2015年8月29日土曜日

公文川から登った三久安山

三久安山には何度か登っていますが、今回は東の公文川から登ってみました。三方から県道521号道谷三方線で公文川を遡り、溝谷への分岐を右に橋を渡り、小原の集落を抜けます。道谷方面と藤無山の分岐を道谷の方へ行くと、じきに舗装が終わってしまいますが、その手前に車を置いて歩き始めました。橋を渡って道路が川の西側に来たところで、西側に谷があり、橋が架かっています。ここの斜面から尾根に上がることにしました。ここは尾根の先が道路に接しています。急斜面を無理矢理登ると、すぐに作業道がありました。荒れていて、谷の奥に向かっているようなので、道は歩かずにさらに真っ直ぐ登りました。急斜面なので腕力で登っている状態がしばらく続きましたが、標高差で100mほども登ると脚力だけで登れるようになりました。この後も何度か腕力に頼る場所はありましたが、ひどい急斜面はなく、標高750m+の主尾根に達しました。地形図では主尾根の手前が急勾配ですが、ここは足場が良かったので特に問題無く登れました。

主尾根に出ても、残り標高差400m以上を登らねばなりません。まず最初に100m程度を登るややきつい斜面がありましたが、後は植林が多く、たまにアセビが茂っている程度で藪も少ないので、歩き易い尾根でした。標高が上がるにつれて植林よりも自然林の中に巨木が目立つようになります。これがこの山の魅力でしょう。標高1000mを越した付近では木が無くてシダが茂っている場所もあります。ここを過ぎると木の間隔の広い自然林となり、気分良く歩けました。そして幅広い尾根から、シダの茂った三久安山山頂に出ました。展望はありませんが、日当たりの良い気持ちの良い場所です。小原三等三角点(1123.13m)と、宍粟50名山の標識があります。

下山は北に歩いて県道521号線の分水嶺の峠を目指しました。三久安山から北に延びる尾根は2012/05/26に通っています。広い尾根で、風通し最高です。まず大きな葉を付けた巨大なホオノキがあります。その後も巨木が多く、夏も終わりとはいえまだまだ緑の葉がきれいでした(写真)。途中から西側は植林になりますが、尾根上と東側斜面は自然林です。1012mピークに登り、鞍部まで降りてからだらだらと1067mピークに登りました。ここは2012/06/23に鹿伏川から登ってきました。ここで進路を東に取り、まっすぐに進みました。次の1050m+ピークで少し迷いましたが、この付近は小ぶりな木が増えますがまだ自然林です。そして緑を楽しみながら歩いていると、標高1000m付近まで降りたところで南側が伐採地となりました。この伐採地はここまで歩きながら見えていたものです。背の高い草が茂っていて、足を踏み入れたくありません。伐採のおかげで展望は十分です。藤無山から三久安山まで見渡せます。しばらくは伐採地のネットに沿って陽に炙られながら尾根を歩きました。金属プレートの阿舎利四等三角点(982.51m)は、そのネットのすぐ下で草とネットに埋もれていました。白いポールが近くになければ、見つけるのは不可能でしょう。ここで伐採地に別れを告げて、北の尾根に行きました。ここはとても手入れの悪い植林という感じです。989mピークからは東に尾根を降りました。すぐに林道がありました。この林道(作業道という感じ)は古い地形図には載っています。ジグザグに草の茂った古い林道を降りましたが、下の方は湿地帯となっており、林道は消えてしまいました。県道に近づくために谷を渡ると、ここにも古い作業道がありましたが、これを歩いても県道には出ません。県道はこの位置ではやや高い位置を走っていることに気付いて、最後は腰近くまで伸びたシダの茂った斜面を無理矢理登って県道に出ました。ここは素直に谷を降りた方が良かったかも知れません。この付近の谷の地形は複雑で、おそらくはかんな流しの跡ではないかと思います。

今回の目的の一つは、この県道521号線が開通しているかどうかを確認することでした。小原の付近には通行不可と書いてありますが、2013/08/27に藤無山から降りてきて確認したところでは、今回降り立った付近から道谷側は整備されていました。南に歩くと、最初は登りですが、カーブの所が峠となります。ここは標高がほぼ900mもあります。「阿闍梨国有林森林整備事業(造林)」という表示があり、車がとまっていました。峠から南はジグザグの下りとなります。倒木などの障害物は無いので、歩くには問題ありません。しかしガレ石が転がっていて足が痛くなる場所もありますし、山側は崩れ気味で道幅も狭く、自動車で通るのはあまりお薦めできません。公文川まで降りてきたときは、ほっとしました。距離としてはそこからも長くて、1時間半近く歩きました。586m地点では西向きの林道は進入禁止となっていました。ここには江戸時代の墓があり、19世紀前半のもののようでした。谷は水流が美しく、木々も美しいので、気持ちの良い谷なのですが、足下はなかなか歩き易くはならず、ハイキングコースとしてはイマイチでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「音水湖」です。

