2024年5月26日日曜日

宮ノ北から登る水剣山

 


水剣山にはいろいろな方向から登っており、2018/12/24には北から登りましたが、今回はそれと似た方向の宮ノ北から登りました。宮ノ北から東に県道546号線を入ると、南の山裾に墓地があります。この裏手の山は金網があって入れないのですが、すこし県道を東に行くと問題なく山に登れます。何のための金網かよく分かりません。この登り口は地形図の破線道なのですが、谷道で登り続けると急斜面にぶち当たりそうだったので、すぐに南の尾根に上がりました。この急な尾根を登り続けて、五位垣内四等三角点(446.57m)に着きました。五位というくらいなので、やんごとなきものを探したのですが、共同アンテナの残骸があるだけでした。


三角点からはずっと尾根歩きです。とは言え目的地の水剣山までは標高差400m以上あります。少し歩くと西側下に林道があり、地形図でも西の谷に林道があります。この先は急斜面で標高500mに達すると、南側から林道が尾根で折り返していました。この先は倒木地帯を過ぎ、地形図通りの急斜面を登り、2018/12/24に登ってきた付近を過ぎてまた急斜面を登り、740m+ピークに達しました。少しアップダウンを繰り返して759mピークに着きました。この付近で生まれたての子鹿に会いました(写真)。ここからは南に尾根を登って行き、ケルンのある北西ピークに着き、すぐに水剣山の山頂に着きました。蔦澤三等三角点(871.79m)があり、山崎方面の展望があります。


下山は北西ピークに戻り、2009/08/29の逆コースで明延に降りました。この尾根は登りでも苦労したようですが、下りでも見通しが効かず迷いやすい所が多く、方向がわかっても急斜面で降りられず、迂回しようとして岩場を降りてしまったりして非常に危険でした。標高730m付近と620m付近では木や根や岩に掴まって急斜面を降り、トラバースし、登り、冷や汗をかきました。お勧めできない尾根です。下っていくと地形図では尾根に破線道がありますが、道はありません。しかし520m+から西に降りていくと、北が伐採地で下に林道が見えました。斜面を下って林道に出て下山しましたが、ミツマタの藪を何度か抜けました。最後は谷沿いの林道の終点に出ました。谷の橋は消滅していましたが、問題なく林道に渡って明延に下山できました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2024年5月15日水曜日

冨土野の市境の尾根

 


新緑の季節なので美しい林を見ようと宍粟市と大屋市の境の尾根を歩きました。何度も歩いている尾根ですが、今回は冨土野から少し奥に入った人が訪れる気配のない別荘地帯の東側から登りました。谷を少し奥に行くと急斜面に作業道の名残らしいものが見えて、これを南に歩いて尾根の先に出ました。ここから最初は急斜面の植林を登りましたが、すぐに緩やかになりました。登りは続き、アセビも生えていますが、稜線の手前で林道に出ました。この付近は2020/05/06に歩いていますが、その時にはなかったような気がします(が、Googleの航空写真には写っています)。この林道は稜線沿いにずっと続いています。稜線に近いと尾根が半分林道で削られていて、尾根上は歩きにくくなっていました。しかし林道を歩かなくても尾根もだいたい歩きやすく、古屋山三等三角点(760.02m)に着きました。


古屋山からは2020/05/06に降りた南の尾根の新緑が美しいのですが、歩き足りないのでさらに北に歩きました。斜面を降りていくとまた林道が西側に見えて、古屋山を巻いているのかも知れません。新緑を見ながら歩き、大路四等三角点(822.47m)に着きました。ここから2016/08/27の逆コースで下山しました。アシビの藪を少し抜けると、岩場がいくつかあり、気をつけて巻きました。植林もありますが、新緑の美しい林(写真)が続いた後で、いきなり林道の上に出ました。2016/08/27にはこの法面をよじ登ったのですが、降りるのは難しく、尾根をかなり戻って西側の植林を降りました。急斜面を木に掴まりながら降りていき、林道に出ました。この付近は木材の積み出しが行われており、荒れ気味の道を別荘地帯まで戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「大屋市場」です。



2024年5月14日火曜日

赤西渓谷南の尾根

 


赤西川と八丈川の間の尾根を歩きました。起点は赤西渓谷側で、道路が川を北側に渡る手前に尾根が張り出しています。ここは見上げると非常に急ですが、木や根っこや岩にしがみついて登ると、意外と登れました。急斜面の上まで上がっても急な尾根が続き、少し楽になったのは標高450m付近からでした。もちろん登りは続き、609m地点で一息ついた感じでした。それから少し楽になりましたが、標高650m付近からまた急斜面でした。763mピークには大きな頭の赤い標石があります。ここは2013/07/13に来ました。


歩きやすい尾根を西に2013/07/13と同じように歩きました。南の果樹園の北の付近にベンチがありました。この西は岩場が続き、苦労して巻きました。急登も何度かあり、坂谷三等三角点(815.38m)に着きました。10年で背後のアセビが大きく育ったようです(写真)。普通の標石はともかく三角点を赤く塗るのはどうなんでしょう。三角点から南西に尾根を下り、西に下って740m+からまた登って819mピークに出ました。ここからは2011/09/10に竹呂山に行ったときと同じように尾根を歩きました。斜面を降りていくと植林で南側には林道があります。南側の地形は鉄穴流しの跡のようですが植林になっています。作業道が北に横切るところもありましたが、北側は急斜面です。徐々に登りになり、地形図で林道が尾根に達している付近では、地形図よりはだいぶ手前でしたが尾根で林道がターンしていました。登り続けて834m地点に着くと北東側が伐採されており、雑草も生えずに気持ちの良い草原になっていました。ここは2011年には伐採されていた場所なので、藪になっていないのは奇跡的です。南側は暗い植林なのでそのコントラストが明確でした。


834m地点からも緩やかな尾根を登っていきましたが、竹呂山は遠いので途中で赤西渓谷に下山することにしました。ちょっと尾根を探して下っていくと、急斜面はありますが藪のない尾根でした。最後に道路に降りる所はさすがに急斜面でしたが、登りにも使えそうな尾根でした。あとは観光化された赤西渓谷を歩いて戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」「西河内」です。



