2025年4月12日土曜日

庵の行者山から桑野へ

 

佐用町庵の行者山(鷲栖山)には、2011/02/06と2011/02/26に登っています。今回の登りコースは2011/02/06の下山コースです。庵川沿いの県道443から害獣避けの扉を3つ抜けて尾根の先に出て、落ち葉で滑りやすい斜面をジグザグに登りました。尾根に登って少し行くと石仏がありました。前回は石仏に気が付かなかったようですが、この後もいくつも見ましたが、どれも行者像には見えませんでした。尾根はツツジが満開でした。両側のツツジの間を抜けていく感じで、素晴らしい山歩きでした。同じコバノミツバツツジでもピンク色の薄いものも濃いものもあり、見ごたえがありました。少しずつ登っていき、378mピークにも小さな石仏がありました。まだツツジが綺麗ですが、アップダウンもそれなりにあります。行者山に向かって尾根が東に曲がる付近にも新しげな石仏がありました。ここから行者山へは巨大な岩が聳えています。とても登れないので岩に沿って南側に行くと、前回の下山と同じコースになりました。大岩に沿って南側をまわるとまた新しげな石仏がありました。その先は足元が不安定でしたが、なんとか切り抜けて急斜面を木に掴まって登りました。前回はよくこれを降りたものです。そして行者山の山頂に着きました。祠があります。鍵がかかっていますが板の隙間から少し中が見えて、昭和13年と40年に鳥居を再建していることがわかりました。縁起書もあるようですが完全には読めません。


山頂からは北に行くつもりだったのですが、急斜面で降りられなかったのでトラロープのある東向きの岩場を降りました。これもかなり急な岩場で、トラロープに頼って降りました。降りたところには行者山への道標の他に「岩窟へ」という道標があり、北斜面にトラロープが張られていました。ちょうど北の尾根の方向でもあったので、トラロープに掴まって斜面をトラバースしました。しかしロープはあっても道がなく、足元は落ち葉で滑りやすい急斜面ということで、冷や汗をかきました。しかも途中でトラロープがなくなり、木に掴まって西にトラバースを続け、ついに岩窟に着きました。法華経の文言の刻まれた宝篋印塔と行者像などがありました(写真)。


岩窟まで来ても北の尾根へ下るのは容易ではありません。下の尾根が見えないので、とりあえず東に少しずつ降りながらトラバースし、木が生えていて掴まれる所を探して滑りやすい斜面を降りました。倒木の多い谷状の地形を降り、咲いているミツマタの間を西に戻って、ようやく尾根歩きになりました。歩きやすい尾根で、植林も少しありましたがツツジも増えてきて、395mピークにはアシビが咲いていました。この先は北にツツジを見ながら岩の多い尾根を降りました。途中で西に尾根は曲がり、相変わらずツツジが綺麗でした。問題は尾根の先端で、西寄りが斜面がやや緩く楽そうだったので降りました。植林で木が多い場所を選びましたが、木に掴まって降りるのがやっとでした。降りると墓所がありました。当然墓参りのための道があるはずと思って庵川へ行くと橋はなく、ハシゴのようなものを飛び石に載せて渡るようになっていました。しかしハシゴを使って渡ってしまうとハシゴを元の場所に戻せないので、渡りやすい場所を探して飛び越しました。上流に行けば橋があったようです。


山の上はツツジで一杯でしたが、下から見上げるとツツジはほとんど見えず、斜面の桜が目立ちました。ツツジは背が低くて見えにくいのかも知れません。だとしたら登って見に行くべきです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「土万」です。



2025年4月1日火曜日

鬼門大荒神から登る一宮の宮山

 


一宮町東市場の宮山(みやま)には2009/07/18に登りました。10数年経ってだいぶ変わっているかもと思って、今回は北寄りから登ってみました。鬼門大荒神という赤い鳥居の神社があります。背後の山の上の方は笹が生えていますが、フェンスがあって扉があります。ここから林に入って登山開始です。東市場生産森林組合所有地とのことなので気をつけて登りました。しかし最初は里山です。道のようなものがあるところではそれに従いましたが、それ以外は適当に登りました。たまに植林もありますが、ほとんどは自然林です。勾配はそんなに急ではありませんが、木に掴まれれば楽でした。たまに少し平坦になるので一息つきながら登り、1時間ほどすると岩が増えてきて、枝の間から展望もあって、1時間弱で宮山の山頂に着きました。東市場四等三角点(514.35m)があり、2009年にはなかった宍粟50名山の杭がありますが、それにも増して岡城跡という説明板がありました。山頂はあまり広くないので、大きな城ではなかったでしょう。


山頂から北東の尾根に向かいました。こちらも大きな岩がたくさんあります。城としては邪魔だったのではないでしょうか。歩くにはさほど邪魔ではありません。途中にひとつ堀切らしき場所がありました。たまに展望があり、藪はほとんどなく、下草は全く無いという歩きやすい尾根ですが、大岩を巻いたところもありました。510mピークを過ぎて急斜面を登り、さらに徐々に登っていくと倒木地帯もありました。倒木はあまり多くないので、跨いで行けました。その後も上りが続き、金属プレートの打呑口四等三角点(735.54m)に着きました。ほぼ落ち葉に隠れていました(写真)。


下山は尾根を少し西に戻り、北向きの尾根を降りました。こちらも藪や下草はないのですが、木が邪魔で見通しがきかず、迷いそうな所もありました。急斜面もあって木に掴まって降りましたが、落ち葉で滑りやすく、ジグザグに降りるように心掛けました。マーキングや人工物は皆無で、植林もありません。まさしく里山の雰囲気でした。最後は少し西に寄り過ぎましたが、東に戻って2010/12/12に通った道に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2025年3月30日日曜日

生野町川尻から登る川尻三角点

 


2013/04/13と2023/06/25に歩いている生野の西の山ですが、今回は南の川尻から登りました。生野から市川に沿って西に歩くと、川尻の集落の前に北に入る林道があります。これを使っても登れそうでしたが、とりあえずは川尻の集落まで歩いて山に向かう道に入りました。人家を抜けるとお寺(圓福寺)があり、その先に大歳神社があります。その先は昭和59年竣工の奥山川堰堤です。この先も道が続きますが、右手の植林が登りやすそうだったので、そちらに行きました。植林なので歩きやすく、どこでも歩けてしまいます。しばらく登ると赤い「火の用心」があり、西向きに「神社」登りは「No 15」です。ということは、堰堤を越えて歩くと、巡視路の入口があったのかも知れません。さらに登って行きましたが、巡視路のようなものは特に無く、作業道を探しながら登りました。ずっと植林ですが、少し急斜面になると地面に落ちている枝が邪魔なこともありました。主尾根に近づくとまた「火の用心」があって、下が「神社」右が「No 16」となっています。右に行く道がありますが、まっすぐに尾根に上がろうとすると棘のある木が多い藪に阻まれました。とりあえず南に藪を抜けて、大河内線一五鉄塔に行きました。


