2025年8月26日火曜日

下牧谷から登った戸倉山

 


山崎町の戸倉山(宍粟50名山の篠ノ丸山)には最近では2023/03/02に篠ノ丸城跡から登っていますが、今回は歩く距離を縮めて下牧谷から歩きました。下牧谷に大倭物代主神社があります。この神社の随神門は神社から道路と駐車場を隔てたところにあって、随神門の前の道は舗装されていません。この道を南に歩くと溜池があります。ここで扉を開けて、溜池の南東側を歩くと道があります。地形図の破線道のようで、倒木もありますが溜池の奥に続いています。山のほうへは、地形図通りに上がっていく踏み跡があって、これを登りました。荒れた若い植林という感じですが、歩きにくくはありません。斜面にえぐられた溝があって、これに沿って登りました。よく見ると切った木をたくさん積んでありましたが、かなり昔のものに見えました。徐々に荒れ方がひどくなって溝もなくなりましたが、大きな問題はなく2023/03/02に通った稜線まで上がれました。


稜線を西向きに歩くとすぐに兵庫県の2級基準点のある場所に出ました。木の背が低ければ南に展望のありそうな場所です。ここからも歩きやすい道が続きました。380m地点を過ぎると宍粟市らしいきれいな植林になりましたが、472mピークの手前から少し藪がありました。棘のある枝に気をつけてここを抜けると、また道があり、472mピークには岩もありますが、問題なく歩けて、最後に植林の急斜面を登ると「戸倉山」という札が掛かっていました。山頂を示す札としては場所が変ですが、この一帯を戸倉山と呼ぶのかも知れません。ここには道標もあって、山頂へは200mとなっています。この200mが例によって大問題で、倒木とその周りの大きな草や灌木で道がよくわかりません。果敢にここを突破すると、上牧谷三等三角点(511.98m)に着きました。この山頂付近は少し開けています(写真)。


問題は下山で、2023/03/02には西に歩いて大倒木地帯で苦労しました。そこで北を降りてみようと思いました。地形図を見ると等高線の間隔はあまり狭くなく、支尾根っぽいところもあります。なんとなく地形図の神社マーク(住吉神社)を目標に降りてみましたが、広い斜面で方向が定まりません。倒木が多く、藪を避けていると西寄りの谷を降りることになりました。最初の目標の支尾根は藪で近寄れません。倒木だらけの急斜面の谷を、降りやすい所を探して降りていきました。しばらく降りると倒木が減って植林らしくなりましたが、そのまま谷を降りるのは危なそうだったので、西にトラバースして別の支尾根に行きました。ここにも倒木は多かったのですが、藪ではなく、しかも地面には登ってきた尾根にあったような溝がありました。これは作業道の可能性が高いので、この支尾根を倒木を避けながら降りました。なんとか標高差100mくらいを降りて標高300m付近まで来ると藪になりました。倒木は相変わらずあるので突破は難しく、東に降りていくと谷がありました。地形図ではわからないのですが、狭くて両側が急斜面の谷です。一度東側に渡ったものの、こちらも倒木が多くて降りにくく、結局西側の斜面を登って前の支尾根を降りました。今度は倒木も少なく、そのまま降りていって2023/03/02に通った湯塚池に着きました。堰堤の真ん中の階段を降りて、住吉神社にお参りに行きました。この神社は大倭物代主神社の御旅所だったそうで、縁のある2つの神社にお参りできました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「山崎」です。



2025年8月24日日曜日

登山道で登る笠ヶ城山

 


波賀町皆木の笠ヶ城山に登ったのは2012/06/02のことで、だいぶ経っているのでもう一度登ってみました。登り口は2025/05/03に皆木三角点から降りてきた所で、「笠ヶ城山上野登山口」となっています。林道を登って行くと谷沿いになってユンボがありました。谷の東側の斜面は急斜面で道があるようなないようなで、ここに降りてくるのはやめようと思いました。ユンボの先の林道も草で覆われていましたが、問題なく歩けました。登っていって林道が水平に西向きになる付近に登山口がありました。ここでは急斜面をロープを伝って登れば笠ケ城山、西はモミジ谷方面となっていましたが、他の道標では左に大谷登山口方面へ、右には峠登山口へ、となっていました。ここからいきなり登るのは急斜面すぎると思ったので、林道を西に歩きました。次の道標は大谷登山口が下で、モミジ谷と観音堂は東、笠ケ城山は上となっていました。モミジ谷が謎なのですが、ここから斜面の登山道を登りました。仙道だった道のようでしたが、楽にすぐに600m-の鞍部に着きました。鞍部なのでどちら側にも登れますが、まずは南寄りの斜面を登りました。少し登ると岩が増えますが、すぐに650m+の山頂に着きました。クサイソ山の札がありました。また鞍部に戻って、急斜面を北に登りました。こちらも岩が増えてきますが登山道があってロープもあり、笠ケ城山の山頂に着きました。笠ケ城三等三角点(668.85m)があります。伐採されていて北側は展望があります。


山頂からはさらに東から北に歩きました。次の660m+ピークには「観音屋敷」というプレートがあって、観音堂の跡のようです。説明板によると観音様は皆木に降ろされたとか。この先には峠登山口への道標もあります。どうやら登ってきた登山道が大谷登山口からの登山道らしく、皆木からは谷沿いの道です。後で登山口を見に行ったところ、皆木登山口となっていました。最初に見た登山口は峠登山口コースの登山口ですが、そちらの入口は上野登山口でした。名称が混乱していますが、要は登山道は2つあるということです。今回は2012/06/02と同様に北に歩きました。するとすぐに峠登山口への道標がありました。なるほど最初に見た登山口からは近い場所ですが、さらに尾根を北に歩きました。自然林や植林が気持ち良く、アップダウンも少なく楽に歩きました。ちょっと急斜面があって、それを登ると690m+ピークで、ここは2025/05/03にも来ています。ここからその時のルートを逆に歩いて下山しました。


気持ちの良い尾根で、道もあってピークを巻いているところもありました。どんどん南に降りていき、660m+ピークでは2025/05/03のルートに従って東寄りに進み、南に降りました。この付近は鉄穴流しの跡で変な地形になっています。はっきりした道もないので、歩きやすいところを歩いて降りました。そのまま南に降りるつもりだったのですが、楽な方に行くと西寄りの谷を降りることになりました。変な地形に気を取られて降りていくと、結局谷を降りることになりました。行き先は最初にユンボから見た歩きたくない谷になりました。植林を降りていき、ススキをかき分けて道らしきものに出ました。これで降りられるかと思ったら、金網があって降りられなくなりました。この金網は堰堤で終わっており、堰堤の上の扉には鍵がかかっています。しかたなく堰堤から飛び降りて斜面を登って道に出ました。この道は川の東側でどこかで川を渡る必要があったのですが、堰堤のすぐ下に川を渡るための階段などがあったので、それを渡って西側に渡り、ススキの中を降りました。途中にあった説明板には徳長川砂防堰堤と書かれていました。ススキの原っぱを降りて、登山口に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年8月17日日曜日

北から登る成卜三角点

 


神河町の長谷の西にある山の上の成卜三角点(なんと読むのでしょうか?)には、何度も登っています。今回は地形図を見ていたら山頂の北に通信塔のマークがあり、航空写真にもなにやら写っているので、これを見に行くことにしました。登り口は長谷ダムの近くのログハウス村です。目的の尾根の先に行くと、道路脇にコンクリートの法面があって登れません。しかし少し東に下っていくと、法面の切れたところに登り口があり、ここから仙道がありました。急な斜面を西寄りに登っていくと植林に出ました。ここからしばらくは急斜面の植林登りですが、標高450mを越すと一息つけました。その先も地形図通りに急斜面と平たい場所が繰り返すので、休み休み登りました。標高580m付近で林道に出会いました。これは以前に下山した林道なのですが、それに気づかずにさらに登りました。岩が増えてきますが、邪魔になるような大岩はありません。そして航空写真にも見えている伐採地があり、シダの中を登ると反射板がありました。通信塔ではなく反射板です。ここからは長谷ダムがよく見えるので(写真)、銘板は見つけられませんでしたが関電が設置したものでしょう。


反射板は標高730m付近なので、さらに登りが続きます。伐採地があって赤い「火の用心」の札が立っていました。以前にも見て、付近に送電線はないので不思議だったのですが、反射板への道標でした。さらに西に歩くともう一つ「火の用心」があって、そこからシダ藪を登ると低い松の間に金属プレートの成卜四等三角点(821.42m)がありました。


山頂付近をぶらついて、南の836mピークまで植林を歩きました。植林以外は藪もありますが、風があれば快適です。836mピークの手前の北の暗部では南から来た林道が東西に分かれています。この付近は何度か来ており、林道で降りるなら東に行くのが正解だったのですが、何も考えずに西側の林道を歩きました。成卜三角点のあるピークの西側を巻いていき、しばらく行くと「火の用心」が立っていました。あまり気にせずに林道を歩いているうちに、このままだと上部調整池に行ってしまうことを思い出しました。2022/04/02にこの林道を歩いています。そこで、「火の用心」が太田ダムから反射板を見に行く巡視路だと思い当たり、引き返して巡視路を歩いてみました。林道脇の「火の用心」から成卜三角点には登らず、斜面に道があります。流されている部分もありますが、途中にも「火の用心」を見つけてこれが巡視路だと確信しました。地形図には山頂から北に破線道がありますが、これは見つからず、じっさい2021/09/26には破線道と同じ谷を降りていますが危険な谷でした。林道を降りるなら2021/10/16と同じように東に行って林道カクレ畑線に出ればよいのですが、大回りなので「火の用心」に従って反射板に行き、尾根を下って林道カクレ畑線に出て下山しました。


林道を降りきった付近でサルの群れを見ました。2021/10/16には山頂付近で駆除をしていましたが、じっさいにサルが生息していました。あまり人のいない別荘地ですが、ゴミを漁りに降りてくるのかも知れません。なお、桜の名所でもある関電のPR施設は2年前に閉鎖されていました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。



2025年8月15日金曜日

道谷から横行と六郎谷三角点

 


