2015年3月28日土曜日

氷上町の御水山と安全山

氷上町成松の北には安全山という名前の山があります。下から見上げるとアンテナ山で登る気にはならなかったのですが、調べてみると面白そうな山なので登ってみました。山頂まで舗装道路があるのですが、まずは西の方の山に登り、安全山を最終到着地点としました。

氷上町上新庄の北に神社が二つあります。林道(真っすぐ歩けば、後で出てくる穴地蔵に行けるはずです)の東側にあるのが高井神社で西側が若宮神社ですが、若宮神社の裏手の斜面を登りました。植林を避けてガレ石の多い所を登りました。勾配は地形図の通り急でしたが、意外と楽に尾根に上がれました。尾根は切り開きがあり、軽快な尾根歩きを開始しました。自然林も植林もありますが、どちらも歩くに困るようなことはなく、藪もありません。383mピークから立身山四等三角点(452.64m)まで軽快に歩き、さらに尾根を登り進みました。この付近は黄色い「上新庄共有林界」というプラ杭が目立ちます。「上野」という赤い杭もあります。「境」という標石がたくさんあります。標高650mまで達して東から来る尾根と合流すると「幸世村直営地界」という標石が増えました。そして700mを越して、地形図でくの字に曲がったピークに出ました。ここも幸世村直営地のようですが、北側のピークまで行くと「御水山730M」という札が立っていました。実は三角点からこのピークまでは2014/05/17に登っているのですが、その時はこのピークは水山ということにしていました。

730mピークからは引き返し、東の尾根を降りました。こちらも幸世村直営地の標石とともに道があります。561mピークを過ぎて坂を降りて行くと「穴地蔵」への道標があったので行ってみました。斜面に付けられたほぼ水平な道を歩いて行くと、大きな岩の穴の中に安政二年の石仏が置かれていました。ここへは北の井中から道があるようです[1]。さらに安全山を目指して歩くと、途中の470m+ピークは展望台となっていましたが木々が茂りすぎてあまり展望はありません。そして440mピークには金属製の四等三角点がありました。No.114536ですが、国土地理院の基準点成果等閲覧サービスには載っていないので、名前は不明です。452mピークに上がり、激下りすると鞍部に出ました。ここからちょっと急な上りがあって、その上に絹山三等三角点(537.31m)がありました。そして少し藪っぽい尾根を抜けると安全山のアンテナ群が現れました。KDDI、NHK、丹波市消防本部、関西民放と多彩ですがNTTは未確認です。山の名前にあやかってか「全国産業安全祈願碑」もあります。良い山名を付けたものです。安全山からは地形図どうりに東に降りる道があるようですが([1])、アンテナがどっかりと東側を塞いでいるのと、遠回りになるので、コンクリート舗装の道を降りました。山頂から少し降りたところの道路脇が崩落しており、ブルーシートがかかっていますが、崩落して木がないために素晴らしい展望が得られていました。霧山や向山などが一望できる最高の展望地でした(写真)。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は[黒井」です。

2015年3月25日水曜日

氷上町の霧山

カッコ良い名前のこの山は、日本一低い日本分水嶺のすぐ近くにあります。麓の二宮神社から登る道もあるようですが、長い尾根を縦走してみようと思って、登り口はこの山並みの一番南、石生交差点のところにある行者堂にしました。標高121mだそうですが、ちょっと登るといきなり視界が広がります。北に下ると鯉寄坂だそうで、登山道が延びています。また登ると開けた場所に出てきますが、ここは城山と呼ばれ、その名の通り城跡のようです。石生四等三角点(197.78m)があります。

城山からは三角点の後ろ側の道を降ります。Docomoの向山アンテナの方に降りると、長者稲荷に下山してしまいます。この道は「分水嶺の径」で、急勾配の所にはトラロープも張ってある、整備された登山道です。この先は「カンジョウ坂」を通り、NHKの氷上石生テレビ中継放送所がありますが、おそらくもう使われていません。横田山古墳の標識もあり、共同アンテナもあります。その先に「高速トンネル上」への道標があったので少し行ってみましたが、下山してしまうようなので戻りました。次は高圧線の鉄塔で、黒井支線1号鉄塔です。1号というのは、このすぐ西側で分岐しているからです。この先も整備された道が続きます。大崎と市辺を繋ぐ大崎坂を過ぎて、愛宕神社参道への道標がありましたが、山麓の神社だと困ると思ってそちらには行かずまっすぐ歩くと、「権現山(愛宕山)349m」に出てきました。ここはピークの先の鞍部なので、戻ってみると愛宕神社がありました。神社の南には大きな岩があり、南側の眺望が楽しめました。

