2010年12月29日水曜日

山崎の丸山


丸山と言われても、どこだか分かる人は少ないでしょう。山崎町から西に走って、青木の先を北に曲がって菅野川を遡ります。塩田を通り、寺西を抜けると左手に岩上神社があります。ここに車を停めて、さらに北に歩きました。「F.S.播磨西高等学院」があり、ここに「林道丸山線 延長2026米幅長3.0米」と書いた杭が立っています。未舗装ですが手入れの良い林道です。しばらく歩くと林道が左右に分かれます。ここから正面の山を登り始めることにしました。

問題はどう登るかです。地形図で見ても、じっさいに見上げても、急斜面です。とりあえず林道を右に行って、橋を渡ってから左を見ると、道のようなものがありました。そこで水のない小川を渡ると、尾根をジグザグに登る道が見つかりました。しっかりと整備されており、急斜面を難なく登れました。逆に、この道がなければこの斜面を登るのは難しかったでしょう。登山計画の甘さを反省しました。

この登山道は500mを越しても続きました。最終的には651mピークまでは、ほぼ道がありました。660mを越すと倒木が増えてきます。その先の680m+ピークにはネットが張られ、倒木も多く、雪が1cm積もっていたこともあり、歩くのは大変でした。ここから729mピークまでの尾根は、倒木だらけです。729mピークからは西に稜線伝いに降りました。この斜面も倒木がありますが、600m+の鞍部まで来ると北側が植林になり歩きやすくなりました。ここから西側の稜線までは、楽な登りでした。登ってから少し北に歩くと、谷の奥四等三角点(726.59 m)がありました(写真)。ここが水ノ丸山頂のようです([1])。

ここからは尾根を南に歩きました。こちらの尾根には倒木が少なく、冷たい北風が強かった以外は気持ちよく歩けました。細い尾根や岩の多い場所もあり、意外と飽きません。二つ目の730m+ピークからは南東に尾根を降りることも可能でしたが、倒木が多そうだったのでやめました。714mピークは真っ直ぐ歩くと西に行ってしまうので、南に斜面を降りましたが、赤いマーキングもあって迷うことなく進めました。塩田三等三角点(657.07m)は土と落ち葉に埋まっており、「三等」の文字しか見えません。あやうく見落とすところでした。この付近が丸山のようです([1])。ただし、登山を始めた林道分岐付近にあった「水源かん養保安林」の看板では、林道分岐の正面の山が丸山で、この付近は焼尾となっていました。三角点の南から東に尾根を降りることもできそうでしたが、尾根の先は地形図で見るとかなりの急勾配なので、パスしました。ちょっと苦労したのは、610m+ピークから南東の尾根に降りるところで、植林なのですが、尾根が上からよく見えないので困りました。ピンクのマーキングがあるのですが。

503mピークを過ぎると、真新しいネットが現れました。西側斜面の倒木処理を行った跡のようです。この付近から東に延びる尾根を伝って下山しました。この尾根も上からは良く見えず、すこし東側斜面を彷徨って見つけました。どうやら倒木処理の行われている地点付近から東に降りれば良いようです。この尾根を選んだのは地形図で勾配が緩やかだからで、じっさい急斜面もなく、倒木もなかったので正解でした。途中で南側に道が見えましたが、尾根をそのまま降りました。最後は作業道に出て、「F.S.播磨西高等学院」に辿り着きました。

5時間近く歩きました。風が強く雪も少し舞っていて、良いコンディションとは言えません。このコースは木が茂っているので、夏でも気持ちよく歩けると思います。その分だけ展望が無いのが残念なところです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」と「千草」です。

2010年12月25日土曜日

越知から登る大畑山


姫路から播但線沿いに走って粟賀町に入り、東に越知川沿いに走ると、川の両側に大きな山並みが現れます。少し北に走ると、北西側の山は生野町白口との間の山並みとなります。南から桧和田山、小畑山、大畑山、白口山と連なっており、以前にも歩いたことがありますが、これまでは北の猪篠か白口から登っていました。今回は南側の越知から登ってみました。

出発点を上越知にすれば早く登れることはわかっていたのですが、三角点と鉄塔のある越知集落の東の山並みにも登ってみたくて、越知川に尾根が出っ張っている付近から登ろうとしました。しかし畑や金網があり、結局少し北に歩いて、墓地の奧に関電の巡視路を見つけて登り始めました。金網を抜けて、急勾配の植林を登ると尾根に出ました。ここから北に歩くと、播磨中央線48鉄塔がありました。平成2年建設の巨大なものです。さらに北に歩くと、登り切ったところに石で囲んだ何かがありましたが、よく見るとたき火の跡で三角点ではありません。三角点は次のピークでした。測量のポールが標石の上に立てられており、針金で固定されていました。越知四等三角点(540.20m)で、山の名前は仲山のようです([1])。

ここからは一旦下がってまた登り返して、岩の多いピークに乗りました。582mピークはそのまま歩くと東に行ってしまうので、北側の急斜面の植林を降りました。笹の茂った鞍部を歩くと、地形図どうりの峠越えの道がありました([1])。峠にはお札が立てられていましたが、峠にあるのはあまり特徴の無い石でした。ここからが今日の登山の本番ですが、歩き始めて既に一時間が経過していました。

峠の北はしばらくは良い道ですが、すぐに急斜面になります。どこでも登れますが、とても急です。雪が少し積もっていて足場が悪いので苦労しました。683mピークからしばらくは植林の中の気持ち良い道ですが、これも尾根を歩いていると東に行ってしまうので、北側の急斜面を降りました。そして狭い尾根を歩いていると、目の前に大きな岩が聳えており、一瞬ここで引き返すしかないかと思いました。しかし岩にはロープが垂らされています。ロープがあっても腕の力だけでは登れないので、適当な足場を探してよじ登りました。岩の高さは5mもないのですが、足下は崖で、下手に落ちると何10メートルか滑落しそうです。この崖を登るとまた尾根歩きですが、この付近はかなり急で、飯森山から千ヶ峰の展望もあります。750m付近からは植林になります。さらに標高差200mを急斜面の植林で登ると稜線に達し、大畑山山頂です。越知坂四等三角点(936.59m)の金属プレートがありました(写真)。北側に高畑山が見えます。

ここからは尾根を南西に歩きましたが、倒木と雪で大変でした。次の957mピークは小畑山と呼ぶようです([1])。木が切ってあって周囲の山がほとんど見えます。南に下山道があり、おそらく越知に尾根伝いに降りられるのだと思いますが、ここは更に稜線を探して歩きました。この先は低木が増えてきます。886mピークは何度か来ていますが、藪で歩きにくい場所です。これを過ぎると植林に出ました。南に稜線を歩き、一旦下がって登り返せば桧和田山です。不動野三等三角点(902.92m)があります。この付近では東側に展望が時々あります。西側は植林ですが、西側からの風が冷たく、顔が痛くなりました。この先も稜線を歩き、がんばって登り返すと833mピークに出ました。ここは林道から登ってくると出てくる地点です。白岩山や、猪篠川の向こうの八幡山がよく見えます。この付近にも越知の宝寿寺の名前を白ペンキで書いてある木がありました。

さらに地形図の破線道どうりに稜線を南に歩きました。最初は道が無くなってとまどいましたが、次第に太い道になりました。ただし草が茂っており、しかも非常に急勾配になります。切り開きの中央では掴まる物が無いので、脇の林に入って降りました。再び良い道になると、最近植えた木がプラスチックの筒で守られており、その下に播磨中央線46鉄塔があります。この付近からの眺めも絶品です。地形図の破線道は鉄塔の巡視路となっており、斜面をジグザグに降りて、無事に林道越知ヶ峰線に降りられました。あとは熊野神社に参拝し、林道を越知の村まで降りました。神社の向かいから地形図には破線道が越知の村に降りており、林道から道があったので行ってみたのですが、伐採された斜面に出て、背の高い草が茂っていて歩けなくなりました。ただこの付近にはミツマタがたくさん生えていました。

5時間半以上かかった山歩きでした。雪がなければ歩きやすい所がほとんどだと思います。ロープで岩を登るのはあまり安全とは言えませんが、上越知から510m+の鞍部に出て、小畑山から下りるコースが一般的でしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆ 危険箇所有り
地形図は「生野」です。

2010年12月23日木曜日

笠形山北からダイレクト


笠形山は人気のある山で、登山ルートもいろいろあります。しかし北の山から笠形山を眺めると、きれいに北に延びた尾根が印象的でした。そこで、この尾根を登ることにしました。200円の入場料を取られないように車をグリーンエコー笠形のゲートの外に停めて、尾根の方に行ってみました。グリーンエコーのものと思われる大きなコンクリートの建物の奧の、ネットに鹿の頭蓋骨がぶら下がっている所から、尾根の方に向かいました。尾根の先からも登れそうな気がします。

付近は藪ですが、尾根筋に出ると深い溝が稜線に沿って走っています。溝の中を歩くもよし、両側の土手を歩くもよしで、急勾配の尾根を登って行きました。雑木林で下草は無く、落ち葉を踏んで歩けるので楽でした。急勾配が続きますが、地形図でも分かるように時々やや平坦な場所があるので、少し息がつけました。道のようになっている部分も多く、登りやすい尾根です。

標高差600mを登って、812mピークの手前まで来ると岩が増えてきます。大きな板状の岩がありました(写真)。このピークの先で一旦急勾配を降りると痩せた尾根になり、平らなので楽しく歩けます。尾根が東から南東に向きを変えるところでは、北からの別の尾根と合流しますが、ここからはピンクのマーキングがあります。南西に向かう尾根の西側は緩やかな斜面で、美しい植林が楽しめました。頂上に向かって徐々に勾配が急になり、マーキングも見失いました。しかしどう登っても頂上は一つしかありません。頂上のすぐ手前に、岩の多い小さなピークがあってちょっと休憩し、もう一息登ると東屋のある頂上でした。立派な笠形山一等三角点(939.36m)があります。展望は最高です。

下山も少し変わったコースにしようと、「仙人ハイク縦走コース」を千ヶ峰方面に歩き始めました。山頂付近は岩が多く、足が疲れました。あまのじゃくが作りかけた橋と言われるモアイのような岩を見た後で、866mピークへややきつい登りがありました。その先は尾根にネットが張られており、840m+ピークは大屋坂頂上となっていました。ここから尾根筋を離れて西に歩き、さらに北西に斜面を降りました。この尾根が、一番長い尾根で、勾配も緩そうでした。実際この尾根には切り開きがあり、マーキングもあります。600m付近には尾根部分の低木が伐採されて積み重ねられていましたが、なんのために切ったのか分かりません。そして450m付近で尾根は行き止まりのようになりましたが、北側に急斜面を降りる道がありました。これから先は急勾配で岩や倒木も多く、決して歩きやすかったとは言えません。後から見ると一番長い尾根ではなく、西寄りの尾根を降りたようです。苦労しながら降りて行くと、350mを切った付近で林道に出ました。これを西に歩くと、無事下山できました。

登りに通った尾根は、登山ルートとしてはお勧めできます。下山に使うと尾根が広い場所があるので迷うかも知れません。下山に使ったルートは、尾根の先端から登れば登山ルートとしても使えそうです。縦走コースだけでなく、上り下りの途中でも展望があり、楽しめました。やはり笠形山は良い山です。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年12月18日土曜日

