2011年7月31日日曜日

荒尾山と大甲山


宍粟市波賀町の中心地、上野の付近から西を見ると、北側に大きな山が見えます。これが大甲山です。中腹に林道が水平に走っているのが気になりますが、Google Earthでは現在この付近の画像は雲がかかっていてよく見えません。登山ルートもいろいろありそうですが、とりあえずやや古い情報([1])を元に波賀町齋木の前地から登ることにしました。

車は429号線沿いの齋木自治コミュニティセンター付近にとめて、前地から北に集落を抜けました。西に曲がって真っ直ぐ歩くと、堰堤が見えてきました。その手前に北に折れる未舗装の林道があり、こちらに行きました。すぐに大扉がありました。左端で大きな一枚扉を開ける仕掛けで、ちょっと悩みましたが、それを通ると目の前を鹿が跳ねて行きました。二つ目の尾根から山に入りました。この付近は雑木林で、枝を折りながら歩かねばなりません。やや複雑な地形ですが、それを過ぎて植林に入ったと思ったら林道がありました。「森林管理道 前地・カンカケ」とあります。おそらく堰堤の方から来ていると思われますが(Google Earthで見ると更に旧429号線まで繋がっています)、幅の細い砂利道です。「カンカケ」は植松山のはるか北に「カンカケ越」がありますが、この付近の山をすべて取り囲んでしまうのでしょうか。とにかく水平道で役には立たないので、そのまま横切って再び植林を登りました。ここから上はほとんどが植林なので、堰堤経由でここまで林道で来るのは正解だと思います([1])。

急勾配でしかも間伐した木がそのままになっているため、歩きにくい植林ですが、下草がないので楽なものです。ただしこの日は暑かったので、休みながら歩く必要がありました。たまに雑木林、ミツマタの群生もありました。急斜面もありますが、ところどころ平らになります。746mピークもそんな場所で、周囲は美しい植林でした。陽は差し込まないのですが、風がないと涼しさを感じません。[1]でも割と楽に登れたと書いてありますが、確かにそんなにひどく苦労した記憶はありません。しかしそれでも夏の登山は大変です。標高差400m以上を登り続け、やっと主尾根に出ました。930m+ピークには「荒尾山」と「鳥ヶ乢登山口」の標識がありました。鳥ヶ乢登山口の所在は分かりませんが、429号線の旧道から登るのだと思います。

ここからは波賀町と千種町の町界の尾根を北に歩きました。よく整備された道です。途中で植松山が見えました。かなり伐採されて、ゴルフ場のように見えます。荒尾山山頂まではまだ170mを登らねばなりません。まず1080m+のとんがったピークに登り、その後登りつめると荒尾山山頂(1108m)に着きました。宍粟50名山のプレートが立っていました。「植松山」「大甲山」の標識がありましたが、植松山は遠そうです。山頂周辺は伐採してありますが、木立で遠景は見えません。最新の地形図だと少し西へ行った所に岩野辺四等三角点(1078.65m)があるので、そこまで行ってみたところ、北側の展望が開けました。野尻の集落や山々が望めます。一休みして、急勾配を荒尾山まで戻り、さらに大甲山へと進みました。

荒尾山から東に延びる尾根は実は大甲山とは真っ直ぐには繋がっていません。真っ直ぐ歩くと岩場になり「WE LOVE FLOWERS 花のある町 波賀町」というプレートがあるのですが、これは行き過ぎです。そこまで行く途中に、半分に割れた赤い矢印が木に下がっており、ここから降りなければなりません。これは標識やマーキングがなければなかなか見つけられないルートです。降りた先は岩の多い尾根なのですが、道がちゃんとあります。アップダウンもあって、ちょっと楽しめる尾根で、大甲山に着きました。斉木三等三角点(1035.25m)があります。南側の展望が素晴らしく、しばらくは見とれていました。

下山は大甲山からほぼ南南東に延びる尾根で前地に戻ることにしていました。大甲山山頂付近にはいくつも道しるべがあって、「野尻へ」「斎木下山道(お滝さんルート)」「行者堂(大岩)」「野尻(尾根筋)」というものがあります。この行者堂はどこだか分からなかったので、とりあえず何も考えずに植林の尾根を降りることにしました。すると植林の中に赤い矢印があり、これが登山道だということが分かりました。これはとても助かるので、そのまま標識どうりに尾根を降りていきました。最初は非常に急な植林をジグザグに降りました。登りはかなり大変だと思います。植林を過ぎると歩きやすく幅広い尾根になりました。下り方向の標識は「行者登山口」「行者山」などとなっています。気分よく歩くと行者岩の標識がありました。行者岩は急斜面の上に聳えている岩で、上に乗る度胸はありませんでしたが、岩越しには上野の全景が見えました。メイプルスタジアム山城が見えます。つまりこの岩は南ではなく、東に向いています。ここから更に急斜面を斜めに降りますが、階段やロープが整備されています。最後は行者堂に出てきますが、ここにはトタン屋根の小屋に二体の石仏が安置されています。行者岩から続くと思われる大きな岩の下にあり、まさに行者堂という感じです。多くの人が参拝に来た跡がありますが、夫婦で来られることが多いようです。二体の石仏と関係しているのでしょうか。

