2020年3月31日火曜日

樽見の大桜から御祓山

国の天然記念物である樽見の大桜は大屋町の観光名所で、あちこちに幟が立っています。地形図にはまだのっていませんが大屋町中から上山への道ができて、大桜の近くに駐車場があるのですが、車は下にとめて歩き始めました。まず舗装道路を歩いて、道の脇の樽見四等三角点(164.12m)を過ぎると、道の脇に登山道の入口があります。立入禁止の札がかかっていますが、登山靴も履いていて舗装道路を歩く気はしなかったので、禁を破って登山道を歩きました。整備された道で問題なく駐車場に着きました。ここには募金箱があり、登っていくと美しい石積みがたくさんあります。ここは桑畑だそうで、石積みは囲いと言うよりも木を植えるためにどけた石を積んだというような説明書きがありました。肝心の大桜は樹齢1000年以上とのことですが、つっかえ棒を施されてかなり痛々しい感じです(写真)。最盛期は1700年頃でその時代に既に有名だったという説明を読んで驚きました。桜も他に何本かありますが、ミツマタも綺麗でした。

大桜からは地形図の破線道で平坦地まで上がる計画でした。大桜の上も桑畑の跡できれいな石積みがたくさんあります。それが植林になっています。徐々に勾配がきつくなり、楽に登れそうな所を探して徐々に東に寄りました。作業道の跡を探して楽な方に登っていき、最後は急斜面を登ってやっと平坦地の道路に出ました。目の前に開墾碑がありました。ここから舗装道路を南歩きました。農耕地の跡地のような雰囲気でしたが、道が二つに別れている所を地形図の実線に従って歩くと農場に入って出られなくなりました。正解は右側の大アベマキへの未舗装道で、大アベマキへはすぐに分岐があります。その先に案内板があり、「おおや花霞の森案内図」ですが、これを見ると大桜から遊歩道がありました。なお同じ地図が駐車場にもありましたが、上下ひっくり返っていました。

ここからは広い耕作地の中を歩きましたが、実際にはあまり耕作は行われておらず、もったいない感じでした。だんだん山に近づいていき、林道もありましたが尾根に上がりました。歩きやすい尾根を登ると、林道の終点に出ました。この林道は稜線まで上がっていました。この付近は自然林で良い感じです。稜線の林道を南に歩き、二手に別れる付近から尾根歩きに戻りました。2014/08/14と同じコースです。多少の藪もありますが、少し登ると糸原三等三角点(773.13m)のある御祓山の山頂に着きました。ここもアシビが生えていま。三角点は角が割れて、それを針金で縛ってありました。ちょっと展望があります。

山頂からは尾根を引き返し、2014/08/14の逆ルートで大屋市場の方向に降りていき、631m地点の手前から北に尾根を降りました。これは植林の細尾根で、特に歩きにくい所もなく、金属プレートの東京奥山四等三角点(513.78m)に着きました。なぜここが東京なのかは不明です。ここから北も、そんなに歩きにくいことはないのですが、標高250m付近で倒木が増えてきて、迂回しようとしてますます倒木に遮られ、困りました。ミツマタの花がきれいなのですが、歩くには邪魔です。その先でもミツマタがあちこちで群生しており、それを見に行ったり植林の尾根に戻ったりで、一宮神社の方に降りるつもりが結局尾根の先にたどり着いてしまいました。急斜面で倒木、ネットと障害物が多く、最後は墓地に出ましたが、ひどい目にあいました。しかしどうするのが正解だったのかは、いまだに分かりません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「関宮」「大屋市場」です。

2020年3月29日日曜日

美作の幕谷山

美作というのは国の名前で町の名前ではないのですが、今は美作市が作られたので市役所のある林野の付近が美作の中心ということになります。梶並川と吉野川が合流する付近に幕谷山という山があり、登ってみました。

