2021年8月31日火曜日

日ノ原山から阿舎利山

 


夏は標高の高い山に登りたくなります。音水湖付近の山はなんども登っていますが、少しルート違いで阿舎利山に登ってみました。登り口は音水湖の南の端です。「この道路(町道引原カラウコ線)は行き止まりです」と親切に書いてある道を東に入っていき、コンクリートの壁の終わりのところの赤い「火の用心」から関電の巡視路を登りました。最初は非常に急ですがさすがに巡視路で楽に登れて、西に行くと原横行線八鉄塔がありました。現時点では国土地理院の地形図は間違っていて、この鉄塔は無視されています。


鉄塔からは登り方向に巡視路があります。よく整備されており、黒いプラ階段がたくさん設置されているので、問題なく登れます。まず急斜面を登っていきますが、巡視路は次の七鉄塔のある西の尾根を目指して西に行ってしまいます。素直に巡視路で西の尾根に行くのが正解とは思いましたが、近道をと思って巡視路がまた少し斜面を登った付近から植林の斜面を横切って登りました。すぐに登りやすい尾根に出ました。少し登ると結局西の尾根と合流しました。この尾根は2012/06/17の最後に歩いていますが、このあと阿舎利山まではほぼその時のコースの逆コースです。巡視路のプラ階段の他に木の階段もあって急斜面も楽に登れました。登り切ると兵庫県のダム送受信所があります。これにはパラボラアンテナが付いており、さらに南に建設省の日ノ原無線中継所があってアンテナがあり、その南には日ノ原四等三角点(788.92m)と宍粟50名山の杭があります。


阿舎利山に行くには、最初のダム送受信所のところから東に急斜面を降ります。ここから南西に続く尾根は植林で気持ちよく歩けました。多少の下草や倒木はありますが、歩きにくくはありません。波賀町有林の標識があって南側を林道が折り返している鞍部まで降りてから登り返しました。ここは南の林道を歩くこともできますが、林道は谷の奥で終わっていました。この付近は自然林でした。800m+のピークに上がり、縦走する付近は南側に林道があります。少し急な斜面を登って850m地点に出て、さらに尾根を登りました。この付近は北にも南にも林道があります。南からの林道の終点があり、さらに登って2021/05/14に音水湖から林道で登ってきた尾根に出ました。さらに登って、阿舎利山の山頂に着きました。引原山三等三角点(1087.36m) があります。


下山は2021/05/14と同じ尾根にしました。歩きやすくて気持ちの良い尾根です。今回は標高800m付近の植林の林道を降りることにしました。ジグザグに走っている林道なので、なかなか下山できません。植林は美しく、林道も最初はトラックが通れそうでした(写真)。なんども曲がっていくと道が徐々に狭くなり、倒木も増えてきました。分岐が多いのですが、とりあえず下向きの分岐を選びました。下に林道が見えているのでショートカットは可能なのですが、枝や間伐された木が多く、シダも生えているので、素直に林道をたどりました。気がつくと谷を回り込んでいて、倒木で通りにく所、斜面が崩れている所、雨水で溝ができている所もありました。ミツマタが密集して生えている植林を通って、林道三久安線に降りてきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「音水湖」です。



2021年8月29日日曜日

安富町の末広・小谷三角点

 


これらの三角点には2008/06/01と2009/06/27に行きましたが、だいぶ前のことなので伐採地がどうなっているか見に行ってみました。ルートは以前とは変えて中ノ谷川の最初の分岐の間の尾根を登りました。太陽光パネルが設置されていますが、西の川寄りの草むらを抜けると果樹園があり、尾根の先を登れました。急斜面ですが作業道が残っていてジグザグに登れます。斜面に深い溝も走っています。しかし標高330m付近から尾根の中央は伐採されており、灌木やシダが茂り倒木もあって歩けなくなりました。東寄りの植林の端を歩きましたが、倒木とシダで地面は埋まっています。ときどき尾根に出ると展望がありますが、続けて歩くことはできません。しばらくこんな状態が続きますが、最後は植林の急斜面を登って520m+の平坦地に出ました。ここからはゆっくりした登りですが、すぐに藪が復活しました。また倒木と藪とシダに悩まされながら少しずつ登っていき、倒木とシダの急斜面を上がると末広三等三角点(601.78m)がありました。東には明神山が見えます。