行者堂は林道の終点でもあります。この林道は石が転がっていて車では登れないものです。歩きにくそうなので最初は尾根をそのまま降りようかと思ったのですが、この付近の植林は非常に荒れており、林道を歩くのが正解でした。この林道はあまり使われた形跡がなく、周囲の植林も伐採して木を運び出した様子はないので、何のために作ったのか良くわかりません。行者堂に参拝するためでしょうか?現在はここまで車で上がって来ることは不可能なので、この場所を行者堂登山口と呼ぶのは不自然な気がしました。

石だらけの林道を降りると、より整備された林道に出てきました。ここには降りてきた林道に向かって「大甲山」の標識があり、東に行く小道に「行者の水」「行者登山口」の標識があります。行者堂登山口は既に通ってきた所のはずで、変な標識だと思ったのですが、行者の水には興味があったので、丸太橋を渡って小道に入ってみました。水平に続く道で、大荒れの複雑な地形の植林を抜けて、結局谷に出てきました。小さな滝があって、水がきれいです。これが「行者の水」のようです(写真)。

この谷は齋木の中村から北に伸びた川の水源で、谷を降りる方向に「お滝さんコース」の標識がありました。戻って林道で降りるのもつまらないと思ったので、この谷沿いの道を降りてみました。付近は荒れた植林で、伐採された木が雨で流されて谷に落ちてきており、道もところどころ倒木に覆われています。そのためどこが道か時々分からなくなりますが、「行者道○○丁」と書かれた標石が所々にあって、道を確認できました。この標石は多くの人が寄進して作られたもので、行者堂には30丁の標識がありました。しばらく降りると、林道の交差点に出てきました。真っ直ぐ降りるのが、地形図に描いてある実線道(「北山線」)です。これと直行して「前地・林道」が走っています。東は工事中のようですが、これが上野から見える林道かも知れません。西は名前から考えて登り始めたときに前地で出会った林道に繋がっているはずですが、かなり先です。行者堂から降りてきた林道がこれとどう繋がっているのかはわかりませんが、ここから大甲山登山口まで400mとなっていました。他にも「大甲山行者山登山口」が西向きに、谷沿いには「お滝さん登山口」という標識もありました。この後は北山線を429号線まで降りて、前地の車まで歩いて戻りました。

荒尾山や大甲山は高くて大きな山なので、登山道は長く標高差もあって、周回ルートを作るのは大変です。しかし登ってしまえば尾根歩きは楽しめます。今回は行者堂と小さな滝というおまけが付きました。この中村から行者堂への参道は林道が作られる前からあったものと思われます。「行者の水」まで谷沿いに登って、そこからは林道の上の林の中を登ったと思われます(林の中の木に赤い矢印が付いていました)。途中の林道で見た「行者登山口」も、この参道の登山口を意味すると思われます。林道を作るのも結構ですが、倒木を整理してこの参道を復活するのが登山道の整備としては正解だと思います。なお、飯見の方にも行者堂があるようで([2])ややこしそうです。

展望 ★★★
藪山度 ★★☆
地形図は「音水湖」「西河内」「安積」です。

2011年7月30日土曜日

倉床から登る水上山


水上山には最近変則的なルートで二回登っていますが(2011/07/02と2011/07/16)、今回は変則的なルートで登って登山道で降りてきました。登り口にしたのは一宮町倉床の桑垣の北です。地形図を見ると桑垣の北では折れ曲がった道が西側の山に入り込んでいますが、これは「ふれあい公園」で、「ふれあいの水」を汲みに来る人が多いようです。その北で幹線道路は富土野トンネルの方へ登り始めますが、そちらには行かず「銅山」の標識のある川沿いの道に入りました。ここに車を止めて、その北の尾根を登り始めました。

この尾根はかなり整形されており、簡単に登れます。コナラの登りやすい林を抜けていくと、標高620m付近で南に展望があります。と言っても、この日は雨が降っていて何も見えなかったのですが。その先は尾根が少しずつ細くなりますが、670m付近には共同アンテナの残骸がありました。そして726mピークに着きました。ここには三角点こそありませんが、一宮町の図根点と「大身谷官」と書かれた大きな標石があって、賑やかです(写真)。大身谷というのは、この北の760mにある三角点の名前ですし、水上山の別名でもあります。ここで気を付けなければならないのは、左側の一見すると藪に見える斜面を降りることです。広い方の尾根は、北に降りてしまいます。

