2016年4月29日金曜日

北から登る大段山

宍粟市の東の奥にある大段山は、以前(2011/06/25)は南西の草木から登りましたが、今回は北西の国道沿いから登ってみました。登り口は一宮町上岸田から国道429を東に行った所です。この付近は国道の南側にしっかりと護岸工事された黒原川が流れており、簡単には渡れません。それで橋を見つけて川を渡ると、渡ったところに扉があり、害獣避けにしては変な扉だと思って横をすり抜けると、その先に牛舎がありました。早足で抜けて左手の尾根に上がり、そのまま登りました。あとはずっと急登で、周囲は自然林と植林が入り混じっています。しかし足元はしっかりしており、登りにくい場所は全くありません。最初にネットが二つありましたが、既に壊れていました。展望はほとんどありません。1時間半登ると広々とした場所に出てきて、大段山山頂に着きました。繁盛二等三角点(966.00m)があります。山頂付近からは千町ヶ峰が見えますが、大展望というほどでもありません(写真)。

下山は北東に尾根を降りて、GPSを見ながら西寄りの尾根に乗りました。ここはちょっと難しく、植林の急斜面をトラバースする必要がありました。この尾根も歩きやすく、特に問題もなく587mピークを経て黒原川まで降りると、金属製の橋が架かっていました。地形図ではここから谷沿いに破線道がありますが、しっかりした道ではありません。

3時間ちょっとで標高差600mを登って降りられたということが、このコースがいかに歩きやすいかを示しています。しかし長い登りは体力を要しますし、木の根で滑って転びそうになることもあります。トレーニングコースと考えるのが良いかも知れません。なお牛舎から少し東に行った所にも橋があるので、そちらを使えば牛をびっくりさせずにすみます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」です。

2016年4月24日日曜日

書写山の北斜面

2008/12/28に書写山の北西の斜面を降りましたが、かなりひどい目に会いました。その経験から書写山の北側は鬼門としていたのですが、もっと東の方はどうなっているのか好奇心が湧いてきて、今回はまっすぐ北に尾根を歩いてみました。登りは降りてからを考えて書写吹からにしました。日曜日だというのに誰にも会いません。山の上に出てからは、いつもとちょっとルートを外れて南に歩きました。荒れていますが、可愛らしい銀竜草が生えていました。それに、江戸時代の墓地がありました。この山の僧侶たちの墓でしょう。最後はゴミが増えたと思ったら、壽量院の辺りに出てきました。

目的の北の尾根は、摩尼殿から白山権現に登る途中の「森の住人たち」の説明書きがある付近からとなります。明らかに以前は道があったようですが、今は倒木が多く歩きにくくなっています。しばらく降りると、ここにも江戸時代の墓がありました。こちらは18世紀のものです。この付近には瓦も落ちており、以前は建物があったようです。印象としては、東寄りに谷に降りる道があるようでした。ただしそちらに降りると養鶏場に入ってしまう可能性があるので、そちらには行かずに北にまっすぐ尾根を降りました。297m地点付近には大きな岩がありますが、岩場はありません。その先はシダが増えて歩きにくくなりますが、シダの間に踏み跡が残っています。最後は左手の谷に降りました。これはイチかバチかの賭けでしたが、シダ藪に踏み跡があり、なるべく斜面を通るようにして降りて行くと、なんとか無事に水の流れている谷に降りられました。

谷に降りても道はなく、ガレ岩と落ち葉と倒木の上を歩いて行きました。すると、壊れかけた祠のようなものがありました。よく見ると仏教関係のものがいろいろありましたが、なんとも説明しがたい物がほとんどでした。「南無妙法蓮華経」と書かれた岩もありますが、「松崎大神」とか「書写吹大神」となると、何のことだか分かりません。だいたいは昭和40年台に作られたもののようです。祠もありますが、その前には竜が玉を持っており、鳥居もあります。祠の下には小屋があり、毛布などが散乱しており周囲はゴミだらけです。ただ、酒の紙パックには新しい物もありました。小屋があるくらいなので道があるかと思えばそうでもありません。この付近は水流が岩をナメて流れ降りており、それに沿って降りるのは大変でした。むかし道があっても、今は倒木もあり落ち葉も積もっており、岩には苔がむしています。しかしこの急流の岩場は見もので、なんとか下に降りて見上げると滝と呼んでもよいようなものでした(写真)。これは環境を整備すれば書写山の呼び物の一つになりそうです。が、この後も道はなくて、岩の上を歩いて流れを横切ったりしましたが、滑りやすくて危険でした。そして、堰堤に出てきて、そこからはちゃんとした道になりました。養鶏場の匂いを我慢して書写吹に戻りました。

