2020年8月29日土曜日

智頭町の惣地から富沢三角点

 


これは智頭の篭山の西の山並みですが、篭山からは笹薮で行きづらそうだったので、惣地から登ってみました。惣地から豊乗寺の方へ歩くと「新西国八十八ケ所参道」がありました。これはラッキーで、参道で植林を登り始めました。点々と石仏がありますが、そのうちに豊乗寺の奥の院への参道と一緒になります。そして奥の院に着きました。ガラス窓ですがなかなか形の良いお堂です。お堂の後ろには五輪塔もあります。山歩きはその背後から植林に入って行きます。歩きやすい植林がずっと続き、しかもなだらかに登っていくので疲れません。421mピークから西へ尾根を歩くと林道の終点がありました。そしてさらにゆるやかに登っていって、少し笹藪っぽくなって、口波多四等三角点(473.07m)に着きました。


ここまでは緩い尾根歩きでしたが、ここからは本格的な登山になります。と言っても、まず少し戻ってから北の峠に降りました。地形図で破線道が通っている場所には道はありませんが、通れそうな感じでした。北に植林を登っていきましたが、踏み跡というか作業道があって、勾配も緩く、ここからも楽な植林歩きでした。ゆるゆると広い尾根を北に、西に、また北に歩いて、金属プレートの富沢四等三角点(571.42m)に着きました。さらにゆるやかに北に曲がりながら歩きました。618m地点の手前は少し急斜面でしたが、作業道があるので割と楽でした。その先も急にはなってきますが作業道があります。さらに720m+に上がる所は非常に急で、足元は割と良いので真っ直ぐにも登れそうでしたが、作業道を歩いていくと西側を巻いていきました。最後は急斜面をちょっとだけ登って尾根に上がると、ここからは植生がだいぶ変わりました。笹が増えてきて、しかも登るにつれて背も高くなり、密度も増します。尾根の勾配はたいしたことはなく、踏み跡もありますが、背より高いチシマザサをかき分けなければなりません。やっと主尾根に達し(というかこの尾根が曲がって主尾根になるのですが)、尾根の北側にある踏み跡を笹をかき分けながら進みました。標高800mを越えた付近で尾根に出ると、南の方角に展望があり、惣地が見えましたました(写真)。


この先さらに尾根を西に行っても笹薮のようだったので、ここで引き返すことにしました。尾根の北側の踏み跡をたどると、笹薮をかきわければそのまま734mの鞍部に降りられそうでしたが、降りても南の谷の破線道はいかにも怪しそうだったので、登ってきた尾根に戻って下りました。下っていくと笹がだんだん低く、疎になっていくので嬉しくなりました。登りで通った720m+地点を真っ直ぐ、東向きに進み、さらに南に植林を降りました。この付近はずっと植林ですが、木が若いのか下草が多い感じがしました。しかし植林ですので、問題なく降りられて、尾根を下っていくと林道に出会いました。下山の方向はわかりやすく、路面も石は少なくて楽に歩けました。「森林作業道惣地大谷上線」だそうです。そのうちに谷川沿いの林道と合流しました。谷の林道はこの上も続いていました。あとは川沿いに降りました。堰堤がいくつもありました。惣地の集落を抜けて、出発点に戻りました。後から、2018/06/03に篭山に登った時に下山した道だということに気付きました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「智頭」です。



2020年8月26日水曜日

岩屋観音から法道寺山

 


岩津の岩屋観音は、舗装道路ができているので車で行けますし駐車場もあります。しかし古来からの参道もあるはずで、まずそれを歩きました。観音川に沿った舗装道路には点々と石仏が置かれており、これが参道だったことがわかります。途中の害獣避けの扉には「旧参道 土砂崩れあり 通行できません。」と書いてありますが、土砂崩れ程度ならと思って行くことにしました。車道(森林管理道 岩屋観音線)がターンして登り始める所をまっすぐ行けば川沿いの旧参道で、所々に石仏が置かれています。七丁を過ぎるとトイレがあり、「二十二番岩屋山鷲原寺」の道標があって山門があります。山門の中に願かけ地蔵があります。ここからは石仏の置かれている登山道です。石の階段があります。右手の水流は岩盤をなめるようになります。流石に古来の参道でよく整備されていて、楽に歩けます。土砂崩れも見当たりません。一番危ないのは、最後に舗装道路が横に来て参道を圧迫し、参道が非常に細くなっている箇所で、これは土砂崩れというよりも人災ですので早急に手入れしてほしいと思います。岩屋山観音堂は、長い急な階段の上です(巻道もあります)。ご本尊の石仏はこの日は見られないので、隣のお堂にお参りしました。


