります。しかし沢沿いの藪こぎと比べたら天地の差です。しばしば道沿いに高圧線の鉄塔があり、巡視路が延びていますが、まだ歩き始めで道草を食っている場合ではないので、ひたすら峠まで登りました。生野支線は鉄塔が低いため、電線の下の木は切ってあります。

峠には「越知ケ峰林道要録」という碑があります。昭和61年度完成、延長8070mで総工費50086万円となっています。ここで南の尾根に登って三角点を見に行ったのですが、峠は林道で切り通しになっており三角点を見に行くには崖を登らなければなりません。この尾根は地形図では破線道が通っているのですから、崖にするのはやりすぎではないでしょうか。木につかまって崖を登ると、猪篠四等三角点(659.36 m)がありました。植林の中ですが、なぜか尾根の中央から少し南に外れた位置にありました。

峠に降りて、東側は関電がプラ階段を付けてくれていました。これを登ると大きな鉄塔があります。播磨中央線44です。付近は木が刈られているので東西に展望があります。東の飯森山と西の八幡山が見えますが、なによりもこの鉄塔の大きさに圧倒されました。播磨中央線は新しいだけあって(この鉄塔は平成13年建設)どの鉄塔も大きなものです。

ここからは833mピークを目指して尾根沿いに北上しました。最初はススキや背の高い笹が茂っていて、踏み跡も見つけにくい場所が続きました。笹藪の中で動物の動く音がして、近づくと笹が固まって倒れており、どうやら鹿か猪がその上で寝ていたようでした。笹を避けるには尾根の北側の植林を歩けばよいのですが、尾根にはネットの残骸があって足を取られました。その後はかなり急な植林の中を登ってゆき、尾根に出ると木に白ペンキで「宝寿寺」と書いてありました。道標かと思ったのですが、他の木に書いてあるものを見ると地権者を示しているようでした。833mピーク付近は植林です。

ここからは北に植林の中を歩きました。暗い植林ですが、下草がなく倒木も少ないので歩きやすかったと思います。ときどき東側に展望が開けました。地権者の名前が越知に変った後、不動野三等三角点(902.92 m)に着きました。大柿さんのピンク札がありました。'04.7.4です([1])。ここは桧和田山というようです。

さらに北に歩くと、尾根の植林は尾根が分岐する地点で終わって、その先は灌木が生えています。地形図には尾根の西側に破線道があるので、尾根を少し北東に行ってから北側に藪の間を下りて道に出ました。前回にも通っていますが、倒木あり草ぼうぼうで場所によっては道を外れたほうが歩きやすい道です。北西に尾根を進むとどんどん藪がひどくなり、シダの背が高くなってきました。前に来たのは5月なので、夏の間に茂ったようです。たまに北東の白口方面が見えます。地面の見える場所を探して歩き、900m+のピークは破線道のとおりに北を巻きました。その先の鞍部はさらにシダが茂っており、西側の植林に逃げ出しました。この先では町境は少し北側の谷を通っているようですが、植林の尾根を981mピーク目指して登りました。長くて急な坂でした。

981mピークから白岩山までは前回歩いています。南側は伐採されて展望があります。植林の形跡もありますが、まったく木は育っていません。白岩山は展望も開け風も日差しも心地よく、岩の上でしばらく休みました。

下山は白岩山から西に延びる尾根にしました。ここには確かに道がありました。ちょっと降りると尾根から南にはずれる分岐があってちょっとそそられましたが、そのまま尾根を辿りました。白岩会の登山ルートの標識があり、間違いなく尾根伝いに降りられることを確信しました。かなり降りると、尾根にネットがあり、それが尾根を横切っています。おやおやと思うと、その脇に「白岩山 下山方向です」という標識がありました。これに従うと、植林の中をつづら折りの道で降りることができました。この道は地形図の破線道とは少し場所が違いますが、降りてきた地点は同じかもしれません。降りてきたところの扉には、「山頂では南の方向に姫路港が見えます。南東方向に明石海峡大橋が・・・運がよければ見えます」とありましたが、どちらもまだ見たことはありません。運の修行が足りないようです。なお、この下山道がなければ尾根を西の端まで歩いて高圧線の鉄塔の巡視路で降りようと思っていたのですが、それも面白そうな気がします。

長丁場のようですが4時間しかかかっていません。途中多少の藪はありますが、展望もあるのでお勧めです。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。

2009年9月26日土曜日

神河町の入炭山(栗村三角点)

粟賀町から生野方面に播但道や312号線を北上すると、左手に高い山並みが見えてきます。その上に紅白に塗られた鉄塔が何本か立っており、あそこに行ったらさぞかし展望が良かろうと思ったのが、事の起こりです。この付近については[1]に記録があり、参考にしました。ただし2004年6月の記録なので、その後台風で何が起きたか分かりません。

車は夫婦杉で有名な杉の集落に止めて、312号線沿いの大山簡易郵便局のところから登り始めました。墓地を過ぎ、ゲートボール場を過ぎて登ると、播但自動車道の上を越す歩道があります。この入口が鹿避けの扉になっていました。播但道を渡ると、いよいよ破線道を登り始めるのですが、ここには草の刈られた道があり、シダの生えた植林に入っていきます。明らかに破線道とは異なる道ですが、これしか見つからないのでこれを登りました。植林に出てきて、シダをかき分けて植林の北端まで登ると、道がありました。かなり荒れていますが、間違いなく破線道です。真っ直ぐに山に向かって登って行っています。場所によっては草が生えたり両脇の木がせり出していたり、ひどい場合は真ん中に木が育って道を塞いだりしていますが、ほぼ辿れました。

谷に出てきて、道を探すと北側に踏み跡がありました。途切れ途切れですが、植林の中を登って行っていました。そのうちに藪がひどくなり、突破するのが大変になったので谷に降りると、目の前に土管が見えました。これは地形図にある林道です。道の下側は明らかに植生が変わっており、大きな草や細い藪が茂っていました。これらをかき分けて、道路脇の石積みをよじ登って林道に出ました。「工事作業中落石注意」と書いた板が立っていました。