2012/08/27と2021/11/13に宍粟市波賀町の道谷(どうだに)から六郎谷三角点と横行三角点に行っていますが、今回はその逆回りです。登山道はその時に降りてきた、阿於意神社の裏山です。神社の右手から急斜面を登ると祠があります。ここから長い登りですが、横行三角点まで標高差は300mほどしかありませんので、そんなに疲れません。しばらく登って尾根が平らになってきた付近に共同アンテナの残骸があります。この付近までは植林だったのですが、ここからは広葉樹も増えてきました。緑が美しく気持ちの良い自然林です。足元にはときどき太いケーブルが見えており、横行三角点前にあったと思われる共同アンテナのケーブルのようです。気持ちの良い尾根をアップダウンしつつ登って行き、1時間ちょっとで横行三等三角点(940.12m)に着きました。ちょっと展望があります。最近では2023/04/04に北の横行渓谷から来ています。


横行三角点からは養父市と宍粟市の市境、昔の但馬と播磨の国境を歩きました。植林も自然林も美しい尾根です。そんな尾根に突然黒いプラスチックの長い階段が現れ、その上にはプラスチックの筒が並んだ不思議なオブジェがありますが、これは木を育てようとした努力の跡のようです。大屋原線八七鉄塔が尾根の上に立っており、横行渓谷の水力発電所からの電力を送っているようです。ここでもプラスチックの筒を見ましたが、中で窮屈そうに育っている木もありました。この付近に木が境界見出標を飲み込んだのを見ました(写真)。引っ張っても抜けません。西に歩いて926m地点の先には何度も通っている鉄塔の跡らしい石積みがあります。美しい自然林が続きますが、いったん少し下ってからやや急な斜面を登り、さらに少し登ると六郎谷四等三角点(950.5m)に着きました。この尾根は木々がきれいな分だけ展望はあまりありませんが、このピークもそうでした。


さらに市境を西に歩きました。きれいな自然林が続きましたが、そろそろ下山しないと道谷に戻れないので、970m+のピークから南の尾根を歩きました。2020/11/08には東の909m地点から尾根を降りたのですが、植林なので道があるだろうと思って、今回は急斜面を南に降りていきました。地形図には実線道が描かれていますが、見当たりません。西には林道が見えますが、これでは大森神社に降りてしまいます。2021/11/13にはこの付近の林道を登ってきたのですが、下りではうまく見つけられません。結局シダが生えていないところが道らしいということになって、それらしい所を降りていきました。実線道とはほど遠く、シダの草原の中を水が流れに沿って降りていきました。なんとなく太めの道らしいところに出てきましたが、2021/11/13にも苦労したミツマタの藪があって、これを迂回すると、やっと林道らしい道に出ました。石の多い歩きにくい林道でしたが、問題なく谷沿いに下って新戸倉スキー場跡(いまはANNEX PARKと呼ぶらしい)を通って道谷に戻れました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「戸倉峠」です。



2025年8月9日土曜日

山崎町与位から巡視路で登った峰旗

 


峰旗には2008/5/2と2011/03/12に登っています。今回は峰旗の近くを山崎智頭線が東西に通っていることを利用して、東から巡視路を利用して登ることを計画しました。与位から北に高尾川沿いを歩きます。高尾林道ですが、鍵のかかった扉があって自動車は侵入できません。しばらく歩いて小さな川を渡ると西に林道があります。ここの道標では、この道はウルシバタへ向かい、北側の尾根を登ると一ノ谷とシモツに行くように読めますが、よくわかりません。ここに赤い「火の用心」があることを期待していたのですが、何もありません。植林の尾根をまっすぐに登ろうかと思ったのですが、上の方は藪っぽかったので、とりあえずは赤い「火の用心」を探そうと植林を歩きました。最初は舗装されていますが、未舗装になると荒れてきます。北側斜面は藪で登りたくありません。そのうちにシダ藪になりましたが、その中に「保安林内作業許可済標識」があって、昨年から今年3月までの1年の間に「土地の形質の変更 送電用保守通路の利用更新」を行ったことになっています。確かに足元には黒いプラスチック階段があって、やっと巡視路にたどり着けました。しかし付近はシダや土砂が多く階段も埋まっています。巡視路は谷を南から渡ってきたように見えたのですが、そんなことはあるでしょうか?巡視路はさらに谷奥に向かっているようでしたが、すぐに消えてしまいました。本当に巡視路の保守作業を行ったのかどうか疑問です。周囲をよく見たのですが、北の斜面を巡視路が上って行ったようには見えません。結局谷を登っていくことにしました。この谷は広く、意外と歩きやすかったのですが、ヤマビルに喰い付かれました。斜面が急になってくると細かな石の斜面となって足元が崩れるため、疲れました。まっすぐ登るとさらに急斜面になりそうだったので、東寄りに登り始めました。急斜面ですが岩などを利用して適当にジグザグに登っていくと、尾根に上がることができました。ここは巡視路でプラ階段があり、それを登っていくと山崎智頭線一一鉄塔に出ました。展望があります。


ここからは尾根歩きで、2011/03/12と同じコースとなります。巡視路なので楽に歩けました。山崎智頭線一二鉄塔では展望があり、山崎智頭線一三鉄塔も展望があります。ここで巡視路を離れると灌木の藪になりました。イバラが生えておりネットもあって、登りづらいことこの上なしです。しかし前回同様に苦労して登って、峰畑(855m)に着きました。特になにもない場所です。


下山も2011/03/12と同じコースです。すぐに尾根が二つに分かれており、行くべき東寄りの尾根のほうが藪っぽいので若干躊躇しましたが、藪っぽい方を降りていきました。与位反射板への赤い「火の用心」があります。巡視路がどこからここに登ってくるのか不思議です。次の743mピークを巡視路は巻いているようで、たしかにその方が楽です。ここからは尾根歩きですが、下山のつもりでも登りもあります。与位反射板は2011年以降に作り直されており、ネームプレートもなくなっていました(写真)。このあと岩場と藪を歩いて、播磨西線七三鉄塔に着きました。南のピークにある毛利三角点を探しに行きましたが見つかりませんでした。2011/03/12には見つけましたが、2008/5/2には見つけられず、今回も落ち葉に埋もれていたのでしょう。


播磨西線七三鉄塔から巡視路を降りました。植林の中を下るのですが、かなり土砂が流されて見つけにくくなっていました。マーキングがあり、赤い「火の用心」もあるのですが、道はほぼ埋もれて見えなくなっているところに「火の用心」だけが立っていたりしました。この巡視路はいったん標高450m付近の尾根に出ます。ここは2011/03/12に毛利三角点から急斜面を降りてきたところです。巡視路はここから東の植林の谷を降ります。ジグザグに降りますが、ときどき消えかかって、黒いプラ階段を見つけて巡視路であることを確認しました。最終的には林道に出て、あとは林道で降りましたが、途中に七四鉄塔への巡視路がありました。巡視路は林道のかなり下から作られていて、おそらくこの林道が延びる前からあったのでしょう。下の方は藪化した分譲地ですが、別荘が建てられた気配はなく、バブルの名残という感じでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2025年7月28日月曜日

登山道で登った駒の尾山

 


地形図を見ていると、ちくさ高原の南から西の県境に斜めに破線道が伸びています。不思議な道で本当にあるのなら歩いてみたいと思ったら、これは登山道でした。ちくさ高原スキー場に向かう県道72号線のせせらぎランドの前に林道がありますが、この南に「ダルガ峰・船木山 せせらぎ公園登山口」があります。大海里峠への道標もあり、ちょっと木の根っこの階段を登ると快適な登山道が始まりました。最初のうちは鉄穴流しの跡の複雑な地形が楽しめます。急勾配もわかりにくい所もなく、実に快適な登山道です。斜面に作られていますが流された場所はありません。いくつか岩塊流の跡もあって、高山登山を楽しめます。標高差300mも登らないで大海里峠に着きました。


大海里峠にはいろいろ道標がありますが、地形図にある西に降りる破線道はなかったように思います。実際この破線道は谷沿いで、林道ダルガ峰線沿いの「白雲の滝」に降りてしまいますので歩きやすい道ではないでしょう。大海里峠から南の県境は中国自然歩道として整備されています。岡山県最高峰の後山を通る尾根なので近畿自然歩道ではないのでしょう。少し歩くと長い階段で1211mピークに登ります。途中に「急な下り 階段注意!」と書いてありますが、危険な階段なら作らないほうが良かったのでは?とも思います。登りでは階段は多少助かりました。登り切ると気持ちの良い自然林ですが、すぐに両側からチシマザサが覆いかぶさってきました。チシマザサの間から避難小屋が見えてきて、東西の尾根に出ました。チシマザサの間の道を西に少し登れば駒の尾山の山頂です。大茅二等三角点(1280.47m)があり、座りやすい石が二列に円形に並べられています。展望もあちこちあって、山頂としては後山よりも楽しめますが、木はないので夏は晴れていると長居できません。


駒の尾山からは東に尾根を歩きました。最初はチシマザサの壁の間を歩きますが、自然林になると日陰ができました。しかし鍋ヶ谷山へは再び木がなく、チシマザサの間の道です。鍋ヶ谷山(1253m)からも南に展望があります。ここは日陰もあります。さらに東に尾根を歩きましたが、粟倉三角点は景色を眺めていて見落としました。そして山上庭園的な雰囲気の中を歩き、ややきつい坂を登ると、船木山(1334m)に着きました。さらに一踏ん張りして、尾根道を下って登り返すと、何度も来ている後山(兵庫県では板馬見山?)です。祠と後山三角点(1344.36m)があり、展望もありますが、狭い山頂です。


下山も登山道にしました。2011/09/06に登ってきた道です。最初は急斜面を横切るように作られた道で、ジグザグに降りていきます。マーキングがはっきりしていますし、道もはっきりしています。少し下ると緩やかになりましたが、まだ標高差100mほどしか降りていません。ここからは植林となって楽になりましたが、長く続きます。周囲は鉄穴流しの跡のようになり(写真)、マーキングを頼りに降りていきました。最後はシダと岩の多い谷に出ましたが、この付近の道は不明瞭で、登りでは少し悩むかも知れません。鍋ヶ谷登山口に降り立つと、あとは長い林道歩きです。この林道では特に作業は行われていませんでしたが、881mピークに降りる尾根には新しい林道がありました。県道72号線に出るところでは木材の積み出しが行われていましたが、伐採が行われているのは最初に通ったせせらぎ公園登山口のすぐ南付近でした。


