2026年3月23日月曜日

福知の高取城址

 


福知川と草木川の間の山並みは、2011/05/07に歩いています。特に楽しめる尾根ではなかったようですが、途中に高取城という城趾があるのに気づきました([1])。そこで逆コースで行ってみることにしました。出発点は県道6号線で、少し草木川沿いに入ってから害獣避けの扉を開けて林道に入りました。前回に下山であまり苦労した様子がないので、林道から草地に入って植林を目指しましたが、意外と急斜面でした。植林に入ってからも急斜面で、ジグザグに登りました。前回に降りたのはもう一つ南の尾根だったようで、確認を怠りました。少し登れば楽になってきましたが、標高差300m以上を一直線で登るので、それなりに疲れました。それでも1時間もかからずに標高600mに到達しました。途中の標高450m付近には共同アンテナの残骸のようなものがありました。600m+まで上がれば西に少し歩いて高取四等三角点(609.87m)です。


600m+地点から東に降りて尾根を縦走しました。580m+付近は気持ちの良い林ですが、だんだんに岩が増えて藪っぽくもなりました。それを抜けて、608mピークに着きました。ここが高取城跡のようです。南に福知川をはさんで棚田が見えたり、揖保川沿いが見えるのは前と変わりません。前は城趾とは気づかずに通り過ぎたのですが、特にプレートもないので、いまでも普通に歩けば城趾とは気づかないでしょう。尾根の中央に岩が一列に並んでいますが、山城としてはあまり使い道がなさそうです(写真)。人工物としては、パイプが3本藪の中に倒れていました。


608mピークから東に行くとちょっと平坦地があって、ちょっと城趾の雰囲気があります。その先には岩があって巻いて降りましたが、大きな岩が尾根上にあるだけで人工物とは思えませんでした。この先は少しアップダウンがありますが、楽に歩けました。前回この付近に道があったようなので探していると、582mの東側の鞍部に北に降りる道がありました。今回の目的は高取城址だったので、ここから下山しようと思って尾根を外れてその道に進みました。この道は尾根近くでは幅が広くて林道だと思ったのですが、すぐに狭くなって杣道という雰囲気になりました。しかも降りては行かず、水平に東に延びていました。結局この道はその次の北に延びる尾根に達していました。ということで、この尾根を降りることにしました。最初は道があって楽に降りられたのですが、標高450m付近で大岩の上に出てしまいました。西側の植林に道があると信じて降りると、大岩の下に回り込めて、また続けて尾根を下りました。しかしまたすぐに大岩があって、ここからは植林を降りました。さいわいに作業道があり、最後はよくわからなくなりましたが、無事に谷に降りました。この谷にはジャケツイバラの多い林道があり、これで草木川沿いの道まで降りられました。草木川沿いに、いまは閉鎖されているらしい横住川キャンプ場を通り過ぎ、南斜面の石積みの上の大きな炭焼き窯を見て戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「神子畑」「安積」「長谷」「音水湖」です。



2026年3月21日土曜日

岩上神社から野々隅原

 


山崎町の岩上神社と野々隅原は直線距離で1.5キロほどですが、あいだに山があります。これを踏破してみようと岩上神社から歩きました。神社の北の林道はすぐに県道429号線と合流します。しばらく県道を北に歩き、県道が西向きに川を渡る所で、地形図にある破線道を探しました。これは近道ですが、道が見当たりません。とりあえず地形図の破線道通りに歩いて東に曲がると、東斜面を登る付近に道を見つけました。道というより道の跡という感じで、荒れています。石積で支えられている部分もあって、林道ができる前に使われていた道なのでしょうが、落石や倒木も多く、流されている箇所もあります。最後は道が消えてしまったのですが、踏み跡で急斜面を少し登って林道に出ました。林道を歩いてくるのが正解です。


しばらくは林道を歩きました。2010/09/04や2014/05/18に歩いた道です。途中に地形図で破線道が西に行っている分岐がありますが、ここは橋がありません。しかし対岸に道らしきものが見えました。その先には木材の集積所があります。さらに歩くと伐採作業の準備をしていました。この先で作業中のようだったので、地形図で林道から東に描かれている破線道を探しました。しかしここは間伐された倒木の多い斜面で道はありません。結局植林を登って尾根に上がって少し登ると、林道の終点に出ました。この林道はすぐに登りと下りに分岐しますが、登りを選択しました。すると林道は尾根を横切って、南に下りになりました。この付近には分岐がたくさんあります。南に降りていくと東への分岐がありました。そのまま行くと西に行って地形図にある谷の道には行かないような気がしたので、東に行ってみました。谷の上部をぐるっと回って、地形図の破線道付近から谷に降りていき、地形図の実線道に出ました。まっすぐに歩いても谷に降りられそうで、この大回りは必要なかったかも知れません。とにかくきれいな植林の中を南に歩きました。


しばらく降りていくと、河原山国有林の看板があって、河原山川に出ました。歩いてきた道は岩上谷(河原山)林道とのことです。しかし河原山というのは、どの山を指すのでしょうか。河原山三角点は黒尾山の南ですし、河原川は波賀町です。ここから東に歩けば波賀町に出られますが、西に歩きました。この付近でも牧場の臭いがしており、川の南側に放牧するのかもしれません。歩いていくと川を渡る所に扉がありました。この道は県道546なのですが、県道の途中に扉があるのも不思議です。おそらく歩いてきた部分は牧場の一部なのでしょう。扉をくぐって歩くとすぐに黒尾山林道の入口がありました。そして小学校風の建物の大国牧場の前を通り過ぎ、北の河原山作業道に曲がりました。これも古そうな道でしたが、問題なく歩けました。少し登ってから北に曲がりました。崩れているところはなく、谷の奥を巡って西に、北に、東に曲がりました。地形図ではその先に尾根を登る破線道があるのですが、行ってみると何もなく、法面も高くて尾根も急斜面なので、少し戻って西の尾根を登りました。こちらは傾斜も多少は緩やかでした。とは言え急斜面をしばらく登り、少しなだらかな斜面を登ると、867mに着きました。展望はありません。


