2025年5月15日木曜日

砥峰高原から琢美谷を下る

 


2018/12/02に琢美鉱山に行きましたが、その時は砥峰高原から往復しました。今回は琢美鉱山から福知渓谷に降りてみました。前回同様に砥峰高原のススキの間を登り(今年は山焼きは実施されていませんでした)、東屋から立入禁止の林道に入りました。そのまま尾根の鞍部を抜けて、地形図の破線道通りに琢美谷に向かって降りました。この林道は荒れていますが、いちど橋がなくて迂回したくらいで、あまり苦労せずに琢美鉱山の谷の下に出ました。この付近の林道はぬかるんでいます。今回は鉱山には行かず、そのまま谷を下りました。人工的な地形が続きますが、すぐにコンクリートの塊と、コンクリートの貯水槽のようなものが現れました(写真)。水が溜まっており、山水が流れ込んでいます。なんだかよくわかりませんが、鉄穴流しでいう大池とか、シックナーみたいなものかと想像しました。ということは、ここで少し精錬した鉱物を谷を下って運んで福知川沿いに出荷したということも想像できます。が、まずこれらの人工物が邪魔で谷を下るには谷の反対側に移らなければなりません。この付近の谷川はコンクリートの溝を流れており、渡れません。倒木が何本かあって、丸太橋のつもりで渡れるかも知れませんが、一本ですからとても危険です。結局谷を戻って、鉱山の下付近まで来ると土砂で溝が埋まっていて渡れました。ここから谷の北側を歩いて谷を降りると、貯水槽の先は林道はありません。どうやら谷を下って出荷はしていなかったようです。


細々とではありますが、谷を下る道は続いています。踏み跡と言ってもよいでしょう。マーキングもありますが、地籍調査のものが多く、道を示しているとは言えません。谷なので岩を登ったり降りたりもありますが、難しいのは流れを渡るところで、渡らなければ先へ進めない所もありますが、先がどうなっているのかわからない箇所もたくさんありました。マーキングが流れの向こう側にあっても、渡るべきかどうか悩んだこともありました。踏み跡はずっと続きますが、岩場に来るとわからなくなります。難所はたくさんあり、水流の脇が垂直で通れない時には少しよじ登って上の方を歩きました。一番の難所は地形図で神河町と宍粟市の境界線が谷をよぎっている付近で、谷が狭くて深く、滝の連続で、岩を伝って斜面の上の方を歩きました。当然下手をすると滑落します。谷に降りずに進んでいくと、踏み跡は植林の作業道に繋がっていました。これは歩きやすく、結局この後は谷に降りずに福知渓谷まで歩きました。谷に降りても歩けただろうと思いますが、場所によっては植林にエスケープが必要だろうと思います。福知渓谷の県道39号線に降りて琢美谷橋から見上げてみると、いきなり滝が見えました。谷下りはかなりの難所続きでしょう。


福知渓谷では県道39号線を歩きました。休日だと車の怖い道ですが、平日は車は来ないので新緑を楽しめました。広域基幹林道千町段ケ峰線の起点まで来て橋を渡り、砥峰高原の方に戻りましたが、ずっと県道を歩くのもつまらないと思い、すぐに林道に入りました。この林道はジグザグに斜面を登っていきますが、水平部分が多く、結局は県道に戻ってしまいました。しかたなくここからは植林の急斜面を登りました。オニゼンマイの密集している斜面を登り、さらに落ちた枝と間伐材で埋まっている急斜面を登りました。標高850mを付近を超えると少し楽になり、尾根歩きになりました。この付近は自然林も残っています。標高982mのピークには、地籍図根三角点がありました。この付近は2018/12/02に歩いていますが、西に少し降りると林道があったので、今回はこれを歩きました。砥峰高原に引き返し、周回路を歩いて自然交流館に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「長谷」です。



2025年5月10日土曜日

野尻から登るマンガ谷三角点

 


波賀町原の東にあるマンガ谷三角点には、2012/05/19に原から登っていますが、今回はその時の下山コースに近い、野尻からのコースで登ってみました。国道29号線を引原川沿いに北上すると、皆木の北の付近で引原川を西に渡る手前に未舗装の道が二本分岐しています。上に上がっていく方には「この先4Km農園内入園禁止」という札があります。2012/06/02に笠ヶ城山から降りてくる時にこの阿舎利(広路山)林道を通りましたが、確かに農園の中を通っていました。この林道を使えないとこの付近の山歩きはかなり制限されますが、林道歩きが目的でもないので、いろいろルートは考えられます。阿舎利林道ではなく引原川沿いの道を歩くと、広路川を越えた先に上がっていく道があります。害獣除けの扉を通って登っていくと、昔の耕作地らしく、大きなログハウスがありました。ログハウスの先は植林で、どう登るかが問題でしたが、結局は谷沿いがいちばん楽そうでした。植林の広い谷なので、歩くのには差し支えありません。谷も水があるわけではなく、ほぼ中央を登っていきました。作業道もあって、最後はちょっと急でしたが、460m+の鞍部に出られました。鞍部の東側の眼下には林道がありました。


ここからはひたすら斜面を登りました。美しい新緑の自然林も植林もあります。落ち葉で滑りやすく、木が少なくて四つん這いで登ったところもありましたが、急斜面は少なく、ときどき緩やかになるので休みながら登りました。40分ほどで690m+ピークで登り着きました。ここからは2012/05/19の逆コースとなり、少し岩のある尾根を登って行きました。やや急な斜面はありますが、760m+ピーク近くからは植林で、小林四等三角点(793.74m)に着きました。展望はありません。この先も植林が続きます。おかげで歩きやすく、いったん730m+まで降りてから植林をまっすぐ登って標高810m+の植林に上がり、北に歩いて836mピークを通りました。少し降りてから、幅の広い植林の斜面を登りました。上には平らな稜線が見えます。稜線に登ってから東に歩くと北側下には林道があり、並行して植林の尾根を歩いてマンガ谷四等三角点(904.2m)に着きました。周囲は伐採してありますが、展望はありません(写真)。


下山は来たルートを引き返しました。836m地点に降りていく広い斜面は2012/05/19には迷って西の谷に行ってしまいましたが、今回はまっすぐ降りられました。この付近は東側に広い林道がありますが、航空写真で見ると広路川へ降りられるわけではなく、阿舎利林道に繋がっているようなので、確実なルートを下りました。標高810m+から東側の尾根を降りました。いったん760m+ピークに上がり、方向の確認しづらい広い植林の急斜面を、何度も方向を修正しながら降りて、細い尾根に乗りました。この付近もずっと植林で、急な所もありましたが降りやすい尾根でした。最後はどちらに降りるか悩みましたが、東側の広い植林を降りて阿舎利林道に出ました。こちらに降りたのは正解で、江戸時代の墓石の集められている「マンガ谷国有林過去諸聖霊位」がありました。これを見ると、マンガ谷というのはかなり広いエリアを指す名前のようです。反対側に降りたら見過ごすところでした。あとは阿舎利林道を下って下山しました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年5月7日水曜日

楽里から登る生栖の行者山

 


何度か登っている生栖の行者山に、南西の楽里から登りました。楽里の集落を抜けて、地形図の林道を登りました。目標は谷の奥、498mピークの北の鞍部です。谷沿いの林道ではなく、曲がりながら大回りする林道を歩きました。途中に地形図にない分岐がありましたが、とりあえず地形図通りに林道の終点まで行きました。ここから見ると谷の反対側にも谷沿いの道があって、谷の奥で折り返しているのがわかりました。しかし谷のその上は新しい石積があって登れそうもありません。林道終点から見上げると上にガードレールがありますが、その下に板のフェンスがあって直接登るのは無理そうでした。そこで林道を戻り、最初の分岐から北に歩くと、すぐに南に向かう林道がありました。これはガードレールのある林道ではなく、下の林道の終点から見上げたときには見えなかったようです。この林道を少し歩いて、上のガードレール付きの林道まで斜面をちょっとだけ登りましたが、もう少し北まで歩けば林道でここまで来られたと思います。


この新しい立派な林道は能栖線という名前です。楽里からの谷の奥を回っており、林道から見ると谷の奥は段々にきれいに整えられていました。能栖線は南に向かってまだ建設中で、谷から尾根先を回ったところで終わっていたので、ここから尾根を登りました。能栖線の高い法面の上に作業道が見えており、上から作業道を作って法面を作ったのかと思ったのですが、登ってみると確かに作業道はあるものの、すぐに終点になっていました。おそらく能栖線を作る前にあった作業道の名残と思われます。植林の斜面を登ると稜線に出て、古い金網がありました。ちょっと498mピークまで登り、北に引き返して、ここからが行者山への本格的な登山となります。


