2014年5月24日土曜日

高見城山から岩戸山

ここひと月で岩戸山へは二回行きましたが、今回は北から行ってみました。柏原町大新屋の丹波悠遊の森へ行くと、駐車場の所に「高見城跡登山道」の標識があります。この道は真っ直ぐ山頂に行きそうです。地形図の道で尾根沿いに行くつもりだったので、三宝寺の墓地の西側から荒れた道を登りました。トタン板の害獣避けを抜けて峠に出ると、ここが禅座坂であるという説明板がありました。足元の五輪塔は室町末期のものだそうです。ここから尾根に上がる道はシダが茂っていますが整備されています。しばらくシダの道を登ると、東屋がありました。ここが259mピークです。ここから西の道はシダも少なく、気分よく歩けました。悠遊の森からの登山道と合流する地点には「高見城跡950m 展望台600m」の標識があります。ここからは急峻ですが整備された道です。途中に「亀井戸」という説明板がありましたが、井戸が見当たりません。山頂は切り開かれており、展望は抜群です。高見ケ城四等三角点(484.96m)があります。

高見城跡山頂から北に降りようとすると、伐採した木が道を塞いでいます。山頂を巻いていく道もありますが、途中が崩落していました。しかしその南の縦走路はよく整備されています。少し歩くと紅白に塗られた播磨中央線86鉄塔がありました。その先では東の尾根にある鉄塔へ行く分岐があり、そちらは「石戸・丹波の森公苑」となっていましたが、何故か石戸の文字が消されていました。丹波の森公苑はだいぶ遠くだと思います。この先のピークは東側で巻くのですが、その先にまた「火の用心」が2つ立っています。ピークに上がる方は85鉄塔への分岐で、こちらに行くと高見城山には行けないので、石戸山から縦走してきた時には気を付けなければなりません。

この先も整備された道で気楽な尾根歩きですが、岩戸山に近づくと急な登りになります。登り切ると前にも来た鉄平石の採石場跡があります。展望はイマイチですが、山頂付近が派手に削り取られています。そして石戸山山頂に出ました。石戸山一等三角点(548.48m)があります。ここからの下山は、東に伸びる尾根にしました。道はありませんが、木の間隔は開いていますし、楽に歩けました。標高450mを切った付近の尾根から北の植林を降りられそうでしたが、真っ直ぐに尾根を歩きました。やや灌木の間が狭くなる所もありますが、歩きやすい尾根です。480m+のピークで北に折れると岩が多くなり、鉄平石もありました。そして491mピークから北に降りました。最初は方向がわからず迷走しましたが、450mを切った所に尾根を見つけて、あとは順調に降りられました。最後は川沿いの道に出る前に林道に出会いました。

ここから川沿いに林道奥石戸線を石戸の方へ歩いたのですが、その後は北の大新屋に戻る必要がありました。これには山越えの県道があるのですが、この道は車で上がれるのは堰堤付近までで、あとは荒れた道です。そして「火の用心」が二枚立っている分岐があるのですが、ここは左に行くべきだったようです。私は鉄塔90の方へ行ってしまい、谷沿いに登って行くと大きな炭焼き窯の跡があり、道は消えてしまいました。植林の谷底なのでGPSも効かず、結局尾根に登って、地形図の実線道の東の谷にいることを確認して、荒れた植林をトラバース気味に実線道の峠に行きました。ここには「丹波悠遊の森・石戸地区 挙田地区」という標識がありました。挙田地区というのが腑に落ちなかったのですが、北に歩いて行くと、道は地形図の実線道のようには谷に降りません。しかし道はしっかりしており、尾根の先まで来ると文政6年の石仏がありました(写真)。道としてはしっかりしているのですが、東斜面を降りて行き、地形図にある挙田方向への破線道になりました。そちらに降りると大回りになるので途中で植林の作業道を降りて、新井神社に帰りつきました。

最後の峠越えが意外と大変でした。地形図やGPSを過信してはいけません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「柏原」です。