登り口は美作中学校の近くにある木山宮という神社です。尾根の端にある、緑色のしめ縄が特徴的な、とても小さな神社です。その裏から地形図では破線道が尾根を登っています。たしかに踏み跡があります。急斜面になるとミツバツツジが咲いていて、そちらの方向に水平道があったのでそちらに行きましたが、道が消えたので急斜面を登りました。林野四等三角点(217.2m)は道から外れたところにあるので見落としそうでした。この辺から道は倒木がたまにあるくらいでしっかりしているのですが、松茸山特有の荷造りビニールテープによる縄張りがたくさんあって、景観を損ねています。展望の良い場所もありますが、それよりもツツジが綺麗でした(写真)。汚らしいテープに従って歩きやすい松茸道を歩いて行くと、平坦な山頂にはヌタ場っぽい水たまりがありました。そういえばイノシシを見かけました。三倉田三等三角点(312.61m)は広い山頂のさらに先にありました。林の中ですが良い雰囲気です。この山頂付近は広くて迷いそうでした。

山頂から少しの間は植林を通り、松茸道がなくなるので少し荒れ気味です。南には林道も見えました。倒木や枝を避けながら少し歩くとまた松茸道が復活しました。しかも道の両側にテープが張られています。この回廊を歩いて北の尾根に向かいました。途中に分岐がありますが、左が正解でした。その先でも分岐があって右に行くと北に降りてしまいますが、正解を辿ればほぼ地形図の破線道通りでした。途中に岩場があってほぼ360度の展望がありますが、松茸道は南を巻いています。最終的に松茸道が終わっても、まだ尾根は歩きやすく、まだまだツツジも綺麗です。しかし地形図の破線道はうまく辿れず、結局尾根伝いに南寄りに進路が曲がってゆきました。周囲も藪っぽくなって枝が邪魔になります。最後は急斜面ですが、少し東に寄ると楽に降りられました。降りた所は解体されたばかりの南部環境美化センターの跡地でした。近くの爆発物保管施設(?)を見学し、かたくりの群生地と美作火葬場を通り過ぎて下山しました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「林野」です。

2020年3月28日土曜日

東から登る西粟倉の大空山

この山には2016/07/10に西の江ノ原から登りましたが、東側から登ってみました。後山川沿いの東吉田から小谷川を遡って、最初の分岐の所から谷を登りました。数件の民家があり、その先は段々畑沿いですが、害獣避け扉の付近からミツマタがたくさん花をつけていました。谷をさらに登るとミツマタの林のようになって、道にもミツマタの木が生えています(写真)。黄色や白の花が綺麗なのですが、歩くには邪魔です。谷の奥は急斜面なので、楽な方向に徐々に曲がり、最後はミツマタの生えていない急斜面を斜めに登って植林の尾根に上がりました。美しい植林です。しばらくは登りが続きましたが、490m+ピークに登り、北に斜面を降りました。ここは前回も歩いています。地形図の破線道は見当たりませんが、下を見るとミツマタの花が斜面に咲いていました。そして少し登るとなだらかになって、吉田三等三角点(545.41m)がありました。葉を落としたコナラの枝の間から大原方面が見えました。

山頂からは尾根を北に縦走しましたが、すぐに東側から林道が上がって来ました。これは次の山崎智頭線五七鉄塔の尾根側を通っています。この鉄塔には関電の「火の用心」と中国電力のEnergiaの両方の標識が立っています。さらに北に林道を歩くと、次の尾根で東に下って行っていました。道のない、でも歩きやすい尾根に戻って歩いて行くと、しばらくして今度は西側に林道がありました。こちらは使用中で、車が頻繁に通るため泥がぬかるんで歩けません。林道脇を歩きましたが、西の526mピークの付近を伐採しているようでした。この林道はすぐに西に行ってしまい、また植林の尾根を北に歩きました。時々東側の展望があります。そして芝山四等三角点(577.13m)の頭が枯れ葉の間から出ていました。北東に斜面を降りて、その先で北に曲がると、2018/09/22に来た峠で、舗装された林道野井張線に降り立ちました。野井張というのはどこの地名でしょうか?あとは林道を谷まで降りて(ホソ逧という名前らしい)、林道大谷線を歩いて戻りましたが、この谷もミツマタが咲いていました。途中にあった明治37年の道標は「右やま 左ながた道」と読めたのですが、これもなんのことだかわかりません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「古町」です。

2020年3月25日水曜日

養父市中瀬の宝引山

鉱山の町中瀬から北に登ったところの山です。地形図に破線道があってこれが登山道となっています。まず三柱神社に参拝してから谷沿いに登って橋を渡り、谷の西側の斜面を登りました。ここは石積みが何列もあって、土砂崩れを防いでいるのだと思います。谷には堰堤がありましたが、石積みを見ながら登る方が楽そうだったので、そのまま登り続けました。最後の黒っぽい石の石垣を過ぎても登りやすい斜面でした。あまり急勾配ではなく、木はまばらで岩もあります。

