2012年8月30日木曜日

朝来市田路の絵本三角点


田路の絵本三角点がある山は、奥田路からはもちろん、笠杉トンネルを神子畑方面に抜けた後にも見えてくる山です。登山記録は[1]がありますが、もうすこし田路川の下流側から登れないものかと考えていました。地形図で唯一尾根に上がっているのは、奥田路の手前から583mピークの東に出る破線道ですが、この谷には堰堤が作られています。となると堰堤の上流は荒れていそうです。これ以外にも、奥田路の田路川北側にはいくつかの堰堤が既に作らていたり工事中だったりします。人の手の入った山ほど歩きにくいものなので、いっそ植林から登ることにしました。

2012/08/20に来た奥田路の内水面漁業センターの手前で車をとめて、急斜面の植林を登り始めました。非常に急斜面ですが、作業道が残っており、間伐材が斜面と垂直に置いてあるので意外と登りやすく、斜めに登って西側にあった枝尾根に出ました。ここも急斜面ですが、真っ直ぐ登るには差し支えなく、疲れますが標高は稼げました。ところどころ平坦になって休める所もあります。植林が終わったのは標高620m(登り始めは320mくらい)で、東に展望がありました。ここから少し登ると、非常に登りにくいガレ石の急斜面があり、その上からは東はもちろん、トンガリ山から段ヶ峰まで広く見渡せました。この展望地に一本残っていた枯れ木は絵になりました(写真)。ただしこの日は朝に雨が降った後で、山の斜面から湧き上がる湯気で景色の半分は覆い隠されていました。この展望地のすぐ上で稜線に到達し、あとは一本道の尾根歩きになりました。自然林で、時として狭い尾根に木が生えて歩きにくいこともありますが、一応道はつけられています。何箇所か急登がありますが、概して歩きやすく、絵本三等三角点(923.88m)に出ました。周囲は伐採してありますが、その外の木の背が高いので、遠景は望めません。登山開始から約2時間、標高差600m、藪はなく途中で展望もあったので、まずは登山ルートとしては正解だったと思います。

下山は尾根を南西に辿りました。地形図で見るといかにも分かりにくそうですが、地形図をよく見ながら歩けば、間違うことなく歩けました。幅の広い尾根で、木の間隔もの広いので、どこでも歩ける感じです。アップダウンはかなりあり、858mの手前は雰囲気の良い森なのですが、858mピークへは急登でした。その後は三菱マークの杭のある植林の細尾根を歩き、尾根が西に曲がる所で東に降りて下山したのですが、ここは分かりにくい場所でした。その後は広い尾根になり、ここもどちらにでも行けるので迷いました。結局は東に伸びている尾根に乗り、植林を降り続け、急斜面の植林を降りて内水面漁業センターに出て来ました。この下山は[2]と同じです。

雨の後で、下山中にはまた雨に遭うという悪条件でしたが、藪がなかったので助かりました。ルートハンティングとして面白いコースだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2012年8月27日月曜日

大屋の六郎谷と横行三角点


宍粟市の北端では、藤無山から氷ノ山に至る市境の尾根に標高1000m前後のピークが連なっています。その中でも比較的低い部分にある二つの三角点を歩いてみました。

国道29号線から兵坂トンネルの北で右折して大屋に向かい、波賀町道谷の新戸倉スキー場のゲート付近に車をとめました。北に歩いて行くと、目の前に植林の山があります。地形図で見るとかなり険しそうでしたが、真正面の尾根で登ることにしました。尾根の東側から植林に入りました。作業道はありますが、急斜面なので体のバランスを取らないと歩けません。尾根にまわって一直線に登ってみると、意外と楽に登れました。大変な急勾配ですが、足元はしっかりしています。標高700m付近でいったん植林は終わって自然林になりました。急勾配はさらに続きますが、辛抱強く登るだけです。ややなだらかになると850m付近で植林に戻り、柳四等三角点(894.87m)がありました。

ここからもコナラを中心とした自然林の尾根が主で、ときどき片側が植林になります。852mピークを過ぎたあたりから美しい植林となり、宍粟市と養父市の市境の主尾根に着いてからは北に自然林を登ると、六郎谷四等三角点(950.28m)がありました。他にも標石があります。周囲は伐採されており、座りやすい倒木がありました。2011.10.29登頂記念のカードが木に下がっていました。六郎谷というのは、やはり轆轤師と関係あるのでしょうか?しばらく休んで南に市境を縦走ですが、北尾根に降りないように気をつけなければなりません。ぐっと東に進路を取って、なだらかな尾根を南東に進んで行きました。多少の急登もありますが、すぐに終わります。926mピークに向かって登って行くと突然石組みがあり、山城かと一瞬思いましたが新しいもののようでした。登ってみると碍子のかけらが散らばっており、昔はここを送電線が通っていたのかも知れません。926mピークはコナラの森で、すこぶる気持ち良い所です(写真)。カエデもあるので、紅葉も美しいことでしょう。送電線鉄塔(原横行線52)では北側の展望があり、大屋川方面や氷ノ山が望めます。コナラやブナの気持ち良い林を抜けると、横行三等三角点(939.93m)がありました。南側は共同アンテナを片付けた跡らしく広場になっており([1])、正面に大屋スキー場と藤無山が見えました。銅山など、倉床川上流の山並みも見えています。

