2018年12月31日月曜日

有年の黒沢山

この山は山頂に大きな養鶏場があり(120万羽飼育しているそうです)、道路はあるもののゲートがあって私道のようです。しかし一度登ってみたいと思っていたので、道路を使わずに登ってみました。

登り口は特養ホームの西にある忠魂碑です。隣りにある貯水タンクはガードが堅すぎて使えません。害獣避けの扉を抜けると、巨大な忠魂碑が立っています。字は東郷平八郎によるものだそうです。ここから落ち葉の斜面を登って尾根に上がりました。下草は皆無で、気持ちの良い尾根です。赤穂の山ということでシダ藪を恐れていたのですが、黒沢山ではシダを見ることはほとんどありませんでした。まず平坦な尾根を北に歩きました。東から登ってくることもできそうです。しばらく歩くと送電線の鉄塔がありました。有三8というJRの鉄塔です。ここから真っ直ぐ登ってもよかったのですが、少し尾根先から登ろうと東に鉄塔の保守路らしい踏み跡を歩くと有三7鉄塔があり、ここから登りました。少し急斜面を登ると、また平坦な尾根になりました。下草がなく、木の間隔も広くてハイキング気分で歩けます。そして谷に出ると谷を舗装道路が通っていました。これは養鶏場からさらに山頂に延びている道です。

この上の施設は給水タンクかなにかだろうと思っていたら、「黒澤山光明寺奥之院」という石碑があって、ここが寺跡だということが分かりました。確かに両側に広い平坦地がいくつもあって、大きな寺だったのだろうと思いつつ登ると建物があり、その前の五輪塔のような石には「光明寺町石」の説明板がありました。この付近は眺めも良いのですが、トイレがあるせいかひどい臭いでした。金剛力士が両側に立っている参道を登ると、正面は本堂跡、右には鐘のある鐘楼、左には涅槃像(写真)がありました。平成15年に作られたものです。全く予想外の展開でした。鐘楼の上の方に光明寺の縁起が書かれており、弘法大師によって建立されたそうです。本堂は少し奥に再建されており、他にも弘法大師像、楽寿観音像、七福神像、弁天池などがあります。五輪塔も数多く、室町時代に栄えたとのころですが、相当な規模の寺だったようでが、尼子氏に焼かれてしまったようです。本堂の先には、鳥居は倒れていますが、神社もあります。

光明寺跡からは北に尾根を歩きました。地形図で見ると馬の背のような尾根が北に真っ直ぐに伸びています。320m+地点には土が四角く盛られており、建物があったかも知れません。その北の斜面は段がいくつかありますが、山城だとしたら攻めて来ようのない北側に曲輪を作るのは変です。歩きやすい落ち葉の尾根を真っ直ぐに歩きました。東側の展望が時々あります。小さなピークの上にある山田山四等三角点(291.81m)まで行きました。共同アンテナの残骸があります。この北は藪っぽく、両側は急勾配で降りるのは難しそうでした。共同アンテナからは北西にケーブルが伸びていて、それに沿って降りられそうな気もしましたが、道路に出て車道を歩いて帰る気もしなかったので、引き返すことにしました。

光明寺まで戻り、南西の方向に山頂を歩きました。「小仏のみち」という小さな石仏がたくさん置かれた付近から西の方に行きましたが、五輪塔の一部のような石がたくさん落ちていました。黒沢山三等三角点(334.5m)はそんな中で見落としそうでしたが、周囲は半径2mくらい伐採してあるので発見は容易でした。この先では南に海が見えました。岩が転がっている平坦な尾根ですが、しっかり方向を見定めて降りる必要があります。いったん西に降りましたが、下の方の尾根に乗るために南に斜面を歩きました。落ち葉の斜面で少し岩があり、炭焼き窯の跡がありました。マーキングも踏み跡もないので、適当に降りていって、有三11鉄塔に出ました。この先は藪っぽかったので、ここで巡視路を使って下山しようと思ったのですが、「火の用心」が一つ立っているだけで、道は見つかりません。関電と違ってJRは巡視路の整備に力を入れていないようです。しかたなしに、道らしく見えたところから斜面をジグザグに降りました。落ち葉の斜面で足場はしっかりしているので、木につかまれば降りられますが、急斜面なのでお薦めはできません。谷は岩が多いものの倒木は少なく、しばらく降りると地形図の破線道らしい岩だらけの道もあって、無事に下山できました。正解はわかりませんが、鉄塔から真っ直ぐにピークを超えて降りるのがよかったかも知れません。

光明寺奥之院には驚きましたが、毎月護摩祈願も行われているようで、参詣する人もいるはずですから、ゲートで行き先を言えば入れてもらえるのでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「備前三石」です。

2018年12月29日土曜日

備前市吉永町の龍泉山

このコースは、ほぼ([1])の通りです。まず吉永小学校隣りの与七郎霊苑から奥に歩くと、東西に山道があります。東に行くと峠がありますが、ここにはお札が立てられているだけで、山に入る道はありません。もっと東に歩くと南側に墓地があって、その反対側に細い用水路があります。これが登山道のようです。入口には何も書かれていません。本当は斜面をぐいぐいと登って尾根を歩きたかったのですが、かなりの藪なので、藪こぎは後にとっておいて、用水路に沿って山裾を歩きました。倉吉の集落の奥に砂防ダムが二つあり、その先は谷あいの道になりました。両側は岩山なので谷も岩が多く、歩きにくい道です。しかし倒木などはなく、峠に近づくとお地蔵様があります。隣に置かれている四角い石にもなにか掘られているようでした。さらに鞍部へと北に歩きました。「つづら北方へ」という札が木に下がっていますが、つづらというのは葛籠、北方も八塔寺川沿いの地名です。北に降りればそちらに行けるでしょう。しかし鞍部からは急斜面を西に登って、東山城跡に行きました。枝をかき分けるだけでなく、途中からはシダ藪を登らねばなりません。山頂には龍泉四等三角点(267.12m)があります。付近の地形は確かに城跡で、特に八塔寺川の方に伸びる尾根には何段か曲輪が作られています。

城跡から鞍部に戻り、お地蔵様の東に「龍泉山へ」という札を見つけました。昭和35年の治山事業の標石が立っていますが、そちらには行かずに280m+ピークの東の鞍部へ登りました。だいたいは道があります。鞍部からは280m+ピークに行ってみましたが、何もありません。引き返して北に登って少し東に逸れると眺めの良い岩場があります。岩場の上の藪を抜けて道に戻り、やや西側を巻いて登っていくと、石段が現れました。これだけ藪を抜けた後にしっかりした石段があるとびっくりします。これを登ると地形図にお寺のマークがあって建物が描かれている場所ですが、建物は崩壊して瓦が散乱していました(写真)。石積みで囲われており、墓塔のようなものもありますが、年代の分かるようなものはありません。地形図に建物が描かれていることから、建物が崩壊したのは最近のようです。廃寺跡からは北に歩き、東に曲がりました。道ははっきりしません。シダが生えており、藪を抜けていくと、アンテナがありました。ソーラーパネルと蓄電装置の付いた本格的なもので1992年頃に建てられたようですが、アンテナの形から考えて今は使われていないでしょう。この先も藪が続きますが、いきなり小さな壊れた祠が3基並んでいました。この意外性がこの山の面白さだと思います。祠から南には道がありますが、溜池の方に降りていくようなので、祠から東に歩くと岩場があり、さらには尾根を通って龍泉山の350m+の西のピークに着きました。この付近にはマーキングがあって助かりました。さらに南東にマーキングを辿って、倉吉三等三角点(367.86m)のある東のピークに着きました。周囲は藪です。

山頂からは田倉越に降りることにしていました。マーキングも道もないのでGPSを頼りにシダ藪突破を試みました。背の高いシダの群集を避けつつ降りていくと、踏み跡がありました。概して尾根の北側に付けられており、これを辿って降りていきました。途中でシダの中で踏み跡が確認できなくなるところがあって、見失ったかも知れませんが、とりあえずなるべく北側の藪の薄い方を通って降りていくと、林道に出ました。北側が伐採地で、林道が尾根上で折り返していました。林道で降りることもできましたが、そのまま尾根を降りていくと、尾根の北側にはネットが張られていて、その北を林道が降りていっていました。ネットの南側はシダが生えていましたが、膝程度までなので、なんとか隙間を探して歩きました。最終的には林道は田倉越まで行かずに北へ行ってしまいますが、ネットは峠まで達しています。峠には何かありそうなものですが、特に人工物は見つかりませんでした。田倉越からは谷を降りました。地形図には谷の東寄りに破線道が描かれていますが、実際には最初は道ははっきりせず、少し降りると谷の西側に道がありました。ときどきシダに侵食されたりしていましたが、問題なく下の溜池まで降りることができました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「和気」です。

2018年12月24日月曜日

北から登る水剣山

水剣山にはあちこちの方向から登っていますが、北から登ったことはなかったので、伊沢川を遡って宮ノ北の先で県道546号線に入りました。これは野々隅原に行く道ですが、のっけから非常に細くてすれ違い不能でビビりました。少し行って橋のところで道が別れているので車をとめました。Street Viewもここで終わりです。ここには川原山口保安林管理協議会の看板があるのですが、主にここの北の山の「保健保安林」について書いてあるようです。この付近にはコテージがいくつかあり、岩の上に祠があるのも目を引きました。

県道546号線とは別れて、河原山川の南の林道を歩きました。植林の作業が行われているようで、轍で泥だらけの道です。しばらく行くとコンクリートの道路が斜面を斜めに上がって行っていました。「アカゼハタ入口」という標識が立っている所です。道路を登っていくと、西向きに折り返して伐採地を抜けていきます。航空写真でも見える広い伐採地に出ましたが、このままだと降りてしまいそうだったので、東に登っていく道に向かいました。これは最終的には伐採地で終わっていまいます。おそらく航空写真で見えている終点だと思います。伐採地は登れないので、少し戻って、林道から尾根に上がりました。この後は急斜面の尾根を標高差300m近く登ることになりました。下草はなく、たまに大きな岩がありますが、傾斜は手を使わなくても登れる程度でした。1時間近く根気よく登って、主尾根に出られました。少し岩のある尾根ですが、まず東に登り、740m+ピークから759mピークに歩いて南に向かい、真っ直ぐ登って水剣山の西のピーク、そして水剣山の山頂に着きました。と書くと簡単ですが、けっこうなアップダウンがありました。山頂には蔦澤三等三角点(871.79m)があり、南向きの眺望は素晴らしく、逆光で天候もイマイチでしたが、瀬戸内海が見えました。(写真)