この先は尾根が細くなり、楽しいのですが、真ん中に灌木が生えていると少し降りて歩かねばなりません。下草はほとんどありません。760m+の長細いピークまで来ると少し尾根の幅が広がり、その後は一旦降りてから植林の中の急勾配の登りとなります。これで800mを越えた尾根に出るので、あとは851mピークまで少し登りでした。ここには2011/07/16に来ています。その時は楽に南の尾根に乗れたのですが、今回は真南の尾根を降りてしまい、間違いに気が付いて登り直したので時間がかかりました。急な斜面を降りなければならず、目指す尾根ははるか下方なので、なかなか判断が付きません。

この後は前にも歩いた通りで、途中に若干倒木がある程度で、問題無く水上山に着きました。しばらく丸太の上で休んでから下山を開始しました。よく整備された道で、マーキングもほどほどにあって迷うことはありません。714mピークには共同アンテナの残骸と「倉床登山口」の標識があります。標識どうりに植林を降りると、南田の県道5号線にある「水上山登山口」に出てきました。

水上山(別名大身山)はひと月で3回目ですが、良いコンディションで着いたことがありません。相性が悪いのでしょうか?

展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」です。

2011年7月24日日曜日

壇の平


壇の平は佐用から佐用川を遡り、東に入った所にある山で、地形図に山名が書いてあるので前から登りたいと思っていました。登山記録は意外と少なく、検索して出てきたのは[1]しかありません。同じコースで歩いてみました。

佐用から真っ直ぐ北に走り、上石井の青木で東に曲がって羽蔵の村に行きました(これは[1]が参考になりました)。村の入口は切通になっており、ここから尾根に登りました。切通の上は危険なくらいな急斜面で、足元は砂のように崩れるため、登るのは大変でした。しかしその後の林は急勾配でも登りやすく、ちょっとで普通の里山の尾根に出ました。

ここからずっと少しずつ登りの尾根歩きです。ほとんどは踏み跡があり、はっきりと道があるところもあります。420m+のピークから北に曲がると見事な植林になります。水根川の方からは伐採の音が聞こえてきて、下の方はかなり伐採されているようです。尾根にも伐採された木が転がっていて、それを越えて歩かなければならない場所もあります。484mピークは自然林です。この先も自然林が多く、歩きやすく、迷うおそれもあまり無い尾根です。500mを越えて尾根が北に曲がる所は素直に行けましたが、その先で東に曲がる所は倒木の多い藪で、尾根を探すのにちょっと手間取りました。その先の意外と急な斜面を登ると、540m+ピークに出ました。

ここで北の553mピークを見に行きました。展望があるかと思ったのですが、奥海の集落がちょっと見えたのと後山が木々の間から見えたくらいです。これでも少し展望があっただけましで、このルートでは他にはほとんど何も見えませんでした。主尾根に戻って東に、さらに南に曲がる付近から植林の倒木が増えてきました。なんとか乗り越えて歩けるくらいの数ですが、疲れます。またアセビなどの灌木の薮も増えてきて、枝をかき分けて歩くところもあります。開けた尾根もあるのですが、全体に荒れた感じです。こんな状態は東西に走る尾根に突き当たる所まで続きました。突き当たった尾根も、頂上の方向に行くと藪になり、枝をかき分けて歩くと海内三等三角点(621.47m)に着きました(写真)。登り始めて2時間半が経っていました。この写真では見えませんが、付近は倒木が多く、荒れた山頂でした。

下山は水根の峠に降りましたが、こちらへ行く尾根は植林が多く快適でした。最後は尾根に道があってそれを下ると峠に出ました。天保5年と書かれた礎石に乗ったお地蔵さんがあります。しかし峠から東の、地形図で水根と書かれた集落(おそらく無人)に行く方向は倒木がひどく、破線道は実質的にここで終わっていました。この破線道で羽蔵へ戻ったのですが、最初は美しい植林の中を抜けますが、地形図で道が折れ曲がっている付近ではシダなどの草が茂って藪になっています。その先も倒木があり、さらには急斜面で橋が流されている所もあって、使える林道ではありません。谷の南側を見ると崩落が激しく、裸の斜面に木が滑って落ちた跡が残っています。[1]の記録とだいぶ違うのは、2009年の豪雨の爪あとだということでしょうか。羽蔵の集落も空き家が多く、今後どうなるのか気になります。

壇の平という名前が気になって登ったのですが、災害の跡が目立つ山でした。この付近は山の真ん中なのに奥海とか海内とか海に因んだ地名が多いのが不思議です。奈良のダンノダイラとの関係も気になります。周囲の村は次々と廃村になっているようで、山が荒れるのも仕方ないのでしょう。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆
地形図は「千草」です。

2011年7月23日土曜日

日名倉山ダイレクト


岡山県と兵庫県の県境にある日名倉山にはいくつか登山コースがあります。兵庫県から登るには千種から奥海越を経由するのが一般的ですが、地形図を見るとそんなに急峻な山でもないので、素直に千種から尾根を伝って登ってみました。