展望 ★★☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「西河内」です。



2025年7月26日土曜日

峰山高原で土塁をたどる

 


中坪峠から暁晴山に登ろうと考えて、県道8号線から峰山高原に向かう道路を走って、車をとめられる場所を探してとめて、西向きのヘアピンカーブのところから中坪峠を目指しました。地形図にある峠越えの破線道なので、なんらかの道標を期待したのですが、カーブミラーのほかは何もありません。シダに隠れて鎖がかかっていて、ここが林道の出口だということはわかりますが、谷の道は流されたようです。水源林造成事業が行われているようで、かろうじて杣道が谷の西側に残っていました。ピンクのマーキングもありますが、肝心の道がとても怪しい感じでした。しかし見上げると石積があって、マーキングに従ってジグザグに登ると石積で補強された道がありました。これはしっかり作られた道だったようで、ジグザグに登っていってネットを通って中坪峠に着きました。


中坪峠には西から林道が上がってきており、2014/05/03に西から来ました(ただしその時のブログは地図と文章が食い違っているような気がします)。その時は中坪峠から林道を歩いたようですが、今回は尾根歩きにしました。最初は植林で、ネットと大岩がありました。ネットの東はススキの草原です。この付近に中坪峠三角点があったはずですが、気づかずに通り過ぎると先は藪っぽくなりました。西側から林道が二回近づいてきますが、それと分かれて藪を抜けると低めの土塁がありました。ここからは土塁に沿って歩きましたが、灌木の藪が続きます。土塁は柔らかい土でできているので、保存のためにできれば上を越えたくなかったのですが、藪を抜けられそうな所を探しに何度か土塁を横切りました。1015mピークの西にはススキの中に地籍図根三角点がありました。この付近からは暁晴山とスキーコースが見えます。しかし藪が続き、うんざりしたころに植林に出てホッとしました。ここで土塁は小さい谷を横切り、また登っていくと、眼の前にコンクリートの壁がありました。これは南の通信塔へ行く道ですが、壁が高くて登れず、北に藪を抜けて壁が低い所を探してよじ登りました。道を横切ると地籍図根三角点があり、土塁はさらに続いていました。土塁はその先の1010m+ピークで北に向きを変えて下っていきます。東から道路が接近しますが、土塁に沿ってまっすぐに暁晴山を目指しました。この付近は2014/05/03に歩いています。比較的歩きやすく、暁晴山の山頂に着きました。山頂は平らでススキに覆われており、パラボラのついた通信塔が4つ立っています。宍粟50名山(とは言え市境です)と暁晴山一等三角点(1077.11m)があります。東にリラクシアやスキー場が見え、展望最高です。


土塁はススキに覆われていますが山頂を通過しています。山頂の北側は背の高いススキを抜けるのが大変でした。抜けてしまえば多少楽になって、斜面を降りていくと峰山林道に出ました。土塁の上にはススキに隠れて「暁晴山 土塁コース」の札が立っています。この北も土塁が続いていることは2014/05/03に確認していますが、今回は峰山林道を東に歩きました。暁晴山登山口を過ぎて山笑の碑に来ると、北の尾根に登りました。ここは地形図に土塁が描かれていますが、ここも灌木の藪は手強く、土塁の脇に抜けられそうなところを見つけながら進みました。途中で土塁は方向を南寄りに変え、市境を横切って斜面を降りていきます。この付近は歩きやすくなりました。地形図の破線道を横切る付近は高原の雰囲気です。小さな渓流を渡り、東屋のある910m+の小ピークの北を通ってまた破線道を横切り(写真)、最後は谷で水流が合わさるところの間で終わっているようでした。この先は地形図の破線道を使って、大河内高原ラインに出ました。この道路をたくさん歩いて出発点に戻りました。


地図には黒で土塁を書き込んであります。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆

地形図は「長谷」です。



2025年7月23日水曜日

上乢から登る後山

 


先週行かなかった後山に、上乢から登りました。車は「愛の水」の駐車場にとめ、行者参道を登り始めました。いきなり不動明王像等がありますが、参道だからでしょう。付近は「後山ふるさと公園」として整備されています。道を登っていくと害獣避けの扉があります。これを開けて、すぐに右に曲がって林道を歩きました。植林の中を歩く舗装道路で、気持ち良く歩けました。途中で枝道に曲がりますが、未舗装でも問題はなく、急坂を登っていくと、上乢に着きました。峠のお地蔵を期待していたのですが、周囲は植林で峠の名前の札も地面に落ちています。旧道の峠の面影はありません。


峠からは北に林道が延びているので、まずこれを歩きました。この林道は北の伐採地に行く道で、しばらくは登っていきますがそのうちに水平に尾根を回って行くので、尾根に上がりました。この先は意外と急斜面になり、大きな岩もあったので杣道を見つけて登りました。ひとしきり登ると北側は伐採地です。道がかなり高いところまで来ているので、これを歩いたほうが楽だったかも知れませんが、伐採地はしっかりした青いネットで囲まれているので、出るのが大変かも知れません。


伐採地に沿って登っていくと、植林の中の入谷四等三角点(939.55m)に着きました。ここまでで一区切りで、その北では少し降りてからまた急登になりますが、ここはロープがありました。この尾根には道標はないので、ロープがあるのは意外でした。この付近は岩が多くロープに従って登って、次は1094mピークで一区切りとなりました。この先は割と歩きやすかったと思います(写真)。1253mピーク付近まで来ると笹が増えますが、強力なチシマザサではありません。ここで初めて笛石山と上乢への道標がありました。ここからは登山道なので歩きやすくなりました。道仙寺奥の院拝見処という場所がありますが、急斜面の上から恐る恐る下を見ても木が延びすぎで奥の院は見えませんでした。板馬見渓谷への分岐があり、背の高くなった笹を押しのけて登山道を登っていくと、後山の頂上に着きました。後山三等三角点(1344.36m)と祠があり、晴れていれば各方面に展望が楽しめます。


下山も登山道を歩くことにして、後山から西に尾根道をあるきました。おごしき山への分岐の後、幅の広い道が続きます。展望もあって良い感じです。下って上がって、2011/09/06に登ってきた鍋ヶ谷林道からの登山道への分岐を過ぎると船木山です。ここからは2025/7/16に登ってきた登山道を降りました。最初はまっすぐに尾根を降りますが、中央部の凹んだ道は歩きづらいので脇に逸れて植林を降りました。1136mの手前から斜面をジグザグに降りるようになり、谷に降りると渓流を二回渡って谷沿いの道になります。降りていって鉄穴流しの跡のような地形になると林道に出ました。


林道を東に歩いて後山キャンプ場に行きましたが、誰もキャンプしていません。そのままキャンプ場を東に抜けて、斜面をジグザグに降りる遊歩道を歩きました。草で覆われている場所もありますが、折り返し点にはベンチがあって、楽に降りられました。この遊歩道は行者参道に繋がっており、仏像に見守られながら降りると駐車場に出ました。この駐車場は害獣避けの扉を開閉しないと来られないので、アクセスが良くありません。その扉を抜けて、「愛の水」に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ☆☆☆

地形図は「西河内」です。



2025年7月21日月曜日

大畑から登る飯森山

 


神河町の越知川を遡っていくと、越知から大畑の間くらいに東に延びる林道があります。この林道の先の峠は東の多田から大畑に繋がる旧道だったそうで、この峠を目指して歩き始めました。越知川を渡ったところに工事の情報が表示されており、「(基)千ヶ峰・三国岳線 森林基幹道開設事業」だそうです。2023/08/13に歩いた、目指す峠を横断している林道です。工事に使われているだけあって整備された林道で、美しい植林もあります。途中に関電の赤い「火の用心」があって鉄塔への巡視路の所在がわかりました。ここに戻ってくることを目標に林道を登りました。途中で林道の近くに鉄塔があったので藪を抜けて見に行きました。播磨中央線五一鉄塔です。下から車で来られるので巡視路は荒れて藪になっていたのでした。


林道を登っていくと、千ヶ峰・三国岳線への分岐がありまり、ここを右に入りました。この付近は地名が表示されており、分岐点は「池ガ谷」のようで、次は「大谷」のようでしたが、その次は錆びていて読めません。そして林道の終点に来ると「南山 大師堂」で、石造りの礼拝所があって「光明遍照」が掛かっていました。地形図にはこの先に峠まで破線道があるのですが、ふと見ると赤い「火の用心」があったので、これがその道だと思い込んで登り始めました。途中までは整備された道なのですが、谷の奥で消えてしまい、ここでGPSで位置を確認すると破線道よりもひとつ西の谷を登っていました。しかたなしに倒木の多い急斜面を登ると上に千ヶ峰・三国岳線がありましたが、コンクリートの壁があって登れないので少し北に寄って道路に上がると、下に鉄塔が見えました。この鉄塔への巡視路だったので、谷を詰めようとすれば見失うのは当然でした。峠への道を確認できないまま、林道で峠まで歩きました。


この峠には2017/08/06に来ましたが、林道の交差点で、千ヶ峰・三国岳線が横切っているだけでなく地形図にもある北東向きの荒れた林道がありますし、南西にも林道があります。東への破線道は2017/08/06に降りてひどい目にあいました。北に登れば播磨中央線五三鉄塔があり、その先は「多可の天空」です。今回は南の尾根に上がって「多可の天空」を歩きました。よく整備されていて植林もきれいです。見ると東側も尾根のすぐ下に林道があります。あまりアップダウンはなく徐々に登っていって、岩場から急斜面を登り切ると、福畑山三等三角点(900.59m)のある飯森山の山頂に着きました。最近では東の多田から2024/12/07に来ています。山頂からは西に降りていき、鞍部を経て少し登ると2011/04/29にも来た飯森山南です。峠からここまで、木々が美しく涼しい風の吹く文句の付けようのない稜線歩きでした。越知川沿いの展望もあります(写真)。