下山は東のピークに向かいました。途中に吊尾根を通る登山道への分岐があります。東のピーク付近は藪で、その先も藪が続きました。この尾根は2008/08/09に登っていますが、その時は倒木は少なかったようです。今回は倒木が多く、急斜面の岩場に倒木があると下山は危険でした。少し降りると楽になりましたが、742m地点の下は尾根が意外と複雑で、登りはよかったのですが下りでは迷いやすく、何回か尾根を探して斜面を横に歩きました。最後は620m+の鞍部に出ました。ただの林で、地形図の破線道はありません。適当に歩きやすそうな斜面を西に降りました。斜面は倒木があって歩きにくく、谷底は倒木とガレ岩が多いのですが、とにかく降りると、河原山林道東谷支線の終点に出ました。ここからも林道が南北に伸びています。あとは林道を歩いて降りました。途中に「森林水環境総合整備事業」の地図があり、うまく読み解けなかったのですが、林道がたくさんあるようでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」「山崎」です。

2018年12月22日土曜日

加西市上芥田町の不動庵

加西市北部に芥田(けた)川という北から南に流れる川があり、一番奥には赤穂浪士由来の久学寺があります。そのずっと南の上芥田町に、不動庵というお堂がありますが、この付近の山に登ってみました。県道369から東に入ると、北方向に「不動庵」という標識があり、まっすぐ歩けば害獣避けの扉を開けて不動庵に着きます。4つの一隅燈があり、「不動庵」の揮毫は久学寺の住職さんによるもののようでした。不動庵の裏から山に入ろうとしたのですが、はっきりした道がなかったので西寄りの尾根向かって急斜面を登りました。地形図には東寄りに破線道が描いてあるので、これを探すべきだったかも知れません。しかし急斜面を登って尾根に出て、さらに急な尾根を登れば、播磨線一二六鉄塔に出られました。ちょっと眺めの良い場所です。ここへは西から巡視路と思われる良い道が登ってきていて、こちらから登るのが一番正解でしょう。

巡視路がどこへ行くのかは不明でしたが、とにかくさらに登り続けました。すると道らしきものがあり(これが地形図の破線道か?)、ちょっと岩の多い見晴らしの良い場所に祠がありました(写真)。扉を開けても中には特に変わったものは入っていなかったのですが、もともと不動庵はここにあって、参拝しにくいので下に移した、ということはないでしょうか?

さらに東に尾根を登りましたが、ここは藪山です。枝を押しのけながらの歩き、共同アンテナを過ぎて330m+まで行きました。ここも地籍調査の跡くらいしかありません。北に行けば遠坂ですが、南に降りました。ここは落ち葉を踏んで歩ける程度で、割と軽快に歩いて、290m+の鞍部に出ました。地形図では破線道が横切っていますが、西側にかろうじて道がありました。これは巡視路のようで、南に登ると播磨線一二八鉄塔がありました。その南の370m+ピークはシダ藪の中に地籍図根三角点がありました。ここから南西に向かいましたが、尾根はシダ藪が続きました。背丈はさほど高くありませんが、急斜面でも足元が見えないので危険でした。東側の奥池から南に時々展望があるのが唯一の救いでしたが、シダ藪を抜けるのは疲れました。たまに地面が現れて、不動庵が見えたりもしますが、結局このシダ藪はずっと続きました。320m+のピークから次の三角点へ行くつもりだったのですが、シダ藪で踏み跡もないので、西に下山することにしました。こちらはシダが少なめで、尾根上はシダ藪でも北に少し降りれば問題なく歩けました。最後は金網に突き当たりましたが、扉を探して出ることができました。

シダ藪はほぼ予想通りでした。足元が見えないと急斜面は危険なので、無理はしないことです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「北条」です。

2018年12月10日月曜日

多々良木湖から行者岳

朝来市の行者岳には2013/03/30に登りましたが、その時は西の山口から登ってきました。本来の登山道は多々良木湖からのはずなので、今回はその正式ルートで登ってみました。

登り口は多々良木ダム湖の周回道路にあります。登山口の標識から登っていくと、整備された登山道が続きます。明治時代の石仏が所々にあって、昔からの参道だということが分かります。少し登ったところにある弥勒菩薩([1])は相変わらず危なげな石の祠に入っています。急な登りが続きますが、整備された道なので問題なく登れました。地形図で見ると明らかに606mピークが最大の難関で、下から見上げても急峻なのですが、ここには金属製の階段が設置されています。これを登ると遠景が楽しめます。ここが参道の終点かと思うのと、この後も石仏があります。背景がちょっと変わっていて雰囲気が違うと思ったら鈴懸不動だそうです([1])。着衣が鈴懸で、左手に持っているのは最多角念珠でしょうか。相変わらず整備された道に道標となる石仏が点々とあって、落ち葉で足を滑らせなければ問題なく歩けて、行者堂跡に着きました。小さめの祠があります。鍋と一升瓶が残っています。地形図で見ると半端な位置ですが、大きな岩が背後に聳えていて、大きな割れ目があり、その奥にはアルミのはしごがあります。上手に降りられる自信がなかったので一番奥には行かなかったのですが、中にも小さな祠があるようです。

行者堂跡からは素直に標識に従って南を巻いて鎖場で大岩の上に上がりました。ここには大岩の北を真っ直ぐに登ってくるロープがあって、とても急峻ですがこの方が面白かったかも知れません。もう一つ鎖場を登ると眺めの良い場所に出ますが、覗きの岩場のようです。この先は岩場は少ないのですが、意外と急斜面で、ロープに助けられました。そして主尾根に出ると大きな岩があって、また東に展望が得られます。そこからちょっと南に歩くと行者岳です。金属プレートの行者岳四等三角点(784.53m)と、名無しのマイクロ波反射板があります。

行者岳からは南に尾根を歩きました。素晴らしく良い道です。赤い「火の用心」がありますが、近くに送電線はないと思います。「火の用心」は岩屋観音の方に行っているようですが、そちらには行かずに錆びたドラム缶のある南東の尾根を歩きました。途中で2012/10/27に法道寺山(南の806.4m三角点ピーク)から登ってきたルートと同じになります。隅の欠けた地籍図根三角点を過ぎて、細尾根が楽しいのですが徐々に藪っぽくなります。769mピークの北を通って東に降りますが、ここは本当に分かりにくい場所で、今回もうろうろしました。小松やアセビの藪っぽい細い尾根を抜けて680m+の小ピークから北に下山しました。この尾根はあまり急勾配ではないのですが、593m地点付近を過ぎると広い尾根になって方向が分からなくなりました。フラフラと左右に揺れながら尾根を探して降りていきました。マーキングは全くありません。尾根には植林は少なく、落ち葉を踏んで歩けました。最後に420m+地点に出て、真っ直ぐに北に行くと道路に降りるのが難しいかと思い、西向きの尾根を降りました。しかしこの尾根の先はかなりの急斜面で、岩と落ち葉が多く足元は悪く、木に掴まりたくても木は少なく、最後はわざと藪を選んで降りました。ちゃんと周回道路に出てきましたが、この下山ルートは考えものです。降りてきた谷の奥には黒滝があるようで、谷の奥に降りる手もあったと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬新井」です。

2018年12月2日日曜日

晩秋の砥峰高原と琢美鉱山

琢美鉱山という砒素鉱物の鉱山が砥峰高原の西にあることを知って行ってみようと思いました。起点は当然砥峰高原です。晩秋の砥峰高原は一面のススキが小麦色に染まって美しく、逆光で見ると銀色に光って見えます(写真)。駐車場も無料ですし人も少ないのでゆっくりと楽しめました。

まずは山を歩こうと思って、交流館から福知渓谷の方に県道39号線を降りて、川が太くなる前に西に渡って、斜面を登りました。葉の落ちきったコナラの林で、地面は落ち葉で埋め尽くされています。障害物は何もなく、やや急な斜面を登り続けて982mピークに出ました。地籍図根三角点があります。北側の展望もあります。ここからは尾根伝いに南東に歩きました。こちらは植林で、すぐに西側に林道が現れます。林道は向かっている方向に伸びていますが尾根には上がらないので、並行して尾根を歩きました。地形図で破線道が尾根をよぎるところは小さな切通しになっていて、両側に道が四方に伸びています。ここから950m+ピークに登ると土塁があって砥峰高原の縁に出ました。

砥峰高原を見ながら土塁に沿って南に歩きました。地形図では破線道がこの付近で東西に走っていますが、ススキの中に地籍図根三角点があるだけで、道はありません。そのまま斜面を登って981mピークに上がり、西に尾根を歩きました。この尾根には土塁が作られています。北側は伐採地で青いネットで囲まれており、南側は倒木だらけです。土塁は文化遺産なので上を歩くのは極力避けたのですが、倒木が多くて土塁上を歩かざるを得ない場所もありました。尾根の外れからは峰山高原に向かう遊歩道があります。落ち葉を踏みながら歩けて快適ですが、しばらく歩くと舗装された峰山林道に出ました。しかたなくちょっと林道を歩き、尾根先を回って小さな切通しのところから支尾根を降りました。ここも植林です。暗く、意外と深い谷でした。北に林道もありましたが、とりあえず谷を降りて
から北に鞍部を抜けました。

ここから北の谷が琢美鉱山([1])ですが、まずは落ち葉のきれいな谷です。水はほとんどなく、谷底も歩けましたが、東側の斜面を降りました。平坦地があってレールが残っていましたが、抗口は完全に埋まっています。おそらく東側斜面の切り崩して谷沿いに平坦地が作られていたのだと思いますが、ほとんどは崩れてしまい、平坦地はわずかです。砒素鉱石は、正直言って見ただけでは分かりません。谷を降りてくると地形図で破線道の通っている谷(タクミ沢)に出ます。ここは一度は整備されたようですが、荒れまくっています。谷の南側にはかつて鉱山の建物があったと思われる平坦地があり、ここを東に歩きました。途中からは林道に出ますが、東に歩くと地形図にはない林道となり、かなり荒れていました。倒木の下をくぐり抜けたりして斜面を通って伐採地の下を通り、砥峰高原に出てきました。砥峰高原側からは立入禁止となっていました。そのまま砥峰高原に入り、きれいなススキを見ながら交流館に戻りました。

琢美鉱山は、人工物を探すよりは鉱物採集に行く所だと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2018年12月1日土曜日

智頭の樅尾城跡

用瀬の三角山から洗足山に歩いたときに、いずれはその南の尾根も歩きたいと思っていました。すると洗足山と牛臥山の間に樅尾城という山城の跡があることを知りました([1])。登山道もあるということなので、行ってみました。

登山口は智頭ICを出て北に行った中島の集落の北の外れにあります。地形図の林道を登って行き、道標のあるところで西に折れて、その上の支尾根に上がります。平成27年に作られた新しい林道がいくつかあって、ややこしくなっています。林道を作ったときに道標を増やしてほしかったと思います。だいたい間違いなく登って行けたのですが、西の谷で林道が終わってしまいました。どう見てもその先に道はないと思って、少し戻って森林作業道中島二号線に入って西に向かって登りましたが、これも斜面で終わってしまいました。しかしすぐ上に尾根あるようだったので、細い作業道を探して斜面を登りました。少し平らなところに出てきましたが、見上げると急斜面です。しかし頭上を送電線が通っているので、東に向かってその下を通って斜面を登り、大内用瀬線21鉄塔の立っている510mピークの手前で主尾根に上がりました。

