2015年12月30日水曜日

山崎の国見山から県道44号線

宍粟市山崎町の国見山はお馴染みの山ですし、国見の森公園とモノレールができて整備されてからは登山として登る山ではなくなりました。しかし昔のルートも残っています。登り口は金谷山部古墳のある墓地で、墓地の裏から害獣避けの扉を通って登山道に入ります。この道はとても良く整備されていて、ハイキングコースとして最適です。周囲は自然林ですが、松の大きな木が多いようです。途中に金谷四等三角点(319.07m)があって木が切ってありますが、だいぶ枝が伸びてきてあまり展望はありません。しかし頑張って465mの頂上まで登ると展望台があって、山崎を一望できますし、北や東の山々も見渡せます。国見というだけあって、展望は抜群です。

展望台からは北に歩きました。道はよく整備されています。展望休憩所の東屋があって、ここからも山崎を一望できます。その次は「松ぼっくり休憩所」で、テーブルとベンチがあります。ここの展望も楽しめます。ここからは北の春安に降りる道があるようです。すぐ北には西から谷が迫っており、谷には道があります。車が通れる道ですが、なぜ道があるのかよく分かりません。その北西の谷にも道がありますが、これは明らかに林道です。この地点は地形図では破線道が南の谷から東に曲がって春安に降りて行っているのですが、春安の方向は行き止まりとなっていました。林道を歩いて西の尾根に上がりました。林道はさらに西に行ってしまうようなので、尾根道に入りました。これは地形図に描いてある道ですが、少し行くと立入禁止の黄色いテープが張ってあります。道は東へ降りて行くようなので無理して尾根上を歩きましたが、倒木が多くてまさしく藪山歩きとなりました。黄色いテープは尾根上に張ってあるようで、「きのこ類の採取厳禁 兵庫県」という札が立っているところを見ると松茸山のようです。しばらく歩くと倒木が減ってきて楽に歩けるようになりましたが、その北の谷に降りるところは倒木地帯で、完全に行く手を阻まれました。結局少し西寄りに急斜面を倒木を跨ぎながら降りて行ったのですが、大木を越える時には足が地面に届かなくなるので危険でした。やっと谷に降りても倒木だらけでした(写真)。この谷は県道44号相生宍粟線(以前は相生山崎線)が通っている場所です。西の斜面をトラバースして北側に出て見ると、たしかにこの峠は切通になっており、道があったようですが、倒木だらけでまったく通れません。西側に降りたのが失敗だったかと思って見上げてみると、この付近は斜面がほとんど倒木で覆われていて、楽に降りられる場所はないようです。地形図では峠から北東の道は黄色く塗られており県道扱いですが、倒木で埋まっています。よく地形を見て、やっと道が発見できましたが、倒木をたくさんくぐらないと歩けません。標高250m付近まで降りて、やっと舗装道路に出ました。舗装道路を歩くとミツマタの群生があって、春はきれいだと思います。その下には「通行不能 路線名・相生山崎線 理由・巾員減少1.0m 箇所・これより先 竜野土木事務所」という看板がありました。確かにここより峠側の舗装道路は狭いのですが、通行不能の理由はそれだけではありません。ちょっと降りると休憩小屋があるのですが、よく見るとその先の谷を挟んだ反対側に小さな祠がありました。かつてはこれも峠道だったのかも知れません。

宍粟市は森林王国と言うくらいで植林の手入れの行き届いたところだと思っていたのですが、県道44号線を見てその印象がだいぶ変わりました。

展望 ★★★
藪山度 ★★★
地形図は「山崎」です。

2015年12月29日火曜日

丹波市の五台山と鷹取山

3日前に氷上町から五大山に登りましたが、今日はその北の日本分水嶺の続きにある五台山です。こんなに近くに似たような名前の山があって間違えないのでしょうか。上り口は甲良病院です。東に聳える岩山が気になりますが、裏手の道を登りました。砂防ダムを作っているようで、舗装路を歩くとそちらに行ってしまいます。正しく地形図の破線道を辿ろうとすると、谷道です。谷で道が無くなると大変なのですが、とりあえず辿れる程度の道は残っていました。大きな岩を巻いて登り、最後は意外と平坦な場所に出て、尾根に上がりました。だいたい地形図の破線道どうりですが、尾根には特に道があるわけではなく、自然林に切り開きがあるだけです。歩き易い尾根で、周囲が植林に変わると道があります。大きな岩があって、ぐるっと巻いて上にあがりましたが、展望はなくてがっかりしました。この後はやや急勾配となり、最後は植林を抜けて主尾根に出ました。ちょっと歩くと鴨内峠への道標がありますが、五台山へ向かいました。五台山山頂の手前には簡易トイレがあり(中は見ていませんが)、山頂には展望デッキや石仏(文殊菩薩)そして尾ノ寺山二等三角点(654.55m)があります。西側に素晴らしい展望が広がっているはずですが、この日は軽く雪が降っていて視界はほとんどありませんでした。

五台山からは南に歩くと、「丹波の名水狸穴の源泉400m」という標識がありました。そして、独鈷の滝から登ってくると思われる登山道と出会います。その南のピークが小野寺山(645m)で、丸い鳥瞰図があり、天気が良ければ見晴らしが良さそうでした。トラロープで南に降りると、香良方面から林道が上がってきていました。この林道は尾根を越えないで香良側に降りて行ってしまいます。尾根も歩きやすく、雪もやんできて、急坂を登ると鷹取山(氷上槍)山頂でした。ここには美和ふるさと観光協会のベンチが4つもあり、東側に見える山の説明板が3枚あります。やっと展望を楽しめました(写真)。香良四等三角点(566.34m)もあります。「雷大御神」と掘られた大正6年の石碑がありますが、雷が落ちたのか、それとも雨乞いをしたのでしょうか?少し西側に降りた所にブルーシートがあってなんだろうと思って見に行ったのですが、仮トイレだそうです。

鷹取山から南に歩くと東向きの展望を楽しむためのベンチが2つあり、三和峠(氷上越)に着きました。よく道路で見かける「氷上町」と「市島町」の看板があって驚きましたが、それ以外にも「名勝岩滝寺渓谷」から始まって看板がいろいろありました。しかしここからは下山せず、さらに南に歩きました。ちょっと登ってから分水嶺の径は尾根から南に降りていきますが、尾根の続きには烏帽子山の標識があります。おそらく548mピークのことと思いますが、この付近は油良から見上げるとほぼ平らで烏帽子という名前も納得できます。烏帽子山の尾根の端まで歩いて、どちらに行くか少し迷いましたが、結局車を停めてきた香良病院に向かって北に降りることにしました。地形図で見るとやや急斜面ですが、下草はなく、植林も間伐や枝打ちをしていないので、木につかまりながら降りられました。標高差400m近くありますし、距離も長いので単調な下りでしたが、問題なく降りられました。最後は金網があったので病院の前にあるコテージ?の前から道路に出ました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「黒井」です。

2015年12月27日日曜日

北から登る加西の鎌倉山と遠坂

加西市の北端にある鎌倉山は何度か登っていますが、今回は北から登ってみました。上り口は八千代区大和の、原停留所のある支尾根の端です。コンクリート壁の切れた所から登り始めましたが、非常に急な植林で、地籍調査の赤テープはあるものの作業道はほとんど消えています。それでも木に掴まって登って行くと、徐々に勾配が緩くなってきました。そこで上を見ると、貯水タンクがありました。八千代西簡易水道柳山寺配水池と書いてあります。山の下にも同じ名前の浄水場があるので、それと繋がっているのでしょうか。階段があるので、ここまでは階段を登るのが楽でしょう。尾根は自然林ですが下草があまり生えていないので歩くには支障ありません。切り開きもあります。そのうちに勾配も楽になって、典型的な里山歩きとなりました。時々付近の山が見渡せます。260m+ピークはシダで覆われています。比較的平坦な尾根歩きとなり、地籍図根三角点や共同アンテナの残骸がありました。植林に入り、急な斜面があって、それを過ぎると主尾根の368mピークに出ました。主尾根もこれまで登って来た尾根も、雰囲気は余り違いませんが、西に少し歩くと播磨線一三一鉄塔があり、展望が広がります。さらに西に歩くと急斜面があって、その上には孔雀明王の石仏があります。南に歩くと、望遠鏡と法起大菩薩の石仏のある鎌倉山山頂です。南側の展望は素晴らしいのですが、いつ来てもなんとなく霞んでいます。早朝にでも来ないと、遠くまで見渡すのは難しいでしょう。それでも明石海峡大橋が見えました。比延田三等三角点(452.43m)もあります。

山頂からは北に孔雀明王まで戻って、さらに北の尾根を降りました。2014/1/4にも通った尾根ですが、関電の巡視路になっていないらしく(おそらく巡視路は孔雀明王のピークの北側を巻いている)、道らしいものはありません。前回同様に方向を間違えて、西に向かう尾根を降りそうになりました。正解は播磨線一三〇鉄塔に降りることで、さらに鉄塔の向う側の尾根を歩きました。ここは巡視路で、よく整備されています。こんなにたくさんプラ階段を使わなくてもいいのにと思うくらいです。

巡視路は380m+ピークも378mピークも巻いて行きます。播磨線一二九鉄塔の次の370m+も登らずに北西の尾根に向かいますが、これは行きたい方向なので好都合です。播磨線一二八鉄塔を過ぎると巡視路は南に降りて行ってしまい、尾根は荒れ気味になりますが、倒木が多いだけで歩けます。急斜面を登って340m+に上がり、倒木を跨ぎながら北に歩くと、柿木田四等三角点(334.12m)がありました。ここからは落ち葉が積もっていて滑り易い急坂を降りて、遠坂に出ました。壊れかけた小屋と小さな石仏があります。