人工物の全く無い山の中も良いものですが、山の中で思わず人工物に出会うのも楽しいものです。しかしそれにしても、この祠は謎でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「姫路北部」です。

2016年4月16日土曜日

荒田神社から登る飯森山

先週に引き続いて長い尾根を歩いてみました。飯森山は千ヶ峰に連なるいわゆる多可アルプスの一峰ですが、この山の南東には長い尾根が延びており、その先は杉原川近くまで達しています。これを全部歩くことにして、荒田神社から出発しました。神社の裏の林を抜けると道があって、「やさい畑」というレストラン(?)があり、その脇に鳥居があります。地形図ではここから山に向かって実線道があり、じっさい草の生えた道もあったのですが、神社の裏には階段があって山に上がっているので、それをまず登ってみました。ちょっと登ると小さな祠があり、これは的場天目一神社のようです。道はここで終わりですが、祠の裏から尾根に出られたので、そのまま尾根を登って行きました。ところがすぐに害獣避けの金網があって通せんぼとなりました。扉がないので金網沿いに西の方へ歩いて、結局地形図の実線道に出て、扉を開けて山に入りました。

いきなり非常に急な坂に階段があり、登って行くと貯水タンクがありました。その先261mピークの手前にには共同アンテナがありますが、ちょっとシダの生えた尾根を歩くと奥荒田四等三角点(267.38m)がありました。この先はところどころ作業道があって、植林の中を楽に歩けました。319mピークの先は意外な急斜面でしたが、登り切ると楽になりました。ずっと作業道がありましたが、424mピークの手前で左右に分岐がありました。左の方へ歩くと、林道が見えました。424mピークの方へ登って行って、林道に出ました。分岐を右に行くと、林道に出るのは大変だと思います。この林道はこの付近で終わっている、延長172mの短い(しかし舗装あり)ものです。これを山に向かって歩いて行くと、424mピークの山側に、水平に山を取り巻いて走っている「路網拠点林道 千ヶ峰・三国岳線」という未舗装ですが立派な林道に出ました。

林道の付近で飯森山までの道のりは半分くらいですが、標高差はあと500m近く登らねばなりません。林道を渡って急な法面を登り、さらに荒れた急斜面を登りました。その後は少し楽になって、また荒れた尾根を登ると、金属プレートの宮前奥山四等三角点(682.58m)がありました(写真)。地形図ではこの付近を破線道が通っていますが、かなり荒れたピークで、道はよく分かりません。いったん北に降りて、また登りですが、植林で雰囲気は悪くありません。標高670m+付近でまた林道の終点に出会いました。東の方から来ています。そして岩の多い急斜面となります。非常に急で腕力を必要とする場所もありましたが、岩が多くて木の根も張っているので、意外と苦労せずに登れました。とはいうものの、飯森山山頂に着いた時には疲労困憊していました。登山開始から約3時間かかりました。山頂には福畑山三等三角点(900.59m)があります。北の方向に展望があり、越知川方面も見えます。

飯森山からは「多可の天空を歩く 仙人ハイク縦走コース」を南西に歩きました。ここは何度か歩いていますが、良く整備された登山コースです。時々尾根の両側に展望があります。ほとんど植林で、良い雰囲気です。けっこうアップダウンがありますが、急な坂にはロープも張られているので問題はありません。900m+ピークで尾根は南に曲り、しばらく行くと金属プレートの奥山四等三角点(731.38m)があります。さらに南に歩いて高坂トンネルの上を歩き、小振りな生野支線一五鉄塔を過ぎて、高坂峠に出ました。高坂峠には天保5年の子安地蔵があります。古い神崎町の標識には銃で撃った穴が3つ。少し下ると有名な「松か井の水」があります。播磨十水の内「落葉の清水」だそうですが、県道沿いの「新松か井の水」と比べると、こちらが本家だというのに水を汲みに来る人もいません。最後はその県道で戻りましたが、途中の大きな標石には「右やま 左さか」と書いてありました。なんともアバウトで楽しくなります。

下山コースは舗装道路が長くて足が痛くなりました。考えてみると、高坂峠から作業道奥山3号線で金蔵寺まで尾根を歩くのが正解だったかも知れません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「生野」です。