主尾根は下草は全く無く、落ち葉がほとんどなので歩きやすく、南に展望もあります。南斜面は非常に急ですが、その下に鉄塔が立っていて、巡視路は主尾根から降りて行くようでした。ずっと落ち葉のなだらかな尾根で気持ちよく、524mピーク付近は北側に少し削られた場所があって城跡かと思ったのですが、林道の跡のようでした。その先の鞍部は板井原から道が上がってきていて、峠地蔵という案内板があり、じっさいにお地蔵様があります。ここは狼煙場だそうです。この西は少し登りですが、尾根から南側にロープが何本か張られていました。土砂崩れ対策でしょうか?この付近の南斜面は木がほとんど生えていません。25鉄塔がすぐ下にある560m+地点から登りになり、600m+に樅尾城跡の案内板と地図があります(写真)。すぐ下には26鉄塔が立っています。この付近が城跡とすると、非常に細長く、たしかに両側が切り立っていて難攻不落という感じです(実際には落ちたようですが)。堀切や曲輪ははっきり残っています。城跡を見にさらに北に歩き、601mピークからその次の600m+ピークまで行きました。この先は植林だったので、ここから引き返すことにしました。

山の上の地図で見ると登山道は峠地蔵のある場所に登っているようでした。これで中島に下山しようかと思ったのですが、目的は尾根歩きなので、もっと歩いてみることにしました。尾根を510mピークまで戻り、さらに南東に歩きました。こちらも自然林が気持ちよく、勾配も少ないので楽に歩けました。東は板井原の谷がすぐ下に見えます。496m地点の南には電柱らしきものが立っており、中島から板井原へ電気を送っていたのかも知れません。538mピークに上がって、ここから下山することにしました。幅広くわかりにくい尾根をなんとなく西に降りましたが、なるべく植林か植林と自然林の境目を降りました。すぐに狭い作業道があって、それを降りました。途中で峠越えの道にも出ましたが、尾根を降り続けました。1mくらいの幅の作業道や、溝になった道が多く、降りるのに苦労はなかったのですが、選択肢が多すぎるのが問題でした。植林ばかりなのでどちらに降りても降りられたと思います。最後は岩鼻神社に出てきました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「智頭」です。

2018年11月25日日曜日

北から登った神河町の日和三角点

この三角点は寺前から県道8号線を西に走り、小田原川を遡った宮野の北にあります。2009/11/07に宮野の方から登っていますが、今回は北から登ってみました。登り口は宮野から山をぐるっと北に8号線で回った所で、横瀬橋で小田原川を渡る手前です。扉があって短い道があるのですがその奥に関電の巡視路の札があります。本当なら赤い札に火の用心と書いてあるはずなのですが、真っ白になっています。これはStreet Viewで見つけました。ここから巡視路で登ろうという作戦です。さすがに巡視路は歩きやすく、急斜面を斜めに登っていき、すぐにかわいらしい南小田支線三鉄塔に着きました。ここで巡視路が終わっているとパニックなのですが、幸いその先にも巡視路がありました。次の鉄塔は巨大な播磨北線ニ九鉄塔です。この先の巡視路は白い札の位置が紛らわしく、ちょっと見つけにくかったのですが、黒いプラ階段が落ち葉に埋まっていました。非常に急な斜面なので助かります。この先は巡視路を見失ったのか、藪っぽい斜面を登り、ひどい藪になったと思ったら、播磨北線ニ八鉄塔に出ました。東にちょっと展望があります。ここからは尾根の西側斜面に巡視路が作られており、鉄塔に降りていく形になっています。しかしそのまま歩くと西に行き過ぎると思って(実は西に歩いて尾根にある鉄塔まで行ってから尾根を登った方が楽だったと後で思ったのですが)、尾根に上がることにしました。尾根を真っ直ぐに登るには藪がひどかったので、少し巡視路を歩くと作業道のようなものが尾根に上がっていくので、これを使って登りました。茨の道でしたが、尾根に出ると植林で、急斜面でしたが登り続けました。植林なので間伐した木がたまに邪魔なだけで、時間はかかりましたが、主尾根に上がることができました。最後は真っ直ぐ登るのは急すぎたので少し西に寄りました。

ここは2009/11/07に歩いていますが、記憶はほとんどありません。840mピークも特に特徴はありません。しかしその東は2009/11/07に「倒木多し」と書いているように大倒木地帯です。9年経っても事情は変わっていません。前に比べると木の枝は減っていて、代わりに倒木の間にシダなどが茂ったような感じでした(写真)。足元が見えないのは困ります。南側に抜けると倒木のない場所があって、そちらをなるべく通りました。倒木地帯を抜けると再び植林で、たまに紅葉もあります。そして日和四等三角点(606.55m)に出てきました。今回は秋で葉が落ちた木が多いので、木の間に北側の人家が見えました。三角点からの下りは、北側の尾根にしました。ちょっと急な所もありますが、意外と降りやすく、鞍部に出て、藪を登り返して461mピークに上がりました。後は東にひたすら尾根を降りましたが、ここも植林が多いので問題なく、最後は墓所に出たので扉を抜けて外に出られました。大正解の下山でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」です。

2018年11月23日金曜日

遠阪峠の南の山

遠阪峠は山東町と青垣町の堺にある峠で、今は朝来市と丹波市の市堺ですが、昔は但馬と丹波の国境でもあったと思われます。いまは北近畿豊岡自動車道の遠阪トンネルが作られていますが、峠を通っているのは国道427号線です。普通車310円のトンネル通行料を節約したいのか、意外と通行量は多いようです。しかし峠にあるホテル好楽園は廃墟と化しています。単に閉まっているというだけでなく、vandalismというのか、建物のあちこちのガラスが割られています。ガラスを割って売れるものは何でも持っていったのかも知れません。心霊スポットではないと思いますが、かつてこのホテルに泊まった楽しい思い出を持っている人達にはつらい光景だと思います。

ホテル跡から東に歩くと丹波市の看板があり、ここが峠です。峠の南側は急斜面ですが、木に掴まって登ることができました。植林の作業道を探して急斜面を登ると、東側から道が上がって来ていました。峠の東側から歩いて来られるのですが、峠から登ることに意義があったと納得しました。その道から黒いプラ階段で小振りな佐治養父線一一ニ鉄塔へ上がれます。ここから尾根を登ると、日蔭四等三角点(497.13m)がありました。名前とは違って切り開きで陽が射しています。603mピークの付近からは東側にネットが張られており、その向こうは藪です。西側はほぼ植林でした。その先の620m+ピークには、お地蔵様がありました(写真)。峠でもなくお地蔵様が置かれるには不思議な場所なので、どこかから移されたのかも知れませんが、後ろの石積みの上に載せられていたのかも知れません。ちょっと和田山方面が見えて、柴三等三角点(662.35m)に着きました。

柴三角点からは東に尾根を歩きました。植林もありますが落ち葉を踏んで歩ける所も多く、倒木もなくて気持ち良く歩けました。653mピークからその北の650m+ピークへは一度鞍部に降りますが、ここから西の谷は木が倒れていて航空写真でも地面が見えています。鞍部からは谷は見えませんが、逆にこの鞍部は西の尾根からもよく見えていました。この先も落ち葉を踏んで歩ける尾根で、気持ちよく歩けました。地形図で630m+のやや広く平らな場所がありますが、尾根の分岐が多くて迷いそうでした、さらに東に歩いて600m+には木の生えていない場所があり、人工的な感じがしました。このあともさらに尾根を東に歩き続けました。だいたい自然林で、落ち葉で滑りやすい場所もありました。そして400m+くらいの所で南に降りましたが、ここはなんとなく傾斜が緩いというだけで、はっきり枝尾根と分かるわけではありません。しかし勾配はさほど急ではなく、楽に降りられました。最後は金網の扉が2回あって、非常に急な斜面を降りると、今出川親水公園に出てきました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「矢名瀬」です。

2018年11月18日日曜日

北から登る智頭町の櫛浪三角点

この三角点は山頂ではなく、しかも2017/07/17に来ています。その時は東に降りてしまったので、今回はそのときに歩かなかった三角点の北側の山を歩いてみました。

どこから登り始めるか悩みましたが、樽見集落に山に入る道があったので行ってみました。谷に入っていきますが、すぐに東に斜面を登る道があるので上がっていくと、少し登れましたが終わってしまいました。そこからは作業道の名残を探しながら急斜面を登りましたが、最後は名残も無くなってしまったので、無理やり木に掴まって登りました。足元の土が割としっかりしていたので、危険ではありましたが問題なく登れました。標高差100m以上を頑張って登ると、ようやく楽になって、西の谷の方から作業道が上がってきていました。この付近はやや平らですが、小屋があったので行ってみると、小屋の横の祠があって不動尊と書かれていました。中は見ていませんが、ここは尾根の突き当りで下は急斜面ですから、神様を祀るには適切な場所でしょう。

不動尊からは植林を抜けて登りました。気持ちの良い山です。特に歩きにくいところはありません。標高720m+あたりには長い尾根がありますが植林されています。その突き当りの手前は自然林で、ブナがきれいでした(写真)。830m+まで上がり、それからしばらく再び急勾配を登ると櫛浪三等三角点(916.73m)に着きました。前回は夏で気が付かなかったのですが、木々の間に千代川沿いの集落が見えます。

下山は830m+まで戻り、西側の尾根を降りました。暗い植林は避けて、なるべく明るい自然林の中を落ち葉を踏んで下山できるようにしましたが、この尾根の西側斜面は植林が多く、植林と自然林の境界を歩くような感じになりました。ときどきGPSで位置を確認して、谷に降りないようにしました。最後は植林を通って420m+の細い尾根に出たのですが、ここが意外と岩の多い細尾根でした。しかもその北の端は地形図ではなだらかですが、急斜面を降りる必要がありました。降りてくると、谷の両側の道の合流点でした。東に向かう道は舗装されています。あとは福原へ舗装道路を歩きました。

登りは駒帰の近くからの方が楽かも知れません。4時間弱の行程でしたが、標高差は500mほどありますので足腰は鍛えられます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「坂根」です。

