2013年4月20日土曜日

深河谷から登る東山

少し高い山に登りたくなって、東山に登ることにしました。たっぷり歩こうと思って、[1]を参考に深河谷から登りました。樫原橋(揖保川ではなく深河谷川に掛かっている橋)の脇で害獣避けの金網をすり抜けて、尾根に向かいました。植林の尾根ですが、厳しい登りです。岩が多く面白い斜面ですが、とにかくひたすら急です。410m+まで登ると少し平坦地があり一息つけますが、まだまだ登りが続きます。周囲は植林で、間伐材と枝打ちされた枝が邪魔ですが、歩きにくくはありません。西深三等三角点(691.68m)を過ぎてもまだまだ植林ですが、美しくて雰囲気は良くなってきます。共同アンテナを過ぎて、822mピークは分かりにくい地点ですが、一番目につく尾根に行けば北に進めました。この先もきれいな植林ですが、高度が徐々に上がってくるとアシビが増えてきて高原っぽい植林になりました。そしていくらか藪っぽい所を抜けて、木の間隔の開いた自然林を落ち葉を踏みつつ登って行くと、主尾根に出ました。ここは福野から登ってきた時(2010/08/24)に通った緩やかな尾根です。とても良い雰囲気で、気持ち良く歩けますが、東山の頂上に近づくと北側に林道があり、尾根は倒木が増えて歩きにくくなります。特に山頂付近の平坦地はアシビと倒木で足の踏み場もありません。とにかく上野二等三角点(1015.85m)の前の展望台に辿り着いて、360度の展望を楽しみました。瀬戸内海も見えました。歩き始めて2時間以上掛かっています。

下山も[1]に従って南西に波賀町と一宮町の境界を降りました。まず歩きにくい尾根を南に歩き、赤テープのマーキングを見つけて、アシビの林(?)を降りて行きました。広々した斜面で雰囲気は良く、降りて行くと植林になりました。マーキングは途中でピンクだけになりますが、見失わないように降りて行くと、地形が複雑になり、鉄を採取した跡のようでした。地籍図根三角点を過ぎると林道と出会いますが、この付近は伐採によって荒れています。ここで[1]のように林道で下山してもよかったのですが、足の調子も良く天気も持ちそうだったので、道標どうり五蔵山へ向かいました。なお地形図では破線道がこの峠を越えて北に行っていますが、これは確認できませんでした。

この先も地形が無茶苦茶で、採鉄の跡と思われます。下手に尾根のピーク(というか削り残し)を歩こうとすると大変歩きにくいので、素直に道を歩くのが楽でした。この道はマーキングもあってはっきりと分かるのですが、五蔵山までには急斜面が二ヶ所あります。一つは629mピークの北側斜面で、もう一つは五蔵山のすぐ北にある770m+ピークの北側です。最初の方が急ですが、距離は二番目の方が長く、足元も悪いので疲れました。770m+まで上がるとトラロープがあるのですが、ここにだけあっても役に立ちません。東山まで2時間半という標識がありますが、確かに東山から2時間近く掛かっています。五蔵山から東山へは急斜面を降りなければならないのでお勧めできません。

五蔵山には深河谷四等三角点(790.78m)があります。ここへは2010/09/26に来ています。尾根から北側に降りたところには立派な林道がありますが、そこへは降りずに尾根を南に歩きました。すると前回は無視した「大岩洞窟 ”大師堂”約300m」という標識がありました。その方向は急斜面でしたが、ピンクのマーキングが見えたので行ってみました。確かに以前は斜面に道がつけられていたようですが、今となっては削り取られ落ち葉が降り積もって、道とは言えません。とにかく滑落しないように気を付けて急斜面を降りていきました。冷や汗をかきながら下っていくと、確かに大きな岩屋がありました。岩の間に縦長の裂け目があり、その奧になにやら祠のようなものがありました(写真)。写真を見た限りでは石に何が彫ってあったのか分からないのですが、行者像でしょうか?この谷で下山することも考えましたが、倒木もありそうですし、降りてから川を渡れるかも不安だったので、尾根に戻ることにしました。登りは下が見えないので下りほど怖くはありませんが、滑るのは変わりありません。結局往復30分掛かりました。一見の価値はありますが、滑落の恐れも十分にあります。