2015年8月28日金曜日

赤西川から波佐利山

以前に赤西渓谷を訪れたとき(2011/09/23)は、木材の積み出しが行われており、林道も轍で無茶苦茶でした。作業が終わったようなので、赤西渓谷から波佐利山に行ってみました。

赤西渓谷の林道は相変わらず狭く、途中からは未舗装で、しかも大きめの石がごろごろしています。そんな所を走っていると、「軍師官兵衛 タイトルバックの撮影がここで行われました」という看板が立っていました。その付近の渓谷の風景は、そう言えばそうかも、という程度のものですが、これが観光客を集めているようで、帰りには乗用車2台(1台は神戸ナンバーのベンツ)とすれ違いました。すれ違うのが大変な道ですので(特に林道に入る前のサイクリングロード)、喜んでばかりもいられません。この新名所から更に上流に走って、赤西森林広場まで行くと、橋の手前にゲートがあって、鍵が掛かっています。ここに車をとめて、歩き始めました。前とは違って歩き易くなっています。所々に「通話可能ポイント表示」がありますが、どこでも通話不可能です。意味のない表示ですが、赤西林道起点からの距離が書いてあるので、自分の位置が分かるという利点はあります。「赤西の先代杉」という巨木もあり、多少は楽しめました。この道にはかつては森林鉄道が走っていたようです。

林道を歩いて行くと、川が二つに分かれています。右(東)側が赤西川源流となっています。この付近は以前は作業小屋もあって賑わっていらのですが、今はすっかり片付いています。ここから正面の山を登ればよいのですが、どう取り付いたら分からないので、まず西に行く林道を上ってみました。この林道は地形図にも描いてありますが、正面の山に登るには不向きなので、登りやすそうな所で斜面を登りました。登りやすそうと言っても、滑りやすい砂地の斜面を木に掴まりながら登るしかありません。しかし、ちょっと登るとまた道がありました。軽トラックが通れるくらいの幅ですが、落ちていた金具(写真)を見るとここにも森林鉄道が走っていたかも知れません。この道も斜面にほぼ平行で、おそらく赤西川上流から折り返して来ているものと思いますが、これを歩いていても山には登れないので、途中でまた歩き易いところから尾根を登りました。急勾配ですが、割と歩き易く、雰囲気の良い尾根でした。植林が多いのですが、大きな木の古い切り株がたくさんあるのが気になりました。ここは標高差400mを登らねばなりませんが、標高1100m付近に来ると木が減って展望が広がります。三室山、竹呂山から、赤西渓谷も見えるようになります。この付近に生えている大木もなかなか立派なものです。あとは頑張って50mほどを登ると、県境かつ日本分水嶺の尾根に出ました。1202mピーク(赤西山)は気分の良い場所ですが、特に何もありません。

ここからは北に県境を縦走しました。気持ちの良い林が多いのですが、場所によっては尾根上に背の高い草などが生えていて、北側を巻きました。1047m地点を過ぎて、1130m+ピークまで登ると、ここは2015/05/27に大ボウシから来た尾根です。前とは逆向きに歩いて、次の1130m+ピークで東に折れて、1100m+鞍部まで降りて登る返すと、波佐利山山頂に着きました。波左利三等三角点(1191.68m)があります。

波佐利山からは、2012/06/24に音水渓谷から来たときに登った尾根を降りました。山頂で「原生林登(山口)」と書いてある方向です。こちらは道案内の板が時々立っています。1122mにも板があり、「音水登山口」の標識もあります。途中で少し笹が増えますが、今日の行程で笹が生えていたのはこの付近だけでした。1100m+小ピークで音水渓谷からの登山道とは分かれて南に向かいました。しばらくは植林が続きます。あまり手入れはよくありませんが、倒木も少なく雰囲気は悪くありません。1110mピーク、1081mピークと、多少のアップダウンがあります。その南の1107mピーク付近は2011/09/23にも来ましたが、自然林が増えます。時々開けた場所があり、西には竹呂山、東には遠く日ノ原が見えました。1106mピークも広い場所です。そして、その南の1080m+小ピークで前回のコースから外れて、赤西森林広場方面へまっすぐ降りました。標高差600m近くを降りなければなりません。最初はなだらかで気持ちの良い尾根でしたが、徐々に急勾配で藪も増えました。岩も多少あります。とにかく忍耐強く、斜面を斜めに木に掴まって降りたりしながら、標高600m付近まで降りると、トラロープが張ってあって道がありました。北方面は「赤西の尾根道」で南は「丸太階段道」ですが、ここは階段道をまっしぐらに降りました。木に名前の書いてある札がついていたり、遊歩道らしい感じです。階段も作られていますが、朽ちかけていました。最後はまさに林道のゲートの所に降りてきました。このとき初めて気がついたのですが、この付近は墓地です。よく読めないのですが、江戸時代のお墓が草に埋もれていました。

