2010年8月28日土曜日

市川町の東小畑三角点



最近よく市川町の山を歩いていますが、今回はやや東寄りの、岡部川沿いの下牛尾から北に登る山です。この付近の町名は市川町下牛尾ですが、「市場部落」という表記も使われています。登り口は廣幡神社で、裏の道を登ると隣のお寺の墓地から山に向かって道があります。真っ直ぐに荒れ気味の森を抜けると気持ちの良い尾根に出てきました。この先は道がありますが、稜線上ではなく少し降りたところに付けられています。尾根はシダが茂っていることが多いので、この道を歩きました。308mピークでは道は西側を巻いていますが、ここは岩とシダの多い南斜面を登ってピークに立ちました。ピークもシダだらけで、展望もありません。

また尾根歩きに戻って、北に進みました。ちょっと東側の眺望が得られたところもありました。場所によってはシダが元気ですし、切り開きも怪しくなるところがありますが、それでもほとんどは道が付けられていました。378mピークも藪で、そのあと細い尾根を通ってから主尾根に50mほど登るところが、一番疲れました。

主尾根は人通りが多いらしく、空き缶やペットボトルが多数捨てられています。まず北に歩いて425mピークに行きました。木の間から、先日登った河内三角点の山が見えました。南に戻ると、「松茸山 売買につき入山厳禁 市場部落」と書いた札が木に付けられていました。松茸山なので入山者が多いようです。さらに尾根を南西に歩くと、東小畑三等三角点(444.97m)がありました(写真)。この先は植林になりますが、まっすぐ歩くと一つ西側の谷に降りることになってしまいます。地形図をよく見ながら見通しの効かない雑木林の急斜面を南に降りて、352mピークに通じる尾根に乗りました。この尾根も切り開きがあり、割と楽に歩けました。

この尾根は南に進むに従って藪っぽくなります。途中に東側が伐採されている所があり、素晴らしい展望が得られます。317mピークの南は急斜面で降りると大きな草が生えていますが、道は続いています。どんどん藪っぽくなりますが、切り開きは明瞭です。そして、地形図で東西に破線道が走っている鞍部に出てきました。この付近は倒木がひどいのですが、倒木の下に峠道がありました。ここを更に南に歩くと、下岡三角点に行けますが、そちらは以前に歩いたので(2009/03/07)、この破線道を降りることにしました。

ところが峠に達していた道は破線道とは全く異なり、斜面をほぼ水平に北に行ってしまいました。ところどころ崩落していたり路肩が崩れていたりもします。なかなか降りて行かないので、無理に谷に下る道を探そうともしましたが、下は倒木が多そうだったので、結局北の尾根までほぼ水平に行きました。ここには炭焼き窯があって、その前から尾根を真っ直ぐに下る道が延びていました。最後は林道に出ましたが、この林道も破線道とは違っていて、かなり北に寄っていました。

ほとんどは切り開きのあるルートで、里山歩きの典型です。しかし切り開きは古く消えがちなので、あまり頼りにはなりません。藪を歩く自信のない方にはお勧めできません。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆

地形図は「粟賀町」です。

2010年8月27日金曜日

波賀町の城山から谷村・今市三角点


波賀町上野の城山(じょうやま)は、下から見上げても天守閣らしきものが見えますし、目立つところにある城跡です。ここを起点として、谷村、今市の二つの三角点を巡るルートを考えました。

起点は波賀市民局で、宝殿神社から舗装道路で城山の下に出て、墓地の北から山道に入りました。このルートは[1]に書いてあります。国土調査のピンクテープはずっとありますが、道は途中で消えてしまいます。しかし植林なので登るのに困ることはありません。尾根に石垣があるのは城跡だからでしょうか地権の問題でしょうか牧場でしょうか。休憩所に到着し、波賀城を見に階段を登りました。「学習資料館」という名前の天守閣と、宝殿神社の奥の院があります。奥の院の周囲には自然林が残っており、その周りは植林なので下から見上げると不思議な山に見えます。

城から降りてゲートを出て、道が二股に分かれている所まで歩き、真ん中の尾根に取り付きました。急な植林を登ると495mピークに出ますが、この周囲も大きな岩が多く、石の配置が城跡を思い起こさせます。495mピークの東側は急斜面でした。ちょっと巻いて降りてから、本格的に主尾根めがけて登山開始です。ここでも稜線に沿って石が積んでありました。植林の尾根で国土調査のテープがたくさんありますが、測量用の三脚の忘れ物がありました。長い登りをゆっくり登って主尾根に出ました。東側の展望があってほっとします。