尾根で一休みしてから、さらに南に750m+ピークを越えました。その南で780m+ピークの手前にシャクナゲ谷への分岐があったので、これで下山しました。最初は急斜面には階段が作られていたりしましたが、すぐに普通の山道になりました。どの辺にシャクナゲがあったのか分かりませんが、道は谷の北側の尾根の上に付けられており、ひたすら尾根を降りていきました。途中で池ノ垣内のきれいな段々畑も見えました。かなり長い下りで、最後は尾根を逸れて植林の中の急な作業道を降りて行きました。目の前に不思議な形の岩があると思ったら、それが地形図にある神社の跡地のようでした。あとは深河谷の集落を抜けて車まで戻りましたが、集落から西の池垣川の上流では工事が行われており、トラックが通るので要注意です。

全行程6時間で、アップダウンも多いのでハードなコースでした。美しい植林と採鉄の跡という、この地域の名物二つを見ることができて楽しめました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」「音水湖」です。

2013年4月14日日曜日

北から行った寺前の深谷三角点

寺前の北にある深谷三角点へは、2009/05/01に寺前城趾経由で行っています。今回は北から行ってみました。この山並みは、長谷の高峰と繋がっていますが、間の谷には破線道があります。2011/06/04に高峰に登った時に、下山でこの破線道を確認していたので、これを峠まで登って南の尾根に上がることを計画しました。しかし破線道の南にある緩やかな尾根も魅力的だったので、この尾根の先で登り口を探しました。播但線と平行して走る県道404号線を北上すると、三ツ葉部落の北に植林への登り口がありました。ここから作業道を探しながら急斜面の植林を登ると、尾根に出られました。尾根の北側から水を引いて南側に流しているので、どちら側からも探せば尾根に出る道があるはずです。

ここから643mピークまでは長い尾根の登りです。植林を間伐した木が倒れたままですし、枝で地面が埋まっているところも多く、やや足を取られますが問題なく登れました。途中に共同アンテナの残骸がありました。643mピークも植林ですが、気持ちの良い場所です。「活動支援交付金」という杭は何の活動の交付金でしょうか?この付近からは北側の谷越しに南小田1三角点のピークが見えます。谷に向かってはかなり伐採されています。ここからも植林の中をアップダウンし、進路を南に変えていきました。560mピークに移るところは、あまり明確な尾根が無く、適当に斜面を降りる必要がありますが、植林と自然林の境界付近を降りると良いようでした。

さらに気持ち良く尾根を歩くと、関電の赤い「火の用心」がありました。植林の中を東から登ってくる道があるようです。ここからは巡視路を歩きましたが、巡視路は次の570mピークを東側を巻いて行ってしまいます。特にピークに行っても何かがありそうな気はしなかったので、そのまま南に進むと、播磨中央線24鉄塔がありました。展望も良い感じで、周囲の山はだいたい見渡せます。写真は暁晴山方面です。鉄塔から南に歩くと、巡視路は571mピークの北で西側の植林に降りて行っているようでしたが、尾根も多少藪っぽくなるものの問題なく歩けました。藪がひどくなるのは深谷三角点が近づいてきてからで、尾根にネットが現れるととたんに歩きにくくなりました。深谷三等三角点(543.97m)はネット北側の藪の中にあります。

下山はそのまま南東に572mピークまで歩いてもよかったのですが、一気に北側へ降りることを考えました。三角点付近はひどい藪なので北に降りるのは困難でしたが、少し東に行くと自然林になったので、北に斜面を降りました。すぐに周囲は植林になったので、三角点の北東に延びている尾根を探しました。この尾根は植林されておらず、緩やかですが幅は狭く、ツツジが咲いていました。ところどころ踏み跡もあって、意外と楽に降りられました。しばらく降りて行くと、尾根が二つに分かれるところに「之より左 直営林」と掘られた標石がありました。ここは北側の尾根に進み、地形図の墓地を目指しました。どんどん勾配は急になり、木の間隔も狭くなって藪になりました。最後は急斜面の密な藪を注意深く降りて、墓地に出てきました。墓地から害獣避けの扉を通って、県道404号線に出ました。

3時間半はちょっと物足りない山歩きでしたが、途中には気持ちの良い場所がたくさんありました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2013年4月13日土曜日

生野の川尻・渕三角点

生野から栃原へ抜ける峠の南側の山並みは、北の山から眺めたことはありますが、歩いたことはなかったので行ってみました。

生野から播但道の生野ランプを過ぎて、栃原トンネルの入口まで来ると旧道が南へ分岐してトンネルの上を北に走っています。トンネルの上へ行く前に、西に舗装された林道への分岐があります。この林道は登るとすぐに終わってしまいますが、右手の植林の谷を登って行きました。歩き易そうな谷を選びましたが、最後は急斜面となり、出てきたところには大河内線19鉄塔が立っていました。碍子が多く高圧ですが意外と低いのでびっくりでした。北側に展望があります。