下山は横行三角点から広場を横切って南に降りました。尾根の分岐が多いので、地形図を見ながら降りて行かないと目的の方向には行けません。とは言えどちらに行っても下山は可能だと思います。周囲は自然林が多く、植林に入ると共同アンテナの残骸がありました。その先は手入れされた植林となり、尾根を下って行くと、最後は小屋がありました。これはスキー場入り口の阿於意神社の奥の院(?)の藤奈志神社だと思われます(その割には置かれていたのは仏教的なものでしたが)。

標高が高いので風が涼しく、適当に雲もあって日差しも強くなく、最高の山歩きでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「戸倉峠」です。

2012年8月22日水曜日

西脇の西光寺山と机坂三角点


西脇市の最高峰西光寺山です。このルートは[1]と同じです。8年経ってもあまり変化は無いようです。

登山口は中畑林間ファミリー園で、ドリンクの自動販売機があるのが嬉しいところです。西光寺山の登山道は近畿自然歩道として整備されているので、標高差が500m以上ある割には楽な登りで、時間も1時間ほどでした。近畿自然歩道の道標は、最初は100mおきくらいにあるのですが、そのうちに無くなって、あとは山頂100m前にありました。しかし迷う恐れは全く無い一本道です。はじめのうちは階段が多く、歩幅が合わずに膝が痛くなりましたが、ほとんどはよく整備された登山道でした。標高400m付近にはこぐり岩だとか金の鶏の話だとか、554m地点にはウバメガシだとか、適当に興味を繋いでくれるので退屈しません。山頂寸前でまず三角点が見えるのは良い趣向です(意図的ではないでしょうが)。山頂には祠と東屋、そして西光寺三等三角点(712.91m)があります。周囲に高い山がないので展望は素晴らしく、明石海峡大橋から千が峰まで見えます。気温は31度でしたが、風があって快適でした。

西光寺山からは北に尾根を歩きました。まず急勾配の道を降りて、「住吉行者山経由下山口約2K」という道標から藪を抜けて、北に行く尾根に出ました。この先は自然林の中に道があります。黒い板に数字を書いたものが木に下がっていますが、これはこの後もずっとありました。610m+の鞍部に「左側↑下山口」と書いた青い板が落ちていました。落ちていたので方向が分かりませんが、ここで左側に行く理由はないと思います。そして618mピーク手前の鞍部から、尾根の南側に広い道が現れます(写真)。これは自動車が通れる幅がありますが、荒れていて草や灌木が茂っているところもあります。しかし尾根にそって延々と続き、机坂峠までこの道を歩けます。尾根はかなりの藪ですから、まさに僥倖です。想像ですが、これは防火帯ではないでしょうか?南側にあるゴルフ場を囲うように作られているのではないかと思います。途中に「西脇東中トライヤル測量記念2004.6.7 イネノ尾」という札が立っていました。

尾根の突き当りで防火帯は市境どうりに降りていきますが、ここに「西光寺下山歩道 左へとってつき当たりを左へおりてネ」という青い看板がありました。これが行者山経由の下山道と思われます([1])。この付近までずっと下りで、こんなに下って良いのだろうかと思ってしまいますが、700m超の西光寺山から430m+の机坂峠まで下るのですから、たくさん下るのは当然です。やっと少し登りがあると、そこは送電線の鉄塔です。奥多々良木線80鉄塔です。南北に巡視路が伸びているので、ここから下山も可能です。ここの「火の用心」は横長のもので、赤い塗料が落ちると黄色になってしまいます。鉄塔付近は藪っぽいので防火帯はここで終わりかと思うとそうではありません。次にあるのは共同アンテナで、北側から電柱でケーブルが上がってきています。電柱にはNHKと書いてありました。この先も防火帯は続き、急坂となって机坂に出ました。防火帯(?)は南に下山していきます。東に進むと自然な山道が続き、机坂四等三角点(480.13m)がありました。大柿さんの、白いプラスチック板が木に付けられていました。結構古いレア物ではないでしょうか。ここが「ササバ」です([1][2])。

下山は机坂峠から北に藪を抜けました。足元がぬかるんでいますが、すぐに古い林道に出ました。これも荒れていて、背の高い草が茂っていたり(イバラも混ざっています)、岩で埋まっていたり、崩落していたりします。木が邪魔で展望はあまりありません。関電の巡視路と合流すると、急斜面をまっすぐ下る山道になります。林道がここで終わっているのが不思議で、普通は山道の上に林道があることはありません。ひょっとするとこの林道は南から峠を越えて作られたのかも知れません。巡視路も場所によっては砂地だったり岩が多かったり、要注意の場所があります。奥多々良木線79と78鉄塔を過ぎると歩きやすくなり、畑谷川沿いに出て来ました。頌徳碑と忠魂碑があります。ここから中畑林間ファミリー園までは猛暑の街道歩きでしたが、風があったので救われました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。

2012年8月21日火曜日

イタリ山と石金山


黒田庄の北の端、加古川が篠山川と分岐する地点に立つイタリ山は、どう考えても山城として最適の要所にありますが、不思議と城跡を確認した例は無いようです([1])。イタリ山から西に尾根を伝えば石金山まで気持ちよさそうな縦走コースに見えます。展望も良さそうなので、歩いてみました。このコースは[2]と同じですが季節が違うので印象も異なります。