この尾根には良い道があります。北に歩くと先ほど登ってきた藪には地籍図根三角点がありました。その先は真っ直ぐではなく、西側のミツマタの生えている方が巡視路です。この北は尾根から少し外れた所に鉄塔がたくさんありますが、それは2013/04/13の地図に描いてあります。整備されて巡視路で、黒いプラ階段もあります。ときどき西側の段ヶ峰方面の展望があり、しばらく歩くと、川尻三等三角点(678.79m)に着きました。前と変わらず背の高い枯れた笹に囲まれています。


三角点からまっすぐに東へ歩くと2023/06/25に登ってきたコースですが、今日は北に降りました。640m+ピークまで巡視路を歩き、東の尾根に向かいました。なんとなく道がありますが、標高600m付近で藪に消えてしまいました。ここは地形図ではわかりませんが深い谷です。谷底の小川は南に向かって流れていますが、それを渡って植林の斜面を登りました。この先もわかりにくい地形で、何度もGPSを確認しました。600m+ピークから急斜面の植林を降り、東の尾根に曲がりましたが、この先も単に尾根を辿って降りると間違った方向に行ってしまうので、GPSを頼りに降りました。東向きの尾根を420mピークを目指して歩いていると、道がありました。道の脇には立像と坐像が並んで彫られている石仏があり、四国八十八ヶ所を巡れるようでした(写真)。かなり傷んでいるものや、部分的に修復されているものもありました。ありがたくこの道を歩かせて頂いて、延應寺に下山しました。56番付近から歩き始めましたが、途中で倒木があり、急な道を降りると76番があり、道はここで終わっていました。正しい道は倒木の先で、橋を2つ渡りました。86番から先は延應寺にありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「生野」です。



2025年3月28日金曜日

新宮の東山公園から登る北山三角点

 


2025/02/14に、新宮の東山公園から南の山の曽我井城跡に行き、それから北に回って東山公園に戻りました。今回は北の方の山に登ろうと思い、まず前回に登れそうだと思った200m+の鞍部を目指しました。東山公園から北東に延びる谷を登りました。昨夜の雨のせいか、谷には激流が流れていました。遊歩道が終わっても道があり、踏み跡程度になってもピンクのマーキングがあるので、それに従って登りました。谷の上の方はかなり平坦で、水流を渡る所もありましたが、その付近では水量も少なく難なく渡れました。なんとなく道らしいものが現れて、小さな切通しになっているのが前回に通った200m+の鞍部でした。


この後しばらくは2025/02/14と同じコースを北に登りました。標高290m+から東に降りていき、鞍部を過ぎて登り返して主尾根に出ました。この付近も楽に歩ける自然林です。いったん主尾根を南に歩いて、北山三等三角点(396.06m)に着きました。冬は葉が落ちているので東西に展望があります(写真)。2009/09/21に来たときとはかなり雰囲気が違っていました。ここから2009/09/21同様に北に引き返し、やや急な斜面を下って行きました。260m+の鞍部に着くと龍野揖保線四四鉄塔がありました。この鞍部は地形図では破線道が横切っています。2009/09/21にはこれを苦戦しつつ東に降りました。2006/4/22には西に降りていますが、道が無かったようです。ということで、さらに北に歩きました。


急な坂を北に登ると道は二手に分かれて、西に向かう道もあります。赤い「火の用心」はありませんが、これは明らかに巡視路です。整備された道で、龍野揖保線四五鉄塔に着きました。この先を西に向かうとしばらくは巡視路がありますが、次の鉄塔は北の斜面にあるので、途中で北に降りていってしまいます。巡視路を降りるのが一番安全なのはわかっていたのですが、尾根を歩きたかったので西に向かい、さらに北向きの尾根に降りました。マーキングはありませんが、シダが生えていると踏み跡があるのがわかりました。しかしシダはなるべく避けて北側の斜面を歩きました。最後は地形図にある破線道を目指して降りましたが、どんどん急斜面になっていきました。この付近は地形図で見ても降りるべきでない急斜面になっています。木に掴まって降りましたが、岩もあり落ち葉も滑りやすく、大苦戦しました。目指す破線道の方に行くのも難しく、降りられそうな斜面を探すと北に降りてしまいました。最終的には降りられましたが、危険な斜面でした。降りるとフェンスがあり、その外は用水路ですが、地形図の破線道のところには橋が掛かっていて扉がありました。破線道そのものは、見あたりませんでした。つくづく、巡視路を降りるべきでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆ 最後の斜面は危険

地形図は「龍野」「安志」です。



2025年3月22日土曜日

西から登る美作の男滝山


 兵庫県からちょっと西に出たところにある男滝山には2014/03/22に男滝から登っていますが、今回は西の柿ケ原から登りました。柿ケ原池の堤防のところから少し入ると北東に谷があり、ここを登りました。勾配の緩い谷で、少し倒木がある程度で問題なく登れました。最後はちょっと木に掴まって登ると、荒れ気味の里山という感じの尾根になりました。歩くには問題ありませんが、古い有刺鉄線があるのが気になりました。踏み跡が徐々にはっきりしてくると、ボロボロの波板で作られた小屋がありました。この付近の道ははっきりしており、地形図通りの部分もありますが、東に行くと下っていきそうだったので尾根を登りました。430m+で2014/03/22に歩いた道に出ました。次の440m+のピークへは真っすぐの急勾配の岩場を登りましたが、巻き道もあるようです。もう一度急勾配を登ると地形図の実線道に出ました。これは防火帯のような広い切り開きです。これを歩いた行くと男滝山に着きました。男滝三等三角点(446.13m)は林道が曲がる所にあります(写真)。


