たつの市揖保川町の、山陽自動車道の南に並行している山並みがあります。雪が降った翌日だったので低山を歩こうと思って行ってみました。登り口は中垣内川が揖保川に合流する付近です。「養久山遊歩道総合案内板」があり、そこから簡単に尾根に上がれました。あとはずっと尾根歩きとなります。日吉神社への分岐を過ぎると21号墓があり、ここから1号墳まで尾根には古墳が並んでいます。なお、ほとんどは墓となっていますが、1号と18号は前方後円墳が確認されているので墳となっているようです。番号は必ずしも連続していません。よく整備された尾根で、気持ちよく歩けました。たくさんの古墳を過ぎて、養久から道が上がってきている三差路広場に出ました。このすぐ西には北に降りる道に石仏があり、弘化4年のものだそうです。その西には東屋があります。標高が低いので瀬戸内海はあまり見えませんが、南側の展望が大きく広がります。その先には乙城址があります。これは室町時代から戦国時代まで続いた城のあったところだそうです。地形は段々があったり土塁のような場所もあって城らしいのですが、石垣などは全く残っていません。またしばらく古墳を見ながら歩くと、西播龍野線38鉄塔に出ました。そして石棺らしき石のある2号墓の所に養久四等三角点(99.22m)があり、それを過ぎると養久山1号墳に出ました。これは32mという大きな前方後円墳で、時代的にも他が弥生時代後期となっているのに対してこれだけは古墳時代前期のものです(写真)。1号墳を過ぎると遊歩道は本條への下山道へ曲がりますが、それではつまらないと思って真っ直ぐに西に降りてみました。途中までは切り開きがありましたが、最後は竹藪に降りてしまい、民家の庭に降りないようにやや大回りすることになりました。素直に遊歩道を歩くのが正解でしょう。
遊歩道はここまでで、さらに西の山には道はありません。県道440号線の西側に、「石田翁記功碑」が立っていますが、そこから登ると北側は整地されていました。その西側を登りましたが、かなりの急斜面で、意外と大きな岩がありました。登ると足元はほぼ垂直の崖で、北に展望がありました。そのまま西に藪を抜けました。下草がないので、さほど苦労はありません。120m+の山頂は平坦で、いかにも古墳でした。周囲にブルーシートの残骸がたくさんあり、南の端には「3級基準点 龍子古墳調査」という金属プレートがありました。前方後円墳ではないかと思いますが、登ってくる道がないので説明板もありません。この西も平坦で、100mピークにもなんとなく塚のような盛り上がった部分があるので、これも古墳かも知れませんが、調査した形跡はありません。掘れば石棺くらい出てくるかも知れません。西に降りていくと、地形図の破線道に相当する杣道が尾根を横切っていました。その先にも古墳っぽい場所がありますが、小ピークの北側には送電線の鉄塔がありました。相生支線ですが、番号は汚れていて読めません。南に藪を降りて、溜池に降り立ちました。
この付近は龍野西インターチェンジの南側です。携帯のアンテナの入り口の所に赤い「火の用心」があって、そこから登るとすぐに相生支線4鉄塔に出ました。ここからは林の中を真っ直ぐに南に歩いて、斜面を登り、山頂に出ました。表山三等三角点(142.87m)があり、ここが今日の最高地点です。展望はありませんが周囲は落ち葉で、気持ちのよい場所でした。山頂からは南に歩きましたが、シダが増えてきました。南斜面なのでよく育つのでしょうが、膝の高さ以上にはなりません。共同アンテナがあり、岩が増えてきて展望も良くなりました。そして最後は国道2号線が足元に見える所に出てきました。さすがにここの岩はコンクリートで固めてあります。2号線と山陽本線、少し南に新幹線が見えます。大門の西の山がくっきり聳えてかっこ良く見えました。ここからは下山道が見つからず、藪を降りました。灌木もシダもかなり邪魔でしたあが、すぐに踏み跡が見つかって、降りられました。あとは2号線と、山並みの南側の道を歩き、日吉神社で絵馬を見て、野田焼古窯址を見て、車まで戻りました。
雪は全く残っていませんでした。
展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「龍野」です。
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