波佐利山から林道のゲートまでの尾根は長く、3時間以上かかりました。あまり障害物のない尾根で、かえって退屈かも知れませんが、林道を歩いて帰るよりは楽しめたと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月23日日曜日

南から登った植松山の西の山

先日(2015/08/19)も登ったばかりの、植松山の西の山ですが、今度は南から登ってみました。いろいろ調べて登り口は特養施設の上の分譲地の北にある携帯のアンテナ付近にしました。この付近は行ってみると分譲地以外は意外と起伏があります。アンテナの周辺は笹が茂っており、それを東の方へ抜けると荒れた植林でした。植林の中に金網があって、簡単には山に入れません。頑丈な金網ですが、倒木で低くなっている場所があったので、そこを抜けました。更にもう一つ金網がありましたが、こちらはかなり傷んでいたので簡単に抜けられました。ここからは植林を登りましたが、起伏の大きい典型的なかんな流しの跡です。高台に上がったり谷に降りたりしながら登っていくと、そのうちに地形も落ち着いてきて、厳しい登りになりました。周囲は植林が続きますが、倒木もシダもあります。

629m地点は通っていませんが、この上には共同アンテナの残骸がありました。この付近から勾配も緩くなり、登るのは楽になりました。振り返ると南に展望が広がっていました。山の南から登ると頂上までの距離は長く、1029mピークまで、たっぷり2時間かかりました。標識などはありませんが、木に「ピーク1029m」と書いた赤いビニールテープが巻いてありました。ここから最高地点の1109mピークまでは尾根歩きです。尾根上は岩ありアシビありで歩きにくいのですが、ちょっと尾根から下がれば問題無く歩けました。岩が多くて歩きにくい斜面を降りて登り直すと、同じく赤いテープに「ピーク1052m」と書いてある藪っぽい1052mピークでした。それからやや広々した尾根を歩いて、1109m地点に着くと、ここにも木に「ピーク1109m」と書いた赤テープがありました。ただしここは最高地点ではなく、その北はさらに少し登って1110m+となります。この付近から尾根は広々して、植林も自然林もきれいです。さらに北は少し藪っぽくなり、先日登ってきた1150m+の幅広いピークまで行きました。

下山は尾根を引き返しました。降りるときはどう歩いて良いのかわからなかった岩場の斜面が登りだと簡単に道が見つかります。1029mピークまで戻り、西に尾根を降りました。ここは広い尾根ですが、ちょっと降りると小さなピークがあります。その手前はシダと倒木で埋まっており、シダの背は高くないのですが足下の倒木が見えないので、通り抜けるのに苦労しました。ピークに上がれば、植林です。その先は岩もある細い尾根ですが、軽快に降りられました。明地野四等三角点(871.20m)は、尾根上にありますが、特に平らな場所ではなく、斜面上です(写真)。特に迷わずに尾根の西端まで来ると、あとは南に降りましたが、方向が定まらずに苦労しました。長く伸びる枝尾根に乗るには、途中で尾根を乗り換える必要がありました。最初は倒木やシダが多いのですが、徐々にきれいな植林になりました。さらに下っていくと、今度は倒木の多い荒れた植林になり、これを苦労しながら降りると、滝の上に出てきました。腐りかけた橋があり、植林には道もあるのですが、降りる道がありません。結局一度南側に渡り、最初の滝の下まで降りて、また北側に戻り、岩肌を歩いて道路(県道72)に降りました。「いろは滝」と書いてありました。

山の上で遊んでいたので、5時間以上かかりました。地形図で見た印象よりは登りやすい山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月19日水曜日

カンカケ越周辺の山を歩く

説明しにくい山なので、題名はカンカケ越にしました。2011/08/24に登った植松山の西側の尾根に、千種川から登ろうというルートです。ただし登るのはかなり北側で、千種川が西に曲がる川井のちょっと南、足谷川付近です。千種川沿いに「宍粟の自然水」を売っているところがあり、その前から細い道を入ります。民家があり、すぐに害獣避けの扉があります。ここからカンカケ越までの林道が始まります。しばらく登って、道がヘアピンターンするところで西に向かう破線道に進みました。この南の尾根を登ろうと思ったのですが、この破線道は途中から怪しくなり、消えてしまいました。しかたなしに、その付近の植林の急斜面を登りました。幸いに作業道も少し残っていて、なんとか612mピークまで登り切ることができました。