寺前から登る亀ケ坪三角点


寺前の南や西の山はずいぶん歩いたつもりでしたが、亀ケ坪三角点には行ったことがありませんでした。そこで、北側から登ってみました。

登り口は寺前の南、比延の「はにおか運動公園」にしました。ここから、まず221mの丘に登りました。この丘の東側には日吉神社があるので、この丘が播磨風土記にある埴岡と思われます。埴土でできた割には大きな岩があったりしますが、運動公園の裏手から整備された道があって、頂上にはベンチがあります。そのまま東側に降りると、途中に市川鶴居線18鉄塔があります。昭和60年建設という割にはかわいらしい感じの鉄塔です。山から下りると右手に長楽寺があります。十二面観世音菩薩の開帳は25年ごとだそうですが、お堂の中を覗くと結構豪華でした。その右手に、小さなにっこり笑った女の子(?)の像が二つ置いてあり、その間を通って背後の山に登れます。赤い「火の用心」のそばに「鉄塔へ急な登り40分」と書いてあります。花岡山長楽寺と言うくらいですから、この山は花岡山でしょうか。埴岡と音が似ているのが気になります。

扉を開けて登り始めると、すぐに市川鶴居線19鉄塔があります。40分というのは、稜線の鉄塔までの時間のようです。しかし急な登りというのはその通りで、巡視路で良い道なのですが、かなり急です。階段が所々にありますが、お馴染みの黒いプラスチックではなく、コンクリート板です。周囲はシダ藪になりますが、道は整備されています。20、21鉄塔を過ぎて、稜線に出ます。左に曲がると22鉄塔があります。確かに40分弱かかりました。そのまま南に降りる巡視路もあるようです。西側に行くとベンチがあって、東向きには「瀧頂上三角点へ20分」西向きには「西脇林道へ25分」と書いた標識があります。西脇林道がどの道かは分からなかったのですが(おそらく比延から延びる林道でしょう)、この付近には登ってきたのとは別の下山路があって、そちらに行くのではないかと思います。というのは、尾根伝いに西へ歩く道は整備されていないからです。

藪と化した尾根を西に歩くと、ネットが張られていました。おかげで歩きにくくてたまりません。最初は眺めの良い北側を歩いて、寺前の展望を楽しんでいましたが、下草や切り株が多くてとても歩きづらく、危険な箇所もあるので、尾根の幅が広がってきたあたりで南側に移りました。南側は下草が少ないのですが、道ははっきりしないので枝を払いながら歩かねばなりません。そのうちに地形図で破線道が尾根を越えている地点に来ましたが、どちら側を見てもはっきりした道は確認できません。この先の573mピークへの登りは厳しい藪で、南側の尾根にトラバースして移って、南から登りました。それでもシダや灌木が多く、気力の必要な登りでした。573mピークの手前にはネットが張ってありますが、乗り越えて頂上に行けました。頂上は立つのも難しいような藪でした。

南側から573mピークを巻いてネットに沿って更に西に歩きました。ここでもネットの北側の方が眺めは良いのですが、歩きにくいので南側に移りました。一度530m+まで降りてから登り返して570m+まで来ると、尾根が広くなってきて、落ち葉を踏みしめて歩けるようになりました。「構」と書いてある標石が時々ありました。歩きやすい尾根を進んで、神河町、市川町、夢前町の境界点まで来ると、またネットが現れました。またちょっと藪っぽくなりますが、めげずに登るとついに亀ケ坪四等三角点(650.83m)に到着しました。周囲は木が切ってあって、寺前方面を木に隠れがちですが望むことができます。南の河原川にある名所は亀ヶ壺ですが、この三角点は所在地が夢前町山之内字河原谷亀ケ坪となっています(実際には神河町との境界上です)。「点の記」では、「高朝田から南に林道に入って、その終点から徒歩で120分」となっていますが、鶴居から林道を十三回り峠まで自動車で登る方が早いと思います。少し足を伸ばして、三角点の西の650m+のピークの方まで行ってみたところ、「之より左直営林」と書いた標石がありました。どっち向きに置くかで解釈が変わってきます。

下山は、この西の高朝田に降りる破線道が存在しないことは身を持って知りましたので(2009/03/21)、三角点から北に降りることにしました。やや急な尾根を降りて行くと、600m+くらいの地点でいきなり前が急斜面になりました。とても降りられそうもないと思ったので、ここは東側に少し降りて、勾配がなだらかになった560m+くらいの所をトラバースして北に進みました。しかし東に降りるのも急勾配でしたし、トラバースも危険でした。尾根に戻って見上げると、意を決して尾根を降りるのが正解だったようです。ただ、上から見るとどっちに向かって降りたらよいのかが分からないのが問題です。この難所を通り抜けると、あとは歩きやすい尾根になりました。落ち葉を踏んで歩くのは快適です。倒木も少なくて、541mピークも軽快に過ぎましたが、450mを切った付近でまたネットが現れました。例によってネットの北側の方が眺めが良いので、ずっと北側を歩いて行くと、だんだんシダが茂るようになりました。しかし少し辛抱して歩くと、道が現れました。あとはこの道を歩いて下山しましたが、途中でシダに覆われて道が消えるところも多く、その場合にはピンクテープのマーキングを頼りにしました。これも時々変な所に付いているのですが、最後は植林の作業道に出られたので、おそらくこれが道だったのでしょう。

この付近の主尾根は、割と歩きやすいという印象を持っていたのですが、この区間は藪だらけでした。3時間半程度で歩けたので、そんなに大苦戦でもないのですが、ネットと藪だけが印象に残りました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★
地形図は「寺前」です。

2010年12月12日日曜日

上野田から登る打呑口三角点


宍粟市一宮の東市場で右折して、染河内川を遡ると、庭田神社という歴史のある神社があります。ここから南に見える山にあるのが打呑口三角点です。庭田神社から川を渡って南東に林道が山の中に入っているので、これを登ってみました。できればあまり林道を歩かずに早く尾根に上がりたかったのですが、この付近の斜面は倒木処理が進んでおり、頑丈な金網もあって、近づきがたかったのです。

よく整備された林道で、「点の記」でも林道終点が自動車での最終到達地になっています。しかし終点まで行かず、道が川を西に渡ったところで、三角点から真っ直ぐに降りてきている尾根に取り付きました。迷うことのない一本道の尾根ですが、地形図からも分かるようにとても急です。標高差300mを1時間かけて登りました。最初は檜が多いのですが、だんだんに広葉樹の落葉が増えてきます。急勾配ですが、倒木や下草は少なくて、歩きやすい尾根でした。

打呑口四等三角点(735.62m)は、四つの石に囲まれているのですが、一瞬落ち葉しか見えず、無くなったのかと思いました。実はこの三角点は金属プレートなので、落ち葉の下に埋まっていたのでした(写真)。ここには以前に宮山から稜線沿いに来たことがあります(2009/07/18)。この岡城川沿いの長い尾根は、だいたいが植林の尾根ですが、680m付近の鞍部にはやや背の高い草が倒木の間に茂っていました。800mを越えて登り、北に歩いて830m+のピークに行き、そこから北の尾根に進んで次の三角点へ降りていきました。

この付近は植林もありますが雑木林も多く、登りでは迷うことはないと思いますが、下りでは見通しが効かないため進むべき尾根がよく見えません。そのため何回か尾根を外れました。正しい尾根は、ほとんどが歩きやすい植林です。時々はっきりした切り開きがあります。福田四等三角点(652.55m)は鞍部を過ぎてから登ったところにあります。

福田三角点を真っ直ぐ通りすぎて下山することも可能だったと思いますが、地形図で見ると勾配はキツそうです。「点の記」を見ると小学校から登るとなっているので、そちらの方向に、一番勾配の緩い北向きの尾根で降りることにしました。行ってみると、幅1.5mくらいの切り開きがあります。道というよりも尾根にできた深い溝という感じですが、はっきりした道があるのは良いことです。これで最後まで降りられることを期待したのですが、途中から道は谷に入っていき、両側から倒木が倒れこんでいて歩きにくくなりました。そこで西側の尾根に沿って降りました。周囲は植林で、伐採した木が多くてやや歩きにくい感じでした。最後は急勾配になり、一番下には金網がありましたが、出入口があったので楽に外に出られました。

三時間ほどの行程ですが、最初の登りは楽ではありません。足腰を鍛えたい方にお勧めです。展望は絶景と言うほどのものはありませんが、木々の間から暁晴山や行者山、また南の山も見えますので、結構楽しい山歩きでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「安積」です。

2010年12月5日日曜日

粟賀町の法楽寺から一周


粟賀町には越知川の北側に尾根が東から延びてきています。ここからずっと尾根を辿って山を一周することにしました。登り口は尾根の先端にある墓地です。南側には法楽寺に行く舗装道路が通っていますが、墓地の奥にも小道があって、山に入っていきます。これはとてもよく整備された遊歩道で、気持よく登れました。山頂にはシダに覆われた綿山三等三角点(230.70m)がありました。ここからはも良い道が続き、最後は法楽寺の駐車場に出てきました。ここから315mピークには、尾根伝いに登りました。

315mピークの東には地形図で崖が書いてありますが、ここは展望のよい場所です。この付近からいよいよ本格的な山登りになりましたが、切り開きがあったので楽でした。雑木林ですが、気持よく登れます。この付近の木には白いペンキが塗ってあることが多く、これがマーキングのようです。「界」と書いた木があり、脇には「中村内財産区管理組合 西ウルシ谷 松界」と書いた札が下がっていました。466mピークまでやや急な道を登って、一息つきました。ここからは東に向かいます。この先も登りが多く、さらには共同アンテナの残骸があります。相変わらず切り開きがありますが、周囲は伐採した松の木がたくさん転がっていました。藪っぽい尾根ですが、歩くのに困ることはありません。

三沢山四等三角点(537.27m)の付近では気をつけて東の尾根を降りました。この付近にはピンクのマーキングがあります。この先はいくつかアップダウンがあります。そして、新しいネットが張られており、西側の展望が広がります。さらに尾根を歩くと、再び展望のある谷の上に出てきました。今度は尾根に金網があり、これに沿って歩くことになりました。写真は、最初に金網に出会った場所から、北西の方角を見たものです。この金網は堅固なもので、たまに出入口もありますし、倒木で壊れている部分もありますが、大部分はしっかりとしており、金網のどちら側を歩くかが大きな選択となります。歩きやすいのは西側だったのですが、問題が起きました。金網が西の尾根に曲がっているのです。この尾根は予定していたルートではないので、金網の東側に出ようとしましたが、出られる場所がなく、結局金網の下に小動物が出入りしているらしい隙間を見つけて、這いつくばって抜けました。

この先も金網が続きます。周囲は植林となり、最後は東の尾根に分岐していますが、金網の西側を歩いていたので見に行くこともできません。金網はちょうど行きたかった西の尾根へと曲がっており、そのまま金網の南西側を歩き続けました。こちらの尾根は藪っぽいのですが、金網の南側には細い道があります。509mピークは意外としっかりした山でした。その先も金網の南側を歩きましたが、また問題が生じました。金網が南へ曲がっているのです。この角にも金網に出口は無く、結局少し戻って倒木のある所で金網の北側に出て、そのまま尾根を西に下り続けました。

この付近はピンクのマーキングがあります。ところどころ良い道がありますが、すぐに藪っぽくなります。ただし、歩くのに困るほどではありません。吉富四等三角点(397.49m)は藪の中です。この先はマーキングも無くなります。そしてちょうど350mの所で急斜面に突き当たりました。周囲をよく調べると、北側の急斜面に白ペンキの塗ってある木があり、こちらの尾根を降りることにしました。木に掴まりながら降りていくと、なだらかな尾根になり、さらには植林の中の作業道になりました。結局、杉から東に伸びる林道に出てきました。南の尾根に降りたほうが出発点に戻るのは楽だったのですが、マーキングのある尾根を降りるのが、やはり正解でしょう。あとは歩道のある国道312を南に歩きました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」「生野」です。

2010年12月1日水曜日

三久安山


普通の登山コースで三久安山に登ってみました。宍粟市一宮町三方町から公文川を遡り、千年水を通り過ぎ、溝谷集落を抜けて舗装が終わると、林道には柵が置いてあります。「勝手に入って事故があっても知らないよ」と書いてあるだけで、どけて車を進めることもできましたが、心配なので車を置いて歩き始めました。

犬も歩けば棒にあたるで、大正時代の石仏を見つけたり、蓮花滝の説明書きを読んだりできました。この蓮花滝のところは、地形図では破線道との分岐なのですが、破線道の方向の谷を見ても堰堤があるだけでした。堰堤の向こうに滝があるのかも知れません。林道は徐々に勾配がきつくなります。林道で150m程の標高を登り、ようやく[1]にある登山口の蓮花岩山隧道(昭和52年11月建設)に着きました。右手の谷に入ると、最初は倒木が多くひどく荒れていますが、しばらく登るとピンクのマーキングがあり、谷を西に渡るようになっています。ここから稜線に出るまではひどい急勾配です。マーキングはありますが、とにかく木につかまれるコースを選んで登るしかありません。稜線に出でもマーキングは続きます。

この先の尾根歩きは、急勾配ではありますが下草が無くて楽でした。雑木林を1時間近く登ると、標高900mを越して主尾根に出ました。近畿中国森林管理局のピンクのbiodegradable plastic tapeが木に巻き付けてありました。気分良く尾根道を歩くと、南北に遠くまで展望が開けます。正面の三久安山から、歩く予定の南の尾根まで見渡せます。快晴の日の山歩きは気分が良いものです。草の生えているところもありますが、道はしっかりしており、気分良く、それでもかなりの道のりを歩いて、三久安山山頂に着きました。小原三等三角点(1123.15m)があります。ここの碑には「さんきゅうあんさん」とふりがなが振ってありますが、「みくやすやま」ではないんですね?

