2026年3月1日日曜日

粟賀町の中村三角点から626mピーク

 


神河町の粟賀町から少し東に行って慈増寺の方に行く道に、高峰城跡の案内板があります。まずここに登ることにして、案内板の脇の扉を開けて登り始めました。笹の急斜面を登ると植林です。急斜面ですが、気がつくと道がありました。小さな谷の東側を登っていき、シダの群生の間を抜けて行きます。城趾なので急斜面ですが特に困ることはありませんでした。案内板にある比高130mを登ると高峰城跡に着きました(写真)。「城山山頂」と「高峰城跡」と書かれた板が地面に寝かされていました。


高峰城跡の南側は人工の急斜面で、その先に尾根道が続いています。低くシダが生えていますが邪魔にはならず、登っていくと中村四等三角点(335.84m)がありました。ここにも高峰城跡の表示がありますが、案内板の地図とは異なります。ここから更に南東に尾根を歩きました。すぐに粟賀町が望める展望の良い場所がありました。標高350m付近はシダの多い斜面を登りましたが道がありました。この先も道があるのでシダが生えていても問題なく、426mピークに着きました。東に降りる道があり、そのまま歩くと左右に道が別れていました。どちらも水平に行きそうだったので、真ん中の斜面を登りました。この付近からは植林が増えてきます。やや急な斜面もありますが、楽に登れました。地形図で破線道が尾根を南北に横切っている場所では道は確認できませんでした。そのまま登っていって、植林の中の626mピークに着きました。この付近は2010/08/07に歩いています。


ここで下山ルートを検討し、下方の林道を目指して南西の尾根を降りました。植林は歩きやすかったのですが、急斜面になってシダが生えていると地面が見えず歩きにくくなりました。しかし慎重に降りていくと、林道に出てきました。ここは林道が複雑に交差しており、地形図にはない、西向きの登り気味と下り気味の二つの林道があったので、どこまで続いているのか確認しようと思って上向きの林道に行ってみました。地形図に無いのですぐに終わるだろうと思うと意外と長く続きました。だいぶ前に作られた林道のようですが、歩くには問題ありません。後で調べると、2010/08/07には南の林道を東向きに歩いており、その時には途中で終わっていたようです。ということは、2010年以降に作られたということになるのですが、それにしては荒れ気味でした。


いつまでも終わらないのに驚きながら歩き続けると、登りの途中で出会った尾根の両側に道のある場所に出てきました。両側に道が分岐していたのではなく、ここで林道が尾根を横断していたのです。ここから更に北側の道を歩きました。これも長く続き、地形図で破線道がヘアピンターンしている場所の手前に「此処から先は造林用の仮設道」だと書いてありました。そしてじっさいに舗装された林道がヘアピンターンしていました。この林道は地形図通りで北に降りていき、神崎工業団地の南の道路に出ました。大回りの長い林道歩きの下山でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「粟賀町」です。



2026年2月21日土曜日

南から歩く備前市と佐用町の境の尾根

 


2014/01/25に佐用町向坂から兵庫県と岡山県の県境の尾根を南に歩きました。今回はこれを南から歩きました。前とまったく同じでは面白くないので、まず滝谷神社に行ってみました。林の中のシンプルな神社で良い雰囲気です。「滝谷神社」という鳥居の石の額?が傾いているのが気になりました。神社の背後の道から歩きやすそうな所で北の斜面を登りました。道はありませんが下草はなく、邪魔な枝も多くないので問題なく登れました。ただ、割と平坦な山なので方向が分かりにくく、確認しつつ北に歩くと、東側に伐採地がありました。東に展望があります。伐採地の上を歩いていくと滝山四等三角点(357.32m)がありました。木の枝に隠れていました。ここからは普通なら北西に尾根を降りるのですが、伐採地で眼下に道が見えているので、伐採地の縁を道路を目指して降りていきました。最後は崖になったので伐採地を降りましたが、棘のある枝が多くて困りました。作業道を降りるのが正解だったようです。