2018年11月10日土曜日

八頭町の伊呂宇山

地形図を見ると、鳥取県の若桜鉄道八頭駅の南に伊呂宇山という山があります。名のある山、ということで登ってみました。八頭駅に向かって延びている尾根の先は急斜面で周囲に人家もあるので、少し西に行ってから地形図にある道に入りました。墓地の脇を通るとすぐに小さな六地蔵があり、その付近から西側の尾根に登りました。斜面には木材運搬用と思われるレールがありました。尾根は植林ですが、少し登ると背の高い竹が生えています。幸い藪はたいしたことはなく、倒木をまたいで登り続けました。いかにも里山という雰囲気で、下草はなく倒木だけが障害物でした。主尾根に出て247mピークに行くと、宴会の跡のようでした。どうして宴会をしたかというと、この先のやや細い尾根がかつては松茸山だったからのようです。きっと豊作だったのでしょう。この細尾根も倒木はありますが切り開きが続きます。地形図で破線道が北東から上がって来ている所には、少し溝を掘ったような道があり、これが地形図どおりに尾根を登って行きます。そして地形図どおりに西に水平に行ってしまうので、それとは別れて尾根を登り続けました。相変わらず倒木以外には障害物の少ない尾根が続きます。植林もあります。そして大きな岩があって、勾配がきつくなっていきます。これは地形図から予想していましたが、そんなに大変な急勾配でもありません。周囲の紅葉を見ながら標高を上げていって、標高600m+の主尾根に出ました。ここからは平らな尾根ですが、伊呂宇山に登るところは急勾配です。登り切ると山頂で、岩渕三等三角点(696.74m)があります。山名のプレートも建てられています。北側の展望が木が伸びて遮られています。

下山は尾根を西に歩きました。ちょっと切り開きのある678mピークまで来て、北に尾根を降りました。この付近には赤い布のマーキングがあり、こちらの尾根にも付いています。じっさいこの尾根は切り開きがあって、よく歩かれているようです。勾配も急なところは少なく、登りにも最適という気がしました。茂田四等三角点(433.95m)の少し上に木が伐採されているところがあって、標高は低いながらやっと展望が得られました(写真)。三角点から降りていくと、徐々に藪っぽくなりましたが、最後は尾根裾を巻く道があって、道路と平行にしばらく歩いてから道路に降りました。あとは舗装道路で戻りました。

いかにも里山という感じで、紅葉もきれいでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「因幡郡家」です。

2018年10月31日水曜日

備中松山城から北の山

「現存天守を持つ山城としては最も高い所にある」という備中松山城は、標高430m以上の山上にあるので、登山コースもあります。まずこれを登ってみました。高梁の市内を流れる小高下谷川沿いに、松山城の駐車場の方向に歩きます。細い道で、乗用車でもすれ違うのがやっとくらいです。橋に遊歩道への入り口の看板があって、「備中松山城登城口 天守まで1,500m」ということで登り始めました。ところどころ階段が整備されており、いろいろな説明板もあって楽に登れました。サルの生息地だそうですが、出会えませんでした。たまに石仏もありますし、大石良雄腰掛岩もあります。そして八合目の鞴(ふいご)峠に着きました。自動車は下の駐車場までのようで、ここへはマイクロバスで往復するようです。ここからも舗装道路はあるのですが、見学者は山道を歩くようになっています。これももちろんよく整備されており、途中で高梁の町の展望が得られる場所もあります。石垣が現れると城らしくなります。そして目の前に石垣がそびえるところが大手櫓門でしょう。もともと岩山だった所に建てられていることが良く分かります。三の丸、二の丸と通って、300円払って2階建ての天守閣に入れます。

本丸の先も石垣が少しあり、二重櫓を外から見て、北に歩きました。深い堀切には橋が掛けられており、番所跡、相畑と過ぎて、次の487mピークが臥牛山としては最高地点で、ここは天神の丸跡とされていて、山の上に天神社という神社の礎石などが残っています。よく分かりませんが、山城の跡に江戸時代に神社が建てられたということでしょうか。さらに大松山城跡へと歩くとサンダル履きの観光客はいなくなります。ここは470m+の広い平坦地で、戦国時代の山城の跡です。曲輪などがよく残っていますが、石垣がないのでちょっと見ればただの平坦地です。井戸がありました。近くにある大池は溜池ではなく、石で囲んだ人工的な池ですが、何のための池か分かりません。この北には地形図で谷の上に直線が引いてありますが、これは吊橋です。かなり本格的なものですが、これは渡らずに番所の方へ行きました。ここは松山城としては一番北の橋で、切通しに番所があり、石仏があります。

番所の前から北の山に向かっては階段が作られており、山頂まで上がれます。道標が「楢井自然休養村」となっているのが気になるところです。山頂は伐採されており、東の山が見えます。よく探すと今津三等三角点(478,26n)が藪の中にありました(写真)。標高では天神社に負けています。ここから道に降りると尾根を走っている舗装道路に出られるようで、そちら向かってに「楢井・愛宕山」という道標がありますが、歩いていく距離ではないでしょう。

ここからは北に下山と決めていましたが、道はありません。藪を適当に抜けて、北に向かう尾根に出ました。いかにも里山というか、藪山です。少し我慢すると道らしきものもあって、共同アンテナの残骸らしきものもあります。適当に枝を払い、藪を避けて降りていくと、「採石作業で危険につき立入らないように願います」という古い看板が落ちていました。しかしここまで来ると他に降りようもないので、地形図の362m地点を目指して降り続けました。藪ですが、それよりも尾根はどんどん細尾根になり、特に西側は急斜面になりました。これは地形図とは明らかに違っています。採石場はありますが、かなり遠くで、眼下という訳ではありません。細尾根は枝が邪魔で通れない場所もあり、東側を巻いたりして、かなり危険でした。細尾根が終わると藪の中に道があり、共同アンテナの残骸があり、その後は尾根に溝があったのでそれを下りました。最後は笹薮に出てきて方向が分からなくなりましたが、なんとか小才藤の人家の上に出てきて、国道313号線に出られました。国道を歩いて高梁まで帰りましたが、バスに乗るのが正解でしょう。

三角点からの北の下山はとてもお勧めできません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★ 下山の評価です
地形図は「高梁」です。

2018年10月28日日曜日

智頭町の大呂山

最近はおなじみになった鳥取県の県道6号線ですが、郷原から北股川を遡って走ると、東側に新大呂発電所があります。落差292mの水路が見えるので、登ってみたくなりました。発電所の上に行くと階段があって、水路に沿ってずっと続いています。階段は苦手なので水路を北に渡って、北側の植林を登りました。巨大な水路を見ながら登っていきます。色の感じはコンクリートですが、接合部を見ると金属製の水路でした。一直線ではなく、途中で勾配が変わっている箇所がありました。植林は登りやすいのですがどんどん急になっていって、水路脇の階段の手すりを使って登った所もあります。水路の上端がどうなっているか興味がありましたが、コンクリートブロックの中に消えていました。近くにはトンネルの入口があって「酸素欠乏のおそれあり」と書いてありましたが、鍵がかかっています。かなり奥の深いトンネルらしく、木霊がよく聞こえました。水路が出てくるコンクリートの上には、大呂四等三角点(517.87m)がありました(写真)。この上には階段があり、貯水タンクのようなものがありました。そのさらに上は道がなく、適当に作業道を登りましたが、コンクリートのブロックがありました。大きなブロックがいくつかあり、南側に道の名残のようなものもありました。建設時に上から重量物を降ろしたのかも知れません。この道は地形図の地下水路の方向に向かっているのでそちらには行かず、残りの標高差200m近くは植林を真っ直ぐに登りました。かなりの急勾配ですが美しい植林で、手を使わなくても登れました。

山頂は710mですが、ここは隠谷城という山城の跡だそうです([1])。今は幅の広い道が作られており、山頂には山城の面影はありません。共同アンテナと、地籍図根三角点があります。付近の展望は良好で、鳴滝山あたりの紅葉が見えました。道は北に下っていき、大きく曲がって広い平坦地に出ます。航空写真でも見えますが、何段かに別れた平坦地です。一番下には大きな井戸が2つあり、覗くと水が溜まっているようでした。螺旋階段で降りられますが、やめておいたほうが良いでしょう。事務所がありクレーンなども置いてありましたが、特に何の表示もないのでなんの作業をしているのかは分かりません。しかし山の上に井戸が作られているのは他の山でも見たことがあり、山崩れ対策と思われます。この北側には2018/09/23に北の山からよく見えた崩落した崖があります。そちらへ降りていく斜面には蛇腹のパイプがたくさん走っています。少し降りると不思議な装置がいくつかありましたが、伸縮計かも知れません。その下にはトラロープが張られていて、あまり降りないほうが良さそうでした。崖は斜め横の角度で少し見ることができました。

下山は頂上から東に伸びる幅広い道を使おうと思っていたのですが、登り返すのも面倒ですし、地形図を見ると西に伸びる尾根で北股川へ降りられそうでした。問題は川まで降りても橋がないことですが、地形図では川辺には水田があることになっていると思って、降りてみることにしました。後でよく見るとこれは水田ではなく荒地だったので、大変なことになりました。尾根は植林なので降りるには問題なく、432m地点まで来ました。ここから北に急峻な暗い植林の尾根を降りました。途中で尾根を巻くように平坦地がいくつかあって作業道かと思ったのですが、辿っても消えてしまいました。尾根の先は急峻ですが、東側にマーキングがあって、その付近から降りると作業道の名残があり、川に降りられました。しかし橋も無ければ道もありません。川沿いに東に歩いていくと、山が川にせり出していて川岸をトラバースするのは危険になりました。しかたなしに山側に少し登ると、作業道の名残と思われる踏み跡がありました。斜面をトラバースするように付けられているので、当然少し流されていますが、それでも気をつけて歩けば辿れました。木がせり出していたり崩落していたりで、決して歩きやすくはなく、危険一杯なのですが、不思議と道跡は消え失せることはなく、二つあった谷も上の方で渡り、最後は崩落地の下のススキの原っぱに出てきました。そのままだと大きの岩の上で終わってしまうので、ススキの中を少し登り、歩きやすそうな所を探して降りていきました。ここは採石所だったらしいのですが、地形がめちゃくちゃで背の高いススキが生い茂っているために、どちらに向かえば降りられるのか分からず、大回りしました。最後は橋にたどり着けたのですが、幅いっぱいに水が溜まっており、靴が新しかったので助かりました。あとは北股川沿いに県道6号線で帰りましたが、下山は山頂に戻って東に道で降りるのが正解でした。

大呂山は平成17年以来地すべりの観測対象になっているようです([2])。山頂の井戸については調べても情報がありませんが、あれだけの大工事を行うくらいなので、かなり力を入れて対策を講じているのでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「郷原」です。

2018年10月27日土曜日

和田山町と養父市の境界の三角点歴訪

最近よく歩いている和田山町の山ですが、円山川北側の山で室尾山と光明山の間の尾根は歩いていません。今回はこれを目指しました。登り口は和田山町林垣です。随泉寺の墓地から害獣避けの扉を開けて上がっていくと、八十八箇所の石仏が並んでいる道に出ました。割と新しいもののようで、道もよく整備されています。地形図の破線道にだいたい沿って登って行き、最後は大きめの石仏があって、巡礼はそこから東の尾根道で下山するようになっていました。石仏の先も登山を続けましたが、道というほどのものはなくても踏み跡がありました。そして230m+の小ピークに来ると、堀切らしいものがありピークは平らなので、山城らしい感じがしました。後で調べてみると今年の6月に発見されたばかりの「林垣随泉寺城」のようです。もうちょっと登ると金属プレートの林垣四等三角点(312.43m)に出ました。木が邪魔で展望は東に限られています。