以前はここまで車で上がれるような林道があったのですが、今はよく見ないと林道だと分からないくらいに草が生えています。三角点から北には林道にジャケツイバラの藪があって、かなりひどい目にあいました。これを過ぎてももと林道は草で埋まっており、倒木もあります。三角点のひとつ北の560m+ピークは西側に細い木がたくさん生えた道があり、これで巻きました。尾根は藪です。展望はほとんどありません。その北の尾根は伐採されていて少し歩きやすくなりましたが、周囲や藪です。尾根が東に曲がる520m+まで来ましたが、以前は「まるでリゾート開発の途中のような雰囲気」だったその西側の伐採地は大きな木こそありませんが、藪です(写真)。今回はここを東に曲がりましたが、この付近はたしかに伐採地です。そのまま東に行くとススキの野原になって歩けないので、少し北に進路を変えましたが藪でした。


なかなか藪から逃げられませんが、500m+の鞍部まで来るとその東は倒木とシダはあるものの植林で、少し歩きやすくなりました。586mピーク付近は2009/06/27に歩いています。徐々に植林の下草は減ってきます。570m+ピークから南東に曲がりましたが、ここは広い尾根で目標が決めにくいうえ、急斜面です。木に掴まりながら植林を降りて、なんとか500m+の尾根に乗りました。少し登り返すと金属プレートの小谷四等三角点(548.32m)です。この尾根は2009/06/27に歩いていますが、あまり障害物はありません。しかし分岐に気をつけないと尾根を外れてしまいます。490mピークを通り、快調に尾根を下りました。この下には明らかに道と思われる切り開きがありましたが、最後は非常に急な植林の斜面になりました。しかし作業道もありますし、植林で木に掴まれるので無事に降りて、普通林道中ノ谷線に出ました(この林道名を表示している杭は新しそうでしたが「昭和11年度普通林道中ノ谷線」と書いてありました)。あとは川沿いの気持ちの良い林道を歩いて戻りました。途中の分岐に「かや」と掘ってある石がありましたが、雪彦山の賀野神社でしょうか。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「山崎」「寺前」です。



2021年8月28日土曜日

養父市の大杉城跡から一の段

 


養父市大屋町の大杉は養蚕の地として有名のようですが、城跡もあります。二ノ宮神社に登ると後ろに大福寺があり、その一番上のお堂の左手奥に害獣避けの扉があります。「大杉城跡まで 10分 高城跡まで 50分 一の段頂上まで 150分 扉は必ず閉めて下さい」とあります。扉の向こうの道は植林の作業道で、分岐があってどれが正解かわかりません。かなりの急斜面ですが植林なので適当に登れて、段のある城跡らしいところに出てきました。平坦地があり、さらに歩くと深い切堀があって間違いなく城跡です。「大杉城跡」という説明書きはその奥にありました。さらに奥にも切堀があり、高城跡への道標がありました。文句のない歩きやすい尾根で、共同アンテナの残骸があり、ロープのある急斜面を登ると金属プレートのロクロ谷四等三角点(457.61m)と共同アンテナの残骸がある高城跡に着きました。西の方に少し展望があります。大杉城の他に丸部城への道標もありました。


一の段への道標に従ってさらに尾根を歩きました。最初は意外と起伏の多い、地形図では平坦な尾根で、徐々に登りになり、時々急斜面がありますがすぐに平らになります。明らかな道のある尾根です。途中から金網が尾根沿いに張られていますが、ほぼ壊れているのであまり邪魔ではありません。自然林が続き、快い山歩きです。かなりの長丁場でしたが、標高差300mを登るので、この程度長いほうが楽です。結局登り始めから100分ほどで一の段に着きました。アシビが生えていますが、金属プレートの奥山四等三角点(765.91m)があります。木が伸びていて展望はわずかです(写真)。