男滝山からはさらに2014/03/22の逆コースで南に歩きました。幅広い道です。何回か曲がったあとで「Energia No.50」の札から林道を外れて西に巡視路を歩きました。黒のプラ階段を登ると西播東岡山線五一鉄塔がありました。展望があります。さらに西に巡視路を降りると北向きの尾根に行ってしまったので、戻って南西の尾根を下りました。踏み跡がありますが、ときどき見失って彷徨いました。しかし鞍部に出ると簡易コンクリート舗装の道が横切っており、北に行くと地形図どおりに太い林道に出ました。ここからは林道を歩けばよかったのですが、藪っぽい斜面を登って400m+のピークを通り、北に降りました。結局林道と合流し、林道から少し北に上ると西播東岡山線五二鉄塔がありました。巡視路を歩いてくればよかったようです。


ここからも巡視路を53号鉄塔に向けて歩きました。いったん林道を横切り、さらに390m+を通り、次の鉄塔の手前で巡視路から北西に向かう道を下りました。こちらの尾根にも道がありますが、ときどき見失いました。410m+ピークは東を巻き、倒木が増えて藪っぽくなりながらも、なんとなく北に降りていきました。最後は段になった旧耕作地で、ぬかるみを避けながら降りていくと、八幡神社に出ました。


地形図で見ると人家から遠いエリアなのですが、林道がたくさんありました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「林野」です。



2025年3月20日木曜日

西脇市住吉町から登る中口山

 


中口山には2016/12/24に東の今田から登っていますが、今回は西側の畑谷川側、それもずっと南から登ってみました。畑谷川沿いに東に県道36号線を走ると、南側に水車の見える所があります。この付近から歩き始めました。山沿いの道を少し東に歩くと、何の表示もないのですが、山に向かう道があります。ここを入りドラム缶のある荒地を抜けて林に入ると、一合目の説明がありました。説明と言っても勝尾汁のことが縦一行に書いてある青い板です。こんな調子の説明板がずっとあって、これが登山道であることは間違いありません。トラロープがずっと張られていますが、落ち葉に隠れてロープを探す必要のあった所も何箇所かあります。いきなり「うえかどのお池」の説明板もあります。斜面にまっすぐに作られた登山道なので、かなりの急勾配です。木に掴まって登るような所もあり、どこに行くのかと思ったら岩の上に行者像がありました(写真)。これが行者山のようです。


行者山には西光寺山への道標があるので、それに従って登りました。これはわかりやすい道でしたが、稜線に合流したところをまっすぐ歩いたら西に行ってしまい、あわてて戻りました。ここは2012/08/22に歩いていますが、防火帯のような広い切り開きのある尾根です。奥多々良木線八〇鉄塔を過ぎて、幅の広い道をそのまま歩いていたら今田の方に下山しそうになり、ここも慌てて机坂峠に戻りました。東に斜面を登っていくと、机坂四等三角点(479.9m)に着きました。細い木に囲まれた、なんとなく寂しげな山頂です。


この先も稜線を北に歩きました。防火帯のように広い切り開きもありますが、ずっと続くわけではありません。尾根が東に曲がる付近の鞍部は伐採された木が転がっていて荒れていました。この付近は自然林を伐採したようなのですが、伐採した木がそのままで、目的がわかりません。474m地点を過ぎて、次に尾根が東に曲がる付近は北に展望がありました。東に斜面を登るとまた幅広い切り開きになりました。いったん450m-の鞍部を過ぎてから登り返し、540m+から南に歩いて、中口山に着きました。中口山三等三角点(555.7m)があります。


中口山から北へは、2016/12/24に歩いた稜線を歩きました。こちらは切り開きはなく、ときどき岩がありますが、少々藪っぽいものの歩きにくいという程ではありません。西に向かって畑谷川沿いが望めました。571mピークまで来て、北側に降りるのは難しそうだったので、そのまま真っ直ぐ北東に斜面を降りました。こちらも落ち葉が滑りやすくて、あまり降りやすい斜面ではなく、立木に掴まって降りました。最後は植林になり、県道36号線に降りられましたが、帰り道は峠まで登りでした。歩きながら見たところでは、濫觴公園に降りるのが正解だったようです。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「谷川」です。



2025年3月1日土曜日

東から登る和気の国山

 


和気の国山には北の妙見山経由で2018/01/06に登っています。今回は東の吉井川にある新田原井堰の付近から林道田原上線を歩きました。水道施設が二つあり、そこから道が悪くなりますが、車が降りてきたのにはびっくりしました。トリアゲ山三角点に行きたかったので、道が二度目のターンをするところから尾根に上がりました。ここには名無しの動物捕獲用檻が置いてあります。尾根への斜面は滑りやすく、木に掴まってなんとか登りました。少しの楽な登りの後、東側の尾根に再び木に掴まって登り、少し大きな岩のある自然林を歩いていくと、トリアゲ山四等三角点(349.39m)がありました。周囲は気持ちの良い自然林です。


この尾根は平坦で、倒木もありますが歩きにくい所はありません。道らしきものもあります。しかし標高350mくらいになるとシダが増えてきます。それを避けながら西向きに登っていきました。看板がありましたが真っ茶色で読めませんでした。踏み跡もあって、歩いていくと展望の良い場所に出ました。地形図でも崖になっています。そのまま南に降りていくと林道田原上線に出ました。「国山 国有林」の表示があります。林道を渡り、南の520m+に登りました。ピークには頭の赤い標石がありました。これはこの先でたくさん見ました。西に降りると踏み跡があり、マーキングもあるのでそれを歩きました。マーキングの下には赤い頭の標石があることが多かったようです。しかしシダ藪で踏み跡もときどき見失いました。それでも方角ははっきりしているので、可能な限りシダを避けて歩きました。赤い標石のところで南東に曲がりましたが、ここからは2018/01/06に妙見山から歩いたルートです。道というか踏み跡というか、シダに覆い隠されそうですがマーキングがあるので問題はありません。GPSを見て曲がるべき所は気を付けて道を探しました。340m+のピークでも西に曲がる道ははっきり分かりましたが、シダの中の道です。一旦降りてから登り返すところもシダ藪で、大きな塊もあったので少し北に巻いてから南に歩いて国山(357m)の山頂に着きました。山頂プレートが二枚あり、頭の赤い標石がありますが、展望のないシダだらけの山頂です。


