2012年3月26日月曜日

上三草の廻谷を一周


三草山から三草川をはさんで北側にある山々は、岩盤が露出していることで知られています。特に廻谷をと数曽寺谷の間の尾根は、登山記録がいくつかあり([1][2][3][4][5])、面白そうなので歩いてみました。

一番上に立っている別荘の横から登るのが一番早道([1][3])というのは分かっていたのですが、別荘地に入らずに登るルートを考えました。最初から廻谷を一周する計画だったので、廻谷の下の溜池まで、西から車で未舗装道路を行きました。この道には入るなと書いてあるのですが、じっさい堤防の下では堤防からの水が道を越えて流れており、その先別荘地帯に行く道は非常に細くなります。堤防の下から歩き始めました。この堤防は水が岩場を滝のように流れ落ちています。池の東側は背の高い笹薮で、入り込む気になりませんが、ちょっと覗いてみるとコンクリートブロックで作られたトイレがありました。溜池の建設の時に使ったのでしょうか?ここは藪がひどいので、少し北に歩いて笹がなくなった付近から藪に入りました。強力な藪ですが、踏み跡と呼べなくもないシダの合間を歩いて、岩場に出ました。最初は少し崩れやすい土の斜面でしたが、その上は岩盤登りで、難なく186mピークに着きました。ここで既に大展望でした。

この先は岩場の尾根を歩いて、240m+ピーク(石が積んであります)に立ち、さらに398mピークに向かいました。足元は岩場でしっかりしていますし、急坂には低い松も生えているので、危険なことはありません。298mピークから南西に伸びる尾根が縞模様になっていて興味を引きますが、岩盤と崩落した崖が交互に並んでいるようです。一旦鞍部に降りてから240m付近に大きな岩がありますが、東側が道のように削られていました。誰かが削ったんでしょうか?298mピークには赤く塗られた標石がありました。

298mピークの先はシダが茂っており、普通の尾根道になりました。しかし良い道には違いありません。この先に小キレットがありました。崖になっている側には枯れ木が立てかけられていましたが、降りるのにはあまり役立ちそうもありません。私は慎重に東側に一度降りて崖の下に登りましたが、狭い岩の隙間を登らねばならず、飛び降りたほうが安全だったような気がします。どちら側に落ちても、木などで適当に止まると思います。この先はますますシダが増えますが、まだ春も早いので枯れているものが多く、楽に歩けました。ただ、少し雪が降ってきたのでペースが落ちました。320m+ピークの木には黄色いテープに矢印があり、西の尾根は廻谷に降りられるようでした。この先もシダに覆われた尾根道ですが、近畿中国森林管理局のピンクテープがたくさん付いていました。

新しげな標石の上三草四等三角点(299.03m)を過ぎて、播磨線165鉄塔に着きました。歩き始めて1時間半です。ここでも東から南に眺望は良好ですし、北の比延谷川流域も見えるようになります。ここからは一旦東に降りて、320mピークに行く道を探しました。東に降りる道は巡視路だからかとても良く整備されているので、北西の尾根に向かう道を道と識別するのにだいぶ時間が掛かりました。よく見ると木に黄色と水色のテープが巻いてありますし(このマーキングはこの後もよく見ました)、足を踏み入れると関電の火の用心が倒れていました。しかし、この先はこれまでに比べてずっと藪っぽくなり、おそらく巡視路ではないと思います。しかしそれでも道であることには間違いありません。ときどき岩場もあって、展望もあります。地形図ではこの付近には破線道が来ているのですが、全く形跡がありません。320mピークを過ぎ、その次の330m+ピーク付近からは金城山がよく見えます。金城山南斜面には見事な尾根が走っています(写真)。雪がちらついていて良い写真が取れなかったのが残念です。