ここからはお気楽な巡視路歩きとなります。東側はきれいな植林です。ちょっと西側に尾根をまわって鞍部に出てから登りになります。ここは植林を刈った帯のような地帯が上下に延びていますが、送電線はその西側を通っています。送電線の下の木を切ってあるのはよく見ますが、ここは意図が分かりません。テープなどのマーキングが伐採地帯の西側にあったのでここを登りましたが、かなりの急斜面でした。巡視路は西側の植林の中にあったのだと思います。いずれにしても登る標高差は同じで、18鉄塔に着きました。ここは西側の展望が広がっており、達磨ヶ峰、段ヶ峰、千町峠、平石山などが見渡せます。640m+ピークを過ぎて、更に登ると川尻三等三角点(678.92m)へ着きました。地籍調査のピンクテープは三菱のマークの入った標石に巻いてありました。

このあとも巡視路で赤白に塗られた17鉄塔に行って、再び西側の展望を満喫しました(写真)。次の16鉄塔も紅白に塗られており、展望が得られます。ここから植林を抜けて尾根を歩くと、白くなった「火の用心」に「←神社川尻」と書いてあり、ここから川尻に下山できるようです。尾根を歩き続けると、次の15鉄塔には横揺れ防止のV吊懸垂型ジャンパ支持装置が付いています。近くに地籍図根三角点もありました。次の14鉄塔も眺めが良く、そこから急斜面となります。巡視路を忠実に歩くと、13鉄塔に出てきます。ここも眺めが良く、釜床山まで見えます。この先送電線を追っていくと栃原川に出てしまい、生野に帰るのが大変なので、東に下山しました。下山道はありませんが、まず藪を抜けて渕四等三角点(698.64m)へ行き、そこから南東の尾根を降りました。藪を覚悟していましたが、植林で歩き易く、640m+の尾根の終端までは楽に歩けました。ここからは東に尾根を降りました。南側は植林ですが尾根は藪っぽく、しかも非常に急です。しかしマーキングがあり、真新しく赤と白に塗られた標石はJRと書いてあります。これに従って急な尾根を降りました。はじめは急勾配ですが、緩やかに降りる整備された道もあり、予想外に楽な下山でした。最後は植林に出てきたのでJRの標石とは分かれ、広い植林の中を降りて行きました。播但線のトンネルの上を抜けて、作業道の終点に出ました。作業道は市川沿いの道に繋がっていました。場所は生野浄化センターの少し北で、道路際に丸太の積んである所です。

巡視路は期待どうりでしたし、下山道は予想外に整備されていてラッキーでした。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「生野」です。

2013年4月8日月曜日

岩屋山と篠ヶ峰


山南町の岩屋山と篠ヶ峰は、意外と登山記録があります。このコースは[1]とほぼ同じです。

山桜が満開の丹波市山南町五ヶ野の神社?に車を駐めました。ここには「岩屋山移築五十年記念植樹」があり、平成19年となっていますから、1957年に移築されたことになります。最初の目的地は、移築前の岩屋堂です。害獣避けの扉を通り、植林の中を歩くと、「右いわや」と十四丁の標石があります。ここで右に行くのは当然ですが、良い道を歩くと西に逸れていってしまいます。実は十四丁の20mほど先に十七丁の標石があり、倒木だらけの溝道が延びており、これが地形図の破線道に相当します。溝の中は歩けないので、しばらく溝の外を平行に歩きましたが、石積みや「境牧山神社」の標石の後、荒れたガレ谷となりました。ひどく歩きにくく、道がどこにあるかも分かりません。とにかく谷沿いに登って行きましたが、途中から道はやや東寄りに付けられている(付けられていた)ようです。倒木だらけの枝とガレ石で埋まった谷で何のマーキングもなく、ここを登っていてよいものやら不安でしたが、我慢して登り続けると、石積みと二丁の標石がありました。見上げると大きな石垣があり、ここがかつての岩屋堂の跡でした。地形図では破線道の終点、岩盤のマークの下になります。かつてはお堂がいくつかあって、清水寺と呼ばれていたそうです([1])。

