2024年10月20日日曜日

佐用の高倉山と仁位山城跡

 


佐用町の高倉山には2008/9/20に東の千種川沿いの中島から登りました。最初に笹薮につっこんでひどい目にあったので、今回は反対側の佐用川沿いの山脇から登りました。慈山寺の付近から山に入る道があり、高倉山の道標があります。これを登っていくと、道の脇に高倉山の道標があり、ここから植林に入りました。斜面に道がありますが、かなり崩れています。しかも下を見るとため池です。この道はさらに先の斜面に続いているのかも知れませんが、歩きにくいので急斜面の植林を登りました。作業道があって楽に登れて尾根に上がれました。ここからはまっすぐの登りで、290m+に着きました。南に向かう尾根は植林も自然林も歩きやすく、ときどきは道もある稜線でした。しばらく歩くと道標があり、歩いて来た方向は「中島駐車場1300m」向かっている方向は「高倉山山頂200m」北は「山脇高倉神社1500m」でした。道はその先のピークを巻くようになっているのですが、ピークに登ると東向きに高倉山への道標がありました。方向が逆だと思ったのですが、後でわかったのは、こちらは高倉山古城跡だそうです。関電の巡視路に使われているような黒のプラ階段で深い堀切を渡ると、見渡しの良い場所に出ました。ベンチがあって、確かにこちらの方が山頂の雰囲気です。写真は千種川方面です。ただ、上月城を攻めるには逆向きです。西に取って返すと高倉山陣城跡山頂への道標があり、少し南側を巻いて登ると高倉山山頂に着きました。こちらは広い平坦地ですが木に隠れて展望がありません。


山頂には見土路への道標がありました。山頂付近は植林されていますが人工的な平坦地が広がっており、少し迷ってから西に植林を下りました。堀切や土塁のようなもののある尾根を少し歩いて、宮ノ下三等三角点(298.7m)に着きました。自然林の中です。さらに西に稜線を歩くと、南向きに飯野山城跡への分岐がありました。2008/9/20には南の方に行きましたが、今回は西に見土路方面へ向かいました。地形図ではすぐ南に土砂崩れの跡のような地形があるので見に行きましたが、斜面はコンクリートでしっかりと固められていました。稜線に戻って西に歩きました。ほぼ自然林の細い尾根ですが、道がありました。そして少し登るとJ-PHONE JPK上月局がありました。ここには太い道は来ておらず、小道を歩いて行くと南の道路から林道があって植林の切り出しをしていました。道路には降りずにに林道を登り、そのまま山の上に上がりました。上がると高倉山城と書いた標識がありましたが、これは道標ではなく、高倉山城が見えるということのようでした。この山は仁位山城の跡で、道から見えるところにのぼりも立てられていました。平坦な山頂がありますが、どこが城だったかよくわかりません。西に行って道路の終点に出ると上月町行政無線仁位中継所のアンテナがあり、ここに城跡の案内板がありました。要するに歩いてきたところはずっと城趾だったようです。そのまま西に行くと展望台で、上月城を攻めるにはうってつけの場所でした。ここにはベンチもあり、仁位四等三角点(232.88m)がありました。下山は北の尾根に向かいましたが、こちらも城の一部で堀切があります。少し藪っぽいのですが木が切ってあり、道がありました。道は途中で南向きに降りて行くようでしたが、そのまま尾根に沿って行きました。北側は急斜面の植林になったので南寄りに尾根を降りましたが笹薮でした。しかも降りていくと金網のフェンスがあり、扉を探してフェンスに沿って笹薮を歩く羽目になりました。運良く扉が見つかり、眼の前の墓地に飛び降りて、佐用川沿いの道路に降りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」です。



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