この尾根はシダが生えていたり、伐採した木が転がったりしていて、あまり歩きやすくありません。おそらく使われていないであろうアンテナが点在します。谷村三等三角点(769.85m)の周囲は草が生えており、見に行ったら綿毛に包まれました。ここからは「山の神」([1])を通って降りるルートもありますが、尾根を更に先に進みました。なお、宝殿神社に「山の神」が祭ってありましたが、中にあったのは石でした。

西側は植林、東側は雑木林という尾根が続きます。670m+の終わりのピークでは木に白い金属板(裏は青)が縛り付けてありましたが、書いてあった文字は消えていました。この南の細い尾根は良い感じですが、倒木の下にマムシがいました。尾根が南西に曲がる付近からは黒尾山が見えました。そして今市四等三角点(712.24 m)です(写真)。周囲はちょっとだけ木が切ってあります。

この先も尾根を降りて行きました。そして、今市三角点の点の記にあるように南に尾根を降りようとしたのですが、そちらはシダが茂っており、結局やや北寄りに降りることになりました。非常に急な植林地帯で、石も倒木も枝打ちした枝もあり、降りるのは楽ではありません、というよりも危険です。ときどき作業道を見つけるのですが、作業道はたいてい水平に走っていてなかなか下山できず、結局木に掴まりながら降りました。歩き疲れというよりは緊張でへとへとになりました。川まで降りると破線道はちゃんとありました。しかし、それを北に歩くとすぐに藪に入ってしまいました。いまさら藪漕ぎもしたくなかったので川を渡りましたが、引原川は意外と水量が多く、靴と靴下を脱いで渡る羽目になりました。転ぶと危ないのでお勧めできません。

全部で4時間半ほどかかりました。下山ルートは再考が必要で、いっそ波賀町谷の方に尾根を降りてもう一つ三角点を巡るという手もありそうですが、帰ってくるのが大変そうです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」です。

2010年8月24日火曜日

福野から登る東山


一宮の東山はポピュラーな山です。フォレストステーション波賀からは登山道が整備されています。しかし登山道は他にもありそうで、ネット上でもいくつか見つかります。今回は新機軸を狙って、東山の東側、揖保川沿いの一宮町福野から登ってみました。

福野の集落を抜けると、山に向かう道があります。右手に墓地があり、その先は歩きやすい林道です。くねくねと登った後、ほぼ水平に南に向かいます。いくつかの尾根の先を回りますが、なぜ目的の谷にすぐに着くように作らなかったのか疑問も持ちました。尾根の先に「第八回初日の出登山 昭和六十年一月」と彫られた石が立っていました。この南には地形図では道が来ているはずなのですが、見あたりません。「くらしを支える森つくり事業」の看板があり、その先には大崩落を押さえるための丸太のガードが林道に造られていました。その先の尾根から登り始めました。