遠坂の反対側はコンクリートの壁が高くてとても登れません。仕方なく東に坂を降りて行くと、コンクリート壁が切れる所がちょうど北側の尾根の鞍部に登れる場所でした。やや急な斜面を登って鞍部に出ると、切通になっていました。地形から見ても、ここの方が現在の遠坂よりも峠としては自然です。切通の北側に上がると、写真のような祠っぽいものがありました。中に入っているのは石ですが、奥にあるのは木の御札ではないかと思います。ここから尾根を北に歩きました。ここも倒木の多い自然林です。地籍図根三角点がありますが、他には特に何もなく、ちょっと急な坂を登って320m+の主尾根に出ました。ここも雰囲気は同じで歩き易く、東に歩きました。途中には大岩があったりしましたが、歩くには支障なく、シダが腰の高さまで生えていても道はちゃんとあって、尾根の先の墓地まで、あまり苦労なく歩けました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「西脇」「北条」です。

2015年12月26日土曜日

丹波の天王坂から五大山

以前に氷上町の霧山を歩きましたが、今回はその北にある山を歩きました。氷上町油良から天王坂まで登ると、切通の東側に「分水界五台の径 天王坂登山口」という看板がありました。そういえば、この尾根は分水嶺でした。さっそく斜面を登って尾根に出ると、歩きやすく整備されています。282mピークを過ぎて、地形図にもある長見からの道と合流し、北摂長田野線一〇六鉄塔があります。次のピークには長見四等三角点(318.27m)がありますが、ここは亀の座(五郎兵衛)という山だそうです。この山の北では「油良坂」への指示が西に降りる道に付いており、地形図の破線道で西に降りるようになっていましたが、何も考えずに北に真っ直ぐ歩きました。こちらは巡視路になっているようで、黒いプラ階段が整備されています。地形は複雑でどこが分水嶺かよく分かりませんが、振った雨は好きな方向に流れるでしょう。油良坂の切通には林道が通っていますが、倒木が多く車では通れません。

油良坂の西側に三日月山への標識があり、北に道があります。これは巡視路らしく、尾根には上がらずに北摂長田野線一〇八鉄塔に着きます。ここから尾根に上がると、三日月山の道標がありました。急坂を登ると417mピークで、さらに急坂を登ると、三日月山(514m)に着きました。地籍図根三角点もあります。地形図には直登せずに東に向かう破線道が描かれていましたが、分水嶺を歩くなら直登せざるを得ません。三日月山からは、かなり急な斜面を降りて、登り返すと「幸世村直営地界」という石標があり、地形図どうりに油良への下山道があります。そして坂を登ると五台山山頂です。ベンチと、かなり地面から露出してしまっている白毫寺三等三角点(569.09m)がありました。ここに来るまでもかなり展望はあったのですが、ここからも西に東に展望が広がっています

五大山から北に急坂を降りると、北摂長田野線一一二鉄塔がありますが、そこに「愛宕山、鷹取山方面途中難所があります。小学低学年以下のお子様連れの方は、行かないで下さい」という札があります。確かにここから見る北の愛宕山は岩山です。登ってみるとトラロープもあって道は整備されているのですが、急峻な岩場だらけなので、滑落したら危なそうです。岩場を抜けると「京都愛宕山遥拝所」という札がありますが、高みに登ると京都方向を拝むには目の前の木が邪魔でした。ここを過ぎると愛宕神社があります。小振りですが灯籠には寛保3年(1743年)と書いてありますし、昔から信仰を集めてきたのでしょう。ここから美和峠までは50分とありましたが、参道で下山することにしました。落ち葉が積もっていて、道がわからなくなる所がありましたが、トラロープや標識がたまにあって、間違えずに下山することができました。登山道の入り口には注連縄があって、山全体が聖域のようです。

あまり意識しなかったのですが、歩いた尾根は全て分水嶺でした。「分水界の径」という札があちこちに立っているのですが、見た時に一瞬「分水界の怪」と読めてしまって困りました。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「黒井」です。

2015年12月23日水曜日

相生の宮山

相生の町の西側にある宮山は、標高は173mしかありませんが眺めが良さそうで前から登りたいと思っていました。この日は午後から雨の予想だったので、チャンスとばかりに登ってみました。

那波八幡神社の左手に忠魂碑が立っています。その脇の道を登って行くと墓地があり、道はさらに上に向かっています。道と言っても岩盤で、雨が降ると水が流れるようで、あまり道には見えないのですが、滑らないように登って行くと岩場に出ました。相生の市街(写真)、それも海側の工場などが見えます。ここからしばらく岩盤登りで、岩盤の上では更に東側も見えるようになります。尾根まで上がれば西側の青葉台も見えます。ちょっと歩くと宮山山頂です。かつては旗を揚げるポールが立っていたようですが、根元で倒れたらしく、地上に横たわっていました。八幡山三等三角点(173・55m)があるはずですが、見つけられませんでした。ひょっとするとポールの台だと思ったコンクリートが標石だったのかも知れません。

山頂からはとりあえず北に縦走してみました。緑ヶ丘への下山道のようですが、道以外は藪なので無理せず道なりに歩きました。これは縦走路で、北の150m+ピークを通って、新幹線のトンネルの上近くに相生駅がよく見える場所があります。そこから道は西側に降りて行くので、大回りは避けたいと思って山頂まで引き返しました。

山頂から、地形図の破線道を降りることにしました。地形図では、山頂から東の那波小学校へ破線道が描かれています。山頂の東側は岩盤で眺めが良いので、この急斜面の岩盤を降りました。岩盤の下に道があることを期待したのですが、藪ばかりではっきりした道はありません。それでもゴミが多いので登山道だろうと思って藪の中の道らしい場所を降りました。ほぼ地形図の破線道に沿って降りたのですが、藪はきつくて丈夫な枝をかき分けなければなりません。広い尾根で方向が定まらないのも問題です。しかも少し降りるとシダ藪になり、道跡を覆うように背丈よりも高く茂っており、迂回せざるを得ません。小学校裏の墓地に出るまでまともな道にはほとんど出会えませんでした。

登りに使った道はネットで見つけたのですが、これが正しい登山道だと思います。この付近の山はみんなそうですが、整備されていない所は歩けません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★★ 登山道を歩きましょう
地形図は「相生」です。

2015年12月19日土曜日

姫路の別所から登る大平山

姫路の東には桶居山から高御座山に繋がる人気の山並みがありますが、その南にはいくつか支尾根があります。その一つで、姫路別所高校と白陵高校の裏山にあたる山並みを歩いてみました。

登り口は別所の日吉神社です。神社の東側から尾根に取り付く細い道があります。藪の中を登る道ですが、ちゃんと整備されています。かなりの急斜面を登ると110m+ピークに出て、ここからは縦走です。もうこの付近から展望が得られ、姫路城も見えています。この縦走路は歩きやすく、岩場も多いので眺めが良いのが特長です。北に見える二つの尾根は山火事の後遺症か木がほとんど生えていません。北の谷にあるのは溜池だと思っていたら、近くに行くとソーラーパネルだということが分かりました。岩場が多いので楽しく登れますし、ほぼ全方向を眺めることができます。写真は南の方を見たものです。姫路火力東線二九鉄塔を過ぎるとますます尾根道はよく整備されており、次の140m+ピークには三〇鉄塔があります。海まで見渡せます。ここから馬の背のような尾根で209mピーク、そして次の210m+ピークへ登りました。ここまで誰とも会っていません。

この先は姫路市と高砂市の市境の尾根を南に歩きましたが、ここは鹿嶋神社から高御座山へ歩く登山ルートで、たくさんの登山者と出会いました。眺めの良い尾根(百間岩)を南下し、マイクロ波反射板と姫路火力東線三二鉄塔を過ぎると、鹿嶋神社のチタン製鳥居が見えてきます。神社の方へ急峻な大きな岩場を降りると休憩所がありますが、トイレは壊れていて使えません。88mの鞍部を通って、中所登山口方面へ歩いて南のピークに登りました。登山者はかなり少なくなりました。まず地徳山という眺めの良いピークがあり、次の山が大平山です。この山も岩場が多く、展望は良好です。明石海峡大橋が見えます。山頂の大谷1三等三角点(155.53m)を過ぎて、中所登山口ではなく豆崎登山口を目指して急峻な岩場を降りて行くと、その南の低い尾根に経塚山古墳がありました。尾根上の道にいきなり石室が開いています。ここからまた急峻な岩場を降りると、豆崎登山口に出ました。百間岩まで60分、高御座山まで150分と書いてありました。

このコースは、逆に歩いたほうが岩場を登れて楽しいかも知れません。今回歩いた尾根はあまり山火事の影響を受けていないようで、季節外れのツツジの花を楽しむことができましたが、桶居山から高御座山に繋がる尾根は岩場が多いというだけでなく山火事で木が生えていません。植林も進められているようですが、緑が戻るにはだいぶ時間がかかるでしょう。

展望 ★★☆
藪山度 ☆☆☆
地形図は「加古川」です。

2015年12月6日日曜日

北から登る笠杉山

今回は2015/08/01のリベンジです。登り始めたのは神子畑から国道429を笠杉トンネルの方に走って、ヘアピンカーブの手前の橋の所です。8月には工事中だった橋の手前の林道への道は綺麗に仕上がっていました。しかしこちらではなく、前回と同じように橋を渡ったお地蔵さんの脇の林道に入りました。すぐに川が二つに分かれていますが、この間にある尾根の先から登り始めることにしました。ここは8月には川の水量が多くて渡れなかったのですが、今回は水が少なくて簡単に渡れました。この尾根の先は非常に急な斜面で、下から見上げた時には絶望的な気分でしたが、登り始めると作業道の跡がありました。それでも急斜面には変わりがなく、木に掴まって登りました。少し登ると高所恐怖症としては下を見られなくなりましたが、急斜面は長くは続かず、ちょっと平らな場所に出ました。この先は尾根登りですが、依然としてかなりの急勾配です。これがしばらく続きましたが、徐々に勾配は緩くなって来ました。植林も増えてきて、歩き易くなりました。

この後は植林と自然林が混ざった尾根となりました。ずっと登りではありますが、楽に歩けました。714m地点を過ぎると、植林した時に使ったのかも知れないワイヤーロープが木に巻きつけられていましたが、木の幹に食い込んでいるのが痛々しく感じられました。中にはロープが食い込んだ後で木が成長して、ワイヤーが幹の中を通り抜けていることもありました(写真)。長い尾根登りですが、標高差600m以上を登るのですから当然です。綺麗な植林もあって、一休みできました。木の少ない自然林になり、岩が増えて来ると、笠杉山山頂に着きました。藤尾峠三等三角点(1032.11m)と宍粟50名山の標識がありますが、標識の立っている場所が宍粟市かどうかは調べてみる必要がありそうです。