2014年5月18日日曜日

野々隅原の北の867mピーク

地形図を見ると、一宮の黒尾山の西に野々隅原という地名があります。ここには牧場があるのですが、その北に867mのピークがあります。これに登って来ました。

伊沢川を遡って、上ノ上の集落から、林道木地屋線を登りました。良い道ですが、急勾配です。タニウツギの花が綺麗でした。途中で分岐があり、関電の赤い「火の用心」が立っています。ここから分岐に入って、道がターンする所から鉄塔に向かいました。ちょっと登ると山崎智頭線21鉄塔がありました。ここからが本格的な山登りですが、鉄塔のすぐ上は崩れやすい砂地の急斜面でした。そこからは普通の藪山で、特に歩きにくいわけではありません。周囲は植林が多く、ときどき尾根も全く下草も落ち葉も無い状態になります。ピークに向かって急登が続くかと思うとそうでもなく、平らになったり一旦下りになったりもします。気持ち良く登り続けると、標高850mの山頂付近に着きました。最近の地形図では、ここに野々隅原から破線道が登って来ていますが、特に道はありません。とは言えどこでも歩ける山頂でした。

地形図では867mの山頂から破線道が北に降りていますが、これも見当たりません。植林なので降りれば降りられそうでしたが、降りた先の谷に本当に道があるかどうかも怪しいので、まずは山頂から少し東へ歩きました。周囲はとても美しい植林となりますが(写真)、下山しようと北東に延びる尾根を下ると、結構な藪でした。藪を抜けて植林に出ても、この付近の植林は手入れがあまり良くありません。最後は伐採木の多い急斜面となりました。その下は破線道の谷ですが、案の定道はありません。結局少し谷に沿って斜面をトラバースしてから谷に降りました。ガレ岩の上を歩いて、林道に出ました。あとは林道を降りて岩上神社を経て、上ノ上に戻りました。

最後に歩いた林道は、内海山崎線となっていますが、内海への峠へ行く道は徒歩でも難しそうです。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「安積」です。

2014年5月17日土曜日

東からカヤマチ山

カヤマチ山には2013/12/7に西の播州峠から登っていますが、今回は東から行ってみました。登り口は氷上町清住の達身寺です。西側に神社があり、その裏山から山に入りました。しかしすぐに頑丈な害獣避けの金網に行く手を阻まれました。金網に沿って西へ歩き、扉を見つけて尾根を登りました。荒れていますが、下草が少ないので登れます。しばらく登ると作業道がありました。東の方から来ています。ターンして東に曲がりますが、登っていく気配がありません。結局また藪の尾根を登りました。かなりの急斜面ですが、無事に主尾根に出られました。少し歩きやすくなり、西に歩いて立身山四等三角点(452.64m)に着きました。付近は伐採されていますが、三角点はアセビが取り囲んでいました。

この行程は標高150mから始まるので標高差は600mあります。三角点で標高差半分くらいですから、その後も何箇所も急登がありました。それぞれそんなに長く続くものではないのですが、結構疲れました。三角点の西のあたりは、気持ちの良い植林です。720m+のピークは水山という名前のようです([1,2])。この尾根は曲がって北に行くので、気をつけて西へ降りました。このあたりの下り斜面は藪もあって、ちょっと間違えました。しかしほとんどはなんとなく道があって、「上新庄共有林界」だとか「幸(?)世村直営地界」などの杭が打ってあります。国調三角点を過ぎて、その次の677mピークが十九山です([1,2])。後で見た保安林の看板には十九ヶ丸山という名前もありました。北側の展望があり、次は清住四等三角点(701.24m)で、ここは「芦田財産区」だそうです。柱谷山でしょうか[3]。

この先は北の岩屋山が見えたり、岩が増えたりで、やや藪っぽくなります。そして[3]にもあるシャクナゲが増えてきました(写真)。もう咲き終わりですが、少し楽しめました。そして、ようやくカヤマチ山山頂に着きました。葛野峠二等三角点(748.29m)があります。ここからは南に葛野(かどの)峠に降りました。大柿さんの2001年の札が下がっています。峠から東に植林を降りました。道と言えるものは無いのですが、作業道があります。斜面をジグザグに降りていきますが、案の定途中で見失ってしまい、結局適当に倒木を避けながら谷に降りました。倒木で苦労しながら谷を下って行くと、「峠ヶ谷」という札が立っていました。大きな炭焼き窯の跡があり、小川を渡ると林道清住線に出ました。この林道は崩れている箇所はありません。清住谷川沿いに降りていきますが、途中には場所ごとに名前札が立っていて、「消防山」というのもありました。道はコンクリート舗装になり、また未舗装に戻り、最後は害獣避けの扉を通って、清住の集落に戻りました。