岩屋観音には「行者岳まで2000M」と道標があります。そして「行者岳 遊歩道」へ向かいましたが、これは遊歩道と言うには厳しい道でした。ところどころ階段もありますが、石が多くて歩きやすい道ではなく、滑りやすいところもあります。送電線が近くにないのに赤い「火の用心」が立っています。これとピンクのマーキングで道がわかりますが、気をつけないと迷う可能性もあります。地形図の破線道とは違っており、特に後半はどんどん東に行ってしまうので悩みましたが、石の階段があるので昔からこれが道なのでしょう。最後には植林の中に道標があって、行者岳登山口3.7km 2時間15分だそうです。そしてすぐに稜線に出ました。近くには錆びたドラム缶があります。


この稜線は2018/12/10に通ってます。ちょっと東に歩くと、2012/10/27に南から来た尾根があって、それを今回は登ったり下ったりしながら南に歩きました。769mピークは迷いやすくて、壊れかけた地積図根三角点がありますがその前を降りると間違いで、単にピークを通り過ぎるのが正解でした。以前あった地籍調査のテープはありません。少しアシビが生えていますが、それ以外はとても歩きやすい尾根でした。806.4mピーク(法道寺山)の手前は急斜面で、まっすぐは登れず少し東側の尾根に回りました。山頂には上生野二等三角点(806.38m)がありますが展望はありません(写真)。さらに、南西に曲がって植林を歩きました。地形図では710m+の鞍部には南から破線道が描かれていますが、上からは倒木のある植林の中の谷が見えるだけでした。そして、国土調査の金属プレートのある730m+ピークを越えて、690m+から北に下山することにしました。


この北に向かう尾根は、地形図で見るとやや急斜面がありますが、なだらかな下りに見えます。ところが実際はまず2つピークがあり、上りも下りも急斜面の岩の塊のようで、越えるのに苦労しました。北側に巻道があるようなのですが、消えかけています。藪っぽく灌木が邪魔で、足元は急で滑りやすく、最悪の尾根です。地形図の正確さを疑いました。楽な方向に降りると進路が制限されるため、方向も間違え気味で、何回かトラバースしました。標高550m付近からはネットがあり、この付近から少し歩きやすいのですが、543mピークが大岩で、ネットはここで東側に降りて行きました。大岩をよじ登って降りる自信がなかったので、ネットに沿って東側に降りて、大岩を巻きました。しかし急斜面で滑落しそうでしたし、途中でマムシを踏みそうになりました。ここを過ぎると滑りやすい急斜面となり、なんとか降りると岩はありますが植林でだいぶ楽になりました。しかし下草が多く、降りていくとシダが増えてきました。そして最後はまた滑りやすい急斜面を降りなければなりません。真っ直ぐ降りると道路の急な法面に出てしまうので、東に寄って谷沿いの破線道に降りました。何度か転びましたが、降りられました。ここはむしろ西側の谷の方に降りたほうが楽だったかも知れません。


下山は、2020/08/12に通った尾根で降りるのが正解です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「但馬新井」です。



2020年8月22日土曜日

穴裏峠から蓮根峠

 


これらの峠は丹波市青垣町と福知山市の境界の尾根にあります。この尾根は日本分水嶺です。まず穴裏峠に行ってみました。ここを通る県道109号線は、北西の榎峠を通る国道429号線にトンネルができるまでは、丹波市から福知山市に抜けるメインルートになっているようで、しょっちゅう車が通ります。東芦田から車を避けながら登っていくと、最初に目につくのは「安全は自分で守れ自分のため」と書かれた廃墟になった建物で、道路の反対側にはやはり廃墟の事務所と、山の裾にコンクリートの建造物があります。どうやらこれらはこの奥にある採石場を経営していた会社のものらしいのですが、夜逃げ同然の状態になっています。それはさておき、その先にはお地蔵様と「護美無大明神」と書かれた赤い鳥居などがあり、さらに登っていくと「穴の浦峠開通記念碑」が立っています。採石場への分岐付近には「水源かん養保安林」の看板があり、この県道は「上小田成松中線」、この付近は「字亀房」です。トンネルの北が「字奥山」で、もっと北が「字穴ノ浦」です。足元には石の道標があり、南無地蔵大菩薩の左が「ふくち」、右は「やまみち」のようです。ということは、昔からここに峠道があったということになります。トンネルに着くと、額では名前は「穴の浦隧道」です。地形図によるとこの上が穴裏峠なので、旧道を探しましたが、急斜面の植林で道がありそうな気配はありません。とりあえずトンネルの北側から植林を登りました。作業道の名残がありますが、まっすぐに登るのは無理で、斜めの道を探しました。最初はトンネルの上は石が落ちると困ると思って避けていましたが、だんだんそうもいかなくなり、結局南にトラバースして小さな尾根に出てから稜線に上がりました。危険過ぎです。