ここから尾根は徐々に南に向かいます。道はずっとあります。次の320m+ピークから鉄塔に向かって降りるところは岩場で、下りなのでスリルがありました。この尾根は岩場が多く眺望も良好で、西側のゴルフ場が目障りですが、西脇から瀬戸大橋、東には清水寺まで見渡せます。鉄塔の北には廻谷から巡視路が上がってきています。この鉄塔は播磨線163です。この南の330mピークは道が西側を巻いて行きそうだったので、頂上に登りました。この先も岩の多い道が続き、展望良好です。290m+の鞍部へは、シダの中を降りました。その後は緩い登りになり、300m+ピークに着きました。ここも眺望が素晴らしく、一休みしました。

ここまで来ると西の永富村三等三角点(305.72m)を見に行きたくなり、ピストンで行って来ました。この尾根は踏み跡が薄く、枝をかき分けて歩かねばなりません。大柿さんの2005年の赤いプラスチック板がありました。この永富村とはどこのことでしょうか。地形図にはありません。まさかゴルフ場に飲み込まれて消えてしまったとか?三角点を見てから300m+ピークに戻り、南の岩の多い尾根で下山を開始しました。コースは決めず、楽な方へと踏み跡を辿って降りていくと、南西に長く伸びる尾根で下山することになりました。低い松の生えている岩場を降ると、最後はシダ薮となり、さらには灌木の枝をかき分けてながら降りました。地形図の破線道に出てきましたが、西側はちょうどゴルフ場の一番奥でした。ゴルフ場を通らずには下山できません。破線道を東に歩いて池の東岸を歩くことも考えましたが([2])、地形図には破線道があるので、それを探すことにしました。

東に行く破線道は割とはっきりしていますが、南の山に登る道は影も形もありません。保安林の標識が立っている付近から藪に入りましたが、道はなく、徐々に勾配もきつくなりました。地形図の破線道の谷は背の高いシダが茂っており、右手の小さな尾根に上がり、そのまま急斜面を木に掴まりながら登りました。地形図で見ると崖になっていそうで心配だったのですが、最後に急斜面のシダ薮を突破すると、崖よりも西寄りの地点で尾根に出ました。尾根もシダで覆われていますが、踏み跡はあります。相変わらず眺望は良好で、岩盤もあります。踏み跡はあまりはっきりしませんし、灌木の枝を押しのけながら歩かねばなりません。道らしいものが現れたのは226mピークを過ぎてからですが、これも時々辿るのが困難でした。相変わらず展望も良いのですが、何度も道を探しに尾根をさまよいました。それでも、道は確実にあります。それが怪しくなったのが、最後に尾根から降りるところでした。この尾根は堤防の西側で終わりますが、そこは崖です。崖の上を南に歩いて、急斜面を道まで降りました。下手に崖を降りようとしていたら、滑落していたでしょう。とめておいた車は目の前でした。

この山は播磨平野の北端に位置しているため、広い平野の展望が開放感を与えてくれます。低山ではありますが、登りがいのある山でした。距離から言えば決して長いコースではないのですが、5時間半かかりました。岩場や藪の登り下りは、思ったより時間が掛かりますし、足にも負担がかかるようです。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「比延」です。

2012年3月24日土曜日

三草山


加東市の三草山はハイキングコースが設定されており、登山記録もたくさんあるので、あえてここに書くこともありませんが、メモとして残しておきます。

昭和池の下に三草山登山者専用駐車場があります。ここに着くまでの道は、けっこう狭いです。駐車場には東屋やトイレがあり、北に向かって登り始めます。前日が雨で、この日も時々強い雨が降っていたので、道はぬかるんでいました。右手に大きな岩を見ながら歩いて行くと、道が海になっていましたが、幸い山側に迂回する道がありました。ここからは登りですが、時々振り向くと滝野の方向が見え、標高があがるにつれて景色もどんどん良くなります(写真)。岩の多い山ですが、急勾配の岩場には鎖があるので問題なく登れます。三草山山頂には三草山二等三角点(423.94m)と、小さな神社があります。