登山と言っても最初は下りです。稜線の最低地点にはお地蔵様がありました。両側ともに道があるようでした。この先はひたすらに登りです。新緑がきれいで、登りやすい尾根でしたが、標高が上がると岩塊流のような景色になり、岩を避けて急斜面を登るようになりました。行者山と言うだけあって、厳しい登山ですが、ゆっくり登ると2010/07/31に上野田から登ってきた730m+ピークに着きました。何かが祀られていたのかも知れませんが、特に何もありません。もう少し登ると登山道と合流しました。今回も行者堂に行ってみましたが、いつもと同じです。行者像を探すのですが、よくわかりません。見上げた岩に彫られているのかと探しましたが、はっきりしたものはありません。引き返してロープのある岩場を登ると行者山の山頂です。展望はありません。生栖三等三角点(787.15m)がありますが、標石はこれが三角点だと言われないとわからないくらいに削られています。


山頂から北に赤みを帯びたアセビの間を歩くと展望のある場所に出ます。下山は北の林道の方に行くのは経験的にややこしいので、単純にここから北に尾根を下ることにしました。この尾根は植林が多く、歩きにくい場所はあまりありません。大きな岩があって、降りられないかと一瞬危惧したのですが、脇を降りられました。地形図で見ると、この下の標高500m付近が急斜面で、その前に林道があることを期待していたのですが、結局ここは木に掴まって降りることになりました。植林なので急斜面でも作業道の名残もあって、あまり危険ではありません。418m地点も植林ですが、まだまだ林道はなく、結局地形図にある標高350m付近の林道に着くまで尾根を下りました。法面問題でちょっと苦労して林道に降りて、北に歩いて生栖に降りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2025年5月5日月曜日

清水から奥雄岳

 


4日前に加美区清水からマタニ山に登りましたが、今回はその時の下山コースから更に北の山に行きました。清水の集落から西に谷をまっすぐ歩き、奥山不動尊に行きました。ここには「いぼ薬師」も祀られています。そこから今回は東に林道を歩きました。最初は東に水平に延びるばかりで少し不安でした。しかし途中で分岐があって、尾根を登っていく道があり、これを歩いていくと前回に通った奥山不動尊の谷の奥の分岐点に出てきました。ここからは前回の逆コースで林道を西に歩き、関電の「火の用心」から金属のハシゴを登って植林に入りました。いちど通った道なので何の心配もなく標高差250mほどを巡視路で登りました。下山よりは登山のほうが足が滑らないので楽でした。岩場になってからは鎖の手すりを使って登りましたが、この手すりは鎖が上下二段に張ってあり、下りでは上を、登りでは下を持てるので便利でした。奥多々良木線二二鉄塔を通り、鎖に掴まって稜線に上がりました。


この稜線はよく整備されています。コバノミツバツツジはそろそろ終わりでしたがまだ咲いており、それに加えてシャクナゲが咲き始めており、とてもきれいでした(写真)。少し歩くと奥多々良木線二一鉄塔で、ここから標高850m+の西雄岳までは急斜面が多く、ロープが整備されていました。西雄岳までは巡視路です。西雄岳から東にいったん下り、アップダウンしながら時々展望を楽しみながら東に歩いて、奥雄岳に着きました。金属プレートの小屋ヶ谷四等三角点(842.17m)がありますが、奥雄岳という名前は以前はなかったように思います。


下山は奥雄岳から南東に延びる尾根で下の林道まで降りようと考えていたのですが、降り始めるとひどい藪の急斜面で、岩場や棘のある灌木があってとても降りられません。そこで2013/03/16に通った奥雄岳のちょっと北のキレットに行ってみました。前回はキレットを北に巻きましたが、今回は南斜面に降りて東に行きました。途中でキレットの下に出たので登ってみると、このキレットは実は意外と浅く、注意深く降りれば渡れる程度のものでした。しかしキレットから東に行ってみると岩場が多く、しかも細くて藪もあるので危険でした。2013/03/16にはここを東に歩いていますが、今回は危険すぎるので諦めました。ということで、結局来た稜線を戻り、巡視路を逆戻りして再び鎖に掴まって岩場を下り、林道に降りました。ここでまた林道を東に歩いて戻ることもできましたが、関電の23鉄塔に向かう巡視路が林道から植林を急降下しており、これで谷沿いの林道(地形図には破線道がある)に降りられないかと考えました。この植林の巡視路は非常に急ですが、十分に整備されており危険はありません。谷にまっすぐ降りるのではなく、途中から谷を降りて行き、最終的には岩の上を伝って谷川を渡って林道に出られるようになっていました。ここが清水登山口かも知れません。とにかく大正解の下山でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「大名草」です。



2025年5月3日土曜日

波賀町の皆木三角点と千間原三角点

 


波賀町の南北2つの三角点に行ってみました。まず南の皆木三角点ですが、国道429号線の水谷川の橋の付近から登りました。東に延びた尾根の先に行くとフェンスがあり、扉を探して北に歩き、自転車が何台か捨てられている付近に扉を見つけて植林に入りました。斜面を少し登ると北からの林道の終点があり、そこから踏み跡をたどって植林の尾根に上がりました。気持ち良く尾根を登り、400m+ピークから北に稜線を歩きました。自然林と植林が混ざっていますが、地形は明らかに鉄穴流しの跡で、削り残しのピークがぽこぽこと残っており、アップダウンを楽しめました(写真)。しばらく歩くと尾根に林道が上がってきて、しばらく林道で登っていったあとで、黒い土の上を山頂に登りました。皆木四等三角点(462.13m)の周囲は自然林ですが、東西両側とも斜面は植林です。


皆木三角点の北は削り残しの細尾根になっており、これを降りると鞍部には林道がありましたが、尾根に上がってまた削り残しの小山を見ながら植林を歩きました。495m地点から北はずっと平坦ですが、降り始めるとまた削り残しの尾根となり、林道に出ました。林道を西に歩いて、舗装道路に出ました。眼の前が笠ヶ城山の登山口でした。


舗装道路を北寄りから東に歩いて北の山の登山口を探すと、橋があって尾根に上がれる所がありました。うってつけの登山口なので、548mピークを目指して植林の尾根を登りましたが、フェンスに突き当たりました。扉がないのでフェンスに沿って西に斜面を降り、谷を渡ると扉がありました。せっかく登った分をかなり損した気分でしたが、ここから鉄穴流しの跡の植林の斜面を登りました。標高550m+まで来るとちょっと石積があり、東側には林道がありました。ここから北へは急斜面で、登り切ると610m+ピークで、このあと北には緩やかな尾根が続きました。それが終わると西に急斜面があり、登りきってまた少し急斜面で地籍図根三角点のある690m+ピークに上がりました。これが笠ヶ城山から続く稜線で、北に684m地点を過ぎていったん降りると鞍部を林道が横切っていました。そのまま林道の向こうの植林を登り、稜線を東に登っていくと、千間原四等三角点(769.6m)に着きました。ここは最近には2022/08/06に来ています。


下山は2022/08/06の逆コースで南東の尾根を降りました。この付近は林道が縦横に走っています。まず鞍部に林道があり、それでも下山できそうでしたが730m+ピークに登りました。ここから南に細い尾根を降りたのですが、ずっと植林で、途中4回林道が横切っていました。そのたびに法面をどう降りるかが問題で、木が少ないので滑りやすい斜面をトラバースして降りる地点を探すのも大変でした。林道を下るほうが安全なのですが、林道はどこへ向かうか予想がつきません。最後の林道からは植林を降りていき、やや急斜面になると下に道路が見えて、害獣避けの扉を開けて国道429号線に戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年5月1日木曜日

清水からマタニ山

 


神河町のマタニ山は千ヶ峰から三国岳に連なる尾根にある山です。東からも西からも登ったことがありますが、今回は東の加美区清水から登りました。国道427号線の清水の集落から西に行き、植林の谷に入ってすぐに南側の林道に進みました。この林道は枝道が南側の山の上の方まで延びていますが、そちらには行かずに真っ直ぐに行き、古い水道施設の前を通り、終点の堰堤のある谷のところから尾根を登りました。植林なので木に掴まらなくても登れます。大きな岩もあり、少し登ると西側からの林道の終点があり、「通称名 口ヶ滝」という札が立っていました。ここからも植林の尾根を登りましたが、少し登ると上から作業道が降りて来ていました。おかげでしばらくは楽に登れました。この道は途中で南に行ってしまいましたが、真っ直ぐに登って奥多々良木線二五鉄塔に着きました。ここからは2015/07/04の下山と同じルートです。706m地点の何も残っていない轟無給電中継所を過ぎ、ツツジの花を見ながら登っていきました。緩やかな尾根で歩きにくい所はありません。山頂に近づくと林道がありました。2015/07/04には建設中だった森林基幹道 千ヶ峰・三国岳線です。平成7年度建設となっているので、まさに2015年に開設されたものです。素晴らしい展望が開け、下界のみならず篠ヶ峰も見えます(写真)。この先は急斜面で灌木の密度も上がりますが、問題なく登れて、主尾根に出ました。両側をアセビに挟まれた道があり、少し南に行くと深谷山三等三角点(927.94m)がありました。深谷をマタニと読んで、ここがマタニ山です。