下山は市境の尾根を笠杉トンネルの方に歩きました。この尾根は日本分水嶺でもあります。「千町小屋」の標識の方向です。最初は幅が広くて気持ちの良い尾根でした。広すぎて尾根を間違えそうな所もあります。西側には美しく舗装された千町段ケ峰幹線林道が見えていますが、これは見ないことにして歩きました。途中で宍粟市側から道が尾根を横切りますが、尾根を横切った所で終わっていました。再び尾根を歩いて、860m+ピークから東側に急斜面を降りました。分かりにくい場所です。この先は植林が続きますが、広々していて方向が分かりにくい場所もあります。東側に未舗装の林道が見えて来ると、植林の尾根をアップダウンしながら歩くことになります。林道を歩いてもよいのですが、アップダウンがあっても林の中の方が気持ちよく歩けます。8月同様に笠杉トンネルの真上の植林を歩き、北のピークに登って降りるとお地蔵さんがあり、ここが笠杉峠です。前回同様に峠から道を辿って東に降り、前回同様にミツマタの茂みで道を見失いました。しかし前回同様に問題なく林道に降りて、未舗装の林道から広域基幹林道須留ケ峰線と国道429号線を通って車に戻りました。4時間ほどの行程でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「神子畑」です。

2015年11月28日土曜日

北から登る三室山

三室山近辺はネマガリタケが茂っており、登山は要注意の地域です。最近では2015/09/05に赤西渓谷から登ってひどい目に遭っています。しかし北から登ったというレポート([1])に勇気づけられて、登ってみることにしました。

出発点は国道29号線を北に走り、新戸倉トンネルを抜けて鳥取県に入ってしばらく走り、大野から加地を抜けて林道を南に走った所です。この林道は吉川にも大通峠にも繋がっており、交通量があるため荒れていませんが、対向車注意です。標高は既に800mもあります。ここからちょっと林道を入り、川を渡る(というか、水が舗装道路の上を流れていましたが)手前で右手の尾根に登りました。植林の尾根で急勾配ですが腕を使わなくても登れるので劇登りというほどでもありません。最初は比較的手入れの良い植林で、900メートル地点付近は平らで一息つけます。徐々に自然林と混ざってきたと思ったら標高1000mを越した付近で林道に出ました。おそらく最初に歩いた林道の続きと思われます。じっさいGoogle Mapには描かれていますが、未舗装道路です。さらに林を登り、1100m付近からは枯れたネマガリタケとシダが見られるようになりました。その先の小さなピークを越えた先は以前はネマガリタケが茂っていて通りにくかったと思いますが、現在はほとんど枯れて茎だけが残っていました。それでも倒れたネマガリタケは滑るので歩きにくく、難所でした。県境の主尾根も枯れたシダとネマガリタケに覆われていました。ようやく道を見つけて、少し歩き易くなりました。この道はネマガリタケが茂っている場所はちゃんと巻いているので、ネマガリタケと格闘する必要はありません。辿っていけば、三室山に登り着くことができます。主尾根までが1時間、三室山まで30分程度でした。9月にはあった千北小創立百周年記念登山の板がなくなっていました。

三室山からは北に下りました。こちらの尾根は幅が広くて方向が定まりません。赤テープと積雪の上に残った鹿の足跡を頼りに降りましたが、ネマガリタケがかなり残っています。しかしそれでもネマガリタケを腕でかき分けて進むようなところはないので、滑らないように注意さえすれば大きな問題はありません。赤西山への尾根ががよく見えます。1200m小ピークを過ぎて、1210m+へ上がると、ここからは北西の尾根を歩きました。ここはいつも三室山からよく見えて気になっていた尾根です。歩いてみるとここもネマガリタケが枯れた跡のようで、枯れたシダが広がっていました(写真)。広々として平らで眺めもよく、風がなければ気持ちの良い場所です。ただしネマガリタケの茎が竹槍のようにたくさん立っていて、邪魔なこともありました。正面にくらますを見ながら1178mピークを過ぎると少し木が増えてきます。そして再び木のない1174mピークから西に植林の中を下山しました。ここも尾根の幅が広くて方向が定まりませんが、ピンクのマーキングがありました。やや急勾配の植林をしばらく降りると、林道がありました。左右どちらに行くか一瞬迷いましたが、少し下り気味の右に歩いて、無事に出発点まで戻ってくることができました。

全行程3時間程度の短い登山でしたが、標高差は500m以上あります。県境の尾根はネマガリタケがだいぶ減っていましたが、決して歩き易くはありません。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆
地形図は「岩屋堂」「西河内」です。

2015年11月23日月曜日

一宮町横山の岸田・三ツ谷三角点

ちょっと地味で短距離の山登りに行ってきました。国道429号線を三方から東に走り、百千家満を過ぎて笠杉トンネル方面に右折するところを直進して、県道6号線をちょっと北上して車をとめました。目指すは429号線の北側の尾根です。細い尾根が南に延びているので、まずそれを横切る舗装道路を上ってみました。人家に近づかないように、坂の頂上の手前から北の植林に入りました。金網が2列ありますが、一つは簡単に越えられました。もう一つは手強く、地面と少し隙間のあるところを見つけて潜り込みました。岩の多い植林の山ですが、ピークを越して北の鞍部に出るとまた金網がありました。これには扉があり、全開はしないのですが通ることができました。その先は植林の坂です。西側下には県道が見えており、この地点まで植林を登ってくれば金網に悩まされることはないと思います。

登っていくと自然林になって落ち葉を踏んで歩くことになりました。北と西側に展望のある場所があって、紅葉の山々を楽しめました。ピークに着くと岸田三等三角点(521.38m)がありますが、周囲にはコンクリートの基礎があって、以前は通信設備か何かがあったのかも知れません。「点の記」も見てみましたが、登山途中に共同アンテナがあるとだけしか書かれていません。基礎の中には太い植林が生えていますので、かなり昔に作られたもののようです(写真)。この付近は植林ですが、三角点の東側は倒木が多く、抜けるのに苦労しました。しかしここを過ぎると自然林となり、多くの木は既に葉を落としていましたが、残っている木の葉は色づいており、楽しく歩けました。504mピークを過ぎ、北側は植林となっていますが南側は自然林です。井内の北の付近は植林が増えますが、520mピークまで上がると自然林に戻り、北への尾根もほとんど自然林でした。藪はありません。

本日のルートの最高点には三ツ谷四等三角点(612.93m)があります。落ち葉に埋もれ気味で、標石の上の面しか見えていません。ここからは西に降りましたが、610m+の広いピークも自然林で気持ちの良い場所でした。倒木もありますが自然な森という感じです。599mピークを過ぎ、あとはひたすら下垣内へ降りました。植林もありますが全体に尾根は広葉樹が多く、ずっと落ち葉を踏んでいました。坂になると落ち葉は滑るので注意が必要でした。最後もひどい急斜面になることはなく、県道に出ることができました。悩むところのない下山でした。

3時間ほどの山歩きでしたが、特に急登もなく秋の山を堪能できました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」です。

2015年11月21日土曜日

山南町の玉巻三角点

福知山線谷川駅から奥野々峠の方へ山を歩いたときに、踏切の所に玉巻城趾という標識があるのに気がつきました。そこで今回は石戸川の西側の山を歩いてみました。まずはこの玉巻城趾に登るのですが、標識は一つだけで、その後のフォローは何もありません。結局はお寺の裏の墓地から登るしかなかったのですが、最初は笹藪でちょっと苦労しました。すぐに植林になり、ジグザグに登っていくと平らな山頂に出ました。ぐるっと植林された山頂を歩いても特に城跡という感じはしませんが、241mの山頂を過ぎて北の山に向かうと190m+鞍部にはの林道が2本来ていました。航空写真で見るとこの付近には非常に多くの林道が作られており、玉巻城趾に登るだけなら林道を歩いて登るのが楽でしょう。ここではしばらくは林道を歩いてみましたが、あまり登っていく気配はないので、稜線に取り付きました。植林よりも自然林を選んで登っていきましたが、場所によってはかなり急勾配でした。途中にツタがきれいに巻き付いた木を見つけました(写真)。2本が巻き付いているように見えますが、下の方で枝分かれしたものです。

山頂近くになると平らになって落ち葉を踏んで歩けるようになりました。赤い「火の用心」があり、巡視路はこの付近に西から登ってくるようです。その先には奥多々良木線六〇鉄塔があり、玉巻四等三角点四等三角点(422.85m)があります。遠くの山が眺望できます。ここからはさらに北の山を目指しました。鞍部に一度降りて、その後はかなり急斜面ですが、トラロープが張ってあります。どうしてかと思うとここは高圧線の巡視路で、460m+ピークに上がる「火の用心」があり、確かにここから西に尾根を降りれば鉄塔があります。そのまま北に平坦なピークを歩きました。切り開きがあって落ち葉の上を歩ける最高のハイキングコースです。536mピークも特に目立つものはありませんが、尾根はここで東に曲がります。この先は地形図で見ると何やら北側が崖崩れのような様相ですが、尾根を歩いている限りは北側が急斜面だというだけで、木も生えていますし特に変わった場所という印象はありません。少し歩きにくい所はありますが、気持ち良く歩けます。ちょっと荒れた400m+ピークを過ぎて、319mピークへの登りは大きな岩が節理に沿って割れていく過程のようでした。319mピークを過ぎると共同アンテナの残骸がありました。さらに切り開きを降りて行くと、もう一つ共同アンテナがあり、その下は道がなくなって荒れた急斜面となりました。足元が悪くて苦労しましたが、なんとか谷に降りられました。この付近は谷川の郷という別荘地のようでした。

特に魅力的な山ではありませんが、尾根は気持ち良く歩けました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「柏原」です。