山頂からは南に良い道を降りていきます。ここでも時々展望があります。地形図にある天狗岩は、北側斜面にあるはずですが、稜線上を歩いていると見つけることは困難でした([1])。谷に降りて見上げないと探せないと思います。天狗岩四等三角点(304.42m)は、道からシダ藪の中に入る道があって、それを少し降りていったところにあります。この後は233m地点を過ぎて南に降りますが、途中に山頂の神社の鳥居があります。山から降りた所でUターンして、谷あいの道を昭和池に向かって歩きました。折り返し点からは、地形図にあるような溜池の南ではなく、溜池の北側を通ります。昭和池に出てくるあたりに炭焼き窯の残骸があります。このUターンは大回りなので、直接降りたかったのですが、この付近はかなりの藪でした。さらに、昭和池の南の山には三草三角点があるので、昭和池沿いの道を歩きながら山に登る作業道を探したのですが、結局見当たりませんでした。この山も低い木に覆われており、突破できない藪ではなさそうでしたが、かなりの労力を要しそうでした。昭和池の南西は大きな岩盤が露出しており、ちょっと迫力がありました。

とても良く整備されたハイキングコースで、雨が降ってきたときは傘をさして歩きました。展望も良く、さすがに人気のコースだけのことはあります。

展望 ★★☆
藪山度 ☆☆☆
地形図は「比延」です。

2012年3月18日日曜日

多可町八千代区の天船山


先週笠形山に登ったルートの、一つ南の山並み行ってみました。登り口は野間川沿いの多可町八千代区中村です。安海寺の裏に、四国八十八箇所を巡れるルートが作られており、これで山の中腹まで登れます。あとは、最初は作業道がありますが、そのうちに急斜面の植林を登るようになりました。意外と岩の多い山で、山頂はシダ薮っぽいのですが、すぐに落ち葉を踏んでの尾根歩きになりました。地籍調査のピンクテープがたくさんあります。

特に展望もありませんが、気持良く308mピークまで歩き、さらに西に進みました。287mピークを過ぎても様子は変わりません。その先の鞍部はネットが張られていて、植林がきれいです。しかし、徐々に伐採された木が転がっているようになって、歩きにくくなりました。頑張って急登すると、中村四等三角点(363.51m)がありました。周囲は植林で展望はありません。

ここからは尾根をまず西に、それから北に向かいました。この尾根は切り開きがあります。325m地点に向かっておりていくと、西側に林道が来ていました。大和川沿いから来ているのだと思いますが、立派な道でした。さらに北に歩き、尾根に出て登って行くと、尾根にロープがあって、伐採の跡のようでした。更に北には、作業中のロープやウィンチがありました。東側を見下ろすと、はるか下の谷にユンボなどがいました。倒木処理か、伐採をしているようでした。

この先の450m+ピークまで来ると、伐採の全容が分かって来ました。東側の谷(これは「すご谷」と呼ばれる谷なのかも知れません)の突き当りが、広く伐採されているのです。大掛かりな伐採で、小さな尾根が一つまるごと丸裸になっていました(写真)。尾根上も伐採された木が多く、歩きにくくなりました。見ると西側にはすぐそこまで笠形林道が来ていました。林道はこりごりなので、そちらには行かず東に曲がって尾根を辿りました。最初は倒木が多くて歩きにくいのですが、そのうちに楽になりました。しかし467mピークの先は分かりにくい場所です。長い尾根を歩こうと思って、天船山の方へ進んだのですが、間違えて北に向かう尾根を降りてしまいました。正解の尾根は岩が多かったようです。降りるとネットが張られていて、北側に展望がありました。