ここから東に少し降りると、そこには林道がありました。かなり立派なもので、新しい地形図には載っているようです。ただし倒木があったりして、車で通れるものではありません。この林道を歩いてくればここまでの苦労はなかったのですが、とりあえず林道は見なかったことにしてまっすぐに植林の斜面を登り続けました。倒木が邪魔ですし急斜面ですが、真っ直ぐ登っていくと、尾根に出られました。この尾根は岩が多く、地形図から予想していたものとはだいぶ違いました。特に946mピークの下にはピンク色の大きな岩があり(写真)、大きく巻かないと登れません。両側は切り立っており、意外とスリルのある登山となりました。この先も岩場が続きますが、展望はあまりありません。歩き始めて2時間以上かかって、やっと広々とした自然林の尾根に着きました。1150m+ピークです。東に行けば植松山やヒルガタワ、荒尾山です。

主尾根は2011/09/25と同じルートです。北に歩き、1178mピークを過ぎ、1170m+の分岐からカンカケ越まで降りましたが、かなりの藪です。アシビが茂っているだけでなく、巻かないと降りられない大きな岩、邪魔なネット、笹(チシマザサではない)の生い茂った伐採地、飛び回るハエとハチ、という案配で、気持ち良く歩ける尾根ではありません。最後は少し楽になりましたが、カンカケ越に降り立ったときはへとへとでした。カンカケ越は4年ぶりですが、前にあった黄色い通行禁止の札がなくなっていました。ただし、少し西に行ったところのバイク用(?)の道標は健在です。

ここからは林道を素直に降りるのが普通で、2011/08/31はそうしましたが、今回はまだ三角点を見ていなかったので、三角点を見に行くことにしました。崩落の進んでいる林道を少し降りてから、南西に延びる尾根に乗りました。最初は草の生えた道がありますが、道の終わりをそのまま進むと763mピークへ行ってしまいます。先の尾根が見えない状態で南西に降りて行くと、笹の茂った尾根に乗れました。この尾根は伐採地以外は植林が多くて歩き易いのですが、伐採地は笹かアシビが茂っています。ちょっと登ると大きな岩もありますが、巻くほどのものではありません。そして、小さな空き地に寺谷三等三角点(787.66m)がありました。この先はひたすら植林を降りましたが、傾斜がきつい割には降りやすく、助かりました。最後は、最初に通った林道の扉を目指して斜面を降りました。そうしないと、山裾は頑丈なネットに囲まれていて、外へ出るのが大変だからです。

標高差700m、5時間半のコースでしたが、けっこう楽しめました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月15日土曜日

鳥ヶ乢から登る荒尾山

以前(2011/7/31)に波賀町齋木の前地から荒尾山に登ったことがありますが、その時は登山ルートを無視して746m地点を経由して登りました。今回は鳥ヶ乢近くから登ることにしました。

鳥ヶ乢トンネルの上の旧道に登って登山口を探そうと思いました。しかし国道429号線を歩いていると夏の日差しは朝といえども強く、道を歩くのは消耗するので、旧道に入る前に植林の林に入ることにしました。登りやすそうな場所を探して植林に入ると、日差しはなく風があって、快適でした。ただし植林は急峻なので作業道を探して辿りました。すぐに尾根に出て登り始めましたが、周囲の地形はやけに起伏が大きく、かんな流しの跡のようでした。ちょっと登ると林道に出会いました。そんなに立派なものではなく、未舗装でした。さらに尾根を登る道があり、これで登り続けました。かんな流しの跡が目立ちますが、そのうちに塩ビパイプや白い木の箱(中にはケーブルの束と除湿剤)などが散見されるようになりました。パイプが導水管として斜面に置かれている場所もあり、なんらかの水利事業が最近行われたようです。この付近は美しい植林です。主尾根を登り、荒尾四等三角点(811.28m)には細尾山と書いてありました。なんと2015.08.15登頂記念のプレートがありましたが、私が登ったのと同じ日ですね?