登りやすい尾根で、しばらく行くと道もあります。ただしこれは植林のための作業道なので、登って行くとは限りません。尾根も歩けますので、尾根を登る方が効率的です。東側が望める場所もありました。雑木林の尾根を歩いて行くと、福野三等三角点(684.45m)に出てきました(写真)。東山までは、まだ300m以上登らねばなりません。
この先も尾根歩きですが、植林が増えてきます。690m+ピークで尾根を左に曲がって南西に向かうと、次のピーク付近から右側(北側)に林道が現れます。尾根を歩いてピークを登って降りるとまた林道に出会うので、林道を歩く方が効率的ではあります。最後は790m+ピークの先で林道は終わっていました。この付近は急登が続きます。50mくらいずつ登るのですが、急斜面の植林で登りやすいとは言え疲れます。851mピークを過ぎてもう一回登ると910m+ピークで、この後はだいぶ楽になりました。
冷たい風を感じながら、時々シダが茂っていたり大きな岩があったりする緩い登りを進んでいくと、東山頂上に近づきました。ここで北側にまた林道が現れました。その先はまっすぐ頂上の尾根に登れると思ったのですが、シダや伐採した倒木が多く、登れません。そこで林道に降りて頂上を目指したのですが、水平に進んで行ってなかなか登ってくれません。そこで無理矢理斜面を登ると、上にも林道がありましたが、それを作ったときに伐採した木が積んであり、抜けるのに苦労しました。この林道は頂上の東側にありますが、南に歩いて行くと行き止まりになりました。頂上の展望台が見えていたので、無理矢理頂上に向かいました。
頂上の展望台の周囲には足場が組まれており、改修工事をするのかも知れません。霞んではいましたが、さすがに展望は素晴らしいものがあります。上野二等三角点(1015.85m)がありました。
さて下山ですが、予定では東の高野に向かう破線道で降りるつもりでした。それを探そうと頂上の北に行くと、尾根を東西に林道が横切っていました。東側には、先ほど通った南に向かう林道と、まっすぐ東に向かう林道がありますが、林道は下りと言っても下まで降りている保証はありませんので、まずは破線道の尾根を降りました。ところがこの尾根は途中でいくつにも分かれ、地形図の破線道は尾根から外れています。植林でGPSも効かず、よく分からずに降りて行くと、最後は急斜面の植林になりました。それを降りると沢でした。幅の広い沢で、南側の植林に作業道が付いていました。これを苦労しながらしばらくトラバース状態で降りて行くと、林道に出ました。沢が林道の終点になっていました。
ここからは林道を降りましたが、古い林道で大きな石がたくさん転がっていますし、場所によっては背の高い草で埋まっていました。しかしとりあえずは道で、しかも山を下っていくので、そのまま歩いて行きました。途中で一度破線道に出ていますが、この付近は崩落気味だったと思います。その後は斜面を水平に歩くと倒木処理の終わった尾根に出ました。この尾根の手前には倒木処理のための林道があり、その先ではもっと古そうな林道が山から降りてきていました。ここからは沢沿いの道となりました。高野の集落の手前には不動滝があり、見に行ってきました。水量が多く、落差もあって迫力のある滝でした。それを見終わって高野集落を歩いていたら、夕立が降ってきました。
登りは距離が長く、標高差も700m以上ありますが、疲れるだけで登りやすいルートだったと思います。下りは、素直に林道で降りてみるのが正解だったと思います。特に雨が降りそうなときは無理をしてはいけません。
展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「安積」と「音水湖」です。

2010年8月16日月曜日

山崎町葛根の南の尾根


地形図で見ると、中国自動車道と志文川が交わる付近には、尾根が東西に何本か走っています。上真宗の北から419mピークを通って畑尻三角点の方に延びる、宍粟市と佐用町の境界の尾根もその一つですが、ここはなんとなく倒木が多そうなので、その北の小さめの尾根を歩きました。これは先週行った「山の神」の案内板が出ている付近の南側の山となります。

登り口は葛根と三日月を志文川沿いに繋いでいる県道154号線です。「山の神」から少し西に行くと大きめの家があって、その裏手に山に登る道があります。扉がありますが、簡単に開けて山に入れます。この道は倒木処理用に造られたと思われ、斜面をジグザグに登って行きますが、シダや、処理した倒木や枝に覆われている部分もあります。この倒木が大雨で斜面を滑り落ちると、下の建物を直撃しそうです。道は稜線に達することなく終わるので、後は適当に登って尾根に出ました。ここからは雑木林の尾根をひたすら歩きました。

取り立てて言うこともない尾根です。下草は少なく、岩場も無いので、退屈と言えば退屈です。最初は中国自動車道の音がうるさいのですが、それがだんだん遠のくと、蝉の声だけが残って、適度に風があって心地よい森でした。アップダウンはありますが、勾配はたいしたことがないので疲れません。そのうちに尾根の北側は植林になります。そんな中で、明らかに林道と思われる道が尾根を横断している場所がありました。

ひたすら登って行くと、宍粟市と三日月町の境界に出ました。実はこの付近に鉄塔を期待していたのですが、この尾根には鉄塔はありません。境界線を北に尾根を降りれば鉄塔があることは分かっていたのですが、ちょっと悔しいので別の鉄塔を見に行くことにしました。境界を南に歩くと黒いプラ階段があって、ここが関電の巡視路だということが分かります。良い道なので歩いて行くと、播磨西線55の巨大な赤白の鉄塔に出ました。これは南向きのかなりの急斜面に建っています。ソーラーパネルが二基あって、これで発電して航空障害灯に使っているようです。足下には林道が見えるのですが、あまりに斜面が急なので、いちどピークまで戻って、そこから少し南下して、林道に出ました。

