2024年12月23日月曜日

大内山から登る熊山

 


備前市の熊山は有名な山ですし登山道も多く、あちこちから登ってきました。今回は南の大内山経由で登りました。大内山には航空写真で見ると香登小学校の北から道があるように見えます。じっさいに巡視路があるのですが、それを歩いていくと大内神社の上を通り、そのうちに斜面で消えてしまいました。落ち葉で滑りやすい急斜面を木につかまって登ると、緑色に塗られたNTN線1鉄塔に出ました。ここから更に登ると標高151mの大内山の山頂には、フェンスに囲まれた紅白の巨大な本四連系線第二〇四号鉄塔がそびえていました。


大内山からはピークを下って北に縦走です。すぐに本四連系線第二〇五号鉄塔があり、少し下った先にはキリンビール岡山線11鉄塔がありました。よく整備された道です。この北ではいちど少し下ると毘沙門堂を見られたのですが、ショートカットで尾根を歩きました。そのうちに毘沙門堂からの登山道と合流しました。ここからは登山道ですので何の問題もなく登れました。実は最初は毘沙門堂の裏から284m地点を目指して急斜面を登ろうかとも思っていたのですが、遠目にも岩が多く近めにもシダが茂っているので諦めました。登山道はやや急ですが、問題なく登れました。まず高津山に油瀧神社の鳥居があり、それから熊山姫大神神社下之宮があり、それから442mピークを過ぎて油瀧神社がありました。さすがに備前だけあって狛犬はすべて備前焼です。そのあとは通信塔があり、駐車場に出ました。ここからまっすぐに登っていき、熊山神社へ行きました。ここでも狛犬は備前焼です。さらにちょっと歩くと熊山遺跡に着きました。他では見たことのない四角い石積ですが、奈良時代前期とのことです。不思議なものです。遺跡の南には展望所があって、瀬戸内海がよく見渡せます(写真)。


下山は南に登山道を降りました。こちらの道には丁石があります。少し降りると舗装道路に出ますが、これを横切って坂根方面に降りました。33丁には本四連系線第二〇八号鉄塔があり、ここからは坂根への下山道を外れて南に向かいました。油瀧神社への分岐を経て、備前線39鉄塔に着きました。この付近は展望があります。そして城山(294m)です。山頂は広く、段もあって眺めも良く、まさに山城の雰囲気でした。この南は山城の正面なので当然急勾配でしたが、マーキングに従って降りました。そして城山四等三角点(242.12m)に着きました。まだまだ道は続いて、次はキリンビール岡山線14鉄塔です。ここまでは尾根道ですが、ここからは東のシダの多い斜面を下って行き、香登本に降りました。


展望 ★★☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「片上」「和気」「万富」「備前瀬戸」です。



2024年12月20日金曜日

神埼町大河から登る802mピーク

 


寺前の北の方にある入炭山の南の尾根の分岐に802mピークがあります。ここは2016/10/09に北の長谷から入炭山に登った時に通って、北寄りに為信神社へ降りました。今回は大河から送電線の巡視路を使って登ろうという作戦です。しかし問題は巡視路の登り口がどこにあるのかがわからないことです。だいたいのカンで、大河から播但線の線路に沿って歩きました。人家が切れた先にも道があり、突き当りに扉があって、その内側に赤い「火の用心」がありました。大当たり、というわけでここから植林を登りました。よく整備された道を登ると、市川発電所に水を送っている水路に出ました。蓋がしてあります。送電線は北にあるので、北へ歩きました。しばらく歩き、送電線の下を通ると水路の山側に「火の用心」がありました。この付近は植林といっても藪に近いのですが、巡視路を登ると大回りして播磨中央線二七鉄塔に着きました。


二七鉄塔からは巡視路で植林を登りました。赤い「火の用心」がなくても、黒いプラ階段があるので巡視路だとわかります。ネットの南側の急勾配の植林をジグザグに登ると、標高450mを過ぎた付近は大きな岩がたくさんあります。この付近から北に少し行くと、播磨中央線二八鉄塔に着きました。ここは良い眺めです。この付近から雪が増えました。標高600m付近は再び大きな岩があり、急勾配です。巡視路は階段だけでなくピンクのマーキングもあるので、あまり見失わずに登れました。途中からピンクのマーキングには地籍調査のものも入ってきたので、青いマーキングのほうが確実でした。ひたすら急勾配を登り、標高700mを超えて緩やかになった所に「火の用心」がありました。2016/10/09に北の二九鉄塔へ向かった地点です。この付近は勾配は楽なのですが藪があります。標高750mからは尾根歩きですが、途中にも「火の用心」があるので三〇鉄塔への巡視路への分岐なのでしょう。802mピークにも「火の用心」が立っていました。(写真)


802mピークから南の尾根は2009/09/26に歩いていますが、雪景色でだいぶ趣の違うものになっていました。植林はきれいでしたが方向には気をつけて、600m-の鞍部を過ぎて急斜面を登り、西向きの尾根に向かいました。この付近は意外と分かりやすく、その西の尾根も細いながら自然林で歩きやすかったのですが、その先は困りました。地形図で見ると斜面を降りなければならないのですが、マーキングが見つかりません。結局植林をかなり先まで行って、西に斜面を降りながら北に方向転換して510m+の鞍部に出ました。後から考えると、かなり手前で降りるのが正解だったようです。とにかくここからは尾根に上がって南に歩き、アップダウンしながら595mピークを過ぎ、大河四等三角点(597.77 m)に着きました。ここは2012/10/14に南から来ており、飛ヶ丸という名前のようです。


下山は適当に西に向かって降りようと思っていたのですが、あまり降りやすそうな斜面がなく、ブルーのマーキングのある方向に斜面を降りました。最初は非常に急でしたが、標高が下がって雪が消えていったので楽になりました。斜面も降りていくと徐々になだらかになりました。ネットがあり東側が植林だったのでそちらを降りました。徐々になだらかになってきたのは良いのですが、目指していた地形図の破線道が見当たらず、だいぶ下まで降りてしまいました。慌てて斜面を北向きに作業道を探しながら歩いていくと、小屋がありました。2010/04/03に通った「坂のお地蔵さん」でした。ここからは北に林道を降りましたが、地形図にない林道が延々と続きました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」「生野」「粟賀町」です。



2024年12月17日火曜日

栃原から登る高星山

 


寺前から播但線と並行して県道39号線を走って市川を遡り、渕で北に向かうと、道路脇に関電の赤い「火の用心」が白くなった立て札の後ろに「高星山」という札が掛かっています。ここが登山口です。これは関電の巡視路で、まずは植林の中を登ります。すぐに大河内線一〇鉄塔に着きました。ちょっと展望があります。この先の巡視路はススキの斜面を通っており、荒れ気味です。南の山の鞍部に来ると、巡視路は400m+の小ピークを南に巻き、次の鞍部で南に行ってしまいます。この付近では南側にいくつか林道があります。


この鞍部から西の植林の急斜面を登り始めました。急斜面ですが植林で道があります。標高差50mも登ると一息つけますが、再び急斜面になります。自然林になってもう一息つき、また急斜面を登ると標高600mに近づいてだいぶ楽になりました。地籍図根三角点(黄色いプラスチックの杭)がありました。614m地点の手前には大岩がありました。登っても行けそうでしたが、登山ルートを示すと思われるピンクのマーキングが南側を巻くように付けられていたので、南側を巻きました。それでも少しは岩をよじ登りました。この先にも岩はありますが、あまり障害にはなりません。ただし標高750m付近の岩は倒木があって越えるのに苦労しました。この先にも地籍図根三角点があったようでポールが立っていましたが地面は雪で覆われていました。この付近は傾斜は大きくないのでゆっくり登っていきました。標高860m+では北に曲がり(マーキングがあります)少し下った付近は谷の最上部で水が流れていましたが、雪で覆われて気をつけないと靴がめり込みました。この付近は植林で傾斜も少ないので歩きやすいのですが、この日は雪が10cm近く積もっていました。さらに登って行くとアセビが増えてきます。高星山には2011/04/10と2014/05/03に来ていますが、二回ともアセビで苦労しました。今回は登山道を登っているので、ピンクのマーキングが頼りです。確かにアセビの間を抜ける道があるのですが、マーキングが見つけにくく、次のマーキングを探しにあちこち行ってみる必要があって、かなり時間を使いました。結局はアセビを押しのけて歩く場所もあり、最後もアシビを押しのけて登ると新田三等三角点(1016.33m)のある高星山の山頂に着きました。マーキングに頼らず登るなら、相当の腕力を必要としそうです。山頂からは太田ダムの付近が見下ろせました(写真)。


