2006年12月23日土曜日

三日月から三原牧場へ

三日月の駅を降りると,南西に通信塔の立っている山が見えます。これが広山です。ここから尾根伝いに三原牧場まで歩くと,播磨科学公園都市に出られます。科学公園都市からは相生や新宮にバスで帰れるので,姫路からだとちょうど良い周回ルートになります。

広山には,地形図にもある通信塔の保守道路で登れます。途中に給水タンクのような施設があり,そのすぐ上に広山の三角点(207.6m)があります。通信塔は例によってDocomoと関西セルラーとJフォンの建てた3本がありますが,道路の突き当たりはこれまた例によってNHKの通信施設です。このあたりの山の通信施設は,NHKが昔に作った道を使って携帯三社が通信塔を建てていることが多いようです。

NHKの通信塔からまっすぐ先を降りると山から下りてしまうので,ちょっと道を戻ってから南の鞍部へ降り,さらに登り返します。この先三原牧場まで,道はまったくありません。とりあえず左右共に下り坂になっている場所を歩いていれば,尾根から外れることはありません。しかし,尾根が交わっているところでは,足の向くまま歩いているととんでもない方向に行きそうになります。常に方向を確認しながら歩く必要があります。

288mピークまで,間違えなければたいしたアップダウンはありません。しかし,何度も尾根を間違えそうになりました。この先も,尾根が左右から合流してくるので,そちらへ行きそうになります。288mの南のピークには古いテレビ用のアンテナがありました。周囲は植林でアンテナよりもはるかに高く茂っていますから,使おうと思っても今ではまったく役に立たないでしょう。とにかく,どのピークに行っても見晴らしはまったくありません。

尾根の倒木は植林ではなく,太い木ではありませんから問題ありません。たまに植林がまとまって倒れていることもありますが,尾根を塞いでいることはありません。写真は下莇原の三角点(282.4m)です。
三角点の後は,地形図の三日月町(今は佐用町)と新宮町(今はたつの市)の町界に沿って歩けばよいのですが,町界は地面には書いてありませんし,標識もほとんどないので困難を極めます。とりあえず三角点から南へ歩くと,ちょっと展望のあるところ(水溜まりがあった)に出ますが,ここは地形図で250mの等高線が終わっているところで,既に行きすぎです。少し戻って,町界と思われる辺りを南へ降ります。三日月町側は植林されており,植林の縁を降りました。

この先は尾根がはっきりしませんが,なんとなく町界を歩けたと思います。下莇原から弦谷の方に抜ける破線道を横切ったはずなのですが,この道はいくら探しても見つかりませんでした。いずれ下莇原から登って確認してみるしかないと思います。

258m地点を過ぎると,三日月町側は暗い植林となります。そして,ときどき重機で切り開いたと思われる道があるのですが,すぐに終わってしまいます。牧場に近づくと地形図上は実線道がありますが,この実線道も倒木があったり草が生い茂ったりしていて,歩くことすら困難な場所があります。

牧場に近づくと,大きな動物の糞が落ちていて,一瞬熊かと思いましたが,あまりに多いので馬だと気がつきました。糞を踏まないように歩くのも一苦労です。牧場に裏から入ってしまうので,大変気を遣って通り抜けました。この牧場は古いものですが,今でも開発が行われています。最後はボルカノというスパゲッティ屋の下に出てきます。

ほぼ3時間の山歩きでしたが,展望ではなく自然を満喫するにはとても良い山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆

2006年12月17日日曜日

雨ケ岳

雨ケ岳というのは,山崎から中国自動車道沿いに西に行き,高下あたりから南に行ったところにある三角点山です。ハイキングコースなどは全くありませんが,地形図では林道が延びており,登れそうな感じです。それに,谷間を南に行くと神保という廃村があるようです([1])。

林道の登り口は,高下の中国自動車道の高架下です。この辺りでは中国自動車道の高架下に獣避けの網戸が付いていることが多く,ここもそうなっています。林道は幅が広く,舗装はされていませんが立派なものです。ここから神保への道は,途中の地図では「町道」となっており,よく整備されています。林道の終点まで倒木はありませんから,普通乗用車でも行けると思います。同じ山の南側の高丸山付近の林道とは雲泥の差です。昔はこの道を通って神保から菅野小学校まで小学生が歩いていたのでしょうか([1])?