下山は南の尾根です。植林を降りると、いきなり阿舎利山にもあるような道しるべがいくつかありました。音水湖への下山コースもありますが、「一宮町溝谷」へ向かいました。次に出会った道しるべ群には、「ハシゴへて林道」もありましたが([1])、「林道奧へ」へ進みました。この尾根も東側に展望があって良い感じですが、だんだん藪っぽくなってきました。突如尾根の真ん中に巨大な岩が現れてびっくりしたり、それなりに楽しめます。1019mピークはどこだったか分からず、旧町界の阿舎利山に向かう尾根を歩き続けると、東側の尾根が伐採されているのが見えてきました。ここでよく観察すると、前回蓮花三角点から阿舎利山を目指したとき(2010/11/23)に見えていた伐採地のうねうねとした線が、ネットであることが分かりました。伐採地を黄色いネットで二重に囲んであるのです。

この付近の尾根は藪に加えて古いネットもあって歩きにいのですが、東側に一応は踏み跡があります。これをたどって南に進むと、新しい三角点がありました。金属プレートの三久安東四等三角点(932.28m)です。ここまでずっとピンクのマーキングがあったので、ここでもそれに従って進むと、西の音水湖に向かう尾根に降りて行ってしまったので、三角点に戻って更に南に進みました。こちらの尾根も伐採地で、黄色いネットで二重に囲まれています(写真)。中に入れないか入り口を探したのですが、見つかりません。なんのために囲んであるのかも不明です。しかたなしにネットの外を歩いて降りましたが、足もとが非常に悪くて困りました。

地形図上では、林道の終点からは谷沿いの破線道があり、蓮花滝の説明板のあるところまで真っ直ぐに行けます。しかし谷に降りてみると荒れており、歩ける状況ではありません。急がば回れと判断して、林道を歩いて帰ることにしました。車まで戻るには70分ほどかかりましたが、この林道は眺めが良く、最近の伐採活動のせいか荒れてもおらず、気持ちよく歩けました。

最後の伐採地を見に行ったのは、阿舎利山にいく時に遠くから見た不思議な囲いを確認したかったからです。素直にハシゴ経由で下山するのが正解でしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2010年11月23日火曜日

東の尾根から阿舎利山


地形図を見ると阿舎利山には東から長い尾根が延びています。途中には蓮花三角点があり、細い尾根なので展望が良いかなと思って行ってみました。これはほぼ[1]の逆ルートになります。

登り口は阿舎利集落の東の谷にしました。この谷は意外と見つけにくかったのですが、川が南に折れる地点よりも西側にあると思った方が良さそうです。倒木の多い荒れた谷ですが、古い道があります。倒れた木の中には電柱もあって、関西電力の標識が付いていました。ここから北の溝谷に電気を送っていたのでしょうか?逆でしょうか?谷は登るにつれて急になりますが、踏み跡はちゃんとあります。峠は少し切通のようになっています。峠でいきなり北側の視界が開けるはずだったのですが、この日は小雨で山には雲がかかっていて展望はありません。しかも稜線上にはネットが張られています。

ここからは稜線歩きになります。700mピークでネットとは分かれて西に尾根を辿りました。この付近もこの先でも、下草のない歩きやすい尾根です。どこでも歩けるので、道が無くても問題ありません。844mピークには図根と書かれた石が埋まっていました。この先は植林が多く、歩きやすい尾根が続きました。問題は小雨で、いっこうに止む気配がありません。雨雲レーダーでは雲一つ無いのですが。

870m+の尾根に出ると、再び北側が見えますが、冷たい北風が強くなりました。しかもこの付近から西の尾根は灌木が多く、ここまでとは大違いです。そして950m+の主尾根に出ると、北側の大展望が広がります。この日の天気でも、北側の1019mピーク方面が良く見えました(写真)。しかし稜線上にはネットが張られ、場所によっては二列に張られています(片方は金網です)。北からは強い風が吹き、みぞれが水平に襲ってきます。秋晴れの尾根歩きを期待していたのですが(姫路は快晴でした)、南側に少し降りて風を避けながら歩くはめになりました。ネットは邪魔ですが、天気が良ければ気持ちの良い尾根だろうと思います。ブロックで四方を囲まれた蓮花四等三角点(972.53m)を過ぎて、長い尾根を風を耐えて歩くと、少し下りになり、植林の中に入りました。ここからは尾根の幅が広がり、風当たりも和らぎましたが、雨はしのげません。濡れた落ち葉を踏みしめながらアップダウンを繰り返し、苦しい坂を登るとやっと阿舎利山の標識が現れました。とりあえず頂上まで行きました。

下山は少し道を戻って、二ツ橋経由で下山しました。最初は急勾配の植林を降りて、地形図に描かれている破線道には全く気がつかず、谷に出ました。道は消えかかっていますが、ピンクのマーキングがたくさんあります。しかしこの谷は倒木の多いガレ谷で、歩くのは大変でした。何度も流れを渡らねばならず、石が滑るので気を遣いました。このセト谷登山道は、マーキング通りに歩けば歩けますが、ねんざの可能性が高いと思いますので、一般向きではないでしょう。途中に「左山道」(降りてきた道)「右引原」という標石がありますが、これを過ぎてもまだまだ油断できません。結局まともな道に出たのは平成20年度建設の堰堤を過ぎてからでした。

登り120分、下り80分でしたが、下りのルートは晴れていても避けたいと思います。登りの方は天気が良ければ大正解でしょう。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2010年11月21日日曜日

粟賀町福本の東の山



以前に神崎工業団地の南の山に登ったときに(2010/08/07)、もっと西側にも山があったのですが、そこまで行けませんでした。今回はそこだけをちょこっと登ってみました。

登り口は福本から南に山沿いに行ったところの、土砂採掘場の北側の尾根です。ちょっと崖を登って尾根に出ると、踏み跡がありました。あとはずっと尾根伝いに登りました。藪ですが、踏み跡は続きます。248m地点は南に展望があります。この先は尾根が北向きになり、かなりの急斜面になります。道はありません。登り切ると、福本四等三角点(324.49m)がありました。ここは「福本とんがり山」と言うようです([1])。この東の369mピークには、ちょっと祠っぽく岩が置いてありました(写真)。周囲は伐採してありますが、見えるのは東の山です。この山は見上げると南側に岩場があって、ちょっと険しそうな感じですが、尾根伝いなら楽に登れます。岩場があるので、かえって登り易いくらいです。

ここから北東に尾根を降りましたが、この付近には古い道がありました。しかし300mの鞍部まで降りると、その先はやや厳しい登りになります。踏み跡はありますが、かなり薮が厳しい登りです。しばらく登ると、いきなり道に出てきました。これは前にも出会った道で、東に行くと行き止まりでした。西に歩きましたが、ほぼ水平に等高線をなぞっていく感じです。途中で破線道を横切ったはずですが、気が付きませんでした。そして尾根をぐるっと回って、さらに尾根の先に出てきました。ここは426mピークへの尾根です。そのまま林道を降りることもできたと思いますが、西に切り開きがあったので、行ってみました。

藪っぽい426mピークを過ぎて、降りやすそうな方を探して西の尾根に進みました。道があるようですが、シダが茂っていて足元が見えません。登りなら問題ありませんが、下りでは危険なので注意して降りました。展望のよい場所がいくつもあり、北の336mピークのある尾根が良く見えました。もちろん、粟賀町も見えます。道は徐々に無くなり、場所によっては尾根のシダが通過不能で、それを避けて脇の斜面の木立を抜けたこともありました。最後はちょっと急斜面を降りると、道がありました。この付近では山を網で囲うのではなく、畑を囲っているので楽です。昔は福本陣屋だったという大歳神社で紅葉を見てから帰りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年11月6日土曜日

生野の栃原川上流を歩く


生野から栃原トンネルを抜けて北に曲がると、栃原川を遡る道があります。この谷の突き当たりまで行ってみました。菖蒲沢を抜けると射撃場があり、この付近で銃声が聞こえても射撃の練習音ですので心配はありません(動物を撃っていることもあるとは思いますが)。その先で車を停めてあとは歩きました。

さらに川を遡ると、谷にワイヤがたくさん張られています。ウィンチがあり、石材を運んでいるようです。行きは尾根を歩きたかったので、地形図にある林道を使って北側の山に登ることにしました。この林道は幅の広い道ですが長年使われておらず、灌木が茂っていますが、少し登ると道らしくなります。ヘアピンを2回曲がって、3回目を見落として真っ直ぐ歩いたら谷に出ました。ここからは急な谷を尾根まで登りました。暗い谷で下草が無く、倒木も少ないので歩きやすいのですが、急な坂が続きます。林道のヘアピンをもう一度曲がって少し南の尾根に取り付いた方が良かったように思います。谷を登ってたどり着いたのは、892mピークよりも北でした。

ここからは尾根歩きです。北に歩くと旧町境に出て、北側の展望がありました。そして北西に尾根を辿りましたが、細い尾根なので木々の合間から南北両側が見渡せました。歩きやすい尾根ですが、植生が変わってきて藪っぽくなってきたと思ったら、辻ケ淵三角点(981.43m)のあるピークに出ました。山頂には「トンガリ山」と書いてありましたが、別の名前があってもよさそうです。東側の展望があります。

ここからは段ヶ峰の方に続く尾根を辿りましたが、木が茂っていて最初は少し迷いました。鞍部まで来ると沢があり、これに沿って南東に降りて行きました。これが栃原川の源流となります。地形図にはすぐに破線道が描いてありますが、実際には道はありません。しかし沢のどちらか側は比較的平らなので、沢を何回か渡りながら下っていくことができました。倒木もありますが、乗り越えられました。赤いテープのマーキングが現れたので、それに沿って歩くと割と楽に歩けましたが、道があるわけではありません。