分水嶺の稜線は両側か一方側が植林で、倒木がある程度で楽に歩けます。最初は399mピークに向かって登りで、登ると共同アンテナの残骸がありました。そして北の鞍部に降りると穴の浦峠の道標がありました。東が奥榎原、西が東芦田、北は蓮根峠、南はクロイシ山です。この鞍部は西に降りると現在は堰堤のあるる谷になります。穴の浦隧道の上は鞍部ではないので峠の訳はないと思っていましたが、ここなら納得できます。しかしそうなると、県道で見た道標は何だったのかが謎です。ひょっとするともう一つ尾根越えの道が、例えば県道のカーブの堰堤の谷にでもあったのかも知れません。この穴裏峠の西側の谷も急斜面ですが、峠には亨保17年の「道造供養塔」があり、江戸時代の道路工事でも死者が出たようです(写真)。


穴裏峠から少し北に登ると平坦地があり、現在は撤去された鉄塔(現時点ではまだ地形図にのっている)の跡のようです。ここからしばらくは作業道があったので辿りましたが、結果として440m+のピークは東側を巻いてしまいました。尾根に戻ると、たまに倒木が邪魔な程度で歩きやすい尾根です。標石ごとに紅白の測量ポールが置かれています。452mピーク付近から西に曲がって、降りると地形図では破線道がありますが、見つかりません。鞍部には道があってもよさそうでしたが、地形図の破線道はなぜか少し登った所に描かれています。ここにも道はありません。アップダウンしながら467mピークからやや急な斜面を降ります。この付近は倒木の数が増えたような気がしますが、下草はほとんど生えていません。


蓮根峠は、たいへんに気合の入った深い切通しになっています。両側に道があるようです。道標やお地蔵様を探しましたが、ありません。切通しを作る時に土と一緒に捨てられたのではないかと気になりました。ここから南にも降りられそうでしたが、再び西の植林に登って分水嶺を歩きました。ちょっと登るとアルミ製のはしごが落ちていましたが、持ち帰るには重そうでした。植林を南西に歩いて410m+ピークまで行き、ここで分水嶺に別れを告げて南の尾根に進みました。418mピークを過ぎて、次の410m+ピークには道標がありました。「塩久峠 分水界 蓮根峠」と書いてあります。これは北に歩けばそうなるという意味だと思いますが、ここが分水界と誤解されそうです。南向きに「城の丸へごりんかん」と書いてあって、よく分かりませんが整備された道があるのかと期待しました。そのまま南に歩くと標高400m付近がやや急な登りとなり、平坦になってきて、472mピークの手前のピークまで来ました。なんの道標もないので、ここから東に降りることにしました。この尾根は地形図で見ても割となだらかで、実際に切り開きもあって歩きやすい尾根でした。目標は東の山神社だったのですが、気がついたら一つ北の尾根を降りていました。これは最後は少し急斜面になりましたが、植林なので北に見えていた林道に降りられました。林道を歩いていくと害獣避けの扉があって抜けられたので、この下山はいちおう正解でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆ 最初の斜面は除く

地形図は「福知山西部」です。



2020年8月19日水曜日

辻から登る弥十郎ヶ嶽

 


丹波篠山のには2019/03/09に畑市から登りましたが、今回は辻から登ってみました。篠山市林道鶴沢線に入り、害獣避けの扉を通ると稲荷神社があり、ここに四本杉があります。四本杉と言っても杉は一本で、4本に分かれている巨大な杉です(写真)。ここからも林道を歩きました。鶴沢谷堰堤を過ぎて、地形図で破線道が谷を渡っている付近で西に渡り、地形図通りに急斜面を登りました。踏み跡はよくわからなかったのですが、岩も適当にあって意外と登りやすい斜面でした。休みながら登ると徐々になだらかになり、北の谷のほうから林道も来て、573m地点に着きました。畑市方面からの道もあります。


ここからはひたすら山頂に向かって登りました。割と緩い尾根なので疲れずに登れます。途中に畑市への道標がありましたが、地面に落ちていたのでどちら方面かは分かりません。多分573m地点の方向でしょう。740m+の尾根に上がると道標があり、さらに西側の谷が尾根に接している場所が前回畑市から洞窟経由で登ってきた登山道との合流点です。そして、弥十郎ヶ嶽の山頂に着きました。弥十郎ケ岳二等三角点(715.03m)があります。篠山市街方面の展望は木が伸びてイマイチです。