2024年5月2日木曜日

桜尾山

 


これは智頭の西、岡山県と鳥取県の県境の山です。「さくらおうざん」と読むらしいです。登山記録を見るとほとんどは南から登っていますが、鳥取自動車道で智頭に行って東から登りました。県道6号線を西に走り、口宇波で新見川と分かれて西の物見峠の方に行き、橋を渡った所から歩き始めました。尾根の先の方に向かって斜面を斜めに登り、尾根に上がれば快適な植林でした。桜尾山までは標高差500m程ですが、3kmもあるのでゆっくり登れました。ときどき腐葉土に銀竜草が生えていました。植林ばかりというわけでもなく、新緑もきれいでした。秋にも来てみたいものです。暗い植林と明るい緑の自然林が対象的でした。ちょっとずつ急斜面がありますが、藪はありません。写真は587m地点の手前です。834m地点に着くと、県境の尾根です。ここも広々しており藪はほとんどありませんが、アセビが邪魔なことはありました。急斜面もあり、特に桜尾山の山頂手前は倒木もあって登りにくい急斜面でした。そこを登り切ると、物見反射板のある桜尾山の山頂でした。反射板には木が迫っていて、反射板として機能するのか心配でした。物見峠三等三角点(956.26m)があります。


下山は県境の尾根を戻りました。登りは迷わなかったのですが下りでは間違いやすい所がたくさんありました。834mピークからは南に県境の尾根を下りました。美しい植林です。そのまま降りていくと物見峠ですが、途中から東に尾根を下り、金属プレートの白玉上四等三角点(746.61m)に行きました。ここから北に降りようと思っていたのですが、意外と急斜面だったのでさらに東に尾根を降りました。標高550m付近まで下ると東側に林道が見えました(その前に北側にも見えました)。降りようと思っていた東向きの尾根を林道が巻いていました。ここは林道を歩かず、さらに尾根を降りて、次に林道と出会った所から林道を下りました。あまり大回りせずに県道6号線の上に出てきましたが、そのまま林道を北に歩くといつまでたっても県道には繋がらず、ついには林道は終わってしまいました。これは航空写真を確認すべきで、県道へは南にある県道のカーブの所でつながっていたのでした。しかたないので急斜面を降りて墓地の所で県道に出ました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「大背」です。



2024年4月30日火曜日

一宮の東河内三角点から平野三角点

 


2024/4/6に登った東河内のなべ山の東の山ですが、こちらも伐採が進んでいて航空写真でも林道がたくさん見えます。伐採の基地になっている場所はストリートビューでわかったので、そこから林道を歩きましたた。扉がありますが開けるのは難しそうだったので下を潜りました。林道は枝道が多くどちらに行ったらよいのか迷います。適当に傾斜のきつそうな道を選びましたが、谷を横切ってまた戻り、水平道を長く歩いたりしました。結局は林道の終点に出て、そこから尾根を登りました。植林なので全く問題なく登れました。そのうちに自然林となり、藤の花がきれいでした。展望もありますが、山椒の棘にも気をつけなければなりません。平らな尾根を歩いて東河内三等三角点(637.51m)に着きました。周囲は植林で、南側には林道が来ています。


そのまま尾根を東に歩き、706mピークに登り、東に下ると広い林道の交差点がありました。地形図では実線道が6本集まっていますが、実際には西に行く道もあり、これが東河内三角点の方へ行っているのかも知れません。道標があり、西向きは「至 中山線」「中山・牧場方面へ」、南は「至 牧場」、北は「至 中坪」です。ここでは東に、行き止まりと書いてない道を登りました。道は徐々に広くなり、途中にはコンプリートブロックが等間隔に並んでいる不思議な場所がありました。集積場所とのことです。その上は舗装された森林基幹道峰山線です。登ってきた道には輪掛材乾燥土場があるとの表示があり、先程の不思議な場所がそうだったのでしょう。


峰山線からも東に林道を登り、林道が水平になった所で尾根を登りました。植林なので問題ありません。910m+ピークを過ぎて下っていくと、地形図の破線道に出ました。草の生えた林道です。さらに東に斜面を登ると、アセビが増えてきました。それを避けながら登り、稜線に着きました。ここは2009/12/06に来ています。稜線上にはネットがあり、その西側のススキの中に平野四等三角点(1001.98m)がありました(写真)。伐採されているので東側の展望は良好です。ここから北に歩きましたが、ネットが邪魔です。古いとは言え丈夫に残っているところもあります。ネットの東側は伐採されて主にススキとアセビ、西側は植林なので、西側を歩きました。北に降りて、少し登ると951mピークですが、ここでは何かを発掘しているようでした。こんな所に古墳?と思いましたが、展望の良い場所ではあります。さらに北に降りていき、中坪峠に着きました。


中坪峠からは西に少し林道を歩いてから地形図の破線道を探して谷を降りました。幅の広い谷なので道は見つからなくても自由に降りられました。降りると再び林道峰山線で、この下の谷は狭くなるので峰山線を西に歩きました。そして尾根っぽい所で斜面を降りて、西の谷の方に降りていき、地形図の林道に出ました。ここからは延々と林道を下って、登りでも通った広い交差点に戻りました。途中でショートカットできたのですが、意外と急斜面でミツマタの藪だったのでずっと林道を歩きました。交差点からは中坪に降りたのですが、途中で地形図にある道が見当たらず、大回りすることになりました。方向違いと思った西向きの道が正解だったのかも知れません。いずれにしてもそのまま林道を下り、中坪に戻ることができました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。



2024年4月28日日曜日

小野尻から登る三組尾

 