国道175号線を黒田庄から北上し、道の駅・山南仁王駅の先、橋の前で左折して出会い公園を過ぎて駐車場に車をとめました。山南仁王駅は道の駅としては認定されていないようで、「簡易パーキング」と表示されています。なお、登山道の道標にも「山南仁王駅」の方向が表示されていることが多く、最初は播但線の駅かと思いました。車を停めた駐車場には意外と車が多いのですが、クーラーを付けたまま運転手が乗っている車が多く、休憩所として使われているようです。駐車場の端に「至山登山口 この上 300m」という札が立っています。そちらに歩いて行くと確かに幅の広い道から山の上の方に分岐があるのですが、この場所には何も指示がないので、気付かずに水平な広い道を歩いて行きそうでした。登り始めると地形図どうりにジグザグな急登です。途中に「至山稲荷大社跡」という札があるのですが、どこが跡なのか分かりません。少し石組みが残っていますが、この急斜面に神社が立っていたのでしょうか?そして、「田高坂⇒石金山」という標識を過ぎて登ると、ツーカーのアンテナが立っています。山頂にはNHK山南テレビ中継放送所があります。パラボラもありますが、アンテナはすっかり地デジです。山頂は藪で囲まれており、登山道以外を歩こうという気は全く起きません。至山三等三角点(273.84m)がありました。山頂は展望はありますが、暑いのですぐに登山道に戻りました。

素直に登山道の分岐から石金山(3.1km)を目指しました。この分岐のところはいきなり藪に入るので驚きます。マーキングが1mおきに付けられているので、迷う可能性はありませんが、マーキングがなければ突入するのは憚られます。しかし周囲は藪でも道はしっかりしており、すぐに次の通信塔に着きました。これはドコモでしょう。308m地点で、休憩所となっていますが、暑いので先に進みました。この先の尾根には電柱が立ち電線と光ファイバーが引かれています。次の休憩所はドコモの黒田庄無線中継所で、大規模な施設です。この通信塔とさっき通り過ぎた通信塔の関係はどうなっているのでしょうか?この先の尾根にはドコモが設置した金属製の長い階段が続いており、楽なのですが、ステップの幅が歩幅と微妙に合わず意外と疲れました。次の280m+ピークは展望台となっていて、南側の展望があります。

階段を降りると田高坂峠です。寛政8年のお地蔵様があります。破線道もしっかりと横切っていますが、西向きには関電の赤い「火の用心」が二つ立っています。坂を登ると、撤去された鉄塔の跡に出ました。この系統(黒田庄支線?)は使われておらず、山の上の鉄塔はほとんど撤去されています。平地に立っているものは残っていますが、もちろん電線は張られていません。鉄塔跡地からは笹薮を抜けて松の木が生えているだけの306mピークに出ました。次の鉄塔は北摂長田野線57で、小振りです。この先も巡視路が続き、58鉄塔への北向の分岐がありますが、心細い道でした。この付近でタヌキとニアミスしました。西に進むと分岐があり、56鉄塔へは左、石金山は右になります([2])。右は急斜面で岩場があり、鎖と木のはしごが装備されています。これが天狗岩で、これを登り切ると440m+ピークに出ます。ここも展望があります。特に東の丹波地方がよく見えていました。ピーク近くには「滝ノ方展望台」もあり、北東側が見えます。そして坂を降りると小新屋観音への下山道への分岐に出ます。この先登山道は二つのピークを巻いて進み、ロープを伝って岩場を上がると、石金山山頂です。石金山三等三角点(508.42m)があります。「360°展望」と書いた札が立っているくらいで、ちょっと木で邪魔される方向を除いて300度以上の展望があります。天気が良かったので、明石海峡大橋から千が峰、篠ヶ峰のアンテナ、北すぐに蛇山など、このへんのたいがいの山が見えています。

さて下山ですが、最初は天狗岩のあるピークから北に延びる尾根を降りようと思っていました。しかし付近の様子を見ると、切り込んでいける場所がありません。そもそもイタリ山以来、登山道がなければ歩きたくない尾根が続いていましたから、道のない尾根を降りるのは無謀です。というわけで、素直に小新屋観音へ下山することにしました。植林の中を抜ける道で歩きやすいのですが、最後は伐採地の南側の谷に出てきます。この谷は倒木や石で埋まっており、道も消えかかっています。ここを過ぎると谷沿いの林の中をちょっと抜け、扉を抜けて小新屋観音に出ました。

ここからは降りられなかった尾根の先をぐるっとまわって、最後は川沿いに駐車場に戻りましたが、夏の強烈な日差しの中を1時間かかりました。尾根の先にある、山からは学校に見える建物は「大地農園アースマターズギャラリー」だそうです。川の土手脇には道標を見つけましたが、うまく読めません。田高坂峠へ至る道への分岐には「右ハやま」とありました。左は「たきのゑ」としか読めません(写真)。なお、田高坂峠の方へ行かずに川沿いに歩くと、通行止めになっています。道の最後は山と川に挟まれており、山沿いは植林の影で気分が良いのですが、川に近づくと大きな草が茂っていて藪っぽくなります。ここが最後の藪漕ぎで、すぐに駐車場に出ました。

けっこう藪がきついな、というのが感想です。山麓からは山に入る道がいくつもありましたが、里山へ入るのが目的の道だとすると、尾根に登る道はほとんど無いでしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「中村町」「谷川」「丹波和田」です。

2012年8月20日月曜日

田路から登る山上庭園


山上庭園というのは、笠杉山から段ヶ峰に縦走する途中に通る、宍粟市と朝来市の県境にある標高1080m程度の広い平地です。県境に沿って700mほど伸びており、下草が無く適度に木が生えており、気分の良い場所です。ここへは宍粟市側から登るのが普通ですが、朝来市の田路から登ってみました。