さらに登ろうとすると、いきなり鹿避けネットに立ちふさがれました。潜れる場所は沢だけだったので、濡れた岩の上を通ってネットをくぐりました。ここからも谷の北側の植林の中を歩きました。倒木もありますが、適当に切ってあるので邪魔なのはむしろ灌木でした。そのうちに勾配が急になり、伐採した木が増えてきました。見上げると林道があります。林道を造るときに伐採し、下に投げ捨てた木が行く手を塞いでいました。その間には背の高い草や灌木も生えています。急斜面で地面は崩れやすく、注意深く登らないと滑落しそうでした。しかも林道に着いても、鹿避けネットが張ってあります。このネットは下から誰かが登って来ることは想定しておらず、入口は無いようでした。しかもネットは林道の端ぎりぎりに建てられており、ネットに沿って歩くことも困難でした。しかたなくネットをの下端を杭に固定している針金をほどき、ネットを20cmほど持ち上げてその下をくぐりました。

この林道は地形図には載っていませんが、「県民緑税の活用 平成十八年度整備」と書いた杭が立っていました。道路から見上げたときに見えるのはこの林道で、標高500mです。道の上側と下側と両方の斜面の木が伐採されており、かなり荒療治という印象を受けます。税金を納めた県民としては言いたいことがいろいろありますが、とにかくさらに谷を登り続けました。

この先が傾斜の一番きついところで、何度か休みました。植林の中の荒れた道ですので、急ぐと落ちている枝に足をひっかけて転んだりします。ゆっくり登りましたが、道が消えかかっているところが多く、最後は水の無くなった沢を歩きました。突然赤い「火の用心」の矢印が現れました。どこからここへ出てくるのか分かりませんが、登り方向を指しているようです。このあたりから勾配が緩くなり、歩きやすくなりました。最後は道が分からなくなりましたが、緩やかで広い植林地帯で、まっすぐに尾根に出ました。登り始めから約2時間かかりました。

尾根は植林です。地形図では反対側にも破線道がありますが、見たところはっきりした道は無いようでした。ただし登ってきた方にもはっきりした道はありませんから、状況は同じかも知れません。尾根で休んだ後に、送電線の鉄塔を見に行きました。北東に760m+のピークに登り、ちょっと八幡山方面の景色を見てから779mピークに向かいました。シダが生えていますが、道があります。途中で北方面の視界が開けるところがありました。鉄塔はピークからネットの張られた岩だらけの尾根沿いに少し降りたところに立っています。紅白に塗られた巨大な鉄塔です。播磨中央線33で、平成13年6月とあります。静電誘導方法航空障害燈というものが設置されているようで、夜は点灯するのでしょう。斜面に立っていますが、下は芝生状態なので、寝ころんで休めます。展望はさすがに素晴らしいのですが、開けている南方面は逆光なので良い写真が撮れません(写真)。晴れで風が気持ち良く、しばらく寝ころんでいました。帰りにネットの脇に鹿の骨が落ちていることに気がつきましたが、角が引っかかった可哀相な鹿でしょうか。

尾根に引き返し、後半戦です。シダで消え気味な尾根道を登って、反射板まで登りました。海抜833mの関西電力大山反射板です。4m角と、やや小振りなもので、北西を向いています。さらに尾根を南西に進みましたが、この山に登って一番感じたのは、静かだということです。季節もあるでしょうが、蝉や鳥の鳴き声がほとんど聞こえません。この付近の尾根はシダが多く、植林の倒木もあり、歩きにくい感じでした。三角点のあるべき場所はシダに覆われていました。プラスチックの白い棒の先が見えていなければ発見不可能だったでしょう。棒の近くのシダをかき分けると標石が出てきました。上に木の板が渡してあるのですが、それごとシダに覆われていました。栗村二等三角点(816.93 m)ですが、二等三角点にしてはひどい状況です。この場所にはもう一つ反射板がありました。名前などは見なかったのですが、西を向いている大きめのものでした。そのため西側の展望が開けています。

この先はいよいよ下山ですが、いきなり道を間違えました。反射板から降りて行くと西の尾根に行ってしまいます。南の尾根に乗り換えると、次は再び鉄塔です。播磨中央線31です。ここからも西側の展望が得られます。この先の南に向かう尾根は植林で、暗いことを除けば下草が無く枝も落ちていないので文句の点けようがありません。802m地点には、赤い「火の用心」があり、西の尾根に進むと30番の鉄塔に行けるようです。これら番号の書いてある「火の用心」は縦長のもので、矢印の形のものには番号が書いてありません。今は縦長の方だけが使われているのでしょうか。

尾根はここで南東に曲がりますが、周囲は植林で歩きやすく、どんどん進めました。ここは以前は町界でしたが、特に標石は無いようです。昔の町界どうりに尾根を降りましたが、640m付近で気を付けないと、尾根は南に曲がってしまいます。下山を考えてここは真っ直ぐに藪に入りました。藪と言っても木の間隔は開いており、そのうちに道も現れました。急斜面を登り、629mピークに出ました。尾根は南東に向かって494mピークに行くのですが、車を取りに帰ることを考えて東に延びる尾根に乗りました。

この尾根も歩きやすく、ほとんど問題はありません。570m+付近に小さなピークがあるのですが、その先は非常に急斜面で、思わず南東の尾根に向かいましたが、すぐに北東の尾根に戻りました。急斜面ですが少し降りれば道があります。その後は歩きやすい植林の尾根でしたが、さすがに最後は植林が終わり、道が無くなりました。細い木がやや密に生えた雑木林でしたが、これも暗いことを除けば歩きやすく、意外と楽に降りられました。最後はまた植林になり、そのまま降りてもよかったのですが、川に降りると嫌だったので少し南に寄ってみました。すると広い草地がありましたが、草の背が高いのでここは避けて、少し下の植林の山に向かいました。これを抜けると、舗装道路に出てきました。地形図で養鶏場(?)から北に向かっている道のようで、これを歩いて鹿避けの扉を通ると人家に出てきました。あとは播但道をくぐって杉の集落に戻りました。

Yahooの航空写真ではゴルフ場の北の養鶏場(?)の場所は空き地(原っぱ?)になっており、どうやらその付近に出てきたようです。

全行程5時間程度でした。尾根はよいのですが、登りの破線道は危険です。まず上の林道に出て、そこから尾根を目指すべきですが、どこから500mの林道に出るかが問題です。おそらく下山して出てきた付近から登れるのではないかと思います。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆ 危険箇所有り

地形図は「生野」です。

2009年9月23日水曜日

南東の尾根から登る葛城山

葛城山には良い思い出がありません(2006/10/28)が、これは山のせいというよりは笹藪のせいでした。前回はバスで行ったために笹藪を突破するはめになったのですが、今回は車で林田町奥佐見に行きました。最初の予定では以前に通った谷沿いの道で葛城山に登り、南東の尾根を伝って下山するつもりでした。しかし、道沿いを見ていると東側に川があり、下手なところで山から降りてくると川を横切るのに苦労しそうでした。しかも見たところ藪がきつそうで、身動きが取れなくなりそうでした。そこで、まず東の尾根に登って、そこから葛城山を目指すことにしました。