丹波市の南にある三組尾は、2013/01/26、2014/11/22、2015/05/23と何回も来ていますが、今回は南の小野尻から登りました。小野尻トンネルに通じる県道86号多可柏原線のカーブのところに天徳寺があります。このお寺の山側に林道があるので、そこを目指しました。天徳寺の北から林道に入り、害獣避けの扉を通って山裾に行きましたが、登りにくそうだったので北に戻って尾根を登り始めました。急斜面を登って尾根に上がると楽な山歩きになりました。最初はシダが低く生えていますが、それも徐々に減り、この先は全く特筆することの無い山でした。しかしつまらないというのではなく、気持ち良く歩けました。途中に何度も尾根に道があるところがあり、海抜370m付近では東西に杣道が横切っていました。

長い登り、と言っても90分ほどで、三組尾に到着しました。延命寺山三等三角点(539.47m)があります。周囲は自然林です。(写真)


山頂からは北に降りました。2015/05/23に登ってきた小畑方面の谷に降りようと北向きの尾根を探しましたが、これが見つけにくくて歩き回り、結局急斜面を降りて尾根に乗りました。あまり問題なく降りられましたが、途中に谷寄りに尾根の分岐がありました。地形図で見ると非常に急ですが、分岐のあたりで見るとさほどの急勾配でもなかったので、近道と思って降りてみました。木につかまれば降りられる斜面でしたが、地形図で見て緩やかになった辺りで意外と急勾配でした。とにかく谷に降りると堰堤があり、すぐに道もありました。左右に墓地を見ながら谷を降りて小畑に出ました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「丹波和田」です。



2024年4月6日土曜日

一宮町東河内のなべ山

 


一宮の東市場から県道8号線を東に行き、能倉の正面に見えるのがこの鍋山です。西の麓にゲートボール場があり、その脇の害獣避けの扉から林道に入りました。林道は行ったり来たりしますが、行者堂への道標があって迷うことなく登れました。山頂には行者堂があって(写真)、役行者と愛宕地蔵が祀られています。近くには鍋山四等三角点(485.74m)がありますが、完全に土に埋もれていました。


山頂からは北東の山田中坪登山口を目指して降りましたが、こちらも問題なく降りられて峠の舗装道路に出ました。付近は別荘地帯です。ここから更に扉を開けて東に林道を登りました。こちらも林道がジグザグに作られていて、どんどん登れました。しかし途中で林道が分かれて、どちらに行ったら良いのかわからなかったので、真っ直ぐに尾根を登りました。これも問題なく、標高606mの山頂に着きました。東屋がありました。南は「癒やしの森10分」北は「コナラ林15分」だそうです。北に登山道を降りましたが、途中は崩落のひどい箇所がありました。しかしこちらは扉もなく舗装道路に降りられて、あとはこの道で別荘地帯を抜けて下山しました。2時間もかからない林道歩きのコースでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「長谷」です。



2024年3月17日日曜日

上郡町の大冨から万勝院

 


先週は万勝院の北側を歩きましたが、今回は南側です。鞍居川から野桑神社を過ぎて北に走ると大冨の集落があり、ここの國玊神社から登り始めました。いきなり予想外の岩場があり、キレットのようになっているので気をつけて巻きました。岩場を過ぎれば急斜面はありますが歩きやすい尾根でした。木の少ない自然林で、たまに岩場もあります。播磨西線一九鉄塔と上月支線一九鉄塔と、同じ番号の鉄塔が立っていました。381mピークまで来るとその東の破線道を探したのですが、跡はあるものの谷に降りる付近は流されて消えていたので、結局ピークに戻って北に降りました。こちらには関電の巡視路がありました。巡視路は350m-の鞍部で西に行き、北へは道があったので道を歩きました。次の鞍部にはお地蔵様があり「右山道 左大はた道」と書かれていました(写真)。この北の谷は旧耕作地で石積のある湿地になっています。道かあぜ道を歩かないと足が泥にめり込みます。作業小屋の残骸があり、谷の北からはちゃんとした道になり、舗装道路に出ました。


東に舗装道路を歩き、冨満を過ぎて道が下っていく付近で南に折れました。こちらも車の通れる道ですが、ガードレールで入れないように塞がれています。歩いていくと道はため池に行くように北に折れていましたが、真っ直ぐ大富トンネルの上を歩く道もあり、こちらに行きました。緩やかなアップダウンの続く、道がなくても歩きやすい尾根でしたが、うっかり歩いているとときどき尾根を間違えそうになりました。286mピークを過ぎて少し急な坂を登ると道があって、電柱がありました。北の大杉野から電気が来ているようです。最初に会った鉄塔は上月支線一六鉄塔で、少し東に歩くと播磨西線一六鉄塔があり、ここでも仲良く同じ番号でした。西に歩き少し登ると大杉野四等三角点(375.52m)がありました。ここだけはシダが生えています。下山は少し戻って北に尾根を降りました。木につかまって降りるところもありましたが藪などはありません。最後は急斜面を木につかまって降りましたが、降りると道路の上に出て、飛び降りるのは怖かったので西に歩き、フェンスに紐で縛った出口を見つけて道路に出ました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「三日月」です。



2024年3月10日日曜日

鞍居湖の親水公園から冨満へ一周

 


2007/04/21に大鳴渓谷(冨満渓谷)という鞍居川上流の谷を歩きましたが、その時には未完成だった金出地ダムが完成してもう何年も経っているのを思い出して、見に行ってみました。金出地ダムで作られた湖は鞍居湖と呼ばれるようです。湖の東側の自然植物公園を通る道は狭く、すれ違いが出来ませんが、西側の道は太くて走りやすく、北上すると渓流親水公園が行き止まりです。ここから北に歩きました。すぐに三日月町に入り、北の三原へ行く川と大鳴渓谷に分かれます。大鳴渓谷は特に整備された様子はなく、2007年同様に歩きにくそうだったので、分岐点から北の山に登りました。急斜面ですが藪はなく、踏み跡もときどきあり、木につかまって簡単に登れました。木の間隔の広い気持ち良い尾根に出て、北に登っていくと「スプリング8展望地」に出ました。円形のスプリング8の一部や周囲の建物、三原栗山がよく見えます。