下山は最初に巡視路を見つけた鉄塔に降りるため、少し東に戻ってから植林の斜面を降りました。ここからはほぼ一本道の尾根下りですが、標高800m付近に地形図で見ても勾配のきつい所があり、ここには大岩があったので西側を巻いて降りました。ずっと植林なので降りやすく、少し下草のある所がある程度で、登りにも使えそうです。標高600mを切ったあたりで東から来た林道が終わっていました。さらにその下でも東から林道が来て、少し尾根沿いに下ってまた東に行っていました。これらでも下山できたでしょうが、遠回りになりそうなので尾根を降り続けました。最後は少し藪を抜けて、播磨中央線五〇鉄塔に着きました。ここからは巡視路が2つあり、東寄りの巡視路を階段を頼りに歩いていくと、最初に見た「火の用心」に出てきました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「生野」です。



2025年7月16日水曜日

南から登山道で登る船木山

 


美作市の東粟倉村から北の県境の山々へは、後山キャンプ場からの登山道が整備されています。東粟倉村はなんとなく姫路からアクセスが悪いという印象で、あまり行ったことがなかったのですが、たまには登山道を歩こうと思って行ってみました。


後山キャンプ場から少し戻ると登山口があります。メインは後山のようですが、船木山だって標高は10mしか違いません。よく整備された登山道で、谷を登っていきます。岩場が多く、登山の雰囲気が味わえます。道ははっきりしていますが、ぼんやりと歩いていると時々見失うことがありました。冷静に周囲を見渡せば登山道が必ずありました。渓流がきれいで気持ちがよいのですが、雨の後で岩が濡れていて滑りそうでした。特に渓流を渡る所が2箇所あり、足を濡らさずに渡るのに気を使いました。谷の奥からは少し鎖のあるところをトラバースすると、自然林の気持ち良い道になりました。さらに少し登ると平坦になって、最後は北にまっすぐ延びる木の階段になりました。これを根気よく歩くと県境の尾根に出て、切り開かれたチシマザサの間をちょっと東に行くと、船木山の頂上でした。


この日は雲で視界が悪く、風も強かったので後山には行かずに下山することにしました。船木山から西に少し行って、尾根が南北に分かれるところで南側の尾根に向かいました。チシマザサの藪を恐れていたのですが、チシマザサはすぐになくなり、植林に出ました。ここからはあまり急勾配はなく、楽に歩ける尾根でした。大きな岩があっても簡単に巻いて降りられました。途中で出会った生き物もマムシくらいです。ただし一番勾配の小さそうな尾根に向かうために、方向は間違えないように降りなければなりません。中筋四等三角点(1016.57m)まで来て、さらに南西に尾根を降りて、標高950m付近からはやや急斜面になりました。少し藪っぽくもなりましたが、本格的な藪はありません。ここを過ぎると林の中に金属の柱を見つけました(写真)。何も繋がっておらず、高さも周囲の木に負けているので、なんのためのものなのか謎でした。近くに金属の脚立が倒れており、そんなに古いものとも思えません。ここからも尾根を降り続け、林道竹の頭線に降りました。林道を歩いてキャンプ場に戻りました。


展望 ★★☆ 晴れていれば良いはず

藪山度 ★☆☆

地形図は「西河内」です。



2025年7月6日日曜日

高峰から草木川

 


一宮町の高山には2011/05/08に登りました。その時は下山では百千家満に降りたのですが、今回は草木川沿いの道で戻ることにしました。登山道は前回と同じ道路です。折れ曲がりながら登っていき、途中にauとdocomoの基地局、同じ場所に西はりま消防組合の三方基地局があります。その先に受信塔という珍しい名前の三角点があります。これは道路の脇の尾根の上にあるので、少し行き過ぎてから尾根を戻って探しました。受信塔四等三角点(613.53m)は尾根の道のちょっと脇にあります。前回にはあったNHKのアンテナはありません。道路に戻ってまっすぐに歩くと、すぐにNHK一宮三方FM中継放送所があります。前回はテレビ中継放送所だったのですが、FM専用となったようです。ここからの尾根歩きは快適です。少し岩もあります。山頂に近づくと尾根の北側は伐採地となりネットがありますが、ネット越しの展望は草や木が育ったせいかあまりよくありません。そして高峰の山頂に着きました(写真)。狭い切り開きで高峰三等三角点(844.66m)があります。ネット越しに南向きの展望があります。


山頂からは前回同様に北東に降りました。まっすぐに降りていくと、草木登山口への道標がありました。前回はここから北向きの尾根を降りましたが、今回はまっすぐに降りました。この先の尾根には分解されたアンテナがいくつか転がっていました。そして「草木坂登山口」「草木越え」「高峰」の3つの道標のあるところに出ました。ここから北寄りの尾根を降りると百千家満から草木に登る道路に出られるようですが、草木越えに向かいました。いきなり大岩があり、その先は切れているので、ちょっと苦労して登って、降りて、巻いて幾つかの大岩をやり過ごしました。ここはかなり危険でした。その先はちょっと藪ぽいところがありましたが、東寄りにマーキングに従えば作業道があり、道路に降りられました。ちょうど草木城の入口です。道路を歩いて草木に降りました。


帰りは草木から草木川沿いに長い道のりです。最初は気持ちの良い植林で、川を渡ると自然林の中を歩くようになりました。ときどき大きな岩が転がっていました。林道が東の谷に入っていく地点までは、2011/05/07に逆コースで歩いてきました。その時はここまではかなり荒れていて、復旧工事も行われていたのですが、今回はきれいに整備された道で、どこで工事をしていたのか形跡も残っていません。おそらく舗装が新しげな所が復旧された所でしょう。未舗装でも歩きやすい道でしたが、車がすれ違うにはやや狭いので、途中で出会ったのは軽トラ一台だけでした。横住川キャンプ場はただの空き地で何の設備もないので、ワイルドなキャンプが楽しめそうですが、最近使われた気配はありません。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「神子畑」です。



2025年7月4日金曜日

阿舎利三角点から三久安山

 


暑い夏には標高の高い気持ちの良い山を歩きたいので、三久安山を北から目指しました。国道29号線から県道48号線で若杉峠の手前まで行って、県道521号線を南に入ろうとすると、いきなり通行不能と書いてありました。10月末まで樅木沼谷林道災害復旧工事だそうです。とりあえずどのへんで工事なんだろうと思って521号線に入り、しばらく走って植林に入る手前に車を置いて、歩き始めました。すぐに「これより先未改修(悪路のため)通行不能」の表示があり、その次のカーブで通行止めになっていました。柵をどければ通れますが、この先はあまり車が通っていないようで荒れているので、通行はお勧めできません。渓流を下に見ながら歩いていくと藤無山登山口がありました。たしかにここからなら藤無山は近いでしょう。この付近には林道がたくさんありますが、さらに登っていって峠のあたりで西の伐採地に向かいました。ここまで工事の気配はありませんでした。


伐採地付近は鹿の楽園でした。しばらく作業道を登ってから壊れたネットを越えて尾根に移り、そのまま登って金属プレートの阿舎利四等三角点(982.51m)に着きました。ここには最近は2024/11/09に来ていますが、今回は南の展望が霞んでいました。ネットの壊れ方は進んでいます。ここからはいつもとは逆コースで尾根を西に歩きましたが、気持ちの良い尾根です。そして1067mピークに着き、南に稜線を歩きましたが、こちらはさらにブナが美しく、アップダウンも多少はありますが、歩きやすい尾根なので気になりません。1012mピークを過ぎ、少し登った付近に最近倒れた木がありました(写真)。特に空洞にもなっていないようですが、なぜ倒れたのでしょうか?


気持ち良く登って三久安山の山頂に着きました。小原三等三角点(1123.13m)があります。下山を検討しましたが、東に降りると521号線を峠まで登ることになるので、来た稜線をもどることにしました。美しい尾根なので不満はありません。1067mピークまで戻り、登りと同じ尾根を東に進みましたが、1000m+ピークからは北の尾根に降りました。こちらも歩きやすい尾根でした。992m地点を過ぎ、途中で北東に降りる尾根もありましたが、さらに北に歩いて1012mピークに着きました。ここでややこしいながらも東に降りる尾根を見つけて降りました。少し急斜面ですが植林ですし問題はありません。少しなだらかになってからは右手(南)側の下に林道が見えて、左(北)からは林道の終点があり、その先で右手の林道が尾根を横切っていました。ここからは少し林道を歩きましたが、すぐに尾根を過って左側に行ってしまいました。右手側には下に林道が二つ見えたので、右の斜面を降りました。2つ目の林道まで降りて林道を歩きました。この林道は下っては行くのですが、途中で北に行かず南に曲がり、堰堤のある谷を横切って(橋はない)さらに尾根先を回ってから地形図にある谷沿いの林道に繋がりました。道は良いのですが、水流をなんどか横切る必要がありました。橋はありません。谷沿いを歩いていくと、521号線に出て、車に戻れました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年6月22日日曜日

不動橋三角点から笠形山

 


2015/08/01に国道429号線から「森林管理道不動橋線」を使って笠杉山に登ろうとしましたが、不動橋線が途中で終わってしまい、失敗しました。そのリベンジは2015/12/06に果たしていますが、この時はいきなり尾根を登っており、不動橋三角点には行っていません。今回はまず不動橋三角点を目指しました。


地形図で見ると不動橋三角点には林道で行けそうなのですが、林道と429号線はかなり下の方で繋がっているので、まず笠杉トンネルの東側出口で道を探しました。地形図ではトンネル出口から北に破線道がありますが、429号線からはこの破線道は見当たりません。しかたなくトンネル出口の上に登り、さらに植林を登りました。かなり急斜面ですが、意外と楽に登れました。地形図の破線道は存在せず、さらに登り続けると、実線道の林道に出ました。ここからは長い林道歩きです。


この林道では木材の積み出しが行われているようで、あちこちに重機や発電機がありました。ずっと未舗装ですが、よく整備されています。路肩の弱いところはマークされていました。すぐに宍粟市と朝来市の境界の尾根と並走するようになりましたが、標高は保ったままで尾根からは離れていきます。不動橋線のあった谷の上流に来ると林道は谷を渡って北にターンしますが、ここには谷に降りていく地形図の破線道もあり、いずれ不動橋線と繋がるかも知れません。地形図の実線道は、じっさいには地形図よりも標高10mくらい下に作られていました。地形図では三角点の付近で終わっていますが、じっさいには尾根先をまわってずっと続いています。尾根先は木材の集積所になっていました。不動橋四等三角点(718.41m)は林道から滑りやすい急斜面を登った上にありました(写真)。