下山は雪の上に残った自分の足跡を辿って降りていき、足尾滝への道標から足尾滝の方へ向かいました。こちらもマーキングがあるようなのですが、あまり多くはありません。地形が複雑でGPSを見ながら歩きました。植林で見通しが良く、なんとか目的の尾根に乗れて、966mピークに向けて歩きましたが、手前の鞍部から東の植林の斜面の植林を降りました。ここにピンクのマーキングがあったのですが、地籍調査のマーキングでした。それでも方向としては合っています。この付近は2011/08/14に歩いています。960m+付近は木がなく空が見える広場でしたが、雪の下は沼の所もあって、林の方に逃げました。このあとは2011/08/14の逆コースで、アセビの間を抜け、植林を登ると足尾四等三角点(898.55m)がありました。この東はアセビと倒木で苦労しましたが、標高750m付近で東の尾根に行き、植林を南東に降りました。ここは関電の巡視路かも知れません。急斜面ですが作業道があり、大河内線八鉄塔に着きました。大展望があります。


ここからは巡視路で下山しようと思ったのですが、途中で巡視路を見失いました。仕方ないので尾根をまっすぐに降りると、林道に出ました。これを北に歩くと上から巡視路が降りてきており、さらに歩くと下向きに赤い「火の用心」があったので、これを降りました。かなり長く植林を降りて、北に向かった付近で巡視路を見失いましたが、川があり金属の橋が掛かっていたのでこれを渡りました。すると林道があったので下っていくと、北側に鉄塔がありました。これが大河内線九鉄塔ですが、巡視路がここにどう来ているのか、よく分かりません。鉄塔からは北にススキの斜面を上がると林道の折り返し地点で、上がっていくと登り始めた時に通った植林の尾根に出ました。ここから植林を下り、巡視路と合流して400m+ピークの南を巻いて鞍部に出ました。


このまま最初に歩いた巡視路を帰ってもよかったのですが、ついでなので東の植林を登って金属プレートのマガリ石四等三角点(432.9m)を見に行きました。三角点からは北に植林を降りて、ススキを抜けて再び大河内線一〇鉄塔に出ました。あとは巡視路で県道39号線に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「長谷」です。



2024年12月15日日曜日

東から登る佐用の大撫山

 


西はりま天文台のある大撫山ですが、あまり登山の話は聞きません。地形図を見ても低山に道路が一杯あって登山意欲は湧きませんが、とにかく東の江川川沿いの福澤のあたりから道を歩き始めました。舗装道路で、途中に地形図の破線道への分岐がありましたが、「私有地につき立ち入りを禁ず」と書いてあったので、こちらには行かずに歩き続けました。この道路は谷の奥で北に曲がりますが、ここの上には大谷川砂防堰堤があります。道路歩きにも飽きたので、谷の北の尾根を登ることにしました。急斜面を上がって植林に出たのは良いのですが、この先は笹薮でした。道はあるのですが笹が伸びて道の上を塞いでいるため、しゃがまないと通れません。鹿は問題なく通れるようで、まさに獣道になっていました。鹿の蹄の跡を追って笹薮を抜けましたが、道は登っていくとは限らず、いったん笹薮を抜けてまた笹薮に入り、という感じでしたが、標高差で30mも登ると林にでました。ちょっと登ると林道があり、この先も植林を登っていくといくつも林道がありました。植林を抜けて歩いていくと道路があって、天文台方面に歩くと来た方向は「田和坂峠」となっていました。


この先は天文台の敷地で、宿泊施設などもあります。中の方には入らず周辺を反時計回りに歩きました。北の遊歩道から舗装道路に出て南下し、天文台の脇にある大撫山三等三角点(435.49m)を見てから南から東に回って管理棟から南に道路を歩きました。舗装道路で面白いものはありませんが、南に歩いて「佐用の朝霧展望ポイント」に行きました。佐用川沿いが一望できるビューポイントで(写真)、地蔵堂と金属プレートの大撫不動尊四等三角点(403.33m)、それに名無しの通信塔がありました。道路の反対側にはスピカホールがあり、この前を横切って林から通信塔の管理道路に出ました。最初は東の端にあるNHK佐用テレビ・FM中継放送所に行ってからちょっと林を登って佐用郡消防署の「大撫山全身基地局無線中継所」そして巨大なNTTの大撫無線中継所を見てから管理道路を降りました。そして舗装道路には戻らず北に植林を登って、KDDIの佐用基地局、それにパラボラの付いた「大撫山無線中継所」を見ました。この付近には西から管理道路が来ています。樹齢推定150年のキンキマメサクラの木がありましたが、この付近の落ち葉は綺麗でした。


下山はこの付近から北東を降りました。植林を少し降りると平坦な自然林になりました。394m付近など広く平らで、分譲地にしたらよさそうでしたが、さらに下ると平坦地が何段もあって城趾のような雰囲気でした。しかしここに山城があったとはどこにも書いてありません。さらに下ると岩だらけで岩塊流の跡のようになりました。降りにくい岩の上を降りていくと、その下には細長い建物がありました。屋根と木の床と鉄骨の柱しか残っておらず、用途は不明です。ここへは道が来ていましたが、少し降りると笹薮になったので、林の方に戻って降りると林道に出ました。これは枝道のようで、ちょっと歩くと地形図の破線道に出ました。これを北のほうに歩いたのですが、これもかなり荒れていて、途中で何度も見失いました。最終的には大谷川砂防堰堤に出ました。堰堤の脇の舗装道路を下っていくと、これが最初に見た立入禁止の道路でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「佐用」です。



2024年12月7日土曜日

加美区多田から登る飯森山(その2)

 


何度も登っている飯森山ですが、今回は2022/12/07とほぼ同じコースです。ちょうど2年ぶりです。タイヤでできた怪獣?のオブジェのある扉(脇に小扉あり)から植林に入り、ロッジを過ぎて北に登りました。前回は途中で植林に入りましたが、今日は無理せずに坂を登っていき、脇道の林道に入りました。これは荒れていない林道で、南向きに斜面を登っていきます。最後は前回に尾根で登ってきた地点で森林基幹道千ヶ峰・三国岳線に合流しました。じっさい以前は千ヶ峰・三国岳線はこの地点でこの林道で下山するようになっていました。ここから前回と同様に尾根を登りました。ネットが邪魔ですが640m地点を過ぎると南側が伐採地で展望があります。翠明湖の橋や海まで見渡せるようになります(写真)。伐採地の脇を登り続け、さらに自然林の急斜面を登って、福畑山三等三角点(900.59m)のある飯森山の山頂に着きました。北側の越知川も見えるようになります。


下山も前回と同じで、南東の尾根を戻りました。こちらも伐採地のネットの脇を降ります。何回か林道と出合いましたが、前回にはなかったと思われるものもありました。最後は急斜面となりますが、東側は伐採地でネットが張られています。これは2年前にはなかった新しい伐採地のようでした。金属プレートの宮前奥山四等三角点(682.58m)はネットより少し上の藪の中でした。さらにネット沿いに東に行ってからネット沿いに下って林道に出ました。この林道は少し東に行くと終わっており、ここからネット沿いに下っていくと、丸太の階段があって、もう一つの林道に出ました。この林道はさらに南に続いていますが、そちらは草が生えていました。この付近の林道は伐採のための作業道のようです。ここからも伐採地の端のネット沿いに下り、法面の低そうなところで千ヶ峰・三国岳線に降りました。ガードレールを乗り越えて降りるとゴミが多そうな気がしたので、少し南に歩いてガードレールの切れている所から降りて、少し北に戻って再び伐採の端のネットに沿って降りました。ここはかなり急でしたが、伐採地の下端をまわって行き、伐採地から別れて尾根を下りました。この付近は地形図には破線道がありますが、ここまでは伐採地の中なので消えていました。伐採地の下には残っているかと思ったのですが、地形図で見ると破線道は尾根上ではなく谷に近い所にあるので敢えて探さずに降りました。最後は谷川に降りましたが、ここでは渡河は簡単で、北側を歩くと、最初は踏み跡程度でしたが、徐々に太くなり、地形図通りに北向きに降りていき、最初に歩いた林道に降りられました


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。



2024年11月27日水曜日

朝光寺から登る三草山


古戦場として有名な三草山ですが、実際に山の上で源平合戦が行われたわけではありません。今回は南の朝光寺から登ってみました。朝光寺の前に、なんの説明もありませんが藪への入口があります。入っていくと笹などが入り混じって生えていますが、切り開きがあります。ピンクのマーキングもありますが、整備された登山道という感じではありません。それでも道を間違えることはなく、登れました。時々展望があります。ひとしきり登った333mピークが権現山です。さらに西寄りに歩き、ちょっと登ると主尾根に出ました。この方が整備された道ですが、意外と岩があります。雨上がりだったので滑らないよう気を付けて西向きに降りていきました。地形図に天狗岩と書かれている付近にベンチがあります。その先に天狗岩と狼岩への南向きの分岐がありますが、地形図の天狗岩とは違って南向きの岩です。天狗岩へ行く途中に天狗岩四等三角点(304.4m)があるので、地形図の方を直すべきなのでしょう。


