2016年12月29日木曜日

西の尾根から登る西光寺山

何度か登っている西光寺山ですが、今日は西に長く延びる尾根から登ってみました。とっかかりは尾根先の「にしわき中畑団地」付近です。山裾をぐるっと歩くと、害獣避けの扉があり、それを抜けて山に登りました。急斜面の藪で登りにくいことこの上ありません。200m+の小ピークはシダで覆われています。あまり背が高くないので歩けますが、足元が見えません。北西に一旦鞍部まで下がって、ここからが本格的な登りですが、この鞍部に上がって来る道も無いようです。尾根上にはシダの間に踏み跡がありますが、しばしば消えてしまいます。さほど歩きにくくはありませんが、あまり楽しくもありません。木々の間から畑谷川の反対側のゴルフ場が見えますが、展望はありません。秋葉北谷四等三角点(357.29m)は落ち葉に埋もれています。ここへ登って来る前の斜面からは、西脇方面が望めました。三角点の名前から考えると、この南の谷は秋葉北谷というのでしょうか?

三角点を過ぎると標高が高いのでシダは減り、岩が増えました。さほど歩きにくい場所はなく、402mピークを過ぎ、藪を抜けると西光寺山への登山道に出ました。この辺から山頂までは雪がぱらついていました。山頂には西光寺三等三角点(712.71m)と祠、ほとんど読めない南向きの案内板と東屋があります。雪が降っていなければ展望は良好です。

頂上からは南西に尾根を歩きました。こちらは2016/02/06に歩いた方向です。「南無妙法蓮華経 洞ヶ山西光寺諸死精霊」と彫られた昭和2年の石碑がある洞ヶ山(672m)を過ぎ、前回は今田方面に下山した加東市最高峰の加東神山(648m)を過ぎ、「ミルフィーユの岩」という説明のある節理の走った岩を過ぎ、大峯四等三角点(617.99m)に着きました。ここには宇仁山遊会と山崎独歩会の札が掛かっていました。

三角点からは、真西に延びる尾根で下山しました。この尾根はやや幅広で、藪が多いのでGPSで現在位置を確認しながらでないと方角を見失います。尾根を下っていくと、先程の「ミルフィーユの岩」よりももっと節理が強く入った岩が多数あり、まるでナイフのように(ちょっとオーバーですが)起立している岩もありました(写真)。そして徐々にシダが増えてきます。踏み跡が残っている場所もありますが、シダが伸びていて見失いがちでした。背丈よりも高いシダが増えてくるとシダ藪の薄い所を選んで歩かねばなりません。一番平らな尾根上はシダが茂っており、そのような所は尾根から外れた急斜面を歩かねばなりません。岩も多く、灌木も邪魔でかなり危険な下山でした。最後はくの字に曲がった堰堤の所まで来て、南側の小川を渡って地形図の実線道に出ました。あとは実線道で出発点まで戻れました。

下山は工夫が必要だったと思うのですが、この付近の山ではシダ藪を避けるのは難しいようでした。


展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「谷川」」です。

2016年12月24日土曜日

篠山市今田の中口山

中口山は篠山市といっても西のはずれにある山で、黒石ダムの西の山です。中口山の西側はゴルフ場なので、あまり歩く気にならなかったのですが、いちおう地形図に山名もあるので、歩いてみることにしました。

登り始めは今田町黒石の尾根先にある切通しです。急斜面の藪を登ると、笹の生えた尾根に乗れました。ここから長い尾根歩きとなります。しかし少し登って下ると金網があって扉があります。ここが山への入口ということでしょう。扉を抜けると広い尾根となり、歩き易くなりました。ちょっと標高が上がると、この辺の山にはつきもののシダが生えていますが、低いシダの間を少し歩くとまた広い尾根になりました。尾根上は幅広く木が切ってあり、防火帯かも知れません。枝の隙間から少しゴルフ場が見えますが、展望は良くありません。507mピークを過ぎて、ちょっと降りてまた登り、その北で尾根は東に折れますが、幅広い切り開きは北に曲がって、中口山に着きました。山頂付近は身長よりも高い笹に覆われています。しかしほとんど枯れており、切り開きはちゃんとしているので、問題なく山頂に着けました。中口山三等三角点(555.70m)は笹薮の中です(写真)。

山頂を過ぎると笹薮も脱出できます。もう一箇所笹薮がありますが、それを抜けると西光寺山から延びる畑谷川に沿った尾根と合流します。この付近で防火帯のような切り開きはなくなりますが、553mピークを過ぎると北側が伐採されている場所があって、西脇方面がよく見えました。その先も少し藪っぽくなりますが歩きにくいことはなく、571mピークに着きました。

ここからは下山なのですが、黒石ダムに降りると崖がありそうだったので、出発点に近い方に降りることを考えました。571mピークの付近から方向を定めて急な斜面を降りて行きました。斜面を降りて笹が茂っている所を抜け、少し登ると金属プレートのネジキ四等三角点(500.28m)がありました。この付近はかなり藪っぽく、枝をかき分けて歩かねばなりません。そのまま南に尾根を伝って降りるつもりだったのですが、笹薮の密度が高く、歩きやすそうな場所を歩いていくと、そのまま谷に降りてしまいました。谷には地形図では破線道がありますが、それらしきものはありません。しかし見上げると反対側斜面に林道があったので、それで下山しました。

2時間半ほどの山歩きですが、意外と歩き易く、ゴルフ場も気にならないコースでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2016年12月23日金曜日

篠山市今田の虚空蔵山

篠山市南端の虚空蔵山は、山歩きの記録がたくさんネットで見つかるので、人気がある山のようです。その理由の一つは、この山は福知山線の藍本駅から登れて、縦走すれば草野駅に降りられるという阪神方面の登山者の利便性にあると思うのですが、姫路からだと山の東側まで行くのは面倒なので、西側の今田から登ってみました。

登り口は陶の郷で、[1]に詳しい情報があります。遊歩道が整備されていて、1292mの登山道は、関電の巡視路のようです。最初は植林の中を登りますが、急勾配には階段が作られています。途中にはベンチもあります。主尾根に出ると楽なところもありますが、いかにも登山しているという気分が味わえます。この付近の岩はスレート状に瓦くらいの厚さに割れているものが多いようです。と思っていると大きな岩があって、登ると三田の方向がよく見えます。このすぐ上が山頂で、南方面の写真と説明書きがありますが、だいぶ傷んでいるのが残念です。

山頂からは北に縦走しました。縦走路も整備されていて問題なく歩けました。途中で鉄塔への分岐があり、そこからも立杭方向に下山できそうでした。縦走路はいったん北西に降りて、鞍部に出ます。ここには丹南線14鉄塔が立っています。送電線は尾根と並行して走っているので、尾根からはいくつもの鉄塔への分岐があります。この先の草野三等三角点(495.89m)のあるピークは、八王子山という名前のようです(写真)。

この後、今田側への下山はちょっと悩む所です。地形図では破線道が尾根を不思議な場所で横切っています。切り開きのない藪を抜けて行ってみましたが、道はありません。しかし、そのまま尾根を北西に下っていくと、なんとなしに切り開きがありました。そのまま鞍部まで降りましたが、鞍部を横切る道はありません。藪はひどくないので、ここから今田側に降りてみました。ひどい藪はなく、なんとなく作業道に出てきました。この谷は広谷川というようで、堰堤が二つあり、無事に今田町休場に降りられました。

虚空蔵山には聖徳太子が建てたと言われる寺の跡もありますが、これは藍本から登らないと通れません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「藍本」です。

2016年12月18日日曜日

神河町長谷の赤田三角点

播但線の長谷駅から北を見ると、フラットトップの尾根が見えます。歩いてみたいと思って、長谷駅の無料サービス駐車場に車をとめて歩き始めました。播但線沿いに尾根が降りて来ているので、そこから登ろうと思って赤田の集落へ行くと、尾根先は人家となっていますが、ちょっと北に入ると尾根の裾に行きつけます。笹の生えた植林に入り込んで登り始めようとしたら、金網に突き当たリました。金網沿いに東に歩くと、運良く扉があったので、そこから入り込めました。さらにネットが張ってありましたが、壊れた場所から難なく入れます。尾根の端には平らな場所もありますが、すぐに登り始めました。植林なので障害物はありません。勾配もたいしたことはなくて、気持ち良く登れました。最後は自然林になりましたが、木の間隔が広くて問題なくてっぺんに着きました。

主尾根は少し藪っぽいのですが、歩くのに支障はありません。平らな尾根ですが、意外と岩がありました。多少の上り下りはありますが、期待どうりに平らな尾根でした。木が多くて展望はあまりありませんが、木の枝の間から北も南も見えました。一番高い所に赤田四等三角点(578.60m)があり、雪を被った北の山が見えました(写真)。更に西に歩くと尾根が別れており、南側の尾根を辿って植林を降りて、鞍部に出ました。ここには南側から作業道が上がって来ていました。北側の谷は倒木だらけでした。

