2019年12月29日日曜日

大原の川上から金谷まで

先週は大原の西、国道429号線沿いの川上から川上ダムへ尾根を歩きましたが、今回はその西の尾根です。登り口を川上の南で探しました。郵便局の前から西に入りましたが、人家の裏がいきなり細い道です。それを抜けると舗装道路に出ました。もっと北か南から舗装道路で来られたはずです。舗装道路から地形図にある実線道を探したのですが見つからず、金網の扉を開けて小さな溜池の前に入り込みましたが、ひどい藪です。それを抜けて尾根先に取り付いてちょっと登ると道がありました。Street Viewで見ると少し南の大きめの溜池の北側に道があるのですが、5年前の写真で、今は藪化していて道とは認識できなかったのでした。道に出た所に「五丁」という札があり、参道だということが分かりました。この道は整備されていますが、他にも林道が作られていて、やや迷いやすくなっています。それでも「六丁」や[七丁」には石仏が置かれています。参道は二重寺四等三角点(428.81m)を巻いて行ってしまうので、三角点を見に行きました。この日は素晴らしい雲海が見えました(写真)。さらに参道を歩き続けると、地形図で道の終わっている所(十八丁)に、大きなイチョウの木の下にガラス戸の新しいお堂がありました。中を覗いてみると、如意輪観音が祀られていました。

お堂の裏は急斜面ですが、這いつくばって登り、尾根歩きを続けました。ごく普通の里山です。踏み跡があり、障害物はほとんどありません。快調に歩いて大谷四等三角点(506.24m)に着き、さらに歩いていると、那岐山や袴ヶ仙が枝の間から見えました。気持ちよく歩けましたが、気をつけないと間違える場所もあって油断できません。特徴がないといえばそのとおりの尾根ですが、アップダウンはそれなりにあって足腰のトレーニングにはなります。441mピークの北側は東から道が来ていたかも知れません。この付近からは細い尾根になりますが、落ち葉を踏んで道を歩いている感じでした。最後は少し急斜面を登って、金谷四等三角点(537.77n)に着きました。ここも静かな林です。さらに北に歩いて、舗装道路に向かって尾根を降りました。この付近は植林があります。道路には難なく降りられて、そのまま歩いてきた尾根の東側を川上川沿いに川上まで戻りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。

2019年12月22日日曜日

美作市大原の川上ダム

大原から国道429号線を西に行くと川上という集落があり、その北にあるのが川上ダムです。名前は川上ですが川上ダムから川上に流れているのは真船川で、川上川に設けられたダムではありません。ダムに真っ直ぐ行くのではなく、西側の尾根を歩くことにしました。

登り口は川上で、地形図には尾根の先の斜面を真っ直ぐ登る破線道が描かれています。現実離れした道で存在しないだろうと思ったのですが、行ってみると急斜面に切り開きがあって、登ると民家の裏の小さなお稲荷さんに着きました。しかし道はそこで終わりなので、あとは急斜面を木につかまりながら登りました。ジグザグの作業道の名残もありますが、頼りにはなりません。落ち葉の下の土は崩れやすく、四つん這いで登りました。下には民家があって、石が落ちていくと屋根に当たりそうだったので、気をつけて登りました。もう少し西側を登るべきだったと思います。尾根に上がるとちょっと広々していますが、歩きだすと灌木や倒木が邪魔です。しかし大きな障害はなく、そのうちに気楽な尾根歩きとなりました。正直なところ特筆すべきものは全くない尾根でした。標高は徐々に上がり、360m地点を過ぎ、466m地点を過ぎ、最高点は490m+です。地面はほぼ落ち葉で、邪魔者は倒木だけでした。

最高点から一旦下って、441m地点を過ぎてアップダウンを繰り返すと、地形図どうりに林道に出会いました。地形図とは違って東側に降りていく道がありましたが、下山は早いと思って林道を登りました。この林道は尾根の東側に付けられています。途中から尾根に戻りましたが、林道の方が歩くには楽です。それでも尾根を歩いて行くと、徐々に下りになり、いきなり道路の上に出ました(写真)。まるでキレットで、道路に降りるのは難しかったので、尾根を引き返して林道に戻り、道路まで行きました。この付近の林道は崩落がありました。ここからは地形図の林道で川上ダムまで歩きました。東側の谷には地形図に描かれている以外の林道があり、最後のターンでは山に入っていく道があって、最初の尾根上の分岐で見た道かも知れません。谷に降りると良い道で、川上ダムを過ぎ、真船川沿いに川上まで戻りました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。

2019年12月15日日曜日

山之内から登った山ノ内1三角点

山ノ内という三角点は二つあって、山ノ内1には2009/10/18に南の河原口から登りましたが、今回は西の山之内から登りました。夢前川沿いの県道67号線から墓地を見つけて、墓地の一番上から笹薮に入りました。棘のある草や木に注意しつつ、土に埋まっている古い墓石を避けて笹をかき分けつつ少し登ると、植林の下に出ました。ここからは急斜面の植林を登りましたが、作業道があって助かりました。徐々に勾配は楽になり、428m地点付近からは楽な山歩きです。この付近は夢前川対岸の旧山之内小学校裏にあった鍋倉城の狼煙山と言われています([1])。ひたすら登って主尾根に出ると道があって、少し南に歩いて山ノ内1三等三角点(569.92m)に着きました。枯れ木の枝の間から遠くが眺められます。

尾根を取って返して北に歩きました。これは2009/10/18と同じルートです。共同アンテナの残骸があり、尾根を下って鞍部を過ぎると岩が増えて倒木も増えます。倒木を迂回しつつ520m+ピークに上がり、西に尾根を降りました。これはかなり藪っぽい尾根でした。途中に面白い岩がありました(写真)。どうしてこのような形になったか分かりませんが、地震が起きても大丈夫でしょうか?北の山が見えるところもありましたが、全体には倒木等で足元が悪く、しゃがんで歩くことも多かったと思います。しかし植林に入れば楽に降りられました。最後は植林から養魚施設に降りました。「ヒラベの里」とはこれでしょうか?川を渡ろうとしたら橋に厳重な扉が付けられており鍵がかかっていました。絶望的な気分になって少し下流に歩くと歩行者用の橋がありました。丸太で作ってあるので少し不安でしたが、壊れることもなく夢前川を渡って帰れました。3時間弱の山歩きでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「寺前」です。

2019年12月8日日曜日

南から登る養父の城山

養父ICの近くの城山は、2017/11/11に北西の十二所から登りましたが、今回は南の稲津から登ってみました。稲津の須賀神社から植林の斜面を登り始めました。地形図で見ての通り急斜面です。時々少し平坦になりますが、真っ直ぐに登るのはつらい箇所もあり、特に標高200m付近では楽そうな方向を探しに斜めに登りました。足元は割としっかりしていました。標高250m付近まで登るとだいぶ楽になって、主尾根に出てきました。特に特徴のない尾根で、気分良く歩けましたが、あいにく雨が降ってきました。前回も通った392mピークまで来て、アップダウンしながら東に歩き、急斜面を登ると城山の山頂です。平坦地がいかにも山城の跡という印象です。

山頂の東側は平坦地が何段かありますが、その先は急斜面となります。ネットが張ってあり藪もあります。とにかく急斜面で雨で落ち葉が滑るので注意深く降りていきました。鞍部に降りてもしばらく藪がありネットも邪魔ですが、390m+ピークに登り、さらにもう一度鞍部まで降りて450m+の平坦な広々した尾根に上がりました(写真)。ここは2017/12/02にも歩いた尾根です。今日はここから西に尾根を下りましたなるべく長い尾根を歩いて急斜面を避けたつもりですが、標高350m付近はわかりにくい急斜面でした。その後も間違えずに尾根を辿って降りました。植林の中の鹿の足跡が道標になりました。植林なので歩きやすく、最後は少し草が生えてきたと思ったら林道がありました。最初の林道は水平でどちらに行ったら降りられるのか分からなかったのでそのまま植林を降りましたが、次の林道は谷の奥に下って行き、堰堤の前を通って道路に出てきました。この谷はトウサガ谷、道は林道奥根線だそうです。

雨でコンディションは悪かったのですが、急斜面はあるものの歩きやすい山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「八鹿」です。

2019年11月30日土曜日

加東市の秋津富士

秋津富士は秋津の山ですが、この秋津は加東市の東条湖の東にあります。山の南には別荘地が広がっており、道路が複雑に走っています。意外と広い道を登っていくと、白い別荘の前に登山口があります。ここに、山頂には秋津古墳群第3号墳があるとの説明書きがあります。登山道はよく整備されており、急斜面ではありますが楽に登れて山頂に着きました。確かに古墳の形をしており、石室の入口がありますが、鍵がかかっています。山頂からは東条湖を始めとして、ほぼ全方位の展望があります。