さらに尾根の整備された道を西に下りましたが、相変わらず岩場は滑り気味でした。233m地点で南は駐車場ですが、北の昭和池に向かいました。少し降りて昭和池に出ると、池の周りに道があります。北の方に歩いて東の谷に出ると堰堤があり、近くに道標があり、池の周囲は昭和池の西周回コースと東周回コース(歩いてきた道)で、東に谷の奥にいくのが炭焼窯跡古道コースでした。ここで古道コースに向かいましたが、ちょっと歩くとマーキングがなくなりました。もう少しよく道を探すべきだったのでしょうが、流れが渡れたので北側に移りました。少し歩くと藪がきつくなってきたので、楽そうな北向きの谷に向かいました。道もマーキングもありませんが、藪山というほどでもありません。途中に炭焼窯の残骸がありました。この谷は奥まで平坦で、最後に少し上がると整備された道がありました。これは昭和池の方から来ているようでしたが、ちょっと東に上ると展望(写真)の良いところがあり、ベンチがありました。ここを東の谷に降りると炭焼窯跡コースへ行くようでしたが、山頂と書かれた方向へ向かいました。よく整備されていますが、山頂に近づくと急斜面の岩場もあって、また滑りそうになりました。東に登って稜線に出て、北に歩けば三草山二等三角点(423.91m)のある山頂です。神社やアンテナもあり、ベンチもある広い山頂です。


下山は稜線を南に降りて、畑コースを降りました。これもよく整備されています。階段が作られていますが、そのほかに旧道と思われる細い道があり、こちらの方が降りやすかったので、もっぱらこっちを歩きました。途中で北に展望があって、新興宗教の巨大な寺院を一望できます(巨大すぎて全景は見えませんが)。最後は口池の前に降りました。寺院の巨大な駐車場にはNot for Climbersと書かれていますが、登山口の脇にも小さな登山者用の駐車場があります。この巨大な寺院に比べると、国宝の朝光寺本堂は質素なものでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「比延」です。



2024年11月25日月曜日

横行渓谷から国境の尾根

 


2021/11/10に、氷ノ山の南東に延びる播磨と但馬の国境(くにざかい)の尾根を歩きました。そのときはヤマメ茶屋から登ったのですが、今回は北の横行渓谷から登りました。横行渓谷の但馬アルペンロード(普通林道横行線)を大屋川沿いに登っていきました。平家が城跡を過ぎると少し道が悪くなりカーブミラーがなくなりますが、少し行った所に2022/11/19に下山してきた木材の集積所があり、ここに車をとめました。少し但馬アルペンロードを歩き、2つ目の谷の北側から登り始めました。ここは非常に急な斜面で、木に掴まって必死で登りました。お勧めはできません。しかし頑張ってちょっと登れば植林で、そこを登れば自然林となりました。地形図ではわかりませんが、いったんちょっと下ってから再び登り続けました。細めの尾根で邪魔な灌木もたまにありますが、全体に歩きやすかったと思います。標高900mを過ぎて本格的に植林となり、昨夜の雪が残っているようになりました。この付近からは緩やかで、1156m地点を過ぎ、少しの雪を踏みながら植林の中を歩きました。そして国境の尾根に出ると少し掘られた道があり、周囲は葉の落ちたコナラなどとなりました。残雪と青空のコントラストが素晴らしく、一足早い冬景色でした(写真)。


とりあえず国境を西に登っていき、氷ノ山林道に出ました。「国境の駅」の道標があります。南が宍粟市、北が養父市です。ここで引き返して国境を下りました。美しい林が続きます。2021/11/10の逆コースです。戸倉殿下コースという神姫バスのスキーの標識があちこちに残っています。林道はあちこち曲がりますが、国境から外れることはありません。しかし国境が東に向かい始めた付近から東では、林道は北斜面に作られています。陽のあたる尾根を歩きたかったのですが、林道がどこに行くのか気になったので陽があたらず寒い林道を歩き続けました。北に降りる林道の分岐があり、いま調べると2つ目が2021/11/10に降りた分岐のようでした。今回は林道を東に歩き続けましたが、1080mピークの北の付近で下りになりました。ここから林道で下山しようと思って下っていくと林道は西に折り返し、分岐があって下りは東に折り返していました。そのまま下っていくと、終点に着きました。2021/11/10にもこの終点に着いてしまって、そのときは引き返しましたが、終点は尾根なので、植林をちょっと降りると、すぐに東から来る林道が折り返していました。この林道を降りていくと最近伐採されたようで、ユンボが何台か止まっていました。この日は作業していなかったのですが、困ったのは林道が泥だらけで、歩くとずぶずぶめり込んでしまうことでした。とても歩けたものではないので無理をして伐採地を降りましたが、そうすると下の林道の法面が高く、降りられません。無理して降りても沼地で歩けません。結局伐採されていない尾根を探して降りることにしました。真っ直ぐ降りると崖なので谷に移りました。林道が折り返していましたが相変わらず泥だらけなので、そのまま谷を降り続けて、但馬アルペンロードに降り立ちました。下山でこんなに苦労するとは思ってもみませんでした。林道で楽に下山しようなどと思ったのが間違いでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「戸倉峠」です。



2024年11月23日土曜日

山崎の蔦沢から横野三角点

 


この三角点には2008/09/07に西の塩田から行きましたが、今回は東の蔦沢から登りました。山崎から伊沢川沿いに県道429号線を北上し、上牧谷の郵便局から西に向かいました。まっすぐに歩いていくと、谷の道になります。県道523号塩田一宮線ですが、害獣避けの扉を通って歩いていくと、「通行不能、理由:巾員減少1.0m」という立て札がありました。ここからしばらくも車の通れそうな道が続きましたが、地形図で実線道が破線道に変わる付近でその道は東に折れ曲がって行きました。谷沿いには荒れた道が残っており、それが県道なのでそのまま登り続けました。そのうちに巾員1.0mどころではなく、道そのものが消えてしまいました。谷を登り続けることは可能でしたが、夏なら蛭の餌食になっていたことでしょう。両側の斜面は急なので、谷しか歩けません。頑張って登り、峠近くでは草をかき分けて登ると、林道が峠を通っていました。これが先程別れた林道と繋がっている可能性はありますが未確認です。峠には乢地蔵(愛称:男前地蔵)が祀られていました。男前かどうかは、よく分かりませんでした(写真)。峠からは西向きに展望があります。


峠からは2008/09/07でも歩いた関電の巡視路を歩きました。最初はよく整備されていますが、途中でよく分からなくなり、とりあえず急斜面を登って自然林の390m+に出ました。そこから尾根伝いに歩き、横野四等三角点(406.07m)に着きました。すぐ北に播磨西線六四鉄塔があります。展望はありません。しばらくは巡視路を歩きました。鞍部をよぎる林道があり、そこから北には急斜面でした。踏み跡を辿って西側を登っていきましたが、結局は岩の多い斜面を木に掴まって登りました。登り切れば平な尾根で、大きな岩の多い490m+ピークに着き、急斜面を東に降りました。ときどき紅葉が見られる自然林の尾根で、473mピークを過ぎ、南寄りに向かいました。大きな障害物もなく、播磨西線六五鉄塔に着きました。かなりの西向き急斜面に立てられています。西向きにちょっと展望がありました。409mピークに登り、東向きの尾根を降りていくと、たまにシダも生えていましたが、邪魔なほどではありません。最後はシダの生えた急斜面になりましたが、岩上神社の鳥居を目指して降りると、害獣避けフェンスに扉があり、県道429号線に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「山崎」「土万」です。



2024年11月12日火曜日

横行渓谷から大段ケ平

 


大屋川の上流である横行渓谷は紅葉の名所として知られています。紅葉の季節になったので、横行渓谷を歩いてみることにしました。とはいえ山にも登りたく、しかし氷ノ山は面白くないので、横行渓谷から大段ケ平に登ることにしました。大屋町栗ノ下から横行に向い、横行渓谷を走りました。普通林道横行線ですが、舗装されており、待避所も多いので山道ですが走りやすい道です。平家ケ城跡の東屋に車をとめて、少し下って滝の前を通り、地形図にもある林道に入りました。この林道は幅が広く、木材の積み出しに使われたものと思われます。最初のうちはバイクなら通れる程度の荒れ方でした。周囲は植林ですが、たまに紅葉も見られました。道に水が溜まっている所があるのが難点でした。地形図で破線道がヘアピンカーブしている所では分岐もありました。ここを地形図通りに歩くと急斜面の下を水平に歩く形になりますが、崩落が多く、道が消えている所もあって、バイクでも通行は難しそうでした。ここをなんとか抜けると道が復活し、地形図通りの分岐があって西に向かうと、北には轟の方から来ている未舗装林道がありました。


このあと道は981mピークの北を廻って行きますが、尾根の上に紅葉があったので尾根に上がりました。これは正解で、紅葉や葉の落ちた美しいコナラなど、幅広い尾根にまばらに木が生えており、最高の山歩きとなりました(写真)。西に尾根を歩くと林道も尾根に上がってきますが、そのまま尾根を歩きました。この付近からは植林が復活しますが、紅葉もありました。林道は地形図にないものもあるようでした。大段三等三角点まで来ると周囲は植林になってきました。この付近は大段ケ平というだけあって平らでした。1094m地点を過ぎると植林が増えてきますが、美しい植林です。幅広い平地でどこでも歩けるので植林の中を歩きましたが、地形図の道もあるようでした。標高が1100mを過ぎると北の方にススキの茂った台地が見えたので登ると駐車場でした。氷ノ山の大段平登山口で、大屋川方面が見下ろせ、氷ノ山を見上げることもできます。しかしススキが生えているのは駐車場周辺だけで、南に降りれば紅葉が見られました。