2015年11月15日日曜日

波賀町谷から登る谷村三角点

国道29号線沿い波賀町谷の集落の北から害獣避けの扉を開けて、植林の中を登ると、安積上野線一九鉄塔があります。ここからは西側の引原川沿いを見下ろすことができます。北側には三峯神社があり、説明書きによると、150年ほど前に埼玉県秩父郡から勧請されたそうです。お詣りしてから神社の裏を登り始めました。少し植林を登ると、谷四等三角点(353.50m)がありました。この先は自然林になって、登りが続きます。木立が切れる所があって、下の谷川がよく見えました(写真)。谷川沿いから見上げると、この場所ははっきり分かります。この後も植林と自然林が混ざった森を登りますが、ずっとなんとなく道があって、登りやすい尾根でした。標高580m付近には林道の終点がありました。西奥山林道が延びて来ているようです。標高差はあるものの、長い尾根なので急登はありません。

主尾根に出る690m+地点は三叉路になっています。ここには2010/08/27に北から来ました。ここからは、その時のルートを逆に歩きました。美しい植林が多く、気持ちよくアップダウンを歩いて行くと、谷村三等三角点(769.85m)に着きました。付近はアシビが茂っていますが、三角点は埋もれていません。さらに北に歩くと、鞍部に共同アンテナがありました。ここから次の750m+ピークに登ると、ここは広く切り開かれていて共同アンテナがいくつかありました。

さらに真っ直ぐ北に歩くと楽に道路に出られそうでしたが、出発点に戻るのが大変そうだったので、ここから東の尾根で下山することにしました。やや急峻な尾根ですが、植林なので問題なく降りられました。しかし標高が600mを切ったあたりから、植林の起伏が増えて歩きにくくなりました。よく地形を観察すると、かんな流しの跡のようでした。そういえば、登り始めから土の色の黒い山だと感じていました。尾根だけはかろうじて残っているのでそれを辿りましたが、596mピークの南側はほぼ削られている感じでした。尾根を東の端まで歩き、舗装された林道に降りて南に歩きましたが、周囲は棚田で、かんな流しで平らになった所を棚田にしたようです。今では植林になっています。

特に藪もなく、歩き易いルートでした。途中で一番良く見えたのは東山でした。最後のかんな流し跡は予想外でしたが、歴史を感じさせます。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「安積」です。

2015年10月25日日曜日

長水山北方の釜屋三角点

山崎町の長水山は山頂に寺もあって登山道もありますが、今回は長水山ではなく、その東側にある尾根を歩きました。山崎の北の五十波から梯方面に入り、長水山登山口から歩きはじめました。すぐに地形図にもあるように北側に山に上がる道がありました。この短い道は墓所へ行くものです。尾根へは墓所の東側の雑木林の急斜面を登りました。足元はあまり良くありませんが、ずり落ちることもなく、無事に尾根まで上がれました。ここは典型的な里山で、下草は少ないのですが倒木が邪魔でした。しかし勾配はきつくなく、所々に平坦地もありました。402m地点を過ぎても様子は変わりません。時々植林になりますが、とっても自然な雑木林が続きます。なんとなく歩いて506mピークまで来ました。特に何もありませんが、ここが今日の最高地点です。

ここからは下りです。ちょっと藪っぽくなりますが、そのぶん作業道が分かりやすくなりました。一部を除いてこの尾根には作業道があったようです。ただ、506mピークの北で尾根が分かれている付近などは藪に突っ込むような感じでした。少し下ると地形図では破線道が尾根を横切っていますが、これははっきりしません。その後は間違えないように東側の尾根に降りて、少し登ると釜屋四等三角点(400.57m)がありました。周囲は少しだけ伐採してあります(写真)。

この先は鞍部まで降りて梯川側に下山と思っていましたが、急斜面の藪で道もありません。そこで地形図にある破線道を探しました。地形図どうりに鞍部の北に尾根を横断する道がありました。両側ともはっきりした道です。これを東に降りました。時々倒木で塞がれていたり、シダが茂っていてちゃんと道を辿れたとは思えません。分岐も多く、必ずしも降りて行かないので困りました。後からGPSで確認すると斜面を横に北に向かって歩いていたようです。結局降りて来たのは梯の集落の中でした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「山崎」です。

2015年10月17日土曜日

福知山線谷川駅の裏山

谷川駅から福知山線は石戸川に沿って北に延びて奥野々トンネルを抜けて柏原へ向かいます。これに沿って東側の山を歩いてみました。登り口は駅の北の墓地で、害獣避けの金網がありますが、墓地の向かって左端に扉がありました。ここから雑木林の急斜面を登って尾根に上がりました。最初の目標は220m+のピークです。広く延びたピークで、北の端には人工と思われる段差がありました。次の目標は地形図で300m+に描いてある送電線の鉄塔です。植林の多い歩き易い尾根でした。鉄塔は奥多々良木線六三ですが、その北はややきつい藪でした。藪を抜けると歩き易い尾根に戻りました。

342mピークを過ぎて、共同アンテナを過ぎ、次の目標は奥林四等三角点(346.12m)です。三角点を過ぎると350m+ピークから尾根は東に方向を変えて、巨大な播磨中央線九六鉄塔からの展望を楽しみ、やや急登の後に409mピークに着きました。これも長く延びたピークで、明確な段差がいくつかありました。このピークは奥野々峠を見おろす位置にあり、見張りのための山城があったとしてもおかしくありませんが、特にそのような情報は調べた限りでは見当たりません。東の端まで歩くと柏原方向が木々の間から見え隠れしますが、展望があるのは尾根が南に曲がって岩の多い下りになってからでした。尾根はこの後東に折れて386mピークで西に折り返します。岩が多くなり、南側にまるで城壁のように岩が露出している場所がありましたが、人工的なものではありません(写真)。ここを通って、坂西谷三等三角点(432.81m)のある本ルートの最高地点に出ました。

ここからの下山がちょっと悩んだところで、西に行って熊野神社に下山するのが近道ですが、南に325mピーク経由で送電線を見に行くことにしました。植林を抜けて播磨中央線一〇〇鉄塔に着き、巡視路で降りようとしたのですが、南向きのプラ階段の下で道が消えていました。仕方なくシダの間に作業道を探して植林の尾根に出て、下山しました。最後は道路脇に金網があり、扉はあったのですがなかなか開かなくて苦労しました。場所によっては金網は必ずしも続いているわけではないようなので、場所を選べば苦労はなさそうです。それよりも、三角点から熊野神社経由で下山するのが正解だったと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「谷川」です。

2015年10月12日月曜日

丹波市谷川の東山と天狗山

丹波市谷川の南東にある山は、明智の丹波攻めに落城した鍋倉城のあった山だそうです([1])。由緒ある山らしいので登ってみました。登り口は山の西端にある稲荷社にしました。ちょっと階段を上がると素っ気ない神社がありますが、石灯籠は文政7年となっており、古い神社のようです。奥に小さな池があって庭園の雰囲気を作っていますが、その裏の植林を登りました。南側の尾根を目指して登ると、ちょっと平坦地がありました。これが杉ヶ谷城([2])かも知れませんが、よく分かりません。この付近の尾根にはマーキングがあって、切り開きがあります。自然林の中を気持ち良く登ると、東山四等三角点(459.02m)がありました。「谷川里山ウオークPARTIII東山登山参加者名」と書かれた木の板が落ちていましたが、名前は消えていて読めません。平坦な尾根を少し歩くと「東山頂上←→岸本石材採石場谷川駅」と書かれた赤い札(この後いくつかあった)がありました。この東の470m+の平坦なピークが鍋倉城跡と思われます。尾根を横断して堀のようなものが残っていますが、500年も前の2m程の堀が今でも残っているものなのか、よく分かりません。ただし人工と思われる段差がいくつもあることは確かで、石垣などは無いにしても山城の跡でしょう。

東に尾根を歩くと北から送電線の巡視路が登ってきており、奥多々良木線六七鉄塔に着きました。ここは展望は遠景以外イマイチですが、すぐ先にパラボラ型の共同アンテナがあって、北側篠山川沿いに集落などが見えました。ここで尾根をちょっと外れて南東に行きますが、巡視路もこっちに付けられています。この先は小さなピークがあってアップダウンが結構疲れます。巡視路は二つ目のピークの手前で南の尾根に降りて行きます。4つめの小ピークには大きな岩があるので、これが440mの萬松山でしょう。山名ではなく「天狗山←→東山」という札がありました。この先は植林の尾根ですが、465mピークを過ぎて次の460m+ピーク付近に来ると岩場になって、南側に展望が開けます。493mピーク付近は岩山ですが、次の450m+小ピークに赤い「火の用心」があって、ここから再び巡視路となります。しかしあまり手入れされているとは言えず、岩を登るところにははっきりした道はありません。巡視路は奥山三等三角点(557.69m)のある天狗山(写真)で再び東の尾根に向かいますが、そちらには行かず真っ直ぐ南に尾根を降りて、けやき峠に出ました。2015/01/24に高山から来たときには見た覚えのない「高山登山道(未整備)けやき峠」の標識が立っていました。ここからは前回と同じルートで下山しましたが、未整備とは言え登山道ならもう少しマーキングがほしいと思いました。倒木の多い斜面を降りて、藪の手前で右に斜面に付けられた道に曲がればあとは一本道ですが、時々見失いそうになりました。間違えて谷に降りてしまうと大変そうです。林道高山線に出てからは、ちょっと色づき始めた木々を眺めながら谷川まで戻りました。

藪はなく、歩き易いコースでした。岩場もありますが、危ない場所はありません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「谷川」です。

2015年10月10日土曜日

和田山町の藤和峠から三波三角点

和田山町の藤和峠は竹田城の雲海撮影所として有名で、展望場所も設けられています。この峠は和田山側からはかなりの登りですが、藤和側はほとんど坂がありません。藤和は標高350m以上ありますが、和田山側の三波は200m程度だというのが理由です。峠から南西に延びる尾根を歩いてみました。