車を葛城下池にとめて、池の南東付近に東から延びてきている尾根に上がりました。尾根の裾には笹が茂っていますが、薄めのところを選んで抜けると、尾根は快適でした。ところどころ笹が元気ですが、あまり背が高くないので通り抜けられないほどではありません。鹿が食べてくれるのでしょうか?少し登るとシダが増えてきて、標高で200mほど登った327mピークはシダで覆われていました。やや長めの急勾配だったので休みたかったのですが、シダばかりでは腰を下ろすこともできません。そのまま北に向かいました。

少し北に降りると、共同アンテナの跡と思われる場所があり、東側に展望が得られました。大堤の集落と、その東の山が見える程度で、伊勢山は木で遮られて見えません。この先も尾根はシダで覆われています。明らかに踏み跡があるのですが、シダで隠されがちです。場所によってはシダが背丈以上に育っている部分もありますが、少し西側に降りたところを通れば問題なく通れました。東側が植林になっている場所もありますが、尾根はすぐにシダに覆われてしまいました。

340mピークはシダが無く、広く平らな雑木林でした。この付近からは西側が若干望める場所もありました。見えていたのは林田の町でしょう。この後はシダがなくなって比較的歩きやすくなりました。なだらかな尾根を登って440m+で南西からの尾根と合流しましたが、ここを通って下山する時には南東の尾根を見つけにくいだろうと思います。その後450m+ピークを経て一旦下りになりますが、この付近は暗くて不思議な雰囲気の場所でした。そして最後に葛城山への登りになると、道が現れました。しかしこの道は西側に巻いていってしまうので、結局尾根に登り、再び現れた笹をくぐり抜けて山頂に着きました。不動山二等三角点(478.6m)があります(写真)。ピンクのプレートがありました。'06.2.25です([1])。

下山は以前に登りに使った沢道を考えていたのですが、どうやってそこへ出たらよいのか見当が付きません。尾根を少し西に進み(木の少ない方に行ったら北に向かう尾根だったので引き返しました)、南斜面の藪が薄めになったところで斜面を降りると、見覚えのある何段かの平坦地に出てきました。この山頂付近には何か人工物があったのではないでしょうか。この付近は湿地帯で歩きにくく、やや右往左往しました。マーキングも何種類かあるのですが辿れるほどの数ではありません。水色のビニール紐が一番頼りになったような気がします。岩が多いので注意して降りると炭焼き窯の遺物があり、その付近からは少し道らしくなりました。しかし岩だらけ石だらけで、崩落気味の場所もあり、気をつけないと捻挫しそうな危険な沢道でした。

最後は歩きやすくなりますが、そう思っていると笹藪に突入しました。道はしっかりしているので笹を潜って通れますが、間違っても突き当たりを右に曲がらないように気をつけないと大変なことになります。

あとは「かつらぎ自然学校」の前を通って車まで戻りましたが、それにしても笹藪の多い地域です。自然学校の少し北で道の脇の笹の中に、鴨より少し小振りの白い鳥がいて、近づいても動こうとしなかったのが気になります。怪我でもしていたのでしょうか?

3時間ほどのコースです。笹とシダは冬になっても元気だろうと思いますので、いつ歩いても同じかも知れませんが、暗い森が少しでも明るいときに歩きたいものです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」です。

2009年9月21日月曜日

林田の北山三角点

これは「林田の宮垣内三角点」(2009/09/06)の続きです。前回は時間切れで途中で下山しました。今回続きを歩いてみて、それも正解だったかなという気がしました。

登り口は前回降りたところ、林田の六九谷バス停から西に破線道を登りました。登りは下りより道が分かりやすかったような気がしますが、一度通ったからでしょう。お地蔵さんの前の辺りから尾根に登りましたが、これがかなりきつい登りでした。少し笹が生えている程度で、藪は皆無です。長い登りに疲れたので、途中の少し展望のある場所で休みました。頂上の350m+ピークに着くと、あとはアップダウンはありますがずっと楽になりました。南斜面の、普通ならシダが生えていそうなところに笹が生えているのは、林田付近に特徴的です。これが生い茂ると悲惨なことになるのですが。

一旦少し降りて登り返すと、北山三等三角点(396.22 m)がありました。ちょうど座って休むのに適当な倒木が近くにありました(写真)。この付近は平らな広場になっており、北の端に岩のかたまりがあって、ひょっとしたら昔は見張り台のような場所だったかも知れません。ここで大柿さんのピンクのプラスチック板を見つけました。2004/03/13のものでしたが、屏風岩から尾根伝いに来られたとのことで、私が3回に分けて歩くようなコースを一度に制覇しています([1])。

この北にも390m+のピークがあり、それを降りるとやや急勾配に植林の尾根を降りることになり、鞍部に着きました。地形図の上ではここで林田から新宮に横切る破線道と高圧線と町界の3つが交わっています。鉄塔は龍野揖保線44ですが、昭和45年建設とのことで、小振りな鉄塔です。下を見ると「送電線巡視路」と書いた板が落ちていました。赤い火の用心ではなく、巡視路とはっきり書いた標識は珍しいと思います。この送電線は林田の西側の斜面を通っており、斜面を横切る巡視路があると思われるため、そちら方面に見に行ってみました。

最初はまともな道ですが、すぐに路肩が無くなってしまいました。赤い火の用心の札も全くなく、どこが巡視路か分からない場所がたくさんあります。たまに黒のプラスチック階段もあるのですが、ほとんど役に立っていません。43の鉄塔までは行けましたが、その先は広いガレ石の斜面となっており、道の形跡もありません。少し上に向かって歩いて尾根に出ると、尾根の下に次の鉄塔がありました。しかし、鉄塔との間に背の高い草が密集して生えており、横切るのは非常に困難そうでした。ほんの10mかそこらでも、視界が全くないので歩けないのです。この地点の展望はけっこうよかったのですが、これ以上巡視路を辿るのは諦めて、尾根を登りました。長い尾根でしたが、先ほど通った三角点の北の390m+ピークに出てきたので、同じ尾根を辿って再び44の鉄塔に戻りました。