そのまま歩くと三原に降りてしまうので、少し戻って西に歩きましたが、これは展望地からの下山路で、すぐに未舗装の広い道に出ました。これが地形図の実線道で、しばらくこれを西に歩きましたが、これもそのまま歩くと大畑の集落に行くので、途中で南に向かいました。これも歩きやすい尾根で、あまり苦労せずに大鳴渓谷に降りられました。降りた所はちょうど渓谷沿いの道が北側から南側に移るところで、壊れていましたがコンクリートの橋があって、南側に行けました。ここからは急斜面をまた木につかまって登り、南に尾根を歩きました。ここも歩きやすく、三日月町と上郡町の堺まで来ると林道のような道がありました。倒木がありますがこれを東に歩くと、「西壹番」という標石がありました。さらに東に下ると地形図で破線道が南北に走っている鞍部に「助七茶屋 拾五番」という標石がありました(写真)。南北の道は通らず東に上ると、今度は「東壹番」があり、さらに「東拾?(埋まっていて読めない)」もありました。万勝院のお茶屋さんでしょうか?


この付近の尾根も歩きやすく、水道施設を通って富満山三等三角点(364.76m)に着きました。付近にはゴミ箱やベンチもありました。道もあるのですがすぐに分からなくなりました。しかし木のまばらな斜面を南向きに降りていくと地形図の破線道らしい道があって、これを南に歩き、さらに三叉路を東に歩きました。なんとなく広々した山の上です。南寄りに尾根を歩き、いつのまにか道はなくなりましたが歩くには困りません。そしてテクノポリス線一五鉄塔に着きました。ここからの下山は黒いプラスチック階段のある関電の巡視路です。しばらく降りると階段の真ん中に赤い「15火の用心16」があったのですが、そのまま降りると道路の法面の上に出ました。気づかずにまっすぐ階段を降りていたら落ちるところでした。この階段は道路ができる前のもののようで、今は「火の用心」の所で曲がって法面の端に出てはしごのような段を降りるのが正解でした。道路から見上げると垂直に近い法面のすぐ上に黒いプラスチックが見えていました。おーこわ。


鞍居湖から冨満へ登る道は、未だに途中で終わっているようです。あまり必要はないのかも知れませんが、もったいないですね。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「三日月」です。



2024年3月3日日曜日

春安から登った山崎の市場三角点

 


山崎の国見山の西の、中国自動車道に沿った山並みを歩きました。起点は山崎町春安で、中国自動車道の南側の側道のような道を西に歩くと扉があります。「ハイキング道一号線一部崩落につき・・・ハイキング道一号線全面通行禁止」と張り紙があり、これが登山道だということを知りました。通行禁止ではしかたないので、扉の脇の急斜面を登りました。中国自動車道に面して法面が整備されており、その脇を登りました。ここはもともと尾根なので、法面の上部から尾根を歩きました。踏み跡があり、南に歩いていて危うく金属プレートの春安四等三角点(209.76m)を見逃す所でした。


灌木を避けながら歩くと、地形図でも東から破線道が上がってきてるところに確かに東から道があり、「きのこ類の採取厳禁 兵庫県」の立て札があったので、これがハイキング道一号線でしょう。この尾根にはいくつか少し窪んた道がありますが、倒木もたくさんあります。しばらく登ると「至 春安の集落へ」「松ぼっくり休憩所まで0.5km」「スギ木立休憩所まで0.6km」という道標があって、ここが破線道が尾根から西に水平に分岐している付近です。稜線に上がるつもりでまっすぐ荒れた尾根を登りましたが、ここも登山コースらしく階段があり、稜線に出て振り返ると「行止り」の札がありました。ここが松ぼっくり休憩所で、展望があります。ベンチもあります。ここからは2015/12/30と同じコースで西に稜線を歩きました。これは外周線という道のようです。スギ木立休憩所にもベンチがあり、南側には林道が来ていました。この先の尾根にも道がありますが、倒木で荒れていて歩きにくくなっています。登山道であることは「きのこ類の採取厳禁 兵庫県」の立て札と黄色い立入禁止のテープでわかります。次の尾根に上り西に歩くと、いよいよ県道44号線の通っている鞍部です。2015/12/30にはここは倒木で埋まっていましたが、現在は片付いていました。しかし東側の斜面は倒木は少ないものの非常に急で、南側の伐採地の青いネットに沿って降りました。鞍部の西側斜面も非常に急で、伐採されており青いネットで囲まれています。見たところ伐採地の北側の方が登りやすそうでしたが、そちらに行くにはイバラの藪を抜ける必要があったので、ネットの南側を木に掴まって登りました。


さらに西に歩くと植林になり(写真)、ここも南から林道がありました。そこからも尾根には道があって、「県有地につき立入禁止」の看板が倒れている近くに市場四等三角点(477.61m)がほとんど落ち葉に埋まっていました。その先は尾根にネットがありましたが壊れ気味なので問題なく、地形図通りに北に降りる道もありましたが、まっすぐに尾根を歩きました。なんとなく踏み跡があります。390m-鞍部も地形図通りに南北に道があるようでした。この付近の道はだいたいが溝のようなものです。434mピークに登り、西に歩いてから430m+ピークから北に倒木の多い斜面を降りました。降りると西には幅の広い道がありました。突き当りまで行くとネットと電気柵で厳重に囲まれた松茸採取地がありました。山奥まで人間の欲の深さを思い知らされます。尾根の外れを北向きに降りると大きなユンボがあり、植林の伐採をしているようでした。ここは南に歩けば神保ですが、北に林道で高下に降りました。途中の助森四等三角点(235.05m)は地形図で見ると道路脇に見えますが、実際は尾根の上のシダの茂み(三角点の周囲だけはきれいに刈られています)の中にあります。この三角点を見に行くと、その先を林道に降りるのはとても危険でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2024年2月24日土曜日

丹波篠山の館山城跡

 