さらに尾根を西に歩きましたが、少し藪っぽくなりました。西隣の750m+ピーク付近はまるでかんな流しの跡のように尾根が尖っており、どの方向にも急斜面でした。ここから北方向に曲がって北にある林道を目指しましたが、この付近は急斜面です。滑りやすく、木に掴まって降りていくのに苦労しました。航空写真で見ると奥山三角点の北の谷は一見すると伐採地のようですが、よく見ると細い木が生えています。この付近を歩いていても、伐採地は見当たりません。ひょっとするとここで歩いた尾根は伐採地の縁なのかも知れませんが、通った付近は普通の若い植林でした。細尾根を通って、林道に出ました。2017/10/07に歩いている天谷線で、その時は大杉三角点からちょどこの付近に降りてきています。東に向かいましたが、未舗装でも歩きやすい林道で、時々大杉や大屋市場の町が見えます。


しばらく歩くと、林道から南に降りる道がありました。この付近は広く伐採されています。航空写真で見るとこの下の谷で大規模な崩落が起きており、そこへ通じています。崩落箇所から下には堰堤が多数設けられており、川(奥山川)沿いに降りて行けそうですが、工事の跡は歩きにくいのでここはパスし、その東の尾根から下山することにしました。ここにも下向きに道がありますが、それは使わず尾根を降りました。植林ですがちょっと歩きづらく、倒れたネットに沿って降りていくと岩とススキに囲まれた金属プレートの加保坂四等三角点(559.95m)がありました。さらに尾根を降りました。最初は尾根の先にあるアンテナを目指していましたが、途中で西寄りの尾根を降りたほうが近道だということに気付いて490m+から南西に降りました。ここは地形図から予想するよりもずっと急な斜面でした。ネットがあったのでそれに掴まって降りました。ひとしきり降りるとだいぶ楽になり、あとは細い尾根に沿って植林を降りました。途中で大杉の集落が見える伐採地があり、222m地点を過ぎるとお堂があり、林道へと降りられました。


展望 ★☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「関宮」です。



2021年8月25日水曜日

杤原天神から鎌倉岳

 


栃原川の奥、富栖湖の東にある鎌倉岳には2008/08/07に登っています。その時は栃原川を奥まで歩いて登ったのですが、今回はもっと手前の杤原神社から登ってみました。神社の裏には金網がありますが、神社の左手に扉があります。ここから急斜面を登り、一気に尾根を上がりました。この尾根は2009/05/31に下山に使っており、その時は楽に降りられたようなのですが、確かに下草はありません。しかし非常に急な斜面で、植林とはいえ決して楽な登りではありません。それでも40分ほどで奥中山四等三角点(530.03m)に着きました。2009/05/31には南からここまで歩いてきて下山したのですが、今回はここから北に歩きました。植林は意外と少なく、あまり背の高くない自然林が主体でした。2つ目の520m+ピークの北端には脚立と赤白のポールがありました(写真)。何をしていたのでしょうか?その北の498mピークも特に特徴はありません。この付近まで歩きやすい尾根でした。この北の490m+ピークはちょっと岩があり、倒木が増えてきました。この付近からは鎌倉岳の南の岩壁がよく見えます。この付近からは藪との戦いとなりました。


倒木が多く、灌木も生えており、棘のある木も多いので気を抜けません。倒木はともかく地面が見えるところを歩きたかったので、南側に少し下がってトラバース気味に歩きました。少し東に曲がると幅広く緩やかな尾根があるので、それに上がろうとしたのですが藪で上がれません。結局南側の植林の中を歩きましたが、そのうちに谷に向かってしまったのでやむなく尾根に上がりました。しかしここもひどい藪で、結局は南にまた降りてトラバースを続けました。最終的には南寄りの岩の多いところを上がっていきましたが、ここも倒木があります。急斜面なのでできれば北のもっと緩やかな尾根に行きたかったのですが、倒木だらけの急斜面をトラバースするのは無理で、結局急斜面を登り続け、なんとか岩壁から延びてくる尾根に上がりました。ここから北に歩いて、灌木の藪を抜けると鎌倉岳の山頂でした。若山四等三角点(725.45m)があります。2008年には切り開きだったようですが、アシビが生い茂っており、三角点は完全に包囲されていました。南に僅かに空き地と展望がありました。