今度は破線道を東に降りました。この鞍部には以前北から歩いてきたことがあるのですが、その時は西に降りて破線道が無くて困った記憶があります。今回は東側ですが、これも道というよりは沢を歩いている感じでした。水がないので歩けましたが、岩が多くていかにも捻挫しそうな下りでした。最後は堰堤のところからまともな道になり、荒神社の脇、上山下停留所に出てきました。この後は六九谷まで29号線を歩きましたが、一部は歩道が無くとても危険です。

寄り道しなければショートコースです。この尾根は南北に延びていて、長く歩くと出発点に戻るのが大変なので、29号線を通るバスを利用することをお勧めします。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆ 巡視路は除外します

地形図は「安志」です。

2009年9月6日日曜日

林田の宮垣内三角点

林田の西に祝田(はふりだ)神社があります。林田では八幡神社と並ぶ由緒ある神社のようです。この神社の裏山(貴船山?)に宮垣内三角点があります。揖保川寄りの屏風岩から尾根が続いていますが、林田側から登ってみました。

祝田神社の南の道を西に歩くと、破線道が北に延びていて、峠に達しています。この破線道は入口にいきなり鹿除けの扉がありますが、ため池までは良い道です。その先はかなり荒れており、草が生え放題ですが道はあります。峠は切り通しになっており、南側に首のない石仏が置いてありました。おそらく昔はよく使われた道なのでしょう。

峠から尾根を東に登りました。姫路市とたつの市の境界です。道はありませんが、雑木林なので歩けます。かなり勾配がきつく、やや疲れてきた頃に260m+の尾根に出てきました。ここから南に尾根を歩くと、宮垣内四等三角点(261.09m)があります。近くにある「図根」と書いてある石標の方が大きくて目立ちます(写真)。展望は、木々の間から林田方面が垣間見える程度です。

三角点からは北に尾根を歩きました。雑木林で歩くのに困難はありませんが、季節がら木の枝で蜘蛛の巣をはらいながら歩かねばならず、うっとうしい感じでした。一つ北の260m+ピークの付近はシダ藪ですが、切り開きがあり、シダで覆われていてよく見えませんが、辿れます。その北の265mピークへはいったん降りて登り返しますが、この付近は尾根がはっきりしません。265mピークの北からは植林になり、薄暗いとはいうものの、蜘蛛の巣が減って歩きやすくなりました。なんとなく尾根を伝って北に降りると、「三界万霊」と書かれた石の上に座ったお地蔵さんがありました。ここは市の境界よりは東寄りです。

お地蔵さんのある峠から破線道を東に降りました。お地蔵さんがきちんと手入れされているので良い道を期待したら大間違いで、沢と区別がつかないような石だらけの道でした。少し降りると道らしくなりますが、草が多くてまた見失いそうになりました。しかし草は生えていてももともとは道ですので、辿ることはできます。最後は林道のような幅広い道になり、鹿避け扉もなく六九谷のバス停に出てきました。あとは29号線を歩いて帰りました。

おまけとして、祝田神社のちょっと南西に「古墳 行者尊入口」という石標が立っているのを見つけました。扉を開けて登っていくと、確かに古墳があります。その下に蛙の置物と石仏の置いてある祠のようなものがあり、「古墳古代仏 氏子代々祖霊 万霊鎮護碑」と書いてありますが、個人的なものという印象でした。この付近には斜面をまっすぐに上がる道(?)があって、あまりに急なのでトラロープが張ってあります。これを登ると貯水タンク(配水池)がありますが、このタンクは上に三色の信号機が付いています。水位を知らせるためのものだと思われますが、珍しいものです。

今回は峠までの道を確かめたかったので西から登りましたが、三角点には貯水タンクからまっすぐ登ることも可能ではないかと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「龍野」「安志」です。

2009年8月29日土曜日

明延から登る水剣山

再度西から登る水剣山です。明延から水剣山に向う道は地形図では二股に分かれています。北側は沢沿いの実線道で、すぐに建物のマークのところで終わっています。南の破線道は延々と1キロ近く延びています。登りは最短の尾根コースである、この二つの道の間の尾根を登り、帰りは前回2009/08/20に道がありそうだった南の破線道で戻ることにしました。

都多小学校の前で伊沢川を渡り、明延を遡って、道が分かれる付近に車をとめました。「水剣山の名水」があります。標高304mとも書いてあります。水剣山まで568mを登るわけです。鹿除けの扉を開けて実線道を歩き始めました。すぐに右手に明延配水池(と言ってもコンクリートの箱)があり、そこで舗装道が終わっています。この先も沢沿いに道がありますが、いずれ終わってしまうことは自明なので、配水池の下から植林に入って尾根を目指しました。急勾配ですが、植林で下草がなく歩きやすく、すぐに尾根に着きました。尾根は木が切ってあります。

ここから水剣山を目指して歩きました。切り開きのある場所が多く、わりと歩きやすい尾根です。地形図からも分かるように急勾配の場所が何箇所かあって、木に掴まらないと登れません。雑木林の場所が多く、植林の倒木はありませんが、雑木林の倒木でも急斜面にあると、どう登ったらよいのか思案することもありました。

最初の急勾配を登った後の500m+の平らな場所は植林で、気持ち良い場所なのでしばらく休みました。その後は雑木林を手で枝を払いながら歩きました。急勾配では木に掴まりましたが、腐っている木も多く、足元は崩れやすい土で、軽快な登山とはいきません。最後は急勾配の植林を登り、水剣山北西ピーク(870m)に出てきました。すぐ隣が蔦沢三角点のあるピークです。宍粟50名山の標識が立っています。

下りは破線道のある沢と決めていたのですが、降り方が問題でした。水剣山から西尾根に下りると、まず西側に谷が見えますが、周囲は急勾配の植林で、谷の様子もよくわかりません。尾根を歩いてひとピーク越えると、また西側に谷が見え、ここは谷底が見えます。なんとなく道のようなものが見えます。しかし真っすぐにそこに植林を降りるのは急すぎるので、前回歩いたルートを戻って、766mピークの手前の36と番号の書いてある標石まで登り、ここから西に尾根を下りました。最初は植林ですが、雑木林になる手前に30番の標石があり、赤いテープが木に巻きつけられています。ここで植林を下りる道を探したのですが、見つかりません。しかたがないので作業道を辿って降りてみました。下の方は藪です。しかも地面は岩盤です。上から見て道のように見えたのは、実は岩盤でした。岩盤は急すぎて降りられないので、岩盤の上に生えた藪の間を抜けて沢に降りて行きました。岩は板状に崩れており、危険な場所です。