出発点は奥田路の内水面漁業センターです。目の前に365mピークがあり、神社があります。木尊毘沙門天という名前のようですが、18世紀初めの墓があり、この地域の歴史の古さに驚かされます。ここから長い尾根歩きとなります。直線距離で2.5キロですが、標高差は700mあります。ほとんどは植林で、作業道があって歩きやすい尾根です。最初こそ急勾配ですが、すぐに平坦地と斜面が交代するようになりました。717mピークは比較的広い平坦地でした。標高800mの手前付近に、すこし藪っぽい所がありますが、すぐに植林に戻ります。一番傾斜がきついのは、850mの手前でした。この急坂を登ると藪ですが、この付近は尾根の北側に作業道があることが多く、ここを通れば薮漕ぎは避けられます。植林が終わって植生が変わるのは標高850mを過ぎたあたりで、高山っぽい雰囲気になります。970m付近では北側の展望があり、笠杉山から田路川北の尾根や須留ヶ峰がよく見えました。1050mの手前には北側の展望があり、氷ノ山までよく見えていました。

2時間かかって山上庭園に到着しました。中央付近の岩の多い場所の木に「山上庭園」という札が下がっています。南端まで歩いて段ヶ峰から東に延びる尾根や千町ヶ峰など、東・南・西の展望を楽しみました。ここから下山するルートはいくつかあり、トンガリ山(981.4mピーク)を経由することも考えましたが、段ヶ峰から北に延びる尾根は木が少なく、日照りが強そうだったので笠杉山方向に下山しました。植林を降りていくと西側に美しく舗装された基幹林道が見えてきます。そして笠杉峠に出ました。ここには天保年間のお地蔵様があります。問題はその脇に立っている「東へ奥田路60分」という道標です。東に下る道はあるのですが、すぐに背の高い草に覆われて見えなくなってしまいます。昔は道があったかも知れませんが、斜面に付けられているようで、探すのは難しそうです([1])。そこで峠の北の902mピークに登って東側を見ると、地形図に描かれている林道の終点が見えました。草で覆われていて、西側に見える基幹林道と好対照です。ここは基幹林道が一番尾根に接近する場所でもあります。

急斜面を降りて林道に降り立ちました。この林道は幅が広く、かつては自動車が通れたと思いますが、荒れ果てていて、古い林道に生じるあらゆる問題が生じていました。シダが茂るとか、背の高い草で通れないとか、低い木が生えているというのは大きな問題ではありません。斜面の崩落はひどく、山側から石や土砂が崩れてきて林道を覆っている場所が多々ありました。谷側の崩落で道幅がやっと歩ける程度まで減っている部分もありましたし、山側と谷側と両方で崩落が起きた(というよりも、山側の崩落が林道を押し流した)場所では林道が残っていませんから、山側に登って斜面をトラバースしなければなりませんが、小石や砂地が多いので滑落の危険が大です。谷側をコンクリート板で補強してある部分も多いのですが、林道がコンクリート板もろとも崩落して、コンクリート板が眼下に落ちている場所もありました。この林道は意外とコンクリートの部分が多いのですが、川に削られて路面のコンクリートがばらばらに割れたり流れたりしている部分も何箇所かありました(写真)。そして一番強烈なのはコンクリートの橋が流されている場所で、土石流の向こう側の林道の続きまでどうやって渡るかが大問題でした。高い位置を渡ると滑落の危険があり、かといって下に降りると砂の斜面で登れません。すさまじい力で橋が流されたらしく、橋のかけらも見えない所もありました。橋の両側の林道も削られているので、橋のあった位置を推定することも不可能です。そんな場所が10箇所近くあったと思います。谷に掛けられていた橋で無事なものは一つもありません。途中に林道が谷の下で大きく曲がっているところがあり、ここが笠杉峠に繋がる谷ですが、ここの橋も跡形もありません。谷の上流側には倒木は少ないようでしたが、谷は岩が多く両側は背の高い草で覆われており、ここを歩くのは容易ではないでしょう。

林道がやっとまともになったのは地形図で田路川が描かれている付近からで、木材の切り出しをしていました。笠杉山からの下山に田路川の北の尾根を使うなら、ここへ降りてくると早く下山できます。結局林道を歩いていたのは2時間程度で、登りと同じくらいかかってしまいました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★ 登りは問題ありません
地形図は「神子畑」です。

2012年8月19日日曜日

一宮の百千家満三角点


一宮から安積で揖保川沿いに東に曲がり、三方町まで行くと、揖保川と公文川が分岐する地点に家原遺跡があり、その北には御形神社があります。縄文時代から人が住み、播磨風土記にも名前が出てくる歴史ある地域です。その川に挟まれた尾根にあるのが百千家満(おちやま)三角点です。ここから更に北の嘉門橋三角点まで行ってみました。

尾根への登り方が分からなかったのですが、家原遺跡公園の学習の森の地図には頂上まで640mとあり、道があるようでした。しかし道標は全くありません。最初は山に上がっていく道を登りましたが、墓地で終わっていました。そこで北に続く森林学習歩道を歩いたのですが、日時計で終わっていて登山道はありません。公園の方に戻って調べた所、公園からすぐの釜の先に、地図どうりに道を戻る方向に登山道がありました。草ぼうぼうですが、少し登ると道らしくなり、金網のフェンスも扉が壊れていて難なく通れました。ジグザグに登りますが、最後は低い松が茂っていて通れず、適当に登ると頂上には東屋がありました。野鳥観察用だそうです。