登り口は藤和峠にあるお堂で、中にはお地蔵さんの石仏がいくつか並んでいます。このお堂の奥は笹の茂った谷で、両側は植林の急斜面です。谷の奥へは作業道がありましたが、早めに尾根に上がろうと思って南側の急斜面を登りました。植林なので勾配の割には登りやすく、木に掴まって登ってすぐに尾根に出ました。上がってみれば草の生えた尾根で、草をかき分けて登りました。やや倒木がありますが自然林で下草のない尾根が続きました。南山四等三角点(499.84m)付近は伐採してあり、金属プレートの三角点は松の小木の間に埋もれていました。

この先も歩き易い尾根が続きました。532mピークを過ぎて、次の530m+ピークには地籍図根三角点がありました。この先も歩き易く、次の540m+ピークにはワイヤーロープがたくさん残っていました。そしてちょっと藪っぽい場所を抜け、竹田城がちょっと見えたところでこれも金属プレートの三波四等三角点(551.42m)がありました。この先の562mピークは十字路になっています。地形図にはピークの東側に破線道が描いてありますが、じっさいに北側には斜面に付けた道があり、南側には溝が付けられていました。南に降りて行くと峠があり、お地蔵さんがありました(写真)。峠の両側にも道がありました。この先も歩き易そうだったのでさらに南に歩いて、結局地籍図根三角点のある650m+ピークまで歩きました。ここは2013/11/02に大路山経由で来たことがあります。

また北に尾根を戻って562mピークを過ぎて、北に向かいました。細尾根を渡って西に歩くと、尾根に道がありました。さらに尾根から少し下がった南側には林道が現れました。この林道は長く続きますが、地籍図根三角点のある694mピークを過ぎるとなくなり、今度は尾根にネットが張られています。そのためやや歩きにくくなりますが、それでも歩き続けて、藤和から建屋に抜ける破線道の通る峠まで行きました。この峠では石仏は見つけられませんでした。西側は斜面に道らしきものがあり、東側は谷に降りる急斜面に赤いマーキングが見えましたが、谷で道が無くなると大変苦労することになるので、いったん720m+ピークまで戻って北東に尾根を降りました。この尾根は歩き易く、564mピークを過ぎて長い尾根を過ぎ、最後は急斜面でしたが斜面の下は墓地だったので楽に降りられました。

5時間も歩きましたが、高低差が300m程度しかなく(累積標高差は1500m以上ですが)、登山と言うよりも山歩きという感じでした。竹田城の見えるスポットも少なく展望は不足気味でしたが、気持ち良く歩けました。途中で地籍図根三角点と黒蛇をたくさん見ました。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は[但馬竹田」です。

2015年10月3日土曜日

西から登る氷上町の高見城山

氷上町の高見城山には何度か登っていますが、いつも山頂から眺めると、西の加古川に向かって延びている尾根が面白そうに見えました。そこで今回は、西の氷上町佐野から登ってみました。

南から国道175号線を走り、佐野を過ぎるとすぐに右手の山裾に車を停めるスペースがあります。ここには扉もあるのですが、とりあえずここは下山地点と決めて佐野の方へ歩きました。佐野の集落を通る道が国道に出るところに園芸店がありますが、そこから国道を少し佐野の方へ戻ったところに山に入る扉があります。これを抜けると、その先は地形図にもある墓地でした。墓地の一番上から尾根を目指して植林を登りました。足元は少しシダが生えていますが、作業道を辿って尾根に上がりました。この尾根には切り開きがあり、少し藪っぽいにしても歩き易くなっています。少し登ると共同アンテナがあり、北の展望があります。その先は関電の黒いプラ階段があり、播磨中央線八二鉄塔がありました。篠ヶ峰を始めとして、あちこち眺められます。すぐ先の道端に小寺山三等三角点(357.56m)がありますが、大柿さんの09.12.8の赤プラスチックのプレートがありました。この付近は巡視路なのでよく整備されています。南の285mピークに向かう尾根への分岐には赤い「火の用心」が南向きにもありました。木々のトンネルとなっている尾根道を歩くと、次の鉄塔は尾根の少し北にある播磨中央線八三鉄塔です。ここも展望が開けていて、篠ヶ峰、白山、弘浪山、霧山、高見城山などが見渡せます。次の鉄塔はやや小ぶりの北摂長田野線八一鉄塔です。ここの北側で播磨中央線と北摂長田野線が交差しますが、播磨中央線が上を通っています。

この先巡視路は北の谷に降りて行ってしまい、尾根道は岩が増えてきます。そして441mピークの手前には大きな岩盤がありました。巻いていくこともできたと思いますが、無理矢理まっすぐ登ってみました。藪が邪魔ですが、岩盤の上からは南方面の展望が広がっています。そして一気に藪を抜けて、441mピークに出ました。この先は再び巡視路となり(巡視路がどこで尾根に上がってきているのか分かりません)、ついに高見城山と岩戸山を結ぶ主尾根の490m+ピークに着きました。ここでは、ちょっと南に降りてから、東側の巻き道を歩くことになります。南に降りた地点には「火の用心」が2枚立っており、岩戸山から歩いてくると間違えそうです。尾根の道はよく整備されていますが、次の470m+ピークなど完全に巻いています。そして丹波の森公苑への分岐を過ぎ、細尾根を歩くと紅白に塗られた播磨中央線八六鉄塔がありました。そして更に北に歩いて高見城山に着きました。ほぼ360度の展望がありますが、今回はススキが季節感を加えていました。高見ケ城四等三角点(484.96m)があります。この山頂は丹波市氷上町と丹波市柏原町の境界上にあるようです。

下山は北側の尾根と決めていました。この尾根は山頂に至るまでずっと見えていましたが、岩が多くて面白そうでした。しかしまずこの尾根にどうやって降りるかが大問題です。道はなく、適当に方向を定めて急斜面の藪を降りなければなりません。とりあえず北に歩き易そうな尾根を降りて、そこからトラバースして北西に向かう尾根に乗りました。乗ってしまえば切り開きがあります。しかしすぐに大きな岩の上に出てしまい、急斜面を降りて岩を迂回する必要がありました。その次も大きな岩盤でした。さらに次は荒い砂地となります。これは高見城山山頂からも見えていましたが、細い尾根の上ですので滑らないように慎重に歩きました。その先は砂地の斜面で、ここは掴まるものが無いので滑って降りました。その次は砂っぽい岩場の登りで、木に掴まって登りました。いつもは邪魔にしている松の小木も頼りになりました。登り切ると360m+ピークは森ですが、ピークの西端はまた岩場で、大きな岩を巻いて降りても岩場が続きます(写真)。展望も良いのですが、北摂長田野線八四鉄塔まで気が抜けません。鉄塔から西は岩は少なく、巡視路もあるので歩き易く、311mピークまで来ました。ここで巡視路は北東の尾根に向かいますが、下山は北西に一番長く延びた尾根を歩きました。整備された道ではありませんが切り開きがあり、途中ちょっと倒木で荒れている場所はあるものの、軽快に尾根を降りられました。最後は植林となりますが、作業道でシダの間を歩いて植林の下に降りると道があり、車を停めておいた扉に出てきました。

登りも下りも岩場が多く、岩場好きの方にお薦めのコースでした。

展望 ★★★
藪山度 ★★★
地形図は「柏原」です。

2015年9月26日土曜日

養父市建屋の森三角点

石ヶ堂古代村から建屋山に登ったとき正面に見えていた山があります。建屋川西側の、能座の北の山ですが、名前は分かりません。山頂に森三角点があります。ということで、登ってみました。

登り口をどこにするかはだいぶ悩んだのですが、結局北の奥山から登ることにしました。カカナベ川沿いの道路から簡単に植林に上がれました。この植林は非常に急ですが、作業道を探して登っていくと尾根に出られました。あとは標高差400m程をひたすら登りました。急斜面の植林が続きます。特に標高400m付近まで来ると作業道も無く、足元は崩れやすくて非常に登りにくくなりました。そこで左手から来ていた尾根にトラバースしたのですが、こちらの尾根も急な上に荒れていて、真っ直ぐ登った方が楽だったかも知れません。標高450mを過ぎると徐々に勾配が緩やかになってきました。500mを過ぎると共同アンテナの残骸がありました。だんだんと気分良く快適に登れる尾根になってきました。そして登り始めて1時間半で山頂に着きました。森三等三角点(662.01m)はシダに覆われており、白いポールが2本もあるのですが探すのに手間取りました。結局シダを端から抜いていって、標石を発見しました(写真)。

三角点からは尾根を辿りましたが、やや荒れ気味で、アップダウンがかなりあります。次の692mへの鞍部は細尾根でした。692mピークは植林で、いったん鞍部に降りてから、再び650m付近では建屋方面の展望が得られました。標高700m付近は岩が多くなりますが、おかげで展望もあります。そして植林地帯に入り、やや長い登りを続けると805mピークに着きました。ここは以前に来たことがありますが、植林と自然林の境目で、広くて気持ちの良い場所です。ネットと荒れた林道が西から来ており、ちょっと西に歩けば道沿いにカンバ山三角点がありますが、今日はそちらには行かずに東に下山しました。

下山に使った尾根はやや幅広で脇に逸れがちでしたが、ひどい急斜面も無く、標高550m付近で植林に入るとすぐにダートの林道がありました。あとは植林で下山しましたが、能座の方に行くかと思いきや少し南の小畑の方へ降りて行きました。途中に北に行くやや登り気味の枝道もありましたし、法面が崩落して通れない場所もあったので、能座の方に降りる道もあったかも知れません。最後は暗い植林と草原(放置された畑?)を抜けて、配水池の所で扉を抜けました。能座に歩いて、能座四等三角点(290.65m)とヒダリマキガヤを見て帰りました。

最初は根気の要る急斜面の登山です。登ってしまうと、栗と鹿の多い山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大屋市場」です。