2014/05/18に来た時には867mピークから東に歩いてから北に降りましたが、かなり苦労したので、今回は西に降りました。こちらの尾根は植林で歩きやすく、810mピーク付近は少し藪っぽいものの北の尾根は植林でした。しかし769mピークを過ぎて、その先には岩があり、劇下りとなっていました。西側斜面は無理と諦め、南寄りの尾根を降りました。木や木の根に掴まって、時にはお尻でずりずりと降りて、なんとか降りられました。降りると杣道があって、地形図の破線道のようでした。東に歩けば最初に歩いた林道に出られたのでしょうが、西に歩いてみました。西の斜面は広く、意外となだらかだったので、まっすぐに降りることもできたと思いますが、破線道を探して歩きました。斜面なのでかなり流されていましたが、なんとなく続いて南の尾根に接近していきました。しかし南の尾根には大きな岩があり、その下に出てきたので、斜面を降りることにしました。するとネットに出会って、その下は広い伐採地で、植林されていました。ここからネット沿いに西に歩きました。ネットの向こうには岩上神社の上の470m+の丸いピークが見えています(写真)。ネットはさらに南に尾根に上がっていくので、ネットの曲がり角のところで伐採地に入りました。伐採地はネットで二つに区切られているのですが、その西側に入って西へ下りました。植えられた苗はネットに守られてすくすくと育っているのですが、他に生えている灌木はすべて棘があるという最悪の伐採地でした。しかしこれらは最近に切られた形跡があり、藪ではないので助かりました。棘に気をつけて降りていくと、林道がありました。ここには大きな岩があり、そのくぼみには泥で固められた立派な蜂の巣がありました。棘に気をつけて降りるとネットの出入り口があり、それを抜けると県道429号線に出られました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「安積」です。



2026年3月15日日曜日

美作市の壬生・塩谷・吉野三角点

 


美作市は広いのですが、これらの三角点は大原から吉野川沿いを南に行った所にあります。大聖寺の北です。まずは壬生の郵便局の付近から東に人家の間を歩きました。ストリートビューの終わりまで行くと、「ナイゲ線林道 完成記念」という平成7年の記念碑があり、その脇に「高林稲荷神社 右道路」という記念碑より古そうな看板があります。少し林道を歩きましたが、すぐに脇の植林に入って登りました。ピークまで登ると平成8年に改築された高林稲荷神社がありました。手水鉢は古そうでした。ここには壬生四等三角点(314.16m)があり、また尼山城とされています[1]


高林神社からは少し林道を歩いて峠まで行きました。ここで笹とトゲのある木の藪を抜けると旧道があり、自然林を南に歩くと植林になりました。370m+ピークに着き、南東に急斜面を降りました。このピークの付近はなんとなく人工的な地形という気がしたのですが、じっさい西の380m+ピークは比丘尼ヶ城とされています[1]。急斜面を下ると地形図では破線道が鞍部を横切っていますが、それらしい道の名残がありました。しばらく平坦な尾根を歩くと、ちょっと登りがあってトタンの波板が落ちていました。東に曲がった付近は真砂土で木が生えていないため東の方向が見渡せました。ここからは尾根に白い荷造り紐が張られており、それに沿って歩きました。徐々に藪っぽくなり、350m+ピーク付近は藪で、降りる方向を見定めるのに苦労しました。しかしこの付近の西側は地面が強化されており、土砂崩れを防いでいるようでした。藪を抜けると再び道があり、自然林を西に歩きました。巻き道がありそうでしたが、少し灌木の邪魔な360m+に登り、南の尾根に降りました。西に曲がると塩谷三等三角点(358.23m)に着きました。自然林に囲まれています。


塩谷三角点から南西に降りていき、西に曲がると長い平坦な尾根になりました。楽に歩けました。途中に杣道が尾根を南北に横切っているところがありました。北側は道が来ているようでした。この先も地形図通りに平らな尾根で、自然林が続きました。この付近の尾根は曲がりくねっており、ときどきGPSの確認が必要でした。標高250m付近からは植林もありました。それにしても平坦で長い尾根でした。標高200m付近になると斜面に段が作られており、人工的な地形になりました。それを降りていくと、道があり、さらに降りると地形図の道がありました。この付近は耕作地だったようです。


道を横切って北の斜面を登ると、1基だけ墓がありました。この付近も段が作られており、登ると平坦地になっていました。削って作ったと思われる広い平坦地で、人工物の跡であることは明らかですが、ここは横山城だったようです[1]。ピークの西の方は倒木のある笹薮で、かなり長く探して吉野四等三角点(195.68m)を藪の南側斜面の上の方で発見しました。三角点を確認したので南の道に降りればよかったのですが、平坦地が東に続いているので行ってみました。平坦地の外れは竹藪で、耕作地だったところは笹薮になっており、藪漕ぎになりましたが、なんとか墓地に出てくることができました。素直に道で降りるべきでした。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「佐用」です。



2026年3月7日土曜日

西脇市と加東市の境にある婆婆岩

 


西脇から加東市の上鴨川に抜けるしら坂トンネルの付近の山は歩いたことがないので、南から北へ縦走しました。国道372号線を走って御所谷を抜けると左に分岐する細い道があります。地形図ではこの道から山側に入っている短い道があります。行ってみるとこれは分譲地用に作られた道のようでしたが、売れた様子はありません。道の終わり付近から林に入りました。最初は枝が邪魔なくらいでしたが、徐々にシダが増えてきます。その一方でシダの間の踏み跡は見つけやすくなりました。地面を見るとシダが生えていないので踏み跡だとわかるのですが、左右からシダや灌木の枝が伸びて踏み跡を覆い隠しています。こんな状況に今日は何度もあいました。ここは辛抱強くシダをかきわけて踏み跡を登りました。


市境まで登れればシダがなくなって道があることを期待していたのですが、尾根に上がってもシダは生えています。しかしひどい藪ではなく、踏み跡もあるようなので、北に歩きました。ひとつピークを過ぎて鞍部に降りると西から道が来ていました。地形図の破線道です。ここはしら坂峠というらしく、「右上鴨川 左婆婆岩」という道しるべがありました。向かい側には嘉永3年のお地蔵様がありました。婆婆岩には北向きの道しるべがあり、ここからは婆婆岩を目標に歩きました。すぐに展望の良い場所があって西のゴルフ場が見渡せました。この北の378mピークに登る付近はかなりのシダ藪でした。いくつか岩があり、鞍部に降りると「鴨川の郷」と「婆婆岩」の道しるべがありました。トンネルの入口からここに登って来られるようです。そしてその北のしら坂トンネルの上付近に婆婆岩がありました(写真)。調べてみると西脇市のホームページに説明がありましたが[1]、登山道が整備されたのは平成12年だそうで、登山道にシダが茂っているのも納得です。


婆婆岩からさらに北に歩きました。シダは生えているものの踏み跡があって、たまに展望もあります。そして西山ノ北四等三角点(333.92m)に着きました。藪の中で標石を探したのですが見つからず、結局踏み跡のすぐ脇でシダに隠れているのを発見しました。ここで尾根は少し東寄りになり、踏み跡も続いています。しかしシダも続き、327mピークに登る付近ではシダの下に踏み跡を探しました。この先もシダが続きましたが、踏み跡も消えません。西に342m地点のあるピークに登る手前は尾根を横切る道があったかも知れません。そこからの登りはかなりのシダ藪で、ピークに上がって北に向かうと、東斜面には松が生えていましたが、なぜかどれも茶色くなっていました。踏み跡をたどってシダの間を歩いていき、急斜面に出てきました。ここは2017/03/19に北の加東神山から降りてきて、藪が酷いのであきらめた場所なので、無理に登るのはやめようと思っていたのですが、木に白いマーキングがあるので、道があるのだろうと思って登りました。途中でシダが踏み跡を覆い隠していましたが、マーキングに助けられて登り続けることができました。480m+付近まで上がるとシダは無くなり、道もはっきりしていました。良い道で林の中を東に歩き、2017/03/19と同じように谷を降りました。道と呼べるものはありませんが、水は少なくシダも生えていないので、問題なく降りられました。あとは長い林道を歩いて戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「比延」です。