2020/05/21と同様に主尾根の整備された道を北に歩きました。少し北で千ヶ峰・三国岳線が尾根を横切っています。この道は西側でどこに行くのか気になりますが、あまり建設は進んでいないようです。さらにアップダウンしながら北に歩き、772mピークから清水への下山道に向かいました。清水登山口まで40分となっています。降り始めると急な岩場がありますが、鎖に掴まって降りられました。奥多々良木線二二は急斜面に建てられています。この先も岩場を降りますが、少し緩やかになってしばらく歩くといきなり尾根の中央に赤い「火の用心」が立っていて、そこからは植林の作業道を南に水平に歩くようになりました。そして作業道を降りていくと、金属の階段があって林道に降りられました。ここはロープがありますが、階段が急なのでどう降りるか少し悩みました。ここまで下山にかかった時間は40分程度なので、ここが清水登山口なのでしょう。


林道に降りたのは良いのですが、どっちへ歩いたら良いのかわかりません。谷の奥へ行くことはないだろうと思って東に歩きましたが、水平にどんどん行くだけで、谷に降りていくことはありません。最後は奥山地蔵尊の谷の奥に出ましたが、相変わらず水平に続いています。少し東に行って、降りそうもないので引き返して西に歩くと、これも谷には降りませんが地形図の林道と繋がっていました。かなり大回りでしたが、登山口から1時間以上かかって無事に清水に下山できました。帰りに奥山地蔵尊に寄りました。付近には何も案内板がありませんが、お地蔵様があるので参道入口だとわかりました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「大名草」です。









2025年4月29日火曜日

上月から庄ノ上山

 


2018/04/08に上月の判官三角点に行きましたが、その時と同じように上月の和田の付近から山に入りました。ただし今回は無理やり南の190m+ピークに登らず、人家の脇から谷へ入り、墓地のところから150m+の鞍部に登りました。古い道があります。尾根上も道があり、前回同様に北西に歩きました。ツツジの季節は終わっていましたが新緑がきれいでした。尾根沿いに北に歩き、少し藪っぽい伐採地の南に向きを変えると植林になりました。ここからはしばらく作業道を歩き、植林を登って判官四等三角点(290.07m)に着きました。


さらに西に尾根を歩きましたが、道があるようなないようなところを歩くと道に出ました。この付近は前回と歩いたコースが違います。今回は南寄りに歩いたら道に出たので、少し道を下って大滝神社に行き、その裏から東に登りました。放棄された耕作地がありましたが植林を歩くと道に出ました。少し歩いてから植林を340m+に登りました。前回同様に山頂の道に出て、4基のサイロの脇を降りると舗装道路に出ました。前回はこの道路で戻りましたが、今回は真っ直ぐに歩きました。道があって問題なく歩けます。途中に古い墓地がありました。そのまま道は庄ノ上山に行くのですが、途中で道を間違えて西寄りに行ってしまいました。しかし問題なく斜面を登って道に戻りましたが、2018/02/18に見た石仏は見落としました。山の上には「行者山」という道標があり、その付近だけ岩がたくさんありましたが、何のことだか分かりませんでした。とにかく宇根二等三角点(379.74m)のある庄ノ上山に着きました。周囲は自然林です(写真)。東に庄という集落があり、その上にあるので庄ノ上山なのでしょうか。この付近には「米」とか「姿」とか一文字の地名があります。


庄ノ上山からは道はありませんが北に降りました。笹を避けて降りていくと、地形図の破線道の下に林道がありました。これは2018/02/18に歩いた道です。これを北に歩きました。良い道で新緑を見ながら楽に歩けましたが、355mピークの東付近に来ると太陽光発電施設がありました。これの北を東に歩くと、「上月町杉坂峠森林浴コース」の地図がありました。現在位置が示されていないので困りましたが、ここは2019/06/16に東から来た地点です。峠のお地蔵様がありました。ここから東の植林の林道は2019/06/16に歩いています。その時と同様に326mピークの南から南東に登りました。道はありませんが問題なく登れました。途中で林道に会い、さらに340m+ピークの東では南から林道が上がってきていました。林道の終点は344m地点で、2019/06/16はここまででしたが今回はさらに東に降りました。ちょっと曲がった尾根ですが、あまり急な斜面はなく、落ち葉で滑りやすい以外は問題なく、途中からは里山らしい道も現れました。最後は北に降りて墓地に出ましたが、ここからは降りる道がなく、正解は真っすぐだったらしく、ジグザグに斜面を降りて人家の脇から道路に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」「佐用」です。



2025年4月27日日曜日

山崎町の上ノ上から登る白口峠三角点

 



先週マラソンで行けなかった上ノ上ですが、今回は問題く行くことができました。狙いは送電線の巡視路で西の山の反対側の白口峠三角点まで行くことです。送電線の下あたりに車をとめて、赤い「火の用心」から関電の巡視路で植林を登りました。伐採された植林を登っていくと林道があり、最初から林道で登れたようでした。林道ができて伐採されたおかげで巡視路を見つけるのは難しくなっており、林道を歩きました。少しジグザグに登ると上に鉄塔が見えましたが、林道の法面は高くて登っていけません。少し南に回り、谷の付近から植林を登って山崎智頭線二二鉄塔に着きました。急斜面に立っており、展望があります。鉄塔から巡視路で斜面を登ると、北から来た林道の終点がありました。終点付近が植林と自然林の境目ですが、ここからは植林を避けて岩の多い境目を登りました。少し登って岩が少なくなると、ときどき関電の黒いプラ階段がありましたが、すぐに消えてしまいます。適当に登っていくと鉄塔が見えました。鉄塔の下に黒い階段がありましたが、よく見るとプラ階段ではなく木で作ってありました。この鉄塔は急斜面に立てられており展望は良好です。黒尾山がよく見えました。しかし急斜面なので鉄塔の番号を見に行けませんでした。おそらく二三鉄塔でしょう。この先は少し登ると新緑のきれいな平坦地になりました。気持ちよく歩いて、北に次の鉄塔を見に行くことにしました。新緑の林を抜けると、地形図通りにコンクリート舗装の道がありました。ちょっと広い作業場があり、その西に巨大な山崎智頭線二四鉄塔が立っていました。尾根に戻って西に歩きました。こちらは植林です。一度少し下ってから登り返し、800m+ピークに上がるとその西は岩場でした。ここを降りて西に行くと目的の白口峠四等三角点(760.95m)がありました(写真)。付近は気持ちの良い自然林です。


そのまま西に降りると帰れなくなるので、降りてきた尾根を引き返し、岩場を登ってから東に降りて、地形図の林道を探しました。植林を少し南に下った所に林道があったので、これを歩きました。少し地形図とは違っていますが、植林の中を南に行くことができました。地形図では林道の南に小さな700m+のピークがあり、これは植林ですが、この付近には林道が多く、林道で東側を通ってピークの南側に出ました。ここで林道は終わっていましたが、問題なく間伐材だらけの南の尾根を降りることができました。少し降りると東側から来た林道が折り返していました。ここからも倒木の多い植林を降りました。GPSで方向を確認しながら南東に尾根を降りました。あまり急なところはありませんでしたが、それでも木に掴まらないと降りられない所も何箇所かありました。地形図の破線道に出るつもりだったのですが、これは見つけられずにまっすぐに降りました。最後は段のある人工的な地形になりましたが、人家があって道路に出るのに苦労しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」「千草」です。



2025年4月20日日曜日

山崎町中野から登る霧ケ坂三角点

 



山崎の伊沢川上流の上ノ付近の山に登ろうと思って蔦沢菅野トンネルを北に通ると、宍粟さつきマラソンで県道429号線は通れないと言われました。姫路市民はそんなことは知りません。交通規制は上牧谷までなので、その先は走れるのだろうと思って裏道を通って東下野まで行くと、なんとまだランナーが走っていました。ランナーと並走して車を429号線を北に走らせましたが、ランナーは右カーブでは後ろを見ずに左車線から右車線に移って走るため非常に危険で、すぐに車をとめて近くの山を歩くことにしました。


登り始めたのは429号線から林道が山に上がっていく場所で、上がってみると堰堤の工事をしていました。1つ目は令和5年に完成しており、下流の2つ目を工事中でした。堰堤を右に見ながら急斜面を登りました。急斜面ですが適度に木が生えており、掴まって登ると意外と楽に登れました。少し登ると木に掴まらなくても登れるようになりましたが、倒木が多く、たびたび迂回しました。430m+ピークに着くと巡視路になりましたが、すぐに巡視路は西の植林に降りていってしまいました。それでも尾根は歩きやすく、たまにツツジも咲いていました(写真)。これは2024/11/23の逆コースです。473mピークを過ぎて、次の490m+ピークは岩場で意外と尖っていました。北西に降りて行くと、西側に林道が見えました。しかし尾根は倒木や藪が連続し、それをクリアして450m+の鞍部に来ると西から林道が尾根に上がってきました。地形図ではこの付近には東側にも林道がありますが、尾根には達していません。西側の林道はその北の山には登らず水平に西に行ってしまいます。しかし北に登ると西から林道が来て、標高530m付近で西に行きました。そのまま尾根を登り、540m+ピークから西に歩くと、倒木の藪となりました。なかなか厳しい藪でしたが、なんとか抜けだすと、眼の前に霧ケ坂三等三角点(537.23m)がありました。