この林道は東斜面に付けられていますが、北に歩くとかなり山を下りる感じです。地形図以上に道があるようで、いきなり三叉路に出ました。右に行くと、以前に高丸山の帰りに出てきた付近(2006/12/02)に行きそうです。ここは左に折れて地形図どうりに尾根の周囲を巡って降りて行くと、地形図にもある三叉路です。ここは西に登りを選びましたが、この付近は砂利道であるにもかかわらずシダで完全に覆われています。そして尾根の裾を廻って、林道が右(東)に曲がるところで尾根に乗りました。

付近をちょっと歩くと、すぐに道が見つかりました。尾根の北側を少し歩くと、播磨西線56鉄塔に出てきました。この道は保守路でした。この鉄塔も急斜面に立っていますが、北側が伐採されているため、素晴らしい展望が得られます。写真は播磨西線の道筋を追ったものです。問題は下山で、保守路は55鉄塔からここに来て、東の林道に行ってしまいます。東雲池に降りたかったのでちょっと困りましたが、とにかく北西に尾根を降りることにしました。これも雑木林で、途中からやや掘られた道が現れます。それを辿って降りて行くと、右手(北側)に林道が見えたので、斜面を下って林道に出ました。どうやら道をそのまま降りても出られたようです。

この付近は倒木処理のためか林道が縦横に造られており、道に迷いました。幅2mもある道ですので、迷っても戻れば良いだけですが、心理的には辛いものがあります。結局東雲池の東側の道に出て、中国自動車道を潜って県道53号線に出ました。

展望は鉄塔からしかありませんが、歩きやすくて良い尾根だと思います。ただし付近にはまだ倒木地帯も残っており、倒木処理後の斜面も歩きやすくはありません。植林を避けて歩く工夫が必要です。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2010年8月15日日曜日

市川町の河内三角点


前日に歩いた山並みの東に、一際聳えたピークがあります。ここには河内三角点があります。景観が良いということなので([1])、行ってみました。

東小畑の集落から北に歩くと、小屋があって、右に折れる林道があります。これを歩くと、溜池が二つあり、その先で林道は北に折れます。付近は植林です。地形図どうりに林道は池の奥で終わっています。ここは鹿の解体場所として使われているらしく、骨が散乱していました。地形図ではここから先は破線道になっていますが、見当たりません。破線道の通っている谷は、倒木で埋まっています。仕方ないので真北に一直線に斜面を登ろうと思って少し登ると、作業道がありました。これは最初は斜面をジグザグに登っていきますが、そのうちに東に進んで、これも最後はジグザグになり、稜線に出ました。東側にも道が続いていました。

ここからは北西に尾根伝いに登りました。雑木林で倒木も少なく、下草はあまり無く、岩も多くて、歩きやすい尾根でした。大部分には道がありますが、だいたいは東に降りたところに付いていました。尾根は途中で北東に向きを変え、頂上に向かって行きます。アップダウンのある登りで、急斜面が長く続くことはありません。三角点は新しそうでした。

三角点に着くまでにも少し展望のある場所はありましたが、だいたいは木が邪魔でした。河内四等三角点(562.61m)付近も展望はないのですが、三角点の北の尾根は尖った岩場の尾根で、やや木が邪魔でしたが、展望がありました。近くで一番大きい山は笠形山です。西には昨日登った奥山三角点のある575mピークが見えます。南を見ると、天気の良い日なら淡路島まで見えそうです(写真)。

この先で尾根は西向きに曲がり、その先端が小さなピークとなっています。ここで北に降りると鞍部で地形図の破線道に出ますが、西に向かう尾根の方が歩きやすそうだったので、こちらを降りることにしました。途中から岩が増えますが、足場がしっかりして却って歩きやすいと思いました。この山は下から見上げると巨大な岩場の崖がありますが、その端が見えました。それより下に降りると、ややシダが増えますが、道があります。これを降りると、最後は植林に出てきます。伐採した木や枝打ちした枝がそのまま落ちていて歩きにくいのですが、ここを下ると暗い林道に出ました。この林道には「小屋ヶ谷」と名前が付けられていました。しばらく南に歩くと「角谷池」に出ました。ここにはベンチがあって、花壇が作られていました。

全部で2時間半ほどのコースですが、植林の中の道、雑木林の尾根、三角点、岩場、展望、岩の多い尾根、暗い谷、ベンチ、と飽きないコースでした。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月14日土曜日