この城趾は丹波篠山の南の、真南条中にあります。[1]を見て、旧神社参道で登りました。植林の間に立派な石垣がありますが、道は谷筋を真っ直ぐに城趾には行かずに西に曲がってしまい、害獣避けの扉に突き当たりました。このルートは間違いで、城趾を見るなら稲荷神社の方から登るべきでした。かなり西寄りなのでフェンスに沿って東に歩きました。城趾はフェンスの北側なので扉を探しましたが、結局鞍部を通り過ぎて下り始める付近で見つけました。城趾は確かに不思議な地形で、起伏が激しく全てが空堀でしょうか?真ん中に低い平地がありますが、ここに家を建てたら雨の時に困りそうです。一番高いところには水道施設があり、真南条中四等三角点(298.04m)があります。この地形は城趾というよりも鉄穴流しの跡のように見えますが、篠山で鉄穴流しというのは聞いたことがありません。


館山城跡を見終わって、登山開始です。フェンスの扉を抜けて南の植林の斜面を登りました。地形図から予想したよりも急な斜面で、楽そうな所を探して登りました。標高380m+付近で一息ついて、あとは尾根登りです。415mの手前には大きな岩があり、巻いて登りました。この先は登りになりますが、道があります。標高450mを過ぎると道は東に行ってしまうので、真っ直ぐに登りました。この先にも大岩があり、巻いて登ってようやく620m+のピークに着きました。意外と疲れる山登りでした。


620m+ピークから西に少し歩くと播磨中央線一ニ九鉄塔がありました。この稜線は巡視路です。その西はややこしい地形で、巡視路もどこを通っているのかわからす、633mピークの西を降りました。降りたところに道標があり、南は母子・太コブケ岳、北は中谷川・大歳神社、西は内ケ倉だと思うのですが、90度違っているかも知れません。とにかく尾根を歩きました。128鉄塔への分岐を過ぎて、また広くてわかりにく所を通り、127鉄塔への分岐を過ぎ、551mピークを過ぎ、少し藪っぽくなってきたのを我慢して北寄りに尾根を歩き、岩を巻いて降りると道標があり、北の谷は栗栖野へ下山、西は字が消えていましたが、鉱山・舟瀬のようでした。西に行くとまた道標があって。東が母子・梁ケ谷・鉱山で北が舟瀬・高速トンネルでした。ということは、この間に鉱山があったのでしょうか?


最後の道標からは北に降りられそうな感じだったので北に向かいましたが、岩場続きでした。展望は良いのですが、とても越えられる岩ではなく、結局東側の谷に降りて北に向かいました。かなり危なかったので、他に良いルートがありそうな気がします。ここは栗栖野城跡だそうですが、最初に見たものが電話ボックス(箱型ではなく、足のついたもの)だったので驚きました(写真)。この山は50年くらい前に一度は登山用に整備されたらしく、電話ボックスは4つありました。他には順不同でログハウス、トイレ、百葉箱、大きなプロペラ、西向きにレンガで作られた空っぽの祠?、そして地蔵神社がありました。神社の中に栗栖野城の説明がありましたが、だいぶ字が消えて読みにくくなっていました。下山は道があったので尾根を降りずに道を辿りましたが、最後の電話ボックスの後に道が分からなくなりました。ため池付近に降りましたが、谷は歩きにくそうだったので尾根に戻り、道を降りていくと石垣があり、フェンスに扉があり、大歳神社に降りられました。真っ直ぐ尾根を下りれば城趾をもっと見られたようです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「篠山」です。



2024年2月18日日曜日

佐用町の西町三角点

 


兵庫県と岡山県の県境にある三角点です。佐用の北の智頭急行石井駅から歩きました。地形図通りに西に歩くと害獣避けの扉があり、その先の北側の谷には巨大な砂防用の堰堤がありました。西にクルミ坂川沿いを登っていくと、堰堤が二つあって道は終わっていました。正面の急斜面も登れそうでしたが、とりあえず地形図の破線道を倒木だらけの谷の奥に探しました。道はありませんが、倒木を避けて登って行けました。最後に峠に上る付近には道がありましたが、荒れていたので斜面を登って峠に上がりました。峠は道が横切っていました。お地蔵様はありません。


この先は北に稜線歩きです。アップダウンはありますが、障害物はなく、気持ちの良い林でした。最初は道もありましたが、すぐになくなりました。尾根は曲がっているので何も考えずに歩くと方向を間違えます。少し北に歩くと植林になって、尾根に大きな穴が3つありました。周囲に木が植えられているようで、何なんだか気になりました。その北の蜂谷トンネルの上の付近には道がありました。この付近から県境となります。360m+の峠(蜂谷峠)にも道が通っていましたが、切通しに倒木がありました。ここもお地蔵様は見つかりません。


さらに北に歩きました。くねくねと曲がりながら尾根をたどっていくと、倒木地帯に出ました。この付近の倒木は航空写真でも確認できます。倒木を乗り越えてミツマタをかき分けると、西町四等三角点(473.55m)に着きました。周囲は伐採されていますが、北に歩くとまた倒木地帯で、それを抜けるとミツマタの藪でした。この先は道がありましたがミツマタが中央に生えていました。道で北に下るとまた峠ですが、ここも道が横切っており、お地蔵様は見つかりません。しかし北側は平坦地があって、何かがあったことは間違いありません。この北は446mピークに急登となりますが、途中に共同アンテナが倒れていました。近くに石仏があって驚きましたが、山頂近くにはさらに2体の大きめの石仏が祀られていました。一つには「三拾三番」と書かれていたので(写真)、お遍路になっているのでしょうか?


