2014年12月30日火曜日

尾根伝いに行った本郷峠

本郷峠は三日月と山崎を繋ぐ峠で、兵庫県道433号塩田三日月線が通っています。2008/10/18に県道を通って本郷峠まで行ってみましたが、倒木だらけで悲惨な道でした。今でも「通行不能」の看板は出たままなのですが、多少は改善されたことを期待していました。とは言っても同じ目に二度会うのは嫌なので、尾根伝いに本郷峠に行ってみることにしました。

登り口は「右やまさき」という古い道標のある上本郷の分岐です。植林への南急斜面を無理やり登りましたが、尾根に出てしばらく歩くと北側から作業道が上がってきていたので、無理せずに添谷の方から登るのが正解でした。段々になった植林を登ると共同アンテナの残骸がありました。この先も荒れた植林が続きますが、そのうちに荒れた自然林となりました。荒れたと言っても倒木が多いだけで藪はあまりなく、歩くには差し支えありません。尾根が北に向いても様子はあまり変化しません。320m+の鞍部は、作業道が横切っていました。そして焼尾四等三角点(434.55m)へ出てきました。白い杭はあるのですが、杭の周囲に三角点が見当たりません。結局杭の後ろの灌木に隠れていた金属製の三角点を見つけました。

三角点の北は平らですが、かなりひどい藪でした。それを抜けるとまた荒れ気味の尾根歩きですが、自然林なので落ち葉を踏んで歩けます。これだけ長く落ち葉の上を歩ける尾根も少ないでしょう。とにかくひたすら北に歩きました。457mピークもちょっと藪っぽい程度でした。この北は尾根に窪んだ道があります。そして坂を登ると、佐用町と宍粟市の境界の尾根に出ました。これを東に歩くと植林の倒木があって、避けて歩きました。これは序の口で、次の460m+ピークから北側に降りた鞍部は大倒木地帯でした(写真)。毛の薄くなった頭によく見られる髪型のようですが、その中に一本だけ真っ直ぐに立っている木があるのは波平の頭のようです。ここは北側がなだらかな斜面なので、そちらを巻いてなんとか突破しました。しかしその先を降りた鞍部も倒木が多く、乗り越えて進んで、やっと青木四等三角点(396.95m)に着きました。このピークは伐採されていますが、そのために背の高いアシビが茂っており、三角点もアシビをかき分けて探さないと見つかりません。

青木三角点からは南に気持よく尾根を歩きました。途中で作業道になりますが、そのまま行くと東に降りて行きそうだったので、真っ直ぐ南に急斜面を降りて、本郷峠に降り立ちました。山崎側のお地蔵さんは以前のままですが、小屋の屋根がかなり傾いており、倒壊寸前でした。三日月側に戻って県道を下ってみましたが、すぐに植林がたくさん倒れており、道路も崩壊気味で、事態は改善されていないことが分かりました。諦めて2008/10/18と同じように南に尾根を歩くことにしました。ネットがあり、山崎川の展望があり、それから松茸山の荷造りテープが張られているのは以前と同じでした。今年も9月20日から11月30日までは入山禁止と書かれていました。しかし全体に歩きやすい尾根でした。前回は483mピークから雨ヶ岳三角点へ行く道が分からずここから南西の尾根で下山しましたが、今回は適当に斜面を降りて問題なく進めました。ちょっと岩の多い所を過ぎて、なだらかな広い尾根を登って行くと、「菅山振興会所有地」という平成19年の立派な標石に出会いました。山崎にある一般社団法人のようです。そのすぐ先に、杭は倒れていますが雨ケ岳三等三角点(490.06m)がありました。

雨ケ岳三角点から南に歩き、斜面を降りると地形図では破線道が横切っています。2006/12/29には東側の林道から登ってきたのですが、その林道にも気が付かず、西側にあったかも知れない破線道相当の道にも気が付かず、鞍部を過ぎて南の尾根に進みました。鞍部の近くは藪っぽいのですが、登ると歩きやすくなりました。相変わらず落ち葉を踏んで歩けるのが素敵です。広い尾根を町界に沿って歩き、西に少し降りてからまた南のピークに登りました。アップダウンで392mピークに着いてからちょっと戻り、これも幅広い西向きの尾根を降りました。この尾根は地形図で見ると広くてなだらかですが、実際には木が生えていますから広々という訳ではありません。それでも気持よく降りられました。作業道も多少は残っており、最後は小さな祠がありました。中には昭和8年の御札が入っていました。さらに降りて行くと墓地になり、問題なく大内谷の集落に出られました。

以前は軽トラなら通れたという塩田三日月線ですが、開通はまだまだ先のようです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2014年12月28日日曜日

宍粟市山崎町塩田の上乃三角点

塩田と上ノの間の山にある三角点なのですが、塩田側から登ったのでこうしておきます。山崎から西に中国自動車道沿いに走り、菅野川と一緒に青木から北に入ると、県道433号線です(これは塩田三日月と呼ばれるくらいで、三日月から通行不能の本郷峠を越えてくる道です)。前回(2010/12/29)と同様にこれを北へ行くと林道丸山線となります。前回無かったものとして、途中に「スリバチ岩」という標識がありました。ちょっと東側に登ると、岩盤をナメて水が流れている場所があり、これがスリバチ岩のようでした。

林道をさらに歩くと、突き当りで道が二つに分かれます。前回はここで真っ直ぐに正面の山に登ったのですが、今回は右の道に入りました。いきなり橋が壊れていますが、歩くには問題ありません。ところどころ舗装されている荒れた林道です。地形図どうり、約1.5km延びていますが、舗装は壊れ気味です。また、途中で左右からイバラの枝が延びており、かき分けるのに困りました。林道の突き当りまで行くと、その先は植林で、すぐに鞍部に出られました。こうして全く問題なしに尾根歩きに移行できました。

まずは歩きやすい尾根で、下草はあまりありません。倒木のある場所では荒れた感じがします。上乃四等三角点(597.30m)を過ぎ、巨木を楽しんだり岩の多い場所を歩いたり、退屈はしません。600mピークを過ぎて、2つ先の570m+ピークからは東側に伊沢川沿いが見えました。水剣山や黒尾山が見えるのもここだけです。512mピークから急斜面を降りると寺西と中野を結ぶ破線道の鞍部に出ますが、ここには小さな石仏があり(写真)、その下の石には天保と刻まれていました。破線道相当の道が植林の中に残っているようです。この南は急斜面で、これを登ると開けた場所に出て、霧ケ坂三等三角点(537.23m)を見つけました。ただし三角点から東方向はひどい倒木地帯です。雨も降ってきたので、南西の尾根で下山しました。こちらも少し倒木がありますが、降りやすい所を降りて行くと、最後はやや急斜面となりましたが、下に林道が見えました。この付近には林道が多く作られており、霧ケ坂三角点のすぐ南にも林道が見えていました。林道で問題なく塩田に降りました。

塩谷は「塩田城跡」という道標があり、実際に城跡のようなものがあります。関所の交番のようなものかも知れませんが、小寺氏由来の城だったそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「土万」」です。

2014年12月21日日曜日

三日月の北の山

佐用町三日月の大乗山から北の山には、林道三日月本郷線が開通しており、上本郷まで林道歩きで行けます(2007/10/28)。林道歩きではつまらないので、林道の西側の山を歩きました。本郷川沿いに湯浅という地名があり、ここで尾根が本郷川にせり出しています。湯浅のあたりでは山はトタン板で囲われており、入りにくくなっていますが、尾根が川に突き出した場所からは山に入れます。とは言えここは急斜面なので、木につかまって登りました。地形図では標高210m+に平地が描かれていますが、ここは西の端は植林になっています。コンクリート製の小さな祠が置かれていました。東に歩くと倒木もあり、やや歩きにくい場所もありますが、すぐに歩きやすい尾根になりました。しばらく行くと石が積み上がっている場所がありました。わりと平らな場所で、石が転がって落ちてきたとも思えません。積まれたと思われる石積みもあるので、切通だったのかも知れませんが、どちら側にも道は確認できませんでした。ここからも自然林の尾根が続き、落ち葉を踏んで歩けました。幅の広い尾根で、341mピークから尾根は少し北に曲がります。尾根が細くなると、登りになり、370m+ピーク付近に出てきます。ピークを見てから(見るものは特にありませんが)、植林を北東に歩きました。再び少し登って372mピークに着きました。ここを少し東に行くと、林道が尾根を横切っていました(写真)。この尾根は東のたつの市と佐用町の境界の尾根から延びてきており、林道はどこかでこれを横切らねばならないのですが、もっと低い鞍部が東の方にあるのに、なぜここまで来て横切るのか、よく分かりません。ただしここでは尾根が細いのは確かです。林道で下山するのはつまらないので引き返して、真西へ歩きました。これも歩きやすい尾根で、徐々に標高が下がると道がありました。最後は江戸時代の墓があって、本郷川沿いに降りてきました。

3時間ほどの山歩きで、標高も低いのであまり山登りをしたという印象はありませんが、下草がほとんどなく、抜けるのが難しいような藪もないので楽しんで歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「三日月」です。

2014年12月14日日曜日

朝来の物部山

朝来には物部という地名があります。古代の有力部族とどのような関係があるのかは分かりませんが、とにかくその村の西の山が物部山です。まず、入域禁止の竹田城址への道から大路ダムへ向う道に入り、古い道しるべ(ほとんど読めませんが『右 たきのや おう屋 道  左 者り満(はりま) 道』と書いてあるのだそうです([1]))のある交差点から大路ダムの方へ少し登り、山側がコンクリートの壁になっている所の手前で道からそれて、山に入りました。急斜面の植林を登って行きました。作業道の名残りがあり、登りやすくて助かりました。尾根に出るとやせ細った植林が密集しており、少し登ると自然林になりました。海抜200mくらいの所で振り返ると竹田城趾が見えました。距離から言えば川向うの立雲峡よりも近いくらいですが、南側から見ているので全容が見えないのが残念です。この付近からは切り開きがあって、楽に歩けました。地形図で見ると平坦な尾根が延びていますが、実際にはアップダウンがあります。

