2025/05/15に福知川沿いの千町・段ヶ峰線起点にある地図を見ていたら、「長沢村の集落跡」がありました。場所は高圧線が福知川を渡るあたりですが、福知川を渡るのは難しいので砥峰から行ってみることにしました。砥峰高原から北に行くと、砥峰登山口があります。山頂まで800mと書いてあるようです。ここから登山道を歩きました。途中に道標がいくつかあり、遊歩道と書いてあります。林道に3回出会って、その上は黒いプラ階段があって関電の巡視路のようですが、こちらの方向には鉄塔はありません。巡視路を歩いていくと、まっすぐには登らずに西に行ってしまうので少し心配になりましたが、結局は尾根に上がりました。土塁があり、それに沿って歩いて砥峰の山頂に着きました。以前は伐採されていたようですが、いまはアシビなどが茂っています。川上三等三角点(972.08m)があります。山頂からは下山近道の矢印もあって、巡視路を使わずに急斜面の尾根を降りる道でしょう。この山の名前は地形図では砥峰ですが、ところどころで砥峰山という名前が使われています。峰も山も同義なので、なんだか変ですが、砥峰高原の名前が知れ渡っているので、山を付けたくなる気持ちはわかります。
砥峰から北に歩いて尾根を下りました。2011/04/17の逆コースです。900m-の鞍部はちょっと展望があり、東側には林道が通っていました。ここから少し登って975mピークに行きました。それから引き換えして北の尾根を降りました。枝分かれが多いので方向に気をつけて降りていきました。途中にネットがありますが、問題なく福知川まで降りられました。この付近が地図で長沢村の集落跡になっていた所なので、歩き回ってその痕跡を探しましたが、何もありません。福知川を遡ると地形図では川が二本に別れて間に島があります。しかし上流で二本に分かれる付近は大規模な土砂崩れがあったらしく、福知川から水は流れておらず、実際には東側の水流は少なくなっていました。長沢村のあったとされている付近には錆びたドラム缶やワイヤーがありましたが、木材の切り出しの跡でしょう。人工物らしいものとしては石積がありましたが、これは炭焼き窯で、集落があったことの反証になりそうです(写真)。カマツカの花の咲いている気持ちの良い平坦地なので、農耕に使われた跡が無い方が不思議な気がしましたが、福地川が増水すれば水没してしまいます。なお、明治31年の地形図を見ると、この付近には福知川の北側に一つだけ建物が描かれています。
平坦地の南西側の斜面は植林で、帰りはまずここを登りました。急斜面ですが植林なので問題はありません。少し登ると幽霊のように白いものがたくさん立っていましたが、白いレースで囲まれた新しく植えられた植林です。その中に細身の草木南小田第一線四一鉄塔がありました。この先は南向きに植林の尾根を上がり、867mピークから東に降りて草木南小田第一線五一鉄塔に着きました。四一鉄塔から2本目なのですが、一気に番号が増えています。途中にあった鉄塔も五一鉄塔も付近には白い幽霊のような植林がありましたが、鉄塔の番号が増える方が育っていました。五一鉄塔の脇には林道があったのでそれを南に歩きました。しかし下っていくような感じはしないので、途中で尾根を下って県道39号線に降りました。途中で谷に降りたのですが、尾根を最後まで歩いたほうが楽だったかも知れません。また、降りてきた谷には北に向かう林道があったので、ひょっとしたら林道を逆に歩いたほうがよかったのかも知れません。
展望 ☆☆☆
藪山度 ★☆☆
地形図は「長谷」です。
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