2014年1月25日土曜日

佐用町の向坂から県境の尾根

この県境は、兵庫県と岡山県の県境です。上月から姫新線に沿って国道179号線を西に走り、大日山川を遡ります。谷沿いの道が狭くなると向坂への分岐があるので、ここに車をとめました。石の道標があります。歩いて向坂まで登り、人気のない人家の間の道を通って地形図の破線道を探しました。結局、日本盛の紙パックが大量にある人家の建物の間を抜けると、山に入る道が見つかりました。登って行くと、もっと太い道が東から来ていたので、別のルートがあるようです。この道は軽トラなら通れそうな道で、峠は切通になっていますが、その東側に墓地がありました。一番古い墓石は嘉永年間のものでした。向坂の住人の苗字は神原と決まっているようです。

峠から西に尾根を歩きましたが、林道があります。この道は徐々に細くなりますが、周囲が植林でなくなっても続きます。けっこう複雑な地形なので道があるのは助かります。向坂三角点は林道から外れたところにありますが、「点名向坂へ 2014.1.23」と書かれた札がありました。古びた札ですが、日付は一昨日です!新しげな石の三角点を見てから、さらに南に道を歩きました。まるでハイキングです。岡山県側には林道が来ています。兵庫県側にも分岐がありますが、真っ直ぐが正解です。そのうちに林道は兵庫県側の谷に降りて行ってしまうので県境を歩きました。道は細くなりますが、分かりやすい目印があります。

美作市・備前市・佐用町の接点には石積みがありました(写真)。昔はこの上にお地蔵さんが立てられていたのかも知れません。男滝に向かう西向きの尾根にも広い切り開きがありましたが、南向きの尾根も文句のつけようのない道です。ピークをいくつか通って、送電線の鉄塔に出ました。西播東岡山線49です。県境だからか関西電力と電源開発が共同で建てたらしく、プレートの色が関電の鉄塔とは違います。鉄塔の保守路は東西に尾根超えをしています。この先も遊歩道のような道が続きます。次の三国三角点は道の脇にあります。その先は真っ直ぐ歩くと道は西へ行きます。地形図のように男滝山まで続いているのかも知れません。東に折れるにはピンクテープのところから藪に入ります。藪と言ってもすぐに山道になります。ここまでよりは細い道ですが、登山道としては普通の道です。時々藪っぽくなりますが、道を見失うことはありません。406mピークは南側を巻いていってしまうのでピークまで行きましたが、藪で見るべきもはありません。406mピークの南の鞍部あたりから道が怪しくなります。ピンクテープが頼りなのですが、ときどき見失いました。次の奥山三角点の付近には共同アンテナの残骸がありました。その先の430m+ピーク付近では鋭角に曲がります。幅広い切り開きがあり、それが終わると下りになって東には養鶏場が見えます。地形図には東側に道が描いてありますが、西側には新しい林道が現れます。372mピークに登り、尾根を降りて行くと、いったん峠のような場所に出ます。西側の林道に行けますが、そのまま尾根を最後まで降りようとすると、笹薮になりました。田んぼだった場所らしく、沼があるのではまらないよう要注意です。最後は地形図の実線道に出ましたが、この道は養豚場の中を通る道です。しかし途中に「西 八塔寺」と書かれた標石があったので、昔の峠道なのだろうと思います。あとは、大日山川を下って車まで帰りました。

県境の尾根を歩きましたが、ほとんどはまともな道でした。部分的には防火帯と思われるほど広い切り開きもあります。後半を除いては、ハイキングコースとしても良さそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「上月」です。

