2014年8月31日日曜日

美作大原の星祭山

なんと読むのか分かりませんが、「ほしまつりやま」で良いようです([1])。地形図で名前を見て登りたくなりました。登り口は山の南の酷道429号線沿いの笹岡で、尾根の先を上がった所に墓地があるので、そこから山に入りました。この墓地も古い墓が多く江戸時代中期のものがあります。登り始めた尾根は竹と木の混在する藪です。頑張って登ると主尾根に出ました。こちらは木の間が広くて見通しが良く、太い木にゴムチューブ(?)が巻いてあり、平成19年と書いた札が下がっていました。

尾根を北に歩くと、東側から道が上がって来ました。この道は広いのですが倒木が多く、歩くのは容易ではありません。432mピークまで行くと、小屋がありました。東屋と呼ぶほど洒落たものではなく、トタン屋根ですが、座って休めます。小屋の脇に落ちていた道しるべの残骸には「竹山城跡」「町民グランド」と書いてあるようで、遊歩道であることが分かりました。この北は防火帯のような広い切り開きですが、荒れ気味です。階段も作られています。

430mピークに来ると遊歩道は東に降りて行きます。正面のピークに登ると、中国電力の通信塔の跡がありました。金網で囲まれた場所があるだけです。そのまま北に尾根を歩いても良かったのですが、遊歩道が何処に行くのかも見たかったので、遊歩道を降りて行きました。じきに北側に舗装道路が現れて合流しました。合流点にには「町民グランド」の道しるべがありました。「武蔵の里遊歩道」だそうです。この先は竹山城趾となります。

城跡でアンテナ群を鑑賞してから(現在工事中なのは「消防救急デジタル無線設備」のようです)尾根に戻りました。通信塔跡へは戻らず、舗装道路を降りて行き、尾根に鞍部で接近した所で尾根に戻りました。これは正解だったと思います。ここからはひたすら星祭山に登りました。急斜面ですが所々に作業道の跡があります。560mまで登り切ると、NHKの高い電柱のようなアンテナが立っていました。「桂坪立石テレビ共同受信設備」だそうですが、おそらくアナログ用です。ここから山頂までは荒れた植林です。575mの山頂は北側の木が切られていて、展望があります。写真の正面は日名倉山です。実は山頂は不明確で、少し先の荒れた尾根が580m+の最高点となります。

下りは西側の尾根にしましたが、登って来た尾根より荒れています。南西に尾根を歩くと、550mの所で尾根が二つに分かれています。行きたいのは正面で、西に少し行ってから、植林の急斜面を降りました。見通しが良くて下まで見えたので安心して降りられました。このへんからは歩き易くなり、川上三等三角点(491.40m)を通りました。平坦な尾根の端には草地があり、共同アンテナの跡のようです。最後は急斜面を降りると墓地の上に出てきました。降りると人家の庭先でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「古町」です。

2014年8月30日土曜日

船谷から登る建屋山

建屋川東側、石ケ堂古代村の後ろに聳える山を建屋山と呼ぶようです。建屋川と円山川に挟まれた山並みの中では最も高い山です。今日は建屋川沿いの船谷から登ってみました。

船谷の日枝神社の少し南から農道を歩きました。田んぼや畑に沿ってジグザグに山裾を登っていきます。地形図で実線が破線道になるあたりに「船谷区民グランド」という、ゲートボールくらいならできそうな広場があります。地形図ではその先で破線道が分かれ、川を渡って東の峠に向かっていますが、ここに橋が見当たりません。川幅は広くないので石を伝って渡りました。かつて橋が架かっていたかも知れないコンクリートのブロックがありました。ここからは植林の中をほぼ水平に進む作業道があり、地形図の破線道と一致します。しかしこれが峠まで続いている保証はないので、登りやすそうな尾根まで来た所で登り始めました。この尾根はやや急勾配ですが、障害物はありません。頑張ってしばらく登ると少しなだらかになってササが生えています。ここを過ぎると尾根に出ました。尾根の東側には地形図では畑の方面から道が来ていますが、尾根には3本のパイプが水平に走る、公園や工事現場にありそうな柵がありました。確かに鹿は通れないかも知れませんが、鹿避けとしては見たことがありません。柵の向こう側は草が茂っています。