道路に降りてから北の斜面を登りましたが、この付近は笹が茂っています。幸いに笹の密度はあまり高くなく、勾配も緩いのでひとピーク越えると道がありました。北の斜面を見ながらこの道を東に歩きましたが大きなシダが茂っていて登れそうなところはなく、結局笹の斜面を登ることになりました。2014/01/25にはここを降りてきたのですが、笹藪だったと書いてあります。笹薮を北に登っていくと道らしいものが現れて、笹も減ってきてやっとハイキングらしくなりました。ここからの県境には基本的には道があります。372mピークを過ぎると南から来た林道の終点があり、その先でも西側に林道が見えました。地形図の林道も東側に見えます。ここから北への尾根は広い切り開きがあります。西に曲がる所には「県境トレール②官公造林碑コース③」と書かれた板があり、矢印は歩いてきた方向のようでした。ちょっと下って登ると奥山四等三角点(431.23m)です。同じ名前の三角点があちこちにあります。共同アンテナの残骸がまだありました。


この先もだいたいは道がありました(写真)が尾根は複雑に曲がっており、GPSで確認しつつ歩かないと間違った尾根に行きそうでした。406mピークでは東から林道が来ていましたが、それを見ていたら南に折り返す道を見失いました。道は明瞭なので、すぐに見つかりました。その先で県境が390m+に上がって南西に曲がる所では、そのまま北に行く道もありました。南西に曲がってすぐの鞍部は杣道が横切っていました。しばらく行くと県境は北に曲がります。ここには2014/01/25に北から歩いてきた広めの道がありました。北向きに「向坂集落へ」という道しるべがありました。ここで県境を離れて、西に歩きました。少し登った後で非常に急な下り坂になりました。これを登れる自動車はないでしょう。道は滑るので林に入って木につかまって降りましたが、降りた先で道は終わっていました。何なのでしょう?しかしそこには切通しを南北に通る道がありました。北は男滝に繋がる道ですが、北は通行止めの標識が立っていました。ここには官行造林記念碑があります。奥山三角点の近くで見た道しるべはこれを意味するのでしょうか?裏を見ると分収率は国が50%、吉永町と三国財産区が12.5%ずつ、加賀美多麻が25%となっています。昭和30年代の話です。ここからは道を歩いて戻りました。このルートは中国自然歩道で、溜池の脇を通る道は林道加賀美線だそうです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」です。



2026年2月14日土曜日

久しぶりの札楽川上流

 


播磨新宮から国道179号線を西に走り、南に橋を渡ると善定という集落に出てきます。南に曲がって札楽川沿いに南下すると、松尾神社という農村舞台のある神社があります。ここに車をとめて札楽川沿いに歩きました。林道が続きます。石切場は立入禁止でした。北側斜面が伐採されているところがあります。そしてさらに奥に行くと大伐採地が南に広がります。ここは2007/01/06には植林だったのですが、2015/02/15には伐採されていました。伐採地の手前の谷には楓池まで50分と書いてありました。お地蔵様も健在です。2007/01/06には伐採地の西の尾根を登りましたが、ネットが張られ中は藪化しているので、2015/02/15と同様に伐採地の西側の道を歩きました。ネットを二回抜けると赤い「火の用心」がありますが、どこを登ったらよいのか分かりません。とりあえずは林道の終わりから踏み跡を探して尾根に上がりました。播磨線二七鉄塔に出ました。ここからは2007/01/06と同じ尾根歩きです。軽快に歩けましたが、標高350m付近で新しい林道が尾根を横切っていました。そして392m地点でたつの市と相生市の市境に出ました。