頂上といっても東屋があるのは390m+なので、北に尾根を歩きました。いきなり藪ですが、踏み跡があります。すぐに深い切通があります。408mピーク付近は木の間隔がやや広い藪です。地形図で御形神社の方から破線道が登っているところでは、実際にあったのは深い溝でした。ただしこれが天然のものではないことは、溝が尾根上では一度盛り上がった道の中の溝になることから明らかです。付近は植林で、溝に沿って歩くと、登りになり、その先にピンクテープの鉢巻をした百千家満四等三角点(484.31m)がありました。このピークは南東に延びていますが、そちらには行かずに北に尾根を降りなければなりません。この尾根は広いのですが、西側の植林が歩きやすかったと思います。この先は植林になり、東側下方に林道が走っていました。そして、藪の急な斜面に突き当たりました。手で枝と蜘蛛の巣を払い、木に掴まって登りました。登り切った460m+ピークには感動するようなものはありません。この先494mピークまでは藪っぽい尾根ですが、歩きにくいとは思いませんでした。

494mピークから先は、藪と植林が交互に現れます。450m+の長く伸びた尾根からは東側の展望がありました。この付近でも、植林は風が心地よく、気分の良い山歩きでした。植林を歩いてもう一度490m+のピークを過ぎると、その先は急勾配の植林です。植林は伐採した木が倒れているので登りにくく、大半は植林と雑木林の境界付近を登りました。やっと尾根に出ても少し登りが続きました。ここは550m+のピークです。北に歩いて一度少し下ってからまた登って、嘉門橋四等三角点(554.88m)を見つけました(写真)。この尾根はずっと藪ですが、三角点の南には少し平坦地があります。

三角点から一つ南のピークに戻り、すぐに南東に尾根を降りて下山を始めました。こちらも植林は気持ちが良いのですが、藪も多かったと思います。しかも下山と言っても登りも結構あります。次の480m+ピークは藪で見通しが効かないので、コンパスで方位を定めて南に降りました。次の545mピークも藪でわかりにくく、あやうく西の尾根に行くところでした。545mピークから少し南に下ると、二つの尾根の間に出ますが、この谷はきれいに伐採されていました。ただし伐採されている幅は広くありません。南斜面で暑そうなのでこちらには行かず、西に尾根を歩きました。南に尾根がありますがそちらにも行かず、480m+ピークを過ぎて、南に曲がりました。この付近は林道で見通しも効きますし、尾根道も南に向かっていました。綺麗な植林の鞍部を過ぎると藪の登りで、その上が476mピークです。この付近は藪で、共同アンテナの残骸がありました。我慢して南に尾根を歩き続けると、植林に入りました。この付近も良い感じです。尾根上にはここでも深い溝が刻まれています。このまま真っ直ぐ降りるのかと思うと、溝は東に曲がって斜面を降りており、これに付いて東に急斜面の植林を降りました。降りてきた所には、金網のフェンスに出入口がありました。出てきたところは民家の裏で、庭を通って道路に出ました。あとは国道を歩いて家原遺跡公園に戻りましたが、暑いし車はとばすしで、疲れました。

山を歩いていたのは4時間弱でした。地味なコースですが、場所によっては心地よい風の吹く綺麗な植林もあったので、良いコースだと思います。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2012年8月18日土曜日

越知川の最上流


越知川の最上流も、周回コースを組むのに適した形になっています。どのくらい大きく廻るかでコースの長さが決まりますが、今回は三角点を3つ廻ることにしました。

夏休みで大賑わいの新田ふるさと村を車で通り過ぎると、「猪・鹿侵入防止冊」があります。この手前に「生野町への通りぬけはできません」という看板が立っています。とにかく、行って見ることにしました。この先は林道黒川新田線になります。舗装されており、快適に走れました。快適に峠まで行ってしまうと山登りにならないので、西側の尾根に登りやすそうな場所を探しました。結局、491m標高点の先で林道が大きく尾根の先を回っているところから登ることにしました。

登りはじめた付近は植林だったのですが、すぐに藪になりました。これが結構長く続き、最後は予想外に急な斜面を登って左手からの尾根と合流しました。ここは植林で、歩きやすくなりました。さらに登ると自然林に戻りましたが、道がありました。おかげで楽に主尾根まで到達できましたが、この主尾根は藪っぽくてがっかりしました。少し北に歩くと焼山谷三等三角点(806.52m)がありました。周囲は藪で、ネットも張られています。ここからは北上ですが最初は藪が邪魔でした。780m+付近で東に尾根を降りなければなりませんが、この尾根は慎重に探しました。尾根が登りになる手前で降りるのが正解です。この付近は美しい植林で、夏の日差しは高い木で遮られ、広い木の間から風が吹いてきます。とても気分よく歩けました。774mピークを過ぎても快適で、高圧線の鉄塔に出てきました。奥多々良木線16鉄塔です。巨大ですが意外と低めでした。尾根の真上ではなく、少し北寄りに立っています。展望がありますが、日差しも強かったので早々に尾根歩きに戻りました。ここは関電の巡視路になっています。この先の790m+地点は尾根の分岐路で、地籍調査のピンクテープや関電の赤い「火の用心」があり、さらに国土地理院の「節点」と書かれた杭(昭和50年)も倒れていました。