ここまでもひどい藪がありましたが、この先も藪だらけでした。若山三角点から北に歩きテレビの中継アンテナを通り過ぎると、尾根の上はシダと倒木の藪なのでここも南側に降りた植林を歩きました。しかし急斜面になってきたので結局尾根に上がり、藪を歩きました。シダは膝程度の高さですが倒木が隠れているので危険でした。登りになって少し歩きやすくなり、今日の最高点の798mピークに着きました。ここから南の尾根は2009/03/20に歩いています。アップダウンはありますが藪はなく歩きやすく、たまに岩場もありますが、展望は木の間から東西の山が見える程度です。まず金属プレートの菅生四等三角点(680.28m)に着きました。さらに長い尾根歩きで580m+鞍部から細尾根を歩き最後の岩場は西側を巻き、登りになりますが標高650m付近からは伐採地で、また倒木の間にシダが茂っていました。この付近は2008/08/15に通っておりその頃も歩きにくかったようですが、今はさらにひどい状況で小畑四等三角点(682.38m)の周囲もシダが茂っており、倒木や藪だらけでした。なんとか方向を定めて西向きの尾根に降りていきましたが、こちらも相変わらず倒木とシダの藪が続きました。標高600m付近まで降りてくると植林になって少し楽になりましたが、幅広い植林で方向が定まらず、GPSを頼りに間伐木と枝打ちされた枝の上を降りました。最終的には細い尾根にたどり着き、だいぶ歩きやすくなりました。尾根から降りたところには2008には稼働していた養鶏場の残骸があって、突っこむと歩きにくそうだったので、川に近いところに降りて通り抜けて、栃原川に出ました。7時間半も歩いていました。


鎌倉岳の北東の倒木とシダの藪は2008/08/07にも通っていましたがGPSの記録が不確かで、今回行ってみて確認できました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★★

地形図は「山崎」「寺前」です。



2021年8月22日日曜日

安志から登る安志三角点

 


安志三角点には2007/04/29に行っているのですが、もう昔のことなので別ルートで行ってみました。登り口は安志にしたのですが、どこから登るのが正解かわかりません。菅谷のあたりで人家の間を覗いていると用水路があり、これを遡ってみました。暗い竹藪に入り込んでしまいましたが、上流には堰堤があります。地形図には溜池がありますが、その下に堰堤が作られたようです。金網フェンスがありますが扉があったのでそこから山に入りました。急斜面に竹と木が混ざって生えています。ちょっと登ると少し平坦になり、下草がないので楽に登れるようになりました。しかし地形図でもわかるように標高250m付近は再び急斜面で、作業道の名残を探してジグザグに登りました。尾根に上がると金属プレートの向山四等三角点(284.85m)がありました。


三角点のすぐ西には共同アンテナの残骸があり、下草のない尾根歩きとなりました。標高330mくらいのところで南の尾根から道が上がってきているようで、加茂神社のあたりから道があるのかも知れません。標高420m付近には伐採地があり、明神山が望めました。そして倒木の間にシダが生えているところを抜けて、気持ちの良い林に戻って、2007/04/29に通った473mピークに着きました。岩が少しあり、西側に新しそうなネットが張ってあります。ここから尾根を北に歩きましたが、最初はネット沿いが藪になっており、歩きにくい尾根でした。しかし東側は植林で、サンショの木の香りが良く、国見山方面がちょっと見えて、再び少し藪っぽくなってきて、安志三等三角点(517.89m)に着きました。(写真)