立派な道と言っても勾配はきつく,最初の助森の三角点までは息の切れる登りです。この三角点は町道脇の藪の中にありますが,普通の四角い石ではなく,単に丸い金属のプレートを埋めてあるだけなので,探すのに苦労します。たまたま測量に使ったのか発泡スチロールの板が落ちていたので気がつきましたが,これが無ければ羊歯の中に埋まった金属プレートを発見するのは不可能でしょう。周囲は木が多く,測量に使えるのかどうか気になります。

三角点の先も歩きやすい道が続きます。そして分岐点があり,右に曲がると雨ケ岳に登れます。この分岐点の付近は手入れの良い植林ですが,地図で見ると広い平坦地があります。ここは木が植えられておらず,何らかの作業場として使われていたのかも知れません。雨ケ丘へ登っていくと,左手(東側)の植林が切られており,展望が広がります。東側は山崎の長水山あたりまでがよく見えますし,写真のように北側は菅野川が見えます。このように,この付近では現在でも植林活動が活発なようです。

雨ケ岳の三角点(490.4m)は,林道の終点から尾根を登っていった所にあります。尾根は歩きやすい雑木林です。三角点の先も本郷峠に向かって歩けそうでしたが([2],[3]),引き返して地形図で三角点のすぐ南にある破線道を探しました。この道は三日月から山崎に抜ける最短ルートと思われます。尾根から東西の道を探したのですが,西側には道らしきものがありましたが,東側は急勾配の植林で,道と言えるものは見つかりませんでした。なお,まともな道があるという報告もあります([2])が,ゼンリンの地図では西側は道がありますが東側にはありません。無理に東側に降りてみようかとも思ったのですが,後で下から見上げたところ倒木もあり,降りなくて正解だったようです。

林道を戻って谷間の町道に戻り,次は東側の464mのピークに登りました。東に行く分岐を進むと,右手に小さな砂防ダムがあり,左手にも道がありますが,まっすぐ尾根を登っていきます。ぐるっと廻って西に向かいますが,464mピークのひとつ東側のピークで林道は終わります。地形図ではこのピークの北側に林道が伸びており,それが464mピークの南に達しているはずですが,そうなってはいません。東側のピークの北側は急斜面なので,藪になっているピークを無理にでも通った方が楽です。464mピークとの間の鞍部とその北側は植林がきれいに伐採されており,素晴らしい展望が広がります。464mピークそのものは藪です。

また林道を戻って,さらに谷間の町道を南に向かいます。この辺りでは既に沢は南に流れています。しっかりした道で倒木もありませんが,両側の斜面にはところどころ倒木が見られます。しばらく谷間を進むと,神保方面に向かう破線道との分岐に出ます。破線道を進んでみたのですが,倒木がひどく,神保に行くのは断念しました。そのまま南に抜けて帰れるのなら無理をしてでも進んだのですが,車を中国自動車道の下にとめてあるので,戻ることを考えると無理をする気にはなりませんでした。(その後神保には南の栗栖池からもアプローチを試みましたが,こちらも倒木がひどくて断念しました。無理をしてでも北からアプローチをするのが正解と思われます。)

そのかわり,林道を更に東に進みました。このあたりも良い道です。林道はずっと東まで延びていますが,途中で北に行く分岐があります。これは地形図の破線道で,じっさいはこれもよく整備された林道になっています。これが434mピークの南の付近まで続くのですが,そこで突然終わっています。林道が終わるのはしかたないにしても,その先に破線道に相当する道があるわけではありません。とりあえず斜面を登ると道らしきものがあり,434mピークの東側の鞍部に達しました。

この北側は,地形図では破線道が中国自動車道まで続いていますが,この道は倒木だらけで歩けません。道といっても,両側が盛り上がった溝の中を歩くような形になっており,そこに木が倒れていると避けようがありません。結局破線道の西側の林の中を歩いた方が楽だという結論に達しました。それでも倒木が多く藪も急斜面もあり,非常に困難な下りでした。最後は荒れ果てた小さな墓地を通り,中国自動車道に出ました。地形図では少し西に神社がありますが,倒壊したらしく,瓦が散乱していました。

林業活動の活発さが感じられる道でしたが,林道からはずれると悲惨な地域だということもわかりました。神保は南からのルートもかなり悲惨なようで([1]),現状ではまさに陸の孤島になっています。

展望 ★★☆
藪山度 場所によって★☆☆~★★★

2006年12月2日土曜日

三日月の高丸山

高丸山は三日月の北にある標高536.2mの山です。地形図を見ると,添谷という集落から少し山を登ると神社があり,この北の尾根沿いに登って行けそうです。しかし,インターネットで調べると高丸山に登るには谷道の林道を使うのが一般的です([1][2])。このような場合,この尾根道が使われないのには理由があるものなのですが,例によって何事もチャレンジということで行ってみました。