不動橋三角点で今日の第一の目的は果たしましたが、次は笠形山です。林道がたくさんあるのですが、方向がわからないので最適の道が探せません。そこで不動橋三角点から尾根をまっすぐ笠形山まで標高差300mほど登ることにしました。この尾根は歩きやすく、50分ほどしかかかりませんでした。途中で林道が何回か尾根を横断していて、何度も法面を登るのに苦労しましたが、特に848m地点付近では北側から来た林道が尾根の両側に林道が分岐していました。このうち北側の林道は標高900m付近まで尾根と並走しており、つまり標高900mまでは林道で登れます。残りの標高差100mほどはちょっと急な場所もありましたが、歩きやすい自然林の尾根が続きました。最後に岩が見えると笠形山の山頂です。藤尾峠三等三角点(1032.11m)があり、その先に宍粟50名山の碑が立っています。


帰りは2025/06/19の逆コースで、市境の尾根(おそらく日本分水嶺)を西に歩きました。こちら向きに歩くとけっこう間違えやすいところが何箇所かありました。884m地点を過ぎると東側下に林道が見えてきて、830m+の鞍部で林道が尾根を横切っています。市境の尾根は2015/12/06に笠形トンネルまで歩いているので、東側の林道を北に降りていってみました。入口にはチェーンが渡してあります。この林道はいったん市境の尾根に達してから戻って尾根の先まで行き、そこでさらに東に行く林道と分岐します。そこを下っていくと再び773mピークの付近で市境に達していました。林道を歩いたおかげで市境の急斜面を降りずにすみました。2015/12/06には尾根に林道はなかったので、新しく作られたようです。この付近からは東の下の方に林道が見えており、登ってきた林道に降りられそうでしたが、林道歩きも少し飽きたので、ここからは市境の尾根を降りました。市境の尾根も歩きやすいのですが、その先で東に折れてから北に曲がる植林の付近は少し迷いました。ここでも林道が尾根に達してターンしていました。北に尾根を歩いていき、林道と接した所で林道に移りました。


あとはそのまま林道を戻ったのですが、帰りも笠形トンネルの上からトンネル出口に降りました。今回はトンネルの北の斜面を降りましたが、かなりの急斜面で、谷に降りるのは難しく、トンネル近くの植林の方に行ってからトンネル脇で谷に降りました。林道をずっと降りていって429号線に出てもよかったと思いますし、トンネル出口に降りるならもう少し北に行ってから降りるほうが楽だったと思います。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「神子畑」です。



2025年6月19日木曜日

黒原から登る笠杉山

 


なんどか登っている笠形山ですが、今回は西の黒原から登ってみました。黒原の大野付近に尾根の外れがあり、地形図を見るとここに道がありそうなので、これを試しました。実際には道はなく、山裾の林の中を歩きましたが、尾根の先に出ることができました。尾根登りは最初は急勾配ですが岩が適度にあって楽に登れました。少しなだらかになったあと、また急斜面があり、ここは滑りやすく、木の根につかまって登りました。これを上がると楽な尾根歩きになりました。ここへは北の墓地付近からも登れたと思います。


歩きやすい尾根を歩き、少し登ると黒原四等三角点(656.61m)がありました。周囲は植林です。さらに東に尾根を歩くと北側の尾根と合流し、植林を歩いていくと地形図通りに林道の終点がありました。未舗装ですが幅の広い林道で、路肩が崩れているところもありました。これを歩くと広域基幹林道千町・段ヶ峰線に出ました。立派な舗装道路です。法面はとても登れないのでしばらくこれを歩きましたが、途中で法面に階段を見つけました。上は尾根のようだったので、登ってみました。階段の途中は藪化していましたが、棘のある草や木はなかったので無事に抜けられて、階段の上の草地を登りました。尾根に上がると、ここは黒石から登ってきた尾根の延長です。東に歩いて、宍粟市と朝来市の境界にある870m+ピークを目指しました。このピークの手前は非常に急な斜面で、掴まるものも少なくて冷や汗をかきつつ登りました。


870m+ピークに着くと市境を東に歩きました。少し植林を歩くと千町・段ヶ峰線から道が上がってきていました。この道は2015/12/06には地形図通りに尾根上で終わっていましたが、いまは市境を横切って朝来側の林道に繋がっていました。朝来側の林道は尾根に沿って両方向に延びていました。


この市境の尾根は2015/12/06に逆方向に歩いていますが、884m地点を過ぎ、自然林が続きます。気持ちよく歩いていたら方向を間違えて、修正して東に降りて、可愛らしい銀竜草を見ながらまた少しずつ登っていって、笠形山の山頂に着きました。山頂の朝来市側に宍粟50名山の杭があり、その先に藤尾峠三等三角点(1032.11m)があります(写真)。展望も少しあります。


下山はまず千町小屋の道標に従いました。この登山道は南に尾根を降りていき、千町・段ヶ峰線の笠形山大乢北登山口に出ました。ここからふたたび林道で西に歩きました。かなり長く歩いて、登りで使った階段を過ぎたところで切通しの脇から北西に向かう尾根に乗りました。この尾根は最初は幅広く伐採されており、とても歩きやすくて助かりましたが、さすがに標高が下がってくると藪っぽくなりました。標高600mmを切る付近で尾根は二つに分かれますが、北寄りの尾根を降りました。これも最初は降りやすかったのですが、そのうちに細い木の生えた急斜面になり、最後は木に掴まってなんとか地形図の道に降りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「神子畑」です。



2025年6月8日日曜日

与位から登る宮山(その2)

 


山崎の宮山は南の五十波から登るコースが一般的で、2015/06/14に登りました。北から登ったのは2007/04/08ですが、梯への谷を登って倒木に苦戦したので、今回はその南を登ることにしました。与位の西に林道に分岐点があり、右は奥谷、左は北谷と書かれています。西方向に登りたかったので、右の林道の扉を開けて歩き始めました。これは谷沿いの林道です。しばらく歩くと分岐があり、左が舗装されていたので、そちらに歩きました。すると巨大な堰堤があり、道はターンして登っていきますが、かなり荒っぽい作りの林道で、最後は谷の奥で終わっていました。こちらに登ってきたのは、この付近なら北の尾根が登りやすいと思ったからなのですが、それなら最初から尾根を登るべきで、ここから尾根に登ろうとすると大変でした。イバラや山椒のようなトゲのある木が多く、それを避けると進路が限定されます。少し登れば植林ですが、まだイバラが生えており、北に登るのは難しかったので、植林の作業道の跡を辿って南に行き、尾根っぽいところを上がりました。この付近は木に掴まって四つん這いになればなんとか登れて、稜線に上がることができました。


稜線には道がありますが、急坂もあって木に掴まって登りました。頑張って登ると金剛岩がありました。金剛石と言えばダイヤモンドですが、ダイヤモンドは含まれていないでしょう。ちょっと歩けば宮山の山頂です。神谷三等三角点(645.83m)があります。道標は北に金剛岩、南は野口神社、東はよいたい登山口となっており、こちらに下山しました。長い尾根歩きとなりますが、よく整備されています。すぐに与位が見渡せる場所があり(写真)、宮山東ピークを過ぎると植林が終わって自然林になりました。459m地点を過ぎると窪んだ道があり、共同アンテナの残骸がありました。この場所は少し展望があります。さらに尾根を降りていき、297mピークを過ぎると目の前に白いオバケのような布で覆われた植えたばかりの木が並んでおり、神野溝口線六鉄塔がありました。1939年3月に作られて、2007年には小振りな鉄塔だったのですが、2025年1月に作り直されたようで大きな鉄塔になっていました。少し尾根を下ると古い鉄塔が立っていたと思われる平坦地があり、そこから急坂の下りになりました。巡視路なので簡単に降りられると思っていたのと、北に降りたいと思っていたので、北に折れる道があった所で何も考えずに北に向かいました。するとフェンスの上の道に出てきました。ここでも南に行けたのですが、北に歩きました。そうするとフェンス沿いに長い道で、途中でフェンスが終わっても降りる道はなく、無理に降りたとしても下には用水路があり、そのまま西に歩くとまたフェンスがありました。結局フェンスに扉があり、針金をほどいて竹藪に出ました。もっと注意して降りるべきでした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。





2025年6月2日月曜日

閏賀から登る黒尾山

 


2011/04/02に高尾川から登った時に閏賀と高尾川の間の峠を通りましたが、今回はここに閏賀側から行って黒尾山を目指そうという企画です。とは言っても、閏賀からこの峠までは2009/08/18の高畑山登山の時に林道を歩いており、今回も同じ林道を登りました。溝谷線というらしく、妙見宮参道らしいのですが肝心の妙見宮は見つけられませんでした。北側の植林に入る道がたくさんありました。峠には赤い「火の用心」があり、これが閏賀反射板への道標だということは2011/04/02に知りました。その時は北西向きの尾根をまっすぐ登ったのですが、今回はなるべく林道を利用する方針で、尾根の南にある林道を歩きました。草が生えており林道らしくないのですが、ちゃんと繋がっています。黄色いきれいな花が咲いていると思っていたら、これがジャケツイバラで、痛い目にあいました。少し登ると赤い「火の用心」があって、反射板はこの上にあるようでした。そのまま背の高い草の生えた林道を真っ直ぐに歩くと、谷を大きく横切って南側の尾根で終わっていました。この付近の林道の様子は、航空写真でだいたい確認できます。途中に上に行く分岐があったので、そこまで戻って分岐から登っていくと、かなり大回りで大きな草が邪魔でしたが、北の尾根に行ってまた南に戻り、また北に向かって、北の尾根で終わっていました。


