2019年7月31日水曜日

西の山三角点から千ヶ峰

千ヶ峰は何回か登っていますが、今回は東に伸びる長い尾根で登ってみました。登り口は三谷から三谷川を遡って、ハーモニーパークの方へ行く途中の林道にしました。チェーンが掛かっていますがしっかり作られた林道で、まず美しい植林を眺めながら登って行きました。西の山三角点のある山に登りたかったので、南西に伸びる尾根に登るつもりだったのですが、斜面が急で間伐材が横に置いてあるような状態で、しばらく谷の作業道をさまよっていましたが、結局急斜面を登りました。支尾根の上は楽に歩ける状態で、最初から尾根先を探せばよかったと思いました。急な尾根ですが、山頂まで真っ直ぐで、少し東に降りた斜面の途中に西の山四等三角点(453.33m)がありました。あやうく見落とすことでした。

三角点から引き返して、北西に尾根を降りて、登山を続けました。少し登って450m+の小ピーク(西側を巻いて行けます)と次の556mピークの間の鞍部では、東側に林道が北から来ており、終点になっていました。この付近で木に白いテープが巻いてあるのに気付きました。「←市原 千ヶ峰→」と書いてあって、これが登山道だと分かりました。「千ヶ峰ロングコース」と書いてあるものもあって、市原から登るコースを途中から歩いているのだというが分かりました。登山道だけあって植林の中の道は歩きやすいのですが、それでも登りが続きます。標高600mを越したあたりからは道も不明瞭ですが、どこでも歩けるので適当に歩き、東寄りにトラバースして行って尾根に出て、田ノ畑四等三角点(675.77m)を見に行きました。金属プレートで、展望は全くありません(写真)。尾根歩きを続けて、標高560mを越した付近で、ちょっと展望の良い場所がありました。市原から正面の山が見えます。尾根を西に歩くと816mピークですが、ここには「三谷登山口」への矢印もあったので、南に降りる登山道があるようです。北西に降りて鞍部に出てから主尾根への登りになります。最後の標高差50mは地形図で見ると急斜面で、藪っぽいのですが、道を見失わなければ問題なく尾根に上がれます。尾根には木の階段のある道があります。階段は邪魔なのですが、それよりも木が少なくて陽が射すと炙られます。見晴らしは良いのですが、夏向きではありません。千ヶ峰山頂には千ヶ峰二等三角点(1005.16m)の隣に大きな南無妙法蓮華経が立っています。小さな祠も増えたようです。

下山は登山路で南に降りました。広い尾根をまっすぐ降りる道ですが、植林もあり、道は時々複線になってよく整備されています。最近は市原峠まで車で登れるので尾根を歩いて千ヶ峰に来る人が多いようですが、この素晴らしい登山道を使わない手はありません。岩座神への分岐から下はさらに急になりますが、ロープがあっても登山道はガレ石が多いので植林の柔らかい土を歩いたほうが楽でした。植林から三谷渓谷に降りると濡れた岩の上を歩く所も多く、ロープがありますが転びやすいので要注意でした。意外と大きな滝があったりして、良い登山道だと思います。最後は三谷登山口に出ましたが、舗装道路は歩きたくないので、脇道で降りました。幅の広い未舗装道路ですが、これが昔の道らしく、ハーモニーパーク(今はThe Canyon Mountain Campというらしい)の近くの分岐に道標のお地蔵様が立っていました。

なお岩座神の南には西の山ではなく西ノ山三角点があります。

「展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「丹波和田」です。

2019年7月28日日曜日

八頭町西谷川の奥の山

形容しにくいコースですが、八頭町の隼駅の南の見槻川を南に行くと、西谷川に分岐します。その東側の尾根を歩き、南の山を一周して西谷川沿いに帰ってきた、というコースです(地図を見るほうが早いでしょう)。

西谷の尾根の先を歩くと山は金網で囲まれています。しかし東側に歩くと山に入る道があって、金網の扉を開けるとその先は車が通れる道で、ジグザグに尾根の上に上がると、水道施設がありました。実は航空写真で何かあることが分かっていたので、道を探したのです。施設から尾根歩きとなりますが、典型的な里山で、下草が少ないのが嬉しいところです。かなり荒れた尾根で、所々に共同アンテナの残骸(立っているものもある)がありました。倒木もありますし、藪もありますが、植林になると歩きやすくなりました。西谷四等三角点(412.57m)は、低い松とアシビに囲まれた金属プレートの三角点です。三角点付近は伐採されていますが、その南は抜けるのが大変な藪でした。地積図根三角点を過ぎて、特になにもない414m地点を通ると、その先は厳しい登りになりました。頑張って登り切ると細尾根ですが、尾根上は間伐したと思われる木が倒れており、アシビも生えていて歩きにくい場所でした。志子部四等三角点(508.81m)も、そんな藪っぽい場所にあります(写真)。さらに尾根を歩き続けると、植林になってきます。それと共に勾配も急になってきて、暑く湿度の高い日だったので、ここは休みながら登っていき、今日の最高地点653mピークに着きました。

