2017年11月25日土曜日

養父市の伊豆城址


城址と言っても何も残っていませんが、北近畿豊岡自動車道の養父ICを出て、大屋川を少し遡った南西の山です。三角点名どうりだとすると、大谷山だそうです。

ちょっと大回りして登ろうと思って、登り口は南の建屋川沿いの山にしました。尾根は平坦で歩きたかったのですが、建屋川沿いを歩いて見上げると非常に急斜面です。そこで楽をすることに決めて、林道で登りました。家に目が行って見落としそうになりましたが、道路沿いの森の中から斜面をトラバースする形で林道があります。未舗装ですが、車でも登れそうでした。勾配を少なくするために非常に長く斜面を横切るので、とても長く歩かねばなりません。この林道には電柱があり、光ファイバーまで敷設してあるので、上に何かの施設があることは明らかでした。30分ほど歩くと、アンテナが3つありました。一つは「養父市防災行政無線大坪中継局」ですが、他の二つは名無しでした。NHKの杭があったので、おそらく一つはNHK、もう一つは携帯の基地局ででしょう。鞍部なので北の建屋川方面が見渡せます。

ここからは尾根歩きです。ちょっと登って337mに出てから南西に曲がりましたが、歩き易い尾根でした。この先ずっと、たまにアシビの藪がある程度で、落ち葉を踏んで歩ける気持ちの良い尾根でした。ただし平坦な尾根と言っても、それなりにアップダウンはあります。そして最初の三角点、ユウヤ四等三角点(422.51m)に着きました。山頂にあると思ってアシビの藪をさがしたのですが見つからず、焦って見回したら斜面に金属プレートの三角点がありました。

この先は細尾根を歩き、地形図では北側に広い平坦地が描かれています。実際にはこの手前で北側に林道がありました。林道を歩けば楽だろうなと思いつつ地形図からは思いもよらない急斜面を登りました。その上は確かに平坦地ですが、さほど広くはありません。植林で方向がよくわからず、うろうろしたあげくに北へ向かって歩きました。決して平らではありません。地形図で390m+の小さなピークを北に越えると、林道が尾根を東西に横切っていました。その北には兵隊さんの大きな墓石があり、さらに北に向かって墓石が点在していました。江戸時代から昭和40年くらいまでの墓ですが、ひどい荒れ様でした。墓石は重いので倒れていても起こすのは無理でした。

地形図の破線道の場所には道はなく、そのまま急斜面を登って気持ちの良い平坦地に上がりました。東の谷の向こうに大屋川下流の広谷付近まで見えます。その後もうひとつ急斜面を登って、再び平坦地に出ました。ちょっと西に歩いて斜面を登ると531mピークでした。ここで引き返して北東の尾根に降りていきましたが、自然林の美しい場所で、終わりかけの紅葉がきれいでした。鞍部から登りになると大きな岩が増えてきます。そしてだらだらと登っていくと、なんとなく土塁のような感じの山頂に出ました。特に東側には少し下がった所に平坦地があって、いかにも山城(というよりも砦)の跡という感じです。ここが伊豆城で、伊達氏の城だったそうです。アセビが生えていますが、その脇に大谷山四等三角点(500.65m)がありました(写真)。

山頂からは北にも尾根が伸びていますが、出発点になるべく近い方に降りようと思って、東の尾根を降りました。紅葉や大きな岩を楽しみながら降りられましたが、235mピークを過ぎて、北の方が楽そうに見えたので北の尾根に進みました。徐々に藪っぽくなりネットもあって、最後は竹藪に突っ込みそうだったので西側の谷に降りました。堰堤があり、この付近には石積みや墓石がありました。川沿いの道に出てから害獣避けの扉を通って外に出られました。降りた付近が伊豆という地名のようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」「関宮」です。