そして地形図の破線道まで登ると、たしかに道がありました。地形図に従って道を歩くと、水平に西に行くことになりましたが、登る道は見つかりません。見上げると石積みがたくさんあって、ここでも土砂崩れを防いだようです。結局地形図で破線道が登っていく付近に戻って探したのですが道は見つからず、その付近から斜面を登りました。乾いた土も枯れ葉も滑りやすく、木につかまりながら登りました。こんなことなら最初に登ってきた尾根をそのまま登ったほうが楽だったと思います。ただし登りにくい急斜面だというだけで、藪はありません。しばらく登ると少しずつ楽になってきて、共同アンテナの残骸がありました。マスプロのアンプのプレートに"Date 42.10"とありましたが、昭和42年でしょうか?だとしたら文化遺産ですね。さらに山頂に近づくと葉を落としたコナラや栗の木が青空を背景に美しく、その向こうに東には雪のない妙見山、西には雪の残った氷ノ山が見えています。山頂には寶引三等三角点(803.59m)がありました。素晴らしい場所です。

下山は西に植林を降りて、隣の尾根を下りました。登ってきた尾根よりも歩きやすく、道のような跡もあって、非常に楽に降りられました。堂ケ谷山四等三角点(526.55m)まで楽に降りて、その先しばらくも良かったのですが、尾根が2つに別れた所で西に進んで、南西に延びる尾根に乗りそこね、西寄りに降りてしまいました。急斜面ですが降りることはできて、堰堤の上流側に出ました。ここで堰堤を巻いて降りれば下山終了と思ったら、堰堤の下流側で工事をしており、東側斜面をトラバースする羽目になりました。ここはガレ石の多い急斜面で、とても危険でした。結局尾根先を横切って県道87号線側まで行って斜面を降りました。こちらは石積みのある斜面で、石積みの端まで行って降りないと飛び降りることになります。なんとか県道に降りられました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆ 最後は除く
地形図は「氷ノ山」です。

2020年3月22日日曜日

香寺町恒屋から棚原山

棚原山には何度か登っており、2012/12/29には南から登っています。東側にも登山口があるはずだと思って行ってみました。県道409号線沿いの農村公園の南付近に登山口への標識があります。そこから道を登って、東に折れて墓地(貞享2年1685年というえらく古い墓石があります)の付近に、登山口があります。害獣よけのフェンスを通って、整備された道が続きます。少し歩くと神野溝口線一〇二鉄塔があり、展望があります。このあと次の鉄塔は稜線上にありますが、そちらには行かずに西に進み、254mピークを南に巻いています。良い雰囲気の植林もありますが、道には倒木が増えてきます。「御香之場」という、棚原山出湧寺を望んで香を焚いた場所であるという説明板がありますが、この付近は倒木が多く、通り抜けるのに苦労しました。この後は尾根上ではなく東に降りた所を登って行き、最後は斜面に作った道が崩落してトラバース状態になりますが、植林に入って尾根に上がれました。山頂まで0.4km、恒屋1.9km、八葉寺1.8kmの道標があります。山頂に向かっては厳しい登りで、倒木もあります。頑張って登って370m+ピークに上がって、さらに急斜面ですが、ここは階段が作られていました。階段を登るとススキの茂った棚原山の山頂(402.5m)です。「棚原明神鎮座跡」という小さな石の祠のほか、「中村砦跡」という札もありました。たしかに恒屋城と恒屋を挟んでいますし、恒屋城から置塩城の中間の位置でもあります。

下山は普通なら北に降りて林道塩田線で戻るのでしょうが、別のルートを試してみました。まず来た尾根を戻って、八葉寺の方向に尾根を歩きました。ハイキングコースとはいえ倒木が多く、斜面に降りて巻いて歩かなければなりません。前谷四等三角点(332.73m)は尾根上にあるため、倒木に囲まれていました(写真)。倒木地帯を抜けて植林に出て、ここから東に降りることにしました。最初は植林なのですが、それが終わると倒木だらけになりました。楽に抜けられる場所を探しつつ、尾根から外れないように注意して降りました。道らしきものがある場所もありますが、倒木や藪だらけの尾根です。さらに標高が下がってくるとシダも増えてきます。傾斜もあるので足元が見えないと危険です。結局140m+の鞍部に降りてきましたが、この付近も倒木だらけなので、ここから北の前谷池に降りました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「前之庄」です。