登り口は、千種から西山川沿いに429号線を西に行った土井です。人家が途切れて道が狭くなると日名倉山の裾が道路に迫っていますが、ここは登りにくそうなので少し西に行き過ぎると、山裾に畑があり山に入る道がありました。扉が開いていたので登り始めました。429号線には大きな木の幹が何本か置いてあり、伐採中だと分かりました。この道は非常に急な斜面を登って行きます。これが無かったら、とても登りにくかったでしょう。轍から、今朝も何かが登って行ったことが分かりました。終点に近づくと予想どうり重機を使って作業が行われていたので、そちらには近付かずに尾根を登り始めました。

まずは植林の斜面を登りました。伐採した木が邪魔ですが、下草が無いのでそれ以外には問題はありません。この付近は岩塊流が多く、岩の間に木が植えられている感じです。ただし岩は小さく、1m以下のものがほとんどです。谷が岩で埋まっている場所もあります(写真)。この付近の地形は地形図で見るよりもはるかに複雑で、細い尾根が斜めにたくさん走っています。全体になだらかで、面白い地形です。ひょっとするとたたら製鉄の跡かもしれません。標高650m付近には作業道があり、その先の690m+ピークを西側で巻いていました。付近は美しい植林です。710m+ピークは自然林です。この後はしばらく自然林が続きます。820mの登りの手前は木があまり無く、シダが茂っていますが、背の低いシダで範囲も狭いので邪魔にはなりません。これを過ぎると再び植林となり、900m付近は間伐した木とシダが密集していて、一番歩きにくい場所でした。そして1040m+の稜線に出ました。「一の丸」と書かれた標石が立っている場所です。

ここは日名倉山のいちばん南のピークで、陽ざしに焙られながら稜線を歩いて山頂に到達しました。途中で各方面の展望がありました。登山開始から2時間でした。雛倉山一等三角点(1047.38m)と小さな祠、ベンチが5つあります。付近はススキが茂っています。しばらく休んでから、奥海越経由で下山しました。奥海越までは植林で、30分で着きました。奥海越には太い林道が来ていますが、千種の方向に歩くと谷に出てきて、あとは谷沿いの登山道になります。この谷は最近登山道と反対側(東側)の倒木処理が終わったばかりのようです。倒木処理が終わって木の無い斜面を猪の一家が登って行くのが見えました。登山道はまだ荒れており、倒木もありますし、川を渡るにも橋が無かったり、疲れる下山でした。最後は植林の中の林道に出て、雛倉に降りました。

日名倉山の東側は植林と自然林が混在しており、傾斜も緩やかですので、意外と楽しめました。ただし地形が複雑なのでこのルートは下山には向かないと思いますし、展望もほとんどありません。

展望 ★★☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「千草」です。

2011年7月17日日曜日

千町ヶ峰と福知川


千町ヶ峰は登山道がいくつか整備されていますが、あまり記録の無い南西からの尾根で登ってみました。草木川を遡って下千町に入る手前の「千町のミズナラ」で南の林道に入りました。この道は舗装されており、幅は一車線ですがあまり心配せずに走れました。どんどん登っていって、峠を過ぎると森林基幹道千町・段ヶ峰線に出ます。ここから登りました。

この付近の尾根の端は林道の法面なので急斜面で登りにくいのですが、探し回ると千町・段ヶ峰線の法面に木のステップを見つけました。これを登ると伐採した木の転がっている植林の中に入れたので、ひたすら尾根を目指して登りました。尾根にも伐採した木が転がっているので、避けながら歩きました。最初は急勾配ですが、すぐに楽になり、ところどころ平坦地もありました。最初はネットがありますが、すぐに無くなりました。植林からだんだんと植生が変わっていき、この付近の山頂付近でよく見られるアシビなどの多い藪になっていきます。1100mのピーク付近は南東側が伐採されており、ネットが張られています。そのため砥峰や暁晴山が見渡せました。

この小ピークから千町ヶ峰の頂上までの間は、道が良くわかりません。低い木が生い茂っており、まったく見通しが効きません。なんとか尾根っぽいところを探して歩いていると、沼地がありました。二つのピークの間の鞍部で水が引かないのだろうと思って反対側に回ったら、「弘法の池」と書いてありました。ここから山頂までは道がありましたが、木が少ないので陽に照らされました。山頂には千町三等三角点(1141.31m)があります。周囲は伐採されて展望は素晴らしいのですが、日影が少ないので休憩には向きません。そのまま東に道を歩き、アンテナ小屋(「千町ヶ峰山頂標高1111m電波伝搬実験室」)を過ぎて、東に下山しました。下りになって、やっと周囲は森になりました。一宮町と神河町の境の尾根を東にかなり歩いて、ようやく千町・段ヶ峰線に出ました。これが防火帯の道でしょう。