下山は氷ノ山林道を西に歩き、横行林道を下る予定でしたが、大回りして林道を歩くこともないと思ったので、「山火事注意」の旗の所から尾根を下りました。この付近の紅葉もきれいです。この尾根は急斜面ですが木に掴まる必要があるような所はありませんでした。ただ方向を間違えないように、方角を確認しながら降りました。途中までは紅葉もありましたが、谷に近づくと植林になりました。横行林道にも問題なく降りられて、あとは美しい渓谷と紅葉を眺めながら平家ケ城まで降りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「氷ノ山」です。



2024年11月9日土曜日

道谷から道谷三角点(3度目)

 


毎年秋になると紅葉が見たくなり、道谷から山登りをしています。2017/11/12に見た壊れかけたお堂の周りの紅葉はお堂と一緒にだいぶ整理されてしまいました。今回は2015年に閉校した道谷小学校の裏山から登ってみました。学校の東側から川沿いの道で空き地に出ましたが、そこからはススキの藪を抜けなければなりません。抜けてしまうと、急斜面から植林の尾根に上がりました。あとはひたすら尾根歩きで、何度か急な所もありましたが植林なので木に掴まるようなところもなく、855mピークに上がり、いったん南に降りてから再び登りになりました。この付近からは自然林も増えてきますが、紅葉はありません。しばらく登り続けて稜線に出ました。この付近は西側が引原川で橋がないため、登ってきたことはありません。黄葉した木が南側に増えてきて、950mピークは2012/06/23や2022/09/15に通っており、ここから東はお馴染みの尾根です。南側はところどころ黄葉や紅葉した木があります。文句なしに気持ちの良い尾根です。


道谷四等三角点(926.26m)は夏はシダに覆われていましたが、今回はほぼ枯れていました。ここを過ぎると鹿伏方面の谷が見渡せるようになりますが、紅葉はまだです。少し登りがあって、1012mピークに出ました。2020/11/03はここから北に降りましたが、今回は2017/11/12同様にさらに南に稜線を歩きました。ここも文句なく歩きやすく、992mピークを過ぎて少し登り、1050m+ピークに出ました。この付近の紅葉はきれいでした。ここで2017/11/12同様に東の尾根に向かいました。標高が1000mを切る付近から南側が伐採地になりました。ここから金属プレートの阿舎利四等三角点(982.51m)までは伐採地の上の尾根を歩きました。南の展望が開けますが、紅葉にはまだ少し早いようでした(写真)。三方町方面までチラッと見えます。阿舎利三角点からは北の尾根を降りました。ここも藪はありません。989m地点を過ぎ、少し急なところはあるにしても歩いやすい尾根です。最後は林道の法面ですが、作業道の名残があって、なんとか降りられました。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「戸倉峠」です。



2024年10月26日土曜日

弓月神社から八上城跡

 


丹波篠山の八上城跡には2016/07/16に登りました。その時は八上の春日神社から登ったので、今回は東の端の弓月神社から登りました。神社の奥に害獣避けのフェンスの扉があり、それを抜けてまっすぐ登ると切通しへ道がありました。これで簡単に尾根に上がれたので、あとは尾根道を歩きました。よく整備されていて、勾配も緩いので軽快に歩けました。尾根沿いに「芥丸跡」「伝 馬駆場」「伝 茶屋の壇」「はりつけ松跡(明智光秀の母親が処刑されたと言われる松の跡)」「伝 池東番所」「伝 蔵屋敷」のあと、長い階段を登って八上城跡本丸跡に着きました。高城山の山頂はさすがに眺めが良く、二の丸跡、岡田丸跡などの平坦地からも遠方が望めます。南側にも平坦地があります。


前回は南に登山道を歩きましたが、今回は南斜面を降りてみました。南には尾根がありますが、ちょっと藪っぽい斜面を降りていくと人工的に段差が作られており(写真)、山城の後ろの守りの雰囲気が味わえました。急斜面と平坦地が交互に現れたあと、西側に道がありました。歩きやすい道だったのでこれを歩くことにしました。予定では前回同様に南の尾根の348mピークを目指すはずだったのですが、歩きやすい道だったので歩き続けると、東に向いて400m+ピークを越し、ややこしく曲がった尾根を踏破していきました。倒木もありましたが、藪を歩かなくて済むので助かりました。最後は北向きの尾根に曲がり、下っていくとフェンスがあり、扉に辿り着いて抜けると林道でした。ほぼ遊歩道でした。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「福住」です。



2024年10月21日月曜日

筱見四十八滝

 


丹波篠山の北にある有名な滝です。入口に「このコースはかなり急な岩場がありますので、装備を整えて登山して下さい。」と書いてありますが、じっさいにどのような装備をすれば良いのかが書いてありません。登り始めると、まず濡れた岩の上を歩くのでヘルメットがほしくなりました。さらにロープはあちこちにあるものの、足元が悪い所も多く、鎖を伝って岩を登る所もあります。半端じゃないという感じで、一人で登るのは危険です。それでも我慢して登り、シャレ滝を過ぎて、登山道の標識に従ったつもりで滑りやすい枯葉の急斜面を登ると、着いた所は岩場でした。ここには登山道の標識が無いので道を間違えたのでしょうが、引き返すのも大変なので尖った岩に上がりました。ここからは登山道ではなく、岩の上を這いつくばって歩きました(写真)。切り立った岩でどちら側を見ても落ちたら大変な高さでした。大岩の上の細い場所を木を避けながら歩きましたが、キレットのように岩が切れていたらおしまいでした。運良く切れ目はなく、非常に危険ではありましたが登っていくことができました。景観はありました。登っていくと少しずつ傾斜が緩やかになりましたが、それでもなかなか岩がなくなりません。普通の山らしくなったのは635mピークに着いてからでした。ここは2020/04/29に東の八ヶ尾山から来ており、その時は北からここまで来て引き返したのですが、引き返したのは正解でした。


北に藪っぽい尾根を歩き、627mのサルガイチ山を過ぎて600m+まで行き、西に広い尾根を歩きました。最初の鞍部には地形図では南から破線道が来ていますが、道は見当たらないのでそのまま西に登り、616mピークから南に下りました。広い尾根を下って鞍部に降りてもはっきりした道は見当たりませんでしたが、すぐに登山道の道標がありました。東は「滝めぐり~下山コース」でしたが、鎖場を降りるのは危険すぎるので「周回(下山コース)」へ向かいました。地形図には無い道を歩き、次の分岐が地形図の破線道の分岐ですが、東向きが「通行困難」となっていました。あとは周回コースの登山道で下山しました。この道は歩きにくいのですが標準的な登山道でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★ 藪山度というより危険度

地形図は「村雲」です。



2024年10月20日日曜日

佐用の高倉山と仁位山城跡

 


佐用町の高倉山には2008/9/20に東の千種川沿いの中島から登りました。最初に笹薮につっこんでひどい目にあったので、今回は反対側の佐用川沿いの山脇から登りました。慈山寺の付近から山に入る道があり、高倉山の道標があります。これを登っていくと、道の脇に高倉山の道標があり、ここから植林に入りました。斜面に道がありますが、かなり崩れています。しかも下を見るとため池です。この道はさらに先の斜面に続いているのかも知れませんが、歩きにくいので急斜面の植林を登りました。作業道があって楽に登れて尾根に上がれました。ここからはまっすぐの登りで、290m+に着きました。南に向かう尾根は植林も自然林も歩きやすく、ときどきは道もある稜線でした。しばらく歩くと道標があり、歩いて来た方向は「中島駐車場1300m」向かっている方向は「高倉山山頂200m」北は「山脇高倉神社1500m」でした。道はその先のピークを巻くようになっているのですが、ピークに登ると東向きに高倉山への道標がありました。方向が逆だと思ったのですが、後でわかったのは、こちらは高倉山古城跡だそうです。関電の巡視路に使われているような黒のプラ階段で深い堀切を渡ると、見渡しの良い場所に出ました。ベンチがあって、確かにこちらの方が山頂の雰囲気です。写真は千種川方面です。ただ、上月城を攻めるには逆向きです。西に取って返すと高倉山陣城跡山頂への道標があり、少し南側を巻いて登ると高倉山山頂に着きました。こちらは広い平坦地ですが木に隠れて展望がありません。


