2014年2月22日土曜日

北から登る葛城山

平成の大合併の前は姫路市最高峰だった林田町北端の葛城山は、いつも南から登っているので、北側から登ってみました。安富町瀬川から南に道を歩きました。養鶏場などが左右にありますが、まっすぐ登ると右に折れて水平道になります。ここで真っ直ぐ谷に入っていく道もありましたが、とりあえずは林道を西に歩きました。柵や網はないのでどこからでも登れますが、357mピークに登ることを目指して西に行きました。そして狭戸方面がよく見える付近まで来ると、その先は山側が崖なので、その手前から登り始めました。

入った場所は谷で、東西どちらの小尾根にも行けましたが、東側の植林の尾根を選びました。この尾根はすぐに雑木林になりますが、障害物はありません。ただし地形図どうりの急斜面です。ひたすら登り続けると、30分もかからずに357mピークに着きました。ここから東にいったん降りて、さらに登り続けましたが、平らな場所も多くて気楽な尾根歩きとなりました。間違えやすいポイントはたくさんありますが、地形図を見ながら歩けば大丈夫です。山に入ってから1時間ほどで、葛城山山頂に着きました。金属タグの埋め込まれた不動山二等三角点(478.61m)があります。南側が伐採されていて、海まで見えるのが嬉しいところです(写真)。

山頂からは西に降りて、尾根伝いに東に行きました。430m+ピークから北には、やや急な斜面を降りますが、特に問題はありません。さらに東に行って、三郡山という札のあるピークまで行ってからちょっと戻って北に降りました。こちらも平坦な尾根ですが、尾根を歩いて行くと最後は急斜面の植林となります。降りた地点には堰堤があり、川沿いに道があるので、下山としては正解です。ただ、もう少し北まで山の中を歩いてもよかったかも知れません。

3時間ほどで旧姫路市最高峰に登れました。道はありませんが、ひどい倒木も無く、楽しめる山歩きでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「安志」です。

2014年2月16日日曜日

市川町牛尾の三角点二つ

岡部川の北にある地味な三角点二つに行きました。下牛尾から岡部川沿いに歩くと、瀬加小学校牛尾分校があります。今は笠形会館となっているようです。このプールの東側を登って行くと、害獣避けの扉があり、ここから山に入りました。この道は墓地に行くためのものなのですぐ終わります。東に尾根を探して歩くと、この付近の山裾はかつては段々畑だったことが分かりました。最初は下草もなく楽ですが、急斜面になるとシダも増えてきて、典型的な藪山になりました。里山なので道がありそうなものですが、あったとしても崩落とシダで消えています。

尾根に出ても藪ですが、大きな岩が多く、展望もあって少し楽しめました。シダで消えかかった踏み跡を辿って牛尾四等三角点(345.40m)に出ました。いったんちょっと西側に降りてから北に歩き続けました。あまり細くない細尾根を歩き、斜面を登って何もない358mピークを過ぎ、道のない北斜面を降りると林になって歩き易くなりました。しばらく歩くと鞍部に出ますが、ここは東にある笠形温泉から道があり、東屋があって休めます。西側にも道がありました。

鞍部から先は下草のない松の生えた尾根です。展望もあります。やや急な斜面を登り、しばらく歩くと気持ちの良い開けた場合に出ました。隅の方に歌堂谷三等三角点(430.35m)がありました。ここからも歩き易く、399mピークを過ぎ、似たような雰囲気の尾根が続きます。350m+の小ピークを過ぎると鞍部に出ますが、横切っている道はありません。しかし藪の急斜面を登ると、380m+ピークにはベンチがありました。笠形山方面が展望できます。ハイキング用の道が南東に整備されているので、これを降りました。北に降りる道もありました。かなり古い道で木の階段はほとんど腐っていますが、道があるとやはり楽です。鞍部まで降りると道しるべがあり、下山は北の「ふれあい広場」となっていました。下山せずに370mピークに登りました。ここは道が消えかかっています。頂上にはマッシュルームの形の屋根が付いた展望台がありました。さすがに眺望は抜群です。写真は笠形山方面です。ここからは道のない藪を南に降りました。少し降りると藪も楽になり、尾根の先まで降りられました。ただし先には金網があるのでちょっと戻って地形図の破線道に降りました。ここには扉があるのですが、山側からは開けられません。よじ登ろうかと思ったのですが、ちょっと回り込むと畑に行く出入口がありました。あとは道を歩いて戻りました。

山を歩いていたのは3時間ほどです。いかにも里山という感じでした。なお、松茸山なので9月から11月は入山禁止だそうです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。