446mの山頂からは北に降りました。道がありますが、途中からは深い溝になって降りにくいので林の中を抜けました。最後はかなり急斜面で、踏み跡を探して降りました。県境よりかなり西寄りに降りて、人家の裏のススキの茂った旧耕作地を抜けて国道373号線さっこり峠に降り立ちました。あとは国道を延々と歩いて戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「古町」です。



2024年2月10日土曜日

佐用町の漆野三角点



 中国自動車道の金近トンネル付近の山は2011/02/05に佐用側から歩きましたが、今回は東の西下野の方から歩きました。千種川沿いの県道53号線を西下野から西に行った付近で北向きの谷に入りました。道があり、意外なことが家があり、その先の谷が二つに分かれる付近にも小屋がありましたが、そこから東に斜面をちょっと登って鞍部に出ました。ここからは自然林の尾根を北に歩きました。これは2011/02/27に奥長谷三角点に行った時のの逆コースです。266mを過ぎ、ちょっとだけネットがあり、倒木がありますが気持ち良く歩けました。やや急な斜面を登って447mピークに着きました。地籍図根三角点があり、葉の落ちた木の間から北に雪山が見えました。この山には雪は全くありませんでした。


447mピークから西に尾根を降りて、西に歩き、やや急な斜面を南に向かって降りました。このあとも倒木以外は歩きやすい尾根が続きました。また少し登って410m+に出ると、ここからは2011/02/05に歩いたのと同じコースです。少しアップダウンがありますが歩きやすく、倒木を避けながら南に斜面を登ると漆野四等三角点(457.68m)がありました。周囲は切り開かれていますがアシビが伸びています。予定ではここから東に歩くつもりだったのですが、なんとなく南に斜面を下りました。これも2011/02/05と同じコースです。南に緩やかに歩き、420m+から南東に急斜面を降りました。420m+には以前は共同アンテナがあったらしく、ケーブルが残っていました。急斜面ですが標高350m付近まで降りると西から道があり、尾根沿いに延びていました。そして金近トンネルの上の付近に立派な切通しがありました(写真)。たしかにここは漆野から佐用に行くには最短ルートでしょう。この先は道を降りましたが、東の植林の中を通り、北に曲がって最後は金近トンネルの入口の上に出てきました。トンネルの入口はがっちりガードされていますが、南の柵には扉があってそこから出られました。3時間弱の気楽な山歩きでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「土万」です。



2024年2月3日土曜日

黒田の瀧尾神社から白山と妙見山

 


2023/05/28に黒田庄の前坂から白山に登った時に、他にもいくつか登山ルートがあることに気が付きました。そのうちの一つ、瀧尾神社からのルートを歩いてみました。瀧尾神社の鳥居をくぐると、すぐに右に展望デッキへの道標があります。こちらに植林の中を歩いて害獣避けの扉を抜けると、展望デッキと白山の二つの道標があるので白山の方へ歩きました。次は水路のところに道標があり、ここから植林を登り始めました。この付近は若生谷と呼ばれ、播磨風土記の袁布(をふ)山とされている、という説明書きがありました。最初は植林ですが、道がターンして尾根に上がるとシダの中を歩くようになります。途中の岩場でちょっと道を見失いましたが、シダの生えていない所を登るのが正解のようで、すぐに幅の広い道に出ました。この道を歩いていくと急斜面に出ますが、道はそれを巻いて、階段で登るようになっていました。そこを上がってしばらく歩くと、白山への稜線の登山道に出ました。これは何度も歩いています。よく整備されているので、今回はちょっと変化を付けようと思って、白山の山頂へは登山道で東側まで巻かず、急斜面を真っ直ぐに登ってみました。いきなり大きな岩があり、それを避けるためにしばらくは東に歩き、登れそうな所で急斜面を登りました。しかし再び大岩に行く手を阻まれ、またトラバースして、最後は山頂の西の展望の良い場所に出てきました。510mの山頂はすぐそこでした。このコースは危険なのでお勧めしません。


白山からさらに東によく整備された道を歩きました。2013/02/10に歩いた稜線で、「十字路」に出て、谷川三等三角点(621.95m)のある妙見山の山頂に着きました。ミニ神社はかなり壊れていました。帰りは「十字路」まで戻り、北に降りました。これも幅の広い整備された道で、最後は500m-の植林の峠に降り立ちました。ここには何かが祀ってありました(写真)。峠からは道を歩いて瀧尾神社に戻りました。途中には堰堤がたくさんあり、お地蔵様もありました。ため池の所で南側を通る道がありましたが、堰堤で終わっていました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「谷川」です。



2024年1月27日土曜日

三石の城山、石堂丸山、深谷山

 


岡山県三石の城山には2017/02/19に登りましたが、その時は下山時に三角点を見に行って、そのまま南に降りました。今回はちゃんと北まで登山道を歩くことにしました。登山口は前と同じで、「息つぎ井戸」まで急勾配を登り、その先は「千貫井戸」を見に行って、水の溜まっているのを確認しました。登山道に戻らなくてもここから登れそうだったので、木に掴まって急斜面を登りました。ちょっと滑りやすい斜面ですが、すぐに平らになって登山道と合流しました。ただし第一見張所などは見逃してしまいます。すぐに城山の山頂に着きました。三石城跡です。ここからは展望はあまりありませんが、登ってくる途中では三石の町がよく見えました。


山頂から北に歩くと深い堀切があり、鶯丸跡があって、歩きやすい登山道が続きます。前回にはあったJRの三石47鉄塔は撤去されたようで、ここが第2展望所です。このあと北には整備された道が続きます。階段が整備されていて、ちょっと邪魔でした。そして舗装道路の終点に出ました。ここからは舗装道路を降りて、深谷(みたに)の滝を見に行きました。細い水が流れ落ちています。脇には靇(おがみ、雨冠に龍)神社があります。


深谷の滝の入口に、石堂丸山への登山口がありました。ここまで歩き始めて1時間半くらいだったので歩き足りず、ついでに近くの深谷三角点のある山に登ろうと思って登り始めました。この道はまず滝の上に出ますが、ここに堰堤がありました。その後はしばらく斜面を歩き、谷に降りました。ここはどうにでも歩けてしまうのですが、北に歩くと保安林の立て札があって少し安心しました。その先には堰堤があり、巻き道がないので端の部分を乗り越えてさらに谷を登りました。時々マーキングがあります。炭焼き窯が2つあり、2つ目は西側にあったのですが、そちらに道は見つからず、結局また谷の東側を登ると、大きな堰堤がありました。これも巻き道は無いので、東の斜面を登り、そのまま急斜面を木に掴まって登り、道路に出ました。播磨自然高原別荘地です。