653mピークからは西に尾根を下り、633mピークから北に降りました。植林が多くて楽な尾根でした。500m+の鞍部まで降りましたが、この付近は広々としています。510m+のピークに登り、その北で地形図の破線道を探しましたが、見当たりません。その北の574mピークは鉢伏城跡で、南側は急斜面で登るのは大変です。結局地形図の破線道の通りに谷を下りましたが、水は無いとは言え、ガレ石だらけで倒木もあり、谷底を歩くのは大変でした。北側斜面には大きな岩が多く、斜面に道があればそれを下りましたが、それも崩れやすい斜面でした。南東からの谷と合流すると、そちらの谷には道があり、ここからはその道を降りました。途中で道が崩れていたり倒木で通れなかったりしましたが、西側斜面で伐採が行われたようで、その時の道路に出てきました。この道は東の谷への分岐の付近で舗装され、お気楽な林道歩きで西谷の集落に戻りました。

暑さで休みながら歩いたこともあり、5時間以上かかりました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「因幡郡家」です。

2019年7月21日日曜日

丹波篠山の槇ヶ峰

丹波篠山市の山に登りにいくたびに、地形図でこの肝臓のような形をした山塊が気になっていました。[1]を見て、これが槇ヶ峰という山だとわかって、登りに行きました。

登り口も[1]に従って宇土観音のある弘誓寺にしました。集落の中の細い道を登っていくと、多宝塔とイチョウの木が立派なお寺がありました。法道仙人によって開かれたそうで、三十三所観音山めぐりの矢印に従って山道に入ると、観音様巡りとなります。観音様にもいろいろあることがわかります。「厨子寄贈」と寄付をした人の名前が書かれていますが、周囲のコンクリートの囲いのことでしょうか?巡路に従ってジグザグに斜面を登ると、一番高い場所に山道と思われる道があり、それを登りました。木やシダが茂って一見すると分かりにくいのですが、明確な道があって尾根にあがりました。尾根に出ると下草がなくなるので歩きやすく、460m+まで来ると祠(?)がありました。「金」と書いて丸い穴のあいているコンクリートの箱なので、お賽銭箱でしょうか?「槙ヶ峯神社」と石に刻まれていましたが、そのような名前の神社は地図には見当たりません。標高から考えても、ここが山頂かも知れません。ここから西に歩き、いったん植林の鞍部に下ってから登ると、宇土三等三角点(467.21m)がありました。西側には送電線の巡視路があり、その脇の藪の中でした。ここまでもチラチラと展望がありましたが、ここからは北東方向がちょっと見えました。

三角点から東に引き返し、尾根を縦走しました。道があって歩きやすいのですが、ちょっと笹が生えています。標高440m+の分岐点からは宇土観音に降りられそうでした。熊手が落ちていて、たしかに落葉が片付いている感じがしました。さらに東に尾根を下り、次の380m+鞍部には道が来ているような印象でしたが、この東の390m+に上がるところには道がなく、藪こぎでした。次の370m+鞍部にも道が来ていましたが、その東の道は不明瞭です。南の399mピークに行かないように東に植林を抜けて斜面を降りましたが、探せば道があったかも知れません。「火の用心 入山を禁ず」の札はありました。降りた340m+鞍部には池があり、「薬師池」標識がありましが、溜池ではなさそうです。ここにも道が来ていますが、東側の尾根にあがり、道をたどりました。倒木が多くて歩きにくい場所もありますが、植林もあってあまり苦労せずに歩けました。400m+ピークにあがって、北方向の道のほうがしっかりしていたので、北に尾根を降りていきました。笹が増えてきますが、踏み跡は続いています。そして最後は共同アンテナの残骸があり、どちらを向いても急斜面となりました。少し手前で南に降りるべきだったと思うのですが、行き着くところまで行ってしまったので、北斜面に踏み跡を探して降りました。最後は木につかまって斜面を降り、背の高い草薮を抜けて道路に出ました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「篠山」です。