ここからは東に登りです。展望もありますが、最初のピークと次のピークの間の岩場を降りるのはちょっと大変でした([1])。そして、高路奥四等三角点(813.60m)がありました。測量に使ったらしく、紅白のポールが三角点の上に立てられていました(写真)。大柿さんの2001.8.4の赤札が残っていました。「槍ヶ峰より至る町界で作畑に向かう。暑い暑いでは・・」とのことでした。この先は東に少し降りると林道が尾根を越していました。ここには「帰去来」と書かれた記念碑が置かれています。舗装こそされていませんが、整備された林道です。道の真中に「神崎町役場建設課」の通行止めフェンスが置かれていました。現在越知川側で工事が行われているようで、そこは通れないのかも知れません。ここが「森林管理道 黒川新田線 終点」だそうです。

朝来町側の林道も崩落があるものの通れそうでした。しかし林道があるために尾根歩きを続けるには峠の所で尾根に乗る必要があります。地籍調査のテープがあるのでわかり易く、尾根は藪ですが道があります。ただ、林道の斜面が崩落している場所では尾根も削られているので、滑落しないように注意しました。やや藪っぽい尾根をまっすぐ東に歩くと(地籍調査のマーキングは途中で北の尾根にも付けられているので注意)、槍ヶ峰に出ました。ここには「表銀座コース」という札が立っています。「槍雄岳縦走コース」の道標もあり、「三国岳へ」も地籍図根三角点もあって賑やかです。考えてみるとここは「多可の天空」の延長の尾根なので、手入れが行き届いているのでしょう。おかげで楽に次の貝坂四等三角点(807.84m)がある中岳まで下れました。このまま主尾根をずっと歩いて行くことも考えましたが、気温も高く雷も鳴っており十分に藪も歩いたので、ここで下山することにしました。中岳から南西に尾根を降りました。この尾根は地形図で見るように比較的なだらかで、植林がほとんどでした。特に779m地点から下になると気持ちのよい植林がほとんどでした。奥多々良木線19鉄塔に出ると、あとは関電の巡視路で下山しました。これで楽勝と思ったのですが、急勾配をジグザグに降りるあたりでは足場が悪く、足が疲れました。その下は植林でした。下山した地点は南東に向かう谷との分岐付近です。破線道はここで終わっており、その先は金属の橋を渡って20鉄塔への巡視路となっていました。

4時間ほどの山歩きでした。藪がやや多かったと思いますが、気持ち良い植林歩きもあって、良いコースでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大名草」です。

2012年8月16日木曜日

天児屋から登る三国平


三国平は、兵庫県、岡山県、鳥取県の境界から少し東にそれた兵庫県と鳥取県の県境にあります。峰越峠から尾根伝いに行くのが常套ですが、それは帰りに取っておいて、天児屋から登ってみました。

天児屋たたら公園を通りすぎて天児屋川を遡ると、橋の所で舗装が終わっています。ここが地形図では破線道が2本に別れる場所です。最初のプランはここから天児屋川を西に遡ることにしていたので、車をとめて地形図にある破線道を橋の北側で探しました。道らしき場所があったので歩いて行きましたが、非常に荒れており、しかも川沿いではなく、北側の山に登っていきます。川の南側を目視で調べましたが、良い道があるようには見えなかったので、川沿いは諦めて北の山に登りました。荒れた道はジグザグに少し登ると終わってしまったので、急斜面を無理やり登りました。途中にネットがありましたが、これを越えて尾根に出ると、反対側は凸凹の多い不思議な地形でした。東側から道のような谷が登ってきており、東側から登るのが正解でしょう。不思議な地形は、もちろん採鉄によるものです。谷が大きく削られており、尾根は木がかろうじて生えている程度にまで細くなっています。最初は尾根を歩いていたのですが、灌木で歩きにくい上に、尾根の反対側はまた谷で、尾根が繋がっていません。結局谷を歩くのが楽だという結論になりましたが、方向がまるで分かりません。これには困りました。地形図のおおまかな標高線では表せない、細かい凸凹がたくさんあるのです。無駄に尾根を幾つか登ったあげくに方角を間違えて西に行ったり、必要もないのに一番高い尾根に登ったりしました(大きな松の木が生えていました)。北側はかなり深い谷なので、尾根を東に歩いて、谷の標高が上がってきた所で尾根から降りました。地形図の破線道はありませんが、谷の一番標高が高い点には細い溝が掘られており、まさに鉄穴流に使われていたのかも知れません(写真)。

谷の北の山も最初は採鉄の跡地で地形がめちゃくちゃでしたが、少し登ると山らしくなってきました。草の背も高くなり、歩きにくくなると砂地の斜面に出てきました。草をかき分け、ススキに掴まって登って斜面の上に出ると、林道がありました。かなり古く草が茂っていますが倒木や落石は無いので、それなりの車なら通れるでしょう。この道は航空写真でも見えており、歩き始めた橋の所を直進するとここへ出てくるはずです。夏の林道歩きは暑いので嫌ですが、標高が高いので意外と涼しいので林道を歩きました。森に入る道もあったのですが、尾根は藪っぽい感じでした。この林道は山の西斜面に作られており、徐々に標高が上がっていきます。たまに西側の山が見えることもあります。しかし最後は三国平から直線距離で約500m南で終わってしまいます。終点の北は谷なので、斜面を登って尾根に出ました。ここはチシマザサの藪で、突破するにはかなりの腕力を必要としましたが、距離数10mで尾根に出ました。尾根も笹薮で、北に歩くとどんどんササが強くなりました。植林に入ると笹はまばらになり、少し楽をしましたが、県境が近づくとまたササが増えました。