ここから千町・段ヶ峰線を西に戻ることもできましたが、日影のない林道は辛いので、福知川を見に行くことにしました。地形図にはこの付近に破線道がありますが、これは谷を通っており、林道を作るときに周囲が整備されて道は消えたようです。そこで少し南の尾根から植林を降りました。すぐに谷があって小川が流れており、破線道の名残のような道もありました。倒木など障害物もありますが、地形図どうりに福知川に出ました。ここの実線道は未舗装道路でした。福知川のもっと下流は2009年の大雨で大被害を受けて、今でも県道が通行止めになっていますが、この付近はあまりそんな感じは受けません。気持ちの良い谷沿いの道を南に歩くと、地形図で点線に囲まれた場所に来ました。何もないのですが、確かに土が盛られて平地が作られています。その南は広葉樹林の印がありますが、ここも気持ちの良い森で、周囲の植林とは際立っていました。さらに西に歩くと、南から山越えの林道が降りてきています。「作業道ナメラ谷線」と書いてあったので、2011/04/17に川上から林四等三角点(914.8m)に登った時に出会った林道でしょう。ただしナメラ谷というのは三角点の東側の谷のことで、この林道はそちらには繋がっていません。このナメラ林道はそのまま北に千町・段ヶ峰線へと繋がっています。この交差点の少し東の所に北から深い谷があって、それをまたぐ橋が壊れていました。付近には「ナガソウ(2)公団造林地」と書かれた山火事注意の看板もあったので、ここがナガソウと思われます。

林道と交差してからも、さらに西に福知川に沿って歩きました。気持ちの良い道ですが、また橋が無くなっている場所があり、また川沿いの道が削られて崩落し、歩くのがやっとなくらいだけ残っている場所もありました(写真)。こんな道ですがバイクで走るのが流行っているらしく、何台も見かけました。あの削られた場所を走り抜けるのはかなりのスリルでしょう。最後は千町・段ヶ峰線に出たので、出発点まで舗装された道を戻りました。この道はドライブの車が多く、観光バスまで見かけました。

福知川の上流があまり大雨の被害を受けていないのを見てほっとしました。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」です。

2011年7月16日土曜日

公文から大廻りして水上山


夏の日にはちょっと長すぎる尾根歩きを企画しました。出発点は一宮町公文で、ここから長い尾根を北に歩いて、北から水上山に達して、そのまま南に歩いて帰ってこようというものです。

出発点は公文の北で公文川が二つに分かれる地点にある川上神社です。神社のすぐ裏の道から尾根の先端にとりつきました。鹿避け扉二つと電気ショックワイヤを抜けなければならなかったのですが、少し登ると東側から道が来ていました。地形図では尾根の先に建物が描いてありますが、この建物は今はありません。しかし照明塔や消火設備が残っており、この建物に来るための道路と思われます。建物跡地の裏から本格的な尾根登りになります。典型的な藪山ですが、登りにくいわけではありません。ケーブルが埋まっているので、共同アンテナがあったのかも知れませんが、残骸は見た覚えがありません。我慢して200mほど登ると尾根に出て、543m地点に出ました。展望のない、ごく普通の雑木林の尾根です。特に道があるわけでもなく、踏み跡すら怪しいのですが、歩くには困りません。背の高い、頭の赤い標石が点々と埋まっています。この後はひたすら北に歩き、公文四等三角点(648.03m)に着きました。例によって4つのブロックに囲まれています(写真)。

この後も特徴の無い、歩きにくくもない尾根が続きました。赤いテープのマーキングがあります。展望はほとんどありませんが、たまに東側に水上山が見えました。さらに661mピークに近づくと三久安山が見えましたが、ほとんどは森の中です。661mピークからは東に降りてまた登りですが、北に行くほど藪が増えた印象があります。一本道の尾根がこれほど長く続くのも珍しいでしょう。いつのまにか標石もなくなり、さらに北に尾根を歩きました。この尾根は基本的には登りなので、だんだん疲れてきます。暑さもあって、かなりきつい山歩きでした。

標高はどんどん上がり、790m+ピークを過ぎると藪がひどくなってきました。しかしちょっと巻いて歩くなど工夫すれば大丈夫です。最後は藪っぽい北向きの尾根を歩き、ややきつい坂を登ると、830m+の尾根に出ました。何本か木が伐採されていました。東に歩いて851mピークに出て、ここから南東に降りました。上手に降りないと目的の尾根に乗れませんが、植林の中なので割と見通しが効いて、南東に向かう尾根に乗れました。この先の南に尾根が曲がる790m+付近は倒木が多かったと思います。南に歩いて、また登りを繰り返して、水上山(862.4m)に着きました。丸太に座れるのが助かります。