市川町の市川・奥山三角点



先週、先々週と登った神崎工業団地の南側の山は、東をぐるっと廻って小畑から延びる尾根と繋がっています。399m地点から北は先週歩いたので、今回は小畑からの尾根を歩いてみました。

起点は小畑の法雲寺の墓地です。そのまま斜面を登れば、何の苦労もなく尾根に乗れます。シダで覆われていますが、探すと切り開きがあります。二つピークを越すと、本格的な登りになります。このあとも雑木林が続きます。道は稜線ではなく西側に少し降りたところを通っています。尾根のてっぺんはシダが多いので、主にこの道を歩きました。この日はあいにくの小雨で歩きにくかったのですが、晴れていれば比較的軽快に歩けると思います。標高が上がるにつれてシダが減り、尾根を歩くようになりましたが、相変わらず西側に降りたところにも道がありました。

市川四等三角点(433.92m)は雑木林の中です。展望はありませんが、この付近では東側が見えるところがありました。この後も雑木林が続きます。切り開きがありますが、かなり荒れ気味です。437mピークの一つ前の尾根の分岐を間違えて真っ直ぐ北に降りそうになりました。この先は少し藪っぽく、それから急な登りになりました。岩が多く、濡れていなければ楽に登れると思います。150m以上を一気に登るので、ときどき休みました。

尾根に出るとまず右に曲がって奥山四等三角点(575.04m)を見に行きました。雨はやんでいましたが、三角点は霧に覆われていました(写真)。市川町と粟賀町の境界になっている主尾根に戻り、西に曲がりました。最初は倒木だらけの尾根でしたが、少し降りると切り開きが現れました。ここまで登ってきた尾根と、様子はたいして違いません。たまに北側の土砂採集場が見えるくらいで、展望もありません。そして444mピークを過ぎた下りの辺りから、シダが増えて藪っぽくなりました。その後は登りなのですが、これが意外ときつい登りでした。藪もきつくて、尾根を避けて南側に少し降りたところにある道を歩きましたが、周囲の木が伸びすぎていて、簡単には歩けません。大きなシダに行く手を阻まれることもあり、尾根に登って歩いたこともあります。巻き道を無理矢理歩いていたら、岩場で洞穴を見つけました。人が入るには小さめで、しかも縦穴なので奧はよく見えませんでした。

枝を払い、背の高いシダの間を抜けて、尾根が西に曲がる地点まで来ました。ここは地形図では破線道が横切っていますが、見あたりません。破線道が東に降りている付近は、シダで覆われています。尾根を西に行けば初鹿野山ですが、こちらを経由していたのでは時間がかかりすぎるので、東に延びる尾根を下りました。最初はシダがありますが、少し降りるとシダが減って明るい尾根になりました。岩場を降りて行くと、尾根が二つに分かれており、正面はシダ藪となりました。ここは南に降りることにしましたが、これはおそらく正解だったと思います。ここから下はシダが多いのですが、幸いに道が幾つもあって、上手に伝って降りることができました。最後はつづら折りの道を降りましたが、古い道でシダが茂っていて、ときどき見失いそうになりました。最後は南北に走る林道に出ました。この付近は倒木処理が行われていますが、初鹿野山の方から来る破線道は見つけられませんでした。あとは林道を南にひたすら歩きましたが、溜池が同じ谷に三つあり、下流に行くほど大きくなります。

雨が降っていたため、6時間近くもかかりましたが、晴れていればもっと軽快に歩けると思います。ただし、藪が多くて苦労が多い割には展望が無く、楽しみに欠けるルートでした。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月8日日曜日

土万の真宗三角点


山崎の街から県道53号線を菅野川沿いに西に走って、切窓峠を過ぎ、葛根で三日月の方に南に曲がると、志文川沿いに出てます。北の対岸には中国自動車道が走っています。ここで眼に入ってくるのは「山の神」と書いてあるコンテナ(?)です。何が山の神なのか気になってしかたがないので、見に行ってみました。ついでに西側の山も歩きました。

「山の神」の矢印に従って志文川を越え、中国自動車道をくぐりました。もう一つ「山の神」と書いた標識があり、それに従って少し階段を登ると墓地がありました。ここは、ある一族の代々の墓があるのですが、墓石は二つで、一つは現代風の墓石、もう一つは昭和20年の軍人さんのお墓です。もう一つ昭和10年の「先祖代々の墓」があります。それ以外にも、何も彫られていない小さな石が祭ってあります。これが「山の神」でしょうか?見上げると木で作った鳥居のような門がありますが、その上は植林です。門の向こう側が気になるので、とりあえず門の背後の植林を登ってみました。非常に急勾配です。植林ですので作業道がありますが、ほとんどは崩れかかっています。登るにつれて急勾配になるので、滑り落ちないように登るのは大変でした。