次は東の北谷三角点に行くつもりでした。来た道を戻っても行けましたが、あまり魅力的なルートではなかったので、南に歩いて350m+ピークから南東の尾根に降りました。350m+ピークには、人工物っぽい少し高くなったところがあって、昔はお地蔵様くらいあったかも、と思いました。ここからの南東の尾根はシダで覆われており、マーキングもありません。方向もわかりにくく、最初は西寄りに降りてしまい、シダをかき分けて東に戻りましたが、その後もシダ藪を降りました。明確な踏み跡は無いのでシダの薄いところを探しました。棘のある灌木が少なく、シダも腰くらいの高さまでなので助かりました。270m+の鞍部まで降りるとシダはなく、東に降りました。地形図では溜池がありますが、水はありません。砂漠のような風景ですが、堰堤はありました(写真)。溜池の東側の斜面は再びシダ藪で、木に掴まって登っていき、尾根に上がるとシダが減って少し楽になりました。北谷四等三角点(324.01m)は倒木の多い自然林の中でした。


北谷三角点からの下山は難しい問題です。北には傾斜が緩そうですが、地形図の溜池の先は急斜面です。とりあえず北谷三角点から東に延びた尾根を歩くと、シダ藪になりますが踏み跡があります。尾根が南東に曲がって、下り始めると地形図では両側が岩場ですが、尾根上にも岩があって展望もありました。足元は低いシダですが、踏み跡は無くなりません。こうなると踏み跡を信じて下山するしかないと覚悟を決めて、踏み跡を歩き続けました。期待どおりに踏み跡は東向きの尾根に下っていきます。ときどき踏み跡を見失いましたが、周囲を探して踏み跡に戻りました。この踏み跡はかろうじて地面が見える程度のものですが、シダが生えていると地面は見えないので、踏み跡のおかげでだいぶ楽に降りられました。尾根は南東に曲がりますが、踏み跡は東に降り続け、シダが無くなりました。しかし落ち葉の多い滑りやすい斜面で、滑りそうで危険なので南に寄って少しシダの生えている所を降りました。勾配が緩くなっても滑りやすさは変わらず、またしても木に掴まって降りました。最後はフェンスがありましたが、扉を見つけて畑に出ました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「和気」「万富」です。




2025年2月16日日曜日

赤磐市の金子山


この金子山は赤磐市と和気市の境にありますが、赤磐市側から登りました。熊山英国庭園の北側にある赤尾山はグーグルの地図では城趾となっています。西側の太陽光発電施設から北の鞍部に道がありますが、そこから南に登ろうと思うと、墓地があってその南は竹藪で踏み入れるのは大変そうでした。諦めて北側の墓地を抜け、尾根沿いに北に歩きました。この付近も赤尾山廃寺ということになっていますが、特に遺構はありません。しかし昔お寺があったとして不思議ではないような平らな場所でした。灌木の藪ですが楽に抜けられて、北に歩くと地形図にもある道が西側から上がってきて、そのまま溜池まで続いていました。溜池からは藪を横切って184m地点を目指しました。この付近の藪もたいしたことはなく、木がまばらなので楽に登れました。184m地点付近も平坦です。少し登ると岩が増えてきて、西側から谷が上がってきている付近はやや凸凹が多く、人の手が入っている感じでした。その先も楽な登りで、気がつくと市境の稜線に出ていました。カラフルな荷造り紐のマーキングがあり、道もはっきりしています。西に歩いて加三方三等三角点(299.79m)のある金子山に着きました。展望はありませんが、気持ちの良い自然林の中です。登り始めて1時間もかかっていません。


金子山から東に稜線を戻り、そのまま市境を歩きました。派手なマーキングが続き、荷造り紐を横に張っている所もあって松茸山のような雰囲気です。220m+ピークの手前では地形図にあるように道が横切っており、道を東に歩きました。この道はしっかりしたもので、例によって荷造り紐が張ってあります。しかし少し荒れている感じがして、大きなシダの塊もありました。花折三角点の西で派手なマーキングは北に曲がっており、東には行けないようになっていました。何かのハイキングコースだったのでしょうか?稜線の道は続いていますが、花折四等三角点(187.52m)は道からは見えないところにありました。やや藪っぽい道を南東に降りていくと、地形図で実線道が始まる付近には廃墟となった人家がありました。別荘のようなものだったかも知れませんが、廃車が数台あり、衣服やポリタンクが散乱していました。この下には人家があり、そこから南の墓地を通ってさらに稜線を歩きました。ここにも道がありますが、消えかかっています。しかし歩くのには障害物はなく、気持ちよく林を抜けて南に歩くと、給水タンクがありました。ここがグリーンタウン殿谷の一番上です。別荘地ですがあまり売れていなくて、太陽光発電施設が作られていました。いろいろな作りの家があって、それを見ながら下山しました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「万富」です。



2025年2月14日金曜日

曽我井城跡から新宮三角点

 


たつの市新宮町から揖保川を渡ったところに東山公園という紅葉の名所があります。この付近の山を歩きました。地形図では志んぐ荘の前から南の山に登るジグザグの道がありますが、小川を渡る方法がありませんし、遠目にも道が確認できません。そこで案内板に従って谷の奥へ歩くことにしました。案内板では、大山桜を目指すと曽我井へ抜けられます。歩いていくとまず左手に不動の滝らしい滝があり、それから水のあまりない洪水調整池があり、ベンチがあって吉島古墳の方向が見えました。この付近が曽我井に通じる峠で、まずここから西の尾根を歩きました。最初は気持ちの良い自然林ですが、徐々にシダが増えてきます。所によっては腰くらいの高さがあり、踏み跡も不明瞭ですが、南向きにベンチのある岩場があり、姫新線の列車が走っているのが見えました(写真)。さらに180mピークまで行くとシダの間に曽我井城([1])と書かれた杭がありました。


180mピークからシダ藪を引き返し、曽我井への峠まで戻りました。ここには北側斜面に登る階段があります。低い扉に鍵が掛かっているので乗り越えて植林の尾根に上がりました。ここからちょっと急斜面を登りました。たまにシダが生えていますが、障害物はありません。北に歩くと尾根は東に曲がり、224mピークにはネットが張られていました。眼の前に東側の280m+の鋭いピークが目立ちます。ここは方向を間違えずに北に降りて、その先の200m+の鞍部は地形図通りに東から道があり、西にも繋がっているかも知れません。ここから再び登りとなり、標高290m付近まで来ると広い平らな場所で方向がわからなくなりました。新宮三角点を目指していたのでGPSを見て西に方向を定めて歩きました。ここもたまにシダが生えていますが、巻いて進めることも多く、あまり障害にはなりません。少し斜面を登ると見晴らしの良い270m+ピークに出ました。木が邪魔ですが、西の方向がよく見えます。ここから南への下りは南斜面なのでシダが元気で、踏み跡も見つからず、腰くらいの高さのシダの間を降りました。170m+の鞍部付近はシダがなく、西には道があったかも知れません。ここから西の尾根もシダが生えていますが、それを踏破すると新宮四等三角点(185.28m)に着きました。近くに二八と掘られた標石があって、そちらが目立っています。ここも木が邪魔ですが展望があります。