鞍部からの作業道は地形図の破線道に繋がっています。破線道の終点付近には、本谷池という溜池があります。破線道で谷を降りました。途中から簡易舗装になって、そのまま降りると東のソーラーパネルの方に行くようですが、歩き足りないので西の山に向かう作業道に入ってみました。途中で消えかかる作業道ですが、最後は小さな支尾根に出ました。しかしこれでは下山とは逆なので、西に斜面をトラバースして、南に延びる尾根に登りました。このトラバースは急斜面もあるのでお勧めできません。この尾根は2011/08/14に登りました。今回は下りで、「赤田城趾」の標識から、見張所跡を通り、道標のある分岐から「東の林間広場」に降りました。階段は作られていますが、かなり荒れ気味の遊歩道でした。

3時間ほどで一周できました。気持の良いコースでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「長谷」です。

2016年12月3日土曜日

北から登る丹波市山南町の大部谷三角点

先週の続編です。気持ちの良い山だったので北からも登ってみました。奥野々トンネルを抜けると県道86号線の南に工場がありますが、その先の五霊三角点を南に入りました。これは谷に入る道ですが、未舗装になると害獣避けの扉があったので、その手前に車をとめて歩き始めました。すぐに東側の尾根に登ろうと思っていたのですが、急斜面の藪で、非常に登りにくそうでした。突撃を躊躇しつつ谷の道を歩いていくと、地形図にもある堰堤がありました。かなり古いもののようです。二つの堰堤の南側の尾根を登ることにしました。急斜面ですが容易に登れる尾根でした。そのまま主尾根まで急斜面を登りました。このあとは376mピークを過ぎて、楽に金属プレートの大部谷四等三角点(464.75m)まで歩けました。途中は植林が多く、基の間から柏原が少し見えます。

大部谷三角点からは、北東に歩きました。植林も自然林もありますが、踏み跡がちゃんとあって、歩き易い尾根でした。急坂もありますが、道は付けられています。464mピークには関電の反射板があり、大きな柵が道を塞いでいます。これを過ぎて東に降りる付近は地形図によっては崖のマークが描いてありますが、実際にほとんど崖です。巻いて降りるにしても両側が急斜面なので、マーキングのある尾根を中央突破しましたが、足元が崩れやすく、非常に危険でした。滑落してもどこかでは止まると思いますが、這い上がって来るのは大変でしょう。木に掴まっても枯れ木ばかりですぐに抜けます。写真は少し降りた付近ですが、崩れやすい雰囲気だけは分かるかも知れません。恐る恐る、なんとか降りると小さなピークがあって、その先の鞍部には柏原町と山南町の境界の標識がありました。確かにそうなのでしょうが、両町とも道は怪しげでした。

鞍部から東はまた登りで、歩き易い植林と自然林を抜け、最後は急斜面の植林を登ると、金属プレートの金山四等三角点(501.36m)がありました。ここにはいろいろな杭やポールがあり、「馬頭 502m」という札が掛かっています。昭和43年の「大山」というこの付近ではよく見る円筒も立っていました。ここには2016/01/16に金山に行く途中に通っています。前回同様に北に歩きましたが、今回は金山の方向には行かず、真っ直ぐ北に丹波市と篠山市の境界を歩きました。この付近の植林はちょっと荒れ気味で、間伐材が転がっていますし、藪っぽい場所がありますが、480m+ピークを過ぎて鞍部に降りると道がありました。これは地形図の破線道のように468mピークには向かわず、そのまま西の斜面を降りて行きました。素直にこれを歩くと、尾根に溝が何本も付けられており、それを辿って西に長い尾根を降りました。最後は金網がありましたが、扉に突き当たって、道路に出られました。

464mピークの東の難所は今後もますます崩落が進み、本物の崖になるものと思われます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「柏原」です。

2016年11月26日土曜日

丹波市山南町下滝の大部谷三角点

篠山川の両側には、歩き易い山が並んでいます。これもその一つです。出発地点は県道77号線沿いの、篠場と下滝の間付近です。福知山線と接近して走っているところに山がせり出しているので県道が狭くなっています。この付近の北側は急斜面の植林ですが、それを無理やり登りました。作業道はありますが、崩れている部分が多く、滑落寸前でした。滑落しても下は柔らかい土ですが、服が土だらけになります。木につかまりつつ、なんとか登り切ると、気持ちのよい植林の尾根に出ました。NHKの共同アンテナの名残のようなものがあります。この尾根を東に歩くと、少し降った鞍部を作業道が横切っていました。ここへ登ってくるのが正解でしょう。

さらに尾根を北東に登ると、NHKの共同アンテナがありました。そして315m地点を過ぎ、あまり勾配もなく気持ちよく登って行けました。特筆することもない植林の多い尾根を歩いていくと急斜面となり、登りきると切り開きがあって、金属プレートの大部谷四等三角点(464.75m)がありました(写真)。

三角点の東の植林は、成熟した印象で、木の間隔は広いのですが地面にはほとんど陽があたっていません。広々した暗い尾根を南東に下っていきました。ここはさらに北東に歩く大回りのコースも考えられます。標高250m付近まで下ると西側に作業道が見えました。この付近では東に延びる尾根がたくさんあって、そちらに行きたくなりますが、方向を見定めて尾根を歩きました。少し登ると下滝四等三角点(273.01m)がありました。この付近の植林には「永井」と掘られた杭がたくさんありました。この南は自然林になって少し藪っぽい場所もありますが、最後は金網に突き当たりました。金網沿いに東に歩いて扉を探しましたが、なかなか見つからず、結局北に金網沿いに急斜面を降りて、やっと谷に出入り口を見つけました。

3時間もかからないショートコースですが、手入れの良い植林は気持ちの良いものです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「柏原」です。

2016年11月23日水曜日

桑垣から登る明延山

明延山は2012/09/22に桑垣方面から登っていますが、その時は青菜林道を遡った尾根から登りました。そこで今回は倉床川沿いから登ってみました。

青菜川が倉床川に合流する地点には県道6号線沿いに「桑垣雨量観測所」があります。この裏の山林を登りました。えらく急勾配ですが、作業道があるので意外と苦労せずに尾根まで上がれました。最初は少し藪っぽい細尾根ですが、落ち葉を踏んで気持ちよく歩けました。ただしこの日は小雨で最悪のコンディションでした。しばらく歩くと西側が植林になり、さらに歩き易くなりました。588mピークも667mピークも、さして印象には残っていません。その北では地形図では6号線から林道が登ってきており、じっさいに林道の先が尾根に達しているようなところもありました。そしてネットが張られていると思ったら、養父市と宍粟市の市境に出ました。ここは日本分水嶺です。尾根が伐採されていてシダが茂っていますが、周囲はほぼ植林です。尾根は東から南に曲がって、急勾配を登ると748mピークです。ここからは2012/09/22と同じコースになります。晴れていれば気持ちが良いだろう尾根を登って、明延山に出ました。明延山三等三角点(786.35m)があります(写真)。「量見山786.4m」という札が掛かっていました。三角点名と山名が異なることはよくあることなので、こちらが正しいのかも知れません。

気温が低く風が強く小雨なので休んでいると凍死しそうだったので、すぐに山頂から開けた尾根を下りました。いくつかアップダウンがあり、798mピークに着きましたが、ここで名神山方面には行かず、南西に尾根を降りました。こちらは少し藪っぽくなりますが、724m地点付近は地形図どうり広く平らな尾根です。尾根沿いに降りて行けば、特に迷い易い所はありません。ただし急いでいたので宮島四等三角点は見落としてしまいました。その西では北斜面は伐採されています。そして急勾配の植林を降りると、江戸時代の墓石2基があって林道に出ました。「青菜川源流」の杭が立っている付近です。あとは林道を歩いて桑垣まで帰りました。

吹き付ける小雨でだいぶ痛めつけられましたが、登山コースとしては特に問題はありません。藪もありますが僅かでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」「大屋市場」です。

2016年11月20日日曜日

篠山市の味間山三角点

地形図で丹波地方を見ていて、なんとなく歩きやすそうだったので歩いてみました。場所は味間奥の北側ですが、北の篠山市清掃センターから歩きはじめました。週末は閉まっていますが、門の脇のガードレールを越えて入りました。そのまま道を歩くと清掃センターに入ってしまいそうだったので、慌てて南の谷に降りました。降りると道がありました。これは地形図では実線で描かれています。これを西に歩くと林道山立線に出ました。ここには「出会」という標識がありました。林道を西に歩いて橋を渡ってから北側の尾根に上がりました。谷が植林なので上までそうかと思ったら、尾根は藪でした。しかし西に少し歩くと、切り開きがあって歩きやすくなりました。

割と平らな尾根で、ふかふかの落ち葉を踏みつつ、疲れずに歩けました。空き缶が結構あって日付の新しいものもあります。日付けを見ていて、ひょっとしたらここは松茸山ではないかと思いました。尾根沿いに荷造りテープが張られている場所も多いので、おそらくそうなのでしょう。道は時々怪しくなりますが、しっかりと作られている場所もあります。そのまま丹波市と篠山市の市境の尾根まで歩きました。ここには「昭和45大山」書かれた杭があります。ここも道があって、南に歩きました。430m+ピークを過ぎ、しばらく歩くと410m+の分岐ピークに出ましたが、行くべき方向にはネットが張られていました。ネットを潜って尾根を降りると、東向きの植林の多い尾根に出ました。