ここからは尾根伝いの登りです。ちょっと登ると細いトラロープが尾根沿いに張られていました。登山用には見えなかったのですが、境界を示すためでしょうか?ここからはちょっと岩が増えて、また植林になり、金属プレートの毛坂四等三角点(620.22m)に出てきました。周囲は植林されていますが、展望はありません。ここから建屋山までは、何箇所かやや急勾配がありましたが、歩きやすい尾根でした。たまに展望もあります。植林にはカラフルなビニールの紐が結び付けられています。最後に急斜面を登ると、建屋山山頂に出ました。建屋二等三角点(855.78m)があります。かつては測量用のやぐらが組まれていたようですが、今は跡形もありません。ここも周囲は伐採されていますが、展望はあまりありません。アシビが茂っています。

下山は西の尾根を下りました。植林なので下草もなく、気分よく歩けました。尾根は分岐が多く、どちらへ向かうかで降り立つ地点が変わりますが、とりあえず一番歩き良さそうな尾根を降りて行きました。途中で能座のヒダリマキガヤが見えました。798mピークを通り、659mピークを通り、その先の590m+ピーク付近では西に降りて445m地点へ向かう尾根が地形図では楽そうなのですが、はっきりした尾根が見つからず、南に真っ直ぐ降りました。この付近はやや急峻ですが、降りられます。しかし標高400m付近で地形図で等高線の幅が狭い付近は急勾配であるだけでなく、尾根に岩があります。これを避けて降りるのですが、斜面は非常に急峻で、とにかく掴まれる木や岩を辿って降りました。少し降りると尾根にネットが張られており、それに沿って降りて行くと、登ってきた農道に出てきました。登り2時間半、下り2時間でした。

この山は東側には尾根近くまで林道が延びてきており、いろいろな方向から登れそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「但馬竹田」「八鹿」です。

2014年8月19日火曜日

吉川から登るくらます

兵庫県を少し出て、鳥取県のくらますに登ってきました。山の西側の吉川から、長い尾根を歩こうと思いました。吉川の北から耕地の間の道を歩いて、途中で植林に入りました。よく手入れされた綺麗な植林です。やや急な斜面ですが、作業道もあって登りやすく、涼しい風も吹いていたので楽に登れました。しかし植林には終わりがあって、その先は厳しい急斜面でした。とはいえ大した距離ではなく、登れば平坦地で吉川四等三角点がありました。金属チップも埋め込まれているのですが改測となっていて標高が分かりません。地形図上は715.5mです。三角点から先は美しいコナラの林です(写真)。770m+ピークまで登ると北側はまた植林になりますが、植林も美しく枝打ちされており、文句のつけようがありません。ただし長い尾根登りです。958m地点には「山」の字の標石があり、ここを過ぎると再び自然林が増えてきます。そして登り始めて1時間半ほどで主尾根に出ました。

主尾根はいきなり歩きにくくなりました。自然林なのですが間にネマガリタケやササが生えています。ネマガリタケはさほど密集しておらず、間を抜けられる程度なのですが、それでも非常に邪魔です。1146m地点付近は林でネマガリタケは生えていませんが、それ以外の特に木の少ない場所は歩くのに苦労しました。そしてネマガリタケをかき分けて1260m+の平坦地に出ると、ここは木が生えておらず一面にササとシダが茂っています。よく見ると枯れたネマガリタケが残っていますが、枯れても横から槍で刺されるような感じで伸びており危険です。道の形跡は残っていますが、地面はほとんど見えません。水溜りもあります。日差しも強いので急いで南の林に入りました。ここを登るとまた木のない、今度はススキで覆われた場所があり、ここがくらますの山頂です。中央付近に岩がありますが、そのやや南に天狗岩三等三角点(1282.13m)がススキに埋もれていました。