2026年3月1日日曜日

粟賀町の中村三角点から626mピーク

 


神河町の粟賀町から少し東に行って慈増寺の方に行く道に、高峰城跡の案内板があります。まずここに登ることにして、案内板の脇の扉を開けて登り始めました。笹の急斜面を登ると植林です。急斜面ですが、気がつくと道がありました。小さな谷の東側を登っていき、シダの群生の間を抜けて行きます。城趾なので急斜面ですが特に困ることはありませんでした。案内板にある比高130mを登ると高峰城跡に着きました(写真)。「城山山頂」と「高峰城跡」と書かれた板が地面に寝かされていました。


高峰城跡の南側は人工の急斜面で、その先に尾根道が続いています。低くシダが生えていますが邪魔にはならず、登っていくと中村四等三角点(335.84m)がありました。ここにも高峰城跡の表示がありますが、案内板の地図とは異なります。ここから更に南東に尾根を歩きました。すぐに粟賀町が望める展望の良い場所がありました。標高350m付近はシダの多い斜面を登りましたが道がありました。この先も道があるのでシダが生えていても問題なく、426mピークに着きました。東に降りる道があり、そのまま歩くと左右に道が別れていました。どちらも水平に行きそうだったので、真ん中の斜面を登りました。この付近からは植林が増えてきます。やや急な斜面もありますが、楽に登れました。地形図で破線道が尾根を南北に横切っている場所では道は確認できませんでした。そのまま登っていって、植林の中の626mピークに着きました。この付近は2010/08/07に歩いています。


ここで下山ルートを検討し、下方の林道を目指して南西の尾根を降りました。植林は歩きやすかったのですが、急斜面になってシダが生えていると地面が見えず歩きにくくなりました。しかし慎重に降りていくと、林道に出てきました。ここは林道が複雑に交差しており、地形図にはない、西向きの登り気味と下り気味の二つの林道があったので、どこまで続いているのか確認しようと思って上向きの林道に行ってみました。地形図に無いのですぐに終わるだろうと思うと意外と長く続きました。だいぶ前に作られた林道のようですが、歩くには問題ありません。後で調べると、2010/08/07には南の林道を東向きに歩いており、その時には途中で終わっていたようです。ということは、2010年以降に作られたということになるのですが、それにしては荒れ気味でした。


いつまでも終わらないのに驚きながら歩き続けると、登りの途中で出会った尾根の両側に道のある場所に出てきました。両側に道が分岐していたのではなく、ここで林道が尾根を横断していたのです。ここから更に北側の道を歩きました。これも長く続き、地形図で破線道がヘアピンターンしている場所の手前に「此処から先は造林用の仮設道」だと書いてありました。そしてじっさいに舗装された林道がヘアピンターンしていました。この林道は地形図通りで北に降りていき、神崎工業団地の南の道路に出ました。大回りの長い林道歩きの下山でした。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「粟賀町」です。



2026年2月21日土曜日

南から歩く備前市と佐用町の境の尾根

 


2014/01/25に佐用町向坂から兵庫県と岡山県の県境の尾根を南に歩きました。今回はこれを南から歩きました。前とまったく同じでは面白くないので、まず滝谷神社に行ってみました。林の中のシンプルな神社で良い雰囲気です。「滝谷神社」という鳥居の石の額?が傾いているのが気になりました。神社の背後の道から歩きやすそうな所で北の斜面を登りました。道はありませんが下草はなく、邪魔な枝も多くないので問題なく登れました。ただ、割と平坦な山なので方向が分かりにくく、確認しつつ北に歩くと、東側に伐採地がありました。東に展望があります。伐採地の上を歩いていくと滝山四等三角点(357.32m)がありました。木の枝に隠れていました。ここからは普通なら北西に尾根を降りるのですが、伐採地で眼下に道が見えているので、伐採地の縁を道路を目指して降りていきました。最後は崖になったので伐採地を降りましたが、棘のある枝が多くて困りました。作業道を降りるのが正解だったようです。


道路に降りてから北の斜面を登りましたが、この付近は笹が茂っています。幸いに笹の密度はあまり高くなく、勾配も緩いのでひとピーク越えると道がありました。北の斜面を見ながらこの道を東に歩きましたが大きなシダが茂っていて登れそうなところはなく、結局笹の斜面を登ることになりました。2014/01/25にはここを降りてきたのですが、笹藪だったと書いてあります。笹薮を北に登っていくと道らしいものが現れて、笹も減ってきてやっとハイキングらしくなりました。ここからの県境には基本的には道があります。372mピークを過ぎると南から来た林道の終点があり、その先でも西側に林道が見えました。地形図の林道も東側に見えます。ここから北への尾根は広い切り開きがあります。西に曲がる所には「県境トレール②官公造林碑コース③」と書かれた板があり、矢印は歩いてきた方向のようでした。ちょっと下って登ると奥山四等三角点(431.23m)です。同じ名前の三角点があちこちにあります。共同アンテナの残骸がまだありました。


この先もだいたいは道がありました(写真)が尾根は複雑に曲がっており、GPSで確認しつつ歩かないと間違った尾根に行きそうでした。406mピークでは東から林道が来ていましたが、それを見ていたら南に折り返す道を見失いました。道は明瞭なので、すぐに見つかりました。その先で県境が390m+に上がって南西に曲がる所では、そのまま北に行く道もありました。南西に曲がってすぐの鞍部は杣道が横切っていました。しばらく行くと県境は北に曲がります。ここには2014/01/25に北から歩いてきた広めの道がありました。北向きに「向坂集落へ」という道しるべがありました。ここで県境を離れて、西に歩きました。少し登った後で非常に急な下り坂になりました。これを登れる自動車はないでしょう。道は滑るので林に入って木につかまって降りましたが、降りた先で道は終わっていました。何なのでしょう?しかしそこには切通しを南北に通る道がありました。北は男滝に繋がる道ですが、北は通行止めの標識が立っていました。ここには官行造林記念碑があります。奥山三角点の近くで見た道しるべはこれを意味するのでしょうか?裏を見ると分収率は国が50%、吉永町と三国財産区が12.5%ずつ、加賀美多麻が25%となっています。昭和30年代の話です。ここからは道を歩いて戻りました。このルートは中国自然歩道で、溜池の脇を通る道は林道加賀美線だそうです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「上月」です。



2026年2月14日土曜日

久しぶりの札楽川上流

 