別荘地の道路を北に歩きましたが、行きたかった深谷三角点からは遠く離れており、しかも道路は北にしか向かっていません。県境を過ぎたあたりでショートカットを試みました。別荘の立っていないところを抜けて上の道路に出ましたが、道路の近くは棘のある木が多い藪で、ひどい目に会いました。携帯のアンテナのあるところに出てきて東に道を歩きましたが、石堂丸山が通り道にあったので、ここでも家のない藪の斜面を登り、山頂に着きました。三石二等三角点(421.74m)があります。展望は良く、瀬戸内海が見えました。


下山はまた別荘地の急斜面の藪を降りて下の道に出て、道路を南下しました。南の外れの別荘から藪に入り、南に歩きましたが、藪でした。最初は灌木の枝が邪魔な程度でしたが、斜面を下るようになるとシダが茂っていました。斜面で足元が見えないのは困ります。GPSで位置を確認してなるべく勾配の緩い方向へ歩こうとするのですが、シダが少なく地面が見えている所を選んで歩くと違う方向に行ってしまいます。踏み跡らしい所を歩いたのですが、踏み跡だったという確信はありません。ただ、シダの背丈は腰より高くなることはなく、なんとか250m+の鞍部に降りられました。ここから南に登りですが、踏み跡がありました。最後はシダの塊の間を抜けて300m+の尾根に上がり、シダを踏んで歩いて深谷四等三角点(313.51m)に着きました(写真)。ここには深谷山というプレートが木に掛かっていました。


木にプレートを掛けた人はどこから登ったのか分かりませんが、とにかく南西にシダを踏んで降りました。ここは比較的歩きやすいところでしたが、標高250m付近になるとシダが茂っており、しかも西側は急斜面なので南に向かいました。シダをかき分けつつ降りましたが、東寄りの尾根の方が勾配が緩いのは明らかなのですが、そちらにはなかなか行けません。なんとなく踏み跡がありそうな気がしてそのまま南にシダで覆われた急斜面を降りて、川沿いの平地に降り立ちました。ここからは道路を歩いて三石に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。



2024年1月21日日曜日

五十波から登る長水山

 


雨上がりなので藪を避けようと思い、登山道の整備されている長水山に登りました。山崎町五十波に長水山の登山口があります。ここから林道を歩き、終点が実際の登山口となります。ここから標高差250mをジグザグに登ります。曲がり角にはネットで防護して植えた木がありますが、うまく育っているようには見えません。急な登山道ですが、よく整備されています。途中に井戸の跡というか水溜りがあり、それを過ぎるとすぐに石垣が見えます。山の上には壊れた家屋の跡と、まだ使われている家屋があり、山頂には信徳寺があります。これらの建材をどうやって運んだのかは、興味深い点です。南のピークからは瀬戸内海まで見えます(写真)。蔦沢2三等三角点(584.16m)はお寺の裏の不動明王像の背後にあります。


下山はまず尾根を歩きました。2017/10/09の逆コースです。手入れの行き届いた登山道で軽快に歩けました。階段も下りではあまり邪魔になりません。431m地点を過ぎ、408mピークを過ぎ、林間広場への分岐を通り越し、全く展望のない展望舎を過ぎ、さらに尾根を歩き、急階段を登って五十渡四等三角点(412.47m)に着きました。南は植林です。登山道は南に下りますが、ここを東に歩き、北への尾根を探して降り始めました。尾根を見つけてしまえば、特に障害もない落ち葉を踏んで歩ける尾根ですが、どんどん急になりました。そして岩場の上に出てしまったので、西側の谷に作業道の跡らしい場所を探して降りていきました。かなりの急斜面ですが若い植林で、木の間隔がわりと狭いので木に掴まって降りました。そのうちに谷の中央に窪んだ場所があって、これが地形図の破線道と一致していました。そのうちに破線道が道らしくなり、梯川が見えてきました。川の西側はかつては耕作地だったようで、平坦で石積みがあります。問題は橋が無いことで、北に歩き、最初に歩いた林道に沿った谷川に出ましたが、ここも渡れません。少し遡ると鉄管を4本並べた橋がありましたが、雨上がりで濡れた鉄管を滑らずに渡れる自信はなく、もっと谷を遡り、細くなった所でエイヤと渡りました。あとは林道を下りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2024年1月13日土曜日

赤磐市の滝城山と牛神山

 


滝城山は旭川東岸にある城山です。県道27号線から旭川沿いに県道81号線を北上すると、道幅が1.7mと極めて狭くなり、そこを抜けると道幅が広がって田土に着きました。ここから地形図の破線道で滝城山を登ろうとしたのですが、民家を避けて急斜面の藪を登ることになりました。実際この破線道は見つからず、藪を登り、途中から南の支尾根に上がりました。藪はかなり解消して楽になりましたが、登りは続きます。230m+のピーク付近からは踏み跡がありました。しかし登るにつれてシダ藪になり、急斜面では踏み跡を何度か見失いました。歩きやすい所もシダ藪もあり、地形がなんとなく人工的だと思って、ここが城跡だということを思い出しました。滝城山の山頂には山名の札があるだけで、藪です。木々の間から旭川の川面が見えており、重要な山城だったことがわかります。


山頂から北に歩こうとしたのですが、北に降りる付近は背の高いシダ藪で迷いました。その先も灌木の藪がきつくて枝をかき分けながら歩きました。踏み跡の無い藪をしばらく歩くとマーキングがあり、踏み跡が確認できました。しかしすぐに藪に消えてしまいます。楽そうな方向に踏み跡を探しながら歩くと尾根をさまようことになりました。そしてちょっと高みに上がると神社がありました(写真)。かなり立派なもので、かつてはこの付近までもっとマシな道があったものと思います。瓦もあったので、かつては瓦葺だったのでしょうか。