三角点の北の細尾根は少し岩場があり、それを抜けると510m+付近は伐採されて再び明神山が見えました。ここからは2007/04/29のルートから外れて北東に降りました。東側は植林が多いのですが、尾根は藪っぽく、広い尾根で方向に迷いました。植林と自然林の境を降りるのが正解のようでした。降りていくと東側は伐採地があり、灌木や草の生えた急斜面を降りて、340m+鞍部に降りました。ここには2008/04/12と2008/08/24に北から来ました。神野溝口線三九鉄塔は前と変わりませんが、林道の四差路となっています。西側は三谷に降りる道と、北西に登っていく道で、どちらも前からありますが、東側には砂利の敷いてある林道が北と南の斜面に作られていました。どちらも新しいとは言え草が茂っています。降りられるかと思ってまず南側の林道を歩いてみましたが、すぐに終わってしまいました。引き返して北側の林道を歩くと、これは徐々に植林を下っていき、伐採地をジグザグに降りていきました。伐採地と言っても限定的で、長距離になりましたが楽に下山できました。入り口には鎖がかかっていましたが、倒木もあって車で峠まで上がるのは無理です。降りてきたのは県道522号線の通っているはずの谷ですが、倒木を阻止するための堰堤が作られており、県道はありません。なお峠にあったお地蔵さんは昭和45年に下河に降ろされています。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「安志」「山崎」です。



2021年8月11日水曜日

四辻から三ツ森三角点

 


2021/07/03にも歩いたうすづく峠の北の尾根を、夢前町莇野の四辻から歩いてみました。四辻交差点から西に歩いて中国縦貫道の脇の道に入ると北側に墓があり、墓地に上がる道があります。江戸時代のものを含めた墓石のある墓地を抜けてさらに斜面を登ると金網がありますが、扉がありました。扉だけでなく電柱もあり、ここから斜面を電柱に沿って登りました。上り切ると携帯の基地局らしいアンテナがありますが、基地局にしては名無しです。アンテナの形は携帯か地デジのようでした。ここから西に向かって尾根歩きですが、植林で楽に歩けました。下草はなく、枝が落ちている程度です。西に向かって歩けば迷うことはありません。展望はありませんが、しばらく歩いて2008/04/29に登ってきた尾根と合流して北に方向を変え、343mピーク付近から安志がちょっと見えました。そして播磨線六九鉄塔に出ましたが、展望は思ったほどではありません。巡視路は南西斜面から来て、尾根を北に行って420m+ピークに向かって登り始める前に東に行ってしまいます。この付近の植林はきれいです。時々自然林もあって、気持ちの良い尾根ですが、アップダウンは意外とありました。420m+ピークを過ぎて再び上りになり、急斜面をあがって三ツ森三等三角点(467.98m)に着きました。


三角点からは平坦な尾根を北に歩くと菅生反射板です。下山はここから東に尾根を降りました。ここは少々藪っぽいのですが、それを抜けると平坦な荒れ気味の植林になりました。しかし南東に延びる尾根はさほど急でもなく植林で障害物も無いので問題なく降りられました。最後は金網がありましたが、谷のところに扉があって、谷沿いに歩いて道路に出られました。歩き始めてから3時間もかからずに四辻に戻ってきました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「前之庄」「安志」です。



2021年8月7日土曜日

大屋町筏から登る銅山

 


宍粟市と養父市の市境にある銅山には何回か登っていますが、今回は北から登ってみました。まず大屋町の筏まで行き、佐治見川沿いの林道を遡りました。2017/08/02に反対方向に歩いており、上流まで石積みがあります。1時間ほど歩き、標高も400mを越えた付近に三社栂注連大明神という神社があり(写真)、ここから「普通母樹(林)」の札のある急斜面を登りました。最初はさほどではなかったのですが、徐々に急になって木に掴まってようやく登れる斜面でした。気温が高く(28度)風がなくて消耗しました。ようやく植林の尾根に出ましたが、何度も休んで疲労回復しながら登って行きました。この尾根も最初は急ですが、徐々に緩くなり、周囲も良い雰囲気の林になりました。807m地点から銅山までは、2014/09/20に歩いています。市境のところで急斜面に突き当たりますが、今回は作業道で西側の尾根に出てから登りました。市境の尾根には大路峠への道標があります。そして銅山に着きました。筏三等三角点(953.82m)があります。


下山はまず登って来たルートを戻りました。急斜面を降りて807m付近からは2014/09/20の逆コースで降りました。その先は、今度は2015/05/05に和田から和田山に登った時のルートとなりました。652mピーク付近の植林は気持ち良いのですが、その北の急斜面は堪えました。750mピークから少し藪もあります。790m+ピークからはネットもあり、少し登って和田山三等三角点(809.1m)に着きました。