霧ケ坂三角点から北は、2014/12/28に逆方向に歩いています。植林になって歩きやすくなり、390m+の鞍部には2014/12/28に見た石仏がありました。台座の上の向きが変わっているようでした。この鞍部は植林で、東から林道が上がってきていたので、それを降りました。例によってジグザグに降りていきますが、少し登る所もあって方向に自信が持てませんでした。倒木で通れなくなっている箇所がいくつかありました。谷沿いに降りると堰堤が二つありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「土万」です。



2025年4月14日月曜日

小明神コースで登る明神山

 


姫路の北に聳える明神山はどこからでもよく見える、先の尖った山です。人気の山で登山コースも増えてきたようなので、久しぶりに登りました。明神池の奥のコースに行こうと思ったのですが、神元神社まで行くのは面倒だったのでいきなり北の谷に向かいました。すると植林を抜けると道は踏み跡程度となりました。登山道とは言えない道ですが、とにかく長谷池の堰堤までたどり着けました。ここから明神池の堰堤に渡るのは難しく、いったん少し戻って谷の反対側の道路に出て明神池に行きました。明神池の堰堤は鍵がかかって入れないようになっているので、そのまま池沿いに北に歩きました。明神池の北から少し行くと、谷の西側に小明神コースと書いてあったので、ちょっと苦労して流れを渡って登山開始となりました。


まず大岩を登らねばなりませんが、トラロープがありました。いきなりの急登で1合目に達した頃にはだいぶ疲れていましたが、その後は傾斜が緩くなりました。地図にある馬の背で大きな一枚岩の上を歩きました。春らしくツツジが綺麗でした。この付近から岩が増えてきます。急斜面もありますが、ロープが張ってあるので腕力で登りました。きつい登山ですが良く整備されていると思って登っていくと、7合目に桃太郎岩がありました。大岩が2つに割れていて、確かに桃が割れたような形です。割れ目はなんとか通れるのですが、通った先の南側にはロープはあるもののすぐに急斜面となり巻き道はありません。整備されている巻き道は北側で、ロープが両側に張ってありますが、それでも歩きやすいとはとても言えません。ロープはあっても足元は落ち葉で滑りやすい斜面なので、体を支えるのは大変です。体を支えるには木に掴まったほうが良いのですが、そうするとロープに沿って進めません。冷や汗をかきながら大岩に登って、さらにロープを頼りに登山を続けました。このコースにはマーキングはほとんどなく、ロープが切れるとその先はどう行ったらよいのかわからないことが多かったのですが、よく見渡すと次のロープがあって、ロープがマーキングになっているようでした。小明神山の東の小ピークで一休みして、小明神山へはロープは北に巻いて上がっていきます。大明神コースと合流して小明神山(612m)に上りますが、この先が急登で、恐竜の背という岩場をロープを頼りに登りました。そしてやっと明神山の山頂です。明神山三等三角点(667.78m)をはじめとして、祠やら何やらがあり、展望も良好です。


小明神コースで冷や汗をかいたので下山は安全そうなAコースにしました。しかしこちらも最初はロープに頼って降りることになります。途中にはいろいろな名前のついた面白い岩があり、これらはコース案内の地図に書いてあります。相変わらずツツジがきれいで、椿もまだ少し咲いていました。展望の良い場所もいくつかありました。Aコースは西の丸で東の尾根に向かいますが、その先でAコースとAuコースに別れます。Aコースは急斜面だったので南に向かうAuコースに進みましたが、ここもロープに頼る急斜面の岩場でした。地形図から見れば当然の急斜面の名前は滑り坂だそうです。平らな大岩の鞍部を歩き、登り坂には三ツ岩という間違いなく3つの岩がありました(写真)。三ツ岩の頭で東に曲がるとここも地形図通りの急斜面の岩場で、天狗坂だそうです。なんとかここを降りると、ゴジラの背を歩いて播磨線七七鉄塔に出ました。この先は遊歩道らしく、木々の説明板がありました。232mピークには壊れて座れないベンチがありました。遊歩道を降りるとコテージの裏に出てきました。岩山歩きを満喫しました。


展望 ★★☆ 

藪山度 ★★☆

地形図は「前之庄」です。



2025年4月12日土曜日

庵の行者山から桑野へ

 

佐用町庵の行者山(鷲栖山)には、2011/02/06と2011/02/26に登っています。今回の登りコースは2011/02/06の下山コースです。庵川沿いの県道443から害獣避けの扉を3つ抜けて尾根の先に出て、落ち葉で滑りやすい斜面をジグザグに登りました。尾根に登って少し行くと石仏がありました。前回は石仏に気が付かなかったようですが、この後もいくつも見ましたが、どれも行者像には見えませんでした。尾根はツツジが満開でした。両側のツツジの間を抜けていく感じで、素晴らしい山歩きでした。同じコバノミツバツツジでもピンク色の薄いものも濃いものもあり、見ごたえがありました。少しずつ登っていき、378mピークにも小さな石仏がありました。まだツツジが綺麗ですが、アップダウンもそれなりにあります。行者山に向かって尾根が東に曲がる付近にも新しげな石仏がありました。ここから行者山へは巨大な岩が聳えています。とても登れないので岩に沿って南側に行くと、前回の下山と同じコースになりました。大岩に沿って南側をまわるとまた新しげな石仏がありました。その先は足元が不安定でしたが、なんとか切り抜けて急斜面を木に掴まって登りました。前回はよくこれを降りたものです。そして行者山の山頂に着きました。祠があります。鍵がかかっていますが板の隙間から少し中が見えて、昭和13年と40年に鳥居を再建していることがわかりました。縁起書もあるようですが完全には読めません。


山頂からは北に行くつもりだったのですが、急斜面で降りられなかったのでトラロープのある東向きの岩場を降りました。これもかなり急な岩場で、トラロープに頼って降りました。降りたところには行者山への道標の他に「岩窟へ」という道標があり、北斜面にトラロープが張られていました。ちょうど北の尾根の方向でもあったので、トラロープに掴まって斜面をトラバースしました。しかしロープはあっても道がなく、足元は落ち葉で滑りやすい急斜面ということで、冷や汗をかきました。しかも途中でトラロープがなくなり、木に掴まって西にトラバースを続け、ついに岩窟に着きました。法華経の文言の刻まれた宝篋印塔と行者像などがありました(写真)。


岩窟まで来ても北の尾根へ下るのは容易ではありません。下の尾根が見えないので、とりあえず東に少しずつ降りながらトラバースし、木が生えていて掴まれる所を探して滑りやすい斜面を降りました。倒木の多い谷状の地形を降り、咲いているミツマタの間を西に戻って、ようやく尾根歩きになりました。歩きやすい尾根で、植林も少しありましたがツツジも増えてきて、395mピークにはアシビが咲いていました。この先は北にツツジを見ながら岩の多い尾根を降りました。途中で西に尾根は曲がり、相変わらずツツジが綺麗でした。問題は尾根の先端で、西寄りが斜面がやや緩く楽そうだったので降りました。植林で木が多い場所を選びましたが、木に掴まって降りるのがやっとでした。降りると墓所がありました。当然墓参りのための道があるはずと思って庵川へ行くと橋はなく、ハシゴのようなものを飛び石に載せて渡るようになっていました。しかしハシゴを使って渡ってしまうとハシゴを元の場所に戻せないので、渡りやすい場所を探して飛び越しました。上流に行けば橋があったようです。


山の上はツツジで一杯でしたが、下から見上げるとツツジはほとんど見えず、斜面の桜が目立ちました。ツツジは背が低くて見えにくいのかも知れません。だとしたら登って見に行くべきです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「土万」です。



2025年4月1日火曜日

鬼門大荒神から登る一宮の宮山

 


一宮町東市場の宮山(みやま)には2009/07/18に登りました。10数年経ってだいぶ変わっているかもと思って、今回は北寄りから登ってみました。鬼門大荒神という赤い鳥居の神社があります。背後の山の上の方は笹が生えていますが、フェンスがあって扉があります。ここから林に入って登山開始です。東市場生産森林組合所有地とのことなので気をつけて登りました。しかし最初は里山です。道のようなものがあるところではそれに従いましたが、それ以外は適当に登りました。たまに植林もありますが、ほとんどは自然林です。勾配はそんなに急ではありませんが、木に掴まれれば楽でした。たまに少し平坦になるので一息つきながら登り、1時間ほどすると岩が増えてきて、枝の間から展望もあって、1時間弱で宮山の山頂に着きました。東市場四等三角点(514.35m)があり、2009年にはなかった宍粟50名山の杭がありますが、それにも増して岡城跡という説明板がありました。山頂はあまり広くないので、大きな城ではなかったでしょう。


山頂から北東の尾根に向かいました。こちらも大きな岩がたくさんあります。城としては邪魔だったのではないでしょうか。歩くにはさほど邪魔ではありません。途中にひとつ堀切らしき場所がありました。たまに展望があり、藪はほとんどなく、下草は全く無いという歩きやすい尾根ですが、大岩を巻いたところもありました。510mピークを過ぎて急斜面を登り、さらに徐々に登っていくと倒木地帯もありました。倒木はあまり多くないので、跨いで行けました。その後も上りが続き、金属プレートの打呑口四等三角点(735.54m)に着きました。ほぼ落ち葉に隠れていました(写真)。