稜線に出ても何があるわけでもありませんが、広い植林の尾根で、ここからの尾根歩きは楽でした。ときどき蜘蛛の巣や枝を払いながら登り、主尾根に出ました。ここは木が切られており、佐用町の地籍図根三角点がありました。しかし周囲の木が高いので展望はほとんどありません。ここからは南に主尾根を歩きましたが、植林で下草がないので軽快に歩けました。日差しは植林が遮ってくれますし、風が心地よく、真夏の山歩きとしては最高のコンディションでした。最近どこにでもあるピンクのマーキングが尾根沿いに付いています。途中の鞍部では笹が生えて少し藪っぽい場所もありましたが、それを過ぎて少し登ると、真宗四等三角点(441.51m)がありました(写真)。写真の背景は雑木林の藪ですが、反対側は植林です。現在の区分ではここは佐用町ですが、それではピンと来ないので、ブログの題名は地形図の名前を使って「土万の真宗三角点」としました。土方は、もっと北の方ですが。

この先は急勾配を下り、また登ると「国土調査」の色あせたテープが下がっているピークです。ここから尾根を降りて、その先の尾根が右手(西側)に曲がるところで東側の尾根に進みました。これは真宗への近道なのですが、広い尾根歩きに飽きてきたというのも本音です。こちらの尾根を降りると、植林が伐採された斜面の上に出てきて、いきなり東側の展望が開けました。正面には水剣山と黒尾山が見えます。伐採地帯はネットで囲まれており、これに沿って尾根を降りました。倒木や伐採した木があって歩きにくい場所もありました。

そのまま尾根を降りて行くと、どんどん急勾配になりました。倒木も増えてきました。南側の尾根は倒木処理の後で、ネットで囲われています。このネットには出入り口はないので、そちらには行かずに真っ直ぐ東に降りました。ところが尾根の下端には背の高い草が生えており、その下はネットでした。周囲には倒木もあり、身動きが取れません。眼下には人家があるのですが、しかたなく尾根を引き返しました。後で下から見ると、ネットの下には墓地があったようですが、人家は尾根の真下で、あの倒木が落ちてきたらどうなるのか気になります。とにかく尾根を登り返し、ネットの上に出て南西に斜面を進み、植林の中を降りました。最初に登ったのと同じくらいの急勾配でしたが、すぐに雑木林があり、降りやすくなりました。雑木林は木の数が多いので、掴まりながら降りられました。降りてきたところには地形図にはない林道がありました。

気持ちよく歩けるショートコースですが、最後は大変でした。素直に破線道の通る峠まで主尾根を歩くか、峠の一つ北の尾根を降りるのが正解でしょう。

展望 ★★☆
藪山度 ★★☆
地形図は「土万」です。

2010年8月7日土曜日

粟賀町の船谷三角点


先週(2010/08/01)は粟賀町の神崎工業団地近くの山を歩きましたが、尾根はまだまだ続いていたので、今回は南から同じ山に登ってみました。312号線を市川沿いに北上し、市川が猪篠川に分岐するあたりで東に曲がりました。初鹿野山の北になります。初鹿野山の北側には、新たに道が造られていました。福山川沿いにまばらに人家があり、さらに東に行くと、レンガか何かの材料を山から掘り出している工場に出ます。ここに車をおいて、さらに東に歩きました。

最初は車でも通れる道ですが、堰堤を過ぎると少し荒れてきます。そしてついには岩だらけになりますが、歩くには支障ありません。しかし、そのまま歩いて行って、地形図の南に向かう破線道を行きすぎてしまいました。「福本」と木に白ペンキで書いてあるところまで行ったのですが、ここで道は北に折れて、雉屋敷三角点のある尾根の方に向かっていました。川沿いにもさらに小道が続いていました。しかし尾根に登りたかったので、少し戻って破線道を探すと、「東」と「福」と白く書いた木の間に川を南に渡る道がありました。その先は植林の作業道となります。ピンクテープのマーキングがあるのですが、時々無くなったりしてあまり頼りになりません。結局破線道になるべく忠実に植林の中を歩くと、道が尾根まで繋がっていました。399mの鞍部に出てきました。