ここからは登山コースの尾根を歩きました。さすがに歩き易く整備されています。だいたい東側が植林、西側が自然林という場所が多いようです。植林は美しく、下草はなく、風があって文句のない山登りとなりました。ただし勾配は所々けっこう急です。展望もたまに木の間から日名倉山が見える程度です。標高差200mを50mずつ4回にまとめて登るようなものでした。最後は少し岩が多くなり、荒尾山(1108m)に着きました。三角点はありません。標識には植松山90分、大甲山30分と書いてあります。

大甲山への道は、間違えずに尾根から降りれば問題ありません。ちょっと野尻方面が見え隠れしする尾根を素直に歩けば、大甲山(おおこうざん)に着きます。斉木三等三角点(1035.37m)があります。伐採してありますが木があって齋木付近は見えず、遠景に黒尾山や日名倉山が見えます。下山はまずそのまま尾根を下りました。広い植林の急斜面の尾根ですが、ジグザグに登山道が付けられています。赤テープのマーキングを辿ると、ちゃんと登山道で降りることができました。ひとしきり降りると行者山への分岐があります。前回はここから東に744m地点の方向に折れて、行者堂を見に行ったのですが、今回は真っ直ぐに降りました。こちらも気持ちの良い自然林の林で、木の間隔が広いので気持ち良く歩けました。その下には行者登山口への道標がありましたが、これは無視して登山道ではない尾根を降りました。自然林ですが岩が増えてきて、急勾配もあります。そして周囲が植林になると、またかんな流しの跡になりました。かんな流しを行った後で木が植えられて植林となり、枝打ちした枝が積み重なって落ちています。さらに何度も土石流があったようで、岩がたくさん転がっていますが、地形は変わっていません。不思議な形に土が盛り上がっており、これがあちこちにあります。間は幅10m程の深い溝になっていて、歩くのも大変です。こんな斜面を標高差で100m近く降りると、林道に出ました。未舗装ですが、立派なものです。最初は林道で帰ろうと思っていたのですが、日差しがきついので更に森の中を歩くことにしました。林道の南側もかんな流しの跡地です。急斜面を降りて行くと、田んぼが見えてきましたが、柵があることに気がつきました。柵に出口があるようにも見えたので行ってみると扉がありました。頑丈な柵なので扉を見つけないと苦労しただろうと思います。かんな流しの結果できた棚田と集落を抜けて、429号線まで戻りました。

最後の林道以降は蛇足ですが、登りでも下りでもかんな流しの跡地を見ることができて、興味深い山歩きとなりました。もちろん山頂での涼しさも最高でした。この日は姫路では31度、山頂では21度でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2015年8月14日金曜日

草木ダムの南の山

2011/5/7や2015/7/20に歩いた福知川上流と草木川上流に挟まれた山をまた歩きたくなって、今回は草木ダムから登ってみました。草木から草木川を少し下流に歩くと、川を渡れる場所があります。草木川のこの付近はダムで水を発電所に放水しているせいか、水が少ないようです。渡ったところにはビニールハウスがあり、ネットが張られていて扉がありました。これは鹿避けだと思って入ったのですが、中には椎茸栽培用の木がたくさん置いてありました。結局またネットから出て、目の前の急斜面の植林を登ろうとしたのですが、余りに急で、結局作業道を尾根の先まで水平に歩いて、尾根の先で尾根に上がりました。ここでもかなり腕の力に頼らざるを得ませんでした。最初からこの尾根の先端にまわってきて登り始めるのが正解と思います。

尾根は倒木が多いのですが下草は少なく藪もなく、楽に歩けました。少し登ると共同アンテナの残骸がありました。この場所で本当に受信できたのか疑問ですが、木にアンテナを縛り付けただけという手作り感が一杯でした。この先も自然林が続き、コナラがきれいです。たまにアシビが藪になりかけている所があり、鹿の食害がひどいようです。ちょっと藪っぽい坂を登ると、左東四等三角点(808.34m)が、かなり地味な場所にありました(写真)。この先は植林が増えてきますが、自然林は相変わらず美しく、アシビもときどき藪を作っています。953mピークは広くて気持ちの良い場所でした。

そして970m+の神河町と一宮町の町界に出ました。ここは2015/7/20に通りましたが、広いピークが五叉路になっていて、間違えやすい場所です。町界を西に歩きましたが、尾根が広くて気持ちが良いのはよいのですが、その分だけ方向が決まらず何度も間違った方向に行きそうになりました。2011/5/7にも2015/7/20にも通った白口三角点への分岐もややこしい場所ですが、曲がらずそのまま西に歩きました。この先は2011/5/7と同じですが、標高900m付近は意外と急な植林で、前回同様迷いかけました。しかしきれいな植林です。ネットのある尾根を歩き、植林を抜けて田ノ小屋四等三角点(671.44m)へ着きました。小さな標石がかなり埋まっていて、最初は三角点なのかどうか迷いました。ここから草木川めざして北の尾根を降りました。倒木の多い尾根ですが、勾配はそんなに急ではありません。最後は岩が増えてきて、大きな岩を避けて少し西側に寄って草木川沿いの林道に降り立ちました。現在草木へは百千家満から急坂の道がありますが、それがなければこの林道が草木と揖保川沿いの福中を繋ぐ生活道路になります。前回歩いたときに比べてずっときれいになっており、ひょっとすると全線開通しているのかも知れません。ただし草木方面に歩いて行くと柵が置いてあり「工事予告 この先 市道 横住線 工事のため8月5日より通行止め」という看板が立っていました。市道とは思えないので使い回しの看板でしょうが、まだ通れないようです。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」「長谷」です。