この尾根歩きは長くて、もう少し変化がほしい感じがしましたが、歩きやすいので楽しめました。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「大名草」です。

2014年5月11日日曜日

西新宿の岡坂集落

これは藪山探検というよりは、廃村探検です。

佐用町上月から秋里川を遡って行くと、西新宿という地名が地形図に書いてあります。なぜここが西新宿か不思議だったのですが、三日月が東新宿なのだそうです([1])。確かに地形図でも三日月の西に新宿という地名があります。秋里川を遡り続けると低い峠を越して岡山に行けますので、昔はこれは重要なルートだったのでしょう。

西新宿に入ると、地形図では建物が一つ描いてあり、そこから西に破線道があります。昭和44年の地形図(25,000分の1)では、破線道の南北に建物があり、ここに岡坂という地名が書かれています。行ってみると、破線道の南には崩れた家があり、北側は瓦礫と金属製の物置がフェンスの中に収まっています。2010年以降に家が撤去されたのでしょうか([2])。破線道は倒木がありますが良い道で、登って行くと地形図どうりに分岐があります。真っ直ぐに歩くと北側斜面を登り始めて、地形図のように一回ターンすると、立派な石垣がありました。ここから上は斜面に何段にもわたって石垣があり、平地が作られています。一瞬城跡かと思ったのですが、石のタイルを使った風呂の残骸や、陶器の食器のかけらや、ヤカン、バケツ、錆びた農機具の残骸などと瓦が散乱しており、廃村につきものの青い一升瓶も転がっています。登って行くと、「離村の碑」と書かれた板が立っていて、その先に石碑がありました。それによると、昭和40年10月11日に火事があり、16戸中11戸が焼失したため、離村することになったとありました。どうりで燃えるものは残っていません。歩き回ってみましたが、とにかく村の広さには驚きました。給水設備もあり、電話が来ていたことも電信柱で確認できました。

しばらく歩きまわってから、地形図の破線道を遡ってみることにしました。谷沿いに道がありますが、ここは段々畑になっています。廃村につきものの竹が畑にたくさん倒れており、歩くのは大変でした。なんとかして谷の奥にたどり着きましたが、ちょうど送電線が頭上を越しているあたりで道がなくなりました。地形図では道は東に折れるはずなのですが、見つからないので、真っ直ぐに強行突破しました。急斜面の藪をちょっと上がると、石垣が見えました。その上には、金比羅神社があってびっくりしました(写真)。神社に掛かっていた「西新宿金刀毘羅宮の由来」によると、元録(元禄?)元年(1688年)創建だそうです。灯籠は明治19年ですが、鳥居は平成6年に吉永町の方が建てられています。この方の苗字は、離村の碑にもあったので、ここ出身の方なのでしょう。狛犬は備前焼ですが、残念ながら「阿」の方の頭部が無くなっています。

岡坂村の神社だとすると村まで道があるはずなので、行ってみることにしました。神社の前から割と良い道があり、途中ときどき不明瞭になるものの、岡坂集落まで降りることができました。この道は、実は昭和44年の地形図に載っているものです。なおこの地形図には既に岡坂集落の建物は一つも描かれていません。この道で集落の上のあたりに行くと、古い墓地がありました。墓石が散らばっていましたが、一つは寛政年間のものでした。新しい墓地は未確認ですが、集落の西の方にあるそうです([2])。