秋津富士だけではもの足りないので、その北の山へ歩きました。山頂の北側は笹薮で、道はよくわからないのでとりあえず突っ込みました。そんなに背の高くない笹なので、かき分けて歩くことはできましたが、時々イバラもあって楽しいハイキングとは言えません。たまに踏み跡がありますが、かなり古いものらしくすぐに消えてしまいます。時々木に水色のテープが巻きつけられており、これがマーキングのようでしたが、辿れるほどの数はありません。たまに地面が見える所に出ると、斜面が崩落した場所でした。北側に展望が開けることもありました。330m+ピークを越えて、300m+の鞍部に降りても様子は変わりません。この付近にも道がある気配はありません。その北の登りも藪で、少し岩が増えてきます。370m+ピークには大きな岩が数個並んでいます。そして踏み跡を探しつつ尾根を歩いて、浦山三等三角点(373.49m)に着きました。この付近は若干藪が薄くなっています。山名のプレートはないか探したのですが、消えかかった2011.9.27の札があるだけでした。

下山は東側の別荘地に降りようと思ったのですが、三角点の南は谷なので、まず370m+ピークに戻りました。同じ尾根を逆に歩いているのに、この時には踏み跡を楽に辿ることができました。370m+ピークの北で斜面が崩落して踏み跡が分からなくなりましたが、とても早く戻ることができました。しかし結局370m+ピークから南に斜面を降りるのは藪過ぎて難しく、もう少し南に降りて300m+鞍部まで行き(この時は方向を間違えて迷走した)、別荘地に向かって広い谷を降りました。ここも藪で方向がわからず、途中で下草のない林に出てほっとしたのも束の間、結局はまた笹薮を抜けることになりました。水が流れている方向に行けば谷を下れるだろうと辿っていくと、枯れすすきの生えた広い湿原に出ました。足元が悪くて非常に歩きにくく、笹や灌木を押し分けて乾いた地面を探しながら少しずつ降りていきました。最後はややはっきりした川が形成され、それに沿って歩きにくい道がありました。ゴミがたくさんある斜面があったので登ると、道路に出ました。あとは別荘地の中を歩いて戻りました。

ひどい藪でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「比延」です。

2019年11月24日日曜日

養父神社の裏の山

三角点の名前から考えて堀畑山が正しい名前と思いますが、養父神社や養父市場の町並みの南に位置する山です。どこから登るか悩みましたが、とりあえず地形図を見ると養父市場の養父小学校の北側に破線道があるので、これを目指しました。行ってみると小学校の北側は墓地で、江戸時代の墓石の付近から斜面を登ると尾根に上がれました。最初は藪だったのですが、そのうちに道があって石仏が置かれていました。15番と71番が並んでおり、四国88箇所を巡れるようです。何故か番号の若い石仏と、番号の大きい石仏と僧侶?の3つが並んでいます。ということは道が整備されているのだと思って登っていくと、倒れた石仏の後で青いネットが現れました。これは東側の伐採地を囲んでいるようでしたが、複雑にたくさん張られています。入り方が分からず、ネットの周囲を歩き回りました。結局ひとつ東側の尾根の付近をウロウロしている時にネットの開け方が分かりました。ポールが二本並んでいる所は、針金と緑の紐をほどけばポールを動かせるのです。これに気付いて伐採地に入りましたが、歩きにくいことこの上ありません。何度もネットを出たり入ったりして倒木やススキの間を抜けて登っていくと、林道がありました。そういえば航空写真にも林道がうつっています。伐採地で苦労した後だったので林道を歩くと決めました。林道からは主として東から南に展望があります。写真は円山川上流方向で、正面は粟鹿山です。けっこう複雑な経路をたどる林道で、途中にネットもありました。

林道で登っていっても、山頂には着けません。山頂は伐採地の上にあります。林道に2つ目のネットがある場所から斜面を登り、3本のポールが束ねられている所でネットを抜けて、北斜面の伐採地の上の縁を歩きました。ここは北側の展望があるのですが、堀畑山三等三角点(372.16m)はネットの向こう側にありました。ネットの南側は自然林で、ここからはずっとネットの南側を歩きました。ネットがなければ普通の里山で、多少の倒木はありますが、下草はなく、楽に歩けました。地形図では西の370m+ピークに西側から破線道が描かれていますが、こんな急斜面に道があるとは思えませんし、じっさい確認できませんでした。尾根は北に向かいますが、伐採地からは徐々に離れていきます。道もはっきりしてきて、関電の赤いプラスチック板(「火の用心」と本来は書かれているはずだが消えて読めない)があって、少し先に竹田養父線二五鉄塔がありました。この先は巡視路ではありませんが、地形図で尾根に破線道が描かれている所は再び四国88箇所巡りの石仏が置かれていました。番号の大きなものが多く、登りの最初に見たものとは違う系列のようでした。真っ直ぐに尾根を下って藪の斜面に上藪崎四等三角点(189.92m)を見つけましたが、そのまま降りるとネットに引っかかりそうな気がしたので、戻って地形図の破線道で北に降りました。最初は尾根を見つけるのに苦労しましたが、ところどころに石仏のある山道です。くねくねと降りて行って、最後は「養父郡四国八十八番霊場」という札の掛かった建物に出ました。ここに碑のある女性がこの霊場巡りを作られたようです。道路に降りると害獣避けの金網があり、それを出ると「大師堂へのお参りに注意」という札が立っていました。

最初はとても大変でした。ネットの開け方に早く気付くべきでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「八鹿」です。

2019年11月23日土曜日

若桜の高山

この山は登山記録が少なく、南の林道から登ったもの([1])しかありません。地形図を見ると北のつく米川から登るのが近いのですが、等高線の間隔がかなり狭くなっています。しかし行ってみなければ状況は分からないので、行ってみました。

ゆはら温泉ふれあいの湯の前にある橋を渡って植林の下に出ると、フェンスに扉が見えました。これを開けると急斜面の植林が待っています。下草や低い灌木も生えていて良いコンディションとは言えません。ちょっと登ると林道が斜面を横切っており、登りやすそうな所を探してさらに登りました。勾配の少ない所では多少楽でしたが、標高550m付近まではコンディションの悪い急斜面が続きました。平らな尾根に出てくると、すぐに立派な舗装道路が南から来ていました。平成25年に工事した「森林基幹道 根安春米線」だそうですが、ここが起点となっている割にはここで終わっていました。というか、この道路の目的は、この場所に作られている巨大なコンクリートで固めた法面を作ることのようでした。

法面の脇から再び尾根を登りましたが、相変わらず急斜面が続きます。しかも岩が増えてきて、いくつも大きな岩を登りました。登れないような岩があるわけではありませんが、落ち葉で足を滑らせると危険な箇所もありました。何度も休みつつ登り、標高850m付近まで来ると、広々した尾根になりました。878m地点も気持ちの良い場所で、木のまばらな比較的平らな尾根が続きます。北には氷ノ山スキー場の建物や茗荷谷ダムが見えました。既に落葉したブナが綺麗でした。山頂には田口三等三角点(1032.32m)がありました(写真)。水色の板には「若桜高山1032」と書いてあります。

下山はまず尾根を東に歩きました。ブナの美しい天国のような尾根で、気持ちよく歩けました。ここは穴場です。南から来た尾根にぶち当たる付近は複雑な地形で、尾根の上がると少し木の間隔が狭くなりました。しかし軽快に東に歩いて、北正面に陣鉢山の見える1010m+地点から北に尾根を降りました。この尾根は最初はブナが多く、そのうちに植林になりました。美しい林が続き、藪や岩場はなく、木に掴まらなければ降りられないような急斜面もありません。それでも最後は急斜面で、ミツマタも茂っていて、段々畑の跡もあり、最後は道に出られました。いくつも害獣避けの扉を抜けて、橋を渡って、県道482に降りました。

距離は短いのですが、4時間半近くかかりました。下山に使った尾根が登りにも良さそうでした。しかし、登りに使った尾根は岩場があるので下山にはお勧めできません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「若狭」「岩屋堂」です。

2019年11月17日日曜日

水上三角点と轆轤師キャンプ場

一宮の水上山には、2011年の7月に3回登っています。水上山は倉床三角点のある山で、その南の水上三角点のある山は、最初の2回に通りました。今回は、2019/10/06に歩いた三方の落三角点のある山の北の谷から、さらに北へ歩いて水上三角点へ行くつもりでした。

御形神社から糀屋をの方向に北上して、轆轤師キャンプ場の手前から谷に入りました。ここには「マツタケの林入口」という道標があります。谷に行く道に入ると、いきなり美しい植林が目に飛び込んできます。地形図の412mピークのある山がマツタケの林のある山らしいのですが、南側斜面は美しく植林されています。マツタケの林への道標は412mピークに登るようになっていましたが、谷から登るつもりだったので、登らずにそのまま谷を歩きました。ところがこの谷は荒れており、しかも細くて両側が狭っていて、歩けません。結局谷を通って2019/10/06に降りた鞍部に行くのは諦めて、尾根に取り付きました。植林の尾根を登り切ると林道のような道がありましたが、東から来て東に行ってしまい、あとは自然林の林を歩きました。取り立てて変わったところはなく、時々紅葉(黄葉)がきれいでした。下草や倒木はあまりありません。ナラの木が多く、落ち葉も気持ち良いものでした。水上四等三角点(815.36m)のあるピークは、全く記憶がなかったのですが、2011/3/3の登頂記念があるのに気が付きました。南に黄葉の向こうにわずかに展望があります(写真)。