播磨新宮から国道179号線を西に走り、南に橋を渡ると善定という集落に出てきます。南に曲がって札楽川沿いに南下すると、松尾神社という農村舞台のある神社があります。ここに車をとめて札楽川沿いに歩きました。林道が続きます。石切場は立入禁止でした。北側斜面が伐採されているところがあります。そしてさらに奥に行くと大伐採地が南に広がります。ここは2007/01/06には植林だったのですが、2015/02/15には伐採されていました。伐採地の手前の谷には楓池まで50分と書いてありました。お地蔵様も健在です。2007/01/06には伐採地の西の尾根を登りましたが、ネットが張られ中は藪化しているので、2015/02/15と同様に伐採地の西側の道を歩きました。ネットを二回抜けると赤い「火の用心」がありますが、どこを登ったらよいのか分かりません。とりあえずは林道の終わりから踏み跡を探して尾根に上がりました。播磨線二七鉄塔に出ました。ここからは2007/01/06と同じ尾根歩きです。軽快に歩けましたが、標高350m付近で新しい林道が尾根を横切っていました。そして392m地点でたつの市と相生市の市境に出ました。


392m地点からは西に市境を歩きました。かつて道があったようですが、消えかかっています。西に少し歩いてから市境は北に曲がります。少し下っていくと植林の鞍部に出ました。南側は2023/01/15に通りましたが、かつて田んぼだったようで沼地になっています。ここから西の斜面には2023/01/15の逆コースとなりましたが、石積みが30段ほどあります(写真)。昔の黒蔵村の段々畑でしょう。地形図の小さな溜池は石積みの間にありますが水がありません。石積みを見に少し西に寄りましたが、市境に戻って登っていくと468m地点です。この付近の北側の谷は伐採された跡で、ネットで囲まれています。南側は太陽光発電施設の柵があり、谷の奥ではソーラーパネルが見えました。市境の道は続いており、北に曲がります。相変わらず東側にはネットが張られています。軽快に歩けました。488m地点の南で尾根を東に降りました。南側は植林です。そして地形図で札楽川の奥の破線道が峠を越える所には東から来た林道の終点がありました。南側にはネットがあり、<出来形図面>というのが掛けられていましたが、方向がわからず、理解できません。西の杣道に入る入口もありましたが、ここからは林道と並行して東に尾根を歩きました。


尾根を少し歩き、東に降りていくと、林道の終点があり、南谷池の北の堰堤に出ました。この池は水は南の方に少しあるだけですが、もともとは北に水を流せるように作られたようです。南側にも流せるのかも知れません。尾根に上がって東に歩き、奥善定四等三角点(417.43m)へ行きました。それから南に下ると西側には新しい林道があって、車やユンボが停まっており、この付近で切り出し作業を行っているようでした。北側にも林道があって、尾根を横切って合流していました。林道は南に降りていきますが、尾根を歩くと赤い「火の用心」があって、巡視路のようでした。ネットの入口を二回通って、北側のネット沿いに歩くと、播磨線二九鉄塔に着きました。この地点は地形図では破線道が尾根を横切っていますが、その道はありません。さらに東に歩くと北側にネットがあり、次に南側にもネットが現れて、ネットの間の藪を歩くことになりました。387mピークの手前で南側のネットがなくなり、ピークで北側のネットもなくなり、歩きやすい尾根になりました。南寄りに急斜面を降りて、林道があったらそれで降りようと思ったのですが見当たらず、結局尾根を東に歩くことになりました。標高が200mくらいになるとシダが増えてきましたが、ひどく歩きづらいということはありません。160m+のピークから東に降りると水道施設があり、さらに尾根を降りていくと害獣避けの扉があって道路に出られました。ここには「中山寺跡の宝篋印塔と板碑」と、新宮方面を見渡せる東屋があります。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「龍野」「二木」です。



2026年1月31日土曜日

美作市美咲町の盛上山

 


美作市美咲町の吉野川東岸の山並みに登りました。まず高下の近くから尾根端の墓地に向かいました。ここは新しいお墓もありますが、江戸時代のものもあって、かなり荒れています。一番奥には立派な台座があるのですが、何も載っていません。墓地の奥から登っていく道がありました。これは明らかに道で、特に歩きにくいことはありません。ひとしきり登ると230m+ピークに付きました。共同アンテナの残骸があります。北西に少し降りると林道が鞍部を横切っていました。これは地形図にある谷の破線道で、これが実在するので、尾根よりも谷を登ったほうが楽だったでしょう。鞍部からちょっと西に登ると西栄山です。奥塩田三等三角点(235.98m)がありました。


西栄山から和気町と美咲町の町界を南に縦走しました。自然林で木はまばらです。下草はなく邪魔な枝も少なく、落ち葉を踏んで歩けました。ほぼ平らなので軽快に歩きましたが、ちょっと登りがありまた平らになって、281mピークに着きました。ここまで踏み跡がありましたが、ここでも東に踏み跡があったような気がします。東に歩くと別の南北の尾根に出ました。この尾根はさらに広く、道があるのかどうかは不明でしたが、歩くのに問題はありません。ちょっと迷いやすい所もありましたが、少し下っていくと鞍部を仙道が横切っていました。ここで太郎谷三角点へ行こうと、緩やかな斜面を西に登っていきました。この付近は地形が読みにくく、枝も多かったのですが、少し登れば太郎谷四等三角点(276.56m)に着きました。ここは2021/02/27に南西の塩田から来ています。


2021/02/27には太郎谷三角点から今日登ってきた東の方向に歩いていますが、今回は方向を間違えて南東の尾根を降りました。谷まで降りると炭焼き窯の跡が二つありました。この付近にはかつて溜池があったようで、堰堤には木が植えられていましたが、水はほとんどなく沼地になっていました。この先は神田池の北の谷ですが、石積があり、ここも溜池だったかも知れません。この付近は道があちこちあるのですが、とにかく北に戻って2021/02/27と同じように、美咲町と和気町の町境を東に歩きました。植林が増えてきて倒木や枝があって歩きにくくなりました。植林の210m+ピークから急斜面を東に降りると道に出ました。東に曲がっていく方向に「月の輪古墳 大芦高原」の道標があります。2021/02/27にはまっすぐに南に道を歩きました。


町界を歩こうと思って、道路から東に斜面を登りました。いちおう道があるようなのですが、枝を払い続けて斜面を登りました。徐々にシダが増えてきましたが、210m+ピークに登ればシダはありません。しかしピークから降りようとすると藪が多く、北に降りて道を見つけて東に歩いて道路に出ました。この区間は一番藪っぽい所だったので、素直に道路を歩けばよかったのでしょう。道路を渡って、また斜面を登りました。登りきったところで町界は南に行くのですが、このピークの東側は伐採地で、ピークにはネットが張られていました。ネットのおかげか、伐採地では植林が無事に育っていました。見晴らし良好です。東に一度下ってから登り返すと、ちょっとシダがあったあとに盛上山に着きました。向山四等三角点(349.56m)があります。周囲は自然林です。(写真)


