2013年4月8日月曜日

岩屋山と篠ヶ峰


山南町の岩屋山と篠ヶ峰は、意外と登山記録があります。このコースは[1]とほぼ同じです。

山桜が満開の丹波市山南町五ヶ野の神社?に車を駐めました。ここには「岩屋山移築五十年記念植樹」があり、平成19年となっていますから、1957年に移築されたことになります。最初の目的地は、移築前の岩屋堂です。害獣避けの扉を通り、植林の中を歩くと、「右いわや」と十四丁の標石があります。ここで右に行くのは当然ですが、良い道を歩くと西に逸れていってしまいます。実は十四丁の20mほど先に十七丁の標石があり、倒木だらけの溝道が延びており、これが地形図の破線道に相当します。溝の中は歩けないので、しばらく溝の外を平行に歩きましたが、石積みや「境牧山神社」の標石の後、荒れたガレ谷となりました。ひどく歩きにくく、道がどこにあるかも分かりません。とにかく谷沿いに登って行きましたが、途中から道はやや東寄りに付けられている(付けられていた)ようです。倒木だらけの枝とガレ石で埋まった谷で何のマーキングもなく、ここを登っていてよいものやら不安でしたが、我慢して登り続けると、石積みと二丁の標石がありました。見上げると大きな石垣があり、ここがかつての岩屋堂の跡でした。地形図では破線道の終点、岩盤のマークの下になります。かつてはお堂がいくつかあって、清水寺と呼ばれていたそうです([1])。

石垣の他には石に彫られた行者像がありました。像の前の石垣は崩れているので、そのうちに石像まで一緒に崩れてしまうかも知れません。この石像には享保という字が刻まれていますが、300年前からこのように雨ざらしで立っていたとしたらこんなにお顔の造形が残っているとは思えません。もう少し丁寧に扱ってあげてもよいと思います。左手にはまさに岩屋と呼べる岩窟がありますが、中には水が少し溜まっているだけでした。後ろは岩盤ですが、かなり広い平坦地です。ここから岩窟の左手を登りましたが、岩の上に行者像が置いてありました(写真)。右手に持っていたと思われる杖は無くなっていました。探せば他にも石仏などがありそうです。さらに上まで急斜面を登っていきましたが、岩が多く、最後は余りに急なので西側の尾根にトラバースしました。ここには歩き易い切り開きがあり、529mピークに出ました。ここからは時々は道もあります。下草が無いので歩き易く、620m+ピークを越え、見上げると巨大な鉄塔がありました。播磨中央線72鉄塔です。山崎実験センターに繋がっている系統です。周囲は伐採されており、斜面に立っているので展望は抜群です。多可町の杉原川沿いや多可の天空、大海山に妙見山、石金山、佐治川に黒田庄の妙見山など、広く見渡せます。

そして岩屋山山頂ですが、倒木があるだけです(ここが岩屋山かどうかは異論があるようです([2]))。この先の尾根はやや荒れ気味ですが、篠ヶ峰が見えているので気分的には楽です。細尾根も展望もあります。シャクナゲの藪というのも珍しいと思いますが、藪には違いありません。この尾根は巡視路で、次の鉄塔は奧多々良木線37です。多々良木ダムから来ている系統です。ここから先は幅の広い道で、鉄塔を作る時に資材を運んだのかも知れません。木々に囲まれた素晴らしい道を通って、篠ヶ峰に着きました。舗装道路が登ってきており、パラボラアンテナの付いた建物が4つあります。一番下が近畿地方建設局のもの、次は何も書いてなく監視カメラが多いのでおそらく防衛省、次は名前が無く警備も無い不思議なアンテナ、一番上がNHK篠峰テレビ中継放送所とその他のテレビ局、という具合です。篠ケ峰二等三角点(826.96m)もあります。東に少し行くと関電の篠ヶ峰反射板があります。360度を見渡せる場所は無いのですが、あちこち移動すればほとんどの方角を見ることができます。反射板からは安全山、青垣町の岩屋山、粟鹿山などのアンテナが見えました。

反射板の下を降りて行くと、南東に尾根を下ることになります。ここは巡視路ですが、「火の用心No.38 39」の所では巡視路をそれて710m+ピークを越えて東に行かなければなりません。この尾根は巡視路ではありませんが、だいたい道が付けられており、歩きにくくはありません。いったん580m+の鞍部に降りてから登り返して尾根に出て、南に歩くと赤井四等三角点(691.70m)がありました。西に篠ヶ峰が見えます。ここから南に延びる尾根は見つけにくく、方向を定めて降りて行くしかありません。この尾根もときどき踏み跡がある程度ですが、下草が無く歩き易かったと思います。650m+の尾根の外れまで来ると、また南に降りる尾根を探さねばなりません。植林で下が見えないので困りました。ようやく探し当ててゆるやかな斜面を降りて行き、なだらかな538mピークを過ぎると、鉄塔が二本建っていました。地形図ではやや離れた位置に立っているように描かれていますが、ほぼ隣接しています。奧多々良木線42と播磨中央線74ですが、下をくぐっているのが奧多々良木線です。ここからは黒いプラ階段を降りることになります。尾根を更に南にも行けそうでしたが、無理はせずにプラ階段を使って西側の急斜面を降りて行きました。ツツジを見ながら降りて行くと植林になりました。この巡視路が無ければ降りられそうもない斜面です。最後は川沿いの林道に出ましたが、この付近も美しい植林でした。あとは五ヶ野まで林道で戻りましたが、あちこちに地名?の書かれた看板が立っていました。途中で会った人によると、この林道を車で行けるのは降りてきた付近の先の橋までだそうです。もっとも、入口には鎖があって鍵がかけられていますから、一般車は林道に入れません。

岩屋堂を五ヶ野の村まで降ろしたのは参拝が大変だったからというのは分かりますが、荒れ果てた岩屋堂跡地を見ると、あの山奥まで行って参拝することにこそ価値があったのに、という気もします。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

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