作業道が現れたのは1kmくらい歩いてからで、さらに500mくらい歩くと砂利道の終点に出てきました。歩きやすい道ではありませんが、あとは一本道でした。途中ではいろいろな作業が行われており、植林がきれいに取り除かれて植林されている場所もありました。最初に登った山の付近では、北側の892mピークの南側の斜面がきれいに紅葉していました(写真)。892mピークに尾根で登れば良かったのにと思ったのですが、考えてみると紅葉は山の中からは見えません。下の道から眺めるのがベストだったと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2010年10月24日日曜日

書写山の東斜面


この日は午後から雨の予報だったので、すぐに降りられる山ということで書写山に行きました。最初の予定では書写吹から登るつもりだったのですが、工芸館から北に山陽自然歩道を歩いていたら、左手に山に入る道がありました。道が用水沿いから山沿いに変わってから、少し北に行ったところです。書写山の東斜面は地形図で見ても急斜面で、あまり登りやすそうではありませんが、道があるのでふらふらと登り始めました。

道は当然すぐに無くなってしまいましたが、倒木はあるものの藪としてはたいしたことはないので、そのまま登り続けました。しばらく登ると右手に小さな堰堤がいくつも連なっていました。谷の奧に入ってきたようです。周囲を見回して北にある尾根が登りやすそうだったので、堰堤の北側に移りました。あとは一気に尾根を登りました。シダが生えていますが、せいぜい膝までです。急斜面なので木に掴まって登りましたが、そんなに長くは続きません。じきに周囲がゴミだらけになったと思ったら、ロープウェイ山上駅の椎名麟三の碑の前に出てきました。

300円払って圓教寺に入ってもよかったのですが、いつ雨が降ってもおかしくない天気だったので、そのまま山を下ることにしました。東坂では面白くないので、その東側の尾根を降りることにしました。紫雲堂跡の下にパラグライダーの離陸台あり、姫路市内が望めますが、ここから東側の藪に入ると尾根に乗れます。あとはひたすら尾根伝いに降りました。道はありませんが、東坂と違って岩場は少なく、木の枝を避けながら歩きました。さほど急でもなく、楽な尾根です。途中で不思議な案内板に出会いましたが(写真)、ここは山陽自動車道のトンネルの真上らしく、それを示すものではないかと思います。最後は摩尼山寶聚寺跡という碑のある墓地に出てきました。

書写山には六つも参道があって、登山を楽しむには十分ですが、藪歩きを楽しむにも役立つ山です。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「姫路北部」です。

2010年9月26日日曜日

安積の岩谷山と五蔵山


一宮付近の地形図を見ていたら、安積の北の山に登ったことがないのに気が付きました。八幡神社の北の山並みです。そこで車を中安積にとめて行ってみました。神社の東側をまわる道は舗装工事中で、それを登ると西側に大規模な施設が建てられていました。林業再生施設だそうです。林道はその向かい側から始まっていますが、「岩谷山登山口」と書いてあります。山の名前をここで初めて知りました。

林道の入口にある動物避けの扉は開いており、入ると左手に配水池があります。右手には犬小屋があって、たくさんの犬が飼われているようですが、道からは見えないようになっています。犬の吠え声に見送られて登りはじめました。植林の中の道を歩いていくと、尾根の先を廻ったところに「岩谷山」の道しるべがありました。ここから尾根に乗ると、大きな動物捕獲用の檻がありました。この大きさは熊用でしょう。尾根は一旦下がってまた林道に出会いました。登り口を設定した人は、この檻を見せたかったとしか思えません。

ここからの登りは地形図から予想されるように急勾配ですが、ある程度整備された尾根なので、歩きやすかったと思います。疲れを感じはじめると、古城山四等三角点(555.02m)のあるピークに出ました。三角点は金属板です。少しだけ東側の展望があります。城跡のはずですが、詳しく周囲を調べるのを忘れました。確かに木を切って見晴らしを良くすれば、見張り場所としては最良でしょう。ここは岩谷山ではないようなので、次のピークを目指しました。何回か平坦な場所を通って、590m+のピークに出ました。ここも岩谷山ではないらしく、さらにピークから下って、北を目指しました。鞍部には、「三林登山口」と書いた道しるべがあり、西側から登れるようです。

ここからは岩場が続きました。登り口に「岩谷山手前の岩場でマムシ注意」と書いてありましたが、確かにマムシとニアミスしました。しかし岩場は登りやすく、ぐいぐいと標高が上がり、道しるべに従って道から外れると岩谷山(安積山)頂上に着きました。安積三等三角点(732.55m)があります。展望はありません。さらに北のピークに行きたかったので、頂上から北に歩きました。ピンクテープのマーキングがあるのですが倒木が多く、シダなどが元気に茂っています。足下が見えず、マーキングのある木に近寄ることすら難しい状況でした。倒木を越すにも草が茂っていて足場が分かりませんので、かなり危険な状態です。とにかく頑張って倒木地帯を通り抜けると、林道の終点に出ました。地形図にはありませんが、航空写真を見ると稜線に沿って南北に林道が走っており、地形図の林道に繋がっています。

林道を北に歩くと、地形図で破線道が尾根を東西に横切っている地点に出ました。ここには道しるべがあって、深河谷に降りられるようで、東側の破線道は存在するようです。西側については未確認です。この北も林道を歩きました。やや草が茂っていました。林道を通ったので751mピークは行っていませんが、この付近の尾根は伐採が進んでいて草が多そうでした。林道歩きにも飽きてきて、尾根を歩くことにしました。帰りに見た限りでは林道には五蔵山の道しるべはなかったと思うので、尾根を歩くのは正解のようです。じっさいとても歩きやすい尾根でした。

次の780m+ピークは松ノ崎山という名前でした。ここから急坂を降りて次の小さな750m+ピークを登ると、北側には降りられないので、東側を巻いて進みました。この付近でもマムシに会いました。シャクナゲ谷への下山路(東側)への道しるべがありました。大岩洞窟「大師堂」300mの道しるべもありましたが、300mでも降りると戻るのがつらいのでスキップしました。最後は急登になり、五蔵山山頂に着きました。深河谷四等三角点(790.78m)があります。これも宍粟50名山だそうですが、展望が全くありません。東山へ2時間30分という道しるべがありましたが、かなり遠そうです。

ちょっと休憩して下山にかかりました。林道に降りようと思ったのですが、道が分かりません。北側の鞍部まで降りて、西側植林の急斜面を降りると、林道がヘアピンに曲がっている地点に出ました。ここからは林道を戻りましたが、林道からは西北の展望が広がっていました(写真)。

下山は池王神社経由と決めていたので、尾根をよぎる破線道より南側から東に尾根に乗りました。するとNHKのパラボラアンテナがあり、池王神社への道しるべがありました。あとはピンクテープと道しるべと木に白ペンキで描かれた矢印に従って下山しました。途中の650m+付近の植林は地形が複雑ですが、見回してピンクテープを探して歩けば迷うことはありません。池王神社ではお祭りの真っ最中で、人が沢山集まっていました。あとは深河谷へ降りました。神社から真っ直ぐ降りれば近いのですが、時間があったので遠回りしました。というのは、県道6号線は歩くには余りに危険で、出発点の中安積に戻るにはバスに乗るしかなかったからです。ここのバスは2時間おきぐらいにしか来ません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。

2010年9月19日日曜日

神河町の大石・山田三角点


三角点の名前ではどこだか分からないとは思いますが、山の名前が分かりません。場所はグリーンエコー笠形の越知川を挟んで反対側(北側)です。根宇野(みよの)の北になります。登り口も根宇野にしました。

根宇野の集落を北に歩くと、果樹園の先に動物避けのゲートがあり、ここから谷を遡りました。登山計画は地形図と航空写真を見て考えたのですが、地形図ではこの谷に長く延びる破線道があります。これを北上すべきか、途中で東に折れる破線道を使って506mピークのある尾根に登るべきか、なのですが、航空写真には長い破線道に相当する部分に道のようなものが見えていたので、これを使って630mピークの北側の鞍部に出る計画を立てました。この谷沿いの道は最初は舗装されていますが、そのうちに中央に草が生えてきます。そして舗装が怪しくなり、ついには終点に達しました。標高にして480mくらいの地点です。しかし道は無くなっても植林の中の作業道は続いています。いつなくなるか心配でしたが、結局何回か沢を渡り、破線道どうりに続いています。鞍部に折れる部分も、破線道どうりに東に曲がっており、最後は沢を渡って緩い傾斜をちょっと登ると、鞍部に出ました。

ほとんど道を歩いて予定どうり鞍部に出られてほっとしました。「公団」と白いペンキで木に書いてありました。とても静かな場所でした。ここからは尾根伝いに主尾根まで登りました。登り始めて90分弱でした。まず東に尾根を歩いて、大石三等三角点(799.08m)を見に行きました。周囲は植林で、歩きやすい尾根でした。地形図ではこの尾根には破線道がありますが、道があるとは言えません。尾根を今度は西に歩くと、倒木がかなりありました。いちおう倒木を切って切り開きを作った形跡はあるのですが、その後に倒れた木もあり、日当たりが良くなって茂った背の高い草もあるため、歩きにくくなっています。しかし大部分は植林で、下草もありません。865mピークも北は植林南は雑木林です。たまに北側に猪篠方面が見えますが、ほとんど展望はありません。

865mピークの西で南に向かう尾根に乗って下山する予定でした。この尾根が分岐する地点は、航空写真で見ると木が生えていないようでしたが、じっさい草原でした。おそらくかなり昔に伐採が行われたと思われます。背の高い草が多いのですが、展望は抜群でした。写真は西の遠景です。地形図にはここから南の尾根に破線道がありますが、じっさいに幅広い道がありました。かなり古いものらしく真ん中に木が生えていることもありますが、伐採を行った時に資材や材木を運んだのでしょうか?この道は鞍部まで続きます。その後の814mピークに向かっての登りの道は怪しいのですが、楽に歩けました。

この先は尾根伝いに南に向かって歩きました。藪と植林の連続ですが、倒木が無いので楽に歩けました。場所によっては背をかがめて藪に突入したこともありましたが、藪はすぐに終わりました。次の711mピークからの下りはかなり急で、尾根もすこし分かりにくい場所でした。そして山田三等三角点(608.50m)に出ました。周囲は植林で、伐採した枝などが落ちています。標石の角がかなり欠けていて、三等三角点という字が二等になっていましたが、伐採時に木がぶつかったのでしょうか?さらに南東に尾根を進みました。455m地点の手前の鞍部で西に降りる道があり、ちょっと降りてみたのですが、すぐに消えてしまったので引き返しました。ただ、この時に見上げると455mピークの下には大きな岩がありました。「山田」と白いペンキで書いてありましたが、なかなかの巨岩でした。

455mピークからは尾根にネットがあります。笠形山方面の展望がありますが、そのままネット沿いに歩くと急勾配の斜面の上に出ます。登る前に周囲を歩いて観察した感じでは、この山はしっかりとネットでガードされており、下手な場所に降りると出られなくなりそうでした。そこで、「境界 見出標」という札の下がっている場所から北に植林を降りました。谷に降りて、植林の中を谷沿いに下山しました。ウルシ谷という名前のようです。しばらくすると道が見つかりましたが、枝打ちした枝と沢の石の両方が道を埋めており、足が痛くなりました。それでも歩き続けて、扉を二つ通って、出てきたところは民家の裏庭でした。縁側をそっと抜けて道路に出ました。

例によって登りは計画どうり、下りは無計画で苦戦、という一日でした。全行程4時間半ですから、大苦戦というわけではなかったようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」と「生野」です。

2010年9月18日土曜日

阿舎利山と一山



宍粟の定番の山二つですが、自分なりに普通に歩いてみました。出発点は阿舎利山登山口の標識です。これは阿舎利集落の先で道が分岐している場所に立っています。まず、この背後の尾根から登り始めました。最初は非常に急峻で、かなり危険です。尾根の先端は草が茂っていたので、少し北側の伐採地から入りましたが、結局斜面を横切って尾根を登り始めました。急斜面の植林で滑り落ちそうですが、作業道を使ってなんとか登りました。少し傾斜が楽になると、あとは下草の生えていない植林ですので、とても歩きやすくなりました。