山頂には見土路への道標がありました。山頂付近は植林されていますが人工的な平坦地が広がっており、少し迷ってから西に植林を下りました。堀切や土塁のようなもののある尾根を少し歩いて、宮ノ下三等三角点(298.7m)に着きました。自然林の中です。さらに西に稜線を歩くと、南向きに飯野山城跡への分岐がありました。2008/9/20には南の方に行きましたが、今回は西に見土路方面へ向かいました。地形図ではすぐ南に土砂崩れの跡のような地形があるので見に行きましたが、斜面はコンクリートでしっかりと固められていました。稜線に戻って西に歩きました。ほぼ自然林の細い尾根ですが、道がありました。そして少し登るとJ-PHONE JPK上月局がありました。ここには太い道は来ておらず、小道を歩いて行くと南の道路から林道があって植林の切り出しをしていました。道路には降りずにに林道を登り、そのまま山の上に上がりました。上がると高倉山城と書いた標識がありましたが、これは道標ではなく、高倉山城が見えるということのようでした。この山は仁位山城の跡で、道から見えるところにのぼりも立てられていました。平坦な山頂がありますが、どこが城だったかよくわかりません。西に行って道路の終点に出ると上月町行政無線仁位中継所のアンテナがあり、ここに城跡の案内板がありました。要するに歩いてきたところはずっと城趾だったようです。そのまま西に行くと展望台で、上月城を攻めるにはうってつけの場所でした。ここにはベンチもあり、仁位四等三角点(232.88m)がありました。下山は北の尾根に向かいましたが、こちらも城の一部で堀切があります。少し藪っぽいのですが木が切ってあり、道がありました。道は途中で南向きに降りて行くようでしたが、そのまま尾根に沿って行きました。北側は急斜面の植林になったので南寄りに尾根を降りましたが笹薮でした。しかも降りていくと金網のフェンスがあり、扉を探してフェンスに沿って笹薮を歩く羽目になりました。運良く扉が見つかり、眼の前の墓地に飛び降りて、佐用川沿いの道路に降りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」です。



2024年10月6日日曜日

東から登る宍粟市の深山

 


宍粟市の深山には2010/09/04に西から、2011/08/27に北から登っていますが、今回は東から登りました。国道29号線の小野から県道546号線に入りました。この県道は上ノ波賀線となっていますが、上ノまでは通じていません。途中の黒尾山登山口のところから南に林道を歩きました。登山口の標識にはルートなどのQRコードが印刷されていますが、DOCOMOは圏外でした。この林道は2011/08/27に下山に使ったものです。少し登って尾根の東に回った付近から植林を登りました。急斜面に作業道があり、これを登って尾根に上がりました。すぐに尾根の東寄りにネットが張られていました。航空写真で見るとこの尾根の東側斜面は伐採されているようです。ネット沿いに尾根を登りましたが、灌木の藪がところどころにあり、棘のある枝も多いので疲れました。ネットも藪も無くなったのは、標高700m近くに達してからでした。ここからは歩きやすくなりましたが、標高830m付近は地形図からは予想できない急峻な岩場がありました。それを過ぎると916mの南深山まで一気でした。山頂には赤く塗られた標石があり、番号は四四です(写真)。登山中にも見かけましたが丁石というわけではないようで、このあと歩いた尾根でも見かけました。


南深山から深山へは主に植林で、軽快に歩けました。この付近は栗の木が多いようですが、落ちている実はことごとく食べられていました。途中の鞍部には岩上神社への下山道の道標があり、2010/09/04に歩いた林道を指すのかも知れません。深山の山頂は宍粟50名山の杭と深山三等三角点(907.76m)があります。北東向きに展望を木が覆い隠していました。


下山は尾根を北に向かい、東寄りの尾根を降りました。県道546号線の別荘地帯に降りる尾根を目指したのですが、問題は一続きの尾根では降りられないことでした。木の間隔が割と広かったので、GPSを頼りに降りていきましたが、尾根っぽい場所を降りると岩場の上に出ることが多く、急斜面を木に掴まって下って谷を降りていきました。これは正解だったと思いますが、地形図からは予想外の深く険しい谷に出てしまい、西側の尾根に登りました。結果としてこれが目指す尾根だから良かったのですが、地形的に特徴のない急斜面を降りるのは危険です。目指す尾根に乗ってからも岩場がありましたが、大きな問題はなく、最後は尾根を端まで歩いて県道546号線の「災害に強い森づくり」の説明板のところに降りてきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「安積」です。



2024年9月23日月曜日

西粟倉村の塩谷三角点

 


なんとなく短距離のコースを歩いてみました。西粟倉村の塩谷川沿いの塩谷集落の西の端の山裾に墓地があります。ここから山に入りました。ササが茂っていますがすぐに植林になります。ササも徐々になくなり、自然林になっても障害物はありません。林道が東西に尾根を横切っていき、その上で標高600m付近に上がると北の斜面は伐採されています。ネットに沿って登っていき、標高650m付近でネットと分かれて尾根を登ると塩谷四等三角点(705.95m)に着きました。標石はアセビに隠れており、上にのっていた土をはらってやっと確認できました(写真)。


塩谷三角点からは北に斜面を降りて、やや急な斜面を登りました。この付近は2017/07/22に苦労して登ってきた所です。時々急斜面がありますが、作業道があって木に掴まらなくても登れました。鯨岩のような大きな岩が転がっている所もありました。しかし大きな障害物はなく、892mピークを過ぎるとかなり平坦になりました。最後は道が左右に横切っており、これを登って県境の稜線に出ました。稜線を東に向かいました。2017/07/17の逆コースです。その時は今回も見かけた南側の道を使って登りましたが、下りは少し北側に降りればアセビの藪をかなり避けられました。とは言え850m-の鞍部付近は藪です。そこを東に抜ければ気持ちの良い尾根になり、890m付近から下山を開始しました。


尾根の分岐がありますが、だいたいは一番降りやすそうな方向に歩けば降りていけました。障害物はありませんが、819m地点を過ぎた先は岩場の細尾根でした。その下の標高700m付近は開けた植林で、さらに下ると自然林の木の間隔が狭くなってきました。しかし標高610m付近で尾根が東西に分かれる所で、眼の前に植林が広がりました。林道があるのでどちらでも降りられそうでしたが、東側の尾根を選びました。すぐに林道が尾根を横切っていましたがそのまま降りると、右からと左からと2回林道の終点がありました。それも無視して降り続けると、無事に坂根の方から来ている林道に降りられました。出発点の墓地まではすぐでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「坂根」です。



2024年9月21日土曜日

音水湖から阿舎利山(3回目)

 


3回目というのは、音水湖から阿舎利山には2021/05/14にカラウコ橋の北側から、2021/08/31に日ノ原山経由で登っているからです。今回は町道カラウコ林道線の奥から谷に入りました。ここから地形図の破線道沿いに登っていくつもりだったのですが、東の谷の奥はよく見えず、南向きの谷は歩けそうだったので、南に登り始めました。この付近は荒れていて、道だったと思われるところも山椒が生えていて歩きやすいとは言えません。少し登ると西側の植林に谷沿いの作業道があり、これを登りました。この付近で驚いたのは岩が赤いことで、雨で濡れていることもありますが、相当に鉄を含んだ石なのでしょう(写真)。植林なので谷を登り続けられて、そのうちに上の方に林道が見えました。間伐材を避けて登って林道に出ました。どちらに行ったら良いのかはわかりませんが、東の方向に歩くことにしました。少しずつ登っていく林道でしたが、行き先が分からないので、尾根の先を回る所で尾根を上がっていく道を選択して、ジグザグに尾根を登っていきました。しばらく登ると林道が消えかかったので、低いシダの生えた植林の斜面を登り、稜線に出ました。


ここからは2021/08/31と同じコースです。いったん710m+の鞍部に降りると波賀町有林の標識が倒れており、この先は南のマンガ谷の方向に林道がたくさんありました。稜線上はたまにアセビが茂っていますが、気持ちの良い場所もあります。距離があるとは言え標高差350mを登るので、やや急な斜面も何箇所かありました。南側に見えていた林道は標高950m付近まで続いていました。最後に広い植林の斜面を登って、阿舎利山(1087m)に着きました。引原山三等三角点(1087.36m) があります。静かな森です。


下山は登ってきた方向に引き返して、2021/05/14に登ってきたルートにしました。標高960m付近まで降りると北側下方に林道が見えたので、植林の斜面を降りて、あとは林道を歩きました。あちこち崩壊の進んでいる林道ですが、方向を間違えることもなく下山することができました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「音水湖」です。



2024年9月16日月曜日

一宮神社から登る朝来市の西山三角点

 


播但連絡道の朝来ICの西にある西山三角点には2012/09/15に南の田路側から登りましたが、今回は尾根の東端にある一宮神社から登りました。とは言え、神社の背後は藪なので、北に少し行くと墓地があり、そこから登りました。害獣避けの扉を開けて植林に入りました。植林が終わると藪もありますが、作業道を探して登ると問題なく尾根に上がれました。播但連絡道のトンネルの上を過ぎて398mピークの手前には共同アンテナの残骸がありました。この尾根からは竹田城跡が望めます。440m+ピークの先の鞍部は南側の植林にフェンスがありました。この西の尾根にもかなり壊れたネットが張られていました。地形図で見るよりは急勾配の坂が多い印象でしたが、残暑が厳しかったせいかも知れません。全体には下草がなく歩きやすい尾根です。590m+ピーク付近の南側は平坦な植林でした。西山三等三角点(666.97m)は切り開きのシダ藪に埋もれていました(写真)。