ここからは尾根登りですが、灌木の多い藪っぽい尾根で、西に折れて岩を登ると河原山四等三角点(798.25m)がありました。ここからは尾根歩きで、まず大岩を巻いて西に降りました。この先は2011/04/02にはあまり苦労した気配がないのですが、今回は灌木の藪に大苦戦しました。幸いジャケツイバラは生えていませんが、尾根上はほぼ歩けません。もちろん展望どころではありません。「五」の標石のある893mピークを過ぎても藪は続きましたが、尾根の北側に降りると踏み跡らしきものがあってマーキングもあることに気がつきました。そして2011年にはなかったらしい南側の林道と合流しました。この林道は尾根沿いではなく南に曲がって、立派な林道に出てきました。2011/04/02のように尾根を真っ直ぐに歩いて黒尾山に向かうほうが早道だったと思いますが、林道をなるべく活用する方針だったので、この林道を歩いて西をぐるっと大回りして、砂防ダムの下の登山口に行きました。ここからは登山道ですが、途中で道を間違えて下り方向に行ってしまいました。分岐点に黒尾山への道標がほしかったと思います。戻って登山道を登りましたが、急斜面はなく、疲れている割には楽に黒尾山の山頂に着きました。昔からある廃墟の電波塔があり(写真)、黒尾山二等三角点(1024.6m)があります。さすがに展望も楽しめます。そういえば黒尾山と言えばススキのイメージだったのですが、いまはススキは見当たりません。


下山は西安積からの登山道にしました。ここでは赤い「火の用心」が単なる道標として使わています。尾根を降りていくと行者像と虚空蔵尊があり、その先で右コースと中央コースに別れます。昔は右コースしかなかったと思いますが、今回は中央コースを降りてみました。整備された登山道ですが、かなり急勾配の場所が多く、落ち葉で滑ります。たまにロープもありますが、木に掴まって降りました。最後は真っ直ぐに降りてはいけなかったのだと思いますが、真っ直ぐに降りて高い法面を避けて南に少しトラバースして、林道に降りました。あとは林道を歩いて下山しました。林道を活用したつもりでしたが、出発点に戻ると6時間半かかっていました。


展望 ★★☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」です。



2025年5月31日土曜日

山崎町野々上から登る野々上三角点

 


山崎町の野々上三角点には2008/08/31と2008/12/29に登りましたが、今回は西の野々上から登りました。野々上八幡神社の隣に好古館という懐古品を展示した施設があり、その前に駐車場があって「永尾山展望台まで5分」「山野草の小径」「ウンゼンツツジ群生地」という道標があります。ここから整備された登山道を登りました。ウンゼンツツジは時期外れでしたが、展望台では揖保川沿いが一望でき(写真)、小さな休憩所もあります。この付近を風の丘ガーデンと呼ぶそうです。


展望台から東に歩き、尾根を登ると害獣除けフェンスがあります。これを抜けると林道があり、尾根を登っていきます。この林道には尾根の南北両側から登って来られるようです。途中で道が尾根の両側に分かれていたので、道ではなく真ん中の尾根を歩きました。ここにも窪んだ道があり、ネットも尾根沿いに張られています。しかし結局292m地点の付近でまた北側の林道に出てきました。この先はまっすぐに543mピークを目指して登ろうかと思っていたのですが、地形図で見るとかなり急斜面です。いっぽう地形図には谷を渡ってひとつ北の緩やかな尾根を登る破線道が描かれており、これが尾根の北側の林道ではないかと推測して、林道を歩きました。すると確かにこの林道は谷を横切って北の尾根に延びており、複雑に分岐していますが尾根を登っていく林道がありました。稜線から標高差50mくらいのところで林道はまた左右の谷に行くようだったので、ここからは中央の尾根を登りました。藪っぽいのですが、突破できないようなものではなく、すぐに稜線に達しました。地形図ではこの付近で破線道が稜線を横切っていますが、見当たりません。


稜線上で530m+ピークから北に降りると、西側から道が登ってきていました。これが登ってきた林道と繋がっているのではないかと思って降りていってみたのですが、林道が下に見えるものの、この道は細くなって杣道となり、登ってきた尾根を巻いているような感じでした。作業道には違いないと思うのですが、不思議な道でした。稜線に戻って北に歩くと、厳しい斜面が待ち構えていました。木に掴まって標高差50m程を登って細尾根に上がりました。北に歩くと東側から林道が尾根近くに来て、地形図通りに折り返していました。真っ直ぐに斜面を登たところ倒木が多く、非常に歩きにくかったのですが、東に歩いて野々上四等三角点(597.53m)に着きました。藪の中ですが、今回は尾根を歩いてきたので簡単に見つけられました。以前は赤く塗られていたようですが、現在は色はついていません。


野々上三角点から西に藪を戻って、北西に藪の尾根を降りました。倒木と灌木で非常に歩きにくいのですが、溝状の道があります。少しずつ藪は薄くなり、道は下っていって、そのまま道を下れば地形図の破線道と繋がっているのかも知れません。しかしそちらには行かず、尾根を北西に降りました。藪はなくなって楽な尾根歩きになり、430m地点に着きました。ここからは南西に尾根を降りましたが、これも歩きやすく、深く掘られた道もありました。降りていくと植林になって林道がありました。最初は林道を西に歩きましたが、墓所があり、その先は人家らしく林道は終わっていたので、戻って谷を渡って南に降りて、地形図の実線道に降りました。害獣除けの扉を抜けて、野々上に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2025年5月27日火曜日

吉野川上流から中国自然歩道を歩く

 


新緑を見に吉野川の上流に行きました。舗装道路の終点の駐車場に車をとめて、中国自然歩道を歩きました。よく整備されています。天気が良く、新緑は素晴らしく綺麗でした。第一分岐点で若杉自然研究路に入りましたが、美しい自然林の林が続きました(写真)。説明板がたくさんあって、勉強になりました。急な坂には階段が設けられていますが、階段は膝に負担がかかるのでなるべく階段の外を登りました。ナラやブナの新緑を満喫して、県境の尾根に着きました。中国自然歩道をここで西に曲がり、少し歩いて西粟倉村、若桜町、智頭町の三町尾根点で北に曲がりました。県境は三町尾根点から西では藪になることを2018/07/31に知りました。


ここからは周囲は主に植林になりますが、尾根上は自然林が残っており、新緑を楽しめました。アップダウンがありますが急な所には階段があります。1191m地点、1111m地点を過ぎて階段を降りると芦津・吉川越です。智頭と若桜の間の峠ということになります。ここからは2018/07/25の逆コースです。この季節には自然林の緑に負けますが、やはり美しい植林の中を北に歩きました。ここもよく整備された中国自然歩道です。道標やマーキングがあって迷いやすい所はありませんが、ぼんやり歩いているとあらぬ方向に行く可能性もあります。狩谷三等三角点(1158.75m)にはベンチと案内板があります。ここは狩谷山だそうです。この付近から北は自然林が増え、展望もあって楽しめました。1206m地点を過ぎて、少し下ると林道沖ノ山線に出ました。


この先さらに北に歩くと東山ですが、今回は沖ノ山線を西の智頭町側に降りました。これも中国自然歩道です。舗装道路なので車に気をつけて降りていき、森林鉄道の説明板のある分岐から南に沖ノ山林道大川線を歩きました。この林道は何度か歩いています。最近大規模な伐採が行われたようですが、現在は作業している様子はありません。南に歩き、芦津・吉川越の西側の谷に入りました。ここも2018/07/25と2018/07/31に歩いている谷ですが、今回は林道ではなく谷の南側にある作業道を歩きました。この道はすぐに北の方に曲がりますが、道のない谷を登っていくと、南側にまた道がありました。これもすぐに終わりましたが、広い谷で、時々湿地になっている以外歩くには不都合はないので、新緑見ながらを登っていき、芦津・吉川越に着きました。


中国自然歩道を歩くなら南の1111mピークに長い階段で登らなければなりませんが、ここは近道を試みました。植林を南にトラバースして、1111mピークから南東に延びる尾根の先に出ました。このトラバースは急斜面ですが、作業道があって助かりました。南東に尾根を降りて谷に出て、さらに南東に登り返しました。周囲は植林で傾斜も緩いので楽に登れました。登り切ると県境の尾根に中国自然歩道があり、植生がいきなり変わって南側は美しい自然林になりました。東に歩いて、休憩所から南に階段を降りると若杉峠で、お地蔵様がありました。ここからは大茅スキー場方面に降りました。新緑の若杉天然林は感動的でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「西河内」「岩屋堂」です。



2025年5月25日日曜日

砥峰から福知川

 


2025/05/15に福知川沿いの千町・段ヶ峰線起点にある地図を見ていたら、「長沢村の集落跡」がありました。場所は高圧線が福知川を渡るあたりですが、福知川を渡るのは難しいので砥峰から行ってみることにしました。砥峰高原から北に行くと、砥峰登山口があります。山頂まで800mと書いてあるようです。ここから登山道を歩きました。途中に道標がいくつかあり、遊歩道と書いてあります。林道に3回出会って、その上は黒いプラ階段があって関電の巡視路のようですが、こちらの方向には鉄塔はありません。巡視路を歩いていくと、まっすぐには登らずに西に行ってしまうので少し心配になりましたが、結局は尾根に上がりました。土塁があり、それに沿って歩いて砥峰の山頂に着きました。以前は伐採されていたようですが、いまはアシビなどが茂っています。川上三等三角点(972.08m)があります。山頂からは下山近道の矢印もあって、巡視路を使わずに急斜面の尾根を降りる道でしょう。この山の名前は地形図では砥峰ですが、ところどころで砥峰山という名前が使われています。峰も山も同義なので、なんだか変ですが、砥峰高原の名前が知れ渡っているので、山を付けたくなる気持ちはわかります。


砥峰から北に歩いて尾根を下りました。2011/04/17の逆コースです。900m-の鞍部はちょっと展望があり、東側には林道が通っていました。ここから少し登って975mピークに行きました。それから引き換えして北の尾根を降りました。枝分かれが多いので方向に気をつけて降りていきました。途中にネットがありますが、問題なく福知川まで降りられました。この付近が地図で長沢村の集落跡になっていた所なので、歩き回ってその痕跡を探しましたが、何もありません。福知川を遡ると地形図では川が二本に別れて間に島があります。しかし上流で二本に分かれる付近は大規模な土砂崩れがあったらしく、福知川から水は流れておらず、実際には東側の水流は少なくなっていました。長沢村のあったとされている付近には錆びたドラム缶やワイヤーがありましたが、木材の切り出しの跡でしょう。人工物らしいものとしては石積がありましたが、これは炭焼き窯で、集落があったことの反証になりそうです(写真)。カマツカの花の咲いている気持ちの良い平坦地なので、農耕に使われた跡が無い方が不思議な気がしましたが、福地川が増水すれば水没してしまいます。なお、明治31年の地形図を見ると、この付近には福知川の北側に一つだけ建物が描かれています。