下山はまず南にネマガリタケの尾根を歩きました。少し降りるとシダやササになりました。1144mピークまで歩こうかと思ったのですが、少し雲行きが怪しくなったので、西に尾根を降りました。尾根と言っても最初は斜面を降りるだけで、方向が定まらず、何度かトラバースしてやっと目的の尾根に乗れました。この尾根はかなり急勾配で、土も崩れやすく、降りやすいとは言えません。しかし、しばらく降りると美しい植林になり、途中からは作業道で楽に降りられました。ただしこの作業道は林道の脇の高さ3mくらいの所に出てくるので、降りられません。植林の中を少し南に歩いて、コンクリート舗装の林道に降りました。この林道は平成9年完成となっていますが、面白いことに降りて行くと途中から未舗装になり、普通乗用車では走れないような道になりました。最後は立派に舗装された幅広い林道に出ますが、分岐点では粗末な林道に見えました。あとは吉川までこのスーパー林道(県道72)を歩いて帰りました。

気持ちの良い登りでしたが、標高差は700mありますし、主尾根を歩くのは根気が要ります。あなどれない山でした。途中で少し氷ノ山や隣の大ボウシが見えました。
展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「岩屋堂」です。

2014年8月14日木曜日

大屋富士から御祓山

養父市大屋市場の東にある大屋富士は通りすがりに大きな山だと思っていたのですが、[1]を見て登れることを知り、御祓山まで縦走することを思いつきました。ただし帰りのことを考えて大屋富士への登り口は南西に延びた尾根の端にしました。少し坂を登るとデイサービスセンターがありますが、この東側から藪に入りました。川沿いに土手のような場所が続いており、それを登って行くと尾根に続いていました。この尾根は急勾配ですが下草の無い自然林です。大きな木の根がたくさん地表に張っているので、躓かないように登って行きました。途中でやや平坦になる所もあって、一息つけます。特徴のない342mピークを過ぎて、まだまだ急坂が続きます。気温は高めでしたが、少し登ってからは気持ちの良い風が吹いていて、休みながら登りました。周囲が松からコナラに変わってきたと思ったら尾根が岩で塞がれていました。標高480m付近ですが、一瞬大岩に行く手を阻まれたかと思ってぎょっとしましたが、よく見ると小さな岩が集まっているだけなので、登っていけました。岩の間を抜けると、岩だらけの急斜面にコナラが生えている、なんとも良い雰囲気の場所に出ました(写真)。雰囲気は良くても急斜面が続きますが、すぐに平坦地に出てきました。同時にネットも現れましたが、ネットの東側は松が多く、植生がだいぶ違いました。。

山頂は平坦で、これがこの山に富士山的な形を与えています。自然林ですが木の間隔がやたらと広くて、開放感があります。ただし広くて平らな山頂なので方向が分からなくなりました。共同アンテナの残骸を見つけてから、ちょっと戻って上山三等三角点(598.19m)を見つけました。ここからは東に歩きましたが、場所によっては藪もあって歩きにくくなりました。[1]にある神社跡は未確認です。東の600m+の2つのピークは植林で、ここも良い雰囲気でした。さらに御祓山まで縦走を始めると、尾根にネットが張られていました。よく見るとネットの南側に道があったので、道を歩くことにしました。この道は尾根の南側に付けられています。尾根に上がってもネットがあるだけなので、しばらくは道を歩きました。631mピークに向かう付近からは南側は植林となり、ここは尾根を歩きました。道はどこかに行ってしまったようです。尾根は枝が邪魔ですが、足もとは問題ありません。そして680m+ピークで南に折れて下った所で北からの林道に出会いました。ここまで車で来れるようです。その先の680m+の小さなピークで道は両側に分かれ、北側の道は下って行きました。南側の道はしばらく続いた後に終わっていました。ここからは御祓山まで粛々と登りましたが、750m+ピーク手前の坂と、さらに御祓山への坂は急勾配でした。