2019年7月15日月曜日

八鹿町の大徳山の西の尾根

大徳山には2017/09/30に登りましたが、その時に西に平らに長く伸びる尾根が気になっていました。そこで登山コースを検討したのですが、意外と南北の斜面は険しく、かなり西まで行かないと登れないことがわかりました。結局中八木にある地形図の破線道を探すことにしました。向八木からも破線道がありますが、谷道なので怪しそうな気がしました。

広い水田を抜けて害獣避けの扉を抜けると、山の麓に出ました。ここで道を探すと踏み跡らしいものがあるので辿ると、いきなり立派な石垣がありました。この付近は段々畑が作られていますが、その一角は屋敷跡のような気がします。とにかく道があるので登り続けると、なんとなく尾根先に回る道に出てきました。ここからは地形図通りに古い道を登りました。尾根の下に出てくると道は分からなくなりましたが、尾根は問題なく登れるので、そのまま登り続けました。途中で向八木からの破線道が上がって方向は未確認ですが、尾根の南側に回り込む道があるのは確認しました。荒れ気味の尾根を登り続けるとNHKの共同アンテナがあり、それから八木三等三角点(449.63m)に出ました。周囲は切り開かれています(写真)。

三角点からは平坦な尾根です。2キロ以上に渡って平らな尾根を歩きました。平らと言ってもアップダウンが無いわけではありませんが、すぐに登りきってしまいます。藪も少しありますが、かき分けて簡単に抜けられるようなものです。448m地点を過ぎ、共同アンテナの残骸がもう一つあり、408mピークに登りましたが、この付近は地形図でも分かるように広い平坦地が広がっています。地形図では破線道がこの付近を越えていますが、未確認です。この付近から少し藪が増えてきたような気がします。そして標高が上がり、くねくねと細尾根を通り、450mを越すあたりは藪が多いなと思ったら、地形図にはない林道に出ました。南から上がってきて、尾根上をジグザグに登って地形図の林道に繋がっていました。林道からは北の展望があります。さらに林道の上へ登ると、西の方に遠くまで展望がありました。あとは頑張って藪を登って反射板を通り、大徳山山頂に着きました。登山記念のプレートが何枚かと、広谷二等三角点(555.74m)があります。ここからは展望はありません。

下山は山頂から北に降りました。ちょっと降りたところには平坦地があるのですが、その先は急斜面でした。木に掴まらなければ降りられないような斜面ですが、幸いに掴まれる木があって、なんとか林道まで降りられました。あとは林道をひたすら降りました。途中に「展望地290m」の標識があったので笹が茂った遊歩道を行ってみると、258mピークに東屋がありました。展望図がありましたが、木が伸びていて半分は隠れてしまっていました。さらに「高柳ふれあいの森へ」という道標があったので北に降りましたが、道はすぐになくなってしまいました。適当に斜面を降りてから西に寄っていくと笹の茂った遊歩道がありました。降りて行くと林間広場があり、小ピークにはこれも木が邪魔な山頂展望台があり、高柳の方に下山しました。途中にはいくつか害獣避けの扉がありますが、どれも変形していて開けるのに苦労しました。平成23年に整備されたようですが、もはやハイキングは無理です。あとは広い田んぼを眺めながら向八木に戻りました。


展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「関宮」「八鹿」です。

2019年7月13日土曜日

鳥取市河原町の霊石山

鳥取から鳥取自動車道で南下すると西側の山の上に城が見えてきますが、ここが河原です。霊石山は鳥取自動車道の東側にあります。一見するとアンテナ山ですが、歴史のある山なので登ってみました。

登り口は自動車道路以外に最勝寺からと国英神社からと二通りあるということですが、国英神社に行ってみました。神社の裏から登山道があるということですが、急斜面の竹藪があるだけです。無理に登っていくと平坦地がありますが登山道らしきものはありません。藪ですが尾根を登れるので登っていくと、そのうちに道と出会いました。植林の作業道かと思いましたが、江戸時代の石仏があって、これが参道だとわかりました。おそらく神社の東の集落の中の道が続いて来ているのだと思います。登り続けると古い石段もあって雰囲気が出てきます。途中で斜面を通る所では崩落しかかっており、しかも笹薮が道にはみ出しています。トラロープがあり、笹を無理やり抜けると、最勝寺の跡に出ました。現在ある建物はコンクリートの本堂以外は一軒だけですが、立派な石仏がいくつもあります。また墓地もあるのですが、大きな石を使ったものが多く、この山は霊石山というくらいで大きな石がふんだんにあるようです。舗装道路(林道中山線)の上側には源範頼の墓という怪しげなものもありますが、これも江戸時代の墓地の一部です。ここからは登山道があって更に奥の院と墓所(これは明治以降のものだが巨石が多い)に寄ってからまた舗装道路に出ました。ここからは道路を歩いて山頂に着きました。ハンググライダーの基地なので展望は南にも北にも素晴らしく、日本海や隣山の風力発電の風車が見え、他にはNTTやイーモバイル、デジタルTVのアンテナ群、名無しのパラボラアンテナがあります。広場の中央に東屋があります。この付近は城跡(最勝寺山城)でもあります。