392m地点からは西に市境を歩きました。かつて道があったようですが、消えかかっています。西に少し歩いてから市境は北に曲がります。少し下っていくと植林の鞍部に出ました。南側は2023/01/15に通りましたが、かつて田んぼだったようで沼地になっています。ここから西の斜面には2023/01/15の逆コースとなりましたが、石積みが30段ほどあります(写真)。昔の黒蔵村の段々畑でしょう。地形図の小さな溜池は石積みの間にありますが水がありません。石積みを見に少し西に寄りましたが、市境に戻って登っていくと468m地点です。この付近の北側の谷は伐採された跡で、ネットで囲まれています。南側は太陽光発電施設の柵があり、谷の奥ではソーラーパネルが見えました。市境の道は続いており、北に曲がります。相変わらず東側にはネットが張られています。軽快に歩けました。488m地点の南で尾根を東に降りました。南側は植林です。そして地形図で札楽川の奥の破線道が峠を越える所には東から来た林道の終点がありました。南側にはネットがあり、<出来形図面>というのが掛けられていましたが、方向がわからず、理解できません。西の杣道に入る入口もありましたが、ここからは林道と並行して東に尾根を歩きました。


尾根を少し歩き、東に降りていくと、林道の終点があり、南谷池の北の堰堤に出ました。この池は水は南の方に少しあるだけですが、もともとは北に水を流せるように作られたようです。南側にも流せるのかも知れません。尾根に上がって東に歩き、奥善定四等三角点(417.43m)へ行きました。それから南に下ると西側には新しい林道があって、車やユンボが停まっており、この付近で切り出し作業を行っているようでした。北側にも林道があって、尾根を横切って合流していました。林道は南に降りていきますが、尾根を歩くと赤い「火の用心」があって、巡視路のようでした。ネットの入口を二回通って、北側のネット沿いに歩くと、播磨線二九鉄塔に着きました。この地点は地形図では破線道が尾根を横切っていますが、その道はありません。さらに東に歩くと北側にネットがあり、次に南側にもネットが現れて、ネットの間の藪を歩くことになりました。387mピークの手前で南側のネットがなくなり、ピークで北側のネットもなくなり、歩きやすい尾根になりました。南寄りに急斜面を降りて、林道があったらそれで降りようと思ったのですが見当たらず、結局尾根を東に歩くことになりました。標高が200mくらいになるとシダが増えてきましたが、ひどく歩きづらいということはありません。160m+のピークから東に降りると水道施設があり、さらに尾根を降りていくと害獣避けの扉があって道路に出られました。ここには「中山寺跡の宝篋印塔と板碑」と、新宮方面を見渡せる東屋があります。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「龍野」「二木」です。



2026年1月31日土曜日

美作市美咲町の盛上山

 


美作市美咲町の吉野川東岸の山並みに登りました。まず高下の近くから尾根端の墓地に向かいました。ここは新しいお墓もありますが、江戸時代のものもあって、かなり荒れています。一番奥には立派な台座があるのですが、何も載っていません。墓地の奥から登っていく道がありました。これは明らかに道で、特に歩きにくいことはありません。ひとしきり登ると230m+ピークに付きました。共同アンテナの残骸があります。北西に少し降りると林道が鞍部を横切っていました。これは地形図にある谷の破線道で、これが実在するので、尾根よりも谷を登ったほうが楽だったでしょう。鞍部からちょっと西に登ると西栄山です。奥塩田三等三角点(235.98m)がありました。


西栄山から和気町と美咲町の町界を南に縦走しました。自然林で木はまばらです。下草はなく邪魔な枝も少なく、落ち葉を踏んで歩けました。ほぼ平らなので軽快に歩きましたが、ちょっと登りがありまた平らになって、281mピークに着きました。ここまで踏み跡がありましたが、ここでも東に踏み跡があったような気がします。東に歩くと別の南北の尾根に出ました。この尾根はさらに広く、道があるのかどうかは不明でしたが、歩くのに問題はありません。ちょっと迷いやすい所もありましたが、少し下っていくと鞍部を仙道が横切っていました。ここで太郎谷三角点へ行こうと、緩やかな斜面を西に登っていきました。この付近は地形が読みにくく、枝も多かったのですが、少し登れば太郎谷四等三角点(276.56m)に着きました。ここは2021/02/27に南西の塩田から来ています。