兵庫県と鳥取県の県境に出るとササは少し減りましたが、ここは三国平ではありません。西に少し降りる必要があるのですが、ここは広い尾根で、全面がササに覆われています。道の形跡はないので適当に降りましたが、疲れました。シダが現れると正直ほっとしました。そしてやっと三国平に着きました。宍粟50名山の標識が立っています。丸太のベンチがあり、風もあって良い感じですが、展望はあまりありません。ここまで2時間半かかりましたが、道のりの半分です。すぐによく整備された道を西に歩き始め、江浪峠に出ました。お地蔵さんがあります。左に行けば天児屋川源流ですが、右に行って三県の境に出ました。「源流探訪ツアーコース」の道標がありました。ここからは南に尾根を歩きました。林の中を通るよく整備された道で、全く文句はありません。30分で峰越峠に着いてし、東屋で休憩しました。

峰越峠からは、スキー場の方へ下って大回りして天児屋に戻る道も考えましたが、「天児屋」という道標があるので道があることを確信して東に降りました。道標の裏側は「天児屋川源流」だったのが気になってはいたのですが。この下り坂はピンクのマーキングがあるもののかなり荒れており、マーキングも見失いがちでした。見失うと藪漕ぎになります。谷に降りると丸太の橋が掛かっていますが、腐りかけているので石の上を歩いて反対側に出ました。マーキングは上流向き、つまり天児屋川源流方向に付いています。天児屋に向かう方には何のマーキングもなく、すぐに藪になりました。しかし踏み跡はあって、かつては道があったことは間違いありません。背の高い草や灌木が茂っていて、踏み跡も消えかかっている所が多く、適当に歩いた所もあります。ここは地形図の破線道どうりに、川の北側を歩きました。地形図で北から破線道(存在しない)が降りてきている付近はかなり歩きにくくなっていました。この先は地形図どうりすぐに川を渡りました。この後、確かに川の南側に道はあるのですが、斜面の上の方に作られており、崩落しかかっているため、川まで滑落する恐れがあります。川の北側を見るとちょうど山から道が降りてきたので、また川を渡りました。この道は幅が広く、歩きやすくて助かりました。幅が広い割には川を渡る時は丸太橋でした。自動車用の橋が落ちたのかも知れません。川の南に渡ってからも良い道が続き、結局出発点の橋の南側に出て来ました。初めに地形図を信じて川の北側に道を探したのが間違いだったようですが、この川沿いのコースはいずれにしてもとてもお勧めできるものではありません。

登りは最初から林道を歩けばずっと楽ですが、県境に近づいてからの笹薮は避けようがありません。下りに使った川沿いの道は危険もありますので藪好き限定でしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「西河内」です。

2012年8月5日日曜日

東から登る千種の空山


空山は西側の池田から登るのが一般的でたくさんの登山記録があります。西から登って南の魚町公園に降りるのが普通のようですが、東の河内川から登ってみました。それも、空山の北の金谷三角点を目指し、時間に余裕があれば尾根伝いに県境まで行ってみようという計画です。登り口は三室高原入口の手前、河内川の分岐点近くです。道路脇に金網の扉があったので開けて入ってみたのですが、これは不正解でした。この付近では畑が金網で囲ってあるので、扉から入ると山には登れないのです。正解はガードレール裏から植林に入ることでした。道路脇の植林は二列だけで、その上は段差があって、そこからが急勾配の植林となります。作業道を探してここを登り続けると、見晴らしの良い尾根に出ました。この尾根の南側急斜面は伐採されているのです。

伐採地からは尾根伝いに登りですが、この付近は地形が不自然で、採鉄が行われた跡かも知れません。雑木林が多く、さらに本格的な登りになっても雑木林の藪が続きました。808mピークから西に降りるところはちょっと迷いましたが、ピンクのマーキングがありました。ところどころ切り開きがあって、楽に歩けるようになりました。とは言うもののマーキングはあっても足下は灌木や倒木で歩きにくい場所もあり、急勾配の場所もあって、やや疲れました。たまに北の県境の尾根が見えていました

登り始めて1時間ほどで、南北に延びる主尾根に着きました。ここには三角点があるはずなのに、363という番号の付いている標石しかありません。とにかく北に歩こうと思って歩き始めると、ちょっと先に金谷四等三角点(946.74m)がありました。地形図でも、ピークのちょっと西側にあります。この付近は藪で道が消えかかっていました。しかしその先で尾根が北に折れて少し下ると周囲は植林が増えてきて、歩き易くなりました。957mピークは植林の中です。歩き易くなってきたので、もっと北に歩いてみました。この先は登りになりますが、割とはっきりした切り開きがあって、横から出っ張っている枝が邪魔なだけでした。やや長い登りが終わると、1010m+のピークに出ました。ここは伐採してあり、東側に素晴らしい展望が広がっていました(写真)。三室山から竹呂山、植松山が見えています。この伐採地からヒカゲノカズラの群生地を抜けて更に北に下って登ると、県境の尾根に出ました。この1081mピークには名前は無いようですが、西に降りると中江乢、東に降りると大通峠です。ピーク付近のチシマザサ(ネマガリ竹)は薄いのですが、西の1199mピークへの県境の尾根にはチシマザサがびっしりと生えていました。

県境に出てもたいして展望もなく(北側が見えますが)坐るところもないので、すぐに南の伐採地に戻って再び展望を楽しみました。この日は気温は高かったのですが風があって日陰にいれば快適でした。ここから金谷三角点までは来た道を戻りました。80分の寄り道でした。そして、目的地の空山を目指して南に尾根を歩きました。標高910m+付近に東側の展望の得られる点があり、この付近は岩が多く道はあっても注意を要する場所でした。あとは手入れの悪い植林という感じですが、手入れが良くなってきて、一旦少し降りてから登り返すと、空山山頂に出ました。有名な「平成大馬鹿門」が立っています。これに気を取られてよく見なかったのですが、草に埋もれているのが空山三等三角点(900.91m)でしょうか。宍粟50名山でもあり、標識が立っていました。周囲は伐採されており、東も南も展望がありますが、そろそろ木が育ってきているので景色は途切れがちです。