新宮三角点は地形図で見ると急勾配の斜面で囲まれています。しかし南には保安林の標識があり、植林されていました。どの木もまったく育っていないのですが、そちらへ降りていくとシダ藪になりました。低いシダなので斜面を下れましたが、そのうちに岩が増えてきて、崩落しないようにワイヤで固定してあります。岩場は降りられないので東寄りに岩を避けてワイヤの上を歩いて降りていきました。少し降りるとシダ藪になりましたが、この付近はあまり急斜面ではないのでさらに東寄りに降りて、東山公園に出ました。この下山は安全とは言えません。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「龍野」です。



2025年2月1日土曜日

日生町寺山の大池

 


兵庫県と岡山県の県境に帆坂峠があります。ここは山陽自動車道と県道96号線が通っています。高速のガードをくぐって対向車に気をつけながら少し走ると、寺山大池にでます。この土手に車をとめました。土手には「寺山大池を讃える詩」が立っています(写真)。昭和30年に改修された時に立てられたものです。この溜池の水は三石方面に流れて行っています。特にどの山に登るか決めていなかったので、まず地形図の破線道を南に歩いてみました。するとすぐに民家の廃墟が二軒ありました。地形図にありますし大池の反対側からも見えますが、付近に耕作地がないのでなぜここに住んでいたのか不思議です。住人はあまり物を持たずに去ったらしく、家の中は荒れており、古い家財道具が散乱していました。スーパーファミコンとプレイステーションがあったので、30年近く前の状態でしょうか。


民家の南ははっきりした道がありませんが、谷の方に入っていくと踏み跡がありました。シダが茂っており、ときどき踏み跡は怪しくなります。場所によっては谷の中央しか歩けなくなるので、水量が多いときにはたいへんでしょう。シダや灌木の枝が邪魔でも踏み跡は続いており、シダのない沼っぽい場所の先には地形図にある小さな池がありました。溜池ではないようです。これを通り過ぎると、地形図通りに林道に出ました。ここを西に行くと蕃山まで5キロ以上に渡る大谷川沿いの長い谷があるのですが、そちらには行かず大池の南の山に登る道を歩きました。真砂土っぽい色の道を登って270m+の山頂に上ってみましたが、2023年に来た人のテープがあるだけです。しかし木の向こうに寺山の集落が見えるので、溜池ができた頃には展望地だったかも知れません。さらに道を歩いて次の210m+のピークに行きましたが、ここも木が邪魔ですが展望地でした。このあと谷を渡って東に行く道は現在の地形図では途中で終わっていましたが、実際には寒河に抜ける寺山林道までつながっており、大池の周回道路となっていました。


ここまで藪はありましたが山に登ったという実感がなかったので、南の寺山三角点に登ってみようと思いました。林道から入りやすそうな場所を探してシダ藪に入り、斜面を登りました。たまにシダのない場所もありましたが、ずっとシダの草原が続きました。シダの背がどんどん高くなっていき、足元は全く見えず、前も見えない状態になりました。マーキングは皆無です。踏み跡が現れることを期待して1時間近く頑張りましたが、標高250mまで登ってリタイアしました。下山は登ってきたルートを戻ろうとしましたが、どこを登っていたか判らず、結局楽に下りられる方向に行き、東の谷を降りました。谷も巨大なシダが繁っている所がありますが、少し降りるとシダの生えていない場所がでてきて、枝を避けながら降りました。林道に戻ってからは、寺山大池を回って土手に戻りました。この付近のシダ藪は突破不能です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「備前三石」です。



2025年1月30日木曜日

愛の泉から西光寺山

 


西脇市と丹波篠山市の境界にある西光寺山へは、2012/08/22、2016/02/06、2016/12/29と登っていますが、今回はGoogleマップに愛の泉という湧き水を見つけたので、そこから登りました。これは2016/12/29の逆コースです。畑谷川沿いから人家の間を抜けて右の道に進み、害獣避けの扉を抜けて林道を歩きました。自動車が通れる道です。愛の泉は道路脇のパイプから流れ出ていました。山の方から引いてきているのでしょう。(写真)


さらに林道を登って行くと谷の名前が書かれた札がいくつかあり、「まちをきれいに」という西脇市の立て札があり(ここが「まち」?)、堰堤がありました。ここは2016/12/29に降りてきた地点です。北寄りの道があり、マーキングもあるので歩きました。堰堤がいくつかあり、階段も作られているので登山道のような感じでした。谷沿いの道を登っていくと、それまで木からぶら下がっていたピンクのマーキングがなくなりました。見上げると植林の間にシダが生えていますが、登れそうなのでシダをかき分けて登って尾根に上がりました。尾根上は少し歩きやすかったのですが、すぐにシダ藪になりました。かなり強烈な藪で、しかも急斜面です。かき分けながら登っていくと、ピンクのマーキングを見つけました。道があるのかと思ったのですが、付近は背丈を越えるシダ藪の急斜面です。しかし道があると信じてシダの下に道らしい地面が見えるところを登りました。しばらく頑張ってマーキングに従って登ると、シダが減って岩が増えてきました。この付近からは2016/12/29に下山した尾根です。そしてようやく大峯四等三角点(617.99m)に着きました。


大峯からはお気楽な稜線歩きとなります。加東市最高峰の加東神山、洞ヶ山など山名の札が掛かっていました。洞ヶ山の北は急斜面ですが、ロープがあって助かりました。そして少し尾根の東側の道を歩き、今田からの登山道と合流しました。ここからはすぐに西光寺山の山頂です。東屋と祠があり、新しい案内板がありました。展望は良好です。西光寺三等三角点(712.71m)があります。


下山は素直に登山道にしました。最初は斜面に溝が掘られており、急なところにはロープがありました。どの木がウバメガシか判らなかったウバメガシの群落を過ぎ、こぐり岩の付近には御奉塔、不動明王参道、行者参道(行者様はおられない)など見るものが多いのですが、まだ道半ばです。最終的には中畑林間ファミリー園に降りますが、右ルートは藪化しているような感じでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「谷川」です。