ここから北に尾根を降りて、ちょっと荒れた里山の尾根を登りました。この付近は植林が稀で雑木林が多く、まさに里山の感じがします。そして420m+の主尾根に着きました。ここが朝来市和田山町と養父市の境界です。まず西に荒れ気味の尾根を歩いて奥米地二等三角点(448.67m)へ行きました。この付近は尾根に道が作られていたようですが、木が伸びたりして歩きにくくなっています。奥米地三角点付近の地形はなんとなく不自然で、人手が入っているのかも知れません。地形図にある南西に円山川へ降りる道は見つかりませんでした。

ここからは引き返して東に歩きました。490m+の小ピークは室尾山が見えます(写真)。ちょっときつい登りで500mピークに達するとあとは歩きやすく、金属プレートの黒谷四等三角点(535.51m)を過ぎ、尾根が少し狭くなりましたが、快適に歩けました。470m+の尾根の端では間違えて北に行ってしまい、戻りました。497mピークから北東は地形図どおりに広い平坦地です。そして朝日三等三角点(494.74m)からは東に向かい、尾根の先で南東に斜面を降りました。降りた鞍部は少し掘り込まれていましたが、南に道はありません。ちょっと登って東に歩き、次の鞍部も堀切かと思うような切れ込みがありました。しかし、切通しにしては南に降りる道がありません。この東を少し登ってから南に降りて長い尾根に乗りました。最初は植林で歩きやすく、その後も歩き易い雑木林でした。最後の270m+に登る前の鞍部も切通しのようでしたが、道はありません。堀切だとすると城跡かも知れませんが(これが和田城?)、南側には特に何もなく、そのままだんだん急になる斜面を南に降りて、最後は西の植林の谷に降りると、金網の端に扉があって人家の脇に出られました。

三角点を4つ巡りましたが、実は道を歩いて林垣に帰る途中に市場公民館四等三角点(110.44m)があって、5つでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「八鹿」です。

2018年10月21日日曜日

西から智頭町の野段三角点

智頭町の野段三角点には2018/07/14に登りました。この時は南から登りましたが、今回は西から登ってみました。登り口は郷原から芦津渓谷の方に北股川沿いに県道6号線を入った西野です。西野の南に小さな山がありますが、県道から見ると山の端に階段があったので上がると、墓地がありました。その上は植林で、平らな尾根を歩いて291mピークを過ぎ、最後はいったんほぼ平地まで降ります。そこから登り直しますが、ずっと植林が続きます。地形図で水路が通っている付近には、尾根を横切る道がありました。ずっと植林なので歩きやすいのですが、急斜面もあり、木に掴まらないと登れません。標高750mを過ぎて平らになると、美しい自然林もあります。この付近は地形図どおり平らです。その後は急斜面はなく、標高930m付近で林道に出ました。林道が尾根先をまわるところで切通しになっているので、切通しの斜面を降りて登り直す必要があります。林道はここから南は舗装されていました。この付近からは西に展望があり、西野の付近も見えていたので、下山してから見ると、確かに林道が見えていました。再び尾根を少し歩くと、野段三等三角点(999.49m)のある山頂に出ました。

下山は前回登ってきた尾根を山頂から南西に降りて、林道に降りました。ここでも林道が目的の尾根を切っているので、林道から斜面を降りて西に向かう尾根に出ました。この尾根は登りに使った尾根よりも勾配が少なく楽に歩けましたが、尾根の分岐には注意を払う必要がありました。途中で標高590m付近で北側から林道が尾根で折り返して行きました。そして城之段三等三角点(540.8m)ですが、植林なのですが堀切があってびっくりしました。後で調べると草木城という城の跡のようです([1])。山頂の東側には林道が来ています。ここから北東に縦走すると520m+ピークも平坦地が何段かあり、これは乗雲ヶ出城([2])だそうです。そのまま北西に降りていき、最後は尾根先から墓地に出ましたが、その後は人家の畑を通り過ぎなければならず、道路に真っ直ぐ降りるべきでした。

行きも帰りも植林ばかりで変化がありませんが、気持ちよく歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「郷原」です。

2018年10月15日月曜日

養父市の妙見山

これは有名な山ですが、姫路からは遠い山です。しかし一度登ってみたいと思っていたので、出かけてみました。播但道から無料の北近畿豊岡自動車道をひたすら走り、八鹿氷ノ山ICで降りて、北の山をぐるっと回って少佐川沿いを西に走ります。だんだん道が細くなり、すれ違いが難しくなりますが、木材を積んだトラックも通るので気が抜けません。道の両側の空きスペースと側溝を確認しつつ走り、なんとか名草神社に着きました。姫路からほぼ2時間です。

神社の下に車をとめて坂を上がると立派な重要文化財の三重塔がありました。しかし神社本体は修理中で見られません。登山道は神社から南に向かった所で始まり、西の名草峠へ登っていきます。植林の中の道で、ちょっと下を向いたお地蔵様がほぼ等間隔に置かれています。鳥取方面からの参道だったのでしょう。峠まで13丁でした。峠に出ると南に尾根を歩きます。西側下には林道もあります。周囲は植林が多いのですが、ブナも結構あって楽しめます。紅葉には早かったようです。案内板もたくさんありますが、大谷の頭というのがどこだったか分かりません。山頂は切り開かれて枯れたシダに覆われており、巨大な方位盤があります(写真)。ちょっと先には金属プレートの妙見山四等三角点(1135.49m)があります。名草神社からは1時間半程度です。

下山は東のキャンプ場に向かいました。植林の平らな尾根を歩きましたが、どこから降りたらよいのか分かりません。とりあえず地形図の破線道の方向に歩くと、階段があって登山道だということが分かりました。ときどき木に説明板が付いていたり、階段も多く、整備された登山道です。しかし遠くから見えるマーキングが少ないので、いったん道を外れると戻るのは大変です。特に尾根を降りていって、いきなり曲がる所ではだいぶ迷いました。景観を損ねるかも知れませんが、赤テープのマーキングを増やしてほしいと思います。登山道は急斜面をジグザグに降りて、広々した植林に降りてきて(ここは階段が無いのでまた迷った)、最後はキャンプ場の奥の道に出ました(ここも道が消えた)。キャンプは難しそうなキャンプ場を通って道路に出ました。キャンプ場への分岐にある案内図ではこれは大ナル新道という道のようですが、見晴らし台とかはどこにあったのでしょうか?

ここからは名草神社に道を歩けばよいのですが、歩き足りなかったので地形図の破線道を探してみました。これは道路より高い位置に描かれているので、植林の斜面を登りました。道はありませんが、よく見ると作業道のような、少し周囲の斜面よりも傾斜が緩い部分があるので、そこを歩きました。消えかかっている道なので何度も途切れますし、そもそもこれが破線道なのかも分かりません。後でGPSで確認するとだいぶずれていました。それでもなんとか二つの谷を渡り(2つ目は奥に滝が見えた)、そのまま歩くと道路に降りる所にはコンクリートの壁がありそうだったので、2つ目の谷で道路に戻りました。この斜面歩きは全くの蛇足です。

名草神社まで車で上って来れば、この高さの山にしては、登山はそれほど大変ではありません。人気があるのも理解できます。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆ 蛇足の部分は★★★
地形図は「栃本」「関宮」です。

2018年10月8日月曜日

八東町の鍛冶屋から遠見山

若桜の遠見山には2016/07/30に登っています。この時は若桜から登ったのですが、今回は西から登ってみました。長い尾根が延びているので、その先端へ向かいました。若桜鉄道の徳丸駅の南を八東川沿いに県道6号線を走ると、鍛冶屋温泉への曲がり角があります。ここを通ると鍛冶屋への近道なのですが、温泉までは行かずに途中で害獣避けの金網に扉を見つけました。谷に動物捕獲用の檻がありますが、一気に南へ斜面を登って尾根に上がりました。ここには水道用と思われる貯水タンクがあります。尾根は里山的な雑木林と植林ですが、倒木がたくさんあります。植林の坂を登ると、中ノ谷三等三角点(273.34m)に出ました。三角点の東側の平坦地は植林ですが波打つような隆起があります。そして斜面を降りて鞍部に出ると、水をたたえたコンクリートのマスとかゴミとかがあります。その東ではパイプが転がっていますが、北に少し降りた所にDocomoの八東基地局のアンテナがあり、舗装道路が尾根を切通しで通っています。小さなお堂の他に、切通しの両側には祠があります。

ここから東の山も倒木が多く、歩くのは疲れました。送電線の鉄塔が近づくと藪がひどくなり、草も生えていて歩けなくなり、北に少し迂回して巡視路に出ました。巡視路には「←島・皆原→」(皆原も島と同じく北側なのですが)と「遠見山」という道標があって、ここからは登山道ということになりました。鉄塔は八東大内線4です。切り開かれていて八東川沿いの展望があります。登山道と言っても特に整備されている訳ではありませんが、ここまでよりはずっと急勾配になりました。しばらく登ると、登ってきた方が「島、皆原登山口」、登りが「遠見山」の他に「珪石採掘遺構」という道標がありました。遺構を見に行きましたが、斜面を東に横切る方向です。ピンクのマーキングがあるのですが、途中で見当たらなくなりました。とりあえずそのまま東に進むと溝が掘ってありました。よく見るとレールが4本あって、上にはウィンチが置かれていました。この付近が採掘場のようですが、どこで掘ったのかがよくわかりません。東側は崖になっていて、この付近なのかも知れません。後で地質図を見ると、この付近の北は八東川沿いの泥質千枚岩で、南は2018/08/11に綾木峠の東で見た珪石の鉱山も含む珪質千枚岩の地質となっていました。境界付近で珪石を採掘していたのでしょうか。「山頂」への道標があったので、ここも登山道かも知れません。

珪石採掘遺構から登山道に戻り、急斜面を登って遠見山を目指しました。岩場に出ると金属プレートの島四等三角点(531.34m)がありました。岩場を抜けると植林の厳しい登りが続きます。時々八東川沿いが見えます。そして見晴台に出ました。案内板があるので景色を楽しめました(写真)。ここまで石英っぽい石があまりなかったのですが、見晴台の岩は珪石のようでした。見晴台を過ぎると、中島登山口から登ってくる登山道と合流して、整備された道を歩けば遠見山山頂です。投書箱と本谷三等三角点(805.84m)があり、展望も少しありました。植林の気持ちの良い場所です。