2014年2月11日火曜日

北から登る上郡の黒石

上郡の黒石は、岩木川を遡って行くことができます。隣の船岩には大きな養鶏場が幾つも作られており、市原経由で行くこともできます。しかし大規模な開発が行われており、登山には向いていないようです。そこで、黒石に北から登ることを思いつきました。

千種川沿いの円光寺から西へ秋里川を遡りました。上秋里の先で道路北側のの法面を整備しており、その飯場がある所が地形図で破線道が南の谷に伸びている場所でした。進入禁止の橋を渡ると尾根の先端に作業道があり、ここから尾根に登りました。登ってしまえば歩きやすい尾根です。しばらく歩くと電線が通っており、一緒に登って行くとCATVのアンテナがありました。この付近が290m地点です。その先、330m+ピーク付近は展望があり、その先から作業道が現れました。後で北の谷を通ってわかったのですが、この付近の北斜面は大規模な伐採が行われています。345mピークを過ぎ、西播東岡山線37鉄塔を過ぎましたが、鉄塔の所で南の尾根を探すのに少し苦労しました。関電の巡視路は谷に降りていきます。370m+の小ピークを過ぎると谷から道が道が来ていたので、しばらく道を歩いて標高400m付近に着きました。ここからは北に大展望が広がります。

ここからは道ではなく尾根を歩きましたが、特に障害物はありません。佐用町と上郡町の境界の尾根に出てさらにゆるやかに登って行くと、505mピーク(これが抜位山?)に出ました。養鶏場の臭いが漂ってきます。いちおうここが目的地だったのですが、赤白の鉄塔が見えたので南に降りて行くと、NTTドコモの船石通信塔でした。非常に高く、しかも先細りではなく平行な四本柱で立てられています。携帯のアンテナは付いていますが、パラボラアンテナは一切無く、もったいない感じです。通信塔の北側からは柵越しに海が見えました。ついでなので黒石まで道を降りて行き、佐岐神社にお参りし、そのまま神社の裏手を登って505mピークに戻りました。

ここからは下山ですが、まず登ってきた町界の尾根を戻り、町界から外れるあたりで東寄りの尾根を降りました。この尾根を下って行くと、東の谷の方に行ってしまいました。北の尾根に登るには急斜面を登らなければなりませんが、幸いに斜面をジグザグに登る道があって、尾根に出られました。この先もずっと道が続きましたが、道は東のほうに行ってしまいそうだったので尾根に上がって北へ歩きました。すると墓地がありました。こんな山奥に墓地があるとは予想していなかったので、とてもびっくりしました。明治から大正時代の墓が多く、古くても慶応年間でした。ほとんどの墓石は倒れていましたが、立派に立っていたのは特大の「大釜家先祖代々之墓」(写真)と、軍人仕様の「大釜弥三郎之墓」でした。この墓地は東向き斜面に作られており、道を歩いていると気が付かないかもしれません。

墓地があるということは下山道があるはずと思って探すと、どうやらここまで歩いてきた道が西に谷を降りて行くようなので、それで下山することにしました(他にも東に向かう道もあります)。しかし荒れた道で、崩落しているのはしかたないにしても、途中で竹が折り重なって倒れており、通れなくなりました。地形図ではこの付近には竹林のマークがあり、不思議に思っていたのですが、陶器なども落ちており、どうやらかつて人家があったようです。帰ってから調べると、この付近にはその名もズバリ大釜という集落があったそうです([1])。国土地理院の1975年のカラー写真には、家屋が数件写っています。Google Map(ゼンリンの地図)でも、この付近にはポツリと「大釜」と書かれています。しかし今となっては道は歩けず、結局谷に降りました。この付近の谷は広いので歩くには問題ありませんが、沼地化しているところがあって靴が泥だらけになりました。再び道に戻って降りて行くと、関電の赤い「火の用心」がありました。登山時に通った37鉄塔の一つ前の36鉄塔がこの尾根の上にあります。この先は関電のお陰でだいぶ歩きやすくなりました。大規模な伐採を眺めつつ、水の少ない溜池を通って、最初に通った橋に出てきました。

上秋里から大釜を見に行きたければ、私が最後に降りた道を歩いて関電の鉄塔に登って、尾根から集落の跡を探すのが正解と思います。この付近には抜位という集落もあったそうで、廃村マニアの方にはお薦めです。先に廃村のことを知っていれば、もっと気をつけて歩いたのですが、いずれにしても残雪がかなりあったので、再挑戦したいと思います。千種川から谷を登っても来れそうですが、千種川をどうやって渡るかが大問題でしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上月」です。