2015年9月22日火曜日

西から登る竹呂山

竹呂山には三室山経由で来ることが多いのですが、今回は西側の河内川沿いの道上から登ってみました。最初は林道を歩きます。「アルコール度急速中和に威力!」キエルミンGというドリンクの広告の描いてあるコンテナを過ぎると害獣避けの扉があります。これを通るとすぐ左手に分岐があり、終点まで登りました。この枝道は最新の地理院地図に記されているとおりです。終点からは植林の急斜面を思い切り登って尾根に出て、真所四等三角点(712.99m)に到着しました。ここからはあまり急坂も無く、植林と自然林の混ざった気持ちの良い登山になりました。871m地点を過ぎて少し登ると、「竹呂山」「竹呂谷」の標識がありました。北側の谷からここに登るのが登山道のようですが、植林の中の道はよく識別できませんでした。しかし登山道となるとますます楽に登れて、山頂近くの急勾配も斜面に道があるので助かりました。山頂近くのほとんど意味が無いと思われる場所に「竹呂山頂」の標識がありました。ここで振り返ると植林の間から後山など千種の山々が見えました。

竹呂山山頂には中山三等三角点(1129.27m)と宍粟50名山の札が立っています。登山コースは谷コースと尾根コースがあるようですが、どちらも竹呂谷経由でしょう。山頂からは南に尾根を歩きました。何度歩いても気持ちの良い尾根でした。展望はありませんが、自然林がきれいです。今回は特に枯れた木に群生するキノコ(なめこ?)に目が行きました(写真)。真っ直ぐに歩くと980mピークの方に行きそうになるので南に向かって、972mピークまで行きました。ここも平坦で木の間の広い自然林のピークです。このピークの南西側は複雑な地形です。谷沿いの林道にも降りられそうですが、敢えて西に延びる長い尾根を歩きました。登ってきた尾根に比べると細い尾根なので若干歩きにくいのですが、それでも勾配が少なくてとても歩き易い尾根でした。気持ち良く778m地点まで降りました。ここはいくつかの尾根への分岐があり、北西に向かえば最初に登った林道に出られそうですが、ここも敢えて南西に向かいました。この先は予想どうりにかんな流しの跡に出てきました。現在は植林ですが、起伏に富んだスリリングな地形になっています。スリリングすぎて急斜面の植林の中を降りることになりましたが、地形図の破線道付近の谷には金網に扉があって、無事に金網を突破できました。

どちらの尾根も山裾でちょっと苦労がありますが、気持ちの良い登山道としてお薦めできるものでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「西河内」です。

2015年9月20日日曜日

溝谷から登る三久安山

最近(2015/08/29)東から登ったばかりの三久安山ですが、もう一度今度は溝谷から登ってみました。実際には公文川と溝谷川が合流する地点から登り始めました。ここは公文川に橋がかかっている場所ですが、溝谷川の方が川幅が狭いので、溝谷川に降りて川を飛び越えました。目の前は急斜面ですが、数メートルも登れば尾根です。あとはちょっと藪っぽい尾根を歩きました。

あまり急な斜面はありませんが、アップダウンがかなりあります。溝谷の集落の近くに来て最初の630m+に上がると共同アンテナがたくさんありました。次のピークには溝谷四等三角点(636.47m)がありますが、頭をちょっと地面から出しているだけなので、一瞬見落としがちです(写真)。この先は開けて気持ちの良い場所でした。あとは743mピークを過ぎて、歩き易い尾根でしたが、延々と尾根登りで、あまり印象は残っていればいません。時々平坦になるので、登りが長く続くことはありません。2010/12/01に登った林道のトンネルからの登山道と合流すると開けた場所がいくつかあって、阿舎利山や一山が望めます。951mピークの手前にはススキが茂っている場所がありました。さらに、2015/08/29に登ったルートとの合流点を過ぎると、シダで覆われた場所もあります。この先は気分良く歩けました。そしてシダの茂った三久安山山頂に出ました。小原三等三角点(1123.13m)と、宍粟50名山の標識があります。

下山は林道を歩くつもりで、2010/12/01と同じように南に尾根を歩きました。ときどきヒメジボーイスカウトの作った木の説明があるのがうれしいところです。音水湖への分岐を過ぎて、「ハシゴへて林道」の標識から尾根を下りました。この尾根は登山道ですが、草は茂っているし倒木も多く、ネットもあるので歩き易い尾根ではありません。しかも非常に急な箇所があって、トラロープはありますが下山には不適でした。最後のハシゴも、自分の体重を支えてくれるものかどうか心配でした。その後の林道歩きは、山側が崖になっている場所が多く、岩ウォッチングしながら降りましが、足下は石が多くて足が痛くなりました。蓮花岩隧道を抜けてもあまり道は良くなりません。出口近くには「一般車両通行禁止」のトラロープがありましたが、外せば入れます。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。

2015年9月5日土曜日

赤西渓谷から登った三室山

先週(2015/08/28)に赤西渓谷から波佐利山に登った時に、山の斜面に道を見つけました。今回はまずこの道がどこからどこまで通じているのかを調べるとともに、三室山に登るという無理な目標を立てました。

まず赤西渓谷をひたすら登りました。「引原川支流 赤西川源流」の方向に歩いて行くと、道は東側斜面の上の方に付けられています。前回の予想だと、この道から斜面の水平道への分岐があるはずなのですが、こんなに高い位置から谷を渡れるとは思えません。しかし、赤西林道起点から8.4km地点付近は林道が谷の低い所に降りてきていました。この付近で谷を探すと、コンクリートのブロックが倒れているのを見つけました。上に草が生えていて見つけにくいのですが、ブロックの下の端から金属棒が出ています(写真)。足が二本あって上にブロックを支えているような形で、中音水渓谷にあった森林鉄道の橋を思い起こさせます。この地点には最近簡易的な木の橋が作られていましたが、流されて渡れません。結局幅の狭いところを飛び越えて、西側に渡りました。

西側ではコンクリートの橋を渡った後の道を探すつもりだったのですが、容易には見つかりません。南に向かう道があるのですが、幅が狭く新しそうです。見上げると不思議なネットがいくつもあって、それを見に斜面を登ると、水平な道がありました。明らかに先日見つけた道と同じ作りです。ネットの方は20近くあったと思いますが、形としては上から落ちてきたものを拾うようになっており、落ち葉などを捕集するためのものに見えました。最近設置されたようで、あまり溜まっていませんでした。道の方は、まず北へ向かって歩きましたが、谷に行く手を阻まれました。道はここで終わっていますが、道の端にはコンクリートブロックが二つあり、いかにも橋を架けるためのもののようでした。谷の向こう側はどう見ても道と思われるものの形跡は無かったのですが、ひょっとすると橋があって道は更に北に延びていたのかも知れません。南に歩くと、下から上がってくる道と合流しましたが、この道は最近作られたもののようでした。恐らくネットを設置する時に整備したのでしょう。そのまま南に歩くと、何ヶ所か山側や谷側が崩落していますが、道は水平にずっと続いています。橋のない谷もありましたが、両側は石積みが作られており、橋が流されたのでしょう。そして先日林道から斜面を登ってきた地点まで来ました。先日はここでこの道は終わっていると思ったのですが、実は崩落しているだけでさらに続いていました。道の作りはやや悪くなっているような感じでしたが、最後は西に延びる林道の少し上で終わっていました。この終わり方もおかしく、谷で終わっているのですが橋はなく、谷の反対側には道がありません。ただし谷には石組みがあります。

とにかくこの道は斜面に長く水平に作られていましたが、山に登っていく気配はありませんでした。これで調査は終わりにして、次は三室山登山です。降り立った地点は西に延びる林道だったので、これを使って登ってみることにしました。この林道は地形図の破線道のとおりに長く続いています。途中でかなり荒れた場所もありますが、すぐに持ち直します。最後は地形図とは違って904m地点の北付近で谷を渡りますが、この付近も橋はないものの橋の下に水を通すための土管が敷設してあります。そして道はぐるっと崩落のひどい南側斜面をまわり、最後はまた地形図の破線道の先端付近に戻ってきました(古い地形図にはこちらの道が描かれています)。ここからは分水嶺の尾根まで標高差200mもありませんが、なんとなく南の斜面に取り付きました。非常に急な斜面で、木に掴まりながらでも何度か足を滑らせました。少し楽になると、ササが増えてきました。最初は小さなものですが、徐々にネマガリタケが茂ってきました。ここから標高は300m近く、ネマガリタケをなるべく避け、避けられない時には格闘しながら登りました。たまにシダが茂っているとほっとするという案配です。1時間以上かけて、千北小の記念登山の板の裏側が見えた時は、心底ほっとしました。

三室山は兵庫県で3番目に高い山ですし、三室山二等三角点(1358.04m)もあり展望も抜群ですが、登るならやはり三室高原からの登山道がお薦めです。じっさい竹呂山に向かう道もネマガリタケが切られて整備されていますが、案内板は全くありません。下山はこちらに向かいました。ただし赤西渓谷に降りなければならないので、1300m+の小ピークを過ぎてから1198mピーク方面へは向かわずに東南の斜面を降りました。しかしこの付近はネマガリタケが密集して生えています。それを避けて傾斜の緩い西側の斜面を降りたのですが、そのままでは谷に下ってしまうので、また北側に移動しなければならなくなりました。ネマガリタケは斜面に沿って折れ曲がっているので、トラバースは非常に困難です。真っ直ぐ降りるのはそれに比べれば容易ですが、枯れたネマガリタケは密集して固まっていることが多く、そこは突破できません。結局標高1200m付近から1070m+の尾根まで1時間あまりの苦闘となりました。尾根まで降りるともうネマガリタケは生えておらず、植林の中を楽に歩けました。1086mピークも植林で、北東に尾根を降りました。楽な方向に降りて行くと標高850m付近で北寄りの斜面に向かうようになり、北側に林道が見えました。しかし尾根からは外れているので尾根の先頭にトラバースして戻って、最後まで尾根を降りました。林道に降りた方がずっと楽だっただろうと思います。あとは赤西林道を歩いて戻りました。

三室山周辺は、今でもネマガリタケが元気で、道の無いところを無理矢理登るのは難しいということがよく分かりました。。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★
地形図は「西河内」です。