ここからは2011/07/02に歩いたのと逆コースですが、水上山からは少し北に戻ってから西に降りる必要があります。最初は藪っぽい所もありますが、814mピーク付近からは尾根の幅が広がって気持ち良い尾根になります。前回も見に行った水上四等三角点(815.3m)を過ぎて、そのまま南に643mピーク目指して歩くつもりでしたが、気が付いたら尾根を西に歩いていました。引き返すにはかなり下っていて、歩きにくい尾根でもなかったので、そのまま西に降りることにしました。破線道に出られれば、早く帰れると思ったのですが、地形図で見ても分かるようにこの谷は非常に狭く、地形図にはありませんが川が流れています。降りてきた尾根の先端は谷にそびえる岩の上で、そこから川辺に降りるのは非常に危険でした。谷に降りると川に沿って道がありましたが、これもあちこち崩れていたり土砂で埋まっていたりするため、そう簡単には帰れません。これなら尾根を歩いたほうが早かったかも知れません。自動車の通れる道に出てきたときは、心底ほっとしました。そのまま南に歩いて川上神社に戻りました。

全部で7時間近く歩いており、真夏の山歩きとしては距離が長すぎです。標高も800m台が最高で、風があれば涼しいのですが、気温が高いのでばてました。夏は無理をしてはいけません。

展望 ☆☆☆
藪山度 ★★☆ 下山は間違い
地形図は「神子畑」「音水湖」です。

2011年7月9日土曜日

上千町から笠杉山ダイレクト


上千町から笠杉山に登るルートはいくつかあります。一宮町千町には何か所かで登山地図が道端に掲示されています。それを見ても笠杉山の登山ルートが書かれていますし、他にもルートはあります。しかしそれらには拘らず、尾根伝いにい登ってみました。

出発点は上千町の東、市道黒原千町線(工事中)と作業道奥田谷線が分かれるところです。ここに車を止めて、作業道の方にちょっと行ったところから、やおら尾根に登りました。かなり急ですが、すぐに尾根に乗れるので、後は楽になります。標高700m以上という割には普通の藪山です。750mを越えて勾配が緩くなると、林道の終点に出ました。この林道は奥田谷線から来ているものらしく、Google Earthで確認できました。未舗装のきれいな林道で、轍が無く、使われた形跡がありません。この林道は尾根の東側に作られており、尾根を歩くことも可能です。三角点のあるピークの近くでは林道は東の方に行ってしまうので、三角点には尾根で登る必要があります。上千町四等三角点(881.83)は藪の中です。東側下方には林道が見えます。

ここからは相変わらず藪っぽい尾根を登りました。しかし尾根はほとんど切り開かれており、問題無く歩けました。三角点から少し東に進み、北に降りて行くと、また林道の終点に出ました。この林道は舗装されており、法面は芝が植えられネットが張られています。少し歩いて見ましたが、「森林基幹道 千町・段ヶ峰線と書いてありました。林道の終点に出てきたのは、南北に走る尾根の鞍部の西側に近い地点でした。しかし少し北に歩くと林道は分岐しており、東へ曲がって尾根の所まで道ができていました。行き止まりに、なぜかカーブミラーが立っています(写真)。麓で見た地図によると、ここが林道が尾根を横切る予定地点のようです。だとすると南に延びている道が何なのかが不思議です。ここはこの林道の笠杉トンネル側からの現時点での最終到達点となっています。この付近からの眺望はなかなかのものです。

林道が横切る予定の地点からまた尾根に乗って北を目指しました。植林になってきて、鹿避けネットが張られていますが、さほど邪魔ではありません。しかし調子に乗って尾根の端まで歩くと西に歩くことになります。ここは宍粟市と朝来市の市境で、それに乗って笠杉山に向かうには尾根のやや中途半端なところから東に降りて行く必要があります。雑木林ですが下草はほとんど無く、楽に歩けました。ちょっときつい登りのあと、笠杉山に到達です。藤尾峠三等三角点(1032.09m)があります。

ここからは市境を縦走しました。笠杉山までの尾根に比べると道が整備されているのでずっと歩き易くなりました。すぐに南側に舗装された林道が現れます。工事中の千町・段ヶ峰線です。地形図の902m地点には、「段ヶ峰・杉山へ」「笠杉山へ」「総合作業施設へ」という標識が立っています。地形図ではここには東から道が上がってきていますが、標識もなく、周囲を見ても見当たりません。しかしそこにあったお地蔵さん(天保14年7月吉日)の脇には「東へ奥田路60分」と書かれた標識もあるので、林道の端を探し出せば降りられるはずです。

ここから南東は、小さなピークに登った後、やや長くて急な登りとなります。それを上がると、また「段ヶ峰・杉山へ」「笠杉山へ」「総合作業施設へ」という標識が立っています。これは岩塊流を経た登山道ですが、とりあえずさらに稜線を歩くと、平らで気持ちの良い尾根に出てきました。これは近くの段ヶ峰でも大段山でも見られるもので、下草が少なく、適度に木が生えている気持ちの良い場所です。大きな岩も時々あります。時々東側の見事な展望もあります。この尾根を南東に端まで歩くと、段ヶ峰への分岐がありますが、ここはまっすぐ杉山に向かいました。杉山というのは名ばかりで、この山の頂上付近は今は木がまったく生えていません。数本の松があるばかりです。おかげて360度の展望が得られます。段ヶ峰、千町ヶ峰などなどから、新井の方角が良く見えます。