盛上山からは北西に出発点に降りる道もありそうでしたが、東にも道がありそうだったのでさらに東に歩きました。これは正解で、落ち葉を踏んで歩ける道がありました。特に330m+ピークの南側は地形図にあるように岩場がありますが、ここも地形図通りの良い道がありました。崩落している箇所にはロープがありました。ここからも南の上山の棚田が見えます。しかしその先の310m+ピークで道は南に行っており、北への道は不明瞭でした。とりあえず枝を避けながら北に歩くと、その先の北への斜面はシダが生えた藪でした。しかし少し降りるとまた道がありました。しばらく歩くと良い道になってきて、62鉄塔への「火の用心」があり、巡視路は東から上がってきているようでした。291mピークには63鉄塔がありますが、まっすぐに巡視路を歩きました。巡視路は北に向かい、植林になって鞍部の東側には林道があります。そこから270m+の植林のピークを歩いたと思うのですが、あとでGPSの記録を見ると地形図のピークの北西の破線道をそのまま歩いたようです。そしてピークの終わりまで来ると西側に南津山線64鉄塔がありました。ここから北西の尾根は巡視路歩きで、65鉄塔の手前には伐採地があって北に展望がありました。190m地点までくると66鉄塔への分岐があり、その先は伐採地で展望があります。この伐採地には肝試しのような急な木の階段があり、これを降りると67鉄塔でした。さらにジグザグに降りていくと墓地に出られました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「柵原」「周匝」です。





2026年1月24日土曜日

久学寺から西谷なごみの森

 

加西市の北条から北上し、万願寺川の支流である芥田川を遡って、突き当りまで行くと久学寺というお寺があります。江戸城の事件が起きた時に大石内蔵助が碁を打っていたというお寺なのですが、この付近は赤穂藩の飛び地だったそうで、お寺の近くに「大石内蔵助ゆかりの古道」があります。これが2011/12/29に茅野三角点から西谷なごみの森へ歩いた時に見かけた久学寺への道だということに気付いたので、歩いてみました。


古道には違いないのでしょうが、最初から荒れた登山道という感じで、倒木がありました。谷を登ってからターンすると、久学寺の東側の非常に高いコンクリートの壁の上に出ました。地形図ではここからまっすぐの登りですが、古道ははっきりしません。ときどきマーキングがありますが、間違えそうになったこともありました。道でなくても登れるのですが、なるべく道を探して尾根まで登ると東屋がありました。道しるべでは休憩舎となっています。ベンチもあります。ここの道しるべは、「久学寺」「休憩舎」「湧き水休息所」「周回コース」ですが、休憩舎と湧き水休息所は同じ方向になっています。


2011/12/29と同じように周回コースを歩こうとすると、すぐに湧き水休息所への分岐がありました。先ほど見た道しるべの方向とは逆なので、見に行ってみることにしました。この道は斜面に作られた登山道で、周囲が植林の間は良いのですが、徐々に木の枝がせり出してきて歩きにくくなりました。棘のある枝も多く、大回りしたこともありました。藪の中で道が消えそうなこともありましたが、徐々に下っていくと足元に階段があって、登山道を歩いていることが確認できました。かなり下ったと思ったころにネットに突き当たりました。どうしようかと思ったら、少し手前の木にビニール袋が縛り付けられていて、そちらの方向に戻って下る道を見つけました。この道も消え気味でしたが、ところどころ階段があり、道であることが確認できました。しかしジグザグに曲がるところは気をつけないと方向を間違えますし、藪もあります。そうこうしているうちに登山道は荒れた谷の奥に出ました。この谷を下れるものかと思いましたが、伐採された木の上を上手に歩くとすぐに林道に出ました。そこの道しるべでは、来た方向は周回コースとなっていました。林道は南向きが休憩舎で、北は西谷公園です。後で確認しましたが、この林道は尾根上の東屋(休憩舎)まで達しており、そのためこの谷への道が両方向にあるのでした。ただ、湧き水休憩所がどこにあるのかはわかりませんでした。この林道沿いにあるのでしょう。


林道を降りていくと途中には「中間ルート」への分岐がありました。ここでは林道の登り方向は湧き水休憩所なので、湧き水休憩所はここよりは上流側なのでしょう。まっすぐに降りていけば最近では2025/12/31に来ている西谷公園です。岩場広場の展望台に登って景色を眺めてから林道を少し戻り、2011/12/29に降りてきた道しるべから岩場広場の方に登りました。最初は植林ですが、東側に巨大な岩があります。普通なら岩の下を岩に沿って登りそうなものですが、消えかかっている登山道はシダの多い植林の中をジグザグに登って行きます。最後は岩の上に上がって、少し登るとベンチがありました。ここが岩場広場でしょうか。ここからはジグザグの尾根登りです。少し平らになると、「イヤガ谷西谷」への分岐があり、その先には「西谷展望広場」らしい壊れかけた階段のある展望台がありましたが(写真)、見えるのは東側だけでした。この尾根はかつては展望があったのでしょうが、今は木が伸びているのであまり展望はありません。ツガ林の説明板のある440mピークには「イガヤ谷東平」への道しるべがありました。


登山道は広くなり、遊歩道と呼んでも良いくらいになりましたが、「山並み眺望点」はどこか分かりませんでした。途中にネットが横切っており、2011年には抜けるのに苦労したようですが、もうボロボロだったので楽に通れました。これが先ほど湧き水休憩所への下山中に突き当たったネットのようです。登山道は次のピークを北に巻いていますが、登ると金属プレートの西谷四等三角点(434.34m)がありました。下ると「政鍛冶谷」への分岐がありました。この先にベンチがありましたが、ここでネット沿いに歩くと南に遠坂の方へ行ってしまいます。植林をジグザグに降りる道を見つけて降りていくと、湧き水休息所への分岐があって休憩舎に着きました。久学寺へは登ってきた古道で下山しました。マーキングを見失って適当に降りたところもありましたが、登りよりは道を良く認識できました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「粟賀町」です。



2026年1月22日木曜日

備前市伊部から大滝山

 


寒い日には暖かい岡山の山によく登っています。今回は2026/01/13にも行った大滝山に南の伊部から登りました。この付近はなんども歩いており、今回新たに歩くコースはほとんどありません。伊部から鬼ヶ城林道を歩きました。鬼ヶ城といえば岡山県では総社の鬼城山が有名ですが、この付近にも何か伝説があるのでしょうか。2019/03/24に通った不老山の北の210m+ピークに鬼ヶ城跡があるようなのですが、名前の由来は何でしょうか。とにかく鬼ヶ城林道を歩いて行き、途中から高倉稲荷大明神に寄りました。2019/03/21にも来ましたが、その時はここから屏風岩の下を通って大滝林道へ歩く、地形図の破線道がありました。しかし今回は屏風岩からの落石でこの道は通行止めになっていました。屏風岩を見上げたかったのですが、ここは諦めて鬼ヶ城林道に戻り、案内図のある終点まで歩きました。ここは2019/03/21に降りてきたところですが、畳谷に抜ける北東の谷は歩いたことがないので、これを歩いてみることにしました。荒れた道で、石が多くて歩きにくくなっています。谷川がかつて整備されたことは剥き出しになった土管でわかるのですが、道も藪化の一歩手前の感じです。しかしマーキングもあり、登山道と呼べる程度の道になっていました。そのうちに道は特定猟具試用禁止区域(銃)の赤い札の付近で谷から斜面を登って行き、落ち葉を踏んで鞍部まで上がると再び赤い札があり、47と48鉄塔への「火の用心」がありました。ここからは巡視路らしく良い道で、峠に位置する五差路に出てきました。「畳谷」「烏帽子岩」「不老山」「鬼ヶ城池」「熊山」への五差路です。今日歩いてきたのは「鬼ヶ城池」への道でした。