写真は沢から見た、降りてきた付近の岩盤です。このような雨が降れば水路となる急勾配の岩盤がいくつもありました。沢は幅の広い岩盤ですが、水が流れているので歩けば滑って転ぶことは明らかです。倒木もあるので、北側の植林の斜面に登り、沢に沿って斜面を歩いて行きました。かなりの急斜面です。この谷は地形図で破線道が描かれている谷ではなく、破線道はこの尾根の北側にあるはずです。そこで破線道を目指して尾根を登って北側の谷に降りました。急斜面の雑木林でした。

北側の谷は南側に比べると少し幅が広く、流れに沿って歩けそうでしたが、すぐに倒木が増えて歩けなくなりました。先日の台風の大雨で流されてきたらしい木の枝などが積みあがっており、沢歩きは断念して北側の植林に登りました。この後は1キロ近く倒木と岩の多い植林の斜面を歩くことになりました。枝の付いた倒木も多いので、それを避けて斜面を上がったり降りたりしながら歩かねばなりません。疲労困憊しました。

かなり歩いたところで斜面に藪が増えて歩きにくくなったため、一度谷に降りました。ここで南側を見ると少し高い所に道がありました。道と言っても荒れ放題で、倒木や岩が多く、歩き易くはありません。それでも斜面を歩くよりは楽ですので、あとは道沿いに降りました。ここで初めてゆっくり観察できたのですが、この沢の岩盤は青みを帯びたものが多く、この付近特有の岩のようでした。

この道は最後は沢から離れて鹿除けの金網に突き当たっていました。金網沿いに歩いて、結局最初に開けたのと同じ扉を開けて外に出ました

登り2時間、下り3時間弱で、下りの方が時間がかかってしまいました。この付近では谷を歩いてはいけない、という鉄則を忘れていたのがあさはかでした。登りの尾根は、多少の藪を厭わなければ正解だと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★

2009年8月22日土曜日

板坂から登るそうびろ山

福崎から七種山方面へ行く途中に、板坂という集落があります。この北側から尾根が延びており、そうびろ山を経由して七種薬師へ行くことができます。この尾根を歩いてみました。

尾根の先端は歩きにくそうなので、一之宮神社から右手の尾根に上がりました。ここから主尾根まではすぐで、板坂四等三角点(205.36m)を見つけました。長細い尾根を西に歩き、北に降りましたが、この付近は倒木が多く、藪漕ぎとなりました。鞍部の藪を抜けて、318mピークを目指して登りましたが、途中で東側から道が上がってきているようで、マーキングが現れました。それに従って、318mに達しました。さらに次は北の340m+ピークにある鉄塔です。この付近は雑木林で道もマーキングもあり、楽に歩けます。鉄塔は鶴居支線16です。

今度は北西に少し降りてから400m+ピークに登りました。いきなりシダ藪となり、足元が見えませんが、マーキングのおかげで踏み跡を辿ることができました。急斜面ですがトラロープが張ってあるところもあり、登山道として整備されていることが実感できました。400m+ピークには地形図にもあるように岩場があって、展望が楽しめました。特に、帰りに通ろうと思っていた南側の尾根をよく観察しましたが、斜面の倒木はかなり片付いているようでした。肝心の尾根は、植林が立っているので少し安心しました。

400m+ピークから北への下りは更に背の高いシダ藪でしたが、マーキングのおかげで無事に鞍部に降りられて、そうびろ山目指して登り始めました。ここも急斜面ですが、岩場があって展望も得られます。そうびろ山(538m)山頂まで、マーキングに沿って登山道を上りました。そうびろ山からは野外センターに降りたことがありますが(2009/03/31)、その時には板坂に降りるルートがあるとは全く気がつきませんでした。

そうびろ山からは西に尾根を歩いて主尾根に出ました。南下して436mピークを通り、素晴らしい景色を眺めながら足のすくむ岩場を通り抜けて、三谷奥三角点(397.32m)に出ました。ここから東に尾根を降りました。この尾根はかなり荒れてはいますが、マーキングがしっかりとあって助かりました。雑木林と植林と両方がありますが、倒木が若干ある程度で歩くには困りません。最後はシダの中を通って鶴居支線14鉄塔に出てきました。さらに良い道を降りると尾根の外れの墓地の脇に出てきました。

このコースの登りは、200m、300m、400m、500mと段階的にピークがあるのが特徴です。区切りごとに休んで登れば、気持ちの良い登山ができます。さすがに七種山に連なる尾根だけあって登山道も整備されていますから、道に迷う心配も少なく、お勧めのコースです。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆

2009年8月20日木曜日

西から登る水剣山

宍粟50名山の一つ水剣山は、南の大谷から登るのが普通です。以前に梯から北に歩いて北東から登ったこともありましたが(2008/08/09)、今回は西から登ってみました。

水剣山の西には伊沢川が流れています。山崎町中野の付近から水剣山に向かって谷があり、明延という集落があります。ここを通っているのが明延林道で、これを遡れば水剣山の近くには行けますが、深い谷底で終わってしまうので、伊沢川沿いの林道の起点近くから南側の尾根に登ることにしました。この付近は丈夫な鹿避けの金網が建てられており、簡単には山に入れません。林道沿いに歩いて金網を観察し、扉を見つけて急斜面を登り始めました。これは尾根の端の北向きの幅広い尾根でした。最初は急勾配の植林で木に掴まらなければ登れませんが、尾根に出れば楽になります。

444mピークは雑木林、時々南側の展望がありますが、後は長い尾根歩きです。水剣山までは標高差650m以上ありますので、尾根が長いほうが登山としては楽なはずです。しかし標高600mを越した辺りで異変が起きます。背の高い草が生い茂っています。これは植林が台風で倒れた跡らしく、足元には倒木が転がっていますが、草で隠れてよく見えません。危険とは知りつつ倒木の上を歩いて通り抜けました。

650m付近に来ると植林が復活します。北側の谷から道が上がってきて、赤いテープのマーキングが目立つようになります。この先は急斜面になり、750mの主尾根に達します。これは水剣山の西尾根で、すぐ南に766mピークがあります。水剣山に向って、北に尾根を辿りました。

小さなピークに登って降りた後、山頂に向かっての急登になりました。以前に東尾根から水剣山に登って西尾根経由で下山したときに、逆コースは大変だろうなと思った覚えがあるのですが、そのコースですから楽ではありません。何度か休んで、ようやく蔦沢三角点のある山頂に着きました。登山開始から3時間でした。

