2026年3月15日日曜日

美作市の壬生・塩谷・吉野三角点

 


美作市は広いのですが、これらの三角点は大原から吉野川沿いを南に行った所にあります。大聖寺の北です。まずは壬生の郵便局の付近から東に人家の間を歩きました。ストリートビューの終わりまで行くと、「ナイゲ線林道 完成記念」という平成7年の記念碑があり、その脇に「高林稲荷神社 右道路」という記念碑より古そうな看板があります。少し林道を歩きましたが、すぐに脇の植林に入って登りました。ピークまで登ると平成8年に改築された高林稲荷神社がありました。手水鉢は古そうでした。ここには壬生四等三角点(314.16m)があり、また尼山城とされています[1]


高林神社からは少し林道を歩いて峠まで行きました。ここで笹とトゲのある木の藪を抜けると旧道があり、自然林を南に歩くと植林になりました。370m+ピークに着き、南東に急斜面を降りました。このピークの付近はなんとなく人工的な地形という気がしたのですが、じっさい西の380m+ピークは比丘尼ヶ城とされています[1]。急斜面を下ると地形図では破線道が鞍部を横切っていますが、それらしい道の名残がありました。しばらく平坦な尾根を歩くと、ちょっと登りがあってトタンの波板が落ちていました。東に曲がった付近は真砂土で木が生えていないため東の方向が見渡せました。ここからは尾根に白い荷造り紐が張られており、それに沿って歩きました。徐々に藪っぽくなり、350m+ピーク付近は藪で、降りる方向を見定めるのに苦労しました。しかしこの付近の西側は地面が強化されており、土砂崩れを防いでいるようでした。藪を抜けると再び道があり、自然林を西に歩きました。巻き道がありそうでしたが、少し灌木の邪魔な360m+に登り、南の尾根に降りました。西に曲がると塩谷三等三角点(358.23m)に着きました。自然林に囲まれています。


塩谷三角点から南西に降りていき、西に曲がると長い平坦な尾根になりました。楽に歩けました。途中に杣道が尾根を南北に横切っているところがありました。北側は道が来ているようでした。この先も地形図通りに平らな尾根で、自然林が続きました。この付近の尾根は曲がりくねっており、ときどきGPSの確認が必要でした。標高250m付近からは植林もありました。それにしても平坦で長い尾根でした。標高200m付近になると斜面に段が作られており、人工的な地形になりました。それを降りていくと、道があり、さらに降りると地形図の道がありました。この付近は耕作地だったようです。


道を横切って北の斜面を登ると、1基だけ墓がありました。この付近も段が作られており、登ると平坦地になっていました。削って作ったと思われる広い平坦地で、人工物の跡であることは明らかですが、ここは横山城だったようです[1]。ピークの西の方は倒木のある笹薮で、かなり長く探して吉野四等三角点(195.68m)を藪の南側斜面の上の方で発見しました。三角点を確認したので南の道に降りればよかったのですが、平坦地が東に続いているので行ってみました。平坦地の外れは竹藪で、耕作地だったところは笹薮になっており、藪漕ぎになりましたが、なんとか墓地に出てくることができました。素直に道で降りるべきでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「佐用」です。



2026年3月7日土曜日

西脇市と加東市の境にある婆婆岩

 


西脇から加東市の上鴨川に抜けるしら坂トンネルの付近の山は歩いたことがないので、南から北へ縦走しました。国道372号線を走って御所谷を抜けると左に分岐する細い道があります。地形図ではこの道から山側に入っている短い道があります。行ってみるとこれは分譲地用に作られた道のようでしたが、売れた様子はありません。道の終わり付近から林に入りました。最初は枝が邪魔なくらいでしたが、徐々にシダが増えてきます。その一方でシダの間の踏み跡は見つけやすくなりました。地面を見るとシダが生えていないので踏み跡だとわかるのですが、左右からシダや灌木の枝が伸びて踏み跡を覆い隠しています。こんな状況に今日は何度もあいました。ここは辛抱強くシダをかきわけて踏み跡を登りました。