ここから706mの船谷三角点までは、長い尾根の登りです。けっこうきつい登りもあるのですが、少し登ると平坦になるので、休みながら登りました。歩き始めてから2時間近くで、船谷三等三角点(706.11m)に到達しました(写真)。題名は粟賀町の船谷三角点にしましたが、正確には市川町との境界にあります。植林と雑木林の中ですが、周囲は伐採してあります。地形図によるとこの先には東側から道が来ているはずですが、確認できませんでした。付近は平坦地の多いピークでした。北に向かって歩くとしばらくは植林で歩きやすいのですが、だんだん雑木林となり藪っぽくなります。ネットがあり、東側は灌木の藪、西側は雑木林です。そして、先週も来た尾根の分岐点に着きました。

ここから少しは先週歩いた尾根で、その先を先週は北に折れましたが、今日はそのまま西に進みました。この付近は地形図で見ても平坦で、尾根が幅広いため迷いやすくなっています。何度か方向を修正しながら、695m地点に進みました。植林が多く、倒木もありますが、適当に避けて歩けます。この付近の植林は木に白ペンキで地権者の名前(?)が書いてあるのが特徴的ですが、さらに要所ごとに区分を書いた板も下がっていました。H22.5.1とあるので、最近のものですが、書いてあることは消えかかった古い板と同じでした。朴ノ木谷、下栃、東恵越、北名免良、大玉、スイガ谷、焼尾、申谷、畑ヶ谷など、個人名とは思えません。
植林を西に進むと、雉屋敷三角点のある尾根に通じる地点に出てきますが、ここは西に急坂を下りました。この付近も尾根にはピンクリボンのマーキングがありますが、尾根以外の木にも使われているので要注意です。細い尾根になりますが、この付近から尾根に枝が多く落ちていて、周囲も藪っぽくなります。626mピークも周囲は灌木ですが、岩があったので座って休みました。この西もずっと下りですが、南に展望のある地点がありました。その先の尾根にはネットがあり、角のある鹿の頭蓋骨が引っかかっていました。悲惨です。

地形図の南北に走る破線道に近づくと、尾根は南に曲がっていきました。地形図の破線道もこの尾根にあるので、尾根沿いに南に降りて行きました。いちおう切り開きがありますが、歩きにくい尾根で、破線道は確認できません。そしていきなり目の前が開けて、数メートル下に林道が現れました。この林道は地形図にはなく、予想外でした。急斜面に無理矢理作ったため、道の山側は高い崖になっています。その上に出てきてしまったため、林道に降りるのは非常に困難でした。岩場ですが、土も岩も脆く、ぼろぼろと崩れ落ちてしまいます。そろそろと岩に掴まりながら降りて、最後は2m程を飛び降りました。骨折しなかったから良かったようなもので、これは危険過ぎです。

この林道は420m程度の標高にほぼ水平に付けられています。最初は西へ少し歩きましたが、いっこうに降りる気配がないので、すぐに東に向きを変えました。この林道が地形図にある古い林道と繋がっていることを期待したのですが、しばらく行くと終わっていました。何のために造った林道なのか、理解できません。結局林道で降りるのは無理そうなので、林道が終わった付近の尾根を下ることにしました。これは大正解で、この尾根には小道がありました。そして、350m付近にある、古い林道に降りてきました。この林道は荒れ気味で、降りて行くと岩だらけになります。しかし、地形図どうりに山を下りることができました。

ずっと半袖で歩けましたので、藪の少ない歩きやすい尾根道だと言えると思います。しかし下山で出会った林道は全く予想外でした。この林道の山側はほとんどが崖で、安全に下山できる地点を見つけることはできませんでした。困ったものです。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「粟賀町」です。

2010年8月1日日曜日

神崎工業団地の東の尾根


神崎町粟賀町東の神崎工業団地の南に広がる山塊は、複雑な尾根を持ち、アプローチをいろいろ考えましたが、まず一番単純に東端の尾根を歩くことにしました。グリーンエコー笠形から西に見える山並みです。

尾根の突端は道路に面していますが、動物避けの扉があります。ここから入ると道は川の方へ行ってしまいますが、ちょっと急斜面を登れば簡単に尾根に出られました。これが長い尾根歩きの出発点となりました。