長い尾根歩きが続きます。404mピークには、木が一本立っていました。その先の鞍部は伐採された木で埋まっており、大きく南斜面を巻いて進みました。次の400m+ピークは藪で、藪を避けると天船山には行きません。藪を突っ切って進む必要がありました。ここも尾根にネットがあり、北側の展望はありますが、歩きにくい場所でした。天船山三等三角点(399.55m)は、伐採された木に囲まれていました。その後、坂本の神社に降りるつもりだったのですが、なぜか南に足が向いてしまい、急な植林を南の谷に向かって降りてしまいました。伐採した木とシダの間に作業道を探し、急斜面をまっすぐ降りて、ミツマタの咲いている谷に出ました。幸いこの谷には道がありましたが、斜面が崩落している場所もあり、やや危険でした。途中からは車の通れる道(林道宮床線)になって、坂本に出てきました。

最後まで尾根を降りられなかったのは全くのミスです。急斜面は降り始めると戻りにくいので、降り始める前によく考えなければなりません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2012年3月10日土曜日

大屋から登る笠形山


まず誤解のないように書いておきますが、このルートは笠形山のいわゆる大屋登山ルートではありません。これについては[1]などをご覧下さい。

多可町八千代区大屋の鹿子神社の東側に「大屋案内図」があります。これには笠形山の登山ルートも書いてありますが、鹿子神社の裏山に鹿子散策道が描かれています。これを起点としました。腐りかけた木板の階段が神社の裏にあって、これを登ると東屋があります。大屋が一望できます。この先に松茸山なので秋は禁入山という看板がありましたが、しばらく良い道が続きます。だんだん道が怪しくなり、大屋四等三角点(390.31m)のピークは西側を巻いているので頂上に上がって三角点を確認しました。次の400m+ピークの手前から尾根にはネットが張られ、雑然とした尾根になって歩きにくくなりました。406mピークも倒木があって荒れていますが、ここを過ぎると下草の無い植林の尾根道となりました。尾根が西に曲がり、標高410m付近を登っていると、共同アンテナ(?)がありました。この先はずっと植林で、倒木が少しある程度です。だんだんと岩が増えてきて、勾配も急になります。そして、広域基幹林道笠形線に出ました。

出てきたところは切通です。林道を挟む両側の崖の上に、「大屋共有財産区所有地」という札が向かい合って立っており、狛犬のようでした(写真)。登ってきた尾根から林道に降りるのは簡単でしたが、林道の山側の崖は高いので、登るのは簡単ではありません。幸い切通の北側の急斜面に小道があり、これを登って崖の上に出られました。少し尾根を登るとネットがあり、下から道が上がってきていました。おそらく林道に登り口があるはずです。この先は急な登りで、岩塊流のような岩だらけの谷があり、それを避けて岩だらけの尾根に上がって登り続けました。そして、稜線に出てきました。「多可の天空を歩く 仙人ハイク縦走コース」の、ここは大屋峠南だそうです。笠形山までの1214mの尾根歩きは一度降りてから登り返すので結構きついのですが、「龍の背」とか鎖場とか「天邪鬼の挽岩」とか、楽しめるます。小雪がちらつく笠形山に着いたのは、登りはじめて3時間半後でした。笠形山には何回か登っていますが、無人の山頂は初めてでした。笠形山一等三角点(939.36m)は流石に立派です。

下山は南の尾根で大屋に戻ることにしていたので、山頂から南に歩きました。地形図では山頂の南の920m+ピークで破線道と境界線が別れており、東側の破線道を歩こうと思っていたのですが、分岐が見つからず、西側の道の良さと比べて東側の破線道に相当する道は見つかりません。しかたなく尾根を辿りましたが、笹が多く歩きにくい尾根です。しかも破線道と境界線が東に曲がる付近は広い尾根で、自分の位置が分かりません。とにかく降りていけば林道笠形線に出るだろうと思って植林の斜面を降りたのですが、これは大間違いでした。これは東向きではなく南向きの斜面でした。白いミツマタの花が咲いていましたが、植林の下は谷で、そこで初めてこれが岡部川の源流であることに気が付きました。慌てて稜線に戻ろうとしましたが、非常に急な斜面で、結局近くの尾根に上がって、そこから稜線まで一直線で登らねばなりませんでした。非常に疲れる登りでした。