和田山三角点からは2015/08/02と2015/08/07の逆コースです。ネットがありますが、踏み跡もあり、636mピークに登って下り、590m+ピークに出ました。ここから2015/08/07の逆コースで北の蔵垣三角点の方へ行こうと思っていたのですが、急斜面を下る時に方向を間違えて、ほぼ真北に向かう尾根に降りてしまいました。方向を修正する元気もなかったので、そのまま降りました。これは正解で、歩きやすい尾根を降りていくと、林道が尾根を横切っていました。左右どちらに行くか迷いましたが、下り気味の右(東)に行くと、何度もターンしつつ下山できました。この谷は家ノ前川と言うらしく、堰堤があり、蔵垣二号古墳もありました。そして林道蔵垣上奥山線で蔵垣の集落に出ました。


筏から銅山まで直線距離で5kmあり、林道佐治見線はともかく帰りの尾根歩きは距離が長くて暑さの中で疲れました。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★☆☆

地形図は「大屋市場」です。



2021年8月4日水曜日

若桜町落折から家の谷川周辺

 


平家落人伝説のある落折から家の谷川を遡って歩きました。最初は舗装道路ですが、地形図で実線道が破線道になる堰堤付近からは細い道になります。斜面に作られた道なので崩れて危険な箇所があります。なんとか地形図で道が谷を西に渡っている所まで行きました。橋がありませんが、水量が多かった割には簡単に靴を濡らさずに渡れました。渡って斜面を登ると石積みがあって道がありました。谷に引き返すと、対岸にも石積みがあって、おそらくここに橋があったのだと思いますが、橋のカケラも残っていません(写真)。この道は意外としっかり残っていましたが、小さな水のない谷を渡り、その先でターンする部分から跡形もなくなりました。しかたなく急斜面をよじ登ると、また道がありました。これを北に歩くと、地形図で破線道が少し標高を上げる付近で道はなくなってしまいました。見上げると急斜面でしたが、まっすぐに登れば西の尾根に上がれるので、迷わずまっすぐ登りました。最初は木に掴まりましたが、徐々に楽になりました。周囲は植林と自然林が混ざっていて、感じの良い林です。かなり疲れましたが、滑落の恐れはなく、尾根まで上がれました。ここは2021/6/2に通っています。風があって気持ちの良い自然林の尾根を歩き、周囲が植林になり、戸倉峠から延びている林道に出ました。


林道を東に歩きました。暑い日でしたが適当に雲があって助かりました。家の谷川を渡り、谷の東側に来ると、2021/5/29に降りてきた付近です。そして下山ルートは1140m地点から延びる尾根にしようと思って、林道から外れました。この付近は分かりにくく、植林も若いようでヒノキの枝をかきわけて暗い林を降りなければなりません。古い林道もありましたが、下山の方向には行ってくれないので、GPSで方角を見て降りていきました。しばらく我慢して降りると、大きな木の生えた風通しの良い森になりました。966mピークも気持ち良い自然林です。この後は尾根を南に歩き、そのまま南の880m+鞍部に降りました。東側にはよく整備された林道が南北に走っており、そこから西に鞍部を通って林道がありました。「作業道 第2大サコ線」という杭があって、管理者代表が平家さんなので落折に出られるのではないかと期待してこの林道で下山することにしました。しかし期待に反してこの林道は一度ターンした後、谷で終わっていました。しかたないので植林をトラバースして谷を降りました。最初は良かったのですが、この付近は地形図で見るとなだらかなのですが実は起伏が多く、急すぎて降りられない場所もあり、回り道しながら降りていきました。土が黒いので、かんな流しの跡なのかも知れません。地形図の破線道に出ましたが、細い谷になってしまって降りられず、斜面を横切って行くとどんどん南寄りになってしまいました。一時は667mピークの南に行ってしまい(この付近は石積みがありました)、北に戻ってススキの草原を抜けました。この付近は以前は畑だったようです。草原の端に潰れた小屋があり、道があったので降りると谷には堰堤があって、折り返して舗装道路に出られました。この下山は失敗です。


展望 ☆☆☆

藪山度 ★★☆

地形図は「岩屋堂」「戸倉峠」です。