2014年1月18日土曜日

上郡岩木川上流の滝の上三角点

タイトルはあまり正確な表現ではありませんが、上郡から岡山県の県境に近い山を歩きました。岩木川を遡って、大鳥圭介の生誕地である石戸に車を停めて、西に皆坂川を遡って歩きました。広い道ですがすぐに扉があります。それを過ぎると鉱山の遺物が残っています。大きな社宅の残骸をはじめとして、崩壊した家、まだ建っている家もあります。ここは近畿自然歩道で、皆坂の滝への分岐がありますが、まっすぐ歩きました。滝へのルートを解説した説明板が立っているのですが、よく地理が読み取れません。真っ直ぐ歩いて行くと、山の中腹に神社らしきものが見えたので、その付近で道から外れて登って行きました。放棄された段々畑を通ると、谷には橋がかかっており、ここも登山ルートだと分かりました。結局この神社は瀧神社で、その裏にある滝は小皆坂の滝となっていましたが、これが道標にある皆坂の滝と同じものなのか、いまだに判然としません。いずれにしても冬なので水がなく、滝は見られませんでした。灯籠は明治37年のもので、歴史が感じられます。

神社から北に降りると、皆坂の集落です。ここまでは電気も光ファイバーも来ています。ここは旭日甲と呼ばれた鉱山ですが、現在はほとんどの家は空き家のようでした。しかしそれでも人がいて、いきなり大音量で音楽が鳴ったりするので、足早に通り過ぎました。荒れ果てた人家を過ぎて、これも荒れた山道となりますが、NTTの電話線が張られています。皆坂のすぐ上の峠は竹の倒木で埋まっており、電話線も切れ切れです。ここを大きく迂回して進むと、また自然歩道らしい道になります。その先で地形図では東から来た破線道と合流しますが、ここには大きな建物があり、犬が何頭か吠えているのが聞こえました。ハンターの犬ではなく、ここの施設の犬らしいのですが、あまり出会いたくないタイプの吠え方だったので、ここも足早に通り過ぎました。あまり気持よく歩ける自然歩道ではありません。

この先はジグザグに登りますが、ここにも電柱があり、電線が峠を越えているようです。こちらは中才には降りずに峠から西に尾根を歩きました。すぐに墓地があり、文政、寛政など江戸時代後期の墓石がありました。この先は道がなくなりますが、落ち葉の上を割と気持よく歩けました。410m+ピークまで来るとネットがあり、これに沿って歩きましたが、そのまま歩いていると西に降りてしまので、途中から南に向かって登りました。尾根が広くて方向が分かりにくいのですが、ピーク付近には滝の上三等三角点(445.88m)がありました。近くに白黒に塗られたポールが立っていました。ここから南に降りるのですが、方向が分からず、まず東の尾根に、次に西の尾根に降りてしまいました。戻ってようやく南に落ち葉を踏んで歩くと、県境に出ました。この地点には、明治15年のお地蔵様が立てられています。備前国和気郡多麻村の方が作られたものですが、亡くなった子供のためのもののようでした。背景の石積みの中に生えている木も含めて、厳かな空間が作られています。その木には道標が打ち付けられていますが、字が消えて読めません。

とりあえず南に尾根を進みました。西側には林道が見えます。航空写真で見ても、この付近の岡山県側は林道が縦横に走り、大規模に伐採されています。しかし県境はどこなのか、よく分かりません。地形図で見ても、特徴のない斜面を降りているように見えます。藪の中を左右に探し、地形図で県境を破線道が横切っている鞍部を見つけました。ここから破線道を頼って東に降りましたが、道はありません。とはいえ幅の広い谷で水も少ないので、歩くのは難しくありません。少し降りた所で、流れに沿って谷を曲がったのですが、そのために南に行ってしまいました。これは八保の方の皆坂に行く谷で、こちらに行くと帰れないので戻りました。正しくは東方面に、流れを遡って、350m+の峠に行かねばなりません。この途中でも間違った谷に迷い込みました。この付近の地形は本当に複雑です。しかし谷の幅が広いので、割と楽に歩けます。峠には「あせびの丘」と書かれた木製の道標があります。どうやら私の通った谷ではなく、ここから北に行く道で先ほどのお地蔵様の所に出られるようです。東は石戸村方面となっており、これが私の下山路となります。しかし道標はこれだけで、あとは荒れた谷を降りることになりました。道はありません。落ち葉が積もっているとはいえ、下はガレ石ですので足が痛くなりました。しかも谷が狭くなると倒木が増えて流れに沿っては歩けなくなり、北側斜面を通りました。そして植林に出て、間伐材がそのままになっている斜面を降りると、今度は段々畑に出ました。石垣は立派ですが、これも長年放置されているらしく、草や木が生い茂り、足元はぬかるんでいます。なんとか畑を下り、まともな道に出てきたのは、地形図で小屋尾と書かれている付近でした。この谷は大鳥圭介が閑谷学校に行った時に通った道だそうですが、当時とは全く様子が変わっています。降りてきた地点は鉱山社宅跡の少し西、皆坂の滝への分岐でした。皆坂の滝が私の見た小皆坂の滝だとすると、ここから行くのは大変でしょう。なお、私の注意を引いたのはここに建てられている昭和13年の「国民精神総動員記念」という石碑でした。