下山は尾根を少し西に戻り、北向きの尾根を降りました。こちらも藪や下草はないのですが、木が邪魔で見通しがきかず、迷いそうな所もありました。急斜面もあって木に掴まって降りましたが、落ち葉で滑りやすく、ジグザグに降りるように心掛けました。マーキングや人工物は皆無で、植林もありません。まさしく里山の雰囲気でした。最後は少し西に寄り過ぎましたが、東に戻って2010/12/12に通った道に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2025年3月30日日曜日

生野町川尻から登る川尻三角点

 


2013/04/13と2023/06/25に歩いている生野の西の山ですが、今回は南の川尻から登りました。生野から市川に沿って西に歩くと、川尻の集落の前に北に入る林道があります。これを使っても登れそうでしたが、とりあえずは川尻の集落まで歩いて山に向かう道に入りました。人家を抜けるとお寺(圓福寺)があり、その先に大歳神社があります。その先は昭和59年竣工の奥山川堰堤です。この先も道が続きますが、右手の植林が登りやすそうだったので、そちらに行きました。植林なので歩きやすく、どこでも歩けてしまいます。しばらく登ると赤い「火の用心」があり、西向きに「神社」登りは「No 15」です。ということは、堰堤を越えて歩くと、巡視路の入口があったのかも知れません。さらに登って行きましたが、巡視路のようなものは特に無く、作業道を探しながら登りました。ずっと植林ですが、少し急斜面になると地面に落ちている枝が邪魔なこともありました。主尾根に近づくとまた「火の用心」があって、下が「神社」右が「No 16」となっています。右に行く道がありますが、まっすぐに尾根に上がろうとすると棘のある木が多い藪に阻まれました。とりあえず南に藪を抜けて、大河内線一五鉄塔に行きました。


この尾根には良い道があります。北に歩くと先ほど登ってきた藪には地籍図根三角点がありました。その先は真っ直ぐではなく、西側のミツマタの生えている方が巡視路です。この北は尾根から少し外れた所に鉄塔がたくさんありますが、それは2013/04/13の地図に描いてあります。整備されて巡視路で、黒いプラ階段もあります。ときどき西側の段ヶ峰方面の展望があり、しばらく歩くと、川尻三等三角点(678.79m)に着きました。前と変わらず背の高い枯れた笹に囲まれています。


三角点からまっすぐに東へ歩くと2023/06/25に登ってきたコースですが、今日は北に降りました。640m+ピークまで巡視路を歩き、東の尾根に向かいました。なんとなく道がありますが、標高600m付近で藪に消えてしまいました。ここは地形図ではわかりませんが深い谷です。谷底の小川は南に向かって流れていますが、それを渡って植林の斜面を登りました。この先もわかりにくい地形で、何度もGPSを確認しました。600m+ピークから急斜面の植林を降り、東の尾根に曲がりましたが、この先も単に尾根を辿って降りると間違った方向に行ってしまうので、GPSを頼りに降りました。東向きの尾根を420mピークを目指して歩いていると、道がありました。道の脇には立像と坐像が並んで彫られている石仏があり、四国八十八ヶ所を巡れるようでした(写真)。かなり傷んでいるものや、部分的に修復されているものもありました。ありがたくこの道を歩かせて頂いて、延應寺に下山しました。56番付近から歩き始めましたが、途中で倒木があり、急な道を降りると76番があり、道はここで終わっていました。正しい道は倒木の先で、橋を2つ渡りました。86番から先は延應寺にありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「生野」です。



2025年3月28日金曜日

新宮の東山公園から登る北山三角点

 


2025/02/14に、新宮の東山公園から南の山の曽我井城跡に行き、それから北に回って東山公園に戻りました。今回は北の方の山に登ろうと思い、まず前回に登れそうだと思った200m+の鞍部を目指しました。東山公園から北東に延びる谷を登りました。昨夜の雨のせいか、谷には激流が流れていました。遊歩道が終わっても道があり、踏み跡程度になってもピンクのマーキングがあるので、それに従って登りました。谷の上の方はかなり平坦で、水流を渡る所もありましたが、その付近では水量も少なく難なく渡れました。なんとなく道らしいものが現れて、小さな切通しになっているのが前回に通った200m+の鞍部でした。


この後しばらくは2025/02/14と同じコースを北に登りました。標高290m+から東に降りていき、鞍部を過ぎて登り返して主尾根に出ました。この付近も楽に歩ける自然林です。いったん主尾根を南に歩いて、北山三等三角点(396.06m)に着きました。冬は葉が落ちているので東西に展望があります(写真)。2009/09/21に来たときとはかなり雰囲気が違っていました。ここから2009/09/21同様に北に引き返し、やや急な斜面を下って行きました。260m+の鞍部に着くと龍野揖保線四四鉄塔がありました。この鞍部は地形図では破線道が横切っています。2009/09/21にはこれを苦戦しつつ東に降りました。2006/4/22には西に降りていますが、道が無かったようです。ということで、さらに北に歩きました。


急な坂を北に登ると道は二手に分かれて、西に向かう道もあります。赤い「火の用心」はありませんが、これは明らかに巡視路です。整備された道で、龍野揖保線四五鉄塔に着きました。この先を西に向かうとしばらくは巡視路がありますが、次の鉄塔は北の斜面にあるので、途中で北に降りていってしまいます。巡視路を降りるのが一番安全なのはわかっていたのですが、尾根を歩きたかったので西に向かい、さらに北向きの尾根に降りました。マーキングはありませんが、シダが生えていると踏み跡があるのがわかりました。しかしシダはなるべく避けて北側の斜面を歩きました。最後は地形図にある破線道を目指して降りましたが、どんどん急斜面になっていきました。この付近は地形図で見ても降りるべきでない急斜面になっています。木に掴まって降りましたが、岩もあり落ち葉も滑りやすく、大苦戦しました。目指す破線道の方に行くのも難しく、降りられそうな斜面を探すと北に降りてしまいました。最終的には降りられましたが、危険な斜面でした。降りるとフェンスがあり、その外は用水路ですが、地形図の破線道のところには橋が掛かっていて扉がありました。破線道そのものは、見あたりませんでした。つくづく、巡視路を降りるべきでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆ 最後の斜面は危険

地形図は「龍野」「安志」です。



2025年3月22日土曜日

西から登る美作の男滝山


 兵庫県からちょっと西に出たところにある男滝山には2014/03/22に男滝から登っていますが、今回は西の柿ケ原から登りました。柿ケ原池の堤防のところから少し入ると北東に谷があり、ここを登りました。勾配の緩い谷で、少し倒木がある程度で問題なく登れました。最後はちょっと木に掴まって登ると、荒れ気味の里山という感じの尾根になりました。歩くには問題ありませんが、古い有刺鉄線があるのが気になりました。踏み跡が徐々にはっきりしてくると、ボロボロの波板で作られた小屋がありました。この付近の道ははっきりしており、地形図通りの部分もありますが、東に行くと下っていきそうだったので尾根を登りました。430m+で2014/03/22に歩いた道に出ました。次の440m+のピークへは真っすぐの急勾配の岩場を登りましたが、巻き道もあるようです。もう一度急勾配を登ると地形図の実線道に出ました。これは防火帯のような広い切り開きです。これを歩いた行くと男滝山に着きました。男滝三等三角点(446.13m)は林道が曲がる所にあります(写真)。


男滝山からはさらに2014/03/22の逆コースで南に歩きました。幅広い道です。何回か曲がったあとで「Energia No.50」の札から林道を外れて西に巡視路を歩きました。黒のプラ階段を登ると西播東岡山線五一鉄塔がありました。展望があります。さらに西に巡視路を降りると北向きの尾根に行ってしまったので、戻って南西の尾根を下りました。踏み跡がありますが、ときどき見失って彷徨いました。しかし鞍部に出ると簡易コンクリート舗装の道が横切っており、北に行くと地形図どおりに太い林道に出ました。ここからは林道を歩けばよかったのですが、藪っぽい斜面を登って400m+のピークを通り、北に降りました。結局林道と合流し、林道から少し北に上ると西播東岡山線五二鉄塔がありました。巡視路を歩いてくればよかったようです。


ここからも巡視路を53号鉄塔に向けて歩きました。いったん林道を横切り、さらに390m+を通り、次の鉄塔の手前で巡視路から北西に向かう道を下りました。こちらの尾根にも道がありますが、ときどき見失いました。410m+ピークは東を巻き、倒木が増えて藪っぽくなりながらも、なんとなく北に降りていきました。最後は段になった旧耕作地で、ぬかるみを避けながら降りていくと、八幡神社に出ました。


地形図で見ると人家から遠いエリアなのですが、林道がたくさんありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「林野」です。



2025年3月20日木曜日

西脇市住吉町から登る中口山

 