下山は2011/07/02に登ってきた方向です。最初は尾根を選ぶのが難しく、注意して降りました。途中で富山越の方向には行かず、556m地点の方を目指して降りました。最初はときどき黄葉のある自然林ですが、徐々に植林になりました。標高500m付近は地形が複雑で、一番長く伸びた尾根に行くのに手間取りました。そして最後は美しい植林を抜けて、轆轤師キャンプ場に出てきました。いくつか黄葉のきれいな木がありました。

出だしは苦労しましたが、気持ちの良い山歩きでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2019年11月16日土曜日

丹波市春日の妙高山

この山は丹波市春日町の東にあります。山頂近くにある神池寺まで北から道路があって、かなりスリリングな道のようですが車でも上がれます。しかし登山は西の日ヶ奥渓谷からが一般的のようです。舞鶴若狭自動車道を潜って舗装道路を歩くと、日ヶ奥渓谷キャンプ場があり、駐車場もあります。ここには元禄3年の「南無大悲観世音菩薩」碑があります。ここからは車は入れず、渓谷沿いの未舗装道路を歩きました。日ヶ奥渓谷散策道で神池寺まで2.5Kmとなっています。すぐに分岐があって、まっすぐは渓谷沿いの林道滝ヶ鳴線、曲がると林道赤尾線です。真っ直ぐだとすぐに着いてしまいそうだったので、寄り道のつもりで赤尾線を歩きました。ジグザグに山を登り、やや道が荒れてきた谷の突き当りに四差路があって南に登るのは「赤尾線へ」となっていましたが(と解釈したのですが)、まずは神池寺へ行こうと神楽道を下りました。

「谷山の神 五本木」という札がありましたが、何のことだかよく分かりません。良い道になって「谷山の神」という札のある所で渓谷に戻りました。さらに登っていくと、「小峠」という峠に着きました。お地蔵さんは、かつてはあったような雰囲気はありますが、今はありません。そしてここからは道が細くなり、斜面を横切って行きます。倒木もあって荒れ気味の登山道という感じです。谷奥のターンの所では一瞬道が分からなくなりましたが、よく見ると木の橋があるのでそちらに歩き、地形図に従って荒れた道をジグザグに登ると石垣があり、林道に出ました。これを東に歩くと自動車道に出るはずですが、それではつまらないので地形図の破線道を探して神池寺の方向に歩きました。この道は荒れていますが確かに存在し、そのうちに林道に出ました。美しい植林を抜け、最後は右に曲がって坂を上がると、これも荒れ気味の県立自然公園に着きました。ここから神池寺の本堂に行ったので、参道の階段を登らずにすみました。

神池寺(じんちじ)の行者堂の脇に「展望台(標高565m)」への道標が倒れています。ここから登っていくと、本堂の裏手には実は沢山の広い平坦地があることが分かりました。明らかに建物があった跡で、神池寺のかつての繁栄を偲ばせます。道はしっかりした登山道で、多少の倒木があるくらいで妙高山の山頂に着きました。妙高山二等三角点(564.71m)があり、神社(妙高山権現神前と掘られた石灯籠あり)の跡があります(写真)。しかし展望は全くありません。

下山は妙高山から西に歩きました。最初は荒れ気味の町有林でしたが、すぐに歩きやすい尾根になりました。木の間隔も広くて開放感があります。しばらく歩いて454mピークへの登りの手前まで来ると、「赤尾道」と書かれた赤い標識がありました。真っ直ぐに454mピークに行っても問題なかったのですが、赤尾道が気になったので、そちらに降りて行ってみました。しかし荒れた谷があるだけで、道はありません。歩きにくい谷を降りると、登りに通った「赤尾線へ」に出てきました。よく見るとこの標識はこの地点より下を指しているようにも見えて、結局これらは林道赤尾線を指しているようでした。

赤尾線を降りて戻ると登りと同じ道なので、西に道を歩きました。この道には「奥の谷へ 坂口へ」という道標がありましたが荒れ気味で、地形図で破線道が折れ曲がっている所で消えてしまいました(真っ直ぐ行く道はあった?)。ここからは破線道を探して北に植林を降りていったのですが、道はなく、そのままなるべく尾根を探して降りました。標高が下がっても道がある様子はなくて、適当に林の中を降りました。途中から西に斜面を横切って破線道を探しましたがやっぱり見つからず尾根を降りるもののシダが生えていて苦戦し、最後はシダの生えた急斜面を降りて谷に出ました。谷を降りていくと、水道施設があり、すぐに道路に出られました。

下山は大失敗です。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「市島」です。

2019年11月10日日曜日

宍粟市の与位から登る一宮の高畑山

山崎から北に国道29号線を走ると、揖保川の向こうに崖が見えます。この尾根を一度は歩きたいと思っていました。問題は登り口です。尾根の先は、揖保川側は崖で、しかも柵で囲まれています。入り口があっても登れそうもありません。そこで尾根の先の西側を歩くと、墓地がありました。こちらの方が登りやすそうですが、やはり柵があります。入り口が見つからず、少しの隙間を見つけて潜り込みました。ここは紐で閉めてあったので出入り口だったと思いますが、かなり長期に渡って閉められていたようで、開けるのは大変でした。柵を突破すると急斜面ですが、木につかまって登れて、無事に尾根に上がれました。ここからは尾根歩きです。

かなり藪っぽい尾根ですが、特に岩が多くなると低い松が生えていて邪魔でした。しかし標高が上がると木々の間から見通しが効くようになりました(写真)。ピークを二つ越して鞍部に降りると切通しがあり、関電の「火の用心」が立っていました。ここは神野発電所の上の付近で、ここからは巡視路があって歩きやすくなりました。ちょっと急勾配ですが楽に登って巨大な播磨西線七八鉄塔に着きました。まさに尾根をまたがって建てられています。見晴らしが良いのですが、残念ながら高度がありすぎて揖保川は見えません。

この上も巡視路が続き、450m+まで登りました。ここからちょっと北に歩き、清野三等三角点(470.58m)に着きました。すぐそばに山崎智頭線七鉄塔があります。ここからは2009/08/18の逆コースですが、その時はひどい目にあっているので、途中で下山することを念頭に入れて歩きはじめました。しかし最初は気分の良い植林が続き、巡視路はどこかで西に降りていったはずですが、その後も歩きやすい尾根が続きました。歩きにくくなったのは高畑山(519mピーク)に近づいてからで、藪の中に道があるのですが、イバラが真ん中に生えていたりして、歩きづらくなりました。ここを抜けると少し楽になりましたが、間伐材の転がっている植林になって、歩きにくい尾根が続きました。そして最後は倒木と大きな草や灌木が生い茂った藪になり、突破不能になりました。進むには少し斜面を降りて巻くしかないのですが、地形図を見てここから下山することにしました。この付近の尾根はさほど急勾配ではなく、植林なのでたまに作業道の跡もあり、木につかまりながら降りることができました。

植林の尾根を降りると、下に道がありましたが、驚いたことに大きさ数10センチの大きさの石で埋め尽くされていました。それを降りると埃っぽい土の道となりました。建設中の道路でしょうか。少しそれを降りてみましたが、途中で分岐があってどちらに行ったらよいのか分からなくなったので、もう一度尾根を降りました。その下の道は、地形図にある実線道で、水のない高尾川を渡って林道高尾線に出られました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「山崎」です。

2019年11月9日土曜日

夜久野町直見の富岡山

2019/10/26に登った居母山の直見川を挟んで西の対岸にある山です。登り口は夜久野町直見の西垣ですが、まず西垣城の跡を見に行くことにしました。西垣から舗装道路を登ると居母山高源寺跡地があってお堂があり、赤い鳥居があって小さな神社があります。道路はここに扉があって「危険 鉱山跡崩落の為立ち入り注意 夜久野町」と書かれています。こちらには行かず、神社の反対側の道を降りて害獣避けの扉を通ると道があって、すぐに竹林になります。倒れている竹も多いのですが、明らかに人工の平坦地があります。このような地形は里山には多く、畑の跡かと思いましたが、何段かあり、その上の平坦地はかなり広く、これが西垣城の跡のようです([1])。城と言っても背後は山ですので、山頂に作られる山城とは明らかに違っています。背後の斜面を少し登ると水平に道があり、その北の端には斜面に沿って溝があります。これらは植林の作業用に掘られたものかと思ったのですが、どうやらこれらも西垣城の一部のようで、そのさらに上にあった崩れた石垣のようなものも、遺構のようです。