何回も道に迷ったために4時間半もかかりました。展望は無く、坑道にも巡り合わなかったのですが、冬の山歩きは満喫出来ました。もう少し歩き易いと良いのですが。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「上郡」「上月」です。

2014年1月4日土曜日

北から登る多可町の原山と加西市の鎌倉山

多可町の原山には、以前(2012/1/15)に東の尾根から登りましたが、今回は北から登りました。県道が尾根をかすめて走っている所から尾根に上がりました。電気柵を跨ぐとまたネットがありますが、尾根上はネットの外なので問題なく登れました。非常に急な植林ですが、作業道の跡を辿ると楽に登れました。尾根に上がってちょっと展望がひらけても、登りは続きます。植林なので足元はよく、倒木もありません。もっと登るとアップダウンのある尾根歩きとなり、約1時間で原山山頂に着きました。貴船二等三角点(496.85m)がありますが、展望は東側が少し見える程度です。

原山からは南に鎌倉山まで縦走しました。以前にも歩いた平坦な尾根で、うっかり前と同じように東に降りそうになりました。正しく南東に向かう多可町と加西市の境界の尾根と歩けば、歩きやすい尾根でした。少し降りると明楽寺町から北に峠を越える道が地形図には描いてありますが、記憶にありません。しかしこの付近は気持ちの良い植林で、道もしっかりしていました。鞍部からは登りになり、藪っぽくなります。ひどい藪ではありませんが、主尾根に合流する手前あたりが一番の籔でした。

主尾根へは、小天井(460.2m)という標識のある所で合流しました。ここには地籍図根三角点があります。ここからは2012/1/14に逆コースで通ったハイキングコースで、道はきれいに整備されています。いくつか石仏がありますが、どれも立派なものです。送電線の鉄塔付近からは南に展望がありました。柳峠からは坂を登って播磨線132鉄塔に出ました。この先は送電線の巡視路なので、368mピークは巻いて次の131鉄塔へ行きます。ちょっと戻って368mピークも見てみましたが、藪でした。ここからはロープの張ってあるちょっと急な上りで鎌倉山まで行きました。無料で覗ける望遠鏡があるのが有難いところです(写真)。展望は素晴らしく、瀬戸内海が見渡せます。比延田三等三角点(452.46m)も、石仏もあります。

下山ですが、北に降りるルートはいくつも考えられます。368mピークに戻って北の尾根を降りることもできますが。368mピークが藪だったので、多可町と加西市の境界の尾根をさらに西に行ってみることにしました。鎌倉山から北にちょっと行ったところにある石仏から北西に降りるのですが、ここが意外と急勾配で、下の尾根が見えずに苦労しました。さらに降りて行くと鉄塔があるのですが、道がはっきりせず、西の尾根に迷い込みました。間違いに気がついて北に戻るとちゃんとした道がありました。ここは巡視路になっているので、探せば道があるはずです。次の370m+ピークを巡視路は南側に巻いていくのですが、ここから北へ尾根沿いに下山することにして、ピークに登りました。この付近は自然林ですが倒木だらけで、歩きにくい尾根です。この状態は北に歩いて行っても変わりません。シダも増えてきて、本格的な藪山歩きとなりました。340m+ピークには方位を記した標石があり、これに従って北東へ降りました。藪を抜けて323mピークまで来ると地籍調査のピンクテープがあり、これに従って尾根を降りて行くと、植林の下に道がありました。おかげで無難に降りることができました。

途中の尾根が整備されているので4時間ほどで一周できました。最後の尾根は藪でした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西脇」です。