2017年11月23日木曜日

朝来の金梨山

朝来の竹田城は最近大人気で、中腹の駐車場に車で行けなくなってしまいました。竹田城撮影の絶好のポイントは川向かいの立雲峡と言われていますが、その北に金梨山という山があります。標高は竹田城や立雲峡よりも高く、竹田城までの距離も立雲峡よりも近いのですが、撮影ポイントとは言われていません。それは、この山に登るが大変だからだろうと思います。しかし山頂近くの岩場には金梨山大権現もあるということなので、登ってみました。

金梨山(かなしやま、きんりざん)の登山口は国道312号線に沿いです。信号から北に歩くと、川沿いに竹田城の模型(遥拝所?)がありますが、そのすぐ北の山側にプレハブの小屋があり、そこから入りました。一瞬道が無いという印象だったのですが、よく見ると左手に道がありました。北側斜面には石積みがあります。道は怪しくて、南側の畑っぽい所には入りたくなかったのでそのまま斜面を登ると、道に出ました。これは黒いプラ階段のある関電の巡視路で、登っていくと段々畑の跡地に奥多々良木出石線三一鉄塔が立っています。その手前に木の鳥居があって、「金梨山大権現」の道標がありました。ここからは支尾根に沿った登山道です。倒木があり、かなり荒れた印象ですが、倒木を切ってくれれば立派な登山道だと思います。かなりの急登が続きますが、標高350mを過ぎた付近で一息つけます。ちょっと登ると竹田城がよく見えます。歩き易くなった尾根を登っていくと、道標が倒れていました。ひょっとすると正しい登山道はここから右に曲がっていくのだったかも知れませんが、倒れている道標では方向は分からず、そのまま登り続けました。400m+で尾根に乗りますが、さらに急斜面を登って、山頂に着きました。金属プレートの金梨山四等三角点(464.39m)があります。山頂からは展望はありません。

登山はこれで終わりのはずですが、肝心の金梨山大権現はどこにあるのか分かりません。ネットの地図([1])を見ると山頂の南側の岩場の北にあるように見えるので、この付近の岩場を歩いてみました。大きな岩が多く、岩の上を歩くのはかなり危険です。岩の間に隙間があって、好きな方向に行けるとも限りません。少し歩き回ったのですが岩の下に降りなければだめだと判断して、一度尾根に戻りました。少し南に行って岩場の下の方に行くと、金梨山大権現に行く道がありました。大きな岩の隙間の洞窟に祠が置かれています(写真)。洞窟の奥に入って見上げると隙間だらけで、さっき上から覗いていたのがこの洞窟だと分かりました。洞窟の手前には竹田城の見える展望ポイントがあります。大権現への道を尾根に戻ると、450mよりも下の、大きな岩のある場所でした。しかしGPSで確認すると地形図の岩場の北側となります。この岩場に大権現があると勘違いすると迷います。

下山は尾根を南に歩きました。歩き易く、時々竹田城も見えます。軽快に歩いて409mピークまで来ました。ここからはどちらを向いても標高線の間隔は似たようなものなので、南に尾根っぽく見えた所を降りていきました。降りていくと尾根というより広い斜面という感じになりますが、足元は落ち葉で掴まれる木もあるので、特に苦労しないでも降りられました。最後は笹薮でしたが、その中に金網の扉を見つけて外に出ました。

標高差から言えば姫路の書写山に登る程度の山です。2時間ちょっとで歩き終わりました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。

2017年11月12日日曜日

宍粟市の道谷から登る道谷三角点

秋の音水湖付近の山はとても綺麗です。紅葉と植林のコントラストがバッチリで、どの山のどの部分が植林かよく分かります。山頂付近まで植林してある山は少ないようです。というような理由ではありませんが、宍粟市の北の外れの山を歩きました。起点は波賀町道谷です。廃校になった小学校の東に廃墟のようなお宮があります。祀ってあるのは弘法大師、不動明王、馬頭観音なので訳が分かりませんが、紅葉は抜群の美しさです。申し訳ない気持ちで赤い落ち葉を踏んで山道に入りました。右手の植林が気持ち良さそうだったので、かなりの急斜面でしたが作業道を探して登りました。ちょっと変わった地形で砂鉄を採取した跡かもしれません。木の少ない斜面を登って、とりあえず平らな所に出ると、紅葉が待っていました。ここからは紅葉の写真を撮りながら支尾根を登って行きました。コナラのドングリがたくさん落ちていましたが、食べ尽くしてしまうほどの熊はいないということでしょうか。