2015年8月11日火曜日

和田山の大倉部山

播但道を北に走ると、竹田城の西の城山トンネルを抜けた後に、目の前に大きく天辺の平らな山が見えます。これが大倉部山です。天辺は平らですが斜面はどの方向も急勾配で、登るのは大変そうです。調べてみると和田山町枚田(ひらた)の慧林寺(えりんじ)から登っている記録が多いので、ここから登ることにしました。とりあえず寺の山側の墓地に扉を開けて入り、一番上でまた扉を抜けると、お遍路になっている道がありました。それを登って、さらに真っ直ぐに歩きました。幅広い倒木の多い尾根がしばらく続きます。それから急勾配になり、斜面をジグザグに歩くことになります。地面が意外としっかりしていて、木はまばらでもなんとか登れました。標高差で100mも登ると徐々に勾配が緩くなり、尾根らしくなってきました。倒木は相変わらず多く、しばらくは勾配も急ですが、意外と歩き易く、520mピークに着きました。ちょっと西に歩くと、内高山四等三角点(522.10m)がありました。金属製の三角点は密集した松の幼木に覆われており、白い棒が立っていなければ見逃すところでした。

倒木も少なく、気持ちの良い稜線歩きが続きます。緑がきれいですし、日陰を歩けるので暑くはありません。岩が増えてきて、竹田城が時々見えるようになると、大倉部山の山頂に着きました。小倉部三等三角点(691.85m)があります。周囲は岩場ですが、木があるので岩に座って日陰で休めました。風があって最高でした。竹田城を見下ろす形で見られるのも魅力です。なんとなく裏手を見ている感じがしますが、虎臥城大橋も美しく、背景の朝来山を含めて絵になっています(写真)。ちょっともやがかかっているのが残念でしたが。

下山は南の峠を目指しました。藪を抜ける所が何カ所かありましたが、イバラに合わなかったので助かりました。峠の破線道を東に降りれば林道に出られるようですが、そのまま峠を突っ切って、藪っぽい低山を歩きました。久留引四等三角点(405.09m)も新設の金属プレートですが、これも松の幼木に囲まれていて、探し出すのに苦労しました。ここからも竹田城が望めますが、標高がほぼ同じなので水平に見ている感じです。最後は真っ直ぐ尾根を降りて浄水タンクに出て、北部農業技術センターを抜けて虎臥城大橋に出てきました。稜線をさらに辿ると放牧地に入り込んでしまうかもしれないので、まっすぐ降りて正解だったようです。

最初の登りは急ですが、それを除けば割と楽に歩ける良いコースだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬竹田」です。

2015年8月8日土曜日

生野町黒川の雲須山

地形図で青垣峠の付近を眺めていたら、北向きに周遊コースが組めることに気付きました。雲須山というのは、このコースの北の端に位置する三角点の名前です。雲頂山というのが正しいようです([1])。

青垣峠は北側斜面が工事中でした。ちょうど登ろうと思っている場所だったのですが、工事はお休みで、切通の上に登る作業道が分かりやすく、ラッキーでした。尾根に上がれば、あとは丹波市と朝来市の市境歩きです。東に行ってから北に向かいます。775mピークへ長い登りで、登ったら間違えずに北に降りなければなりません。この付近は植林と自然林が混在しています。新設の金属製の大外奥四等三角点(817.71m)を過ぎると美しい植林で、さらにはシダが茂っている広い尾根になります。その先には紅白の大河内線50鉄塔がありました。ちょっと木が邪魔ですが、西から南に遠景を楽しめます。そしてその先もまた美しい植林で、尾根歩きを楽しめます。十字路になっている870m+ピーク(馬が背)も開けた場所ですが、ここを西に曲がって、雲須山三等三角点(876.24m)に着きました。青いネットが張られていて、狭苦しい感じがしますが、西にもっと歩いて尾根の端まで行くと、黒川ダム湖が一望できました。