三角点から西はちょっと倒木があり、共同アンテナの残骸がありました。520m+ピークに登ると岩場があり、巻けないので岩の上を歩きましたが、ちょっとスリルがありました。2つ目の岩場を過ぎると植林で、そのまま575mピークへの急斜面になりました。作業道を探して登りましたが、滑る所も多く、両手で岩を掴んで登りました。登り切ると紅白のポールが倒れていました。国土調査の黄色いプラスチックの杭がありました。


下山は575mピークから北に植林を降り、東寄りの尾根を下りました。滑りやすい急斜面も多く、木がまばらなので気をつけないと転びます。標高が500mを切ると藪があって、抜けると共同アンテナがありました。この先も障害物はありませんが、藪が時々あります。たいした藪ではないのですが、蜘蛛の巣が邪魔でした。最後は神子畑川にまっすぐ降りていきましたが、フェンスがあって降りられないので山裾を東に歩くと川があり、その脇に道がありました。これには扉があったので、無事に外に出られました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「但馬新井」です。



2024年9月8日日曜日

神河町のサカノウシロ三角点

 

この面白い名前の三角点は、砥峰高原に行く途中の川上の近くにあります。2024/07/25に行った同名の三角点の西です。川上から県道39号線を砥峰高原方面に走って、「ナガソウ」の道標から登り始めました。2024/07/25にこの付近を歩いた時に、林三角点の西でナガソウへの西向きの道標を見ましたが、この道は地形図では破線道として描かれています。今回はこの破線道で登ろうと思って林道を歩き始めました。最初に堰堤がたくさんある谷がありますが、これを過ぎるともう一つ、堰堤が5つある谷があります。地形図の破線道はこの谷に登るようになっており、実際に分岐点では確かに舗装道路がありましたが、すぐに最初の堰堤の下で終わっていました。これら5つの堰堤を作る段階で古くからのナガソウへの道が消されてしまったことは十分に考えられます。しかしだからと言って林道を延々と歩いて登る気にもならなかったので、この谷の西側の尾根を登ることにしました。幸いに作業道のような踏み跡があり、簡単に尾根に上がれました。最初は植林で、登っていく作業道がありました。この作業道は周囲が自然林になっても続いていました。ところどころ流されて消えていましたが、それでも消滅することはなく、稜線の手前では植林の作業道になり、結局稜線までずっと続いていました。2011/04/17に砥峰に向かって歩いた植林の稜線です。歩きやすい尾根を歩き、シダの生えた植林の900m-鞍部を通って斜面を登ってまで行き、北に下っていって金属プレートのサカノウシロ四等三角点(928.97m)に着きました(写真)。そのまま北に福知川まで降りられそうな感じでした。


下山はいろいろ検討しましたが、南の970m+ピークから東向きの尾根で出発点に戻ることにしました。この尾根は植林が多く、予想外に降りやすい尾根でした。植林が多く、下草もありません。地形図で見ると標高800m付近が一番急斜面ですが、ここも木に掴まらなくても降りられる程度の勾配でした。最後は植林で、県道39号線まで植林なので楽に県道に降りられました。大正解の下山でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。



2024年9月6日金曜日

田路から段ヶ峰ふたたび

 


2023/06/03に田路から段ヶ峰に登った時に、別ルートもありそうだと思ったので、今回は別ルートで登ってみました。前回と同じように田路から田路川の谷沿いの道を歩きました。前回は壊れかけたお堂のところから折り返して林道に行きましたが、今回はさらに谷沿いを歩きました。482m地点を過ぎて地形図で実線道が折り返している所では、折り返して林道を歩きました。特に歩きにくい所はありません。この林道はさらに南に行く道と西側の斜面を登っていく道に分かれます。南に行くと地形図では終点に建物がひとつあって面白そうではあるのですが、そこまで行くと周囲の斜面を登るのは大変そうなので、北側斜面の林道を歩きました。目的は正面の尾根に上がることだったのですが、この北側の道は地形図とは異なり西向きの谷の北に作られています。谷の南側に見える斜面はとても登れそうなものではないので、一旦戻って谷を渡り、「くらしを支える森づくり」の看板の背後の斜面を登りました。非常に急な斜面で木や根っこに掴まらないと登れませんが、なんとなく作業道らしきものがあります。じっさい杭もあって、作業道なのかも知れません。少し頑張って登ると植林に出ました。まだまだ急斜面ですが、ずっと歩きやすくなりました。時々灌木もありますが、大問題ではありません。急斜面と平らな所が交互にあって、標高950mくらいになると大きな岩が増えてきて、それを過ぎるときれいな森になって、市境の稜線に出ました。


ここからは整備された登山道で天上庭園を歩きました。アセビが増えてきて、アセビの庭園になりつつあります。北の展望のある所もあって、良い雰囲気です。天上庭園が終わると杉山の方に行きますが、杉山には行かずに東に斜面を降りました。この付近はマーキングが不足気味で迷いました。とりあえず1000m-の鞍部まで下りて、また登って段ヶ峰に向かいました。結局段ヶ峰二等三角点(1103.43m)まで行って、北に登山道を引き返しました。フトウガ峰の方に歩き、途中で北の尾根に向かいました。これは2020/10/11と同じルートなのですが、藪っぽい尾根です。マーキングを見つけてそれに従って歩きましたが、1064m地点の藪を南に巻いたあと、地籍図根三角点(写真)の付近でマーキングがなくなりました。2020/10/11の記述によると登山道は東に降りていっているようなのですが、ここから北の尾根は灌木の藪です。前回同様に強い灌木の枝を無理やり押して歩きましたが、どう考えても賢い歩き方ではありません。地形図では西側が植林なので、こちらを通ったら楽だったかも知れません。今回もなんとか通り抜けて植林に出ました。そのまま降りても良かったのですが、北のトンガリ山に通じている尾根は西の端なので、そちらに行きましたが、植林も荒れていますし尾根も藪だらけでした。栃原川の突き当りの950m+鞍部を通るとマーキングがあって、トンガリ山(生野槍)まで急斜面を登りました。辻ケ淵三等三角点(981.43m)があり展望もあります。


下山は2013/06/22の逆コースです。最初は2023/04/24にも登ってきたシャクナゲの生えている岩場で、登りよりも下りのほうが危険です。この先では細い尾根でも道のある所もあって、これは助かりました。2013/06/22に登ってきた時にはあまり気にならなかったのですが、岩を巻いて降りなければならない場所もあり、もちろん藪もありました。720m+から北に尾根を曲がり、少し楽になった尾根を歩いてから、尾根の西斜面を降りて田路に向かう尾根に乗ろうとしました。地形図で見ても難しそうだなと思ったのですが、じっさい掴まる木も少なく、斜面を滑り降りました。この537m地点を通る尾根は歩きやすいのですが、標高500m付近で尾根が分かれている所で両方の尾根にネットがありました。西寄りのネットに沿って降りて地形図の林道を目指したのですが、降りていくと山椒の藪になりました。山椒を避けて急斜面の藪を降りましたが、林道が見つかりません。道っぽい平らな所はありましたが藪になっていました。見ると西の方は植林なので、そちらに逃げ込んで植林の急斜面を降りました。西垣家先祖の石碑に降りてきました。


全行程7時間近く、気持ちの良い稜線歩きもありますが、藪も多いのでお勧めできるルートではありません。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「神子畑」です。



2024年8月24日土曜日

お滝さん経由で登る大甲山

 


2024/08/15に大甲山に登ったときにお滝さん経由の登山道が気になったので、もう一度行ってみました。齋木から行者道の丁石のある道を登り、見つからなかった齋木三角点の手前で今回は未舗装の林道に入ってみました。この林道はいきなりフェンスで通れなくなっていましたが、人が通れる扉がありました。ところがこの扉が開けられず、無理やり体を押し込んで通り抜けました。林道をフェンスで遮断しているのは初めて見ましたが、すぐに川を渡るところで橋が無いので、いずれにしても車は通れません。この林道は山の斜面をジグザグに登り水平区間も多いので、前回歩いた舗装道路に比べるとかなり大回りになりました。たくさん歩いて前地カンカケ林道に出ました。舗装道路と同じく迎え行者の所です。