さらに斜面を登り続けましたが、道があるので急斜面ですが歩きやすく、道路にでてきました。この道を歩くとターンがあって、その先は鉱山跡となります。確かに崩落はひどく、大きな岩が重なっており、木も茂ってきてあまり奥までは入れませんでした(写真)。これはろう石鉱山だそうで、京都府のレッドデータブックに登録されています([2])。岩は赤っぽいものが多いのですが、白いものもあって、あれがろう石なのでしょう。兵庫県にはろう石の鉱山は多いのですが、京都府ではここだけだったようです。

鉱山からは登れないので、道がターンするところまで戻り、そこから斜面をトラバースして北の尾根に向かいました。苦労しつつ少し歩くと、斜面に溝がありました。まるでさっき見た縦堀と同じように斜面に沿って真っ直ぐに掘られており、木材か石を転がして落とした跡のような感じです。非常に急な斜面ですが、この溝を登りました。足元の落ち葉が滑りますが、溝の外も同じような感じなので頑張って標高差100mほど登ると溝がなくなったので、北の尾根にトラバースしました。この尾根は広くて勾配もきつくなく、だいぶ楽になりました。そのまま木の間隔の広い尾根を登って主尾根の700m+ピークまで登り、富岡山まで素晴らしい植林を歩きました。山頂は美しい植林の中で展望は全くありません。直見二等三角点(707.2m)があります。

富岡山からは700m+ピークに引き返し、北に斜面を降りて稜線を縦走しました。美しい植林が続きますが、自然林もあって足元は落ち葉です。アップダウンは多少はありますが、先程の登りに比べればほぼ平らです。763mピークを過ぎ、極楽のような尾根歩きでした。途中に富岡山への道標が落ちていたので、登山道として整備されたこともあったようです。栗尾三等三角点(760.0m)のあるピークには「栗尾山」という札が木に架かっていました。

栗尾山からの下山は、真っ直ぐに直見川まで伸びている尾根を選びました。最初は少し方向に気をつけて尾根を選択して急斜面を降りる必要がありましたが、少し降りると歩きやすい尾根になりました。標高が下がると植林は減って少し木の密度が増しますが、歩きにくいという程ではありません。長い尾根でしたが、最後は道に降りて扉を通って県道に出ました。

盛りだくさんの3時間半でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「直見」です。

2019年11月2日土曜日

丹波の鋸山

鋸山は丹波篠山の北にあり、日本分水嶺の尾根の一部です。出発点は丹波篠山市小坂の名月神社です。神社の裏の山は断層鏡肌だそうですが、ここからは登れないので少し北に行ってから地形図の尾根に上がる道を探しました。これは車の通れない道で、登って行くと尾根の上には江戸時代の墓石のある墓所がありました。しかしそこから北に尾根を登る破線道は見当たりません。しかたないので藪の斜面を適当に登りました。308mピークは小坂城で([1])、確かに城跡の雰囲気がありますが、展望もなく、あまりに藪山なので通り過ぎてしまいそうでした。もっと詳しく見れば面白かったかも知れません。

あとは真っ直ぐ北に尾根を歩きましたが、ほぼ自然林で植林がほとんどないのが特徴です。NHKのアンテナがあります。少し荒れ気味の所があり、道らしいものがある場所もありますが、変化に富んだ尾根ではありません。分水嶺の主尾根に着くと少し木が減って藪を抜けたような気分になり、鋸山に向かいました。岩の多い尾根ですが歩きやすく、北側に展望の開けた山頂に着きました。奥山三等三角点(605.74m)はなぜか少し西に降りた所にあります。

鋸山から西に引き返し、分水嶺の尾根を歩きました。すぐ西の尾根の西の端には展望抜群の場所があり、三尾山がよく見えました(写真)。この地点からは西に行けないので、南に降りて、標識に従って大きな岩の下を通って西に歩きました。標識やマーキングがないと迷いそうな尾根です。そのうちに南から道が来て、これが尾根を通って鏡峠まで続いていましたが、途中で消えかかったりと紆余曲折がありました。鏡峠はしっかりした切通しでした。北は中山、南は小坂という道標があったので、南に谷を降りました。谷はだんだん狭くなりましたが、東側を少し上がった所に道があり、それを降りました。さらに下っていってからも、なかなか明確な道はなく、佐仲ダムに近づくとますます道が怪しくなり、最後は藪の中の斜面をトラバースしたり降りたりして、ダムの周回道路に出ました。ここはワカサギの釣り場でした。

佐仲ダム沿いに少し降りると古い石に彫られた道標があり、左は福知山、右は中山となっていますが、これが置かれているのは鏡峠に通じる谷ではありません。ダムができたときに移されて来たものと思われます。

ほぼ同じルートを歩いた記録がありました([2])。

「展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「宮田」です。

2019年10月27日日曜日

智頭の愛宕山

この山名は勝手に付けました。愛宕公園のある山です。智頭駅から東に歩くと山がありますが、道路脇に愛宕公園への入口があります。案内図がありますが、道を登ると堰堤の工事中です。さらに登ると愛宕公園です。展望は良いのですが、案内図で展望台とされているお城風の建物は閉まっており、遊具も減っていて寂れた感じです。平成元年完成ということで、今は利用者も少ないのでしょう。登ってくるのは楽ではありません。

愛宕公園に登るのが目的ではなく、ここから尾根を穂見山の方向に歩くのが目的でした。公園の南には道はありませんが植林です。美しい植林なのですが、細い木が密集しており、間伐が必要ではないかと感じました。多少のアップダウンはありますが平坦な尾根で、326m地点、358m地点を過ぎて、杉山三等三角点(389.96m)に着きました。この付近から植林の間に灌木が生えています。406mピークは北側をかすめて進み、次のピークにはCATVのアンテナがありました。この付近の尾根は曲がりくねっており、GPS頼りに歩きました。標高は南の穂見の集落とは100mほどしか違わず、南に道がありましたが、タイヤなどのゴミが大量に捨てられていました。高祖谷四等三角点(391.52m)も植林と自然林の境界にあります(写真)。

三角点からちょっと東に行くと眼下に林道が見えて、降りていくと北から来た林道が南に分岐していました。降りたところには小さな祠がありました。北の岡田から南の穂見に抜ける峠道ですが、標高差がほとんど感じらず峠という感じではありません。東の山に登り、植林を登りました。広い尾根で鬱蒼とした植林ですが、登っていくと尾根に沿って土塁のようなものがありました。どうやら道を作った名残のような感じでした。これを真っ直ぐに登っていくと、2019/09/19に通った舗装された林道に出ました。林道を少し北に歩き、次の尾根を西に歩いて下山しました。尾根の北側に作業道の跡があり、それで尾根に上がって少し降りると林道と出会いました。しばらくは林道を降りましたが、途中で南に行ってしまいそうだったので、植林の尾根を降りて、最後は害獣避けの扉を通って棚田に出ました。この付近では金網で田畑を囲っているので、これは山から出たというよりは田畑に入った感じでしたが、無事に再び扉で外に出て、岡田の集落を通って智頭に戻りました。

標高差は300mもない、長い尾根歩きでした。低山での植林浴にお勧めできます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「智頭」です。

2019年10月26日土曜日

夜久野の直見城跡から居母山

和田山から夜久野を通って県道63号線を北上すると、バス停に居母山(いもやま)登山口と書いてあるのが気になりました。調べてみると夜久野町直見の東の山でした。登山道があるようですが、まずは402mの三角点に寄ってから登ろうと思いました。登り口は桑谷の集落の北付近で、適当に上向きに歩いて行くと墓所がありました。江戸時代の墓石があります。墓所の後は金網ですが扉があって、そこから尾根を登りました。藪ですが抜けられます。そのうちに北側が植林になって、こちらにも金網がありました。この付近からは歩きやすく、金網沿いに歩くと小さな石造りの基礎がありました。どうやらこれは神社の跡のようです([1])。その脇の扉を開けてさらに登ると植林が続きますが、平坦地があって、どう見ても人工的な地形です。調べると、直見城跡とのことでした([1])。山頂付近は植林されていないため藪になっていますが、地形は読み取れます。石垣は見当たりませんが、かなり広い城跡でした。宮垣四等三角点(402.12m)もありました。

城跡の奥には林道が来ていますが、尾根を登りました。植林なので歩きやすく、標高450mや600m付近が急斜面で、その上は自然林となりました。コナラやクリの多い尾根は気持ち良く、昨日の雨で落ち葉が湿っているせいもあって落ち着いた雰囲気でした。ちょっと霧が出て幻想的な場面もありました(写真)。730m+ピークはシダが少し生えていました。そして居母山山頂に近づくと東側斜面は伐採されており、草が生えていますが林道が来ているようでした。山頂からは西側に展望が広がります。道しるべに鐘と永岶三等三角点(730.46m)があるのですが、周囲は背の高い草が茂っています。なぜ山頂の中央だけに集中して草が生えているのか不思議でした。壊れた簡易トイレもありました。