尾根に出て少し歩くと950mピークで、ここからは以前(2012/06/23)に歩いた尾根です。コナラの林から植林に入り、東に歩いて道谷四等三角点(926.26m)に出ました。周囲は伐採してありますが、シダと植林の枝の中に標石が埋もれていました。さらに植林を南東に歩くと、伐採地の上に出ました。ススキが茂っていますが、西の鹿伏から入ってくる谷が見渡せます。ここから1013mピークに登るまでは、ずっとこの谷が見えます。紅葉の美しい谷でした(写真)。特に北側の山は綺麗です。そういえばこの北側の尾根の先は鹿伏からのハイキングコースになっていました。次は1012mへの斜面を頑張って登りました。この付近は落ち葉と植林の枝が混ざって落ちており、歩くとフワフワです。気持ちの良い尾根を歩いていくと、葉の落ちたコナラの間に黄色や赤の紅葉が綺麗でした。ただ、標高が高いのでもう色の盛りは過ぎた感じでした。

992m地点を過ぎて少し登ると1050m+ピークに出ました。この付近も木が少なく、紅葉が楽しめます。ここからは東に下山しました。途中で以前(2015/08/29)に歩いた尾根だと気付きました。気持ちよく尾根を降りて行くと伐採地の上に出て、展望が開けます。目の前は藤無山ですが、南には公文川の下流に家が見えました。阿舎利四等三角点(982.51m)はススキの中です。ここからも更に北に尾根を降りましたが、西側の谷の紅葉が美しく、おかげで少し方向を間違えました。邪魔な木もあるのですが、斜面一杯に黄と赤が広がっています。京都の有名な庭園を見ているような気分になりましたが、都の貴族はこのような景色を再現したかったのかもしれません。最後は超急斜面の法面を降りて林道に出ました。

紅葉の美しさに圧倒されました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「戸倉峠」です。

2017年11月11日土曜日

養父市の城山

国土地理院の地形図を見ると、北近畿豊岡自動車道の養父インターチェンジの東に、城山という山があります。大徳山からよく見える山ですが、稲津城という城の跡のようです。今回は北側から登ってみました。

養父インターチェンジから大屋川沿いに下って、軽部橋から上野に入りました。県道271号の細い道を走っていき消防団の建物から北に曲がりました。このまま真っ直ぐに走ると林道滝谷線に入ります。ちょっと荒れ気味なので、林道の標識から右に曲がって南側の農道を走るほうが楽かも知れません。いずれにしても谷の奥の瀧谷神社に着きます。神社の前の斜面から登山を開始しました。地形図で見るよりずっと急峻な斜面で、木に掴まりながら登りました。標高差300m近くを登らねばなりませんが、ときどき平坦地があるので一息つけます。切り開きやマーキングはありませんが、木の間隔が広く落ち葉を踏んで登れました。この付近から見る城山はとんがっています。

頑張って登り切ると尾根に出ますが、ネットがあるのが曲者です。金網に張ったネットで、簡単には横切れません。たまに木が倒れたりして横切れる所もあるのですが、横切るべきかどうか悩みます。じっさい390m+ピークではネットは南方向に曲がるので、ネットの北を歩くのが正解となります。実際にはネットをまたげたので問題はなかったのですが。その後はいったん下りますが、少し藪っぽい落ち葉の尾根でした。350m+の小ピークのあと、またネットがあります。そして城山に登りますが、急斜面の灌木の間を抜けて登る必要がありました。岩が露出している所もあります。頑張って登り切ったのですが、ネットが西に曲がっており、ここでも行く手を阻まれました。幸いにもネットには開くような仕掛けが付いていました。

