2021年12月25日土曜日

南から登る生野の渕三角点

 


生野の南西にある渕三角点には、2013/04/13に北から行っています。今回は南の渕から行ってみました。渕の東に下垣内踏切があります。踏切手前の山側は墓地で、その奥にネットから山に出る扉がありました。これを抜けて斜面を登っていくと、水路がありました。地形図にもありますが、1mほどの幅で両側に1m以上の壁があるU字の水路です。水は流れていなかったのですが、越えるのは難しそうでした。しかし少し西に歩くと水を下に落とす取水口があって、ここから水路に入りました。そして壁を越えて水路の上側に出て、急斜面を登りました。この斜面には地籍調査のピンクテープがあります。藪はひどくなく、落ち葉は薄くて滑りません。少し登ると平坦な場所が現れる尾根なので、あまり疲れずに登れました。徐々に切り開きも現れて、特に標高450m付近で渕の大歳神社付近からの尾根と合流すると道がありました。こちらから登るのが正解なのでしょう。大河内街GPS2級基準点があり、CATVのポールがありましたがアンテナはありません。そのまま岩の多い斜面を登ると、大河内線一二鉄塔がありました。ここは各方向に展望があり、北側は段ヶ峰付近の雪がよく見えました(写真)。


鉄塔から東に向かう尾根は巡視路なので楽に歩けます。651mピーク付近には共同アンテナがありました。植林の中に黒いプラ階段があり、それを登ると大河内線一三鉄塔に着きました。周囲は藪化しているため、少し南側を巻いて東のピークに上がると、渕四等三角点(698.64m)がありました。展望はイマイチです。


下山は2013/04/13と同じく南東の尾根を歩きました。植林ですが最初はかなり藪っぽくなっていました。途中はネットが張られていました。標高640m付近まで降りて、前回は東の尾根に向かったのですが、今回はより出発点に近い南向きの尾根を降りました。この選択は明らかな間違いでした。この尾根は最初は割と歩きやすいのですが、標高が下がって550m付近まで来ると急になってきました。それでも尾根を降りようとしたのですが、はっきりした尾根はなくて斜面を下っているような感じになってきました。さらに大きな岩があって、それを巻かないと降りられなくなりました。大岩は何度か巻く必要がありましたが、そのたびごとに急斜面を降りなければなりません。結局斜面を歩いているのと同じような感じでした。とても危険な下山でした。


そして最後は水路ですが、その山側には電柱があって電線が平行に張られていました。ここでも水路をどう渡るかが大問題で、流れてはいませんが水があり、しかも水路を越えても谷側は急斜面です。結局越えられる所まで水路沿いに歩くことにしました。東向きに歩けばいずれは水路が道路の谷側に出ることはわかっていたので、東向きに歩きました。しかし水路の山側は急斜面で、最近切った木も転がっていました。危険な斜面を登らざるを得ない場所もありました。谷側に階段がある所もあったのですが、水路を渡るのが困難で諦めました。結局苦労して北向きに歩き、植林に入りました。ここからは歩きやすいのですが、この植林は石積みが何段もあって驚きました。かつては段々畑だったようです。その植林の端に「篤行の少女 岸田まさえの碑」がありました。「昭和5年卯月15日危急に迫れる老婆を救わんとして鉄路上の露と消ゆ 行年18歳 乙女の純情を讃え 生野鉱山有志建之」だそうです。線路からも道路からも見える位置ですが、見ている人はいるでしょうか?隣には岸田家の墓があり、線路に降りられます。線路沿いに少し歩いて道に出られました。


あとは道路を歩いて帰りましたが、生野浄化センターを過ぎて道路から水路を見上げると立派なものだということがわかりました。途中にはお地蔵様(?)も祀られていますし、真名谷踏切の所には昭和34年にここで殉職した蒸気機関車の機関士の弔魂碑があります。真名谷踏切と下垣内踏切の間では水路から土管で水が落とされており、下には生野株式会社の長谷発電所があります[1]。明治34年運転開始だそうなので、水路もそのくらい古いものなのでしょう。栃原川からも取水していたようで、この水路が市川と栃原川を結ぶ形になっているのもそのせいなのかも知れません。現在でも水路の手入れが行われていました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★ 水路には要注意です

地形図は「生野」です。



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