居母山山頂は尾根の十字路となっており、南に降りました。少し降りると「居母山山頂」「月の小坂道」「飛所」の分岐がありましたが、月の小坂方面となる南西の主尾根を降り続けました。植林も自然林も美しく、尾根から外れる気にはならず、そのまま670m地点を過ぎ、緩やかな尾根を降り続けました。標高550m付近はかなり急斜面でしたが、それでも雰囲気は良く、その下くらいになると徐々に藪っぽくなりました。しかし相変わらず植林は綺麗です。最後は桑谷の集落の南に出てきて、植林の中に金網があり、扉を探して苦労して抜けると水平道があり、墓所がいくつかあって、それを見てから集落へ降りました。

3時間半ほどでしたが、興味深い城跡と美しい植林が堪能できて満足でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「直見」です。

2019年10月22日火曜日

毛谷から登る智頭の海上山

海上山には2018/06/02に西の智頭の方向から登りましたが、今回は東側の毛谷から登ってみました。2018/08/29に近くの西野から海上山の北に連なる山に登った時に、毛谷登山口への標識があったので登山道があるのかと思っていました。

登り口は毛谷の北に入る谷の入口の所なのですが、ここは資材置き場というかゴミ捨て場になっており、その後ろは岩がせり出しています。ここを登るのは難しそうなので、まず林道を少し登りました。そして林道が谷の東側に渡った付近に、南に延びる林道(森林作業道 小火打一号線)を見つけました。良い具合に尾根の先を回っていて、一番先の所で終わっていました。ここから尾根を登りました。さほど急斜面でもなく、しばらく登ると大内用瀬線4鉄塔に着きました。郷原四等三角点(496.59m)もあって、展望が広がります。ここには巡視路が上がってきており、ということは巡視路で登るという手もありました。

この先は巡視路を歩きましたが、最初は美しい植林の中の林道を歩きました。それから大内用瀬線5鉄塔、伐採地に出て少し歩いてやや大きめの6鉄塔を過ぎて、自然林の森に入りました。西からの林道の終点を過ぎて急斜面になると黒いプラ階段があって、植林を登ると眺めの良い伐採地の7鉄塔です。ここから伐採地を登って682m地点の8鉄塔に向かいましたが、この付近の景色はなんとなくシュールでした(写真)。682m地点は林道が尾根を横切っていました。送電線はここから2018/08/29に登った峠地蔵の方へ行ってしまうのですが、海上山へは尾根を登り続けました。ここも登りやすいのですが、北風が強くて寒いのには困りました。そして主尾根の790m+地点(海上山最高地点)は、下から見上げても松の木が1本見えて目立っていました。アプローチはちょっと灌木が邪魔でしたが、ピークに出ると素晴らしく展望の良い場所でした。そして木々が少し色づいてきた主尾根の広々として林を抜けて、海上山に着きました。智頭山三等三角点(785.24m)があります。広い場所ですが、今回始めてここが栗林だと気付きました。

下山はまず2018/06/02と同様に南東の尾根を降りましたが、最初はちょっと間違えました。細い尾根が正解です。ネットがあります。前回は西に折れた740m+ピークを真っ直ぐに南東に降りて、次の710m+ピークを少し西寄りに行ってから再び南東に降りました。ここまで特に障害物はなく、歩きやすい尾根です。ここで予想どおりに林道に出ました。尾根をぐるっと水平に回っています。これを東に歩けば下山できそうでしたが、かなり大回りのようですし、尾根も歩きやすいので、そのまま降り続けました。しかし、次の615m地点付近を何も考えずに歩いていたら、行こうと思っていた南の長い尾根ではなく、東の尾根を降りていました。この尾根も植林で歩きやすいのですが、問題は地形図でわかるように最後は林道の法面上に出てしまうことです。実際に降りてみるとかなりの高さのコンクリートの法面で、無理はせずに南に斜面を降りていって、谷に出てから林道に降り立ちました。

登りは伐採された場所を通りましたが、草が生えていないので助かりました。何年かたつと背の高い草で覆われてしまうかも知れません。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「郷原」です。

2019年10月13日日曜日

丹波篠山の八百里山

今回の目標は八百(やおり)山ですが、山沿いに西に離れた大賣(おおひるめ)神社から歩いてみました。神社の裏から竹やぶを抜けると道がありました。途中に害獣避けの扉がありますが、その先も道は続きます。山頂に近づくと尾根に切通しのようなものがあるのですが、両脇に道があるわけではなく、城跡ではないかとピンときました。調べてみるとここは笛吹山城([1])だそうで、平坦な山頂は何段かに仕切られており、いかにも山城跡でした。共同アンテナの残骸を過ぎて、次の尾根への登りにはトラロープがありました。倒木はあるものの道は続いており、ちょっと歩きにくい細尾根を通って水上三等三角点(470.77m)に着きました。

ここから北に降りなければならないのですが、急斜面の下の尾根が最初はよく見えず、少し迷いました。GPSがあっても尾根に乗るまでは試行錯誤です。しかし尾根歩きに戻れば多少の倒木や藪はあるにしても軽快で、北の尾根から東に曲がりました。この日は風も小雨もあって肌寒く、コンディションが悪かったのですが、晴れた日には気持ちの良い尾根歩きだと思います。東に歩くと地形図では破線道がありますが、特にこの付近から道がはっきりしたわけではなく、430m+ピークに上がって降りて、さらに東の440m+で南に曲がりました。ここは倒木が多くて分かりにくく、何も考えずに歩いていたら西側の尾根を降りそうになっているのに気付き、戻って正しい尾根を降りました。370m+の鞍部付近は歩きやすいのですが、その南は少し細尾根もあり、倒木も増えました。そして平坦地を過ぎてから急斜面を登ると、八百里山の山頂(442m)です。ここも八百里城の跡だそうで([2])、広い平坦な頂上です(写真)。少し東側が盛り上がっています。平坦でも藪がかなりの部分を占めています。一番北に、どん足会のプレートがありますが、それ以外には何もありません。

八百里山からは南に尾根を降りましたが、こちらは城跡のようで、ときどき平坦地がありました。今日初めてシダ藪にも出会いました。少し降りると神社の壊れた祠がありました。「正一位稲荷大神」ではないかと思いますが(Googple Mapの、八百里稲荷神社?)祠の中は空でした。道はこの下で東へ降りていき、こちらが登山道のようですが、真っ直ぐに尾根を歩きました。害獣避けの扉があり、一瞬どちらが外か分からなかったのですが、鍵の感じからして外へ出るようでした(出てから鹿を見ました)。この先も城跡のようです。最後は急斜面になるので西の谷に降りて、道路に出ました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「宮田」「村雲」です。

2019年10月9日水曜日

養父市大谷の石原奥山・三宅三角点

2019/4/13に八木城跡から北の山に登った時に、もっと西の山も歩きやすそうだと思いました。そこで今回は大谷から北の山に登ってみました。航空写真で見ると大谷から林道が作られており、それを利用できそうですが、大回りになりそうなので、大谷稲生神社から裏の尾根に登ってみました。尾根先の高い所にあって見晴らしの良い神社です。裏から簡単に山に入れますが、急な植林です。ちょっと頑張るとやや平らになって、尾根上は自然林となりました。木がまばらで気持ちよく歩ける尾根ですが、標高300m付近はかなりの急斜面で、木に掴まて登りました。444mピークから北に降りる所は西側が植林で東側が自然林ですが、ここも気持ちの良い場所でした。そしてちょっとピークを越すと道路がありました。「森林管理道 八木谷・大谷線」だそうですが、幅が4mあるので未舗装とは言え豪華な仕様です。平成25年度と新しいので立派な道で、法面は木材で固められており、登れません。少し西に歩いて谷から再び尾根に戻りました。

この先も登りが続きますが、気持ちの良い尾根です。543mピークを過ぎ、その北は地形図に破線道が描かれていますが、たしかに道がはっきりしました。場所によっては溝になっています。破線道は西に折れて行くのですが、ここを真っ直ぐに730m+ピークに登ってみました。かなり急斜面なので、破線道で主尾根まで行って東に戻るほうが楽そうでした。730m+ピークからの東西に走る主尾根も植林が多く、歩きやすいのですが、支尾根が多くややこしいので注意が必要でした。そして石原奥山四等三角点(685.81m)に着きましたが、シダの下に隠れていて、危うく通り過ぎるところでした。ここから尾根は南に曲がりますが、植林が続きます。たまにある自然林もきれいでした。その先の632mピークから先の尾根は、地形図で分かるように北側は急斜面です。じっさい覗き込むと怖いくらいでした。細尾根かと思うと意外とそうでもなく、時々枝が邪魔な所はありましたが、滑落しそうな所はありません。とは言うものの、尾根が南東に曲がる付近は岩の上を歩くので、高所恐怖症にはちょっとつらい場所でした。石原方面が見えます。そして急斜面を登ると、三宅三等三角点(622.61m)に着きました。北側に展望が開けています(写真)。空が真っ青でしたが、北風が寒く感じられました。730m+ピークまで90分、ここまでさらに90分かかっています。