2015年8月29日土曜日

公文川から登った三久安山

三久安山には何度か登っていますが、今回は東の公文川から登ってみました。三方から県道521号道谷三方線で公文川を遡り、溝谷への分岐を右に橋を渡り、小原の集落を抜けます。道谷方面と藤無山の分岐を道谷の方へ行くと、じきに舗装が終わってしまいますが、その手前に車を置いて歩き始めました。橋を渡って道路が川の西側に来たところで、西側に谷があり、橋が架かっています。ここの斜面から尾根に上がることにしました。ここは尾根の先が道路に接しています。急斜面を無理矢理登ると、すぐに作業道がありました。荒れていて、谷の奥に向かっているようなので、道は歩かずにさらに真っ直ぐ登りました。急斜面なので腕力で登っている状態がしばらく続きましたが、標高差で100mほども登ると脚力だけで登れるようになりました。この後も何度か腕力に頼る場所はありましたが、ひどい急斜面はなく、標高750m+の主尾根に達しました。地形図では主尾根の手前が急勾配ですが、ここは足場が良かったので特に問題無く登れました。

主尾根に出ても、残り標高差400m以上を登らねばなりません。まず最初に100m程度を登るややきつい斜面がありましたが、後は植林が多く、たまにアセビが茂っている程度で藪も少ないので、歩き易い尾根でした。標高が上がるにつれて植林よりも自然林の中に巨木が目立つようになります。これがこの山の魅力でしょう。標高1000mを越した付近では木が無くてシダが茂っている場所もあります。ここを過ぎると木の間隔の広い自然林となり、気分良く歩けました。そして幅広い尾根から、シダの茂った三久安山山頂に出ました。展望はありませんが、日当たりの良い気持ちの良い場所です。小原三等三角点(1123.13m)と、宍粟50名山の標識があります。

下山は北に歩いて県道521号線の分水嶺の峠を目指しました。三久安山から北に延びる尾根は2012/05/26に通っています。広い尾根で、風通し最高です。まず大きな葉を付けた巨大なホオノキがあります。その後も巨木が多く、夏も終わりとはいえまだまだ緑の葉がきれいでした(写真)。途中から西側は植林になりますが、尾根上と東側斜面は自然林です。1012mピークに登り、鞍部まで降りてからだらだらと1067mピークに登りました。ここは2012/06/23に鹿伏川から登ってきました。ここで進路を東に取り、まっすぐに進みました。次の1050m+ピークで少し迷いましたが、この付近は小ぶりな木が増えますがまだ自然林です。そして緑を楽しみながら歩いていると、標高1000m付近まで降りたところで南側が伐採地となりました。この伐採地はここまで歩きながら見えていたものです。背の高い草が茂っていて、足を踏み入れたくありません。伐採のおかげで展望は十分です。藤無山から三久安山まで見渡せます。しばらくは伐採地のネットに沿って陽に炙られながら尾根を歩きました。金属プレートの阿舎利四等三角点(982.51m)は、そのネットのすぐ下で草とネットに埋もれていました。白いポールが近くになければ、見つけるのは不可能でしょう。ここで伐採地に別れを告げて、北の尾根に行きました。ここはとても手入れの悪い植林という感じです。989mピークからは東に尾根を降りました。すぐに林道がありました。この林道(作業道という感じ)は古い地形図には載っています。ジグザグに草の茂った古い林道を降りましたが、下の方は湿地帯となっており、林道は消えてしまいました。県道に近づくために谷を渡ると、ここにも古い作業道がありましたが、これを歩いても県道には出ません。県道はこの位置ではやや高い位置を走っていることに気付いて、最後は腰近くまで伸びたシダの茂った斜面を無理矢理登って県道に出ました。ここは素直に谷を降りた方が良かったかも知れません。この付近の谷の地形は複雑で、おそらくはかんな流しの跡ではないかと思います。

今回の目的の一つは、この県道521号線が開通しているかどうかを確認することでした。小原の付近には通行不可と書いてありますが、2013/08/27に藤無山から降りてきて確認したところでは、今回降り立った付近から道谷側は整備されていました。南に歩くと、最初は登りですが、カーブの所が峠となります。ここは標高がほぼ900mもあります。「阿闍梨国有林森林整備事業(造林)」という表示があり、車がとまっていました。峠から南はジグザグの下りとなります。倒木などの障害物は無いので、歩くには問題ありません。しかしガレ石が転がっていて足が痛くなる場所もありますし、山側は崩れ気味で道幅も狭く、自動車で通るのはあまりお薦めできません。公文川まで降りてきたときは、ほっとしました。距離としてはそこからも長くて、1時間半近く歩きました。586m地点では西向きの林道は進入禁止となっていました。ここには江戸時代の墓があり、19世紀前半のもののようでした。谷は水流が美しく、木々も美しいので、気持ちの良い谷なのですが、足下はなかなか歩き易くはならず、ハイキングコースとしてはイマイチでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「音水湖」です。

2015年8月28日金曜日

赤西川から波佐利山

以前に赤西渓谷を訪れたとき(2011/09/23)は、木材の積み出しが行われており、林道も轍で無茶苦茶でした。作業が終わったようなので、赤西渓谷から波佐利山に行ってみました。

赤西渓谷の林道は相変わらず狭く、途中からは未舗装で、しかも大きめの石がごろごろしています。そんな所を走っていると、「軍師官兵衛 タイトルバックの撮影がここで行われました」という看板が立っていました。その付近の渓谷の風景は、そう言えばそうかも、という程度のものですが、これが観光客を集めているようで、帰りには乗用車2台(1台は神戸ナンバーのベンツ)とすれ違いました。すれ違うのが大変な道ですので(特に林道に入る前のサイクリングロード)、喜んでばかりもいられません。この新名所から更に上流に走って、赤西森林広場まで行くと、橋の手前にゲートがあって、鍵が掛かっています。ここに車をとめて、歩き始めました。前とは違って歩き易くなっています。所々に「通話可能ポイント表示」がありますが、どこでも通話不可能です。意味のない表示ですが、赤西林道起点からの距離が書いてあるので、自分の位置が分かるという利点はあります。「赤西の先代杉」という巨木もあり、多少は楽しめました。この道にはかつては森林鉄道が走っていたようです。

林道を歩いて行くと、川が二つに分かれています。右(東)側が赤西川源流となっています。この付近は以前は作業小屋もあって賑わっていらのですが、今はすっかり片付いています。ここから正面の山を登ればよいのですが、どう取り付いたら分からないので、まず西に行く林道を上ってみました。この林道は地形図にも描いてありますが、正面の山に登るには不向きなので、登りやすそうな所で斜面を登りました。登りやすそうと言っても、滑りやすい砂地の斜面を木に掴まりながら登るしかありません。しかし、ちょっと登るとまた道がありました。軽トラックが通れるくらいの幅ですが、落ちていた金具(写真)を見るとここにも森林鉄道が走っていたかも知れません。この道も斜面にほぼ平行で、おそらく赤西川上流から折り返して来ているものと思いますが、これを歩いていても山には登れないので、途中でまた歩き易いところから尾根を登りました。急勾配ですが、割と歩き易く、雰囲気の良い尾根でした。植林が多いのですが、大きな木の古い切り株がたくさんあるのが気になりました。ここは標高差400mを登らねばなりませんが、標高1100m付近に来ると木が減って展望が広がります。三室山、竹呂山から、赤西渓谷も見えるようになります。この付近に生えている大木もなかなか立派なものです。あとは頑張って50mほどを登ると、県境かつ日本分水嶺の尾根に出ました。1202mピーク(赤西山)は気分の良い場所ですが、特に何もありません。

ここからは北に県境を縦走しました。気持ちの良い林が多いのですが、場所によっては尾根上に背の高い草などが生えていて、北側を巻きました。1047m地点を過ぎて、1130m+ピークまで登ると、ここは2015/05/27に大ボウシから来た尾根です。前とは逆向きに歩いて、次の1130m+ピークで東に折れて、1100m+鞍部まで降りて登る返すと、波佐利山山頂に着きました。波左利三等三角点(1191.68m)があります。

波佐利山からは、2012/06/24に音水渓谷から来たときに登った尾根を降りました。山頂で「原生林登(山口)」と書いてある方向です。こちらは道案内の板が時々立っています。1122mにも板があり、「音水登山口」の標識もあります。途中で少し笹が増えますが、今日の行程で笹が生えていたのはこの付近だけでした。1100m+小ピークで音水渓谷からの登山道とは分かれて南に向かいました。しばらくは植林が続きます。あまり手入れはよくありませんが、倒木も少なく雰囲気は悪くありません。1110mピーク、1081mピークと、多少のアップダウンがあります。その南の1107mピーク付近は2011/09/23にも来ましたが、自然林が増えます。時々開けた場所があり、西には竹呂山、東には遠く日ノ原が見えました。1106mピークも広い場所です。そして、その南の1080m+小ピークで前回のコースから外れて、赤西森林広場方面へまっすぐ降りました。標高差600m近くを降りなければなりません。最初はなだらかで気持ちの良い尾根でしたが、徐々に急勾配で藪も増えました。岩も多少あります。とにかく忍耐強く、斜面を斜めに木に掴まって降りたりしながら、標高600m付近まで降りると、トラロープが張ってあって道がありました。北方面は「赤西の尾根道」で南は「丸太階段道」ですが、ここは階段道をまっしぐらに降りました。木に名前の書いてある札がついていたり、遊歩道らしい感じです。階段も作られていますが、朽ちかけていました。最後はまさに林道のゲートの所に降りてきました。このとき初めて気がついたのですが、この付近は墓地です。よく読めないのですが、江戸時代のお墓が草に埋もれていました。

波佐利山から林道のゲートまでの尾根は長く、3時間以上かかりました。あまり障害物のない尾根で、かえって退屈かも知れませんが、林道を歩いて帰るよりは楽しめたと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月23日日曜日

南から登った植松山の西の山

先日(2015/08/19)も登ったばかりの、植松山の西の山ですが、今度は南から登ってみました。いろいろ調べて登り口は特養施設の上の分譲地の北にある携帯のアンテナ付近にしました。この付近は行ってみると分譲地以外は意外と起伏があります。アンテナの周辺は笹が茂っており、それを東の方へ抜けると荒れた植林でした。植林の中に金網があって、簡単には山に入れません。頑丈な金網ですが、倒木で低くなっている場所があったので、そこを抜けました。更にもう一つ金網がありましたが、こちらはかなり傷んでいたので簡単に抜けられました。ここからは植林を登りましたが、起伏の大きい典型的なかんな流しの跡です。高台に上がったり谷に降りたりしながら登っていくと、そのうちに地形も落ち着いてきて、厳しい登りになりました。周囲は植林が続きますが、倒木もシダもあります。