軽快に植林の中を登り、784m地点に達しました。歩きやすくて細い尾根になります。まだ300mも登らねばなりませんが、勾配はあまり急ではないので疲れません。やや急になってきたかなと思ったら、いきなり林道に出ました。950m付近で尾根を地形図にはない林道が横切っています。おかげで尾根を登り続けるには崩れた斜面を登らなくてはならなくなっていました。さらに歩きやすい尾根が続きました。途中で破線道を横切ったはずなのですが、記憶にありません。やや倒木が増えてきたと思っていたら、稜線に出ました。これを北に歩き、「阿舎利川源流モニュメント」を過ぎると山頂です。登り始めて一時間ちょっとでした。余りにあっけないので驚きました。山頂からは、音水湖が望めました。三角点の名前は引原山です。

一山へは、尾根伝いに行くことに決めていました。最初は林道からの登山道と同じです。南に1030mくらいの標高まで歩くと、西側に林道が現れます。この林道はここから1004m地点を過ぎて、旧町境が東に向かうまでずっと稜線の西側に走っていました。時々林道が尾根を浸食するので、尾根を辿るのに苦労する場所もありました。歩いた尾根は旧町境で、途中で東側に降りたのですが、この場所は地形図でも分かるように急斜面を下って尾根に乗ります。降りる場所には案内板があるのですが、斜面を降りる道がないのでかなり戸惑いました。少し降りるとマーキングがあるのですが。

やや藪っぽい尾根ですが、歩くのに支障はありません。破線道を横切っていますが、ここは道らしきものがありました。そして地形図にある立派な林道に出ました。この先は尾根にはネットが張られ、その南側は伐採地となります。尾根を登って行くとネットの北側を歩くことになりますが、倒木が多くて歩きにくくてたまりません。結局倒木がネットを倒している所から伐採地に入りました。ここから見る南側の展望は素晴らしく、正面の黒尾山まで木々の緑が印象的でした(写真)。ネットは尾根から南に逸れてしまうので、ネットの下を少し持ち上げてネットから出て、尾根を歩きました。

この付近はまさに藪山という感じの尾根です。歩くのにはさほど困らないのですが、北側には平行して林道が走っており、そちらを歩く方が楽なことは間違いありません。895mピークも藪です。そして南から破線道が来ている鞍部に出ましたが、この道はあるとすれば倒木に埋もれています。そして、ここからは一山登山になります。最初は急斜面の林の中を登ります。それを過ぎると、頂上まで伐採地になっています。木がありませんから、日差しがきつく、生えている草も背が高いので歩く気にならず、少し東の林まで草の中を横切っていって、林の中を登りました。林の中には登山道があり、それを辿って頂上に出ました。周囲は伐採されていますから、300度くらいの展望が得られます。三角点の名前は水谷です。

下山は登山道を降りました。草の背が高く、それをかきわけて歩かねばなりませんが、道はしっかりしています。北西にまっすぐに降りて行き、その後は林の中をジグザグに下っていきます。出てきたのは林道の終点でした。これが林道からの一山登山道でしょう。林道の終点には、一山と反対方向に二ツ橋という標識があり、この道を更に下りました。最初は尾根道で、途中から東側の沢に降りて沢沿いに下っていきます。整備された歩きやすい道で、最後は人家に出てきました。「一山登山口」という標識が立っていました。

結局阿舎利山登山口から登り始めて、一山登山口に下山しました。阿舎利山登山のあっけなさに比べて、一山の方は結構疲れました。木に覆われている山の方が歩きやすいのは当然でしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2010年9月4日土曜日

住山三角点から深山


深山という名前の山はあちこちにありますが、これは宍粟50名山の深山です。住山三角点は、山崎から伊沢川を遡り、突き当たりに近い岩上神社の西側の山の上にあります。ここから深山まで尾根を縦走するというプランです。

登り口が問題でした。住山三角点の南側には地形図では破線道があり、峠になっています。また、その南には送電線があります。しかしインターネットで[1][2]を読み、これらが使えそうもないことを知りました。伊沢川から住山三角点までは500m近い標高差があります。これを急登するのは大変なので、なるべく標高差を縮めるために、岩上神社まで伊沢川に沿って登り、それから南西に登ることにしました。岩上神社の駐車場に車を停めて、川沿いの舗装道路を歩くと、神社に渡る赤い橋があります。この更に先に西から来る川がありますが、これが地形図にある谷なので、この南側から登り始めました。水を汲むためのドラム缶が置いてありました。

最初は植林の中を登りました。道は無いのですが、なんとなくピンクのマーキングについていくと、まず小さな尾根に乗れました。この尾根は最初は植林で、枝打ちされた枝の上を登って行くと、だんだん岩が増えてきました。雑木林になる所もあります。かなり急です。さらに上がっていくと、伐採された木が尾根を埋めており、歩きづらいのでひとつ南側の尾根に移りました。そしてようやく稜線に達しました。ここは下草のない植林ですが、すぐに植生が変化し、倒木もありました。そして自然林の中に住山三等三角点(880.31m)がありました。「2010.3.27 たくのわがまま風来記」([2])と書いてある板が木に下がっていました。

ここからは尾根を縦走です。北へ向かう尾根へはどこから行ったらよいのか分からなかったのですが、赤いマーキングのところを降りたら正解でした。植林地帯で歩きやすく、尾根を北に向かって進みました。少し行くと、地形図では西側に興味深いものが描かれています。ほぼ200mほどの、両側が崖の谷です。航空写真でも明瞭に見えるので、見に行ってみました。結論から言うと、崖は見あたりません。この谷はかなり人の手が入っており、溝や堰堤、護岸のしっかりした川があります。その周囲にはシダなどの草が茂っています。木が生えていないという点では変わった場所で、航空写真にもはっきり写りますが、草が多くて歩けません。様子が分かったので尾根に戻ることにしました。

尾根に戻ってちょっと北に行くと、昔の町界に出ます。ここから北東に尾根を辿りました。ここは町界だったのでかなりの頻度で標石が埋めてありますが、そのわりには道はありません。かすかな切り開きを辿り、814mピークを過ぎると、その北は峠になっています。首のない仏像が倒れていました([3])。両側とも道ははっきりしています。北の840m+ピークに登り、旧三町境界を東に折れました。ここは北側から林道が尾根まで達しています。ただし尾根上にあるわけではないので、尾根歩きには使えません。820m+ピーク付近は倒木が多かったので南側の作業道を通りましたが、そのままだと南に降りてしまうので、さらに東に進んで、町界の尾根を降りました。すると南側が伐採されており、いきなり展望が広がりました。写真は、伊沢川方面を望んだものです。

この尾根を降りると、南側に林道が迫ってきます。746mピーク付近は倒木が多くて歩けないので、南側の林道を歩きました。そして、その先の720m+の鞍部にシダをかき分けて入っていき、深山を登り始めました。この鞍部は峠らしく、北に降りれば斉木方面に出られるようですが、周囲はシダだらけで、道も覆われています。しかしマーキングがあるのと道の上にはシダが生えていないので、急斜面を登ることができました。この付近は台風で多くの木が倒れて、その処理をした後のようです。木がないのでシダが繁るのですが、日陰もないので天気の良い日は炙られて大変だと思います。幸い曇っており、風もあったのですが、それでも切り株ごとに休みながら登りました。ところが休みながら振り向いてみると、鳥ヶ乢付近で雨が降っているのが見えました。この急登中に降られると困るので、慌てて登りました。850mを過ぎるとやや平らになりますが、深山はまだずっと東です。マーキングに従って頂上に出ました。深山三等三角点(907.74m)がありました。

雨が迫っていそうなので下山を急いだのですが、予定していた南への旧町界の尾根が見つからず、結局もと来た道を引き返し、「深山」と書いた赤い矢印のある付近で尾根を南に歩きました。こちらにはマーキングは無かったのですが、すぐに林道に出ました。この林道を右(西)に行けばおそらく深山に登る前に歩いた林道に出ると思うのですが、下山を急いでいたので東に歩くことにしました。林道なので水平に進んでいてイライラしましたし、崩落箇所もあれば枝打ちした枝で埋まっている所、岩だらけの所、泥だらけの所もあって、歩きにくい林道でした。それでも標高を下げる方向に歩いて行くと、最後は地形図の破線道の終点に出ました。この先にも手入れの良い林道が西に曲がっており、チェーンが掛けられています。私が降りてきたのは東に向かう谷沿いの道で、ひどい荒れ方でした。あとは林道を40分以上歩いて岩上神社に戻りました。途中で木材の積み出しをしていました。この林道はかなり気合いの入ったもので、急斜面に作られているうえ、岩を割った切通の場所まであります。さすがは杉の産地宍粟市です。

「深山登山口」の標識は、岩上神社のすぐ北にあります。破線道の終点には「深山 25分」と書いた標識がありましたが、そこから深山までは林道でぐちゃぐちゃです。昨年4月([3])から、かなり様子が変わってしまったようです。

このルートは、あまりアップダウンのない尾根歩きの予定でしたが、最初の登りがきつかったせいか暑さのせいか、6時間もかかりとても疲れました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千種」「安積」です。

2010年8月28日土曜日

市川町の東小畑三角点



最近よく市川町の山を歩いていますが、今回はやや東寄りの、岡部川沿いの下牛尾から北に登る山です。この付近の町名は市川町下牛尾ですが、「市場部落」という表記も使われています。登り口は廣幡神社で、裏の道を登ると隣のお寺の墓地から山に向かって道があります。真っ直ぐに荒れ気味の森を抜けると気持ちの良い尾根に出てきました。この先は道がありますが、稜線上ではなく少し降りたところに付けられています。尾根はシダが茂っていることが多いので、この道を歩きました。308mピークでは道は西側を巻いていますが、ここは岩とシダの多い南斜面を登ってピークに立ちました。ピークもシダだらけで、展望もありません。

また尾根歩きに戻って、北に進みました。ちょっと東側の眺望が得られたところもありました。場所によってはシダが元気ですし、切り開きも怪しくなるところがありますが、それでもほとんどは道が付けられていました。378mピークも藪で、そのあと細い尾根を通ってから主尾根に50mほど登るところが、一番疲れました。

主尾根は人通りが多いらしく、空き缶やペットボトルが多数捨てられています。まず北に歩いて425mピークに行きました。木の間から、先日登った河内三角点の山が見えました。南に戻ると、「松茸山 売買につき入山厳禁 市場部落」と書いた札が木に付けられていました。松茸山なので入山者が多いようです。さらに尾根を南西に歩くと、東小畑三等三角点(444.97m)がありました(写真)。この先は植林になりますが、まっすぐ歩くと一つ西側の谷に降りることになってしまいます。地形図をよく見ながら見通しの効かない雑木林の急斜面を南に降りて、352mピークに通じる尾根に乗りました。この尾根も切り開きがあり、割と楽に歩けました。

この尾根は南に進むに従って藪っぽくなります。途中に東側が伐採されている所があり、素晴らしい展望が得られます。317mピークの南は急斜面で降りると大きな草が生えていますが、道は続いています。どんどん藪っぽくなりますが、切り開きは明瞭です。そして、地形図で東西に破線道が走っている鞍部に出てきました。この付近は倒木がひどいのですが、倒木の下に峠道がありました。ここを更に南に歩くと、下岡三角点に行けますが、そちらは以前に歩いたので(2009/03/07)、この破線道を降りることにしました。