今回はここから縦走しました。前回同様に南に尾根を歩きます。道があり、途中で篭坊(下山)の道標から斜面を降りて、さらに道を歩きました。道が良いので歩きやすく助かりました。665mピークに着き、次の660m+で北東に曲がる所には山頂への道標がありました。その北東に向かう尾根には北側に尾根の登山道と並行して林道があり、次の谷で終わっていました。林道が尾根を横切ることは無いようです。林道の終点の所には、西が「弥十郎ヶ嶽山頂」東が「後川新田 原」南が「篭坊」北が「辻 集落」という道標がありました。東に向かいましたが、「農文塾」の道標のある道が次の640m+ピークを巻いているのかどうか分からなかったので、640m+ピークに登りました。植林のピークで風にあたって降りてくると、ちゃんと道が巻いていました。この先の地形図で破線道が南から来ている尾根を過ぎると「農文塾(げざん)」という道標が植林の谷の方向にありました。


ここからは登山道ではありませんが、尾根道があります。次の720m+の細長ピークに登るところも道があって斜面を急登する必要はありません。この尾根を歩いて北の723mピークに着くと、「丈山北峰」とか「シドロ北峰」という標識があり、標高もマチマチでした。岩のある斜面を降りて、さらに北の尾根にも道があり、快適に歩けます。そしてここも岩のある663m地点から北に降ります。その先は地形図でも幅広い急斜面で難所だと思っていましたが、じっさいに道がわからなくなりました。よく見るとマーキングや頭の赤い杭があって、それを探して降りて行きました。滑りやすい斜面で、灌木に掴まれる所を降りました。降りると道があって、また軽快に歩けました。飛曽四等三角点(478.81m)からは、東側の谷が少しだけ見下ろせました。


この先も道はありますが、倒木が増えて歩きにくくなりました。道を歩いたり外して尾根を歩いたりしながら小さなピークを越えていきますが、藪っぽいので方向確認が常に必要でした。そして403mピークに出たら間違えずに西に降りて、藪っぽい尾根を北に降りると、「本郭」への道標がありました。これに従って歩いていくと、東山城跡に着きました。戦国時代前期に波々伯部氏(ほうかべし)によって築かれた城だそうです。石垣などはありませんが、堅堀、堀切、土塁、郭などが広い山頂に作られています。さらに北に尾根を降りようかと思ったのですが、出発点に戻りやすいように引き返して谷の登山道を降りました。後で地図を見ると城跡から真っ直ぐに降りてくる道もあったようです。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「福住」です。



2020年8月16日日曜日

作畑から登る黒尾三角点

 


山の上の美しい植林で涼みたいと思って、思いついたのが神河町の黒尾三角点でした。北から登ったことはありますが(2013/08/08と2020/05/30)南の作畑から登ったことはないので、行ってみました。作畑から県道367岩屋生野線で昔の番所の跡を通って白口の方へ歩きました。峠までの半分ほども歩くと、地形図では北に破線道が尾根を登って行っています。実際には谷に入る道しかありませんが、植林の尾根が幅広く伐採されているので登ってみました。かなりの急勾配を一直線に登るのですが、足元が良いので問題なく登れれます。美しい植林で来たかいがありました(写真)が、急勾配を登り続けなければなりません。20分も登ると主尾根に上がれました。西から北に林道が来ています。風が涼しく、目的を達した気分になりました。


ここから黒尾三角点までは2013/08/08に歩いています。いきなり藪っぽい細尾根になりますが(ちょっと北側の展望があります)、また美しい植林に戻り、713mピークを過ぎて気持ちよく歩けました。700m+ピークから北に曲がって、次の700m+ピークは道が南側あったので巻いてしまいました。地形図では破線道が南北に通っていますが、形跡がありません。しかし南に降りる尾根は植林なので、歩けると思います。その東の尾根はシダも倒木も増えますが、それを抜けると歩きやすい植林に戻り、さらにアセビの間を抜けるとシダに囲まれた黒尾三等三角点(805.54m)でした。


三角点からは南に尾根を歩きました。標高で約50mほど植林を降りると林道の終点がありました。ここから南の尾根に林道を歩きました。そのため760m+ピークは巻いてしまいました。その南の750m+の植林で一休みしました。最初の計画では三角点に戻って東に行って林道で降りるつもりだったのですが、標高差50mを登るよりもせっかくある林道で降りてみようと思いました。この林道はしっかりと作られていて、崩れている箇所はありませんが、灌木がたくさん生えていて、それをかき分けて降りました。林道なので真っ直ぐに降りてくれる訳ではなく、水平に進んではターンして少し下がるという感じで、それでもだんだんと降りて行きました。最後は小さい尾根に出てきたので、そのまま尾根を降りたのですが、ここはしっかり林道を探すべきだったと思います。というのは、尾根の先の急斜面を降りると下は小川で、その向こうには金網があるからです。金網に沿ってウロウロして、扉を見つけて水田に出ました。