取って返して北に歩くと、349mピーク(ここが権現山でしょう)にはNTTのものらしき東向きの反射板がありました。この先には「野山砦跡」への道標がありましたが、尾根の先の方らしいのでそちらには行かず、分水嶺の径を進みました。次の按分は市部坂です。そして東の天王に降りる道があり、北摂津長田野線102鉄塔があります。次の鞍部にも道があり、その先は直進は天王坂、西へ分岐すると霧山となっているので、西に行きました。霧山の山頂は平らでいかにも城跡です。氷上城が霧山なのか城山なのかは分からないようです。霧山には角の丸くなった氷上二等三角点(371.53m)がありました。アシビが茂っていて、展望はあまりありません。二宮神社への下山道がありました。

霧山からは東のピークに戻って分水嶺の径を北に歩きました。そのまま歩けば天王坂ですが、出発点に帰るのに大回りになるので370m+ピークから西に植林の尾根を降りました。こちらは整備されていませんが道はあります。この下山は正解でした。一旦160m+の鞍部で林道が尾根を越しているのを横切り、次の180m+のピークに上がると、大きな岩に囲まれた大きな穴がピークのてっぺんにありました(写真)。説明が全くないのですが、古墳ではないのでしょうか?さらにそのすぐ先の、地形図に岩のマークのある所にはじっさい大きな岩があり、西側の素晴らしい眺めが広がっていました。そして植林の193mピークを越すと、また林道があり伐採作業が行われていました。この付近は地形図では北に神社が描いてありますが、建物はありません。南に林道を歩き、地形図どうり破線道で下山しました。途中にある神社のマークは戦国時代の武将波多野宗高の碑です。あとは1時間掛けて戻りましたが、経塚があったりして歴史を感じさせる道でした。

分水嶺の径は見るものが多くて楽しめる道でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「柏原」[黒井」です。

2015年3月21日土曜日

黒田庄の天狗山

黒田庄には白山と妙見山というポピュラーな山がありますが、その北側の山に登ってみました。加古川線の本黒田駅から東に黒田庄町黒田を歩くと、「黒田官兵衛生誕の里」という碑が立っています。姫路市民としては納得がいきませんが、この付近の山にかつて黒田城があり、黒田はそこの領主だったそうです。昨年の官兵衛ブームのおかげでこの付近には登山道が整備され、天狗山の手前の346mピークまでは良い道ができていました。途中に見晴らしの良い場所があり、黒田城趾の説明板がありました。さらに登ると「見張り櫓跡」に着きました。ここで登山道は終わりですが、さらに先にも道があります。正面には岩盤が露出した山があり、登れるか心配だったのですが、マーキングを辿ると意外としっかりした道があり、急勾配ではありますが、難なく岩山に登れました。岩盤の上に出てきたので、ここも西から南に展望が広がっていました(写真)。450m+には「黒田」という黄色いプラスチックの杭があるだけですが、天狗山四等三角点(484.24m)のある天狗山にはいくつかプレートがあり、'03.2.8の大柿さんのもありました。

この先は平坦なこともあり、落ち葉を踏んで歩ける尾根でした。マーキングもあります。頑張って急勾配を登ると、557mピーク付近には綺麗に節理で割れた大きな岩がありました。妙見山近くのピーク付近は植林が増えてきました。妙見山には行かず、そのまま東に尾根を進みました。徐々に標高が下がり、植林となりました。「標 造林者氏名 谷川区山林共有林会」などと書いてあり、その下には地図が描いてある石の板が何枚かありました。そして463mピークに登ると、今度は'94.9.4の大柿さんのプラスチック板が下がっていました。ここは竹林山というのだそうです。

ここからは下山ですが、真っ直ぐに尾根を北に歩きました。尾根の形からはこれが一番素直ですが、どんどん急勾配の植林となりました。特に倒木や枝が多いわけではないのですが、急斜面で大変でした。林道を探して降りるべきだったかもしれません。降りた先も人家の裏手でした。谷川に出て、加古川線で久下村から本黒田まで戻ろうかと思ったのですが、2時間近くも列車が来ないことが分かったので結局歩いて戻りました。

官兵衛ブームのおかげで最初は随分楽でした。全体的にも、よく歩かれている山という印象でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2015年3月15日日曜日

上郡の星ヶ峰

播磨自然高原別荘地は、上郡の西側、岡山県との県境に近い山の上に広がる広大な別荘地です。別荘地は登山には不向きですが、東端にある星ヶ峰は東側から登れそうなので行ってみました。