中口山には2016/12/24に東の今田から登っていますが、今回は西側の畑谷川側、それもずっと南から登ってみました。畑谷川沿いに東に県道36号線を走ると、南側に水車の見える所があります。この付近から歩き始めました。山沿いの道を少し東に歩くと、何の表示もないのですが、山に向かう道があります。ここを入りドラム缶のある荒地を抜けて林に入ると、一合目の説明がありました。説明と言っても勝尾汁のことが縦一行に書いてある青い板です。こんな調子の説明板がずっとあって、これが登山道であることは間違いありません。トラロープがずっと張られていますが、落ち葉に隠れてロープを探す必要のあった所も何箇所かあります。いきなり「うえかどのお池」の説明板もあります。斜面にまっすぐに作られた登山道なので、かなりの急勾配です。木に掴まって登るような所もあり、どこに行くのかと思ったら岩の上に行者像がありました(写真)。これが行者山のようです。


行者山には西光寺山への道標があるので、それに従って登りました。これはわかりやすい道でしたが、稜線に合流したところをまっすぐ歩いたら西に行ってしまい、あわてて戻りました。ここは2012/08/22に歩いていますが、防火帯のような広い切り開きのある尾根です。奥多々良木線八〇鉄塔を過ぎて、幅の広い道をそのまま歩いていたら今田の方に下山しそうになり、ここも慌てて机坂峠に戻りました。東に斜面を登っていくと、机坂四等三角点(479.9m)に着きました。細い木に囲まれた、なんとなく寂しげな山頂です。


この先も稜線を北に歩きました。防火帯のように広い切り開きもありますが、ずっと続くわけではありません。尾根が東に曲がる付近の鞍部は伐採された木が転がっていて荒れていました。この付近は自然林を伐採したようなのですが、伐採した木がそのままで、目的がわかりません。474m地点を過ぎて、次に尾根が東に曲がる付近は北に展望がありました。東に斜面を登るとまた幅広い切り開きになりました。いったん450m-の鞍部を過ぎてから登り返し、540m+から南に歩いて、中口山に着きました。中口山三等三角点(555.7m)があります。


中口山から北へは、2016/12/24に歩いた稜線を歩きました。こちらは切り開きはなく、ときどき岩がありますが、少々藪っぽいものの歩きにくいという程ではありません。西に向かって畑谷川沿いが望めました。571mピークまで来て、北側に降りるのは難しそうだったので、そのまま真っ直ぐ北東に斜面を降りました。こちらも落ち葉が滑りやすくて、あまり降りやすい斜面ではなく、立木に掴まって降りました。最後は植林になり、県道36号線に降りられましたが、帰り道は峠まで登りでした。歩きながら見たところでは、濫觴公園に降りるのが正解だったようです。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「谷川」です。



2025年3月1日土曜日

東から登る和気の国山

 


和気の国山には北の妙見山経由で2018/01/06に登っています。今回は東の吉井川にある新田原井堰の付近から林道田原上線を歩きました。水道施設が二つあり、そこから道が悪くなりますが、車が降りてきたのにはびっくりしました。トリアゲ山三角点に行きたかったので、道が二度目のターンをするところから尾根に上がりました。ここには名無しの動物捕獲用檻が置いてあります。尾根への斜面は滑りやすく、木に掴まってなんとか登りました。少しの楽な登りの後、東側の尾根に再び木に掴まって登り、少し大きな岩のある自然林を歩いていくと、トリアゲ山四等三角点(349.39m)がありました。周囲は気持ちの良い自然林です。


この尾根は平坦で、倒木もありますが歩きにくい所はありません。道らしきものもあります。しかし標高350mくらいになるとシダが増えてきます。それを避けながら西向きに登っていきました。看板がありましたが真っ茶色で読めませんでした。踏み跡もあって、歩いていくと展望の良い場所に出ました。地形図でも崖になっています。そのまま南に降りていくと林道田原上線に出ました。「国山 国有林」の表示があります。林道を渡り、南の520m+に登りました。ピークには頭の赤い標石がありました。これはこの先でたくさん見ました。西に降りると踏み跡があり、マーキングもあるのでそれを歩きました。マーキングの下には赤い頭の標石があることが多かったようです。しかしシダ藪で踏み跡もときどき見失いました。それでも方角ははっきりしているので、可能な限りシダを避けて歩きました。赤い標石のところで南東に曲がりましたが、ここからは2018/01/06に妙見山から歩いたルートです。道というか踏み跡というか、シダに覆い隠されそうですがマーキングがあるので問題はありません。GPSを見て曲がるべき所は気を付けて道を探しました。340m+のピークでも西に曲がる道ははっきり分かりましたが、シダの中の道です。一旦降りてから登り返すところもシダ藪で、大きな塊もあったので少し北に巻いてから南に歩いて国山(357m)の山頂に着きました。山頂プレートが二枚あり、頭の赤い標石がありますが、展望のないシダだらけの山頂です。


次は東の北谷三角点に行くつもりでした。来た道を戻っても行けましたが、あまり魅力的なルートではなかったので、南に歩いて350m+ピークから南東の尾根に降りました。350m+ピークには、人工物っぽい少し高くなったところがあって、昔はお地蔵様くらいあったかも、と思いました。ここからの南東の尾根はシダで覆われており、マーキングもありません。方向もわかりにくく、最初は西寄りに降りてしまい、シダをかき分けて東に戻りましたが、その後もシダ藪を降りました。明確な踏み跡は無いのでシダの薄いところを探しました。棘のある灌木が少なく、シダも腰くらいの高さまでなので助かりました。270m+の鞍部まで降りるとシダはなく、東に降りました。地形図では溜池がありますが、水はありません。砂漠のような風景ですが、堰堤はありました(写真)。溜池の東側の斜面は再びシダ藪で、木に掴まって登っていき、尾根に上がるとシダが減って少し楽になりました。北谷四等三角点(324.01m)は倒木の多い自然林の中でした。


北谷三角点からの下山は難しい問題です。北には傾斜が緩そうですが、地形図の溜池の先は急斜面です。とりあえず北谷三角点から東に延びた尾根を歩くと、シダ藪になりますが踏み跡があります。尾根が南東に曲がって、下り始めると地形図では両側が岩場ですが、尾根上にも岩があって展望もありました。足元は低いシダですが、踏み跡は無くなりません。こうなると踏み跡を信じて下山するしかないと覚悟を決めて、踏み跡を歩き続けました。期待どおりに踏み跡は東向きの尾根に下っていきます。ときどき踏み跡を見失いましたが、周囲を探して踏み跡に戻りました。この踏み跡はかろうじて地面が見える程度のものですが、シダが生えていると地面は見えないので、踏み跡のおかげでだいぶ楽に降りられました。尾根は南東に曲がりますが、踏み跡は東に降り続け、シダが無くなりました。しかし落ち葉の多い滑りやすい斜面で、滑りそうで危険なので南に寄って少しシダの生えている所を降りました。勾配が緩くなっても滑りやすさは変わらず、またしても木に掴まって降りました。最後はフェンスがありましたが、扉を見つけて畑に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「和気」「万富」です。




2025年2月16日日曜日

赤磐市の金子山


この金子山は赤磐市と和気市の境にありますが、赤磐市側から登りました。熊山英国庭園の北側にある赤尾山はグーグルの地図では城趾となっています。西側の太陽光発電施設から北の鞍部に道がありますが、そこから南に登ろうと思うと、墓地があってその南は竹藪で踏み入れるのは大変そうでした。諦めて北側の墓地を抜け、尾根沿いに北に歩きました。この付近も赤尾山廃寺ということになっていますが、特に遺構はありません。しかし昔お寺があったとして不思議ではないような平らな場所でした。灌木の藪ですが楽に抜けられて、北に歩くと地形図にもある道が西側から上がってきて、そのまま溜池まで続いていました。溜池からは藪を横切って184m地点を目指しました。この付近の藪もたいしたことはなく、木がまばらなので楽に登れました。184m地点付近も平坦です。少し登ると岩が増えてきて、西側から谷が上がってきている付近はやや凸凹が多く、人の手が入っている感じでした。その先も楽な登りで、気がつくと市境の稜線に出ていました。カラフルな荷造り紐のマーキングがあり、道もはっきりしています。西に歩いて加三方三等三角点(299.79m)のある金子山に着きました。展望はありませんが、気持ちの良い自然林の中です。登り始めて1時間もかかっていません。


金子山から東に稜線を戻り、そのまま市境を歩きました。派手なマーキングが続き、荷造り紐を横に張っている所もあって松茸山のような雰囲気です。220m+ピークの手前では地形図にあるように道が横切っており、道を東に歩きました。この道はしっかりしたもので、例によって荷造り紐が張ってあります。しかし少し荒れている感じがして、大きなシダの塊もありました。花折三角点の西で派手なマーキングは北に曲がっており、東には行けないようになっていました。何かのハイキングコースだったのでしょうか?稜線の道は続いていますが、花折四等三角点(187.52m)は道からは見えないところにありました。やや藪っぽい道を南東に降りていくと、地形図で実線道が始まる付近には廃墟となった人家がありました。別荘のようなものだったかも知れませんが、廃車が数台あり、衣服やポリタンクが散乱していました。この下には人家があり、そこから南の墓地を通ってさらに稜線を歩きました。ここにも道がありますが、消えかかっています。しかし歩くのには障害物はなく、気持ちよく林を抜けて南に歩くと、給水タンクがありました。ここがグリーンタウン殿谷の一番上です。別荘地ですがあまり売れていなくて、太陽光発電施設が作られていました。いろいろな作りの家があって、それを見ながら下山しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「万富」です。