金属プレートの大路日後四等三角点(436.47m)はネットの向こうにありました。ちょっと南に展望があります。切り開きはしっかりしており、快調に歩けました。海抜530m付近からも竹田城趾がよく見えました。かなりの遠距離ですが、少し見下ろす格好になるので城全体がよく見えます。写真は少し上の560m付近から撮ったものです。614mピークには森林開発公団の赤い境界見出標がかかっていました。そして落ち葉を踏んで気持よく尾根を登ると、図根三角点のある630m+ピークに出ました。周囲は伐採してあるので南北に眺めが良く、残念ながら竹田城趾は見えませんが、気持ちの良い場所でした。さらに尾根を登って行くと竹田城趾の見えるスポットがあり、その上で700m+ピークに出ました。ここには2013/11/09に八代峠から来ています。北に少し主尾根を歩くと、物部山三等三角点(707.51m)がありました。物部山が旧養父町、和田山町、朝来町の三町境界の700m+ピーク([1])なのか三角点山かは分かりませんが、気持ちの良い尾根です。

下山は700m+ピークに戻り、614mピークまで降りて、そこから南東の物部に向かいました。この尾根も落ち葉の上を歩ける気持ちの良い場所ですが、降りて行くとなんとなく狭苦しくなりました。最大の原因は尾根を二分するネットで、かなり壊れているとは言え、心理的にはとても邪魔です。いちおう道が付けられており、途中には竹田城趾の見える所もあります。標高が下がると自然林の倒木が増えてきます。最後は地形図の破線道を目指したのですが見つからず、適当に尾根を降りて行くと荒れた道がありました。点々と石仏が置かれており、西国三十三所めぐりができるようです。最後は高峰寺に降りてきましたが、降り口には「物部遊歩道入口」と書かれた札が立っていました。破線道を探すよりも、南の尾根に行って物部城趾を見るか、いっそ途中から北に行って273m地点経由でカクシ谷林道に降りるというルートもありと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「但馬竹田」です。

2014年12月7日日曜日

南から登った当田山

地形図で「のの字」に描かれているトンネルのある道([1])から、当田山に登ってみました。出発点は安富町三坂です。護持峠から西に下り、細い旧道に入ります。新しい峠道が余りにも立派なので、旧道の細さに驚きます。人家の所から北に谷を登って行きました。コンクリート舗装の道を登ると水道施設のようなものがあり、行者様(?)を拝むと、トンネルに出てきました(写真)。しっかりと作られたトンネルで、確かに上を道が越えています。当然考えるのが、なぜこのような構造にしたかです。このトンネルの奥は岩盤です。ぐるっとトンネルの上を廻った道は岩盤の中腹を登って行きます。もともとの岩盤がどうなっていたのか、今となってはよく分かりませんが、まっすぐに岩盤を登って行くと急勾配になり過ぎたのでしょう。この谷には当然水流もあり、こちらはトンネルの西側で道の下を潜っています。

トンネルを過ぎて落石の多い道を更に登ると、堰堤がありました。銘板はすり減って読めないのですが、ひらがななら「そま谷堰堤」だろうと思います。昭和31年に建設されており、トンネルはこの堰堤建設のために作られたのかも知れません。この先で道は終わっています。予定ではここから西側の尾根に登るつもりでしたが、伐採して草の生えた急斜面で、登る気になりません。結局倒木の間を抜けて正面の尾根を登りました。急斜面ですが登り易く、少し登ると平らになってきて、主尾根に出ました。ここは以前に来たことがあります(2007/09/09)が、相変わらず倒木が多い場所です。

西に少し歩いてから、南の452mピークに行ってみることにしました。急斜面を降りて南に向かう尾根に乗りました。ちょっと岩場もある尾根で、林田川方面が見えました。452mピークには三角点もありませんが、気持ちの良い場所でした。主尾根に戻ってさらに西に歩きました。この附近は木の間隔が広く、気持ちよく歩けました。黒谷三等三角点(493.63m)のある当田山のピークも広く、南に展望があります。この附近からは北の安志も見えます。更に少し西にピークを歩いてから、東に取って返しました。

まず来た尾根を戻り、そのまま東に進みました。こちらの方向は、2007/10/13に歩いています。488mピークの北側は植林の倒木がありますが、避けて歩けました。北から東に向きを変えると再び倒木があり、ここは北側を巻いて進み、三坂四等三角点(477.74m)に出ました。この付近は倒木も少なく、楽に歩けました。ただしアップダウンは多いので、けっこう疲れました。広くて迷いそうな尾根を通って439mピークに来ると、東側に木々の間から砂利採掘場が見えます。この後もアップダウンの繰り返しですが、歩きにくい場所はありませんし、迷いやすい場所もありません。無事に414mピークに来て、さらに護持峠を目指しましたが、どんどん急斜面の岩場になっていきます。足もとは砂状で滑りやすく、気を付けて降りました。最後は護持峠の切通の上に出ました。南側の旧道は法面に吸い込まれて消えています。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安志」です。

2014年12月3日水曜日

篠ヶ峰南西の尾根

多可町と氷上町の間に位置する篠ヶ峰からは、いくつか尾根が延びていますが、そのうちの一つは南西から南に伸びて、これら2つの町界となっています(正式には多可郡多可町と丹波市氷上町の境です。さらに南に行くと、丹波市山南町となります)。この長い尾根を歩いてみようと思いました。登り口は、2014/11/22に降りてきた山南町西谷にしました。

花の苗を作っているビニールハウスの前にある「台風12号による災害のため通行不能」と書かれた害獣避け扉を開けると、いきなり道がふた手に分かれています。左は大海山の南の牛坂峠を越して牧野方面に行く道です。山南町小畑に近い道路沿いに「牧山の牛若さん」という説明文が立てられており、牧山(山南町側)と牧野とは交流があったようですが、牛坂峠から西側の道は消えてしまったようです(2013/01/26)。今回は北側の道を選びました。しばらく舗装道路を歩いて行くと、「右をみさか 左かはさか」と書かれた石の道標があります。「をみさか」は大海坂、「かはさか」は樺坂でしょうか?「かはさか」の方向には人家がありますが、ここは「をみさか」に向かいました。この道は兵庫県道293号門村山南線ですが、「コバトコ」と書かれた青い標識(地名らしい)のある、かつて祠があったらしい場所から先は、道が怪しくなりました。土砂崩れなどで埋まっている所があり、気を付けないと迷ってしまいます。それでもかつての道の跡は確かにあり、それを辿って登って行くと、峠の手前にお地蔵様がありました(写真)。ちゃんと屋根も架かっていますが、石に刻まれた文字はほとんど読めません。

さらにちょっと登ると、赤い「火の用心」の立っている峠に出ました。ここから北に歩きましたが、この主尾根は関電の保守路となっていますから、よく整備されています。まず播磨中央線66鉄塔がありました。多可町や、多可アルプスが見渡せます。ここには小野山四等三角点(482.58m)もありました。近くには共同アンテナの残骸もあります。この先も落ち葉を踏みながら歩ける気持ちの良い尾根で、十分な幅の切り開きがあります。播磨中央線67からも多可町が見渡せます。そのうちに播磨中央線は東に行ってしまいますが、歩き易さは変わりません。552mピークを過ぎ、530m+ピークの次の鞍部には、多可町側から道が上がってきているようです。この付近の木には、「キ」のような赤い字がペンキで書かれています。キの横棒の本数が木によって違っています。この先は長い尾根歩きで、594mピークを過ぎ、切り開きは狭くなりますが、藪にはなりません。小屋ケ谷四等三角点(655.51m)は、なぜか西寄りの斜面にありました。そして691mピークを過ぎ、篠ヶ峰の通信塔が見えてきて多可町地籍調査の地籍図根三角点を過ぎ、鞍部に降りると西側から林道が登っていました。斜面を登ると奥多々良木線36鉄塔が立っていました。尾根上にあるので送電線が低く、手が届きそうでした(届きませんが)。

この鉄塔の前の鞍部では、東の谷に降りて地形図の破線道で帰ることを考えましたが、破線道が存在するか確信がなかったので、谷の奥を回ることにしました。関電の37鉄塔への巡視路も尾根を回っています。道は落ち葉が気持よく、文句ありません。急坂を登ると「火の用心」が3枚も立っている地点に出ました。2013/04/08に来た道を逆に南に向かいました。黒いプラ階段が続く巡視路で、奥多々良木線37鉄塔に出ました。この先も岩屋山方面に向かいましたが、徐々に車を置いてきた西谷からは外れていくので、途中で意を決して南西の尾根を降りました。地形図では距離も短く勾配も大したことはないのですが、まっすぐは降りられず、作業道を探して南の谷に出てから破線道のある谷に降りました。この付近の谷は倒木で埋まっているわけではないのですが、それでも谷は歩けません。幸いにして谷の西側に小道がありました。斜面に付けられているのでいかにも崩落しそうですが、意外としっかりと続いており、谷に岩が突き出ている場所では上の方を越えています。地形図で見ても谷ではなく斜面に描かれていて変だと思ったのですが、実際に谷よりはかなり上の斜面に付けられていました。とはいえ荒れた道であることに違いはありません。最後は地形図に水色の川が描かれている付近で一旦急斜面を谷に向かって降りなければならなくなりましたが、谷に降りる前に再び斜面に道があり、川沿いに歩けるようになりました。この付近でも崩落はありますが、道があるだけありがたいと思わねばなりません。地形図の実線道に出ると、そこからは林道となりました。

多々良木線36鉄塔の手前から谷に降りても、おそらく小道があったものと思います。それが正解かどうかは、分かりませんが。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

2014年11月24日月曜日

東から登る篠ヶ峰

多可町と氷上町の間にある篠ヶ峰は舗装道路が頂上まであるくらいで、あまり頑張って登ろうという気のする山ではありませんが、敢えて東側から登ってみました。山頂に連なる尾根はいくつかありますが、北東の氷上町三原を起点に選びました。「観光指定地 細見池」という標識の所で害獣避けの扉を開けて、細見池に向かいました。途中で道が別れており、西側に向かうと、細見池の堤防の西側に出てきました。この付近から西の尾根に登ろうとしたのですが、傾斜が急でなかなか良い場所が見つかりません。結局谷を見つけて南側の小尾根に登りましたが、ここにはピンクテープのマーキングがあり、作業道もありました。このピンクテープには以後ずっとお世話になりました。

