2015年1月14日水曜日

久崎から行く大釜

上月町の大釜には、2014/02/11と2014/03/08に行っています。その時に林道が久崎方面から来ているようだったので、久崎から大釜を目指して林道を歩きました。久崎から佐用川を渡ると、墓地がたくさんあります。人家も多少ありますが、一番奥にあるのは佐用衛生公苑つまりし尿処理施設です。ここから林道が始まります。谷沿いの整備された林道で、谷の分岐にはお堂がありました。しめ縄が張ってあったので、神社だと思いますが、中には小さな祠がありました。道は地形図どうりにいったん西の谷に進み、引き返して斜面を登っていきます。法面は石で補強されていますが、崩落している場所があり、車では通れません。がけ崩れで道が埋まっている場所もあります。なお、お堂の先で折り返さずに谷を西に行く道もあります。昭和44年発行の地形図にはこちらの道が破線道として描かれており、折り返す林道はそれよりも新しいようです。

「松茸山に付き関係者以外の入山を厳重に禁止致します」という久崎部落の注意書きが立っている付近から先は簡易舗装ですが、薄いコンクリートがめくれたり割れたりしています。倒木も増えてきます。しかし道は続いており、2010/5/8に通った鞍部に出てきました。落ち葉で埋まった十字路です。さらに西に行くと三叉路があります。北に行く道は、昭和44年の破線道に一致します。ここは2014/03/08に来た地点です。今回は林道を歩くことにして、地籍図根三角点を右手に、西播東岡山線34鉄塔も右手に見ながら植林の中を歩きました。この鉄塔のあるピークは、昭和44年の地形図では417mピークと記されています。東に延びる尾根への分岐点には、赤い「火の用心」が二つ立っています。そしてそれをさらに直進すると、右手(西向き)に分岐がありました。谷に降りていく道です。竹林の中を降りて行くと右手に溜池と建物がありました(写真)。この建物は作業場のようで、ドッグフードの袋や動物の骨が散乱しており、ハンターが獲物の解体を行ったようです。他にも酒瓶やタイヤ、ポリバケツなどいろいろな物が置いてありました。さらに降りて行くと石積みで平地が作られており、集落の跡のようでした。この付近が抜位かも知れません。さらに南側の高みにはお堂があり、「本尊 千手観音」と書いてありました。平成8年に立てられたようで、赤穂郡八十八ヶ所霊場第八十一番札所となっています。コンクリートの頑丈なものですが、付近には瓦が積まれており、建て直したのでしょう。この付近は2回も来ているのに、これらの建物を見たのは初めてです。

大釜の跡地は見に行かず、さらに林道を歩きました。以前に通った黒石方面への道に出られるかと思ったのですが、道は南の谷へ向かってジグザグに降りていきます。明確な道ですが、草も生えており、道幅も徐々に狭くなり、道の真中に松の木が生えていたりします。最後は両側の木が迫っていて通り抜けるのがやっとになりますが、それでも道には間違いありません。そのまま谷に降りるのかと思うと、斜面を東へ進んでいきます。この道は昭和44年の地形図にもあります。しかし斜面の道なので崩落箇所が多く、歩きにくくなりました。それでも谷側に石が積まれている場所もあり、かつては道だったのでしょう。そして遂には道を見失いました。無理してしばらくは斜面を歩いていたのですが、急斜面で歩きにくかったので、結局は急斜面を谷へ降りました。降りた地点は狭い谷で、岩の上を歩きましたが、徐々に幅が広まり、植林の裾を歩きました。この谷の水は清流とは言えず、かなり濁っています。上流に畑の跡があるからでしょうか?

しばらく谷沿いに歩きましたが、ここも歩きにくいので小さな尾根が谷に突き出ている所で登り返して道を探しました。これは容易に見つかりましたが、東に歩いて行くとまた消えてしまいました。斜面を適当に歩いて行くとまた道がありました。碍子が落ちていたのが不思議だったのですが、この道は千種川の方向へジグザグに降りて行っており、途中で関西電力の「大釜分岐 九 昭二九建 九Mヒ型」と書かれたプレートを見つけました。どうやら大釜へはここから電気が送られていたようです。さらに降りると谷が千種川に出る所には、現在の地形図にある建物がありましたが、半壊しています。明治34年の地形図ではこの地点で千種川に橋が描かれていますが、今はありませんから、ここからは千種川沿いに北の小赤松へ行かなければなりません。昭和44年の地形図では川沿いに破線道があるのですが、現在ははっきりした道はありません。しかしここは崖ではなく、岸には岩場もありますし草の生えた斜面もあるので、なんとか小赤松に辿りつけました。途中にはかつて何かが川を横切っていた時の橋脚の残骸がありました。

昭和44年の地形図では北の401mピーク(現在は390mとなっている)の南の谷から登ってきた道は西播東岡山線34鉄塔のある417mピークの西側を通り、まっすぐに南へ抜けています。この道は現在は残っていません。地形図の地形そのものが古いものと新しいものとでは細部が違っているので、うまく比較ができませんが、2014/03/08の地図と今回の地図を見比べると、大釜と抜位の概要が掴めるような気がします。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。

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