2020年3月21日土曜日

栗栖池から行く神保

神保には2010/04/25に山崎から行きました。その時には南の栗栖池に抜けるのは不可能と思われましたが、10年経ってどうなっているか、今回は栗栖池から行ってみました。播磨道の延長工事中の麦小口から細い道を登って栗栖池に着きました。植林の伐採が行われており、車の行き来があるため、対向車の可能性があります。しかし栗栖池の西岸沿いの道路は伐採作業の車が頻繁に通っている割には荒れていません。伐採作業は池の半ばまでの西側で行われています。その先に地形図には神社が描かれているのですが、どう探しても神社はありません。しかしカーブを曲がった付近に建物の残骸があり、これが神社だったのではないかと思います。

栗栖池の北端には2007年頃の「災害に強い森づくり」の説明板がありますが、10年前に来た時には伐採が行われていましたが北には歩けない状態でした。説明板ではここから上流の東側に広葉樹植栽が行われており、作業道が描かれています。この道は地形図にもあるのでちょっと行ってみましたが、植栽は行われたようですがフェンスは倒れまくっており、道はすぐに土砂崩れで進めなくなりました。しかたなく戻って川沿いの道を歩きました。こちらも最初は土砂崩れがありますが、それを過ぎると良い道になりました。ここまで突破できたのは、この10年の大進歩です。

歩きながら川沿いを見ると倒木で埋まっていますし、山側も草や倒木で荒れ放題です。道は川沿いを細々と続いていますが、かつては車の走れた道のはずです。護岸工事もしっかりとされています。しかし道は時として倒木や木の枝で塞がれています。一方で川の流れがとてもきれいなのが印象的でした。谷の奥に行くにつれて倒木などが増えてきて、歩きにくくなりました。道はずっと川の東側でしたが、コンクリートの橋があって西側に渡りました。倒木が増えますが道ははっきりしています。さらに倒木に枯れたシダが絡まった非常に歩きにくい状態になりましたが、それでも進めます。川は倒木で埋まっており、10年前に北から眺めて歩けないと判断した状態と、あまり変わっていません。しかし道だけは倒木を越えて歩くことができて、ついに東の谷への分岐点に出ました。

ここまでは10年前に来ていますが、状況はあまり変わっていません。北に行く道はありますが、倒木があり場所によってはぬかるんでおり、太いイバラがせり出していたり、決して楽に歩ける状態ではありません。川を渡る所にはマーキングがありますが、適当な石がないと足が濡れます。そして再びコンクリートの橋があり、神保に着きました。10年前には蔵が一つだけ残っていたのですが、それも潰れていました(写真)。付近に散らばっている農機具などは前と同じですが、今回はなぜかソニーのカセットプレーヤーが落ちていました。1972年の製品です。この後、さらに北に歩いて林道が北から来て東に曲がる地点まで行き、また神保に戻りました。蔵の対岸にはヤカンがいくつか落ちていました。他にもいろいろ遺物があります。電柱も健在でしたが、関西電力のロゴが消えていました。

帰りは来た谷を戻るのは面白くないので、西側の尾根を歩こうと思いました。しかし急斜面で登れそうな所はありません。唯一登れそうだと思ったのが神保の南の沢でした。水は少ないのでガレ岩を登って行けそうでしたし、北側の斜面も登れそうでした。実際に登れたのですが、非常に急で、斜面は崩れやすく、掴まるものもないので疲れました。最後に岩を登ると自然林が目の前に広がって、尾根に上がれました。392mピークの北の鞍部で、ここには2014/12/30に来ています。あとは尾根歩きですが、間違いやすい場所がたくさんあって、392mピークの南ではいきなり東の尾根に行ってしまって引き返しました。地形図で見るより急な登り斜面もありました。424mピークの南では西側に林道が見えました。2007/10/28に歩いた三日月本郷林道です。その南は藪っぽく、降りる尾根を探すのに手間取りましたが、降りていくと道があって、林道に繋がっていました。林道で下山すると三日月に行ってしまうので、さらに尾根を歩きましたが、ちょっと藪を抜けると道が現れました。この道は次の270m+ピークを東に巻いて、南に延びていました。281mピーク付近には小屋があり、さらにその南にも小屋があって、そこから林道が東に向かっていました。小屋の前から北にも道がありました。林道が少し北向きになってきたので、近道をしようと思って林道から外れて尾根を下りました。これが失敗で、歩きやすい尾根が続いたのですが、最後になって道路に降りる付近は急斜面で、道路の法面が高くて降りられません。西に斜面を歩いて、カーブの所でやっと降りられました。ここは少し遠回りでも素直に林道で降りるべきでした。