稜線(多可町と市川町の境界)に出た後は北に戻って地形図の破線道を探しました。破線道が浅い谷を一直線に東に降りているはずなのですが、これも見つかりません。しかたなしに少し南の尾根を降りました。ここは植林なので降りやすく、652m地点も多少の眺望がありました。しかし気になるのは眺望ではなく、笠形線がすぐ下を走っていることでした。これでは降りられません。案の定、尾根の先は崖でした。少し傾斜の少ない崖を見つけて降りようとしましたが、滑落しそうになって断念しました。しかし林道に降りないわけにはいかないので、藪の斜面を南にトラバースして降りられる地点を探しました。南には尾根があり、その先は勾配が緩そうでしたが、ここも降りるのは難しそうでした。が、なんと尾根の北に金属製の階段がありました。なんという僥倖でしょう。これが無ければ、降りられたかどうか疑問です。危険きわまりない林道です。

下山に予定していた尾根は、降りてきた尾根の延長です。ここの切通には「大屋共有財産区(通称トン谷)」という札が、やはり向い合って立っています。予定どうりこの尾根を降りました。岩が多いのですが、歩きやすい尾根でした。しかし543mピークを過ぎたところで問題が発生しました。崖の上に出てしまったのです。尾根上に大きな岩があり、両側は急勾配で巻き道はありません。眼下には尾根の続きが見えていますが、飛び降りられるほどに垂直に切れているわけでもありません。結局岩にへばりついて降りたのですが、滑落の危険が大でした。冷や汗をかいた後も尾根歩きを続けました。ネットがあったり、北側下方に広い林道が見えたりするうちに、周囲に新しく木が植えられていることに気が付きました。大きな木を添え木に付けて植えてあり、杉ではなく桜のような木でした。まだ作業の途中のようでもあり、道も良くなりました。おかげで迷わずに東に尾根を辿ることができましたが、すぐにこの道は降りて行ってしまいました。あとは植林と雑木林の中を、尾根を端まで歩きました。最後は、人家の北付近まで来るとネットが張ってありました。ネットの北側を歩いて降りると、人家の裏に降りられました。ネットの中に入って降りると、作業道があったかも知れません。

道に迷ったあげく二回も滑落しそうになったので、あまり賢い山歩きとは言えません。登りは2時間半、下りは3時間半というのがそれを証明しています。実は最初は笠形線で折り返す予定だったのですが、笠形山が近そうだったので登ったのでした。下山で苦労したのは、笠形山を甘く見ていたとしか言いようがありません。山登りには準備と心構えが必要です。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「粟賀町」です。

2012年3月4日日曜日

市川町岩戸神社周囲の山


福崎から県道34号線で笠形山方面に向かうと、途中に岩戸神社への標識が出ています。この神社周辺の山を歩いてみました。登り口はその標識付近で、ここから岡部川を東に渡ると山裾に寺があります。この北側に江戸時代の墓地があり、そこから更に階段が山を登っていきます。階段の終わりからはコンクリートの斜面が続いています。これを登って行くと、貯水タンクがありました。これは航空写真で確認してありました。ここまで登れると、先はとても楽です。やや急ではありますが、下草の無い斜面を登って、楽に尾根に出られました。

岩の多い尾根を北に進むと、350mピーク付近はシダが茂っていますが、その先の鞍部にはワイヤロープが落ちており、岡部川流域が望めました。その先で尾根が東に曲がるところから、尾根にケーブルが張られています。案の定390m+ピークには共同アンテナがありました。398mピークには養蜂用の箱が置いてあり、周囲の山々を見渡せました。そのすぐ北には地籍図根点がありました。この付近には立派な道があります。鞍部には記念碑と書かれたプレートがあり、林道を作った時に「いかり岩」まで遊歩道を作ったと書かれています。398mピークのことでしょうか?