五差路からは「熊山」への道を進みました。よく整備された道で、シダの間を登っていきました。350mピークを巻いてひとしきり登ると、「黒岩東の分岐」に出ました。この付近は2018/02/12に歩いています。西に登山道を歩くと黒岩という岩があり、登ると素晴らしい展望がありました。さらに西に歩き、大滝林道から繋がっている林道に出て、まっすぐに歩いて

道路脇の大滝山四等三角点(425.09m)に着きました。ここから展望舎まで歩きました。これは車椅子可の遊歩道ということですが、平均勾配20%と書いてあります。歩いてみると勾配は少なく、電動車椅子なら問題なさそうでしたが、遊歩道はやや傷んでいる感じでした。なお、展望舎の道しるべには、遊歩道の平均勾配は1%と書いてありました。展望舎からは景色は見えませんが、近くの岩の上に立てば、瀬戸内海が見渡せます。ここからはひたすら下山で、342mピークからまっすぐに下っていき、大滝林道への分岐点から東に降りて、2019/03/21と同じコースで鬼ヶ城林道の終点に戻ってきました。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「和気」です。



2026年1月17日土曜日

美作の真木山と愛宕山



美作の吉野川から東に河会川を遡った所にある真木山を歩きました。登り口は神田の長福寺となります。朱色の三重塔を右手に見ながら登っていくと真木山へ道しるべがあります。最初は舗装道路で堰堤まで登り、その先はジグザグに登る整備された登山道です。自然林で雰囲気もよく、石仏があったりして楽しめます。徐々に周囲は急斜面になると道も石積でしっかり作られています。竹林が多いのが人が住んでいて雰囲気を漂わせます。川沿いに石積があって耕作地か建物の跡かと思っていると、竹中坊青山作蔵跡と書かれています。次は平等院跡で、広い所に出ると「史跡めぐりコース案内図」がありました。付近のたくさんの建物などの跡の場所が示されていますが、あまりに多くて全部見て回ったわけではありません。この場所には六地蔵をはじめとして石仏がいくつかあり、享保14年の板碑があります。

とりあえず北に参道を歩きました。周囲は平坦で木のない殺伐とした風景です。途中に墓地があったので見に行きましたが、江戸から大正時代の墓があり、俗名の書いてあるものもあって僧侶の墓ばかりではないようでした。仁王門跡を過ぎると急坂に階段があり、石垣や建物の基礎らしい石も増えてきました。わかりやすいのは弁財天跡で、水のない池の中に島があります。案内図では山王様と旧本堂は現存となっていましたが、本堂は本堂跡となっていました。大日堂跡は案内図にありません。鎮守山王宮跡というのが山王様だと思われますが、潰れた建物がありました(写真)。その上側に建物の跡があり、潰れているのは拝殿でその上に本殿があったのではないかと思われます。

長福寺跡を通り抜けている道は自然林の中を北に続き、林道に出ました。これを歩くと北の尾谷から上がってきている舗装道路に出ましたが、そちらには行かず並行して植林の中の道を歩くと伐採された木や枝が積もって歩きにくくなりましたが、その先に真木山四等三角点(428.83m)を見つけました。ここから南に尾根の中央を歩いたのですが、伐採した木や枝が邪魔で非常に歩きにくくなっていました。両側の植林は特に間伐したり枝打ちした様子はないので、中央を少し避けつつ歩いていくと、道らしきものがあり、それを南に歩きました。そのうちにはっきりした道はなくなりましたが、斜面を降りていくと道に出ました。ここは四つ辻で、西に行くと案内板のあった所に戻れるようでした。ここは六地蔵跡となっていたので、案内板のところの六地蔵はここから移したのかも知れません。東は八塔寺ふるさと村となっており(遠いですが!)中国自然歩道のようです[1]。

ここからは林道を歩こうと思って地形図の実線道で南に登りましたが、地形図よりは手前で東斜面を降りるようになっていました。この付近からの林道は巡視路でもあり、西播東岡山線六八鉄塔に着きました。地形図の実線道はここで終わりですが、この先も巡視路は続きます。周囲は自然林が多く、葉は落ちていますが明るくて気持ち良く歩けました。次の六九鉄塔は巡視路から少し登った所にあります。尾根は曲がっていますが巡視路を歩けば間違いなく歩けました。そして愛宕山に向けて登りとなりましたが、No.70の「火の用心」のあとは道がよくわからず、適当に上の平らな所に登ると少し下に七〇鉄塔がありました。西に道があったので歩いていくと、すぐに紅白の七一鉄塔が立っていました。七〇から200mほどしか離れていませんが、なにか事情があるのでしょう。

ここで巡視路は西に降りていきますが、愛宕山に登りたかったので藪を抜けて山頂に行きました。真神三等三角点(359.03m)があります。祠と明治10年の三角形の手水がありました。愛宕社なのでしょう。山頂への登山道はよくわからず、西側斜面の藪を横切って木の階段のある巡視路に戻りました。西に尾根を降りて、展望のある七二鉄塔を通り過ぎ、少し岩のある斜面を降りていき、七三鉄塔の手前から南に降りて中磯に出てきました。県道414号線の脇に丸っこい岩が祀られていました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「村野」「日笠」です。


2026年1月15日木曜日

下牛尾から登る堂ケ丸三角点

 


加西市と市川町の境にある堂ケ丸三角点には、2025/12/26に東の加西市側から登りましたが、今回は西の市川町の下牛尾から登ってみました。下牛尾で岡部川を東に渡ると、川沿いに害獣避けの扉があります。これを通って尾根の先に取り付きました。最初はかなり急な植林ですが、手を使わなくても登れました。頑張って少し登るとなだらかになってきて、市場四等三角点(244.73m)がありました(写真)。周囲は木の少ない自然林です。ここからは植林と自然林の混ざった尾根歩きですが、急斜面も下草も無いので苦労することはありません。徐々に高度が上がりますが、たまに下りもあります。327mピークを過ぎて、少し下ってから402m地点までは登りです。そして平らな道が続いて、水平に森林基幹道笠形線に出ました。この林道は斜面を削って作られていますから、法面は非常に高くなっています。ちょっと見上げて登るのは無理かと思ったのですが、よく見ると踏み跡かも知れないものが見えたので、無理やり登ってみました。木や草に掴まって登り、藪を抜けると開けた林に出てきました。まっすぐに登っていって、堂ケ丸三等三角点(462.81m)に着きました。