下山はいろいろ検討しましたが、林道を歩くのは嫌だったので、尾根を戻って岩塊流を見て降りることにしました。気持ちよく尾根を戻ったところまではよかったのですが、尾根を行き過ぎて下山路を探すのに時間がかかりました。下山路は植林の中の作業道で、最後は岩塊流に出てきます。くじら岩を見からさらに下ると、目の前のピークが926mピークでした。段ヶ峰と杉山への登山口の標識は、このピークの北側にあります。昨年作られたどうどう橋という林道の橋の下を通って、総合作業施設へ植林の中を降りる道がありました。これは奥田谷線の支線に出てきますが、この道が奥田谷線と出会うところが、稜線上でお地蔵さんのあった所への登山道出発点となっています。あとは奥田谷線を歩いて降りましたが、途中は「千町森林公園」となって、いくつかの施設がありました。

予想どうり林道の発達した地域で、上手に林道を歩けばほとんど頂上まで行けてしまいますが、それでは面白くありませんし、夏は暑くてたまりません。風通しの良い雑木林の尾根が夏は一番でしょう。

展望 ★★★
藪山度 ★☆☆ 
地形図は「神子畑」です。

2011年7月3日日曜日

前之庄の天神山


天気が悪いので近場ということで、前之庄の天神山からゴルフ場の周囲を一周して来ました。西から前之庄に延びる尾根の端から登ろうと思ったのですが、登り口が分かりません。尾根の東端には折れ曲がった道があるのですが、進入禁止で草ぼうぼう、しかもその先の尾根は急勾配に見えます。そこで南に延びた尾根から登ろうと周囲を探索しました。地形図では天神宮の溜池をはさんで北東には破線道が円を描いています。Google Earthでも渦を巻いた道が見えるので、ここに行ってみたのですが、円の中は藪山で、道には背丈ほどの草が生えていました。ただ、南側に小さな神社があったのが気になりました。

とても歩く気にはならない藪山でしたが、灌木と草をかき分けて北に尾根を進むと尾根の東側は植林で、作業道を通って尾根に乗り、さらに主尾根に達することができました。方向を間違えてここで東に行ってしまったのですが、草はほとんどなく、楽に尾根の端に達しました。尾根の東端の折れ曲がった道を終点まで歩いて斜面を登った方が楽だったかも知れません。引き返して主尾根を西に進みましたが、踏み跡はあるものの荒れ果てた尾根でした。雨の後で葉に付いた水で服がびしょびしょになり、ちょっと四隅の欠けた新庄三等三角点(262.44m)に着いたときは濡れ鼠でした。ここは天神山城跡とのことですが([1])、城跡の気配は全くありません。じっさい、播磨の城跡リストにも載っていません([2])。しかし、三角点の近くに落ちていた大柿さんの赤札('05.3.26)でも城山となっていますから、やはり城があったのでしょう。

この後は伐採した木がそのままになって尾根を塞いでいたり、楽な尾根歩きとは言えません。270m+ピークは登ってもシダが生えているだけなので、西側の林の中を巻くのが正解です。全体に道は西側に降りたところに作られており、稜線上はシダ藪が多いようです。その道にしても倒木や枝が多過ぎです。文句を言いながらも突破不能な藪はなく、高圧線鉄塔に到着しました。紅白に塗られた播磨線82です。天気が良ければここからの展望は良さそうですが、あいにくここで激しい雨が降ってきました。木の下でしのごうとしたのですが、ここから北の尾根は巡視路はあるものの登りで大きな木がなく、大変困りました。登ったところのピークは325mですが、巡視路が東西南と三方に分かれていました。東に行ってもゴルフ場に入ってしまうので下山はできません。

325mピークから西は巡視路なので良い道です。尾根上に大きな岩が現れ、雨で滑りそうなのでおっかなびっくりそれを越えると、岩の多い地帯になりました。気が付くと木に黄色いテープのマーキングがありました。「大明神コース」という神元神社から登る明神山の登山ルートです。さすがに手入れが良くて、楽に歩けましたが、両側からシダがはみ出している場所もあり、服は濡れました。展望の良い岩場(見えるのは明神山とゴルフ場が主ですが)もあってさすがは登山コースです。西山四等三角点(342.58m)は道端にありました。明神山コースの「ご安全に・お気をつけて」の表示が立っていました。コース中ではこのピークは「三角点山」となっていますが、同じ名前の山が多すぎるでしょうね。