ところが峠に達していた道は破線道とは全く異なり、斜面をほぼ水平に北に行ってしまいました。ところどころ崩落していたり路肩が崩れていたりもします。なかなか降りて行かないので、無理に谷に下る道を探そうともしましたが、下は倒木が多そうだったので、結局北の尾根までほぼ水平に行きました。ここには炭焼き窯があって、その前から尾根を真っ直ぐに下る道が延びていました。最後は林道に出ましたが、この林道も破線道とは違っていて、かなり北に寄っていました。

ほとんどは切り開きのあるルートで、里山歩きの典型です。しかし切り開きは古く消えがちなので、あまり頼りにはなりません。藪を歩く自信のない方にはお勧めできません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆

地形図は「粟賀町」です。

2010年8月27日金曜日

波賀町の城山から谷村・今市三角点


波賀町上野の城山(じょうやま)は、下から見上げても天守閣らしきものが見えますし、目立つところにある城跡です。ここを起点として、谷村、今市の二つの三角点を巡るルートを考えました。

起点は波賀市民局で、宝殿神社から舗装道路で城山の下に出て、墓地の北から山道に入りました。このルートは[1]に書いてあります。国土調査のピンクテープはずっとありますが、道は途中で消えてしまいます。しかし植林なので登るのに困ることはありません。尾根に石垣があるのは城跡だからでしょうか地権の問題でしょうか牧場でしょうか。休憩所に到着し、波賀城を見に階段を登りました。「学習資料館」という名前の天守閣と、宝殿神社の奥の院があります。奥の院の周囲には自然林が残っており、その周りは植林なので下から見上げると不思議な山に見えます。

城から降りてゲートを出て、道が二股に分かれている所まで歩き、真ん中の尾根に取り付きました。急な植林を登ると495mピークに出ますが、この周囲も大きな岩が多く、石の配置が城跡を思い起こさせます。495mピークの東側は急斜面でした。ちょっと巻いて降りてから、本格的に主尾根めがけて登山開始です。ここでも稜線に沿って石が積んでありました。植林の尾根で国土調査のテープがたくさんありますが、測量用の三脚の忘れ物がありました。長い登りをゆっくり登って主尾根に出ました。東側の展望があってほっとします。

この尾根はシダが生えていたり、伐採した木が転がったりしていて、あまり歩きやすくありません。おそらく使われていないであろうアンテナが点在します。谷村三等三角点(769.85m)の周囲は草が生えており、見に行ったら綿毛に包まれました。ここからは「山の神」([1])を通って降りるルートもありますが、尾根を更に先に進みました。なお、宝殿神社に「山の神」が祭ってありましたが、中にあったのは石でした。

西側は植林、東側は雑木林という尾根が続きます。670m+の終わりのピークでは木に白い金属板(裏は青)が縛り付けてありましたが、書いてあった文字は消えていました。この南の細い尾根は良い感じですが、倒木の下にマムシがいました。尾根が南西に曲がる付近からは黒尾山が見えました。そして今市四等三角点(712.24 m)です(写真)。周囲はちょっとだけ木が切ってあります。

この先も尾根を降りて行きました。そして、今市三角点の点の記にあるように南に尾根を降りようとしたのですが、そちらはシダが茂っており、結局やや北寄りに降りることになりました。非常に急な植林地帯で、石も倒木も枝打ちした枝もあり、降りるのは楽ではありません、というよりも危険です。ときどき作業道を見つけるのですが、作業道はたいてい水平に走っていてなかなか下山できず、結局木に掴まりながら降りました。歩き疲れというよりは緊張でへとへとになりました。川まで降りると破線道はちゃんとありました。しかし、それを北に歩くとすぐに藪に入ってしまいました。いまさら藪漕ぎもしたくなかったので川を渡りましたが、引原川は意外と水量が多く、靴と靴下を脱いで渡る羽目になりました。転ぶと危ないのでお勧めできません。

全部で4時間半ほどかかりました。下山ルートは再考が必要で、いっそ波賀町谷の方に尾根を降りてもう一つ三角点を巡るという手もありそうですが、帰ってくるのが大変そうです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。

2010年8月24日火曜日

福野から登る東山


一宮の東山はポピュラーな山です。フォレストステーション波賀からは登山道が整備されています。しかし登山道は他にもありそうで、ネット上でもいくつか見つかります。今回は新機軸を狙って、東山の東側、揖保川沿いの一宮町福野から登ってみました。

福野の集落を抜けると、山に向かう道があります。右手に墓地があり、その先は歩きやすい林道です。くねくねと登った後、ほぼ水平に南に向かいます。いくつかの尾根の先を回りますが、なぜ目的の谷にすぐに着くように作らなかったのか疑問も持ちました。尾根の先に「第八回初日の出登山 昭和六十年一月」と彫られた石が立っていました。この南には地形図では道が来ているはずなのですが、見あたりません。「くらしを支える森つくり事業」の看板があり、その先には大崩落を押さえるための丸太のガードが林道に造られていました。その先の尾根から登り始めました。

登りやすい尾根で、しばらく行くと道もあります。ただしこれは植林のための作業道なので、登って行くとは限りません。尾根も歩けますので、尾根を登る方が効率的です。東側が望める場所もありました。雑木林の尾根を歩いて行くと、福野三等三角点(684.45m)に出てきました(写真)。東山までは、まだ300m以上登らねばなりません。
この先も尾根歩きですが、植林が増えてきます。690m+ピークで尾根を左に曲がって南西に向かうと、次のピーク付近から右側(北側)に林道が現れます。尾根を歩いてピークを登って降りるとまた林道に出会うので、林道を歩く方が効率的ではあります。最後は790m+ピークの先で林道は終わっていました。この付近は急登が続きます。50mくらいずつ登るのですが、急斜面の植林で登りやすいとは言え疲れます。851mピークを過ぎてもう一回登ると910m+ピークで、この後はだいぶ楽になりました。
冷たい風を感じながら、時々シダが茂っていたり大きな岩があったりする緩い登りを進んでいくと、東山頂上に近づきました。ここで北側にまた林道が現れました。その先はまっすぐ頂上の尾根に登れると思ったのですが、シダや伐採した倒木が多く、登れません。そこで林道に降りて頂上を目指したのですが、水平に進んで行ってなかなか登ってくれません。そこで無理矢理斜面を登ると、上にも林道がありましたが、それを作ったときに伐採した木が積んであり、抜けるのに苦労しました。この林道は頂上の東側にありますが、南に歩いて行くと行き止まりになりました。頂上の展望台が見えていたので、無理矢理頂上に向かいました。
頂上の展望台の周囲には足場が組まれており、改修工事をするのかも知れません。霞んではいましたが、さすがに展望は素晴らしいものがあります。上野二等三角点(1015.85m)がありました。
さて下山ですが、予定では東の高野に向かう破線道で降りるつもりでした。それを探そうと頂上の北に行くと、尾根を東西に林道が横切っていました。東側には、先ほど通った南に向かう林道と、まっすぐ東に向かう林道がありますが、林道は下りと言っても下まで降りている保証はありませんので、まずは破線道の尾根を降りました。ところがこの尾根は途中でいくつにも分かれ、地形図の破線道は尾根から外れています。植林でGPSも効かず、よく分からずに降りて行くと、最後は急斜面の植林になりました。それを降りると沢でした。幅の広い沢で、南側の植林に作業道が付いていました。これを苦労しながらしばらくトラバース状態で降りて行くと、林道に出ました。沢が林道の終点になっていました。
ここからは林道を降りましたが、古い林道で大きな石がたくさん転がっていますし、場所によっては背の高い草で埋まっていました。しかしとりあえずは道で、しかも山を下っていくので、そのまま歩いて行きました。途中で一度破線道に出ていますが、この付近は崩落気味だったと思います。その後は斜面を水平に歩くと倒木処理の終わった尾根に出ました。この尾根の手前には倒木処理のための林道があり、その先ではもっと古そうな林道が山から降りてきていました。ここからは沢沿いの道となりました。高野の集落の手前には不動滝があり、見に行ってきました。水量が多く、落差もあって迫力のある滝でした。それを見終わって高野集落を歩いていたら、夕立が降ってきました。
登りは距離が長く、標高差も700m以上ありますが、疲れるだけで登りやすいルートだったと思います。下りは、素直に林道で降りてみるのが正解だったと思います。特に雨が降りそうなときは無理をしてはいけません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」と「音水湖」です。

2010年8月16日月曜日

山崎町葛根の南の尾根


地形図で見ると、中国自動車道と志文川が交わる付近には、尾根が東西に何本か走っています。上真宗の北から419mピークを通って畑尻三角点の方に延びる、宍粟市と佐用町の境界の尾根もその一つですが、ここはなんとなく倒木が多そうなので、その北の小さめの尾根を歩きました。これは先週行った「山の神」の案内板が出ている付近の南側の山となります。

登り口は葛根と三日月を志文川沿いに繋いでいる県道154号線です。「山の神」から少し西に行くと大きめの家があって、その裏手に山に登る道があります。扉がありますが、簡単に開けて山に入れます。この道は倒木処理用に造られたと思われ、斜面をジグザグに登って行きますが、シダや、処理した倒木や枝に覆われている部分もあります。この倒木が大雨で斜面を滑り落ちると、下の建物を直撃しそうです。道は稜線に達することなく終わるので、後は適当に登って尾根に出ました。ここからは雑木林の尾根をひたすら歩きました。

取り立てて言うこともない尾根です。下草は少なく、岩場も無いので、退屈と言えば退屈です。最初は中国自動車道の音がうるさいのですが、それがだんだん遠のくと、蝉の声だけが残って、適度に風があって心地よい森でした。アップダウンはありますが、勾配はたいしたことがないので疲れません。そのうちに尾根の北側は植林になります。そんな中で、明らかに林道と思われる道が尾根を横断している場所がありました。

ひたすら登って行くと、宍粟市と三日月町の境界に出ました。実はこの付近に鉄塔を期待していたのですが、この尾根には鉄塔はありません。境界線を北に尾根を降りれば鉄塔があることは分かっていたのですが、ちょっと悔しいので別の鉄塔を見に行くことにしました。境界を南に歩くと黒いプラ階段があって、ここが関電の巡視路だということが分かります。良い道なので歩いて行くと、播磨西線55の巨大な赤白の鉄塔に出ました。これは南向きのかなりの急斜面に建っています。ソーラーパネルが二基あって、これで発電して航空障害灯に使っているようです。足下には林道が見えるのですが、あまりに斜面が急なので、いちどピークまで戻って、そこから少し南下して、林道に出ました。

この林道は東斜面に付けられていますが、北に歩くとかなり山を下りる感じです。地形図以上に道があるようで、いきなり三叉路に出ました。右に行くと、以前に高丸山の帰りに出てきた付近(2006/12/02)に行きそうです。ここは左に折れて地形図どうりに尾根の周囲を巡って降りて行くと、地形図にもある三叉路です。ここは西に登りを選びましたが、この付近は砂利道であるにもかかわらずシダで完全に覆われています。そして尾根の裾を廻って、林道が右(東)に曲がるところで尾根に乗りました。

付近をちょっと歩くと、すぐに道が見つかりました。尾根の北側を少し歩くと、播磨西線56鉄塔に出てきました。この道は保守路でした。この鉄塔も急斜面に立っていますが、北側が伐採されているため、素晴らしい展望が得られます。写真は播磨西線の道筋を追ったものです。問題は下山で、保守路は55鉄塔からここに来て、東の林道に行ってしまいます。東雲池に降りたかったのでちょっと困りましたが、とにかく北西に尾根を降りることにしました。これも雑木林で、途中からやや掘られた道が現れます。それを辿って降りて行くと、右手(北側)に林道が見えたので、斜面を下って林道に出ました。どうやら道をそのまま降りても出られたようです。