急勾配の小尾根を登って主尾根に出ると、典型的な里山の雰囲気でした。少し登ると向山南四等三角点(364.99m)がありました。この先も里山的ですが、ピンクや水色のマーキングのある切り開きがずっと続きます。そして、ふと上を見上げると電柱がありました。篠ヶ峰に向かう動力線で、ここでふた手に分かれているようです。ここで地形図の破線道に出ました。破線道の割には山側に斜面が描かれているので不思議に思っていたのですが、未舗装ですが山側をコンクリートで補強した道です。かなり荒れており、斜面が崩落して埋まっている場所もあり、ちょっと歩いた後で尾根道に戻りました。ここは尾根にも破線が描かれています。729m地点からは舗装道路と並んで登りますが、道路は尾根からは見えません。さらに標高で100m登りますが、雰囲気の良い尾根でした。そしてゴミが増えてきたと思ったら、山頂のNHKのパラボラアンテナに出てきました。

山頂からは関電の反射板まで東に少し降りましたが、ここでそのまま道を降りると2013/04/08に歩いた南西方向に行ってしまいます。道は分からなかったのですが、反射板の前の草むらを無理やり降りて、北東に延びる尾根に進みました。この尾根にもピンクのマーキングがあるのですが、標高800mから750m付近は幅広い尾根で、方向がよく分かりません。とにかく平坦な場所に降りられれば正解です。そこからは切り開きがあり、歩きやすくなりました。特に標高が550mを切った付近からはほとんど平坦な尾根となり、気持よく歩けました。途中、伐採地があって、篠ヶ峰を振り返って見ることができました。谷を挟んで南側の山から見るとこの尾根の南斜面は非常に急なのですが、じっさい631.7mに近づくと南側は急斜面になっていました。

そして、ちょっと急勾配を登ると、三原三等三角点(631.66m)に出ました(写真)。展望が開けますが、篠ヶ峰はもうはるかかなたでした。国土地理院の[点の記」が「現況状態(20140813)柱石き損」と記録しているように、標石は片側が欠けていました。東峰山という名前のピークのようです([1])。このピークでは、2014/10/30におなじみになった鉄の鎖と出会いました。この東側は墓地の管理となります。そのまま北東に尾根を下るとまた鎖と平行して歩くことになるので、そちらには行かずにピンクのマーキングがある北の尾根を降りました。これは非常に急峻ですが、マーキングも切り開きもあって心強い限りです。だいたい西側は植林で東側は雑木林でした。標高500mを切った付近で尾根が分かれますが、マーキングは東側の尾根につながっていました。細見池の方に降りたかったのですが、マーキングに従うことにして、そのまま北に降りて行きました。切り開きがあって問題なく歩けましたが、最後はマーキングが尾根からそれてシダの多い東の斜面に付いていたので、そこからはJForestの境界明確化の杭をたどって、まっすぐに降りました。途中からシダの多い急斜面の植林になりましたが、シダの背が低いのであまり苦労せずに下山できました。降りてきた場所は墓地の跡のようでした。

篠ヶ峰から三原三角点への尾根は2014/10/25に南の山から見て歩きたかった尾根なのですが、見立ての通り楽しく歩けました。ただ、ちょっと長すぎる感じではあります。篠ヶ峰の北の清水坂に最近トンネルができたので、この付近は姫路からだと高坂トンネルを通って行くことも可能になっています。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

2014年11月22日土曜日

山南町の三組尾

山南町の三組尾は、以前(2013/01/26)に北の大海山から縦走して来たことがありますが、今回は小畑から登ってみました。富田からよく使われている道があるようですが、小畑の立派な墓石のある墓地の脇に害獣避けの扉があり、これを開けて山に入りました。急斜面の植林を登りました。特に障害物はありません。ちょっと登って229mピークに着くと、一息つけました。その先も登りやすい尾根でした。少し岩が増えてきて、楽しく登れました。おかげでこの山が行者山だということを忘れてしまい、楽しく大岩を登って402mピークに着いた時に初めて思い出しましたが、後の祭りでした。大岩の周辺をよく探せば、行者様などを拝めたはずなのです([1])。仕方なくそれは次回ということにして、更に尾根を辿り、三組尾に着きました。延命寺山三等三角点(539.68m)がありますが、延命寺山というのは北の山本にある延命寺の背後の山の名前でもあります(2013/05/01)。

三組尾からは、北西に以前に来た尾根を縦走しました。前回と違って尾根には派手なピンクテープのマーキングが多く、木に巻きつけたテープには地籍を明らかにするためか地名が書いてあります。630m+ピークでは北東側は山下、南側は字三組尾で西側は中区の3つに分かれていました(写真)。その先では北東は足立、中岡、など所有者名のような名前が多く、南西側は東山、高岸、鍛冶屋、など遠くの地名が多く見られました。これらの村の共有地だったのでしょうか。尾根そのものは以前と変わらず、490m+ピークからは北側の展望があり、そこからは少し岩登りがあります。単純な尾根ですが、ピンクテープが多くて、かえって迷いそうになりました。そして528mピークから北の尾根に下山しました。こちらの方向には「北和田ふるさと」と書いてありました。これも歩きやすい尾根が続きました。途中には共同アンテナの残骸がありました。最後は急斜面の植林を降りました。降りてきた道は多可町へ山越えする県道のはずですが、「台風12号による災害のため通行不能」と書いてありました。いつの12号でしょうか?小畑集落の入り口には、「右いわや山 左すぎ原」と書かれた道標がありましたから、ここを通って杉原川への交通も多かったのでしょう。

意外と長い道のりで、4時間近く掛かりました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」です。

2014年10月30日木曜日

氷上町の弘浪山

先週氷上町の白山に登った時に、北に見えた山が岩が多くて面白そうだったので登ってみました。この山についてネットにいくつか情報がありますが、地図が付いていないので登り口が分かりません。そこで氷上町上成松の付近を適当に歩いていると、一の宮神社という神社が山裾にありました。美しい神社ですが、尾根の下にあるので、この尾根で登ってしまうことにしました。尾根を巻いていく道があり、そこから尾根に上がって真っ直ぐに登りました。最初は植林で、それが終わると自然林です。大きな岩が時々あり、おかげで展望が楽しめます。甲賀山や明治山、加古川の東の山並みが見えます。373mピークを過ぎてからも岩の多い登りです。ちょっと藪っぽい感じですが、下草はありませんし、灌木もあいだが空いています。高山寺[1]に行けなかったのが残念でした。450m+ピークから西に曲がって斜面を降りると切通があり、「登山道」という札があり、「柿柴下山口」「頂上まで40分がんばりましょう」という札が立っています。この鞍部は地形図で柿柴から南に谷に延びている破線道の延長ですから、この破線道が登山道なのでしょう。ここからは登山道でぐいぐいと植林を登り、尾根に上がりました。尾根には墓地の境界を示す鎖が張られています。これに沿って南に歩くと、弘浪山山頂に着きました。高山寺四等三角点(519.87m)があります。南東に展望が開けており、陽の当たる気持ち良い山頂でした。写真は柏原方面です。

山頂からは西に縦走しました。地形図には破線道が描かれているのですが、見つからないだけでなく、ひどい藪でした。墓地境界の鎖を辿ればよいかと思ったのですが、藪で通れません。なんとか降りて行きましたが岩の多い細尾根です。尾根の中央に背の低い松が生えており、それを避けて進みましたが、一つ間違えば岩場を滑落です。細心の注意を払って500m+ピークに登りました。この付近は下から見上げると崖だらけです。この先も藪が続き、足もとに注意しないと岩から落ちます。それでも鎖は続いていきます。破線道を気軽に歩けると思っていたので、全く予想外の展開でした。岩場が多いので展望は北、西、南ともにあり、篠ヶ峰まで見渡せました。北には美しい墓地、南には美しいゴルフ場です。この先もたまに少し歩きやすくなりますが、全体に状況はあまり変化しません。353mピークまで来るとシダも茂っています。いい加減疲れてきたので下山することにしましたが、墓地に降りると柵があるかも知れないと考えて、ゴルフ場に降りることにしました。260m+の最低鞍部からも降りられたかも知れませんが、その先の330m+ピークに登り、そこから南に支尾根を降りました。この尾根もひどいシダ藪で、背の高さくらいのシダを抜ける場所もあります。足もとも見えないので、かなり危険です。随分長くこの尾根を降りていたような気がしました。最後は笹薮を抜けてゴルフ場の舗装道路にでてきました。

最初は破線道を三原三角点のある631.7mピークまで歩いて北に降りようと考えていたのですが、その半分も歩けませんでした。標高300m程度の日当たりの良い尾根ですから、藪になるのも仕方ないかも知れませんが、細尾根だけに危険です。10年前には、もう少しましだったようですが[1]。墓地境界の鎖が途切れることなく張られているのには素直に関心しました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「柏原」です。

2014年10月25日土曜日

氷上町の白山

白山はあちこちにありますが、これは丹波市氷上町の、佐治川西岸の山です。登山口にはちゃんと説明の看板があります。左手に白山神社があり、さらに登るとお稲荷さんがあります。そして本格的な登山道になりますが、ひどく荒れています。道が不明瞭になる所はありませんが、石や倒木が多く、土石流の後のようです。しかしもともとはよく整備された登山道で、石仏もあります。

五合目には東屋があり、北向きに展望があります。周囲は植林ですが、手入れは悪いようです。NYCAが1998年に建てた看板がまだ奇跡的に残っています。勾配が急になりシダが増えてますます歩きにくくなります。この付近のルートはGPSの記録で見ると地形図の破線道とは違っていて、谷道を歩いています。植林の中ですから、GPSも怪しいと思いますが、荒れた谷なので他に道があるようにも思えません。主尾根に出てすぐに山頂に着きました。神社は麓に降ろされていますが、石灯籠と石の階段などが残っています。展望は抜群です。写真のコンクリートの塊は何でしょうか?ついでなので、三角点を見に行きました。東の尾根に降りるのですが、最初はあまりに急なので迷いました。しかし境界明確化の杭とピンクテープを辿れば問題なく降りられました。岩の多い尾根ですが歩きやすく、白山四等三角点(487.26m)に着きました。