下山は北側の尾根を通ることにしました。北西ピーク(870m)を過ぎて、真っ直ぐに北に向かいました。まずまず歩きやすい雑木林の尾根でしたが、降りて行くと最後に藪に突き当たりました。藪をくぐり抜けて降りて行くと、視界が開けて正面に黒尾山が見えました。さらにもう少し降りてから、これが東に向かう尾根であることに気がつきました。結局登り返して、北に向かう尾根を見つけ、759mピークに向かいました。この部分は非常に分かりにくいと思います。

759mピークからは北西に尾根を降りました。この尾根の先にある740m+ピークまでは、雑木林です。この740m+ピーク付近で、非常に大きなキノコを見ました(写真)。40x30cmくらいの大きさだと思います。この地点からは西に延びる尾根を降りましたが、途中で尾根がはっきりしなくなりました。最後は植林になったので、適当に降りて行きましたが、谷に降りると倒木で埋まっていて進めなくなる可能性があるので、明延の集落に降りる尾根に乗るように斜面を横切りました。最後は落枝で埋まった歩きにくい植林の中を通って、明延に出てきました。下山も3時間近くかかりました。

あとは林道を歩いて下まで降りましたが、道沿いに加圧ポンプ場が二つあり、どちらも別荘か教会のような建物なのが印象的でした。

水剣山はどこから登っても険しい山だというのが感想です。しかし、だからこそ登り甲斐のある山だと思いました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★

2009年8月18日火曜日

一宮の高畑山

伊和三山の一つと言われる高畑山は、一宮の伊和神社の西側にある山です。南北に長い尾根にあるため、周回コースが組みにくいのですが、北から南に尾根を歩いて、バスで戻ろうと考えました。

尾根まで登る道は、楽な林道にしようと思いました。台風による水害の後片付け中の閏賀の集落を北に歩くと、学校給食センターの北に「妙見宮参道」と書かれた石碑があり、林道の入口がありました。妙見宮は見つけられなかったのですが、稲荷奥宮となっているところを見ると、閏賀の川崎稲荷の奥の宮でしょうか。「林道溝谷線竣工記念碑」も立っており、これがこの林道の名前のようです。

鹿避けの扉を開けて林道を登りました。未舗装の歩きやすい道ですが、日差しが強いので夏の林道歩きは疲れます。250mほどの標高差を3kmほどの道のりで登ります。尾根に近づくと、大規模に伐採された谷にジグザグに道が付いているのが見えてきます。これが目指す峠の北東側の谷です。この伐採跡は花咲山からよく見えました。見た感じでは、閏賀の集落から真っ直ぐ西に入って、植林を抜けてこの伐採地を登れそうでした。日差しを考えるとあまり取りたいコースではありませんが、近道ではあります。

峠に出て西側を見ると、道と呼べるものはありません。峠には関電によると思われる火の用心の札が二つ立っていますが、この付近に送電線はありません。この峠から北に尾根を辿れば黒尾山に登れますが、標高差が600mもあります。高畑山は尾根を南東に辿ればよいのですが、峠から見るとこの尾根は背の高い草に覆われており、とても歩ける状態ではありません。しかたなしに伐採跡のジグザグ道を少し登り、なるべく尾根に近づいてから、峠から少し南東寄りの尾根に上がりました。この場所も伐採の跡で、背の高い草が生えており、足元には伐採された倒木もあって、日差しが強いこともあり歩くのは大変でした。この付近から、この尾根に異変が起きていることに気が付き始めました。

伐採跡を抜けると、あとは植林です。ここも急斜面なので大変ですが、下草がないだけ歩くのは楽でした。休みながら山頂に着くと、閏賀四等三角点(562.01m)がありました。この山は閏賀山と言うようです(というプレートが下がっていました)。

一休みして、南に尾根を辿りました。最初は植林の歩きやすい尾根でした。しかし、500m付近まで降りて南向き斜面になると灌木が増えてきました。あやうく西に向かう尾根に乗りそうになり、慌てて東寄りの尾根に移りましたが、少し降りると尾根は背の高い草に覆われています。足元には倒木が転がっています。倒木の幹はは切ってありますが、取り除かれていません。

この状態は、次の519mピーク(つまり高畑山)まで断続的に続きました。2003年にこの尾根を歩いた記録によると、この付近は歩きやすい植林だったようです([1])。そのことから想像すると、2004年の台風で尾根の木が広範囲に渡って倒れたようです。その後、倒れた植林の幹を切る作業は行われたようですが、取り除くまでには至らなかったのでしょう。植林が無くなったために陽当たりが良くなり、何年かするうちに草が育ち、今では背の高さを越える草が密集した藪になってしまったようです。写真はその証拠です。

幸いにして尾根は平坦なので、とりあえず地面の見える場所を選んで歩き続けることができました。何度も休憩しながら気力を振り絞って歩き、やっと高畑山に着きました。閏賀山から2時間近くかかりました。

高畑山から後は、比較的楽になりました。疲れていて楽しむ余裕はありませんでしたが、清野三等三角点(470.68m)までは30分でした。2003年と変わらず、測量用赤白棒が標石の上に組まれていました。これは台風を生き延びたのでしょうか?ここには山崎智頭線7の鉄塔があり、この後は関電の巡視路を降りました。次の鉄塔は山崎智頭線6外1です。不思議な番号ですが、6と8を建てた後で間にもう一つ建てないと危ないという事が分かって追加した、というのは深読みでしょうか?7と6外1はどちらも平成13年6月建設となっていますが、次の山崎智頭線6は平成9年9月建設となっています。この巡視路は安積神野線19の鉄塔(昭和14年4月となっていますが、建設は昭和56年4月なのでおそらく立て直した)も経由し、さらに山崎智頭線5と安積神野線18の鉄塔にも行きますが、最後の2本へ行く途中は斜面が崩落している場所がありました。

ようやく清野の集落に出てきて、橋を渡ってバスに乗ろうとしましたが、ちょうど行ったばかりで次のバスまで1時間もあったので歩き始めました。途中で道の駅で休んでいたら、次のバスに追い越されました。1時間待つのが正解だったようです。

楽な尾根歩きを予想していたら、とんでもない倒木地帯を歩く羽目になりました。とてもお勧めできる山ではありません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★

2009年8月16日日曜日

福崎の北浦谷三角点から日光寺へ

北浦谷三角点があるのは、福崎町の北東側、岡部川の南に位置する山並みです。播但道の播但第一トンネルが通っている山でもあります。目立つ割りには長細くてループ状のルートが作りにくいのですが、帰りは平地を歩くのを覚悟で行ってみました。