この道はすぐに西側に降りて行き、その先は植林です。そして雑木林を抜けると、420m+ピークには標石がありましたが、難しい字で読めません。その先は南側が伐採地です。そして、主尾根に出ました。これは深山から笠形山、千ヶ峰、三国岳と連なる長い稜線の一部です。多可町と市川町の境界でもあります。南東に向かって尾根を歩くと、北側にとても立派な林道(笠形線)が見えましたが、降りるにはあまりに斜面が急です。尾根も歩き易く、展望もあるのでそのまま尾根歩きを続けました。418mを過ぎると、谷から林道に土砂が流れ込んでいました。その次のピークから398mピーク経由で下山することもできそうでしたが、さらに東に尾根を歩きました。そして、地形図で破線道が尾根をよぎっている点の少し手前の鞍部で、林道が尾根を越して、尾根の北側から南側に移りました。ここでは林道は舗装されていません。この地点は「通称名 岩戸坂」となっています。この付近の山は岩戸山です。ここへは林道以外にも、西から道が上がってきていました。

ここからは林道を歩いても良かったのですが、さらに尾根を歩くことにしました。気持の良い斜面を登っていくと、茅野三等三角点(481.17m)がありました。ここへは2011/12/29に大和町側から登っています。その時と同じように南に歩きました。伐採地を過ぎ、途中で尾根を間違えて北に降りそうになりました。ここは前回も間違えたような記憶があります。三町境界のベンチのあるピーク(岳山?)に出て、さらに南西に進みました。ここは道があります。境界だからか、古くて読めませんが標石もあります。そのうちに北側に林道が再び見えてきたので降りようとしたのですが、林道の山側の斜面は急で降りられません。結局かなり尾根を歩いて、尾根の鞍部から林道に出ました。

林道に出てから、少し来た方向に引き返して、北に降りる林道で下山しました。この道は「針広混交林整備事業」のために作られたそうです。この林道が笠形林道と接する付近の谷は、笠形林道から下は木が完全に伐採されており、この谷の整備が林道建設の主目的だったと思われます。降りて行く途中の説明板を見ると、この谷の下部は列条間伐を行ったとなっていますが、航空写真を見ると確かに列状に木がなくなっています。ただし、この日に見たところでは、そのような列は確認できませんでした。林道は部分舗装で、ところどころ山桜が植えられていたり、「猿岩」という大きな岩があったりします。

しかし、伐採された谷に降りていくと、状況は大きく変わりました。谷に沿って作られたコンクリートの林道が、ほとんど土砂と伐採木で覆われてしまっているのです。ちょっと見ると、以前に林道があったことが分からない、荒れ放題の谷に見えます。まさしく大洪水の跡です(写真)。泥の上で太い倒木を跨いだりくぐったりして、なんとか谷を降りました。一番下には二重の堰堤がありましたが、そのすぐ上まで荒れ放題です。平成20~22年度の事業となっていますが、「災害に強い森づくり」が目的とすると、完全な失敗ではないでしょうか。堰堤のすぐ下には岩戸神社があります。この神社でも参道の石の橋が落ちており、これも大雨の被害かも知れません。

小雨の日でしたが、意外とバラエティに富んだコースで楽しめました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2012年3月3日土曜日

西脇の金城山


西脇市の南東に位置する400mほどの標高の山が金城山です。古高松というのが地元での呼び名かも知れません。稜線が綺麗で加古川の西側の山からよく見えました。金城池から北に延びる谷(箙谷というのか?)から登るのが一般的のようですが、現在登山道が整備されているかどうか分からないので、この谷を一周する周遊コースを組んでみました。

出発点は、高松町の長明寺となります。源頼政の所領だったそうで、頼政の鵺退治の像で有名です。この付近から四国88ヶ所巡りができるのですが、これが尾根の裾を通っているので、登り口を探しました。子安地蔵が西側の尾根の裾でしたが、この付近は藪で道はありません。しかたないので頼政池の北を歩いて、東側の尾根に登りました。こちらも藪には違いありません。灌木がうるさいのと、シダが生い茂っている所があるので登りやすいとは言えませんが、たまに展望もありました。