雲須山からは南にネット沿いに尾根を降りました。あとで湖の反対側から見ると、この尾根の西側、湖に面した斜面は木がかなり間引きされているようです。いちど670m+まで降りてから、西に急斜面を登って、762mピークに上がりました。伐採が進んでいるので、ちょっと木が邪魔でも湖がよく見えます(写真)。正面には青倉山が見えます。さらに尾根沿いに西へ、それから南に曲がりました。この先は雑木林で徐々に藪っぽくなりますが、歩きづらいと言うほどのものでもありません。660m+まで降りて、また700m+まで上がり、まっすぐ南下しました。638mピークの手前あたりは植林となり、歩き易そうなので638mピークには上がらず、植林を抜けて一つ東側の尾根を歩きました。大河内線46鉄塔まで登り、足場の悪い東斜面を降りて巡視路を見つけて下山しました。最後は神社に出てきました。

最後は少し藪っぽくなりましたが、湖の周囲まではすばらしいコースだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2015年8月7日金曜日

筏から登った大屋町の和田山

先週に引き続いて北から大屋町の和田山に登りました。ただし登り口は蔵垣ではなく、西の筏にしました。筏から東に大屋川の南側を走る道があり、これに沿って歩くと小さな墓地があります。ここが尾根の先になっているので、ここから急斜面を上がりましたが、木が多いところを上がるのが楽でした。しばらくがんばって登ると、伐採地の上に出てきます。ここから東側は最近伐採されて堰堤が二つ作られています(水はあるように見えませんが、大雨の時には鉄砲水になるのでしょう)。日差しを避けながら伐採地の縁を歩くと、その先は植林になります。快適な登山ですが、斜面に突き当たってジグザグに登ることになりました。これをさらに繰り返すと、蔵垣三等三角点(566.17m)のある山頂に出てきました(写真)。周囲は伐採してあります。

山頂からは尾根歩きですが、ひとつ南の550m+ピークから降りるところは尾根が分からず困りました。結局赤いテープの張り巡らされている所が正解でした。その先は細尾根もありますが歩くには差し支えありません。505mピークを過ぎて、緩やかな登りが続き、590m+ピークの南側に着きました。ここからは先週歩いた尾根です。この付近は大きな松の木が生えており、松茸山というのも頷けます。あとは前回歩いたコースの逆コースで、636mピークを過ぎ、最後は長い登りの後に和田山三等三角点(809.10m)のある和田山山頂に着きました。

下山は先週と全く同じです。590m+ピークまで戻り、奥山四等三角点(530.84m)を過ぎて松茸山を降りました。最後は265m地点から迷わず東側の尾根に進んで、先週通ったのと同じ扉から外に出ました。あとは県道を歩いて車まで戻りました。

全行程で5時間半も掛かりましたが、歩きにくい所はほとんどありません。風もほどほどに吹いていて、暑くても気持ち良く歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2015年8月2日日曜日

大屋町蔵垣から登る和田山

大屋町の和田山は2015/05/05に和田の方から登りました。山の名前が和田山で良いのかは若干不安なのですが、三角点名は和田山で間違いありません。今回は、北の蔵垣から登ってみました。

蔵垣の南の谷(ヲサメ谷川)は大規模な工事を行われており、近づけません。工事の行われている谷の東側の尾根から登ろうとしたのですが、二重の金網でがっちりとシールドされています。特に上側の金網は新しく全く壊れていません。山裾を入り口を探して彷徨いましたが、一度扉を開けて果樹園に入ると、すぐの所に扉がありました。ここから急斜面の植林を登りました。すぐに雑木林になりますが、ずっと地籍調査のピンクテープがあります。標高差50mほどを登ると少し勾配が少なくなり、さらに登るとさらに楽になりますが、急斜面に突き当たって、それを登ると金属プレートの蔵垣奥山四等三角点(468.38m)がありました。周囲は伐採されていて日差しが強いので、、すぐに先に進みました。すると立派な林道が尾根を横切っていました。どこから来てどこに行くのか、全く分かりませんが、蔵垣から南に延びる林道に繋がっているようです。この付近は大規模な伐採が最近行われたようで、その作業道かも知れません。林道は暑くて歩きたくないので、林道に挟まれた尾根に上がりました。小道があって、植林に出てきました。しばらく登ると、標高520m付近に地籍図根三角点があります。「地籍三角」と書かれた黄色いプラスチックです。この先もひたすら植林を登ると、標高650m付近で主尾根に出ました。主尾根の南には林道が走っています。この付近は前回は林道を歩いたのですが、日差しがきついので尾根を歩きました。717m地点から場所によっては細い尾根ですが、ネットがあるので自由には歩けません。また地籍図根三角点があり、南北とも見渡せるのですが、木が邪魔です。その先にはネットに引っかかって憤死した鹿の頭蓋骨が残っています。地形図の破線道が尾根を横切っている場所では、北側には道があるかも知れませんが、はっきりしません。さらに少し登ると、和田山です。和田山三等三角点(809.10m)があり、周囲は伐採されていますが展望はありません(写真)。