2025年1月28日火曜日

和気の鳥ヶ佐古山


岡山県自然保護センターの北の山です。まずは美作岡山道路の高架下から田尻城を目指しました。舗装道路を登ると階段があって登ると墓地と鬼子母神がありますが、まっすぐに行くと藪を通って尾根に出ます。この付近が田尻城のようですが、何もありません。とても里山らしい雰囲気で、笹や倒木が邪魔ですが、通れないほどではありません。シダも一部にありますが、巻ける程度でした。ところどころに踏み跡もありました。西奥四等三角点(210.31m)までこんな感じで、その先もシダ藪を巻きつつ歩きました。しっかりした道もときどきあり、鳥獣保護区の赤い札がありました。特別保護地区の札も一緒に立てられており、ここからは岡山県自然保護センターのようでした。


道は徐々にわかりやすくなりましたが、特別保護地区の札が立っている前が道なのだろうと想像しながら通り過ぎる所もありました。細尾根に向かうところは意外と分かりやすく、北に向かって238m地点を過ぎ、相変わらずシダ藪を避けながら北に歩きました。赤磐市との境まで来ると佐伯町の杭がありました。この先はマーキングがはっきりしてきます。道もはっきりしてきたので、赤磐市との境にはこだわらず、道を歩いて北に行きました。地形図では破線道があり、それが鳥ヶ佐古山に行っていますが、この破線道はほとんど残っておらず、場所が谷なので倒木で歩きにくく、結局尾根に上がって適当に林を抜けて山頂を目指しました。尾根に上がると大きな岩のある場所があり、それを過ぎるとちょっと開けた所に角の欠けた田賀三等三角点(311.49m)の標石がありました(写真)。小さな鳥ヶ佐古山のプレートが木にくくりつけられていました。


山頂からは西に歩きましたが、ちょっと北に歩くと荷造り紐の張られた道がありました。これを西に歩くと「行き止まり」の札が反対向きに立っていました。これは自然保護センターの遊歩道でした。センター内はあまり変なところを歩かないほうが良さそうなので、遊歩道で湿生植物園やタンチョウ飼育センターを見ながら下山しました。センター内の地図を見ると、歩いてきたルートはほぼ特別保護地区の境界のようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「周匝」です。



2025年1月25日土曜日

西脇の中畑三角点とこぶ岩

 


西脇の北東、三角点山の東にある中畑三角点は、2014/03/19に南の畑谷川沿いの中畑町から登りましたが、今回は北側の門柳川沿いから登りました。車を日時計の丘公園にとめました。ここから2013/02/17に三角点山から下山した時に通った道を登りました。動物捕獲用の檻の脇をまっすぐに歩き、谷を登っていきます。マーキングもあり、すぐに219mの鞍部に出ました。


鞍部から北に稜線を歩きました。この尾根はシダが茂っていますが、踏み跡はあります。シダは場所によっては胸のあたりまでの高さがあるので、踏み跡を外して尾根の中央を歩こうとすると藪漕ぎになります。我慢して登ると324mピークの手前には少し岩場があって、振り返ると加古川まで展望がありました。その後ちょっとシダの間を登ると、NHKの共同アンテナのある324mピークに出ました。共同アンテナがあるので、なんとなく北の尾根にも道がありそうでした。ここから尾根は東に向かい、少しシダが減って楽になりました。しばらくはアップダウンも少なく、その後少し登ると主尾根に出ました。木の間隔が広めで歩きやすい尾根です。北に登り、470m+ピークで東に曲がり、徐々に岩が増えてきた斜面を落ち葉に足を取られながら登っていくと、中畑三角点(598.01m)に着きました。杉原山という名前があるようですが、山名のプレートはありません。


下山はまず来た道を戻りました。470m+ピークまで戻って、北の318mピークにつながっている尾根を目指して北斜面を降りました。最初は急斜面でしたが、落ち葉はあるものの木に掴まりながら降りられました。少し降りれば尾根で、道もありました。茂ったシダを巻いて降りると、こぶ岩がありました。こぶのような出っ張りがたくさんある大岩ですが(写真)、裏面を見るとのっぺりしていました。なんとなく不安定で、地震で倒れたら元に戻すの大変そうでした。ここからは参道がありましたので、それを降りました。こぶ岩への矢印がたくさんあって迷わず降りられましたが、途中で意外な方向に行くので半信半疑でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「谷川」です。



2025年1月17日金曜日

野村登山口から西脇の矢筈山

 西脇市民にはお馴染みの(?)矢筈山には西脇市街から登山道が整備されています。今回は一番遠い野村登山口から登りました。名前とは異なり、この登山口は野間川沿いの平野町にあります。送電線の鉄塔の巡視路で、急斜面を黒いプラ階段で登ります。巡視路がなければ登らない斜面ですが、ロープもあり、問題なく登れて加美町線九鉄塔に着きました。展望があります(写真)。ここからは西に尾根歩きです。突き当りには道標があり、南には行けないようになっていますが、南にちょっと歩いてシダに囲まれた平野四等三角点(27398m)を見てきました。そして、北に縦走です。矢筈山まで約120分となっています。


東屋があり、ここは西脇市街だけでなく西に馬事公苑も見えます。さらに北に歩くと岩場になり、298mピークめがけて登りとなります。ここでもロープは役に立ちました。ロープは登りでは引っ張って登れば上半身の鍛錬になりますし、下りでは落ち葉で滑って転ぶのを防げます。展望はずっと続き、素晴らしい縦走路です。330m+ピークは東に巻いて進み、加美町線一九鉄塔を過ぎて、東に折れると急登になります。しかし道が整備されているので意外と楽に登れて、矢筈山の山頂に着きました。小屋だけでなく稲荷大明神とか行者大菩薩など賑やかな山頂です。そして少し北に歩くと矢筈山三等三角点(362.98m)があり、ここは矢筈山城となっています。


下山はもっと北に歩きました。高田井北登山口からの登山道を過ぎて、ちょっと整備の程度は下がりますが市原峠へ縦走路が続きます。ここは2012/02/18に北から歩いています。320m+付近から北に降りるところは急な道でした。周囲は大きなシダ藪で、道がなければ歩けません。登り返して295mピークを過ぎ、その先の280m+から西に地形図の破線道を降りようとしました。しかしこの付近はシダが茂っており、踏み跡もかすかです。大きなシダに突っ込まないように西に降りていくと、徐々に南寄りに降りて行ってしまいました。結局は谷に降りることになり、これなら280m+に上がらずにその手前の鞍部で西に降りたほうがよかったと思います。この谷は倒木がありますがなんとか歩けて、そのうちに道らしきものが見つかり、さらに立派な道になりました。あとは出合町に出て、馬事公苑の前を通って野間川に戻りました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆ 下山が問題