こちらの尾根も歩きやすく、紅葉も見られました。その先で地形図では味間奥方面から破線道が来ていますが、確かにはっきりした道になりました。そして味間山三等三角点(438.34m)に出ました。この日は霧が立ちこめた曇り空でしたが、天気が良ければこの付近は気持ち良いハイキングコースでしょう。と思ったら、406mピーク付近の木に張り紙があって、「当山に許可なく入山した者は、厳しく対処すると同時に証拠を添え警察に通報するので了知のこと。なお当山には二ヶ所にマイクロカメラを設置しているので予め周知する」とのことで、受主さんはえらくお怒りのようでした。しかし予定通りに尾根を東に歩きました。破線道は鞍部で南に降りて行ってしまいますが、そのまま東に歩くと、坂を登った所に不思議なものがありました。自然の倒木には見えませんが、ハシゴかベッドか、用途が分かりません(写真)。さらに歩き易い尾根を東に歩き続けると、336mピーク付近は倒木が増えました。その後はやや急勾配になり、斜面をえぐる溝の脇を降りて、最後は植林を降りましたが、金網があったので扉を探して林道山立線に出ました。あとは林道を歩いて清掃センターに戻りましたが、不法侵入は避けようと思って最後は谷を通りました。一応道はあって、問題なくゲートに戻れました。

天候が良ければ気持ち良く楽に歩ける尾根だと思いますが、林道山立線の方から入るのが正解でしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「篠山」です。

2016年11月12日土曜日

丹波市青垣町の大箕山

北近畿豊岡自動車道を北上すると、青垣インターの辺りから北正面に見えている美しい形の山が大箕山(おおみやま)です。丹波富士とも呼ばれるそうですが、確かにこの方向ではそんな形容が似合っています。調べると登る道はいろいろありそうでしたが、東から手前の少ピークに登ることにしました。

国道427号線から細い道を歩いていくと常夜灯があります。ここから山に入りますが、周囲は荒れた植林で、道も荒れ気味でした。しばらく登ると、まずひとつ神社があり、名前がありませんがGoogleマップでは弁天神社となっています。そこから階段を登ると、小さくて新しい秋葉神社がありました。ここから尾根に上がりましたが、周囲はとても荒れた植林で、倒木だらけの急斜面です。北に向かう作業道があり、そこから谷沿いを登ると、さらに北側の尾根が自然林なので、そちらに向かって登っていき、急斜面ではありましたが、わりと楽に尾根に出られました。尾根は植林で歩きやすく、小ピークを過ぎて292m地点まで下ると、西側からモノレールの索道が上がってきていました。あとは索道沿いに登っていけますが、ジグザグの登山道もあります。また、電信柱で電気も送られています。かなりの急勾配を登って山頂に出ました。山頂にはNHKの通信塔が二つあり(写真、片方はNHKと書いてないのですが、アンテナはもう一方と同じようなのが付いているのでNHKでしょう)、これらの資材を運搬するのに使うモノレールと思われますが、うまく索道にはまる乗り物を探して下りに使うのは楽しそうです。山頂には大箕山三等三角点もあります。展望もあって、岩屋山から舞い上がるハンググライダーがいくつも見えましたし、粟鹿山も見えました。

大箕山からは北に植林を降りました。こちらもかなり急斜面です。降りた所に尾根を横切る道がありました。384m地点を通って、しばらくはだらだら上りです。地形図で破線道が尾根を横切っている場所には、道はありません。そこから少し急登があって、地形図に三角点のあるピークに出ました。ここは自然林が多く、気持ちの良い場所です。三角点は探したのですが、発見できませでした。代わりに割れたCDが落ちていました。更に次の520m+ピークまで行くと、周囲は藪っぽくなりました。そのまま尾根を東に曲がって、下山に入りました。しばらくはあまり勾配はきつくなく、楽に降りられました。途中で標高400m付近に北東側に展望のある場所がありました。本当はこちらではなく、南東に八幡神社に降りるつもりだったのですが、何も考えずに楽な方に降りたらこちらへ行ってしまいました。こちらでも降りられますが、最後は急勾配の植林となって、ジグザグに降りました。尾根の先はトタン板でブロックされていましたが、少し北に行くと山裾に作業道があり、その扉から出られました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「矢名瀬」です。

2016年11月6日日曜日

熊野神社から登る加西の笠松山

笠松山は善防山と並んで人気の登山スポットです。低山ですが岩場が多く、展望も良いので当然でしょう。古法華自然公園から登るのが普通ですが、今回は北西の熊野神社から登ってみました。登り口は東剣坂町近くで、道路にも案内があるので分かります。文化13年の常夜灯のある害獣避けの扉を通って登り始めると、寛永6年の鳥居があります。地形図ではこの付近に神社のマークが描いてありますが、実際の神社(熊野神社権現堂)は、尾根の上にあります。コンクリートの建物ですが、狛犬もいます。神社の裏には見晴らしの良い場所がありますが、これは古墳のような印象でした。裏手に右側から回り込むと、小さな不動明王像がありますが、ここの岩も古墳に使われていたものかも知れません。

熊野神社から笠松山へは、まず214mピークに上がり、そこから南東へ降りて行きますが、この付近の道はシダで覆われていて、やや藪っぽくなっています。笠松山の続きだけあって、所々に岩場があって展望があります。周囲の山も岩場や崖だらけです。写真の岩山は、以前に歩きました。本当は214mピークから西の剣坂山三角点に行きたかったのですが、藪が厳しそうで断念しました。笠松山の山頂には展望台があります。曇り空で風の強い寒い日でしたが、けっこう賑わっていました。法華山三等三角点(244.37m)が展望台の下にあります。山頂からは、吊橋まで展望を楽しみながら歩きました。途中で北の尾根に降りられないか調べながら歩いたのですが、地形図で見るよりも急斜面で、灌木が多く道はありません。藪を抜けるだけなら不可能でははないにしても、下は崖ですから危険を伴います。結局素直に吊橋から善防池の方をまわって出発地点に戻りました。

おまけですが、帰りに笠松山の山頂北側の尾根を少し登ってみました。道路からまっすぐに山に入るコンクリート舗装の道があります。これを登ると地形図の神社の所に建物があり、さらに「愛宕山入口」の札があって、そちらに登っていくと愛宕山山頂に出ました。特に何もなく、大きな岩がいくつかあるだけでした。その先は道は無くて藪になっていたので、戻りました。昔は愛宕神社があったのでしょうか?途中にある建物は、しめ縄が下がっていたので愛宕神社かと思ったら、中を見ると妙見講とあって仏具が置いてありました。道路からの入口のところにも妙見と掘られた大正時代の石があります。妙見信仰とは不思議なものです。

展望 ★★☆
藪山度 ☆☆☆
地形図は「笠原」です。

2016年11月3日木曜日

加東市御所谷の南の山

三草山の東へ、国道372号線通称デカンショ街道を走ると、御所谷という場所があります。ここは源氏と平家の合戦地として知られていますが、「播磨山の地名を歩く」(姫路文庫)を読んでいたら、ここの南の348mのピークが平家の前哨基地の城山であったと書かれていました。付近の山を歩いた時に、この山も気になっていたので歩いてみました。

御所谷の南側に御所谷新池があります。現在は水はなく、堤防の工事をしているようで、ここには近づきたくありません。そこで、国道近くの溜池から登ることにしました。溜池の東岸から作業道があります。いちおう山に登っていきますが、途中でシダに紛れて消えてしまったので、適当に尾根に上がりました。海抜250mほどの尾根に上がると、灌木とシダの間に作業道がありました。これを北東に歩きましたが、ところどころで藪がきつくて、少し北斜面に降りた所もあります。この付近の低山によくある尾根歩きです。枝をかき分けるのに疲れます。尾根は300m+地点で南に曲ります。ここには岩があって、866の標石があります。この後しばらく南へは道があって歩き易くなりますが、それも続かず、348mピークへの登りは藪漕ぎ状態となります。348mピークも藪で、登山道も説明文も無く、ここが史跡とは思えないような場所です。標石は848です。ここから南はさらにひどい藪で、道はありません。なんとか降りて行くと、西側に道を発見しました。関電の巡視路で、すぐに播磨線175鉄塔に着きました。さすがにここは展望地でした。

巡視路は東にも西にも延びていて、ここから下山という手もありましたが、御所谷新池には降りたくなかったので、さらに南に道を探すと、いちおう切り開きがありました。これはシダの中の道ですが、意外と消えずに続いており、南のピークの付近まで歩けました。しかしシダ藪の中に消えてしまったので、ここは無理して320m+のピークに登りました。ここにもなんとなく切り開きがあるので、そのまま南の357m地点まで歩きました。ここからは西に尾根を降りなければならないのですが、道が見つからず、木で見通しもないので、GPSを頼りに降りました。尾根に乗ると少しは歩き易いのですが、すぐにシダや松などの灌木の藪になり、イバラも多いので歩きづらいことこの上ありません。地面(たいていは砂地)が見えるとほっとする、という状況です。最初は北に御所谷新池が見え、そのうちに南に無量壽寺が見えるようになりました。藪漕ぎで登った最初の350m+ピークの手前からは南に展望がありました。そして、東馬瀬四等三角点(368.64m)に着きました(写真)。この先もちょっと北に展望があり、そこからは木々の間を西に降りました。シダを避ければ、そんなに大変ではありませんが、それでも木の枝が邪魔です。この付近は地形図では針葉樹林となっていますが、植林ではありません。やっと谷に降りると、南西に向かう谷には道があるようでした。しかし、北の谷には地形図どうりの破線道はありません。最初は登りで、その後で下りになりますが、ガレ石の多い谷で、歩きにくいのは藪と一緒です。しかもやっと谷から出ると、そこは川でした。幸いに渡れる場所があって、国道372号線に戻ることができました。

かなりの部分ではかつては作業道があったようですが、現在は登山道と呼べるような道はあまり残っていません。お薦めはできない山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「比延」です。

2016年10月30日日曜日

青垣町稲土川北側の長い尾根

地形図を眺めていたら、粟鹿山の東に東西に延びる長い尾根があることに気が付きました。丹波市青垣町稲土の稲土川の北側です。遠阪トンネルの南にあたります。ゆっくり歩いてみることにしました。

登り口は稲土の集落ですが、この山は金網に囲まれているので、道を歩きながら金網に入口を探しました。尾根の先近くに入口を見つけたので、そこから植林に入って、竹藪の尾根の方へ回って、急斜面を登りました。かなり力づくで尾根に上がって、そこからはほとんど植林なので、問題なく歩けました。1時間近く登ると、大河内線67鉄塔に出ました。東側が良い眺めです。ここから主尾根まではすぐです。主尾根も植林で、西に歩くと滝ノ谷三等三角点(629.16m)がありました(写真)。標石の角がかなり丸くなっています。この後は植林が多いのですが、自然林もあり、雰囲気は最高です。ただ、秋よりは夏向きと思いました。615m地点を過ぎると伐採地があり、広く展望が得られます。粟鹿山や岩屋山も遠くに見えます。この後もずっと植林が多く、地形図どうりに長い尾根ですが、アップダウンがあるのであまり退屈しません。障害物も少ないので、考え事をしながら歩いても大丈夫です。そのうちに北側に山東町の町が見えてきます。そして粟鹿山に通じる尾根に出ると、やや藪っぽくなります。アップダウンもあり、最後は自然の家から登ってくる登山道(2016/10/15)に出ました。この付近は地形図には窪地が描いてありますが、沼になっていました。登山道が保守道路に出る付近には使用不可のトイレと展望台がありますが、この展望台は登っても周囲の木が伸びすぎていて、ほとんど景色は見えません。登山道はここから粟鹿山まで保守道路を歩くようですが、山頂に行っても面白いものが無いことは知っているので、保守道路で下山しました。1時間半かかりましたが、紅葉もあってそれなりに楽しめました。途中にはゲートがあって、鍵が掛かっていました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「矢名瀬」です。

2016年10月29日土曜日

赤西渓谷から竹呂山

最近は「森林セラピーロード」になってしまった赤西渓谷ですが、車が増えて行きにくくなったとは言え、美しい渓谷には変わりありません。まだ紅葉にはちょっと早いのですが、赤西渓谷から竹呂山に登ってみました。

いつものように林道を走って、ゲートのある所に車を停めました。そして渓谷沿いに歩き始めました。竹呂山に登るなら、赤西川上流の分岐近くまで行って1066mピークを目指して登るという手がありますが、これは以前に降りたことのあるコースで、途中にネマガリダケの藪があるので避けました。かわりに少し手前の、「森林セラピー基地」近くの尾根から登ることにしました。ここには地形図には短い実線道が描いてありますが、じっさい作業道があり、ジグザグに登っていきます。終点の先にはネットと伐採地が広がっていました。ネットに沿って作業道らしい道があって、これを登りました。伐採地のススキと、なりかけの紅葉がきれいでした(写真)。792m地点を通ってネット沿いに尾根を登り、伐採地の上まで来ると、細い尾根を歩きましたが、前半はススキの藪でした。林を抜けると急斜面に突き当たります。ここからは作業道もないので適当に登りましたが、灌木の藪で棘のある枝も多いので、南の植林近くに迂回しましたが、こちらはもっと急斜面でした。ここを抜けるとやや歩き易くなりました。そして標高差250mほどを登ると、竹呂山山頂に出ました。宍粟50名山の碑が立っており、中山三等三角点(1129.27m)があります。相変わらず周囲は気持ちの良い林で、落ち葉が綺麗でした。

下山は南に尾根を歩きました。途中でカンカケ峠に行く尾根と別れますが、これを東に降りて、980mピークを過ぎて、さらに南東に降りました。自然林がきれいです。何かの作業の途中なのか、途中に巻いた金属のネットが積んでありました。ちょっとシダの草原を抜けると南側は植林になります。そして834m地点から真東に尾根を降りました。最初は尾根が見つからなくて苦労しましたが、尾根に乗ってしまうと勾配もさほどではなく、しばらくは楽でした。しかし徐々に倒木が増えてきて、さらに降りると倒木だらけの植林になって、乗り越えたり潜ったりが大変でした。そこを抜けると、赤西渓谷に戻ることができました。

セラピーに良いかどうかは知りませんが、赤西渓谷も山頂の尾根も、自然林は気持ちのよいものです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2016年10月15日土曜日

衣笠城址から粟鹿山

山東町与布土に衣笠山という城跡の山があります。これを経由して粟鹿山に登ってみました。山東町森の県道276号線沿いに衣笠城址登山口の看板があります([1])。山の方へ歩いていくと害獣避けの扉があります。ここから登山道に入ります。登山道は分かりにくく、私は扉を入っていきなり左手の斜面の道を登りました。登ると空っぽの祠がありましたが、そこで道は終わっていたので、適当に作業道を探して斜面を登って尾根に出ました。尾根を南に歩くと、所々で溝が尾根を横切っていて、堀切のような感じでした。その切堀の一つを登山道が登ってきており、ここからは案内板もあって、衣笠城址に登ることができました。街道筋からかなり奥まった所にある山城だと思ったのですが、確かに竹田城がよく見えますし、北の山陰道も見えるので、適切な場所かも知れません。城跡は東西に延びる長い尾根の上にあって、石垣はありませんがいかにも山城らしい堀がいくつもあります。一番西のピークには衣笠尾三等三角点(430.52m)があります。

衣笠城址を東に歩くと、太陽電池パネルがありました。どうやら北の三保の方角に電波を送っているようですが、どんな情報を送っているのか分かりません。南には与布土ダムがあるので、その情報なのかも知れません。東に植林を登っていくと、602mピークに着き、注意して北東に降りると、地形図の破線道に相当する杣道が鞍部を通っていました。そしてさらに植林を抜けると急斜面になりますが、作業道がありました。徐々に岩が増えますが、急勾配でも登りにくいことはありません。817mピークに出ると、西側に展望が広がります。そしてちょっと藪っぽい尾根を東に歩くと、未舗装の林道に出会いました。斜面をほぼ水平に走っています。ここからは北の方角の展望があります。森林管理道粟鹿山線でしょう。少し北の方に「緑風の道」という碑があるのが見えました。

粟鹿山線から粟鹿山は目の前ですが、意外と苦戦しました。林道の東側を登ると、振り返れば竹田城も見えて良い眺めです。しかし前方はススキの草原となります。特に地形図の破線道と合流してからは、背の高いススキをかき分けて進むはめになりました。ネマガリタケと違ってかき分けるのにさほど力は要りませんが、それでも道を見つけるのは困難になりました。最後は視界ゼロのまま適当にススキをかき分けながら歩き続けて、やっと粟鹿山山頂に着きました。粟鹿山一等三角点(962.33m)があります。この日は天候が良かったので、三角点の背景に遠景を入れられました。電線がじゃまですが。(写真)

下山は、当初は林道を南に歩いて降りて、完成した与布土ダムを通るつもりでした。ところが登山中に見ていると、ダムの奥でまだ大規模な工事が行われており、通り抜けるのも難しいかも知れないと思いました。そこで北に降りることにしたのですが、登山道がよく分かりません。とりあえずアンテナの保守道路を降りましたが、これは東に向かうので、東に離れた所にあるアンテナ(名無し)の先で北の尾根を目指しました。少し北に降りると作業道があるのですが、水平道で役に立たないので、尾根をとにかく北に降りました。最初はススキを抜け、それから林の中を降りました。地形図ではこの尾根の下には実線道があるのでこれを目指したのですが、道のあるべき場所まで降りても急斜面があるだけです。尾根はあまりに急なので仕方なしに谷に降りてガレ谷を下っていくと、林道に出ました。森林管理道粟鹿山線で、「緑風の道」に繋がっているのだと思います。あとはこれを北に下ると、地形図の582m地点の付近で登山道に出会いました。正しくはこの地点で粟鹿山線を横切ってさらに登り続けて保守道路に出るようです。確かに地形図をよく見ると、そのほうが楽です。焦りすぎました。残りは登山道で下山しましたが、意外と水平な作業道が続きます。最後はあまり標識のない植林の中を降りるので、正しい道を降りているのか自信がなかったのですが、自然の家に降りてこられました。ここから衣笠城址登山口まで戻るのは長い道のりでした。

全部で7時間かかりました。道のりから言えば与布土ダムを通っても同じくらいの距離でしょうが、工事が終わればそちらの方がお薦めです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「矢名瀬」です。

2016年10月10日月曜日

銅山ダイレクト

銅山は何度か登っていますが、このダイレクトは倉床川上流にある「銅山登山口」の標識の真ん前の尾根から登るダイレクトです。この標識は大路峠に向かう登山道を示しているのだ思いますが、そこから直接登ってやろうという主旨です。しかしやってみると、標識の後ろはひどい急斜面で、登るのは大変でした。崩れやすい斜面を岩まで登って、あとは設置してある金網伝いに登りました。ちょっと登れば尾根歩きになります。こんな苦労をしなくても、少し登ると東側に尾根近くまで作業道が来ていました。あとは歩きやすい尾根を登り続けるだけです。693mピークを過ぎて少し降りると、地形図では西側から林道が来ているようになっていますが、はっきりした道はなかったようです。むしろ東側からの作業道が693mピークに達しているようでした。植林が多く、下草はまったく無いのでとても歩きやすい尾根です。766mピーク付近は大きな岩がいっぱいありました。急勾配もありますが、植林もきれいですが、自然林もきれいでした。最後は分水嶺にあたる宍粟市と養父市との県境に出ました。ここからは気持ちよく尾根を歩いて、銅山に着きました。筏三等三角点(953.68m)があります。

下山は大路峠を考えていたのですが、南に向かう尾根が歩き易そうなので、つい南に行ってしまいました。地形図で分かるように、この尾根の先には急勾配の斜面が待っていました。どちらに降りるか悩みましたが、結局一番楽そうな尾根を降りました。最初は楽だったのでっすが、すぐに崩れやすい砂地の急斜面になってしまい、時間を掛けて斜めに降りました。荒れた谷に降りると、幸いに向こう岸に作業道がありました。この付近で終点なのでラッキーでした。この作業道を真っ直ぐ降りれば帰れると思ったのですが、真っ直ぐ降りると行き止まりでした。少し戻って、対岸西側の作業道へ移り、南に歩くと、こちらは正解でした。途中に銅山への道標があり、これは作業道を使わずに尾根を分水嶺まで登っていく道のようでした。これで登って銅山経由で大路峠へ降りるのがベストな登山道かも知れません。ただしこの付近は作業道が多く、ここまで来る間に迷いそうでした。そのまま降りて太い林道に出てくると、また「銅山登山口」の標識がありました。大路峠への標識よりも1.5kmほど奥です。

あとは林道歩きで最初の「銅山登山口」へ戻りましたが、途中に崩壊しかかった作業道があり、興味があったのでちょっと登ってみると、坑道の入口がありました(写真)。周囲を囲って立入禁止の札が掛けられていますが、入口は土砂でほぼ埋まっており、現状では入れません。

実は8/26に大路山に登ったのは、銅山に登ろうとして尾根を間違えたのでした。銅山への尾根は一つ奥の、阿舎利国有林の看板が立っている方です。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大屋市場」です。

2016年10月9日日曜日

長谷から登る入炭山

寺前の北から生野の南まで、播但連絡道路と播但線に挟まれた山並みは、いくつかの方向から登っていますが、今回は播但線の長谷駅から登ってみました。長谷駅には無料駐車場があります。この駅は尾根の先端に位置しており、地形図では駅の裏手に神社が描かれていますが、ここは岩山で登れません。これらの岩は三尊仏だそうですが、駅の北東側は金網で囲まれていて山に近寄れません。少し北に歩くと、「なごえの森」と書かれた看板がありました。ここを入って行くと神社があって、害獣避けの扉がありました。これを抜けて、真っ直ぐ歩けば自然体験学習の森ですが、谷を登ると後が大変かも知れないと思って(地形図の破線道が本当にあれば良いのですが)、すぐに駅裏の尾根に向かいました。この付近はなだらかな植林ですが、崩れた石積みが多く、それも斜面と平行に作られているので、段々畑には見えません。何の跡でしょうか?急斜面を登って尾根に上がれば、あとはひたすら登るだけです。植林が多いのですが、所々に伐採地があって、シダなどの下草が生えており、急斜面で足元が見えないので登りにくくなります。そんな所では少し巻いて林の中を歩くようにしました。

最後は枯れたシダの茂みに出たと思ったら、反射板がありました。これは下からでもよく見えます。何も情報の無い反射板ですが、西を向いているので関電のものでしょう。ここにはシダに埋もれた栗村二等三角点(816.93 m)もあります。ここから、2009/09/26に歩いた植林の尾根を南に歩き、紅白の播磨中央線31鉄塔に着きました。802mピークには赤い「火の用心」があって、巡視路は西の尾根に向かっています。しかしこの尾根は徐々に藪っぽくなり、二つ目の760m+ピーク付近は倒木だらけでした。この付近から巡視路は北寄りに降りて行くはずですが、赤い「火の用心」は倒木に隠れてしまっているようで、次の「火の用心」を見たのは北寄りに標高700m近くまで降りてからでした。ここからはさらに西にある播磨中央線28鉄塔にも行けるようですが、29鉄塔へ降りました。ここからも展望がありますが、さらに降りると岩場があって長谷の方向がよく見えるスポットがありました。しかし大きな岩の上なので、西に巻いて尾根を降りました。かなりの急斜面ですが、足元は悪くないのでひどい苦労はせずに降りられました。351m地点を経由し、金網に扉のある地点に出てきたのはラッキーでした。扉の外には下流の発電所に水を送っている水路がありますが、この場所ではコンクリートで蓋をされていました。そのまま降りると為信神社に出てきました。ほぼ計画どうりの下山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2016年9月27日火曜日

暁晴山から北東の尾根

暁晴山の周囲の山は何度か歩いていますが、今回は北東に延びる尾根を歩きました。まずホテルリラクシアの前からキャンプ場の方に向かう道を歩き始めました。今日はゲートが開いていました。暁晴山の頂上までは舗装道路なので、ひたすら登るだけです。ただし山頂に向かう道は途中にゲートがあって、閉まっていました。ですから車で山頂には行けません。山頂は霧が出て、展望はありませんでした。山頂には建設省、兵庫県、関西電力の他、謎の通信棟が立っています。暁晴山一等三角点(1077.11m)があります。

山頂から目指す尾根へは「山笑う登山口」という道標に従いました。この登山口は後で調べると森林基幹道峰山線にある「山笑の碑」を指すのですが、知らないと訳が分かりません。とにかく道があるのは良いことで、ほぼ宍粟市と神河町の境を降りて行きます。最初はススキだらけですが、途中からはコナラなどの自然林で良い感じです。道を外れるとススキが盛大に茂っており、そちらには踏み込まないのが正解と見ました。雨の後でジメジメしていましたが、落ち葉を踏んで広い尾根を降りて行くと、林道に出ました。標高980m付近で尾根を横切っています。林道を北に歩くと、951m鞍部付近で「山笑う登山口」への道標が北西を向いていました。つまり、森林基幹道峰山線に降りる方向で、ススキの原っぱの間に道がありました。

林道はさらに北に向かってから峰山線に降りて行っていましたが、途中に山に登っていく分岐がありました。目指す方向と合っていたので歩いてみましたが、すぐに終点になりました。そこで少し戻ってから植林の中を登りました。尾根に出ると、シダとアセビが茂っています。シダと言っても膝くらいまでの高さがあり、枯れている部分も多いのですが、地面が見えないのは同じです。歩きにくいのを我慢して尾根の少し北側の植林寄りを北に歩くと、地形図にある土塁に出ました。むかし馬を飼うために作ったと言われる土塁は、この地域では珍しくありませんが、これはその中でもしっかり残っているものです(写真)。土塁の南は植林、北は谷でシダ等が茂っており、植生の違いが目立ちます。少し土塁に沿って西に歩いてみましたが、藪っぽくなったので引き返して、さらに尾根を歩きました。相変わらず藪ですが、気がつくと尾根の西側に土塁がありました。土塁沿いだと歩きやすい場所もありますが、土塁が藪で囲まれている場所もあります。うんざりしていると、木に「26.6.23 ハイキング道調査」という札がくくりつけられていました。この尾根をハイキング道にするには、かなりの労力が必要でしょう。1054mピークは少し開けていますが、枯れ気味のシダや背の高い草が茂っています。この先も土塁沿いに歩きましたが、西側は比較的森っぽいのでそちらに少し降りて歩くのが楽でした。土塁はそのまま東寄りの尾根の方に降りて行きましたが、藪っぽいのでそちらには行かず、林の中を北に降りて、峰山線に出ました。

ここからは峰山線を東に下っていくと、「峰山大スギ駅」で先程の土塁に再開しました。そのまま峰山線を歩いて、ハイキングコースとの合流点に着きました。「峰山口駅」という場所です。砥峰高原へのハイキングコースはここから東は峰山線を歩くことになっています。そちらには行かず、峰山方面にハイキングコースを歩きました。よく整備された道です。すぐに峰山四等三角点(1037.88m)がコースの北側にあります。札が下がっていなかったら見つけられないようなシダの中です。この付近は先程の土塁が北側を通っています。このあと、木の生えていない場所に出たと思ったら、どうやらこれはホテルから見える防火帯のようです。これを横切って北にトラバースして行くと、先程の「峰山大スギ駅」の南に出てきました。峰山線とハイキングコースの間に土塁が走っています。ここからは長い森の中のハイキングとなりました。雨の後で水が多かったせいか、あちこちで道路が沼化しており、丸太で作った橋は滑りやすく、気を遣いました。途中で土塁が斜面を横切りましたが、これは地形図にある土塁の続きのようでした。また、「山笑う登山口」への道標もあり、これは951m鞍部に向かう道のようでした。最後はグラウンドに出てきて、最初に登った舗装道路を降りてホテルに帰りました。防火帯から見るとホテルはすぐそこですが、大回りして歩くと結構時間がかかりました。

整備されている道以外は藪っぽい地域のようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2016年9月17日土曜日

岡山・鳥取県境の志戸坂峠

岡山県と鳥取県の県境の尾根は、林道が多くて気が乗らなかったのですが、ちょっと長い尾根で県境まで登ってみることにしました。出発点は西粟倉村の影石です。あわくら温泉駅の近くの、国民宿舎の北の尾根先から登り始めました。急斜面の自然林をちょっと登ると植林になりました。小さな石の祠(中は何もなし)があって、里山の雰囲気です。植林を上り詰めると、坂根四等三角点(560.02m)がありました。その先は倒木地帯ですが切ってあるので大丈夫です。さらに西に行くと穴ぼこが4つあって、おそらくかつてここに鉄塔か何かがあったのだと思います。その西には、舗装された林道が尾根を横切っていました。この林道は、鳥取道と智頭急行が吉野川を渡って交差する付近から来ているものです。少し林道を歩くと、まず左に未舗装の荒々しく作られた林道への分岐があります。ここからは尾根に上がって尾根を歩きましたが、すぐ先でまた舗装林道が二又に分かれ、一方は尾根を西に横切っていました。この先も林道は無視して尾根を登りました。植林が多く、ネットも張られており、角が絡まった鹿の白骨もありました。標高750m付近で次の林道が尾根を横切りますが、これはかなり古いものです。無視して藪っぽい尾根を上がると、すぐに林道が曲がって来て、また尾根を横切りました。もう100mほど藪っぽい尾根を登ると、さらに古そうな草の生えた林道が尾根を横切りました。そして、最後にちょっと登れば県境の尾根です。志戸坂四等三角点(910.69m)がありましたが、付近は霧に覆われていました(写真)。

ここからは県境の尾根を志戸坂峠へ歩きました。シダなどが生えている所もありますが、藪というような所はありません。志戸坂峠から登ってくる時にはあまり悩まないと思うのですが、下山では迷い易い地点が多く、何度も方向を確認しました。この尾根にも、鉄塔を基礎のコンクリートごと撤去したような穴がありました。最後は志戸坂峠ですが、地形図で見てもえらく急斜面です。なるべく県境に沿って降りましたが、最後は水が流れており、それに沿って降りて行きました。降りた地点は県境のちょっと北側で、流れてきた水は鳥取側に行っています。県境の付近は木の階段が作られていました。道路の作りから見ると、以前は軽トラック程度なら通れたと思うのですが、階段があるので今は崩れてきた岩などを除去しても車は通れません。地形図で見たときは深い切通しだと思ったのですが、切通しを作る前から深い谷だったようです。峠までは明治に作られたしっかりした道があり、1100mでトイレのある駐車場に出ました。ここのすぐ東側には展望台となっている東屋がありますが、まったく展望はありません。この付近には「馬のお灸場」という看板が立っています。駐車場の前は舗装された旧道ですが、北にちょっと歩くと金網で蓋をされた旧志戸坂峠トンネルがあります。現在はシイタケを栽培しているようでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。

2016年9月10日土曜日

岡山県西粟倉村の知社三角点

情報の少ない山ですが、ツヅラ山の北の山、塩谷川の南の山です。航空写真で見ると林道の多い山ですが、詳細は分からないのでとにかく筏津の尾根先から登ることにしました。川を挟んで王子社がある所です。携帯のアンテナの脇の道から尾根に上がり、そのまま真っ直ぐに標高差200m近く植林を登ると、490m+のピークに上がれました。ここからネット沿いに藪っぽい尾根を歩くと、507mピークは植林です。少し北に降りると、林道が尾根を横切っていました。さらにあまり勾配はありませんが藪っぽい尾根を歩くと、湯船四等三角点(458.09m)が地面から5cmほど出ていました。この地点は東側に展望がありますが、藪です。この後も、やや藪っぽい尾根で、500mピークは東側を少し巻き、降りて登って520m+を過ぎると東側に林道が見えてきました。地形図の谷の林道ではなく、尾根のすぐ下を走る林道です。この林道はその先で尾根を横切りますが、ここは尾根の両側を道が走っているので、切通はH型になっています。深い切通なので苦労して降りてまた尾根に登り、少し歩くとまた東からにに林道が尾根を横切っています。ここも深い切通です。ここは東側の谷を登り、尾根に戻って斜面を登ると、また林道がありました。これは新しいもので、東から登ってきており、尾根の両側を北に延びています。ちょっと林道を歩いてから尾根に登り、真っ直ぐに少し藪っぽい自然林の斜面を真っ直ぐに登ると、東西に走る主尾根に出ました。ここは西から延びて来た林道の終点です。この林道は主尾根の北側少し降りた所に作られていますが、尾根も歩きやすい植林です。西に歩くと760m+ピークには高いアンテナがあります。真っ直ぐのアンテナで、三方向から5本ずつのワイヤーロープで固定されています(写真)。何の標識もありません。下に太陽電池パネルの付いた箱があり、DoCoMoシールが貼ってありますが、これはこの箱のシールで、アンテナそのものとは違うかも知れません。知社三等三角点(768.47m)は、アンテナの南のピークで木に囲まれています。アンテナの保守用と思われる道路があり、車で上がって来れそうです。

三角点からは更に尾根を西に歩きました。すると、良く整備された林道が尾根を横切っていました。場所から考えて、北は2016/08/16に木地山に登った時に起点にした谷から延びて来ているようです。ここから南に林道を歩いて知社に下山しました。よく整備された道です。途中からは地形図に描かれている林道となり、舗装もされていました。分岐は多くて、手入れされている山だということがよく分かりました。

特に珍しい物があるわけではありませんが、林道が多くて退屈しない登山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」「坂根」です。

2016年9月1日木曜日

丹波のクロイシ山と五台山

氷上町の加古川の東側の山並みは日本分水嶺です。これまでにも何回か歩いていますが、今回はこれまで歩いたことのない五台山の北を歩きました。登り口は氷上町鴨内で、村の北側の墓地にしました。芦田家と宮垣家の墓ばかりの墓地ですが、17世紀の墓石もありました。山は金網で囲まれていますが、墓地の裏に扉があって、そこから植林に入りました。作業道の痕跡を見つけながら急斜面を登ると、尾根に上がれました。地形図ではこの付近には送電線が描かれていますが、撤去されて基礎の跡だけがありました。

やや急な尾根道が続きますが、特に歩きにくい場所はありません。279mピークに登って降りて、次の鞍部には芹田神社から登ってくる道があるようです。そのまままた登りで、366mピークを過ぎると少し藪っぽくなりますが、それを抜ければまた歩きやすい尾根で、東芦田四等三角点(450.08m)に着きました。周囲は伐採されていますが、展望はありません。この付近から測量が行われたらしく、東と書かれた番号の振ってある標石の脇に紅白の棒が立っている所がたくさんありました。511mピークで別の尾根と合流して東に歩くと、左が瑞雲寺、右がくろいし山と五台山という道標が倒れていました。これは「東芦田まちおこし協議会」が立てたものです。さらに東に歩くと地形図では尾根を破線道が横切っていますが、特に道には気付きませんでした。そして日本分水嶺の530m+ピークに登り、北に少し歩くとクロイシ山の山頂です(写真)。曼田良四等三角点(555.82m)があります。ここは親不知への分岐点でもあります。大柿さんの10年以上前の赤札が2枚下がっていました。

クロイシ山からは南に戻って、道を歩いて(いったん東の尾根に行きそうになりますが、ちゃんと巻いて南に戻ります)鴨内峠に降りました。ベンチもあり、道標もたくさんあります。峠越えの道も整備されています。重要な情報としては「松茸山のため9月20日から11月14日まで立入禁止」と「市島町側に下山されても公共交通機関はありません(タクシーの電話番号付き)」でしょう。ここから五台山まではよく整備された登山道で、木に名札がついているので勉強になります。五台山山頂には展望デッキや文殊菩薩像、それに尾ノ寺山二等三角点(654.55m)があります。この尾ノ寺山という名前が問題のようで、小野寺山はこの南のピークのようです。前回(2015/12/29)来た時には吹雪いていて展望が全く無かったのですが、今回は少し靄がかかっていたものの遠くまで見渡せました。

下山は登山道を戻って、「伊佐口」の方向に歩きました。道とは言えませんがマーキングがあります。こちらは前回登ってきた方向です。植林の急斜面を降りて、前回とは違う北寄りの尾根を降りました。マーキングがありますが、これは境界明確化の杭の場所のようです。しかしそれでも迷いそうな場所では助かりました。475mの藪っぽいピークを過ぎて、少し降りるとちょっと伐採されていて、「図根三角」の黄色い杭がありました。そのまま西に降りて行くと、地形図で破線道のある250m+の鞍部に出ました。この先も尾根は続きますが、急斜面の登りなのでちょっとめげて、北に降りることにしました。しかし道は南の谷にはあるようでしたが、北にはなくて、適当に植林の中を降りました。麓近くには江戸時代の墓地の残骸があり、最後は金網に扉を見つけて鴨内の村に戻りました。

気持よく歩ける山道でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「黒井」です。

2016年8月27日土曜日

大路山ダイレクト

大路山というのは、宍粟市と養父市の境界のいわゆる日本分水嶺にある山で、大路三角点があるので大路山と呼んでおきます。何度か行ったことがありますが、南の倉床川から真っ直ぐに登ってみることにしました。この日は天気が悪く、ショートコースを選んだのです。

宍粟50名山の銅山登山口の標識が立っている、倉床川が3つの支流に別れる地点で、北向きに「作業道 大路線」があります。これを歩いてヘアピンターンすると大路線は尾根を横切りますが、この尾根が登るべき尾根です。大路線は切通で尾根を横切っているため、切通の法面を登らねばなりませんが、これはかなりの難題でした。木の根に掴まって尾根に上がると、歩きやすそうな植林の尾根道となりました。道と呼ぶほどのものではありませんが、切り開きがあります。そのうちにブナやコナラの自然林になりますが、小雨の中とはいえ、気持よく歩けました。途中には広々とした平らな場所もあるのですが、岩場の細尾根もあって悪天候向きではありませんでした(写真)。そして少し藪っぽくなってきた尾根の地形図通りの最後の急斜面を上がると、大路四等三角点(822.47m)がありました。8月だというのに気温は20度以下だったと思います。一面の霧でした。

悪天候なので下山は無難なルートにしました。北に分水嶺を歩いて大路峠に降りました。ここまで登ってきて西に歩くのが推奨の銅山登山ルートのようです。ここからはその登山ルートで下山しましたが、よく整備されていました。植林の中の作業道を降りて大路線で下山するのですが、大路線が崩落している場所にはちゃんと迂回路が作られていました。

2時間ほどしか歩いていませんが、この天候では適当だったでしょう。姫路からの往復にかかった時間のほうが長いのですが。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2016年8月21日日曜日

白毫寺から登る丹波の五大山

以前は西から登った丹波の五大山ですが、山頂に行くと東の市島町からの登山道があったので、そちらで登ってみました。道標には白毫寺と書かれていたので、白毫寺に行きました。「丹波高原アルペンルート登山道」案内板には「兵庫ランドスケープ五大山」という五大山に行くルートがありました。しかし近くにあった案内板は白毫寺の境内から登るように示しているようでした。境内に入るには300円必用なようなので、入らずに道を奥に歩いて、墓地の方から白毫寺の北に廻りました。熊野神社の方に行くと、「丹波森の径」の道しるべがありました。すぐ上の金網に扉があって、そこから植林に入りました。

植林の作業道を登って行きますが、かなり荒れています。テープのマーキングがありますが、時々どっちへ行ったらよいのか分からなくなりました。しかし上を目指して歩けば良いので、困りはしません。周囲は自然林になりますが、道は続きます。ただし道標はありません。それでもほぼ地形図の破線どうりに標高250mまで登って西に折れました。そして少し登ると標高300m付近に伐採地があり、陽射しが強いので急いで通り過ぎましたが、南側が少し見渡せました。330mピークの手前に、はじめての道標がありました。来た方向が白毫寺、行く方向が五大山、北に降りる方向は芝生広場となっていました。この先は道標が増えて、芝生広場への道がもう一つありました。主な登山道は北のエルム市島の方向から登るのかも知れません。尾根道は整備されていますが、暑くて疲れました。五大山に近づくと急な坂や岩場が増えてきて、五大山まではピークを三つ登る必要があります。一番急な五大山目直前の斜面にはトラロープがありました。

ここまでにも展望のある場所はありましたが、五大山山頂はさすがに最も良い展望がありました。ベンチと白毫寺三等三角点(569.09m)がありましたが、暑いので早々に南の尾根へ降りました。植林は涼しくて助かりました。ここは2015/12/26に逆向きに歩いています。540m+に登ると分岐がありました。ここは2015/12/26に天王坂から登ってきた場所で、三日月山(541m)となっています。天王坂方面が分水嶺ですが、今日は分水嶺から離れて黒井城址の方向に歩きました。この辺からはちょっと藪っぽくなりましたが、マーキングはしっかりしています。ずっと下りで、地形図では迷いそうな場所も問題なく降りられました。そして300m+の鞍部まで降りると道があって道標があり、降りてきた方向は「横峰」、道の先は「水源」とありました。この付近は2015/5/6に黒井城址から千丈寺山経由で来ました。その時通った荒れた尾根を登って、稲塚四等三角点(363.74m)に出ました。ここはヨコガワ峰というようです。

三角点からは黒井城址への尾根を離れて北東に下山しました。こちらもマーキングがあり、途中に共同アンテナの残骸があって、そこからは太いケーブルが這っていました。330m+地点で尾根は別れます。地形図にはその手前に東斜面を降りる破線道があるのですが、これには気が付きませんでした。東の溜池の方に降りる尾根が安全そうでしたが、北向きの尾根には地形図では破線道が描いてあります。マーキングのテープもあって魅力的だったので北に向かいました。こちらは岩場で、すぐに東側の眺めが良い場所に出ました。更に藪の尾根を進むと、眼下に白毫寺が見えました。しかし、この先の尾根は崖で降りられません。マーキングもここで終わりで、地形図の破線道もこの付近で終わっています。

引き返すことも考えましたが、よく見下ろすと西側の谷には岩がなさそうなので、岩場をトラバースして、谷に降りました。自然林の急峻な谷ですが、問題なく降りられました。地形図ではこの谷の途中まで破線道がありますが、道と呼べるものは最後のちょっとだけしかありません。戸坂川に降りると、そこは堰堤工事の上流側でした。中央に太いパイプを組み合わせてある巨大なものです。少し上流の斜面には比較的最近の土砂崩れの跡がありますから、これは白毫寺を土石流から守るために緊急に必要と思われます。堰堤を越えて、工事用の舗装道路で白毫寺に戻りました。

4時間ほどのコースでしたが、最後は時間はかかっても安全な道を探すべきでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「黒井」です。

2016年8月18日木曜日

真南から登る氷ノ山

氷ノ山は兵庫県一の山ですから、登山コースも幾つもあります。しかしいつも地図を見て不思議に思うのは、真南の戸倉峠へ延びる県境の尾根を通る道が無いことです。非常になだらかな尾根で歩きやすそうなので、道がないというのは不思議です。そこで、様子を見に行ってみました。戸倉峠から登るのは距離がありすぎるし戻ってくるのも大変そうなので、広域基幹林道を使うことにしました。

閉店中のヤマメ小屋から林道に入ると、木材積み出し中の掲示が幾つもあります。トラックで道が荒れているかの心配しましたが、積み出しは舗装が終わってすぐの付近で行っていたので、ひどい荒れ方はしていません。林道を登って行き、橋を渡ってヘアピンターンする手前の小さな広場に車を停めました。林野庁兵庫県森林管理署の「国有林からのお願い」が掲示されており、「登山は自己責任が原則です」と書かれていましたが、まったくその通りの登山になりました。

広場の少し下に最近木材の積み出しを行った場所があり、斜面に道が付けられていました。シャベルカーが上下した後のダートですが、取り掛かりとしては楽なので、靴が汚れるのを覚悟で登って行きました。真っ直ぐに登ると植林の中で行き止まりだったので、ここから植林を登りました。地形図で見ると楽そうな斜面ですが、意外と急勾配でした。間伐した木や枝が地面を埋めていて、足を取られます。しかし平坦な場所もあって、一息つきながら登って行くと、30分ほどで尾根に出ました。尾根は広く、道らしきものもあり、ほっとしました。ここからは長い稜線歩きです。

植生は入り乱れており、シダの草原もあればコナラの林もあります。木があるので太陽に炙られることはあまりありません。しかし、徐々にネマガリタケが増えてきました。竹なのでまとまって生えていますが、密度が低ければ手でかきわけて通れます。密度が上がってきて、さらに茎が曲がっているものが増えてくると、突破するのは難しくなりますが、尾根は広く、探すとネマガリタケの生えていない場所もあるので、歩きやすい場所を探しながら進みました。勾配はずっと大したことはなく、登山という雰囲気ではありません。氷ノ山によく見られるブナの大木が多く見られます。しかし、徐々にネマガリタケが増えてくると、むしろ植林の方が有難くなってきます。どうやらネマガリタケは木の多い所は苦手らしく、植林だけでなくコナラでも密度が高いと下草はありません。1182m地点あたりにもそのような気分の良い林がありましたが、林を抜けると密集したネマガリタケの藪をどうやって抜けるか、悩まねばなりません。結局広い尾根を右往左往して歩きやすい場所を探したのですが、はたして自分が歩いた場所が最も良かったのか、確信はありません。どこかに道があるのではないかと密かに期待していたのですが、かつて道があったという形跡する見つけるのは困難でした。なお、1183m地点には「?戸倉コース 28 サンヨートランジスタラジオ」という板が落ちていました。氷ノ山でよく見る、かつてのスキーコースの表示ですね。1292m地点付近には、大きなブナがまとまって生えていました。

大きな木の周囲にはネマガリタケが生えていないので一息つけますが、それ以外はずっと藪となりました。どんどん背丈が高く、強力になっていきました。緑色の茎(稈というようです)で葉をつけているものはまだ弾力性があるので押しのけられますが、枯れたものは固く、折れていればその先は竹槍のようです。気をつけないと怪我をします。経験的には、進行方向に倒れている場合には左右に押し広げて通り抜けられることもありますが、進行方向に直角方向に倒れている茎を跨いで進むのは非常に困難です。地面を見ると他に下草などはなく(陽が当たらないので当然ですが)スカスカなのですが、前進するにはかなりの腕力が必要でした。GPSの記録を見ると、このあたりでは時速0.2kmほどの速度になっており、これが2時間近く続きました。かなり県境から東に離れた場所を登っていたので、最初は県境の稜線に戻ることを考えましたが、トラバースが困難なので、結局真っ直ぐに登って行きました。この付近は地形図では畑になっていますが、じっさいは背丈より高いネマガリタケの草原です。途中に写真のような面白い石がありましたが、面白がっている余裕はありません。また山頂に近づくと岩だらけの谷があり、それに沿って登ってもみましたが、すぐにまた藪になりました。標高1400mから上は、忍耐だけでネマガリタケの藪を抜けたという感じでした。最後は岩があったので登って周囲を見渡すと(藪の中では全く外が見えません)、目の前に東屋があってびっくりしました。急いでネマガリタケの上を滑るような感じで歩いて行って、やっと登山道に出て、東屋で休めました。

この登山道は三ノ丸コースでした。東屋で休憩して三ノ丸の方向に歩き始めましたが、途中に下山道があったので三ノ丸には行かずに下山しました。避難小屋に行っても特に何もありませんし、周囲は霧で展望がほとんどありません。疲れ果てていたので坂ノ谷コースで下山しました。登山道の両側のネマガリタケを見て、よくこの中を抜けられたものだと我ながら関心しました。あの広大な笹薮には、白骨死体がいくつかあってもおかしくないという気がします。

こんな無茶な登山はしてはいけません。この尾根は冬季限定と考えるべきでしょう。それにしても、県境だというのに道も杭も無いのはなぜなのでしょうか?早く地籍調査が入って道を作って欲しいものです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「戸倉峠」です。

2016年8月16日火曜日

西粟倉の木地山

この木地山は、鳥取自動車道の西粟倉ICで降りて、北の塩谷川を遡った谷の奥にあります。実はもっと北の、美作市と智頭町の境の東西に延びる尾根を歩きたかったのですが、最近稜線沿いに林道が作られていて、ちょっと興ざめなので、木地山だけのショートコースにしました。

塩谷川沿いには、あわくら温泉があります。これを過ぎて、塩谷新田に入るあたりで車を停めました。目指すは川の南に延びる尾根です。尾根先の急斜面は草が生えていて登れそうもないので、尾根裾の林道を少し南に入ってから、植林の急斜面を登りはじめました。とんでもなく急な斜面ですが、作業道が残っていて、ジグザグに登って行けました。途中で一息つきましたが、尾根の上に登れば、あとは緩やかな尾根歩きです。ずっと植林が続き、倒木でちょっと藪化している場所もありますが、ほとんど問題なく快適に歩けました。途中で南にツズラ山が見えたり、林道が尾根近くまで延びて来たりしていましたが、下草もほとんどなく、標高差250m程度を登れば戸川四等三角点(767.90m)のある主尾根に到着です。ここもきれいな植林で、西側すぐ下には林道が見えました。

北に尾根を歩くと、木地山峠です。峠を横切る舗装道路の他、北西に向かう舗装道路、南西と南東に向かう未舗装の林道があります。峠のお地蔵様もありました。切通しは両側法面をコンクリートブロックで補強してあるため、降りるのには苦労しました。北に登り返す方は、北西に向かう道を少し行くと尾根に登る道があって、尾根歩きを再開しました。ここからは標高差140mで木地山です。ここもほとんど植林でした。最後に木地山頂上に登るところは、かなりの急登でした。登ってしまうと、杉谷三等三角点(907.64m)がありました(写真)。周囲は少し藪っぽいのですが、木地山という山名はどこにも書かれていません。地形図に載っている割には、地味な感じでした。西側遠景は木の間から覗けますが、展望というほどではありません。

木地山から北へはなだらかな尾根が続きますが、下山することにして東の尾根を降りました。こちらも植林が多いのですが、真っ直ぐ降りるのではなく、途中で少し南に曲がらないと東に延びる尾根に乗れないので、GPSがないと難しいでしょう。791m少ピークを過ぎて、尾根には平たい岩があったり、自然林もあります。最後は植林ですが、未舗装の林道(私の林道の定義は、「自動車で走ることを前提として作られた作業道」です)があったので、楽に降りられました。この付近の山には害獣よけの金網やネットは無いようでした。

3時間半ほどのショートコースで、展望はありませんが、植林を気持よく歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「坂根」です。

2016年8月14日日曜日

篠山の波賀尾山

波賀尾山は篠山盆地の西を流れている大山川の西、篠山川の北に位置する山です。標高392mと低めの山で、標高差200m弱も登れば山頂なので、暑い日でしたが登ってみました。

地形図を見ると、東の大山新の付近から破線道があるので、探してみました。新しい家が6軒ほど立っている道の奥に入ると、平成13年の「波賀尾山登山口」という杭がありました。ここから植林の中に登山道がありました。しかし少し奥に入ると、赤いマーキングが見当たらなくなりました。真っ直ぐ谷を登る道があるのですが、谷の奥を詰める気にはならなかったので、いつもの流儀で左手の尾根に上がりました。急斜面をトラバース気味に登って尾根に出ると、ここも特に整備された道はありません。倒木の多い尾根を真っ直ぐ登りました。東から来る尾根と合流し、急斜面を登ると山頂でした。ここまでの登りは急勾配で、足元は砂地に落ち葉という滑りやすいもので、暑さもあって、何度も途中で休みました。山頂には、大山郷づくり協議会が建てた波賀尾山の由緒書きと、大山小学校の校歌があり、山名を書いた杭がありました。どれも平成13年のものです。展望はゼロです。

山頂からは西に尾根を歩くことにしていましたが、山頂付近をぐるっと見渡しても、道らしきものは登って来た方向を含めて見あたりません。しかし藪の中を注意して調べると、西に道がありました。急斜面を降りて行くと藪から抜けられて、植林の尾根になりました。北側少し下に林道が見えたので、これがいちばん楽な登山道だと思います。尾根は間伐材や枝が多くて思うように歩けない場所もありますが、特に障害物があるわけではなく、無難に歩くことができました。「昭44大山」という杭が随所にあります。北の二宮神社に降りられそうな枝尾根を過ぎて、植林を歩き続けると、尾根の分岐に出ました。ここから南に一周する予定でしたが、まだ歩き始めて1時間もたっていないので、もっと西に歩いてみました。

次の371mピークには井谷山という札がかかっていました。この附近も植林が多いのですが、荒れ気味です。次の鞍部には地形図では破線道が尾根を南北に横切っていますが 、道標があって、歩いてきた東の方向は「井谷山山頂」これから行く西の方向は「秋葉神社跡」そして南向きは「川代公園」となっていました(写真)。さらに荒れた尾根を西に歩くと、井谷四等三角点(347.18M)に着きました。ここには「井谷坪」という札がありました。この西はわりと手入れの良い植林となりますが、秋葉神社は気になるもののキリがないので、ここで引き返すことにしました。

尾根の分岐まで戻って南の尾根に向かいましたが、ここには「立入禁止」の標識がありました。なぜ立入禁止なのか分かりませんので、こちらは波賀尾山に行く道ではないという親切な標識ということにして、歩き続けました。こちらの尾根も他と状況は似ており、間伐された木が邪魔な所はありますが、それほど歩くのには邪魔ではありません。いったん260m+のピークに降りると、作業道が尾根を横切っていました。確かにここは大山から谷川方面への近道です。ぐるっと回って篠山川沿いでも行けますが、ここを通ると篠山川の渓谷の一番道の狭い所(いまトンネルを掘っているようです)を避けることができます。ここで谷に下山という手もありましたが、さらに尾根を登って325mピークに行きました。この付近は藪っぽくなりましたが、登ってしまえばあとはまた植林の尾根となりました。自然林でも、道がありました。しかし、尾根が北に曲がって下りになると、また藪っぽくなりました。そしてそのまま北に降りようとすると、厳しい藪に行く手を阻まれました。無理やり突破するのは避けて、東側の植林を降りることにしました。こちらも急斜面で間伐された木が転がっており、決して歩きやすくはありませんが、とにかく谷に降りて、道に出ることができました。尾根をそのまま降りると道に出る所をトタン板などでブロックされていた可能性もあるので、これが正解だったと思います。あとはきれいな未舗装道路を歩いて、溜池の脇を抜けて大山に戻りました。


後から調べてみると、大山小学校の一年生が波賀尾山に登っていました。脱帽です。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「宮田」です。