神社に戻って、北に歩きました。神社には平成2年と12年に訪れた人たちの写真が飾ってあり、お年寄りも多いので、ここまで良い道が来ていることは明らかです。じっさいこの道は自動車も通れそうです。すぐに地形図どうりに分岐があり、まず北に行ってみました。地形図では破線道が真っ直ぐ北に伸びて終わっていますが、実際には366mピークに行っており、その先も続いていました。ただし倒木が多いので車は通れません。分岐まで戻って西へ歩きました。西の分岐点には、赤白に塗られた西播東岡山線42鉄塔があります。ここから北に歩き、標高387.2mの西新宿三等三角点に行ってみました。道から林の中を登ると、山頂に三角点があります。周囲は伐採されています。この三角点は現在国土地理院が手続き中とのことで、座標値等の閲覧はできません。この山は昭和44年の地形図では岡畑山(386.8m)と記載されています。

岡畑山から南に道を戻りましたが、この道には「空気弁」と書かれたマンホールのようなものがいくつかあります。鉄塔は夜間に点灯するのか、電信柱伝いに電線が来ていますが(電柱には大日山と書かれている)、途中で倒木が電線の上に倒れており、支えるのが大変そうでした。少し降りると「西新宿配水池」があります。その南には現在の地形図では惣田と書かれて建物が描かれていますが、ここには建物は残っていません。瓦や、なぜか大きな扇風機、記念碑(「念」より上は残っていない)などがあって、かつて家があったことは明らかです。「大日山」の電線は、ここで東に降りて行っていました。

ここからは破線道どうりに谷を降りましたが、倒木が結構ありました。そして、南の奥ケ市の方には行かずに岡坂へ破線道を戻りました。この道も荒れ気味ですが、川には石積みがあってしっかりと作られていました。この道は車は通れませんが、惣田の建物跡付近のすぐ南に地形図にもある大日山方面への分岐があって、これが良い道でした。おそらく神社まで車で行くには、この道を使うしかないと思います。

廃村にもいろいろありますが、これは悲劇の廃村という感じです。岡坂村出身の方の中には、今でも移った先でお元気な方もおられることでしょう。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「上月」です。

2014年5月4日日曜日

石龕寺西側の尾根

先週石龕寺の東側の尾根を歩きましたが、今回は西側を歩いてみました。井原の北の丘に神社(稲荷)があり、その裏の金網の扉から山に入りました。植林ですが上の方は急斜面の藪なので、作業道を見つけて西にトラバースして、傾斜の緩やかな付近から尾根に登りました。登ってみると典型的な藪山で、シダが邪魔な程度でした。地形図ではこの尾根には岩場がいくつも尾根上に描かれていますが、この尾根の岩は風化しており、むしろ歩き易く、西向きには展望もあります。

325mピークを過ぎたあたりからは道も作られていますが、ピークは巻いて行くことが多いようでした。ピークに登ってもシダ藪があるだけなことが多いので、巻いて行くのは正解ですが、その道も古くて通れなくなっている箇所が多数ありました。426mピークの手前あたりからは、山南町和田方面が見渡せます(写真)。439mピークを過ぎると、次のピークで関電の巡視路と合流します。鉄塔は、プレートが下の方にあったのでわざわざ確認はしていませんが、奥多々良木線55鉄塔と思われます。狭い尾根を挟んで立っています。この先のピークには、大きな平べったい岩があります。東に歩いて登山道に出ると、歩いてきた方向には「重ね岩へ0.3km」と書いてあったので、この岩のことでしょう。

ここからは、先週歩いた道を逆に歩きました。岩屋山山頂から石戸山に行きました。山頂の案内板には「これより少し北に鉄平石の採石場跡がある。その付近は360度の展望がたのしめます」とあったので、更に北に行ってみました。確かに人の手で地形が大きく変えられた跡がありました。展望は木が伸びすぎて360度とはいかないようですが、木の先端越しに柏原方面や氷上町の北のほうが見渡せました。南に戻り、切り堀の説明板のある所から急斜面を降りて、鉱山跡に出ました。この斜面は関電の巡視路なので整備されていますが、枯れ葉で足を滑らせそうになりました。鉱山跡を再び見てから、東側の急勾配を登り、奥多々良木線57鉄塔に行きました。この場所を頭光嶽というのでしょうか。ここからは石龕寺の奥の院を経由して、石龕寺に下山しました。とても良く整備された道でした。