2025年2月14日金曜日

曽我井城跡から新宮三角点

 


たつの市新宮町から揖保川を渡ったところに東山公園という紅葉の名所があります。この付近の山を歩きました。地形図では志んぐ荘の前から南の山に登るジグザグの道がありますが、小川を渡る方法がありませんし、遠目にも道が確認できません。そこで案内板に従って谷の奥へ歩くことにしました。案内板では、大山桜を目指すと曽我井へ抜けられます。歩いていくとまず左手に不動の滝らしい滝があり、それから水のあまりない洪水調整池があり、ベンチがあって吉島古墳の方向が見えました。この付近が曽我井に通じる峠で、まずここから西の尾根を歩きました。最初は気持ちの良い自然林ですが、徐々にシダが増えてきます。所によっては腰くらいの高さがあり、踏み跡も不明瞭ですが、南向きにベンチのある岩場があり、姫新線の列車が走っているのが見えました(写真)。さらに180mピークまで行くとシダの間に曽我井城([1])と書かれた杭がありました。


180mピークからシダ藪を引き返し、曽我井への峠まで戻りました。ここには北側斜面に登る階段があります。低い扉に鍵が掛かっているので乗り越えて植林の尾根に上がりました。ここからちょっと急斜面を登りました。たまにシダが生えていますが、障害物はありません。北に歩くと尾根は東に曲がり、224mピークにはネットが張られていました。眼の前に東側の280m+の鋭いピークが目立ちます。ここは方向を間違えずに北に降りて、その先の200m+の鞍部は地形図通りに東から道があり、西にも繋がっているかも知れません。ここから再び登りとなり、標高290m付近まで来ると広い平らな場所で方向がわからなくなりました。新宮三角点を目指していたのでGPSを見て西に方向を定めて歩きました。ここもたまにシダが生えていますが、巻いて進めることも多く、あまり障害にはなりません。少し斜面を登ると見晴らしの良い270m+ピークに出ました。木が邪魔ですが、西の方向がよく見えます。ここから南への下りは南斜面なのでシダが元気で、踏み跡も見つからず、腰くらいの高さのシダの間を降りました。170m+の鞍部付近はシダがなく、西には道があったかも知れません。ここから西の尾根もシダが生えていますが、それを踏破すると新宮四等三角点(185.28m)に着きました。近くに二八と掘られた標石があって、そちらが目立っています。ここも木が邪魔ですが展望があります。


新宮三角点は地形図で見ると急勾配の斜面で囲まれています。しかし南には保安林の標識があり、植林されていました。どの木もまったく育っていないのですが、そちらへ降りていくとシダ藪になりました。低いシダなので斜面を下れましたが、そのうちに岩が増えてきて、崩落しないようにワイヤで固定してあります。岩場は降りられないので東寄りに岩を避けてワイヤの上を歩いて降りていきました。少し降りるとシダ藪になりましたが、この付近はあまり急斜面ではないのでさらに東寄りに降りて、東山公園に出ました。この下山は安全とは言えません。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「龍野」です。



2025年2月1日土曜日

日生町寺山の大池

 


兵庫県と岡山県の県境に帆坂峠があります。ここは山陽自動車道と県道96号線が通っています。高速のガードをくぐって対向車に気をつけながら少し走ると、寺山大池にでます。この土手に車をとめました。土手には「寺山大池を讃える詩」が立っています(写真)。昭和30年に改修された時に立てられたものです。この溜池の水は三石方面に流れて行っています。特にどの山に登るか決めていなかったので、まず地形図の破線道を南に歩いてみました。するとすぐに民家の廃墟が二軒ありました。地形図にありますし大池の反対側からも見えますが、付近に耕作地がないのでなぜここに住んでいたのか不思議です。住人はあまり物を持たずに去ったらしく、家の中は荒れており、古い家財道具が散乱していました。スーパーファミコンとプレイステーションがあったので、30年近く前の状態でしょうか。


民家の南ははっきりした道がありませんが、谷の方に入っていくと踏み跡がありました。シダが茂っており、ときどき踏み跡は怪しくなります。場所によっては谷の中央しか歩けなくなるので、水量が多いときにはたいへんでしょう。シダや灌木の枝が邪魔でも踏み跡は続いており、シダのない沼っぽい場所の先には地形図にある小さな池がありました。溜池ではないようです。これを通り過ぎると、地形図通りに林道に出ました。ここを西に行くと蕃山まで5キロ以上に渡る大谷川沿いの長い谷があるのですが、そちらには行かず大池の南の山に登る道を歩きました。真砂土っぽい色の道を登って270m+の山頂に上ってみましたが、2023年に来た人のテープがあるだけです。しかし木の向こうに寺山の集落が見えるので、溜池ができた頃には展望地だったかも知れません。さらに道を歩いて次の210m+のピークに行きましたが、ここも木が邪魔ですが展望地でした。このあと谷を渡って東に行く道は現在の地形図では途中で終わっていましたが、実際には寒河に抜ける寺山林道までつながっており、大池の周回道路となっていました。


ここまで藪はありましたが山に登ったという実感がなかったので、南の寺山三角点に登ってみようと思いました。林道から入りやすそうな場所を探してシダ藪に入り、斜面を登りました。たまにシダのない場所もありましたが、ずっとシダの草原が続きました。シダの背がどんどん高くなっていき、足元は全く見えず、前も見えない状態になりました。マーキングは皆無です。踏み跡が現れることを期待して1時間近く頑張りましたが、標高250mまで登ってリタイアしました。下山は登ってきたルートを戻ろうとしましたが、どこを登っていたか判らず、結局楽に下りられる方向に行き、東の谷を降りました。谷も巨大なシダが繁っている所がありますが、少し降りるとシダの生えていない場所がでてきて、枝を避けながら降りました。林道に戻ってからは、寺山大池を回って土手に戻りました。この付近のシダ藪は突破不能です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。



2025年1月30日木曜日

愛の泉から西光寺山

 


西脇市と丹波篠山市の境界にある西光寺山へは、2012/08/22、2016/02/06、2016/12/29と登っていますが、今回はGoogleマップに愛の泉という湧き水を見つけたので、そこから登りました。これは2016/12/29の逆コースです。畑谷川沿いから人家の間を抜けて右の道に進み、害獣避けの扉を抜けて林道を歩きました。自動車が通れる道です。愛の泉は道路脇のパイプから流れ出ていました。山の方から引いてきているのでしょう。(写真)


さらに林道を登って行くと谷の名前が書かれた札がいくつかあり、「まちをきれいに」という西脇市の立て札があり(ここが「まち」?)、堰堤がありました。ここは2016/12/29に降りてきた地点です。北寄りの道があり、マーキングもあるので歩きました。堰堤がいくつかあり、階段も作られているので登山道のような感じでした。谷沿いの道を登っていくと、それまで木からぶら下がっていたピンクのマーキングがなくなりました。見上げると植林の間にシダが生えていますが、登れそうなのでシダをかき分けて登って尾根に上がりました。尾根上は少し歩きやすかったのですが、すぐにシダ藪になりました。かなり強烈な藪で、しかも急斜面です。かき分けながら登っていくと、ピンクのマーキングを見つけました。道があるのかと思ったのですが、付近は背丈を越えるシダ藪の急斜面です。しかし道があると信じてシダの下に道らしい地面が見えるところを登りました。しばらく頑張ってマーキングに従って登ると、シダが減って岩が増えてきました。この付近からは2016/12/29に下山した尾根です。そしてようやく大峯四等三角点(617.99m)に着きました。


大峯からはお気楽な稜線歩きとなります。加東市最高峰の加東神山、洞ヶ山など山名の札が掛かっていました。洞ヶ山の北は急斜面ですが、ロープがあって助かりました。そして少し尾根の東側の道を歩き、今田からの登山道と合流しました。ここからはすぐに西光寺山の山頂です。東屋と祠があり、新しい案内板がありました。展望は良好です。西光寺三等三角点(712.71m)があります。


下山は素直に登山道にしました。最初は斜面に溝が掘られており、急なところにはロープがありました。どの木がウバメガシか判らなかったウバメガシの群落を過ぎ、こぐり岩の付近には御奉塔、不動明王参道、行者参道(行者様はおられない)など見るものが多いのですが、まだ道半ばです。最終的には中畑林間ファミリー園に降りますが、右ルートは藪化しているような感じでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「谷川」です。