急斜面を登って頂上に戻り、西の尾根を目指しました。最初は南西に歩き、共同アンテナのある付近から西に降りて行くと、平らな尾根に出られました。南北両側の展望が木々の間から望めます。尾根の西端で北に降りなければならないのですが、ここは急斜面に切り開きがあり、ピンクテープもあるので迷うことはありません。この付近の尾根は、常に道がありました。498mピークを通り、500m+地点を通って西に歩き、南北に延びる尾根に出ました。この尾根からは篠ヶ峰が西の正面です。ここから南に歩き、道なりに歩いて行くと、新郷四等三角点(585.54m)に出ました。周囲は伐採されていて、南方面は展望があります。さらに南に歩いて600m+ピークに上がり、南東に曲がりました。この尾根は篠ヶ峰に連なっています。ちょっと降りると地形図では破線道が尾根を横切っていますが、東側には道があり、ピンクテープもありました。ここから油利に降りられるのではないかと思います。しかしさらに尾根を南に歩き、543mピークに着きました。ここはちょっと迷いやすく、「境 大正二年十月建立」の標石がありますが、こちらではなく南へ降ります。鞍部を過ぎて登り返すと、和田村三等三角点(596.41m)のある高釣瓶に出ました。ここは2014/09/06に来ています。この付近には送電線の鉄塔があるので、この尾根は関電の巡視路になっています。

播磨中央線77の鉄塔からは東の尾根に進みました。こちらも巡視路があります。507m地点まで来ると、尾根は北向きになりますが、関電の巡視路は南東に向かっており、切り開きもあるので、こちらに降りることにしました。ここは急斜面で、関電の黒いプラ階段があるので助かりました。階段は迂回気味に付けられており、落ち葉で隠れていることもありますが、斜面が急過ぎる時にはとても役立ちます。岩が多く、落ち葉が積もっているので斜面は滑りやすく危険でした。そして播磨中央線79に出ました。ここからは普通の山道で、じきに神社の跡なのか祠が二つ並んでいる場所に出てきました。木の鳥居をくぐってさらに降りると、苔が生えていて滑りやすい土の階段になりました。注意深く降りると植林になり、最後は人家に出てきました。ここから白山登山口まで、一時間かけて国道を戻りました。

白山から先の尾根はずっと切り開きがありますが,意外とアップダウンがあるので、思ったよりも大変でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」「柏原」です。

2014年10月19日日曜日

佐用の岡の空

岡の空という名前は[1]で知りました。岡という集落は智頭急行の石井駅の南にあるのですが、なるべく尾根を歩こうと思ったので、尾根の南端に行ってみました。地形図では尾根の西側には智頭急行が走っており、アクセスが悪そうです。しかし373号線からよく見ると山の上に墓地があるので、道があるはずだと思って行ってみました。案の定、人家の裏に鉄道の下を通るトンネル(大河内BV 24K477M)がありました。これを抜けると墓地に出て、そのまま213mのピークに出られました。北に歩き、いったん少し降りると、東側に大河内の人家が見えました。後で見ると東側からこの山に登る道は何本かあるようです。

ここから再び登りですが、少しくぼんだ道がありました。荒れ気味の雑木林ですが、問題なく登れました。徐々に傾斜がきつくなっていき、標高250m付近は急斜面ですが、道はまっすぐは登らず、西方向に折れていきました。これを辿って行くと、359mピークから南西に延びる尾根に出てました。岩の多い尾根ですが、斜面を登るよりはずっと楽に359mピークに着きました。ここからは歩きやすい尾根を北に歩きました。自然林で文句ありません。450m+の小ピークを過ぎた所は倒木地帯でしたが、西側に迂回すれば問題なく進めました。そして平らな山頂に出て、岡の空に着きました。下石井三等三角点(481.10m)があります(写真)。展望は全くありません。

山頂からさらに北に歩きましたが、荒れた尾根を少し降りると車が通れるくらいの道がありました。尾根はかなり荒れているので、しばらくはこの道を歩きました。倒木だらけで荒れている尾根の北側には、後山や日名倉山が見えていました。道が谷に降りて行っているのかと思って、450m+ピーク付近では尾根を歩きましたが、倒木が多くて歩きづらく、気が付くと道があったので、結局道に戻りました。しかし東に進むと道が倒木で埋まっており、また尾根に戻りました。この先は道に戻ることはなく、さらに尾根を東へ進みましたが、尾根が南に曲がる手前の所は倒木が多すぎて進退窮まりました。結局はたくさんの倒木を乗り越え、草の中を抜けて突破しましたが、素直に道を歩いて降りるのが正解だったと思います。

この先の南に向かう尾根も荒れており、楽な山歩きとは言えません。それでも430m+には大量の空き缶とビール瓶が転がっており、パーティーが開かれたようです。その人達がどこから来たのか想像つかないくらいにその南は倒木が多く、標高400m程度の尾根の先まで来て、比較的倒木の少ない方向に斜面を降りました。結局これはほぼ西向きだったので、降りた谷には先ほどの道に続く道があると期待していたのですが、まともな道はありません。結局しばらく谷から少し上をトラバースして歩きましたが、意外と大きな岩の多い斜面でした。最後は谷に道があったので降りました。この道は幅広くしっかり作られていますが、岩で埋まり気味です。最後は地形図の破線道と合流しました。この破線道は未舗装ですが、まともな道でした。
山頂から後の山歩きは、佐用の山らしく倒木が多く、非常に疲れました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「佐用」です。

2014年10月11日土曜日

音水湖西岸の山品山

音水湖と音水渓谷の間には大きな山が聳えています。この山を音水湖の側から登ってみました。引原ダムの上を走って、音水湖西岸の道に出ました。少し北に走るとカヌーのボート小屋のような建物があり、さらに北に走ると林道が西に別れる所の先で通行止めになっています。ここに車を停めて、いきなり斜面を登りました。ほぼ崖と言える斜面ですが、頑張ってちょっと登ると植林に入れます。尾根上は自然林で、これも非常に急斜面ですが、しばらくは我慢で登り続けました。長源寺山林という標石があり、湖の反対側にある寺の山林のようです。地形図どうり標高650mを越えると平らになり、歩きやすくなりました。ここからは極楽の尾根歩きです。

音水湖四等三角点(715.73m)はとんがったピークにあり、周囲は伐採されていますが展望はありません。しかし展望はなくてもこれだけ気持よく歩ければ文句ありません。植林と自然林が交互に現れ、ワイヤーロープなど林業活動の跡もたくさん残っています。倒木で歩きにくい場所が一箇所ありましたが、それ以外は藪というほどのものはなく、徐々に高度を上げていき、961mピークに着きました。ここにはNHKのアンテナか避雷針か分からないポールが立っており、傍に共同アンテナの残骸がありました。宍粟市の地籍図根三角点があります。北奥山と書いた札がポールに付けられていましたが、こことこの先の尾根が音水湖西岸では一番高い地点です。西に平らな尾根を歩いて、950m+ピークに出ました。ここは音水渓谷の東側の尾根にあり、2013/07/28に南から歩いてきた所です。今日はこの尾根を逆方向に歩きましたが、気持ちの良い尾根です。奥山四等三角点(901.14m)の所は、北から来ると尾根が分かれているので要注意です。この先も気分よく緑を見ながら歩き、山品三等三角点(945.76m)に着きました。

ここからは下山ですが、東の尾根を降りると尾根が3つか4つに分かれており、迷いました。このような時はGPSが便利なのですが、精度が不十分で少し尾根を降りてから自分の場所をチェックして確認する必要が有り、間違っていたら登り返さねばなりません。とにかく正しい尾根に乗れればあとは気持よく歩けました。尾根の終わりで748mピーク方向に曲がる所も、問題なく曲がれました。ここは南側が植林です。748mピークでは尾根を真っ直ぐ歩くと北に行ってしまうと思って気を付けて東に尾根を降りたつもりが、早まって南の尾根に降りてしまい、登り返しました。一旦正しい東向きの尾根に乗れれば後は歩きやすく、606m地点を過ぎて、[1]にある伐採地の上に出てきました。音水湖が目の前に広がり、対岸の阿舎利山や三久安山が見えます。ここから湖岸道路は目の前ですが、背の高い草が茂っている場所もあるので、それを避けて北の植林を通って降りました。最後は幸いにもコンクリートの階段があって、道路に出られました。

かなり距離はありますが、歩き易かったため、時間は3時間半しかかかっていません。宍粟市の山だけあって手入れの良さを実感しました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆ 最初だけ
地形図は「音水湖」です。

2014年10月8日水曜日

明延のスリガ峯三角点

先週(2014/10/04)のリベンジで、もう一度明延から尾根伝いに登ってみました。今回は前回よりも谷の一つ奥の、尾根にしました。明延から鉱山前を通る市道一ノ段線を通って、明延浄水場に車をとめて、登りやすそうな地点を探しました。道路から尾根の先端を見上げると、石垣が見えたので、急斜面を登ってみました。すると石垣の上は線路でした。なるほど、これが一円電車の軌道です。東に行ってみると、尾根の先端にはトンネルがあります。その先は堰堤のところで終わっています。反対側は鉱山の方向ですが、足もとに気を付けて歩いていくと、谷を橋で渡った所がトンネルになっており、金属の扉で塞がれています(写真)。この谷は市道から入山禁止の看板が見える谷です。谷の付近を少し歩いてみると、石垣やコンクリートの遺構があります。谷に橋を渡していたようですが、目的はよく分かりません。また、電線が谷をさらに登って行っており、谷の奥にも何かありそうでしたが、目的は山登りなので尾根に取り付くことにしました。

尾根の先に戻って、急勾配の植林を登りました。手を使わないと登れない斜面です。斜面の上には有刺鉄線で囲まれた立入禁止の場所もありましたが、そこは避けて登りました。岩が多く、展望もあります。振り返ると明神山が見えていました。この山の石は白かったりピンクだったり、鉱山だけあって他とは違っており、急な尾根ですが、疲れるだけでなく意外と楽しめました。岩場の上は藪っぽく、屈んで登って行くとなだらかな自然林の林になりました。そして広々した自然林の尾根に出たと思ったら、共同アンテナがありました。さっき谷に張られていたケーブルは、これに繋がっているのかも知れません。最盛期の明延で人々が楽しんだテレビの素はこれだったのでしょうか?ちょっと歩くと山頂に出ました。金属プレートのスリガ峯四等三角点(1021.89m)があります。周囲はちょっと開けていますが、展望はイマイチでした。このピークは、高岩峯と呼ばれているようです。