東側の尾根よりも展望があって楽しめる尾根でした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「丹波和田」「柏原」です。

2014年5月3日土曜日

東から登る平石山

平石山には西側の川上から登ったことがありますが、今回は東の栃原川沿いから登ってみました。

県道39号線沿いの、栃原の南の集落の南側に林道があります。これを西に栗谷川沿いに登って行くと、平成24年竣工の高さ14mという巨大な堰堤(金属パイプを組み合わせたタイプ)に出ます。ここから川の北側に渡り、少し登ってから北側の植林を登りました。非常に急な斜面で、作業道がほとんど残っておらず、足元は崩れやすく、まっすぐは登れないので斜めに登って尾根に出ました。付近は植林が多く、たまにアシビの藪がある程度で、勾配もきつくなく、歩きやすい尾根でした。この山には地籍図根三角点がたくさんあります。展望はほとんどありませんが、894mピークを過ぎる頃からコバノミツバツツジが増えて、綺麗な花を咲かせていました(写真)。そして標高1000mに近づくと付近は平らになり、アシビが群生しています。このアシビの藪を抜けるのは大変で、なるべく大回りして強行突破は回避しました。アシビも白い花をたくさん咲かせています。頂上近くには広くて気持ちの良い場所もあり、その上付近に朽原三等三角点(1061.20m)があります。アシビの藪をかき分けて探さなくても見つかるはずですが、付近にある「平石山頂そこ」という赤い標識が藪を指し示しているので、藪に突入して探しそうです。

しかし、平石山から南に尾根を縦走するには、まずはアシビの強力な藪を突破しなければなりません。これを抜けると歩きやすくなります。途中に「南平石山1051」と書かれた木板が下がっていましたが、場所は1051mピークの南の1060m+ピークでした。再びアシビを抜けて、1067mピークの手前に、地籍図根三角点だけでなく、金属プレートの四等三角点がありました。No.113667ですが、検索しても見つかりません。1067mピーク付近もアシビの大きな群生があり、尾根が広いので方向が分からなくなりました。なんとか東に歩いて行くと、少し降りた1030m+付近もアシビに覆われており、南側を少し巻いて進みました。アシビの生えていない所は広くて気持ちの良い尾根なのですが、それでも方向が時々分からなくなりました。結局高星山まで1時間ほどかかってしまいました。ここには新田三等三角点(1016.33m)がありますが、これも探すのは大変です。ピークにあるアシビの藪をかき分けて探しましたが、結局三角点はピークの南側斜面から少し登り返した所にありました。前回も探すのに苦労したのですが、場所まで覚えていませんでした。

ここから下山です。普通なら朝来市と神河町の境界の尾根をずっと南に下っていくのですが、少しショートカットしようと思って、高星山から東に広い尾根を歩きました。この尾根も所々にアシビが生えており、広いので迷いやすいのですが、雰囲気は悪くありません。923mピークには地籍図根三角点があり、展望もあります。ここからが本格的な下山なのですが、少し降りると巨大な岩に遭遇しました。標高850m付近にある岩です。本当ならここは北側の尾根を真っ直ぐ降りていけば良かったのですが、岩に圧倒されて位置を確認するのを忘れて、岩の西側を降りてしまいました。非常に急な斜面で、危険でした。この巨大な岩は地面に埋まっておらず、下側にたくさん洞窟のような穴がありました。岩の下に出ても急斜面は変わらず、尾根を探して降りましたが、また岩場に出てしまいました。これも地形図にある岩で、ここは慎重に現在位置をGPSで確認し、岩場をトラバースして東側に抜け出しました。この作戦は正解で、比較的緩やかな斜面を降りることが出来て、15分ほどで古い林道に出ることができました。あとはこの林道を降りて、生野学園に降りてきました。途中で簡易コンクリート舗装になりますが、コンクリートが割れたり土石流で流されたりしているため、単純な林道歩きとはなりませんでした。

6時間近く歩いていました。下山は素直に南の尾根を降りるのが正解だったでしょう。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「長谷」「生野」です。