お滝さんの登山口の方向に矢印はあるものの、特にマーキングもないので方向がわかりません。滝というからには谷だろうと思って谷を登りました。これは2011/07/31に降りてきた谷です。その頃に比べると倒木は片付いているようですが、登山道はよくわかりません。丁石はめったに見つかりません。しかし谷沿いになんとか歩けて、谷を東に渡ると滝がありました。滝といっても岩の斜面を水が流れているだけですが、これが2011/07/31に写真を撮った滝のようです。道はさらに続きまた西側に移り(両側に道がある所もあるようでした)、上流にももっと滝らしい滝がありました。これがお滝さんのような気がしますが、説明板がないので行者の水がどこだかわかりません。この谷はもっと遡れそうでしたし、そのまま稜線まで登ろうかとも思ったのですが、「お滝さんコース」の道標があったので植林の斜面をほぼ水平に西に歩きました。尾根の先を回っていきますが、途中に丁石があるので2011/07/31に逆に歩いた道です。植林は徐々に鉄穴流しの跡のようになり、二十四丁の丁石のあと、ススキの生えた伐採地に出ました。これを横切ると林道があって行者堂に行けるだろうと思ったのですが(これは帰りに確認できました)、行者堂は下山で行くことにしていたので、ここから尾根を登りました。山頂までまだ標高差400mあります。かなり急な斜面で、木に掴まらずにやっと登れるくらいでした。744mで一休みし、さらに斜面を登り続けて標高850mを超すと大甲山への道標がありました。ここからは登山コースですが、登山道を登るのは初めてでした。マーキングが多く、標高900m付近からは植林の斜面をジグザグに登っていきます。たまにマーキングが視野になくて迷いそうになりましたが、たいていは木の陰に隠れていただけで、気をつけて探すと道がみつかりました。自然林になって「大甲山頂上まで300m」という表示があると、標高差ももう80mほどでした。山頂には斉木三等三角点(1035.37m)があり、晴れて南に展望がありましたが、暑いので日陰に入って休みました。


下山は登山道を戻りました。下山でもマーキングを見失いそうになった所がありましたが、問題なく降りられました。まっすぐに降りていき、2024/08/15とは違って2011/07/31と同じように行者岩の方に行きました。行者岩は「聖地につき立入禁止」だそうでトラロープが張ってありましたが、登ると危険だからだと思います(写真)。行者岩からはロープ沿いに降りましたが、2011/07/31にあった木の階段は残っていません。降りると行者堂がありましたが、2015年に整備されたようでかなり綺麗になっていました。迎え行者が設置されたのもこの時でしょう。ここからは林道で下山しましたが、途中に登りで見た伐採地の反対側に2011/07/31に見た行者の水への道標がありました。林道ができる前はお滝さんコースが一般的な参道だったのでしょう。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」「音水湖」です。



2024年8月20日火曜日

宮野から登った寺前の深谷三角点

 


寺前の北にある深谷三角点へは、2009/05/01に東から、2013/04/14に北から行っていますが、今回は西から登りました。神河町宮野の、県道8号線の小田原川の南東に切り立った崖があります(写真)。これは立岩嶽だそうです[1]。川沿いに近づくと親柱があって、かつてはここに橋がかかっていたようです。そのまま川沿いに崖に近づいても丈夫なネットがあるだけなので、少し戻ってネットの扉を探し出して入りました。しかし急斜面の下はひどい藪で、しかも山椒が香ってきます。急斜面を登るのはやめて、少し川の方に行ってから折り返すと道のような踏み跡があり、付近の家の屋根が見えるあたりからピンクのマーキングがありました。しかし明確な道があるわけではなく、すぐに木や岩に掴まって急斜面を登ることになりました。ここを登り切ると崖の上ですが、木が生えているので小田原川を見下ろせるわけではありません。崖の上を歩いていると、川の方の急斜面にロープが張ってあるところがありましたが、降りられるのでしょうか?


崖の上からは緩やかな尾根歩きですが、やや急な斜面を登ると平らな植林に出ました。ここから東に少し登ると松の幼木の間に上岩四等三角点(395.59m)がありました。三角点の周囲だけが藪で、他は藪と言うほどではない尾根です。また少し登って390m+の尾根に上がり東に歩くと、北側が植林なので尾根にも北側に作業道がありました。そして標高400mまで来ると共同アンテナの残骸がありました。この先で一瞬だけ南に展望があり、標高450m付近からは斜面にネットが張られていました。北側がネットの内側で植林ですが、ネットの内側は鹿の食害が少なくて藪っぽいので、なるべくネットの南側を登りました。ネットが倒れているところもたくさんあります。標高500mの稜線に出てからはネットに沿って北に歩きました。これは2009/05/01の逆コースです。500m地点を過ぎて下ると鞍部には切通しのような溝がありましたが、西側の急斜面には道はなく、東側も道は未確認です。ネットのせいもあってあまり歩きやすい尾根ではありませんが、稜線にこだわらなければ西側の植林の作業道を歩くのが楽でした。北に歩くとネットは一時消えましたが、また復活して、その東側を歩いて尾根に上がり、深谷三等三角点(543.81m)に着きました。周囲は藪です。


深谷三角点からは西に稜線を歩きましたが、植林で歩きやすい尾根でした。少し灌木の間隔が狭くなってきて、571m地点の手前で西向きの尾根に曲がって下山を始めました。すこし降りると関電の巡視路があって、非常に歩きやすくなりました。巡視路は途中で北の鉄塔に向かってしまいましたが、尾根は歩きやすく、踏み跡がもあるようで、どんどん下っていきました。しかしこれが間違いで、踏み跡がなくなったと思った時には計画していた長い尾根よりは北にある西向きの尾根を降りていました。戻るのは大変そうだったのでどうしようかと考えていると、北の植林に降りていく作業道があったのでこれを降りました。この道はすぐに見失ってしまい、あとは急勾配の植林を降りました。枝打ちされた枝や間伐材の間に岩も多く、木に掴まって降りるのも大変でしたが、幸いなことに下まで降りると害獣避けのフェンスに扉があり、それを出るといきなり県道8号線でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「寺前」「長谷」です。



2024年8月18日日曜日

登山道で登った生栖の行者山

 


2024/7/27に福知からユリ三角点に行った下山中に、行者山への道標を見かけました。それで行者山には北側の登山道で登ったことがなかったことに気がついて、登ってみることにしました。生栖には登山道の案内板があるので、それに従って歩きましたが、最初は2024/7/27の逆コースです。橋を渡って登山口から扉を開けて林道に入りました。林道沿いにある石仏は案内板によれば大日如来像です。さらにかなり急な林道を登って行くと、2024/7/27の下山で出てきた地点の行者山への道標まで来ました。道標通りに登るとすぐに林道は終わり、植林の急斜面に行者山への道標がありました。ここからは植林のジグザグの作業道を登りましたが、登山道として整備されているため、危険な場所はありません。ピンクテープのマーキングが多く、谷で道がわからなくなっても、見渡せば必ず視界にマーキングがあるので助かりました。途中には大きな岩もあって、これは登山道がなければ登ってみようとは思わない急な植林です。谷を渡りながら植林を登っていくと、最後は尾根をまっすぐ登るようになっていました。ここは標高差100mほどもあり、途中の岩で少し休みましたが、登り切ると稜線に出て、登ってきたのは「林道へ下山(尾根コース)」となっていました。ここからはユルユルと登って行者山の山頂に着きました。揖保川の上流方面の展望がありました(写真)が、赤い石の他には座れるところもありません。生栖三等三角点(787.15m)と宍粟50名山の標識は、山頂から少し西に下ったところにありました。


下山は南側の登山道にしましたが、三角点の西は大岩があって非常に急でした。ロープがあって助かりました。降りて西のピークの方に行く途中に行者山への道標があります。行者堂と言っても小屋には鍋や飯盒があって宿泊の場所に見えますが、この場所では水を入手するのが大変そうです。上方の大岩にある行者像は今回も見落としました。ここからは登ってきた時と同様に登山道は急斜面の植林をジグザグに降りるようになっています。長く続きますしマーキングもありませんが、見失うことはない道でした。斜面で道が流れかけた場所でも真っすぐ歩けば続きがありました。最後は林道に出ましたが、そのまま道標の通りに歩くとすぐに終わりになりました。しかしここにも道標があって、植林を少し降りて林道の終点に出ました。この先は普通の山歩きではまっすぐに植林の斜面を降りるところですが、今回は登山道を歩くのが目的なので林道を歩きましたが、すぐにシダの斜面を降りる道に道標がありました。ここはシダが伸び過ぎて踏み跡を見失い、林道に降りてから正しい地点を探しました。すると林道の反対側にまた林の中を降りる道があり、これを降りると地形図にもある林道に出ました。下山の道標の方向に歩くと、両側に石の積まれた(単に置かれただけ?)少し掘られた道が続き(地形図の破線道です)、小屋とお堂のある登山口に出てきました。あとは道路を降りました。この下山は道標に助けられましたが、下山では植林をまっすぐ降りても良かったような気がします。林道は地形図にはないので、辿るとどこへ行くか分かったものではありません。それにしても行者山という名前に遜色のない、どちらから登っても急斜面の山です。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2024年8月17日土曜日

戸倉峠駐車場から赤谷山

 