地形図は「西脇」です。



2025年1月15日水曜日

上郡の高田城跡と福峰山

 


姫路から龍野を通る県道5号線を西に走り、椿峠を越えて高田台の手前で北に行くと、奥という集落があり、八幡神社があります。ここの裏手から単なる里山だと思って登り始めました。最初はかなりの勾配ですが徐々に楽になり、里山歩きになりました。徐々に道もはっきりしてきて、標高290m付近では鉄塔の跡で休みました。そのうちに斜面が人工的な段になり、ついには登れないような段差になりました(写真)。回り込んで登ると、高田城跡という青い札が木に掛かっていました。深い空堀もあって、いかにも山城でした。しかも登っていくとまだまだ平坦地が作られており、林道がループしている359mピーク付近も山城跡という感じでした[1]


ここからは林道を歩きましたが、途中で414mピークに登ってみようと思い、林道から離れました。この付近の藪はシダが少なく、少し枝を避ければどこでも歩ける感じでした。414mピークには特に何もなく、方向を失って東に降りてしまいましたが、適当に藪を降りて林道に出ました。ここからは地形図を見ながら地形図の西向きの実線道を歩きました。これは車が通れる道です。しばらく歩くと道が複雑に枝分かれしている場所に出ましたが、真っ直ぐ行く道を選びました。この道は新山寺池をまわって、堤防に着き、その先は谷沿いに下っていきます。西へ行く道はないので、斜面を登りました。ここも特に障害物のない斜面で、しばらく歩くと2022/12/29に歩いた林道に出て、かわいい祠が2つありました。その裏には留山三等三角点(435.24m)があります。


2022/12/29と同じように西に歩きました。くねくねと曲がった尾根で、379m地点を過ぎて、西に行きたくなるところを南に曲がり、細尾根を通って340m+に登り、南に歩いて福峰山に着きました。神明寺四等三角点(334.3m)があります。ここの展望は素晴らしく、宝台山から高田台、千種川が見渡せます。山城には向かないにしても、砦はあったでしょう。


下山ですが、福峰山から南の砂地の斜面にロープが張られています。これを伝って降りました。急斜面で、地面は小さな岩のある砂地ですが、落ち葉が積もっていて滑ります。ロープがなければ降りられない斜面で、登山するなら普通はこんな急斜面ではなく、東の尾根を使うと思います[2]。しかしロープのおかげで滑って転ぶこともなく、なんとか下山できました。標高差150mに渡ってロープが張ってありました。植林を下ると荒神社に出てきました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「二木」です。



2025年1月13日月曜日

揖保川から高倉山

 


新宮町の高倉山はおそらく南のフタゴ山の方から登るのが普通だと思いますが、ずっと離れた揖保川沿いから登ってみました。後で調べてみると、これは[1]と同じコースでした。揖保川の香島橋の南に尾根が川岸まで突き出している所があります。ここの害獣避けフェンスの扉を入ると、地形図にもある道があります。ジグザグに登っていくと、平らな場所に着きました。NHKの中継局の跡ですが、跡形もありません。何もなくて驚いたので吉島三角点は探すのを失念しました。ここからは尾根登りで、気持ちよく歩けました。主尾根に着くと西向きに大寺山廃寺への道標の杭がありますが、まず南に歩くと335mピーク付近に大寺山城という札が木に掛かっていました。ここが大寺山のようです。城については資料が見つかりません。西に尾根を戻り、最初のピーク付近が廃寺跡のようですが、大寺山城とあるだけで、寺についてはよく分かりません。とにかく西に尾根を歩きましたが、少しアップダウンがある程度で歩きやすい尾根です。370m+ピークには三角点と大寺山への道標が残っていました。その西は少し急斜面があって、篠首三等三角点(378.34m)に着きました。


三角点の西は急斜面ですが、少し行くと共同アンテナの残骸がありました。低い松で少し藪っぽくなりますが、すぐに平穏な山歩きに戻りました。373m地点を過ぎて地形図の破線道はなくなりますが、問題なく歩けて、眼の前にとんがったピークが見えてきました。これが最初の420m+ピークで、これには短距離ですが木につかまって登りました。登ってしまえばまた気持ちの良い山歩きで、いちど下ってから登り返して、高倉山の頂上に着きました。高倉山四等三角点(426.88m)があります。木が伸びて、展望はあまりありません。東栗栖小学校の登頂記念プレートが何枚かあり(どれも10年以上前のものです)、祠は完全に壊れていました。(写真)


下山は東に戻りました。420m+ピークまで戻り、北に急斜面を降りました。落ち葉で滑りやすい斜面だったのですが、マーキングがあり作業道の名残のようなものもあったので、木につかまって降りました。少し降りれば楽になり、気持ちの良い尾根になりました。東に尾根が曲がるとはっきりした作業道があり、南の谷に降りていくようでしたが、東に広い尾根を歩きました。共同アンテナの残骸があり、いかにも里山の雰囲気なので踏み跡くらいあるかと思ったのですが、何もありません。急斜面を木に掴まって降りました。南側に植林がありましたが、そちらには行かず、東の向かって降りました。最後は人家の近くに出ましたがフェンスがあり、それに沿ってちょっと歩くと扉があって出られました。地形図ではこの付近に池がありますが、今は埋められたようでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」です。



2025年1月7日火曜日

本郷川から行った神保

 


山崎の陸の孤島神保(正しくはたつの市新宮町ですが)には何度か行っていますが、今回は西の本郷から行ってみました。三日月から本郷川を遡って、県道433塩田三日月線を走ると、舗装が終わった所に土木会社があります。この東側の山を越えれば神保ですが、会社の敷地を抜けて山を登るわけにはいかないので、少し本郷川を下った所にある橋を渡り、南の尾根を目指しました。草をかき分けて尾根先に出ると作業道があり、ジグザグに植林の急斜面を登っていました。作業道があるのでそれを辿って登りましたが、後から考えると非常に急な斜面で、斜面の作業道も消えかけている所があったので、安全な登山とは言えません。後で見たところでは、さらに南にも橋があって、これを渡って太い尾根から登ったほうが楽そうでした(2014/12/30の逆コース)。しかしとにかく急斜面を登り切ると、だいぶ楽になりました。この付近は植林もありますがまだ若い木が多いようでした。登っていくと、2020/03/21に歩いた主尾根に出ました。ちょっと南に登って392mピークに行きましたが、特に何もありません。


