2018年10月31日水曜日

備中松山城から北の山

「現存天守を持つ山城としては最も高い所にある」という備中松山城は、標高430m以上の山上にあるので、登山コースもあります。まずこれを登ってみました。高梁の市内を流れる小高下谷川沿いに、松山城の駐車場の方向に歩きます。細い道で、乗用車でもすれ違うのがやっとくらいです。橋に遊歩道への入り口の看板があって、「備中松山城登城口 天守まで1,500m」ということで登り始めました。ところどころ階段が整備されており、いろいろな説明板もあって楽に登れました。サルの生息地だそうですが、出会えませんでした。たまに石仏もありますし、大石良雄腰掛岩もあります。そして八合目の鞴(ふいご)峠に着きました。自動車は下の駐車場までのようで、ここへはマイクロバスで往復するようです。ここからも舗装道路はあるのですが、見学者は山道を歩くようになっています。これももちろんよく整備されており、途中で高梁の町の展望が得られる場所もあります。石垣が現れると城らしくなります。そして目の前に石垣がそびえるところが大手櫓門でしょう。もともと岩山だった所に建てられていることが良く分かります。三の丸、二の丸と通って、300円払って2階建ての天守閣に入れます。

本丸の先も石垣が少しあり、二重櫓を外から見て、北に歩きました。深い堀切には橋が掛けられており、番所跡、相畑と過ぎて、次の487mピークが臥牛山としては最高地点で、ここは天神の丸跡とされていて、山の上に天神社という神社の礎石などが残っています。よく分かりませんが、山城の跡に江戸時代に神社が建てられたということでしょうか。さらに大松山城跡へと歩くとサンダル履きの観光客はいなくなります。ここは470m+の広い平坦地で、戦国時代の山城の跡です。曲輪などがよく残っていますが、石垣がないのでちょっと見ればただの平坦地です。井戸がありました。近くにある大池は溜池ではなく、石で囲んだ人工的な池ですが、何のための池か分かりません。この北には地形図で谷の上に直線が引いてありますが、これは吊橋です。かなり本格的なものですが、これは渡らずに番所の方へ行きました。ここは松山城としては一番北の橋で、切通しに番所があり、石仏があります。

番所の前から北の山に向かっては階段が作られており、山頂まで上がれます。道標が「楢井自然休養村」となっているのが気になるところです。山頂は伐採されており、東の山が見えます。よく探すと今津三等三角点(478,26n)が藪の中にありました(写真)。標高では天神社に負けています。ここから道に降りると尾根を走っている舗装道路に出られるようで、そちら向かってに「楢井・愛宕山」という道標がありますが、歩いていく距離ではないでしょう。

ここからは北に下山と決めていましたが、道はありません。藪を適当に抜けて、北に向かう尾根に出ました。いかにも里山というか、藪山です。少し我慢すると道らしきものもあって、共同アンテナの残骸らしきものもあります。適当に枝を払い、藪を避けて降りていくと、「採石作業で危険につき立入らないように願います」という古い看板が落ちていました。しかしここまで来ると他に降りようもないので、地形図の362m地点を目指して降り続けました。藪ですが、それよりも尾根はどんどん細尾根になり、特に西側は急斜面になりました。これは地形図とは明らかに違っています。採石場はありますが、かなり遠くで、眼下という訳ではありません。細尾根は枝が邪魔で通れない場所もあり、東側を巻いたりして、かなり危険でした。細尾根が終わると藪の中に道があり、共同アンテナの残骸があり、その後は尾根に溝があったのでそれを下りました。最後は笹薮に出てきて方向が分からなくなりましたが、なんとか小才藤の人家の上に出てきて、国道313号線に出られました。国道を歩いて高梁まで帰りましたが、バスに乗るのが正解でしょう。

三角点からの北の下山はとてもお勧めできません。

展望 ★☆☆
藪山度 ★★★ 下山の評価です
地形図は「高梁」です。

0 件のコメント: