2016年1月23日土曜日

篠山市今田の西寺山

寒波が来るというのであまり北に行かずに登れる山を探したら、この山がありました。国道372号線通称デカンショ街道をひたすら東に走って篠山市に入ると、今田(こんだ)町にでてきます。、ここの北の山が西寺山ですが、登り口は少し西の佐曽良新田にある住吉神社にしました。最初はもっと北に行って地形図にもある道で谷を登ろうと思っていたのですが、神社の裏は尾根になっていて、特に金網などもなく、歩きやすそうでした。適当に植林を抜けて尾根に上がり、あとは尾根歩きです。すぐにシダが茂っていますが、膝ほどの高さもありませんし、道もあるので問題なく歩けました。自然林の気持ち良い尾根で、展望はありませんが特に文句もありません。433mピークを過ぎて、数日前に降った雪が深くなってきました。せいぜい数センチですが、防水機能のない安い登山靴を履いているので中まで水分が入ってきます。557mピークまで1時間弱でした。

主尾根にも道があり、足は冷たいものの気持良く歩けました。ただ、568mピークや、その次の540m+ピークは道がなくなって藪を抜けまいた。巻道を見失ったのかも知れません。南の方角が見える場所が何箇所かありましたが、絶景というほどではありません。木々の枝の合間からは、あちこちの山が見えていました。550m+ピークを過ぎて、次の570mピークへが意外と急斜面でした。そし西寺山までの長い登りがあって、宇土奥三等三角点(645.92m)のある山頂に出ました。三角点の周囲に少し空き地がありますが、その周りは藪なので展望はまったくありません(写真)。

西寺山からの下山は、悩んだ挙句に東側の尾根にしました。尾根をまっすぐ東に歩いて行って、そのまま藪っぽい急斜面を降りました。尾根は南に曲がっているので、そちらに行かないように要注意です。木にマーキングがあるのですが、それを辿るのは困難です。ただし道も付けられているようなので、それほど苦労なしに尾根を辿れました。徐々に雪がなくなってきてほっとしました。474mピークからは里山的な雰囲気になりました。なんとなく道があるのですが、灌木の間を抜ければどこでも降りられます。シダが密集して生えている所もありますが、それは注意深く避けて歩きました。最後は少し西寄りに降りると、ちょうど堰堤のところに出てきました。堰堤から小学校までの道もかなり藪化しており、せっかく石のベンチがあるのに残念です。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2016年1月17日日曜日

佐用町の豊福三角点

佐用の北にはなだらかな山並みが続いています。山も特にどれが高いわけでもなく、登山のモチベーションを欠きます。しかし軽い山歩きにはよさそうなので、県境を目標に歩いてみました。

登り口は江川川を遡って豊福の北付近です。平谷への分岐を曲りそこねて、少し北の道路脇に車をとめて、橋を渡って墓地付近から斜面に取り付きました。単に急斜面だというだけでなく、伐採した木も多くて、登りにくい斜面です。途中に何本か林道がありましたが、連続して登って行くような道ではありません。なんとか尾根に上がると、ごく普通の里山という感じでした。少し北に歩くと道が尾根を横切っており、ここまでの苦労は何だった、という感じでした。自然林の里山の印象はずっと続きましたが、里山ということは人の手も入っているはずで、しばらくは笹をかき分けて歩いていましたが、標高300m付近には古い道があって、しばらくそれを歩きました。道がなくなっても切り開きがあり、あまり枝や笹をかき分ける必要はありません。ちょっと複雑な地形でも迷うことはありません。人工物としては、錆びて朽ち果てたドラム缶がありました。

きつい登りはほとんどなく、周囲が植林になると、県境の尾根に着きました。ここからは県境の尾根を南下しました。起伏の少ない植林の尾根で、すこぶる歩き易いのですが、豊福三角点のあるピークだけは急斜面を登らねばなりません。豊福二等三角点(492.93m)はピークというよりも開けた尾根上にあり、棒が立てられていました(写真)。平谷深山という札が掛かっていました。このピークは県境というだけでなく、地形図では三方向の谷から破線道が登って来ていますが、はっきりした道はありません。歩きやすそうな県境の尾根に平谷への道標が付けられていました。南に県境を歩いて峠の破線道を降りるのだと思いますが、ここは敢えて県境ではなく、南に尾根を歩いてみました。倒木もありますが、落ち葉の気持ち良い尾根で、しばらく下ると植林になりました。それを抜けると木が減って笹が増えてきました。最後は笹をかき分けて尾根の先端に降りると、「遠目ヶ谷池」という看板が立っていました。

特に見るものもありませんが、急斜面もなくて、ゆっくりと山歩きを楽しめました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「佐用」です。

2016年1月16日土曜日

篠山市の追手神社から金山

先週は北の鐘ヶ坂から金山に登りましたが、今日は南から尾根伝いに行ってみました。出発点は176号線沿いの追入の南にある追手神社です。ここには千年モミと呼ばれる巨木があります。高さは高圧線の鉄塔並みで、まさに鉄塔のようなパイプで四方から支えられています。神社の裏手の山から登り始めました。急斜面の倒木で、作業道を探して登りました。神社の右手の尾根に取り付くのが一番楽なようです。尾根に上がって標高300mを越すと平らな植林になりますが、その奥に害獣避けの金網があって入り口がありました。ここに登ってくるのが楽かも知れません。

しばらくは植林の尾根を登りました。道はありませんが、勾配もそんなにきつくなく、登るのは楽です。しかしこの尾根は急斜面に突き当たります。ここは植林ですが、「昭和62年度親子植林 卒業記念・緑の少年団活動」という板がありました。樹齢30年の植林ということなのでしょうが、枝打ちも間伐もしてありますが、まだまだヒョロヒョロという感じです。間伐材と枝で埋まっている急斜面を頑張って登ると、高畑三等三角点(461.41m)がありました。周囲は伐採してありますが、展望はありません。西に歩いて、篠山市と丹波市の境界の尾根に出ました。ここからは境界を北に歩いたのですが、まずいきなり西に降りる所で尾根を探すのに苦労しました。そしてしばらく尾根を降りると峠に出て、道が横切っていました。ここは追入から上滝に抜ける峠で、お地蔵様がありました(写真)。

峠の北は急斜面ですが、登ってしまえばあとは楽で、植林の間から西に上滝や谷川の製紙工場が見えました。406mピークを過ぎて、ひたすら植林の尾根歩きですが、「タルタニ」と彫られた標石が尾根にたくさんありました。そして、金属プレートの金山四等三角点(501.36m)に着きました。地味な山頂ですが、「馬頭」という札があって、山の名前は馬頭なのかもしれません。金山に向かうにはここで市境を離れて東の尾根に下山するのですが、山頂からは見えない尾根で迷いました。目的の尾根に降りると林道の終点がありました。南側は急斜面の植林、北側は倒木だらけの植林です。なるべく林道は通らないようにと思って460m+ピークに登ってみましたが、倒木だらけで、東に降りればまた林道です。次の490m+ピークにはNHKの共同アンテナがありました。アンテナの保守用の道を東に降りると墓石が6つあって、ここを谷沿いに北に歩くと鐘ヶ坂公園に行けるようです。東に歩くと、園林寺という尼寺の跡がありました。石塔が倒れていたり、廃墟マニア向きかも知れません。入り口の階段の左に立っている石碑は真ん中で割れて、上半分が手前に倒れているのですが、裏返しなのでなんと書いてあるのか分かりません。

寺の跡からちょっと登ると、先週も来た鬼の架橋への分岐点で、今日はまっすぐに金山城跡に登りました。ここから鬼の架橋を見て追入に下山してもよかったのですが、なんとなく前回と同じように鐘ヶ坂四等三角点(426.35m)を経て鐘ヶ坂峠に行きました。そして、南側に下山してみました。このルートは地形図にも破線道として描かれており、じっさいしっかりした道がありましたが、途中から倒木が増えてきて、最後は害獣避けの扉を通るとゴミ屋敷の裏手のような所に出てしまい、また少し山に戻ってトラバースしてから道場のようなところを通って旧道に出ました。どうやら旧道のドライブインが廃墟になっているようでした。こちらには登山口の表示はないようです。

このコースは金山から南に歩いたほうが迷いにくいのではないかと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「柏原」です。

2016年1月9日土曜日

丹波の鐘ヶ坂から譲葉山

篠山市と氷上市柏原町の間にある鐘ヶ坂は、トンネルが3つもあるので有名な峠です。古来ここは難所だったらしく、福知山線はここを通らずに狭い篠山川の渓谷を通って谷川から奥野々峠へ大回りしています。その奥野々トンネルを抜けて北から176号線に出て、鐘ヶ坂公園に着きました。ここから遊歩道を歩いて明治時代に作られた最初のトンネルに行きました。遊歩道と言ってもこのトンネルが使われていた時代の道路ですので、しっかりした道です。山茶花の並木になっています。明治時代のトンネルは昭和のトンネルのほぼ真上にあるようです。法道仙人の石仏があります([1])。

トンネルは通れないので少し戻って、道がヘアピンカーブしている大曲りという所に来ると、鐘ヶ坂峠への登山道の標識があります。これに従って峠まで登りました。整備された道ですが、途中で「峠まであと半分」の標識が現れてから、たちまち峠に着きました。別のコースの標識なのかもしれません。鐘ヶ坂峠は深い切通になっています(写真)。ここからすぐに譲葉山へ縦走しても良かったのですが、面白そうなので金山城を見に行きました。まず尾根に上がり、次に鐘ヶ坂四等三角点(426.35m)のある眺めの良いピークに登り、一旦降りてから金山に向かいましたが、「鬼の架橋」への道標に従って行ったところ、金山を巻いて追入からの登山道に出ました。さらに金山を巻いて、西側にある鬼の架橋に着きました。岩がトンネルを作っているのですが、トンネルの向こう側は崖です。鐘ヶ坂方面の展望が広がります。ここから金山山頂はすぐそこです。金山には明智光秀が作った山城があったそうで、確かに北の黒井城と南の八上城の両方が見えます。柏原と篠山の両方の町も見えます。間違いなく要衝でしょう([2])。

金山を見てからは、譲葉山まで縦走です。まず尾根を歩いて鐘ヶ坂峠まで戻りました。ここに「テンプルコース 瓶割峠へ」という案内板があるのですが、道がよく分かりません。とりあえず切通の東側を登って尾根に出て歩きました。あまり整備されているという感じはしませんが、歩き易い尾根で、しばらく小さなアップダウンを繰り返して歩くと、瓶割峠への分岐がありました。ここを譲葉山の方に歩きました。ここも歩くのに支障はありませんが整備された道ではなく、迷い易い所もありました。木々の間から舞鶴若狭自動車道が見えるようになり、奥町四等三角点(431.46m)に着きました。このピークは道標に奥山と書いてありました。さらに尾根を歩いて坂を登ると北金ヶ山(464.2m)に着きました。が、ここが本当に北金ヶ山かどうかは疑問です。ここから南にちょっと行ったピークのほうが高いですし、北金ヶ山という三角点はここからさらに南に降りて行った先にあるので、途中の441mピークが北金ヶ山かも知れません。とにかく北に歩くと、尾根にネットが張られています。469mピークを過ぎると登りが徐々にきつくなり、譲葉山の手前は非常に急な坂です。頑張って登り切ると、譲葉神社(ご神体は?)のある譲葉山(594m)山頂に出ました。

下りは上小倉に降りる真南の尾根を選びました。尾根が見つかるか心配でしたが、各種のマーキングがあって見落とすことはありません。ただし最初は非常に急勾配でした。しばらく下ると傾斜は楽になりましたが藪っぽくなりました。いったん420mピークに登ってから再び尾根を降りて行くと、譲権現三等三角点(347.91m)に出ました。北の方に展望があります。ここからは藪っぽい道を南に降りて行きましたが、植林になり、マーキングがあるのでそれに従って尾根を降りて行くと、谷に出ました。ここは地形図では破線道が尾根から降りてきていますが、倒木だらけの谷でした。谷を下って害獣避けの扉を開けて国道162に出てきました。この下山に使った尾根はひどい藪はありませんが、登山道ではありませんし、長くてうんざりしました。。

金山というのは金鉱があったのかと思ったら、そうではないようです([2])。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「柏原」です。