下山は西の鍛冶屋の集落へ真っ直ぐ尾根伝いに降りました。最初は植林ですが、すぐに岩場が多くなりました。登ってきた尾根に比べると藪が多く、岩場の細尾根に灌木が生えて藪になっているという最悪のパターンです。地籍調査の杭などはありますが、明瞭な道や踏み跡はありません。岩場からは木々の間に南側の展望があります。スリリングな場所が多く、特に586mピークは大きな岩で巻くに巻けず頑張って登りました。しかしここを登れば後は平らで歩きやすくなりました。そのまま尾根を歩くと谷に降りることになりますが、尾根が北向きになる手前で西に急斜面を降りて、長い尾根歩きを続けました。登りの尾根は三角点とか見晴台とか時々ランドマークがあったのですが、こちらはやや退屈な植林が多く、ときどき地籍調査の跡がありました。そして開けた尾根に八東大内線6鉄塔が立っていました。特に下山路があるようにも見えないので、さらに植林の尾根道を下りました。その先には祠があって、素戔嗚尊神社の御札が入っていました。さらに道を下り、最後は道路に降りる手すりのついた階段がありましたが、これが藪化しており、枝をかき分けて降りました。

いろいろなものが見られましたが、5時間以上かかる長いコースでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「因幡郡家」です。

2018年10月6日土曜日

道の駅あわくらんどから登る影石反射板

2018/09/22に西粟倉の道の駅から三角点をめぐって黒石城跡を通った時に、道の駅の西の山に反射板があることに気が付きました。この付近の山は歩いたことがないので、確認に歩いてみることにしました。

道の駅から北に歩き、吉野川を西に渡ってから塩谷川を渡って南に歩き、鳥取自動車道(正確には志戸坂峠道路?)を潜り、北に山裾を登りました。この道はすぐに終わりますが(今日は道の終点にたくさん出会う日でした)、終点から谷沿い(赤谷川というらしい)に道があります。車が通れるくらいの幅の道ですが、少し登ると谷の奥で終わってしまいました。北側の尾根を歩くことにして、北側の植林の作業道を探しながら急斜面を登りました。尾根に出ると歩きやすくなりましたが、少し登ると幅の広い道に出ました。未舗装ですが砂利が敷いてあるので航空写真ではアスファルト舗装に見えます。この道で少し登ってみましたが、すぐに終点でした。結局尾根を登るなら最初に登ってきた尾根をそのまま上がるのが正解なので、戻って尾根の続きを登り始めました。やや急な所もあり、ちょっと岩もありますが、楽に登れて主尾根に出ました。西に植林を登れば651mピークですが、反射板はこの地点よりは下にあるので東に尾根を下りました。ちょっと下に、反射板がありました(写真)。「岡山県影石反射板 型式3mX3m脚高5m 表面処理 溶融亜鉛鍍金(HDZ55) 完成年月 平成20年12月」とのことで、方角は黒石城とその向こうを見ているようですが、先に何があったか、思い当たるものはありません。

反射板からは西に尾根を歩きました。そのうちに南側に林道が見えてきて、それが尾根を横切って南北両側に分岐しました。ここは尾根の分岐で、ここから西の732mピークまでは南北に林道が並行して走っています。なるべく林道は歩かずに尾根を歩いたのですが、尾根はシダと倒木が多く、歩きにくい場所がたくさんありました。地面には石英が多いのが目を引きました。航空写真で見ても、この付近は林道だらけで、何度も尾根を南北に横切っていました。目標の732mピークには特に何もありません。

下山は南東の尾根と思っていたので、まず林道で尾根を東に歩き、尾根の端で南の尾根に曲がりました。倒木を避けながら降りていくと、東側下方に林道が見えました。しかし尾根に上がってきた所で終わっていました。さらに降りて、下宅四等三角点(602.53m)を通り過ぎると、また林道が尾根を横切っていました。これを突っ切って東に歩き、南の尾根に曲がって、ひたすら植林を降りました。鳥取自動車道の工事の音が聞こえるようになった頃に下に林道が見えたので降りてみましたが、これも少し歩くと終点になりました。仕方なしにその先の植林を降りると、また林道がありました。南北に尾根裾を巻いていますが、北に谷があるのでそちらに行ってみたら、これも終点になりました。逆に歩くと南の谷に出ました。ここから鳥取自動車道まで谷沿いに道がありました。土砂でだいぶ埋まっていましたが、倒木がないので歩ける範囲でした。自動車道の下のトンネルに害獣除けの扉があって、無事にトンネルを抜けられました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「坂根」です。

2018年9月28日金曜日

瓶割峠から黒頭峰・夏栗山・三尾山

篠山市と丹波市春日町の境界に位置するこれらの山並みは、登山道が整備されており東南の佐仲ダムや南の高蔵寺から登るのが一般的のようですが、そうすると3つの山を歩くと行ったり来たりになります。尾根歩きも楽しみたいと思って地形図を見ていて、北から登るルートを思いつきました。

起点は春日町の国領温泉です。旅館が1軒だけあります。ここを南に歩くと、害獣除けの扉があり、「瓶割峠登り口 国領地区元気な地域づくり委員会」という看板があります。近くの「ながたにやまばし」を渡って、草で覆われた道を登りました。上流には巨大な堰堤(国領川第2砂防堰堤)があり、その上流にもいくつか堰堤があります。道が尾根の下で別れている所に来ると、瓶割峠への道標が谷の方に付いています。これは地形図どおりなので、真っ直ぐに谷に入りました。ところが道はどんどん怪しくなりました。地形図では谷の途中で東に曲がって尾根を登るようになっているのですが、この曲がり口が分かりません。谷の奥を登るのは難しそうだったので、道は分からなかったのですが適当に東に曲がって植林の危険な急斜面を登りました。すると斜面の上には道が東側から来ていました。道標を見落とした可能性はありますが、この付近は分かりにくいと思います。出てきた道は倒木以外はよく整備されていてロープが張られている場所もあります。すこし登れば「見晴エリア」という北に展望が広がる場所があります。さらに登ると「休憩エリア」ですが、ここは大師堂跡だそうで、弘法大師像の置かれていたと思われる石積みだけが残っています。本尊は大戦に供出したとありますが、金属製だったのでしょうか?さらに登ると「テンプルコース 瓶割峠へ」という標識が現れてきます。これは鐘ヶ坂で見たのと同じものですが、テンプルコースのルートはよく分かりません。そして瓶割峠に着きました。ここは西瓶割峠だそうです。登ってきた道は県道138号線のはずです。道標では北方面は奥町となっていますが、国領のことでしょうか。

西瓶割峠から東に尾根を歩くと、東瓶割峠に出ました。ここには南から道がありますが、北側にはありません。しかし峠であるからには北側にも道があったのでしょう。丹南町と春日町の標識もこちらにあります。峠には石のブロックがいくつかあって寄進者の名前が彫られており、石工の名前もあるのですが、何がここにあったのかは分かりません。東瓶割峠からは東に尾根を歩きました。特に歩きにくいことはありません。これはテンプルコースで、「高蔵寺へ」となっています。そして、はるか北から続く春日町の「分水界の径」でもあります。標識があるのは有り難いことです。テンプルコースは554mピークを南に巻いていますが、分水界の径はもちろん山頂へ行きます。このピークは奥坪山というようです。いったん黒頭峰との間の鞍部に降りると、テンプルコースは南に行ってしまいます。黒頭峰への登りはとても急な斜面で、はっきりした道もありませんが、間違いようもありません。土は崩れやすく落ち葉も滑りやすいのですが、道の跡を探して登りました。そして、黒頭山二等三角点(620.34m)のある山頂に着きました。少しだけ北に展望があり、北には佐仲峠への道もあります。

黒頭峰からは東に降りましたが、こちらは夏栗山へとなっていますが、あまり道標はありません。藪っぽいのですが、黄色とピンクのテープが目印と信じて降りていくと植林に出て、道標がありました。黒頭峰と夏栗山の間の鞍部は美しい植林です。そして北に佐仲峠への分岐があり、その東はしっかり作られた道なのですが、倒木が増えてきて、どちらに行ったら良いのか分からなくなりました。地形図の破線道は夏栗山の西で南に曲がるのですが、よくわからないので真っ直ぐに歩きました。最初は道があったのですが、そのうちに藪になりました。しかし少し登ると丹波森の径の道標があって、ここが道なのかと思って、そのまま上り詰めて夏栗山山頂に着きました。NHKの共同アンテナと金属製の見晴台がありますが、見晴台に登っても周囲の木が高すぎて景色はほとんど見えません。東は夏栗山観音菩薩となっているので行ってみると、石の祠の中に小さな石仏がありました。

夏栗山からは北東に佐仲ダムの池の北に出て佐仲峠へ行くことも考えましたが、観音菩薩から東にはほとんどマーキングがなく、地形図で北に降りている破線道も見当たりません。結局西に引き返しました。今回は地形図の破線道通りに真っ直ぐ西に降りてみました。道がありましたが、下った所で倒木で埋まっていました。その下には道があって、道標は大ケ谷となっています。この場所も倒木が多く、北に向かう道を探すのに苦労しましたが、道ははっきりしていて、北に歩けばさっき夏栗山に直進して登って地点に戻ってきました。ここから西に道を戻って、分岐から佐仲峠へ向かいました。最初は暗い植林でジメジメした谷に降りました。これは佐仲ダムに流れる水で、分水界はこの西にあります。谷を抜けると佐仲峠から黒頭峰へ向かう分水界の道に出ました。これは歩きやすく、「丹波森の径 雄岳・雌岳の径」だそうです。そして佐仲峠に着きました。お地蔵様があります。

佐仲峠には多紀連山県立自然公園の説明板があります。三尾山への道は険しくて熟練者向きとなっています。登り始めると、よく整備されていますが確かに険しい道です。熟練者向きというよりも体力のある人向きという感じで、頑張って登ると鏡峠からの尾根道と合流しました。しかしここからもかなりきつい岩場の多い登りで、遠景を見ながら登ると三尾城址のある山頂に着きました。木が少し邪魔ですが、あちこちに展望があります。山頂は平らで、気持ちの良い場所でした。ここからは曲輪のある北に降りて、中三尾(西峰)へ向かいました。登山道から登る道があるのですが、それを待たずに南から藪の斜面を登ってみました。ここも多少段差が作られている感じがしました。ここも北に展望があります。そして登山道に降りて、前三尾(東峰)へ向かいました。ちょっときつい岩の多い道を登って、展望バッチリの山頂に着きました。ここからの北の展望は最高でした(写真)。ちょっと降りたところにある「やれやれ地蔵尊」の石仏を拝んでから下山しました。この道も地形図で見ると非常に急ですが、しっかり整備されているので問題なく降りられました。谷に降りてきてからガレ石が増えて少し歩きにくくなりました。谷を降りると丸太小屋があり、2つ目の小屋の脇は山岳訓練場と書かれおり、ほぼ垂直の崖がありました。そのまま堰堤の横を通って舞鶴若狭自動車道まで降りて、その側道を歩いて国領に戻りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「宮田」です。