三角点からは日本分水嶺でもある朝来市と養父市の境界の尾根を南に下りました。自然林がきれいですが、ワイヤーロープが張ってあります。高度が下がっていくと、東側下の方に林道が見えました。佐中から来ている林道ですが、今は須留ケ峰線なのでしょう。これを使えばこの登山は容易です。しかし尾根の美しさも捨てがたく、ちょっときつい登りのあと、金ヤガ谷四等三角点(929.37m)に着きました。これも金属プレートです。ここから尾根をだらだらと降りると、植林になり、地形図の836m地点に出ました。ここは明延と佐中にを結ぶ道の峠のはずですが、三菱マークの標石などいくつかの杭がある程度で、何もありません。

峠からは西に植林を降りました。割と手入れの良い植林で、歩きやすいのですが、途中で廃村を見に行きたくなって、南に歩きました。地形図からは意外なくらいに深い谷がいくつか植林の中にありますが、基本的には地形図どうりなだらかな植林です。銀色のものが見えたと思ったら、植林の中にステンレス製の電信柱が2本並んで立っていました。これは山の上の方にも下の方にも続いており、かつてはケーブルが張られていて神子畑と明延の間の通信に使われたのかも知れません。電信柱を辿って降りて行くと、石垣に気が付きました。そちらの方向に行ってみると石垣がいくつもあって、これが一ノ段という村([1])のようでした。家屋の跡はほとんどありませんが、少し降りて行くと墓がいくつかあり、一番古いもの(墓石ではなく石仏?)は安永年間とかなり古いものでした。他の墓は、明治、大正のものでした。

ここからは谷を降りましたが、地形図の破線道はほぼ消えており、非常に疲れました。場所によっては一度南の山に登り返しました。「くらしを支える森づくり事業」の看板の所で北に流れを渡り、さらに岩だらけの谷を降りて行くと、お堂がありました。いちおう祠が祀られていましたが、中には何もありません。さらに下ると地形図で墓地の描いてある分岐に出ました。墓は3つありますが、立っていたのは大正年間のもの一つでした。この先は林道奥山支線だと思いますが、護岸のコンクリートは残っているものの、道の土はほぼ流失しており、ひどく歩きにくい林道でした。一ノ段の村から明延浄水場まで1時間かかりました。

一円電車は尾根の先をまわってから明延浄水場の所で川を渡って、トンネルに入ります。浄水場の奥にトンネルの入り口がありますが、これも金属扉で、中を覗くとコンクリートブロックでしっかり塞がれていました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年10月4日土曜日

明延の禁断の尾根を登る

明延鉱山付近の山には「この山林は、各所に堀割・かん没等危険な箇所がありますので、危害防止のため山林への入山を禁止します。」という立て札がいくつも立てられています。しかしそうは言われても、明延の南の谷からスリガ峰三角点のある1021.9mピークへ延びる尾根は、あちこちの山から眺めるととても登りやすそうで、尾根だけならいいだろうということにして登ってみました。

登り口は地形図にもある墓地付近にしました。この墓地は比較的新しいものです。この背後の急な植林を登りました。斜面の途中に石垣があって驚いたのですが、道があったのかも知れません。炭焼き窯がありました。植林を登り切っても厳しい登りですが、障害物はありません。時々岩がありますが、大きなものではありません。ところが標高600m付近には尾根にどっしりと大きな岩があり、有刺鉄線で囲まれていました(写真)。左右を見ると左側は巻いて行けそうだったので、有刺鉄線に沿って降りて行きました。しかし囲いの外に歩けるスペースはあまり無く、結局有刺鉄線を潜って中に入りました。それから岩を見てみましたが、尾根を横切って岩に隙間がありました。人が削ったのかどうかも分かりませんし、岩の隙間は狭いので、詳しくは調べずに先に進みました。その先にも630m付近で有刺鉄線が尾根を横切っている場所があり、ここは巻けるような場所ではなかったので、隙間を抜けてそのまま進みました。この付近は岩の多い尾根で、錆びた有刺鉄線が尾根沿いに張ってありました。地形図ではこの付近の南側の斜面が岩場になっていて、その付近が鉱山だったのかもしれません。しかしこの斜面は非常に急で、降りられるようなものではありません。この先750m付近からは気持ちの良い自然林になります。しかし地形図で岩場になっている820m+の細い尾根は本当に細い岩場の尾根で、滑落しないよう気を付けつつ、巻いて進みました。

細尾根を過ぎるとまた自然林に戻って気持ちの良い森になりましたが、あいにく天候が悪くなり、気温が下がり強風のうえ雨も降ってきたので、スリガ峰三角点のある1021.9mピークまでは行かずに下山することにしました。ここは以前(2013/07/27)に須留ケ峰に登った時に通っているので、その時の経験を生かして北に尾根を降り、少し西寄りに植林を降りました。今回は問題なく林道に降りることができました。あとは旭山キャンプ場経由で帰りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年9月21日日曜日

カカナベ峠から登る御祓山

カカナベ峠から御祓山に登ってみました。カカナベ峠には播但道の朝来インターから行きましたが、建屋川沿いの奥山から林道へ右折する所の狭さにビビりました。しかし狭くてもきれいに舗装された道で、少し行くと幅も広くなりました。カカナベ峠まで行くと、道が二つに分かれていました。ひとつは地形図どうりに宮本方面へ行く道で、もうひとつは須留ケ峰の方へ向う新しい林道で、通行禁止となっていました。カカナベ峠で車を降りて、北側の植林を登り始めました。急勾配です。しかし下草は全く無く、楽に登れました。540m+まで一気に登って、あとはさほど急斜面ではありません。リスが木の実をくわえて走っていました。630m+ピークには地籍調査の金属プレートとポールがありました。周囲は自然林が多いのですが、山頂に近づくと植林になり、再び気持ちの良い自然林になると山頂でした。

山頂は以前に来た時(2014/08/14)と同じです。下山は南に登山道を降りました。途中に大きな岩があって、トラロープ付きの巻き道があるのですが、狭い道でした。そして登山道が西側の斜面を降りて行くあたりで尾根の上を歩き、南東の尾根に斜面を降りました。目的の尾根はよく見えないので、方向を定めて降りました。この尾根は道はありませんが、歩くのに差し支えはありません。しかし徐々に岩が増えてきました(写真)。岩場の細尾根は楽しいのですが、足を滑らせれば滑落です。あまりに急で岩を巻いて降りなければならない場所もありました。しかし最後は植林に出てほっとしました。南に急斜面の植林を降りて、鞍部から林道へ出ようとしたのですが、ガードレールは見えていてもシダが生い茂っていて行けません。斜面をトラバースして林道に辿り着きました。

あとは林道を歩いて帰れば良かったのですが、地形図に近道の破線道が描いてあるので、これを歩こうと思いました。破線道の位置で危なっかしい板製の橋で流れを渡ると、別荘のような建物があり、その隣の墓地が目に入りました。寛保、宝暦年間という古いものまであり、ここに村があったことを示します。じっさい多くの石垣が残っており、数軒の家があったことは間違いありません。後で調べると、これは岩井という集落の跡だということが分かりました([1])。交通の要所ではありますが、なんとも狭苦しい所に暮らしていたものです。破線道に戻ってカカナベ峠へ向かいましたが、谷沿いなので倒木も多く、道も少し石積みが残っている程度で消えているところがほとんどでした。ミツマタが生えている所も多く、枝をかき分け、倒木を避けて歩くのは大変でした。最後は諦めて尾根に上がり、林道に出ました。

カカナベ峠を通る道は、宮本側では県道森大屋線(県道279)となっていますが、奥山の入り口には広域基幹林道須留ケ峰線起点となっていました。笠杉トンネル付近から北に工事が進んでいる林道と繋がるのでしょう。なお、林道のあちこちに9月2日から11月14日まで入山禁止という札が立っていました。松茸山なのでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年9月20日土曜日

和田から登る銅山

この和田は、養父市大屋町の、明延川沿いの和田です。明延鉱山跡の北側となります。まず和田から西へ舗装道路を走りました。細い道ですが舗装は綺麗です。途中には、アルトス・ビレッジなるペンション(?)や、この付近にあった製糸工場のことを書いた説明板などがあります。舗装道路の終点で車を停めて歩きはじめようとすると、きれいな石垣が目にとまりました。歩いて行くと、未舗装の道沿いに綺麗に組まれた石垣が積まれており、今は植林になっていますが、平地がたくさん作られていました。石垣の立派さは多くの山城を凌ぐものがありますが、整地の仕方は城というよりは村のようで、しかも新しいものです。崩落した道を登ると「大屋町指定文化財 史跡 古屋の小倉屋敷跡」という杭がありました。さらに登って一番大きな石(と言っても1m以上のものはありませんが)の使われている石垣の所には「遺跡 小倉屋敷石垣 この西北一帯、数年間の歳月と巨額の費用を投じて築造、宝暦元年(1751)の完成と言う。。。」という説明書きがありました。古い歴史を持った村の跡のようです([1])。昭和47年に廃村とのことなので、電気も来ていたようですし、碍子やタイルなども落ちていました。村を抜けてさらに南西に古い道を登りました。この谷の南側の段々畑も石垣でしっかりと作られたものでした。地形図の破線道は残っていますが、徐々に灌木が増えてきて抜けられなくなりました。そこで谷は諦めて目の前の斜面を登ることにしました。谷を真っ直ぐに進めば、霊鷹鉱山があったはずです。

目の前の斜面は地形図ではあまり急勾配ではないのですが、実際には腕を使わずには登れません。植林ですが木が小さいので枝が邪魔です。そのうちに自然林になり、やや勾配が楽になったと思ったら美しい植林に出ました。ここからは植林を尾根まで登り、南に銅山を目指しました。「大昭和」という標石が目立ちます。下草のほとんど無い、木の間隔の広い尾根で、緑が綺麗で気持よく歩けました。307mピークを通り、徐々に周囲が広くなり、ますます気分が良くなりましたが、最後は標高900mのところで急斜面に突き当たりました。これを頑張って登ると、日本分水嶺の主尾根に出ました。「界標第六拾」と彫られた標石がありました。ここからは西に歩いて、銅山山頂に出ました。宍粟50名山の一つで、筏三等三角点(953.82m)があります。