2021/02/27には太郎谷三角点から今日登ってきた東の方向に歩いていますが、今回は方向を間違えて南東の尾根を降りました。谷まで降りると炭焼き窯の跡が二つありました。この付近にはかつて溜池があったようで、堰堤には木が植えられていましたが、水はほとんどなく沼地になっていました。この先は神田池の北の谷ですが、石積があり、ここも溜池だったかも知れません。この付近は道があちこちあるのですが、とにかく北に戻って2021/02/27と同じように、美咲町と和気町の町境を東に歩きました。植林が増えてきて倒木や枝があって歩きにくくなりました。植林の210m+ピークから急斜面を東に降りると道に出ました。東に曲がっていく方向に「月の輪古墳 大芦高原」の道標があります。2021/02/27にはまっすぐに南に道を歩きました。


町界を歩こうと思って、道路から東に斜面を登りました。いちおう道があるようなのですが、枝を払い続けて斜面を登りました。徐々にシダが増えてきましたが、210m+ピークに登ればシダはありません。しかしピークから降りようとすると藪が多く、北に降りて道を見つけて東に歩いて道路に出ました。この区間は一番藪っぽい所だったので、素直に道路を歩けばよかったのでしょう。道路を渡って、また斜面を登りました。登りきったところで町界は南に行くのですが、このピークの東側は伐採地で、ピークにはネットが張られていました。ネットのおかげか、伐採地では植林が無事に育っていました。見晴らし良好です。東に一度下ってから登り返すと、ちょっとシダがあったあとに盛上山に着きました。向山四等三角点(349.56m)があります。周囲は自然林です。(写真)


盛上山からは北西に出発点に降りる道もありそうでしたが、東にも道がありそうだったのでさらに東に歩きました。これは正解で、落ち葉を踏んで歩ける道がありました。特に330m+ピークの南側は地形図にあるように岩場がありますが、ここも地形図通りの良い道がありました。崩落している箇所にはロープがありました。ここからも南の上山の棚田が見えます。しかしその先の310m+ピークで道は南に行っており、北への道は不明瞭でした。とりあえず枝を避けながら北に歩くと、その先の北への斜面はシダが生えた藪でした。しかし少し降りるとまた道がありました。しばらく歩くと良い道になってきて、62鉄塔への「火の用心」があり、巡視路は東から上がってきているようでした。291mピークには63鉄塔がありますが、まっすぐに巡視路を歩きました。巡視路は北に向かい、植林になって鞍部の東側には林道があります。そこから270m+の植林のピークを歩いたと思うのですが、あとでGPSの記録を見ると地形図のピークの北西の破線道をそのまま歩いたようです。そしてピークの終わりまで来ると西側に南津山線64鉄塔がありました。ここから北西の尾根は巡視路歩きで、65鉄塔の手前には伐採地があって北に展望がありました。190m地点までくると66鉄塔への分岐があり、その先は伐採地で展望があります。この伐採地には肝試しのような急な木の階段があり、これを降りると67鉄塔でした。さらにジグザグに降りていくと墓地に出られました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「柵原」「周匝」です。





2026年1月24日土曜日

久学寺から西谷なごみの森

 

加西市の北条から北上し、万願寺川の支流である芥田川を遡って、突き当りまで行くと久学寺というお寺があります。江戸城の事件が起きた時に大石内蔵助が碁を打っていたというお寺なのですが、この付近は赤穂藩の飛び地だったそうで、お寺の近くに「大石内蔵助ゆかりの古道」があります。これが2011/12/29に茅野三角点から西谷なごみの森へ歩いた時に見かけた久学寺への道だということに気付いたので、歩いてみました。