市境まで登れればシダがなくなって道があることを期待していたのですが、尾根に上がってもシダは生えています。しかしひどい藪ではなく、踏み跡もあるようなので、北に歩きました。ひとつピークを過ぎて鞍部に降りると西から道が来ていました。地形図の破線道です。ここはしら坂峠というらしく、「右上鴨川 左婆婆岩」という道しるべがありました。向かい側には嘉永3年のお地蔵様がありました。婆婆岩には北向きの道しるべがあり、ここからは婆婆岩を目標に歩きました。すぐに展望の良い場所があって西のゴルフ場が見渡せました。この北の378mピークに登る付近はかなりのシダ藪でした。いくつか岩があり、鞍部に降りると「鴨川の郷」と「婆婆岩」の道しるべがありました。トンネルの入口からここに登って来られるようです。そしてその北のしら坂トンネルの上付近に婆婆岩がありました(写真)。調べてみると西脇市のホームページに説明がありましたが[1]、登山道が整備されたのは平成12年だそうで、登山道にシダが茂っているのも納得です。


婆婆岩からさらに北に歩きました。シダは生えているものの踏み跡があって、たまに展望もあります。そして西山ノ北四等三角点(333.92m)に着きました。藪の中で標石を探したのですが見つからず、結局踏み跡のすぐ脇でシダに隠れているのを発見しました。ここで尾根は少し東寄りになり、踏み跡も続いています。しかしシダも続き、327mピークに登る付近ではシダの下に踏み跡を探しました。この先もシダが続きましたが、踏み跡も消えません。西に342m地点のあるピークに登る手前は尾根を横切る道があったかも知れません。そこからの登りはかなりのシダ藪で、ピークに上がって北に向かうと、東斜面には松が生えていましたが、なぜかどれも茶色くなっていました。踏み跡をたどってシダの間を歩いていき、急斜面に出てきました。ここは2017/03/19に北の加東神山から降りてきて、藪が酷いのであきらめた場所なので、無理に登るのはやめようと思っていたのですが、木に白いマーキングがあるので、道があるのだろうと思って登りました。途中でシダが踏み跡を覆い隠していましたが、マーキングに助けられて登り続けることができました。480m+付近まで上がるとシダは無くなり、道もはっきりしていました。良い道で林の中を東に歩き、2017/03/19と同じように谷を降りました。道と呼べるものはありませんが、水は少なくシダも生えていないので、問題なく降りられました。あとは長い林道を歩いて戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「比延」です。



2026年3月1日日曜日

粟賀町の中村三角点から626mピーク

 


神河町の粟賀町から少し東に行って慈増寺の方に行く道に、高峰城跡の案内板があります。まずここに登ることにして、案内板の脇の扉を開けて登り始めました。笹の急斜面を登ると植林です。急斜面ですが、気がつくと道がありました。小さな谷の東側を登っていき、シダの群生の間を抜けて行きます。城趾なので急斜面ですが特に困ることはありませんでした。案内板にある比高130mを登ると高峰城跡に着きました(写真)。「城山山頂」と「高峰城跡」と書かれた板が地面に寝かされていました。


高峰城跡の南側は人工の急斜面で、その先に尾根道が続いています。低くシダが生えていますが邪魔にはならず、登っていくと中村四等三角点(335.84m)がありました。ここにも高峰城跡の表示がありますが、案内板の地図とは異なります。ここから更に南東に尾根を歩きました。すぐに粟賀町が望める展望の良い場所がありました。標高350m付近はシダの多い斜面を登りましたが道がありました。この先も道があるのでシダが生えていても問題なく、426mピークに着きました。東に降りる道があり、そのまま歩くと左右に道が別れていました。どちらも水平に行きそうだったので、真ん中の斜面を登りました。この付近からは植林が増えてきます。やや急な斜面もありますが、楽に登れました。地形図で破線道が尾根を南北に横切っている場所では道は確認できませんでした。そのまま登っていって、植林の中の626mピークに着きました。この付近は2010/08/07に歩いています。