下山は西の尾根に降りました。こちらもほぼ植林で、歩き易かったと思います。ちょっと東側が見える所もありますが、展望はほとんどありません。たまに東側に林道が走っているのが見えました。636mピークにも地籍図根三角点があります。尾根が植林になっている部分は少なかったと思います。奥山四等三角点(530.84m)は、これも新設で金属プレートです。そのすぐ北には切通がありましたが、道ははっきりしません。雑木林を降りて行くと、標高400m付近には「このマツタケ山 売却済・入山を禁ずる」という札が落ちていました。その先の690m+ピークにも地籍図根三角点がありました。周囲は伐採してありますが、切った木を山から下ろさなかったようで、周囲は歩きにくくなっています。その先も長い下山です。265m地点からは西側の尾根を降りましたが、東側に林道が見えたので最後は林道を歩きました。ところが、林道の先には扉があり、ダイヤル式の錠前が掛かっています。番号を知らないと出られません。しかたないので扉から金網沿いに歩きました。この金網は最初に遭遇したものと同じ丈夫なもので、壊れている場所はなく、結局東の尾根の東側までまわって扉を発見しました。

最初も最後も金網に悩まされて、5時間以上かかりました。全体に単調な尾根歩きが多いのですが、藪はないので気持ちの良いコースでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2015年8月1日土曜日

笠杉トンネルの上を歩く

これは別名「笠杉山登山失敗記」です。笠杉山を北から登ってみようと思い、国道429号線を神子畑から西に走りました。橋を渡って大きくヘアピンで曲がる手前の所にお地蔵さんがあります。ここは神子畑川が南に曲がっている場所なのですが、南向きの谷は両側に林道があります。東側は「森林管理道 田路線」で、西側が「森林管理道 不動橋線」です。この谷の南の山から笠形山にまっすぐ登ろうと計画していたので、不動橋線を歩いてみました。谷は堰堤の上すぐの所で二つに分かれます。不動橋線はここから西向きの谷の北側を走りますが、深い谷のかなり上の所に作られています。そのため谷側はしっかりとした石造りです。谷は深くて岩が多いので、滝が何箇所かあり、景観は楽しめます(写真)。少し歩くと崩落があって、自動車は先に進めなくなります。その先は道がシダで覆われており、大きな草やイバラも生えていて、進むのは大変でした。その付近を抜けると歩きやすくなりましたが、じきに「不動橋線 終点」に着いてしまいました。終点は地形図の実線道の終点と同じです。計画では終点手前の所で谷を渡って反対側の斜面を登って尾根に出るはずでした。しかし、道が高い所にあるので、まず降りるのが難しそうでした。水量が多いので谷を渡れる地点も限られています。しかも反対側の斜面は地形図から想像するよりもずっと急峻で、植林が多いのですが斜面の崩落が進んでおり、足場が非常に悪そうでした。林道から先の破線道もありましたが、斜面に付けられている細い道なので崩落で消され気味で、あてにはなりません。

何度か行ったり来たりした挙句に、結局笠杉山ダイレクト登山は断念して、北側の尾根に上がることにしました。林道終点から北に岩の多い尾根を登って行くと、なだらかで歩き易い尾根に出ました。これを登って行くと、植林地帯に出てきました尾根に切通しがあって道が横切っており、地形図の破線道と同じ場所だったので、少し歩いてみましたが、斜面の道で消えてしまいました。しかたなく急斜面を北に登りましたが、最初から破線道を辿らずまっすぐ登るほうが楽だったでしょう。木につかまって登ると林道がありました。これは地形図の実線道で、時々車が走っています。これを少し笠杉山の方へ歩きましたが、先は長いので、林道が日本分水嶺の尾根まで上がった所で尾根に乗って、北に歩きました。植林の尾根は気持良くあるけました。笠杉トンネルの真上でしばらく風にあたって休憩し、さらに北に歩きました。ピークに上がって降りると、そこにはお地蔵さんがありました。ここが2013/05/23にも来た笠杉峠で、トンネルができる以前に歩いて通った道のようです。前と同じように神子畑側に道をたどり、道が消えてからはミツマタをかき分けて、林道に降り立ちました。

夏の熱い日に気持良く尾根を歩けただけでも幸せとしますが、いずれリベンジせねばならないでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。