古道には違いないのでしょうが、最初から荒れた登山道という感じで、倒木がありました。谷を登ってからターンすると、久学寺の東側の非常に高いコンクリートの壁の上に出ました。地形図ではここからまっすぐの登りですが、古道ははっきりしません。ときどきマーキングがありますが、間違えそうになったこともありました。道でなくても登れるのですが、なるべく道を探して尾根まで登ると東屋がありました。道しるべでは休憩舎となっています。ベンチもあります。ここの道しるべは、「久学寺」「休憩舎」「湧き水休息所」「周回コース」ですが、休憩舎と湧き水休息所は同じ方向になっています。


2011/12/29と同じように周回コースを歩こうとすると、すぐに湧き水休息所への分岐がありました。先ほど見た道しるべの方向とは逆なので、見に行ってみることにしました。この道は斜面に作られた登山道で、周囲が植林の間は良いのですが、徐々に木の枝がせり出してきて歩きにくくなりました。棘のある枝も多く、大回りしたこともありました。藪の中で道が消えそうなこともありましたが、徐々に下っていくと足元に階段があって、登山道を歩いていることが確認できました。かなり下ったと思ったころにネットに突き当たりました。どうしようかと思ったら、少し手前の木にビニール袋が縛り付けられていて、そちらの方向に戻って下る道を見つけました。この道も消え気味でしたが、ところどころ階段があり、道であることが確認できました。しかしジグザグに曲がるところは気をつけないと方向を間違えますし、藪もあります。そうこうしているうちに登山道は荒れた谷の奥に出ました。この谷を下れるものかと思いましたが、伐採された木の上を上手に歩くとすぐに林道に出ました。そこの道しるべでは、来た方向は周回コースとなっていました。林道は南向きが休憩舎で、北は西谷公園です。後で確認しましたが、この林道は尾根上の東屋(休憩舎)まで達しており、そのためこの谷への道が両方向にあるのでした。ただ、湧き水休憩所がどこにあるのかはわかりませんでした。この林道沿いにあるのでしょう。


林道を降りていくと途中には「中間ルート」への分岐がありました。ここでは林道の登り方向は湧き水休憩所なので、湧き水休憩所はここよりは上流側なのでしょう。まっすぐに降りていけば最近では2025/12/31に来ている西谷公園です。岩場広場の展望台に登って景色を眺めてから林道を少し戻り、2011/12/29に降りてきた道しるべから岩場広場の方に登りました。最初は植林ですが、東側に巨大な岩があります。普通なら岩の下を岩に沿って登りそうなものですが、消えかかっている登山道はシダの多い植林の中をジグザグに登って行きます。最後は岩の上に上がって、少し登るとベンチがありました。ここが岩場広場でしょうか。ここからはジグザグの尾根登りです。少し平らになると、「イヤガ谷西谷」への分岐があり、その先には「西谷展望広場」らしい壊れかけた階段のある展望台がありましたが(写真)、見えるのは東側だけでした。この尾根はかつては展望があったのでしょうが、今は木が伸びているのであまり展望はありません。ツガ林の説明板のある440mピークには「イガヤ谷東平」への道しるべがありました。


登山道は広くなり、遊歩道と呼んでも良いくらいになりましたが、「山並み眺望点」はどこか分かりませんでした。途中にネットが横切っており、2011年には抜けるのに苦労したようですが、もうボロボロだったので楽に通れました。これが先ほど湧き水休憩所への下山中に突き当たったネットのようです。登山道は次のピークを北に巻いていますが、登ると金属プレートの西谷四等三角点(434.34m)がありました。下ると「政鍛冶谷」への分岐がありました。この先にベンチがありましたが、ここでネット沿いに歩くと南に遠坂の方へ行ってしまいます。植林をジグザグに降りる道を見つけて降りていくと、湧き水休息所への分岐があって休憩舎に着きました。久学寺へは登ってきた古道で下山しました。マーキングを見失って適当に降りたところもありましたが、登りよりは道を良く認識できました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「粟賀町」です。