2018年9月26日水曜日

若桜の諸鹿から広留野高原へ

以前に若桜の諸鹿から森林鉄道を見に来見野川沿いを歩いた時に、屏風岩の東側に中国自然歩道の標識があるのに気付きました。地形図で見ると屏風岩の近くだけあってとんでもなく急な斜面(計算上ほぼ45度)を登る破線道が描かれています。あまりに急勾配なので、登ってみようと出かけてみました。高所恐怖症なので岩場の急勾配は困るのですが、航空写真で見ると林なので、滑落しても木で止まるだろうと考えました。

諸鹿の「全面通行止」を過ぎて、中国自然歩道の標識に着きました。広留野3.0kmとなっています。しかしその標識の下には紙があって「通行止 中国自然歩道 諸鹿-広留の区間(区間上部)で歩道が崩落し通行が危険な状態となっているため、この区間を通行止めとします。」と書いてあります。ビニール袋に入っていますが、かなり古いらしく右半分の地図は読めません。日付がないのでいつのものかは分かりません。区間上部と言えば勾配の最も急な所です。どうしたものかと考えましたが、歩けなくなったら戻ることにして登ってみました。ちょっと登ると「諸鹿の大岩壁と諸鹿岩」という説明板があり、さらに登りが続きます。岩の多い自然林ですが、道がしっかりしているので問題なく登れます。ただし林の中なので標高が上がっても展望は全くありません。途中から、最初はなかった緑色のケーブルが地中に埋まっていました。問題の崩落箇所ですが、途中に注意書きが登山道に落ちていました。その上部では確かにターンで道が消えていて、倒木に手をついて登る必要がありました。その後に倒木もありましたが、結局手を使わなければならなかったのはここだけで、すぐ上でガードレールが見えてきて、舗装道路に上がれました。登り始めて30分もかかっていません。

この舗装道路は鳥取県道103号線です。まずは広留の方向に歩いてみました。道は良いのですが荒れています。H22若狭町ICTという札の付いた電柱があって光ケーブルが張られていましたが、これが中国自然歩道に敷設されていたケーブルに繋がっていました。不思議なのは、広留に向かっていくとこの舗装が終わっていたことです。このあと再び舗装道路に出るまでの間は、ほぼ未舗装でした。舗装道路からの入り口は車両通行止めでロープが張られていました。この舗装道路も県道103号線ですが、丹比の方からの道と繋がっており、そちらから車で上って来られます。「広留野高原」の看板があり、中国自然歩道は扇ノ山へ向かっていました。近くの藪に金属プレートの広留四等三角点(717.64m)がありました。ここが今日の最高地点となります。

下山は、先程の舗装道路を下りました。荒れ気味と言っても舗装道路は歩き易いのですが、いきなり終わってしまいました。地形図から予想はしていましたが、終わった眼の前が岩だったので驚きました。しかし舗装の先を降りる短い階段があって、降りると道らしきものがあったので、それを歩きました。岩の下を過ぎると古い道に出てきて、これが地形図の破線道のようです。崖を削って作られた道で(写真)、今は落石や崩落がありますが、作られたときは良い道だったと思います。しばらく歩いてそろそろ地形図で再び舗装道路に近づいたと思ったあたりで、道が谷で終わっていました。谷の向こうを見ても道はないので完全に道が流されたかと思って振り向くと、道がUターンしていました。この道は勾配が少なく、歩くには広く自動車には狭いので、森林鉄道用かと思ったのですが、このターンは鉄道では難しそうです。ここからはまた西に向かって歩きました。崖を削ってあるだけでなく、石積みもあってしっかり作られています。しばらく西に歩くと再びターンがあって東に向きが変わり、しばらくほぼ水平に歩くと、コンクリートの壁が見えてきました。見上げると柵があるので道路の終端のようでした。よく見えると木の階段が作られていましたが、段の間に木が生えていて歩けません。苦労して斜面を上がると道路の終端に出ました。幅広い道ですが舗装していないため、背の高い草が茂っていて、抜けるのは大変でした。とはいえ100mも我慢すると舗装道路に出ました。ここからは舗装された県道103号線を降りましたが、大きくヘアピンにターンする所から上は通行止になっていました。あとは県道で植林を抜けて帰りました。途中に「栃の実持ち帰り禁止」の札が出ていたので、この付近では栃の実が採れることが分かりました。栗の実はたくさん落ちていましたが、全部食べられていました。栃の実は殻が硬いので食べられないのでしょう。

2時間ちょっとしか歩いてないので姫路から出かけた割には物足りないのですが、登りも下りも楽しめました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「若桜」です。

2018年9月24日月曜日

多可の道の駅から登る鳴尾山

丹波市と多可町の境界にある鳴尾山には以前にも登っていますが、今回は杉原紙の里のある多可の道の駅の東の山を歩きたかったので、道の駅から登ってみることにしました。杉原紙研究所の前を通って南に歩くと尾根の先は金網で囲まれていますが、扉がいくつかあります。両開きの扉から入るといきなり足元には溝がありますが、これを渡って急斜面の藪を登ると、尾根の裾に出ることができました。あとは植林を登りました。作業道もあって楽に350m+のピークに出ると、アシビが生えている程度で歩きやすく、北の360m+ピークに行きました。ちょっと降りると林道の終点がありましたが、林道は歩かずに次の360m+に登りました。東に降りると340m+の鞍部には南からまた林道が来ています。地形図にある実線道の続きで、東の山にも折り返して登っていましたが、これも無視してそのまま尾根で登山を続けました。やや急峻な植林を登ると、511mピークに着きました。ここもアシビが生えている植林です。北に歩くと藪っぽくなり、下島四等三角点(536.14m)がありました(写真)。さらに北に尾根を歩きましたが、ひどい藪はありません。尾根がC字型に曲がっている所は、谷を渡る必要がありました。その先も植林ですが、550m+の細長い尾根は道があるだけで特に面白くもなく、やや急な斜面を登って606mピークに出ました。ここからは2013/08/06の逆コースとなります。この地点から北に降りる所は藪で、赤テープのマーキングが無ければ降りる気にはならないでしょう。

一度歩いたと言っても、歩いたのはだいぶ前ですし、逆コースだと風景も違います。たまに上りもありますが急勾配はなく、最後に真っ直ぐの急斜面を登ると、鳴尾山山頂です。三方三等三角点(753.12m)があります。周囲にはママコナが咲いていました。ここからも前に歩いた尾根の逆コースですが、登ったときには問題ない分岐も降りるときには迷う所がいくつかありました。最後は699mピークから急斜面を降りて、鳥羽坂に着きました。文化7年のお地蔵様があります。ここからの下山も2013/08/06の逆コースなのですが、これも上りと下りでは事情が違います。木に赤と黄色のテープが巻いてあるのが登山道のマークだと思うのですが、道は消えかかっており、一つのマークから次のマークが見えない所もあって悩みました。所々に低い金属の筒が立っており、NHKの共同アンテナへのケーブルが敷設してあったのだと思います。地形図の実線道の終点から鳥羽坂に登山道があるはずなのですが、途中でマークを辿ると藪の中を降りることになりました。短気を起こして谷を降りるとガレ石や倒木に悩まされますから、これが正解だったと思います。最後は舗装された林道が見えたのですが、そこへ行くには谷を渡る必要がありました。この付近の谷には石垣が作られていました。あとは林道で下山しました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2018年9月23日日曜日

虫井神社から歩く虫井谷川上流の山

鳥取県の智頭町と八頭町の境界の山を幾つかに分けて歩いていますが、虫井谷川の上流付近は、虫井谷川を遡った時には綾木峠の方に行ってしまったので(2018/08/14)歩いていません。そこで、その残った部分を歩くことにしました。最初は、登りに2018/09/02に下山に使った尾根を、虫井谷川から登ろうと思いました。地形図には虫井谷川から西に真っ直ぐ登って行く破線道が描かれていますが、この場所に行っても橋がなく、破線道が描かれている斜面は急すぎて登れるわけがありません。虫井谷に入った所に木の橋がありますが、この付近の斜面も非常に急です。そこで結局尾根先から登ることにして、尾根先の虫井神社から登ることにしました。

実際には神社ではなく、神社の東の土砂置き場から尾根を登りました。植林で勾配も緩いので楽に登れます。しばらく登ると、大きな木が二本、石で囲まれていて、前に灯籠と思われる石が転がっていました。その後ろも石で囲まれており、虫井神社の奥の宮ではないかと思います。虫井神社はブナ林で有名と神社の説明板にあったのですが、この二本の木はブナではなく、ドングリ系の木のようでした。もちろん周囲にはブナの木もありました。

ここからは黒い蛇腹チューブと地積調査のテープに従って尾根を登りました。相変わらず歩き易いのですが、徐々に急になってきます。それでも木に捕まらなくても登れて、主尾根に出ました。ここには智頭の方向に向いたアンテナがありました。主尾根は植林で、登って行くと広くなだらかな場所に出てきました。この付近は2018/9/2に来ていますが、開放感があります。ちょっと急斜面を登ると、虫谷三等三角点(710.08m)があり、2018/9/2の逆コースを歩いて気持ちの良い尾根を抜けて、八頭町と智頭町の境の尾根まで来ました。前回は西からここに来たのですが、今回は東へ進みました。この付近は地籍調査のピンクテープが多く、道に迷うことはありません。気持ちの良い尾根を歩いて786mピークに近づくと南側が広い伐採地で、八河谷と芦津の集落が見えました。虫井神社の北股川の対岸は山の斜面が大きく崩れているのですが、その光景が良く見えました。ここから尾根は北に向かい(ピンクテープに従って降りれば目指す尾根に降りられます)、少しアシビの増えてきた尾根を歩きました。下奥四等三角点(771.47n)周囲は伐採されていて、ここでも南側に展望があります(写真)。ここからは東に尾根を歩きますが、植林が多いとはいえ自然林もあって良い感じです。710m+に上がる付近は地形図からは予想できない急斜面がありました。その後は854mピークに登る所は地形図どうりの急斜面でしたが、石英の石が多く、きれいに光っているものもあるので、それを見ながら登るとすぐに854mピークに着きました。ここは2018/08/14に来ています。

下山になりますが、まずは尾根を南に下りました。登りでは急斜面で苦労した所もありましたが、下りでも楽ではありません。2018/08/14には南の尾根から登ってきましたが、今回は尾根を真っ直ぐに西向きに降りました。ちょっと広々した場所を過ぎると少し荒れた感じにはなりますが、地籍調査のテープもあります。真っ直ぐに降り続けると、地形図どうりに林道の上に出ました。ここでもちょっと苦労して林道に降り立ち、あとは林道で虫井谷川を下りました。林道がヘアピンカーブする所は谷の奥で、ちょっとした滝がありました。この林道はあまり荒れておらず、県道6号線に戻れました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「郷原」です。