神保には栗栖池からも行けるようになりましたが、まだまだ倒木だらけでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「三日月」です。

2020年3月20日金曜日

赤磐市の石蓮寺山と大石箱疊神社

石蓮寺山は低山ですが地形図に名前が乗っています。石蓮寺山の北西にある大石箱疊神社が気になっていたので、ここへ寄り道することにしました。登り口は県道403号線沿いの北ノ前で、北に向かう道に切通しがあります。このへんから山に取り付こうと思ったのですが、峠付近は竹藪で突入困難だったため、南にある備前焼の工房から山に入りました。藪ですが歩くだけの隙間はあります。西に歩くと地形図には破線道が描かれていますが、道はありません。竹藪があり、118mピークも普通の藪です。特に踏み跡もありませんが、枝をかき分けて歩けます。シダも生えていますがたいしたことはありません。徐々に登りになりますが、木の間隔は広くなって、歩きやすくなりました。そして石蓮寺山に着きました。石蓮寺三等三角点(271.15m)があります。周囲はちょっと切り開かれていますが藪です(写真)。

石蓮寺山から大石箱疊神社を目指しました。踏み跡もなにもない斜面を降りて行きました。尾根を伝っている間は普通の藪でしたが、地形図で田んぼとなっている場所は笹が生い茂っています。それを避けていたのですが、地形図の実線道の付近まで尾根から降りると、ここも笹薮で背丈より高い笹が生い茂っています。足元はぬかるんでいます。ところどころ笹が生えていない所もあるのですが、笹は大きく密集しているため抜けられません。一度は引き返そうと思ったのですが、よく見ると石垣がありました。これに沿って登り、ようやく谷の反対側に登れました。ここからまた藪歩きですが、しばらく歩くと道がありました。かなり荒れていますが、藪よりはましなので歩いて降りていきました。しかし最後は谷を堰堤が埋めていて越えられないので、結局尾根に上がり、神社の方向に藪を歩きました。最後は大石箱疊神社の石段が始まる場所に出てきて、神社に参拝しました。大きな岩が社殿を押しつぶしそうでした。拝殿の入り口が塞がれていたのでお参りはできませんでした。

大石箱疊神社からは笹薮を避けようと思って、尾根を上がりました。177m地点の東はさっき道を歩いていた時に来た鞍部でした。ここからさらに藪の尾根を登りましたが、倒木が多く苦労して藪を抜けると、木が生えていますが道がありました。これがだんだん良い道になり、これが地形図の実線道のようでした。笹薮には入らず、そのまま東に抜けられました。しばらく歩くと石仏があって、後で見た「石蓮寺みんなの森」の案内図によると足王様(足の神)だそうで、ここで南に折れて石蓮寺山の尾根に行くと石畳神社(学問の神)という石碑がありました。あとは「みんなの森」の道を歩いて日吉(ひえ)神社にお参りして下山しました。

ちょっと無理なコースでした。田んぼの跡地は迂回すべきでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「万富」です。

2020年3月15日日曜日

赤磐市の本宮高倉山

厳密には岡山市北区牟佐と赤磐市の市境にあって、旭川東岸の山です。姫路からなら山陽ICで降りて県道27号線をしばらく西に走ると山が見えてきます。牟佐の集落から地形図の神社に階段を登りました。山門はありますが本殿はありません。簡易舗装の道に降りて進むと、送電線鉄塔への道標と「本宮高倉山 西尾根コース」と書かれた板があり、そちらに進みました。山道ですが鉄塔の保守路なので整備されています。最初に着いた鉄塔は西大寺線32で、ここから西に尾根を登ります。背よりも高い笹の間を登りますが、この笹は送電線の下を伐採したために生い茂ったようでした。西大寺線31鉄塔を過ぎて、30鉄塔が稜線上に立っていますが、その手前に、北に笹を刈った道があり(写真)、「本宮高倉山」と書いてありました。道がなければとても突破できない笹薮です。