ここで下山ルートを検討し、下方の林道を目指して南西の尾根を降りました。植林は歩きやすかったのですが、急斜面になってシダが生えていると地面が見えず歩きにくくなりました。しかし慎重に降りていくと、林道に出てきました。ここは林道が複雑に交差しており、地形図にはない、西向きの登り気味と下り気味の二つの林道があったので、どこまで続いているのか確認しようと思って上向きの林道に行ってみました。地形図に無いのですぐに終わるだろうと思うと意外と長く続きました。だいぶ前に作られた林道のようですが、歩くには問題ありません。後で調べると、2010/08/07には南の林道を東向きに歩いており、その時には途中で終わっていたようです。ということは、2010年以降に作られたということになるのですが、それにしては荒れ気味でした。


いつまでも終わらないのに驚きながら歩き続けると、登りの途中で出会った尾根の両側に道のある場所に出てきました。両側に道が分岐していたのではなく、ここで林道が尾根を横断していたのです。ここから更に北側の道を歩きました。これも長く続き、地形図で破線道がヘアピンターンしている場所の手前に「此処から先は造林用の仮設道」だと書いてありました。そしてじっさいに舗装された林道がヘアピンターンしていました。この林道は地形図通りで北に降りていき、神崎工業団地の南の道路に出ました。大回りの長い林道歩きの下山でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「粟賀町」です。



2026年2月21日土曜日

南から歩く備前市と佐用町の境の尾根

 


2014/01/25に佐用町向坂から兵庫県と岡山県の県境の尾根を南に歩きました。今回はこれを南から歩きました。前とまったく同じでは面白くないので、まず滝谷神社に行ってみました。林の中のシンプルな神社で良い雰囲気です。「滝谷神社」という鳥居の石の額?が傾いているのが気になりました。神社の背後の道から歩きやすそうな所で北の斜面を登りました。道はありませんが下草はなく、邪魔な枝も多くないので問題なく登れました。ただ、割と平坦な山なので方向が分かりにくく、確認しつつ北に歩くと、東側に伐採地がありました。東に展望があります。伐採地の上を歩いていくと滝山四等三角点(357.32m)がありました。木の枝に隠れていました。ここからは普通なら北西に尾根を降りるのですが、伐採地で眼下に道が見えているので、伐採地の縁を道路を目指して降りていきました。最後は崖になったので伐採地を降りましたが、棘のある枝が多くて困りました。作業道を降りるのが正解だったようです。


道路に降りてから北の斜面を登りましたが、この付近は笹が茂っています。幸いに笹の密度はあまり高くなく、勾配も緩いのでひとピーク越えると道がありました。北の斜面を見ながらこの道を東に歩きましたが大きなシダが茂っていて登れそうなところはなく、結局笹の斜面を登ることになりました。2014/01/25にはここを降りてきたのですが、笹藪だったと書いてあります。笹薮を北に登っていくと道らしいものが現れて、笹も減ってきてやっとハイキングらしくなりました。ここからの県境には基本的には道があります。372mピークを過ぎると南から来た林道の終点があり、その先でも西側に林道が見えました。地形図の林道も東側に見えます。ここから北への尾根は広い切り開きがあります。西に曲がる所には「県境トレール②官公造林碑コース③」と書かれた板があり、矢印は歩いてきた方向のようでした。ちょっと下って登ると奥山四等三角点(431.23m)です。同じ名前の三角点があちこちにあります。共同アンテナの残骸がまだありました。


この先もだいたいは道がありました(写真)が尾根は複雑に曲がっており、GPSで確認しつつ歩かないと間違った尾根に行きそうでした。406mピークでは東から林道が来ていましたが、それを見ていたら南に折り返す道を見失いました。道は明瞭なので、すぐに見つかりました。その先で県境が390m+に上がって南西に曲がる所では、そのまま北に行く道もありました。南西に曲がってすぐの鞍部は杣道が横切っていました。しばらく行くと県境は北に曲がります。ここには2014/01/25に北から歩いてきた広めの道がありました。北向きに「向坂集落へ」という道しるべがありました。ここで県境を離れて、西に歩きました。少し登った後で非常に急な下り坂になりました。これを登れる自動車はないでしょう。道は滑るので林に入って木につかまって降りましたが、降りた先で道は終わっていました。何なのでしょう?しかしそこには切通しを南北に通る道がありました。北は男滝に繋がる道ですが、北は通行止めの標識が立っていました。ここには官行造林記念碑があります。奥山三角点の近くで見た道しるべはこれを意味するのでしょうか?裏を見ると分収率は国が50%、吉永町と三国財産区が12.5%ずつ、加賀美多麻が25%となっています。昭和30年代の話です。ここからは道を歩いて戻りました。このルートは中国自然歩道で、溜池の脇を通る道は林道加賀美線だそうです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」です。