2025年1月28日火曜日

和気の鳥ヶ佐古山


岡山県自然保護センターの北の山です。まずは美作岡山道路の高架下から田尻城を目指しました。舗装道路を登ると階段があって登ると墓地と鬼子母神がありますが、まっすぐに行くと藪を通って尾根に出ます。この付近が田尻城のようですが、何もありません。とても里山らしい雰囲気で、笹や倒木が邪魔ですが、通れないほどではありません。シダも一部にありますが、巻ける程度でした。ところどころに踏み跡もありました。西奥四等三角点(210.31m)までこんな感じで、その先もシダ藪を巻きつつ歩きました。しっかりした道もときどきあり、鳥獣保護区の赤い札がありました。特別保護地区の札も一緒に立てられており、ここからは岡山県自然保護センターのようでした。


道は徐々にわかりやすくなりましたが、特別保護地区の札が立っている前が道なのだろうと想像しながら通り過ぎる所もありました。細尾根に向かうところは意外と分かりやすく、北に向かって238m地点を過ぎ、相変わらずシダ藪を避けながら北に歩きました。赤磐市との境まで来ると佐伯町の杭がありました。この先はマーキングがはっきりしてきます。道もはっきりしてきたので、赤磐市との境にはこだわらず、道を歩いて北に行きました。地形図では破線道があり、それが鳥ヶ佐古山に行っていますが、この破線道はほとんど残っておらず、場所が谷なので倒木で歩きにくく、結局尾根に上がって適当に林を抜けて山頂を目指しました。尾根に上がると大きな岩のある場所があり、それを過ぎるとちょっと開けた所に角の欠けた田賀三等三角点(311.49m)の標石がありました(写真)。小さな鳥ヶ佐古山のプレートが木にくくりつけられていました。


山頂からは西に歩きましたが、ちょっと北に歩くと荷造り紐の張られた道がありました。これを西に歩くと「行き止まり」の札が反対向きに立っていました。これは自然保護センターの遊歩道でした。センター内はあまり変なところを歩かないほうが良さそうなので、遊歩道で湿生植物園やタンチョウ飼育センターを見ながら下山しました。センター内の地図を見ると、歩いてきたルートはほぼ特別保護地区の境界のようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「周匝」です。



2025年1月25日土曜日

西脇の中畑三角点とこぶ岩

 


西脇の北東、三角点山の東にある中畑三角点は、2014/03/19に南の畑谷川沿いの中畑町から登りましたが、今回は北側の門柳川沿いから登りました。車を日時計の丘公園にとめました。ここから2013/02/17に三角点山から下山した時に通った道を登りました。動物捕獲用の檻の脇をまっすぐに歩き、谷を登っていきます。マーキングもあり、すぐに219mの鞍部に出ました。


鞍部から北に稜線を歩きました。この尾根はシダが茂っていますが、踏み跡はあります。シダは場所によっては胸のあたりまでの高さがあるので、踏み跡を外して尾根の中央を歩こうとすると藪漕ぎになります。我慢して登ると324mピークの手前には少し岩場があって、振り返ると加古川まで展望がありました。その後ちょっとシダの間を登ると、NHKの共同アンテナのある324mピークに出ました。共同アンテナがあるので、なんとなく北の尾根にも道がありそうでした。ここから尾根は東に向かい、少しシダが減って楽になりました。しばらくはアップダウンも少なく、その後少し登ると主尾根に出ました。木の間隔が広めで歩きやすい尾根です。北に登り、470m+ピークで東に曲がり、徐々に岩が増えてきた斜面を落ち葉に足を取られながら登っていくと、中畑三角点(598.01m)に着きました。杉原山という名前があるようですが、山名のプレートはありません。


下山はまず来た道を戻りました。470m+ピークまで戻って、北の318mピークにつながっている尾根を目指して北斜面を降りました。最初は急斜面でしたが、落ち葉はあるものの木に掴まりながら降りられました。少し降りれば尾根で、道もありました。茂ったシダを巻いて降りると、こぶ岩がありました。こぶのような出っ張りがたくさんある大岩ですが(写真)、裏面を見るとのっぺりしていました。なんとなく不安定で、地震で倒れたら元に戻すの大変そうでした。ここからは参道がありましたので、それを降りました。こぶ岩への矢印がたくさんあって迷わず降りられましたが、途中で意外な方向に行くので半信半疑でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「谷川」です。



2025年1月17日金曜日

野村登山口から西脇の矢筈山

 西脇市民にはお馴染みの(?)矢筈山には西脇市街から登山道が整備されています。今回は一番遠い野村登山口から登りました。名前とは異なり、この登山口は野間川沿いの平野町にあります。送電線の鉄塔の巡視路で、急斜面を黒いプラ階段で登ります。巡視路がなければ登らない斜面ですが、ロープもあり、問題なく登れて加美町線九鉄塔に着きました。展望があります(写真)。ここからは西に尾根歩きです。突き当りには道標があり、南には行けないようになっていますが、南にちょっと歩いてシダに囲まれた平野四等三角点(27398m)を見てきました。そして、北に縦走です。矢筈山まで約120分となっています。


東屋があり、ここは西脇市街だけでなく西に馬事公苑も見えます。さらに北に歩くと岩場になり、298mピークめがけて登りとなります。ここでもロープは役に立ちました。ロープは登りでは引っ張って登れば上半身の鍛錬になりますし、下りでは落ち葉で滑って転ぶのを防げます。展望はずっと続き、素晴らしい縦走路です。330m+ピークは東に巻いて進み、加美町線一九鉄塔を過ぎて、東に折れると急登になります。しかし道が整備されているので意外と楽に登れて、矢筈山の山頂に着きました。小屋だけでなく稲荷大明神とか行者大菩薩など賑やかな山頂です。そして少し北に歩くと矢筈山三等三角点(362.98m)があり、ここは矢筈山城となっています。


下山はもっと北に歩きました。高田井北登山口からの登山道を過ぎて、ちょっと整備の程度は下がりますが市原峠へ縦走路が続きます。ここは2012/02/18に北から歩いています。320m+付近から北に降りるところは急な道でした。周囲は大きなシダ藪で、道がなければ歩けません。登り返して295mピークを過ぎ、その先の280m+から西に地形図の破線道を降りようとしました。しかしこの付近はシダが茂っており、踏み跡もかすかです。大きなシダに突っ込まないように西に降りていくと、徐々に南寄りに降りて行ってしまいました。結局は谷に降りることになり、これなら280m+に上がらずにその手前の鞍部で西に降りたほうがよかったと思います。この谷は倒木がありますがなんとか歩けて、そのうちに道らしきものが見つかり、さらに立派な道になりました。あとは出合町に出て、馬事公苑の前を通って野間川に戻りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆ 下山が問題

地形図は「西脇」です。



2025年1月15日水曜日

上郡の高田城跡と福峰山

 


姫路から龍野を通る県道5号線を西に走り、椿峠を越えて高田台の手前で北に行くと、奥という集落があり、八幡神社があります。ここの裏手から単なる里山だと思って登り始めました。最初はかなりの勾配ですが徐々に楽になり、里山歩きになりました。徐々に道もはっきりしてきて、標高290m付近では鉄塔の跡で休みました。そのうちに斜面が人工的な段になり、ついには登れないような段差になりました(写真)。回り込んで登ると、高田城跡という青い札が木に掛かっていました。深い空堀もあって、いかにも山城でした。しかも登っていくとまだまだ平坦地が作られており、林道がループしている359mピーク付近も山城跡という感じでした[1]


ここからは林道を歩きましたが、途中で414mピークに登ってみようと思い、林道から離れました。この付近の藪はシダが少なく、少し枝を避ければどこでも歩ける感じでした。414mピークには特に何もなく、方向を失って東に降りてしまいましたが、適当に藪を降りて林道に出ました。ここからは地形図を見ながら地形図の西向きの実線道を歩きました。これは車が通れる道です。しばらく歩くと道が複雑に枝分かれしている場所に出ましたが、真っ直ぐ行く道を選びました。この道は新山寺池をまわって、堤防に着き、その先は谷沿いに下っていきます。西へ行く道はないので、斜面を登りました。ここも特に障害物のない斜面で、しばらく歩くと2022/12/29に歩いた林道に出て、かわいい祠が2つありました。その裏には留山三等三角点(435.24m)があります。


2022/12/29と同じように西に歩きました。くねくねと曲がった尾根で、379m地点を過ぎて、西に行きたくなるところを南に曲がり、細尾根を通って340m+に登り、南に歩いて福峰山に着きました。神明寺四等三角点(334.3m)があります。ここの展望は素晴らしく、宝台山から高田台、千種川が見渡せます。山城には向かないにしても、砦はあったでしょう。


下山ですが、福峰山から南の砂地の斜面にロープが張られています。これを伝って降りました。急斜面で、地面は小さな岩のある砂地ですが、落ち葉が積もっていて滑ります。ロープがなければ降りられない斜面で、登山するなら普通はこんな急斜面ではなく、東の尾根を使うと思います[2]。しかしロープのおかげで滑って転ぶこともなく、なんとか下山できました。標高差150mに渡ってロープが張ってありました。植林を下ると荒神社に出てきました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「二木」です。