2017年1月28日土曜日

香寺町の恒屋城

今日は近場ということで、香寺町の恒屋城とその東の尾根を歩いてみました。恒屋城へは、香寺町恒屋から登山道があります。細い道で人家の間を抜けると駐車場があり、そこから階段が作られています。この階段はさほど登りにくくなく、素直に登れました。気持ちの良い林の中を登っていくと、まず前城に出ました。ここは下から見上げた時によく見える地点で、ビニールに囲まれたお堂があります。ここからの眺めも十分に楽しめます。さらに登ると三の郭を過ぎて、土塁や堀がたくさんあります。今は藪になっていますが、かなり広い平坦地が多く、相当な数の建物が建てられていたと思われます。二の郭を過ぎて、標高236mの本丸跡に着きました。むかし財宝が埋められているという噂が流れたそうで、宝探しに掘った穴がありますが、他は何もない平坦地です。展望は低山の割に素晴らしく、ほぼ360度が見渡せます。写真は明神山です。

恒屋城からは、東へ降りました。城跡なのでこちらも堀切のようなものが作られており、それが藪化しています。よく探すと道の跡がありますが、灌木の間を抜けて急斜面を降りなければなりません。枝を押しのけつつ鞍部まで降りると、ちょっと風通しの良い林になりますが、次の250m+ピークへの登りも藪で、ところどころシダが生えています。しかし抜けられない程の藪ではなく、なんとか山頂に出ると、ここには下草はありません。尾根を東に歩いて210m+ピークまで来ると、切り開きがありました。北へ降りる下山道があり、赤いマーキングがありますが、これは関電の巡視路のようです。尾根にも道があり、ここからは軽快に歩くことができました。途中に北の第5鉄塔に降りる分岐があり、西谷四等三角点(239.30m)を過ぎると、鶴居支線4鉄塔がありました。さらに、東に木の合間から福崎方面を見ながら南に歩き、212mピークには第2鉄塔がありました。この鉄塔の上には鳥の巣があるようです。この尾根には、広く展望の得られる場所はありません。ここからは巡視路で下山しましたが、倒木が多くて迂回が必要な場所がたくさんありました。そして鶴居支線1鉄塔を過ぎて、倒木を避けて降りていくと、笹薮の中の道になり、道路に出ました。

最後に駐車場まで戻って2時間半ほどの行程でした。恒屋城と東の尾根を別々に歩けば、それぞれ良いハイキングコースだと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「前之庄」です。

2017年1月21日土曜日

龍野の養久山と表山三角点

たつの市揖保川町の、山陽自動車道の南に並行している山並みがあります。雪が降った翌日だったので低山を歩こうと思って行ってみました。登り口は中垣内川が揖保川に合流する付近です。「養久山遊歩道総合案内板」があり、そこから簡単に尾根に上がれました。あとはずっと尾根歩きとなります。日吉神社への分岐を過ぎると21号墓があり、ここから1号墳まで尾根には古墳が並んでいます。なお、ほとんどは墓となっていますが、1号と18号は前方後円墳が確認されているので墳となっているようです。番号は必ずしも連続していません。よく整備された尾根で、気持ちよく歩けました。たくさんの古墳を過ぎて、養久から道が上がってきている三差路広場に出ました。このすぐ西には北に降りる道に石仏があり、弘化4年のものだそうです。その西には東屋があります。標高が低いので瀬戸内海はあまり見えませんが、南側の展望が大きく広がります。その先には乙城址があります。これは室町時代から戦国時代まで続いた城のあったところだそうです。地形は段々があったり土塁のような場所もあって城らしいのですが、石垣などは全く残っていません。またしばらく古墳を見ながら歩くと、西播龍野線38鉄塔に出ました。そして石棺らしき石のある2号墓の所に養久四等三角点(99.22m)があり、それを過ぎると養久山1号墳に出ました。これは32mという大きな前方後円墳で、時代的にも他が弥生時代後期となっているのに対してこれだけは古墳時代前期のものです(写真)。1号墳を過ぎると遊歩道は本條への下山道へ曲がりますが、それではつまらないと思って真っ直ぐに西に降りてみました。途中までは切り開きがありましたが、最後は竹藪に降りてしまい、民家の庭に降りないようにやや大回りすることになりました。素直に遊歩道を歩くのが正解でしょう。

遊歩道はここまでで、さらに西の山には道はありません。県道440号線の西側に、「石田翁記功碑」が立っていますが、そこから登ると北側は整地されていました。その西側を登りましたが、かなりの急斜面で、意外と大きな岩がありました。登ると足元はほぼ垂直の崖で、北に展望がありました。そのまま西に藪を抜けました。下草がないので、さほど苦労はありません。120m+の山頂は平坦で、いかにも古墳でした。周囲にブルーシートの残骸がたくさんあり、南の端には「3級基準点 龍子古墳調査」という金属プレートがありました。前方後円墳ではないかと思いますが、登ってくる道がないので説明板もありません。この西も平坦で、100mピークにもなんとなく塚のような盛り上がった部分があるので、これも古墳かも知れませんが、調査した形跡はありません。掘れば石棺くらい出てくるかも知れません。西に降りていくと、地形図の破線道に相当する杣道が尾根を横切っていました。その先にも古墳っぽい場所がありますが、小ピークの北側には送電線の鉄塔がありました。相生支線ですが、番号は汚れていて読めません。南に藪を降りて、溜池に降り立ちました。