兵庫県と鳥取県の県境に位置する赤谷山には何度も登っていますが、手軽に登れそうなルートで登ってみました。登り始めたのは新戸倉トンネルの手前にある国道29号線沿いの駐車場から少し下った谷の所で、谷の奥へ道もありそうでしたが、いきなり尾根を登り始めました。最初は急勾配の自然林、それから相変わらず急勾配の植林、少し楽になって889mピークは植林でした。この先は勾配も緩く、障害物のない尾根登りで、自然林も多く、木の間隔の広いところも多くて、自然を満喫できます。標高が高いので暑さでバテることもありません。気持ちよく登っていき、標高1020m+の細尾根では南側の谷に水が流れていました。そして標高1050mを超えた付近から急にチシマザサが生え始めました。最初はパラパラだったのですが、すぐに両手でササをかき分けて登っている自分に気が付きました。この付近からは再び急勾配ですがチシマザサが茂っており、それよりも邪魔なのは倒れた灌木で、避けられずに持ち上げて投げたりしながら登りました。なんとなく踏み跡というか獣道もあるようで、それを探して登りました。悪戦苦闘の末、1190m+で県境の稜線に出ました。戸倉峠と赤谷山への道標がある場所です。ここから赤谷山はチシマザサの回廊を抜けてすぐでした。落折二等三角点(1216.57m)があります。天候は良かったのですが、眼下に雲が動いていくのが見えました。


下山は県境を北に戸倉峠の方向に戻りました。登ってきた1190m+ピークを過ぎて、1143mピークまで行き、東にチシマザサの急斜面を降りました。ここも登ってきたチシマザサの藪と同様で、ササをかき分けるだけでなく倒れている灌木の枝を避けながら下っていきました。特にチシマザサの茎は地面に倒れているのを踏むと滑るので、何度か転びました。しかしここでも標高1090mを切った付近で尾根になると突然チシマザサは消えて、太いブナなどの自然林になり、楽に歩けるようになりました(写真)。こちらの尾根は登ってきた尾根よりも自然林が多い感じで、幅の広い気持ちの良い尾根が続きました。何の特徴もありませんが、山歩きとしては文句ありません。間違った方向に降りないように気をつけて気分良く下っていきましたが、地形図でもわかるように最後は急斜面です。どちらに降りたら楽なのかわからなかったので、とりあず尾根をまっすぐに降りましたが、木に掴まらないと降りられない急勾配でした。少し勾配が楽になると作業道が横切っていたので北に辿ってみましたが、結局は国道29号線に向かって降りて行きました。少し草叢がありましたが、抜けると駐車場にでました。ただ、駐車場の手前に草叢に隠れて溝がありました。要注意です。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「戸倉峠」です。



2024年8月15日木曜日

波賀町齋木から大甲山

 


波賀町の大甲山は何度も登っていますが、今回は一番近くの齋木から登りました。出発点は国道429号線沿いで、「大甲山行者山登山口」という表示のある安養寺の付近から北に登りました。日差しが強く暑いのですが、途中で植林に入ると突然雰囲気が変わって涼しくなりました。この変化は劇的です。この林道は北山線というらしく、途中には行者道の丁石があります。丁石は約109mごとにあるはずですが、新しげな丁石の割にはかなりが見つかりません。それに1丁から始まって、あと何丁で着くのかがわからないので、あまり役には立ちません(じっさいには行者堂は30丁です)。途中にあるはずの齋木三角点は墓の下でしょうか?見つけられませんでした。


害獣避けの扉を通って登っていくと、前地カンカケ林道に出ました。この付近はやや古い感じで未舗装で幅も狭めです。登り着いたところには「迎え行者」がありました(写真)。まっすぐ登ると「お滝さん登山口」、左にカンカケ林道を行くと「大甲山 行者山 登山口」ですが、ここからカンカケ林道を右に行きました。2023/11/26に通らなかったルートを通るためで、559mピークの北の付近に行って、荒れた植林を登りました。鉄穴流しの跡で複雑な地形のところに倒木があって、右往左往しながら登っていきました。鉄穴流しの跡の急斜面を登り、岩の多い付近を通って尾根に上がると楽になりましたが、アセビが増えてきました。しかし全体的には植林が多く、急なところが多いとは言え登りやすい尾根でした。最後に一踏ん張りして、871m地点で稜線に出ました。ここは2011/10/16と2023/11/11にも下山で通った尾根です。長い稜線は気持ちよく歩けましたが、最後の長い植林の坂はちょっと疲れました。登り切ると大甲山の山頂です。斉木三等三角点(1035.37m)があり、少し霞んでいましたが南に展望がありました。


下山は南に尾根を降りました。これは登山道らしいのですが、あまり標識がありません。この尾根は2015/08/15に降りているのですが、今回はマーキングが減っているような気がしました。標高950mあたりから下は急斜面の植林で、適当に歩いていると登山道の矢印があって、ここからは登山道で降りました。この付近からは標識も増えて、2011/07/31に通った行者登山口への道標がありました。さらに自然林を下っていくと、鉄穴流しの跡の植林になりました。ここは歩きにくいのですが、おそらく2015年にはなかった作業用の林道があったので無理して降りました。


前地カンカケ林道まで降りて、しばらくはこれを東に歩きました。そのまま南に下山すると、国道を歩いて戻らなければならないと思ったからなのですが、たまたま南に分岐する古い林道があったのでそれを下りました。この草の生えた林道はすぐに伐採地の上で終わってしまったので、戻って東の植林に入りました。鉄穴流しの跡で、地形を見ているぶんには楽しいのですが歩きにくく、とにかく降りていくと谷になり、谷沿いで下山できるかと思って谷に降りましたが、倒木と灌木で埋まっており、通れないので石や草に掴まって東側の急斜面を登りました。最初からもう少しカンカケ林道を東に歩いて、この尾根を降りればよかったのです。植林から出ないようにして尾根を下っていくと石積みのある平坦地に出ました。棚畑の跡の植林です。何段か下ると湿地になってきましたが、一番下には扉があって道路に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」「音水湖」です。



2024年7月27日土曜日

福知から登るユリ三角点

 


一宮町生栖の東の山並みを、少し北の福知の抜山付近から歩いてみました。地形図では耕作地に見える広い谷があり、記念碑のマークがありますし、階段のマークもあります。なんだろうと思って下の方の段になった住宅地を歩いていると記念碑が見えましたが、容易には行けません。最終的には苦労して辿り着いたのですが、ここには北から山沿いの道で来るのが正解でした。これは地形図にある記念碑ではなく戦争で亡くなった方たちの忠魂碑でした。ここから草の生えた登り始めると南の大歳神社の方から良い道があって、これが正解のようです。その道の終わりにある記念碑には山津波と書かれており(写真)、昭和51年に3名の死者を出した大雨による地すべりのことが書かれています。この付近はその時に崩れた場所で、耕作地ではありません。先に見た忠魂碑もこの地すべりで流されて二つに割れています。記念碑の近くには東屋があり、堰堤とため池があります。この上は地滑りの跡で、木が植えられて気持ちの良い林になっています。しばらく登っていき、半分シダに覆われた木の階段を登ると、最上部には「福知地区(Bブロック)の治山事業」というほとんど読めない看板がありました。この先も北向きに道がありましたが、山に登りたかったので南に歩いて急斜面を登りました。


木に掴まって植林を登ると、地形図の林道に出ました。この先に林道はたくさんありましたが、林道は使わずに尾根を登りました。登っていった尾根の南側には林道がたくさんありましたが、大規模な伐採が行われているという感じではありません。尾根も植林が多く、下草はありません。この尾根は長く、標高差も揖保川から600m以上あるので、休みながら登りました。標高650m-の鞍部で林道とニアミスします。そのあとも南側にはたくさんの林道がありました。標高700m付近がややきつい登りでしたが、全体に緩やかで、植林も手入れがされており綺麗でした。855mピークは少しシダが生えている以外はなにもありませんが、少し展望がありました。


855mピークには2009/07/04に岡ノ上三角点から来ています。その時は尾根を西に少し縦走して林道月谷線で降りました。また、2009/07/04には行者山からユリ三角点経由で歩いてきて、やはり林道で下山しました。今回は林道を横目に見ながら藪っぽくなってきた尾根を歩き、さらに防火帯のような切り開きに生えた腰辺りまでのシダの間を歩きました。以前と比べるとシダが元気なようです。そこを抜けると植林で、ユリ四等三角点(760.26m)に着きました。


ユリ三角点から西は折れ曲がった尾根で、相変わらず北側には林道がありました。アセビが邪魔なところもありますが、大体は植林で、650m-の鞍部から少し登ると東向きに林道への道標がありました。この道標はこれひとつきりでしたが、尾根をたどっていくと林道に出られました。これが生栖への下山道だと思ってそのまま尾根を降りる方向に歩くと、低い松の密集地があって林道を見失いました。まっすぐ尾根を降りずに周囲を見渡すとシダの斜面の下に林道があったので、こちらに降りました。この林道で谷沿いに降りて行きましたが、またしても林道は消えてしまいました。踏み跡を探して降りると「くらしを支える森づくり事業」の看板がありましたが、看板にある歩道は見当たらず、踏み跡を探して斜面を登ると、地形図の実線道に出ました。これでやっと下山することができました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」「長谷」です。