平坦地の南西側の斜面は植林で、帰りはまずここを登りました。急斜面ですが植林なので問題はありません。少し登ると幽霊のように白いものがたくさん立っていましたが、白いレースで囲まれた新しく植えられた植林です。その中に細身の草木南小田第一線四一鉄塔がありました。この先は南向きに植林の尾根を上がり、867mピークから東に降りて草木南小田第一線五一鉄塔に着きました。四一鉄塔から2本目なのですが、一気に番号が増えています。途中にあった鉄塔も五一鉄塔も付近には白い幽霊のような植林がありましたが、鉄塔の番号が増える方が育っていました。五一鉄塔の脇には林道があったのでそれを南に歩きました。しかし下っていくような感じはしないので、途中で尾根を下って県道39号線に降りました。途中で谷に降りたのですが、尾根を最後まで歩いたほうが楽だったかも知れません。また、降りてきた谷には北に向かう林道があったので、ひょっとしたら林道を逆に歩いたほうがよかったのかも知れません。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「長谷」です。






2025年5月15日木曜日

砥峰高原から琢美谷を下る

 


2018/12/02に琢美鉱山に行きましたが、その時は砥峰高原から往復しました。今回は琢美鉱山から福知渓谷に降りてみました。前回同様に砥峰高原のススキの間を登り(今年は山焼きは実施されていませんでした)、東屋から立入禁止の林道に入りました。そのまま尾根の鞍部を抜けて、地形図の破線道通りに琢美谷に向かって降りました。この林道は荒れていますが、いちど橋がなくて迂回したくらいで、あまり苦労せずに琢美鉱山の谷の下に出ました。この付近の林道はぬかるんでいます。今回は鉱山には行かず、そのまま谷を下りました。人工的な地形が続きますが、すぐにコンクリートの塊と、コンクリートの貯水槽のようなものが現れました(写真)。水が溜まっており、山水が流れ込んでいます。なんだかよくわかりませんが、鉄穴流しでいう大池とか、シックナーみたいなものかと想像しました。ということは、ここで少し精錬した鉱物を谷を下って運んで福知川沿いに出荷したということも想像できます。が、まずこれらの人工物が邪魔で谷を下るには谷の反対側に移らなければなりません。この付近の谷川はコンクリートの溝を流れており、渡れません。倒木が何本かあって、丸太橋のつもりで渡れるかも知れませんが、一本ですからとても危険です。結局谷を戻って、鉱山の下付近まで来ると土砂で溝が埋まっていて渡れました。ここから谷の北側を歩いて谷を降りると、貯水槽の先は林道はありません。どうやら谷を下って出荷はしていなかったようです。


細々とではありますが、谷を下る道は続いています。踏み跡と言ってもよいでしょう。マーキングもありますが、地籍調査のものが多く、道を示しているとは言えません。谷なので岩を登ったり降りたりもありますが、難しいのは流れを渡るところで、渡らなければ先へ進めない所もありますが、先がどうなっているのかわからない箇所もたくさんありました。マーキングが流れの向こう側にあっても、渡るべきかどうか悩んだこともありました。踏み跡はずっと続きますが、岩場に来るとわからなくなります。難所はたくさんあり、水流の脇が垂直で通れない時には少しよじ登って上の方を歩きました。一番の難所は地形図で神河町と宍粟市の境界線が谷をよぎっている付近で、谷が狭くて深く、滝の連続で、岩を伝って斜面の上の方を歩きました。当然下手をすると滑落します。谷に降りずに進んでいくと、踏み跡は植林の作業道に繋がっていました。これは歩きやすく、結局この後は谷に降りずに福知渓谷まで歩きました。谷に降りても歩けただろうと思いますが、場所によっては植林にエスケープが必要だろうと思います。福知渓谷の県道39号線に降りて琢美谷橋から見上げてみると、いきなり滝が見えました。谷下りはかなりの難所続きでしょう。


福知渓谷では県道39号線を歩きました。休日だと車の怖い道ですが、平日は車は来ないので新緑を楽しめました。広域基幹林道千町段ケ峰線の起点まで来て橋を渡り、砥峰高原の方に戻りましたが、ずっと県道を歩くのもつまらないと思い、すぐに林道に入りました。この林道はジグザグに斜面を登っていきますが、水平部分が多く、結局は県道に戻ってしまいました。しかたなくここからは植林の急斜面を登りました。オニゼンマイの密集している斜面を登り、さらに落ちた枝と間伐材で埋まっている急斜面を登りました。標高850mを付近を超えると少し楽になり、尾根歩きになりました。この付近は自然林も残っています。標高982mのピークには、地籍図根三角点がありました。この付近は2018/12/02に歩いていますが、西に少し降りると林道があったので、今回はこれを歩きました。砥峰高原に引き返し、周回路を歩いて自然交流館に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「長谷」です。



2025年5月10日土曜日

野尻から登るマンガ谷三角点

 


波賀町原の東にあるマンガ谷三角点には、2012/05/19に原から登っていますが、今回はその時の下山コースに近い、野尻からのコースで登ってみました。国道29号線を引原川沿いに北上すると、皆木の北の付近で引原川を西に渡る手前に未舗装の道が二本分岐しています。上に上がっていく方には「この先4Km農園内入園禁止」という札があります。2012/06/02に笠ヶ城山から降りてくる時にこの阿舎利(広路山)林道を通りましたが、確かに農園の中を通っていました。この林道を使えないとこの付近の山歩きはかなり制限されますが、林道歩きが目的でもないので、いろいろルートは考えられます。阿舎利林道ではなく引原川沿いの道を歩くと、広路川を越えた先に上がっていく道があります。害獣除けの扉を通って登っていくと、昔の耕作地らしく、大きなログハウスがありました。ログハウスの先は植林で、どう登るかが問題でしたが、結局は谷沿いがいちばん楽そうでした。植林の広い谷なので、歩くのには差し支えありません。谷も水があるわけではなく、ほぼ中央を登っていきました。作業道もあって、最後はちょっと急でしたが、460m+の鞍部に出られました。鞍部の東側の眼下には林道がありました。


ここからはひたすら斜面を登りました。美しい新緑の自然林も植林もあります。落ち葉で滑りやすく、木が少なくて四つん這いで登ったところもありましたが、急斜面は少なく、ときどき緩やかになるので休みながら登りました。40分ほどで690m+ピークで登り着きました。ここからは2012/05/19の逆コースとなり、少し岩のある尾根を登って行きました。やや急な斜面はありますが、760m+ピーク近くからは植林で、小林四等三角点(793.74m)に着きました。展望はありません。この先も植林が続きます。おかげで歩きやすく、いったん730m+まで降りてから植林をまっすぐ登って標高810m+の植林に上がり、北に歩いて836mピークを通りました。少し降りてから、幅の広い植林の斜面を登りました。上には平らな稜線が見えます。稜線に登ってから東に歩くと北側下には林道があり、並行して植林の尾根を歩いてマンガ谷四等三角点(904.2m)に着きました。周囲は伐採してありますが、展望はありません(写真)。


下山は来たルートを引き返しました。836m地点に降りていく広い斜面は2012/05/19には迷って西の谷に行ってしまいましたが、今回はまっすぐ降りられました。この付近は東側に広い林道がありますが、航空写真で見ると広路川へ降りられるわけではなく、阿舎利林道に繋がっているようなので、確実なルートを下りました。標高810m+から東側の尾根を降りました。いったん760m+ピークに上がり、方向の確認しづらい広い植林の急斜面を、何度も方向を修正しながら降りて、細い尾根に乗りました。この付近もずっと植林で、急な所もありましたが降りやすい尾根でした。最後はどちらに降りるか悩みましたが、東側の広い植林を降りて阿舎利林道に出ました。こちらに降りたのは正解で、江戸時代の墓石の集められている「マンガ谷国有林過去諸聖霊位」がありました。これを見ると、マンガ谷というのはかなり広いエリアを指す名前のようです。反対側に降りたら見過ごすところでした。あとは阿舎利林道を下って下山しました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年5月7日水曜日

楽里から登る生栖の行者山

 


何度か登っている生栖の行者山に、南西の楽里から登りました。楽里の集落を抜けて、地形図の林道を登りました。目標は谷の奥、498mピークの北の鞍部です。谷沿いの林道ではなく、曲がりながら大回りする林道を歩きました。途中に地形図にない分岐がありましたが、とりあえず地形図通りに林道の終点まで行きました。ここから見ると谷の反対側にも谷沿いの道があって、谷の奥で折り返しているのがわかりました。しかし谷のその上は新しい石積があって登れそうもありません。林道終点から見上げると上にガードレールがありますが、その下に板のフェンスがあって直接登るのは無理そうでした。そこで林道を戻り、最初の分岐から北に歩くと、すぐに南に向かう林道がありました。これはガードレールのある林道ではなく、下の林道の終点から見上げたときには見えなかったようです。この林道を少し歩いて、上のガードレール付きの林道まで斜面をちょっとだけ登りましたが、もう少し北まで歩けば林道でここまで来られたと思います。


この新しい立派な林道は能栖線という名前です。楽里からの谷の奥を回っており、林道から見ると谷の奥は段々にきれいに整えられていました。能栖線は南に向かってまだ建設中で、谷から尾根先を回ったところで終わっていたので、ここから尾根を登りました。能栖線の高い法面の上に作業道が見えており、上から作業道を作って法面を作ったのかと思ったのですが、登ってみると確かに作業道はあるものの、すぐに終点になっていました。おそらく能栖線を作る前にあった作業道の名残と思われます。植林の斜面を登ると稜線に出て、古い金網がありました。ちょっと498mピークまで登り、北に引き返して、ここからが行者山への本格的な登山となります。


登山と言っても最初は下りです。稜線の最低地点にはお地蔵様がありました。両側ともに道があるようでした。この先はひたすらに登りです。新緑がきれいで、登りやすい尾根でしたが、標高が上がると岩塊流のような景色になり、岩を避けて急斜面を登るようになりました。行者山と言うだけあって、厳しい登山ですが、ゆっくり登ると2010/07/31に上野田から登ってきた730m+ピークに着きました。何かが祀られていたのかも知れませんが、特に何もありません。もう少し登ると登山道と合流しました。今回も行者堂に行ってみましたが、いつもと同じです。行者像を探すのですが、よくわかりません。見上げた岩に彫られているのかと探しましたが、はっきりしたものはありません。引き返してロープのある岩場を登ると行者山の山頂です。展望はありません。生栖三等三角点(787.15m)がありますが、標石はこれが三角点だと言われないとわからないくらいに削られています。