ここからは西尾根を北に歩くことになります。林の中なので笹は生えておらず、快適です。決してわかりやすい道ではないのですが、マーキングがたくさんあって、迷う心配はありません。たまに岩がありますが、その上を歩くことはありません。旭川も木が邪魔でほとんど見えません。いったん250m+の鞍部まで降りて登り返すと、地形図にある未舗装の林道に出ました。すぐに林道の脇にマーキングがあって再び林に入りました。マーキングがなければ方向を失いそうな林を登り、413m地点の西に出て西に折れて、少し行くと右向きに高倉神社への道標がありました。ここは左に折れて北に進むと、パラボラの付いた通信塔に出ました。かなり警戒厳重な通信塔です。ここからは舗装道路を歩いて、本宮高倉山に着きました。ここにもパラボラ付きの通信塔(所有者は消されている)と、ケータイ(ボーダフォン?)のアンテナがあります。大きな藤棚があり、眺めも良く、車が数台とまっていました。Street Viewで様子を見ることができます。

高倉神社に行ってみたかったので、来た道を戻り、高倉神社方面に降りました。こちらもマーキングがあります。地形図どおりに林道を横切り、その先は道を歩いて降りていきました。道からマーキングが分岐している所で道から離れて、その先の分岐もまっすぐ行くと、JR西日本新上道線40鉄塔に出ましたが、これは直進しすぎで、戻って南に折れると高倉神社に着きました。社殿は新しいのですが、古い山門があります。狛犬は2対ありますが、備前焼の吽形がありません。

ここからは鉄塔の巡視路で下山することにしました。よく整備された道で、迷う心配もありません。JR西日本新上道線42鉄塔から、最後は急斜面に立っている45鉄塔です。途中では東の展望もあります。この道にも本宮高倉山への道標があり、高倉神社を経由した登山道となっているようでした。最後は急斜面を山陽自動車道の側道まで降りました。西に歩くと、枝が邪魔でしたが牟佐トンネルの手前で道路に出られました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「山北」です。

2020年3月7日土曜日

山南町の南中大岩付近の山を一周

山南町の篠山川が加古川に合流する付近の少し北に、南中という集落があり、その北の山に南中大岩という大きな岩があってロッククライミングをする人が多いようです。高所恐怖症なので大岩には興味がないのですが、近くの山を歩いてみました。[1]とほぼ同じルートです。

起点は南中の一の宮神社で、広い駐車場があってクライマーはここに車をとめていくようです。害獣避けの扉を開けて林道に入り、少し歩くと「南中大岩登山口 頂上まで600M」という道標がありました。矢印の方向の道は不明瞭なのですが、登っていくと道らしきものがありました。少し登ると道に出てきて、南中大岩にはこれを右手に曲がるのかも知れませんが、稜線に上がりたいので真っ直ぐに登り続けました。道はますます不明瞭で、ついにはわからなくなりましたが、少しシダがある程度で適当に歩けるので、道のようなものを探しつつ急斜面をぐいぐい登っていくと、稜線に出られました。目指していた鞍部に近い場所でした。西に歩くと岩が増えてきて、大岩の南側を巻いて進むと、立岩山の山頂に出ました。NHKのアンテナと比砂門谷三等三角点(300.81m)があります。展望は木で隠されてイマイチです。

立岩山から取って返して、鞍部から北に登りました。道は少しずつ不明瞭になりますが、細い尾根なので間違えようがありません。途中に古い木の板の道標がありましたが、登ってきた方向は草部方面となるようです。岩を登ってゆくと、南や西が見えるようになり、頂上からは南中大岩の横顔が見えます。降りていって上に立つことも可能だと思います。斜面にロープもあるのですが、足元は砂地で滑りやすく危険です。大岩の上は眺めは良いでしょうが、上に立ったら大岩は見えませんので、降りるのはやめました。もう少し北に歩くと、岩場があって北側の太陽光発電施設が見えます。南中大岩の横顔がまた見えます。この先はシダの尾根歩きとなります。シダの背は膝くらいで踏み跡がありますが、邪魔なので北寄りのシダの生えていない場所を歩きました。338mピークを過ぎて小ピークから藪を抜けて主尾根に向かって登りになりますが、ここはシダの急斜面で、意外と長く続くので疲れました。