銅山山頂からは日本分水嶺を東に歩きました。ここは以前(2011/05/05)にも歩きましたが、素晴らしく気持ちの良い尾根です。「サロンパスの木」という札のかかった木を二本見ましたが、ミズメでしょうか。ほとんど平らな尾根ですが、857mピークの手前で大きな下りがあり、登った所で北に下山しました。こんな気持ちの良い尾根を離れるのはとても残念でした。しかし下山に使った尾根も下草は無く、歩きやすくて助かりました。最初は植林ですが、下って行くと自然林になりました。それでも歩きにくいことはなく、ピンクテープのマーキングが続いていました。最後はあまりに急なので右手の平坦地に降りました。ここも明らかに畑で、細く急な作業道で谷まで降りられました。この付近には石垣があり、碍子が落ちていたり、コンクリートの水路などもありました。谷を渡って再び石垣目指して登り、村の跡に戻ってきました。

石垣の立派さに圧倒され、山歩きでは緑の美しさに圧倒され、歩いていたのは4時間弱でしたが堪能出来ました。村跡は墓地などを見ておらず、また行かねばなりません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」「戸倉峠」です。

2014年9月17日水曜日

福定親水公園から登る氷ノ山

たまには普通のルートの登山がしたいと思って、氷ノ山に行きました。東側の福定親水公園を起点としました。姫路からだと播但道と北近畿豊岡自動車道を使ってアクセスは良いのですが、それでも2時間かかりました。

案内板の通りに、瀞川・鉢伏山線を歩きました。布滝の下で流れを渡り、ジグザグに斜面を登っていきます。不動滝という標識もありますが、木が茂っていてよく見えません。少し平らになると地蔵堂があります。次は金属梯子で流れを渡り、ひたすら氷ノ山越を目指して歩きました。途中には木地屋跡とか弘法ノ水とか、さすがに昔から使われた道だけあって名所がいくつもあります。そして1時間半の登りの後に氷ノ山越に着くと、お地蔵様と避難小屋があります。ここからはネマガリダケの回廊を歩いて山頂に向かいました。広い道ですが木の根などの障害物も多く、意外と疲れる道でした。しかしとても良く整備されています。1時間近く歩いて、山頂に着きました。避難小屋と、氷ノ山一等三角点(1509.77m)があります。近くにトイレもあります。雲が多く、あまり展望が無かったのが残念でした。

下山は東尾根と決めていたので、大段ヶ平の方向へ下山しました。こちらの尾根は地形図では古生沼と書いてありますが、ネマガリダケだけではなく背の高い草や灌木が茂っており、地面はぬかるみが多いので板が敷いてあります(写真)。なだらかですが、人の手が入らなければ歩けない尾根です。この付近はもちろん兵庫県の他の山よりも標高が高いのですが、それにしても植生の違いは驚くべきです。ここだけ高い木が少なく草が茂って湿地帯になった理由は何なのでしょうか。神大ヒュッテ(神戸大学氷の山体育所)から東尾根に折れて下山しました。こちらの尾根もぬかるみが多く、ときどき人面岩とか比翼連理(というか「連理の枝」)のような面白いものがありますが、相変わらずササが多く、コナラの林になったのは海抜1000m近くになってからでした。休憩小屋から北に降りて、東尾根登山口に下山しました。あとはスキー場の中の林道を歩いて、福定親水公園へ戻りました。

登山コースなので標識も多く、道も整備されていて文句ありません。余計な階段も無いので助かりました。ただ、氷ノ山はコースを外れて歩ける山ではありません。ネマガリダケは強靭ですし、古生沼のようにジャングルと化している所もあります。兵庫県の木々が美しいのんびりした山とは全く違った味わいの、プロ向けの山という気がします。

展望 ★★★
藪山度 ☆☆☆
地形図は「氷ノ山」です。

2014年9月6日土曜日

山南町坂尻から和田村三等三角点

丹波市山南町に、坂尻という集落があります。ここから東側の加古川沿いにある応地集落までは以前は峠越えの道がありましたが、今は牧山トンネルというトンネルができています。ここから北に尾根を歩いてみました。坂尻集落から旧道を登りました。最初は草ぼうぼうですが、途中から峠道らしくジグザグに登る山道になりました。地形図の232m地点が峠で、宝暦年間というかなり古いお地蔵様と「南無阿弥陀仏」と彫られた石が立っていました。峠から北に縦走です。シダが邪魔ですが、まずまず歩きやすい道がありました。394.6mピークの手前には地形図どうりに岩がありました。巻き道もありましたが、正面から登ってみました。登るにつれて展望が広がっていくのが嬉しいのですが、滑落注意です。登ると東から西まで南側の展望が広がります。写真は坂尻方面です。ピークには坂尻四等三角点(394.78m)があります。

間違えずに北に降りると、歩きやすい尾根になります。ピンクテープのマーキングが続いていますが、テープから次のテープが見えるとは限りらないので、方向を決めるのにはあまり役に立ちません。しかし迷う所はあまり多くないでしょう。尾根に大きな岩のある所は、巻き道があります。岩の多い尾根です。特に460mピーク(古天神山?)の岩は大きく、正しく北に向かうのに苦労しました。ちょっと降りると植林の中に赤い矢印型の「火の用心」が3枚あって、44,45,46の方向を示しています。ここからは関電の巡視路なので安心して歩けました。ここに立っているのは奥多々良木線45鉄塔です。さらに北に歩いて少し登ると播磨中央線の鉄塔がありました。番号は確認してありませんが、77でしょうか。さらに巡視路を歩いて、和田村三等三角点(596.41m)へ行くことができました。ここは高釣瓶と呼ばれるらしく、さらに北へも行けますが、天候が怪しかったのでここから下山することにしました。ありがたいことに三角点から巡視路が尾根を降りて行っています。まず播磨中央線75鉄塔があり、さらに巡視路が続きます。急峻な尾根なので、黒いプラ階段がありがたく思えました。ジグザグに、時として岩の中を抜けて降りていきます。ネットがあるなと思ったら奥多々良木線43鉄塔がありました。「よう壁転落注意」と書かれた札が立っていました。この先も急勾配の尾根を降りて、最後は植林を抜けると、林道に出てきました。あとは手入れの行き届いた美しい植林を抜けて坂尻まで戻りました。

あまり高い山の登山ではないのですが、暑く湿度の高い日で、風も弱かったのでとても疲れました。冬がお勧めです。展望は意外とあちこちでありました。山の名前等は、ほぼ同じコースを歩いているこちらを御覧ください([1])。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

2014年8月31日日曜日

美作大原の星祭山

なんと読むのか分かりませんが、「ほしまつりやま」で良いようです([1])。地形図で名前を見て登りたくなりました。登り口は山の南の酷道429号線沿いの笹岡で、尾根の先を上がった所に墓地があるので、そこから山に入りました。この墓地も古い墓が多く江戸時代中期のものがあります。登り始めた尾根は竹と木の混在する藪です。頑張って登ると主尾根に出ました。こちらは木の間が広くて見通しが良く、太い木にゴムチューブ(?)が巻いてあり、平成19年と書いた札が下がっていました。

尾根を北に歩くと、東側から道が上がって来ました。この道は広いのですが倒木が多く、歩くのは容易ではありません。432mピークまで行くと、小屋がありました。東屋と呼ぶほど洒落たものではなく、トタン屋根ですが、座って休めます。小屋の脇に落ちていた道しるべの残骸には「竹山城跡」「町民グランド」と書いてあるようで、遊歩道であることが分かりました。この北は防火帯のような広い切り開きですが、荒れ気味です。階段も作られています。

430mピークに来ると遊歩道は東に降りて行きます。正面のピークに登ると、中国電力の通信塔の跡がありました。金網で囲まれた場所があるだけです。そのまま北に尾根を歩いても良かったのですが、遊歩道が何処に行くのかも見たかったので、遊歩道を降りて行きました。じきに北側に舗装道路が現れて合流しました。合流点にには「町民グランド」の道しるべがありました。「武蔵の里遊歩道」だそうです。この先は竹山城趾となります。

城跡でアンテナ群を鑑賞してから(現在工事中なのは「消防救急デジタル無線設備」のようです)尾根に戻りました。通信塔跡へは戻らず、舗装道路を降りて行き、尾根に鞍部で接近した所で尾根に戻りました。これは正解だったと思います。ここからはひたすら星祭山に登りました。急斜面ですが所々に作業道の跡があります。560mまで登り切ると、NHKの高い電柱のようなアンテナが立っていました。「桂坪立石テレビ共同受信設備」だそうですが、おそらくアナログ用です。ここから山頂までは荒れた植林です。575mの山頂は北側の木が切られていて、展望があります。写真の正面は日名倉山です。実は山頂は不明確で、少し先の荒れた尾根が580m+の最高点となります。

下りは西側の尾根にしましたが、登って来た尾根より荒れています。南西に尾根を歩くと、550mの所で尾根が二つに分かれています。行きたいのは正面で、西に少し行ってから、植林の急斜面を降りました。見通しが良くて下まで見えたので安心して降りられました。このへんからは歩き易くなり、川上三等三角点(491.40m)を通りました。平坦な尾根の端には草地があり、共同アンテナの跡のようです。最後は急斜面を降りると墓地の上に出てきました。降りると人家の庭先でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「古町」です。

2014年8月30日土曜日

船谷から登る建屋山

建屋川東側、石ケ堂古代村の後ろに聳える山を建屋山と呼ぶようです。建屋川と円山川に挟まれた山並みの中では最も高い山です。今日は建屋川沿いの船谷から登ってみました。

船谷の日枝神社の少し南から農道を歩きました。田んぼや畑に沿ってジグザグに山裾を登っていきます。地形図で実線が破線道になるあたりに「船谷区民グランド」という、ゲートボールくらいならできそうな広場があります。地形図ではその先で破線道が分かれ、川を渡って東の峠に向かっていますが、ここに橋が見当たりません。川幅は広くないので石を伝って渡りました。かつて橋が架かっていたかも知れないコンクリートのブロックがありました。ここからは植林の中をほぼ水平に進む作業道があり、地形図の破線道と一致します。しかしこれが峠まで続いている保証はないので、登りやすそうな尾根まで来た所で登り始めました。この尾根はやや急勾配ですが、障害物はありません。頑張ってしばらく登ると少しなだらかになってササが生えています。ここを過ぎると尾根に出ました。尾根の東側には地形図では畑の方面から道が来ていますが、尾根には3本のパイプが水平に走る、公園や工事現場にありそうな柵がありました。確かに鹿は通れないかも知れませんが、鹿避けとしては見たことがありません。柵の向こう側は草が茂っています。