2時間半ほどで一周しましたが、植林で涼むことができました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「生野」です。



2020年8月14日金曜日

用瀬の別府・大谷・杣ケ谷三角点

 


これは用瀬の西、佐治川の南に連なる山並みです。西にどこまででも歩けてしまいそうですが、今回は三角点を3つ歩きました。出発点は下古用瀬です。Street Viewでがけ崩れ防止コンクリートの脇に階段を見つけました。ここから登ると最初は藪の急斜面ですが、足場の岩が良い具合で楽に登れて、藪っぽい道らしきものに繋がっています。それを歩いていくと、分岐のある用瀬線5鉄塔がありました。このルートは明らかに巡視路ではないので正しい巡視路があるはずですが、帰りに道路際を見ても見つからず、ひょっとすると民家の奥のコンクリートの切れた先にあるのかも知れません。4鉄塔への道の分岐は少し西に歩いたところにありました。


ここからは巡視路なので、まったく問題なく歩けました。尾根を歩くと佐治線39鉄塔です。この次の38鉄塔は尾根上にはないので巡視路は枝分かれしていますが、枝分かれ地点に別府三等三角点(261.01m)があります。道の脇にあるのですが、草に埋まっていて見落としそうでした。次の佐治線37鉄塔は尾根上にあり、佐治川方面が見えます。ここから272mピークを通りますが、平坦地が大きく城跡でもおかしくないと思ったら、松茸尾城だそうです([1])。その西には地籍図根三角点があります。36鉄塔へ巡視路は280m+ピークから北の植林に降りていきますが、尾根道はこのピークの南を巻いています。巡視路でなくなったからといって道が悪くなるわけではなく、ちょっと藪っぽくなった程度で、まだまだ軽快に歩けました。374mピークの手前には再び地籍図根三角点があり、374mピーク付近からはしばらく植林です。このルートでは標高差500m以上を登りますが、長いルートなのであまり急勾配はなく、少しずつ登ります。それでも標高450mや550mに上がる付近は、やや急坂でした。そして金属プレートの大谷四等三角点(571.05m)は道の真ん中にありますが、道と言っても草が生えています。(写真)


三角点から西に下ると、尾根が広くてわかりづらくなります。基本は北側斜面に沿って歩いて行けばよいのですが、地形図ではわからない上り下りが意外と多く、やっと587m地点に着きました。この付近から見えているのは佐治天文台の付近でしょうか?西に尾根を降りていくと、南に伐採地が見えました。林道が作られており、真っ直ぐ南には舗装された林道も見えます。ここで下山するのも楽そうでしたが、元気を出して、目の前の少し岩のあるピークを登りました。600m+ピークから南に歩いて、610m+ピーク付近は広々しています。その先の道の真ん中に、杣ケ谷四等三角点(608.08m)がありました。南に尾根を降りて、その先で南東向きの尾根に進みました。降りるにつれて笹が増えてきます。最後は少し北寄りにシフトして植林に入り、そこから背の高い笹薮を抜けて舗装された林道に出ました。「緑資源幹線林道 若桜・江府線」だそうです。若桜から江府まで68kmという遠大な林道計画の一部が開通しています。とても良い道で、車も来ないので楽に歩けました。なぜStreet Viewがないのか不思議です。これを2.5km歩くと別の道に合流し、東に峠越えになります。峠にはお地蔵様が置かれていました。そのあとも家奥の集落を抜けて出発点に帰りました。


行きは山を歩いて4時間、帰りは林道で2時間でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「用瀬」「智頭」です。



2020年8月12日水曜日

朝来市岩津の露畑三角点

 


2020/07/19に釜床山に登った時に歩いた尾根を、北から登れないかと思い立って行ってみました。生野を越えて上岩津から観音川に沿って少し入った上岩津農村公園のところから歩き始めました。農道を歩いて行くと扉があり、それを抜けると荒れた林道になります。南向きには赤い「火の用心」がありますが、林道は谷の奥に向かっています。しばらく歩くと滝があり水が岩盤を流れ落ちています。林道はここで終わりと思って北側の斜面を上がると道がありました。林道とは言えそうもないのですが、間違いなく道で、谷奥へ向かっていました。これは好都合なので、この道をとことん歩くことにしました。滝の上に出ても道は続いています。何度か流れを渡り、消えかかりますが、意外と続きます。マーキングがたまにありますが、この道を示しているのかどうかは不明でした。暗い谷で、倒木がたくさんあります。恐れていたのはヒルですが、食いつかれずにすみました。谷の奥の奥で道が消えたので北側斜面を上がると、また道がありました。この道はすぐに消えましたが、ちょっと斜面を上がるとなだらかな場所に出ました。ここから北の支尾根に上がって、尾根歩きとなりました。