主尾根は2014/05/04に南から歩いていますが、今回は逆方向です。道があるので安心して歩けます。ピークは巻いていくところが多いのですが、ピークに上がってもシダが生えているだけです。426mピークを過ぎると西側に展望のある場所があって、再び南中大岩が見えました(写真)。これも別の横顔です。地形図どおりに岩のある場所もありますが、道があって楽に歩けました。325mピークにはちょっときつい登りでした。方向を間違えないように徐々に下ってゆき、NHKのアンテナと共同アンテナのある場所に出ました。少し南東に展望があります。この後は共同アンテナの黄色い杭をたどりました。少し下にももう一つアンテナがあり、その先な急斜面となり、最後は若宮神社に降りてきました。神社から神社への山歩きでした。

帰りの道中で国道175号線から一の宮神社の方に歩くと、南中大岩の正面が見えました。幅の広い大岩だということが初めてわかりました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「柏原」です。

2020年3月1日日曜日

帆坂峠

帆坂峠は赤穂から岡山に向かう途中の県道96号線の峠で、兵庫県と岡山県の県境となっています。藪がきつそうだと思っていたら、登山記録を見つけて([1])行ってみる気になりました。峠には夜泣地蔵がありますが、ここから赤穂に向かっては山側には高いコンクリートの壁が作られています。その壁の端を登ってみました。ひどく急な藪で、とても真っ直ぐには登れません。壁の上の方に向かって行くと、斜面を横切って平らな場所があります。斜面はネットで押さえてあります。崖崩れの防止用なのでしょう。その端からまた少し急斜面を登ると、また平らな場所にフェンスが立てられています。これも土砂崩れ防止用でしょう。山陽自動車道がよく見えます。さらに登ると、また平らな場所があります。これらの作りは、後でGoogle Mapで確認できます。結局この大きな法面の東側を登りましたが、灌木の藪を抜けるのが大変でした。少し登るとシダ藪ですが、勾配は緩くなり、シダも減りました。しかしここからもシダとの戦いでした。なるべく地面の見えている場所(西寄りが多い)を選んで歩いたのですが、どうしてもシダ藪を抜けなければ登れない場所が時々ありました。背丈より高いシダの藪には入らないようしましたが、シダ藪がどこまで続くのか不安でした。灌木も生えていますので、通れない場所も多く、何度も方向を修正しました。いくらかましな道が現れたのは380m+のピークに上がってからで、たまにマーキングもあります。少し北には東側に真砂土の急斜面があり、展望もありました(写真)。その北には帆坂三等三角点(394.56m)がありました。「相場ヶ裏山 394.6M」と書かれた札と、「帆坂」という札が木に掛かっていました。

今回の目的は、帆坂三角点から西に降りて、西側のピークを縦走して福石に降りることでした。そこで三角点から南西の尾根に向かい、西側斜面を降りようとしました。尾根の上はシダの生えていない所もあり、まだ歩けたのですが、シダの生えていない西側斜面を降りていくとシダ藪で、急斜面に背丈を越すシダが茂っており、降りられません。南に尾根を降りようとすると今度は尾根の上のシダ藪が強烈で、南にも行けません。方向をいろいろ変えて1時間も試みた結果、突破不能と判断して戻ることにしました。

三角点まで戻り、登ってきた尾根を降りましたが、意外としかりした踏み跡が見つかりました。シダの間に付けられていることが多く、登りではシダを避けていたので見つからなかったようです。しかし問題もあって、踏み跡が大きなシダの塊につっこんでしまう所があり、この時には西に大回りしました。また踏み跡がシダの生えていないところに来ると、どこが踏み跡かわからなくなります。このような時はシダの少ない所を選んで降りましたが、結局登りと同じような場所を降りることになりました。最後は登ってきた法面は降りられないと思ったので、[1]と同じように峠の東側に降りることにしました。これは正解でシダ藪に悩まされずに降りられました。しかし降りてきた所は県道のコンクリート壁の上で、道路に降りられません。結局道路沿いに300mほど藪を抜けて、ようやく県道に出られました。

とてもお勧めできるコースではありません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「備前三石」です。