山陽本線沿いの下栗原で線路の下のトンネル(入星谷囲渠)を潜って山側に出ました。道を西に歩くと墓地がありました。ここで左手の害獣避け扉を通ると、天満宮です。まっすぐにも扉があり、そちらへ行きました。自然な感じの谷間で、しばらくは道がありましたが、だんだんどこが道か分からなくなりました。谷間でGPSの感度が悪く、現在位置が分からないまま谷を登って行くと、足元はガレ石が多くなって歩きにくくなりました。左手の山の尾根が近いので、そちらに登ってみました。こうして難なく尾根に上がれましたが、上がってからGPSで確認すると、ここは204mピークの西側でした。

尾根に上がってもあまり良いことはありません。シダが茂っており、204mピークもシダが多いので見に行くのはやめて、大きなシダの群生に突っ込まないように気をつけながら西に藪を登りました。ここも急斜面はなく、東側に少し展望のある場所に出てきました。そこから北向きに尾根を目指すと、今度は北側の安室川沿いが望める展望地に出てきました(写真)。300m+ピークです。このピークを南に歩くと、道が徐々に形をなしてきて、次の300m+の小さなピークを巻いて南に行く道になりました。地形図ではこの付近で最初に見失った破線道が尾根に上がりますが、実際にこの方向から来る道がありました。ちゃんと調べれば道があったのかも知れません。

道はすぐに別荘地帯に入りますが、その前に星ヶ峰の山頂に上がりました。泰山寺山三等三角点(316.70m)があり、東にも西にも展望があります。上郡の市街も、別荘地も見えました。このあとは太山寺付近を歩いてみましたが、下山を考えて南に舗装道路を歩きました。一度南の端まで行きましたが、途中の奥の山池四等三角点(252.82m)は家の建っていない私有地にあって、見つけるのに苦労するくらい埋まっていました。三角点からちょっと北に戻って、東に延びる尾根に行きました。地形図では破線道があり、じっさい道があります。太山寺の参道だったらしく、途中に石仏がありました。この破線道は南の落地の方に行くので、あくまでも尾根を辿ろうと、破線道が南に折れるところをまっすぐ東へ歩きました。しかしシダ藪がきつく、苦労しているときに、尾根の北側に道があることに気が付きました。この道は残念ならが尾根の上は通らず、途中で北の谷に降りていきましたが、尾根の薮がひどそうだったので、諦めてこの道で谷を降りました。時々消えかけますし、ガレ石も多いのですが、とにかく道は続き、無事に下山できました。途中に「谷瀧」(瀧谷という標識もあり、竜谷川という名前もあり?))への道標があったので行ってみました。道は細くなってシダで覆われていますが、最後はお堂に着きました。谷瀧というのは、水流が急勾配の岩をなめている場所のことのようでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」です。

2015年3月8日日曜日

上郡の高嶺神社

上郡の駅の南の山の上に高嶺神社という神社があります。ここを起点に南の山を歩いてみました。神社には山野里の高嶺から登りました。地形図では記念碑の印が描いてありますが、ここに灯籠と鳥居があります。鎖の付いた面倒な扉を開けると、舗装された参道になりました。少し登ると天満宮があり、ここにも鳥居と文久3年の狛犬がありました。この先は急斜面の岩場を登ります。巻き道もありますが、急斜面を登って振り返ると上郡の町が見えました。岩場を登り切って少し歩くと、高嶺神社です。参拝して駐車場の方へ歩き、途中から「みはらし街道」を歩きましたが、展望はありません。車道に戻って駐車場に行き、携帯の中継アンテナを二つ見てから、Docomoのアンテナの脇を通って、ちょっと荒れた小道で三角点を見に行きました。天王山三等三角点(260.05m)のあるピークは展望が良く、西の星が峰の別荘地が良く見えました(写真)。帰りに三脚を持った人と会って聞いたところでは、このピークは鉄道写真マニアには有名なポイントだそうです。確かに山陽本線が良く見えます。

駐車場に戻って地形図にある南への破線道を探しました。結局、「みはらし街道」が車道に戻る手前に木の橋があり、そこから分岐した道がありました。この道は地形図の破線道に間違いありませんが、ひどく荒れています。シダが生い茂り、倒木もあります。シダの中にかろうじて道の痕跡が分かるという程度です。地形図では途中に東に行く分岐がありますが、溝があったので、あれがそうなのかも知れません。南に向かうと藪はさらにひどくなり、遂には道を見失いました。適当にシダを避けて谷に降りると、道らしきものがあったので、東に歩きました。これは地形図どうりですが、最初の小さな溜池の北側に出るまでは藪漕ぎに近い道でした。地形図には南北にも道があるように描いてありますが、未確認です。その後は、溜池の岸に沿って歩いて帰りましたが、この付近は植林です。ちょっと登ってみたのですが、すぐにシダ藪になり、歩くのには不向きな山だということが分かりました。溜池の先は地形図でも実線道ですが、人家の手前に扉があり、鍵が掛かっていて困りました。ちょっと北の川沿いまで行き、柵に出入口を見つけてほっとしました。