山頂から北に赤みを帯びたアセビの間を歩くと展望のある場所に出ます。下山は北の林道の方に行くのは経験的にややこしいので、単純にここから北に尾根を下ることにしました。この尾根は植林が多く、歩きにくい場所はあまりありません。大きな岩があって、降りられないかと一瞬危惧したのですが、脇を降りられました。地形図で見ると、この下の標高500m付近が急斜面で、その前に林道があることを期待していたのですが、結局ここは木に掴まって降りることになりました。植林なので急斜面でも作業道の名残もあって、あまり危険ではありません。418m地点も植林ですが、まだまだ林道はなく、結局地形図にある標高350m付近の林道に着くまで尾根を下りました。法面問題でちょっと苦労して林道に降りて、北に歩いて生栖に降りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安積」です。



2025年5月5日月曜日

清水から奥雄岳

 


4日前に加美区清水からマタニ山に登りましたが、今回はその時の下山コースから更に北の山に行きました。清水の集落から西に谷をまっすぐ歩き、奥山不動尊に行きました。ここには「いぼ薬師」も祀られています。そこから今回は東に林道を歩きました。最初は東に水平に延びるばかりで少し不安でした。しかし途中で分岐があって、尾根を登っていく道があり、これを歩いていくと前回に通った奥山不動尊の谷の奥の分岐点に出てきました。ここからは前回の逆コースで林道を西に歩き、関電の「火の用心」から金属のハシゴを登って植林に入りました。いちど通った道なので何の心配もなく標高差250mほどを巡視路で登りました。下山よりは登山のほうが足が滑らないので楽でした。岩場になってからは鎖の手すりを使って登りましたが、この手すりは鎖が上下二段に張ってあり、下りでは上を、登りでは下を持てるので便利でした。奥多々良木線二二鉄塔を通り、鎖に掴まって稜線に上がりました。


この稜線はよく整備されています。コバノミツバツツジはそろそろ終わりでしたがまだ咲いており、それに加えてシャクナゲが咲き始めており、とてもきれいでした(写真)。少し歩くと奥多々良木線二一鉄塔で、ここから標高850m+の西雄岳までは急斜面が多く、ロープが整備されていました。西雄岳までは巡視路です。西雄岳から東にいったん下り、アップダウンしながら時々展望を楽しみながら東に歩いて、奥雄岳に着きました。金属プレートの小屋ヶ谷四等三角点(842.17m)がありますが、奥雄岳という名前は以前はなかったように思います。


下山は奥雄岳から南東に延びる尾根で下の林道まで降りようと考えていたのですが、降り始めるとひどい藪の急斜面で、岩場や棘のある灌木があってとても降りられません。そこで2013/03/16に通った奥雄岳のちょっと北のキレットに行ってみました。前回はキレットを北に巻きましたが、今回は南斜面に降りて東に行きました。途中でキレットの下に出たので登ってみると、このキレットは実は意外と浅く、注意深く降りれば渡れる程度のものでした。しかしキレットから東に行ってみると岩場が多く、しかも細くて藪もあるので危険でした。2013/03/16にはここを東に歩いていますが、今回は危険すぎるので諦めました。ということで、結局来た稜線を戻り、巡視路を逆戻りして再び鎖に掴まって岩場を下り、林道に降りました。ここでまた林道を東に歩いて戻ることもできましたが、関電の23鉄塔に向かう巡視路が林道から植林を急降下しており、これで谷沿いの林道(地形図には破線道がある)に降りられないかと考えました。この植林の巡視路は非常に急ですが、十分に整備されており危険はありません。谷にまっすぐ降りるのではなく、途中から谷を降りて行き、最終的には岩の上を伝って谷川を渡って林道に出られるようになっていました。ここが清水登山口かも知れません。とにかく大正解の下山でした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「大名草」です。



2025年5月3日土曜日

波賀町の皆木三角点と千間原三角点

 


波賀町の南北2つの三角点に行ってみました。まず南の皆木三角点ですが、国道429号線の水谷川の橋の付近から登りました。東に延びた尾根の先に行くとフェンスがあり、扉を探して北に歩き、自転車が何台か捨てられている付近に扉を見つけて植林に入りました。斜面を少し登ると北からの林道の終点があり、そこから踏み跡をたどって植林の尾根に上がりました。気持ち良く尾根を登り、400m+ピークから北に稜線を歩きました。自然林と植林が混ざっていますが、地形は明らかに鉄穴流しの跡で、削り残しのピークがぽこぽこと残っており、アップダウンを楽しめました(写真)。しばらく歩くと尾根に林道が上がってきて、しばらく林道で登っていったあとで、黒い土の上を山頂に登りました。皆木四等三角点(462.13m)の周囲は自然林ですが、東西両側とも斜面は植林です。


皆木三角点の北は削り残しの細尾根になっており、これを降りると鞍部には林道がありましたが、尾根に上がってまた削り残しの小山を見ながら植林を歩きました。495m地点から北はずっと平坦ですが、降り始めるとまた削り残しの尾根となり、林道に出ました。林道を西に歩いて、舗装道路に出ました。眼の前が笠ヶ城山の登山口でした。


舗装道路を北寄りから東に歩いて北の山の登山口を探すと、橋があって尾根に上がれる所がありました。うってつけの登山口なので、548mピークを目指して植林の尾根を登りましたが、フェンスに突き当たりました。扉がないのでフェンスに沿って西に斜面を降り、谷を渡ると扉がありました。せっかく登った分をかなり損した気分でしたが、ここから鉄穴流しの跡の植林の斜面を登りました。標高550m+まで来るとちょっと石積があり、東側には林道がありました。ここから北へは急斜面で、登り切ると610m+ピークで、このあと北には緩やかな尾根が続きました。それが終わると西に急斜面があり、登りきってまた少し急斜面で地籍図根三角点のある690m+ピークに上がりました。これが笠ヶ城山から続く稜線で、北に684m地点を過ぎていったん降りると鞍部を林道が横切っていました。そのまま林道の向こうの植林を登り、稜線を東に登っていくと、千間原四等三角点(769.6m)に着きました。ここは最近には2022/08/06に来ています。


下山は2022/08/06の逆コースで南東の尾根を降りました。この付近は林道が縦横に走っています。まず鞍部に林道があり、それでも下山できそうでしたが730m+ピークに登りました。ここから南に細い尾根を降りたのですが、ずっと植林で、途中4回林道が横切っていました。そのたびに法面をどう降りるかが問題で、木が少ないので滑りやすい斜面をトラバースして降りる地点を探すのも大変でした。林道を下るほうが安全なのですが、林道はどこへ向かうか予想がつきません。最後の林道からは植林を降りていき、やや急斜面になると下に道路が見えて、害獣避けの扉を開けて国道429号線に戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2025年5月1日木曜日

清水からマタニ山

 


神河町のマタニ山は千ヶ峰から三国岳に連なる尾根にある山です。東からも西からも登ったことがありますが、今回は東の加美区清水から登りました。国道427号線の清水の集落から西に行き、植林の谷に入ってすぐに南側の林道に進みました。この林道は枝道が南側の山の上の方まで延びていますが、そちらには行かずに真っ直ぐに行き、古い水道施設の前を通り、終点の堰堤のある谷のところから尾根を登りました。植林なので木に掴まらなくても登れます。大きな岩もあり、少し登ると西側からの林道の終点があり、「通称名 口ヶ滝」という札が立っていました。ここからも植林の尾根を登りましたが、少し登ると上から作業道が降りて来ていました。おかげでしばらくは楽に登れました。この道は途中で南に行ってしまいましたが、真っ直ぐに登って奥多々良木線二五鉄塔に着きました。ここからは2015/07/04の下山と同じルートです。706m地点の何も残っていない轟無給電中継所を過ぎ、ツツジの花を見ながら登っていきました。緩やかな尾根で歩きにくい所はありません。山頂に近づくと林道がありました。2015/07/04には建設中だった森林基幹道 千ヶ峰・三国岳線です。平成7年度建設となっているので、まさに2015年に開設されたものです。素晴らしい展望が開け、下界のみならず篠ヶ峰も見えます(写真)。この先は急斜面で灌木の密度も上がりますが、問題なく登れて、主尾根に出ました。両側をアセビに挟まれた道があり、少し南に行くと深谷山三等三角点(927.94m)がありました。深谷をマタニと読んで、ここがマタニ山です。


2020/05/21と同様に主尾根の整備された道を北に歩きました。少し北で千ヶ峰・三国岳線が尾根を横切っています。この道は西側でどこに行くのか気になりますが、あまり建設は進んでいないようです。さらにアップダウンしながら北に歩き、772mピークから清水への下山道に向かいました。清水登山口まで40分となっています。降り始めると急な岩場がありますが、鎖に掴まって降りられました。奥多々良木線二二は急斜面に建てられています。この先も岩場を降りますが、少し緩やかになってしばらく歩くといきなり尾根の中央に赤い「火の用心」が立っていて、そこからは植林の作業道を南に水平に歩くようになりました。そして作業道を降りていくと、金属の階段があって林道に降りられました。ここはロープがありますが、階段が急なのでどう降りるか少し悩みました。ここまで下山にかかった時間は40分程度なので、ここが清水登山口なのでしょう。


林道に降りたのは良いのですが、どっちへ歩いたら良いのかわかりません。谷の奥へ行くことはないだろうと思って東に歩きましたが、水平にどんどん行くだけで、谷に降りていくことはありません。最後は奥山地蔵尊の谷の奥に出ましたが、相変わらず水平に続いています。少し東に行って、降りそうもないので引き返して西に歩くと、これも谷には降りませんが地形図の林道と繋がっていました。かなり大回りでしたが、登山口から1時間以上かかって無事に清水に下山できました。帰りに奥山地蔵尊に寄りました。付近には何も案内板がありませんが、お地蔵様があるので参道入口だとわかりました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「大名草」です。