2012年3月4日日曜日
市川町岩戸神社周囲の山
福崎から県道34号線で笠形山方面に向かうと、途中に岩戸神社への標識が出ています。この神社周辺の山を歩いてみました。登り口はその標識付近で、ここから岡部川を東に渡ると山裾に寺があります。この北側に江戸時代の墓地があり、そこから更に階段が山を登っていきます。階段の終わりからはコンクリートの斜面が続いています。これを登って行くと、貯水タンクがありました。これは航空写真で確認してありました。ここまで登れると、先はとても楽です。やや急ではありますが、下草の無い斜面を登って、楽に尾根に出られました。
岩の多い尾根を北に進むと、350mピーク付近はシダが茂っていますが、その先の鞍部にはワイヤロープが落ちており、岡部川流域が望めました。その先で尾根が東に曲がるところから、尾根にケーブルが張られています。案の定390m+ピークには共同アンテナがありました。398mピークには養蜂用の箱が置いてあり、周囲の山々を見渡せました。そのすぐ北には地籍図根点がありました。この付近には立派な道があります。鞍部には記念碑と書かれたプレートがあり、林道を作った時に「いかり岩」まで遊歩道を作ったと書かれています。398mピークのことでしょうか?
この道はすぐに西側に降りて行き、その先は植林です。そして雑木林を抜けると、420m+ピークには標石がありましたが、難しい字で読めません。その先は南側が伐採地です。そして、主尾根に出ました。これは深山から笠形山、千ヶ峰、三国岳と連なる長い稜線の一部です。多可町と市川町の境界でもあります。南東に向かって尾根を歩くと、北側にとても立派な林道(笠形線)が見えましたが、降りるにはあまりに斜面が急です。尾根も歩き易く、展望もあるのでそのまま尾根歩きを続けました。418mを過ぎると、谷から林道に土砂が流れ込んでいました。その次のピークから398mピーク経由で下山することもできそうでしたが、さらに東に尾根を歩きました。そして、地形図で破線道が尾根をよぎっている点の少し手前の鞍部で、林道が尾根を越して、尾根の北側から南側に移りました。ここでは林道は舗装されていません。この地点は「通称名 岩戸坂」となっています。この付近の山は岩戸山です。ここへは林道以外にも、西から道が上がってきていました。
ここからは林道を歩いても良かったのですが、さらに尾根を歩くことにしました。気持の良い斜面を登っていくと、茅野三等三角点(481.17m)がありました。ここへは2011/12/29に大和町側から登っています。その時と同じように南に歩きました。伐採地を過ぎ、途中で尾根を間違えて北に降りそうになりました。ここは前回も間違えたような記憶があります。三町境界のベンチのあるピーク(岳山?)に出て、さらに南西に進みました。ここは道があります。境界だからか、古くて読めませんが標石もあります。そのうちに北側に林道が再び見えてきたので降りようとしたのですが、林道の山側の斜面は急で降りられません。結局かなり尾根を歩いて、尾根の鞍部から林道に出ました。
林道に出てから、少し来た方向に引き返して、北に降りる林道で下山しました。この道は「針広混交林整備事業」のために作られたそうです。この林道が笠形林道と接する付近の谷は、笠形林道から下は木が完全に伐採されており、この谷の整備が林道建設の主目的だったと思われます。降りて行く途中の説明板を見ると、この谷の下部は列条間伐を行ったとなっていますが、航空写真を見ると確かに列状に木がなくなっています。ただし、この日に見たところでは、そのような列は確認できませんでした。林道は部分舗装で、ところどころ山桜が植えられていたり、「猿岩」という大きな岩があったりします。
しかし、伐採された谷に降りていくと、状況は大きく変わりました。谷に沿って作られたコンクリートの林道が、ほとんど土砂と伐採木で覆われてしまっているのです。ちょっと見ると、以前に林道があったことが分からない、荒れ放題の谷に見えます。まさしく大洪水の跡です(写真)。泥の上で太い倒木を跨いだりくぐったりして、なんとか谷を降りました。一番下には二重の堰堤がありましたが、そのすぐ上まで荒れ放題です。平成20~22年度の事業となっていますが、「災害に強い森づくり」が目的とすると、完全な失敗ではないでしょうか。堰堤のすぐ下には岩戸神社があります。この神社でも参道の石の橋が落ちており、これも大雨の被害かも知れません。
小雨の日でしたが、意外とバラエティに富んだコースで楽しめました。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。
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