後でルートを見ると破線道しか歩いていませんが、破線道が藪のようなものですし、破線道から外れてあちこちの山に少し登ってみたりしたので、4時間近く掛かりました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「上郡」です。

2015年3月2日月曜日

岡山県吉永町の堂後山

八塔寺から南に流れる八塔寺川に、平成2年に八塔寺川ダムが建設されました。このダムで作られた湖の西側にあるのが堂後山です。下から見上げるとマイクロ波の反射板が見えます。地形図には破線道が八塔寺川ダムの下の南谷から延びているので、これで尾根沿いに登ろうと思いました。行ってみると山裾には集会所があり、その脇から山に道が入っていました。ちょうど破線道の位置なので登って行くと墓地がありました。その裏にはしっかりとした柵があって、山には入れません。入り口を探して柵に沿って西に歩くと、結局山から降りてしまいました。その先には害獣避けの扉があり、それも林道の扉は針金が錆びて開けにくく、川沿いに降りて別の扉を開けて通りました。林道を少し歩くと溜池に出ました。溜池の東側には地形図どうりに破線道がありますが、これを歩いて谷沿いに行ったのではつまらないので、途中で東の尾根に登ることにしました。「昭和60年度施行 岡山県林業公社造林地」という錆びた札の立っている所から谷を登りました。かつては道があったと思われる谷で、藪を抜けて少し登るとシダの間に道がありました。これを歩いて行くと、尾根に出ることができました。

尾根道もシダの中の道で、ときどき消えてしまいます。方向が分かればそちらにとりあえずシダの中を歩くと、また道に出会えます。ただし302mピークは幅広く、木が邪魔で反射板も見えないので迷いました。反射板がまともに見えたのは、堂後山の手前の少し平になった付近だけでした。この付近から地形図の破線道は西に曲がってから真っ直ぐ登っています。確かにシダの間の道が西の方に延びていましたが、歩いて行くと堂後山の周囲を巡っているだけのようだったので、地形図の破線道のように無理やり斜面を登りました。大きなシダ藪につっこまなければ、木に掴まって登ることができます。登ると反射板がありました。岡山県堂後山反射板で昭和63年ですからダムの建設時に建てられたようです。特徴は脚長が25mもあることで(写真)、おかげでどこからでもよく見えます。堂後山四等三角点(382.01m)もありました。

堂後山からは西に急斜面を降りて、西隣のピークへ行きました。ここで道が分からなくなったのですが、よく見ると急斜面に赤のマーキングがありました。この先しばらくはシダの中の道を歩きました。地形図で溜池から破線道が上がってくる場所では、上がってくる道は明確ではないのですが、堂後山反射板への標識がありました。そして、その西で地形図で北からの破線道と合流するところで、太い林道に出ました。この付近は林道が数多く作られています。地形図どうりに南西に林道を歩くと、途中にいくつも分岐がありました。そして、和意谷三等三角点(376.19m)の付近は伐採地です。ここから南の山は大規模に伐採されており、南から西向きの展望が広がっていました。さらに林道を南西に歩くと、林道沿いに電柱が立っていて、電線が張られていました。どうやらCATVのようです。地形図で道が実線になってもダートのままですが、下山のために東に曲がりました。ここにはちゃんと東向きの林道がありました。この付近はゴミの多いところです。この細めの林道はすぐに終わってしまいますが、さらに細い道が333mピークの方へ、さらに下山コースに計画していた尾根に付けられていました。この道は310m+の広いピークの付近で怪しくなりますが、そのすぐ下にはまた林道がありました。これで下山できるならラッキーと思って少し林道を北に歩きましたが、なんとなくさっき歩いていた林道からの分岐のような気がしたので、林道は諦めてさらに尾根を降りました。こちらにはあまり良い道はなく、適当に藪をかき分けて歩きました。さらに289mピークに近づくとシダが増えてきて、シダを避けて歩くのに苦労しました。大体シダが一番茂っているのは尾根の一番上なので、少し下の藪の中を歩くことになります。なるべく無理をせずに歩くと、250m+ピークに出てきてました。そのままシダの間を真っ直ぐに降りて行くと、溜池の堰堤のところに出てきました。

後でよく見ると、集会所の脇の八塔寺川の所に、柵に扉があるのが分かりました。これを最初に見つければ、最初からシダの尾根を歩けたのですが。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「日笠」です。