御祓山には糸原三等三角点(773.13m)があり、周囲は少し開けていますが、展望はほとんどありません。ここにも共同アンテナの残骸がありました。下山は[2]に歩きやすいと書いてあったので、750m+まで急坂を降りて、西に延びる尾根を歩きました。最初は急勾配でしたが、一旦なだらかになると、後はとても歩きやすくなりました。周囲は広くなだらかな場所が多く、植林もありますが、自然林も豊富です。少し降りると尾根に溝があり、明らかな道になりました。北の谷に降りる道は確認できませんでしたが、道もしくは道らしきものは途切れつつもずっと続き、勾配が緩いこともあって歩きやすい尾根でした。442mピークから西に降りたところには広い木のない場所がありますが、道が上がってきている様子はありません。そのまま西に歩くと、気持ちの良い植林の中に糸原上ノ山四等三角点(345.51m)がありました。この付近には「上山」「上ノ山」という三角点が3つもあります(「東京奥山」という不思議な名前の三角点もあります)。ここからは北の尾根を降りて、産霊神社に降り立ちました。

所要時間5時間ほどでした。登山コースではない割には途中でやや飽きてくるほど歩きやすいコースでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2014年8月12日火曜日

明延から登る明延山

2012/09/22に青菜川から明延山に登った時に、明延方面の尾根が歩きやすそうだったので、明延から登ってみました。この尾根の先は、あけのべ自然学校の前まで延びているのですが、地形図で見ても、実際に見上げても、尾根の先からは登れそうもありません。そこで一計を案じて県道6号線を南に歩きました。地形図で見るとこの道は一度斜面を斜めに登って大きくUターンしています。急斜面の上まで行っているので、そこからなら歩きやすそうです。Uターンまで行くと工事をしていたので、もう少し先まで歩きました。地形図どうりに山側はコンクリートで固められていたりして登れませんが、僅かに登れそうなところがあり、そこから急斜面を登りました。意外と足もとがしっかりしており、植林の斜面を登れました。登った先は地形図で見るとやけに平坦な場所ですが、特に何かがあるわけではありません。そしてやや急な尾根を登って行くと、550m+のピークに出られました。そこから少し北に戻って、朝見四等三角点(536.42m)を見てきました。「点の記」もUターンから登っています。

朝見三角点から明延山までは、三菱の黄色い杭のある穏やかで歩きやすい尾根です。標高590m付近まで登るとネットがあり、東側は伐採地です。さらに640mまで登ると明延鉱山跡を上から見ることができます(写真)。673mピークは周囲とちょっと植生が違っています。最後はちょっと急な坂を登ると平坦地になり、明延山山頂に着きました。明延山三等三角点(786.35m)があり、開けた場所です。南側に広く展望が広がっています。栗の木に緑の実がたくさん付いていました。なおこの山には量見山という名前もあるようです。

明延山からは尾根を東に降りて、地形図の破線道を探しました。破線道を使わずに尾根を北に歩いて下山することも可能ですが、最後が急斜面で、しかも台風で増水した川を渡る必要があるので、谷道の破線道を探しました。この付近の地形は最初はよく分からなかったのですが、650m+の場所が小高いピークになっており、その先が破線道のある谷でした。当然のごとく道はありません。かつては道があったと信じて植林の谷を降りました。最初は水がないので谷底を歩きましたが、すぐに水が流れるようになったので、V字の斜面をトラバースして降りるはめになりました。なんとなく作業道があるようで、ところどころで消えているものの、辿ることができました。何度か川を渡るのですが、ほぼ間違いなく歩きやすい側に渡れたので、おそらく道だったのだろうと思います。谷が合流して北東に向きを変える地点にはネットがあり、ここからはかつては幅の広い道があったようです。しかし現在は土石流で流された荒れた谷になっており、道もほとんど残っていません。相変わらず深い谷なので斜面を歩くのは困難で、川を渡りながら歩きやすい場所を探しました。おそらくこの歩きやすい場所がかつての道なのですが、斜面が崩れていたり背の高い草が生えていたりして、結局は藪漕ぎです。石は濡れていて滑るので、流れを渡るときには気を付けなければなりません。これが800m近く続くのですから、根気が重要でした。立入禁止の洞窟(坑道には見えない)のある場所からは少しマシな道になって、ようやく林道七拾枚線に出てきました。破線道をたどり始めてから1時間近くが経過していました。あとは鉱山跡を見上げながら明延に帰りました

下山はもっと楽なルートもあったと思いますが、降りてみないと分からないというのが困った点です。地形図では、798mピークの先まで行ってから北に尾根を降りて今回と同じ地点に出てくるのが、一番楽そうに見えます。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「大屋市場」です。