尾根には適当な切り開きがあります。シダが元気なところもありますが、切り開きはわかります。ピンクのマーキングがあり、迷うことなく進めました。セスジイトトンボのオスらしい、綺麗なトンボがたくさんいました。ロープが張られている所もあり、松茸山なのかも知れません。しばらく登ると展望の良い場所に出ました。これは工業団地の方からも見える場所です。展望は南側なので、一番印象的なのは工業団地ですが、その背後の山並みも見えました。

この後はマーキングに従って切り開きを進みました。できれば善兵衛山三角点にも寄りたかったのですが、切り開き以外は藪がきつそうなので、素直にマーキングに従って尾根を登りました。ネットがある所もありましたが、ほとんど壊れています。351mピークは展望が良かったと思います。ここからは更に急勾配の登りで、少し登ると若干平坦な場所に出ますが、645mピークまではずっと登りです。暑かったので少し登ると倒木や岩に腰掛けて涼しい風を受けながら休みました。おかげで休憩時間の長い登山になりましたが、風に当たって休んでいる間はまさに極楽で、これがなかったらストイックなトレーニングになってしまいます。ところどころに何かが書かれた板が木から下がっているのですが、ほとんど判読不可能でした。たまに粟賀町方面の展望が開けることもありました。この尾根にはネットはほとんどありませんが、有刺鉄線が一本地面を這っていました。へたに転ぶと怪我をしそうです。

645mピークがどこだったのか、確かには分かりません。この付近には割としっかりしたネットが張られていました。このピークを過ぎると、尾根の雰囲気がいきなり変わります。ここまでは雑木林で岩場もある尾根だったのですが、ここからは高い木が多く落ち葉を踏んで歩くことになります。かといって植林という訳でもありません。この変化は実に劇的でした。比較的平坦な尾根ですが、方向は明確ではありません。何回か尾根を曲がらねばなりません。615mピークには、判読可能な板が下がっていました(写真)。道しるべというよりは、植林の地権者の表示のようです。木に地権者の名前が白いペンキで書いてあることもありました。

何度も迷いながら坂を登ると、稜線に出てきました。これを左に折れて進むと、神河町と市川町の境界線の尾根に出ました。この付近にもピンクのマーキングが少しありますが、ここまでの尾根と比較するとかなり藪っぽい尾根です。703mピークは藪です。これを更に南西に進むと、右手から尾根が来て、尾根の三叉路となりました。これを南に行けば船谷三角点ですが、今日は無理をせずに帰ろうと思いました。ここまでで3時間半かかっています。

ここからは破線道を辿って降りるつもりでしたが、道はありません。最初は尾根伝いに歩いて破線道の通りでしたが、その先で北に降りるところはどこを通って良いかわかりません。地形図ではこの付近は尾根を通ることになっているので、尾根伝いに降りました。そして地形図で破線道が谷に入る所では、谷は沼地になっていました。この谷を降りることだけははっきりしたので、この後しばらくは谷沿いの尾根を降りて行きました。たまに谷に降りてみましたが、倒木で歩けない場所も多く、結局は谷の斜面をトラバースすることになりました。土がもろくて崩れやすいため、かなり気を遣いました。そのうちに滝があり、谷は歩けないので、一旦東の尾根に登りました。そしてそこから北に尾根を降りると、その先は道がありました。地形図では、破線道が北から北西に向きを変えて、谷幅が広がる付近です。

道があると言っても、歩くのは容易ではありません。苔の生えた石の上を歩くところが多く、危険です。倒木があったり、谷が狭かったりで尾根に登らねばならない場所もあります。谷の雰囲気は良いのですが、谷はほとんど歩けません。ピンクのマーキングはずっと続きますが、谷の両側にあったりして、どう歩いたらよいのか分かりません。そのうちにだんだんと道幅も広がり、歩きやすくなりましたが、それでも足下は岩が多くて疲れました。最後は地形図で実線道になるところですが、ここは南の谷に砂防ダムを造っていました。あとは林道を歩いて工業団地に戻りました。

登りの尾根は切り開きもマーキングもあり、登山コースとして適当なものです。問題は登った後です。本当は谷を降りず、695mと626mピークを経由して、工業団地の西側に降りる破線道で下山することを考えていたのですが、かなり大回りになるのと、この破線道も本当に存在するのか分かりません。境界線に出たところで東に降りれば、グリーンエコー笠形を通って下山可能ですが、これも大回りです。別のルートを考えたいと思います。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★ 下山は最悪でした。
地形図は「粟賀町」です。