市川沿い井口の恵美須神社から登りました。神社の本殿の後ろに小道があります、この道は地形図の破線道そのままに尾根の北側を進みます。かなり荒れており、倒木も多く草も生え放題ですが、ゴミだけはちゃんと落ちています。尾根に出てすぐの190m+ピークには共同アンテナの残骸がありました。

このあと、尾根には荷造りテープが張られています。この山も松茸山なのです。240m+ピークで尾根道は保喜の方へ降りて行ってしまいますが、尾根をたどりました。荷造りテープのおかげで尾根を見失う可能性はありませんが、倒木も多く、かなり荒れた里山という印象です。

雑木林の藪尾根を歩きましたが、250mの尾根に登る手前は倒木が多くて困りました。この尾根に上がって少し歩くと北浦谷三等三角点(322.01m)に出ました。ここには保喜から道が上がってきているようです。ここまで展望は全く無かったのですが、三角点(写真)も藪と草むらの中で展望も全くありません。この先も雑木林の倒木の多い尾根が続きました。310m+ピーク付近はやや広く、不思議な雰囲気の林ですが、ここにもビニールテープが張り巡らしてありました。「松茸山につき入山禁止 日本文華山盛会」という張り紙がたくさんありました。謎です。その先を下りると、下から幅の広い道が上がってきています。これは地形図にもある道です。

この先に300m+のピークがありますが、この手前が大問題でした。尾根に大きな岩があり、片側が切り立っているためにこれを越えて進めないのです。幸い岩に沿って古いロープが張ってあり、これを伝って岩から降りて巻いて進むことができました。ここは道なのだということを、このロープで認識しました。地形図でもこの尾根には破線道がありますが、他の部分ではほとんど道と言えるものはなかったので、なおさらこのロープは意外でした

このあと荒れた尾根のアップダウンを進むと、いきなり正面に赤い標識が立っています。関電の巡視路です。高圧線の鉄塔は尾根の北側に立っているのでこのルートでは出会いませんが、巡視路は尾根経由のようです。この三叉路が108、109、110の三本の鉄塔へのルートの分岐となっています。ここからは日光寺の方向に尾根を進みましたが、巡視路がどうなったのかは分りません。すぐに藪っぽい道になりました。

山頂にはアンテナ群が立っており、それが木立の間から見えると少し元気が出ましたが、その前には登り斜面があります。予想していたよりは緩やかでしたが、やや長い登りでした。そしてツーカーの鉄塔の下に出てきました。日光寺四等三角点(408.62m)があります。この付近からは北側の展望が楽しめます。

この後は、日光寺にちょっと寄ってから尾根伝いの舗装道で加治谷に降りました。この道は近畿自然歩道となっていますが、舗装道路なのであまり歩きたい道ではありません。

全行程4時間ほどで出発点に戻れました。真夏の日差しの中、車を取りに平地を歩いて戻るのは、やっぱり楽とは言えません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆

2009年8月15日土曜日

新宮町福栖の北の山

これはとても地味な山です。たつの市新宮町福栖は、新宮と千本の間にある集落です。その裏山は以前(2006/03/21)に登った千本の裏山と繋がっていますが、西側にも同じような枝尾根があるので、一周して帰って来られそうです。ショートコースとして面白そうなので、歩いてみました。

登り口はいろいろ探したのですが、尾根の先端にある福栖西中山霊苑の西端に小道を見つけました。すぐに消えてしまいましたが、急斜面の雑木林を尾根まで歩くのには良いとっかかりでした。やや灌木が多い斜面ですが、さほどの苦労はせずに尾根に上がれました。尾根の雰囲気は、典型的な里山です。落ち葉を踏んで、踏み跡を辿りました。

231mピークは気持ちの良い雑木林で、急斜面を降りて再び登って300m+ピークに着きました。さほどの急斜面ではありませんが、暑いので一気にというわけにはいかず、何度か休みました。ピークから北に降りると、播磨線40の鉄塔があります。この北は植林になっており、巡視路は東に降りていますが、進路を少し西寄りにとって、北向きの尾根に上がりました。ここからは主尾根の451mピークまで登りです。

木の間隔も広く、意外と楽な登りでした。この付近から小雨が降ってきたので傘をさして登ったのですが、それでも登れましたから、藪ではありません。451mピークまで登り、南西に尾根を降りました。この先の尾根は前に歩いています。楽に歩けますが、枝尾根もあるので迷う可能性もあります。

小雨の中を傘をさして東河内(とのごうち)四等三角点(339.7m)に着きました。写真は東河内三角点付近から見た千本の集落です。この先の尾根を千本方面に降りると倒木地帯があるのですが、今回は東に向かう尾根を降りました。この尾根は歩きやすく、切れ切れに道らしきものもあります。一旦300m+のピークに登り、さらに尾根を降りて行くと藪がありましたが、これが播磨線38の鉄塔です。どこでも鉄塔の周囲には草が茂っています。

さらに進むと植林になりますが、急勾配で、降りやすい方に行くと清水の方に行ってしまったので、進路変更して更に尾根を辿りました。しかし、おそらく清水の方に降りた方が楽だったと思います。尾根を降りると180m+の鞍部から、意外なほどの急斜面を210m+ピークに登りになります。この付近から藪っぽくなりました。最後は尾根の先端に出ようと、尾根の少し南側の藪を降りましたが、最後に標高90m-まで笹藪を降りてから、そこが姫新線の土手の真上だということに気がつきました。土手を降りるのは嫌ですし、線路を歩くのはもっと嫌です。結局少し尾根を戻り、北側の植林の中を降りました。こちらは問題なく降りられました。

最初は暑く、その後は雨も降りましたが、全般に歩きやすい尾根でした。この付近の尾根は、植林の倒木さえなければ楽しめると思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

2009年8月14日金曜日

新宮町篠首の滝谷三角点

播磨新宮と山崎の間、揖保川西岸の山の上に滝谷三角点があります。この三角点の北の町境の尾根や、南の高倉山に繋がる尾根は歩いたことがあるのですが、その間の尾根だけは歩く機会が無かったので、ショートコースとして登ってみました。

登り口は新宮町篠首の坊垣内の北、尾根の麓にある墓地にしました。ネットがあるので扉を開けて登り始めました。いきなり石積みがあり、小さな祠があります。中を見ると大きなコオロギがうようよいましたが、祭ってあるのはどう見ても石にしか見えません。不思議なものでした。