神社への道はきつい登りです。息が切れてきた頃に鳥居がありますが、ここから更に長い急坂が続きます。やっと着いた神社は立派なもので,ここまでよく建材を運んだと思います。石碑には,佐用郡幕山村中山の和田乙則さんという棟梁の方が昭和6年4月に建てられたと書いてありますが,現存の建物のことなのかどうかは分かりません。

神社の裏は薮っぽいのですが,少し登ると尾根道らしきものが現れます。いずれにしても木と木の間隔が離れているので,楽に登れます。倒木は予想ほどはありませんし,あっても数が少ないので越えていけます。急斜面もありますが,普通の薮山という感じです。眺望は残念ながら全くありません。

しかし,尾根を登り詰めると印象が変わります。地形図の高丸山の標高536.2という数字の小数点の下の辺りは広い平地に見えますが,ここには植林の倒木があり,高丸山への道を塞いでいるのです([2])。写真はその大規模な倒木地帯を見て途方に暮れていたときに撮ったものです。この地点は南北の風の通り道になっており,杉の大木が大量に倒れています。木はすべて南向きに倒れているので,北側の斜面を少し降りて通りました。しかし,北斜面は非常に急な谷で,倒木がありますから,歩くのは決して容易ではありません。何度か途方に暮れたあげく,大木の幹を這いつくばって登り降りして,ようやく高丸山の斜面にたどり着きました。

あとは高丸山の北斜面を頂上までまっすぐ登りました。頂上には三角点と,プレートが一枚ありました。北から登ってきたのはラッキーでした。というのは,この後の計画は北に歩いて林道に出て添谷に戻ってくることになっていたからです。高丸山の山頂から北に向かう尾根へ出るには何の標識もない広い斜面を降りるしかありませんから,南から登ってきたら迷う可能性が高いと思います。

北へ向かう尾根道は倒木も少なく快適です。はっきりした尾根で道に迷う可能性も無いと思います。ただし534mのピークだけは別です。これは高丸山に1.2m負けただけで名前も付けてもらえず何の標識も無いピークですが,周囲に尾根が多く,非常に迷いやすくなっています([3])。南から北に行くだけなら,ピークに行かずに真っ直ぐ進めば迷うことはないのですが,ピークがあると行ってみたくなるのが人情で,来た方角を見失ってどちらに降りるかが大問題となります。

534mピークの北の尾根を少し進むと,林道のなれの果てになります。なれの果てというのは,草ぼうぼうで自動車が通れる可能性は無いからです。南北に走っているので南に向かうと添谷に帰れそうな気がしましたが,林道はしばしば山奥で突然終点になることがあるので,地形図に林道が描いてある北を目指しました。これは正解だったと思います。

この林道は山の斜面につけられていますが,その荒れ方には驚きます。倒木を跨いだりくぐったり,藪山歩きと変わりません。コンクリート舗装の上に倒木が折り重なって倒れている所もあります。しばらく歩くと地形図に描いてある林道に出ます。ここから東方面へ歩きましたが,しばらくは倒木も少なく,気持ちの良い林道歩きが楽しめました。しかし,だんだん道が怪しくなります。この林道は地形図で見る限りは添谷から登ってくるルートの延長なのですが,そちらに近づくほど道が荒れてくるのは不思議です。倒木と草をかき分けて進む箇所もあります。

添谷に向かう林道をさらに南に進むと,看板があります。三日月町が出した看板で一般車通行止めと書いてあるのですが,通行しようにも倒木がありますから通れるはずはありません。しかも,この標識から沢を下っていくと,林道は完全に倒木に埋もれてしまっています。どこが道だか全く分からなくなります。この沢はもともとは手入れがよく,片側には石積みの堤防があって林道はその上にあるのですが,倒木によって道も堤防も見えません。こんな状況が数100mに渡って続きます。通行止めの看板まで行けるのはブルドーザーか戦車くらいのものでしょう。歩くのも非常に困難で,フィールドアスレチックだと思って倒木をよじ登ったり這いつくばってくぐったりして,なんとか乗り切りました。山頂近くの倒木よりもずっと大変でした。 このあとしばらく降りると材木が積んであり,植林活動の成果が見られました。しかし,倒木の数を考えると,この山がきれいになるのにあと何年かかるのか想像がつきません。それにしても,地形図の破線道が存在しなかったり歩けなかったりすることはよくありますが,実線道が人もほとんど通れないというのは珍しいと思います。これでは登山計画を立てるのはとても難しくなってしまいます。

結論として,「倒木のため05年9月現在一般的でない」([2])というのは本当でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★