ここからは普通の下山ルートで降りました。さすがによく手入れされており、よく踏まれているという感じでした。植林の中をジグザグに降りて行きます。降りた先はまたしても不自然に平らな植林でした。この道がなければ、この方向から登るのは難しいでしょう。693mピークを過ぎると伐採地の上に出て、河内川沿いが見渡せました。この先はコースどうりに進まずに東に降りるつもりだったのですが、谷は倒木が多くコンディションが悪そうだったので、まずコースどうりに谷の南に出て、それから登らずに東に尾根を歩きました。途中で地形図の破線道を横切ったはずですが、はっきりした道はありません。東へは作業道で植林の尾根を歩きましたが、作業道は途中で消えてしまって、最後は急斜面の植林を南へ降りました。もっと頑張って東に行ってもよかったかも知れません。降りたところは予定の林地区ではなく大久保地区の一番奥にある人家の裏でした。ここからは暑い中を河内川を遡って歩いて車まで戻りました。暑さが堪えました。

どこを歩いても採鉄の跡が残る山だというのが感想です。この尾根を使うと県境のピークまで笹に悩まされずに到達可能であることが明らかになったことは、大きな収穫でした。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2012年8月4日土曜日

多可町の豊部山と森内山


夏は涼しそうな北の山に足が向きますが、今日は多可町に行ってみました。とは言っても「多可の天空」ほど高い山ではなく600m級の山ですが、降りれば37度でも山の上は風もあって快適でした。妙見山と杉原川を挟んで北側に位置する山並みです。

登り口は加美中学校の裏にしました。この山は金網に囲まれていますが、ここに出入り口があります。道はすぐに終わってしまったので左手の急斜面の植林を登りましたが、作業道がありました。植林が終わると藪っぽくなりますが、倒木が少しある程度です。最後は岩場があって、ピークに出ると寺谷口三等三角点(412.54m)がありました。標石の角が欠けています。周囲は低い松林となっています。

ここからは北に尾根を縦走です。藪はなく、しっかりした道があるところがほとんどです。踏み跡程度だと蜘蛛の巣を払わないと歩けませんが、広い切り開きがあるとその必要もなくなります。485mピークには共同アンテナの残骸がありました。その先、標高500mの手前付近にも同じく残骸がありました。そして豊部山山頂に着きました。豊部山四等三角点(532.68m)がありました。この先は一転して藪になりました。害獣避けネットもあって、しばらく歩きにくくなりますが、すぐにまた灌木は消えて歩き易くなり、黒いプラ階段があったと思ったら播磨中央線57鉄塔がありました。鉄塔付近はネットで囲われていますが、入口が知恵の輪のようになっていて、開けるのに手間取りました。尾根上のピークに鉄塔があり周囲は切り開かれているのですが、木が育ちすぎて多可の天空を一望とはいきません。アブがいたので慌てて鉄塔を離れました。

巡視路と分かれてさらに北に歩くと636mピークに付きました。付近は植林の伐採後で、背の高い草やアセビが倒木の周囲に生い茂っており、歩きにくいことこの上ありません。かなり苦労して東に尾根を歩きました。標高600mを切るあたりに大きな岩がいくつかありました。次のピークの先はまた伐採地の藪でしたが、その次は結構急な植林の坂でした。これを登ると620m付近の岩の上からようやく多可の天空を一望できました。足下には農林業公園の風力発電機も見えています(風のある日ですが止まっていました)。

そしてようやく森内山(立岩山とも言うらしい([1]))に着きました。周囲の尾根は平坦で、これが笛草城趾のようです([2])。不動明王がありましたが(写真)、[2]ではこれは先ほど通った展望地にあったようで、誰かが移したのでしょうか。森内山三等三角点(651.34m)は、不動明王の東にありました。ここからは下山ですが、こちら側も急な尾根で岩場があります。城の一部だったのかも知れません。少し下ると伐採地の上に出て、杉原川の上流が展望できました。一番目立つのは篠ヶ峰のアンテナ群です。伐採地の上端のネットに沿ってしばらく歩き、尾根を下ると東側すぐ下に林道の終点が見えました。それで降りてはつまらないので、尾根を歩き続けました。

492mピークの北には共同アンテナの残骸があり、NHKの増幅器が残っていました。南に下って430m+の小ピークでは青いネットに突き当たり、それに沿って南東の400m+小ピークに行き、尾根を下ると播磨中央線60鉄塔に出ました。ここからは南の展望がありました。この鉄塔の近くには巡視路の表示が見当たらず、真っ直ぐ下へ低い松をかき分けて降りると道がありました。ただしその下は急斜面の植林で、滑落しないように丁寧に降りると、林道に出ました。これが先ほど通った展望地へ続いているのかも知れません。この林道で、登山開始から4時間少しで無事に金網の扉を開けて下山できました。

三角点3つに鉄塔2つに大岩に城跡という、けっこう盛りだくさんなコースでした。伐採地の藪が今後も育ち続けると思いますので、ご注意下さい。なお、登り口は豊部の村から谷を登る方が面白いかも知れません([2])。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」です。