2018年9月22日土曜日

西粟倉村の影清・大滝三角点

岡山県の西粟倉村の三角点を二つ巡ってきました。1つ目は影清三角点です。これは西粟倉の道の駅から登りました。道の駅の目の前から東に入る道があって、駒の尾山登山道に行けるはずなのですが、東に入ると智頭急行のガードの手前で通行止めになっていました。この理由は後でわかりましたが、とにかく登り口はガードの手前から南の山に入って、トンネルの上の植林を登りました。すぐに林道が横切っていますが、無視して尾根を登り続けました。結局この後4回尾根を未舗装林道が横切っていました。尾根は植林がほとんどですから、特の登りにくいことはありません。作業道の名残も残っています。標高480m付近には共同アンテナの部品が落ちていました。最後は平坦になると自然林が少し増えてきて、影清四等三角点(691.05m)に着きました。南側は植林、北は自然林ですが、全体に植林の多い山です(写真)。なお影清というのは藤原景清のことのようですが、Wikipediaは西粟倉に悪七兵衛の伝説が残っていることに言及していません。

山頂からは北に尾根を歩きましたが、こちらも歩きやすく、林道が両側の下の方に見えると思ったら、尾根を横切っていました。しかし林道で下山するとどこに出るか分かりませんので、そのまま影石谷トンネルの北まで尾根を歩いて、北からトンネルの南出口に降りました。しかしどうやらこれは不正解で、トンネルの真上から谷を降りたほうが楽だったようです。トンネル出口の脇に降りて、コザイ峠を目指しました。しかし人家の手前まで来ると道が崩落していました。これが通行止めの理由でした。いつ崩落したのかは分かりませんが、早く修復されることを祈ります。

コザイ峠には2016/07/18に来ていて、その時はここから駒の尾山に登りました。今回は林道ダルガ峰線も、直進の愛の村パーク方面も通行止めでした。駒の尾山とは反対側の南の山に登ろうとしたのですが、峠付近には登れる場所がありません。東側の青野に行く道を少し降りると真砂土を採取している場所があったので、ここから尾根に上がりましたが、崩れやすい急斜面でした。峠の西側から登るのが正解だったと思います。

こちらの尾根も植林が主体で歩きやすいのですが、数箇所伐採されており、背を越える高さのススキが生えていて、非常に歩きにくくなっています。特に最初の伐採個所は急斜面なので西側の尾根に逃げました。ここを抜けて植林を歩くと、植林の中に大滝三等三角点(708.54m)がありました。この先も何箇所か伐採地があって、見晴らしは良いのですが、ススキをかき分けて抜ける必要がありました。その先の663mピークは黒山というらしく、黒山城跡のようです([1])。じっさい歩いていても地形に段差があって城跡だとピンときました。ただし石垣はありません。南に降りる尾根にも段差があります。そのまま下山しましたが、最後はまた下草の多い場所になり、峠(米ヶ乢?)の切通しは急すぎて降りられず、一旦西側の植林を降りてその下にあった林道に出てから峠の舗装道路で降りました。峠には明治30年の大日如来と掘られた石がありました。峠を横切る道は林道野井張線だそうで、西から峠まで舗装されています。これが地形図で峠を横切っている道だと思って下山していたら、実は最初に降りた林道が地形図の実線道で、野井張線はGoogleマップにはありますが地形図にはありません。真っ直ぐに降りれば西粟倉駅で、あとは373号線で道の駅まで戻りました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「坂根」「古町」です。

2018年9月5日水曜日

養父の舞狂山

養父市役所のある八鹿町の円山川をはさんだ東側に、舞狂という小さな集落があります。なんでも陰陽師と関係があるようですが、「舞い狂う」とは面白い名前です。その裏山である舞狂山に登ってみました。

登り口はもちろん舞狂です。山頂にはアンテナ群があるので舗装された保守道路が北からあるのですが、それではつまりません。BukyobashiをわざわざBukyo Bridgeと書き直した舞狂橋から集落に入り、幅の広い堰堤に向かいます。堰堤の前で西に流れを渡る橋があるのでこれを渡り、航空写真でよく見える電柱のある切り開きを目指しました。橋を通っている道は送電線の保守路ですが登っては行かないので、ススキをかき分けて電柱の方に登りました。電柱の下はそこそこ歩けますが、直射日光が暑いので脇の林の中を登りました。そのうちに荒れ果てた道があって、その後はこの道で登りました。最初はジグザグに電柱に沿って登って行きますが、そのうちに東に向かい、谷の下に出ました。荒れた谷でいつもなら避けるのですが、地形図では山頂からこの谷にジグザグに道が描かれています。ちょうどそれが終わっている付近だったので、谷を登ってみました。しばらく谷の東側を登っていたのですが、地形図の道は谷の西側に描かれていることに気が付き、探しに行くと荒れた道がありました。上手に探せば登ってきた道と繋がっているかも知れません。

地形図通りに道をジグザグに登って、山頂の道に出ました。KDDIの八鹿基地局です。山頂にはこの他に兵庫県の舞狂山中継所、養父市防災行政無線舞狂中継所、名無しのアンテナ、NHKの八鹿テレビFM中継放送所、それにドコモの舞狂無線中継所があります。金属プレートの養父頭四等三角点(381.11m)もあります。展望は木やケーブルに邪魔されますが、特に西のほうが良く見えました(写真)。今日の目的は舞狂山に登るだけではなく、東の尾根を歩くことなので、ドコモの中継所から尾根を降りました。あまり手入れの良くない植林と自然林が混ざった尾根ですが、歩きにくくはありません。木が邪魔ですが、北にも南にも円山川が見えます。一箇所だけ尾根上に大きな岩があって登るのに苦労した所がありました。それを越えると切り開かれたピークに金属パイプが転がっていました。共同アンテナの跡でしょうか。そこから東に同じような尾根を歩き、472mピークを過ぎ、さらにしばらく歩いて江波三等三角点(508.07m)に着きました。ほぼ藪の中です。さらに東に522mピークまで行き、少し北寄りに植林を抜けました。その先は東の峠に降りたのですが、ここは急斜面を降りる必要があります。マーキングや杭はあるのでなんとなく方向は分かりましたが、真東に降りる必要があります。

峠には地形図では破線道が描かれていますが、形跡がありません。しかし南側の谷は植林なので苦労せずに降りられました。枝や石を避けながら降りていくと石積みがあって、道のようでした。最初は石積みのどちら側が道か分からないくらいだったのですが、徐々に道らしくなりました。この付近は谷の奥の割には石積みが多く、斜面にもあるので耕作地とは考えにくいのですが、かなり人の手の入った谷です。細い踏み跡を降りていくと、地形図にもある砂利道の林道に出ました。車が通れないような崩落もありますが、歩くには問題なく、泉光寺の脇の害獣避け扉に着きました。あとは大藪(あまり歩きたくない地名ですが)を抜けて舞狂へ戻りました。大藪も城跡や古墳群があって面白そうな所です。

名前や集落の歴史から、もっと謎めいた山であってほしかったのですが、アンテナ群がすべての歴史を消し去った感じがしました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「八鹿」です。

2018年9月2日日曜日

智頭町浅見の北の山

数日前に智頭町の北股川沿いにある西野の集落から北に峠道を辿りました。その時に浅見に下山した尾根が気持ちよかったので、今回も同じ付近を歩いてみました。登り口は浅見を流れる浅見谷川です。前に下山に使ったのは谷の西側の主尾根ですが、今回は主尾根の東側の支尾根を登りました。谷川を歩いていくと、道路は川の東側に渡りますが、西側の尾根の先端の下に「浅見本谷まぶ」という説明板があります。まぶ(間府)とは鉱山の跡のことだそうで、100年ほど前に掘られたが、利益の出る鉱物は出なかったと書いてあります。この坑道入口の上から登り始めました。最初は非常に急ですが、植林の作業道の跡を探して登ると、意外と楽に登れました。それから長く植林を登りましたが、途中から自然林に変わり、最後は急斜面を標高差150mほど登ると、754mピークに出ました。前回も来ているピークで、北側は植林です。

今日は754mピークから北に降りました。こちらも植林が続きますが、たまに自然林もあります。気持ち良い尾根道です。西側から中電の巡視路が登ってきて、八東大内線41鉄塔に着きました。1系統にしては高い鉄塔です。尾根の東斜面に立っているので、東に展望があります。この付近に落ちている石は全て石英で、露出している岩も石英でした。西側下には林道が見えていました。鉄塔から植林を歩いて、790m+地点まで来ると、北に展望が開けます。そして尾根を東に曲がって、スリムだが背の高い八東大内線39鉄塔では南北に展望が開けます。鳥取放牧場の風力発電の風車、鳥取と日本海が見えます。鉄塔の周囲は広く伐採されているため、東に歩くには生い茂ったシダの原っぱを抜ける必要があります。そして797mピークに出ると、南側が伐採地となっています。もちろん展望があります。伐採地と言うのは木が生えてないという意味なのですが、周囲は植林ではなく自然林なので、なぜ木が無いのかよく分かりません。低く灌木がネマガリダケのように地を這うように生えています。尾根上も草がなく、砂地になっています。そして東に少し降りると、また木の生えてない場所に出てきました。ここには北側に大きめのお地蔵様が鳥取の方向を向いて立っています(写真)。かなり風化してお顔はほとんどわからないのですが、文字は頑張れば少し判読できるかも知れません。確かにこの鞍部は浅見谷川のつきあたりで、大江経由で鳥取に行くなら最短の峠です。しかし峠の両側も急斜面で、北側はシダが茂っており南側は砂地の斜面です。道と思えるものはありません。展望が南北ともに素晴らしい場所です。

峠から東に登って尾根を歩き、地籍調査のピンクテープだらけの分岐点から南に曲がりました。ここは地形図では破線道が描かれていますが、植林の中の道です。特に整備されていなくても歩きやすくてどんどん歩けました。暗い植林ですが、森林浴と言ってしまえば良い気分になれます。たまには自然林もあります。しばらく歩くと切り開きがあって、虫谷三等三角点(710.08m)に出ました。この南は最初は狭い尾根ですが、少し下ると広い尾根になって方向が分かりません。ここでは地形図にある林道を見つける予定だったのですが、なんとなく尾根があるので下っていくと、南に向かう尾根でした。これはそのまま歩き続ければ浅見に出られるのですが、浅見谷川の上流を見るのも目的の一つだったので、611mピークのちょっと北で西に枝尾根を見つけたので迷わずに降りました。下っていくと、予想どうりに林道の終点に出られました。ここからは林道を北に歩き、もう一本の林道と合流して南に浅見谷川沿いに降りました。途中には「通称」として谷の名前が書かれた杭があって、「かつら谷」「大木炭」「つえ谷」などがありました。未舗装ですが良い道だと思って歩いていたのですが、舗装になった付近で土石流で道が流されており、アスファルトの路面がデコボコになっていました。そこを過ぎると三の滝、二の滝と小振りですが美しい滝がありました。この谷川の滝は浅見谷川の本流にあるので、谷を登って見に行く必要はありません。最後は一の滝(浅見の滝)です。三段に分かれた大きな滝ですが木の枝に隠されてよく見えません。森林浴に適した谷なのですが、もう少し手入れが必要なようです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「郷原」です。