下山は地籍調査のピンクテープのある尾根を、真っ直ぐ南に降りました。素晴らしく歩きやすい尾根でした。452mピークまでは一気に降りられましたが、西側の尾根に降りようとして尾根を探すのに苦労しました。さらに少し降りてからが急斜面で、掴まる木が生えていないので何度か転びました。そこを過ぎるとたまに藪っぽい所がありますが、気持ち良く植林を降りられました。最後は神社の向かいの山に墓地があったのでそこに出ようと思って南側の尾根を降りました。最後は急斜面でしたが、墓地に出られました。

気持ちの良い山歩きでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「関宮」です。

2019年10月6日日曜日

宍粟市一宮町公文の落三角点

三方町の付近では川があちこちから集まってきて尾根もたくさんありますが、今回歩いたのは公文川東側の山並みです。その先端を少し歩いてみました。登り口は実際寺の北西にある日吉神社です。東側の実際寺の北の尾根を登ることも検討しましたが、神社の東の谷には堰堤が作られており、斜面がきつそうだったので神社の裏手の植林に入りました。神社に入る時には害獣避けと思われる扉が開いていて、そのまま神社に行けたのですが、神社の裏にもう一つ金網のフェンスがあって、扉を探して入りました。ここからは道はありませんが、古いネットのフェンスが張られており、それに沿って登りました。上り詰めると、落三等三角点(457.51m)に着きました。周囲は里山風の自然林です(写真)。落というのはこの付近の地名のようで、現在は縁起をかついで百千と書かれるようです。東の揖保川沿いには百千家満という地名もありますが、これも落山だったのでしょう。落ち武者が住み着いた村だったということでしょうか?

三角点を過ぎても良い道があるわけではありません。東斜面が植林になると作業道が時々ありますが、踏み跡もない所がほとんどです。枝や倒木が邪魔な場所が多いのですが、下草はありませんでした。展望もあまりありませんし、人工物もありません。とても里山という感じで雰囲気は良いのですが、歩くにはちょっと障害物が多すぎでした。曲がりつつ尾根を歩き、521mピークの北で急斜面を降りて、さらに360m+の鞍部に降りました。ここは地形図では破線道が通っているので期待していたのですが、道はありません。今回は西に降りると決めて、急斜面の植林の作業道を降りました。地形図で見ると広い谷なので歩けるだろうと思っていたのですが、両側の斜面は急なので谷底を歩くしかありません。倒木やシダが邪魔ですが、なんとなく踏み跡のような所をたどることができました。「消防林(?)」と書かれた昭和37年秋の標石がありました。しばらく辛抱して歩くと道があり、無事に川上神社まで降りられました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」「音水湖」です。

2019年10月5日土曜日

万々谷から登る養父市の後山

2019/04/13に登った山ですが、別方向から登って、別方向に下山しました。登り口は北近畿豊岡自動車道の八鹿氷ノ山ICで降りて西に国道6号線を少し行った万々谷(ままだに)で、西の山の麓にある墓地に登りました。墓地の上に道があって尾根を登れるようになっており、すぐに金網があり、扉を開けてさらに登り続けました。ひどく疲れるような登りではなく、植林が多いので楽に歩けました。途中に平坦地があって城跡かと思いましたが、特にそのような情報は見つかりません。畑ケ中四等三角点(338.49m)も植林の中です。このあと、のんびり歩ける所も、やや厳しい斜面もありますが、展望もあって気持ち良い山登りです。548mピークを過ぎ、尾根を北に突き当たりまで行って、西に斜面を降りると、北側斜面が伐採され、ネットが張られていて歩きにくくなりました。510m+ピークを越してネット沿いに歩くと、地形図にある林道に出会いました。2019/04/13に下山に使った林道です。この場所には、山野神と掘られた石がありました。その先の鞍部では林道が少し北にも分岐していましたが、そのまま登ってまたネット沿いに歩き、金属プレートの後山四等三角点(546.1m)に着きました。展望良好です。

今回は林道ではなく北側の谷で下山しようと、三角点からもう少し北に行って、標高550m付近から東に急斜面の植林を降りました。そして尾根を歩いて北の破線道を見つけに行きました。破線道に相当する道はないのですが、植林なので破線道どうりに歩くのは問題ありません。東に尾根を降りていくと、地形図で破線道が谷を横切る所は道はなく、そのまま降りると急斜面なので、北寄りに迂回して谷に出ました。少し広い谷の分岐箇所ですが、なんとなく人手の入った感じがしました。倒木が多いのですが、谷は広く、降りていくと北側斜面には石積みがあって、段々畑が作られていたようでした。現在は植林になっていますが、こんな谷の奥まで耕作地にしていたとは驚きです。地形図の破線道は実際にはありませんが、幅の狭い平坦地が作られており、それに沿って降りていくことができました。この耕作地はかなりの急斜面にしっかり作られており、並の努力ではありません。谷もあちこちで石積みで整備されていました。道と言えるようなものが出てきたのは標高300m付近まで降りて来てからで、そこからも耕作地の跡が続きました(写真)。現在はほぼ全部が植林となっています。途中で護岸工事を通り過ぎ、万々谷に降りてきました。この道は林道万々谷線だそうで、降りてきた谷が万々谷なのでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「関宮」です。

2019年9月25日水曜日

西から登る日名倉山

日名倉山はこれまでに何度か登っていますが、西から登ったことはありません。これはベルビール自然公園の鐘楼がなんとなく登山には邪魔ということもありますが、そもそも日名倉山の西側にはこれといった尾根がないのです。これは日名倉山の富士山的なプロファイルの理由でもあるのですが、どこを歩いたら良いのか分からず、それでも西から登ってみました。

登り口は、おねみ滝谷オートキャンプ村にしました。ここから日名倉山の裾に取り付こう思ったのですが、それにはまず谷川を渡る必要がありました。意外と水量がありましたが、少し谷川を遡ると、跨いで渡れる場所がありました。濡れた岩は滑るので気をつけて北に渡ると、植林の急斜面です。植林のありがたさで足元はしっかりしていました。少し登ると自然林になり、黒のプラ階段がありました。ということは、巡視路もこの付近の尾根裾にあるはずということになります。きれいな自然林を抜けると、巨大な山崎智頭線四六鉄塔が立っていました。

鉄塔からさらに北に向かって登りました。勾配はたいしたことありませんが、標高660m+の広いピーク付近は藪となりました。日名倉山は植林のイメージが強く、藪は意外でした。その北では東側に林道が来ていました。その北も藪が多く、東側の谷との間にネットがあり、谷側は最近植林されているようでした。このネットはずっと北に続き、ネット沿いに歩くとこのまま日名倉山に登れないのではと心配したのですが、690m+の広いピークの真ん中でネットは東に曲がっていました。ネット沿いに東に降りていくと、目の前にはススキの草原が広がっています。ススキをかき分けて降りていくと、林道が通っていました。北から登ってきて南の谷へ繋がっているようです。

ここからが本格的な日名倉山登山となりましたが、シダの生えた植林です。シダの間に間伐された木が転がっており、気を付けないと転びます。植林には下草が生えていないことが多いのですが、この植林は間伐が進んでおり、地面に陽が射すのではないかと思います。シダには保水力があって、理想的な植林なのかも知れませんが、歩きにくいことこの上ありません。少し登ると林道に出たので、少し南に歩き、ちょっと尾根のような感じのする所からまた登り始めました。こちらは自然林が多く、下草はあまりありません。あまりシダに悩まされず登れましたが、北に木の少ない場所が見えたので、そちらに行ってみると林道がありました。北から来て、北に折り返して登る道と南側を登る道があり、南向きに「林道コース 日名倉山」という矢印があったので、そちらに歩きました。しばらく歩いていると、あまり標高が上がらず、どんどん東に行くので、これでは西から登ったことにならないと思い、林道脇の急斜面を登って、その上のこれも急斜面の植林を登ると、ススキの生えた伐採地の上に出ました。地形図で東西に直線が描かれているのが、この伐採地の南端です。この上も地形図では直線がありますが、ここも幅広に伐採されており、ススキが茂っていますが防火帯のような雰囲気でした。ススキをかき分けて登ると、ついにベルビール公園からの道と合流し、さらに真っ直ぐに登って山頂に着きました。展望は素晴らしく、宍粟50名山のプレートや空っぽの祠、雛倉山一等三角点(1047.09m)があります。三角点の標石は一等三角点にしては小振りです。ベンチもいくつかあります。