尾根を真っ直ぐに標高差150mを登りました。歩きやすい尾根で、登るにつれて良い雰囲気の林になりました。途中に体重計のような平たい石があったのですが、ひょっとすると2020/07/19にも見たような、水平道の途中に置かれた石仏の台座かも知れません。さらに登ると平らになって、560m+ピークに着きました。ここからは楽な主尾根歩きですが、登ってきた方向の先(東側)には小ピークがあり、そちらに行きそうになりました。方向を修正して、2009/08/07と同じコースで北に尾根を降りて、560m+ピークまで行きました。地形図ではここから北西に破線道がありますが、谷道であまり信用できないので東に向かいました。特に何もない580m+ピークで北に曲がって降りていくと、金属プレートの露畑四等三角点(555.44m)に着きました。尖ったピークで伐採してありますが、木が邪魔で展望はありません(写真)。


下山は三角点から北に降りました。この尾根は歩きやすく、道はありませんがお馴染みの頭の赤い白の杭もあります。尾根上には切り開きもあって、一気に尾根の先端まで降りました。その先は周囲全部急斜面でしたが、慎重に東側の谷に降りました。谷には江戸時代前期から中期の墓石のある墓地があり、橋を渡って扉を開けると鷲原寺の前の公園に出てきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「但馬新井」です。



2020年8月10日月曜日

八頭町下野の大熊三角点

 


厳密には用瀬町赤波との境界にある三角点です。この大江川西側の山並みは尾根に沿って舗装された林道があるため、あまり登ろうという気にならないのですが、登りやすそうなのに登らないのももったいないと思って行ってみました。登り口は橋本で、「橋本生活改善センター」の北に墓所があります。金柵があるのですが扉があって植林に入れました。最初は下草だらけの植林、それから倒木の多い自然林になりますが、なんとなく道があります。勾配は緩く、楽に登っていけました。一番邪魔なのは蜘蛛の巣でした。途中で北側すぐ下に林道が見えましたが、航空写真にもあるようにこの尾根の北の谷の奥には林道が作られています。


あまり疲れずに舗装された林道に出ました。「ふるさと林道 下野赤波線」という名前でしょうか。山側の人工的な法面は登れないので、少し北に行ってから斜面を登って植林に入りました。林道から目的の三角点まで、まだ標高差が200mあります。ここからはきれいな植林歩きと思っていると、すぐに藪になりました。これはやや手強い藪ですが、左右に歩きやすそうな所を探して歩いていると、尾根を横切る古い道がありました。これを横切って登っていくと、また尾根を横切る古い道があって、これは分岐して尾根の東側を登って行きました。しかしそれについて行くと藪なので、ちょっと西側に出ると植林に出ました。これも長くは続かなかったのですが、600m+ピークに上がり、さらに尾根を辿っていくと、いきなり深い切通しがありました。ここで太い道が尾根を西に横切っているのですが、西に行ってその先はありません。この様子は航空写真でも見ることができます。切通しの南側を登って藪を通って歩くと、林道がありました。しかし三角点は西の方なので、斜面を登りました。大熊三等三角点(624.7m)は雰囲気の良い自然林です。この日は西から風が強く、爽快な場所でした。


三角点から林道に降りて、そのまま下野赤波線まで下りました。この林道も航空写真に見えています。この付近は下野赤波線から下にも林道がたくさん作られていますが、それを歩いて降りると時間がかかりそうだったので、下野赤波線を北に歩いて、カーブミラーのところから尾根を降りました。ここにも道があって、南側の谷の方に降りて行っていましたが、それも予定と違うので藪を抜けて尾根を降り続けました。踏み跡もあって歩きにくくはないのですが、それでも藪っぽい尾根でした。480m地点から少し歩きやすくなりましたが、植林ではありません。そして植林が見えてきたのが標高300m付近で、ここで西側下に林道が見えました。この先は297mピークを通って尾根先まで行くつもりでしたが、あまり軽快に降りられる尾根ではなかったので、林道で降りることにしました。しかし林道の問題点は分岐に出るとどちらに行ったらよいのか分からないことで、何度か試行錯誤してやっと谷に降りられました。


あまり特徴のない山ですが、林道で登り降りできることが分かりました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「用瀬」「智頭」「因幡郡家」です。