ここからは尾根伝いの登りです。ちょっと登ると細いトラロープが尾根沿いに張られていました。登山用には見えなかったのですが、境界を示すためでしょうか?ここからはちょっと岩が増えて、また植林になり、金属プレートの毛坂四等三角点(620.22m)に出てきました。周囲は植林されていますが、展望はありません。ここから建屋山までは、何箇所かやや急勾配がありましたが、歩きやすい尾根でした。たまに展望もあります。植林にはカラフルなビニールの紐が結び付けられています。最後に急斜面を登ると、建屋山山頂に出ました。建屋二等三角点(855.78m)があります。かつては測量用のやぐらが組まれていたようですが、今は跡形もありません。ここも周囲は伐採されていますが、展望はあまりありません。アシビが茂っています。

下山は西の尾根を下りました。植林なので下草もなく、気分よく歩けました。尾根は分岐が多く、どちらへ向かうかで降り立つ地点が変わりますが、とりあえず一番歩き良さそうな尾根を降りて行きました。途中で能座のヒダリマキガヤが見えました。798mピークを通り、659mピークを通り、その先の590m+ピーク付近では西に降りて445m地点へ向かう尾根が地形図では楽そうなのですが、はっきりした尾根が見つからず、南に真っ直ぐ降りました。この付近はやや急峻ですが、降りられます。しかし標高400m付近で地形図で等高線の幅が狭い付近は急勾配であるだけでなく、尾根に岩があります。これを避けて降りるのですが、斜面は非常に急峻で、とにかく掴まれる木や岩を辿って降りました。少し降りると尾根にネットが張られており、それに沿って降りて行くと、登ってきた農道に出てきました。登り2時間半、下り2時間でした。

この山は東側には尾根近くまで林道が延びてきており、いろいろな方向から登れそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬竹田」「八鹿」です。

2014年8月19日火曜日

吉川から登るくらます

兵庫県を少し出て、鳥取県のくらますに登ってきました。山の西側の吉川から、長い尾根を歩こうと思いました。吉川の北から耕地の間の道を歩いて、途中で植林に入りました。よく手入れされた綺麗な植林です。やや急な斜面ですが、作業道もあって登りやすく、涼しい風も吹いていたので楽に登れました。しかし植林には終わりがあって、その先は厳しい急斜面でした。とはいえ大した距離ではなく、登れば平坦地で吉川四等三角点がありました。金属チップも埋め込まれているのですが改測となっていて標高が分かりません。地形図上は715.5mです。三角点から先は美しいコナラの林です(写真)。770m+ピークまで登ると北側はまた植林になりますが、植林も美しく枝打ちされており、文句のつけようがありません。ただし長い尾根登りです。958m地点には「山」の字の標石があり、ここを過ぎると再び自然林が増えてきます。そして登り始めて1時間半ほどで主尾根に出ました。

主尾根はいきなり歩きにくくなりました。自然林なのですが間にネマガリタケやササが生えています。ネマガリタケはさほど密集しておらず、間を抜けられる程度なのですが、それでも非常に邪魔です。1146m地点付近は林でネマガリタケは生えていませんが、それ以外の特に木の少ない場所は歩くのに苦労しました。そしてネマガリタケをかき分けて1260m+の平坦地に出ると、ここは木が生えておらず一面にササとシダが茂っています。よく見ると枯れたネマガリタケが残っていますが、枯れても横から槍で刺されるような感じで伸びており危険です。道の形跡は残っていますが、地面はほとんど見えません。水溜りもあります。日差しも強いので急いで南の林に入りました。ここを登るとまた木のない、今度はススキで覆われた場所があり、ここがくらますの山頂です。中央付近に岩がありますが、そのやや南に天狗岩三等三角点(1282.13m)がススキに埋もれていました。

下山はまず南にネマガリタケの尾根を歩きました。少し降りるとシダやササになりました。1144mピークまで歩こうかと思ったのですが、少し雲行きが怪しくなったので、西に尾根を降りました。尾根と言っても最初は斜面を降りるだけで、方向が定まらず、何度かトラバースしてやっと目的の尾根に乗れました。この尾根はかなり急勾配で、土も崩れやすく、降りやすいとは言えません。しかし、しばらく降りると美しい植林になり、途中からは作業道で楽に降りられました。ただしこの作業道は林道の脇の高さ3mくらいの所に出てくるので、降りられません。植林の中を少し南に歩いて、コンクリート舗装の林道に降りました。この林道は平成9年完成となっていますが、面白いことに降りて行くと途中から未舗装になり、普通乗用車では走れないような道になりました。最後は立派に舗装された幅広い林道に出ますが、分岐点では粗末な林道に見えました。あとは吉川までこのスーパー林道(県道72)を歩いて帰りました。

気持ちの良い登りでしたが、標高差は700mありますし、主尾根を歩くのは根気が要ります。あなどれない山でした。途中で少し氷ノ山や隣の大ボウシが見えました。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「岩屋堂」です。

2014年8月14日木曜日

大屋富士から御祓山

養父市大屋市場の東にある大屋富士は通りすがりに大きな山だと思っていたのですが、[1]を見て登れることを知り、御祓山まで縦走することを思いつきました。ただし帰りのことを考えて大屋富士への登り口は南西に延びた尾根の端にしました。少し坂を登るとデイサービスセンターがありますが、この東側から藪に入りました。川沿いに土手のような場所が続いており、それを登って行くと尾根に続いていました。この尾根は急勾配ですが下草の無い自然林です。大きな木の根がたくさん地表に張っているので、躓かないように登って行きました。途中でやや平坦になる所もあって、一息つけます。特徴のない342mピークを過ぎて、まだまだ急坂が続きます。気温は高めでしたが、少し登ってからは気持ちの良い風が吹いていて、休みながら登りました。周囲が松からコナラに変わってきたと思ったら尾根が岩で塞がれていました。標高480m付近ですが、一瞬大岩に行く手を阻まれたかと思ってぎょっとしましたが、よく見ると小さな岩が集まっているだけなので、登っていけました。岩の間を抜けると、岩だらけの急斜面にコナラが生えている、なんとも良い雰囲気の場所に出ました(写真)。雰囲気は良くても急斜面が続きますが、すぐに平坦地に出てきました。同時にネットも現れましたが、ネットの東側は松が多く、植生がだいぶ違いました。。

山頂は平坦で、これがこの山に富士山的な形を与えています。自然林ですが木の間隔がやたらと広くて、開放感があります。ただし広くて平らな山頂なので方向が分からなくなりました。共同アンテナの残骸を見つけてから、ちょっと戻って上山三等三角点(598.19m)を見つけました。ここからは東に歩きましたが、場所によっては藪もあって歩きにくくなりました。[1]にある神社跡は未確認です。東の600m+の2つのピークは植林で、ここも良い雰囲気でした。さらに御祓山まで縦走を始めると、尾根にネットが張られていました。よく見るとネットの南側に道があったので、道を歩くことにしました。この道は尾根の南側に付けられています。尾根に上がってもネットがあるだけなので、しばらくは道を歩きました。631mピークに向かう付近からは南側は植林となり、ここは尾根を歩きました。道はどこかに行ってしまったようです。尾根は枝が邪魔ですが、足もとは問題ありません。そして680m+ピークで南に折れて下った所で北からの林道に出会いました。ここまで車で来れるようです。その先の680m+の小さなピークで道は両側に分かれ、北側の道は下って行きました。南側の道はしばらく続いた後に終わっていました。ここからは御祓山まで粛々と登りましたが、750m+ピーク手前の坂と、さらに御祓山への坂は急勾配でした。

御祓山には糸原三等三角点(773.13m)があり、周囲は少し開けていますが、展望はほとんどありません。ここにも共同アンテナの残骸がありました。下山は[2]に歩きやすいと書いてあったので、750m+まで急坂を降りて、西に延びる尾根を歩きました。最初は急勾配でしたが、一旦なだらかになると、後はとても歩きやすくなりました。周囲は広くなだらかな場所が多く、植林もありますが、自然林も豊富です。少し降りると尾根に溝があり、明らかな道になりました。北の谷に降りる道は確認できませんでしたが、道もしくは道らしきものは途切れつつもずっと続き、勾配が緩いこともあって歩きやすい尾根でした。442mピークから西に降りたところには広い木のない場所がありますが、道が上がってきている様子はありません。そのまま西に歩くと、気持ちの良い植林の中に糸原上ノ山四等三角点(345.51m)がありました。この付近には「上山」「上ノ山」という三角点が3つもあります(「東京奥山」という不思議な名前の三角点もあります)。ここからは北の尾根を降りて、産霊神社に降り立ちました。

所要時間5時間ほどでした。登山コースではない割には途中でやや飽きてくるほど歩きやすいコースでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年8月12日火曜日

明延から登る明延山

2012/09/22に青菜川から明延山に登った時に、明延方面の尾根が歩きやすそうだったので、明延から登ってみました。この尾根の先は、あけのべ自然学校の前まで延びているのですが、地形図で見ても、実際に見上げても、尾根の先からは登れそうもありません。そこで一計を案じて県道6号線を南に歩きました。地形図で見るとこの道は一度斜面を斜めに登って大きくUターンしています。急斜面の上まで行っているので、そこからなら歩きやすそうです。Uターンまで行くと工事をしていたので、もう少し先まで歩きました。地形図どうりに山側はコンクリートで固められていたりして登れませんが、僅かに登れそうなところがあり、そこから急斜面を登りました。意外と足もとがしっかりしており、植林の斜面を登れました。登った先は地形図で見るとやけに平坦な場所ですが、特に何かがあるわけではありません。そしてやや急な尾根を登って行くと、550m+のピークに出られました。そこから少し北に戻って、朝見四等三角点(536.42m)を見てきました。「点の記」もUターンから登っています。