下山はまず奥海越を目指しました。これは最初はススキの間ですが、すぐに植林に入り、ほぼ真っ直ぐに下ります。整備された道なので、周囲の木々を楽しむ余裕があります。山頂には「日名倉山三の丸」という千種町観光協会の標石があったのですが、少し下った眺めの良い1010m+ピークには二の丸が、その下の980m+付近には一の丸がありました。本丸はどこでしょうか?植林を眺めながらぐんぐん下ると奥海越(おねこし)に着きました。2018/07/01にこの付近を歩いています。

奥海越には林道が通っており、西に降りていけば滝のある滝谷を経由してオートキャンプ場に行けるはずですが、下りも尾根歩きにしました。まず奥海越の南西にある小さな800m+ピークを抜けて797mピークに行きましたが、この付近は倒木やシダ、それに藪もあり、結局797mピークから東の林道に降りて少し歩き、林道が東に下っていくところで再び西側のピークに登りました。最初は藪っぽかったのですが、830m+ピークは倒木がある程度です。ここから西の尾根を歩きました。2013/08/10に一部分歩いた尾根です。少し登りもありましたが、全体としては下山です。この尾根は複雑で、GPSを頼りに降りました。植林よりも自然林が多く、倒木だらけで、それを迂回して歩く必要がありました。全体に北風で木がなぎ倒された感じで、756mピーク付近も藪でした。地形図で見ると細長い平坦な場所が多く、歩きやすそうなのですが、勾配はなくても歩きやすいとは限りません。最悪だったのはオートキャンプ場に降りるところで、この付近はオートキャンプ場の案内図では「探検の森」となっていますが、ひどい藪で棘のある木も生えています。急斜面にかろうじて踏み跡を探して降りましたが、木の枝が邪魔で、最後は金網のフェンスがありました。半分腐った薪が積んである所から倒れたフェンスの上を歩いて出られました。しかし、途中で最初に登った尾根から日名倉山まで眺められました(写真)。

登りも下りも2時間半ほどかかりました。藪はあっても日名倉山は良い山です。でも、倒木の多さから、やっぱり佐用町の山だなと思いました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。

2019年9月23日月曜日

和気の原大谷ノ峯

岡山県和気地形図を見ると、城跡のある天神山から南に連なる尾根の先に原大谷ノ峯という山があります。なんと読んだらよいのか分からない低山で気になっていたので、登ってみることにしました。登り口は尾根の南端にある八幡宮です。ネットを開けて舗装道路を登り、途中から階段を登って神社にお参りすると、その奥に道路が上がってきていました。その奥はシダ藪ですが、ここから山登りです。シダ藪は元気が出ませんが、入っていくとマーキングもあり踏み跡もありました。登っていくと少しずつ南に視界が開けてきました。この尾根にはシダの生えていない所や岩場もあります。ただ、シダの背はだんだんに高くなり、両側のシダで隠されて踏み跡が見えにくくなってきました。時々踏み跡を見失い、棘のある木もあって疲れてくると、山頂に出ました。大谷峯四等三角点(242.53m)があり、山名の札も掛かっていました。登り始めた付近の地名は原ですから、不思議な山名も納得できました。

ここから分かりにくい踏み跡を辿って斜面を降りて、東の広い200m+ピークに向かいました。驚いたことに鞍部まで来るとシダは全く生えておらず、木の間隔も適当にあって、とても歩きやすくなりました。200m+ピークはちょっと行き過ぎて戻って北に向かいました。ちょっと灌木が邪魔ですが歩きやすく、160m+の鞍部まで来ると東側から来た林道と会いました。林道は238mピークの東の方へ行ってしまいました。238mピークの北には送電線の鉄塔の撤去跡と思われるコンクリートブロックがありました。この先はしばらく登りですが、藪っぽい付近を抜けると論山四等三角点(323.37m)がありました。この名前、ちょっと変です。これを過ぎると道がしっかりしてきて、340m+の平らな尾根になりますが、道は尾根の西側を通っています。尾根の上は岩だらけですが、建物や石垣の跡とも思えません。それでもなんとなく霊感を感じる(?)場所だと思っていたら、字の彫ってある岩が立っていました(写真)。「八大龍王」と掘られているのだと思いますが、自信はありません。八大龍王は法華経に出てくるのだそうで、そういえば麓の法泉寺は日蓮宗不受不施派という法華経を信奉する宗派のお寺です。

道を歩いてさらに北に行くと、舗装道路に出ました。ここから下山です。下山道は歩いてきた道のすぐ隣にありました。分かりやすい道ですが、少し降りると物置小屋の残骸のようなものがあり、その前は平坦で、地形図にもあるようにかつては耕作地だったようです。小屋を見に行ったために地形図の破線道から外れたようで、結局背の高い草の生えた耕作地を西に渡って谷の反対側に出ました。この付近も平坦地がいくつもありますが、かつては水田だったらしく沼地になっています。山沿いに道があるのでこれを降りました。荒れた道で大きな石も多く、疲れました。この付近は大きな岩が多く、それを使って谷を整備した跡もありました。地形図の破線道はほぼ正確ですが、他に枝道もあります。地形図でも途中で道は2つに分かれますが、谷を見たくて東に曲がる方に行きました。谷の水量は少ないのですが、岩が真っ赤になっており、鉄分が多いようです。谷を渡ってからもほぼ地形図どおりの道でしたが、分岐もあり、また崩れていたり倒木があったり草が生い茂っていたりで、簡単には歩けません。間違った分岐に行かないように気を付けて、再び谷に降りてもう一方の道と合流しました。そして堰堤の脇を降りると、龍徳温泉に出てきました。2012年に休業したようですが、建物はまだ残っており、「犬の風呂」も健在です。隣の作業所は忙しく操業していました。ここからの下山路はいろいろな置物が飾られており不思議な雰囲気ですが(Street Viewで見てください)、いかにも不法侵入という感じなので足早に降りました。あとは自転車専用道路を歩いて戻りました。

シダ藪の藪こぎを予想して行ったのですが、4時間ほどでいろいろと楽しめる山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「和気」「日笠」です。

2019年9月19日木曜日

穂見から登る穂見山

長い尾根を歩いてみたくなって、穂見山付近の地形図を見ていると、西に長く伸びている尾根があることに気付きました。これを歩こうと思って、智頭に行って国道53号線沿いに車をとめて、塩田の付近から尾根の先を歩きました。地形図にはありませんが国道から尾根先に道があり、さらに尾根に入って行っていました。これを歩くと、谷に堰堤がありました。平成23年建設という比較的新しいものです。堰堤の南側の尾根に上がると、作業道のある歩きやすい植林でした。ここから割と平らな尾根歩きが始まりました。平らと言ってもアップダウンはあります。周囲は植林で、たまに植林区域の間に藪がありますが、すぐに通り過ぎてしまいます。326mピークも美しい植林ですし、とにかく歩くには全く問題ない尾根でした。この付近は埴師とか土師というように、昔は職人集団が住んでいた地域のようです。これらの人たちが住んでいたということは、焼き物等に良い土が取れたのかも知れません。尾根は曲がりくねっていますが、下草もなく、暗いとは言え美しい植林です。共同アンテナの残骸があり、さらに植林を上がり下がりして歩くと、北側にネットがあって植栽されていました。アカマツが植えられていて、「広義の遺伝資源 見附15」と書かれていました。これは帰りに通った育種場の一部なのでしょう。

この長い植林の尾根歩きは実は穂見山を登るだけなら余計で、地形図を見ると道がかなり北の谷の奥まであって、この付近で尾根に上がれば良さそうなのですが、実はこの付近の尾根を歩くと意外と細尾根で、北側の谷は深いのです。つまり育種場と尾根の間には深い谷があります。また育種場には入りたくありませんから、もしここまで尾根を歩かないなら、尾根には南から林道が接近しているので、天木から林道で来るのがよさそうです。細尾根の植林を歩き、ちょっと急斜面を登ると494m地点です。この先、主尾根の887m地点までの標高差400mほどはほとんどが植林です(写真)。標高650m付近と750m付近が急勾配ですが、歩きやすく作業道の名残もありますので、自分のペースで登れば問題ありません。主尾根の887m付近は地籍調査のピンクテープが賑やかですが、ここには2019/04/20に来ました。穂見山に向かって登ると950m+付近から木がなく素晴らしい展望が広がります。そして最後に一旦下って登ると穂見山頂上です。穂見二等三角点(976.01m)があります。登りは始めて2時間半でした。意外と早く着きました。

下山は尾根を北に歩き、徐々に西に向きを変えて、707m地点を通って林道に降りました。主尾根は美しい雑木林ですが、西に向きを変えてからも美しい植林が続きました。木に掴まって降りた場所もありましたが、掴まれる木があるので問題はありません。林道は整備されたもので、穂見に向かって歩くとすぐに舗装道路になりました。普通林道穂見山線というようです。周囲も美しい植林です。林道の入り口には「国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所 林木育種センター関西育種場 山陰増殖保存圏」という看板があり、建物がいくつかありました。そのまま道を降りて穂見の村を通って国道まで戻りました。

