2010年6月27日日曜日

赤穂ふれあいの森

曇り空で、昨日の雨で山道はどろどろだろうと思って、楽に歩けそうな道を探しました。同じことを考える人はいるもので、[1]で「赤穂ふれあいの森」を見つけました。整備された尾根道のようで、雨の後でも歩けそうな気がしました。7年前からどう変わっているかも興味がありました。

自動車で有年の駅前で曲がって、周世坂を南に走りました。この道は「大型車通行不能」となっていますが、小型車でもすれ違いには注意が必要です。峠のお地蔵さんを通り過ぎて、林道神護寺線に入ります。「赤穂ふれあいの森」のゲートの下を潜って、曲がりくねった道を行けるところまで行くと駐車場があります。ここは「赤穂21世紀の森」だそうで、遊具がいくつかあって楽しそうな所です。駐車場の奧を抜けると「高雄山荘」があり、バーベキュー場があります。これを抜けると神護寺がありますが、寺の風情はあまりありません。山王権現という崩れそうな神社もありました。赤穂の大石家由来のものが多いようです。どれも傾いて倒れそうな歴代住職の墓の前を通って高雄山の頂上(182m)に行きました。東屋があり、南方面の景観が広がっています。千種川がダイナミックに増水していました(写真)。最初の計画では、この南のピークにある水木原三角点を見に行くつもりだったのですが、道は無いようですし、周囲はシダの元気な赤穂の山らしい植生なので、諦めて北の遊歩道に向かいました。

この道はよく整備されています。ただし尾根道ではなく、244mピークの東側を進んでいきます。案内板にあるように、しばらく歩くと東に延びた尾根にベンチがあります。これらのベンチは10年以上前に設置されたものだと思いますが、雨ざらしの割には今でもほとんど腐ったりしていません。ここからは2008/03/17に歩いた尼子山から荒山までの尾根がよく見えます。周世の集落も見えます。さらに進んで、高圧線の下付近まで来ると、東屋があります。その先に道しるべがあって、「山頂へ0.3km」とありますが、二つ目の道しるべから山頂に向かいました。赤穂火力線25の脇を過ぎて登ると、川向山山頂です。川向山三等三角点(286.92 m)があります。山の名前は川向こうに人達が付けたとしか思えませんが、じっさい千種川のこちら側は切り立っていて人は住んでいないので、仕方ないでしょう。千種川西側の真殿山や水晶山がよく見えます。山火事の跡は山頂の西側斜面に見ることができますが、それ以外の場所は松などが元気よく生えていて、あまり面影はありません。道しるべが「山頂へ」だったこともあり、先を探しても尾根道らしきものがないので、もと来た道を戻りました。

この先の遊歩道は、シダが元気に生えまくっており、とても遊歩道と言えるものではありません。背丈を遙かに超すシダが山側(西側)から道にかかっており、それを押しのけて歩かねばなりません。山の東斜面に付けられた道ですが、シダで道は見えません。シダが邪魔なので道の谷側(東側)を歩こうとすると、路肩が崩れていて転びそうになります。途中に案内板通りのベンチがありましたが、この付近もシダで埋まっています。このベンチがなければ、これが案内板に示してある道だとは思わなかったでしょう。シダとの格闘を繰り返してしばらく歩くと、ようやく道しるべがありました。「神護寺」「験行寺」の下に、「山頂へ0.5km」とあって、山頂ルートがあったことに気がつきました。これは案内板にも書いてあります。

あとは少し下って、少し登ると東屋があります。この付近の道はややこしく、「県道方面」もあれば、「験行寺方面」が二つある道しるべもあります。案内板の地図を見てもピンと来ません。この案内板の地図は、[1]にもありますが、時々向きが違っていたり、書いてあることが違っていたりします。その上地形図との対応が全く取れないので、山歩きには不向きなものです。とりあえずは験行寺に行ってみました。これもモダンなお寺です。近くには展望台もあります。城跡もあるようですが、時間がなかったので次回にまわしました。というのも、車が高雄山にあるので、取りに帰らねばならないのです。山を下りて周世坂を歩くことも考えましたが、道が狭くて危険なだけでなく、雨の後で部分的に冠水していたので、尾根で戻ることにしました。

