伊和三山の一つと言われる高畑山は、一宮の伊和神社の西側にある山です。南北に長い尾根にあるため、周回コースが組みにくいのですが、北から南に尾根を歩いて、バスで戻ろうと考えました。
尾根まで登る道は、楽な林道にしようと思いました。台風による水害の後片付け中の閏賀の集落を北に歩くと、学校給食センターの北に「妙見宮参道」と書かれた石碑があり、林道の入口がありました。妙見宮は見つけられなかったのですが、稲荷奥宮となっているところを見ると、閏賀の川崎稲荷の奥の宮でしょうか。「林道溝谷線竣工記念碑」も立っており、これがこの林道の名前のようです。
鹿避けの扉を開けて林道を登りました。未舗装の歩きやすい道ですが、日差しが強いので夏の林道歩きは疲れます。250mほどの標高差を3kmほどの道のりで登ります。尾根に近づくと、大規模に伐採された谷にジグザグに道が付いているのが見えてきます。これが目指す峠の北東側の谷です。この伐採跡は花咲山からよく見えました。見た感じでは、閏賀の集落から真っ直ぐ西に入って、植林を抜けてこの伐採地を登れそうでした。日差しを考えるとあまり取りたいコースではありませんが、近道ではあります。
峠に出て西側を見ると、道と呼べるものはありません。峠には関電によると思われる火の用心の札が二つ立っていますが、この付近に送電線はありません。この峠から北に尾根を辿れば黒尾山に登れますが、標高差が600mもあります。高畑山は尾根を南東に辿ればよいのですが、峠から見るとこの尾根は背の高い草に覆われており、とても歩ける状態ではありません。しかたなしに伐採跡のジグザグ道を少し登り、なるべく尾根に近づいてから、峠から少し南東寄りの尾根に上がりました。この場所も伐採の跡で、背の高い草が生えており、足元には伐採された倒木もあって、日差しが強いこともあり歩くのは大変でした。この付近から、この尾根に異変が起きていることに気が付き始めました。
伐採跡を抜けると、あとは植林です。ここも急斜面なので大変ですが、下草がないだけ歩くのは楽でした。休みながら山頂に着くと、閏賀四等三角点(562.01m)がありました。この山は閏賀山と言うようです(というプレートが下がっていました)。
一休みして、南に尾根を辿りました。最初は植林の歩きやすい尾根でした。しかし、500m付近まで降りて南向き斜面になると灌木が増えてきました。あやうく西に向かう尾根に乗りそうになり、慌てて東寄りの尾根に移りましたが、少し降りると尾根は背の高い草に覆われています。足元には倒木が転がっています。倒木の幹はは切ってありますが、取り除かれていません。
この状態は、次の519mピーク(つまり高畑山)まで断続的に続きました。2003年にこの尾根を歩いた記録によると、この付近は歩きやすい植林だったようです([1])。そのことから想像すると、2004年の台風で尾根の木が広範囲に渡って倒れたようです。その後、倒れた植林の幹を切る作業は行われたようですが、取り除くまでには至らなかったのでしょう。植林が無くなったために陽当たりが良くなり、何年かするうちに草が育ち、今では背の高さを越える草が密集した藪になってしまったようです。写真はその証拠です。
幸いにして尾根は平坦なので、とりあえず地面の見える場所を選んで歩き続けることができました。何度も休憩しながら気力を振り絞って歩き、やっと高畑山に着きました。閏賀山から2時間近くかかりました。
高畑山から後は、比較的楽になりました。疲れていて楽しむ余裕はありませんでしたが、清野三等三角点(470.68m)までは30分でした。2003年と変わらず、測量用赤白棒が標石の上に組まれていました。これは台風を生き延びたのでしょうか?ここには山崎智頭線7の鉄塔があり、この後は関電の巡視路を降りました。次の鉄塔は山崎智頭線6外1です。不思議な番号ですが、6と8を建てた後で間にもう一つ建てないと危ないという事が分かって追加した、というのは深読みでしょうか?7と6外1はどちらも平成13年6月建設となっていますが、次の山崎智頭線6は平成9年9月建設となっています。この巡視路は安積神野線19の鉄塔(昭和14年4月となっていますが、建設は昭和56年4月なのでおそらく立て直した)も経由し、さらに山崎智頭線5と安積神野線18の鉄塔にも行きますが、最後の2本へ行く途中は斜面が崩落している場所がありました。
ようやく清野の集落に出てきて、橋を渡ってバスに乗ろうとしましたが、ちょうど行ったばかりで次のバスまで1時間もあったので歩き始めました。途中で道の駅で休んでいたら、次のバスに追い越されました。1時間待つのが正解だったようです。
楽な尾根歩きを予想していたら、とんでもない倒木地帯を歩く羽目になりました。とてもお勧めできる山ではありません。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
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