あとは尾根を登りましたが、最初は植林、それから雑木林で、歩きやすかったと思います。360m+の広いピークに出て、それをまず南東に歩き、尾根を通って北東に進路を変えました。北に進路を取るようになってからは倒木が増えて歩きにくくなりますが、平らな尾根の雑木林の倒木ですから、大したことはありません。暑いので休みながら歩いていると、滝谷四等三角点(375.99m)に着きました。標石しかありません。

この先は北に斜面を降りました。地形図で見るよりは分かりやすい尾根でした。急斜面ですが、木に掴まって降りられます。鞍部に出てくると、ネットが張られていて、東側に展望があります。写真は揖保川方面、家氏、宇原を見たところです。家氏から見ると滝谷三角点北側の斜面は広く伐採されているのですが、それを近くで見ることができました。鞍部から先は登りで、310m+ピークまで登り、いったん降りてから348mピークへと登りました。この付近は道のようなものがあり、それを辿ると348mピークは北側を巻くことになります。そして北に進むと、播磨線46の鉄塔があります。

鉄塔の北には、真北に進む道と西寄りに進む道があり、西寄りに尾根の方に進むと、左に降りる道がありました。ピンクのマーキングがあったので気がつきましたが、見落としやすい道です。これを降りると沢伝いに溜池の下に降りることができました。送電線の保守路のようです。溜池から滝谷の集落に向かう道は植林の中の林道です。途中に溜池紀念碑が立っています(地形図の141mの記念碑です)。

このコースは逆に歩くこともできると思います。非常にゆっくりと歩いて3時間でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」です。

2009年8月8日土曜日

一宮の花咲山

一宮の北に聳えるアンテナ山花咲山ですが、頂上までアンテナの保守道路が通っているので登る気がしませんでした。しかし、それを使わずに登る登山道があることを知って([1])登ってみました。

三軒屋にあるセンター一宮の西側駐車場の西の端に登り口があります。宍粟50山に選ばれたので、登山道が整備されたようです。しかし整備されたと言っても植林の中の作業道です。ところどころ不明瞭な場所もあり、ピンクのマーキングに従って登るようになりました。登り口には60分と書いてあったのですが、少し登ったところの案内板は70分となっていました。植林の急勾配を登っていくと、岩場があって磐座と書いてあります。「三仙祭61年に1回」と書いてあるようなのですが、本当だとしたら気の長い話です。

この岩場を上に出ると、三軒屋に降りる尾根の400mくらいの地点に出てきます。ここから尾根を登ると500mの標識がある地点で尾根は少し左手に曲がり、さらに登るとNHKのアンテナ群があります。一宮安積デジタルテレビ中継放送所という新しい設備もあります。ここからは西の正面に黒尾山が見えました(写真)。

ここから頂上まではNHKの作った良い道があります。しかし周囲の木が切ってあるため日差しが強く、日陰を選んで歩きました。この日の一宮の最高気温は35度でした。休みながら登っていたため、山頂まで100分近くかかりました。頂上には兵庫県嵯峨山中継所があります。この山の名前は嵯峨山なのかも知れませんが、宍粟50名山では花咲山となっています。三角点の名前は下野田(三等三角点、637.71m)です。

この先は尾根伝いに上野田四等三角点(標高616.8m)まで歩きました。倒木が少なく歩きやすい雑木林の尾根道でした。最後に急勾配を登ると、いきなり目の前に三角点の標石がありました。

下山は、北に真っ直ぐ尾根を歩き、尾根伝いに西寄りに進路を取り、林道に降りました。この付近は手入れの良い植林なので、正解のコースでした。ただし林道の山側は崖になっているため、林道に降りるのに苦労しました。さらにこの林道を降りてゆくと荒れ果てた別荘地帯に入り込みます。別荘地帯の道は行き止まりが多く、出口への正しい道を見つけるために行ったり来たりしました。さらに、別荘地を抜けた後で出発点に戻るには交通量が多く歩道のない道を炎天下に延々と歩かねばならず、参りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ☆☆☆

地形図は「安積」です。

2009年8月7日金曜日

生野の釜床山

生野の銀山湖の西に位置する釜床山に関しては、いくつかのレポートがあります([1][2][3])。古城山からの尾根を歩きたかったのですが、途中の採掘場がすでに尾根まで及んでおり、危険そうなので奥銀谷から登りました。

生野銀山へ橋を渡る付近の山側に天満宮があります。民家の間の狭い路地を通って神社の前に出て、扉を開けてお参りをして、参道の階段の途中から北に向かいました。この付近はじめじめした植林です。道はしっかりしており、ところどころに石仏があります。地形図では441mピークの西側を破線道が通っていますが、この付近には池が二つあります。島もあるのでため池にしては変だと思って近づくと、「向山寺遺跡」という石碑が立っていました(写真)。ただし裏面の説明を読むと、「松瀧山内山寺」となっています。池の周囲を歩くと土手に上がっていた蛙が池に飛び込むので、まさに「古池や」という風情です。雰囲気は良いのですが、とにかく湿っぽい!耐えられない湿度でした。これでは蛭がいても不思議ではありません([1])。冬の乾燥した時期の登山をお勧めします。

参道が終わってしまうと破線道はとたんに怪しくなり、この先は適当に植林の中を歩きました。まず斜面を西に登って、結局580m+くらいの主尾根まで登りました。それから北に歩いて、藪に突入する手前(500m付近?)で右手に折れました。これで破線道に合流したはずですが、道らしきものは無く、適当に尾根を歩いて北を目指しました。

523mピークを過ぎると送電線が通っていますが、この尾根上には鉄塔はありません。この辺から鹿除けの金網が尾根に設置されていました。送電線をくぐって、かなり急勾配を登ると後はなだらかな尾根伝いです。釜床山の山頂は木が切ってあり広場になっていますが、展望はありません。釜床山三等三角点(648.83m)があります。

山頂からさらに北に尾根を歩きました。歩きやすい尾根です。地形図では川沿いを通る429号線のヘアピンカーブの先から破線道が尾根まで延びているのでこれを探したのですが、見つかりません。鞍部付近から破線道の方向に植林の中を下りてみましたが、途中で狭い谷になって歩けないので、結局南側の尾根に登って尾根沿いに降りました。最後は谷に出て、ヘアピンカーブに西側の谷から出てきました。ヘアピンカーブには確かに北の谷を遡る道がありましたが、尾根には道と呼べるものはなかったので、どこかで消失している可能性が大です。

湿気には参りました。それがなければ参道は楽しめるでしょう。このコースを辿るなら、下山は素直に尾根を降りればよいと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆

地形図は「但馬新井」です。