また東屋まで引き返し、さらに「山頂へ0.5km」の道しるべで尾根に向かいました。先ほどは斜面の道を通ってシダに苦しめられたので、尾根を歩こうと考えたのです。これも余り良い道ではありませんが、しばらくは適当に切り開きがあります。しかし、最初の240m+ピークを過ぎて鞍部に降りると、道が分からなくなりました。何度も探したのですが結局見つかったのはピンクのマーキングだけなので、これを辿って登りました。すぐに登り斜面はシダに覆われてしまいました。背丈よりも高く、下の方は茶色く枯れている、この付近の山で何度も苦しめられているシダ藪です。道はあったらしく、地面にシダが生えていない場所をしばらくは辿ったのですが、最後はピンクのマーキングが付いている木の下も完全にシダに覆われており、単に体でシダを押すだけでは進めなくなりました。しかし戻る元気もないので、力を振り絞って登りました。

出てきたのは、川向山の北にある270m+のピークでした。最初の計画では、ここから尾根を伝って249mピーク、さらに谷口三角点へ行けないかと考えていたのですが、この付近の藪を見ると、この計画は考え直した方が良さそうでした。この後は、山火事跡を抜けて川向山に出て、来たときと同じ道を戻りました。

お気楽な山歩きを期待して行ったのですが、実情はこの付近の山らしい藪山でした。シダに付いた雨水で、服はぐっしょりでした。道はありますし、ベンチや東屋も健在ですから、誰かが鉈を持ってシダを刈れば、もとの姿に戻るのではないでしょうか。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★

地形図は「相生」です。

2010年6月12日土曜日

西から登る生野の高畑山

生野の高畑山には、以前に白口からの登りました(2009/05/23)。今回は真反対の西側からの登頂を試みました。登り口はいろいろ迷った末に、生野峠の少し北側にしました。特に特徴のない植林ですが、深い溝があって道かと思ったら登ると堰堤がありました。ここからひたすら急斜面の植林を登ると、狭い平地に小振りの鉄塔が立っていました。生野支線51で、昭和8年11月建設となっています。地線を含めて4本しか電線が張られていません。鉄塔の保守路は南北に斜面を走っており、この鉄塔にいきなり登ってくる保守路は無いようです。

ここからは長い尾根歩きです。傾斜は相変わらず急ですが、周囲は植林で下草は生えていません。尾根は広く、ときどき作業道がありますが、なるべくそれに頼らずまっすぐ登りました。すぐに北からの尾根と合流しましたが、北の尾根からは良い道があります。少し北の、地形図に破線道が描いてある谷の付近には道があったので、それが一つ先の鉄塔の保守路に繋がり、さらに尾根伝いにここまで登ってきているのだと勝手に想像しました。そうであれば、そのほうが楽に登れそうです。植林は切った木がそのままになっているので登りにくい場所もあります。この付近の山の例によって三菱マークの杭が見られます。

650m付近から尾根の様子が少し変わって、大きな岩が尾根を塞いでいました(写真)。岩登りの得意な人にはこのルートのハイライトになると思いますが、私は巻き道を探して登りました。岩の上に出ても、背の高い木が多いので眺めはあまり良くありません。この先も岩の多い細い尾根が続きました。750m付近まで来ると、少し展望が開けてきます。尾根に道が現れるのもこの付近です。そして800mを越すと、尾根に古いネットが張られています。この先はネット沿いに道があるのですが、倒木も多く、何度か尾根から降りて歩きました。最後は三菱マークの標石のある尾根に出てきます。ここから歩きやすいさらに尾根を登ると、高畑山に到達しました。本谷三等三角点(983.83m)と、高畑山反射板(1984年12月)があります。東側の展望が広がります。

ここから白岩山までの縦走は、以前と同じです。ただしピンクのマーキングが増えていて、それに従うと白岩山手前の970m+ピークには登らずに東側斜面を通って白岩山に行けました。白岩山(973m)からは相変わらず素晴らしい眺望が得られます。しばらく休んでから970m+ピークへ引き返し、ピークの北側から西に斜面を降りて尾根を見つけて下山を開始しました。この尾根を見つけるところはやっかいで、思わず北の尾根を降りそうになりました。

あまり分かりやすい尾根ではありませんが、方向を確認しながら植林の尾根を伝いました。820m付近は岩場で、尾根を歩くと降りられない岩の上に出そうだったので、南側を巻きました。766mピーク付近は藪です。その先は植林の広めの尾根ですが、倒木と岩が多く、歩きにくい急斜面でした。しかし我慢して降りてゆくと、鉄塔に出てきました。生野支線48です。あとは巡視路を北に降りましたが、この巡視路は沢を北に渡って次の送電線に向かってしまうので、沢沿いに「銀の馬車道」まで降りましたが、この付近も歩きにくい藪でした。