この付近は倒木処理のためか林道が縦横に造られており、道に迷いました。幅2mもある道ですので、迷っても戻れば良いだけですが、心理的には辛いものがあります。結局東雲池の東側の道に出て、中国自動車道を潜って県道53号線に出ました。

展望は鉄塔からしかありませんが、歩きやすくて良い尾根だと思います。ただし付近にはまだ倒木地帯も残っており、倒木処理後の斜面も歩きやすくはありません。植林を避けて歩く工夫が必要です。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2010年8月15日日曜日

市川町の河内三角点


前日に歩いた山並みの東に、一際聳えたピークがあります。ここには河内三角点があります。景観が良いということなので([1])、行ってみました。

東小畑の集落から北に歩くと、小屋があって、右に折れる林道があります。これを歩くと、溜池が二つあり、その先で林道は北に折れます。付近は植林です。地形図どうりに林道は池の奥で終わっています。ここは鹿の解体場所として使われているらしく、骨が散乱していました。地形図ではここから先は破線道になっていますが、見当たりません。破線道の通っている谷は、倒木で埋まっています。仕方ないので真北に一直線に斜面を登ろうと思って少し登ると、作業道がありました。これは最初は斜面をジグザグに登っていきますが、そのうちに東に進んで、これも最後はジグザグになり、稜線に出ました。東側にも道が続いていました。

ここからは北西に尾根伝いに登りました。雑木林で倒木も少なく、下草はあまり無く、岩も多くて、歩きやすい尾根でした。大部分には道がありますが、だいたいは東に降りたところに付いていました。尾根は途中で北東に向きを変え、頂上に向かって行きます。アップダウンのある登りで、急斜面が長く続くことはありません。三角点は新しそうでした。

三角点に着くまでにも少し展望のある場所はありましたが、だいたいは木が邪魔でした。河内四等三角点(562.61m)付近も展望はないのですが、三角点の北の尾根は尖った岩場の尾根で、やや木が邪魔でしたが、展望がありました。近くで一番大きい山は笠形山です。西には昨日登った奥山三角点のある575mピークが見えます。南を見ると、天気の良い日なら淡路島まで見えそうです(写真)。

この先で尾根は西向きに曲がり、その先端が小さなピークとなっています。ここで北に降りると鞍部で地形図の破線道に出ますが、西に向かう尾根の方が歩きやすそうだったので、こちらを降りることにしました。途中から岩が増えますが、足場がしっかりして却って歩きやすいと思いました。この山は下から見上げると巨大な岩場の崖がありますが、その端が見えました。それより下に降りると、ややシダが増えますが、道があります。これを降りると、最後は植林に出てきます。伐採した木や枝打ちした枝がそのまま落ちていて歩きにくいのですが、ここを下ると暗い林道に出ました。この林道には「小屋ヶ谷」と名前が付けられていました。しばらく南に歩くと「角谷池」に出ました。ここにはベンチがあって、花壇が作られていました。

全部で2時間半ほどのコースですが、植林の中の道、雑木林の尾根、三角点、岩場、展望、岩の多い尾根、暗い谷、ベンチ、と飽きないコースでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月14日土曜日

市川町の市川・奥山三角点



先週、先々週と登った神崎工業団地の南側の山は、東をぐるっと廻って小畑から延びる尾根と繋がっています。399m地点から北は先週歩いたので、今回は小畑からの尾根を歩いてみました。

起点は小畑の法雲寺の墓地です。そのまま斜面を登れば、何の苦労もなく尾根に乗れます。シダで覆われていますが、探すと切り開きがあります。二つピークを越すと、本格的な登りになります。このあとも雑木林が続きます。道は稜線ではなく西側に少し降りたところを通っています。尾根のてっぺんはシダが多いので、主にこの道を歩きました。この日はあいにくの小雨で歩きにくかったのですが、晴れていれば比較的軽快に歩けると思います。標高が上がるにつれてシダが減り、尾根を歩くようになりましたが、相変わらず西側に降りたところにも道がありました。

市川四等三角点(433.92m)は雑木林の中です。展望はありませんが、この付近では東側が見えるところがありました。この後も雑木林が続きます。切り開きがありますが、かなり荒れ気味です。437mピークの一つ前の尾根の分岐を間違えて真っ直ぐ北に降りそうになりました。この先は少し藪っぽく、それから急な登りになりました。岩が多く、濡れていなければ楽に登れると思います。150m以上を一気に登るので、ときどき休みました。

尾根に出るとまず右に曲がって奥山四等三角点(575.04m)を見に行きました。雨はやんでいましたが、三角点は霧に覆われていました(写真)。市川町と粟賀町の境界になっている主尾根に戻り、西に曲がりました。最初は倒木だらけの尾根でしたが、少し降りると切り開きが現れました。ここまで登ってきた尾根と、様子はたいして違いません。たまに北側の土砂採集場が見えるくらいで、展望もありません。そして444mピークを過ぎた下りの辺りから、シダが増えて藪っぽくなりました。その後は登りなのですが、これが意外ときつい登りでした。藪もきつくて、尾根を避けて南側に少し降りたところにある道を歩きましたが、周囲の木が伸びすぎていて、簡単には歩けません。大きなシダに行く手を阻まれることもあり、尾根に登って歩いたこともあります。巻き道を無理矢理歩いていたら、岩場で洞穴を見つけました。人が入るには小さめで、しかも縦穴なので奧はよく見えませんでした。

枝を払い、背の高いシダの間を抜けて、尾根が西に曲がる地点まで来ました。ここは地形図では破線道が横切っていますが、見あたりません。破線道が東に降りている付近は、シダで覆われています。尾根を西に行けば初鹿野山ですが、こちらを経由していたのでは時間がかかりすぎるので、東に延びる尾根を下りました。最初はシダがありますが、少し降りるとシダが減って明るい尾根になりました。岩場を降りて行くと、尾根が二つに分かれており、正面はシダ藪となりました。ここは南に降りることにしましたが、これはおそらく正解だったと思います。ここから下はシダが多いのですが、幸いに道が幾つもあって、上手に伝って降りることができました。最後はつづら折りの道を降りましたが、古い道でシダが茂っていて、ときどき見失いそうになりました。最後は南北に走る林道に出ました。この付近は倒木処理が行われていますが、初鹿野山の方から来る破線道は見つけられませんでした。あとは林道を南にひたすら歩きましたが、溜池が同じ谷に三つあり、下流に行くほど大きくなります。

雨が降っていたため、6時間近くもかかりましたが、晴れていればもっと軽快に歩けると思います。ただし、藪が多くて苦労が多い割には展望が無く、楽しみに欠けるルートでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月8日日曜日

土万の真宗三角点


山崎の街から県道53号線を菅野川沿いに西に走って、切窓峠を過ぎ、葛根で三日月の方に南に曲がると、志文川沿いに出てます。北の対岸には中国自動車道が走っています。ここで眼に入ってくるのは「山の神」と書いてあるコンテナ(?)です。何が山の神なのか気になってしかたがないので、見に行ってみました。ついでに西側の山も歩きました。

「山の神」の矢印に従って志文川を越え、中国自動車道をくぐりました。もう一つ「山の神」と書いた標識があり、それに従って少し階段を登ると墓地がありました。ここは、ある一族の代々の墓があるのですが、墓石は二つで、一つは現代風の墓石、もう一つは昭和20年の軍人さんのお墓です。もう一つ昭和10年の「先祖代々の墓」があります。それ以外にも、何も彫られていない小さな石が祭ってあります。これが「山の神」でしょうか?見上げると木で作った鳥居のような門がありますが、その上は植林です。門の向こう側が気になるので、とりあえず門の背後の植林を登ってみました。非常に急勾配です。植林ですので作業道がありますが、ほとんどは崩れかかっています。登るにつれて急勾配になるので、滑り落ちないように登るのは大変でした。

稜線に出ても何があるわけでもありませんが、広い植林の尾根で、ここからの尾根歩きは楽でした。ときどき蜘蛛の巣や枝を払いながら登り、主尾根に出ました。ここは木が切られており、佐用町の地籍図根三角点がありました。しかし周囲の木が高いので展望はほとんどありません。ここからは南に主尾根を歩きましたが、植林で下草がないので軽快に歩けました。日差しは植林が遮ってくれますし、風が心地よく、真夏の山歩きとしては最高のコンディションでした。最近どこにでもあるピンクのマーキングが尾根沿いに付いています。途中の鞍部では笹が生えて少し藪っぽい場所もありましたが、それを過ぎて少し登ると、真宗四等三角点(441.51m)がありました(写真)。写真の背景は雑木林の藪ですが、反対側は植林です。現在の区分ではここは佐用町ですが、それではピンと来ないので、ブログの題名は地形図の名前を使って「土万の真宗三角点」としました。土方は、もっと北の方ですが。

この先は急勾配を下り、また登ると「国土調査」の色あせたテープが下がっているピークです。ここから尾根を降りて、その先の尾根が右手(西側)に曲がるところで東側の尾根に進みました。これは真宗への近道なのですが、広い尾根歩きに飽きてきたというのも本音です。こちらの尾根を降りると、植林が伐採された斜面の上に出てきて、いきなり東側の展望が開けました。正面には水剣山と黒尾山が見えます。伐採地帯はネットで囲まれており、これに沿って尾根を降りました。倒木や伐採した木があって歩きにくい場所もありました。

そのまま尾根を降りて行くと、どんどん急勾配になりました。倒木も増えてきました。南側の尾根は倒木処理の後で、ネットで囲われています。このネットには出入り口はないので、そちらには行かずに真っ直ぐ東に降りました。ところが尾根の下端には背の高い草が生えており、その下はネットでした。周囲には倒木もあり、身動きが取れません。眼下には人家があるのですが、しかたなく尾根を引き返しました。後で下から見ると、ネットの下には墓地があったようですが、人家は尾根の真下で、あの倒木が落ちてきたらどうなるのか気になります。とにかく尾根を登り返し、ネットの上に出て南西に斜面を進み、植林の中を降りました。最初に登ったのと同じくらいの急勾配でしたが、すぐに雑木林があり、降りやすくなりました。雑木林は木の数が多いので、掴まりながら降りられました。降りてきたところには地形図にはない林道がありました。

気持ちよく歩けるショートコースですが、最後は大変でした。素直に破線道の通る峠まで主尾根を歩くか、峠の一つ北の尾根を降りるのが正解でしょう。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2010年8月7日土曜日

粟賀町の船谷三角点


先週(2010/08/01)は粟賀町の神崎工業団地近くの山を歩きましたが、尾根はまだまだ続いていたので、今回は南から同じ山に登ってみました。312号線を市川沿いに北上し、市川が猪篠川に分岐するあたりで東に曲がりました。初鹿野山の北になります。初鹿野山の北側には、新たに道が造られていました。福山川沿いにまばらに人家があり、さらに東に行くと、レンガか何かの材料を山から掘り出している工場に出ます。ここに車をおいて、さらに東に歩きました。

最初は車でも通れる道ですが、堰堤を過ぎると少し荒れてきます。そしてついには岩だらけになりますが、歩くには支障ありません。しかし、そのまま歩いて行って、地形図の南に向かう破線道を行きすぎてしまいました。「福本」と木に白ペンキで書いてあるところまで行ったのですが、ここで道は北に折れて、雉屋敷三角点のある尾根の方に向かっていました。川沿いにもさらに小道が続いていました。しかし尾根に登りたかったので、少し戻って破線道を探すと、「東」と「福」と白く書いた木の間に川を南に渡る道がありました。その先は植林の作業道となります。ピンクテープのマーキングがあるのですが、時々無くなったりしてあまり頼りになりません。結局破線道になるべく忠実に植林の中を歩くと、道が尾根まで繋がっていました。399mの鞍部に出てきました。