しばらく藪を登ると、やっと主尾根に出ました。ここは高松山と言うようです。道があり、標識があって、「金城池長明寺」「テレビ塔」となっています。長明寺からハイキングコースがあるのでしょう。[1]によると、霊園墓地横・頼政池横から道があるようですが、今は墓地が拡張工事中で、登り口が見つかるかどうか分かりません。とにかく「テレビ塔」目指して歩き始めました。このコースは歩きやすく、展望もそこそこあります。滑りやすい斜面にはロープもあって助かりました。和布山の和布四等三角点(313.55m)は、道の脇にあって道標かと思いました。そのうちに鉄塔が見えてきました。現在立っているのはテレビ塔ではなく、ドコモの通信塔です。以前はNHKの西脇テレビ中継放送局があったらしく、箱が残っていました。これら以外にもパラボラアンテナなどがたくさん立っています。各テレビ局ごとにアンテナがあり、どれも金城山の方向を向いています。金城山の東に高い山があるようには見えないのですが、これで受信できるのでしょうか?この山は鈴堀山というようです([2])。

考えていたルートは、ここから東の尾根に降りて、金城山に向かうというものでした。地形図でここが急斜面だということは分かっていたのですが、急であるだけでなく、藪でした。下手をすると背の高いシダに囲まれて身動きが取れなくなりそうで、かなり躊躇したのですが、結局降りてみることにしました。シダの生い茂っている所もあって危険でしたが、踏み跡のようなものがありました。単に水が流れる場所なのか、獣道なのか分かりませんが、とにかくシダや灌木を押しのければ歩ける場所があり、それを見失わないように降りていくと、岩場に出てきました。眺望良好です。ここから先は少し楽になりましたが、結局尾根に降りてもかなり藪っぽく、場所によっては腰くらいまでのシダが茂っており、踏み跡を辿りました。

この尾根は岩場があるので適当に眺望があり、黒田庄、西脇、加東とあちこちが見渡せて、藪っぽくてもそれなりに楽しめました。350m+の主尾根に出れば良い道があると期待していたのですが、さほどの道はありません。しかし踏み跡よりはましな道がありました。ここから金城山の間には、地形図では破線道が東西に通っていますが、鞍部ではなく不自然な位置に描かれており、じっさいこのような道はありません。

金城山山頂には、金城山三等三角点(399.34m)の他に梵語の刻まれた板がありました([2])。ここからは南南西に尾根道を降りました。これも立派な道ではありませんが、道であることはだいたい分かりました。「石上神社林」という標石がありました。石上神社は麓の加古川の西岸にある神社です。下の方に岩場の尾根が見えていて、268mピークに通じる吊り尾根だということは分かりましたが、そちらはあまりに急斜面なので諦めました。結局一番楽な尾根を辿ったのですが、この付近は平成19年5月の山火事の跡のようです。灌木は生えてきていますが、高い木はなく、もともと岩の多い場所なので、荒涼としています。馬の背のような尾根が何本もありますが、もともとは木が茂っていたのでしょう。降りてきた尾根を見上げたのが写真です。このコースは、[3]にある旧Aコースでしょう。

最後は細い灌木の間を縫って、谷に降りました。ここには川があって、草が茂っています。川沿いに道がありました。最初は北側を歩いていたのですが、南側の道のほうがはっきりしていたので、南側を歩いて行くと、金城池のゴルフ場に出てきました。途中には何やらコンクリートの大きな構造物があったりで、人の手が入っていてかえって歩きにくくなっていました。金城池の近くには「長明寺」「鹿野??(読めず)」という標識もありました。

次回は吊り尾根を歩いてみたいものだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「西脇」「比延」です。