神社から北に降りるところは意外と急な藪で、降りてからも藪が続きました。しばらく北上して少し緑が増えたと思ったら道がありました。地形図の破線道でしょう。植林もあります。少し藪っぽい場所を抜けて地形図の実線道に出ました。しかしこの道は横切るだけで、またマーキングのある踏み跡を北上しました。藪っぽいのですがマーキングは続きます。途中で何度か道に出て、最後に道の脇に牛神山への道標を見つけました。ここから先も藪っぽいのですが、山頂にあがると壊れた小さな祠があり、牛神山の山名のプレートもありました。牛神山からはさらに西を歩きました。こちらもシダやササが生えていますが、植林になると道がありました。これを降りて、田土に戻りました。3時間ほどしか歩いてませんが、藪が多かったのでこれ以上歩く気にはなりませんでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「金川」です。



2024年1月8日月曜日

宍粟市の峠三角点



宍粟市山崎町から西に県道53号線を走り、中国自動車道と並走して切窓峠を過ぎた先の、携帯のアンテナが立っている所に林道の入り口があります。ここから山に登りました。この林道はかなり長く、航空写真でも見えますが、最後は山頂近くで終わってしまったので、少し藪を抜け、植林を歩いて山頂に着きました。ここにあるのが金属プレートの峠四等三角点(404.27m)です。


ここからは尾根を縦走です。この日は雪がうっすら積もっていましたが、最初正しい方向を見つけるのに苦労したものの、藪はなく植林もあるので楽に歩けました。しばらく歩くと赤い「火の用心」があり、すぐ先に紅白の播磨西線五八鉄塔がありました。ここからは関電の巡視路で、ますます軽快に歩けました。その先の460m+付近は2008/11/29に東の尾根から上がってきた場所ですが、西側に林道がありました。この林道は尾根に並走しており、北に行くと左右二本に別れ、その真中を歩くと三谷三等三角点(475.72m)に着きました。


三角点からは北に降りましたが、地形図の破線道に相当する道があります。付近は林道が多く、藪より林道がベターと思った所では林道を歩きました。林道から外れて再び破線道を降りていくと、よく整備された林道に出ました。林道塩田葛根線らしく、林道なのにストリートビューで通ることもできます。降りた地点には赤い「火の用心」もあって、ここまで巡視路だったようです。峠なので二体の石仏が祀られていました(写真)。しっかり冬支度されていました。


峠の北にはネットが張られていますが問題なく尾根に上がれて、だいぶ藪っぽくなってきた尾根を北に歩きました。390m+ピークを過ぎて下りになると藪になり、その先の鞍部は林道の切通になっていたので、東の植林の方へ行って林道に降りました。この鞍部は地形図にはなく航空写真では確認できる林道が通っています。林道の北側は青いネットが張られていたので、それを避けて西側から尾根に上がりました。この尾根はかつて植林されたようで、その時に苗をプラスチックの筒に入れて植えていますが、木が大きくなって窮屈そうに見えました。プラスチックを割って成長している木もありました。藪っぽい尾根を西寄りに歩き、430mピーク付近から西に行くと林道がありました。あとは林道を降りて塩田葛根線に出ました。これは2011/03/27のコースと同じです。2時間半ほどの雪山歩きでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「土万」です。



2024年1月6日土曜日

南光自然観察村から瑠璃寺

 


南光自然観察村は千種川沿いにあります。県道72号線を走り、南光ひまわり館のところから細い橋を渡るとキャンプ場ですが、右手に害獣避けの扉があり、ここから西側の谷に出ました。予定では西の尾根に登るつもりだったのですが、あまりに急斜面で、見ると谷には道があるので、まず道を歩きました。倒木が多く、崩落していたりミツマタが密集して生えていたりで歩きにくい道ですが、根気よく歩くと意外と谷の奥まで延びていました。登ろうと思っていた北側は急斜面が続き登れません。しかし谷の奥まで来ると斜面が少し緩やかになったように見えたので、登ってみました。作業道の名残のある若い植林で、木の根や岩に掴まって登り、尾根に上がりました。ここからは登りですがひどい障害物はありません。444mピーク付近からはネットがあり、その先の450m+地点からは2014/04/20の逆コースとなりました。その時は北に善吉へ降りています。歩きやすい尾根を歩いて500m+まで行き、北に曲がりました。尾根を西に曲がって494mピークから北に歩きましたが、この付近は気持ちの良い尾根です。430m-の鞍部は地形図では道が破線道が横切っており、それらしい道が両側にありました。昔は峠のお地蔵様があったのではないかと思って探すと、寛永通宝を見つけました(写真)。探せばもっとありそうな感じですが、お地蔵様は見つかりませんでした。


さらに北に登り、450m+と470m+のふたつのピークを過ぎて401m地点付近の鞍部でも地形図では破線道が横切っていますが、東側は眼下すぐに林道があり、西側は道が登ってきているようでした。じっさいここからは尾根に道がありました。途中に道標のような石があり「井上頼太郎?」という文字だけが読めました。道であったことは間違いないようです。登っていくと2023/11/19の往路で間違ってたどり着いた地点にでて、その時に歩いた斜面の道を歩くと四丁の道標、そして2023/11/19にも見た道標がありました。「左みうちひらふくと」読め、来た方向は平福なので、おそらく401m地点付近から海内に降りて庵川沿いに南下する道なのでしょう。


この先も2023/11/19に通った道を歩きましたが、問題は瑠璃寺の奥の院の背後にある斜面です。今回は素直に道に従って行くと、どうも道は北向きの斜面にあるようでした。どこかで奥の院に登っていく道に合流するものと期待してそちらに歩いていくと、確かにしばらく道らしい踏み跡が続きましたが、北の尾根に行ってしまいました。しかも斜面はどんどん急になり、滑り落ちないように体を支えるのも大変になりました。掴まる木も少なく、危険な斜面をかなり長く降りる羽目になりました。最終的に降りてきたのはモンキパークの中の、道が川を渡る所でした。疲れ果てていたので、そのまま道を降りて戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆ 最初と最後は★★★

地形図は「千草」です。