石垣の他には石に彫られた行者像がありました。像の前の石垣は崩れているので、そのうちに石像まで一緒に崩れてしまうかも知れません。この石像には享保という字が刻まれていますが、300年前からこのように雨ざらしで立っていたとしたらこんなにお顔の造形が残っているとは思えません。もう少し丁寧に扱ってあげてもよいと思います。左手にはまさに岩屋と呼べる岩窟がありますが、中には水が少し溜まっているだけでした。後ろは岩盤ですが、かなり広い平坦地です。ここから岩窟の左手を登りましたが、岩の上に行者像が置いてありました(写真)。右手に持っていたと思われる杖は無くなっていました。探せば他にも石仏などがありそうです。さらに上まで急斜面を登っていきましたが、岩が多く、最後は余りに急なので西側の尾根にトラバースしました。ここには歩き易い切り開きがあり、529mピークに出ました。ここからは時々は道もあります。下草が無いので歩き易く、620m+ピークを越え、見上げると巨大な鉄塔がありました。播磨中央線72鉄塔です。山崎実験センターに繋がっている系統です。周囲は伐採されており、斜面に立っているので展望は抜群です。多可町の杉原川沿いや多可の天空、大海山に妙見山、石金山、佐治川に黒田庄の妙見山など、広く見渡せます。

そして岩屋山山頂ですが、倒木があるだけです(ここが岩屋山かどうかは異論があるようです([2]))。この先の尾根はやや荒れ気味ですが、篠ヶ峰が見えているので気分的には楽です。細尾根も展望もあります。シャクナゲの藪というのも珍しいと思いますが、藪には違いありません。この尾根は巡視路で、次の鉄塔は奧多々良木線37です。多々良木ダムから来ている系統です。ここから先は幅の広い道で、鉄塔を作る時に資材を運んだのかも知れません。木々に囲まれた素晴らしい道を通って、篠ヶ峰に着きました。舗装道路が登ってきており、パラボラアンテナの付いた建物が4つあります。一番下が近畿地方建設局のもの、次は何も書いてなく監視カメラが多いのでおそらく防衛省、次は名前が無く警備も無い不思議なアンテナ、一番上がNHK篠峰テレビ中継放送所とその他のテレビ局、という具合です。篠ケ峰二等三角点(826.96m)もあります。東に少し行くと関電の篠ヶ峰反射板があります。360度を見渡せる場所は無いのですが、あちこち移動すればほとんどの方角を見ることができます。反射板からは安全山、青垣町の岩屋山、粟鹿山などのアンテナが見えました。

反射板の下を降りて行くと、南東に尾根を下ることになります。ここは巡視路ですが、「火の用心No.38 39」の所では巡視路をそれて710m+ピークを越えて東に行かなければなりません。この尾根は巡視路ではありませんが、だいたい道が付けられており、歩きにくくはありません。いったん580m+の鞍部に降りてから登り返して尾根に出て、南に歩くと赤井四等三角点(691.70m)がありました。西に篠ヶ峰が見えます。ここから南に延びる尾根は見つけにくく、方向を定めて降りて行くしかありません。この尾根もときどき踏み跡がある程度ですが、下草が無く歩き易かったと思います。650m+の尾根の外れまで来ると、また南に降りる尾根を探さねばなりません。植林で下が見えないので困りました。ようやく探し当ててゆるやかな斜面を降りて行き、なだらかな538mピークを過ぎると、鉄塔が二本建っていました。地形図ではやや離れた位置に立っているように描かれていますが、ほぼ隣接しています。奧多々良木線42と播磨中央線74ですが、下をくぐっているのが奧多々良木線です。ここからは黒いプラ階段を降りることになります。尾根を更に南にも行けそうでしたが、無理はせずにプラ階段を使って西側の急斜面を降りて行きました。ツツジを見ながら降りて行くと植林になりました。この巡視路が無ければ降りられそうもない斜面です。最後は川沿いの林道に出ましたが、この付近も美しい植林でした。あとは五ヶ野まで林道で戻りましたが、あちこちに地名?の書かれた看板が立っていました。途中で会った人によると、この林道を車で行けるのは降りてきた付近の先の橋までだそうです。もっとも、入口には鎖があって鍵がかけられていますから、一般車は林道に入れません。

岩屋堂を五ヶ野の村まで降ろしたのは参拝が大変だったからというのは分かりますが、荒れ果てた岩屋堂跡地を見ると、あの山奥まで行って参拝することにこそ価値があったのに、という気もします。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。