2026年2月14日土曜日

久しぶりの札楽川上流

 


播磨新宮から国道179号線を西に走り、南に橋を渡ると善定という集落に出てきます。南に曲がって札楽川沿いに南下すると、松尾神社という農村舞台のある神社があります。ここに車をとめて札楽川沿いに歩きました。林道が続きます。石切場は立入禁止でした。北側斜面が伐採されているところがあります。そしてさらに奥に行くと大伐採地が南に広がります。ここは2007/01/06には植林だったのですが、2015/02/15には伐採されていました。伐採地の手前の谷には楓池まで50分と書いてありました。お地蔵様も健在です。2007/01/06には伐採地の西の尾根を登りましたが、ネットが張られ中は藪化しているので、2015/02/15と同様に伐採地の西側の道を歩きました。ネットを二回抜けると赤い「火の用心」がありますが、どこを登ったらよいのか分かりません。とりあえずは林道の終わりから踏み跡を探して尾根に上がりました。播磨線二七鉄塔に出ました。ここからは2007/01/06と同じ尾根歩きです。軽快に歩けましたが、標高350m付近で新しい林道が尾根を横切っていました。そして392m地点でたつの市と相生市の市境に出ました。


392m地点からは西に市境を歩きました。かつて道があったようですが、消えかかっています。西に少し歩いてから市境は北に曲がります。少し下っていくと植林の鞍部に出ました。南側は2023/01/15に通りましたが、かつて田んぼだったようで沼地になっています。ここから西の斜面には2023/01/15の逆コースとなりましたが、石積みが30段ほどあります(写真)。昔の黒蔵村の段々畑でしょう。地形図の小さな溜池は石積みの間にありますが水がありません。石積みを見に少し西に寄りましたが、市境に戻って登っていくと468m地点です。この付近の北側の谷は伐採された跡で、ネットで囲まれています。南側は太陽光発電施設の柵があり、谷の奥ではソーラーパネルが見えました。市境の道は続いており、北に曲がります。相変わらず東側にはネットが張られています。軽快に歩けました。488m地点の南で尾根を東に降りました。南側は植林です。そして地形図で札楽川の奥の破線道が峠を越える所には東から来た林道の終点がありました。南側にはネットがあり、<出来形図面>というのが掛けられていましたが、方向がわからず、理解できません。西の杣道に入る入口もありましたが、ここからは林道と並行して東に尾根を歩きました。


尾根を少し歩き、東に降りていくと、林道の終点があり、南谷池の北の堰堤に出ました。この池は水は南の方に少しあるだけですが、もともとは北に水を流せるように作られたようです。南側にも流せるのかも知れません。尾根に上がって東に歩き、奥善定四等三角点(417.43m)へ行きました。それから南に下ると西側には新しい林道があって、車やユンボが停まっており、この付近で切り出し作業を行っているようでした。北側にも林道があって、尾根を横切って合流していました。林道は南に降りていきますが、尾根を歩くと赤い「火の用心」があって、巡視路のようでした。ネットの入口を二回通って、北側のネット沿いに歩くと、播磨線二九鉄塔に着きました。この地点は地形図では破線道が尾根を横切っていますが、その道はありません。さらに東に歩くと北側にネットがあり、次に南側にもネットが現れて、ネットの間の藪を歩くことになりました。387mピークの手前で南側のネットがなくなり、ピークで北側のネットもなくなり、歩きやすい尾根になりました。南寄りに急斜面を降りて、林道があったらそれで降りようと思ったのですが見当たらず、結局尾根を東に歩くことになりました。標高が200mくらいになるとシダが増えてきましたが、ひどく歩きづらいということはありません。160m+のピークから東に降りると水道施設があり、さらに尾根を降りていくと害獣避けの扉があって道路に出られました。ここには「中山寺跡の宝篋印塔と板碑」と、新宮方面を見渡せる東屋があります。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「龍野」「二木」です。