朝見三角点から明延山までは、三菱の黄色い杭のある穏やかで歩きやすい尾根です。標高590m付近まで登るとネットがあり、東側は伐採地です。さらに640mまで登ると明延鉱山跡を上から見ることができます(写真)。673mピークは周囲とちょっと植生が違っています。最後はちょっと急な坂を登ると平坦地になり、明延山山頂に着きました。明延山三等三角点(786.35m)があり、開けた場所です。南側に広く展望が広がっています。栗の木に緑の実がたくさん付いていました。なおこの山には量見山という名前もあるようです。

明延山からは尾根を東に降りて、地形図の破線道を探しました。破線道を使わずに尾根を北に歩いて下山することも可能ですが、最後が急斜面で、しかも台風で増水した川を渡る必要があるので、谷道の破線道を探しました。この付近の地形は最初はよく分からなかったのですが、650m+の場所が小高いピークになっており、その先が破線道のある谷でした。当然のごとく道はありません。かつては道があったと信じて植林の谷を降りました。最初は水がないので谷底を歩きましたが、すぐに水が流れるようになったので、V字の斜面をトラバースして降りるはめになりました。なんとなく作業道があるようで、ところどころで消えているものの、辿ることができました。何度か川を渡るのですが、ほぼ間違いなく歩きやすい側に渡れたので、おそらく道だったのだろうと思います。谷が合流して北東に向きを変える地点にはネットがあり、ここからはかつては幅の広い道があったようです。しかし現在は土石流で流された荒れた谷になっており、道もほとんど残っていません。相変わらず深い谷なので斜面を歩くのは困難で、川を渡りながら歩きやすい場所を探しました。おそらくこの歩きやすい場所がかつての道なのですが、斜面が崩れていたり背の高い草が生えていたりして、結局は藪漕ぎです。石は濡れていて滑るので、流れを渡るときには気を付けなければなりません。これが800m近く続くのですから、根気が重要でした。立入禁止の洞窟(坑道には見えない)のある場所からは少しマシな道になって、ようやく林道七拾枚線に出てきました。破線道をたどり始めてから1時間近くが経過していました。あとは鉱山跡を見上げながら明延に帰りました

下山はもっと楽なルートもあったと思いますが、降りてみないと分からないというのが困った点です。地形図では、798mピークの先まで行ってから北に尾根を降りて今回と同じ地点に出てくるのが、一番楽そうに見えます。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「大屋市場」です。

2014年7月26日土曜日

明延から登る富土野山

富土野と明延の間にある日本分水嶺の山並みを、明延から歩いてみようという試みです。登り口は明延の明延トンネルにしました。北側からトンネルの南側に上がれます。トンネルが竣工したのが1991年とのことなので、その前は尾根を越える道があったのでしょう。今は荒れていますが、地形はそんな感じです。そこからトンネルの上を通って尾根を登り始めました。南側から電柱が登ってきて、尾根を上がっていました。やや急斜面ですが、海抜400m付近で電柱は終わっていました。近くに金網があったのですが、害獣避けだろうと思って通り過ぎました。

この先はしばらく楽な尾根ですが、500mが近づくと徐々に岩が増えてきます。この付近の岩は苔が生えていると木のように見えます。急登で570m+ピークまで登ると西向きの平坦な雑木林の細尾根になります。歩きやすいのですが、だんだんに尾根が細くなり、右下を見るとピットがありました。鉄条網で囲われているとはいえ、壊れている箇所から入れます。穴の近くに行って覗きこむ勇気はありませんでしたが、直径5mくらいの立坑です。さして深くもなさそうで、底に横穴があるのかも知れません。この付近の尾根はかなり削られたようです。付近には他にも有刺鉄線で囲われた場所があり、最初に気付かずに通った電柱の終わった所にあったのも、坑道だったかも知れません。

ここから急勾配の斜面を登ると、古屋四等三角点(674.03m)のある尾根に出ます。周囲は植林となります。気持ちの良い植林を南西に歩き、その後もずっと歩きやすい尾根が続きました。最後にちょっと登ると、分水嶺の主尾根に出ました。少し行くと大路四等三角点(822.34m)がありました。ここからは分水嶺を南に歩きましたが、藪っぽいところや迷いやすい所もあります。2011/05/05には逆方向に歩いているのですが、迷う地点が違います。小さなピークが続くので、登りも何箇所かありました。そして最後に急勾配の斜面を登ると、富土野山の頂上でした。古屋山三等三角点(759.91m)があります。周囲は植林と雑木林といろいろですが、2011/05/05に登ってきた西の尾根が一番きれいな林でした(写真)。

富土野山からは東の尾根で下山しましたが、どちらへ降りるかだいぶ悩みました。とりあえず降りてみたのですが、650m付近は伐採地となっており、倒木の間にシダが茂っていました。日差しが強いので、結局少し南の尾根を歩きました。この尾根はしばらく平坦ですが、600m付近は倒木の多い急斜面で、その後500m付近では尾根が東に曲がっていました。少し降りてから北に進路変更すればよかったのですが、急斜面を覚悟していたこともあり、そのまま東に降りてしまいました。ここは足もとが崩れやすくて危険な斜面です。そのうちに斜面の岩場にワイヤーロープが縦横に張られているようになりました。下の道路に岩が落ちないようにしたのだと思いますが、ひどく急な斜面です。最後は掴まる木もなくなって、斜面にあったロープを使って降りました。ところが道路(県道6号)に近づくと、道路の上にタイヤが一杯並べてあります。よく見ると斜面を落ちてきた木や岩を止めるための防護壁です。これがあると道路に降りられないので、斜面を北にトラバースして、防護壁の終わった所で道路に出ました。この下山は不正解です。

下山は伐採地を抜けて植林の中を降りるべきだったと思います。それ以外は、全体に急斜面はありますが、歩きやすいルートでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年7月21日月曜日

カニワ口から皆河三角点ダイレクト

雪彦山には何度も登っていますが、今回は尾根伝いに皆河三角点まで行こうという計画です。

千寿の水のあるカニワ口から、立入禁止の禁を破って県道430号線を北に入りました。国土地理院の地形図では黄色く塗られている道ですが、未舗装ですし、2009/11/21に歩いた経験では、途中でなくなっています。これを登って行くと、堰堤があります。前回はここから谷を歩いたのですが、ここに8,9と番号の書いてある赤い「火の用心」が立っています。ひょっとしたら巡視路で登れるのではと思って行ってみました。しっかり作られた道ですが、結局前にも来た木の橋に出てしまいました。ここで川を西に渡ると、登りたい東側の山に登れません。結局堰堤の方に戻りました。急斜面で登りづらい山ですが、岩の突き出ている所が少し登りやすそうだったので、そこから登ってみました。急斜面に植林の倒木が転がっており、灌木も多いという悪条件です。斜面を横に移動しつつ、登りやすそうな場所を探して登って行きました。足元は割としっかりしていましたが、とにかく急斜面です。15分ほど悪戦苦闘して、少し勾配が緩くなってくると、木にピンクテープのマーキングがあることに気が付きました。地籍調査の杭の上に付けられていますが、杭は斜面に真っ直ぐに付けられています。ということは下から上がってきているはずです。一番下は県道となりますが、県道から見上げた植林にはピンクテープは見当たりません。いずれにしても、この斜面を登るなら堰堤の手前の植林から登るのが一番無難のようです。

ピンクテープに従って真っ直ぐに植林を登ると、677mピークから西に伸びる尾根に出ました。この尾根はやや藪っぽいのですが、登って行くと岩が増えてきます。そして出てきた677mピークから先は、平坦で歩き易くなりました。700m+ピークには2つの赤い「火の用心」が立っており、9と10となっています。つまり、西カニワ渓谷から9鉄塔に登り、ここへ上がってくるルートがありそうです。10鉄塔に向かう途中で、林田四等三角点(697.64m)を見に行きました。周囲は平坦地で、シダの中に埋まり気味です(写真)。ここから鉄塔までは平らな植林の尾根でした。播磨中央線10鉄塔は、尾根の少し南寄りに建てられています。鉄塔はネットで囲まれていますが、東側の入り口の所に角をネットに引っ掛けて憤死した雄鹿の白骨が残っていました。関電の巡視員がもう少し頻繁に訪れていれば助けられたかも知れません。この後は平らになったり上り坂になったりの繰り返しです。特に標高870m付近には巨大な岩が尾根に居座っています。さいわいに南側を巻いて登れましたが、一瞬ぎょっとしました。この先には倒木地帯がありますが、巻いて進めました。山頂には西を向いた安富反射板が立っています。皆河三等三角点(915.68m)もあります。正面には姫路市最高峰(峰山とはこれのことか?)が見えます。この付近のネットは補強工事中のようでした。

ここからは宍粟市の姫路市の境界を歩きますが、ネット沿いに歩いていると北に向かってしまうので、ネットから南に出て藪っぽい道を歩かねばなりません。道に沿って地上に続いている黒いプラスチックの布(フィルム?)は、鹿避けの柵として作られたもののようで、ずっと続いていました。アシビなどが生えすぎて迷いやすい道を歩いて行くと、道標に出ました。北は峰山、南は鉾立山・雪彦山、今来た道は大かつらの木・千寿の水です。ここからは紅白の播磨中央線13鉄塔を過ぎ、通称鉾立山、雪彦山四等三角点(915.14m)のある雪彦山を通り、鹿ヶ壺方面に下山しました。以前にも歩いた道ですが、記憶よりも狭く、灌木が伸びてきているのかも知れません。なお、千畳平・鹿ヶ壺への分岐は、地形図とは場所がかなり違っていて、ちょっと悩みました。あとは舗装された道で車まで戻りましたが、途中に「ハイキングコース かつらの木へ」という道があったので行ってみました。非常に急な斜面に階段が作られていましたが、肝心のカツラの木は見落としました。帰ってきたら、カニワ口は子供の水遊び場と化していました。

この登りはかなりの体力を要します。天候も良く気温も低めだったので登れましたが、コンディションが悪いと危険かもしれません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「寺前」です。