この付近は龍野西インターチェンジの南側です。携帯のアンテナの入り口の所に赤い「火の用心」があって、そこから登るとすぐに相生支線4鉄塔に出ました。ここからは林の中を真っ直ぐに南に歩いて、斜面を登り、山頂に出ました。表山三等三角点(142.87m)があり、ここが今日の最高地点です。展望はありませんが周囲は落ち葉で、気持ちのよい場所でした。山頂からは南に歩きましたが、シダが増えてきました。南斜面なのでよく育つのでしょうが、膝の高さ以上にはなりません。共同アンテナがあり、岩が増えてきて展望も良くなりました。そして最後は国道2号線が足元に見える所に出てきました。さすがにここの岩はコンクリートで固めてあります。2号線と山陽本線、少し南に新幹線が見えます。大門の西の山がくっきり聳えてかっこ良く見えました。ここからは下山道が見つからず、藪を降りました。灌木もシダもかなり邪魔でしたあが、すぐに踏み跡が見つかって、降りられました。あとは2号線と、山並みの南側の道を歩き、日吉神社で絵馬を見て、野田焼古窯址を見て、車まで戻りました。

雪は全く残っていませんでした。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「龍野」です。

2017年1月14日土曜日

西脇市の二ヶ坂から角尾山

厳密に言えば二ヶ坂には行っていませんし、歩いた尾根はほとんどが西脇市と加西市の境界でしたが、ややこしいことは抜きにしましょう。この尾根は西脇市水尾町と加西市大工町の間の低山です。藪がきついことを予想して行ってみました。

当然二ヶ坂から歩き始めようとしたのですが、作業所があって何かしていたので、少し東に行って溜池の付近から歩き始めました。溜池に害獣避けの金網の扉があります。この先は関電の巡視路で、プラ階段を登ると播磨線一三九鉄塔に着きました。明楽寺の方向が見えますが、尾根に登るには鉄塔の手前を曲がる必要があります。ここは道はありませんが、さして歩きにくくもなく、ちょっと急斜面を登ると主尾根に出られました。まず西の方向に歩いて、二ヶ坂のすぐ南のピークまで行き、さらに南西のピークにも行きました。この付近はシダで覆われている所が少しありますが、さほど問題はありません。

尾根を東に引き返して、鉄塔から登ってきた所から一度鞍部に降りてまた登って、尾根を南東に歩きました。少し歩くといきなり未知の終点に出ました。階段用と思われる丸太(模造品)が積まれていました。ここからは遊歩道で、南に歩いて宇仁山三等三角点(254.61m)に着きました。大柿さんの2004年の赤札が下がっていました。南に向かう道はここで終わっていますが、東へ行く道がありました。未舗装ですが幅が広く、あまりに良い道です。ピークは巻いて行く時もありますが、ピークに登る道も作られています。次の250m+ピークでは南方向の展望がありました。次の南の尾根への分岐には「砦跡 愛宕社」という道標がありました。砦跡は歩いてきた方向なのですが、どこが砦跡なのか分かりません。ここには「森林ボランティア活動支援事業 平成27年2月25日」という杭が立っており、なるほど新しく整備された遊歩道のようです。

この後も良い道が続き、次の250m+ピークには立派な石のベンチがありました。ここまで運ぶのは大変だったでしょう。ここは北側の展望があります。その先には「小池・東池へ」という道標のある階段があって、南の溜池に降りられるようです。北向きは「水尾道へ」となっていますが、この遊歩道には北に降りられる道はなかったように思います。北側の水尾町の山も木が切られて道が作られているので、いずれ繋がるのかも知れません。この先も整備された道が続き、愛宕大権現を祀った愛宕社に着きました。ここは南向きに展望があって、平成25年に「大工町まちづくり応援団」の作った案内板があります。淡路島まで見えます。愛宕社は、きわめて小さなものです(写真)。簡易トイレを過ぎてさらに東に歩くと、道は狭くなって倒木もありますが、問題なく歩けて、奥山寺四等三角点(260.17m)に着きました。

三角点の東の、地形図で北から破線道が来ている所には切通しがあり、かつては石仏だったかも知れない石が置いてありました。この付近も歩き易く、快調に歩いていると、南側に広大な採石場が見えてきました。257m地点からよく見えますが、足元はとんでもない崖となっています。幸いに尾根を歩けば採石場の崖に近づくことはありませんが、少しシダが茂っている場所がありました。この採石場は砕石工場となっているようで砂が尾根上まで風で運ばれて来ていました。採石場の奥にも切通しがあり、昔の峠のようです。ここからさらに東に歩くと、北側に鉄塔があり、尾根道は巡視路となります。南の286mピークに繋がる尾根に乗ると、「芳田に下山道」「頂上まであと1,000m」という標識があり、ここからは角尾山の登山道でもあります。角尾山に繋がる尾根へは斜面をトラバースする巡視路があり、トラロープや金属の階段もあります。尾根の鞍部には紅白の播磨線一四七鉄塔が立っています。ここから角尾山までは整備された登山道ですが、ロープを伝って急登する場所もあります。

角尾山山頂には熊ノ尾三等三角点(343.66m)があり、360度の景色が楽しめます。前回来た時もそうでしたが、今回も風が冷たく、あまり長居はできませんでした。地形図では角尾山から野間川沿いに降りる道が東と西にあるのですが、どうみても藪としか思えないので、無理はせずに来た道を戻り、「芳田に下山道」から下山しました。この道はすぐに地形図にもある幅の広い道路に出ます。この道路は未舗装ですがガードレールもしっかり付けられていて、車で上ってこれると思います。これを辿って岡崎町に降りられました。

最高点の角尾山でも標高は350mに達しない、低山の尾根ですが、その割にはシダ藪にも悩まされず、灌木もさほど密集して生えていません。昔から里山として使われてきた山なのだろうと思います。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「西脇」です。