ここからは下山なのですが、西山三角点から東の尾根に進みました。周囲はシダ藪なので躊躇したのですが、ここまで来ると他に適当な下山ルートがありません。付近の山はシダで覆われており、北の尾根で下山しても、シダ藪は避けられないでしょう。腰くらいまでのシダをかき分けて東に進むと、大きな岩がありました。上に立てば展望が良さそうだったのですが、雨上がりですしゴルフ場と前之庄付近までしか見えないので、北側を巻いて進みました。巻くのも大変なくらいの大きな岩でした。この先の鞍部も岩場で(写真)、そろそろとお尻で降りましたが、眺めは良く、風も爽やかでした。霧で視界が効かなかったのが残念です。またシダをかき分けて320m+のピークに登りました。この先はシダが少なくなってほっとしました。最後の下山は290m付近の北の尾根を使いましたが、幸いにもこの尾根はシダが少なく、しかもしっかりした踏み跡が付いていました。かなり楽に降りられたのですが、地形図にもあるようにゴルフ場に出てしまいました。ここはいわば飛び地で、谷越えに打つようになっています。ゴルフ客がいなくなった隙に端を横切ってさらに植林を下りました。作業道を伝って降りて行くと、地形図にある林道に出ました。地形図では西山川ですが、ここにあった表示では寺谷川でした。あとは林道で西村に出ました。

標高が低く人里に近い山の方が藪がきついのはよくあることですが、全体にシダが多く歩きにくい尾根でした。明神山の登山コースを使えたのはラッキーでした。天気が良ければ苦労と釣り合う展望が得られるかも知れません。

展望 ★★☆ 
藪山度 ★★★
地形図は「前之庄」です。

2011年7月2日土曜日

一宮の水上山


揖保川を遡って三方町に行き、さらに東公文川を遡ると、「轆轤師の森」があります。さらに北に走ると富山越に着きます。なぜここが富山越かは分かりませんが、ここに車をとめて歩き始めました。地形図で峠に描かれている建物は、横山配水池です。北には未舗装道路が延びており、川を渡る地点で分岐します。西に曲がって、道が大きくカーブしている所で南の植林に入りました。やや急勾配で荒れ気味ですが、倒木などは少ないので楽です。なるべく尾根を歩くようにして登って行くと、大きな尾根に出ました。590mピークの少し北西の地点でした。この尾根には頭を赤く塗られた標石が埋まっていますが、ぼろぼろになっているものが多いようです。この尾根は道こそありませんが、やや灌木が多いことを除けば障害物はありません。ただ、昨日の雨で落ち葉や木の葉が濡れており、天気も曇りで陰湿な登山になってしまいました。乾いた晴れの日なら落ち葉を踏みながら快適に登れる尾根だと思います。

しばらく登り続けると、やっと目的の主尾根に出ました。一つ西のピークにある水上四等三角点(815.3m)を見てきました。4つのブロックで囲まれていますが、標石はかなり土に埋まっています。秋には枯葉で埋まるでしょう。ここからは北に向かって尾根歩きとなりました。周囲は植林が多いのですが、尾根は雑木林が多く、道は無くても時々枯枝を折りながら軽快に歩けました。ただし岩場が無く、展望は全くありません。アップダウンを繰り返しながら木立の間を歩くと、宍粟50名山の水上山に着きました。歩き始めて2時間ほどでした。倉床三等三角点(862.4m)があります。周囲は植林で伐採してありますが、展望はありません。伐採した木に腰かけられるのがなによりでした。実はここに来るまでこのピークが水上山という名前で宍粟50名山だということを知らなかったので、ちょっとびっくりしました。この三角点の名前が倉床というのは分かるのですが、なぜ南の三角点の方が水上なのか、分かりません。そもそも水上という地名は地形図には無いのですが、どこを指す名前なのでしょうか?

宍粟50名山だということは登山道があるということで、下山に使ったピークから東に延びる尾根は整備されていました。登りに使ったルートには全く道がなかっただけに、倒木が切ってあるだけで感動しました。おまけにこちらの尾根は植林なので下草が生えておらず、落ち葉もないので歩いても濡れません。時折北の方角に展望もあり、さすがは登山道でした。植林に霧が立ち込め、光が差し込むとちょっとした芸術写真が撮れました(写真)。714m地点付近には共同アンテナの残骸があります。ここで登山道と別れて、南に尾根を下りました。こちらの尾根も歩き易く、文句ありません。標高550mを切った付近の鞍部には、西側から道が登ってきており、谷沿いの破線道からここに登れると思います。しかしこちらには降りないでさらに真っ直ぐ尾根を歩き、富山越四等三角点(543.7m)に着きました。これも4つのブロックに囲まれていますが、なぜかピークの東斜面に置かれていました。この後は南に少し尾根を降りて、西に急な尾根を下り、あとは荒れた尾根を辿って一山登って降りると、横山配水池の裏に出ました。

天気はずっと曇りで、途中で二回降られましたが、木の下でやり過ごしました。西側と東側の尾根の印象が対照的だったのが不思議です。

展望 ★☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「神子畑」です。