三角点からは2025/12/26と同様に尾根を南に歩きました。まず急斜面を下り、尾根に乗るとあとは軽快に歩けました。前回は途中で東に降りましたが、今回は歩き続けると、林道には西から道が上がってきていました。その南で林道が尾根を横切っていたので、林道の東側から西側の尾根上を歩くようになりました。尾根上にも踏み跡がありますが、アップダウンもけっこうあります。ちょっと藪っぽくなったと思ったら尾根が切られており、、坂ヶ谷峠駅という場所に出ました。木材集積所のようで、展望があるわけではありません。西に降りる林道があり、下山できるかも知れませんが、そのまま南に、林道の西側の尾根を歩きました。ひとしきり登り、西に向きを変えて気持ちの良い尾根を歩くと、また尾根がなくなり、北に行く林道がありました。ここも突っ切って歩くと少し藪っぽくなり、340m+ピークに着きました。共同アンテナの残骸があります。ここから天岩峰神社に向かって下山しました。最初は急斜面の植林で、作業道の名残を探しながら降りました。少し降りて尾根に乗り、あとは平坦な尾根を緩やかにアップダウンしながらゆるゆると降りていきました。植林になって楽に降りていくと、フェンスに突き当たりました。向こう側に天岩峰神社があります。左右どちらに行くか少し迷ってから右手の神社の裏の方向に行くと、扉があり、無事に天岩峰神社にお参りできました。神社には珍しく鐘楼がありますが、昭和36年に鳥居と一緒に奉納されたようです。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「粟賀町」「北条」です。



2026年1月13日火曜日

熊山の尺八山

 


熊山の東の尾根は、2018/02/12に剣抜峠から烏泊山に登り、舟下山経由で下山しています。今回はその時に行かなかった尺八山を目指しました。登りは舟下山経由ですが、地形図には2018/02/12に降りた尾根の東の谷に破線道があるので、これを試しました。民家から墓地の奥に行き、害獣避けの扉を通って山陽自動車道の下をくぐりました。それから自動車道沿いに少し西に歩いてから地形図の破線道を探すと、木に板がくくりつけてありましたが、文字は読めません。地形図通りの位置で間違いなさそうなので登っていきました。最初はゆるやかなのですが、落ち葉の下に石がゴロゴロある道で、歩きやすいとは言えません。地形図では破線道は谷を通っているので谷沿いに歩きましたが、確かに谷の東側に道がありました。しかしそのまま歩いていると、西寄りの谷に行って道は終わってしまい、トラバースして東の谷に行きました。こちらには踏み跡らしきものがあり、破線道と一致しているのでこれを登りました。しかし最後は谷の奥に岩がそびえており、前進不可能になったので、破線道は諦めて東の尾根に上がりました。これも岩の多い尾根ですが、踏み跡がありました。大きなシダの塊がありましたが、踏み跡で抜けられて、平らなところまで来ると木にマーキングがありました。東の尾根から登ってくる道があるのかも知れません。ここからは緩やかな登りで道もあったので楽でした。最後は三角点を探しに行き、舟下山四等三角点(424.74m)を見つけました。


ここから南の尾根は2018/02/12逆コースとなります。道が尾根の東側に作られており、そのため舟下山(435m)の山頂は巻きました。ちょっとシダが茂っていた所もありましたが、よく整備された道です。今回も「石積遺跡・L1犬の墓」に行ってみましたが、説明板がないので犬の墓がなんのことか分かりません。登山道に戻り、軽快に歩いて主尾根の登山道に出ました。そのまま林を横切ると道路に出て、脇に大滝山四等三角点(425.09m)がありました。三角点には珍しく赤く塗られています。道路は車が通れる幅ですが、ここから東はチェーンが掛かっていて行けません。展望舎への遊歩道がありましたが、今回は展望舎はパスして西に道路を歩きました。すぐに登山道と合流し、北に板場池コースへの分岐があり、大内に降りる道路がありました。さらに道路を西に歩き、尺八山への道に入りました。ここにも特に道しるべはありませんが、登っていく道はこれしかありません。この道はひたすら自然林を登っていく道で、山頂には「楽器名の山シリーズ」の山名札がありました。これがなければここが山頂とわからないでしょう(写真)。地形図のピークはもう少し南なのですが。


尺八山では登ってきた道をそのまま真っすぐ歩くと南に下山してしまうので、西に行く道を降りていき、また道路に出ました。少し歩くと北に舗装道路の分岐があり、途中で車は鎖で通れなくなっていますが、登っていくとDocomoの熊山無線中継所がありました。この付近で一番大きな通信塔です。その横に熊山二等三角点(507.37m)の、これまた大きな標石がありました。舟下山もそうでしたが、このピークが熊山なのかどうかは意見が分かれると思います。地形図では熊山神社のあるピークの方が509mで、そちらに熊山と書いてあります。三角点の隣にはクジラのような岩と、東備消防組合の熊山基地局の立派な通信塔があります。道路に戻って西に歩くと駐車場に出ました。2024/12/23に大内山から高津山経由で登ってきた道もあります。ここはまっすぐに西に歩いて、熊山神社に行きました。


熊山神社からは少し戻ってから登山道を北に行きました。「竜神二つ井戸」で道路に出ましたが、そのまま横切って登山道を降りました。これは2020/01/25に熊山駅から登ってきた道です。少し降りると熊山池のそばに展望台がありましたが、老朽化のため立入禁止でした。すぐに段谷コースへの分岐があります。この登山道はよく整備されていますが、階段が多く膝に悪そうなのでなるべく端を歩きました。402m地点の近くで鉄塔への分岐があり、本四連系線二一三号鉄塔に行きました。展望があります。さらに下っていくと展望台があって、ここも良い眺めです。ここからは溝のようになった登山道でシダの間を降りていき、蹄岩を通って二一四鉄塔、そして道路がターンしている場所に出てきました。そのまま尾根を歩き、熊山駅への分岐を過ぎると登山道というより巡視路になり、二一五鉄塔、二一六鉄塔、そして巡視路から少し外れた林の中にある野山四等三角点(264.06m)を過ぎて二一七鉄塔、さらに降りていくと車ヶ峠に出ました。ここは電力線の電柱があり、頭上ではJRの高圧線と本四連系線の高圧線が交差しています。2020/01/25にはこの北の広域農道から登ってきましたが、今回は車ヶ峠から東に下山することにしました。この道ははっきりしていますが、最初に歩いたのと同じような落ち葉の下に石が隠れている谷道でした。北側に石積がありましたが、用途はわかりません。最後は害獣避けの扉があり、墓地のちょっと南で道路に出られました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「和気」「万富」です。