2020年8月8日土曜日

一宮から島田・安黒三角点

 


宍粟市山崎と一宮の東側の尾根には関西電力の山崎実験センターがあります。北からこれを目掛けて登ってみました。登り口は安黒共同墓地の北側の林道ゲートです。ゲートを抜けてすぐ南側の斜面を登って墓地の裏に出ると平坦な植林です。これを抜けて正面の尾根を登り始めました。最初は緩やかですが、地形図でもわかるようにだんだんと勾配がきつくなります。標高400m付近になると急斜面ですが、踏み跡があって楽に登れます。岩が増えてきますが、土は崩れて滑りやすいので注意が必要です。そして少し藪っぽくなると倒れたネットがあって、山崎智頭線三鉄塔がありました。送電線は南から西にぐるっと大きく曲がっています。地形図にある播磨北線から山崎智頭線への送電線はありません。


ここからは関電の巡視路なのですが、巡視路は590m+ピークの下で東西に分かれます。ですがここは真っ直ぐに斜面を登って590m+に登り、それから東に尾根を歩きました。巡視路は580m+の鞍部で合流しましたが、巡視路の方向は倒木地帯なので真っ直ぐ上がって正解だったようです。坂を登ると島田四等三角点(614.67m)があります。座って休むのに良い岩があります。ここから南に尾根を下って鉄塔を見に行きました。ここも巡視路です。この鉄塔は地形図でも航空写真でも南から来た送電線の終点になっており、どうなっているのか不思議でした。鉄塔はやや低めで、確かに送電線はここで終わっていました。普通の送電線は2回線なら6本(1本は実際には6本の電線からなる)あるのですが、5本のしかなく、4本は碍子の端で終わっていて、その先は繋がっていません。南側の一番下だけは碍子の数も異なり電線の数が4本で(他は6本)、鉄塔本体に繋がっているようでした。鉄塔には番号を表示したプレートもなく、電力を送るためには使われていないようです。よく調べると谷の南側にも3つの鉄塔があって、その先は終わっています。黒いプラ階段は南に斜面を下って続いていましたが、実験センターに入っていきそうだったので、三角点に戻って東に尾根を歩くと、山崎智頭線ニ鉄塔に出ました。。


さらに東に尾根を登りました。自然林ですが「武庫ノ台」の標石を久しぶりに見ました。少し登ると播磨北線ニ鉄塔があります。周囲は広く草地になっていて、鹿が草を食べていました(写真)。実験センターも見えます。主尾根に上がると植林です。ここは2012/07/08に歩いています。その時には藪で苦労していますが、今回はなるべく踏み跡を辿ってみると、多少の倒木がある程度でした。しかし729.4mピークはシダと灌木の藪です。入っていけますが三角点は黄色いポールのさらに奥にあって、金属プレートの安黒四等三角点(729.4m)はイバラの中に埋もれているので探すのに苦労しました。


ここから北西に尾根を降りるつもりだったのですが、降りていった方向は藪で、抜けるのは大変でした。頭の周りをハチだかアブだかがブンブンと飛び回っており、判断力を鈍らせました。なんとか降りて山崎智頭線四鉄塔にたどり着きました。しかしここからも下り方向に道はなく、藪を降りました。鉄塔の周囲の倒れたネットを過ぎて、尾根がもっと南なのに気づき、藪をこいでそちらに行くと、少し掘られた道がありました。おそらく三角点の手前で関電の「火の用心」に従えば、こちらに出てこられたのではないでしょうか。この道は尾根に作られており、古くて荒れているものの途切れることはなく、とても助かりました。かなり長い尾根をこの道で降りました。408mピークに上がるところでは、真っ直ぐ上がっていく道もあるようだったのですが、すぐに途切れているようなので、道に従って南側を巻きました。これは巻道というよりは谷道で、何度か丸太の橋を渡り、最後は林道に出ました。堰堤を通って、最初に抜けたゲートに戻りました。この下山は正解でした。


この付近の地図が林道のゲートの前にあり、読みにくいのですが、登っていった付近は湯の郷、降りてきた付近一帯は池岩と呼ばれているようです。降りてきた尾根には「牛ケ首」という面白い場所(岩?)があるようですが、この地図から場所を特定するのは困難でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」です。



2020年8月5日水曜日

若桜の小平谷三角点

 