2016年4月9日土曜日

大名草の岩屋山

丹波市には篠ヶ峰の南にも岩屋山がありますが、これはもっと北の、カヤマチ山の北にある岩屋山です。頂上に大きな紅白の通信塔があるため、あちこちから見えます。今回は西から登ってみました。

登り口は国道427を北上して播州トンネルを抜けた、大名草の手前です。谷に入る林道がありますが、そちらには行かずに川を南に渡って尾根先に取り付きました。急斜面の藪を登らねばなりませんが、意外と足元はしっかりしていました。30分ほど頑張って登ると463mピークに出て、あとはかなり楽になりました。とは言っても、まだまだ登りが続きます。切り開きもあって雰囲気は良好なので、休みながら登りました。659m地点に出て、680m+ピークから北東に向きを変えると、この付近からは植林が増えます。その後はいったん東に降りなければなりませんが、この付近は藪っぽくて迷いました。少し北側を歩けば植林を抜けて降りられたかも知れません。629m地点まで登り返し、さらにきつい登りがあって690m+ピークで主尾根に出ました。ここからは割りと楽な尾根歩きで岩屋山に近づくと道路に出ました。Docomoの保守道路のカーブミラーの裏に出てきます。道路は無視して尾根を登って、山頂に出ました。巨大な紅白の通信塔(NTTドコモ 高源寺)と、檜倉山三等三角点(718.27m)があります。展望はほとんどありません。保守道路の他、東の尾根には作業道も登ってきています。

下山はまず主尾根を西に戻り、690m+ピークから西に降りました。この先は桧倉から延びた谷が尾根に達していますが、この付近の北斜面は伐採されており、尾根上には倒木があって南側を巻いて降りました。鞍部からは桧倉から大箕山が見えました(写真)。そのまま592mピークに登り、あとは尾根を伝って560mピークまで歩きましたが、アップダウンが多くて意外と疲れました。560mピークからは北西に延びる一番長い尾根で下山しましたが、案の定最後のあたりは非常に急峻な藪になりました。しかし金網もなく、無事に道路に降りられました。

5時間近いコースで登りも多く、ちょっと疲れるコースでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大名草」です。

2016年4月2日土曜日

長都羅志山から竜ヶ岳

氷上町から竜ヶ岳に登ってみました。登山コースは[1]と同じです。登り口は氷上町中野にある内尾神社の御旅所です。内尾神社にお参りする人がここで休んだということなのでしょう。御旅所の後ろは大岩なので私はその右手の扉から林道に入り、途中で作業道をつたって尾根に登りました。登ってみると南側のほうがずっと楽に登れそうですし、少し西に歩くと林道が上がってきているので、南側から登るのが正解です。しかしさらに登るとなると道はなく、急斜面を登りました。306mの小ピークまではかなりきつい登りです。少し楽になってまた道がありますが、まだまだ登りは続き、1時間ほど登り続けて空林三等三角点(444.05m)のある長都羅志山山頂に着きました。

長都羅志山からは楽な尾根歩きとなり、次の三角点は金属プレートの坂の谷四等三角点(419.47m)です。この付近は植林が多いようです。この先426mピークを過ぎると、また急な上りになります。ここからでも竜ヶ岳までの標高差は400mあります。標高700m付近になると岩が多くなり、それなりに楽しめました(写真)。とはいえ、急坂が長く続きます。810m+のピークで案内板の立っている主尾根に出て、ちょっと歩くと竜ヶ岳に着きました。竜ケ岳三等三角点(816.67m)のほか、いくつかプレートがあります。展望もあり、南に杉原川沿いがよく見えます。

竜ヶ岳からは北に尾根を歩きました。整備された道です。途中で東側が見通せると地点があって、黒井城まで見えていました。アップダウンしながら鳥羽への下山道のある鞍部(鳥羽坂)まで来ました。ここには坂道供養塔(文化7年)があります。地形図では破線道が氷上町の側への描かれているので、ここから植林を降りました。最初は作業道があったのですが、途中で消えてしまいました。間伐材と岩が乱雑に転がった上に枝打ちした枝が乗っている急斜面で、非常に歩きにくく、谷に降りても倒木がありました。しかし谷には作業道があって、これが意外としっかりと続いていました。岩があって歩きにくいのですが、それでも途切れることはなく、谷に水音が聞こえるようになると南側の植林の斜面に道が付けられていました。最後は消えてしまいましたが、少し谷に降りると太い道が来ていました。ちょっと降りると最後は丸太橋を渡って林道に出ました。

登りの尾根は長いのですが、意外と飽きずに歩けました。下山に使った斜面は避けたほうが無難です。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大名草」です。