山頂からは東に歩きました。「伊勢ケ平」と書かれた方向に歩くと遊歩道があって、326mピークの先に東屋がありました。その先は広い平らな谷で、ここが伊勢ケ平なのかも知れません。しかしここで道が消えてしまいます。地形図では谷の反対側に破線道があって、それで下山できるはずなのですが、よく分かりません。人の背ほどの笹が茂っており、それをかき分けて破線道のあるはずの場所を歩きました。谷は笹が多いので少し登って斜面を歩き、東に進みました。道の痕跡はほぼ消えており、シダも生えていますが高く伸びた笹が一番強敵で、下草がなければ灌木の間はなんとか歩けました(写真)。破線道は333.5mの米岡三角点のあるピークの南の鞍部を通って東の谷へ降りていきますが、谷は笹が生い茂っており、しかも少し水が流れていて地面がぬかるんでいる所があるので、東側の斜面に上がってトラバース気味に下山しました。下草の少ない所を選んで歩きましたが、藪には違いありません。時々谷の様子を見て、水の流れに沿って降りられる所で谷に降りました。しばらく降りると西側に道がありそうだったのでそちらに渡りましたが、これが地形図の破線道です。これは十分に歩ける道で、舗装道路に出ました。この下には巨大な堰堤があり、土師百井に下山できました。

登山道を除けば笹薮で覆われた山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「用瀬」です。

2019年7月6日土曜日

東から登る智頭の清見上三角点

2019/5/11に登った智頭の清見上三角点ですが、今回は南ではなく東から登ってみました。登り口は智頭から国道53号線を南に走った井上集落の付近です。国道から土師川を西に渡り因美線の踏切から北に行くと山側に墓地があり、その北端から山に入る道がありました。これは奥にある墓地に行くだけですが、その先も少し道があり、さらに植林の斜面を登って尾根に上がりました。あとは問題の無い尾根歩きです。北側下には新しい堰堤が見えます。植林も自然林もあり、尾根上は切り開きがあって快適です。横田四等三角点(556.81m)の周囲は笹薮ですが、ここには南から道が来ていました。標石は倒木の下で可哀そうでした(写真)。アワフキムシの泡があちこちにありました。632mピーク付近から南側は植林で、尾根は笹薮ですが少し植林側に降りれば道があって快適でした。しかし清見上三角点に近づくと笹薮を歩かざるを得なくなり、2019/5/11に南から来た道と合流し、坂を上がると頂上です。笹薮の中に清見上四等三角点(691.41m)があり、中国電力の新鳥取連絡線9号鉄塔が立っています。北側の視界が開けます。登り始めて約2時間でした。

下山は頂上から北に鉄塔の保守路を降りました。良い道です。10号鉄塔から北は保守路はどこに行くのかよく分からなかったのですが、植林なので道は良く、613m地点の北は少しわかりにくく、気をつけて北に降りて行きました。西側に植林の下に林道が見えました。さらに歩くと東側下にも林道があり、541m地点から先は東側下にずっと林道が見えていました。しかし尾根上は倒木が多く歩きにくかったと思います。さらに北東に尾根を降りていきましたが、この付近は藪で、あまり障害物はありませんが、笹や木の枝をのけながら降りました。特に390m+の鞍部に降りる付近は方向が定まらず、楽な方向に降りたらかなり北寄りに鞍部に降りてしまいました。この鞍部は地形図では平坦ですが、実際は平らではなく、南側の標高が高いようです。東の尾根に登り、植林を東に歩きました。三田三等三角点(445.22m)付近は藪っぽく、標石も土にほぼ埋まって上には腐った木が乗っているという状態で、最初はどこにあるのか気が付きませんでした。ここからGPSで方向を確認しつつ藪っぽい尾根を南東に降りました。すぐに北側に太い林道が見えました。この付近からは南に降りれば谷を出られるのですが、頑張って藪の尾根を東に歩き続けました。折れ曲がってわかりにくい尾根ですが、三田の付近まで来ると石積みの跡のような場所があり、その先は平坦地が何段かありました。城跡っぽいのですが、調べても三田中村城は谷の南側(登ってきた尾根側)で、こちらには城跡は無いようでした。最後は問題なく水源のタンクの所に出てきました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「大背」「智頭」です。