これは若桜の街の北側、角谷川と屋堂羅川に挟まれた山並みです。登り口は八東川を渡って赤松団地を過ぎた東側です。金網などはないので、草むらを抜けて植林に入り、倒木や下草を避けながら急斜面を登って尾根に上がりました。登ってしまえば歩きやすく、少し歩くと一旦下りになります。ここのピークは展望はありませんが砦くらいあっても不思議ではない場所でした。長い登りになりますが、植林も自然林も良い感じで、猛暑の中でも気持ちよく歩けました。424m地点のような平坦な場所に来ると木が少し減って広々した感じになります。特に特徴はありませんが下草も藪もない尾根で、マーキングもひどい急勾配もありませんが、たまに踏み跡があります。長々と歩いて、小平谷三等三角点(604.75m)に着きました。ここも特徴のない林です(写真)。


さらにちょっと東に歩くと、西のほうが少し見える場所がありましたが、ほぼ展望は望めない尾根です。少し荒れた感じにはなりますが、歩きにくいというほどではありません。尾根を間違えないように572m地点の方に向かい、その後も曲がった尾根を辿って、少し下ってから初の急斜面を登って610m+に上がりました。特に風景は変わらず、ちょっと藪っぽいなと思いつつ、674mピークは東側を通り過ぎて行きました。下山をどうするか悩みつつ688mピークに来ると、その先は間伐されていました。下に林道がありそうだったので伐採された木の間の斜面を降りました。出てきた林道は尾根に達しているようだったので、真っ直ぐ尾根を東に歩けばよかったようです。この付近は急斜面が多いのでこの林道はとても助かりました。どちらに行けば降りられるのかわからないのが悩みどころでしたが、なんとなく下に向かってキャタピラの痕に泥が固まった道を降りていくと、角谷川まで降りられました。地形図で実線道が終わっている付近です。伐採作業が行われていましたが、出くわさずに降りられました。ここからは1時間近くかけて角谷川を下って出発点に戻りました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「若桜」です。



2020年8月2日日曜日

夢前町戸倉の西の山

 


これは先週(2020/07/26)歩いた山の南側です。地元の方に道を訊ねた時に勧められて、歩いてみました。ということで、登り口は先週と同じです。葛畑から尾根に上がり、金網沿いに歩いて扉を抜け、共同アンテナを過ぎ、というところも同じです。ちょっと変えてみたのは、その後の標高350mから400mの間の急斜面で、先週気がついた南に巻いていくようなトラバース気味の踏み跡を試してみたことです。これはおそらく作業道の名残で、急斜面にはシダが生え倒木が転がっているので、歩きやすくありませんし、途中で消えてしまいました。それでも南に歩くと急斜面でも下草のない所に出てきて、少し楽に登れました。しかしわざわざ斜面を横切るほどのものではないと思います。


410m+ピークの道標は先週より少し乾燥したためか読みやすくなっていましたが、やっぱり読めません。南に行くと「山の○ イノ谷(仏谷?) ○ギ畑(ムギ畑?)」に行けるようです。とにかく南に行くと、わりと良い雰囲気の自然林です。西側の谷には林道があり、380m+の鞍部は植林なので、この付近の木を切ったのかも知れません。鞍部からまた登り、切り開きを歩いて行き、430m+ピークに着くといきなり視野が開けます。南側下の方に採石場(採っているのは砂かも知れません)が見えます。予想していたとは言え、この眺めは楽しめます。山の北側は林で、稜線部分は歩けますが、徐々に歩ける幅が狭くなります。標高400m付近から下って、370m+の鞍部に相当する付近では稜線の東側は背の高い草の藪で、結局砕石場に少し入って歩きましたが、崩れやすい砂場で危険でした。ここは草むらを突破するのが正解だったと思います。稜線に戻っても藪っぽく、ここから見ると自分がとんでもない所に立っていたことがわかります(写真)。さらに地形図では崖になっている所に出てきましたが、ここは実際には崖ではなく、削られていますが何段か水平な場所が作られていて、横切って歩くことができました。南端まで行って、さらに南の尾根にも行けることを確認しました。しかし南に行くと出発点から遠くなるので、削られた山の端を登りました。ここも砂地で滑りました。そして410m+に上がると東に歩きやすい尾根が延びていました。


真っ直ぐ歩いていくと、432mピークはどこがピークかよく分かりません。そのまま東に急斜面を降りるのかと思うと、尾根をたどって歩くと意外と楽に斜面を降りられました。その先で標高300mに降りるところの方がわかりにくく、北に寄ってしまい、進路の修正をしました。あとは植林を降りていき、最後に瓦屋根が見えたと思うとそれが金毘羅大権現社でした。集落内の説明板には今でも5月3日に般若心経を奉納していると書いてありますが、そうとは思えないくらいの荒廃ぶりです。そこからは西国八十八ヶ所を巡れるようになっており、橋を渡って道路にでられました。


やはり採石場は危ないので近づかないほうが良いでしょう。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「前之庄」「安志」です。