この主尾根は植林も多く、歩きやすくて助かりました。引き返して北に歩き、しばらく歩くと東から谷が入り込んできていましたが、なんとなく急斜面に見えたので標高400m付近から460m+まで頑張って登りました。そしてさらに北に歩きました。地形図で破線道が尾根を横切っている所を過ぎて、北に平らな尾根をしばらく歩くと雨ヶ岳三等三角点(490.06m)がありました。三角点からは南に引き返し、地形図で破線道が尾根を横切っている鞍部に出ました。ここは北から来ている林道の終点になっています。林道で降りてもよかったのですが、東側の破線道を探してみようとしました。植林を少し降りましたが、作業道も見当たりません。破線道は谷の真ん中を降りていますが、ここは全く歩けません。結局植林も急すぎて降りにくいので、少し北の尾根を降りることにしました。ここは植林で降りやすく、あまり問題なく東の谷に降りることができました。


谷に降りてからは南に歩きました。車の通れる道ですが途中で東の谷に行ってしまい、あわてて戻って南に向かう道を探しました。倒木で塞がれていましたが、道ははっきりしています。しかし川を東に渡る所に橋はなく、渡っても倒木だらけで道が怪しくなりました。なんとなくマーキングがあります。再び西に川を渡ると神保でした。農機具の残骸などはありますが、潰れた家は見つけにくくなっていました。蔵もどこにあったか分かりません。シダが周囲を覆っています。しかし川を東に渡るコンクリートの橋は健在でした(写真)。が、これを渡った後の東岸の道は倒木が多く、しかも棘のある木もあって歩きにくい道(踏み跡)でした。川を西に渡り、また東に戻り、という感じで、やっとコンクリートの橋に着きました。ここからは少し幅の広い道になりました。


この南で谷は東向きと北向きに別れ、東向きには橋の跡がありますが、本郷川に戻るには西の山を越えなければなりません。この付近の東に出っ張った尾根に地形図では破線道があるのでそれを探しましたが、見当たりません。植林にする時に消えたのかも知れませんが、いずれにせよ尾根の南側は急斜面で登れそうもありません。もっとも登りやすそうなのは尾根の先端だったので、木につかまって登りました。登ってみると若い植林の間に踏み跡があり、意外と楽に登れました。急斜面を登り切れば自然林も植林もきれいで、主尾根まで登り、南に歩きました。白い岩の多い2つ目の370m+ピークまで行き、西に植林を降りました。歩きにくい所はありません。たまに作業道があり、それを使えば楽に降りられるかと思いましたが、行ってみると藪があったりして、結局は尾根の先まで歩いて急斜面を墓所に降りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「土万」「三日月」です。



2025年1月5日日曜日

北から登る赤十字山

 


赤十字山は佐用町の山で、志文川と千種川が合流する付近の南にある山です。だいぶ前に赤十字山から多賀登山まで縦走したことがありましたが、その時には南から保守道路で登ったので登山とは言えません。今回は北の坂田から登りました。坂田の南の191mピークは猿喰城跡だそうなので、まずそれを見に行きました。尾根の先に道路がありますが、斜面は非常に急で山城っぽい感じです。ここは登れないと思い、坂田谷川を入っていくと砂防堰堤がありました。その北側は木のまばらな落ち葉の急斜面で、ここをまっすぐに登りました。191mピークはちょっと平らになっていて、木が邪魔ですが冬なので東も西も見渡せました。帰りにわかったのですが、実は尾根の北の崖には金属の梯子が設けられており、そこから登ることも可能でした。


191mピークから南に歩くと、ずっと平坦地が続きます。ここまで城趾だったとすると、石垣はありませんが単なる砦だったとは思えず、山城だったのではないかと思えました。しかし標高180m付近からの斜面は急で、さすがに城の裏手という感じでした。ひとしきり登ると少し平らになりますが、なんとなく人の手が入っているようで、ここも山城の一部だったのだろうかと思いました。ここには共同アンテナの跡がありました。この先も山頂まで黒いケーブルが地面を這っていました。この付近では斜面の中央が幅広く凹んでいますが、そこに石積があり、これは意図が不明でした。あまり急斜面のない木の少ない幅広の尾根で、楽に登って行けました。ときどき広い平坦地があって、これも山城の一部かと思いましたが、考えすぎでしょう。植林もあり、落ち葉をイノシシがかき回した跡もあり、たまには遠景もありで、楽しめる山登りでした。


山頂に近づくと、保守道路の終点に出ました。道路は歩かずそのまま進むと、共同アンテナの残骸があり、次はツーカーホン関西の播磨徳久局の40mの通信塔です。さらに歩くと赤十字山の山頂には多賀二等三角点(407.56m)の真新しい標石がありました(写真)。さらに歩くと佐用町の多賀中継局の2本のポールがあり、さらには南光町行政無線多賀中継所のポールがありました。ここからは東に稜線を歩きました。たまに倒木があるくらいで、藪はまったくない歩きやすい尾根でした。クネクネと曲がっていますが、踏み跡のある所もあり、あまり迷う余地はなかったようです。


426mのピークまで歩き、北に降りることにしました。少し北に歩いてからは植林の急斜面を降りました。下に尾根が見えているので方向は間違いなかったのですが、かなり急でした。まだ割と若い植林で木の間隔が狭かったので、木に掴まって降りられました。降りてしまうとまた雰囲気の良い尾根でした。なんとなく道があるような感じがしてましたが、だんだんに道がはっきりしてきました。道と言ってもちょっと窪んでいるだけですが、はっきりと続いていました。そのうちに道は尾根から西の谷に降りていきました。まっすぐに尾根を降りる手もありましたが、安全策として道を降りてみました。安全策と言っても道が消えてしまえば意味がありません。道はターンしながら谷に降りていき、ターンのところでは怪しくなる所もありましたが、最後は人の手の入った谷に出て、地形図の破線道に繋がっていました。この道を降りましたが、ため池の下の害獣避けの扉の電気柵は昼夜常時通電中だそうで、通り抜けるのが大変でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「三日月」です。