登りの尾根は、山を登ることが好きならば楽しめると思いますが、展望は期待できません。展望は登り終わってからの楽しみと思った方が良いでしょう。下りの尾根は不正解で、白岩山から道のある736mピークを経由した方が良かったのかも知れません。

展望 ★★★ 白岩山からの眺望は絶品です
藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。

2010年6月6日日曜日

神河町の大山城址

姫路から生野に向かう国道312号線に、大山城址に関する説明板があります([1])。赤松氏によって14世紀に作られたとのことで、近くの山の散策と一緒に行ってみました。起点は七宝寺で、北側の薬師山は「やすらぎの森」として整備されています。南側の山に関しては[2]に短い情報があるだけなので、とりあえず七宝寺から東に舗装路を歩きました。

大山浄水場で鹿避けの扉を通り、舗装路を登ると、すぐに終わってしまいました。南の川を渡って植林を南に抜けると車が通れそうな道がありました。これが地形図の実線道でしょう。破線道の方は、よくわかりません。実線道を歩いて行くと、これも終わってしまいますが、「災害に強い森づくり(緊急防災林整備地) 県民緑税の活用 平成19年度整備」という杭が立っているところから山道が続いています。これは植林の作業道ですが、歩きやすい道です。この付近の植林の木には、持ち主らしい人の名前が白いペンキで書いてあります。谷に沿って歩くと、地形図の破線道の終わり付近から道は北側に少しずれ、さらに谷を登っていきます。この辺から南の斜面を強引に登れば大山城趾には近道でしょうが、とりあえず道の終わりまで行ってみました。どんどん周囲は荒れて、道も怪しげになりますが、尾根のすぐ下まで道があります。最後は植林の中を適当に抜けて尾根に出ました。

問題はこれがどの尾根かなのですが、GPSで確認すると、ほぼ東西に延びている尾根でした。ここから大山城趾のある尾根に行くのはかなり難しいので、まず東に山を登ってピークの882m地点を目指しました。植林ですがかなりの急斜面です。伐採された木の幹がそのまま転がっており、それを避けながら登りました。300mほどの標高差をほぼ植林で登り切りました。正直なところ、非常に疲れました。750m付近からは少し楽になりましたが、それでも足下には伐採した木が転がっています。

楽になったのは850mの標高線を越えたあたりからで、植生も変わり、やや藪っぽくなりました。しかし平らな尾根なので、882mピークまではツツジの花を愛でたりしながら歩けました。882mピークには地形図の上では破線道が通っています。ピーク付近には道の跡らしいものがありましたが、南北に向かうはっきりした道は無いようです。

ここからは尾根を西に戻りました。850m標高線あたりから南西に進路を取って、大山城趾に向かう尾根を歩きました。最初ははっきりしない尾根ですが、だんだん尾根らしくなりました。細長い岩が転がっていたりして、面白いところもありますが、何ヵ所か方向を間違えそうになったところもあり、分かりやすい尾根とは言えません。しかも515mピーク付近まで降りてくると、周囲は藪になります。ここからは藪尾根歩きになりますが、大部分は切り開きがあります。

なんどもアップダウンを繰り返し、最後に急な藪を登ると、丈山三等三角点(487.01 m)に出てきました(写真)。周囲は木が切ってありますが、展望はありません。ここが大山城趾で、付近はさすがに城趾らしく平坦地が何段もあり、堀切のようなものもありますが、石垣が無いので城跡としては迫力を欠きます。問題は下山で、なんとなく周囲の平坦地を見ているうちに北向きの尾根を降りていました。かなりの急斜面で、しかも伐採した木や藪があり、歩きにくいことこの上ありません。最後は地形図で実線道がヘアピンカーブしている地点に出てきましたが、周囲は背の高いシダ藪で抜けるのに苦労しました。あとは実線道を東に戻って、浄水場から七宝寺に戻りました。

展望がほとんどなく、植林が多く、藪も多く、急斜面が多いという、あまり魅力的でない登山路でした。大山城趾だけ行くなら、山の周囲を取り囲む実線道から登山路があるのだろうと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。