629m地点は通っていませんが、この上には共同アンテナの残骸がありました。この付近から勾配も緩くなり、登るのは楽になりました。振り返ると南に展望が広がっていました。山の南から登ると頂上までの距離は長く、1029mピークまで、たっぷり2時間かかりました。標識などはありませんが、木に「ピーク1029m」と書いた赤いビニールテープが巻いてありました。ここから最高地点の1109mピークまでは尾根歩きです。尾根上は岩ありアシビありで歩きにくいのですが、ちょっと尾根から下がれば問題無く歩けました。岩が多くて歩きにくい斜面を降りて登り直すと、同じく赤いテープに「ピーク1052m」と書いてある藪っぽい1052mピークでした。それからやや広々した尾根を歩いて、1109m地点に着くと、ここにも木に「ピーク1109m」と書いた赤テープがありました。ただしここは最高地点ではなく、その北はさらに少し登って1110m+となります。この付近から尾根は広々して、植林も自然林もきれいです。さらに北は少し藪っぽくなり、先日登ってきた1150m+の幅広いピークまで行きました。

下山は尾根を引き返しました。降りるときはどう歩いて良いのかわからなかった岩場の斜面が登りだと簡単に道が見つかります。1029mピークまで戻り、西に尾根を降りました。ここは広い尾根ですが、ちょっと降りると小さなピークがあります。その手前はシダと倒木で埋まっており、シダの背は高くないのですが足下の倒木が見えないので、通り抜けるのに苦労しました。ピークに上がれば、植林です。その先は岩もある細い尾根ですが、軽快に降りられました。明地野四等三角点(871.20m)は、尾根上にありますが、特に平らな場所ではなく、斜面上です(写真)。特に迷わずに尾根の西端まで来ると、あとは南に降りましたが、方向が定まらずに苦労しました。長く伸びる枝尾根に乗るには、途中で尾根を乗り換える必要がありました。最初は倒木やシダが多いのですが、徐々にきれいな植林になりました。さらに下っていくと、今度は倒木の多い荒れた植林になり、これを苦労しながら降りると、滝の上に出てきました。腐りかけた橋があり、植林には道もあるのですが、降りる道がありません。結局一度南側に渡り、最初の滝の下まで降りて、また北側に戻り、岩肌を歩いて道路(県道72)に降りました。「いろは滝」と書いてありました。

山の上で遊んでいたので、5時間以上かかりました。地形図で見た印象よりは登りやすい山でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月19日水曜日

カンカケ越周辺の山を歩く

説明しにくい山なので、題名はカンカケ越にしました。2011/08/24に登った植松山の西側の尾根に、千種川から登ろうというルートです。ただし登るのはかなり北側で、千種川が西に曲がる川井のちょっと南、足谷川付近です。千種川沿いに「宍粟の自然水」を売っているところがあり、その前から細い道を入ります。民家があり、すぐに害獣避けの扉があります。ここからカンカケ越までの林道が始まります。しばらく登って、道がヘアピンターンするところで西に向かう破線道に進みました。この南の尾根を登ろうと思ったのですが、この破線道は途中から怪しくなり、消えてしまいました。しかたなしに、その付近の植林の急斜面を登りました。幸いに作業道も少し残っていて、なんとか612mピークまで登り切ることができました。

ここから東に少し降りると、そこには林道がありました。かなり立派なもので、新しい地形図には載っているようです。ただし倒木があったりして、車で通れるものではありません。この林道を歩いてくればここまでの苦労はなかったのですが、とりあえず林道は見なかったことにしてまっすぐに植林の斜面を登り続けました。倒木が邪魔ですし急斜面ですが、真っ直ぐ登っていくと、尾根に出られました。この尾根は岩が多く、地形図から予想していたものとはだいぶ違いました。特に946mピークの下にはピンク色の大きな岩があり(写真)、大きく巻かないと登れません。両側は切り立っており、意外とスリルのある登山となりました。この先も岩場が続きますが、展望はあまりありません。歩き始めて2時間以上かかって、やっと広々とした自然林の尾根に着きました。1150m+ピークです。東に行けば植松山やヒルガタワ、荒尾山です。

主尾根は2011/09/25と同じルートです。北に歩き、1178mピークを過ぎ、1170m+の分岐からカンカケ越まで降りましたが、かなりの藪です。アシビが茂っているだけでなく、巻かないと降りられない大きな岩、邪魔なネット、笹(チシマザサではない)の生い茂った伐採地、飛び回るハエとハチ、という案配で、気持ち良く歩ける尾根ではありません。最後は少し楽になりましたが、カンカケ越に降り立ったときはへとへとでした。カンカケ越は4年ぶりですが、前にあった黄色い通行禁止の札がなくなっていました。ただし、少し西に行ったところのバイク用(?)の道標は健在です。

ここからは林道を素直に降りるのが普通で、2011/08/31はそうしましたが、今回はまだ三角点を見ていなかったので、三角点を見に行くことにしました。崩落の進んでいる林道を少し降りてから、南西に延びる尾根に乗りました。最初は草の生えた道がありますが、道の終わりをそのまま進むと763mピークへ行ってしまいます。先の尾根が見えない状態で南西に降りて行くと、笹の茂った尾根に乗れました。この尾根は伐採地以外は植林が多くて歩き易いのですが、伐採地は笹かアシビが茂っています。ちょっと登ると大きな岩もありますが、巻くほどのものではありません。そして、小さな空き地に寺谷三等三角点(787.66m)がありました。この先はひたすら植林を降りましたが、傾斜がきつい割には降りやすく、助かりました。最後は、最初に通った林道の扉を目指して斜面を降りました。そうしないと、山裾は頑丈なネットに囲まれていて、外へ出るのが大変だからです。

標高差700m、5時間半のコースでしたが、けっこう楽しめました。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西河内」です。

2015年8月15日土曜日

鳥ヶ乢から登る荒尾山

以前(2011/7/31)に波賀町齋木の前地から荒尾山に登ったことがありますが、その時は登山ルートを無視して746m地点を経由して登りました。今回は鳥ヶ乢近くから登ることにしました。

鳥ヶ乢トンネルの上の旧道に登って登山口を探そうと思いました。しかし国道429号線を歩いていると夏の日差しは朝といえども強く、道を歩くのは消耗するので、旧道に入る前に植林の林に入ることにしました。登りやすそうな場所を探して植林に入ると、日差しはなく風があって、快適でした。ただし植林は急峻なので作業道を探して辿りました。すぐに尾根に出て登り始めましたが、周囲の地形はやけに起伏が大きく、かんな流しの跡のようでした。ちょっと登ると林道に出会いました。そんなに立派なものではなく、未舗装でした。さらに尾根を登る道があり、これで登り続けました。かんな流しの跡が目立ちますが、そのうちに塩ビパイプや白い木の箱(中にはケーブルの束と除湿剤)などが散見されるようになりました。パイプが導水管として斜面に置かれている場所もあり、なんらかの水利事業が最近行われたようです。この付近は美しい植林です。主尾根を登り、荒尾四等三角点(811.28m)には細尾山と書いてありました。なんと2015.08.15登頂記念のプレートがありましたが、私が登ったのと同じ日ですね?

ここからは登山コースの尾根を歩きました。さすがに歩き易く整備されています。だいたい東側が植林、西側が自然林という場所が多いようです。植林は美しく、下草はなく、風があって文句のない山登りとなりました。ただし勾配は所々けっこう急です。展望もたまに木の間から日名倉山が見える程度です。標高差200mを50mずつ4回にまとめて登るようなものでした。最後は少し岩が多くなり、荒尾山(1108m)に着きました。三角点はありません。標識には植松山90分、大甲山30分と書いてあります。

大甲山への道は、間違えずに尾根から降りれば問題ありません。ちょっと野尻方面が見え隠れしする尾根を素直に歩けば、大甲山(おおこうざん)に着きます。斉木三等三角点(1035.37m)があります。伐採してありますが木があって齋木付近は見えず、遠景に黒尾山や日名倉山が見えます。下山はまずそのまま尾根を下りました。広い植林の急斜面の尾根ですが、ジグザグに登山道が付けられています。赤テープのマーキングを辿ると、ちゃんと登山道で降りることができました。ひとしきり降りると行者山への分岐があります。前回はここから東に744m地点の方向に折れて、行者堂を見に行ったのですが、今回は真っ直ぐに降りました。こちらも気持ちの良い自然林の林で、木の間隔が広いので気持ち良く歩けました。その下には行者登山口への道標がありましたが、これは無視して登山道ではない尾根を降りました。自然林ですが岩が増えてきて、急勾配もあります。そして周囲が植林になると、またかんな流しの跡になりました。かんな流しを行った後で木が植えられて植林となり、枝打ちした枝が積み重なって落ちています。さらに何度も土石流があったようで、岩がたくさん転がっていますが、地形は変わっていません。不思議な形に土が盛り上がっており、これがあちこちにあります。間は幅10m程の深い溝になっていて、歩くのも大変です。こんな斜面を標高差で100m近く降りると、林道に出ました。未舗装ですが、立派なものです。最初は林道で帰ろうと思っていたのですが、日差しがきついので更に森の中を歩くことにしました。林道の南側もかんな流しの跡地です。急斜面を降りて行くと、田んぼが見えてきましたが、柵があることに気がつきました。柵に出口があるようにも見えたので行ってみると扉がありました。頑丈な柵なので扉を見つけないと苦労しただろうと思います。かんな流しの結果できた棚田と集落を抜けて、429号線まで戻りました。

最後の林道以降は蛇足ですが、登りでも下りでもかんな流しの跡地を見ることができて、興味深い山歩きとなりました。もちろん山頂での涼しさも最高でした。この日は姫路では31度、山頂では21度でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」です。