ここから706mの船谷三角点までは、長い尾根の登りです。けっこうきつい登りもあるのですが、少し登ると平坦になるので、休みながら登りました。歩き始めてから2時間近くで、船谷三等三角点(706.11m)に到達しました(写真)。題名は粟賀町の船谷三角点にしましたが、正確には市川町との境界にあります。植林と雑木林の中ですが、周囲は伐採してあります。地形図によるとこの先には東側から道が来ているはずですが、確認できませんでした。付近は平坦地の多いピークでした。北に向かって歩くとしばらくは植林で歩きやすいのですが、だんだん雑木林となり藪っぽくなります。ネットがあり、東側は灌木の藪、西側は雑木林です。そして、先週も来た尾根の分岐点に着きました。

ここから少しは先週歩いた尾根で、その先を先週は北に折れましたが、今日はそのまま西に進みました。この付近は地形図で見ても平坦で、尾根が幅広いため迷いやすくなっています。何度か方向を修正しながら、695m地点に進みました。植林が多く、倒木もありますが、適当に避けて歩けます。この付近の植林は木に白ペンキで地権者の名前(?)が書いてあるのが特徴的ですが、さらに要所ごとに区分を書いた板も下がっていました。H22.5.1とあるので、最近のものですが、書いてあることは消えかかった古い板と同じでした。朴ノ木谷、下栃、東恵越、北名免良、大玉、スイガ谷、焼尾、申谷、畑ヶ谷など、個人名とは思えません。
植林を西に進むと、雉屋敷三角点のある尾根に通じる地点に出てきますが、ここは西に急坂を下りました。この付近も尾根にはピンクリボンのマーキングがありますが、尾根以外の木にも使われているので要注意です。細い尾根になりますが、この付近から尾根に枝が多く落ちていて、周囲も藪っぽくなります。626mピークも周囲は灌木ですが、岩があったので座って休みました。この西もずっと下りですが、南に展望のある地点がありました。その先の尾根にはネットがあり、角のある鹿の頭蓋骨が引っかかっていました。悲惨です。

地形図の南北に走る破線道に近づくと、尾根は南に曲がっていきました。地形図の破線道もこの尾根にあるので、尾根沿いに南に降りて行きました。いちおう切り開きがありますが、歩きにくい尾根で、破線道は確認できません。そしていきなり目の前が開けて、数メートル下に林道が現れました。この林道は地形図にはなく、予想外でした。急斜面に無理矢理作ったため、道の山側は高い崖になっています。その上に出てきてしまったため、林道に降りるのは非常に困難でした。岩場ですが、土も岩も脆く、ぼろぼろと崩れ落ちてしまいます。そろそろと岩に掴まりながら降りて、最後は2m程を飛び降りました。骨折しなかったから良かったようなもので、これは危険過ぎです。

この林道は420m程度の標高にほぼ水平に付けられています。最初は西へ少し歩きましたが、いっこうに降りる気配がないので、すぐに東に向きを変えました。この林道が地形図にある古い林道と繋がっていることを期待したのですが、しばらく行くと終わっていました。何のために造った林道なのか、理解できません。結局林道で降りるのは無理そうなので、林道が終わった付近の尾根を下ることにしました。これは大正解で、この尾根には小道がありました。そして、350m付近にある、古い林道に降りてきました。この林道は荒れ気味で、降りて行くと岩だらけになります。しかし、地形図どうりに山を下りることができました。

ずっと半袖で歩けましたので、藪の少ない歩きやすい尾根道だと言えると思います。しかし下山で出会った林道は全く予想外でした。この林道の山側はほとんどが崖で、安全に下山できる地点を見つけることはできませんでした。困ったものです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月1日日曜日

神崎工業団地の東の尾根


神崎町粟賀町東の神崎工業団地の南に広がる山塊は、複雑な尾根を持ち、アプローチをいろいろ考えましたが、まず一番単純に東端の尾根を歩くことにしました。グリーンエコー笠形から西に見える山並みです。

尾根の突端は道路に面していますが、動物避けの扉があります。ここから入ると道は川の方へ行ってしまいますが、ちょっと急斜面を登れば簡単に尾根に出られました。これが長い尾根歩きの出発点となりました。

尾根には適当な切り開きがあります。シダが元気なところもありますが、切り開きはわかります。ピンクのマーキングがあり、迷うことなく進めました。セスジイトトンボのオスらしい、綺麗なトンボがたくさんいました。ロープが張られている所もあり、松茸山なのかも知れません。しばらく登ると展望の良い場所に出ました。これは工業団地の方からも見える場所です。展望は南側なので、一番印象的なのは工業団地ですが、その背後の山並みも見えました。

この後はマーキングに従って切り開きを進みました。できれば善兵衛山三角点にも寄りたかったのですが、切り開き以外は藪がきつそうなので、素直にマーキングに従って尾根を登りました。ネットがある所もありましたが、ほとんど壊れています。351mピークは展望が良かったと思います。ここからは更に急勾配の登りで、少し登ると若干平坦な場所に出ますが、645mピークまではずっと登りです。暑かったので少し登ると倒木や岩に腰掛けて涼しい風を受けながら休みました。おかげで休憩時間の長い登山になりましたが、風に当たって休んでいる間はまさに極楽で、これがなかったらストイックなトレーニングになってしまいます。ところどころに何かが書かれた板が木から下がっているのですが、ほとんど判読不可能でした。たまに粟賀町方面の展望が開けることもありました。この尾根にはネットはほとんどありませんが、有刺鉄線が一本地面を這っていました。へたに転ぶと怪我をしそうです。

645mピークがどこだったのか、確かには分かりません。この付近には割としっかりしたネットが張られていました。このピークを過ぎると、尾根の雰囲気がいきなり変わります。ここまでは雑木林で岩場もある尾根だったのですが、ここからは高い木が多く落ち葉を踏んで歩くことになります。かといって植林という訳でもありません。この変化は実に劇的でした。比較的平坦な尾根ですが、方向は明確ではありません。何回か尾根を曲がらねばなりません。615mピークには、判読可能な板が下がっていました(写真)。道しるべというよりは、植林の地権者の表示のようです。木に地権者の名前が白いペンキで書いてあることもありました。

何度も迷いながら坂を登ると、稜線に出てきました。これを左に折れて進むと、神河町と市川町の境界線の尾根に出ました。この付近にもピンクのマーキングが少しありますが、ここまでの尾根と比較するとかなり藪っぽい尾根です。703mピークは藪です。これを更に南西に進むと、右手から尾根が来て、尾根の三叉路となりました。これを南に行けば船谷三角点ですが、今日は無理をせずに帰ろうと思いました。ここまでで3時間半かかっています。

ここからは破線道を辿って降りるつもりでしたが、道はありません。最初は尾根伝いに歩いて破線道の通りでしたが、その先で北に降りるところはどこを通って良いかわかりません。地形図ではこの付近は尾根を通ることになっているので、尾根伝いに降りました。そして地形図で破線道が谷に入る所では、谷は沼地になっていました。この谷を降りることだけははっきりしたので、この後しばらくは谷沿いの尾根を降りて行きました。たまに谷に降りてみましたが、倒木で歩けない場所も多く、結局は谷の斜面をトラバースすることになりました。土がもろくて崩れやすいため、かなり気を遣いました。そのうちに滝があり、谷は歩けないので、一旦東の尾根に登りました。そしてそこから北に尾根を降りると、その先は道がありました。地形図では、破線道が北から北西に向きを変えて、谷幅が広がる付近です。

道があると言っても、歩くのは容易ではありません。苔の生えた石の上を歩くところが多く、危険です。倒木があったり、谷が狭かったりで尾根に登らねばならない場所もあります。谷の雰囲気は良いのですが、谷はほとんど歩けません。ピンクのマーキングはずっと続きますが、谷の両側にあったりして、どう歩いたらよいのか分かりません。そのうちにだんだんと道幅も広がり、歩きやすくなりましたが、それでも足下は岩が多くて疲れました。最後は地形図で実線道になるところですが、ここは南の谷に砂防ダムを造っていました。あとは林道を歩いて工業団地に戻りました。

登りの尾根は切り開きもマーキングもあり、登山コースとして適当なものです。問題は登った後です。本当は谷を降りず、695mと626mピークを経由して、工業団地の西側に降りる破線道で下山することを考えていたのですが、かなり大回りになるのと、この破線道も本当に存在するのか分かりません。境界線に出たところで東に降りれば、グリーンエコー笠形を通って下山可能ですが、これも大回りです。別のルートを考えたいと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★ 下山は最悪でした。
地形図は「粟賀町」です。

2010年7月31日土曜日

南から登る生栖の行者山


昨年5月に一宮町生栖の行者山に生栖から登ったときに、付近の方に行者山は南からも登れると教わりました。どこから登れるのか教わらなかったのが失敗ですが、適当に見当を付けて登ってみました。

とりあえず一宮町上野田の庭田神社に車をとめて、北の林道に向かいました。村から出るとすぐに動物避けの扉があり、それを通ると突き当たりは伐採地です。ここはよく見ると木を切った跡に何段もの石積みが見えており、植林地というよりは棚田だったようです。林道は大きく迂回して登って行きますが、小さな大日如来像を過ぎてからだんだん道が怪しくなります。最初の予定では谷を西に渡って、地形図の498mピークのある鞍部に出ようと思っていたのですが、谷を渡る道はありません。付近は草が茂っており、このコースは断念して林道の終点まで行きました。動物捕獲用の檻が置いてあり、さらに少し草だらけの林道が延びていますが、歩きにくいので尾根に登りました。

ここからは尾根を一直線に登ったのですが、笹の多い急斜面で楽ではありません。暑い中を登り続けて、稜線に出てきました。509m地点を通って南のピークに通じる尾根です。これを北に登りましたが、尾根には金網が張ってあります。周囲は雑木林です。金網の両側を行ったり来たりしながら登って行くと、金網が東に曲がりました。東には地形図では別の林道が能倉から登ってきています。金網に沿って歩くと、結局この林道に出てきました。ここまで標高で300m近くを登ってきていますが、どうせなら最初からこちらの林道を歩けば、ずっと楽だったことは間違いありません。

しかしこちらの林道の荒れ方も相当で、地形図でもすぐに終点です。あとは小道を伝って登って行くと、また金網がありました。これも途中で左に折れていましたが、そのまま急斜面を登り続けると、頂上に出ました。上に行くほど岩の増える山で、この登りはかなり疲れました。頂上は行者山の西に位置する740m+ピークで、石が祭られています(写真)。なにやら彫られているようですが、ほとんど判読不能でした。行者山ですので、ここにも何か建っていたのかも知れません。

切り開かれた尾根を行者山へ歩きました。生栖の側は植林です。「生栖行者山約10分」の標識があり、ここからも急な尾根ですが、途中で行者堂に行きました。前回見落とした岩の上に置かれた石仏も見つけました。この岩は、登って苔や土を落とせばもっと何かありそうですが、そこまでする元気はなく、また急な尾根に戻って、行者山山頂に着きました。登り始めて2時間以上かかりました。曇ってはいましたが、暑いのでバテました。

ここからは前回と同じように尾根伝いに植林の中をユリ三角点の方へ歩きました。下山は能倉に向かって南南西に延びる長い尾根にしようと思っていたのですが、降り始めた尾根はもっと東を向いていたようでした。赤いマーキングもあって、降りられると信じて急勾配の尾根を木に捕まりながら端まで行くと、沢になっていました。幸いにこの沢は幅が広く、倒木も無いので、岩の上を歩いて下山できました。出てきたのは、平成14年建設の「ぶり谷堰堤」でした。

さすがは行者山で、尾根へのアプローチは非常に急勾配でした。登山道らしいものは無いので適当に歩くしかないのですが、林道を活用するのが正解だと悟りました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。