長距離を歩くつもりだったのですが、5時間弱で終わってしまいました。歩きやすい山です。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大背」「坂根」です。

2019年9月15日日曜日

大屋市場の南の山

山名もわからず、三角点も無いのでこんな題名になってしまいました。山頂に登るというより尾根歩きです。登り口は大屋市場の日枝神社で、その裏の植林を登りました。250m+の尾根には溝が2つ刻まれており、かつては見張り台くらいあったかも、と思いました。石仏があるのですが、2つずつペアになっており、片方は四国八十八ヶ所巡りの石仏らしく、近くの多くの村からの寄付で作られたようです。この付近には二組ありましたが、南に尾根を歩くとたくさんあり、270m+でもうひとつの尾根と合流する所は伐採されており、この付近にも石仏がたくさんありました。ここには地籍図根三角点が埋められています。歩きやすい尾根が続き、石仏も続きますが、松茸山につき入山禁止の札もありました。その先も道と石仏は続きますが、倒れていたり、なくなっている物も多いので、修復してあげたくなりました。倒れていた石仏を起こしてみましたが、重たくて腰を痛めそうでした。周囲は自然林も多く、下草は鹿に食べられたのかほとんどありません。そして405mピークに着くと小屋があり、中に4ペアの石仏が置かれていました(写真)。この四国八十八ヶ所巡礼路は多くの方たちに寄付で立てられたようですが、金額が10円単位なので、かなり昔のことのようです。ここは伐採されているため、西の山々が望めます。地籍図根三角点もあります。

405mピークから南の尾根には石仏はありませんが、歩きやすく良い雰囲気です。355m+ピークでいったん尾根は終わりますが、西に鞍部を通って尾根を乗り換えて、さらに南に歩きました。こちらも道のある雰囲気の良い尾根でした。最後は伐採木を乗り越えて林道に出ました。ここでは林道は東に折り返しており、地形図とは少しずれている感じでした。林道を歩いてもよかったのですが、もう少し植林を登り、再び林道に出ました。ここは東に展望があって、御祓山や須留ヶ峰が望めました。このまま登り続ければ和田山(809.1m)に着けますが、今回は林道を西に歩きました。古い林道で倒木やシダが多いのですが、特に山側が大きく崩落している所があって迂回しました。そして次の北向きの尾根への分岐で林道は終わっていました。

下山はこの尾根を歩きましたが、これも幅広く真ん中に溝のある尾根で、倒木が多少ある程度でした。ずんずん降りていくと、この道は標高450m付近の平坦地の前で東に降りていってしまいました。谷に降りて林道親谷線に繋がっているものと思います。尾根はこの後も歩きやすく、標高350m付近にはもう一つ平坦地がありますが、人工的なものはありません。ただ、松茸山の表示はこちらの尾根にもありました。地籍図根三角点のある伐採地を抜けて東側の尾根を降りました。ちょっと急ですが歩きやすい尾根が続きます。尾根の先には水道施設があり、墓地が見えますが急斜面すぎて真っすぐは降りられず、東の植林をジグザグに降りる作業道で下山しました。ネットがあるので一度林道に降りてから害獣避けの扉を開けて瓜原の集落に出ました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2019年9月14日土曜日

大名草の松尾三角点

この山は国道427号線で播州トンネルを北に抜けて大名草までの西側にある山です。かなり孤立した山で、どう登ったらよいのか分かりません。どちらを向いても急斜面に見えますが、よく見ると登れそうな尾根があります。特に北端の青垣町大名草から伸びる長い尾根は魅力的なので、これを目指しました。大名草の集落を歩いていると、西の畑に行く道があり、尾根先の斜面に踏み跡が付いていました。植林の作業道のようで、尾根をグイグイと登っていきました。かなり勾配はありますが、植林なので歩きやすい道でした。443m地点付近は少し平坦で植林の間隔が広く、良い感じでした。この付近になると勾配も緩やかで、尾根にはしっかりした幅広の道がありました。道が踏み跡になる付近から急勾配になりましたが、それでも踏み跡があり木に掴まって楽に登れる坂で、山頂の尾根に出ました。少し東に行くと、松尾三等三角点(678.87m)がありました。植林に囲まれて展望はありませんが、南北に風通しの良い場所です(写真)。

山頂からは西に歩きました。少し藪っぽくなりますが、すぐに植林に戻りました。南側は雑木林でも北側は植林のことが多いので、植林側を歩けば楽に歩けます。670m+ピークから南に急斜面を降りて、さらに640m+に登りかえしました。尾根から南に降りて鞍部に行き下島山三角点(558.4m)にでもと思っていたのですが、南斜面は急勾配の雑木林で、尾根を真っ直ぐ歩くと結局鞍部より西側で南に降りることになりました。ここもかなりの急勾配でしたが、降りやすい所を探して木に掴まって降りると、谷の上の平坦地に出ました。地形図で見てもこの南は谷になっています。鞍部に向かうのは無理なので、西に平坦な植林を歩きました。ちょっと木の間隔が迫っていますが、美しい植林です。谷があるのでその西側の尾根を歩きました。少し藪っぽい尾根です。そして550m+ピークに出て、北に尾根を降りました。こちらも植林で、かなり急勾配なので木に掴まって降りました。しかし降りるのに邪魔になるようなものはありません。最後は藪ですが作業道があります。眼下に林道があるのでそちらに降りようと思いましたが、地形図にはない川があり、水量も多かったので、シダの生えた植林の中を通って国道429号線に降りました。この付近は石垣があって以前は畑だったようですが、今は美しい植林です。

孤立していて急斜面に囲まれている山だと思っていたのですが、意外と歩きやすい山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2019年9月12日木曜日

若桜の用呂から遠見山

若桜の遠見山(とおけんざん)には2016/07/30と2018/10/08にも登っていますが、今回は用呂からの長い尾根を歩いてみました。用呂は若桜の西側ですが、八東川が北に大きく蛇行しており、蛇行を強いているのがこの尾根です。先端には若桜鉄道が走っていますが、その山側に家が数軒あるのでトンネルをくぐって行ってみました。付近を歩くと実は若桜鉄道は尾根先を切通しに削っており(鉄道の北側に尾根の最先端の岩が残っている)、付近は急勾配ですし、頑丈な柵があって入れません。結局人家の間を抜けて山側に出ると墓所があり、そこの竹藪には柵が無いのでそこから登り始めました。人家はあまり人が住んでいる気配がしないので、勝手に奥に入ってしまいました。

竹藪から尾根先に斜面の作業道で歩き、尾根を登り始めました。急斜面ですが登りやすく、しばらく登るとアンテナのある平坦な山頂に出ました。パラボラアンテナのあるのが若桜DTV中継放送所で、小さなのがNHK若桜FM中継放送所となっています。コンクリートの杭がありすぎて、日田三角点を見落としました。南に電柱が延びていて、鞍部まで降りると大きな電柱があり、ここから地形図にあるように東側に道があるのだと思いますが、建築資材を運ぶのは大変だったでしょう。

尾根を南に歩くと次の362mピーク付近は少し伐採されていて地籍図根三角点があります。倒木が邪魔なだけで歩きやすい尾根で、次は舂米(つくよね)線第二六号鉄塔がありました。これは氷ノ山に近いつく米の発電所から来ているようです。ここから南側には道があります。倒木で歩きにくく、尾根を歩いたほうが楽な所も多いのですが、盛土になっている所もあり、また溝状の道が2つ並行して走っている所もありました。標高500mを越した付近は意外と細尾根で、その先はやや急勾配で、上がると建設省の遠見山反射板がありました。ここは以前に若桜神社から登ってきた所で、西に尾根を歩くと一度600m+ピークに登り、鞍部に降りてから金属プレートの倉繁四等三角点(605.74m)がありました。そのすぐ西には道標があって、北は「日田・林道」で登ってきた方向が「若桜神社」、向かっている方向が「遠見山山頂」です。登山道なのでここからも急斜面ではトラロープが張られていたり、快調に歩けました。とは言え急斜面には違いありません。木々が美しいのが救いで、山頂に着きました。2018/10/08にも来ています。本谷三等三角点(805.84m)と記帳箱がありました。

山頂の手前に見晴台への分岐があったので、そちらに行ってみましたが、これは2018/10/08に登って来た道の九合目に出る道でした。登山道を下って、八合目にある展望台で北から西の景色を味わってから(写真)、さらに登山道で北に下山しました。植林の中をジグザグに降りる道で、よく整備されています。木に名札が付いているのも親切です。しかしこの手の道の常として、山の下のほうが荒れており、二合目のヌタ場はシダで道がわからず、最後の墓所の前も迷いました。登りならあまり問題がないと思います。最後は無事に日田の虚空蔵菩薩の所の登山口に出てきました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「若桜」「因幡郡家」です。