城山山頂は平坦地で、いかにも城跡(砦の跡)という感じでした(写真)。東側の下がった所にも平坦地があります。木々の間から北の方に展望がありました。下山は山頂から西に急斜面を降りました。392mピークまで行き、真っ直ぐ北に降りました。ここも踏み跡もマーキングもありませんが、たまに倒木が邪魔な程度で歩きやすい尾根でした。345mピークには「松茸山に付入山禁止 侵入者は警察に通報します」という立て札があってぎょっとしました。ここから南東に降りて、幅の広い270m+ピーク付近まで来て、さらに東に植林を降りました。これは正解で、さほど急峻な場所もなく、道路に出ることができました。

一周2時間半ほどで、北風は寒かったのですが、紅葉を楽しめました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」です。

2017年11月4日土曜日

西脇市住吉町から登る高山と消防山

北の大樅峠から2015/01/24に登ったことのある高山ですが、今回は[1]を参考に南から登ってみました。登り口は住吉神社のある住吉町で、大通寺の隣に「すみよし桃源郷」という市民農園が作られています。その西側の林道を登りました。しばらく歩くと林道は終点になりますが、その先にも少し道があり、あとは木のまばらな岩の転がっている斜面となります。堰堤がいくつも作られているので、以前は道があったのかも知れませんが、今はほぼ藪です。いったん東の谷の堰堤(昭和60年度施行)を見てからトラバースして谷の奥に進みました。よく保存された炭焼き窯がありました。谷は伐採されていますが、自然林なので何のためなのか分かりません。伐採されていない斜面を選んで登ると徐々に勾配がきつくなり、木に掴まって登りました。一息つける場所に来ると、なんとなく神々しい(?)岩があってその前には作業道がありましたが、登っていく気配はないので枝尾根を登りました。登りはじめて1時間近くかかって、主尾根に出ました。道標が倒れてみたので起こしてみると、「←高山 地蔵の森公園→」となっていました。2015/01/24にも歩いていますが、高山へは登りで、トラロープがあるにしても道があるとは言えません。高山山頂には山名の杭と高山四等三角点(659.59m)があります。今回は木が切られていて、谷川方面の展望がありました。

高山から東に少し下ると展望が開けますが、南にとんがり山が本当にとんがって見えました。篠山方面も望めます。しかしこの付近は倒木が多く、かなりの藪となっています。2年間でかなり藪化が進んだ印象です。けやき峠への分岐をそのまま東に進んで、藪をこらえて591mピークに登りました。これは猿藪山という名前のようですが、地形図で見ても分かるように西側斜面は平面的な急斜面で、木が生えていないために扇を広げたような感じに見えます。天気はイマイチでしたが、西光寺山などが望めました(写真)。

591mピークからは東に降りましたが、これは藪の激下りで方向を確認しないと間違った方向に降りそうです。鞍部近くには最近倒れたと思われる大木がありました。コルは峠かも知れませんが、道は明瞭ではありません。この先は小さなピークが続きますが、ここにはいくつか大きな岩があります。三角おむすびのような形のもあって、パワーを感じました。尾根上に大岩がありますが、巻いて進めます。北側の谷は伐採が進んでいるように見えました。そして斜面を登って消防山四等三角点(542.08m)のあるピークに出ました。なぜ消防山なのかは分かりません。ここは迷いやすく、私は比延峠に降りるつもりだったのですが、それにはまず三角点から北に歩いてから東に降りる必要がありました。こちらの方向はピンクのマーキングがあり、踏み跡もありました。峠の近くまで来ると伐採地があるのですが、植林を伐採したという風でもなく、植えられているのも広葉樹で、意図が分かりません。このあと取り敢えず「昭和53年度保安林改良事業」という木の杭のある峠まで行きましたが、切通なので結局東に降りて、伐採地への道から峠に降りました。西に歩いても降りられたと思います。峠付近には文字の読めない石が建てられており、さらに西側には濫觴公園という水源を記念する公園がありました。あとは県道36号線を下って住吉に戻りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。