2026年1月5日月曜日

弓削の北の尾根から登った熊山

 


瀬戸町弓削(ゆげ)からの熊山登山道は2020/02/19に歩きました。今回は弓削の北の、勢力との町界付近の尾根から登ってみました。地形図で見ると山陽本線の吉井川鉄橋と弓削橋の間付近にある尾根ですが、尾根の南の谷の奥は石切場だったらしく、とんでもない崖になっています。地形図ではこの尾根には送電線が通っているので、巡視路を探してみましたが簡単には見つかりません。しかし一番川沿いの鉄塔は尾根の先にあるようなので、笹薮から急斜面を登りました。笹薮を抜けると斜面に踏み跡らしきものがあり、登ると鉄塔はなく、基礎のコンクリートが4つあるだけでした。しかしなぜか電線が南北に尾根を越して張られていました。すぐ下の県道79号線にも電柱はあるので、この動力線は特殊な目的なものかも知れません。「Energia熊山支106」と書かれていました。


尾根に上がればあとは巡視路を歩くだけです。次の鉄塔跡には共同アンテナの残骸があり、その次ではNO.8への巡視路が北に降りていっていました。巡視路がなくなっても歩きやすい尾根で、226mピークに登り(南側を巻けばよいのですが)、上り坂になりました。シダはないので問題なく歩けますが、徐々に藪っぽくなりました。枝をかき分けて登っていき、390mピークに着きました。ここは岡山市と赤磐市の境なので道があるだろうと期待したのですが何も無く、東に少し降りてから藪を登りました。登ったところにあるのが岡山県の熊山反射板で、ここからは2020/01/25の下山コースです。素晴らしくよく整備された道で、少し登ると経盛山(503.9m)で、紅白の本四連系線第二一一号鉄塔があります。ここから熊山の方へ行く途中に「経盛山テラス」への道しるべがあり(経盛山の手前にも道しるべがありましたが道がわからなかった)良い道をたどると眺めの良い場所に出ました。北から東の方向に展望が広がります(写真)。


登山道に戻って南東に歩くと、弓削からの登山道に出ました。ここからは楽な道で、まず未舗装の道路を横切り、そのまま東に歩くとまた道があり、これも横切ってまっすぐ歩くと道に出て、南に大きな杉の木2本を見ながら歩くと熊山の山頂に着きました。四角い謎の石積と、南に開けた展望台があります。この日は空気が澄んでおらず、遠くはよく見えませんでした。


下山は弓削へ降りました。登ってきた登山道を引き返し、炭焼窯遺跡や鍛冶宮、石積遺跡を見ながら歩きました。やけに中央が深く掘られた道です。経盛山への分岐を過ぎて下っていくと南山崖への分岐があったので行ってみました。しばらくほぼ水平に歩くと駱駝岩への分岐があり、下っていくと特徴のある大岩と吉井川の素晴らしい展望がありました。この岩は2020年にはミナミ岩という名前だったようです。引き返して登山道に戻り、さらに西に行くと龍神山がありました。北側に巻き道がありますが、登ってみました。ここも素晴らしい展望があります。さらに西に歩き、陽当たりの良い林の中の弓削三等三角点(262.1m)を見て、あとは登山道を降りました。まったく問題なく弓削の八幡神社に降りてきました。


展望 ★★☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「万富」です。



2026年1月3日土曜日

揖保川町のめぐみの滝

 


Google Mapを見ていたら、揖保川町の山の中に「めぐみの滝(馬路川不動滝)」がありました。不思議な所なので行ってみました。揖保川町には「ヤッホの森」のある山がありますが、滝があるのはその西の、天下台山に繋がっている山です。原墓苑に車をとめて南に道を歩きました。すぐに害獣避けの扉があり、これを抜けると気持ちの良い自然林に車の通れる道が続いています。気持ち良く歩いていて、ちょっと左を見ると飛行機がありました。驚いて見に行くと、翼を外した飛行機だけでなく、かなり大型のモーターボートもありました。トラックの荷台もたくさんあり、石材や瓦、板材もあって、投棄されているというより廃品コレクションという感じなので詳しくは書きません。地形図ではこの先で道は川を渡っていますが、これは両岸がコンクリートの川で、水はありませんでした。そのまま道を歩くと堰堤がありました。その先は両側にロープの張ってある遊歩道のような道ですが、足元は石だらけでした。そして「原 めぐみの滝」と書かれた杭がありました。川を渡ると東屋というか小屋があり、中には不動明王が祀られていました。もう一つの石仏はお地蔵様というより托鉢僧という感じで、お顔もとてもリアルでした。この小屋からさらにロープを使って岩を登ると岩盤があり、これがめぐみの滝と思われますが、この日はほとんど水が流れていませんでした(写真)。滝の向かいの斜面の上の方にも不動明王などの石仏が3基ありました。


めぐみの滝を見たので、あとは周辺の山を歩こうと思いましたが、滝の周辺は急斜面で登れません。来た道を少し戻ると、水のない川が南の谷の方に延びていたので、これを遡りました。この周辺は自然林ですが、ほぼ一種類の木が生えており、たいへん美しい風景でした。落葉していて木の種類は分かりませんが、幹の細い木でした。谷を遡ると川はすぐになくなりますが、その先もシダ藪は少なく、少し登っていくと道らしきものも現れました。どこかでシダ藪に行く手を阻まれるのではないかと心配しながら登りましたが、道は意外と続いており、緩やかな谷を登って尾根に上がることができました。しかしこの尾根はシダ藪で入れません。道がまだ続いていたのでそれを辿りましたが、すぐに見失いました。しかしここで上を見るとシダのない岩の多い斜面があり、登れそうなのでここを登りました。登っていくとシダが増えましたが、突破するとシダのない林にでてきました。ここからはシダ藪を避けながら尾根を歩きました。道ははっきりしなかったのですが、少し歩くとマーキングがあって、東から道が登ってきていました。ここからは登山道らしく、多少の藪はありましたが、とても歩きやすくなりました。尾根にはときどき枝を広げた大きな木が生えていました。そして286mピーク付近に着きました。道しるべがあり、来た道は黍田富士方面、西は天下台山、北は岩屋谷公園となっていました。天下台山から岩屋谷公園への道は東尾根コースです。


ここからは東尾根コースを北に歩きました。良く整備されており、両側から延びてきたシダは切られていました。少しずつ下っていくと展望のある場所もありました。登ってきた原墓苑の方に降りたかったので、220mピークで北斜面に道を探しました。しかしここの北斜面は背の高いシダが茂った急勾配で、下手に降りると身動きが取れなくなりそうだったので断念しました。東尾根コースは220mピークから西に向かい、200m+から北に行って210m+、160m+ピークを過ぎて岩場の下りになりました。ロープがあって助かりました。途中に相生支線一四鉄塔があります。相生市街がよく見えます。最後は岩屋谷公園に降りてきて、大回りして原墓苑に戻りました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「網干」「相生」です。